2019/09/21

ニューポートのマイルズ 1967

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https://open.spotify.com/playlist/6LLl0Tg2bir2hGZYeLDRAp?si=QbpqKidJS1K1IgKyDuChZg

 

昨日1966年ニューポート・ジャズ・フェスでのマイルズ・デイヴィス・クインテットのことを書きました。CD だとレガシーの四枚組ボックス『マイルズ・デイヴィス・アット・ニューポート 1955-1975』の二枚目前半ですが、後半が同じクインテットによる67年7月2日出演分なんですね。だから続けて聴いたんです。そうしたら、そっちもなかなかすごいじゃないですか。やはりちょっとメモしておきましょう。

 

1967年の7月というと、前年の10月に録音したスタジオ作『マイルズ・スマイルズ』が2月に発売済み。さらに次作『ソーサラー』も5月にぜんぶ収録しておりまして、それは暮れ12月に発売されることになりました。7月のニューポートというと、ちょうどその中間的な時期ですね。7月2日のニューポートで演奏されたなかに、しかし『ソーサラー』のレパートリーはありません。

 

イントロダクションとクロージング・テーマをふくめても計32分間と短いですが、フェスティヴァルの一幕なので、こんなものだったんでしょうね。演奏は実質四曲。「ジンジャーブレッド・ボーイ」「フットプリンツ」「ラウンド・ミッドナイト」「ソー・ワット」。なかでもやはり最初の二曲が変形ラテン8ビートをともなっていて、耳を惹きますね。

 

特に「ジンジャーブレッド・ボーイ」。このトニーのドラミングがこりゃまた鬼すごいじゃないですか。バンドのリズムは基本4/4拍子で、ベースのロン・カーターが4ビートのラニング・ベースを弾いていますが、トニーはおかまいまくガチャガチャと複雑な8ビート系のポリリズムを入れ込んでいますよねえ。やっぱりすごいドラマーだったなあ、60年代のトニーは。

 

だいたいテーマ演奏がはじまる前からトニーによるイントロはブチ切れていますもんねえ。スネアのリム・ショットも入れながらかなり手数の多い細かい変形ラテン・ビートを生み出しているんですね。テーマ吹奏、マイルズのソロ、ウェイン・ショーターのソロとメーターは振り切ったまま。特にウェインのソロ部でのトニーが鬼の形相で激しく派手に叩きまくっているでしょう。三番手ハービー・ハンコックのソロになるといったんおとなしくなりますが、ハービーがハードに弾きはじめたらそれにあわせてやはりトニーもふたたび表情が変化します。

 

こんな「ジンジャーブレッド・ボーイ」が1曲目なので、もうこれだけで勘弁してくれ〜っていう気分なんですけど、2曲目のウェイン・ナンバー「フットプリンツ」も、バラードなのに3曲目の「ラウンド・ミッドナイト」も、4曲目の「ソー・ワット」も、相当ハードにスウィングしていますよねえ。「ジンジャーブレッド・ボーイ」がこんなにカッ飛んでいなかったら、それらだって相当すごいと聴こえたに違いありません。特に「フットプリンツ」最終テーマあたりでのハービーには要注目ですよ。

 

この1967年には、書きましたようにアルバム『ソーサラー』を完成させているマイルズですが、そのなかには「プリンス・オヴ・ダークネス」「マスクァレロ」といった、リズム表現に重きを置いた二曲があるんですね。それらでは特に、変形ラテン8ビートを表現するトニーのドラミングが聴きものです。アルバム最大の聴きどころにして白眉でもあるし、つまりこのころマイルズはリズム表現の多彩さに踏み込んでいたなと思うんです。

 

そんな音楽的変化が、7月のニューポートでも出ているよねえとぼくは思うんですよね。「ジンジャーブレッド・ボーイ」にしろ「フットプリンツ」にしろ『マイルズ・スマイルズ』からのレパートリーですが、67年7月のニューポート・ヴァージョンでは演奏内容が刷新されていて、『ソーサラー』の内容にあわせた新しいものになっているなと、特にトニーのドラミングにそれが最も顕著に表れているなと、そう感じます。

 

また、この1967年7月のニューポートのステージでは、一曲演奏して次の曲に入る際、間をおかず、音が完全に消えないうちにボスがトランペットでキューを吹きはじめているのがおわかりでしょう。だからワン・ステージがまるで<一曲>みたいにつながっていますよね。これはこの後ずっとマイルズ・ライヴの特徴となった手法で、本格的には同67年冬の欧州ツアーからそうなったんですが、夏のニューポートですでにこのスタイルが完成しつつあったんですね。ジェイムズ・ブラウンらのソウル・レヴューにならったものでしょう。

 

(written 2019.8.25)

2019/09/20

マイルズの1966年ニューポート・ライヴがすごい

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https://open.spotify.com/playlist/52dFiN3YERxekbc06xO0oC?si=wB5CNOcPTAOPOmaGU_KPpA

 

1966年7月4日、ニューポート・ジャズ・フェスティヴァルに出演したマイルズ・デイヴィス・クインテットの演奏を聴きなおしたのはうっかりミスでだったんです。どういうことかと言いますと、こないだ1969年ニューポート・マイルズのことを書いたでしょ、そのとき CD をひっばり出してそっちでも聴きかえそうと思って、レガシーの四枚組ボックス『マイルズ・デイヴィス・アット・ニューポート 1955-1975』をテーブルの上に持ってきたわけです。

 

それで1969年分はディスク3冒頭なんですけど、それを聴こうと思ってボンヤリしていて間違えてディスク2を CDプレイヤーのトレイに乗せて再生ボタンを押しちゃったというわけですよ。二枚目前半は1966年分なんです。マイルズ、ウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズのバンド。ちょうどスタジオ作『マイルズ・スマイルズ』録音の三ヶ月ほど前にあたります。

 

しっかしこの、聴くつもりなくウッカリ聴いちゃった(だから音が出てアレレッ?と思った)1966年マイルズ・クインテットのライヴが、かな〜りすごいじゃないかと、そう感じたんですよね。それ以来くりかえし再生しては感銘を受けるというハメになっているんで、だからここらへんでちょっとこのマイルズ1966年ニューポートの内容がいかにすごいか、メモしておこうと思います。

