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2018/07/04

最高の米国人女性歌手ダイナの真骨頂はここ

ベシー・スミスの威風とビリー・ホリデイの愛嬌を併せ持つダイナ・ワシントン。しかもダイナには強いセクシーさがある。かつ、チャーミング。こんな歌手がほかにいるのだろうか?あのころはジャンプ・ブルーズ歌手にしてジャズとリズム&ブルーズの中間あたりで歌った、アポロへの12曲を除く1943年から53年までのシングル・コレクションである CD 四枚組『ザ・ファビュラス・ミス D!:ザ・キーノート、デッカ・アンド・マーキュリー・シングルズ 1943-1953』(Hip-O、2010年)。全107曲。これがあまりにもすばらしすぎる。ダイナの真髄はここにあると言いたい。

『ザ・ファビュラス・ミス D!』収録曲の並び順はオリジナル・シングル・レコードのリリース順で、それは必ずしも録音順ではない。そのへんも、附属解説文とディスコグラフィなどなど&CD スリーヴとぜんぶが一体化しているパッケージ(は SP レコード体裁を再現)に、すべてきちんと記載されてある。豪華でぜいたくで、もちろんダイナの歌が最高だし、もうどこにも文句なんか全然ないね。

そう、四枚組『ザ・ファビュラス・ミス D!』に収録されているのは、すべて元は78回転のシングル・ナンバー。すなわち SP 盤でまずは発売されたもの。それなのに107曲と奇数なのは、1947年発売のデッカ盤「ブロウ・トップ・ブルーズ」(Decca 23792)の B 面はダイナの歌っていないライオネル・ハンプトン・セプテットの「ロビンズ・イン・ユア・ヘア」だったから。

『ザ・ファビュラス・ミス D!』には、ほかにも新曲は一つだけだったレコードが二枚あるけれど(「ウー・ウィー・ウォーキー・トーキー」「ザッツ・ワイ・ア・ウーマン・ラヴズ・ア・ヒール」)、それらのマーキュリー盤はほかのダイナ・シングとあわせて両面で発売された。当時はダブりというか、片面は再発だったわけだけど。ダブったのは「エンブレイサブル・ユー」と「ウェン・ア・ウーマン・ラヴズ・ア・マン」。オリジナル・イシューではこの二曲が Mercury 2053(1946年発売)の両面だった。

デッカ録音の「ブロウ・トップ・ブルーズ」の話をしたからまず書いておくと、この1945年5月21日録音47年発売の曲と、それに先行するダイナの初録音、キーノートへの四曲「イーヴル・ギャル・ブルーズ」「ソルティ・パパ・ブルーズ」「アイ・ノウ・ハウ・トゥ・ドゥ・イット」「ホームワード・バウンド」(1943年12月29日録音、44年発売)の、計五曲。これらが本当に至高の宝石なんだ。

ダイナをキーノート・レーベルに紹介しレコード・デビューのきっかけをつくったのはイギリス出身のジャズ批評家レナード・フェザー。ダイナはライオネル・ハンプトン楽団に加入して1943年2月にニュー・ヨークのアポロ・シアターに登場しているが、レナードはどうもダイナのソロ・アクトに接する機会があったようだ。

とにかく1943年12月にもハンプトン楽団+ダイナはアポロ・シアターに出演。レナードは同年同月にキーノートへのダイナの録音機会を設けることに成功し、12月29日に四曲録音された。その伴奏セプテットはハンプトン楽団からのピック・アップ・メンバーだ。

しかし、これは以前も書いたことだけど、当時のハンプトンはデッカと専属契約があったため、ほかの会社のレコードでリーダーとして登場してはまずかったにもかかわらず、キーノートは初回プレス分に "ザ・ライオネル・ハンプトン・セクステット・ウィズ・ダイナ・ワシントン” と記載してしまう。これにデッカが抗議して、キーノートは "セクステット・ウィズ・ダイナ・ワシントン” とラベリングを変更した。このへんも附属解説文に詳しく記載がある。

ダイナが歌うハンプトン楽団のデッカへの公式レコーディングがまったくなく、少人数コンボ編成でたった一曲だけ、「ブロウ・トップ・ブルーズ」しか録音・発売されなかったというのは、このあたりのイザコザが原因に違いない。その後、ハンプトン楽団を離れマーキュリー・レーベルにおいてビッグ・バンドの伴奏で歌ったダイナの歌のすばらしさを聴くにつけ、これはアメリカ音楽史上最大の痛恨事と思わざるをえない。

