2018/12/18

シカゴ・ブルーズの25年(2)

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P ヴァイン盤『シカゴ・ブルースの25年』ディスク2を一言にすれば、ダウン・ホームでもないがモダンでもない、ということになるだろうか。中間的ってことかなあ。そして軽くなく、ひきずるように重く暗い。この最後の点だけとれば、初期シカゴ・ブルーズのダウン・ホーム感に相通ずるものがあるけれど、もはやフィーリングが異なっていて、どっちかというとソウル・ブルーズ、というか R&B スタイルのブルーズになっている。

それでも、シカゴ・ブルーズのイメージを決定づけているのは、以前リトル・ウォルターの記事でも書いたようにアンプリファイド・ハーモニカのサウンドに違いなく、これはマディ・ウォーターズのチェス録音からずっと同じ。というかだいたいあんな世界はマディのレコードこそがつくりあげたものだ。独立活動のむずかしいハーピストにとってはブルーズ・ギタリストのお抱えとなるのが通例で、そのボスとはだれあろうマディだった。

そんなわけで『シカゴ・ブルースの25年』二枚目前半を占めるハーピストの大半もマディと関係がある。関係ないひとも収録されているが、ルイス・マイヤーズ(ギターのあのひと)、ビッグ・ウォルター・ホーントン、リトル・ウィリー・フォスター、スヌーキー・プライアー、ジュニア・ウェルズなどを並べ、シカゴ・ブルーズのサウンドとはどんなものだったか、端的にわかりやすく示したってことかなあ。

こういったハーピストの録音でも、ブギ・ウギ・シャッフルを土台とするジャンプ・ブルーズ/リズム&ブルーズ調になっているばあいも多く、シカゴ・ブルーズの特色が変化しつつあったということがよくわかる構成となっているのも興味深い。粘りつくように泥臭くブルージーとはいっても、南部感覚に根ざしたダウン・ホームなフィーリングとはかなり違ってきている。都会的なブルーズ・サウンドになってきつつあると指摘してもいいだろうか。

そんな、新時代に行きつつあるシカゴ・ブルーズの持つブギ・ウギ・ベースの洗練された大都会ブルーズといった側面は、『シカゴ・ブルースの25年』二枚目だと13、14曲目のロバート・Jr・ロックウッドで一気に開花。解説文の鈴木啓志さんも(一枚目のジョニー・シャインズの項で)強調なさっているように、ロックッドはロバート・ジョンスンの都会派な部分を継承している。ブギ・ウギでありかつ T・ボーン・ウォーカー的に洗練されたジャジーさもあるんだよね。デルタ・カントリー・スタイルなシャインズとは好対照。ロックウッドのそんなところは、ぼく自身、以前一、二度くわしい記事にしたので省略。

『シカゴ・ブルースの25年』二枚目では、19曲目のエルモア・ジェイムズ「イット・ハーツ・ミー・トゥー」(曲はタンパ・レッド作)やホームシック・ジェイムズ「クロスローズ」で、一気にグンとモダンになっているように聴こえるし、耳馴染みのありすぎるロックウッドに比し、新鮮だ。いや、エルモアなんかはやはりふだんから聴きすぎているが、それでもなんだかちょっと違うよね、典型的シカゴ・ブルーズとは。

エルモア「イット・ハーツ・ミー・トゥー」(チーフ)https://www.youtube.com/watch?v=958Gw-tCbmg

ホームシック・ジェイムズ「クロスローズ」https://www.youtube.com/watch?v=GKLJH23j5HM

どっちもスライド・ギター・プレイで聴かせる、というかそもそもホームシック・ジェイムズのロバート・ジョンスン解釈はエルモアのに沿ったもので、だから二曲ともエルモア・スタイルのモダン・ブルーズというべきか。しかしホームシック・ジェイムズなんかは初期シカゴ・ブルーズ・メンのひとり。それが1960年代にはこんな演唱を残しているというのが、シカゴ新時代を感じさせるもので、おもしろいサンプルだ。