 

ところでこの時期マイルズ・バンドはほとんどスタジオ録音もライヴもやってなくて、ウェインを迎えたニュー・クインテットになって以後、1965年の1月にアルバム『E.S.P.』を録音したあとは、かの有名な12月のプラグド・ニッケル・ライヴ(シカゴ)までいっさい活動なし。これは以前も書きましたがマイルズの健康状態が悪かったからです。実は66年に入ってからもスタジオ録音なし、ライヴも五月にポートランドで一回やったのみで、その後が今日話題の七月のニューポートで、なんとこれでぜんぶなんですよ。ようやく十月にスタジオで『マイルズ・スマイルズ』を吹き込んだだけ。

 

1967年になったらスタジオ・セッションもライヴ活動もさかんになってきますので、65年初頭の健康状態悪化が66年もまだ続いていたのかもしれないですね。たんなる個人的憶測で、確証はありません。どこかにそのへんの事情を記してあるドキュメントがあったりするかもですが、見つけていないんです。

 

ともあれまだ壮年期の音楽家が、しかも新進気鋭のサイド・メンをかかえてこんな状態では、フラストレイションがたまるいっぽうだったろうと思うんですね。だから1965年12月のプラグド・ニッケル・ライヴもそうだったように、たまのライヴ・セッションでは一気に引火・爆発してしまうのも当然でしょう。66年7月のニューポート・ライヴだってそうなんです。

 

つまりひとことにして激情的。パッショネイトにスウィング、というかハード・ドライヴをくりひろげているんです。それは冒頭の「ジンジャーブレッド・ボーイ」を聴いても実感できることじゃないですか。このジミー・ヒース・ナンバーは10月のスタジオ・セッションで録音し『マイルズ・スマイルズ』に収録されたものですから、7月のニューポート・ライヴ・ヴァージョンはまだ初期型なんですね。それでもうこんな具合ですから。

 

1966年ニューポートの「ジンジャーブレッド・ボーイ」、ちょっぴり頭が切れちゃってますけど、出だしのトニー・ウィリアムズのドラミングからしてぶっ飛んでいるじゃないですか。トニーはこの66年7月ライヴ全体でキレまくっています。トニーはまだ血気盛んな10代の若者だったんで、ボスが(健康状態のせいとはいえ)なかなか活動しないから不満がつのっていたはずです。だからたまのレギュラー・クインテット・ライヴではエネルギーが暴発しちゃうんでしょうねえ。

 

もちろん自身のリーダー作ふくめ、いわゆる新主流派のレコーディング・セッションでみんな活躍していましたけど、ああいったスタジオ作品の特色は<抑制が効いている>というところにありましたから。ナマナマしい一気の発散放出なんてありえません。だからバンドのライヴでは、トニーにしろ、ここで聴けるような猛演奏ぶりになっているんでしょう。ぼくはそう推測します。

 

「ジンジャーブレッド・ボーイ」では、しかもなんだかよくわからないポリリズムをトニーが叩き出していますよねえ。ちょっぴりラテンな変形8ビートみたいなものです。そしてパートによっては4/4ビートになるんですけど、基本、ハービーの弾くブロック・コード連打といっしょになって8ビートを演奏しています。トニーの演奏する8ビートはこのころからロック・ミュージック的ですね。しかもロックにはないしなやかさも兼ね備えています。

 

マイルズもウェインもハービーもソロでかっ飛ばしていますが(特にマイルズ)、いずれも背後でのトニーの猛プッシュあればこそなんです。これは2曲目の「オール・ブルーズ」でも同じ。『カインド・オヴ・ブルー』に収録されていたこの曲はもともと3/4拍子でしたが、この66年ニューポート・ライヴではときおり4/4拍子に展開したり、ふたたび3拍子に戻ったりします。

 

しかもその3/4拍子パートはかなり速くて細かくて、まるでハチロクのビートに接近しているかのように一瞬聴こえないでもないですよねえ。こういうふうにビートを細分化するのがリズム展開ではおもしろいところなんですけど、そのせいでここでもちょっぴりロック・ビートに似て聴こえたりするんですね。そうでなくともトニーがおかずをガチャガチャとたくさん入れて、かなりにぎやかなドラミングを聴かせていますし、そのせいでハード・スウィンガー、いや、ドライヴァーになっています。4ビート部分ではそうでもないんですけど、3ビート・パートでそうなっていると思うんですね。

 

続く3曲目のバラード「ステラ・バイ・スターライト」も驚くべき演奏内容ですよ。バラードと書きましたが、途中からなんと急速調に展開し、ハードにグルーヴしはじめるんですね。これ、本来はあくまできれいにやるリリカル・バラードなんですよ。ところが一番手マイルズのソロ途中の二分すぎごろからトニーが突然アップ・ビートでシンバル・レガートをやりはじめ、バンド全体で激しくノリはじめてしまっているでしょう。まるで夜空のもと猛ダッシュで駆けているかのような演奏じゃないですか。

 

ハードにドライヴしたままウェインのソロに入り、その途中でいったん落ち着きますが、やはりミドル・テンポで軽快にスウィングしているので、美しいバラードといった雰囲気はないですよね。三番手ハービーのソロ途中で、またもやトニーがアップ・ビートにチェンジし、激しい演奏になったままマイルズに戻り、苛烈な演奏で「ステラ・バイ・スターライト」は終了してしまいます。

 

残り二曲の「R.J」「セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン」もグルーヴ・チューンですし、いったいなんでしょう、この1966年7月のニューポートにおけるマイルズ・クインテットはハードに突き進むばかりの展開で、その中心に(マイルズと)トニーがいて、猛プッシュでみんなをぐいぐいひっぱっているという、そんなステージだったのではないでしょうか。いやあ、すごいなあ。若さゆえってことでしょうかねえ。若くてエネルギーに満ちていたのに、ボスがなかなかライヴをやらないもんだから、たまのこういった機会で自己制御できず爆発しちゃったんでしょうか。

