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2018/11/16

マイルズとマルチ鍵盤奏者の時代

過去を実によくふりかえっていたマイルズ・デイヴィスが、特にこの時代はすごかったんだぞとインタヴューなどでよく語っていたのが二つ。一つは1958〜59年のツイン・サックス時代。もう一つは1969年前後の複数鍵盤奏者時代だ。今日は後者についてちょこっと書く。

該当する時代にある曲の初出アルバムなど書くとややこしいので省略する。とにかくすべては三つのボックス・セット『ザ・コンプリート・イン・ア・サイレント・ウェイ・セッションズ』『ザ・コンプリート・ビッチズ・ブルー・セッションズ』『ザ・コンプリート・ジャック・ジョンスン・セッションズ』で聴ける。それに、オリジナル・アルバムなら『イン・ア・サイレント・ウェイ』『ビッチズ・ブルー』の二作にほぼ話題は限定されるかも。

マイルズがチック・コリアにくわえハービー・ハンコックをゲスト的に呼び戻し、この二名のフェンダー・ローズ奏者に同時演奏させたのは、1968年11月11日の二曲「トゥー・フェイスト」「デュアル・ミスター・アンソニー・ティルマン・ウィリアムズ・プロセス」が初。その後、ジョー・ザヴィヌルもくわえ三名体制にした初セッション、同68年11月25日からが、マルチ鍵盤時代の本格到来だ。それは1970年2月6日に「ダブル・イメージ」などを録音したセッションで、いったんは幕を閉じる。その後しばらくはジョン・マクラフリンを中心とするシンプルなギター・ロック時代となっているから。

その間、コード楽器はギターいっこしかないセッションだってかなりあるけれど、しかしキース・ジャレット初参加の1970年5月19日(「ホンキー・トンク」その他)から複数鍵盤体制が復活。同70年6月4日まで続く。ジョー・ザヴィヌルはすでに退場しているが、ジャレットをくわえての二名か三名の同時演奏セッションが多い。

そのあとはライヴ時代になってスタジオ録音が1972年までない。がしかしライヴ・バンドだってちょっとのあいだチック・コリア&キース・ジャレットのツイン鍵盤編成だったじゃないか。六月にはじまって、すぐ晩夏に終わるけどね。72年にスタジオ・セッションを再開したら『オン・ザ・コーナー』向けのものとなって、それにも複数鍵盤奏者が参加しているけれど、もはや意味合いやサウンド創りの方向性がガラリと変化している。なにがいい悪いではない。ボスの嗜好が変わった。

ってことは今日ぼくの言うマイルズのマルチ鍵盤時代とは、1968年11月〜70年6月に限定して OK ということになるけれど、それでも量が多いのと、もう一つ、マクラフリンをメインに据えたギター・ロック時代を経て後のものは、やはり色合いも違ってきているように聴こえる。マイルズにとっての複数鍵盤編成でのサウンド実験は、70年2月までのザヴィヌル中心時代でこそ花咲いたと言えるはず。だからプレイリストにはその時期だけから選んでおいた。

それで、まず確認しておきたいのは、マイルズという音楽家は、かなり分厚い多層サウンドが大好きだったという事実だ。簡単に言えばオーケストラル・サウンド志向家。クラシック音楽の管弦楽作品も好きで。だからかつてはビッグ・バンド、とまではいかないまでも九重奏団をリードしたりしたし、ジョン・コルトレイン&キャノンボール・アダリー同時在籍時代にしたって似たような志向の反映だったのかもしれない。

1975年に『アガルタの凱歌』のオリジナル日本盤レコードが発売された際に、児山紀芳さんがマイルズにインタヴューした内容が掲載され、それはその後の日本盤リイシュー CD にも(ぼくの知る限りすべてに)転載されている。そのなかでのマイルズの発言に、チック・コリア、ハービー・ハンコック、ジョー・ザヴィヌル、キース・ジャレットの四人を集めてキーボード四台でやったものも残っている(がお蔵入りしている)とある。

だがしかしこれは発見できないのだ。いままでにコロンビア(レガシー)から公式発売された商品のなかには一つとして存在しない。三台同時が最大だ(そんな演奏は多い)。パーソネル欄に記載がないだけで、三人となってはいるが実は四人だ、という演奏があるかもしれない。そうであったところで、同じ種類の楽器を三人で弾いているか四人なのかの判別を音だけ聴いてするのはぼくにはムリ。可能性は否定しない。マイルズの記憶力がかなりいいんだということは知っているつもり。う〜ん、どうしよう…。

謎は謎としてそのままおいといて、1968〜70年のスタジオ・セッションにおけるマイルズの複数鍵盤楽器起用はどういうことだったのか、ちょっと考えてみたい。キー・パースンは、たぶんここでもギル・エヴァンズだ。1968年の春(3〜5月)に二人は最後の正式共演を果たしている。もちろんオーケストラ作品で、スタジオ録音もいまでは公式リリースされているし、また、発売はないが西海岸でライヴも行なっている。あのころ、ちょうどジミ・ヘンドリクス やジェイムズ・ブラウンなどから吸収して自分の音楽を刷新しようとマイルズは考えはじめていて、触媒役をギルがやっていた。

