« 知られざるカリビアン・マイルズ | トップページ | ロックにおけるラテン・シンコペイション(1)〜 ビートルズのデビュー・アルバム篇 »

2018/10/06

ボサ・ノーヴァまで射程に入れる職業作曲家ノエール・ローザの時代の転換

オフィス・サンビーニャ盤のノエール・ローザ二枚。先週の『ヴィラの詩人』同様、上のリンクは今2018年に再発された商品だけど、記事本文は、ずっと聴いてきて手もとにある1999年盤に沿って書く。つい二、三日前に2018年盤二枚も届いたんだけど、やはり違いが大きく、まだ聴き込んでいないのでなにも言えない。収録曲や曲順なども違いますが、適宜読み替えてご容赦ください。

『ヴィラの詩人』と同じ1999年にその続編のような感じでリリースされた『ノエール・ローザの時代』(No Tempo De Noel Rosa)には、ノエールの自作自演もあるけれど、基本、職業作曲家として他の本格歌手に提供し歌われたものを収録し、ノエールのソングライターとしてのスケールの大きさ、重要性を示そうというのが眼目のアルバムだろう。

1932年ごろまでは自作自演録音の多かったノエールだけど、33〜34年あたりからそれが減ってほかの歌手に曲を提供する機会がグッと増えたのは、それだけプロ・ソングライターとしてアクティヴになってきていたという証拠だ。『ノエール・ローザの時代』でいちばんたくさん歌っているのはマリオ・レイス、いちばん多く伴奏を務めているのはピシンギーニャの楽団。実際、アルバム11曲目、マリオ・レイス「サンバが終わった時」(Quando O Samba Acabou、1933)らへんから、楽曲の出来がグンとよくなる。その後1935年ごろには女性歌手向けにも曲を書きはじめる。

このことと関係あるのかないのか、先週の自作自演集のときにも書いたんだけど、ノエール自身が歌うものでも、1935年ごろから伴奏が小規模になってショーロ・バンドがやるようになり、楽曲のスタイルもサンバ・ショーロみたいなショーロっぽいサンバが多くなる。それまでは(ノエールと関係なくとも)ピシンギーニャ楽団など(一般には1932年ごろから)大編成オーケストラがサンバの伴奏をすることが多かったんだけど、ベネジート・ラセルダのコンボなどが多く伴奏するようになる。このあたりはどういうことなのか、時代がモダンで軽めのフットワークを求めていたってことかなあ?

ただ、ノエールのソングライティングは、サンバ本格時代の前の、なんというかボヘミアン資質の弾き語りみたいなもの、甘めのラヴ・ソングやサンバ哲学などを織り込んだダンサブルなカーニヴァル(っぽい)・サンバ、そののちの小粋なサロンふうサンバ・ショーロと、三つの時代それぞれにフィットできる幅と柔軟性と深さを持っていたということは、間違いなく言えること。

さらに、アルバム・ラスト24曲目のアラシ・ジ・アルメイダが歌う「三つの笛」(Tres Apitos)はノエール死後の戦後録音(生前の未発表曲、1940年代末ごろ?録音)だけど、サンバ・カンソーンはもちろん、アントニオ・カルロス・ジョビンのボサ・ノーヴァまで射程に入っているかのような曲だもんなあ。いやあ、いまさらですが、ノエール・ローザ、すごい。

マリオ・レイスやピシンギーニャや、アラシ・ジ・アルメイダやベネジート・ラセルダがかかわっていないものも含め、アルバム『ノエール・ローザの時代』では、6曲目「さようなら」(Adeus、1932年)、9「また明日」(Ate Amanha、1932)、10「黄色いリボン」(Fita Amarela、1932年) あたりから俄然グンと曲がよくなっている。ポップでダンサブルなサンバで、しかもすわって聴いているだけで楽しい。10曲目はマリオ・レイスとフランシスコ・アルヴィスの二大スター共演。

11曲目、マリオ・レイスの「サンバが終わった頃」(Quando O Samba Acabou、1933年)となると、たぶんだれが聴いても傑作だと感じることができるであろうような強い魅力を放っている。10「黄色いリボン」からそうだけど、現代感覚もあって、しかもメロディアスで抒情的で、ノエールの弾き語りでしばしば聴けたような凝ったひねりはなく、とても魅力がわかりやすい。大傑作である12「祈りとしてのサンバ」(Feitio De Oracao、1933年)もそうだ。

先週も書いたが、音楽を含むすぐれた作品はときどきメタ・フィクショナルな特性を帯びるという35年来のぼくの持論が、これら二曲にもあてはまるのはうれしい。アルミランチの歌う13曲目、マリオ・レイスの14曲目「哲学」(Filosofia、1933年)を経て、15曲目「ヴィラの魅惑」(Feitico Da Vila、1934年)がこれまた名曲で、エリゼッチ・カルドーゾも歌った。ダンス感覚を持ちつつも野卑でなく、裏ごししたなめらかな歌謡性をあわせ持っているのがイイ。

1936年のカーニヴァルで大ヒットしたというアラシ・ジ・アルメイダの17曲目「不幸な噂」(Palpite Infeliz、1935年)を最後に、大編成オーケストラが伴奏のダンス・サンバに取って代わって、上で触れたショーロふうのサンバであるショーロ・サンバ楽曲が並んでいる。ぼくの個人的嗜好だけからしたら、先週の『ヴィラの詩人』のときもそうだったんだけど、こういうサロン・ミュージックっぽいこじゃれたこじんまり(ショーロっぽい)サンバが大好物なのだ。

19曲目のノエール自身の歌うラスト・レコーディングはそうじゃないが、20曲目以後たくさん並ぶアラシ・ジ・アルメイダの歌うものは完璧なる室内楽としての小粋なサンバ・ショーロ。伴奏も、サウンドを聴けばベネジート・ラセルダのコンボだとわかる。楽しくて、大好きだぁ〜。しかも(アラシではない23曲目も含め)、その歌謡性には夜の音楽のヴェールが降りていて、サンバ・カンソーンの時代を準備している雰囲気があるんだよね。

そして、上でも触れたアルバム・ラストの24曲目、アラシの歌う「三つの笛」のこのモダンなフィーリング、新傾向は、もはやボサ・ノーヴァを予告していると言ってもさほど大げさじゃない。たんに録音が新しいから解釈も時代に即している、グッとテンポを落とし落ち着いている、ストリングスとギター(ジョゼー・メネージス)+ピアノ(ラダメス・ニャターリ)が伴奏だしというだけでなく、ノエール・ローザのソングライティングが、もとからそんな懐の深さ、現代性を備え持っていたからだと考えたい。

« 知られざるカリビアン・マイルズ | トップページ | ロックにおけるラテン・シンコペイション(1)〜 ビートルズのデビュー・アルバム篇 »

音楽」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

« 知られざるカリビアン・マイルズ | トップページ | ロックにおけるラテン・シンコペイション(1)〜 ビートルズのデビュー・アルバム篇 »

フォト
2019年8月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