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2019年9月

2019/09/30

アクースティック・ギターのキレるライの1977年ハンブルク・ライヴ

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https://www.youtube.com/watch?v=C-9R6A05e3s

 

なんだかよくわからない会社から発売されているライ・クーダー1977年のハンブルク・ライヴの CD / DVD。バンド名がライ・クーダー&ザ・チキン・スキン・バンドとなっていますけど、この名前でツアーしたのか、それとも CD リリースに際し勝手に命名されただけか、ちょっとわかりません。いずれにせよ前年にスタジオ録音による大傑作『チキン・スキン・ミュージック』がありますので、それにあやかったものですね。

 

実際『ライヴ・イン・ハンブルク 1977』のバンドも、フラーコ・ヒメネスら『チキン・スキン・ミュージック』でのそれをだいたいそのまま起用したものですし、CD 収録の曲目も似た感じなんですね。知らない会社から発売されていて、権利関係もあやしいですけど、これはたぶん当時のテレビ放送用音源を流用したものですね。DVD も発売されているのはそれがソースでしょう。

 

細かいことはいいとして、ライの『ライヴ・イン・ハンブルク 1977』、音楽の内容はかなりいいです。ライのライヴ・アルバムのなかでも上等の出来に入るかもしれないですねえ。1977年のツアーですから、ライ自身最も充実していたし、充実するのが当然だったというべきでしょうか。フラーコのアコーディオンも斬れ味鋭く切れ込んできます。

 

まずは『チキン・スキン・ミュージック』でもやっていた「スタンド・バイ・ミー」をそのままのスタイルで披露。その流れで3曲目のおなじみ「ダーク・エンド・オヴ・ザ・ストリート」まで行きますが、その「ダーク・エンド」は、でもなんだかよくわからない内容です。前半はライらしいギター・インストルメンタルで、『ブーマーズ・ストーリー』(1972)でやっていたとおりだなと思っていたら、後半はヴォーカルが出ます。

 

しかしそのヴォーカルがあまりちゃんと聴こえないので「なんだかよくわからない」という印象になってしまうんですよね。録音状態のせいかミキシングかマスタリングかわかりませんが、当日の会場ではたぶんこんなことはなかったのでは。ヴォーカル隊はテリー・エヴァンズら三名のコーラス。「ダーク・エンド・オヴ・ザ・ストリート」後半でもその合唱でこなしていると思うんですけど。

 

でもその次の4〜7曲目の、ライのアクースティック・ギター弾き語りセクションがなかなかの聴きものなんですね。トラッド・フォークとかブルーズとか、ゴスペルみたいなものもあったり、オールド・タイム・ミュージックふうだったりもします。ギターのサウンドがキレていて、かなり内容がいいなと思います。7曲目の「レット・ユア・ライト・シャイン・オン・ミー」でコーラス隊が入る以外は、完全にライひとりでの弾き語りです。

 

このアクースティック・ギター弾き語りコーナーがかなり聴かせるものなので、だからそこにこのハンブルク・ライヴの価値があるんだと思うんですね。1977年だからライのギター演奏の腕前には1ミリの疑いもありません。いやあ、見事。うまいのひとことで、降参するしかない凄腕です。何気なくパラパラっとはじいているときですら、音色がキレまくっていますよねえ。

 

そのアクースティック・ギター・セクションが終わると、ライはふたたびエレキ・ギターを持ち、フラーコらバンドも戻ってきて、ライ言うところのポルカ・タイムに入ります。それがおなじみ「ド・レ・ミ」。そうか、こういうのはポルカといえばいいんですね。それもテックス・メックス・ポルカだと言えましょう。そのままこれもおなじみ「グッドナイト・アイリーン」に入り、ラストはメキシカン・ランチェーラ「ボルベール、ボルベール」で締めとなります。

 

(written 2019.8.30)

2019/09/29

ガブリエル・グロッシの最新ライヴ盤がいいね

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https://open.spotify.com/album/1IGs9QujlA2FedF4C8jDhY?si=H5xaH1wORcSG4SUMCltIaA

 

https://gabrielgrossi.bandcamp.com/album/motion

 

きれいなジャケットですねえ、ガブリエル・グロッシの最新アルバム『#モーション(ライヴ)』(2019.6.28)。ガブリエルはブラジルのクロマティック・ハーモニカ奏者。アルバムはライヴ収録で、編成は自身のハーモニカ以外、トロンボーン、ピアノ、コントラバス、ドラムスのクインテット。ほか若干のゲスト参加がある曲もふくまれています。全体的にはジャズ寄りの作品と言えるでしょう。

 

しかしこの『#モーション(ライヴ)』、2019年リリースの UK 盤なんですけど、今年の作品じゃないんだろうと思います。というのも bunboni さんが昨年ブログでとりあげていらっしゃったガブリエルの2018年盤『#Em Movimento - Ao Vivo』が同じジャケットで、読むかぎり内容も同じだとしか思えないからです。ということは2017年のライヴ収録ですね。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2018-09-17

 

だから、今年になって UK リリースの再発盤ということでアルバム題も(ほぼ変わらない意味の)英語にして出しなおしただけのものじゃないですかねえ。そのへんちゃんとした事情がぼくにはわかりませんが、とにかく2019年のついこないだ八月にディスクユニオンが新リリース品として宣伝していたツイートを読み、去年のことをすっかり忘れていた(買わなかったから)ぼくは喜んで聴いて、つまりひっかかって、こりゃあいい!といまごろ思っちゃったんで、せっかくだからちょっこっと書いておいてもいいでしょ〜。

 

ガブリエルの『#モーション(ライヴ)』、全体的にはやはりジャズ・ハーモニカ作品ですけど、なかにはサルサっぽい展開を聴かせるものや、ショーロ寄りかなと判断できるような演奏もあります。サルサっぽいとは、エルメート・パスコアールが参加している5曲目「ラテン・ブラザーズ」のこと。特にエルメートがなにやら叫んでいるパートが終わったあと、ピアノのエドゥアルド・ファリアスがサルサ・スタイルの弾きかたをしていますよね。

 

もっといいなと思うのがアルバムの後半ですね。7曲目の「エンブレイシング・エイニョルン」以後。ここからラストまではマウリシオ・エイニョルンへのトリビュート・セクションになっていて、そして実際、終盤にはマウリシオ本人もゲスト参加しているんですね。マウリシオはクロマティック・ハーモニカ界におけるガブリエルの大先輩です。もう80代なかばを越す年齢じゃありませんでしたっけ。

 

トリビュート・セクション1曲目の「エンブレイシング・エイニョルン」もやさしくあたたかい手ざわりで曲題どおりの演奏で、とってもいいですよねえ。トロンボーンも地味に効いていますし、なにより曲想とハーモニカ&トロンボーンの演奏するこの独特の哀感こもる情緒、これこそサウダージですよ。ジャズであるとはいえブラジル人じゃないと表現しえないフィーリングですよねえ。いやあ、たまりません。

 

「バンゾ」「ア・トリビュート・トゥ・ビツーカ」では、ジャズ・ハーモニカ奏者としての一級の腕前を聴かせてくれます。いやあ、凄腕テクニシャンですね、ガブリエルって。いま現在の世界のクロマティック・ハーモニカ界ナンバー・ワンの実力者じゃないですか。クインテットのアンサンブルも見事。セルジオ・コエーリョのトロンボーンとのかけあいもすばらしいですよねえ。

 

そして、続くアルバム10、11曲目こそこの作品のハイライト、ガブリエル・グロッシとマウリシオ・エイニョルンとの共演コーナーです。いやあ、これは本当に聴きものなんです。10曲目の「ディファラント・ビート」では二名のからみがまだそんなに目立たないんですけど、11曲目のピシンギーニャの書いた名ショーロ「カリニョーゾ」が極上。これはハーモニカ奏者二名だけの完全デュオ演奏なんですもんね。こんなシンミリ沁みる「カリニョーゾ」、あまり聴いたことないです。現存する決定的なヴァージョンになったのではないでしょうか。このハーモニカ・デュオによる「カリニョーゾ」一曲だけのためにこのアルバムを聴いても損はないです。

 

(written 2019.8.29)

2019/09/28

マーク・コーンとブラインド・ボーイズ・オヴ・アラバーマの共演盤がいい

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https://open.spotify.com/album/5Cp0uOeUGaNgGuT0fPlgko?si=JDm__PnHSwSaalcVtm3Pkw

 

なにものだかぼくはよく知らないマーク・コーン。今2019年にブラインド・ボーイズ・オヴ・アラバーマとの共演盤がリリースされたことを、萩原健太さんに教えていただきました。
https://kenta45rpm.com/2019/08/14/work-to-do-marc-cohn-blind-boys-of-alabama-bmg/

 

今年リリースされたマーク・コーンとブラインド・ボーイズ・オヴ・アラバーマの共演盤『ワーク・トゥ・ドゥー』(2019.8.9)。後者はもちろん名門ゴスペル・ヴォーカル・グループですが、前者はどうやらシンガー・ソングライターみたいです。知らなかったんですけど、かじってみたところ、ちょっとポール・サイモンと共通するようなスピリチュアルな持ち味の、やはり同様に黒人音楽やゴスペル・ミュージックに通じたひとなのかもしれません。まだちゃんと聴いたとは言えませんが。

 

ともあれ新作『ワーク・トゥ・ドゥー』がかなりよかったんですよね。マーク・コーンとブラインド・ボーイズ・オヴ・アラバーマの全面共演が実現したいきさつについては、上でリンクした健太さんのブログにくわしく書かれていますのでお読みください。『ワーク・トゥ・ドゥー』では冒頭三曲がスタジオ録音の新作で、残り七曲がテレビ・ライヴ音源です。

 

ぼくの胸を打ったのは、もう断然ライヴ収録分ですね。七曲のうち、ゴスペル・スタンダードみたいなのは「アメイジング・グレイス」(ここでは「朝日のあたる家」のメロディで歌われる)だけで、ほかはすべてマーク・コーンの自作ナンバーです。それが実にスピリチュアルな感触で、いいですよねえ。ゴスペル・ソング的と言ってもいいくらいです。

 

マーク・コーンというシンガー・ソングライターは、ふだんは特にゴスペルとは関係ない世界でやっているひとだと思うんですけど、あ、いや、よく知らないですけど、たぶん。しかも『ワーク・トゥ・ドゥー』に収録されているものは、ブラインド・ボーイズ・オヴ・アラバーマとの共演による最新の再演であるとはいえ、曲じたいは以前からの旧作レパートリーばかりです。

 

それがここまでゴスペル・ソングっぽく聴こえるというのは、もちろんこのベテラン・ゴスペル・グループのコーラス(&リード)・ワークのたまものでありますけど、曲そのものにそうなりうる可能性がもともとひそんでいたからだと考えるべきでしょうね。1991年デビューらしいマーク・コーンなので、もっと早くチェックしておくべきでした。

 

デビューといえば、今回再演されている「ゴースト・トレイン」「ウォーキング・イン・メンフィス」はその1991年のマークのデビュー作が初お目見えだったようです。ここでのブラインド・ボーイズ・オヴ・アラバーマとの共演ヴァージョンのすばらしさといったら、格別ですよねえ。バンドも見事な演奏ですけど、なんといってもリードのマークとバックのコーラス隊のやりとりがすばらしいです。鳥肌ものですよ。

 

特にマーク・コーンのシグネチャー・ソングらしい「ウォーキング・イン・メンフィス」が、このライヴの目玉でしょうね。南部ブルーズやエルヴィス・プレスリーなどを歌い込んだ、マークなりの黒人音楽トリビュート・ソング。それがブラインド・ボーイズ・オヴ・アラバーマの手を借りて、ここまで荘厳なゴスペル・ソングに変貌しました。もとからスピリチュアルな感触を持った曲だったのですが、このライヴ・ヴァージョンは本当にスペシャルです。

 

(wrtten 2019.8.28)

2019/09/27

多彩なリズム・アプローチのブラジリアン・ジャズ 〜 ベト・コレーア

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https://open.spotify.com/album/0PPwShQGs4lO9OYZMfsMMz?si=KHe9OW19RuisQhY1WFJDyQ

 

bunboni さんのブログで読みました。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2019-03-30

 

ブラジルの新進ピアニスト(&アコーディオン奏者)であるベト・コレーアのデビュー作『Dias Melhores』(2018)。この作品最大の特色は、リズムの多彩な表現にあるんじゃないでしょうか。たぶんブラジル人ミュージシャンでしか演奏できなさそうないろんなリズムをジャズのなかに活かしているっていう、そういう音楽じゃないかと思います。さらに、躍動的でありながらサウンドの当たりはやわらかいんです。メロディがきれいだからですね、きっと。

 

いきなり1曲目「Corredeira」 の出だしでピアノ・リフが鳴りはじめるところからして鮮烈な印象を残しますし、ベトのピアノに引っ張られるようにバンド全体が奏でているリズムも活き活きとしていて、しかもさわやかですよね。さらに、書きましたようにベトの書くメロディはきれいなので、聴いていてやわらかい印象があります。リズムのさわやかさ、華やかさ、に加えて当たりのいいきれいなメロディ、こういったことがベトのこのデビュー作の特長ですね。

 

リズムの躍動感を抑えた、かなりロマンティックでリリカルなアルバム・タイトル曲の3「Dias Melhores」を経て、続く4曲目「Baião de Agradecimento」はタイトルどおりバイオーンです。ベトがアコーディオンを弾くこの曲がぼくは大のお気に入りなんですね。ブラジル北東部出身のバイオーンのリズムがやっぱりなんといってもいいんですけど、同時に、まあアコっていう楽器の音色のおかげもあるとは思いますがあたたかみのある曲で、ソフトで聴きやすいですよね。

 

言い換えれば親しみやすさっていうか、このデビュー・アルバムでベトが書いている曲はどれもファミリアーな感触があって、聴いていてなごめて、角ばったところがなく、だから好きなんですよね。4曲目のアコでバイオーンを弾くっていうのは定番ですけど、ベトならではの親近感のある仕上がりになっているのが好感触です。

 

やや抽象的に展開する5曲目「Pega o Saci」ではピアノで演奏する細かい反復リフが耳につきますが、続くヴァルサ(ワルツ)の6曲目を越して、7曲目「Novilho Brasileiro」ではやや野生的っていうか土着的なフィーリングがしますよね。ドラマーもパーカッション群を重ねていますが、このリズムの洗練されていない感じが、かえっておもしろい味をこの演奏に加えていると思います。

 

4曲目のバイオーンと同じくらい好きなのが、リズムが複雑で入り組んでいる8曲目の「Cinco Entrevado」。これ、しかしなんだかわからないリズムの組み立てになっているなあと思ったら、アルゼンチンのチャカレーラの3拍子+2拍子の応用であると bunboni さんに教えていただきました。こう書くとむずかしそうに思えますが、ベトらのパフォーマンスは実にスムースで違和感なしです。すごいなあ。斬新で、なめらか。

 

やはりアコーディオンをベトが弾く9曲目の親しみやすさを通過して、アルバム・ラスト10曲目はいかにも2010年代後半の現代ジャズといった趣。これだけはアメリカ合衆国人のジャズ・メンでも書いてやりそうな曲です。リム・ショットも効果的に入れているドラマーの叩きかたがぼくは好きです。

 

(written 2019.8.27)

2019/09/26

2ビートは跳ねる

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まず実例をちょっと聴いていただきたいと思います。これはつい最近リリースされたばかりのダヴィーナ・アンド・ザ・ヴァガボンズの新作『シュガー・ドロップス』1曲目「ボーン・コレクション」。

 

https://open.spotify.com/track/2SD4YlWHQw4YGeJwzaw097?si=GuMJj7gMRu-yOen1wo6e_Q

 

レトロなグッド・タイム・ミュージックを得意とするダヴィーナのこの「ボーン・コレクション」という曲のリズムは、2/4拍子ですよね。一小節に四分音符が二つ並んで、1と・2とで強弱・強弱と。それをくりかえすものです。さて、こういった2ビートを聴いていて感じるのは、わりと大きく跳ねているなということです。

 

1&2でボンとこの曲ではコントラバスが音を置いていますが、そのあとの「と」のところが空いていますよね。空間、スペースが生まれています。その空けられたスペースで大きく跳ねているようなフィーリングをぼくは感じるんですね。「と」でスネア・ロールでも入っていれば完璧です。

