2018/11/13

ホレス・シルヴァーのカーボ・ヴェルデ・ブーガルー

なんだ〜こりゃ〜あ!すごいじゃないかホレス・シルヴァーの「ナットヴィル」(『ザ・ケープ・ヴァーディアン・ブルーズ』)!!恥ずかしながらさっきはじめて聴いたのだけど、ビックリしてしまった。タマゲちゃって、部屋のなかで瞬時に3メーターくらい飛んだよ。いやあ、すごいすごい!これを56年間も知らずの人生をやってきたなんて〜〜っ!!

そんでもって、ホレス・シルヴァーの父がカーボ・ヴェルデ生まれだということも、ついでにはじめて知った。シルヴァという姓らしいので、息子ホレスのシルヴァーはそれを英語ふうに曲げただけのものかもしれない。う〜ん、この出自のおかげで、かの傑作「セニョール・ブルーズ」(『6・ピーシズ・オヴ・シルヴァー』)とかが誕生したのかなあ。そのほかホレスにいくつもあるよね。

「セニョール・ブルーズ」その他はどうでもいい、今日はね。「ナットヴィル」と『ザ・ケープ・ヴァーディアン・ブルーズ』(ブルー・ノート、1965年10月録音、66年1月発売) のことだ。これは、かのレーベル公式プレイリスト『ブルー・ノート・ブーガルー』 #BlueNoteBoogaloo に入っていておかしくないワン・トラックだ。それには次作『ザ・ジョディ・グラインド』からタイトル曲が入っている。それもいいけれどもさ。

アルバム『ザ・ケープ・ヴァーディアン・ブルーズ』では、四曲、1「ザ・ケープ・ヴァーディアン・ブルーズ」、2「ジ・アフリカン・クイーン」、4「ナットヴィル」、5「ボニータ」が異様にカッコイイ。カッコよすぎるぞ、なんなんだこれは?!五人全員すごいけれど、いちばんはドラマーのロジャー・ハンフリーズだ。なんじゃこれ!?頭オカシイだろ〜、このものすごいドラミング、正気の沙汰じゃないよ。基本、ラテン調のものをやるときのアート・ブレイキーのパターンかなと思うんだけど、さらに大きく一歩、リズム&ブルーズ/ファンク方面へ踏み出しているよね。実際、その界隈の録音でも活躍した。

ボス、ホレス・シルヴァーのペンも冴えている。「ジ・アフリカン・クイーン」「ボニータ」はミドル〜スロー・テンポでのゆったり大きくうねるディープなグルーヴこそが命の曲かな。テーマ・メロディ演奏部のアンサンブルやテンポ設定&リズム・アレンジなどもいいけれど、ノリに身を任せ、各人のソロ、特にジョー・ヘンダスンとウディ・ショウの充実ぶりを聴いていればいいかなと。いや、でもこのノリはなかなか創れるもんじゃない。内側に折り込まれたスロー・ファンクだね。すごい。

もっとすごいぞと個人的に感じるのがアップ・テンポ・グルーヴァーのブルーズ二曲「ザ・ケープ・ヴァーディアン・ブルーズ」「ナットヴィル」だ。このアルバムでは後半三曲に J. J. ジョンスンがゲスト参加しているのだが、「ナットヴィル」のソロ一番手が JJ だ。しかしそれが出るまでのテーマ合奏部におけるロジャー・ハンフリーズのトチ狂ったようなドラミングで、はや興奮がピークに達してしまう。

JJ のトロンボーンも8ビート・ブーガルーなノリに見事ぴったり乗せてきている。背後でホレスが例によって跳ねるコードを弾くピアノ伴奏。ロジャー・ハンフリーズは狂ったまま爆進する。それらふたつは、二番手ウディ・ショウ、三番手ジョー・ヘンダスンの吹くあいだも同様にもりあげている。ちょっとだけ申し訳程度に4/4拍子のストレート・ジャズ・パートがあるが、無視してかまわない。ドラムス・ソロもあり。

アルバム・オープナーの「ザ・ケープ・ヴァーディアン・ブルーズ」は、同じく8ビート・ブーガルーなグルーヴ・オリエンティッド・ブルーズなんだけど、「ナットヴィル」よりもテンポを落とし身をかがめて、曲調にも哀愁感、言ってみれば(カーボ・ヴェルデふうな?)サウダージが漂っているじゃないか。ジャズ・オリジナル・ナンバーでこんなサウダージあふれるもの、ほかにあるのか?

ちょっぴりブラジル音楽っぽい部分も、曲「ザ・ケープ・ヴァーディアン・ブルーズ」にはあるので、テナー・サックスのジョー・ヘンダスンの旨味がとてもよく似合っているよね。ここでのウディ・ショウはアンサンブルにだけ参加、ソロはホレスとジョーだけ。しかし聴きどころはその内容というよりも、やっぱり曲調とグルーヴだよね。

いやあ、こんな「ナットヴィル」「ザ・ケープ・ヴァーディアン・ブルーズ」みたいなジャズ・トラック、聴いたことなかったよ。もんのすごいなんてもんじゃないね。音楽内容としてカーボ・ヴェルデ(ふう)なところがあるのかどうかちょっとわからないが、異様に鈍黒く光り輝いている大傑作に違いないと、一、二回聴いただけで確信できた。はっきり言ってショックだった。こんなすごいものがあったなんて。タマゲちゃったなあ。

2018/11/12

ロイ・ブラウンの影響力とは

(Spotify に今日話題にするアルバムはまだありませんが、まあ似たようなものでしょう)

ロイ・ブラウン。今2018年にリリースされたばかりの Jasmine 盤新アンソロジー『グッド・ロッキン・トゥナイト:オール・ヒズ・グレイテスト・ヒッツ+セレクティッド・シングルズ 〜 As & Bs 1947-1958』こそ、このリズム&ブルーズ歌手のいちばんいいアンソロジーとなった。中身は選集というより完全集に近いものですらあるしね。

このジャスミン盤コレクション CD『グッド・ロッキン・トゥナイト』には、デラックス録音34曲(1947〜52)、キング録音12曲(1953〜55)、インペリアル録音13曲(1956〜58)をこの順で収録。ロイ・ブラウンの歌で代表作と言えるものはすべてあるとして間違いない。それがレコード発売順に並んでいるので、この歌手の持ち味や変遷もよくわかる。