そんなマイルズのニュー・ディレクションへの踏み出しが、まずはギルの編曲指揮するオーケストラ作品だったことの意味は大きいはず。ギルとの正式共演がなくなっても(といってもずっと付かず離れずだったが)、ああいった感じのサウンドを自分のコンボで実現したいと考えたかもしれない。もともとが西洋音楽式のオーケストラル・サウンド志向を持つマイルズなんだし、レギュラー・クインテットの五人だけで実現できるサウンドでは満足できなくなっていたかもしれない。

シンプルに言っちゃえばそんな理由で、当時のバンド・レギュラーだったチックだけでなくハービーもくわえて同時演奏させ、しかも同じフェンダー・ローズを弾かせて音を重ね、一方にキーとなるリフを弾かせつつ他方には装飾をつけさせたりなど、さまざまな使いかたをして、バンド・サウンドを分厚くふくらませ多層的にしていったんだと思う。ほんの数ヶ月でザヴィヌルを追加、同時参加させ、三名いっしょに起用するようになった。

リズム面では複雑さ、というかポリリズミックで横にひろがる方向性からみずからを解放し、もっと縦にタイトでグルーヴィで明快なグルーヴ・オリエンティッド・ミュージックを目指すようになっていたし、またそれまで従来的には使われていたテーマ・メロディやコード進行も排し、簡単でシンプルなキー・フィギュアとなるリフやショート・パッセージだけを拠りどころとするようになっていた。

つまりいわゆるふつうのジャズから離れ、グルーヴィなポップネスへ傾いていたということで、ポップ・ミュージックの世界でふつうの(西洋式)管弦楽がよく伴奏するようにマイルズも、実際のオーケストラは使わないものの、似たようなポリフォニーを、それも自分のレギュラー・バンドをコアとするふくらみのある編成で、実現したいという考えがあったのだろう。

しかしながらマイルズのばあい、複数鍵盤楽器奏者の同時起用で実現したものは、結果的にはどっちかというとちょっとわかりにくい、カオス・サウンドに近いものとなってしまった。それを象徴するのが1969年8月録音の『ビッチズ・ブルー』で、聴いていてどれがだれだかもわからないし、濁ったドロドロのエグ味を出すようなことになっているよね。

ブルーズ・ミュージック愛好家だったら、ああいった整理されていないゴチャゴチャの泥だまりのようなポリ・サウンドは、実はわりと好きなものなんじゃないかという気がするんだけど(すくなくともぼくはそう)、本来はここを目指したかもしれないポップ(or ロック/ファンク)・ミュージック志向からはやや遠くなった。ポップスはもっと明快でシンプルじゃないと。

しかしそれでも、たとえば曲「イン・ア・サイレント・ウェイ」で、三人が次々とアド・リブなしでテーマ・メロディを淡々と反復する背後で、ザヴィヌル、チック、ハービーの三人がすこしづつ表情を変えながら音を重ね、サウンド・テクスチャーを多彩にいろどっていくさまは見事だ。郷愁がテーマになっているこの曲のアイデアも具現化できている。

その曲にサンドウィッチされているグルーヴァー「イッツ・アバウト・ザット・タイム」でも、ベース・ヴァンプに重なるように複数鍵盤がリフを弾くとき、あのファンキーさが強調されるし、またソロのバッキングでコードを重ねたりシングル・トーン・フレーズで細かく動いてオブリガートしたりして、それもグルーヴィさを増強しているじゃないか。

アルバム『ビッチズ・ブルー』でも、たとえば「ファラオズ・ダンス」後半の、マイルズが同じラインをすこしづつフェイクしながらノリをディープに変えながら反復演奏する(まるでテーマ部みたいな)パートの伴奏で、ザヴィヌル、チック、ラリー・ヤングの三人が完璧なオーケストラル・サウンドを形成している。ここは、マイルズのフレーズも含め、しっかり事前に譜面でアレンジされていた可能性があると思う。構築度が高いから。そうであったなら、書いたのはザヴィヌルだろう。

『ビッチズ・ブルー』での鍵盤楽器は、「サンクチュアリ」だけがチックひとりでの伴奏で、ほかは全曲複数のフェンダー・ローズ同時演奏。それで「ファラオズ・ダンス」でそうであるように、ポリ・リズミックかつポリ・トーナル&ポリ・テクスチュアルな複層サウンドを実現している。簡単に言えば、やっぱりいつでもどんなときでもマイルズはオーケストラル・サウンドがほしい音楽家だったんだなで終わってしまう話だけど。

こんなマイルズの音楽志向は、1973年以後のギター・バンド時代でも続いていたし、1981年復帰後も、実はあまり変化しなかった。かなりシンプルな、ちょっとジミ・ヘンドリクスのトリオ・バンドっぽいギター・ロック時代(『ジャック・ジョンスン』とその周辺)もすんごくカッコイイが、<あの時代>のものだったんだよなあ。

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