« no. 9... no. 9... no. 9... | トップページ | キューバ革命でしぼんだ黄色いさくらんぼ »

2018/07/24

スティーヴィ『インナーヴィジョンズ』のポップネス

バート・バカラックと化している『インナーヴィジョンズ』 (1973)になると、スティーヴィの音楽はソウル/ファンクという枠を超えて、もはや黒人音楽でもなく、分別できないひろく一般的で普遍的なポップ・ミュージックとして聴こえてくる。一作飛び越えて、1976年の『ソングズ・イン・ザ・キー・オヴ・ライフ』に近づいている。ただしこのことがはたしていいことなのかどうかは、判断がむずかしいばあいがあるかもしれないけれど。

つまり元レーベル・メイトのマイケル・ジャクスンと同じ次元に、先にスティーヴィのほうが到達しつつあった。彼らのあとには(レーベルは違えど)プリンスがいたということになる(スティーヴィひとり存命とは…)。ぼくはだ〜いすきだけどね、こういった『インナーヴィジョンズ』みたいな音楽が。まあモータウンのカラーみたいなもんでもあった。

スティーヴィにしろマーヴィン・ゲイにしろ、1970年代初頭にセルフ・プロデュースのできる自立した大人の音楽家としてモータウンと再契約して新音楽を展開したけれど(いわゆるニュー・ソウル)、結局のところ、1960年代にこのレーベルが持っていたのと同じようなポップネスにたどりついた(戻った?)んだという見方だってできるのかも。モータウンがえらいのか?スティーヴィやマーヴィンは苦闘の末自力で到達できたからえらいということなのか?

まあいい。『インナーヴィジョンズ』。三部作とぼくが勝手に把握している『トーキング・ブック』『インナーヴィジョンズ』『フルフィリングネス・ファースト・フィナーレ』のうち、やはりこれがいちばん音楽性の幅がひろく、というのはいろんなカラーの曲があって多彩だとかいうことではなく、パーソナルであると同時に社会や世界のユニヴァーサルな問題に同時に踏み込んでいるから(歌詞面だけでなく)。それと、収録曲の調子やサウンドが世に受け入られやすいわかりやすさを発揮しているからだ。

実際、『インナーヴィジョンズ』に、黒人音楽でのいわゆるファンキーさ、ブルージーさ、ソウルフルなフィーリングなどは、ふつうの意味ではほぼ聴きとれないように思う。かろうじて5曲目の「ハイアー・グラウンド」がブギ・ウギだなと思うけれど、しかしここにリズム&ブルーズなどにも直結したあの粘っこい黒人感覚は薄いよね。と、ブギ・ウギ好きのぼくなら感じるんだけど。まあでもこの「ハイアー・グラウンド」は、ちょっぴりだけ黒っぽいのかも。

それはそうと「ハイアー・グラウンド」と次の6曲目「ジーザス・チルドレン・オヴ・アメリカ」の二曲は宗教ソングなのだろうか?歌詞はそうでも、しかしここにもいわゆる黒人ゴスペルみたいなサウンドやリズムはないし、キリスト教的内容のようでいて、サウンドのわかりやすいポップさとあいまって、もっと普遍的な人間の考えかた、ありようを歌っているんだと受けとったほうがいいんだろう。2曲目の「ヴィジョンズ」もそうかな。

このことと密接な関係があるが、『インナーヴィジョンズ』には社会や政治の問題を歌ったものが三曲もある。麻薬中毒問題を扱った1曲目「トゥー・ハイ」、黒人差別など社会や街のことを歌った3曲目「リヴィング・フォー・ザ・シティ」、当時の米大統領リチャード・ニクスンを皮肉った9曲目「ヒーズ・ミストラ・ノウ・イット・オール」。

