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2019/04/28

ぼくの推しはマイルズだった

Maxresdefault_1 https://open.spotify.com/user/21qp3vk3o45zy3ulmo4rgpd3a/playlist/7LsmRPFHeet4jJufqUIsgv?si=jgA5bel-Rj-G5ssGejEMiw

 

この歌手、音楽家が好きだ、最愛のひとだ、と気づいたとき、その相手がもうこの世にいないとわかったら、どんな気分だろう?ぼくはいま、熱狂的サム・クック愛好家おふたりのことを頭においている。自分の最愛のひとが、最愛となった最初からもはやこの世のひとではないと知ったときのやるせなさは、さぞや深刻なものじゃないだろうか。

 

サム・クック。いまの日本にも熱狂的愛好家が多い歌手だが、とうのむかしに死んでいる。そこいくと、絶頂期を過ぎていたとはいえ、それでも亡くなる前の10年間を、遠く離れた日本においてであっても、ともに同じ時代を感じながら過ごすことのできた、マイルズ・デイヴィスとぼくとの関係は、しあわせだったと言えるのだろう。

 

この点、1991年9月のマイルズの死後にこのひとのことを愛するようになったファンのみなさんは、やはり届かないとか、もどかしいとか、悔しいとか、そういった思いを味わっていらっしゃるのだろうか。うん、やっぱりそうかもなあという気がする。どんな音楽家でもアイドルでも芸能人でも、愛するひとと同じ時代を生きられなかったというのはつらいもんだよねえ。

 

その悔しさ、つらさゆえに、いっそう愛好活動に熱が入るという面だってあるのかも。いや、関係ないのか。ぼくはマイルズの最後の10年間、同じ時代の空気を呼吸しながらともに過ごしてファンをやったけれど、それでもこれで充分と満足して、死後、愛好活動の熱がおさまったりはしていないもんなあ。

 

それでもやはり、自分の愛する対象とともに同じ時代を生き、ともに歩みながらファンをやっていくということができるかできなかったかは、大きなことだ。この点でぼくのマイルズ愛好は恵まれていたと言っていい。1975年の一時引退までのマイルズを(同時代的には)知らないとはいえ、それでも「間に合った」、ギリギリで。そう言えると思う。

 

そうやって接していた最後の10年間のマイルズは、一時引退までとはかなり人間も変わったような部分があって、まず音楽関係のことでも日常生活のことでも、接しやすくフランクにさらけだすようになっていた。だからぼくたち一般のファンのところにもさまざまな情報が入ってきていたのだ。ぼくにとってマイルズはアイドルで推しだったから(つまりぼくはマイルズ・オタク)、そんな人物に親近感が増すというのはありがたかった面がある。

 

それでふりかえって、冷静に音楽のことだけ考えればやはりこっちの時代のほうがすごかったなとわかる1975年までのマイルズ・ミュージックのことをとらえるにもヒントになる部分が増えた。これもありがたいことだった。さらに、オタクにとってはメディアに写真がどんどん掲載されるようになったということと、来日公演が頻繁になってライヴ・コンサートに行きやすくなったという、この二点もかなりデカい。

 

写真がどんどん増えたというのがありがたいのは言うまでもない。愛しているんだからさ、マイルズのことを。レコードや CD を聴きながら眺める材料が多くなって、うれしかったなあ。ライヴ・コンサートも1981年の復帰後はほぼ毎年のように来日するようになって、ひとによってはありがたみが減ったなどとツマラヌことを言うこともあったが、だれかを好きになったことがないのだろうと思う。ぼくらにとってはうれしいのひとことだったよ。

 

だから、1981年と83年の来日はぼくがまだ松山で大学生をやっていた時期だったので都会へ出かけていって聴いたんだけど、85年の来日以後はぜんぶ東京でフル体験した。フル体験、つまり東京開催分は一日も一回も欠かさず「ぜんぶ」足を運んだという意味だ。最後のジョン・レノン・トリビュートへの出演(東京ドーム)を除き、文字どおり、ぜんぶ、行った。

 

全通するというのは、いわば愛の証みたいなもんなんだよね。ぼくからのマイルズに対する愛の表現。もちろん相思相愛なんかじゃない。マイルズはぼくのことなんか知るわけもない。それでオッケー。ぼくはぼくなりの気持ちを表現できればそれで充分満たされた思いだった。

 

1991年にマイルズが亡くなってもこの熱が冷めることはなく、むしろもっとどんどんヒートアップしていくような実感があったけれど、このブログをはじめて約三年半、マイルズについて書きまくり、もうこれでもかというほどさんざん書いて書いて書きまくって、なんだかすこしだけ落ち着いたような気分にひたっていることはたしかだ。

 

それでも、ぼくの音楽愛好の芯の部分にマイルズがいて、ぼくなりにとことんマイルズを愛しぬくことが、その体験が、音楽リスナー生活の根底にあって土台をかたちづくっているのは間違いないことだ。マイルズの音楽について、具体的にも今後またときどき書いていくつもり。

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