ロイ・ブラウンは一般的にリズム&ブルーズ歌手とされているけれど、実態はどっちかというとジャズ・シンガーだよね。それくらいこの二者には差がないわけだけど、どうしても納得いかないというかたがたは、あいだにジャンプ・ミュージックを置いて考えてみてほしい。ロイはちょうどそれら三つの真ん中くらいの場所で曲を書き歌った。それがロックンロール・スタンダードともなったんだから、毎度毎度の繰り返しで恐縮ですが、ジャズとロックは「おんなじ」音楽です。

ただ、そこいらへんはなかなか実際の歌やサウンドで実証しにくいというか、実感できるんだけどそのためにはたくさんの黒人ジャズ〜ジャンプ〜リズム&ブルーズ〜ロック・ミュージックを聴いていなくちゃならず、だからやはりふだんはなかなか理解してしていただきにくい面がある。そんなときにこの音楽家をぜひ!と推薦したいのが、やはりほかならぬロイ・ブラウンなのだ。

ロイ自身はビング・クロスビーからの影響が最も大きいと語っていて、ジャスミン盤附属ブックレットの解説者さんは、どこがだよ?!ぜんぜん違うぞ!と言わんばかりの口調でこれを否定し、実際のロイの歌を聴けばわかるはずだとお書きだけど、ジャスミン盤『グッド・ロッキン・トゥナイト』をていねいに聴けば、ぼくなんかにはロイのいうビング・クロスビーからの影響とはわかりやすい発言だと思ってしまう。

つまり、ロイはジャンプ・シャウターと呼ぶにはかなりやわらかくやさしい歌手に聴こえる。ぼくのこの発言も否定されそうだけど、ほかのジャンプ〜リズム&ブルーズ歌手と比較してみてほしい。たとえばロイと同時代に活躍し、ロイの書いた「グッド・ロッキン・トゥナイト」をヒットさせたワイノニー・ハリス、またジャスミン盤の解説者さんがレイ・チャールズの名前をあげてロイはその先取りだったというそのレイとか、彼ら二名とロイのヴォーカルを聴き比べてみてほしい。

同じ「グッド・ロッキン・トゥナイト」一曲だけとってみても、先にヒットしたワイノニー・ヴァージョンに比べ、ロイのはまだかなりジャジーじゃないか。ワイノニーのは曲題どおり今晩やったるぜ!みたいな意気込みに満ちているが、ロイのはリビング・ルームでおとなしく座っているかのようなフィーリングですらあるもんね。後年のエルヴィス・プレスリーのものは、どっちかというとロイのヴァージョンに近い。たぶん、エルヴィスはロイのレコードを参照して下敷きにしたんだね。

このへん、1950年代半ばの白人歌手は、いかにワイルドで猥褻だといっても、やはりまだまだ穏当な表現を心がけたということかも。いまの基準や、あるいは当時の黒人音楽の表現枠からしたら物足りないとすら感じるようなものをエルヴィスは守り、あるいは当時のエルヴィスはまだその程度のやさしいはみ出しかただった。

だから、まあビング・クロスビー的とまでは言えないかもしれないがそんなようなジャジーなポップネスも持ったロイ・ブラウンこそお手本になりやすかったんだと思うなあ、白人歌手にはね。ジャスミン盤『グッド・ロッキン・トゥナイト』で聴けるロイは、かなりな部分、ジャズ・シンガーだってこと。百歩譲ってジャズ・シンガー的。あるいは(ジャズの一部としての)ジャンプ歌手っぽい。でもって、シャウターとは言いがたい。

それでも、黒人ジャズやブルーズから1950〜60年代のリズム&ブルーズ/ソウル・ミュージックが誕生する際に重要な役割を果たしたゴスペル・ミュージック要素をロイは持っていたと、ここだけは確実に言える。この点ではジャスミン盤解説者さんと同意見で、レイ・チャールズが一番手だったとするところに割り込んでロイの名前をぼくもあげておきたい。野卑さというか迫力、パワーではロイはやや劣るものの、先駆者には違いない。

そんな幅広さ(ある意味、アンビヴァレンス)を持っていたからこそロイは、後年の、たとえばクライド・マクファター、リトル・リチャード、ボビー・ブランド、リトル・ミルトン、B.B. キング、ジャッキー・ウィルスン、そしてエルヴィス・プレスリーやロバート・プラント(レッド・ツェッペリン)にまで影響をおよぼすことになったんだとぼくは思っている。決してパンチの効いたシャウターだったからではなくてね。ロイ以上の強すぎる影響力を誇る1940年代のルイ・ジョーダン同様に。

ジャスミン盤『グッド・ロッキン・トゥナイト』を聴けば、デラックス原盤、キング原盤と、ブギ・ウギ・ベースのジャンプ・ナンバーか、またはスローならディープでちょっとメロウなバラードになるか、の二本立てでやっていたとわかるロイ・ブラウンだけど、インペリアル原盤ではラテン調リズム&ブルーズみたいなもの、はっきり言えばニュー・オーリンズ音楽にあるリズム・シンコペイションを表現しているものがあるのも楽しい事実だ。ファッツ・ドミノ・スタイルの、ダダダ・ダダダの三連反復ピアノだってある。そりゃあインペリアルだもんなあ。ロイのそれらもすべてニュー・オーリンズで録音され、プロデューサーはデイヴ・バーソロミューだったようだ。

2018/11/11

自動コード解析アプリ Chord Tracker

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そういう無料の iPhone & iPad アプリをヤマハが作成、配布している。これを知ったのは、ついこないだ、愛媛県大洲市内にただ一軒だけある楽器専門店を訪れて電子鍵盤楽器をちょろちょろ触って遊んでいたら、お店のご主人が、ひょっとして色気のある客と思ったのかカタログだけでもどうぞとヤマハのそれを手渡してくださったのを自宅に持ち帰り、音楽を聴きながら(じゃない時間はないのだが)コーヒーを淹れて、パラパラめくっていたときのこと。その日は10月にしては暑かったので、アイス・コーヒーにした。