それでも、ハンプトン楽団からの、メンツは違えど同じ七人編成メンバーでダイナが歌ったキーノートの四曲とデッカの一曲は、まだまだ円熟味は足りないものの、ダイナの声の張りとみずみずしさ、すでに強く漂う艶と色気、粘っこさなど&伴奏サウンドのジャンピーな見事さ、さらにこれら五曲だけなんだ!と思う貴重さと愛おしさもあいまって、もうたまらない気分だ。何回聴いてもいつ聴いても、すばらしいとため息しか出ない。

特にデッカの「ブロウ・トップ・ブルーズ」が出色の出来じゃないだろうか。イントロのテナー・サックス(アーネット・コブ)からして、このジャンプ感覚を内側に折り込んだようなスローな粘り気が見事。それにハンプトンのヴァイブがからみダイナが歌いはじめ、ウェンデル・カリーのミューティッド・トランペットがオブリガートをつけると、もう最高の気分だ。その後、アンサンブルになって、そのあいだを縫うようにハンプがヴァイブ・ソロを弾きダイナが歌う。ダイナのヴォーカルはすでにセクシーだ。

キーノートの四曲でのボス、ハンプトンはなにを演奏しているのか、実はよくわからない場合が多い。これはやはり専属契約外の仕事だったので配慮したということなんだろうか?『ザ・ファビュラス・ミス D!』附属のディスコグラフィでは、「イーヴル・ギャル・ブルーズ」「ソルティ・パパ・ブルーズ」でヴァイブとなっているが、聴こえない。「アイ・ノウ・ハウ・トゥ・ドゥ・イット」ではドラムス、「ホームワード・バウンド」ではピアノとなっているが、後者で聴こえるブロック・コードはやっぱりミルト・バックナーなんじゃないだろうか?シングル・トーンはハンプの二本指ピアノだろうけれど。

ハンプがドラム・セットを叩いているとの「アイ・ノウ・ハウ・トゥ・ドゥ・イット」では、1943年12月録音にしてすでにリズム&ブルーズの感覚が出はじめているのも興味深い。特にドラマー、ハンプの叩きかたがかなりジャンピーで、バンド全体もノリのタメが深くなっているように感じる。このフィーリングが二年後の「ブロウ・トップ・ブルーズ」でさらに深化しているんだよなあ。

しかしダイナのヴォーカルは、1945年にハンプトン楽団を離れ翌46年1月にマーキュリーと複数年契約を結びどんどん録音するようになって以後もっとぐんぐん上昇している。ジャズ・サイドというよりも(ジャンプ・ベースの)リズム&ブルーズにじょじょに近づいて、ある時期はまさにそれそのものを歌っていた。そのあたりを(私的な)ダイナ黄金時代とみなしたい。

たとえば、1946年1月14日のマーキュリー初録音の四曲のなかに、「ジョイ・ジュース」みたいな曲がもうすでにある。伴奏はガス・チャペル楽団。このノリのディープさが最高にいいね。
1946年だと4月6日に「ウー・ウィー・ウォーキー・トーキー」があり、10月3日に「ア・スリック・チック」(見事!)「ポストマン・ブルーズ」「ザッツ・ワイ・ア・ウーマン・ラヴズ・ア・ヒール」がある。どれも R&B フィールが出てきているんじゃないだろうか。
1947年秋(としか判明しない)には、以前ホット・ワックス/インヴィクタスのソウル歌手ローラ・リーの話のときに書いた曲「シンス・アイ・フェル・フォー・ユー」があり、同じ日にルイ・ジョーダンの「アーリー・イン・ザ・モーニング」も録音しているが、伴奏サウンドとダイナの歌そのものは特筆すべきものではない気がする。

