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2019/08/05

マイルズと、サマー・オヴ・1969

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https://open.spotify.com/playlist/5FcaLYAH5uZ7bhD30HdnjR?si=YJsu4-riSryah1A2fKbpDg

 

なんか、中山康樹さんの著書に似たようなタイトルがあったようななかったような、まあ気にしないでいきましょう。ともあれ、<あの夏>から今年でちょうど半世紀ですから。

 

1969年7月5日、アメリカはロード・アイランドでのニューポート・ジャズ・フェスティヴァルにマイルズ・デイヴィス・クインテットが出演しています。といってもウェイン・ショーターがおらず(たしか乗ったクルマが渋滞に巻き込まれたかでステージに間に合わず)四人ですけどね。しかも CD などで聴けるのは、たったの三曲+クロージング・テーマで、計24分間だけ。マイルズ・バンドはもっと演奏したはずです。それでも大勢が次々と出演するフェスティヴァルですから、しょせんあまり長くは演奏できません。

 

1969.7.5 という日付が、このばあいとても重要になってくると思うんです。2月録音のアルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』が7月30日に発売されるという予定で、しかも、次作になる二枚組『ビッチズ・ブルー』の録音を六週後に控えていたという、そんなタイミングでした。その『ビッチズ・ブルー』は、かのウッドストック・フェスティヴァルが終わった翌日からの三日間(1969.8.19〜21)で録ったんですもんね。

 

ウッドストックほどの規模じゃありませんが、1969年7月のニューポート・ジャズ・フェスに主催者ジョージ・ウェインは、(ジャズ・フェスを謳いながらも)いわゆるロック・バンドほかをたくさん出演させています。レッド・ツェッペリン、マザー・オヴ・インヴェンション(フランク・ザッパ)、ジェフ・ベック、ジェスロ・タル、テン・イヤーズ・アフター、スライ&ザ・ファミリー・ストーン、などなど。

 

ジョージ・ウェインはどっちかというと保守的なジャズ関係者だったかもしれませんが、1969年という時代の潮目の変わりを確実に感じとっていたということでしょうね。マイルズ・クインテットには、そんな<ニュー・ミュージック>の旗頭のひとつしてガツンとやってもらいたい、チック・コリア、デイヴ・ホランド、ジャック・ディジョネットの新リズム・セクションを擁するニュー・クインテットがニュー・サウンドを奏でていたのはわかっていたから、とジョージ・ウェインは後年ふりかえっています。

 

1969年7月5日、ニューポートでのマイルズ・バンド。現在聴ける24分間は、当日の演奏のたぶん後半三曲(+テーマ)ということだと思います。それを聴き考えるのは、これが約一ヶ月半後に録音される『ビッチズ・ブルー』の予兆になっているということなんですね。端的に言えば、荒々しく、怒り狂ったように猛々しい音楽の世界、それが『ビッチズ・ブルー』ですけれど、六週前のニューポートで、すでにそんな音楽を、しかもライヴで、展開していたんですね。

 

そんな1969年7月のニューポート・ジャズ・フェスですけれど、ジョージ・ウェインの回想によればマイルズは初日から最終日まですべてのバンドを観聴きしたみたいです。もちろん袖からでしょうけど、音楽を聴き、しかもマイルズらしいことに聴衆の反応も見ていたそうですよ。どのバンドがどんな音を出したときにオーディエンスが最も沸くかといったことも観察したとのことで、翌月録音の『ビッチズ・ブルー』やそれ以後のマイルズの道程を考えれば、そうやって吸収したものから大きなインスピレイションをもらっていたかもしれません。

 

あの時代、あの夏、1969年。7月のニューポートや8月のウッドストックだけでなく、近い時期に同様の音楽フェスティヴァルがいくつかありました。それらは新しい時代の音楽の新傾向をはっきりと刻んでいたなと思うんです。折しもマイルズは1967、68年ごろからバンド・サウンドとリズムの刷新を試みていた時期で、ロックやファンクの手法を大胆にとりいれはじめていた時期でしたよね。

 

新しい時代の到来を、そうでなくたって敏感なマイルズですから感じていたでしょうけど、一つには自分も出演した音楽フェスティヴァルなどでよりいっそう身に沁みるように実感したということがあったと思います。時代が、いまの、1969年の若者オーディエンスが、どんな音楽を求めているのか、それをさぐり、さらに理解・把握もしたんじゃないでしょうか。それが二枚組作品『ビッチズ・ブルー』というランドマークに結実したと言えるのではないかと、ぼくは考えています。

 

2月に録音され7月末に発売された『イン・ア・サイレント・ウェイ』が、落ち着いた静かな大人の音楽だったとすれば、8月録音(翌70年春発売)の『ビッチズ・ブルー』は、若者の音楽です。ヤング・エイジらしい感情の爆発や怒り、猛々しさ、踊り狂う狂熱など、一言にして英単語の ferocious なフィーリングに満ちていますよね。そうであれば、『イン・ア・サイレント・ウェイ』がまだまだ保守的な聴衆向けのジャズ志向作品だったのに対し、『ビッチズ・ブルー』はシックスティーズ終焉という時代の若者向けのニュー・ミュージックを志向したものだったと言えるのかもしれません。

 

こういった1969年のマイルズの変化を、7月5日のニューポート・フェスでいま聴ける三曲のなかにさがすと、最も興味深いのは「イッツ・アバウト・ザット・タイム」になるでしょう。ご存知のとおり、スタジオ・オリジナルはアルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』に収録されています。それはグルーヴ・チューンではあるものの、クールで落ち着いたひんやりスタティックな質感もあるファンク・ナンバーでした。

 

その同月末の発売を考慮に入れてか入れずか、7月5日ニューポートでのマイルズは、もはや同じ曲とは思えないほどに猛々しく激しいロック・ナンバーに変貌させています。特にチック・コリアの弾くフェンダー・ローズとジャック・ディジョネットの叩く荒々しいドラミングに注目してください。このサウンド、この手法は、完璧にロック・ミュージック of 1969じゃないでしょうか。しかもその先頭を、サウンドでマイルズが牽引しています。同じ素材をやってもここまで変わる、それが生きた音楽の証であり、マイルズという音楽家が時代を呼吸していたという証でもあります。おもしろいですね。

 

1969年のマイルズ。夏。2月録音の『イン・ア・サイレント・ウェイ』と8月録音の『ビッチズ・ブルー』がこうまで違った音楽になっているのはなぜなのか?その変貌のきっかけというか、さなかにいったいなにがあったのか?マイルズはなにを考えなにがきっかけで、1970年以後のニュー・ミュージックに向かっていくことになったのか?その際、世間でいう<サマー・オヴ・1969>はどう作用したのか? 〜〜 こんなようなことを、ピッタリ50年が経過した今2019年の夏に、考えてみました。

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