 

2ビートの、この空間でポ〜ン!と跳ねる感覚は、たとえばジャズ・ミュージックなんかで聴ける、その後の4/4拍子と比較してみればいっそうよく理解できると思います。4ビートの曲の実例をあげる必要はないでしょうけど、4ビートだとこういった跳ねるスキマはなく、もっとスッと平べったく、一直線に進むような、そんなフィーリングですよね。

 

言い換えれば、2ビートは流れず、大きくポン、ポンと跳ねる感じ。4ビートは平べったくズンズン進む、流れる感じ。4ビートはびっしり敷き詰める感じで、逆に2ビートは空間が空いて、そのスキマでボンと大きく跳ねることができているような、そんなふうに聴こえませんか。

 

2ビートと4ビートのこの、リズムがジャンプする感覚の違いはおもしろいですよね。一般に、アメリカン・ミュージックがリズムにシンコペイションが効かせ跳ねるようなフィーリングを持ちはじめるのは、ジャンプ・ミュージックやリズム&ブルーズ(やその後のロック)など、8ビート・ミュージックが一般的になってきてからと考えられているのではないでしょうか。

 

シンプルに考えて、アメリカン・ミュージックのビートは、2拍子→4拍子→8拍子→16拍子と細分化されてきたと言えるでしょう。しかし、最初のころ、19世紀末〜20世紀初期の2ビートにこそ強く跳ねる感覚があって、実はそれが8ビート・ジャンプの感覚に近いものだったんじゃないかという気も、最近しているんです。

 

今日はたまたま最近聴いたもので、素材は新しいほうがいいかもと思って、いちばん上でダヴィーナ・アンド・ザ・ヴァガボンズの2019年最新作から一曲とりあげました。でも、こういったことはこのダヴィーナの曲に限った話じゃなくて、一般に2/4拍子のなかにずっと感じているものなんです。2ビートというと、アメリカン・ミュージックではごく初期のジャズやジャズ系のポップ・ソングで主に使われていてものだという気がしますよね。気がするというよりそれが真実だろうと思います。

 

2ビートを主体とする、ジャズなど初期のアメリカン・ミュージックは、カリブ海地域の音楽とかなり密接な関係があったんですけど、そのことも関係あるような気がしますよね。カリビアン・ミュージックのリズムの特色は、跳ね・シンコペイションにありますから。

 

4ビート・ジャズの、あのフラットに(平坦に)ずんずん進む感覚は、ぼくの見るところアイリッシュ・ミュージックのリールにそっくりで、たぶんその影響も強かったと思うんですけど(アメリカにはアイルランド移民が多い)、跳ねる2拍子の感覚がどこから来たのかというと、どう考えてもカリブ海地域の音楽からだとしか思えないです。

 

ジャズなどが、最初期はそんな跳ねる2ビートの感覚を持っていたにもかかわらず、時代が進むにつれその感覚を(いったんは)消して、跳ねずにフラットにスッと進む4ビートに移行したのはどうしてだったのか、そのあたりは社会文化的な側面もあわせて考えてみないとたぶんわからないことだろうと思うので、今日のところはこのへんでやめておきます。とにかく2拍子はおもしろいですよ。

 

(written 2019.8.27)

2019/09/25

なるべくたくさんの音楽をぜひネットで聴けるようにしてほしい

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「手軽に聴けること」も、ポピュラー・ミュージックの重要な要素のひとつですよね。イージー&カジュアルに、パッと聴けることは大切です。アナログ・レコード世代でありながらレコードを買ったり聴いたりするのをやめて CD にほぼ全面的に移行したかたがたの最大の理由もここにあるんじゃないかと思うんです。CD はレコードと比較してとにかく取り扱いが簡便で容易です。だから聴きやすい。したがって気軽にパッと取り出して軽い気分で聴けるんですね。持ち運び、外出時に聴くのだってラクチンです。

 

そんなわけだから、いまやその CD も廃れて、いや、廃れなくていいんだけどそのままでいいんだけどふだんはネットで聴く、たいていはストリーミングで聴く、ということにみんなが移行しつつあるのも当然の流れのように思えます。とにかく録音音楽再生の歴史はこの一方向の流れでずっと進んできているんですね。19世紀末の蝋管プレイからこのかたずっと一世紀以上。

 

ネット経由であるといってもファイルをダウンロードして自分のローカル・ストレージに置きそれを聴くというのは、またちょっと世界が違っているなと思うんですね。最大の理由はストレージ容量がどんどん減っていくところにあります。ダウンロードしたファイルはたまる一方でしょう。しかし手元のパソコンなりスマホなりのディスク容量は限りがありますから、いつの日かダウンロードできなくなります。

 

このことは部屋のなかに レコードや CD(や書籍)があふれていて足の踏み場もないという状態になっていくというのと本質的に同じことですね。物体やダウンローディッド・ファイルで聴くというのは、モノがあふれかえって収拾がつかなくなるという事態を招くという点では、人間生活を破壊するという面がなきにしもあらず。もちろんたっぷりの経済力があって、部屋(やディスク・ストレージ)も大きなものを用意できるという裕福なかたがたなら話は別ですけどね。

 

こんなような意味で、音楽を CD やダウンロード・ファイルで買わず、ストリーミングで聴くというのはとても大きな意味のあることなんですね。しかも検索すればパッと容易にお目当のアルバムや曲や音楽家が見つかりますから、その場でクリック(タップ)すれば即座に聴けます。ナイス&イージー、いいことじゃないでしょうかねえ。

 

その〜、まあぼくらは、あ、いや、ぼくは、手間に意味を見出すタイプじゃないんで、こと音楽聴取にかんしてはですね。レコードや CD を買ったり再生したりするのはその手間が、部屋やストレージがパンパンになってしまうことが、心のなかでの一種の儀式みたいなものとなって意味を持ち、それで音楽の価値が増すとか、ちゃんと聴けるとか、そんなことはぼくのばあいは全然ないわけです。簡単・手軽に手間なしで聴ければ聴けるほど、くりかえし楽しめるし、そうすればリスニング体験も充実するんです、ぼくはね。

 

もうひとつ、みんなでシェアできるというのがストリーミングで聴く際のとってもとっても大きなメリットですね。この音楽アルバムはすごくいいですよ、ちょっと聴いてみて〜と思っても「CD 買って」「ダウンロードして」じゃあ、たぶんなかなか(ほとんど)実現しません。いい音楽をシェアできないです。どなたかが勧めてくださっているものをバンバン CD でまず買ってみるなんていうのはソ〜ト〜奇特な部類なんですよ。

 

Spotify でも Apple Music でも、オススメにはリンクを書けばいいだけっていう、だから読んだひともそれをクリック(かタップ)すればそれだけでそのまま即聴けて、そのままリアルにレスポンスがあるっていう(まあなかったりも)、そこが音楽を食べて生きている人間にとってはかなり大きなことなんですね。そういったことが SNS を舞台に起きていることなんですね。

 

あとはやっぱりなんだかんだ言って CD を買わなくても聴ける、高音質でフルに聴けるっていうのは、経済的にとてもメリットの大きいことですね。だれだって無制限に買いまくれませんから、裕福なみなさんのことは知りませんよ、ぼくのことです。またそれから、ネット聴きだと新作でも発売されたら待たずにすぐ聴けるというのも大きなことですね。「待つ」ということに意味を見出すかたがたがいらっしゃるかもしれませんが、リリースを知ったらすぐ聴きたいというのも、わりとあたりまえな世間的人間心理だと思います。

 

(written 2019.8.18)

2019/09/24

いまに息づく小洒落たスウィング・ジャズ・コンボ 〜 ホット・クラブ・オヴ・カウタウン

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https://open.spotify.com/album/02RByYHPAxCsLYWz4VaZaG?si=zt8Cgyu8TnSV0dKlHgidfg

 

萩原健太さんのブログで知りました。
https://kenta45rpm.com/2019/09/19/wild-kingdom-hot-club-of-cowtown/

 

今年の新作『ワイルド・キングダム』(2019.9.13)ではじめて聴いたホット・クラブ・オヴ・カウタウン。ギター、フィドル、ベースの三人組で、アルバムではほかにもピアノやドラムスが参加しています。ところでこのバンド名はジャンゴ・ラインハルト&ステファン・グラッペリのそれを意識したんでしょうかねえ。音楽性をみてもなんだかそんな気がします。

 

だからホット・ジャズっていうか、スウィング・ジャズ・コンボですよね。いちおうウェスタン・スウィングのフィールドにいるらしいので、カントリー・ミュージックとも関係あるんでしょうけど、アルバム『ワイルド・キングダム』を聴くかぎりでは、ほぼジャズ・コンボですね。そのへんは線引きなどできないのですけども。

 

『ワイルド・キングダム』の全14曲では、有名スタンダードのカヴァーが三曲(「スリー・リトル・ワーズ」「ロック・ロモンド」「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」)。ほかはメンバーの書いたオリジナルですけど、オリジナルといってもこのアルバムで聴くかぎりではまったくおなじみのスウィング・ジャズ路線で、いい意味で新鮮味はありません。

 

つまり(若干の例外はあるものの)アルバム全編が既視感ばりばりのスウィング・ジャズ・スタイルというか、ジャンゴ&ステファンのフランス・ホット・クラブ五重奏団のようなというか、まったくその感じで貫かれていて、こういうのって好きなひと(ぼくはそう)はどこまでも好きだけど、受けつけないひとにとってはぜんぜんダメだろうなと思います。

 

ちょっと1曲目の「マイ・キャンディ」を聴いてみてくださいよ。もうそれだけで判断できると思いますよ、こういう音楽が好きか否か。アルバムは(いい意味で)金太郎飴状態ですから、一つ聴いて楽しいと感じるばあいは、アルバムとおしてぜんぶ楽しめるはずです。あ、そうそう、9曲目の「ウェイズ・オヴ・エスケープ」だけは5拍子でスウィングするんですよね。

 

また三人の楽器演奏技巧がこれまたなかなかすごいですよね。特にギターのウィット・スミスの腕前にはうなります。ウェスタン・スウィング界隈ってみんなうまいのらしいですけど、そうなんだぁ〜、すごいですよこのギターリスト。フィドルのエラナ・ジェイムズも、アイリッシュ・フィドルの痕跡を残しながらジャジーに弾いて、腕達者です。

 

こういったカントリー・テイストをともなったおなじみの(古くさい)スタイルのスウィング・ジャズ三人組が、アメリカでいまでも現役で活動できるのが、アメリカン・ミュージック・シーンの健全さなんだなと思うわけなんですよね。(いい意味で)新鮮味はないとか既視感100%だとか言いましたけど、安心して身をゆだねられるいつものくつろぎの場所、そんな音楽ですね。

 

(written 2019.9.23)

2019/09/23

モノクロ無声映画のように 〜 サマンサ・シドリー

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https://open.spotify.com/album/2MLZZN2JBPpxsIXfn0Dj6I?si=YKP5TcsKSYGlcIhBNv0Qng

 

萩原健太さんの紹介で知りました。
https://kenta45rpm.com/2019/09/17/interior-person-samantha-sidley/

 

サマンサ・シドリーってだれでしょう?ぼくはなにも知りません。リンクした健太さんのブログに書いてある情報がぼくの持つすべてです。ともかくそのデビュー・アルバム『インテリア・パースン』(2019.9.13)が心地いい。これはレトロなグッド・タイム・ミュージックなんですね。そして同時にラテン・テイストもはっきりあるんです。そんなわけで大のぼく好みな音楽。

 

健太さんもお書きですけど、このジャケット・デザイン、モノクロ無声映画のようなこれが中身の音楽をよく物語っていますよね。たぶんアメリカン・ポップスの根底に、こういったティン・パン・アリー的なというか、ジャジーなオールド・タイム・ポップスがいまでも流れ、ひっそり息づいているということじゃないかと思うんですね。だからいまでも折に触れて表層に出現するんでしょう。

 

サマンサの『インテリア・パースン』のばあいは、書きましたようにラテン・テイストがそこそこ濃厚にあるというのが特色で、ほかのレトロ・グッド・タイム・ミュージックとは一線を画すところですね。もう一個、きわめてプライヴェイトな音楽であるという肌ざわりがするという、なんというかあくまで内輪向けの内向き音楽だなという感触もあるのが大きな特徴でしょうね。開放的な感じがしないです。

 

このアルバムにある鮮明なラテンは、1曲目「アイ・ライク・ガールズ」、6「リスン!!」、8「ビジー・ドゥーイン・ナシン」の三つ。最後の曲だけが今回のアルバムのための曲ではなく、ブライアン・ウィルスンがビーチ・ボーイズのために書いたもののカヴァーですね。ほかはアルバムの全九曲とも用意された新曲のようですが、サマンサが書いたというわけじゃないんだそうです。

 

1曲目の「アイ・ライク・ガールズ」のこの淫靡なラテン臭はどうでしょう。なかなかの味じゃないでしょうか。セクシーですしね。パーカッショニストが独特の跳ねるシンコペイションを演奏しているのが印象に残ります。トロンボーン・ソロもよし。控えめに小さく入るオルガンも効いているし、サマンサのヴォーカル(多重録音?)もおもしろいですよね。

 

アルバムのどの曲もジャズ・バンドが伴奏をつけているんですが、6曲目「リスン!!」ではヴァースみたいなのをピアノ伴奏で歌ったかと思うと、リフレイン部でいきなりリズムが派手にジャンプしはじめますね。どう聴いてもラテンなシンコペイションだと言えましょう。やや派手で明るい感じがするのが、暗く陰にこもった印象のこのアルバムのなかでは例外的かも。ブライアン・ウィルスンの8曲目「ビジー・ドゥーイン・ナシン」はボサ・ノーヴァですね。これもやや明るい感じ。

 

これら三曲のラテン・ジャジーなもの以外は、すべて2ビート、4ビート系のストレートなジャズ・リズムを持つオールド・ポップスに似せてつくられて演奏され歌われているんですね。20世紀はじめごろの感じですね。聴いていて心地いいし、リラックスできて部屋のなかでゆっくりくつろげるし、なかなかインティミットな質感の音楽ですし、しかも仲間内だけよとでも言いたげなクローズドな雰囲気もあって、なかなか得がたい個性のアルバムが出現したんじゃないでしょうか。

 

(written 2019.9.19)

2019/09/22

ルシアーナ・アラウージョの新作がいいよ

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https://open.spotify.com/album/4LWZnp7eN93aHXLnMlpIf8?si=ZlPbj-nGRFOpNYm105itbw

 

ルシアーナ・アラウージョ(ブラジル)の新作『サウダージ』(2019.5.23)がけっこういいですよね。表題ほどには情感が表に出ておらず、もっとサッパリした感触ですけど、それがいいと思うんですよ。わりかしジャジーですしね。そう、ルシアーナのこの『サウダージ』はある種のジャズ・アルバムとも言えます。同じブラジルなら以前のアンナ・セットンなんかに通じるようなフィーリングの作品じゃないでしょうか。

 

正確にはジャジーなポップ(MPB)・アルバムというべきでしょうか、ルシアーナのこれ、そのなかにサンバやボサ・ノーヴァや、またバイオーンや北東部のリズムが生かされているなという、そんなつくりでしょうかね。なかではサンバを活用してある曲が三つと、最も多いと言えるでしょう。でもサンバでもボサ・ノーヴァでもノルジスチでもこれみよがしじゃなく、実に薄味にというか、アッサリと溶け込んでいるのが好印象です。

 

アルバム『サウダージ』を彩るサウンド面での最大の特色は、アコーディオンが大活用されていることでしょうね。ブラジルでは北東部の音楽でよく使われる楽器ですが、ルシアーナのこのアルバムでは特に北東部ふうでとはかぎらず全曲で活かされています。泥くさいフィーリングを出すことの多いものなんですけど、ルシアーナのこのアルバムでは(ショーロ・アコーディオンに通じるような)洗練されたサウンドに聴こえます。

 

さらにおもしろいのはポルトガル・ギターがかなり使われていることです。ファドの伴奏なんかでみなさんおなじみのあの音色です。このアルバムはブラジルとならびポルトガルでも録音されたそうで、ポルトガル・ギターはその際に挿入されたんでしょうか。現在サン・パウロ在住のルシアーナにはリスボンでの活動歴もあるので、そういった経緯も理由のひとつかもしれません。

