2018/01/17

ネズミだけが僕の仲良し 〜 モータウン時代のマイケル(2)

マイケル・ジャクスンのモータウン時代二作目のソロ・アルバム『ベン』。一作目『ガット・トゥ・ビー・ゼア』と同じ1972年のリリースで、そのリリースの間合いは七ヶ月。しかも同じ「イン・アワ・スモール・ウェイ」がどっちにも収録されていて、それはどう聴いても再録音とかじゃなく同じテイクの使いまわし(『ベン』ヴァージョンには冒頭にカウントする声が入っているという違いだけ)。

ってことは、『ガット・トゥ・ビー・ゼア』収録曲も『ベン』収録曲も、録音はほぼ同時期だった可能性があるよね。モータウンでのソロのマイケルの初リリース作品は、シングル盤「ガット・トゥ・ビー・ゼア/マリア」で、アルバムに先立つ1971年10月の発売だった。つまりそれ以前に少なくともこの二曲は完成していたわけだし、二曲しか録音していなかったかどうか、ちょっと僕には判断できない。

昨日も書いたが、そもそもマイケルのソロ・デビューは、ジャクスン5在籍時に、たぶん会社側というか、まあベリー・ゴーディのお遊びというか、ちょっとした試みとして、つまりジャクスン5がどんどん売れるので、その主たるリード・ヴォーカリストに一人でやらせてみたらどうか?っていうだけのものだったんじゃないかと思うんだよね。

だからソロ・デビュー曲の「ガット・トゥ・ビー・ゼア」と B 面の「マリア」の二曲しか録音しなかった可能性もあるかもしれないと僕は想像している。一般の音楽家だったらあまりそんなことはないのかもしれないが、マイケルもアイドルだったんだし、アイドル歌手のばあい国と時代を問わず、シングル盤だけをリリースして、そのシングル発売に向けては、それ用のレコーディングしかしないケースもあるんじゃないかなあ?いや、わかりませんが。

僕の言いたいことは、アルバムの発売年月日ならはっきりとわかっている『ガット・トゥ・ビー・ゼア』と『ベン』の、それぞれの収録曲の録音時期が明確じゃないってことなんだよね。僕の持つ CD 三枚組の Hip-O 盤『ハロー・ワールド:ザ・モータウン・ソロ・コレクション』のブックレットにも、この二作についてはその記載がまったくない。つまりモータウンが記録に残していなかったんだろう。

だからほぼ根拠のない憶測だけど、いちばん上の段落で示唆したように、アルバム『ベン』の収録曲も、アルバム『ガット・トゥ・ビー・ゼア』収録曲とほぼ同時期にできあがっていた可能性があるように思うんだよね。しかしアルバムになったものを聴き比べると、この二枚にはハッキリした違いもあるように思うから、選曲しアルバムに仕立てあげた際にはモータウンになんらかの意図、すなわちマイケルをこんなイメージで売りたいという目論見みたいなものがあっただろうと思う。

その違いを簡単に言うと、一作目『ガット・トゥ・ビー・ゼア』にはハードさがほぼなくて、可愛くプリティにチャーミングな、いわばメロウ・マイケルを前面に押し出していたように思うんだけど、二作目『ベン』での主役は、元気はつらつで少しファンキーに躍動するエナジェティック・マイケルみたいに聴こえるんだよね。こういった制作販売意図が会社モータウンにあったんだろうという僕の推測は、アルバムのできあがりだけを聴くなら、間違いない。

それでもアルバム一曲目の「ベン」は、やっぱり可愛くしっとりした、ちょぴりヨーロッパふうの哀愁もあるバラード・ソングだけどね。ホント〜に、このころのこんなマイケルのこんな声でこんな歌を聴くのは、いまでも素晴らしい体験だ。文句なしに降参するしかない。曲単位でマイケルの全生涯ベスト・ワン・ソングを選ぶべと言われたら、僕なら昨日書いた「ガット・トゥ・ビー・ゼア」か、あるいは「ベン」を選ぶ。

しかしこの「ベン」っていう曲はネズミの歌なんだ。マイケルは私生活でも、この1972年当時からかな?亡くなるまでずっと動物といっしょに暮らしていたが、曲「ベン」では、歌の主人公が、僕の友人はベンという名のネズミ、君だけだよ、どうか僕と仲良くしてねと語りかける内容なんだよね。同名映画の主題歌だったものだ。

それで音楽アルバム『ベン」のオリジナル・ジャケットは、写真左 or 上のようにネズミがあしらわれていたのだが、わりと早くにネズミ駆除が行われ、すぐに写真右 or 下のようなジャケット・デザインに変更になった。僕は長年そっちのネズミなしのジャケット・デザインしか知らなかったんだよね。 ハリウッド映画『ベン』がどんなもので、シリーズとしての前作『ウィラード』がどんな内容の映画だったのかは、書かないでおこう。

シングル盤で発売されたマイケルの「ベン」は自身初のチャート一位に輝いたので、この曲こそエピック移籍前のマイケルにとってはシグネチャー・ソングみたいなものだったかもしれない。ネズミとの交流云々もさることながら、歌のメロディとアレンジがいいよね。エレベ以外はフル・アクースティクなサウンドで、まずギターのアルペジオに乗って13歳のマイケルがソフトに歌いはじめると、その声のトーンのキラメキに胸が苦しくなるほどだ。もちろんネズミだけが僕の親友だから、ほかにだれもいないから、という歌詞あってこそ、僕の胸は締めつけられるんだけど。

アルバム『ベン』では、しかしこんな感じのセンティメンタルなバラードはこれ一曲だけ。といっても曲「ベン」が輝きすぎているから、もうそれだけで十分だという気分にすらなる僕だけど、気を取り直して二曲目以後に耳を傾けると、上で指摘したようにわりと元気なんだ。哀愁とかメロウネスみたいなものは薄く、ファンキーに躍動しているものが多い。

ミディアム・チューンの二曲目「グレイテスト・ショウ・オン・アース」では、特にリフレイン部分で空を駆け抜けていくかのごとき伸びやかなヴォーカル表現だし(曲の旋律もそうだけど)、四曲目「ウィーヴ・ガット・ア・グッド・シング・ゴーイング」も明るく跳ねていて元気そうだ。続く五曲目「エヴリバディズ・サムバディズ・フール」はライオネル・ハンプトン楽団1950年のヒット曲。これは絶対にベリー・ゴーディのチョイスだよね。モロに趣味が出ているもん。でもスウィート・ソウルふうにアレンジしなおしたのが素晴らしく聴こえる。

六曲目「マイ・ガール」は、「ベン」こそが代表曲だというのとは違った意味で、アルバム『ベン』のトーンを象徴する一曲。もちろん問答無用のテンプテイションズ・ナンバーで、1964年の大ヒット・チューン。モータウンって、自社曲をしばらく経ったのちの自社歌手に歌わせるという傾向というか、これは一種のしきたりみたいなもんなのか、社風なのか、そういう部分があるよね。だからマイケルが「マイ・ガール」を歌うのもまた、モータウンではあたりまえのことだったんだろう。

アルバム『ベン』で聴けるマイケルの「マイ・ガール」は本当に元気で、溌剌としていて、こんな女の子ができたよ、まるでドンヨリしていた日に陽光が差し込んでみたいだよ、うれしい〜!っていう歌詞の中身を、これ以上なく気持ちいいフィーリングで歌ってくれている。テンプテイションズ・ヴァージョンはエレガントだけど、マイケルのはキッズ・ソウルみたい感じのポップさで跳ねている。こういう「マイ・ガール」もいいんじゃない?ガキの歌じゃないかって笑わないで。どんなに歳取っても、だれかを好きになったときって、こんな気分だと思うんだ。

九曲目スティーヴィー・ワンダーの「シュー・ビ・ドゥー・ビ・ドゥー・ダ・デイ」でもやっぱり元気はつらつと躍動し、しかもファンキーだ。サウンドもリズム・アレンジもほぼファンク・チューンというに近い。三曲目「ピープル・メイク・ザ・ワールド・ゴー・ラウンド」は、ほぼ同時期のスタイリスティックスの曲で、これはちょっと社会派ソング。オリジナルに忠実なアレンジだけど、マイケルはじっくりと、しかし題材を素直にストレートに歌っている。

2018/01/16

きみに会いにいかなくちゃ 〜 モータウン時代のマイケル(1)

アフリカ系アメリカ人、すなわちアメリカ黒人のなかで世界で最も有名な存在は、間違いなくマイケル・ジャクスンだ。あ、いや、バラク・オバーマかな?でも音楽家に限定すれば、MJ こそ最有名人だとだれも疑わないはずだ。疑う人は、アメリカ音楽のことをちゃんと把握できていない。

もちろんマイケルがそれほどまで大きな存在になったのは、1975年の(ジャクスン5での)エピック移籍後のことで、ソロとしてクインシー・ジョーンズと組んでのアルバム『オフ・ザ・ウォール』『スリラー』をリリースしてからのことだ。エピック移籍後のソロのマイケルがものすごいパフォーマーだったということを、僕だって微塵も疑っていない。本当に素晴らしかったと心の底から信じて賞賛している。

だがしかし、一人のシンガーとしては、モータウン時代のマイケルのほうがより一層チャーミングに聴こえる、少なくとも僕はそう感じるというのも事実。モータウン時代のジャクスン5がコンプリート集みたいなかたちでまとめられているかどうかわからないので、僕は CD 三枚組全50曲のアンソロジーでもっぱら愛聴している。それの三枚目にソロのマイケルも16曲収録されていて、実を言うと、それでソロでのマイケルの歌も代表的なものはだいたい揃ってしまうのだが。
 
ですがね、モータウン時代のマイケルのソロ歌唱はぜんぶで71曲あって、それらにヒジョ〜に強い愛着を感じる僕は、モータウン音源のリイシューを手がける Hip-O が2009年にリリースした CD 三枚組『ハロー・ワールド:ザ・モータウン・ソロ・コレクション』も買ったのだった。これは一生の宝物。アルバムやシングルのリリースでいえば1972年から86年だが、75年のエピック移籍後のリリースも録音はもちろんそれ以前。ブックレット記載では73年録音のものがラストとなっているが、ネットで調査すると74年録音もあるらしい。

モータウン在籍時にマイケルがソロでリリースしたアルバムはぜんぶで四枚。『ガット・トゥ・ビー・ゼア』(1972/1)、『ベン』(72/8)、『ミュージック&ミー』(1973/4)、『フォーエヴァー、マイケル』(75/1)。

ジャクスン5がエピックに移籍したのは75年の8月だったので、1月リリースのアルバムではすでにもうこの事実がわかっていて、モータウンもこんなアルバム題にしたということかもしれない。モータウン時代のマイケルのソロ録音からは、エピック移籍後も二枚、『フェアウェル・マイ・サマー・ラヴ』(84/5)、『ルッキング・バック・トゥ・イエスタデイ』(86/2)がリリースされている。

それら録音時期だったら1971〜74年となるマイケルは13〜16歳。コドモの歌なんか…、とお考えのみなさんにはこの際ハッキリと言わせていただきますが、歌というものの、歌手というものの、ありようをご理解いただけていないのだと僕は思う。



71〜74年、13〜16歳のマイケルのヴォーカルは、たしかにジュヴナイル・ヴォイスだけど、全然コドモじみていないし、もちろん幼稚だなんていう世界からはおよそほど遠い魅力がある。チャーミングの一言に尽きるのだ。この時期のマイケル以上にチャーミングなボーイ・シンガーがこの世にいるだろうか?きっと、いない。

