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2018/07/05

もしもギターが弾けたなら 〜「マゴット・ブレイン」

ジョージ・クリントン率いるパーラメントとファンカデリックは同じもの。最初、ザ・パーラメンツ名で活動したかったらしいが権利関係でこのバンド名ではレコード発売できないとわかり、やむなくまずファンカデリックで一枚リリース。その後、録音済みだったマテリアルをパーラメントで出した。それも同じ年に。二者の役割分担みたいなことが言われるが、そんなに大きな違いがあるだろうか?

それからPファンクとの言いかたは Parliament Funkadelic だからだけど、P はそれだけでもないよなあ。たとえば Psychedelic なんかもひとつとしてあるかも。そのほかいくつか思い浮かぶことがあるけれど、あまり詳しいことはぼくにはわからないので。ある時期以後は、事実、一体化したので、やっぱりパーラメントとファンカデリックをそんなに区別しなくたっていいよなあ。

でもしかしそんなこと言ったって、ファンカデリック名義の三作目『マゴット・ブレイン』(1971)は、やっぱりいかにもファンカデリックだという音楽で、当時のパーラメントでは聴けないものだ。これ、現行 CD には三曲のボーナス・トラックがあるんだね。Spotify で見てはじめて知って聴いた。Apple Music でも同じ。

そのボーナス三曲はどうってことない気がする。目玉は曲「マゴット・ブレイン」の別ミックスだけど、この程度だったら聴いても聴かなくてもいっしょだなあ。「マゴット・ブレイン」では、録音済みのいろんな楽器の音を、ジョージ・クリントンの判断で、抜いて、1971年にリリースされたようなかたちになった。そのマスター・ヴァージョンと追加されている別ミックスにさほどの違いはないように思う。素材は同じだし。

1971年のオリジナル・アルバム『マゴット・ブレイン』では、トップとラストの「マゴット・ブレイン」と「ウォーズ・オヴ・アルマゲドン」が抜きに出た聴きもので、っていうかまあはっきり言えば1曲目のギター・ピースだけでぼくなんかにはもう充分すぎるほど。アルバム名でもあるんだし、これの話だけでいいんじゃないかと今日は思う。

もちろん2曲目以後を踏まえないと、アルバム『マゴット・ブレイン』を理解することにはならないし、曲「マゴット・ブレイン」がどうしてこんなふうな治らない傷のように血を流しつづけているのかもわからない。端的に言えば、1960年代の公民権運動と、あの時代後半の、特に西海岸の、いわばスライ・ストーン的な黒白混交文化の多幸感とその崩壊と、それからヴェトナム戦争の泥沼と 〜〜 それらがアルバム『マゴット・ブレイン』の底流たる色調だ。

ジョージ・クリントンは、そんな1971年に、みんな恐怖を捨てて困難を克服しユナイトしようじゃないかと語りかけているのかもしれない。最終戦争と黙示録。それが音楽アルバム『マゴット・ブレイン』の基本のトーンとテーマじゃないかという気がする。

そんなことをおさえておいた上で、アルバム・オープナーの曲「マゴット・ブレイン」だけの話をする。ずっと前に、フランク・ザッパの「ウォーターメロン・イン・イースター・ヘイ」とふたつ並べて、この世のありとあらゆるギター・ミュージックのなかでの個人的最高峰、双璧だと書いたことがある。いまでもこの気持ちに微塵のゆるぎもない。ふたつとも最高じゃないか。この世に存在しているとは思えない美しさだ。

ザッパの「ウォーターメロン・イン・イースター・ヘイ」が、諦観に裏打ちされた希望みたいなものを表現している肯定感、というか、この音楽、このギター・ソロ、ぼくの頭のなかにだけイマジナリーなものとして存在するこれだけを脳内で鳴らしながら生きていくんだという、う〜ん…、まあやっぱり絶望か、でもサウンドは陰鬱で暗いものじゃないなあ。

いっぽうファンカデリックの、というよりもエディ・ヘイゼルの「マゴット・ブレイン」のばあいは、上でも書いたが血を流し続けている。涙を流し続けている。そんな10分間。否定的なトーンしか漂っていない。ある種のレクイエム、鎮魂歌のようにも響く。ジミ・ヘンドリクスに対しての。人類に対しての。

ミックス済みの「マゴット・ブレイン」には、基本、二人の音しかない。左チャンネルでギター・アルペジオを弾き続けるトール・ロスと、右チャンネルでソロを弾くエディ・ヘイゼルだけ。まずエディが弾きはじめる最初の二音がものすごい。こんな悲哀がこもったギター・ノーツを聴いたことがない。その後もエディはこの最初の二音を拡大増幅させるかのようなソロを展開する。

曲「マゴット・ブレイン」でのエディ・ヘイゼルのフレイジングは、いつも音程がきっちり上がりきらず、各フレーズ終わり終わりで常にややフラット気味。というのはぼくの耳がおかしいのかなあ、なんだかそんなふうに聴こえるけれど。そのせいで一層ブルージーさが増している。このばあいのブルージーさとは、必ずしもブルー・ノート的なということではなく、憂鬱そうで哀しげなという意味。

空間を鋭く切り裂いたり、闇のなかで沈鬱にたたずんだりしている、「マゴット・ブレイン」でのエディ・ヘイゼルのギター。どうしてこんな演奏ができるのか?こんなふうにギターが弾けたらなあ〜って、いつも心からそう思うのが、この「マゴット・ブレイン」オリジナル・ヴァージョン。

だからぼくはいつもこれを聴いてメイク・ビリーヴし、他人からしたらすごく気持ち悪い妄想の自己陶酔にひたっている。エディ・ヘイゼルの「マゴット・ブレイン」を聴きながら、これはぼくがひとり部屋のなかで弾いているんだと、自己をスピーカーから聴こえてくる音に投射すれば、いい気分になれるんだ。

つまり、現実に空間で鳴っている音で、しかもぼくだけじゃなくて世のみんなが聴けて体験を共有できる曲「マゴット・ブレイン」だけど、ぼくにとってはこれもある種の個人的なイマジナリー・ギター・ソロなんだ。聴きながらこの世で生きていくよりどころとなるもの、それが空想の脳内ギター・ピース「マゴット・ブレイン」。

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