 

(written 2019.8.24)

2019/09/19

さわやかな、マリア・テレーザ

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https://open.spotify.com/playlist/5wO6v4Dd1nxK6OnvjtBNmR?si=pPSPzEv5RlKNmX0ooDEolw

 

http://elsurrecords.com/2019/03/01/maria-teresa-de-noronha-integral/

 

https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2019-01-27

 

今2019年の、初春ごろ、いやまだ冬だったか、日本でもふつうに買えるようになったマリア・テレーザ・デ・ノローニャ(ポルトガル)の全集ボックス。そのうち最後の DVD を除いた CD 収録分はもちろん残さず Spotify で聴けますので、一個にまとめたプレイリスト(上掲、全六時間半)をふだんから BGM にしてずっと楽しんできています。だから、そろそろこのへんでちょっとした感想メモを手短に記しておきたいと思うんですね。

 

それは簡単に言って、マリア・テレーザの歌はさわやかで口あたりがよく、スムースでナチュラルだなっていうことです。重くない。同じファド歌手で同世代だとやっぱりアマリア・ロドリゲスが圧倒的な存在だと思いますが、アマリアにある濃厚さ、激しさ、情緒表現の過剰さ、重さは、もちろんそれがアマリアの魅力なんですけど、マリア・テレーザには薄いですよね。

 

薄いっていうのは悪いことじゃなくて、マリア・テレーザの全集を聴いていて感じるのは、清廉さですよ。しかもなんだかちょっとキラキラしていて明るいっていうか、さわやかで心地いいような、そんな声と歌じゃないでしょうか。特にメイジャー・キーの曲だと。伴奏サウンドはアマリアと同じような典型的なファドのそれですから、違いは主役歌手のヴォーカル資質です。

 

マリア・テレーザのファドでは、ときおり地中海の、あ、いや大西洋か、の青さを連想させるような、その上に青い空がひろがっているような明るさもあるっていうか、そんなさわやかなサッパリしたフィーリングが聴けますよね。(悪い意味でなく)軽い。そして濃すぎずやわらかい。こういったことがマリア・テレーザのファド全集を聴いていて感じる最大の要素です。

 

だから、何時間続けて聴いても、マリア・テレーザのファドは疲れないです。どんどん聴いて、いいなあ〜っていう心地よさを感じて、部屋のなかでおだやかな気分でゆっくりすわっていられます。心にさざ波が立たないっていうか、ときには立ったほうが刺激的でいい音楽作品ってことになるかもですけど、ふだんの愛聴盤としては薄味でサッパリさわやかなほうがいいですよね。

 

マリア・テレーザのファドは普段着姿の大人の女性っていう感じで、決して飾りすぎず、派手でけばけばしくなく、ヴォーカルにおける感情の表出もストレートで素直で、ナイーヴに感じることすらあります。豪放さはなく繊細ですし、いま2019年にオススメできるファド黄金期の歌手を選ぶならば、ナチュラルでなめらかなマリア・テレーザじゃないですかね。現代のフィーリングにフィットするような気がします。

 

それでもファドですから、哀切に満ちてはいるんですけどね。マリア・テレーザのばあいは、その哀切がひとびとの日常の生活感覚に根ざしたものだっていう気がするんです。

 

ただまあ全集となると DVD ふくめ全七枚とサイズも大きく、エル・スールで12800円と高価でもあるので、これからむかしの(黄金期の)ファド歌手をちょっと聴いてみたいんだけど…、という向きにそのままではオススメしにくいような気がしないでもないです。ですから Spotify とか活用なさっているかたならばそちらで聴けますので、ちょっと覗いてみてください。フィジカル派には、CD で二枚組程度のベスト盤みたいなのがあったら喜ばれるのになあ〜って思います。

 

(written 2019.8.26)

2019/09/18

衝撃のチャールズ・ロイド『ヴァニッシュト・ガーデンズ』

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https://open.spotify.com/album/2q6z7yobPwN2YTkR8U4i1z?si=IeCXe3NISU-kqs1eofePXg

 

チャールズ・ロイドがマーヴェルズを率いルシンダ・ウィリアムズと組んだコラボレイション・アルバム『ヴァニッシュト・ガーデンズ』(2018)が傑作でしたよねえ。ぼくが知ったのは今年に入ってからのことです。なにかのきっかかで Spotify で気づき、どんなもんかちょっとだけ…、と軽い気持ちで聴きはじめ、ぶっ飛んじゃいました。なんてスケールの大きい、懐の深く広い、そして情け深くあったかい音楽なのでしょうか。ロイドもいい歳なんで最近あなどっていました。ごめんなさい。

 

シンガー・ソングライター、ルシンダ・ウィリアムズと組んだのが今回の大きな目玉でしょうけど、マーヴェルズを率いる近年のチャールズ・ロイドははじめて聴きましたので、このサウンドにはかなりビックリしました。バンドの中核はエレキ・ギターのビル・フリゼールとペダル・スティール・ギターのグレッグ・リーズの二名です。この二名の出す浮遊感とひろがりのあるサウンドは、アメリカーナへと大きく舵を切ったいまのロイドにとってまさにピッタリ。

 

アルバム『ヴァニッシュト・ガーデンズ』の全10曲は、偶数曲がルシンダのヴォーカルが入る彼女自身のオリジナル・ソング(過去曲の再演あり)で、ロイドのテナー(と一曲だけフルート)をフィーチャーしたインストルメンタル・ナンバーと交互に並んでいます。ルシンダのヴォーカルがあってもなくても、サウンドの統一感に差異や乱れはなく、全体がスーッと違和感なく流れていきますね。古参人のジャズ・アルバムとしては驚異的とも言えるかも。

 

ロイドがルシンダと組んだのは、たぶん彼自身の近年の音楽性ゆえですよね。悠然とした広大なアメリカの大地をおもわせるようなフォーク、カントリー、ブルーズ、ゴスペル、ジャズ、ロックなど、さまざまなルーツ・ミュージックが渾然一体とした近年のいわゆるアメリカーナを表現する方向にロイドは向いているので(その点、ビル・フリゼールの貢献も大と思えます)、そんな世界でいぶし銀の歌を聴かせるルシンダとのコンビを考えたのでしょう。