さて、今日は一枚目の『ガット・トゥ・ビー・ゼア』のことだけをとりあげるのだが、このファースト・ソロ・アルバムには確固たる一つの傾向がある。一言で指摘すれば1970年発売のジャクスン5でのシングル・ナンバー「アイル・ビー・ゼア」の世界を拡大し、ソロ・アルバム一枚にわたりその世界を展開したってことだ。言い換えれば、君のいるところに行かなくちゃ、困っていたり悩んでいるんなら、呼んでよね、そっちに行くからっていうもの。それと裏腹な失恋を歌ったものもある。

どの曲がそうだなんて指摘する必要もないはずだ。もしまだお聴きになったことのないかたは、いちばん上でリンクを貼った Spotify のアルバムでちょっと覗いてみてほしい。曲題だけでもだいたいわかるはずだ。このころのマイケルとは縁遠いみなさんだってお馴染みの有名曲カヴァーだってなかにはある。

一曲目「エイント・ノー・サンシャイン」(ビル・ウィザーズ)、十曲目「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」(キャロル・キング)の二つはあまりにも有名だが、それ以外にも八曲目「マリア」はジミー・ラフィンが歌い(マイケルと同時進行だっけ?)、九曲目「ラヴ・イズ・ヒア・アンド・ナウ・ユア・ゴーン」はシュープリームズが歌ったもので、アメリカ黒人音楽ファンなら知っている。

それにしてもアルバム『ガット・トゥ・ビー・ゼア』がビル・ウィザーズの「エイント・ノー・サンシャイン」で幕開けになるっていうのは、これもモータウンのベリー・ゴーディの遊び心だったのだろうか。アルバム・リリース時の1972年には人気絶頂で、ジャクスン5で大活躍し、また一人でのテレビの冠番組もあったりして、そんなマイケルのソロ・デビュー作のトップに、こんなにも渋いトーチ・ソングを置くなんて。

あの時期、ソロでアルバムを出すというのも、最初はマイケル自身というより会社の意向ではじまった企画だったのかもしれないが、歌や芸能の世界ってそんなことが多くても、そこでどれだけ自分の実力を発揮できるかが勝負だ。自らがこれをやりたいと思ってすすんで実行したとしても、それだからそれは音楽家自身の意思だからいいんだとか、逆に会社や事務所が決めたレパートリーは押し付けられたもので、歌手の意思に反し、やりたいものをやらせてもらえなかったなどと考えて否定的にとらえるのは、歌や芸能の世界にウブなんじゃないかと思う。

実際、『ガット・トゥ・ビー・ゼア』で聴けるマイケルのヴォーカルの伸びやかさ、(まだ変声期前だったことも手伝っての)キラキラしたハイ・トーンの宝石のような輝き、パワフルさ、の裏腹のデリケートなガラスのようなもろさと繊細さなどなど、一人のヴォーカリストとしてこんなにキラめいている存在を聴けることは、まずありえない。百歩譲って、滅多にない。

「エイント・ノー・サンシャイン」だけでなく、シュープリームズの「恋ははかなく」もトーチ・ソングで、歌詞内容だけ聴けば、到底13歳の少年なんかに真に迫るようなリアリティをもって歌いこなせないだろうと思われそう。だがもし本気でそんなふうにお考えのみなさんが、あるいはひょっとして1%でもいらっしゃるとすれば、上でも書いたことだが、歌の世界というものを舐めている。

13歳のマイケルが歌う「エイント・ノー・サンシャイン」も「恋ははかなく」も立派な表現力をともなっているじゃないか。その声は大人びているという文章も見つかったのだが、そういったたぐいの意見には僕はくみしないのだ。やっぱり声の質というかトーンはいかにも変声期前という子供っぽいものだと僕は思う。

しかしそんなジュヴナイル・ヴォイスだからこそ、かえって大人の(?)失恋歌をやって、独特の甘い艶やかさみたいなものが出ているんじゃないかと僕には聴こえるんだよね。どんな恋愛にもいつでもともなう危険な香りが漂っているように聴こえる。これがこのころのマイケルに対する僕の見方だ。

さて、そういったものではない、ストレートな求愛歌みたいなもの、すなわち上で指摘したように、ジャクスン5の「アイル・ビー・ゼア」の流れをくむようなものだと、このころのマイケルが持っていたそんなような特質、すなわち可愛らしいが、しかし、いや、そうだからこそ甘く危険でメロウに聴こえるという美点が最大限に発揮されていて、たまらなくチャーミングで絶品だ。

二曲目「アイ・ワナ・ビー・ウェア・ユー・アー」、五曲目「ガット・トゥ・ビー・ゼア」、十曲目「きみの友達」なんかは、この世のあらゆる女性、いや、老若男女みんなが、こう語りかけてほしいと思うくらいのものなんじゃないかなあ。マイケルの声がキラキラ輝いていて、こういう内容をこんな声で歌われたらたまらないでしょう。このころのマイケルにだったら。僕だってこう言われたい。

特に素晴らしいのが「ガット・トゥ・ビー・ゼア」。マイケルが生涯に残した録音で最も美しい曲だといっても過言ではないほどの名曲じゃないかなあ。なにが美しいって、曲のメロディも綺麗だが、マイケルのこの声だ。リード・ヴォーカルをマイケルの一人二重唱にしてあって、それはビートルズもよくやったダブル・トラッキングとかじゃなくて、もう一回再録して重ねたユニゾンだと思う。

その二つのテイクの微妙なズレが生むキラキラとしたガラス細工のような輝きは、まるで天上から舞い降りた天使の歌声といったような美しさに聴こえないだろうか。こんなふうに、ダイアモンドに光を当てたときのようなまぶしく乱反射するような輝けるヴォーカルを、ほかのだれのどの歌で聴けるっていうんだろう?

2018/01/15

黄昏どきに聴くニック・ケイヴの「レット・イット・ビー」がいい

以前、ウアクチのビートルズ曲集の話をしたときに、2001年の映画『アイ・アム・サム』のサウンドトラック盤もビートルズ・カヴァー集として僕は好きだと書いて、文章の最後にほんのちょっとだけ、ニック・ケイヴのやる「レット・イット・ビー」に触れた。
すると、あるかたがすかさず “ニック・ケイヴ” に反応してくださって、コメントしてくださったのだ。記事は2016年7月のものだから、ずいぶんとお待たせしたことになる。といっても申しわけないが、僕はそのリクエストにお応えしようとこの文章を書くのではない。最近の僕にとって、『アイ・アム・サム』サントラのラストでニック・ケイヴがやる「レット・イット・ビー」がどんどんと沁みすぎるほど沁みるようになってきているからというのが大きな理由なんだよね。

アルバム・ラストで、と書いたけれど、調べてみたらそれはオリジナルのアメリカ盤だけのことで、韓国盤、欧州盤、日本盤など、すべて内容の異なるボーナス・トラックが附属するみたいだ。これはちょっとどうなんだろう?いろんな歌手がやるいろんなビートルズ・カヴァーを聴いたあと、最後の最後にニック・ケイヴのあのシンミリした、ゴスペルふうな荘厳さのまったくない、実に淡々と冷ややかに心情を綴るような「レット・イット・ビー」が流れてきて、それがアルバムのクローザーになるからこそ、素晴らしい時間を過ごしたということになるのに。

ニック・ケイヴの「レット・イット・ビー」の話をする前に、映画とアメリカ盤サントラ全体のことについてもちょっとだけ触れておこう。

映画『アイ・アム・サム』は、ショーン・ペンが知的障害のある父を演じるジェシー・ネルスン監督作品。どんな映画だったのかを詳しく書くとネタバレみたいになってしまうので、 Hulu とかアマゾン・プライムで観ることができるし、DVD だってきっとあるはずだから、興味をお持ちのかたはご覧あれ。

映画そのものが泣かせるものだったこととは別に、『アイ・アム・サム』は、映画好きでなくともロック・ファンなら知っているだろう人が多いと思う。全編でビートルズの楽曲が使われているからだ。といってもぜんぶ最近の音楽家によるカヴァー・ヴァージョンだけどね。きっかけは、映画製作にあたり取材した障害者施設にいる多くの人がビートルズ好きだったことにあるんだそうだ。

そこで監督ジェシー・ネルスンは、オリジナルのビートルズ・ヴァージョンを映画で使いたかったそうなんだけど、そりゃ、僕たちだって難しいとわかる。大きな金額と手間がかかってしまうはずだ。なのでそれは諦めて、ビートルズのソング・ブックをいろんな人にカヴァーさせたものを映画で使うことにしたみたい。映画のなかでどうだったのかは観なおさないと忘れたが、サウンドトラック盤は、映画で使われたものとそこからインスパイアされてサントラ盤 CD 用にはじめて演奏、録音されたものとが混じっているみたい。

僕の持つアメリカ盤『アイ・アム・サム』はぜんぶで17曲。エイミー・マンとマイケル・ペンのやる「トゥー・オヴ・アス」(『レット・イット・ビー』)、ウォールフラワーズのやる「アイム・ルッキング・スルー・ユー」(『ラバー・ソウル』)だけがちょっぴり地味で知名度が低めかも?と思うだけで、それ以外はぜんぶビートルズ・ファンでなくたってよくご存知のものばかり。えっ?そうじゃなくって、ビートルズの曲はすべてが超有名ですって?スミマセン。

サウンドが派手だったり、ファズの効いたエレキ・ギターがギュンギュン鳴ったり、ヴォーカリストが激しくシャウトしたりするのは、この『アイ・アム・サム』にはあまり似合わないと僕は思う。あの映画を思い出すのにもちょっぴり邪魔だ。だから11曲目ブラック・クロウズ「ルーシー」、12曲目チョコレート・ジーニアス「ジュリア」、13曲目ヘザー・ノーヴァ「ウィ・キャン・ワーク・イット・アウト」、16曲目グランダディ「リヴォルーション」あたりは、それだけ取り出して聴くのならいいんだけど。

しかし派手めの16曲目「リヴォルーション」は、次にくる17曲目ニック・ケイヴ「レット・イット・ビー」への格好の前振りにはなっているなあ。だから、アルバム『アイ・アム・サム』の前半がずっとアクースティック中心のサウンドで落ち着いて静かなたたずまいを見せているのに、11曲目からちょっと派手めのエレキ・サウンドが続くのは、ニック・ケイヴの「レット・イット・ビー」をラストに置いて際立たせるためのアレンジだったと、僕はそう思うことにしている。だからこれがアルバム・ラストじゃないと、やっぱり。

それほど、17曲目でニック・ケイヴのやる「レット・イット・ビー」の、まずピアノが聴こえてきた瞬間に、ここのところの僕は激しく感動してしまう。そのピアノ・フレーズもそうだし、続いて出るニックのヴォーカルも、素晴らしいさりげなさだ。ポール・マッカートニーの書いた歌詞の持つ、なんというか人生の諦観とほんの小さな希望みたいなものを、ここまで淡々とさりげなく、つまり感情なんか込めていないかのごとく冷ややかに歌えるニック・ケイヴは本当に素晴らしい。

サウンドだって落ち着いている。アクースティック・ピアノ、オルガン、アクースティック・ギター、かなり小さい控えめの音量で演奏するドラムス、これも音量が小さい女声バック・コーラスと、たったこれだけ。ベースは聴こえない。入ってないかも?クレジットを読めれば確認できるはずなんだけど、このブックレットはなんですか?この文字の小ささは?老眼鏡かけても無理だから諦めるしかない。

