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2019/03/14

エンリッキのアゼヴェード再読に聴くショーロのアフロ性

これも2019年1月27日に渋谷エル・スール店内で見つけて買った一枚。エンリッキ・カゼスの『レレンド・ヴァルジール・アゼヴェード』(RGE、1998)。もちろんヴァルジール・アゼヴェードの現代的再解釈を試みたアルバムで、エンリッキだからあたりまえ〜と言うのはあれだけど、やはりいつもながらレベルの高いショーロ作品となっている。

このエンリッキの『レレンド・ヴァルジール・アゼヴェード』のテーマは、ずばりショーロのアフロ・ラテン特性を表現することにある。特にリズム面でその方向性がはっきりと出ているように思う。だから、しっとりゆるやかな(バラードふうの)楽曲である2「Pedacinho Do Cêu」、8「Mágoas De Cavaquinho」、9「Você, Carinho E Amor」などは、いかにもショラール(泣き)系ショーロで大好きなんだけれども、今日の話題からは外れる。またアルバム・ラスト14曲目のカヴァキーニョ独奏「Minhas Mãos, Meu Cavaquinho」はこの上ない美しさでため息が出るけれど、泣く泣く話題の外に置く。

アルバムがヴァルジール・アゼヴェード作品集ということで彼の曲をやっているわけだから、1「Delicado」、12「Brasileirinho」といった超有名曲もある。しかし今回このアルバムではちょっとふだんと違ったアプローチでエンリッキは取り組んでいて、それはたとえば「ブラジレイリーニョ」だけ聴いてもわかる。というかこの曲こそエンリッキ自身なんどもなんども録音しているから、この『アゼヴェード再読』ヴァージョンの特別さがよくわかると思うんだ。

なにがスペシャルなのか、ひとことにすれば、ベト大活躍のパーカッシヴな「ブラジレイリーニョ」になっていて、しかもリズムにシンコペイションが効いていて、ヒョコヒョコっと跳ねているということなんだ。ベトが活躍しパーカッション類のシンコペイッティド・サウンドが強調され、ユーモラスに跳ねているという、この一点こそ、このアルバム全体を貫く音楽性の肝だ。ヤなことばで使いたくないが、アルバム・コンセプトはそこにある。

このことを踏まえれば、上記曲以外、このアルバム収録曲は、どれもすべてリズムのアフロ・ラテン/アフロ・ブラジリアン性に重きをおいた演奏になっているとわかるはず。ゆるやかでおやだかにスムースにスーッとリズムが進むものがほぼないんだよね。どの曲も跳ねている。ひっかかりながらユーモラスに(リズムが)上下する。意図してエンリッキはあえてそうアレンジしたに違いない。そのため、ベトの打楽器演奏に重心を持ってきている。

それでもって、ショーロが本来、発生的には持っていたストリート・ミュージックとしてのアフロ・リズム特性をあばきだし、そのための媒介としてヴァルジール・アゼヴェード作品を用い、ある時期以後この音楽がまとったエレガントでクラシカルななめらかさは消した。なんというか、このアルバムの音楽はガチャガチャしているんだよね。いやいや、そんなふうには聴こえないよ、と思われるかもしれないが、これがぼくなりのエンリッキ『レレンド・ヴァルジール・アゼヴェード』の解釈だ。

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