 

アルバム出だしの「ディファイアント」の出来がとにかくすんばらしくて、もうぼくにとっては衝撃ですらあったほどの見事さで、なんなんですか、ロイドのこのテナー・サックス・ブロウは。二名のギターリストがからみあいながら創る空間で、印象的なハチロク(6/8拍子)のビートに乗って、ロイドは実に雄大な演奏を聴かせます。しかもこのフィーリングというか情緒感がこれまた物哀しくて切なくて、もう聴いていて感極まってしまうんですね。

 

ロイドのテナー・プレイは、ひょっとしたらいま絶頂期にあるのかもしれないとすら思えるほど、このアルバムでは絶好調じゃないでしょうか。切なくしかし力強い音色、怒涛の迫力ブロウ、大きくしかも細かくフレイジングしていく奔放自在なさま、リスナーの心にすっと自然に入ってきて揺り動かすような、そんな感動的な表情 〜〜 どこをどう切り取っても現在最高のジャズ・テナー演奏家かもしれないです。

 

アメリカのなにもない広大な大地を思わせるような、そんな悠然としたサウンドをつくるのに貢献しているのは、やはり二名のギターリストですね。ビル・フリゼールとグレッグ・リーズの二人をバンド・サウンド形成の中核に据えたことも、ロイドの目の確かさを物語るものですし、いま自分がどんな方向性の音楽を目指しているのか、そのためにはどんな演奏家を呼べばいいのか、しっかりわかっている証拠です。

 

アルバム・タイトル曲の3「ヴァニッシュト・ガーデンズ」では、バンド・メンバーの四人がまったく対等な比率でからみあいながら演奏が進むのも印象的で、ほとんどの曲でロイドを大きくフィーチャーしているだけに、ここではテナー、2ギターズ、ベース、ドラムスとみんなが同じように音を出しながらコレクティヴ・インプロヴィゼイションをくりひろげているのがおもしろいところです。

 

後半で熱く(特にドラマー)盛り上がる8曲目「アンサファー・ミー」を経て、アルバム・ラストの二曲は有名曲のカヴァーです。セロニアス・モンクの「モンクス・ムード」とジミ・ヘンドリクスの「エンジェル」。しかもこれら二曲では伴奏がビル・フリゼールひとりだけなんですね。「モンクス・ムード」ではロイドとのデュオで、「エンジェル」ではそれにルシンダの歌が入るトリオでという具合です。

 

それら二曲での落ち着いたフィーリングもなかなかの聴きもので、ぼくは大好きですね。こういった静かなムードで、動的なアルバムをしめくくったのには、ロイドのトータリティ志向があるんじゃないかと思います。「モンクス・ムード」のほうは標準的な演奏内容かもしれませんが(どっちかというとビルの生み出す空間を聴くものかも)、ジミヘン「エンジェル」はおそろしいと思いますよ。心の奥底から滲み出てくるような悲哀に満ちていますよね。三人ともすごい。

 

(written 2019.8.22)

2019/09/17

音楽で味わう幸福 〜 エラとルイのデュエット集

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https://open.spotify.com/album/07tbMxw9qeVsNIq0l7xBBX?si=OcPAN9F-TQSpQZ5FdKBoGg

 

昨2018年のリリースだったエラ・フィッツジェラルドとルイ・アームストロングの『チーク・トゥ・チーク:ザ・コンプリート・デュエット・レコーディングズ』。もう何回聴いたかわからないほど聴いています。こんなにも幸せな気分になれる音楽もなかなかありませんからね。ぼくにとっては最高の音の幸福なんですね。音楽命の人間ですから、音の幸福の最高ということは、人生で No.1のハピネスってことです。

 

『チーク・トゥ・チーク』は、おなじみ『エラ・アンド・ルイ』『同アゲン』『ポーギー・アンド・ベス』を基本として、エラとルイのデュオ歌唱集を、デッカでのシングル盤音源までふくめてあらいざらいぜんぶ集大成した、CD なら四枚組。サウンドの幸福感という点に絞って言えば、『アゲン』が終わる三枚目冒頭まででじゅうぶんじゃないでしょうか。やっぱり『ポーギー・アンド・ベス』パートに入ると雰囲気かわっちゃいますからね。

 

そんでもって『チーク・トゥ・チーク』四枚目は、ほんのちょっとのライヴ音源のほかは別テイク集ですから、これもあまり考えなくていいように思います。幸せな気分にひたれるのは、四枚八曲のデッカ・シングルズ、『エラ・アンド・ルイ』『同アゲン』分で、完全集 CD だと三枚目の2曲目までということです。『ポーギー・アンド・ベス』もいいんですけれども。

 

エラとサッチモのデュエット集となれば、ふつうみんな『エラ・アンド・ルイ』から思い浮かべるだろうなと思うんですけど、完全集『チーク・トゥ・チーク』ではその前にまずデッカ・シングル音源八曲からはじめています。たんに録音・発売順ということですけど、そうでなくともこの順序が大正解だと思えるんですね。だってこの八曲のフィーリング、極上じゃないですか。

 

デッカ・シングルズではジャズ・オーケストラが伴奏をつけています。そのビッグ・サウンドに乗ってエラとサッチモがシルクのようななめらかさで歌いつづっていくラヴ・ソングの数々。かけあいながら、ソロで、会話しながら、このリラクシングなムードを最高度にまできわめていますよね。ここまでのシルキーな音楽はなかなかないと思いますよ。ぼくからしたら、この『チーク・トゥ・チーク』こそ No.1のシルキー&メルティ・ミュージックです。

 

そのデッカ・シングルズからそうなんですけど、扱っているラヴ・ソングの歌詞のなかには、哀しく切なくさびしいロスト・ラヴがわりとありますよね。9曲目以後の『エラ・アンド・ルイ』『同アゲン』パートまでぜんぶふくめて見てみたら、どっちかというと失恋を歌い込んだもののほうが多いはず。想いが実っているようなハッピーなウキウキ恋愛歌は少ないんですね。