そのカタログの、とあるヤマハ製電子キーボードのページに「Chord Tracker」のアイコンが載っていたのだ。iPhoneや iPadにある音楽のコードをそのまま自動分析して表示してくれるとのこと。えっ、これはひょっとして自分の聴いている曲のコードがどうなっているか、どういうコードを使っていてどう進行するのかなどなど、自動解析して表示してくれるアプリなのか?!だったらチョ〜ほしいぞ!と思ったわけなのだ。

心配だったのは、カタログに六個か七個か載っている電子キーボードのうち、Chord Tracker のマークは一個のキーボードのページにしか記載がなかったこと。この鍵盤が必須なアプリなんだろうか?ぼくはこのキーボードほしくないんだけど、っていうかそもそもちっとも弾けないし、どれも買う予定はないけれど Chord Tracker だけほしいなあと思って、最後のページに記載があったヤマハのお問い合わせ窓口に電話してみたのだ。

回答はこうだった:Chord Tracker はアプリ単独でフル作動するもので、自社の電子鍵盤と連動させたいばあいには、そのおっしゃるひとつの種類のキーボードでしかできませんが、そんなことは関係なく Chord Tracker を App Store からダウンロードしていただければ iPhone や iPad 内にある曲のコードを解析してお持ちのディヴァイスで表示しますよ 〜 とのこと。

これには快哉を叫んだね。いままでこんなことはできなかった56年の人生だった。音楽を聴きながら、この曲のここの部分のコードを知りたいという気持ちに駆られることはよくある。どなたもそうだろう。だけど、ぼくには自分の耳でそれを分析する能力がなく、聴いただけではもちろんわからず、ただ部屋にある手持ちのギターで音楽にあわせちょろっと音を拾ってみて、それで、あぁこんなコードかな?とさぐっていただけなのだ。

あるいは(タブ譜本含む)楽譜が売られているものにはコードが掲載されているのでそれを見たり、またネット情報が充実するようになって以後は、曲のトーナリティやコード進行のことも、この曲のここはどうなっているんだみたいなことが載っているサイト、ページもあったりする。また CD 附属の解説文にも書いてあったりが、ときおり。 そんなこんなを手がかかりにしていた。

それでも、コードを知りたい曲や部分のすべてがそれで判明するわけじゃない。しか〜し!ヤマハの Chord Tracker を使えば、iPhone(か iPad)のストレージ内にある曲なら、なんでもぜんぶ!、コードがわかっちゃうのだ!そう思うが早いか、ぼくは App Store でポチっていた。無料ですからね。Chord Tracker が、ぼくの iPhone と iPad で使えるようになって、ちょっと思いついた曲でちょろちょろっとやってみた参考画像が以下の四つ。

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いやあ、こんな楽しいことがあるだろうか。残念ながらというべきか当然か、Chord Tracker は Spotify などストリーミング・サーヴィスで聴けるのでローカル・ストレージには入れていないという音楽のコードは分析しない。分析してほしいと思ったら曲はいったんインポートしなくちゃならんのだけど、それもイージーだ。コードがわかってメモしておけば、削除してもいい。

楽器を弾く、歌うなどの下敷きにしたいということではない、というかそれらどっちもいまのぼくにはムリだ。ただ曲の和音構成がどうなっているのか、知りたいだけなんだ。それだけで聴く際の楽しみが増すからね。聴いてなにか書くときも格段に楽になっていくはずだ。でも、現実にぼくのブログ文章がおもしろくなるかはわからないんだけどね。まあそれでも、ぼく個人は Chord Tracker ですでにかなり楽しんでいるので、それでいいじゃないの〜。

ちなみにだけど、どうでもいい話、ヤマハの電話サポート窓口のかたとお電話でお話していくなかで、やっぱりほしくなっちゃったので、弾けもしないけど買っちゃいましたデジタル・ピアノ。楽器店でもらったカタログには記載がなかった P-125 という88鍵モデル。ギターやウクレレも買い増した。インテリアとして飾ってあるだけでとてもいい。眺めてニンマリ。弾くにしたって、まず楽器がないとできるようにはなんないんだからなあヾ(๑╹◡╹)ノ。

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2018/11/10

あなたはいない 〜 岩佐美咲の別れ歌

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という歌ばかりだ、もはや間違いないという確信になった、岩佐美咲のロスト・ラヴ・ソングズ。ここまでこういった傾向の歌ばかりだと、こりゃあなにかあるんじゃないかと勘ぐってしまうのが人間心理というもの。でもきっとなにもないのかもしれないよね。たんに切なく苦しく哀しい別れ歌ばかり選んでいるということでしかないのだろう。美咲本人がどういう人間なのか、ぼくはなにも知らないし。

美咲のために書かれたオリジナル楽曲もカヴァー・ソングも、男との別れ、離れている、届かない、想いは叶わない、いまはもう失って戻ってこない、とかそんな題材を扱ったものばかりだけど、いや、もちろんそうじゃないうれしみ、出会いと愛の喜び、ハッピーな気持ちを歌ったものだってあるけれども全体数からすれば、例外的な一部として問題ない。

ちょっと具体例として、以前ぼくが作成した岩佐美咲ベスト・セレクションの2018年新ヴァージョンで検証してみようじゃないか。ではまずセット・リストから。

1. 無人駅
2. もしも私が空に住んでいたら
3. 鞆の浦慕情
4. 初酒
5. ごめんね東京
6. 鯖街道
7. 佐渡の鬼太鼓
8. 北の螢
9. なみだの桟橋
10. 石狩挽歌
11. 風の盆恋歌
12. 旅愁
13. つぐない
14. 空港
15. 手紙
16. ブルーライト・ヨコハマ
17. 20歳のめぐり逢い
18. 涙そうそう(アコースティック・バージョン)
19. なごり雪(アコースティック・バージョン)
20. 糸(ライヴ)