しかしながらこれら三つも、曲調やサウンドやリズムにシリアスな様子はなく、明るく楽しく跳ね回っているようなフィーリングの演唱になっていて、もちろんスティーヴィはすべて用意周到に計算づくでそんなふうに仕上げている。シリアスな社会派的内容を楽しく美しい曲に仕立てるのは、やはり上で書いたように『キー・オヴ・ライフ』の先取りでもあったんだよね。

直接的には『インナーヴィジョンズ』の次作となる『ファースト・フィナーレ』で社会派アプローチが薄くなって、恋愛問題や個の人生のことを歌った内容が多く、それは歌詞だけじゃなく曲全体のあのフィーリングがそうなっていると思うんだけど、そういうのは、もちろん『インナーヴィジョンズ』にもある。4曲目「ゴールデン・レイディ」、7曲目「オール・イン・ラヴ・イズ・フェア」、(ちょっと違うかもしれないが)8曲目「ドント・ユー・ワリー・バウト・ア・シング」。

8曲目「ドンチュー・ワリー・バウト・ア・シング」はラテン・タッチというか、わりとはっきりしたサルサ・ナンバーで、もしソウル曲だといえるとすればサルサ・ソウル(すごい言いかただ)。これも『キー・オヴ・ライフ』での白眉たる本編ラストの「アナザー・スター」の先駆けだ。
「アナザー・スター」は、あんなに強靭でファンキーなサルサ・グルーヴに乗せてロスト・ラヴを歌った内容だった(「ぼくにはあなたの瞳の輝きしか見えないが、そんなとき、あなたには別のもっと輝ける星があるんだね」「ぼくの心を引き裂くひとのことを好きになってしまった」)けれど、暗く落ち込む歌ではなく激しくダンスしまくることで、ある種のポジティヴさを獲得できていたような一曲だった。

『インナーヴィジョンズ』の「ドンチュー・ワリー・バウト・ア・シング」はもっと明るい。気に病んだってなんにもならないんだからさと歌うと同時に、これは失恋歌ではなく、"もしも" のときはぼくがそばにいるんだから心配すんなと語りかけている内容なんだよね。サルサ・ナンバーにして、同時に、上で言及したマイケル・ジャクスンの歌った「アイル・ビー・ゼア」「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」と同列のテーマなんだよね。いいなあ、これ。ラテン・タッチでこう歌うんだから。

「ゴールデン・レイディ」「オール・イン・ラヴ・イズ・フェア」の二曲のラヴ・バラードは、もちろん女性を称えたり愛の美しさを賛美したりする普遍的な内容。それでも「ゴールデン・レイディ」のほうはスティーヴィ節だし、まだすこし黒人音楽っぽいファンキーなノリがあるかなと思わないでもないが、「オール・イン・ラヴ・イズ・フェア」にいたっては、上で書いたようにバート・バカラックの書く官能ラヴ・ソングと同次元に到達している。すごいの一言に尽きる。

スティーヴィは、実は以前からそうだし、この1970年代前半も、それ以後現在も、黒人らしさ(ってなんのことだか、本当はよくわからないものなんだけどね)とか、人種差別や関連の社会問題を歌うことが多くても、彼本来の持つ資質、音楽性はもっと普遍的でポップなんだよね。バカラックのことを引き合いに出したけれどフランク・シナトラにも似ているし、同じ黒人音楽家でいえばナット・キング・コールやサム・クックらと同じ地平に立っているのだろうと実感している。20世紀アメリカン・ポップスの最良の部分が、1970年代前半だとスティーヴィひとりに凝縮されているんだよね。くどいようだが、その後はそれをプリンスが引き継いだ。

« no. 9... no. 9... no. 9... | トップページ | キューバ革命でしぼんだ黄色いさくらんぼ »

音楽」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/601997/66979015

この記事へのトラックバック一覧です: スティーヴィ『インナーヴィジョンズ』のポップネス:

« no. 9... no. 9... no. 9... | トップページ | キューバ革命でしぼんだ黄色いさくらんぼ »

フォト
2018年11月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ

最近のトラックバック