 

そういった特徴的な伴奏陣が活かされているのは、アルバムのなかでも特に4曲目のバラード「ムクリピ」じゃないかと思います。この曲ではアコーディオンとポルトガル・ギターだけが伴奏なんですね。その二台だけのデュオ演奏に乗ってルシアーナが、ここではサウダージ横溢のヴォーカルを聴かせます。シットリ聴かせる力があって、このワン・ナンバーは絶品ですね。アコーディオンとポルトガル・ギターのからみってこんな感じのサウンドになるんだという、新鮮さもあります。

 

8曲目の「ジュラ」もシンプルな伴奏編成でアコーディオン中心、ここでのルシアーナの歌もかなり聴かせますよ。7「クピドス」はややロック調、6「ジガ」はシンプルなボサ・ノーヴァで、北東部ふうのエキゾティズムを持つ3「ジャブチカベイラ」(のイントロをポルトガル・ギターが弾く)や5「シンプレズ・アシン」では、パーカッション群もにぎやかに活躍しています。

 

ルシアーナの『サウダージ』、全体的に演奏もヴォーカルもこなれていてサッパリ味、後口よいさわやかさじゃないですか。アクなんかはぜんぜんないので、まあガツンとくるものもないっていうか、ひとによっては物足りなさを感じるかもしれない音楽ですけど、こういった軽い口あたりのあっさりミュージックもたまにはいいですよね。良質のブラジリアン・ポップ・ミュージックだと思います。

 

(written 2019.9.21)

2019/09/21

ニューポートのマイルズ 1967

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https://open.spotify.com/playlist/6LLl0Tg2bir2hGZYeLDRAp?si=QbpqKidJS1K1IgKyDuChZg

 

昨日1966年ニューポート・ジャズ・フェスでのマイルズ・デイヴィス・クインテットのことを書きました。CD だとレガシーの四枚組ボックス『マイルズ・デイヴィス・アット・ニューポート 1955-1975』の二枚目前半ですが、後半が同じクインテットによる67年7月2日出演分なんですね。だから続けて聴いたんです。そうしたら、そっちもなかなかすごいじゃないですか。やはりちょっとメモしておきましょう。

 

1967年の7月というと、前年の10月に録音したスタジオ作『マイルズ・スマイルズ』が2月に発売済み。さらに次作『ソーサラー』も5月にぜんぶ収録しておりまして、それは暮れ12月に発売されることになりました。7月のニューポートというと、ちょうどその中間的な時期ですね。7月2日のニューポートで演奏されたなかに、しかし『ソーサラー』のレパートリーはありません。

 

イントロダクションとクロージング・テーマをふくめても計32分間と短いですが、フェスティヴァルの一幕なので、こんなものだったんでしょうね。演奏は実質四曲。「ジンジャーブレッド・ボーイ」「フットプリンツ」「ラウンド・ミッドナイト」「ソー・ワット」。なかでもやはり最初の二曲が変形ラテン8ビートをともなっていて、耳を惹きますね。

 

特に「ジンジャーブレッド・ボーイ」。このトニーのドラミングがこりゃまた鬼すごいじゃないですか。バンドのリズムは基本4/4拍子で、ベースのロン・カーターが4ビートのラニング・ベースを弾いていますが、トニーはおかまいまくガチャガチャと複雑な8ビート系のポリリズムを入れ込んでいますよねえ。やっぱりすごいドラマーだったなあ、60年代のトニーは。

 

だいたいテーマ演奏がはじまる前からトニーによるイントロはブチ切れていますもんねえ。スネアのリム・ショットも入れながらかなり手数の多い細かい変形ラテン・ビートを生み出しているんですね。テーマ吹奏、マイルズのソロ、ウェイン・ショーターのソロとメーターは振り切ったまま。特にウェインのソロ部でのトニーが鬼の形相で激しく派手に叩きまくっているでしょう。三番手ハービー・ハンコックのソロになるといったんおとなしくなりますが、ハービーがハードに弾きはじめたらそれにあわせてやはりトニーもふたたび表情が変化します。

 

こんな「ジンジャーブレッド・ボーイ」が1曲目なので、もうこれだけで勘弁してくれ〜っていう気分なんですけど、2曲目のウェイン・ナンバー「フットプリンツ」も、バラードなのに3曲目の「ラウンド・ミッドナイト」も、4曲目の「ソー・ワット」も、相当ハードにスウィングしていますよねえ。「ジンジャーブレッド・ボーイ」がこんなにカッ飛んでいなかったら、それらだって相当すごいと聴こえたに違いありません。特に「フットプリンツ」最終テーマあたりでのハービーには要注目ですよ。

 

この1967年には、書きましたようにアルバム『ソーサラー』を完成させているマイルズですが、そのなかには「プリンス・オヴ・ダークネス」「マスクァレロ」といった、リズム表現に重きを置いた二曲があるんですね。それらでは特に、変形ラテン8ビートを表現するトニーのドラミングが聴きものです。アルバム最大の聴きどころにして白眉でもあるし、つまりこのころマイルズはリズム表現の多彩さに踏み込んでいたなと思うんです。

 

そんな音楽的変化が、7月のニューポートでも出ているよねえとぼくは思うんですよね。「ジンジャーブレッド・ボーイ」にしろ「フットプリンツ」にしろ『マイルズ・スマイルズ』からのレパートリーですが、67年7月のニューポート・ヴァージョンでは演奏内容が刷新されていて、『ソーサラー』の内容にあわせた新しいものになっているなと、特にトニーのドラミングにそれが最も顕著に表れているなと、そう感じます。

 

また、この1967年7月のニューポートのステージでは、一曲演奏して次の曲に入る際、間をおかず、音が完全に消えないうちにボスがトランペットでキューを吹きはじめているのがおわかりでしょう。だからワン・ステージがまるで<一曲>みたいにつながっていますよね。これはこの後ずっとマイルズ・ライヴの特徴となった手法で、本格的には同67年冬の欧州ツアーからそうなったんですが、夏のニューポートですでにこのスタイルが完成しつつあったんですね。ジェイムズ・ブラウンらのソウル・レヴューにならったものでしょう。

 

(written 2019.8.25)

2019/09/20

マイルズの1966年ニューポート・ライヴがすごい

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https://open.spotify.com/playlist/52dFiN3YERxekbc06xO0oC?si=wB5CNOcPTAOPOmaGU_KPpA

 

1966年7月4日、ニューポート・ジャズ・フェスティヴァルに出演したマイルズ・デイヴィス・クインテットの演奏を聴きなおしたのはうっかりミスでだったんです。どういうことかと言いますと、こないだ1969年ニューポート・マイルズのことを書いたでしょ、そのとき CD をひっばり出してそっちでも聴きかえそうと思って、レガシーの四枚組ボックス『マイルズ・デイヴィス・アット・ニューポート 1955-1975』をテーブルの上に持ってきたわけです。

 

それで1969年分はディスク3冒頭なんですけど、それを聴こうと思ってボンヤリしていて間違えてディスク2を CDプレイヤーのトレイに乗せて再生ボタンを押しちゃったというわけですよ。二枚目前半は1966年分なんです。マイルズ、ウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズのバンド。ちょうどスタジオ作『マイルズ・スマイルズ』録音の三ヶ月ほど前にあたります。

 

しっかしこの、聴くつもりなくウッカリ聴いちゃった(だから音が出てアレレッ?と思った)1966年マイルズ・クインテットのライヴが、かな〜りすごいじゃないかと、そう感じたんですよね。それ以来くりかえし再生しては感銘を受けるというハメになっているんで、だからここらへんでちょっとこのマイルズ1966年ニューポートの内容がいかにすごいか、メモしておこうと思います。

 

ところでこの時期マイルズ・バンドはほとんどスタジオ録音もライヴもやってなくて、ウェインを迎えたニュー・クインテットになって以後、1965年の1月にアルバム『E.S.P.』を録音したあとは、かの有名な12月のプラグド・ニッケル・ライヴ(シカゴ)までいっさい活動なし。これは以前も書きましたがマイルズの健康状態が悪かったからです。実は66年に入ってからもスタジオ録音なし、ライヴも五月にポートランドで一回やったのみで、その後が今日話題の七月のニューポートで、なんとこれでぜんぶなんですよ。ようやく十月にスタジオで『マイルズ・スマイルズ』を吹き込んだだけ。

 

1967年になったらスタジオ・セッションもライヴ活動もさかんになってきますので、65年初頭の健康状態悪化が66年もまだ続いていたのかもしれないですね。たんなる個人的憶測で、確証はありません。どこかにそのへんの事情を記してあるドキュメントがあったりするかもですが、見つけていないんです。

 

ともあれまだ壮年期の音楽家が、しかも新進気鋭のサイド・メンをかかえてこんな状態では、フラストレイションがたまるいっぽうだったろうと思うんですね。だから1965年12月のプラグド・ニッケル・ライヴもそうだったように、たまのライヴ・セッションでは一気に引火・爆発してしまうのも当然でしょう。66年7月のニューポート・ライヴだってそうなんです。

 

つまりひとことにして激情的。パッショネイトにスウィング、というかハード・ドライヴをくりひろげているんです。それは冒頭の「ジンジャーブレッド・ボーイ」を聴いても実感できることじゃないですか。このジミー・ヒース・ナンバーは10月のスタジオ・セッションで録音し『マイルズ・スマイルズ』に収録されたものですから、7月のニューポート・ライヴ・ヴァージョンはまだ初期型なんですね。それでもうこんな具合ですから。

 

1966年ニューポートの「ジンジャーブレッド・ボーイ」、ちょっぴり頭が切れちゃってますけど、出だしのトニー・ウィリアムズのドラミングからしてぶっ飛んでいるじゃないですか。トニーはこの66年7月ライヴ全体でキレまくっています。トニーはまだ血気盛んな10代の若者だったんで、ボスが(健康状態のせいとはいえ)なかなか活動しないから不満がつのっていたはずです。だからたまのレギュラー・クインテット・ライヴではエネルギーが暴発しちゃうんでしょうねえ。

 

もちろん自身のリーダー作ふくめ、いわゆる新主流派のレコーディング・セッションでみんな活躍していましたけど、ああいったスタジオ作品の特色は<抑制が効いている>というところにありましたから。ナマナマしい一気の発散放出なんてありえません。だからバンドのライヴでは、トニーにしろ、ここで聴けるような猛演奏ぶりになっているんでしょう。ぼくはそう推測します。

 

「ジンジャーブレッド・ボーイ」では、しかもなんだかよくわからないポリリズムをトニーが叩き出していますよねえ。ちょっぴりラテンな変形8ビートみたいなものです。そしてパートによっては4/4ビートになるんですけど、基本、ハービーの弾くブロック・コード連打といっしょになって8ビートを演奏しています。トニーの演奏する8ビートはこのころからロック・ミュージック的ですね。しかもロックにはないしなやかさも兼ね備えています。

 

マイルズもウェインもハービーもソロでかっ飛ばしていますが(特にマイルズ)、いずれも背後でのトニーの猛プッシュあればこそなんです。これは2曲目の「オール・ブルーズ」でも同じ。『カインド・オヴ・ブルー』に収録されていたこの曲はもともと3/4拍子でしたが、この66年ニューポート・ライヴではときおり4/4拍子に展開したり、ふたたび3拍子に戻ったりします。

 

しかもその3/4拍子パートはかなり速くて細かくて、まるでハチロクのビートに接近しているかのように一瞬聴こえないでもないですよねえ。こういうふうにビートを細分化するのがリズム展開ではおもしろいところなんですけど、そのせいでここでもちょっぴりロック・ビートに似て聴こえたりするんですね。そうでなくともトニーがおかずをガチャガチャとたくさん入れて、かなりにぎやかなドラミングを聴かせていますし、そのせいでハード・スウィンガー、いや、ドライヴァーになっています。4ビート部分ではそうでもないんですけど、3ビート・パートでそうなっていると思うんですね。

 

続く3曲目のバラード「ステラ・バイ・スターライト」も驚くべき演奏内容ですよ。バラードと書きましたが、途中からなんと急速調に展開し、ハードにグルーヴしはじめるんですね。これ、本来はあくまできれいにやるリリカル・バラードなんですよ。ところが一番手マイルズのソロ途中の二分すぎごろからトニーが突然アップ・ビートでシンバル・レガートをやりはじめ、バンド全体で激しくノリはじめてしまっているでしょう。まるで夜空のもと猛ダッシュで駆けているかのような演奏じゃないですか。

 

ハードにドライヴしたままウェインのソロに入り、その途中でいったん落ち着きますが、やはりミドル・テンポで軽快にスウィングしているので、美しいバラードといった雰囲気はないですよね。三番手ハービーのソロ途中で、またもやトニーがアップ・ビートにチェンジし、激しい演奏になったままマイルズに戻り、苛烈な演奏で「ステラ・バイ・スターライト」は終了してしまいます。

 

残り二曲の「R.J」「セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン」もグルーヴ・チューンですし、いったいなんでしょう、この1966年7月のニューポートにおけるマイルズ・クインテットはハードに突き進むばかりの展開で、その中心に(マイルズと)トニーがいて、猛プッシュでみんなをぐいぐいひっぱっているという、そんなステージだったのではないでしょうか。いやあ、すごいなあ。若さゆえってことでしょうかねえ。若くてエネルギーに満ちていたのに、ボスがなかなかライヴをやらないもんだから、たまのこういった機会で自己制御できず爆発しちゃったんでしょうか。

 

(written 2019.8.24)

2019/09/19

さわやかな、マリア・テレーザ

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https://open.spotify.com/playlist/5wO6v4Dd1nxK6OnvjtBNmR?si=pPSPzEv5RlKNmX0ooDEolw

 

http://elsurrecords.com/2019/03/01/maria-teresa-de-noronha-integral/

 

https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2019-01-27

 

今2019年の、初春ごろ、いやまだ冬だったか、日本でもふつうに買えるようになったマリア・テレーザ・デ・ノローニャ(ポルトガル)の全集ボックス。そのうち最後の DVD を除いた CD 収録分はもちろん残さず Spotify で聴けますので、一個にまとめたプレイリスト(上掲、全六時間半)をふだんから BGM にしてずっと楽しんできています。だから、そろそろこのへんでちょっとした感想メモを手短に記しておきたいと思うんですね。

 

それは簡単に言って、マリア・テレーザの歌はさわやかで口あたりがよく、スムースでナチュラルだなっていうことです。重くない。同じファド歌手で同世代だとやっぱりアマリア・ロドリゲスが圧倒的な存在だと思いますが、アマリアにある濃厚さ、激しさ、情緒表現の過剰さ、重さは、もちろんそれがアマリアの魅力なんですけど、マリア・テレーザには薄いですよね。

 

薄いっていうのは悪いことじゃなくて、マリア・テレーザの全集を聴いていて感じるのは、清廉さですよ。しかもなんだかちょっとキラキラしていて明るいっていうか、さわやかで心地いいような、そんな声と歌じゃないでしょうか。特にメイジャー・キーの曲だと。伴奏サウンドはアマリアと同じような典型的なファドのそれですから、違いは主役歌手のヴォーカル資質です。

 

マリア・テレーザのファドでは、ときおり地中海の、あ、いや大西洋か、の青さを連想させるような、その上に青い空がひろがっているような明るさもあるっていうか、そんなさわやかなサッパリしたフィーリングが聴けますよね。(悪い意味でなく)軽い。そして濃すぎずやわらかい。こういったことがマリア・テレーザのファド全集を聴いていて感じる最大の要素です。

 

だから、何時間続けて聴いても、マリア・テレーザのファドは疲れないです。どんどん聴いて、いいなあ〜っていう心地よさを感じて、部屋のなかでおだやかな気分でゆっくりすわっていられます。心にさざ波が立たないっていうか、ときには立ったほうが刺激的でいい音楽作品ってことになるかもですけど、ふだんの愛聴盤としては薄味でサッパリさわやかなほうがいいですよね。

 