 

ところが、エラとサッチモが歌っているのを聴くと、そんなつらい感触などぜんぜんありません。あたたかく(夏なら涼しく)空調の効いた居心地のいい部屋のなかで、ロッキン・チェアにすわりながらくつろいで、ゆっくりと楽しんでいるような、そんなフィーリングで全体が統一されていますよね。これはたぶんかなり驚くべきことだと思うんです。どんな歌をやってもハッピー&メロウに聴かせる二名の歌手の実力の高さということですよ。

 

伴奏もそんな雰囲気に沿って実にいい感じのなめらかさじゃないですか。デッカ・シングル音源ではオーケストラですけど、『エラ・アンド・ルイ』『同アゲン』パートで伴奏をつとめるのはオスカー・ピータースン・カルテット。オスカーのピアノのほか、ハーブ・エリス(ギター)、レイ・ブラウン(ベース)、バディ・リッチ or ルイ・ベルスン(ドラムス)。

 

彼ら四名の伴奏ぶりも、熟達の腕前とはまさにこのことだというようななめらかさじゃないですか。四人とも決して目立たず、弾きすぎず、地味に地味に歌伴に徹していますが、ここぞというツボだけを着実におさえていくような、そんな名人芸をここに聴きとれます。どこでどんな音をどんなタイミングで置けば、エラやサッチモの歌(やトランペット)が最高度に輝いて聴こえるか知り尽くしている演奏家たちの、まさにプロの仕事です。

 

そんな円熟の極みのような伴奏に支えられ、フロントで歌う二名もつとめてムードを出すように、このシルキーな音楽をなめらかに表現するように、きれいにきれいに歌っています。これはしかし、決して甘い世界というわけじゃありません。伴奏者たちもエラもサッチモも、このなめらかできれいで白鳥のようなスムース音楽表現の水面下では、必死で水かきしている努力がうかがえますよね。

 

しかし表面的にはそれを絶対に見せないっていう、それがプロというものでしょう。演奏も歌も、最高のプロフェッショナルたちが揃って、失恋歌をかなり多くふくむラヴ・ソングの数々を、あくまでどこまでもやさしくやわらかく、メルティ&メロウに徹して創りあげた結果が、『チーク・トゥ・チーク』で聴けるシルキー・ハピネスなんですね。

 

まったく感服するしかない世界ですが、しかしふだんは聴いていてそんな考えにもおよびません。ただただ、この聴こえてくる楽しく幸せな音楽の世界に身も心もひたして、部屋のなかでゆっくりくつろいで 、日常の、人生の、細々したいやなこと、つらいことを忘れていくだけです。プロがプロの技に徹して届けてくれる音楽の最高娯楽、それが『チーク・トゥ・チーク』なんですね。

2019/09/16

ナンシーのモルナ集がいいよ 〜『マーニャ・フロリーダ』

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https://open.spotify.com/album/4aVnUc5xZKouziXNAVHr8S?si=calhLZv0R1qzeJATOsGerg

 

カーボ・ヴェルデの歌手、ナンシー・ヴィエイラの最新作『マーニャ・フロリーダ』(2018)。淡々としていて、実にいいですねえ。やっているのはだいたいモルナばかり。カーボ・ヴェルデ音楽のなかでもポピュラーな種類のものですね。ゆっくりと座って聴くような歌謡音楽です。カーボ・ヴェルデにはコラデイラやフナナーみたいなダンス・ミュージック系もあるんですけど、ナンシーのこの『マーニャ・フロリーダ』のなかでは少数です。

 

少数とはいえ、それらもなかなかいいっていうのが事実。アルバム『マーニャ・フロリーダ』のなかでは、たとえば5曲目の「Bocas di Paiol」がコラデイラですね。聴けばわかるように快活なダンス・ミュージックになっていますが、演奏も歌も出来がいいのではないでしょうか。オブリガートで入るソプラノ・サックスも効果的です。伴奏は、このアルバムもやはり基本ギター(系弦楽器)多重奏で、このコラデイラ・ナンバーでも変わりません。4曲目「Sô Um Melodia」と9曲目「Fé d'Um Fidju」も若干コラデイラ寄り(のモルナ?)かな。

 

でもこれらだけ。ほかはどこまでも歌謡音楽モルナなんですね。このアルバムでのナンシーはじっくりと歌を聴かせようっていう、そういう目論見があったんだなというのは間違いないと思います。しっとりと歌い込んで、現在カーボ・ヴェルデ No.1と言えるかもしれない歌のうまさを味わってもらおうっていうプロデュース意図だったのかもしれないですね。

 

アルバム全体を通して聴くと、ゆったりモルナ系ばかり続くので緩急に乏しく、だからちょっと一本調子に響かないでもないですね。だからそんなたいしたアルバムじゃないのかもしれないけど、でも当代随一のこの歌手の実力を味わうのにはもってこいの作品になっていると思いますよ。繊細微妙なヴォーカル・ニュアンスの変化、表情のつけかたなど、すばらしい歌のできばえだと言えます。

 

個人的にいちばん好きなのは、なぜか3曲目の「Les Lendemains de Carnaval」です。これ、でも曲題もそうだけど歌詞がフランス語ですよね。アルバムに収録されているのを聴くと、べつにフランス色はしないふつうのモルナ・ナンバーですけど、これ、どうしてフランス語なんでしょう?歌詞と曲を書いたのがセザーリア・エヴォーラとのコラボで知られるテオフィロ・シャントルですけど、セザーリアの歌ったなかにこの曲あったっけなあ。

 

ともかくナンシーのこの「レ・ランドマン・デ・カルナヴァル」は本当にいいと思います。最初ナイロン弦ギター一台だけでの伴奏でテンポ・ルパートで歌いはじめるパートから引き込まれますし、その後カヴァキーニョや打楽器なども入って軽くテンポ・インしてからも、ナンシーの歌はゆっくり落ち着いていて、じっくり聴かせるフィーリング。実にいいですねえ。その後、ゲスト歌手のラファエル・ラナデールが歌い、曲後半はナンシーとラファエルとの合唱で進むのもグッド。

