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2019/02/19

マイクロフォン出現前のアメリカン・ミュージック

アメリカン・ポピュラー・ミュージック録音史におき、1925年ごろの電気マイクロフォンの登場は決定的転換点だった。それまでのアクースティック録音時代のスター歌手のほぼ全員がこれを乗り切れず姿を消した。生き残ったのはアル・ジョルスンとクリフ・エドワーズくらいなもの。そしてそれ以上に、音楽レコードの歴史が1910年代あたりから語りはじめられることが多く、それ以前のことはまるで歴史に存在しなかったかのような扱いになっている。

中村とうようさんのオーディブック『アメリカン・ミュージックの原点』(1994)は、そんな現状の打破を試みたものだ。ぼくはこの1994年盤を知らない。親しんでいるのは、改訂版ともいうべき CD 二枚組ライス盤の同題『アメリカン・ミュージックの原点』(American Music in the Beginning)だ。2005年のものを持っているが、2012年にリイシューもされたようだ。

このアルバム・セットでとうようさんが示そうとしたことは、大きく分けて二点ある。ひとつはマイクロフォンが出現し電気録音が一般化する前の歌手たち 〜 のほぼ全員が忘れられつつあった 〜 の歌とはどんなものだったのかということ。特にビリー・マレイにフォーカスが当たっている。もうひとつは初期のアメリカン・ダンス・ミュージックで、特にワン・ステップ(=ラグ、とその土台たるリールとカリブなど)が重要だということ。この二点がそれぞれ二枚のディスクに割り振られて音源が収録され解説が書かれている。そういうわけで CD1には歌を、CD2には楽器演奏ものを、それぞれ収録してある。

『アメリカン・ミュージックの原点』CD1と CD2は、そんなに密にからんでいるかどうかぼくにはわからないので、今日は別々に切り離して話を進めることにする。CD1のヴォーカル篇。書いたようにとうようさんはビリー・マレイ(その他)に大きな光を当てている。電気マイクの前で歌うようになってから、アメリカ人歌手はそっとささやくような小さくて細い声での歌唱でも通用するようになったが、それ以前は発声のナチュラルなパワフルさが必要だった。

しかしビリー・マレイらは、クラシック声楽のオペラ歌手みたいな歌唱法ではなく、もっと自然かつ素直に声を出して、それでなおかつ声がよく響きわたるような、そんな声の出しかた、歌いかたをした。しかもわざとらしさも体裁も気負いもなく、開放的なヴォーカル表現法をとっていた。こういったことは、二曲収録のビリー・マレイだけでなく、『アメリカン・ミュージックの原点』CD1収録の歌手たちみんなに当てはまることだ。レン・スペンサー、エイダ・ジョーンズ、ハリー・マクドーナ、コリーヌ・モーガン、バート・シェパードなどなど。

なかでもぼくの耳を強く惹くのは、CD1で14曲目、アル・ジョルスン「私の人生をメチャメチャにしたスペイン人」と15曲目、バート・ウィリアムズ「ノーバディ」、17曲目、フランク・ストークス「ノーバディーズ・ビジネス」だ。ジャズ寄りの歌手なら20曲目、クリフ・エドワーズ「魅惑のリズム」なんか、ものすごい。絶賛のことばしか浮かばない。ともかくマイクがないわけで、ヴォーカルの録音も生音をそのまま針に落とすしかないんだから、声の持つナチュラルな魅力がそのまま出る。つまり<つくりもの>ではない 〜 電気マイク出現後のクルーナーたちの歌をつくりものと呼びたいわけじゃないので 〜 ホンモノの存在感がここにある。CD で聴くぼくにも伝わってくる。

ビリー・マレイだけ、収録の二曲をちょっとご紹介しておこう。

「ヤンキー・ドゥードル」https://www.youtube.com/watch?v=6mKZes-hAgE
「はい、バナナは売り切れです」https://www.youtube.com/watch?v=9mkbYaUh8E8