7曲目までが美咲オリジナル。このうち、失恋歌じゃないものは、4「初酒」、7「佐渡の鬼太鼓」だけだ。この二曲だって、受け取りようによっては一筋縄ではいかないよ。すくなくともたんにハッピーなラヴ・ソングとかではない。「初酒」はズンドコ調のマーチふうな曲なので、歌詞内容も含め、それでもまだ肯定的に前へ進んでいこうというものだけど、「佐渡の鬼太鼓」のほうは強く濃くドロドロした情念を歌い込んだもの。そこには身を焦がすような苦悶も感じられるじゃないか。

これら二つ以外は、文字どおりの失意歌だけ。それしかない。プレイリスト8曲目以後のカヴァー・ソング・コーナーともなれば、たぶん中島みゆきの「糸」だけかもしれないな、出会いと愛と想いが成就した喜びをストレートに扱ったものは。この曲は結婚式などでもよく歌われるものなんだそうだ。まさにピッタリ。

その前の8〜19曲目のなかで、この曲が最も別れ歌っぽい孤独感、さびしみが色濃く表現されている楽曲かなと感じるのが、12「旅愁」だ。愁いという文字はこの歌の歌詞と曲調にまさにドンピシャ。美咲ヴァージョンでの冒頭から流れるストリングス(はシンセサイザー・サウンド?)が、まるで荒野を吹き抜ける風のごときわびしさを印象派ふうに表している。

美咲はこの「旅愁」でしっとりして落ち着いた表現を心がけ、決して孤独感きわまったように強い調子で声を張ったりせず、逆にアイドルふうの可愛いキュートな発声でチャーミングさをふりまきもせず、ただこの歌詞をひたすら淡々と、あたかも無表情を装ったかのように声に陰影を付けもせず、スッとナチュラルに、まるでヴォーカロイドのように、歌っている。

そんな美咲のヴォーカル表現は、かえって「旅愁」という孤独哀歌の主人公のさびしみを強く訴えかけ聴き手に伝えることに成功している。「いまどこに」「遠い夢のなか」「あなたはいない」「私の夜空に星は見えない」云々という、これでだいじょうぶか?と心配してしまうほどの主人公の内心を色濃く打ち出すことができているんだよね。

岩佐美咲という歌手がなにものなのか、彼女のことや、また関係する長良事務所、徳間ジャパンのことなど、ぼくはなにひとつとして知りませんが、なにかのひとつの強い気持ち、満たされることのない孤独な人間だけが持つ闇の奥のような部分、そのようなものを表現し伝えるべくしてこの世に存在し歌っている、とは言えるのだろうか。

2018/11/09

マイルズ・バンドでのジミー・コブおそるべし

マイルズ・デイヴィス・バンド史で1975年一時隠遁前のドラマー歴は、フィリー・ジョー・ジョーンズ、トニー・ウィリアムズ、ジャック・ディジョネット、アル・フォスターでぜんぶだということになっていて、たとえばジミー・コブは地味めな資質もあって度外視されているかもしれない。という書きかたはよくないな、ぼくだけがそう思っていたかもしれない。

ここ数ヶ月の記事内容ですでにおわかりのとおり、マイルズの(黄金の)セカンド・クインテット(1964〜67)で聴ける8ビートのラテン・リズムなジャズ・ブルーズっぽいもの、すなわちいわゆるブルー・ノート・ブーガルー #BlueNoteBoogaloo のマイルズ的展開に強い興味が出てきている。マイルズ・ミュージック史でその起源をさぐると、どうも1961年の『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』にある「テオ」かもしれないということになるんだなあ。

あの「テオ」は8ビートではなくて3/4拍子のジャズ・ワルツなんだけど、でもジミー・コブのドラミングを聴いてほしいのだ。シンバル+スネアのリム・ショット&打面打ち+タムを組み合わせながら、かなり込み入った複雑なビートを叩き出しているじゃないか。三拍子とはいえ、ポリリズミックな6/8ビート、すなわちハチロクのノリを予言・内包しているかのよう。

マイルズの全音楽キャリアをじっくりたどっても、こんなドラミングはそれまでちっとも聴けないんだなあ。1961年の「テオ」でいきなりどうしてこんなことになっているんだろう?しかもこの曲はスパニッシュ・スケールを使ったアンダルシアふうな旋律展開を持っていて、マイルズも(ゲスト参加の)ジョン・コルトレインも、そんなソロ内容を聴かせている。

ってことはこの1961年3月21日録音の「テオ」は、メロディにおいてもリズムにおいても、1960年代後半のブーガルー・マイルズを先取りしたものだっていうことになるよ。どうこれ?たとえばのほんの三例として今日のプレイリストには「プリンス・オヴ・ダークネス」「マスクァレロ」(『ソーサラー』)、「ライオット」(『ネフェルティティ』)を選んでおいたので、それらで聴けるトニー・ウィリアムズのドラミングと、「テオ」でのジミー・コブを比較してみてほしい。

つまり、ああいったものは突然変異的にトニーがやりはじめたってことではなくって、先鞭がつけられていたということだよね。マイルズ自身の音楽のなかにおいてでもさ。「プリンス・オヴ・ダークネス」「ライオット」では、リム・ショットを中心に複雑怪奇な変形ラテン・ビートを生んでいるあたりも酷似していると思うんだ。むろんトニーのはロック・ミュージック由来の8ビート系で、ジミー・コブのは3/4ビートなんだけど、なんだかちょっとこれは…。

ところでところで、ジミー・コブのドラミングにはあんがい(?)黒いフィーリングがあるよね。地味めの堅実な叩きかたのジャズ・ドラマーにしては、ノリがブラック・ミュージックっぽい。ふつうのメインストリーム・ジャズよりも、ややブルーズとかゴスペル方面に寄ったかのようなスタイルを持っているんじゃないかなあ。そう聴こえるんだけど。

この点、同じモダン・ジャズ・ドラマーで言えば MJQ(モダン・ジャズ・カルテット)のコニー・ケイに似た資質を持っていたかもしれないよね。ジミー・コブのばあいは、ウィントン・ケリーとの親交も含め、ダイナ・ワシントンの専属伴奏ドラマーだったことにも、黒い音楽性を持つ一因があったかもしれない。ふつうのバラードではなんでもなくリリカルにやるが、ブルーズ・スウィンガーなどで真価を発揮していると思うよ、マイルズ・バンドでも。