マリア・テレーザのファドは普段着姿の大人の女性っていう感じで、決して飾りすぎず、派手でけばけばしくなく、ヴォーカルにおける感情の表出もストレートで素直で、ナイーヴに感じることすらあります。豪放さはなく繊細ですし、いま2019年にオススメできるファド黄金期の歌手を選ぶならば、ナチュラルでなめらかなマリア・テレーザじゃないですかね。現代のフィーリングにフィットするような気がします。

 

それでもファドですから、哀切に満ちてはいるんですけどね。マリア・テレーザのばあいは、その哀切がひとびとの日常の生活感覚に根ざしたものだっていう気がするんです。

 

ただまあ全集となると DVD ふくめ全七枚とサイズも大きく、エル・スールで12800円と高価でもあるので、これからむかしの(黄金期の)ファド歌手をちょっと聴いてみたいんだけど…、という向きにそのままではオススメしにくいような気がしないでもないです。ですから Spotify とか活用なさっているかたならばそちらで聴けますので、ちょっと覗いてみてください。フィジカル派には、CD で二枚組程度のベスト盤みたいなのがあったら喜ばれるのになあ〜って思います。

 

(written 2019.8.26)

2019/09/18

衝撃のチャールズ・ロイド『ヴァニッシュト・ガーデンズ』

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https://open.spotify.com/album/2q6z7yobPwN2YTkR8U4i1z?si=IeCXe3NISU-kqs1eofePXg

 

チャールズ・ロイドがマーヴェルズを率いルシンダ・ウィリアムズと組んだコラボレイション・アルバム『ヴァニッシュト・ガーデンズ』(2018)が傑作でしたよねえ。ぼくが知ったのは今年に入ってからのことです。なにかのきっかかで Spotify で気づき、どんなもんかちょっとだけ…、と軽い気持ちで聴きはじめ、ぶっ飛んじゃいました。なんてスケールの大きい、懐の深く広い、そして情け深くあったかい音楽なのでしょうか。ロイドもいい歳なんで最近あなどっていました。ごめんなさい。

 

シンガー・ソングライター、ルシンダ・ウィリアムズと組んだのが今回の大きな目玉でしょうけど、マーヴェルズを率いる近年のチャールズ・ロイドははじめて聴きましたので、このサウンドにはかなりビックリしました。バンドの中核はエレキ・ギターのビル・フリゼールとペダル・スティール・ギターのグレッグ・リーズの二名です。この二名の出す浮遊感とひろがりのあるサウンドは、アメリカーナへと大きく舵を切ったいまのロイドにとってまさにピッタリ。

 

アルバム『ヴァニッシュト・ガーデンズ』の全10曲は、偶数曲がルシンダのヴォーカルが入る彼女自身のオリジナル・ソング(過去曲の再演あり)で、ロイドのテナー(と一曲だけフルート)をフィーチャーしたインストルメンタル・ナンバーと交互に並んでいます。ルシンダのヴォーカルがあってもなくても、サウンドの統一感に差異や乱れはなく、全体がスーッと違和感なく流れていきますね。古参人のジャズ・アルバムとしては驚異的とも言えるかも。

 

ロイドがルシンダと組んだのは、たぶん彼自身の近年の音楽性ゆえですよね。悠然とした広大なアメリカの大地をおもわせるようなフォーク、カントリー、ブルーズ、ゴスペル、ジャズ、ロックなど、さまざまなルーツ・ミュージックが渾然一体とした近年のいわゆるアメリカーナを表現する方向にロイドは向いているので(その点、ビル・フリゼールの貢献も大と思えます)、そんな世界でいぶし銀の歌を聴かせるルシンダとのコンビを考えたのでしょう。

 

アルバム出だしの「ディファイアント」の出来がとにかくすんばらしくて、もうぼくにとっては衝撃ですらあったほどの見事さで、なんなんですか、ロイドのこのテナー・サックス・ブロウは。二名のギターリストがからみあいながら創る空間で、印象的なハチロク(6/8拍子)のビートに乗って、ロイドは実に雄大な演奏を聴かせます。しかもこのフィーリングというか情緒感がこれまた物哀しくて切なくて、もう聴いていて感極まってしまうんですね。

 

ロイドのテナー・プレイは、ひょっとしたらいま絶頂期にあるのかもしれないとすら思えるほど、このアルバムでは絶好調じゃないでしょうか。切なくしかし力強い音色、怒涛の迫力ブロウ、大きくしかも細かくフレイジングしていく奔放自在なさま、リスナーの心にすっと自然に入ってきて揺り動かすような、そんな感動的な表情 〜〜 どこをどう切り取っても現在最高のジャズ・テナー演奏家かもしれないです。

 

アメリカのなにもない広大な大地を思わせるような、そんな悠然としたサウンドをつくるのに貢献しているのは、やはり二名のギターリストですね。ビル・フリゼールとグレッグ・リーズの二人をバンド・サウンド形成の中核に据えたことも、ロイドの目の確かさを物語るものですし、いま自分がどんな方向性の音楽を目指しているのか、そのためにはどんな演奏家を呼べばいいのか、しっかりわかっている証拠です。

 

アルバム・タイトル曲の3「ヴァニッシュト・ガーデンズ」では、バンド・メンバーの四人がまったく対等な比率でからみあいながら演奏が進むのも印象的で、ほとんどの曲でロイドを大きくフィーチャーしているだけに、ここではテナー、2ギターズ、ベース、ドラムスとみんなが同じように音を出しながらコレクティヴ・インプロヴィゼイションをくりひろげているのがおもしろいところです。

 

後半で熱く(特にドラマー)盛り上がる8曲目「アンサファー・ミー」を経て、アルバム・ラストの二曲は有名曲のカヴァーです。セロニアス・モンクの「モンクス・ムード」とジミ・ヘンドリクスの「エンジェル」。しかもこれら二曲では伴奏がビル・フリゼールひとりだけなんですね。「モンクス・ムード」ではロイドとのデュオで、「エンジェル」ではそれにルシンダの歌が入るトリオでという具合です。

 

それら二曲での落ち着いたフィーリングもなかなかの聴きもので、ぼくは大好きですね。こういった静かなムードで、動的なアルバムをしめくくったのには、ロイドのトータリティ志向があるんじゃないかと思います。「モンクス・ムード」のほうは標準的な演奏内容かもしれませんが(どっちかというとビルの生み出す空間を聴くものかも)、ジミヘン「エンジェル」はおそろしいと思いますよ。心の奥底から滲み出てくるような悲哀に満ちていますよね。三人ともすごい。

 

(written 2019.8.22)

2019/09/17

音楽で味わう幸福 〜 エラとルイのデュエット集

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https://open.spotify.com/album/07tbMxw9qeVsNIq0l7xBBX?si=OcPAN9F-TQSpQZ5FdKBoGg

 

昨2018年のリリースだったエラ・フィッツジェラルドとルイ・アームストロングの『チーク・トゥ・チーク:ザ・コンプリート・デュエット・レコーディングズ』。もう何回聴いたかわからないほど聴いています。こんなにも幸せな気分になれる音楽もなかなかありませんからね。ぼくにとっては最高の音の幸福なんですね。音楽命の人間ですから、音の幸福の最高ということは、人生で No.1のハピネスってことです。

 

『チーク・トゥ・チーク』は、おなじみ『エラ・アンド・ルイ』『同アゲン』『ポーギー・アンド・ベス』を基本として、エラとルイのデュオ歌唱集を、デッカでのシングル盤音源までふくめてあらいざらいぜんぶ集大成した、CD なら四枚組。サウンドの幸福感という点に絞って言えば、『アゲン』が終わる三枚目冒頭まででじゅうぶんじゃないでしょうか。やっぱり『ポーギー・アンド・ベス』パートに入ると雰囲気かわっちゃいますからね。

 

そんでもって『チーク・トゥ・チーク』四枚目は、ほんのちょっとのライヴ音源のほかは別テイク集ですから、これもあまり考えなくていいように思います。幸せな気分にひたれるのは、四枚八曲のデッカ・シングルズ、『エラ・アンド・ルイ』『同アゲン』分で、完全集 CD だと三枚目の2曲目までということです。『ポーギー・アンド・ベス』もいいんですけれども。

 

エラとサッチモのデュエット集となれば、ふつうみんな『エラ・アンド・ルイ』から思い浮かべるだろうなと思うんですけど、完全集『チーク・トゥ・チーク』ではその前にまずデッカ・シングル音源八曲からはじめています。たんに録音・発売順ということですけど、そうでなくともこの順序が大正解だと思えるんですね。だってこの八曲のフィーリング、極上じゃないですか。

 

デッカ・シングルズではジャズ・オーケストラが伴奏をつけています。そのビッグ・サウンドに乗ってエラとサッチモがシルクのようななめらかさで歌いつづっていくラヴ・ソングの数々。かけあいながら、ソロで、会話しながら、このリラクシングなムードを最高度にまできわめていますよね。ここまでのシルキーな音楽はなかなかないと思いますよ。ぼくからしたら、この『チーク・トゥ・チーク』こそ No.1のシルキー&メルティ・ミュージックです。

 

そのデッカ・シングルズからそうなんですけど、扱っているラヴ・ソングの歌詞のなかには、哀しく切なくさびしいロスト・ラヴがわりとありますよね。9曲目以後の『エラ・アンド・ルイ』『同アゲン』パートまでぜんぶふくめて見てみたら、どっちかというと失恋を歌い込んだもののほうが多いはず。想いが実っているようなハッピーなウキウキ恋愛歌は少ないんですね。

 

ところが、エラとサッチモが歌っているのを聴くと、そんなつらい感触などぜんぜんありません。あたたかく(夏なら涼しく)空調の効いた居心地のいい部屋のなかで、ロッキン・チェアにすわりながらくつろいで、ゆっくりと楽しんでいるような、そんなフィーリングで全体が統一されていますよね。これはたぶんかなり驚くべきことだと思うんです。どんな歌をやってもハッピー&メロウに聴かせる二名の歌手の実力の高さということですよ。

 

伴奏もそんな雰囲気に沿って実にいい感じのなめらかさじゃないですか。デッカ・シングル音源ではオーケストラですけど、『エラ・アンド・ルイ』『同アゲン』パートで伴奏をつとめるのはオスカー・ピータースン・カルテット。オスカーのピアノのほか、ハーブ・エリス(ギター)、レイ・ブラウン(ベース)、バディ・リッチ or ルイ・ベルスン(ドラムス)。

 

彼ら四名の伴奏ぶりも、熟達の腕前とはまさにこのことだというようななめらかさじゃないですか。四人とも決して目立たず、弾きすぎず、地味に地味に歌伴に徹していますが、ここぞというツボだけを着実におさえていくような、そんな名人芸をここに聴きとれます。どこでどんな音をどんなタイミングで置けば、エラやサッチモの歌(やトランペット)が最高度に輝いて聴こえるか知り尽くしている演奏家たちの、まさにプロの仕事です。

 

そんな円熟の極みのような伴奏に支えられ、フロントで歌う二名もつとめてムードを出すように、このシルキーな音楽をなめらかに表現するように、きれいにきれいに歌っています。これはしかし、決して甘い世界というわけじゃありません。伴奏者たちもエラもサッチモも、このなめらかできれいで白鳥のようなスムース音楽表現の水面下では、必死で水かきしている努力がうかがえますよね。

 

しかし表面的にはそれを絶対に見せないっていう、それがプロというものでしょう。演奏も歌も、最高のプロフェッショナルたちが揃って、失恋歌をかなり多くふくむラヴ・ソングの数々を、あくまでどこまでもやさしくやわらかく、メルティ&メロウに徹して創りあげた結果が、『チーク・トゥ・チーク』で聴けるシルキー・ハピネスなんですね。

 

まったく感服するしかない世界ですが、しかしふだんは聴いていてそんな考えにもおよびません。ただただ、この聴こえてくる楽しく幸せな音楽の世界に身も心もひたして、部屋のなかでゆっくりくつろいで 、日常の、人生の、細々したいやなこと、つらいことを忘れていくだけです。プロがプロの技に徹して届けてくれる音楽の最高娯楽、それが『チーク・トゥ・チーク』なんですね。

2019/09/16

ナンシーのモルナ集がいいよ 〜『マーニャ・フロリーダ』

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https://open.spotify.com/album/4aVnUc5xZKouziXNAVHr8S?si=calhLZv0R1qzeJATOsGerg

 

カーボ・ヴェルデの歌手、ナンシー・ヴィエイラの最新作『マーニャ・フロリーダ』(2018)。淡々としていて、実にいいですねえ。やっているのはだいたいモルナばかり。カーボ・ヴェルデ音楽のなかでもポピュラーな種類のものですね。ゆっくりと座って聴くような歌謡音楽です。カーボ・ヴェルデにはコラデイラやフナナーみたいなダンス・ミュージック系もあるんですけど、ナンシーのこの『マーニャ・フロリーダ』のなかでは少数です。

 

少数とはいえ、それらもなかなかいいっていうのが事実。アルバム『マーニャ・フロリーダ』のなかでは、たとえば5曲目の「Bocas di Paiol」がコラデイラですね。聴けばわかるように快活なダンス・ミュージックになっていますが、演奏も歌も出来がいいのではないでしょうか。オブリガートで入るソプラノ・サックスも効果的です。伴奏は、このアルバムもやはり基本ギター(系弦楽器)多重奏で、このコラデイラ・ナンバーでも変わりません。4曲目「Sô Um Melodia」と9曲目「Fé d'Um Fidju」も若干コラデイラ寄り(のモルナ?)かな。

 

でもこれらだけ。ほかはどこまでも歌謡音楽モルナなんですね。このアルバムでのナンシーはじっくりと歌を聴かせようっていう、そういう目論見があったんだなというのは間違いないと思います。しっとりと歌い込んで、現在カーボ・ヴェルデ No.1と言えるかもしれない歌のうまさを味わってもらおうっていうプロデュース意図だったのかもしれないですね。

 

アルバム全体を通して聴くと、ゆったりモルナ系ばかり続くので緩急に乏しく、だからちょっと一本調子に響かないでもないですね。だからそんなたいしたアルバムじゃないのかもしれないけど、でも当代随一のこの歌手の実力を味わうのにはもってこいの作品になっていると思いますよ。繊細微妙なヴォーカル・ニュアンスの変化、表情のつけかたなど、すばらしい歌のできばえだと言えます。

 

個人的にいちばん好きなのは、なぜか3曲目の「Les Lendemains de Carnaval」です。これ、でも曲題もそうだけど歌詞がフランス語ですよね。アルバムに収録されているのを聴くと、べつにフランス色はしないふつうのモルナ・ナンバーですけど、これ、どうしてフランス語なんでしょう?歌詞と曲を書いたのがセザーリア・エヴォーラとのコラボで知られるテオフィロ・シャントルですけど、セザーリアの歌ったなかにこの曲あったっけなあ。

 

ともかくナンシーのこの「レ・ランドマン・デ・カルナヴァル」は本当にいいと思います。最初ナイロン弦ギター一台だけでの伴奏でテンポ・ルパートで歌いはじめるパートから引き込まれますし、その後カヴァキーニョや打楽器なども入って軽くテンポ・インしてからも、ナンシーの歌はゆっくり落ち着いていて、じっくり聴かせるフィーリング。実にいいですねえ。その後、ゲスト歌手のラファエル・ラナデールが歌い、曲後半はナンシーとラファエルとの合唱で進むのもグッド。

 

(written 2019.8.19)

2019/09/15

カラオケの出現

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https://twitter.com/pitchfork/status/1148849358059843584

 

いまやすっかり世界で通じる国際語のカラオケ(Karaoke、カラオキ)。ピッチフォークのこの記事では、日本でこれが初登場したのが1971年だったとなっていますが、これは意外でした。もっと遅かったと思っていましたから。実際、ぼくがカラオケ装置というものに出会ったのは1982年に大学院に進学してからで、当時、カラオケ・バーみたいな場所に誘われてついていって歌ったというのが初体験でした。

 

いまでも鮮明に憶えていますが、当時、修士課程一年生のとき、東京都立大学大学院英文学課程の同級生中野くん(専門はシェイクスピア)に誘われて、院生数人で自由が丘のカラオケ・バーに行ったのです。東横線で都立大学駅の隣ですからね。これが人生初のカラオケ体験。中野くんは飲むのが好きなやつで、ぼくは下戸だけどみんなで楽しく騒ぐのは好きだから、八雲での大学院の授業が終わったあと、いっしょによく遊んでいました。