弾ける人だとは知ってはいるが、たぶんニック・ケイヴがピアノを弾きながら歌っているのではなく、おそらくはほかのピアニストが参加して弾いていると思う(ブックレットが読めませんから〜、根拠なしの憶測です)。そのピアノをメインに据えたサウンドもいいんだけど、ニック・ケイヴの、この、まるでしゃべっているような、僕はいまこんな心境だと、目の前で個人的に語りかけてくれているかのような歌いかたが、文句なしに沁みすぎる。

僕は以前、曲「レット・イット・ビー」のことをとりげて、これはゴスペル・ソングだと指摘して、アリーサ・フランクリンのやる、まさしく教会で歌うゴスペル・ソングへと変貌しているヴァージョンの荘厳さを絶賛し、もともとポールもアリーサのために書いたというのがこの曲の発祥らしいと記事にした。
ポールの歌うビートルズ・ヴァージョンの「レット・イット・ビー」も盛り上がりのあるアレンジだし、アリーサのなんか、輝かしすぎるくらいの気高さ、迫力で、もちろんそんな部分こそがこのアメリカ黒人女性歌手の美点なんだけど、それらに比べるとニック・ケイヴの「レット・イット・ビー」は投げやりなというか、もはや人生を放り出しているかのような退廃すら感じるような歌いかたじゃないか。

しかしニック・ケイヴの歌う「レット・イット・ビー」は、決して人生を諦めきって100%投げ出したりなどはしていない。こういった、あたかもそう聴こえるかのような淡々とした心情、人生も半ばをすぎて終末のことをそろそろ考えはじめなくちゃいけないんだろうか?という気分になりつつある人間の持つ諦観と、その裏に張り付いたほんのかすかな希望みたいなものを、僕はニック・ケイヴの歌うこの「レット・イット・ビー」に感じている。

もはや人生は暮れかけていて、風景は暗くなりはじめている。そこに助けがあって一筋の、細いものかもしれないが、光が差し込むことだって、たまにはあるのかもしれない。いろいろ諦めなくちゃいけないんだろうが、それでも静かに落ち着いて淡々と前を向いて歩んでいこう。そんなメンタリティにこのニック・ケイヴの「レット・イット・ビー」以上にふさわしい音楽はないと思う。
音楽は、ときとして、こうやって人生に寄り添ってくれる。

2018/01/14

オールド・ジャズの面影を残すディジーのニューポート・ライヴ 1957



オリジナルが SP 盤で発売されたものは別として、最初から LP アルバムで発売されたディジー・ガレスピーの作品では、1957年のヴァーヴ盤がいちばん好きな僕。57年7月6日のニューポート・ジャズ・フェスティヴァルでのディジーのビッグ・バンドのライヴ演奏を収録したもの。サイコーなんだよね。

ディジーのアルバムでこれがいちばん好きだというのにはいくつか理由がある。ブルーズ・ナンバーが多いこと。しかしそれでもディジー最大の代表曲ともいうべき「マンテカ」「チュニジアの夜」があること(後者は CD リイシュー時の追加トラックだけど、同じライヴから)。こないだも書いたが大好きなホレス・シルヴァーの「ドゥードゥリン」もあれば、これまた大好きな、このときのディジー楽団の一員だったベニー・ゴルスンの「アイ・リメンバー・クリフォード」もあること。そしてなによりエンターテイニングだということに尽きる。

この最後の理由、すなわち最高の娯楽品であるというのは、ふだんからディジーが発揮していた資質の反映だけど、ビ・バップ以後のモダン・ジャズはこの要素をほぼ失ったように僕には見える。いやいや、そんなことはない、最高のアートこそ最高のエンターテイメントなんだと言われるだろうし、それはそのとおりだと僕も信じている。でもですね、僕は考えかたやものごとのとらえかたが浅薄な単細胞人間なもんで、こういった「娯楽品」「エンターテイメント」という言葉を音楽作品に対し使うばあいは、表面的に面白おかしく、愉快で、笑えて、踊れて、はしゃぐことができるという、そういう意味なんだよね。

ジャズ界に限定すると、そんな、つまり fun であるような要素は戦前のジャズが色濃く表現していたし、戦後でもジャンプ系のものが盛んだったあたりまではしっかりと残っていた。しかしそのジャンプ・ミュージックから派生した二大音楽、ビ・バップとリズム&ブルーズはふた道に分かれてしまった。相通ずる要素もあったけれど、ジャズ界はビ・バップ(のなかにはまだまだジャイヴ・ミュージックな風味もしっかりあったけれど)の持つシリアスさをひた走るようになって、その後いっこうに戻らないまま2018年まで来ている。だから、まあ、やっぱりジャズってそういう音楽なんだろうな、基本。

ジャンプ系のジャズまではしっかりあったお楽しみ要素はリズム&ブルーズのほうにより強く受け継がれ、それがロックへとつながって、ロックもやはりそういう部分を音で表現しているじゃないか。ところがディジーのばあい、直前でも触れたようにビ・バッパーはまだまだわりと芸能的な、はっきりいえばステージ芸人みたいな要素も残していたからなのか、あるいはそんなことと関係なくハナからそんな愉快な人間なのか、自分のやる音楽で芸能要素を強く打ち出しているばあいがある。

このあたり、ジャズとはシリアスな鑑賞芸術品なのだとお考えのみなさんには、きっとディジーも評判が悪いに違いない。しかもディジーのばあい、そんな愉快な芸能エンターテイメント性とアフロ・キューバン志向が分かちがたく一体化している。ブルーズを演奏する際のアティテュードもそうだ。ってことは『ディジー・ガレスピー・アト・ニューポート』が僕のいちばんの好みである理由として上で挙げた四要素は、ぜんぶひとくくりなんだよね。それがディジーというジャズ・マンだ。

『ディジー・ガレスピー・アト・ニューポート』。LP では「クール・ブリーズ」までの全六曲だった(A 面は「ドゥードゥリン」まで)。いま僕の手許にあるのは1992年の米ポリグラム盤のリイシュー CD で、三曲というか3トラックが追加収録されている。

そのなかでメアリー・ルー・ウィリアムズ(ディジーの紹介の声では完全に「メリー」だが)が客演して、彼女自身の代表作『ゾディアック組曲』から「乙女座」「天秤座」「牡羊座」をやり、またメアリー・ルーのピアノで「キャリオカ」をやっているのは、彼女にとって数年の半引退状態からの復帰ステージだったということ以外に、意味はあまりないと思う。それらでだけアレンジャー名の記載がないのは、きっとメアリー・ルーのペンによるものなんだろう。デューク・エリントン楽団のサウンドみたいで好きなんだが、ディジーの楽団でそれを聴く意味は弱い。

ラストの「チュニジアの夜」ではふたたびウィントン・ケリーがピアノを弾いて、しかもこの曲でだけトランペット・ソロが楽団員のリー・モーガンだ。これはかなりいい。がしかしそれでもアフロ・キューバン(なのにどうして北アフリカの地名なんだろう?)な風味は、四曲目の「マンテカ」のほうが色濃いし、このニューポート・ライヴに限らず、僕は「マンテカ」のほうが好きなんだよね。1947年のオリジナルではチャノ・ポゾと共演していたものだ。最高だよ。

『ディジー・ガレスピー・アト・ニューポート』四曲目の「マンテカ」では、リズムと(それにあわせて、どうしてだか “I never go back to Georgia!” と楽団員が合唱していて、おもわずディジーが “What?!” と言っているね、ワッハッハ)ホーン・アンサンブルに続き吹きはじめるディジーのトランペット・トーンも素晴らしく輝いている。この人のばあい、吹奏技巧も最高で音色もブリリアントだけど、ほんのちょっとだけデリカシーが足りないような部分がサウンドにあるような気がして、そりゃあ僕がマイルズ・デイヴィスを聴きすぎなだけかもしれないが、たまにこれはちょっと…、と感じてしまうときもある。

だから『ディジー・ガレスピー・アト・ニューポート』でも、五曲目の「クリフォードを忘れない」で、天才後輩(と、曲紹介でディジーもはっきりと言っている)のことを吹くディジーは、かなりいいとは思うんだけど、う〜ん、まあなんか、僕にはちょっとですね、まぁあれなんです、翳り、憂いが薄いと言いますか…、エレジーなんですから〜。このニューポート・ライヴのときのディジー楽団にはリー・モーガンがいたんですけどねえ…、って、もうやめておこう。

「マンテカ」ならそんな心配をする必要もない。ディジーが陽気で愉快に輝かしく吹きまくってくれているのが文句なしに最高だ。楽団のラテン・ サウンドも楽しすぎる。あ、そういえば、ディジーのトランペット・サウンドって、キューバのソンの楽団で吹くトランペッターの音にちょっと似ているよなあ。ソンとかマンボとか、その他キューバン・ミュージックでもトランペットは欠かすことのできない重要楽器なんだよね。

このニューポート・ライヴでの「マンテカ」。クラベスも聴こえるし、その他キューバ由来の小物打楽器のサウンドが複数聴きとれるが、クレジットは一切ない。チャーリー・パーシップのドラムスしか打楽器奏者は記載がないが、そんなわけあるか〜い。間違いなく聴こえる。しかもその間バンドだってフル・メンバーでアンサンブルを奏でている。不思議だ。じゃあゲスト・パーカッショニストみたいなのがいたのかなあ?あるいは管楽器などを演奏しながら小物打楽器も同時にやったってこと?う〜ん、わからない。どなたか教えてください。

『ディジー・ガレスピー・アト・ニューポート』にあるブルーズ楽曲は、一曲目「ディジーズ・ブルーズ」、二曲目「スクール・デイズ」、三曲目「ドゥードゥリン」、六曲目「クール・ブリーズ」。しかもどれもぜんぶジャンプ・ブルーズっぽいような粘っこい跳ねかたのノリで、1957年のモダン・ジャズ・メンがやっているとは思えないほどの愉快さで、ダンサブル。実際、僕は聴きながら部屋の中で踊っている。少なくとも肩や膝はゆする。思わず自動的にそうなっちゃうもんね。

「スクール・デイズ」ではディジーがヴォーカルも担当しているが、歌詞といってもまとまりのないもので、パラパラと適当に言葉の断片を並べるだけだから、たぶんこれは即興ヴォーカルだよね。日本では「メリーさんの羊」で知られている曲の歌詞も断片的に出てくるが、それにしたってその場で思いついて歌っているんじゃないかなあ。「スクール・デイズ」とかっていうチャック・ベリーの歌みたいなのをさ。1957年だからね。ディジーならきっとチャック・ベリーも聴いていたはず。曲もブギ・ウギ・シャッフルな8ビートなんだしね。

レコードではこれで終わりだった六曲目の「クール・ブリーズ」はタッド・ダメロンの書いたブルーズ。最後のほうまでふつうの4/4拍子のメインストリームなジャズ・ビートで進む。ディジーのトランペット・ソロも斬れ味抜群で素晴らしい。それから、このアルバムにあるすべてのブルーズ・ナンバーで言えることだけど、やっぱりウィントン・ケリーにブルーズを弾かせたら旨味だよなあ。素晴らしい。フル・バンドで迫る怒涛のサウンドも圧巻。さらに、「クール・ブリーズ」では最終盤でディープなタメの効いたノリのスローなリズム&ブルーズに変貌するのがいい。一瞬だけなんだけどね。

2018/01/13

ティト・パリスの新作は渋ボレーロ・アルバムだってこと?