そんなところ、スタジオ録音でもわかるけれど、1961年のブラックホーク・ライヴやカーネギー・ホール・ライヴでの、たとえば「ウォーキン」や「ソー・ワット」を聴いてほしい。ボスもウィントン・ケリーもすばらしいが、背後で支えるジミー・コブのドラミングがツボをおさえた見事なドライヴァー役を果たしている。カッコイイなあ。

ジミー・コブ、おそるべしだ。

2018/11/08

プリンスのデスカルガ

今2018年晩夏、『レコード・コレクターズ』誌にディスク・レヴューが載ったので知ったプリンスのライヴ・アルバム『グラム・スラム、マイアミ '94』。 Vol. 1と2で計四枚。しかしこれはなんだろう?オフィシャルじゃなくて密造酒を半分飲みかけみたいなものか、あるいは100%海賊かもしれないが、かなりちゃんとした日本語解説文がそれぞれ封入されている。そんなブートレグは見たことないなあ。まあいい。当日は全米で衛星放送されたそうだから、それがソースなんだろう。アマゾンでふつうに買えるんだから話題にしたい。

『グラム・スラム、マイアミ '94』は、1994年6月7日(音楽家の誕生日)から三日間、マイアミにあるグラム・スラム・クラブ(自身で経営)出演のプリンス・バンドによる演唱から構成されているようだ。Vol. 2 のほうにあるスティーヴィ・ワンダー「メイビー・ユア・ベイビー」と、歌なしでギター弾きまくりのサンタナ・メドレーが最大の聴きものかな。そして、ラテン・ナンバー複数が即興ジャムと化しているんだからあたりまえの話だが、サンタナ・メドレーでこそ、いちばんデスカルガになっている。いやあ、楽しい〜。カッコイイですねえ〜。

バンドの編成は、プリンス、トミー・バーバレラ(key)、モーリス・ヘイズ(org)、ソニー・T(bass)、マイケル・ブランド(dms)、マイテ・ガルシア(vo)。サイド・ヴォーカルはマイテだけじゃなく他のメンバーも担当している模様。さらに司会者らしき人物の声も聴こえる。このメンツで『グラム・スラム、マイアミ '94』の Vol. 1 は1994/6/7のフル・ステージを、Vol. 2 は一枚目が6/8、二枚目が6/9から抜粋収録してあるということかな。

この計四枚に収録のカヴァー・ソングは Vol. 2 に集中していて、上記スティーヴィとサンタナ以外にも、ソルト・ン・ペパ(「イッツ・オーライト」)、グレアム・セントラル・ステイション(「アイ・ビリーヴ・イン・ユー」)をやっている。がまあしかしスティーヴィとサンタナこそが白眉だと聴こえるね。さらにいえば、Vol. 1のほうにある生演奏アシッド・ジャズ「スペース」(『カム』)、12小節定型ブルーズの「ザ・ライド」(『クリスタル・ボール』)も最高だし、1st ナイトの締めくくり「シー」のソロなどもかなりいい。

なかでも「ザ・ライド」では、長尺(11分以上)のギター・ソロのなかで、みずから「ハッピー・バースデイ」を弾いているのが微笑ましい。いいねこれ。全体的にはダウン・ホームなアーシー感の強いエグ味のあるブルーズ演奏にしあがっていて、下世話にグイグイもりあげるのが、ブルーズ好きにはたまらない快感だ。いやあ、すばらしい。

Vol. 1&2と両方にある当時の自作コンテンポラリー・ナンバー「ザ・モスト・ビューティフル・ガール・イン・ザ・ワールド」は、Vol. 2 収録ヴァージョンのほうがいいね。しかしこれ、マイテのことを歌った曲のはずだけど、その当人がバンドの一員として参加しているわけだよ。ちょうどワーナーと揉めていた時期だけど、私生活は、あるいは音楽的にも、かなり充実していたってことなんだろうなあ。

さて、目玉であるスティーヴィの「メイビー・ユア・ベイビー」と、「サンタナ・メドレー」。前者では、ちょうど『トーキング・ブック』でレイ・パーカー Jr がそうしていたように、プリンスもギター・ソロで歌を、というか一曲全体をラッピングしている。しかしスティーヴィと違うのは、ギターも歌も本人が同時にやっているということだ。こりゃ〜、目を(耳を?)剥いちゃうよ。すごいなあ、っていまさらですけどね、こんな史上空前の天才に向かって。

三夜目のオープニングだったのかもしれない「サンタナ・メドレー」ではまずドラム・ソロからはじまっているが、それはプリンスが叩いているのだろう。そうだからわざわざ曲名に入っているんだと思う。その後、怒涛のギター弾きまくりパートに突入し、まさにこれぞプリンスのデスカルガと呼ぶべき即興ジャム・セッションを展開。もちろんソンのモントゥーノ、マンボ、サルサの伝統に則ったものではちっともないけれども、サンタナ・ナンバーの連続なんだし、あながち外しすぎではないのかもよ〜。

「サンタナ・メドレー」では一つづつの曲名が記されていない。文字どおりトロトロのジャムになっているから判別困難という面もある。ぼくの聴くかぎり「トゥーサン・ローヴェルチュール(『サンタナ III』)、「ジプシー・クイーン」(『天の守護神』)、「ソウル・サクリファイス」(『サンタナ』)の三曲、とほかすこしが渾然一体となって溶けているように聴こえる。それをインプロヴァイズしてやっているのかなと。

プリンスのライヴではこのマイアミ1994だけじゃなく、そのほかの公式盤二種などでもそうなんだけど、煮込みに煮込んで具材が原型をとどめない濃厚スープとなっているばあいが多く、それを、バンド・メンの演奏あわせ全員で即興ジャム・セッションみたいにやっているという具合だと思うんだ。サンタナ好きだったプリンスらしく、そういうのがしばしばラテン・ミュージック・ジャム化しているから、だからデスカルガだって言うわけ。