 

そのときぼくがなにを歌ったか、うまい歌だったのか、なんてことはどうでもいいです。上掲ピッチフォークの記事でカラオケを1971年の項に位置付けているのは、記事中にもありますように、井上大佑の主張をくんでのものですね。しかしカラオケを井上の発明としてしまうのはちょっとどうかとぼくは思います。生演奏による伴奏をぜんぶの機会で実行するのはかなり大変だからあらかじめ録音しておいてそのテープを…、という発想はもっと前からあったでしょうし、実行もされてきていたでしょう。

 

歌手や音楽家ではないぼくたち一般庶民がストレス発散の娯楽としてカラオケ(バーやボックス)で歌うという装置の登場が1971年と言われたら、最初に書きましたように意外なほど早かったんだなと感じますが、プロ音楽現場では、たとえばバック・バンドの演奏だけ先に完成させておいて、リード・ヴォーカルをあとから吹き込むという手法は、1960年代後半には一般的でしたからねえ。そんなのはいわゆるカラオケじゃないよ、と言われそうですけど、同じことです。そんな種類の発想からいわゆるカラオケが誕生したのは間違いありませんから。

 

マイナスワンということばをご存知のかたもいらっしゃるでしょう。たぶん歌というより楽器演奏練習法のひとつとしてあるものですが、曲の完成品から1パートだけ削除したもののことです。お目当の楽器の音だけ抜いたそれを聴きながら、その伴奏にあわせて自分の楽器を演奏して練習するんです。いつごろからあるのかなあ〜、もう死語だと思うんですけど、いわゆるカラオケの登場と相前後するのではないかと思うんです。ジャズの世界で使われることばなんですかね〜、マイナスワンって。よくわかっていません。

 

歌ということに話を限定すると、レコード収録などのスタジオ、あるいはラジオ放送、テレビ放送などで、完成品の録音済み伴奏を流して、歌手はそれを聴きながら現場で歌うという手法は1960年代からあったんじゃないかと推測します。娯楽目的の一般のファン向けにも、マイク入力つきの8トラ・ミュージック・ボックスや伴奏用ミュージック・テープなどが、いわゆるカラオケ普及前から存在したみたいですよね。

 

ですけれども、いわゆるとくりかえしておりますように、みんなが知っているあのカラオケ装置の爆発的普及以前と以後とで、ぼくたち一般のファンがふだん歌を歌って享楽のひとときを過ごすという体験が根本的に変化したのは間違いありませんよね。それがぼくの実感だと1980年代初頭ごろからだったんですけど、実際にはもっと早かったんでしょうね。

 

一般にカラオケは演歌やそれに近い歌謡曲分野を中心に、まずは普及していったと思うんですが、それらの分野、特に演歌かな、ある時期以後はシングル CD を発売する際にも、メインの歌とカップリング曲のあとに、カラオケ・トラックを収録してあるのが一般化していますよね。大好きな岩佐美咲ちゃん(わさみん)も例外ではありません。

 

わさみんのシングル CD に入っているカラオケ・トラックのばあい、しかしぼくたちファンの娯楽用というだけではない目的があるかもしれないです。歌唱イベントやコンサートでのわさみんは、基本、カラオケ伴奏で歌っているからです。CD 収録のものを(短縮編集したりもして)使っているのではないでしょうか。そんな気がします。

 

ほぼ毎週末ごとに全国各地で行われているわさみん歌唱イベントでは、その現場その現場の音響スタッフさんがオケをコントロールして流すわけですから、どこで歌唱イベントやるかによってその担当者はかわります。だからその際、どなたが担当なさろうとも同じオケが流れるようにしておくのは、わりと大切なことなんじゃないかと思えるんですね。

 

わさみんだけでなく演歌系の歌手のみなさんはどんどん各地でイベントをやり、ショッピングモールのなかの広場や、レコード・CD ショップなどのイベント・スペースなどで歌っているのが通例だと思いますが(いわゆる地方営業)、そんな歌手のみなさんも、たぶんですけど、わさみんみたいにシングル CD 収録の作成済みのカラオケ伴奏を流して、それにあわせて歌っているんじゃないかという気がするんですね。

 

いわゆるカラオケ装置って、最初は一般のリスナー、音楽ファンの日常の娯楽に供するために開発・提供されたものに違いありません。もちろん上で書きましたようにその起源は、プロ歌手が、ある時期以後は完成済みの伴奏をスタジオで聴きながらレコード収録などやるようになっていたことにあるとは思いますが、現在のいわゆるカラオケは、ファンのためのものです。

 

それが、わさみんや演歌系のみなさんなど、最近はプロ歌手でも現場で使うようになっているというのはなかなかおもしろい現象ですよね。もちろん、プロ歌手の歌唱現場での伴奏がカラオケでいいのか?!という疑問というか不満を表するかたは一定数いらっしゃるようですね。理解はできる気持ちなんですけど、たとえばわさみんも機会を捉えて生バンド演奏で歌ってはいるんですよね。

 

それにですね、どんなに立派なプロ歌手だって、レコードや CD 収録などの際に生バンドとの一発同時演唱でやる、やれる、というかたが、はたしてどれほどいらっしゃるのでしょうか?ずいぶん前に、生前の美空ひばりさんが原信夫さんのシャープス&フラッツを従えて、一発同時演唱でレコード収録をしていらしたと、読みました。

 

そんなのは伴奏者の側にもたいへんに高い緊張が要求されるんですね。前で歌う歌手が完璧な歌を聴かせている真っ最中に、もしミス・トーンでも出したらすべてがオジャンですからね。またぜんぶいちからやり直しとなります。歌うほうも伴奏するほうも、かなり神経すり減らすのではないでしょうか。完成品の精度・練度を簡便に上げるという意味では、伴奏トラックだけを先に完成させておいて、スターである歌手はあとから、そのカラオケを聴きながら歌入れする、これがある時期以後は一般化したはずですし、いまはほぼ全員がこのやりかたで行っていると思いますよ。

 

(written 2019.7.27)

2019/09/14

野太い真性アフロビート・ジャズ 〜 マイケル・ヴィール

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https://music.apple.com/jp/album/vol-two/1445521828?l=en

 

Astral さんに教えていただきました。
https://astral-clave.blog.so-net.ne.jp/2019-08-12

 

イエール大学で教鞭をとる音楽学者、マイケル・ヴィール。フェラ・クティやアフロビート研究の世界的権威らしいんですが、もうひとつの顔がミュージシャンということで、担当楽器はエレキ・ベースです。やっている音楽もド直球なアフロビート。しかもジャズ・フュージョンふうにアダプトしたとかいうんじゃなく、もろそのまんまなフェラ・クティ仕様のアフロビートをやって、それをジャズに展開しているっていう、そういう音楽家です。

 

そんなマイケル・ヴィール&アクア・イフェの最新作が『Vol. Two』(2018)。これがすごいんですよね。重たくずっしりくる正統派、王道のアフロビートで、なおかつそのままジャズをやっています。こういうのはアフロビート・ジャズっていうんでしょうか、ジャズ・ミュージシャン、DJ、プロデューサーたちのあいだでもアフロビートは人気で、どんどん取り入れ横断されていますが、このマイケル・ヴィールのやりかたはひとあじもふたあじも違います。

 

さすがはフェラ・クティ研究家だけあるっていう、野太い剛球ストレートなアフロビートを展開していて、それはリズム・パターンだけ拝借した(とかいうものは多いし、ぼくは決して嫌いじゃないというか大好き)んじゃありません、バンド・アンサンブルまるごとがフェラ・クティ・マナーなんですね。これはアフロビートが先かジャズが先かわからないっていうような、完璧な一本化じゃないでしょうか。

 

そのへんとてもよくわかるのが4曲目の「スーパー・ノーヴァ」です。そう、ウェイン・ショーターのあの曲ですね。ここでのマイケル・ヴィール・ヴァージョンだと、まずソプラノ・サックス・ソロがあって、そのあとにホーン・アンサンブルでかの有名テーマが演奏されます。そこを聴いてほしいんですけど、フリーなアヴァンギャルド風味だったウェインのあれが、完璧なアフロビート・アンサンブルに変貌しているじゃないですか。

 

しかも「スーパー・ノーヴァ」でも、この野太いグルーヴに貫かれています。リズム・セクションが、といった次元ではなく、バンド全体の出すサウンドにゴッツイ感じがありますよねえ。これ、もともとはジャズ・ナンバーだったんですからねえ。いやあ、ここまでのアフロビート仕様なジャズが仕上がるなんて、マイケル・ヴィール、すごいなあ。「スーパー・ノーヴァ」だけでなく、収録曲はどれも熱くごりごりハードなグルーヴをしていますよね。決してシャープじゃない(いい意味で)。

 

ヴォーカルはいっさいなしのマイケル・ヴィール『Vol. Two』。上に乗るサックスなどの管楽器ソロもたいして意味を持っていないようにぼくには思え、なんたって聴きどころはこのバンド・トータルでのグルーヴの野太さにあると思います。やっぱりアフロビートって聴くのにちょっと気合がいるなというのはこのアルバムでも変わらない印象なんですけど、準備万端で聴けば最高のジャズ作品のひとつが登場しました。ぶっといグルーヴに身をひたしたい気分のときはこれ以上ないアルバムです。

 

(written 2019.8.17)

2019/09/13

ザクザク気持ちいいジュニオール・フェレイラのアコーディオン

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https://open.spotify.com/album/4dmztbYKuEFHMC4Q5eCDJM?si=TZWW9lpoT9qpb1q6z8BQew

 

bunboni さんに教わりました。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2019-07-20

 

ブラジルはバイーア州出身らしい新人アコーディオン奏者、ジュニオール・フェレイラ。そのデビュー・アルバム『カーザ・ジ・フェレイラ』(2018)は、個人的にショーロ作品だと感じます。バイーア人らしいリズムの快活さ、多彩さも目立つ愉快な『カーザ・ジ・フェレイラ』で、本人は歌ってもいますが、そっちのほうはぼくはイマイチ。やっぱりアコーディオンの腕前の確かさにうなりますね。

 

だからアルバム『カーザ・ジ・フェレイラ』でも2曲目の出だしからオオッ〜ってなるんですね。リズムはいかにもバイーアふう。ドラマーのリム・ショットも効いていますが、その上にばば〜っとアコーディオンのサウンドが小気味よく乗ってきたらも〜う快感ですね。途中のエレキ・ギターふくめ、アド・リブ・ソロも歌心満点で、それはやっぱりショーロのそれ由来だなと思わせるのも好感度大。

 

4曲目、5曲目、7曲目、8曲目、11曲目、12曲目と、ほ〜んとリズムのおもしろい曲が多く、カヴァー・ソングもありますけど、ジュニオールの自作だといかにもやっぱりバイーア出身だけあるなというリズム感覚です。しかもその上に自身の軽快な小気味いいアコーディオンが乗ると、心地良いのひとことです。さわやかで、サッパリしていて、ほ〜んと軽やかで気持ちいい!

 

しんみりしたバラード系みたいなのも聴きもので、特に6曲目「Jorge do Fusa」、そしてなんといっても10曲目「Mais Que Bem Querer」は特筆すべきいい出来です。後者なんか、伴奏はいっさいなしのアコーディオン一台だけでの弾き語りなんですもんね。いちおうゲスト・ヴォーカリストがいますけど、ここまでできるジュニオールのアコと歌(もここではグッド)に感心します。ガロートの書いた前者でも、冒頭の無伴奏ソロ部なんか思わずグッと引き込まれるすばらしさ。

 

アルバム最大の聴きもの、白眉は、ぼく的にはラスト12曲目の「Assovio de Cobra」ですね。高速ナンバーなんですけど(フレーヴォ)、アルバム中これでだけホーン・アンサンブルが起用されています。ビッグ・バンドふうにも響くその管楽器のサウンドがこれまた歯切れよく、ジュニオールの弾くアコーディオンとからむと、なんともいえないさわやかみがありますね。サックスやトロンボーンのソロなんかもありますが、やっぱりその後のジュニオールのアコ・ソロのテクニシャンぶり、それなのにそうと感じさせないさわやかな軽快さにゾッコン参っちゃいました。

 

(written 2019.8.16)

2019/09/12

わりかしふつう、ラテン・ジャズ最前線??〜 カーティス・ブラザーズ

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https://open.spotify.com/album/4pmkKBYuZRCoS78iBFsOAb?si=KQ-gCQvkRLu8H43ofWTKDQ

 

<ラテン・ジャズ最前線>などという謳い文句をみかけたので、それについついうっかり釣られて聴いたカーティス・ブラザーズの最新アルバム『アルゴリズム』(2019.8.23)。これ、しかしふつうのハード・バップ作品じゃありませんか。ことさらラテン・ジャズというほどの内容じゃないよう〜。いま2019年にこういった1950年代的ハード・バップがどこまで意味を持っているのかわかりませんが、でも最近ふだんは聴かなくなっているスタイルですから、かえってちょっぴり新鮮で、最後まで聴いちゃいました。そんでもって、ほんのりかすかにはラテン色がありますね、たしかに。

 

ラテン・ジャズ云々と言われるのは、カーティス・ブラザーズの実体であるベーシストの弟ルケス・カーティスと兄であるピアニストのサッケイ・カーティスがプエルト・リコ系のジャズ・メンだからじゃないでしょうか、たぶん。でもってラテン、サルサ系の音楽家との共演キャリアもしっかりあって、といったような両名の素性・経歴でもって、そんなレッテルを貼られているということだろうと思います。

 

しかし中身はふつうのハード・バップである『アルゴリズム』収録の九曲はすべてサッケイが書いているらしく、またバンドのメンツはピアノとベースのカーティス兄弟に、ブライアン・リンチ(トランペット)、ドナルド・ハリスン(アルト・サックス)、ラルフ・ピータースン(ドラムス)。そしてどうやらこのアルバムはライヴ収録のようですね。

 

ごくごくあたりまえにふつうのハード・バップである1曲目「スリー・ポインツ・アンド・ア・スフィア」で幕開け。この後も基本この路線で進むんですが、なかにところどころラテン・ジャズっぽい演奏も出てきますので、そういった部分だけメモしておきます。2曲目「ファイ」でドラマーのラルフ・ピータースンがちょっとおもしろいキューバン・ビートを叩き出していますね。サッカイのピアノとあいまって、ちょっぴりボレーロ/チャチャチャっぽいといえるかも。ホーン・アンサンブルもそんな感じですね。

 

ドラマーのことを書きましたが、実際このラルフ・ピータースンは、今作においてはカーティス兄弟以上の主役ですね。あたりまえの4/4拍子のメインストリームなジャズ・ビートを演奏しているときにでも、手数多めでにぎやかで、ややポリリズムっぽい入り組んだリズムを表現していますよね。このアルバムを最後まで飽きずにぼくがなんども聴けたのは、ひとえにラルフのドラミングのおかげと、あとはベテラン、ドナルド・ハリスンのパッショネイトなアルト・サックス・ソロのおかげです。

 

4曲目「パラメトリック」。これは完璧なラテン・ジャズだといえましょう。いやあ、こういった曲や演奏はいいですねえ。サッカイのコンポジションもピアノ演奏も見事です。各人のソロ内容もいいですが、やはりぼくはそれらのバックでサッカイが弾くややサルサっぽいノリのブロック・コード伴奏と、ラルフのポリリズミックなドラミングに耳が行きます。

 

ラテン・ジャズとはいえないものの、かなり美しいバラードである5曲目「トーラス」を通過し、7曲目の「アンディファインド」。これがかなりの聴きものです。ストレート・ジャズとラテン・ジャズの中間あたりにあるような曲ですけど、熱量がハンパじゃないです。各人のソロ内容も、特にドナルドのアルトなんか、聴いているこっちが溶けそうになるほどパッショネイトですし、みんなの背後でラルフがこれまた壮絶なドラミングを展開しているのが白眉ですね。いやあ、この7曲目の演奏はマジすばらしい。

 