いまの僕は路面店をあてなくぶらついて偶然の出会いを求めることなんて不可能な環境にいるので、新鮮な偶然の邂逅は、いかにネットでブラブラするかにかかっている。だから暇さえあれば行くあても目的もなくネット徘徊しているのだ。音楽だと、いろんな通販サイトや iTunes Store や YouTube などや、そして昨2017年半ばからは Spotify その他だ。そうしないと、ブロガーなどどなたか情報を持つ詳しいかたの文章で知るだけで、そうじゃない発見なんてありえないんだ、いまの僕にはね。

そんなわけで、昨2017年暮れごろ、あてなく Spotify を徘徊していて偶然発見したティト・パリス(カーボ・ヴェルデ/ポルトガル)の新作。リリースされていることを僕はまったく知らなかった。こういったリリース情報って、みなさん、どこで入手なさっているのでしょう?僕のばあい、たとえば Twitter で音楽家やレコード会社がアナウンスしてくれるばあいはそれで知る。Facebook も情報源になるよね。オフィシャル・サイトとかもだ。

しかし Twitter にティト・パリスのオフィシャル・アカウントはないよなあ…、と思ってちょっと Facebook で検索してみたらあるじゃないか。Facebook を情報源として活用するなら問題ないわけだから、ティトを含め何人かオフィシャル・ページをフォローしておいた。もっと早くそうしていれば、あの日の深夜 Spotify で偶然発見した新作『ミン・イ・ボ』だって、もっと早くリリースを知ることができたかもしれない。

Spotify でなんどか聴いたティト・パリスの2017年新作『ミン・イ・ボ』。はっきり言ってジャケットを一瞥しただけで、これはきっと中身もいいんじゃないかと直感したけれど、実際、素晴らしい内容だった。と思って聴いていた数日後、エル・スールに CD が入荷したので、そのまま買った。ネット配信で問題なく聴けるものをフィジカルでも買うっていう僕は、いったいなにをやっているのでしょう?そもそも僕のばあいみなさんとは逆で、CD をどんどん買って聴いて、よかったものだけ Spotify で探して、見つかればそのアルバム・リンクをシェアして、みなさんにご紹介するとか、そんな Spotify の使いかたなんだもんなあ、オカシイぜ、これ(^_^;)。

エル・スールから届いた CD でもやっぱりなんども聴いたティト・パリスの『ミン・イ・ボ』。Spotify にあるものと中身は完璧に同一だから、CD ならではの新たな感慨みたいなものはない。やっぱりジャケットを手にとって眺めて愛でられるから、内容のいい音楽アルバムについては愛着が深くなるということはあるなあ。あと、やっぱり曲の作者、演奏者名一覧とか、その他プロダクションに関係する諸情報を得られる、それではじめてわかってくる部分はたしかにあるから、やっぱり僕はフィジカルを今後も書い続けると思う。だからエル・スール原田さん、ご安心ください。

ティト・パリスの『ミン・イ・ボ』。これってひょっとしたらキューバン・ボレーロのアルバムだってことなんだろうか?もちろんぜんぜんボレーロでもキューバンでもない曲だってわりとある。そういうものは、ブラジル音楽ふうだったりカーボ・ヴェルデのフナナーだったりで、ブラジル&カーボ・ヴェルデ音楽からやっぱり来ているようなものかもなあ。でもアルバム全体をとおし、やや多めなんじゃない?ボレーロとかキューバ音楽が。

以前からメロウな要素が持ち味であるティト・パリスだから、ラテン音楽のなかでも格別甘いものであるボレーロを複数やっていても別に驚くことじゃない。それが新作『ミン・イ・ボ』のなかではかなりいい感じに聴こえてくる。しかもティトの声は、みなさんご存知のとおりの渋さというかしわがれかたというか、ひび割れている塩辛いものだ。だからクルーナー・タイプの歌手がやったのと違って、ティトのボレーロは甘すぎず、センティメントに流れすぎないのがちょうどいい頃合いで、これなら甘い音楽は苦手だとおっしゃる向きにも受け入れてもらえるんじゃないかな。

ボレーロ・アルバムとまで呼ぶのが言いすぎならば、適度な甘さと苦味がブレンドされたラヴ・ソング集には違いないティト・パリスの『ミン・イ・ボ』。キューバ音楽テイストというかサルサ風味というようなものが、一部のブラジル〜カーボ・ヴェルデ音楽スタイルものを除き、わりと強い。特にリズム・スタイルと金管楽器群、なかでもトランペットの使いかたに、それが鮮明に聴きとれると思う。

CD でお持ちでないかたは、いちばん上でご紹介した Spotify のリンクでぜひちょっと聴いてみてほしいのだが、たとえば1曲目「チダデ・ヴェーリャ」からして、特にボレーロではないかもしれないが、キューバン・ソングには違いない。しかもトランペッターの吹くオブリガートのフレーズにはジャズっぽいものだって聴きとれるよね。リズムのスタイルはどう聴いてもキューバ音楽。ヴォーカル・コーラスの入りかたや、曲後半部でブラス・セクションがスタッカート気味のリフを反復するあたりなどもキューバン・スタイルだ。しかもやっぱり甘い。スウィートなボレーロ風味がちょっとはあるよなあ。ボレーロふうサルサ?いや、サルサ・ロマンティカ?

ボレーロだとかキューバン・ミュージックだとか言っているけれども、新作アルバム『ミン・イ・ボ』でいちばん多いティト・パリスの自作曲も、そうじゃない他作の曲も、ぜんぶ曲題も中身の歌詞もポルトガル語だけどね。だから歌詞じゃなく、曲調とかサウンドとかリズム・フィールとかを僕は、いつもいつものことながら、聴いているわけなんだよね。

アルバム2曲目「セル・マズ・クリチェウ」では流麗なストリング・アンサンブルが入ってきて、実に甘くて僕は大好き。しかも木管が聴こえるなあ、これはオーボエじゃないの?と思ってブックレット記載を見たら、どうやらそれはソプラノ・サックスみたいだ。こんなところはフィジカルじゃないとはっきりしない。だがしかしその木管サウンドは、ちょっとソプラノ・サックスっぽくない音色なんだよね。リズムのかたちは、やっぱりキューバン、というかこれはボレーロでしょ?でも甘いというより暗く陰で、つらそうなフィーリングだ。少なくとも濃い翳りがある。歌詞の意味がわからないが、失恋歌??

その後も3曲目「ニャ・チャルメ」(フルート・アンサンブルがある、クレジットは未確認だが、これは間違いない)も同様の翳ったキューバン・ボレーロみたいな感じだが、4曲目「ガッタ・モレーナ」はかなり面白い。キューバン・サルサとカーボ・ヴェルデ音楽が混交したようなフィーリングで、ブラス・セクションのリフやヴォーカル・コーラスはどう聴いてもサルサなのに、リズム・セクションの演奏はフナナーみたいにやっている。一部のブラジル音楽にも似ている。

ティト・パリス同様に渋い男性ゲスト・ヴォーカリストが参加する5曲目「レスポンスタ・ジ・セグレド・ド・マール」も、基本、カーボ・ヴェルデのモルナみたいでありながら、ブラジルのサンバ・カンソーンみたいなフィーリングもあって、その上、やっぱりキューバン・ボレーロにもちょっと似ている甘いコクだって感じとれる。しかしそれにしても、渋い。渋すぎるぞ、これは。

6曲目「ボ」にも男性ゲスト・ヴォーカリストが参加して、こっちはラップを披露している。この曲はサルサみたいな感じだなあ。あ、いや、リズムの跳ねかたがちょっと違う。やっぱりカーボ・ヴェルデ音楽のグルーヴ・タイプだ。快活にジャンプするようなもの。和音構成はちょっと陰というかマイナー調だけど、リズムのノリは明るい。

曲題に反してファドには聴こえない7曲目「ファド・トリステ」、カーボ・ヴェルデ音楽に違いない8、9曲目をはさんで、10曲目「ミンデル・ドノーヴァス」がやっぱりボレーロふう。ストリングスや木管の使いかたなんて、まさしくボレーロ〜フィーリンのやりかただ。でも決して愛を告白したり語りあったりはしていない曲のように思う。っていうか、そういう調子に感じるというだけで、歌詞がわかりませんから〜、間違っているかも。

アルバム中最も鮮明なボレーロなのが、快活な11曲目が終わったあとの終盤12曲目「ドーチェ・パイション」。これはどう聴いても完璧なキューバン・ボレーロだ。メジャー・キーとマイナー・キーの使い分けというか移行のやりかたといい(特にサビへ行く部分)、ボンゴを中心とするリズムの創りかたといい、主役男性歌手の声がひび割れているから甘く聴こえず、渋みがまさっているけれど、これは素晴らしいボレーロに違いないと、どなたでも納得していただけるはず。この12曲目は、僕、すごく好きだなあ。まあたんなるメロウ・ボレーロ好き人間だというだけかもですが。

アルバム・ラスト13曲目「サンティアーゴ・アモール」にも男性ゲスト・ヴォーカリストがいて、ティト・パリスとのデュオで歌う。しかもこの13曲目はピアノ一台だけが伴奏だ。あまりにも渋いというか、なんだろう?この人生の年輪を重ねすぎたみたいなサウンドと歌声は?ティト・パリスって僕より年下なんだけど、精神的ガキである僕なんかよりは、少なくとも音楽的には、はるかに熟している。たんに声がこんな感じだというだけの話じゃないよなあ。

2018/01/12

カナ書き談義 2018

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僕の名前「戸嶋 久」も正しく発音していただけないばあいがある。ファースト・ネームは問題なく「ひさし」とだれでも呼んでくれるけれど、ファミリー・ネームのほうは「とじま」「こじま」になることが多いんだよね。そんなこともあってか、僕はネット活動をずいぶん長く「としま」名でやってきた。漢字表記の固有名詞の読みって、地名もそうだけど、なかなかむずかしい場合があるのは事実だけど。

とまあ、ちょっと思うところあって、昨年末ごろからネット活動の文字どおりすべてを実名の漢字「戸嶋 久」表記でやるようになっている僕。そのこととはぜんぜん関係ないことだが、アメリカ人ジャズ・トランペッター兼鍵盤奏者の Miles Davis も日本語のカナ書きの際は問題がある。いまだにかなりある。まあついこないだまで「マイルス」表記だった人間に言えた義理ではありませんが、いちおう考えを改めましたので。

実はこんなことすべて、油井正一さんの『生きているジャズ史』にぜんぶ書いてある。東京創元社刊の『ジャズの歴史』時代からあった。もとの雑誌原稿が何年に執筆されたものかわからないが、少なくともこの本の初版は1957年。しかしそのなかの一章「カナ書き談義」は、1967年の三訂版で書き加えられたものだ。その「カナ書き談義」での油井さんは、一面、外国人名のカナ書きをなるべくちゃんとやれと言いつつ、反面、でもあまりやりすぎても意味がないとも言っている。

やりすぎるのは無意味だとは、つまり発音体系も表記システムもまったく異なる言語をカナ書きするわけだから自ずと限界があって、どう書いたって原音どおりになんかなりゃしないんだ、不可能なんだから、どんなに近づけた忠実なカナ書きでも、そのまま発音したんじゃ母語話者には通じない、だからこだわってやりすぎるのは意味がないと、ハッキリと明言している(立東社文庫版 p. 213)。

しかしそのいっぽうで、原音とあまりに食い違いすぎる表記を放置したままなのはやはり感心しないとも書いているんだよね。ロック・ミュージックの世界でも、お馴染み物議の Duane Allman とか Delaney Bramlett とか The Faces とか、そのほか本当にいっぱいあるけれどね。もちろん英語圏だけでなく、外国人名一般にあてはまることだ。こだわるかたは、音がわかっているからこそ漢字かな交じり文のなかでも原文字表記のまま書いているばあいもある。僕のポリシーなら、それをやるのは、どう読むのか見当もつかない名前その他だけだ。