 

(written 2019.8.19)

2019/09/15

カラオケの出現

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https://twitter.com/pitchfork/status/1148849358059843584

 

いまやすっかり世界で通じる国際語のカラオケ(Karaoke、カラオキ)。ピッチフォークのこの記事では、日本でこれが初登場したのが1971年だったとなっていますが、これは意外でした。もっと遅かったと思っていましたから。実際、ぼくがカラオケ装置というものに出会ったのは1982年に大学院に進学してからで、当時、カラオケ・バーみたいな場所に誘われてついていって歌ったというのが初体験でした。

 

いまでも鮮明に憶えていますが、当時、修士課程一年生のとき、東京都立大学大学院英文学課程の同級生中野くん(専門はシェイクスピア)に誘われて、院生数人で自由が丘のカラオケ・バーに行ったのです。東横線で都立大学駅の隣ですからね。これが人生初のカラオケ体験。中野くんは飲むのが好きなやつで、ぼくは下戸だけどみんなで楽しく騒ぐのは好きだから、八雲での大学院の授業が終わったあと、いっしょによく遊んでいました。

 

そのときぼくがなにを歌ったか、うまい歌だったのか、なんてことはどうでもいいです。上掲ピッチフォークの記事でカラオケを1971年の項に位置付けているのは、記事中にもありますように、井上大佑の主張をくんでのものですね。しかしカラオケを井上の発明としてしまうのはちょっとどうかとぼくは思います。生演奏による伴奏をぜんぶの機会で実行するのはかなり大変だからあらかじめ録音しておいてそのテープを…、という発想はもっと前からあったでしょうし、実行もされてきていたでしょう。

 

歌手や音楽家ではないぼくたち一般庶民がストレス発散の娯楽としてカラオケ(バーやボックス)で歌うという装置の登場が1971年と言われたら、最初に書きましたように意外なほど早かったんだなと感じますが、プロ音楽現場では、たとえばバック・バンドの演奏だけ先に完成させておいて、リード・ヴォーカルをあとから吹き込むという手法は、1960年代後半には一般的でしたからねえ。そんなのはいわゆるカラオケじゃないよ、と言われそうですけど、同じことです。そんな種類の発想からいわゆるカラオケが誕生したのは間違いありませんから。

 

マイナスワンということばをご存知のかたもいらっしゃるでしょう。たぶん歌というより楽器演奏練習法のひとつとしてあるものですが、曲の完成品から1パートだけ削除したもののことです。お目当の楽器の音だけ抜いたそれを聴きながら、その伴奏にあわせて自分の楽器を演奏して練習するんです。いつごろからあるのかなあ〜、もう死語だと思うんですけど、いわゆるカラオケの登場と相前後するのではないかと思うんです。ジャズの世界で使われることばなんですかね〜、マイナスワンって。よくわかっていません。

 

歌ということに話を限定すると、レコード収録などのスタジオ、あるいはラジオ放送、テレビ放送などで、完成品の録音済み伴奏を流して、歌手はそれを聴きながら現場で歌うという手法は1960年代からあったんじゃないかと推測します。娯楽目的の一般のファン向けにも、マイク入力つきの8トラ・ミュージック・ボックスや伴奏用ミュージック・テープなどが、いわゆるカラオケ普及前から存在したみたいですよね。

 

ですけれども、いわゆるとくりかえしておりますように、みんなが知っているあのカラオケ装置の爆発的普及以前と以後とで、ぼくたち一般のファンがふだん歌を歌って享楽のひとときを過ごすという体験が根本的に変化したのは間違いありませんよね。それがぼくの実感だと1980年代初頭ごろからだったんですけど、実際にはもっと早かったんでしょうね。

 

一般にカラオケは演歌やそれに近い歌謡曲分野を中心に、まずは普及していったと思うんですが、それらの分野、特に演歌かな、ある時期以後はシングル CD を発売する際にも、メインの歌とカップリング曲のあとに、カラオケ・トラックを収録してあるのが一般化していますよね。大好きな岩佐美咲ちゃん(わさみん)も例外ではありません。

 

わさみんのシングル CD に入っているカラオケ・トラックのばあい、しかしぼくたちファンの娯楽用というだけではない目的があるかもしれないです。歌唱イベントやコンサートでのわさみんは、基本、カラオケ伴奏で歌っているからです。CD 収録のものを(短縮編集したりもして)使っているのではないでしょうか。そんな気がします。

 

ほぼ毎週末ごとに全国各地で行われているわさみん歌唱イベントでは、その現場その現場の音響スタッフさんがオケをコントロールして流すわけですから、どこで歌唱イベントやるかによってその担当者はかわります。だからその際、どなたが担当なさろうとも同じオケが流れるようにしておくのは、わりと大切なことなんじゃないかと思えるんですね。

 

わさみんだけでなく演歌系の歌手のみなさんはどんどん各地でイベントをやり、ショッピングモールのなかの広場や、レコード・CD ショップなどのイベント・スペースなどで歌っているのが通例だと思いますが(いわゆる地方営業)、そんな歌手のみなさんも、たぶんですけど、わさみんみたいにシングル CD 収録の作成済みのカラオケ伴奏を流して、それにあわせて歌っているんじゃないかという気がするんですね。

 

いわゆるカラオケ装置って、最初は一般のリスナー、音楽ファンの日常の娯楽に供するために開発・提供されたものに違いありません。もちろん上で書きましたようにその起源は、プロ歌手が、ある時期以後は完成済みの伴奏をスタジオで聴きながらレコード収録などやるようになっていたことにあるとは思いますが、現在のいわゆるカラオケは、ファンのためのものです。

 

それが、わさみんや演歌系のみなさんなど、最近はプロ歌手でも現場で使うようになっているというのはなかなかおもしろい現象ですよね。もちろん、プロ歌手の歌唱現場での伴奏がカラオケでいいのか?!という疑問というか不満を表するかたは一定数いらっしゃるようですね。理解はできる気持ちなんですけど、たとえばわさみんも機会を捉えて生バンド演奏で歌ってはいるんですよね。