この激アツな7曲目をアルバムのハイライトとし、あとは一種のクール・ダウンみたいなもんですね。しかしラストの9曲目「センセイ」は特筆すべき出来ですよ。このラスト・ナンバーだけホーンはおやすみのピアノ・トリオ演奏なんですけど、三者が三者とも複雑なラテン・リズムを、それもかみあわないズレたそれを各々がレイヤーしているんです。ことにピアノのサッカイとドラムスのラルフのスリリングなインタープレイには耳を奪われますね。この三人でこういったラテン・ポリリズミックなピアノ・トリオ作品を創ればいいのに。そう思わせるほどチャーミングに聴こえます。

 

(written 2019.9.10)

2019/09/11

アイリッシュ・フィドル・ミーツ・インディ・クラシック 〜 マーティン・ヘイズ

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https://open.spotify.com/album/2iGUlszOxQeRFb7x31UiP0?si=JO_ndURjQbymyvLPymoPvQ

 

これってクラシック音楽のアルバムかと思っちゃいますけど、実際そういった側面はあるかと思います。アイリッシュ・フィドルの演奏家マーティン・ヘイズの新作『ザ・バタフライ』(2019.8.9)。共演しているのがブルックリン・ライダーという、ロック・バンドみたいな名前ですけど、インディ・クラシック界の弦楽四重奏団なんですね。ジャケットで正面向いているのがマーティン、横向きの四人がブルックリン・ライダーで、『ザ・バタフライ』はオール・インストルメンタル作品です。

 

バンド名のとおりニュー・ヨークはブルックリンを拠点に活動しているらしいブルックリン・ライダー。ヨーヨー・マと関係があるみたいですけど、ふだんは現代音楽のフィールドに身を置きながら、同時にフィールド外の、世界のさまざまな音楽にチャレンジし共演したりしてきているようなので、だから今回のマーティン・ヘイズとの共演もブルックリン・ライダー側から持ちかけたアイデアだった可能性があるのかも。

 

アルバム『ザ・バタフライ』でとりあげられているものは全12曲中ふたつだけを除きアイリッシュ・トラッドばかりです。だからこの点ではブルックリン・ライダー側がマーティン・ヘイズ側に寄った内容かもしれませんが、しかしそれらのアレンジはいずれもブルックリン・ライダーのメンバーがやっているので、まあそれは内容を聴けばわかることですけど、ということはアダプト、解釈では現代音楽側にあるような作品なのかもしれないんですね。

 

実際、このアルバムはやや不思議な肌ざわりを持っていますよね。以前からくりかえしていますようにアイリッシュ・フィドル(の特にスウィング感)が大好きなぼくで、『ザ・バタフライ』もアイルランド人フィドル奏者の作品ということじゃなかったら聴かなかったろうと思うんですけど、インディ・クラシック界の弦楽四重奏とはこんな感じなのか、というのは実は今回はじめて知ったんですね。しかし上に乗っているというか、マーティンのフィドルはどこまでもアイリッシュ・スタイルを貫いています。

 

そんなマーティンのアイリッシュ・フィドルとブルックリン・ライダーの調性感のうすいストリング・カルテットがうまく混ざり合っているのかどうか、よくわかりませんが、わりと相性はいいんですね。聴いていてとくに違和感がないです。アイリッシュ・トラッドの持つ独特の土着性、泥くささみたいなものはとことん薄められ、イメージが180度くつがえっていますが、ハナからこういう音楽が存在するんだと思わせる説得力はあります。

 

またアイリッシュ・トラッドをそのままアイルランドのバンドが演奏するときのようなスウィング感もほぼありません。でもここはブルックリン・ライダー側も腐心して、曲によってはけっこうスウィンギーに聴こえるばあいもあります。というかそんなものをインディ・クラシックに求めるのはおかしいのかもしれませんが、なにしろマーティン・ヘイズがアイリッシュ・スタイルを崩さず弾いていますから。

 

泥くさいアイリッシュ・トラッドの世界と透明感の強いインディ・クラシックの世界とのちょうど中間あたりに着地したように聴こえるアルバム『ザ・バタフライ』。融通のきくマーティンが、それでもこのスタイルを貫いていなかったら個人的にはイマイチだったかもしれませんが、伝統的なアイリッシュ・フィドルが聴こえるおかげでうまくインディ・クラシック入門できたかもしれないです。

 

(written 2019.9.8)

2019/09/10

メンフィスへ 〜 フォイ・ヴァンスのアメリカーナ

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https://open.spotify.com/album/5DtQQgT9d9Ut0I5SoZYfPJ?si=K4D2GikfQnCK1rMauxbLCQ

 

北アイルランドのシンガー・ソングライター、フォイ・ヴァンス。今2019年6月の『フロム・マスル・ショールズ』は、こりゃあやりすぎと思うほどの一本気なサザン・ソウルまっしぐらでしたね。ところでこれしかしレコードも CD も見つけられなかったんですけど、どこで入手できるんでしょうか?どなたかマジで教えてください。
http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-13ba2d.html

 

このアルバムがリリースされたとき同時に来たる九月には『トゥ・メンフィス』という、アメリカーナをテーマにした今年二作目をリリース予定であることが、すでにアナウンスされていました。はたしてそのとおり9月6日に出たというわけです。ジャケット・デザインも同一基軸だし、アルバム題だって「フロム・マスル・ショールズ・トゥ・メンフィス」と展開できますね。

 

キリスト教の宗教色も強く漂う九月の新作『トゥ・メンフィス』でのフォイ・ヴァンスは、ぼくの聴くところ、1960年代末のザ・バンドによく似ているなと思います。ザ・バンドはひとりのアメリカ南部人の持つアメリカーナ的要素を、ほかのカナダ人が解釈・展開してみせたバンドだったわけですが、フォイ・ヴァンスも米南部からすれば異邦人、北アイルランドの人間です。

 

フォイのばあいは、ザ・バンドにおけるリヴォン・ヘルムみたいな役割のパートナーがいないと思いますから、みずからアメリカ南部音楽のアメリカーナの深奥にわけいって、今度はそれをある意味客体化し、整然と聴かせる成果にまで持ってくるという、これらぜんぶをたったひとりでこなしているわけでしょう。

 

実際、『トゥ・メンフィス』で聴ける音楽は(同郷のヴァン・モリスンなんかにもやや相通ずる)カントリー・ソウルみたいなものを中心とし、もっとグッと深いゴスペル風味、アメリカーナ的カントリー・フォーク、あるいはブルージーなもの、ストレート・ソウル、さらにはカリブ音楽テイストまでとりいれて、それらを渾然一体化してロック・ミュージックというスープに仕立て上げるという、要はザ・バンドの2019年版 by 北アイルランド人とでもいったところでしょうか。

 

かつてのザ・バンドにあまりなかったもので、個人的に興味深いなと感じるのは2曲目「オンリー・ジ・アーティスト」と4「ハヴ・ミー・マリア」で聴ける鮮明なカリブ音楽風味です。アルバム全体はややテンポのないようなふわっと漂うようなビート感をしていますから、これら二曲ではっきりとラテン・シンコペイションが聴けて、また4曲目はまごうかたなきアバネーラ(跳ねる二拍子)で、ぼくなんかにはうれしいところです。

 

考えてみれば、19世紀末〜20世紀初頭のアメリカの大衆音楽が姿かたちを整えたころには、カリブ/ラテンな音楽要素は、特にアバネーラとクラーベが、しっかりあったんでした。そういったものをルーツとして根底に置きつつ、アメリカン・ポップ・ミュージックは成立したんですよね。それもメンフィスのような南部の都会を舞台にして。

 

メンフィスは、米南部にあって、この大陸にある各種音楽のまじわる要衝でした。アメリカ大衆音楽史上、最重要地点だったと言ってもさしつかえありません。そんなメンフィスへたどりついたフォイ・ヴァンスのアメリカーナの旅は、同じ南部のサザン・ソウルをとことん煮詰めて究めた六月の『フロム・マスル・ショールズ』からそのまま一直線を描いているんでしょう。

 

(written 2019.9.9)

2019/09/09

ショーロ新作二題(2)〜 典雅なエポカ・ジ・オウロ

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https://open.spotify.com/album/73EofgQvUUid1jNXa2v4Up?si=-D7YQ0_zS2KhnYSDocSpzw

 

ブラジルの名門ショーロ・バンド、コンジュント・エポカ・ジ・オウロ。今年の新作『ジ・パイ・プラ・フィーリョ』(2019.7.3)のジャケット・デザインはどうしてこんなにも瀟洒なんでしょうか。楽団名なんか金で押箔されているんですもんねえ(インナー・ブックレットでも同じ)。そのほかパッケージはいかにもクラシカルな雰囲気横溢で、この名門バンドのことや、そもそもショーロという音楽のありよう、伝統をそのまま表現したようで、これを眺めながら中身を聴くだけで贅沢な気分が味わえて、実にいいです。

 

偉大なジャコー・ド・バンドリンを創始者とするこのコンジュント、現在のエポカ・ジ・オウロはバンドリンのロナウド・ド・バンドリンを核とする六人編成。バンドリン、ギター、7弦ギター、カヴァキーニョ、フルート、パンデイロです。今年の新作でもどの曲も基本的にはこのメンツで演奏されています。いろんな曲をとりあげていますが、アレンジはロナウドが担当しているものが多いみたいですね。メンバーのなかでは、たとえば7弦のジョアン・カマレーロなんかも目を惹くところ。パンデイロのセルシーニョは、ジョルジーニョ・ド・パンデイロの息子です。

 

『ジ・パイ・プラ・フィーリョ』で聴ける新進の特色は、三曲で多重録音が駆使されていることでしょうか。主にフルートのサウンドを重ねて、まるで複数のフルート奏者が合奏しているような、やわらかい木管のふくらみを持たせ、バンド・サウンドに丸みを帯びさせているのが成功していると思います。別の一曲ではセルシーニョがパンデイロだけじゃない打楽器をオーヴァー・ダブして、がちゃがちゃとしたリズムの華やかさを出す工夫も聴けますよ。

 

アントニオ・ローシャの吹くフルートは、このアルバム『ジ・パイ・プラ・フィーリョ』の主役だと思うんですね。ロナウドの参加していない曲はすこしありますが、アントニオが吹かない曲は一つもないですからね。どの曲でも主旋律を(ばあいによっては多重録音で)担当し、弦楽器がその伴奏をしたりカウンター・パートを演奏するというパターンが多いです。このアルバムを聴いて最も耳に残るのがフルートのサウンドでしょう。

 

実際、フルートは(ギター、パンデイロなどとならび)ショーロにおけるいちばん伝統的かつ一般的な楽器のひとつです。常にどの時代でもコンジュント編成だと旋律を演奏する主役を担ってきました。ブラジル音楽の父とまで言われるかの黄金のピシンギーニャもフルート奏者(のちにテナー・サックス)でしたし、1930年代サンバ・ショーロ全盛期の代表的名手ベネジート・ラセルダにしてもそうでしたね。

 

エポカ・ジ・オウロのアントニオも、2019年にそんな伝統を背負って立つにふさわしいフルート演奏の風格と、それでもなおかつリキまないショーロならではの軽み、やわらかさをよく表現できています。ユーモア感覚もじゅうぶんで、これでこそ名門ショーロ・コンジュントのフルート奏者にふさわしい柔軟性を存分に発揮していると言えましょう。

 

アルバム『ジ・パイ・プラ・フィーリョ』では、ほぼどの曲も典雅でクラシカル。エレガントに舞いただよっているような、そんなムードに満ち満ちているんですね。ショーロはもともとストリート・ミュージックでしたが、誕生した19世紀後半の早い時期に、室内楽的なみやびを身につけました。実際、クラシックのチェインバー・ミュージックと区別できないそんな感じも、現代ショーロ最大の特色のひとつです。

 

エポカ・ジ・オウロの新作『ジ・パイ・プラ・フィーリョ』は、いちばん上でジャケットの雰囲気のことを言いましたが、中身もまさにその同じクラシカル路線をとっていると思うんですね。このアルバムはクラシック音楽作品ではありません。がしかしどこからどうっていう線引きをキッチリやるのは、ブラジル音楽ではあまり意味のないことなんですね。特にショーロだとそうです。

 

今回の新作では、しかしそんななかに、3曲目「ジ・パイ・プラ・フィーリョ」、6「ボラ・ナ・レデ」のように軽快にスウィングするものがあったり、7「タヤン・ノ・マリーニョ」(ルイス・バルセロス作)のようにリズムの激しい華やかなエキゾティズムも聴かれ、もちろんしっとり泣くようなサウダージ系ショーロも複数織り交ぜつつ、ラスト12「メストレ・ピシンガ」は爽快なポルカでズンズン進む感じです。このラスト・ナンバーではアントニオがフルートだけでなくピッコロも多重録音していて、まるで小鳥のさえずりのような軽快なかわいらしさが耳を惹きますね。

 

(written 2019.8.21)

2019/09/08

エンリッキの世界カヴァキーニョ歩き 〜 ショーロ新作二題(1)

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http://elsurrecords.com/2019/07/31/henrique-cazes-musica-nova-para-cavaquinho/

 

ところでエンリッキ・カゼス(ブラジル)のアルバムって、どうしてどれもこれも Spotify にないんでしょう?これじゃあまるで山下達郎みたいじゃないですか。聴けるのは『ポケット・ピシンギーニャ』と『エレトロ・ピシンギーニャ』だけというに近くて、ピシンギーニャ関連だと解禁になるんですかね?わかりませんが、もったいないことです、この現在最高のショーロ・カヴァキーニョ奏者の音楽をシェアできないじゃないですか。

 

まあしょうがないです。そんなエンリッキの今2019年最新作が『ムジカ・ノーヴァ・パラ・カヴァキーニョ』で、ショーロのカヴァキーニョを徹底的に追求したような内容になっているんですね。プロデュース意図としてはやや学究的というか、そういった側面も強く持っている音楽家だけに、と思うんですけど、CD をとおして聴くと立派なエンターテイメントになっていて楽しめるのがさすがというかショーロだけにというか。

 

それでも3トラックだけエチュードが収録されているのがこのアルバムらしいところですね。エンリッキのカヴァキーニョ独奏で、指ならしみたいな練習曲です。曲はエンリッキ自作で、ショーロ・カヴァキーニョの歴史を研究してきた何十年というこのひとのキャリアがにじみ出ている、そんな成果発表みたいなものでしょうか。でも演奏技巧を楽しめるものではあります。

 

また、アルバム中いちばん長い七分以上ある9曲目が「カヴァキーニョと7弦ギターのためのディヴェルティメント」になっているのも特徴的。ディヴェルティメントとはクラシック音楽用語で、遊奏曲とでもいったところ。これもエンリッキの自作ですが、曲題どおりの二台のデュオで、エンリッキの相手役はジョアン・カマレーロ。3パートで構成されているこれは典雅な雰囲気で、ゆっくりくつろげますね。

 

その9曲目のディヴェルティメントのクラシカルなデュオ演奏が終わった次の10曲目ではパッと世界がひらけて、特にヴァイブラフォンのサウンドも入っているのが耳を惹く軽快なエンターテイメント。ショーロでヴァイブってなかなか珍しいじゃないですか。エンリッキのカヴァキーニョと同じくらいけっこうフィーチャーされていて、明るく暖かで、アルバム中きわだったサウンドを聴かせてくれています。

 

続く11曲目のカヴァキーニョとチェロ二重奏のエチュードが終わったら、アルバム・ラスト12曲目の「エスキジティーニョ」です。これはアコーディオンも入るコンジュント編成。リズムがちょっとエキゾティックで、ややタンゴっぽいザクザク刻みながらハネる、そんなおもしろ風味なんですね。パーカッションのベトも控えめながら活躍しています。だれかがソロをとるというよりみんながからみあいながら演奏が進みますが、そのあいだを縫うようにエンリッキのカヴァキーニョが走ります。

 

さて、アルバム『ムジカ・ノーヴァ・パラ・カヴァキーニョ』は、まずヴァルジール・アゼヴェード作のかっ飛ばす痛快速カヴァキーニョ・ショーロ「ヴィラヴォルタンド」で幕開けするんですね。こういったものはエンリッキのカヴァキーニョ追求の最大の成果でありつつ、聴き手の耳を楽しませる最高のエンタメですよね。実際、聴いていて実に気分よくスカッとしますもん。

 