それはいい。「カナ書き談義」のなかで油井さんは、いろんなアメリカ人ジャズ音楽家名のカナ書きをとりあげて、これはおかしいとか、これはこうあるべきだとか書いてあるなかで Miles Davis のことにも触れているんだよね。主に Davis のほうの表記にかんしていろいろとお書きだ。大学生のころに読んだときは、「デビス」と ”ビ ” にアクセントを置いて発音するジャズ喫茶族がいるということを、僕ははじめて知った(立東社文庫版 p. 215)。

デイビス、デービス、デイヴィスの三種類の表記を油井さんはとりあげて、まあどれでもいいんじゃないかというのが本音みたいなんだよね。しかし油井さんはそのあとでハッキリ書いている。問題はそこではなく Miles のほうだと。アメリカではマイルズと濁るのだとちゃんと書いてあるんだよね。遅く見ても1967年に書いた文章だから、ジャズ関係のライターさんの文章のなかにマイルズ表記なんてまったくなかったんじゃないかなあ。ぜんぶマイルスだったはずだ。

さらにさらに油井さんは、しかしマイルズと濁点を付けるのも実は問題があるのだとも書いているんだよね。それは日本語話者のばあい、濁音があるとそれを意識してしまう傾向があって、だからマイルズ表記だとズがやや強めに発音されるかもしれない、しかし Miles の語尾の s は消え入るように弱くなるもので、スでもズでも似たような聴こえかた程度なのだから、そこに注意が行かないよう配慮してマイルスと清音の表記なんですよとも書いてあるんだ(立東社文庫版 p. 215)。

Miles の語尾の s にはアクセントなどない、語末で消え入るように弱くなってほぼ聴こえず、「マァ〜ルッ」みたいになっているというのは、ずっと以前に僕もそう書いたし、実際にいろんな録音物で聴くと、やっぱりちゃんと語尾まで聴こえにくいばあいが多いんだよね。それで、油井さんの表現をお借りすればズに注意が行ってしまうのを「避け」(p. 215)る目的もあって、マイルス表記で僕もずっと30年以上通してきた。しみついた怠惰な習慣で、というだけの面もあったと認めておきたい。

それを昨年からマイルズに修正したのは、Miles というスペリングからすればマイルズとなるのはわかっていることだから、英語教師としての僕の心のなかで長年この矛盾がどんどん大きくなってきていて、まるで身体をむしばむ癌のごとく痛むので、それを切除したいという一心だったんだよね。だってマイルスでは間違っていると知っているんだもん。もう到底我慢できなかった。ほかのみなさんがマイルスとお書きになるのはなんとも思わないが、僕自身の表記だけは正しくしたいと決めた。日本語で書くマイルズ専門家のなかでは、たぶん僕が史上第一号だ。

それに、最近まであまりちゃんと聴いていなかった、というか意識していなかったんだけど、マイルズの各種ライヴ・アルバムで英語母語話者であろう司会者が、語尾まではっきりと聴こえるように発音して、すると濁音で「マイルズ・デイヴィス」と紹介しているじゃないかという現実の証拠もいくつか確認できるようになっているしね。

まあその〜、できうることならば、日本のレコード会社のかたがたには、正しく「マイルズ」表記に修正していただきたいと僕は考えている。レコード会社、特にいちばん数の多いソニーさんがマイルズ表記にすれば、世の音楽ジャーナリズムや音楽ライターのみなさんも追随するだろう。これは間違いないと目に見えている。キャピトル、プレスティジ、ブルー・ノート、ワーナーとあって、それぞれ Miles Davis のカナ書き表記は少しづつ揺れているけれど、ファースト・ネームのほうが「マイルズ」になっているのはまだ一社もない。

マイルズ関係のカナ書きではおかしいことがほかにもいっぱいあって、ひどいのがアルバム名や曲名のカナ書きだ。それも固有名詞であるとはいえ、もとは一般の普通名詞から取っているものだから、マイルスか?マイルズか?なんていうレヴェルじゃないよなあ。いちばんひどかったのが、むかしの CBS ソニー盤 LP 題『ライブ・エビル』!

”Live-Evil” のことなんだけど、エビルってなんだよ?!エビルってさ!?全地球がどうひっくりかえっても Evil はエビルになりえない。これがしかしアナログ・レコード時代はずっとこのままだったんだよね。さすがにいまのリイシュー CD ではちょっと修正してあって『ライヴ・イヴル』になっているけれど、まだダメじゃないか。エビル時代を長く体験してきている僕だから我慢できる範囲内かな?と思わないでもないが、一度は修正する機会があったんだから、どうしてそのときに『ライヴ・イーヴル』にできなかったんだ、ソニー?!

“Bitches Brew” もなかなかひどかったよなあ。これもいまではちょっとだけ修正してあって(だからさ、どうせ修正するんなら、どうして一度にちゃんとしないんだ?ソニー?!)、現行の日本盤 CD は『ビッチェズ・ブリュー』になっている。しかしこの「ェ」とか「リュ」ってなんだよ〜!どこからこんなもん、出てくるんだ?さぁ〜っぱりワケわからんじゃないか。

1998年にこのアルバムのボックス・セットが出て、その際『レコード・コレクターズ』誌が特集を組んだ。そのころの編集長は寺田正典さん。さすがは中村とうようさんが創刊した雑誌だけあって、ちゃんと『ビッチズ・ブルー』表記に統一されていた。これはどなたか執筆者の意向がおよんでとかじゃなかったんだよ。編集部の確固たる方針だった。寺田さんはかねてよりローリング・ストーンズ関連のカナ書き表記の問題を指摘なさっていた。チャーリー・ワッツは本当は「ウォッツ」だけど、いまさら直せませんよねえとか、僕にもおっしゃっていたことがある。

だからその『ビッチズ・ブルー』ボックス特集号をきっかけに『レコード・コレクターズ』にしばらく書いていた僕も、なるべく原音どおりにと考えて、いろんな(マイルズ関係ではないものも含む)原稿で実行していたんだけど、ほかのジャーナリズムや日本のレコード会社はやっぱり修正しないもんね。退社して九州にお戻りになって以後、寺田さんは、東京時代にそのへん頑張ってなんとかならないかとやっていましたが、力がおよびませんでした、無駄な努力だったのかもしれませんとおっしゃっていた。

今日僕が書いてきたことは、もちろんマイルズ関係のことだけの問題ではないし、ジャズやロックやなどアメリカ産の英語音楽に限ったことなんかじゃない。すべての外国語のカナ書きについて言えることだ。発音がこうなのだとハッキリわかっているものならば、なるべくそれに即して書きたい。ほかのかたのことはいざ知らず、僕はね。発音がどうだかわからない言葉のばあいは可能な範囲で調査して、そして上でも触れたが漢字かな交じり文のなかに不意に外国語文字が出現するのを日本語使用者しては避けたいので、こうかなと判断できるものは判断したカナ書きにしている。

どうにもこうにも音がわからないばあいは、そのまま書けるばあいはそのまま書くしかないと思ってそうしているのだが、キリル文字やアラビア文字やビルマ文字や、そのほか世界に各種ある、ラテン文字アルファベットではない文字表記は、タイピングするのが僕のばあい容易ではないから、まあなんとなくやりすごしてごまかすしかないと思って、そうしてきている。該当する外国語をちゃんと勉強すれば済む、できるようになる、というような話じゃないような気がする。

2018/01/11

遠くかすんだ眼差し

ローリング・ストーンズがいちばんよかったのはミック・テイラーが在籍していた時期だと、いまではほぼ衆目の一致するところじゃないかと思う。だけど、聴きやすいかどうかはまた別の問題らしく、また特に1970年代にリアルタイムでストーンズを追いかけて聴いていた先輩方にとっては、どうやらロニー・ウッド参加後の『ブラック・アンド・ブルー』(1976)、『女たち』(1978)などがいちばん馴染みがあって、いまでもいちばんよく聴くものだということになるみたい。

僕だと1981年の『刺青の男』がストーンズとの初邂逅だったわけだから、あまりそのあたりのことがよくわからないんだよなあ。正直な本音だが、最初に出会ったときから『ベガーズ・バンケット』『スティッキー・フィンガーズ』『エクサイル・オン・メイン・ストリート』の三つが本当に素晴らしいなあって、心の底からそう感じ、いままでずっと来ていて、そしてそれらがいちばん聴きやすい。『レット・イット・ブリード』はいまでこそ最高だけど、むかしはイマイチで、また『ゴーツ・ヘッド・スープ』『イッツ・オンリー・ロックンロール』(後者は頭の三曲なら大好きだが)だと、いまでもイマイチな感じが拭えない。

ところがここ数年、どうも僕のなかで、『ブラック・アンド・ブルー』はもうちょっと時間がかかりそうだけど、その次の『女たち』(Some Girls) が本当に楽しいと感じるようになってきている。このアルバム、2011年に二枚組のデラックス・エディションが出ているが、僕は買っていない。二枚目は当時の同じセッションからのアウトテイク集だけど、2011年当時のストーンズのサポート・ミュージシャンたちも参加して音を加えているので、これは蔵出し音源集というよりも、2011年の<新作>だよねえ。それはちょっとなあ…。

だから一枚ものしか持っていない『女たち』。ここで音楽の中身には関係のない思い出話を書いておきたい。僕がいまでもよく聴くストーンズの CD は、1993年にこのバンドがヴァージン・レコードと配給契約を結び、そのときにリイシューされた紙ジャケットものだ。ぜんぶ渋谷の HMV で買った。いまでは考えられないことだけど、紙ジャケット製のものが、一廻り大きいプラスティック・ケースに後生大事に入っていたんだが、当時はこういうもんなんだろうと思って店頭でなんの不思議も感じなかった。

しかし渋谷 HMV 店頭で見かけて買ったというのはやや不正確。ちゃんと書くと、1993年にストーンズがヴァージンと契約を結んだ際に一枚のベスト盤がリリースされたんだよね。ローリング・ストーンズ・レーベルを立ち上げてからは、違う会社と新たな配給契約を結ぶたびに、まずベスト盤をリリースするのがこのバンドのお決まりになっているんだよね。だから93年にヴァージンの配給で『ジャンプ・バック』というコンピレイションが出た。

僕はその『ジャンプ・バック』を、当時の勤務先だった國學院大學渋谷キャンパスの生協で見つけて買った。大学教師のばあい、学校にいるあいだも空き時間が多いもんだから、授業準備だけでなく、研究室で本を読んだり同僚と話をしたり、いろいろとやる。國學院大學の渋谷キャンパスも改築して以後はこうじゃなくなったので書くと、改築前は外国語研究室(通称「語研」)というかなりの大部屋が一つあるだけなのが、当時の國學院大學の外国語外国文学教師にとっての、文字どおり唯一の ”研究室”。だから個別の研究室なんか一つもなかった。

英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、中国語というメインの五つの常勤教師だけでなく、非常勤でやってくるそれらの言語の教師も、またやはり非常勤のロシア語やラテン語、古典ギリシア語などなどの教師、そしてそれらの各国語の言語学や文学の教師たち、つまり<全員が同じ部屋で>大きな長椅子に腰掛けて、授業の空き時間にどんどんしゃべっていた。書庫にはそれらにかんする辞書などリファレンス類が整っていて大部屋のとなりにあったので、気になれば数歩で調べに行けた。