また、ぼくをとらえて離さないバート・ウィリアムズの「ノーバディ」も。これはライ・クーダーがアルバム『ジャズ』のなかでとりあげてカヴァーした。バート・ウィリアムズは黒人ヴォードヴィリアン。深い内省をこめたこのバート独自の歌は、いつ聴いても泣きそうになってしまうもの。
サッチモことルイ・アームストロングよりも先にちゃんとスキャット唱法を録音していたクリフ・エドワーズ「魅惑のリズム」(1924)もご紹介。曲はガーシュウィンが書いたスタンダード・ナンバーだけど、ウクレレを弾きながら歌うステージ芸人的なクリフのこのシンギングも絶賛するしかないものだと思う。特にスキャットが炸裂する後半部は苛烈にすんばらしい。圧倒的。
こんなにおもしろい歌手たちがいっぱいいた電気マイク登場以前のアメリカン・ミュージックのレコード界だけど、ディスク2のダンス・ミュージック篇のことも書いておこう。収録の25曲がほぼすべてインストルメンタル・ミュージックで、わかりやすく初期アメリカン・ダンス・ミュージックのありようが示されている。

とうようさんの論旨は、電気マイク以前のアメリカン・ダンス・ミュージックの最大の流行はワン・ステップで、その土台にアイリッシュ移民が持ち込んだリールのリズムとカリビアン・ビートがあり、それはダンス形式としてはワン・ステップだけど曲としてはラグタイムであると、まあおおざっぱに見てこんな感じにまとめられるかな。

ラグタイムと書くとピアノ音楽と反射的に思ってしまうけれど、そうではない。スコット・ジョプリンらがああいったたくさんの曲を書く前から、ラグは(主にアメリカ南部に)ひろくあって、それは主にバンジョーなどで演奏されていた。それらの根源は民衆の生活のなかにあるフォーク・ラグだったのだ。フォーク・ラグから各々の演奏家がピック・アップし、最終的にはピアノでやるラグタイムとなって流行したが、それとは別にいろんなラグがあった。ブルーズ・シンガーらがよくやったギター・ラグもそのひとつ。

ラグのリズム感の土台に、ってことはビートの効いたダンサブルなアメリカン・ミュージックの根底に、19世紀のアイルランド移民が持ち込んだリールがあるというのがとうようさんの説で、これはぼくもほぼ全面的に同意。これは論理とか頭で考える理屈じゃない、音を聴けば皮膚感覚で納得できるものだ。『アメリカン・ミュージックの原点』CD2だと1〜4曲目にヴェス・L・オスマン「ワラの中の七面鳥メドレー」、ブラックフェイス・エディ・ロス「ロスのリール」、マイクル・コールマン「シャスキーン〜ジャガイモ袋」、ウィル・イーゼル「ウェストコースト・ラグ」が連続収録されている。

このうち、3曲目のマイクル・コールマンはアイリッシュ・フィドラーで、演奏しているのもスライゴー・スタイルのリール。どうです、このスウィング感!アイルランド伝統音楽のリズムなんだけど、そのままアメリカン・ミュージック・ビートの土台になっているのは明白ではないだろうか。19世紀のアメリカにはアイリッシュ移民がとても多かったんだよ。
CD2収録順に、たとえばこのウィル・イーゼルの「ウェストコースト・ラグ」を聴いてみてほしい。これは典型的なピアノ・ラグライムで、しかも自動ピアノのロールの再現とか近年の再録音とかじゃない、1927年の当時のレコードだ。もはやラグタイムの流行は終わっていた時期だけど。
カリビアン〜ラテン・ビートのシンコペイションも、アメリカン・ダンス・ミュージックの大きな屋台骨だ。それはラグタイムが、基本、アメリカ南部の音楽で、近接するカリブ海のリズムと密接な関係を持っていたから。『アメリカン・ミュージックの原点』CD2には、9曲目、スーザ楽団の「ラ・パローマ」や10曲目、ジェリー・ロール・モートンの「ティア・ホァーナ」といったアバネーラや、さらに15曲目、ベニー・モーテン楽団「黒のルンバ」、16曲目、デューク・エリントン楽団「南京豆売り」が収録されている。あんがいなじみが薄いかもしれないスーザの「ラ・パローマ」だけご紹介しておく。
『アメリカン・ミュージックの原点』CD2では、その前後、ブギ・ウギ、ジャグ・バンド、ワルツ、クレツマー、ポルカといった、アメリカン・ダンス・ミュージックの基本となった要素が次々と紹介されながら、オーラスの25曲目にはリングリング・サーカス専属楽団の「サーカス音楽メドレー」(High Ridin' - Jungle Queen - Roses Of Memory - Stop It)が収録されている。これは、マーチ、オリエンタル・トゥー・ステップ、ワルツ、ワン・ステップと、めまぐるしくリズムが変化するメドレーで、19〜20世紀のアメリカ民衆音楽を網羅したような内容。

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