その後はいかにもショーロっていうようなしっとり系のサウダージを聴かせる感傷的な泣き(ショラール)のショーロ(2)やヴァルサ(3)なども織り交ぜつつ、軽くて明るいなかにやや湿ったサウダージのこもった曲が来たかと思うと(4、ベトにも注目すべきリズムのハネ)、5曲目はアゼヴェードに捧げた中庸テンポのエンリッキの自作で、全面的にカヴァキーニョがフィーチャーされています。

 

うんまあカヴァキーニョ・フィーチャーはアルバム全体をとおしてそうなんで、そんなアルバムをエンリッキは創ったわけですから、だいたいぜんぶそうですね。ショーロ史やカヴァキーニョ奏法についての長年の研究成果が、決して小難しい学問的作品ではなく、愉快に楽しめる娯楽ショーロ作品になって結実した、見事な一作と言えますね。

 

ライスから日本盤も出るんでしょ、これ。

 

(written 2019.8.19)

2019/09/07

マイルズ『ラバーバンド』発売さる

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https://open.spotify.com/album/0m3hXmvbvwjpIXai7HOWys?si=wvb1eBRMSWWUzLB84LznDw

 

本日9月6日、マイルズ・デイヴィスの未発表新作アルバム『ラバーバンド』が発売されました。フルに聴けるようになりましたので、ちょっとした感想メモを残しておきます。どのお店で買っても CD の到着はすこし先になるみたいですから、それが届いてまた新規に書くべきことあらば、そのときにあらためて。

 

マイルズの失われた幻のアルバム『ラバーバンド』については、このブログでもいままでに四回書きました。これらは主にラバーバンド・セッションの事情と、2018年に先行発売されていた表題曲「ラバーバンド(・オヴ・ライフ)」(の各種ヴァージョン)についてと、そして今日のアルバム・リリース決定にかんして記したものですね。

http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2018/04/post-b4d9.html
http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2018/12/down-blue-7ca8.html
http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/06/post-c5c347.html
http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/06/post-79962a.html

 

アルバム全体が不足なく聴けるようになりましたので、その第一印象はといいますと、2010年代末的な今様の R&B っぽく仕上がっているコンテンポラリー・ミュージックと、いかにも1980年代的なフュージョンっぽいサウンドとが混在しているなということです。どこまでがオリジナル・レコーディングでどこからが今回のポスト・プロダクションなのか、音を聴いただけではあまりわかりませんのでそのことはおきますが、古くさく響くどのインストルメンタル曲も全体的にブラッシュ・アップされているような気はします。

 

強いビートの効いたアッパー・ファンクは、だいたいどれも1980年代的フュージョン・サウンドですよね。あの時代、ブラック・コンテンポラリーと呼んでいたものにも近い感じがあります。「ディス・イズ・イット」「ギヴ・イット・アップ」「メイズ」「ザ・リンクル」、そしてアルバム・ラストの「ラバーバンド」などがそうです。ちょっとビートもサウンドも古くさく感じてしまいます。1985/86年のレコーディングですからもちろんそうなりますけれども。

 

やや興味深いのは「メイズ」でしょうか。ラバーバンド・セッションの実施時期は1985年の10月以後の数ヶ月なんですが、先立つ85年7月の来日公演(よみうりランド)で演奏されていた曲です。FM 放送されたソースからブートレグ CD になったその音源と比較しますと、7月の東京ライヴではボス、ボブ・バーグ(テナー・サックス)、ジョン・スコフィールド(ギター)の順で若干長めのソロまわしが続き、それをつなぐフックとして(テーマ・)リフが演奏されていました。

 

『ラバーバンド』ヴァージョンの「メイズ」ではマイルズ以外のソロはあまりなく、ソプラノ・サックスを軸とするリフ演奏が主体で、あとはリズム。つまりグルーヴで聴かせるワン・ナンバーになっていますよね。合奏されるリフはライヴとスタジオで同じなんですが、音楽の組み立てがかなり違っています。またテンポやグルーヴ・タイプも、スタジオ版のほうが遅く落ち着いてやや暗い、ダウナーなフィーリングに変化しています。

 

また、「ギヴ・イット・アップ」は、ちょっとレア・グルーヴっぽいノリを持った曲で、1990年代的なフィーリングもあるかと思います。リフ合奏のパートとトランペット・ソロの一部は、1992年リリースの『ドゥー・バップ』のためにイージー・モー・ビーがサンプリングして転用していますよね。そっちをずいぶん前から耳タコになるほど聴き込んでいるせいでレア・グルーヴっぽいと感じるのかもしれません(「ハイ・スピード・チェイス」)。

 

それから、『ドゥー・バップ』にかんするイージー・モー・ビーの説明によれば、そのアルバムの曲「ファンタシー」では、ラバーバンド・セッションでの「レッツ・フライ・アウェイ」という曲からトランペット・ソロをサンプリングしたとなっていますが、そんなタイトルの曲は今回ありません。でもこれはたぶん「パラダイス」となっているものがそれじゃないかと思います。同じオープン・ホーンの、ソロ・パートが(部分的に)同じですから。

 

その「パラダイス」は、今回発売されたアルバムで女声ヴォーカルをフィーチャーしているにもかかわらず今様のコンテンポラリー・サウンドではないものです。ナイロン弦ギターやフルートなんかも使われている、ややフラメンコっぽい曲調のスパニッシュ・ナンバーですね。スパニッシュ好きのマイルズ、やはり一曲はレコーディングしていたということでしょうか。今回ヴォーカルをオーヴァー・ダブして曲題も変更したんでしょうね。

 

前段で書きましたように、アルバム『ラバーバンド』で聴ける女声ヴォーカル入りのものは、「パラダイス」以外、まさにいま、2019年という時代にフィットするフィーリングの R&B っぽい、ブルーでダウナーでダークな今様 R&B に仕上がっていますよね。これは発売に際してのランディ・ホール、ゼイン・ジャイルズ、ヴィンス・ウィルバーン三名のプロデュース・ワークのたまものでしょう。レディシが歌う「ラバーバンド・オヴ・ライフ」のことはいままでなんども書きましたが、レイラ・ハサウェイがヴォーカルをとる「ソー・エモーショナル」だって立派なものです。

 

そしてその「ソー・エモーショナル」でも実感するんですが、マイルズのトランペットのサウンドが、実にコンテンポラリーに聴こえるっていう、いま2019年に聴いても時代にフィットしているように響くというのが、ちょっと不思議というか驚くべきことだというか、すごいことですよねえ。トランペット演奏パートは1985/86年のものなんですよ。それでここまでモダンなサウンドをしているなんて。

 

この点では、今回発売されたインストルメンタル曲のなかでも、「カーニヴァル・タイム」(の出だし)、「シー・アイ・シー」、「エコーズ・イン・タイム」(1:42からの「ザ・リンクル」を外して)の三つは、コンテンポラリー・ヴォーカリストの助けを借りなくても2019年に同時代的に響く現代サウンドを持っているなと思うんです。アルバム『ラバーバンド』でぼくが最も気に入っているのがこれら三つ、特に「シー・アイ・シー」ですね。この、真っ暗な都会の夜を彷徨うような、不気味に重く退廃的で沈むようなフィーリング、大好きですねえ。

 

もっとも、「シー・アイ・シー」は、曲「ラバーバンド」とともに、ワーナー公式でも2010年発売のアンソロジー『パーフェクト・ウェイ:マイルズ・デイヴィス・アンソロジー、ザ・ワーナー・ブロ・イヤーズ』ですでに聴けたものですけれどもね。それでも今回しかるべき単独アルバムにちゃんと収録されこのムードのなかに置かれることで、いっそう異様な妖気を放つようになっているなと感じました。

 

(written 2019.9,6)

2019/09/06

シンプルでたおやかな歌謡サンバ 〜 ジュレーマ・ペサーニャ

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https://open.spotify.com/album/2XliiOB2WdRqDUITsrsh5h?si=zu4qgdL5TIOd7qZGAgItyQ

 

ブラジルのサンバ歌手ジュレーマ・ペサーニャ。それなりにキャリアのあるひとらしく、いまや中堅どころといった存在なのでしょうか。ぼくは最近までぜんぜん知りませんでした。今年の新作『リーニャ・ジ・フレンチ』(2019.7.5)は、こじんまりした地味な作品ですけど、なかなか充実している良作じゃないかと思います。最大の特色は、伴奏がかなり小編成であるというところ。うっす〜いとすら感じるほどのミニマム編成の伴奏なんですね。

 

アルバム全体を聴くと、ジュレーマがやっているのはエスコーラ系の伝統サンバで、なおかつそれにつきものの大きめのバンドや大きなコーラスなどを排し極力シンプルにして、自身の単独ヴォーカルだけにフォーカスしようとしたっていう、そんな内容のアルバムじゃないでしょうか。歌にはなかなか味のあるひとで、実力もじゅうぶん安定的、いい仕上がりのアルバムとなりました。

 

まず1曲目「Rabo de Saia」はフルートの音とともに伝統的なサンバ・スタイルではじまりますが、この曲ではゲスト男声ヴォーカリストがいます。それがどうやらモナルコらしいんですね。でもここでのモナルコの参加は特別どうってことはないような気がします。たしかに存在感のある声で見事ですが、アルバム全体の色調に影響は与えていないですね。

 

こういったものよりもこのアルバムで印象に残るのは、たとえば2曲目「Força Estranha」でも、かなりの時間、ギターとパーカッションそれぞれ一台づつだけの伴奏でジュレーマが単独で歌っているでしょう、そういうところです。きわめて質素でシンプルなサウンドなんですけど、あたかもサンバが映し出す日常風景の、そのとりたてて変化のない淡々とした様子をそのまま反映したような、そんなしっとり淡白感がありますよね。だからこそ、サンバ=人生だと感じてしまうようなリアリティがこのジュレーマの歌にはあるんだと思います。

 

そういった、淡々とした日常をそのまま切りとったような淡々としたサンバ・サウンドは、このアルバムではだいたいどの曲でもずっと一貫しているんですね。特筆すべきできばえだと感じるのは、アルバム・タイトル曲の4「Linha de Frente」(サウダージ横溢)、やや北東部っぽい感じの5「Mulé DIreita」、泥くさく跳ねるリズムの8「Rara Beleza」(打楽器だけ伴奏のパートあり)などですが、なんど聴いてもグッと胸に迫るのが7曲目の「A Beleza, o Samba e o Caos」ですね。

 

特にこの7曲目ではハーモニカが使われていますよね。その切ないサウンドでのオブリガートが実にたまらないいい味を出しているなと思うんです。この曲の伴奏はハーモニカ、ギター、パーカッションだけ。やっぱりこういったシンプルで素朴であっさりした薄味サウンドに乗って、ジュレーマがこれまた淡々と綴るのがいいんですよね。特に激しさもなく、感情をたかぶらせることも切ない味を強調することもなく、ジュレーマは素朴に素直にストレートに歌っているだけです。同様の伴奏とあわせ、これぞ人生を映した真実の歌だと、そう思わせる説得力のある音楽じゃないでしょうか。

 

(written 2019.9.5)

2019/09/05

カイピーラ・ギターのネイマール・ジアスによるグッド・イージー・ミュージック

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https://open.spotify.com/album/39TPjPHhvOxgcIh6E7U0dM?si=EenqwlvVS1WKVyc4uW3DTA

 

ネイマール・ジアス(Neymar Dias、ブラジル)というひとはアンドレ・メマーリ・トリオのベーシストらしいんですけど、アンドレ・メマーリに興味のうすいぼくは、ネイマール自身の今回の新作アルバム『Minhas Cançōes Instrumentais』(2019.7.25)ではじめて知りました。しかも弾いているのはベースではなくカイピーラ・ギター。カイピーラ・ギター(ヴィオーラ・カイピーラ)とはブラジルの楽器で、複弦5コースの鉄弦を張ったアクースティック・ギターです。

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このネイマールの『ミーニャス・カンソイス・インストルメンタイス』、文句なしに心地いいなあと感じました。収録の全11曲はすべてネイマールの自作ナンバーみたいです。演奏の編成はカイピーラ・ギター(ネイマール)、ベース(イゴール・ピメンタ)、鍵盤(アジェノール・ジ・ロレンジ)、打楽器(ガブリエル・アルテリオ)のカルテット。クラシックなのかポップなのかムジカ・カイピーラなのかよくわからないとディスクユニオンの紹介サイトに書かれていますが、ぼくの耳には極上のポップ・ミュージック、それもイージー・リスニングに聴こえます。

 

ぼくが使うと褒めことばであるイージー・リスニングっていうこの言いかたがもし悪ければ、トラヴェル・ミュージックでもいいんですけど、ちょうどこう、テレビの旅番組かなにかのバックでよく流れている心地いい流麗な音楽があるでしょう、そういったものにこのネイマールの『ミーニャス・カンソイス・インストルメンタイス』はかなり近い肌触りがあるなと思いますよ、ぼくが聴くところではですね。

 

アルバム1曲目の「ラ・ヴァルス」はちょっとクラシックの室内楽ふうなんですけど、また6曲目の「バロッカ」も曲題どおりバロック音楽にやや近いかな(ネイマールの前作はバッハ集らしい)、9曲目「ソベラーナ」もバロック音楽ふう、それからラストの「プレリュード第一番」もちょっとクラシカル、しかしそれら四曲でもネイマールの書いた旋律はキュートで愛らしく、やさしくほほえみかけているかのよう。そう、楽曲のメロディじたいがチャーミングで可愛いというのは、『ミーニャ・カンソイス・インストルメンタイス』全体で一貫していることなんです。

 

だから軽いビートが効いてポップ・ミュージックに寄っていっているようなものだと本当に快適で、たとえばちょっぴり北東部っぽいエキゾティックなアフロ・リズムを持つ3曲目「ジポイス・ダ・セーラ」なんかもおもしろいし、リズムの快活さという点では10曲目「シーガ」がかなりファンキーで楽しいです(二曲ともリズム・セクションがいい演奏)。ぼく的には10曲目がこのアルバムでいちばんグッと来るものですね。ドラマーの演奏も見事、それに乗るギターとピアノのソロもノリよく極上です。ちょっぴりアメリカ合衆国のフュージョン・ミュージックっぽいかもと聴こえ、それもぼくにはグッド。

 

4曲目「アゴラ・エ・アシン」や5曲目「ケン・ジーシ?」、また7曲目「ノーヴァ 7」といったチャーミングな小品でも、曲づくりの細部まで練りこまれているし、ちょっぴりクラシカル?と匂わせながらも、かわいらしくポップに漂うこのキュートなビートが気持ちいいですねえ。それにくわえ上でも書きましたが、ネイマールの曲はメロディがきれいでかわいくて、しかも聴いていて心地よく快適にリラックスできるフィーリングがあります。これらポップ寄りの曲ではしばしばオルガンが使われていますね。サウンド・エフェクト的にちょっぴりだけシンセサイザーも。

 

実際、列車の旅なんかでシートにすわりながら車窓から外の風景を眺めつつ、こんな音楽を耳に入れていれば、格別の極楽気分になれるだろうっていう、そんなネイマール・ジアスの『ミーニャス・カンソイス・インストルメンタイス』、まあやっぱり半分くらいの成分がクラシック音楽かなとも思いますけど、ポップ・サイドからじゅうぶん聴ける、静かで落ち着いた美しい極上のリラクシング・インストルメンタル・ミュージックです。

 

(written 2019.9.4)

2019/09/04

パワー・ステイションのあの妙なドラムス・サウンドとリズムがアガる

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https://open.spotify.com/album/4IpUyI6R1fyDtJF3cmJS4E?si=94xIZt74QvC_bMmZY05tjw

 

そう、かつてわりと人気だった英国のバンド(というかユニットみたいなもん?)、パワー・ステイション。1980年代なかごろでしたか。ヴォーカルがかのロバート・パーマーなんですよね。ロバート以外はアンディ・テイラーとジョン・テイラー(デュラン・デュラン)、トニー・トンプスン(シック)で、この四人がメンバーです。1985年にアルバム『ザ・パワー・ステイション』が出ていますが、ぼくはそれを自分で買ったことはなし。ロック好きの弟が買ったレコードが自宅にありましたが、当時はレコードよりなんといっても MTV ですね。「サム・ライク・イット・ホット」と「ゲット・イット・オン」のヴィデオがバンバン流れていましたよねえ。