だから、一個の同じテーマについて各国語横断縦断で話が展開するというのが日常だったんだよね。手っ取り早く言えば、大学内で軽んじられて、疎んじられていたということだけどね、個々の研究室がないっていうのはさ。だって國學院大學は、この名のとおり国学の研究教育を旨として設立された大学で、現代においても日本文学、日本史、神道学などについてのことこそが重視されているから、それ以外の、たとえば外国語関連の教師連中なんて一つの大部屋に全員いっしょくたに放り込んでおけばオッケーだろうみたいな、いわばかなりぞんざいな扱いを受けていた。よそ者、のけ者扱いってことだ。僕が退職後の現在のことは知らない。

僕たちはそれを逆手に取るなんていう意識もなく(たまにそれを口にする人もいるにはいたが)、大部屋に諸外国語関連の全員がゴッタ煮で放り込まれている状況を楽しんでいたんだよね。実際、本当にしゃべってて楽しかったし、かなり勉強になった。英語だって怪しい僕だけど、それ以外の外国語のことは完全に門外漢だから、英語文学に関連するほかの外国語のことなどでも、諸外国語専門教師のみなさんに、ほ〜んと〜っにたくさん教えてもらえるのがすごくうれしく、すごく楽しかった。

そんなことが、特にどなたの部屋に行くこともなく(だってそんな部屋はないから)、また特定の話題で別個に質問するでもなく、全員が長椅子というかソファーか、それが四つか五つ、サークル状に並んでいる場所にみんな腰掛けて、なんとなくの流れのなかで話していたから、自然に聞いたり教えてもらったりできたんだよね。言葉のことも文学のことも。僕がどなたかに教えることでもあったとするならば、それは音楽関連かサッカー関連のことだけだったような気がする(^_^;)。

まったくストーンズとは関係ない話だった。ゴメンナサイ。そんな大部屋に「出勤」して、講義の時間なんてちょっとだから空き時間のほうが長いわけだから、ときたま息抜きとか休憩の意味で大学生協の購買部で本や CD のコーナーをあてなくぶらつくこともあって、そんなときに1993年にヴァージンからリリースされたストーンズのベスト盤『ジャンプ・バック』を発見したんだよね。それを僕はなんとなくの気分で買った。ご存知のように学生、教師、職員であれば、ちょっと割引価格になるんだよね。だからまあまあ買ったよ、大学生協で、CD も本も。

話がどんどん『女たち』から離れて行っているので、もうやめとこう。生協で買って帰った『ジャンプ・バック』の一曲目「スタート・ミー・アップ」で、僕は自宅で腰を抜かしたんだ。なんだ!?この音は!?ぜんぜん違う!どう違ったのかも鮮明に記憶しているが、それはまた改めて書いてみるので、しばらく待ってください。とにかくほかの収録曲もぜんぶ音がかなり違うのに驚いた僕は、ストーンズのばあい、それまでも配給先を変えた際にまずベスト盤が出て、次いでオリジナル・アルバムのリイシューがあるとわかっていたので、じゃあこの『ジャンプ・バック』の音質で『スティッキー・フィンガーズ』以後の作品がぜんぶ聴けるようになるんだ!と興奮したんだよね。

ようやく話を戻せるけれど、そんなわけで1994年の渋谷 HMV に僕はいたっていうわけ。ヴァージンから発売された(間違いなく新たにリマスターされた新音質の)ストーンズの、『スティーキー・フィンガーズ』以後のアルバムをそこでぜんぶ買ったんだよね。どうしてだか紙ジャケットが大きなプラスティック・ケースに入っていたけれどさ(笑)。この1994年ヴァージン盤で僕はすっかり満足したまま今まで来ているので、ストーンズについては、その後はよほど思い入れのあるアルバム以外、買い直しや買い増しをしていない。

ってなわけで、いまの僕の自室にある『女たち』も紙ジャケットの1994年製。これ一枚だけ。このアルバムのジャケットは、たとえばレッド・ツェッペリンの『フィジカル・グラフィティ』も同趣向だけど、ジャケットに穴が空いていて、ディスクを入れる内袋に印刷されてあるいろんな顔がその穴から見えて、内袋の表裏を替えると穴から見えるものも違ってくるというお遊び仕様。このジャケット仕様が『女たち』のばあい CDで 初めて再現されたのが1994年のヴァージン配給盤だったんだよね。そんな意味でも思い入れがある。

肝心の音楽の中身のことをまだぜんぜん書いていないのに、もうここまで長くなった。アメリカン・ブラック・ミュージック好きの僕だから、ストーンズの『女たち』でも、たとえば一曲目の「ミス・ユー」(ディスコ)、三曲目の「ジャスト・マイ・イマジネイション」(テンプテイションズのカヴァー)、九曲目の「ビースト・オヴ・バーデン」(カーティス・メイフィールド化したストーンズ)などがいちばんのお気に入りなんだろう、と思われそうだ。

もちろんそれらは大好きだ。しかしもっともっと好きなものがある。(レコードでは B 面一曲目だった)六曲目の「ファー・アウェイ・アイズ」とアルバム・ラスト十曲目の「シャタード」だ。この二つは、心の底から大好きでたまらない。一般に前者がベイカーズフィールド・スタイルのカントリー・ソング、後者が1978年当時の英パンク・ロック・ムーヴメントへの古参バンドからの回答だと考えられている。

それはそのとおりだろう。だけど、僕は最初にアルバム『女たち』を聴いたころ、そんなことはちっとも意識しなかったよ。そりゃそうだろう、カントリー・ミュージックもパンク・ロックもまだ知らなかったんだもん。ただただ、「ファー・アウェイ・アイズ」はいいサウンドだなあ、のどかで心休まるなあと、「シャタード」はカッコいいノリの曲だなあ、リズムがいいぞって、漠然とそう感じて、大好きになって、その気分が2018年までずっと変わらず続いている。

たしかに文句なしのベイカーズフィールドなカントリー・ナンバー「ファー・アウェイ・アイズ」。キース・リチャーズもアクースティック・ギターでとぼとぼ田舎町を歩いているかのようなカッティングを聴かせ、といっても歌詞ではクルマを運転していることになっているから、低速度で、カー・ラジオを聴きながらゆっくり走らせているようなフィーリング。ロニー・ウッドもペダル・スティールでうまいプレイを聴かせる。アクースティック・ピアノも聴こえ、また少しだけど効果的にエレキ・ギターも使われている。

そんなサウンドに乗ってミック・ジャガーはアメリカ南部訛りの英語で、歌うでもしゃべるでもないスタイルのヴォーカルを聴かせてくれるのが大の僕好み。米南部英語のアクセントでっていうのはまあまあ重要なことかもしれない。しかしそこにあまり突っ込むと、英語関連でメンドくさがられそうな話になってしまう。とにかくアメリカのカントリー・ミュージックを模した歌をイギリスの連中がやって、その歌のリード・ヴォーカリストが米南部訛りのトーキング・ヴォーカルを聴かせているっていうのが、音楽的にも意味のあることじゃないかなあ。

アルバム・ラスト十曲目の「シャタード」でも、ミックの歌はトーキング・スタイル。描写しているのはたぶんニュー・ヨーク・シティの日常風俗だけど、そんな歌詞内容はこの曲ではどうってことないよなあ。キースが弾く二つのコード(トニックとドミナントだけ)を交互に鳴らすエレキ・ギターのカッティング・スタイルが、カッコいいグルーヴを生んでいるのが僕は大好きで、パンク・ムーヴメントに対しどうのこうのっていうのはあまりよくわからないからなにも言えない。ノリがカッコイイと思って聴くだけなんだ。

「シャタード」でのミックは、基本、しゃべりながら、ときどきなんどか同じ言葉をたたみかけるように反復し、そのことにより、その部分でのヴォーカルのビート感が強調されているのもカッコイイよなあ。意味があったりなかったりする言葉の音をリピートしている部分があるよね。2:46 〜 2:48の up, up, up, up, up とか、2:51〜53のタタタタタとか、カッチョエエ〜。大好きだぁ。そんでもって、突然ぶった切るように幕切れとなるが、その瞬間、エコーで残るシンバルの残響音までいとおしい。

2018/01/10

夢で教わった「ドゥードゥリン」




これも見た夢の話だが、今朝とか昨晩のとかではなく、十日か二週間ほど前だ。おもしろかったから、その朝、ちょっと一言メモしておいたんだよね。「ドゥードゥリン、ヒップ・ホップ」と。これだけでぜんぶ思いだせるほど鮮明な記憶がいまでもある。その朝、ベッドのなかで眠りながら僕は、夢でだれかがヒップ・ホップ・ジャズに仕立てたホレス・シルヴァーの曲「ドゥードゥリン」をやっているのを聴いた。

記憶に間違いがなければ、その夢での僕はニュー・ヨークにいた。そしてたしか時は夕方。日が暮れかけて仄暗くなってきてやや黄色に街も染まってきたころに、僕はどこかの野外でだれかがやるヒップ・ホップ仕立ての「ドゥードゥリン」にあわせて踊っていた。しかし野外であるにもかかわらずレコードを廻すターンテーブルの姿があったのを憶えている。DJ がスクラッチ・プレイしながら、べつのだれかがラップを披露していた。

その「ドゥードゥリン」、リズムの感じは間違いなく今様のヒップ・ホップ・ジャズのノリで、記憶ではたしかふつうのいわゆる歌はなく、しかし管楽器とかピアノとかのソロもなかったように思う。ただビートを創って、その上でラッパーがなにかしゃべりまくっていたのだった。それでも「ドゥードゥリン」だと判断できたんだから、ホレス・シルヴァーの書いたあの印象的にユーモラスな、つまりファンキーなテーマは、その夢でも聴いたんだろうな。

つまり、僕の知る限りまだこの世に存在しないけれど、ホレスのあの曲「ドゥードゥリン」は、もとからそんなような深さ、奥行き、広さ、大きさを持つものなんじゃないかなあ。2010年代のヒップ・ホップ・ジャズにもなりうるような懐の深さを、ホレスによるオリジナル・レコーディングの1954年の時点ですでに持っていたんだよ。なんてことも夢のなかでそれを聴くまで、僕はちっともわかっていなかったけれど。

朝起きて、こんなことを考えて、ちょっとイイかもしれないぞとメモしておいたんだけど、しかし正直に言うと夢を見ている最中や目覚めた直後の僕は、あの曲がなんだったのか、すぐには思い出せなかったんだよね。な〜んかむかしからよく知っているお馴染みのものだけけど、なんだっけなあ〜?と、しばらくもどかしかった。でもなにか現実の音楽を鳴らすとたちまち霧散しそうなので、なにも聴かずに、その<幻の>曲を脳内再生しつつウ〜ンウ〜ンとうなって、それであっ!ホレスの「ドゥードゥリン」じゃん!とようやく気がついた。そんなこと、よくあるんだよね、僕は。夢で聴いた曲をなかなか思い出せないってことが。

気がついて、上で書いたようなメモをしたってわけ。それでその日の朝はやらなくちゃいけないことがたくさんあって、のんびりプレイリストでも作って各種の「ドゥードゥリン」を聴きかえすことがかなわかったので、そのメモだけ残して、プレイリストは夕方に作成して聴いてみたんだんだよね。しかし僕の iTunes ライブラリ内を検索しても、「ドゥードゥリン」は三つしか出てこなかった。

三つとは、ブルー・ノート盤ホレスの1954年オリジナル。アトランティック録音レイ・チャールズの1956年ヴァージョン。ヴァーヴ盤ディジー・ガレスピーの1957年ニューポート・ライヴ・ヴァージョン。編成はホレスのが二管のクインテット、レイのが四管+ピアノ・トリオ編成、ディジーのはビッグ・バンド。アレンジャーはホレスのはホレス自身、レイのはクインシー・ジョーンズ、ディジーのはアーニー・ウィルキンス。

いちばん上でご紹介した自作プレイリストには、最後にもう一個、ヴォーカリーズものを入れておいた。最初にやったのはランバート、ヘンドリクス&ロスだけど、チョイスしたマンハッタン・トランスファーのヴァージョン(2004年『ヴァイブレイト』収録)のほうが面白いんじゃないかなあ。ホレスの書いた「ドゥードゥリン」本来の滑稽味が少しは出ているんじゃないかと思う。マンハッタン・トランスファーって、そんな第二次大戦前のアメリカン・コーラス・グループが持っていたユーモラスなセンス、言い換えればジャイヴィな要素があるよね。と僕は思うんだけど。

でもやっぱり歌入りヴァージョンではなかなかこの「ドゥードゥリン」の持ち味をフルに発揮するのは難しいのかもしれない。’Doodlin’’ という言葉の意味が歌詞付きヴァージョンだと鮮明にわかるんじゃないかという意味もあって入れておいたんだよね。あと、やっぱり楽器演奏ばかりじゃなくって、歌声が聴こえたほうが楽しいんじゃないかな?そうでもない?