 

それにですね、どんなに立派なプロ歌手だって、レコードや CD 収録などの際に生バンドとの一発同時演唱でやる、やれる、というかたが、はたしてどれほどいらっしゃるのでしょうか?ずいぶん前に、生前の美空ひばりさんが原信夫さんのシャープス&フラッツを従えて、一発同時演唱でレコード収録をしていらしたと、読みました。

 

そんなのは伴奏者の側にもたいへんに高い緊張が要求されるんですね。前で歌う歌手が完璧な歌を聴かせている真っ最中に、もしミス・トーンでも出したらすべてがオジャンですからね。またぜんぶいちからやり直しとなります。歌うほうも伴奏するほうも、かなり神経すり減らすのではないでしょうか。完成品の精度・練度を簡便に上げるという意味では、伴奏トラックだけを先に完成させておいて、スターである歌手はあとから、そのカラオケを聴きながら歌入れする、これがある時期以後は一般化したはずですし、いまはほぼ全員がこのやりかたで行っていると思いますよ。

 

(written 2019.7.27)

2019/09/14

野太い真性アフロビート・ジャズ 〜 マイケル・ヴィール

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https://music.apple.com/jp/album/vol-two/1445521828?l=en

 

Astral さんに教えていただきました。
https://astral-clave.blog.so-net.ne.jp/2019-08-12

 

イエール大学で教鞭をとる音楽学者、マイケル・ヴィール。フェラ・クティやアフロビート研究の世界的権威らしいんですが、もうひとつの顔がミュージシャンということで、担当楽器はエレキ・ベースです。やっている音楽もド直球なアフロビート。しかもジャズ・フュージョンふうにアダプトしたとかいうんじゃなく、もろそのまんまなフェラ・クティ仕様のアフロビートをやって、それをジャズに展開しているっていう、そういう音楽家です。

 

そんなマイケル・ヴィール&アクア・イフェの最新作が『Vol. Two』(2018)。これがすごいんですよね。重たくずっしりくる正統派、王道のアフロビートで、なおかつそのままジャズをやっています。こういうのはアフロビート・ジャズっていうんでしょうか、ジャズ・ミュージシャン、DJ、プロデューサーたちのあいだでもアフロビートは人気で、どんどん取り入れ横断されていますが、このマイケル・ヴィールのやりかたはひとあじもふたあじも違います。

 

さすがはフェラ・クティ研究家だけあるっていう、野太い剛球ストレートなアフロビートを展開していて、それはリズム・パターンだけ拝借した(とかいうものは多いし、ぼくは決して嫌いじゃないというか大好き)んじゃありません、バンド・アンサンブルまるごとがフェラ・クティ・マナーなんですね。これはアフロビートが先かジャズが先かわからないっていうような、完璧な一本化じゃないでしょうか。

 

そのへんとてもよくわかるのが4曲目の「スーパー・ノーヴァ」です。そう、ウェイン・ショーターのあの曲ですね。ここでのマイケル・ヴィール・ヴァージョンだと、まずソプラノ・サックス・ソロがあって、そのあとにホーン・アンサンブルでかの有名テーマが演奏されます。そこを聴いてほしいんですけど、フリーなアヴァンギャルド風味だったウェインのあれが、完璧なアフロビート・アンサンブルに変貌しているじゃないですか。

 

しかも「スーパー・ノーヴァ」でも、この野太いグルーヴに貫かれています。リズム・セクションが、といった次元ではなく、バンド全体の出すサウンドにゴッツイ感じがありますよねえ。これ、もともとはジャズ・ナンバーだったんですからねえ。いやあ、ここまでのアフロビート仕様なジャズが仕上がるなんて、マイケル・ヴィール、すごいなあ。「スーパー・ノーヴァ」だけでなく、収録曲はどれも熱くごりごりハードなグルーヴをしていますよね。決してシャープじゃない(いい意味で)。

 

ヴォーカルはいっさいなしのマイケル・ヴィール『Vol. Two』。上に乗るサックスなどの管楽器ソロもたいして意味を持っていないようにぼくには思え、なんたって聴きどころはこのバンド・トータルでのグルーヴの野太さにあると思います。やっぱりアフロビートって聴くのにちょっと気合がいるなというのはこのアルバムでも変わらない印象なんですけど、準備万端で聴けば最高のジャズ作品のひとつが登場しました。ぶっといグルーヴに身をひたしたい気分のときはこれ以上ないアルバムです。

 

(written 2019.8.17)

2019/09/13

ザクザク気持ちいいジュニオール・フェレイラのアコーディオン

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https://open.spotify.com/album/4dmztbYKuEFHMC4Q5eCDJM?si=TZWW9lpoT9qpb1q6z8BQew

 

bunboni さんに教わりました。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2019-07-20

 

ブラジルはバイーア州出身らしい新人アコーディオン奏者、ジュニオール・フェレイラ。そのデビュー・アルバム『カーザ・ジ・フェレイラ』(2018)は、個人的にショーロ作品だと感じます。バイーア人らしいリズムの快活さ、多彩さも目立つ愉快な『カーザ・ジ・フェレイラ』で、本人は歌ってもいますが、そっちのほうはぼくはイマイチ。やっぱりアコーディオンの腕前の確かさにうなりますね。

 

だからアルバム『カーザ・ジ・フェレイラ』でも2曲目の出だしからオオッ〜ってなるんですね。リズムはいかにもバイーアふう。ドラマーのリム・ショットも効いていますが、その上にばば〜っとアコーディオンのサウンドが小気味よく乗ってきたらも〜う快感ですね。途中のエレキ・ギターふくめ、アド・リブ・ソロも歌心満点で、それはやっぱりショーロのそれ由来だなと思わせるのも好感度大。

 

4曲目、5曲目、7曲目、8曲目、11曲目、12曲目と、ほ〜んとリズムのおもしろい曲が多く、カヴァー・ソングもありますけど、ジュニオールの自作だといかにもやっぱりバイーア出身だけあるなというリズム感覚です。しかもその上に自身の軽快な小気味いいアコーディオンが乗ると、心地良いのひとことです。さわやかで、サッパリしていて、ほ〜んと軽やかで気持ちいい!