もちろん(昨日の記事で書いた)キューバ音楽でのいわゆるデスカルガじゃないんだけどね、ぜんぜん。でもまあいいじゃないか、たまにはことばの意味をひろげて応用しても。JATP みたいなただのライヴ・ジャム・セッションじゃない、プリンス・バンドのばあいは緊密な統合性のもとビシッとタイトに統率され、きっちり展開している。リズムだってハードでグルーヴィでダンサブルなことこの上ない。それにしばしば中南米音楽に寄っているしさぁ。プリンスのライヴ盤を聴くキューバ音楽ファンなら、デスカルガだっていうのにちょっとはうなずいていただけるかもよ〜。

2018/11/07

音楽の楽しみ 〜 デスカルガ

デスカルガ(Descargas)とはジャム・セッションのこと。ラテン・ミュージック、特にキューバのミュージシャンたちのあいだで使われることばだ。それはどんなものなのか、どれほど楽しいのか踊れるか、を端的に示したアンソロジーが、今2018年発売の仏フレモー&アソシエ盤『キューバ・ジャズ:ジャム・セッション - デスカルガ 1956-1961』三枚組。

こ〜れが!だいたい似たような、というかほぼ同じような音楽がどんどん続けて全55曲計四時間弱流れくるけれど、ま〜ったく聴き飽きるということがない、ばかりか楽しさが増すばかり。ここまでメッチャ楽しい音楽アルバムがかつてあっただろうかというくらい、超絶楽しいのだ。いやあ、デスカルガって、ほ〜んとイイですよね!

アンソロジー『キューバ・ジャズ:ジャム・セッション - デスカルガ 1956-1961』は、オリジナルのレコードをそのまま連続収録して並べたもので、ブルーノ・ブルム編纂のフレモー&アソシエ盤としては珍しいと思うのだが、これはたぶん、そうしたほうがデスカルガの享楽をたっぷり味わえるという意図のもと、やっていることなんだと、聴けばわかる。もとのレコード形態ではぼくは一曲も聴いたことがないけれど、間違いないと感じる。

デスカルガなどと呼んでみても、それはしょせんソンのモントゥーノ部の延長だ。だから、マンボにもサルサにも近い。というかこのフレモー&アソシエ盤には、ほぼ100%マンボ or サルサと呼んでさしつかえないものだって収録されている。マンボもサルサもだいたいモントゥーノの発展形なんだから当然だ。ってことはすべてはソンのアフロ形態のなかにあって、それがジャム・セッションに展開したのがデスカルガってことかなあ。

でも北米合衆国のジャズ・ミュージックで聴けるジャム・セッションのたぐいとは大きな違いも聴かれる。それはまず第一にリズムの快活陽気な躍動感がデスカルガでは強い。さらにアド・リブ・ソロ内容の展開も、デスカルガではジャズほど複雑高度ではない。もっとこう、グッとシンプルでわかりやすい親しみやすさで演奏されている。そこがいいんだ。

またこの三枚組でもそうだが、ヴォーカルが入るばあいも短い同一パッセージの単純メカニカルな反復で、モントゥーノの持つそんなアフロ特性を如実に反映したものとなっているのも、ジャズとの大きな違いだ。ヨーロッパふうに上下する<ふつうの>メロディ展開が歌のラインにすら、ない。楽器演奏にも当然あるわけない。ただ、メカニカルな反復あるのみ。

な〜んだ、じゃあアホみたいな音楽じゃないか、と考えるのは、西洋音楽の枠内でしかものをとらえていない証拠だ。(純)ジャズ・リスナーのなかには多いのだろうか?一定の短い同一パターンを延々と反復する、一種のピストン行為でたかまっていく、エモーショナルにもりあがり、演奏者も聴衆も快感を得る、というのは、ジャズのなかにでも、たとえば1940年代のジャンプ・ミュージックにはあった表現様式だ。

しかしそれだってまだまだ遠慮がちに、つまりヨーロッパ方面のみなさまがたに気を遣いながらやっていたことだったと、今日話題にしている三枚組『キューバ・ジャズ:ジャム・セッション - デスカルガ 1956-1961』を聴くと、わかってしまう。キューバ音楽のこんなハッピーなアフロ特性、すばらしいものじゃないですか。

どっちが音楽的に高度だとか、どっちがより洗練されているだとか、よりむずかしいだとか、そんなふうなものごとの思考基準が消えてなくなるような、つまり音楽エンターテイメントにおいてはなにがどう楽しく騒げて盛り上がれるかだけを判断要素にして演奏し聴き踊ればいいじゃないかという、そんな見事な境地が、デスカルガにはあるね。

ブルーノ・ブルム編纂のフレモー&アソシエ盤アンソロジー『キューバ・ジャズ:ジャム・セッション - デスカルガ 1956-1961』、ただたんにひたすら楽しくハッピーだ。ただそれだけ。それでじゅうぶんじゃないの〜。

2018/11/06

あらさがしをするな 〜 キース・ジャレット篇(1)

ゲイリー・ピーコックもジャック・ディジョネットも名手なのにどうしてこんな…、あ、いや、やめときます。キース・ジャレットのスタンダーズ・トリオ。なかなかいいものだってあるよね。個人的には1983年の(えっ、そんな遅かったっけ?)ファースト・アルバム『スタンダーズ、Vol. 1』がいちばん好き。これはマジでいい一枚だと思う。

もちろん当時はアナログ・レコードで聴いていたが、主に A 面を、というかたぶん A 面しか聴いていなかった。というのはそのころ、キース・ジャレットの表現するゴスペルちっくにアーシーな感覚がよくわかっておらず、じゃなくて1983年だとまだ黒人ゴスペルの世界をほぼ知らなかった。だから、B 面1曲目の「ザ・マスカレード・イズ・オーヴァー」はともかく、いまではこの『スタンダーズ、Vol. 1』で最も魅力的だと確信する「ガッド・ブレス・ザ・チャイルド」にピンと来ていなかった。

A 面はストレートにやるメインストリーム・ジャズのピアノ・トリオ演奏だもんね。あのころはまだこういうほうがよかったんだよね。しかしごくごくあたりまえの演奏というだけにはとどまっていない。かなり激しく三者がからみあっているが、キー・パースンは間違いなくジャック・ディジョネットだ。いやあ、すごいよね。ある意味、このアルバムの主役だ。