Spotify や iTunes Store や YouTube で探すと、楽器演奏の「ドゥードゥリン」がいろいろと出てきたので、ササっとぜんぶ流し聴きしたけれど、1954年ホレス、56年レイ、57年ディジーの三つにはおよばないように僕には思えたので、プレイリストには一切入れなかった。それら三つで十分このファンキー・ナンバーの持ち味、それも2010年代最新ジャズみたいにもなりうるような先見味も聴きとれるはずだと思う。

ホレスの曲「ドゥードゥリン」は12小節のブルーズ・ナンバー。ただし、ほかのいろんなジャズ・メン or ウィミンがやるブルーズとは違っていて、というのはそれらはだいたいキーとテンポだけ決めて即興で演奏しはじめるか、シンプルな音型パターンを反復するだけというのが多いんだけど、「ドゥードゥリン」は作曲の才に長けたホレスらしいちょっと込み入ったテーマ・メロディを持っているよね。その旋律のヒョコヒョコと上下するところが滑稽味をかもしだしている。しかも1954年ホレスのオリジナルでは、演奏冒頭でテーマを三回演奏。その三回目は違うメロディを用意してある。

その後の各人のソロは、ふつうのジャズ・ファンとは違って僕はそんなに重視していないんだ。一番手で出る作曲者自身のピアノ・ソロは、テーマ旋律の持つユーモラスなファンキーさの延長線上にあるなあと思うだけで、テナー・サックスのハンク・モブリー、トランペットのケニー・ドーラム、ドラムスのアート・ブレイキー三人のソロは、別にどうってことはないような…。ヒップ・ホップ・ジャズに化けうるかも?と思うグルーヴ感も、テーマ演奏部以外では薄い。

うん、そうなんだ、この「ドゥードゥリン」のそんなグルーヴは、あのテーマ・メロディの滑稽なフィーリングによってもたらされているのかもしれないよね。といってもだれがやってもそうなるかというとそうはなっていないから(流し聴きしただけですが)、う〜ん、難しい。それでもやっぱりあのテーマの動きかた、上下にヒョコヒョコ動きながら一定パターンを二回反復し、最後の四小節で落とすというか泣かせるというか、笑わせるというこの展開、流れがグルーヴを産むんだ。

1956年のレイ・チャールズ・ヴァージョンでも、ピアノや管楽器のソロじゃなくてクインシー・ジョーンズの書いたアレンジが面白いと思うんだよね。基本、ホレスのパターンを踏まえつつ、そこから大きく引き伸ばし別の展開を見せている。最初と最後のテーマ演奏部における小節ごとの管楽器の使い分けかたなんか、クインシーの手が込んでいるよなあ。ソロのあいだに入れる伴奏リフも楽しい。ホレスもここまではやらなかった。さすがはクインシーだ。1990年代以後のクインシーの音楽は、あたかも「ドゥードゥリン」のヒップ・ホップ・ヴァージョンでもやっているかのような部分もあるじゃないか。

ディジー・ガレスピーの1957年ニューポート・ライヴでの「ドゥードゥリン」。ディジーはご存知のとおりあんなユーモア感覚の持ち主で、ライヴ・ステージでもそれを発揮していたのが、この「ドゥードゥリン」でも聴ける。特に演奏に入る前のおしゃべりでそうだ。 ここのディジーのライヴ・ヴァージョンでは、ホレス、レイのヴァージョンよりもテンポが落ちて、ゆっくり歩いているようなフィーリング。ファンキーなユーモア感覚はこれくらいのテンポがいちばん出しやすいし、アレンジの勝利だ。楽しい〜。

しかもこのディジーのライヴ・ヴァージョンでは、途中からリズム&ブルーズふうな深いノリになるもんね。ドラマーのチャーリー・パーシップもそんな叩きかたをしているように聴こえる。1957年のパフォーマンスだから、そんなテイストがあってもあたりまえのことだ。ディジーの紹介どおり、バリトン・サックスのピー・ウィー・モーが活躍。ソロでというより、随所随所でブワッと尾篭なサウンドを出しているのがおもしろいよなあ。テナー・サックスでいえばホンキングだ。

あっ、ホンク・テナーと書いたいまこの瞬間に思いがおよんだけれど、このディジーの1957年ライヴの「ドゥードゥリン」には、かなりジャンプ・ブルーズっぽいフィーリングが聴きとれるよね。僕はそう思う。約10年遅れのビッグ・バンド・ジャンプみたいなサウンドで、演奏のディープなノリの深さも素晴らしく黒い。ホーン・アンサンブルの音色にも色気があってイイ。

ってことは、やっぱり「ドゥードゥリン」という曲は、ここから約60年後くらいのジャズの新潮流にもつながっているような気がするよねえ。うん、間違いない。

そんなことを夢が僕に教えてくれた。

2018/01/09

神様、サラのものはサラのものです、返してあげてください

サラ・タヴァレスのライヴ DVD『アライヴ・イン・リスボン』。CD が二枚附属しているが、それはこないだ書いたようにダブるものだから、 DVD だけ一枚でリリースしてくれていたら完璧に文句なしだった。あるいは同じライヴ音源を CD 二枚組でもリリースしてもらえたらうれしいんだけどなあ。でも DVD になっている2007年3月27日のリスボン・ライヴは本当にキラキラしていて素晴らしいんだよね。サラが最高にチャーミングだ。

サラのリスボン・ライヴはぜんぶで13曲。トータルで1時間20分程度だから、音楽ライヴの DVD 作品としてはちょっと短めだ。でも観聴きすると、たぶん2007年3月27日のライヴのオープニングからラストまでフル収録されているのかも?思う。パフォーマンスが行われたリスボンのシネマ・S ・ジョルジュがどこだかわからないが、いずれにしても DVD に映し出される観客席を見ると、岩佐美咲がコンサートをやってきたのとピッタリ同じくらいのキャパの会場だね。

オープニングの1曲目「バルキーニョ・ダ・エスペランサ」はサラひとりでの弾き語り。といっても楽器はギターではなく親指ピアノだ。両親がカーボ・ヴェルデ移民だとはいえ、サラはリスボン生まれのリスボン育ちでポルトガル人。でもアフリカン・ルーツ志向みたいな部分を、こんなオープニングにも見てとれるんじゃないかと思うんだよね。親指ピアノ一台だけでやる「バルキーニョ・ダ・エスペランサ」は本当に素朴で純で、一部のアフリカ音楽が保ってきている要素と同時に、(このころまでの)サラの持つ、そんなストレートに素直で屈折していない内面をも表現しているように感じる。

そういえば、このライヴ・アルバムでは、サラの弾くギターのスタイルが、西アフリカのンゴニやコラの奏法をなぞったような弾きかたにときどき聴こえるんだけど、僕の耳がおかしいのかなあ。ばあいによっては親指ピアノのフレーズの創りかたをギターで表現しているの?と思ったりもするんだけど、こっちは僕の考え違いだろう。でも特にコンサート前半でのサラのギターは、たしかに西アフリカの弦楽器を移植したみたいじゃないだろうか。

2曲目「リスボン・クヤ」からサラもナイロン弦のアクースティック・ギター(といっても、ブラジル人などもよくステージで使うやつで、サウンド・ホールはふさいであって、ピエゾ・ピックアップで音を拾ってアンプにつないでいるもの、各種調節スライダーも見える)を弾き、バック・バンドも入ってくる。バンド・メンは、ドラムス、エレベ、パーカッション、ギター&パーカッション、(完全クリーン・トーンの)エレキ・ギター。

彼らのなかにはサラのこのころのスタジオ録音作品でもお馴染みの面々もいるみたい。アンゴラのンドゥ(ドラムス)、ギネア・ビサウのゴギ・エンバロ(ベース)、カーボ・ヴェルデのミローカ・パリーシュ(パーカッション)、ポルトガルのリカルド・アウヴェス(ギター、パーカッション)、セネガルはダカール生まれのカーボ・ヴェルデ人、ボイ・ジ・メンデス(エレキ・ギター)。そしてリカルド・アウヴェスやボイ・ジ・メンデスが歌う曲や、また全員がバック・コーラスも担当。

3曲目「チューバ・ジ・ヴェロン」の後半からリズムが強く快活になってきて、とたんに激しくグルーヴしはじめるのが快感だ。サラもスタジオ作同様に可愛くチャーミングな声でありながら、スタジオ作では強調しない強靭な張りのある伸びる声で、ややシャウト気味に歌ったりもして、本当に楽しそう。

3曲目が終わると同時にははじまる4曲目「バランセ」。お馴染みの曲だが、このリスボン・ライヴでの「バランセ」があまりにも素晴らしすぎる。極上のチャーミングさじゃないか。サラの弾くギターもすごくうまい。声はそっとやさしく、しかし同時に強い。サラのルックスや弾きかた、歌いかた、仕草、表情、歌のフレーズの合間合間に入れる声など、なにもかも可愛いし、美しい。ものすごく楽しそうだ。演唱の出来も文句なしのスウィング感で、この4曲目の「バランセ」は、このライヴ盤『アライヴ・イン・リスボン』の個人的クライマックスにして、サラのいままでの音楽人生でも最高のワン・トラックなんじゃないかなあ。

4曲目「バランセ」では、伴奏陣も文句なしのサポートでサラを支えている。後半からエンディングにかけて何度か入るリズム・ブレイクのキメも抜群にシャープな斬れ味。「♪ば〜らんせ〜♫」と小さくやわらかい声で入れるバック・コーラスも絶妙だ。ボイ・ジ・メンデスのギター・オブリガートやソロも素晴らしい。リズム隊のグルーヴもタイトだ。サラがここまでチャーミングに軽くスウィンギーに躍動するこんな「バランセ」聴いちゃったら、感嘆のため息しか出ないよなあ。僕は今回も口を開けて眺めているだけだった。この「バランセ」が永遠に続けばいいのに…。

サラひとりのギター弾き語りでやる5曲目の「グイザ」はあくまでしっとりと。ボイ・ジ・メンデスが歌う6曲目の「ミラグレ」(では後半サラもヴォーカルを取る)だと、徐々にジンワリと盛り上がっていく。7曲目「プラネタ・スクリ」は快活なグルーヴ・チューンで、ここでもサラとのデュオでボイ・ジ・メンデスがかなり歌っている。エレキ・ギターも決して派手には弾きまくらないが、ツボだけを確実に外さずおさえていく名人芸。7曲目では演奏も後半から賑やかになっていく。