時代が飛ぶがソウル/ロック・ミュージック界とのストレートなつながりで言えば、『ザ・ファビュラス・ミス D!』の三枚目17曲目には、かのポール・バタフィールズ・ベター・デイズもやったパーシー・メイフィールドの「プリーズ・センド・ミー・サムワン・トゥ・ラヴ」がある。1951年2月27日録音。ダイナのだって、どう聴いてもソウル・ミュージックに近づいているリズム&ブルーズ歌唱だろう。
この同じ1951年2月27日には、ベシー・スミスも歌った「エイント・ノーバディーズ・ビジネス・バット・マイ・オウン」もあってそれも R&B フィールだし、「ファイン・ファイン・ダンディ」なんていう直截的なセックス・ソングを色気たっぷりに歌うものもあるしで、この1950年代初頭ごろはまさしくダイナの絶頂期だった。後述したい。
1940年代に話を戻し47年12月末(30日か31日)に二曲と、48年9月か11月に二曲、クーティ・ウィリアムズ楽団と共演している。ちょうどこのオーケストラが濃厚なジャンプ・ミュージックを追求し切ってリズム&ブルーズに最接近していた時期で、ダイナがいっしょに四曲やったうち「レゾルーション・ブルーズ」がかなりいい。このグロウリング・トランペットはもちろんクーティ本人だろう。いやあ、いいですねえ〜。
1949年3月4日の「ベイビー・ゲット・ロスト」や、同年夏の「アイ・チャレンジ・ユア・キス」(はふつうのジャズ・シンギングだけど)、同年9月27日の「ジュース・ヘッド・マン・オヴ・マイン」とか、このあたりまで来ると、ダイナのヴォーカルはもはや完璧だ。発声の艶やかさ、フレイジングが細やかで丁寧で、音程をなめらかにスラーさせながら歌詞の意味を歌い込む絶妙さ、濃厚なセクシーなどなど、欠点がどこにもない。迫力と威厳があるが、決して遠い感じではなく親しみやすいコケッティシュな雰囲気もあるよね。アメリカ大衆音楽女性歌手史上最高の存在だなあ。
と直前で書いたのは、まだすこし時期尚早なのだ。1950年になると、5月9日に「ビッグ・ディール」「アイル・ネヴァー・ビー・フリー」「アイ・ワナ・ビー・ラヴド」「ラヴ・ウィズ・ミズリー」という四曲の超絶品歌唱があるからだ。四つぜんぶすばらしすぎるのでご紹介しておくが、なかでも特に四つめの「ラヴ(・ミー・)ウィズ・ミズリー」は手放しで絶賛するしかないものだ。いやあ〜、こりゃすごい。これこそ比喩でもハッタリでもない正真正銘のベスト・フィーメイル・シンガー・イン・アメリカだ。
1951年からダイナの伴奏にピアノでウィントン・ケリーがつくようになり、しばらく経ってドラマーもジミー・コブになる。そのままジミー・コブ・オーケストラとクレジットされるようになって、テナー・サックスにベン・ウェブスターとワーデル・グレイが参加。この編成でダイナが歌った、たとえば1952年1月18日録音の「トラブル・イン・マインド」がかなりいい。エタ・ジェイムズだと言ってもさしつかえないほどのソウルフルさだな。実際、6/8拍子で三連基調のソウル・グルーヴ。
ほぼ同じ編成の伴奏による同1952年5月6日の「ピロウ・ブルーズ」「ダブル・ディーリング・ダディ」、同年夏の「ギャンブラーズ・ブルーズ」、53年初頭の「ユー・レット・マイ・ラヴ・グロウ・コールド」「エイント・ナッシング・コールド」など、ブルージーかつジャジー&ソウルフルで、筆舌に尽くしがたいすばらしさ。
やはりウィントン・ケリーとジミー・コブがいる似たような編成で、新たにポール・クィニシェットが加わっての1953年6月10日の四曲では、もはやロックンロールだと呼びたいくらいのはじけかた。ダイナひとりの1943年から10年間のシングル曲を追うだけで、(ジャンプ・)ジャズからロック誕生に至るまでの道程を、実際の音源で、克明にたどることができちゃうんだね。
最後四つめの「ネヴァー、ネヴァー」にはドゥー・ワップ・コーラスが参加しているが、だれなのか判明しないのが残念。ダイナはもっと前、1951年10月25日録音の二曲でレイヴンズと共演しているのが『ザ・ファビュラス・ミス D!』にも収録されている。フランク・ザッパのときにも書いたが、ドゥー・ワップはロックンロールと同時期流行の音楽だったんだよね。

また上掲四曲のいちばん上、「ファット・ダディ」がラテン・ソングであることにも注目したい。アメリカ黒人音楽におけるこんなカリビアン要素はよくあることだけど、リズム&ブルーズ〜ロックにおけるそんな様子を、ダイナでもまた再確認する。『ザ・ファビュラス・ミス D!』ラストの107曲目「シンス・マイ・マン・ハズ・ゴーン・アンド・ウェント」はカリプソ R&B ナンバーで、こういうのはルイ・ジョーダンから来ているものなんだね、きっと。
四枚組『ザ・ファビュラス・ミス D!』では、最後のほうに「サイレント・ナイト」「ザ・ローズ・プレイヤー」という二曲の教会ソングがあるのにも触れておかなくちゃ。1953年録音。シカゴの教会で10歳から歌っていたダイナで、レコーディング・デビュー後もその強力な発声とフレイジングはゴスペル由来のものだった。ジャズ界でゴスペル・タッチが一般的になるのは1950年代後半からだ。

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