 

実際、フル・アルバムがあったとはいえ、パワー・ステイションといえばその二曲で決まりとしてもいいのではないでしょうか。「サム・ライク・イット・ホット」と「ゲット・イット・オン」は7インチ・シングルも発売されていたようですがやはり知らず。本当にもっぱら MTV で流れてくるこれら二曲を耳にしていただけです。だからそれがアルバム・ヴァージョンだったかシングル・ヴァージョンだったか、いまだわからず。でも妙に耳に残る忘れられないサウンドでしたよね。

 

いま Spotify でアルバム『ザ・パワー・ステイション』を見ると、オリジナル・アルバム分のあとにいくつか入っていて、7インチ・シングル・ヴァージョンも同様に流れてきます。聴いていると、ミョ〜〜に気分がアガるなあ〜という1985年当時からの印象は変わりません。そしてかの T. レックスの有名曲「ゲット・イット・オン」(マーク・ボラン作)を、ぼくはこのパワー・ステイションのヴァージョンではじめて知ったんですね。

 

「サム・ライク・イット・ホット」も、基本「ゲット・イット・オン」のパターンで組み立てているように聴こえないでもないですから、パワー・ステイションとは要するに1985年に「ゲット・イット・オン」をデュラン・デュランでカヴァーしたかったバンド、と言えるんでしょうか。アルバムのなかにはいろんな曲があるみたいですけど、いま聴いても魅力を感じるのはこの二曲ですからね。シングル・カットされたのは正しかったんでしょう。

 

それら二曲で最も強く耳に残るのは、ロバート・パーマーのヴォーカルだとかアンディ・テイラーのギターだとかいうんじゃなく、この圧の強く激しいドラムス・サウンドじゃないかと思います。これは当時そう感じたしいまでもそうです。なんなんですかこのおかしな音は。音響調整の具合というか、録音とミックスの際にイジるとこうなるんでしょう、まるでドラム缶を叩いているようなこのドラミング・サウンド。

 

しかも音色が妙なだけでなく、音圧も音量もすごく高いですよね、このドラムスの音。だからこれもミックスでそうしたんだと思いますが、ロバート・パーマーのヴォーカルなんか正直あまり聴こえないと言いたいほど。主役はトニー・トンプスンの、あ、いや、エンジニアがつくった、このドラムス・サウンドですね。カンカンカン!って、ちょっとやかましいですけど、ど迫力ですよね。

 

「サム・ライク・イット・ホット」でも「ゲット・イット・オン」でも、そのドラミング・パターンもそうですし、ホーン・セクションもギターも一体となって表現するこのグルグル回転するようなリズム・フィギュアがこれまたおもしろいように、いま聴いても感じます。一定の決まった短いパターン・フレーズをどんどん反復する(コピー&ペーストの)ループ感覚みたいなものがありますよね。1985年ですから、ちょっとヒップ・ホップ・ミュージックを先取りした手法であるかのように思わないでもないです。だれもパワー・ステイションでそんなこと言わないでしょうけど。

 

(written 2019.8.15)

2019/09/03

短いからいいというものがある 〜「イン・ア・サイレント・ウェイ」

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https://open.spotify.com/playlist/5HpXQD6ixME4ft0KVtArrr?si=A7RkyxkRT_WZ4lYjzhgd3g

 

「イン・ア・サイレント・ウェイ」にかぎった話じゃないんですけど、こういった静謐なバラード調のものって、演奏時間が短いからいいんだっていう面がありますよね。ジョー・ザヴィヌルが書いてマイルズ・デイヴィスが初演した「イン・ア・サイレント・ウェイ」は特にシンプルで、簡単な同じメロディを反復するだけ。マイルズ・ヴァージョンではコードも変わらず E のまま。ただ同じ雰囲気がずっとたれこめているだけですよね。

 

そう、雰囲気というかムード、アトモスフィアが、曲「イン・ア・サイレント・ウェイ」のすべてです。作者ジョーがこの曲で描き出そうとしたのは故郷ウィーンへの郷愁ですけど、演奏を聴いていると、まるで窓辺にじっとたたずんで、ボーッとなにかを(故郷を)想っているような、そんな静寂感がありますよね。そんなムードだけでできているといってさしつかえない曲です。

 

今日のプレイリストのいちばん上に持ってきたのは、ジョーのアトランティック盤『ザヴィヌル』(1971)収録ヴァージョンで、録音はマイルズの(1969.2)よりあとですが、曲の原型はこれがいちばんよくとどめているんじゃないかと思います。けっこう複雑といいますかむずかしい曲ですよねえ。入り組んだコードをたくさん使ってあって、どんどんコード・チェンジします。

 

それをマイルズはばっさり削ぎ落とし、超シンプルな E のペダル・ノートの上にすべてが乗っかっているというものにしました。ただ、もともとこんな曲、悪く言えばダラダラしたようなというか、一箇所にジッとしているような、ノン・ビートなものですから、そこはマイルズも変えようがなかったというか、でもこういったスタティック志向はマイルズにもむかしからあったわけですからね。

 

そういったことを踏まえると、今日のプレイリスト2番目のリハーサル・ヴァージョンはかなり興味深いです。ビートがしっかりあるじゃないですか。しかもそれはほんのりボサ・ノーヴァ風味で、こんなマイルズってなかなかないんです。それもジョーのこんな曲をとりあげてこんな軽快なリズム・アレンジにしてあるという、いったいこれ、マイルズ本人の着案だったんでしょうか?だれかアドヴァイザーがいたんじゃないかと思ったりもします。ひょっとしてそれ(ボサ・ノーヴァ)もジョーの提言?たぶんそうですよね。

 

しかしマスター・ヴァージョンではやはりそれを消して、ノン・ビートのテンポ・ルパートにしたのは、これはさすがにマイルズ本人でしょう。どっちにしてもどのヴァージョンでも、やはり一個のメロディを反復するだけでヴァリエイションがなく、演奏時間は必然的に短くなりますね。

 

「イン・ア・サイレント・ウェイ」という曲のこのメロディには、なにかこう、ひとを惹きつけてトリコにしてやまない、なんといいますか、マジックがあると思うんですね。そこがこれを書いたジョーの天才なんですけど、だからセッション・スタジオで最初に譜面をもらってバンドで一回やってみたマイルズも、このメロディがいいからイジらないで、しかも極力シンプルにしたほうがいいはず、って思ったんじゃないかと思います。結果、こんなふうになりました。

 

曲のメロディに聴くひとを魅了する魔法がある「イン・ア・サイレント・ウェイ」は、だからのちのウェザー・リポートによるライヴ・ヴァージョンでも、すべて初演のマイルズ・ヴァージョンに即した演奏ぶりになっているのがおもしろいところです。ぼくは特に『8:30』収録のものが大好きで、ジョーの弾くシンセサイザー・サウンドが浮遊するなかにすっとウェイン・ショーターのソプラノ・サックスが立ちのぼった瞬間、鳥肌立ちそうになっちゃうんですね。終盤のハイ・トーンで転調するのも、ここでは効果的です。それでも計三分もありませんので、やっぱり<短いからいい>んですよ、この曲は。

2019/09/02

謎のプレイリスト・フォロワーズ on Spotify

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https://open.spotify.com/user/21qp3vk3o45zy3ulmo4rgpd3a?si=gWheqlyMQ7CaauIx_Sko-w

 

最近はあまり CD を聴かず、というか CD で聴くのは多くが Mac をシャット・ダウンしているときで、それ以外はかなりの時間 Spotify で音楽を聴いているんですけれども(その CD を持っている持っていないに関係なく)、ぼくは自分でもよくプレイリストをつくるんですね。どこかにその総数が出ていないかなと思っても見つかりません。たぶん200個ほどはあるんじゃないですか。

 

自作プレイリストはもちろん自分のライブラリにありますが、他作のものもフォローすればマイ・ライブラリに入ってアクセスが容易になりますので、ぼくもよくいろんな公式/私家製のプレイリストをフォローします。つまり、ぼくの自作プレイリストもみなさんにフォローされたりされなかったりしているわけです。

 

フォローといっても Spotify のばあい自分でつくったプレイリストに何人のフォロワーがいるかはわかりますが、どなたがフォロワーさんなのかはどこにも表示されていないと思うんですね。でもフォロワー数の多寡はわかります。それでそのプレイリストの人気の有無を判断できますね。やっぱりブログとかで文章を書いてリンクを貼ったプレイリストに多くのフォロワーがつくんですね…、と思うと、基本そうですが、あんがいそうでもない面があります。

 

たとえば現在最も多くのフォロワーがいる自作プレイリストは "The Best of Little Walter” で、27人。これは以前ブログ記事にして、このプレイリストのリンクを書きました。これはもとがシングル盤音源集であるとはいえ LP や CD はオリジナル・アルバムなのにそのままでは Spotify に存在しないから不便だな〜と思って、プレイリストを自作したんですね。曲単位で一個一個さがして拾っていって。
https://open.spotify.com/playlist/4q1TG6AOSI37rIdyiuAtF6?si=eRs9FTRsRGWDQJp9ocqEZA

 

同じチェスのマディ・ウォーターズの『ベスト』なんかも同様の事情を持つ(シングル集)アルバムでそれはそのまま Spotify にあるのに、このへんはやや不思議ですね。ブログ記事では、しかし自作したとかなんとかいっさい PR しませんでした。ただ無言でリンクを貼っただけです。あるいはブログで書いたのも無関係でこれのばあいはフォロワーが増えるのかもしれません。チェス盤の『ザ・ベスト・オヴ・リトル・ウォルター』は書いたようにオリジナル・アルバムみたいなもんですから、聴きたいひとは多いはず。

 

いくら力を入れてつくってブログで書いてプレイリストをおおいに紹介・PR しても、フォロワー0というものもかなりあります。どれがそうなどと具体的に言えません、多いですから。ぼくの自作プレイリストで最も多いパターンがフォロワー数1か2か3、あるいは数人程度といったものなんですけど、その次が0ですね。個人の趣味で自作してみずから楽しんでいるだけなので、それでオッケーなんですね。

 

なかには不思議なフォロワーがついているものだっていくつかありますよ。最たるものが "Angham 2018 & 2019" で7人。どうしてこれ7人もフォロワーがついているんでしょう?ブログ記事にしていないばかりかいっさいどこにもひとことも書いていません。自分で楽しみたいからつくっただけで、公開せず私的な秘物としてもよかったんですけど、いっさいのネット活動はおおやけにしないと気が済まないタチなもんで、Spotify の設定でぜんぶのプレイリストを公開するようにしているだけです。

 

それで、『アンガーム 2018&2019』に7人もフォロワーがいるのは、たぶんどう考えても渋谷某ショップ関連のみなさんですよねえ。あのお店に通うみなさんは CD でしか音楽聴かないんじゃなかったのかー。だいたいアンガームなんて、日本じゃあのお店とその関連界隈くらいでしか知名度ないんだから、そのへんのひとたちがフォローしているとしか考えられないですよ。みんな〜、Spotify やってんのか〜?
https://open.spotify.com/playlist/6dBQkW2NkfGUFESQuFSO9U?si=i01ZcYLkSU60jwneZ2wb4A

 

ファドのマリア・テレーザ・デ・ノローニャのばあいも、今年コンプリート集ボックスが出た際に(映像分を除く)完全集プレイリストをつくって聴いていたら、これもいま3人のフォロワーがいるんですよ。これについてもいままでまったく無言で来たんですけれども。アンガームのやつ同様、つくったことすらいまはじめて言いましたよ。どうしてすでに7人とか3人とかフォロワーがいるの〜。
https://open.spotify.com/playlist/5wO6v4Dd1nxK6OnvjtBNmR?si=wHRk67zLQUiZjw6wO_x8gw

 

アンガームの7人は例外的と思いますが、そのほか個人の楽しみのためだけにつくったプレイリストで、いっさいどこでも紹介をしていないにもかかわらずフォロワーがポツポツとつくものはわりとありますね。スティーヴィー・ワンダーのグレイト4とか、ダヴィーナ&ザ・ヴァガボンズの全集とかスティーリー・ダンの全集とか、このへんはただだらだら流し聴きにするプライヴェイトな目的のためにつくっただけなんですけど、どれにもフォロワーがごく少数います。しかし同じ目的でつくった鄧麗君はフォロワー0。

 

なんにせよ、たとえばブルー・ノート・レーベル公式のプレイリストに数千人のフォロワーがいたりするのはまったくの別世界ですけど、ただのいち個人であるとはいえ、すべての Spotify 活動を公開していれば、ぼくみたいなやつの自作プレイリストでも見てくださっているかたがどこかにちょっとはいるということなんですね。ありがたいかぎりです。これからもいままでとかわりなくやっていきます。

 

(written 2019.8.13)

2019/09/01

サロマン・ソアレスのピアノが鮮烈で、すごくいい

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https://open.spotify.com/album/0ebYjPAZ0LC8MvD2gtQbj6?si=dv9ZIVsyR62ThiSmT8xPeg

 

ブラジルの新進若手ジャズ・ピアニスト、サロマン・ソアレス(Salomão Soares)。今年リリースされた新作『コロリード・ウルバーノ』(2019.6.14)はピアノ・トリオ編成。ピアノ・トリオというフォーマットじたいには(ディスクユニオンさんが「うれしいピアノトリオ編成」などと言うにもかかわらず)あまり好感をいだかないぼくですけど、このサロマンの新作には賛美のことばしか浮かびませんね。実に鮮やかで見事なアルバムです。

 

聴き手をグイグイ引き込むチャームを持つこのアルバム『コロリード・ウルバーノ』。これがぼくの初サロマンでこれ以前の活動をまだ知りませんが、このピアニストは、ブラジル性みたいなことを打ち出すルーツ・コンシャスなひとというよりは、汎新世代ジャズのミュージシャンなんでしょうね。ブラジルやラテン音楽の多彩なリズム・ニュアンスを漂わせながら、同時にそれよりもニュー・ヨークの香りが強くしています(サロマンはサン・パウロ在住)。

 

ピアノ、コントラバス、ドラムスの三者一体となったこのサロマンのトリオ演奏のキモはリズムにあるとぼくは思います。それはあたかもパルス感覚のリズム表現とでもいうようなもので、こんなリズム・フィールをいままでのジャズ・ミュージシャンに感じたことはあまりありません。シャープで鋭くキレてて、サロマンの左手もすごいけど、特にドラマー、パウロ・アルメイダの叩きかたに先鋭さがありますね。いやあ、さわやかで、しかもとんでもなく鋭敏なドラミングです。

 

どの曲でもリズムは伸びたり縮んだりして自在に変化しますが、曲によっても多彩に変化するリズムは、このアルバムでは多くのばあい、同じ一曲のなかででもくるくるとチェインジします。めくるめくようなフィーリングがあるし、躍動感、スピード感、カラフルさがものすごいし、ブラジリアン・ルーツ・コンシャスなひとではないと言いましたが、こんなリズム表現はブラジル人にしかできえないものでしょう。いやあ、すごいなあ。特にサロマンとパウロ。

 

特にすごいなと感じるのが、1曲目「ポント・セーゴ」、3「アルマソン」、4「コロリード・ウルバーノ」、10「ナ・ビカ・ダ・マトリース」。快調に飛ばしているし、リズム表現があまりにもクッキリ鮮烈だと思うんですね。サロマンがひっぱりながらも、ベースとドラムスも一体化して突っ走る、でありながらタイトなリズム・チェインジをピタッとキメるその凄腕にうなります。こんなにリズムが自在に伸び縮みしているのに、よくここまで三人が息を合わせられるもんだと思いますよ。

 

個人的にはドラマーのパウロが、特にそのシンバル・ワークとリム・ショットが、お気入りなんですけど(ときどきアフロ・キューバンになっているし)、それよりもアルバム全編を通してきわだっているサロマンの弾くピアノ音の粒立ちのよさに耳を傾けるべきでしょうね。ピアノの音が立っているというか、クッキリとした鮮やかで清廉な歯切れいいサウンドで、これは指折りのトップ・クラス・ジャズ・ピアニストにしか出せない音ですねえ。きれいなピアノの音ですごいリズムを演奏していて、降参しちゃいました。

 

(written 2019.8.31)

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