8曲目「ノヴィダージ」から、ドラマーとパーカッショニスト以外、ステージ上のみんなが立ち上がり、サラもそれまで膝にかかえて弾いていたギターにストラップをつけて肩から掛けて弾く。サラは観客にしゃべりかけ、一緒に盛り上がりましょうみたいなことを言っている。実際、サラとオーディエンスとのコール&レスポンスになっている。バンドのリズムのグルーヴィさと斬れ味が素晴らしい。サラのヴォーカルも楽しそうに躍動している、っていうかまぶしすぎるほどの輝き、キラメキで、ちょっと直視できないかと思うくらいの光を放っている。歌のワン・フレーズの合間合間に入れるしゃべりというか叫ぶような声のいちいちぜんぶで、僕は毎回やられてしまうんだ。

9曲目の「ミ・マ・ボ」、10曲目の「ボン・フィーリング」からリズムがヘヴィになる。特にベース・ドラムとエレベの低音が強くずっしりと効きはじめ、グルーヴもカーボ・ヴェルデ系とかポルトガルのなにかというよりも、アメリカのヒップ・ホップ・ミュージックみたいなノリだよなあ。強い低音やギター・フレーズが短い同一パターンを反復し、サラのヴォーカル・スタイル、フィーリングもそれにあわせ変化している。そうかと思うとアフリカ系のリズムみたいに聴こえる部分もある。

11曲目の「ワン・ラヴ」が18分以上もあって、このライヴ盤ではいちばんの長尺だし、盛り上がりかたも最高ということになるはずだ。サラは「椅子に座ってないで、みんな立ち上がって踊って!」と観客にうながしている。サラは本当に楽しそうに、ステージで踊りながらギターを弾き歌っている。歌もダンスしているじゃないか。バンドの演奏もかなりアツイ。リカルド・アウヴェスが歌ったり、エレベ・ソロもあり、また打楽器オンリーのアンサンブルで激しく盛り上がるパートもある。一時期のサンタナ・バンドのライヴ後半部での盛り上がりかたにも少し似ている。

この「ワン・ラヴ」の異様な興奮が、このサラ・タヴァレス2007年3月27日リスボン・ライヴのクライマックスに違いない。いやあ、素晴らしい。その後、サラがふたたび座ってギターを弾きながら歌う12曲目「ニャ・クレチェウ(ミウ・アモール)」はラヴ・バラード。そしてラスト13曲目は「バランセ」のリプリーズ。「リミックス」と記載があるが、生演奏だ。

「バランセ・リミックス」は、軽快に舞っていた4曲目と違ってグッと重心を落とし、ずっしり来る重たいグルーヴで、しかもこれは明らかにレゲエだ。エレベとギターのパターンがはっきりとレゲエを刻んでいる。空間のあるクールにスカしたノリにアレンジしなおしてある。サラも4曲目とは歌いかたをかなり変えてノッているのがわかる。後半部で、リズム・ブレイクをともないながらやるキメも、フィーリングが変化している。

そのまま「バランセ・リミックス」の演唱後半途中で DVD のエンディング・クレジットが流れてきて、この楽しい楽しい2007年のサラ・タヴァレス2007年のリスボン・ライヴは終幕となってしまう。

2018/01/08

サラ・タヴァレスの絶望と希望と、この時代

2009年の『シンティ』以来八年ぶりに、昨2017年にリリースされたサラ・タヴァレスの新作『フィーチャドゥ』(でいいんだろうか?)。聴けば、前からのサラ好きだったらビックリするはず。その音楽のあまりのダウナーさぶりに。暗く落ち込んでいてあまりにも重く、『バランセ』『シンティ』で聴けたような華やかな明るさ、ヒラヒラと蝶のように軽く舞い、しかもそっと聴き手の心情にやさしく降り立つソフト・タッチがどこにもない。消えてしまっている。

僕にはこれがサラ・タヴァレス版『暴動』に聴こえたのだった。もちろんアメリカのファンク音楽家スライ&ファミリー・ストーンのあれだ。共通点は多い。書いたような暗さ、落ち込み、重さなどはもちろんそうだ。だがそれだけじゃない。中音域がなく、妙に低域を強調したヘヴィ・サウンドの質感もかなり似ている。主役ヴォーカリトは軽く舞うことなんて、もちろんないが、叫んだりもせず、下に落とすのようにボソボソとつぶやくだけ。

これがあのサラ・タヴァレスなのか?だれだって戸惑うはずだ。八年のブランクはキャリア初だし、なにがあったんだろう?と思うと、2009年の『シンティ』発表後サラは脳腫瘍をわずらって、いっときは歌手生命を断念せざるをえないようなところに置かれたそうだ。歌手生命どころか人間としての生命すら危うかったのかもしれない。少なくともその覚悟はしたのかもしれない。

サラ・タヴァレスが脳腫瘍の除去手術を受けたのが2010年2月初旬。人生を深く考え込まざるをえない病におかされたんだから、新作『フィーチャドゥ』でこんな姿に変貌するのは当然だったんだろう。例にあげたスライ・ストーンのばあいは病ではなく、1960年代のアメリカ西海岸のあんな毎夜の陽気なパーティみたいな空気を完全に打ち破られてしまった、それも黒人としてアメリカで生きるという意味を深刻に考え込まざるをえなかったという挫折感が、あの『暴動』のダウナーさにつながっていると思うんだけど、サラのばあいは生物学的な絶望に直面していた。

スライのばあいも1960年代は、というか70年のシングル曲「サンキュー」までは、あんなにアッパーな気分で陽気に楽しく跳ねまわっていたのが一変したわけだけど、サラ・タヴァレスの変貌はもっと深刻なものだったんだろう。それを知ってからは、新作『フィーチャドゥ』で聴けるあんなダウナー・ミュージックもサラの正直な表現なのだと戸惑いは消えて、これを僕たちも受け止めなくちゃと心から納得できるようになった。

ただ、いつもいつも僕は言っていることだけど、(音楽だけでなく)作品と作家の実生活とをあまりにも深く結びつけすぎてしまう傾向には、僕はちょっと反対なんだよね。そんなこと言ったってサラ・タヴァレスの脳腫瘍と新作とを結びつけずに聴けますかって〜の!というのが僕も偽らざる心境なんだけど、それでも少し落ち着いて自分を取り戻しいつもの僕に戻って、自律美としての音楽作品としてサラの『フィーチャドゥ』を考えてみたい。

アルバムの全12トラックのうち(12個目は4曲目「コイザス・ブニタス」のリミックス)、 オープニングから7トラック目の「テル・ペイト・イ・エスパソ」までは本当に暗い音楽だ。かなりダウナーに沈み込む。昨日だったか一昨日だったか、サラ・タヴァレスのばあい低域はあまりズッシリ来ないと僕は書いたんだけど、この新作では真逆のサウンドだ。ベース・ドラムとエレベの低音がかなり強調され、音楽全体に重い重い空気が漂っている。

シンセサイザーだろうか、スーッと幕が降りるかのごときサウンドも、そんな重たい空気感に拍車をかけている。まるで闇のなかを歩んでいるかのような黒いサウンドで、その暗さは、強調されているボトムスと幕のようなシンセ音と、それからサラ・タヴァレス自身の弾くアクースティック・ギターが決して跳ねず、ヘヴィなリフを反復するようなところからも来ている。主役の歌いかたもコケティッシュでキュートな部分が100%消え失せて、ボソッとつぶやくような、あるいはつらそうにしぼりだすような、そんな歌いかた。ヴォーカル・コーラスも背後で聴こえるが、それはファーダ・フレディのあの『ゴスペル・ジャーニー』で聴けるものにとてもよく似た響きのダウナーさじゃないか。

あっ、そうだね、いま僕はどうしてファーダ・フレディという文字を指がタイプしたのか自分でもわからない。なんだか自動的にそう書いてしまったんだけど(そんなことはわりとある)、うん、サラ・ラヴァレスの『フィーチャドゥ』とファーダ・フレディの『ゴスペル・ジャーニー』はたしかに分かち持っているものがあるかもなあ。書いてみて自分でもはじめて気がついた(なんてことも多い)。スライの『暴動』じゃなくて、こっちか。いや、それらが三枚がトライアングルになっているのか。

つまりサラ・タヴァレスの新作『フィーチャドゥ』は、直接的にはもちろん彼女自身の病気体験から来るパーソナルな音楽だけど、アルバムとしてできあがったものは、もはやそんな次元を超えている。リリースされた2017年という時代の閉塞感、絶望感、人類が直面している危機感をもとらえ音楽化してくれているかのように僕には聴こえてくる。その意味でも、やっぱりスライ『暴動』、ファーダ・フレディ『ゴスペル・ジャーニー』と、サラの『フィーチャドゥ』が三位一体になっているよなあ。三枚とも僕にはそんな音楽に響く。

サラ・タヴァレスの『フィーチャドゥ』だと、ダブふうな音処理が施されているのも聴き逃せない。特にドラムスのサウンドにそれがわりとハッキリ聴けるじゃないか。ダブとまでは言えなくても音響が独特で、妙なエコーがかかっていたり、音の空気感、質感がふつうじゃなかったりするもんね。そのほか、電気、電子楽器、コンピューター・プログラミングも多用されているし、ここまで加工されていると<添加物>たっぷりで、サラの持ち味だったオーガニックなテイストは失われていると僕は思う。

オーガニックでなくなっていても、否定的な意味で僕は言っているわけじゃない。プライヴェイトで死の危機に瀕し、結果、できあがった作品としては、社会や世界の闇、人類の落ち込みをも表現したかのようなサラ・タヴァレスの『フィーチャドゥ』では、そんな加工されたサウンドが、かえって聴き手の心を鷲掴みにするリアリティがあると思うんだよね。アンゴラのパウロ・フローレスを迎えてやっている11トラック目「フルトゥアール」がアフロビートにアレンジされているのも、そんな路線を強調することにつながって意義深いように思う。

しかしサラ・タヴァレスの新作『フィーチャドゥ』では、8トラック目の「チクソン・ボム」から明るい光が差し込むんだよね。もちろん音楽的な意味で。「チクソン・ボム」がアッパーで陽気で快活な雰囲気の曲だし、サウンドもサラのヴォーカルも、ちょっとだけかつての軽さを取り戻しているように聴こえるチャーミングなもの。しかもスネアのリム・ショット・サウンドがやっぱりダブふうだ。

続く9トラック目「フィーチャドゥ」、10「パラ・センプレ・アモール」、11「フルトゥアール」と重く暗い雰囲気はありながらも、自分(や世界)の絶望的なありようを受け入れ、それを踏まえて立ち上がって前向きに歩んでいこうという(明るいというのとは違うんだろうが)しっかりした肯定感が聴きとれると僕は思う。

だからアルバム・ラストで、いまのところ CD などフィジカルでは聴けない12トラック目「コイザス・ブニタス(リミックス)」を、4トラック目になっている同じ曲とはかなり違う感じのサウンドに仕上げているのは、ハッキリ狙ったものに違いない。ビート創りの基本は同じだけど、4トラック目の冒頭にあったファーダ・フレディの『ゴスペル・ジャーニー』ふうな教会コーラスを12トラック目では外して、ドラムス・サウンドから入り、全体のグルーヴ感もシンプルさと前向きなジャンピーさをより強調する方向にリミックスしてある。

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