A 面の三曲ともそうなんだけど、特にむかしからいまでもこれが A 面では白眉と信じる2曲目の「オール・ザ・シングズ・ユー・アー」。左右両手同時で複雑に使いながらジャレットが弾きはじめ、しばらくのあいだはピアノとベースのデュオ演奏に近いというフィーリングで進む。そのあいだ、ディジョネットはブラシでプレイ。この時間は、イントロ部以外、どうってことないと思う。ピアノ・フレイジングはきれいでいいけれども。

ちょっとジャレットがうるさくうなりすぎだと思いながら聴いていって、問題は、じゃなくてすごいことになっているなと思うのは、三分過ぎあたりでディジョネットがスティックに持ち替えてからだ。そこからのビートの激しさは特筆すべき。手数だってかなり多く複雑。これ、手足四本での一発録りとは思えない怪物ドラミングじゃないだろうか。ゲイリー・ピーコックのソロに交代するまでそれが続くが、そこまでが至福の時間。あおられてジャレットもハードに弾きまくっているのがイイ。ふだんの、甘い感傷に流れがちな過度の情緒性がなく、鋭く厳しく硬いピアノ演奏だ。

ベース・ソロも終わってエンディングへ向けて進むパートも好きだ。最終テーマ演奏の前のワン・コーラスでジャレットは、ブロック・コード弾きでテーマの香りのするヴァリエイションを弾く。そこが大好き。気高く爽やかなフィーリングすら漂っているしね。最高じゃないか。こういった演奏も、表面的にはあくまでストレート・ジャズだけど、芯の部分にゴスペル感覚があるってことだろう。

A 面のほかの二曲「ミーニング・オヴ・ザ・ブルーズ」「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」は、当時現役活動中だったかつてのボス、マイルズ・デイヴィスへのトリビュートだったのかもしれない。後者は説明不要。前者はギル・エヴァンズとのコラボでやった1957年のコロンビア盤『マイルズ・アヘッド』にあり。ジャレットの演奏だって二つともリリカルでいいね。まるでまたもう一回共演したいのですという、ひょっとしてラヴ・コールだった??

あるいはビリー・ホリデイがテーマのようになっていたと見ることも可能だ。B 面の「ガッド・ブレス・ザ・チャイルド」はもちろんビリーの自作曲だが、「ミーニング・オヴ・ザ・ブルーズ」は1958年のコロンビア盤『レイディ・イン・サテン』に、あるわけではないのだが、聴いているとまるで教え諭されているような気分になる3曲目の「ユー・ドント・ノウ・ワット・ラヴ・イズ」に「ブルーズの意味を知るようになるまでは、恋とはなにかをわかったとはいえませんよ」と出てくるじゃないか。

まあこれは穿ちすぎかもしれないので、正真正銘ビリー・ホリデイの「ガッド・ブレス・ザ・チャイルド」。いやあ、沁みる、沁みすぎる、このゴスペル化されている一曲がさぁ〜。どうしてこんなにいいんだろう?三人ともアクースティック楽器を使っているが、これはロック・フィールのある8ビート演奏で、さながらゴスペル・ジャズ・ロック。かっこいいなあ〜。

ジャレットの弾くイントロ部からすでにただならぬ気配の漂うこの「ガッド・ブレス・ザ・チャイルド」。ディジョネットが叩きはじめた瞬間に別な高次元に達してしまう。常にピアノ・フレーズと対位的に弾くピーコックがからみ、ボトムスにロックな8ビートを置きながら、ピアニストが感傷的でありかつ崇高なフレーズを連発する様子に、聴き手のこちらまで感極まってしまう。

2018/11/05

somebody, scream! make some noise!

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ライヴ・コンサートの際、観客に極度の静寂を求める音楽家がある。どんどん歓声をあげろ!踊れ!と積極的にうながす歌手もいる。どっちが音楽ライヴのありようとして健全なのか?みたいなことはない。どっちもそれぞれ正常だ。音楽の種類、ありようが異なっているだけだ。だから、まあどっちでもいい話ではある。

東京時代に二度、クラシック音楽のコンサートに出かけたことがある。一度はカザルス・ホールで弦楽四重奏を、一度はサントリー・ホールでシンフォニーを、聴いた。自分が行きたかったからというよりも、当時は結婚していたので、妻の熱心な誘いに OK したというのが実情。二度とも、演奏中の客席は実に静かだったなあ。

キース・ジャレットらのああいった態度は、そういうクラシック・コンサートと同様の鑑賞芸術にジャズを持ち上げたいという、だから聴衆にも高度な静寂を求めるという、そういうことなのかもしれないね。なんでもジャレットのばあい、開演前に場内アナウンスみたいなのがあって、演奏中は決して咳払いひとつしてはいけません、だったかなんだかそんな注意事項が客に告げられるらしい。そして物音がすると、チッ!という態度で演奏を中断するそうだ。

現場で体験したわけじゃなくマスコミを通し伝え聞くだけだから軽はずみなことは言えないが、かりにこの情報が正しいものだったとするならば、ジャレットは頭オカシイのではないだろうか。みずからどんな心境でピアノに向かっていらっしゃるか、あんな超一流演奏家の内面をうかがい知るなど不可能でございますけれども、アホや。だってお金払って聴きにきてくれているオーディエンスに無用の緊張を強いて、それで自分の音楽を楽しんで帰ってもらえると思っているのだろうか?

こんなことがあった。大学生のころの現場での実体験だ。愛媛県松山市の小さなライヴ・ハウス、そう、満席でも50人は入らないだろうという程度の場所で、ある日本人ジャズ・ピアニストとベーシストのデュオ・ライヴがあって、聴きに出かけていったのだ。正確なことは憶えていないが、1980年前後だ。そのジャズ・メンがどなただっかのかは忘れてしまった。

しかし絶対に忘れられない事件が発生した。そのピアニストは、後年のキース・ジャレット同様の指示を、司会者を通し客席に出していた。演奏中は気が散るといけないから決して席を立たないでください、どんなことがあっても、と。それを聞いた瞬間、アホかいなと思いつつ、しかし我が身に関係ないことだからと、まあ右から左へと流しておいたのだ。