 

しんみりしたバラード系みたいなのも聴きもので、特に6曲目「Jorge do Fusa」、そしてなんといっても10曲目「Mais Que Bem Querer」は特筆すべきいい出来です。後者なんか、伴奏はいっさいなしのアコーディオン一台だけでの弾き語りなんですもんね。いちおうゲスト・ヴォーカリストがいますけど、ここまでできるジュニオールのアコと歌(もここではグッド)に感心します。ガロートの書いた前者でも、冒頭の無伴奏ソロ部なんか思わずグッと引き込まれるすばらしさ。

 

アルバム最大の聴きもの、白眉は、ぼく的にはラスト12曲目の「Assovio de Cobra」ですね。高速ナンバーなんですけど(フレーヴォ)、アルバム中これでだけホーン・アンサンブルが起用されています。ビッグ・バンドふうにも響くその管楽器のサウンドがこれまた歯切れよく、ジュニオールの弾くアコーディオンとからむと、なんともいえないさわやかみがありますね。サックスやトロンボーンのソロなんかもありますが、やっぱりその後のジュニオールのアコ・ソロのテクニシャンぶり、それなのにそうと感じさせないさわやかな軽快さにゾッコン参っちゃいました。

 

(written 2019.8.16)

2019/09/12

わりかしふつう、ラテン・ジャズ最前線??〜 カーティス・ブラザーズ

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https://open.spotify.com/album/4pmkKBYuZRCoS78iBFsOAb?si=KQ-gCQvkRLu8H43ofWTKDQ

 

<ラテン・ジャズ最前線>などという謳い文句をみかけたので、それについついうっかり釣られて聴いたカーティス・ブラザーズの最新アルバム『アルゴリズム』(2019.8.23)。これ、しかしふつうのハード・バップ作品じゃありませんか。ことさらラテン・ジャズというほどの内容じゃないよう〜。いま2019年にこういった1950年代的ハード・バップがどこまで意味を持っているのかわかりませんが、でも最近ふだんは聴かなくなっているスタイルですから、かえってちょっぴり新鮮で、最後まで聴いちゃいました。そんでもって、ほんのりかすかにはラテン色がありますね、たしかに。

 

ラテン・ジャズ云々と言われるのは、カーティス・ブラザーズの実体であるベーシストの弟ルケス・カーティスと兄であるピアニストのサッケイ・カーティスがプエルト・リコ系のジャズ・メンだからじゃないでしょうか、たぶん。でもってラテン、サルサ系の音楽家との共演キャリアもしっかりあって、といったような両名の素性・経歴でもって、そんなレッテルを貼られているということだろうと思います。

 

しかし中身はふつうのハード・バップである『アルゴリズム』収録の九曲はすべてサッケイが書いているらしく、またバンドのメンツはピアノとベースのカーティス兄弟に、ブライアン・リンチ(トランペット)、ドナルド・ハリスン(アルト・サックス)、ラルフ・ピータースン(ドラムス)。そしてどうやらこのアルバムはライヴ収録のようですね。

 

ごくごくあたりまえにふつうのハード・バップである1曲目「スリー・ポインツ・アンド・ア・スフィア」で幕開け。この後も基本この路線で進むんですが、なかにところどころラテン・ジャズっぽい演奏も出てきますので、そういった部分だけメモしておきます。2曲目「ファイ」でドラマーのラルフ・ピータースンがちょっとおもしろいキューバン・ビートを叩き出していますね。サッカイのピアノとあいまって、ちょっぴりボレーロ/チャチャチャっぽいといえるかも。ホーン・アンサンブルもそんな感じですね。

 

ドラマーのことを書きましたが、実際このラルフ・ピータースンは、今作においてはカーティス兄弟以上の主役ですね。あたりまえの4/4拍子のメインストリームなジャズ・ビートを演奏しているときにでも、手数多めでにぎやかで、ややポリリズムっぽい入り組んだリズムを表現していますよね。このアルバムを最後まで飽きずにぼくがなんども聴けたのは、ひとえにラルフのドラミングのおかげと、あとはベテラン、ドナルド・ハリスンのパッショネイトなアルト・サックス・ソロのおかげです。

 

4曲目「パラメトリック」。これは完璧なラテン・ジャズだといえましょう。いやあ、こういった曲や演奏はいいですねえ。サッカイのコンポジションもピアノ演奏も見事です。各人のソロ内容もいいですが、やはりぼくはそれらのバックでサッカイが弾くややサルサっぽいノリのブロック・コード伴奏と、ラルフのポリリズミックなドラミングに耳が行きます。

 

ラテン・ジャズとはいえないものの、かなり美しいバラードである5曲目「トーラス」を通過し、7曲目の「アンディファインド」。これがかなりの聴きものです。ストレート・ジャズとラテン・ジャズの中間あたりにあるような曲ですけど、熱量がハンパじゃないです。各人のソロ内容も、特にドナルドのアルトなんか、聴いているこっちが溶けそうになるほどパッショネイトですし、みんなの背後でラルフがこれまた壮絶なドラミングを展開しているのが白眉ですね。いやあ、この7曲目の演奏はマジすばらしい。

 

この激アツな7曲目をアルバムのハイライトとし、あとは一種のクール・ダウンみたいなもんですね。しかしラストの9曲目「センセイ」は特筆すべき出来ですよ。このラスト・ナンバーだけホーンはおやすみのピアノ・トリオ演奏なんですけど、三者が三者とも複雑なラテン・リズムを、それもかみあわないズレたそれを各々がレイヤーしているんです。ことにピアノのサッカイとドラムスのラルフのスリリングなインタープレイには耳を奪われますね。この三人でこういったラテン・ポリリズミックなピアノ・トリオ作品を創ればいいのに。そう思わせるほどチャーミングに聴こえます。

 

(written 2019.9.10)

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