ところが演奏中に、隣席の知らない若い女性の様子が尋常ではないことになってしまった。着席したままオシッコをもらしてしまったのだ。あまりの恥ずかしさでとてもその場にいられないという感じだったけれど席を立ってはいけないとの指示だからそうまでなってもジッと座ったまま顔は真っ赤だった。さすがに慌てた会場関係者がその場をとりなしたけれど、強い尿意を感じても「演奏中は決して席を立たないように」との指示を守ろうとした、つまり音楽家の言うとおりにしようとした結果だ。

キース・ジャレットのオーディエンスには女性も多いと聞く。ジャレットはこんなおもらし行為を客に強いているのと同じなんじゃないだろうか。演奏の邪魔だと無用の超静寂を客に強い、しかし人間たるもの生理的反応や発音は避けられないのだがそれも我慢しようとし、結果、たいへんなことになってしまう(かどうか、ジャレットのコンサートでなにかがあったかどうかは知らない)。そうなれば、演奏家本人にとっても本末転倒のはず。

ひるがえってブラック&ラテン・ミュージックやアイドル歌手のライヴ・コンサートでは、事情が正反対だ。ステージ上の歌手たちも声をあげ手を振り、客席に反応を求める(ばあいによっては強いる、笑)。客席で体を動かし揺するばかりか激しくダンスすることも日常茶飯で、演唱中だろうが前だろうが終了後だろうが、客席から大きな歓声と拍手と怒号と…、つまりなんでもかんでもにぎやかに音を出し声をあげ、ステージへレスポンスする。

そう、コール&レスポンスだよね、こういったブラック&ラテン・ミュージックやアイドル歌手のコンサートはね。相互通行の作用で両者ともに一体化し、高まっていく。興奮し、快感を得、楽しんで、カタルシスに至り、満足して帰っていく。クラシック音楽やジャレットさんのコンサートが一方的におしいただくものであるのとは真逆だ。

ステージ上も客席も、わいわいにぎやかでやかましい、相互両方向の呼びかけがさかんである、おたがいが叫び合って手を振りあってにこやかにやる、激しくダンスする、ステージ上の音楽家たちはそれをうながすべく積極的に発言し動く 〜〜 そんなライヴ・コンサートこそが<タダシイ>音楽生現場のありようだ、などとはつゆほども思っていない。だけど、ぼくはすくなくともそういうのが好きだ。

2018/11/04

サッチモ化しているポール・マッカートニーがとてもいい

ちょうどいま来日中なので、機を逸さずメモしておきたい。

昨夜 2018.10.31 に松山市内で OKI さんのソロ・ライヴを体験しにいった同じとき、ポール・マッカートニーの東京ドーム公演が行われた。Twitter や Instagram のぼくのタイムラインにも、いろんな投稿があふれている。いまのポールとは、21世紀のサッチモ(ルイ・アームストロング)なのだということを、ここで声を大にして言っておきたいのだ。

音楽エンターテイメントとはなにか、音楽家とはどういうものか、の理想型がここにあるということなんだ。褒めすぎかもしれないが、1960年代のサッチモに間に合わなかったぼくたちにとっては、いまやポールこそかけがえのない存在なのだ。歌手とは、音楽家とは、芸の人間とは、オーディエンスに楽しんでもらうことがナンバー・ワンの目的で、というかそれがすべてで、そのために100%全力を尽くす、これが理想だとぼくだったら思う。

そんなポピュラー・ミュージックの音楽家の理想を、ただの空想ではなく地で行っていたのが、すなわちフル実現していた、している、のがサッチモであり、現在なら、そうだなあ、1990年代ごろからかな、そのあたりからのポールなんじゃないかと思っているんだよね。いやあ、ポールはここまで来たんだ、あのサッチモの境地にまで到達し、みんなを喜ばせ、楽しませ、幸せな気分にしている。笑顔をふりまき、ギターやベースやピアノを弾き、歌い、ファン・サーヴィスを欠かさず、なにもかもぼくたちリスナーのために、と思ってその思い一筋で、ステージをこなし録音作品を届けてくれる。楽器をトランペットに置き換えれば、そのままサッチモのありようと同じじゃないか。

クラシック音楽の世界には疎いのでなにも言えない。ポピュラー音楽とは、世界のどんなものでも、現場でのライヴや録音物でもって、聴くひとみんなに楽しんでもらいたい喜んでもらいたいとか、ビックリしたり、ときどき切なくかなしい気分にひたって、ちょっぴり泣いたりもし、でも最終的にはきれいに昇華され心が晴れて、それでもって生活を、人生を、元気にやっていこうという 〜〜 そんなことの一助となるというのが、最大最高の効用だとぼくは信じている。

一助どころか、ひとによっては、というかぼくのばあいは間違いなく、人生最大のヘルパーが、というか人生とは、音楽だ。音楽を聴くことに実用的な意味がもしかりにあるとするならば、まさにこの一点にかかわっている。ぼくにとっては生きるよすが、それが音楽だ。聴くひとを、最終的には幸せにしたい、このことだけをひたすら念頭に置いて、音楽を届けてくれたのがサッチモで、20世紀の終わりごろからその役目を自覚し実行しているのがポール・マッカートニーなんじゃないのかな。

だから、サッチモがそうであったようにポールもライヴ・ステージでは歯を見せて満面の笑みを浮かべ手を振り、日本では日の丸の旗を振るようにどこへ行ってもそこの旗を振りまくり、そこのことばでしゃべりかけ、そしてなにより歌と演奏で楽しませれてくれて、会場を去るときのオーディエンスが心ゆくまで満足できた、思い残すことはない、という状態になるまで全力を尽くし音楽をやってくれる。

音楽は、結局、エンターテイメント。このことがすべてだ。エンターテイメントとは、つまるところ、なんなのか?このことを常に忘れず自問自答し、出た答えを不断に実行できる歌手、音楽家こそ、ぼくたちにとっては至高の存在じゃないだろうか。サッチモのばあい、ある時期以後ステージ芸人と化したような姿を批判された、こともある。いまのポールにも、ひょっとしたら否定的な声がある、かもしれない。

でも、そんなネガティヴ発言に耳を貸すことはない。サッチモもポールも、音楽家とはなにか、なにをすべきか、わかっている。わかって、それを実行し、成功している。尊敬しかないじゃないか。

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