その後、『シカゴ・ブルースの25年』二枚目は、モーリス・ピジョーを経て、かのオーティス・ラッシュ、マジック・サム・バディ・ガイといった完全新世代へと突入。しかし、これはディスク3に収録したいモダン・シカゴ・ブルーズが収録時間の関係でこっちにはみ出しているだけのことだから、明日話題にしようと思う。CD2の22曲目、オーティス・ラッシュの「アイ・キャント・クイット・ユー・ベイビー」が流れてくると、刷新された新世代の登場を痛感する。

2018/12/17

シカゴ・ブルーズの25年(1)

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1981年の LP 四枚組が初版だった P ヴァイン盤アンソロジー『シカゴ・ブルースの25年』。現在持っていて聴いているのは二度目の CD リイシュー(最新版)で2008年のリリース。これ以前に一度内容を拡充して CD で再発されていたらしいが、なぜだか見逃していた。大学生のころ、ブルーズ、シカゴ・ブルーズのことなどなんにも知らないのにこんな四枚組を買ったのはどうしてか、それは忘れてしまった。

日本人ブルーズ・リスナーにはまったく説明不要の CD では三枚組の『シカゴ・ブルースの25年』だから、これがなんなのかの説明はぜんぶ省略し、一日一枚づつとりあげて三日間にわたりメモしておきたい。現在聴きかえして感じる個人的雑感をちょちょっとね。ちゃんとしたことは CD 附属の分厚い日本語ブックレットをご覧いただきたい。

『シカゴ・ブルースの25年』三枚にはそれぞれテーマが掲げられている。順にダウン・ホーム・シカゴ・ブルース、ストレート・シカゴ・ブルース、モダン・シカゴ・ブルース。たしかに聴いてみると、この区分は理解できる音楽性の違いや変化がある。しかしそんな截然と分かたれるというものでもない。連続していて、行ったり来たりしているのは当然だ。

ディスク1のダウン・ホーム・シカゴ・ブルーズとは、第二次世界大戦後のシカゴ・ブルーズがどんなものだったかのひとつの典型だから、ほぼ万人にわかりやすい。簡単に言えば南部ミシシッピ・デルタ・ブルーズの感覚をそのまま保持しつつ、楽器だけ電化してモダン・バンド化したようなもののこと。この P ヴァイン盤には未収録だが、シカゴ・ブルーズのシグネチャーたるマディ・ウォーターズもハウリン・ウルフもそうだった。

第二次世界大戦前からもちろん北部の大都会シカゴにはブルーズ・メンがたくさんいて録音していた。シティ・ブルーズやブギ・ウギなど、レコード作品も多い。『シカゴ・ブルースの25年』の一枚目では、南部ミシシッピ出身で、戦後シカゴに北上して移住し、ダウン・ホーム感のある(弾き語りやそれに近い)ブルーズをやっているものと、戦前からの流れを汲む都会派の洗練シティ・ブルーズ系のものが併行している。

都会的なジャズ(都会的でないジャズはなし)が好きというぼくの傾向からすれば、ディスク1の10〜17曲目にあるシティ・ブルーズ系のものにやはり惹かれる。ここはたぶん日本の多くのブルーズ・ミュージック愛好家とは違っているところだね。エディ・ボイド、J.T. ブラウン、メンフィス・スリムなど、ブギ・ウギ系でありつつ、当時のリアルタイムなリズム&ブルーズの影響下にあるような都会派ブルーズのことが、本当に大好き。

ところで、ディスク1で23曲目にある J.B. ルノアーの「レット・イット・ロール」。18曲目以後のこのポジションは、一枚目のなかでも、電化デルタ・ブルーズから一歩踏み出たシンプルな初期バンド・シカゴ・ブルーズという意味の位置なんだけど、ルノアーの「レット・イット・ロール」は都会派のバンド・ブギ・ウギだなあ。だから、一枚目中盤部に入っていてもおかしくない。

それで、疑問なんだけど、ラッキー・ミリンダー楽団がやったのに、同名の「レット・イット・ロール」という曲がある。ジャンプ・ミュージックだけど、だからつまりジャズで、ミリンダーのそれは女性歌手アニスティーン・アレンが歌う1947年録音。J.B. ルノアーの「レット・イット・ロール」(レッツ・ロール)は1951年録音だ。聴き比べてみてほしい。かなり近いものじゃないだろうか?

「レット・イット・ロール」
ラッキー・ミリンダー楽団 https://www.youtube.com/watch?v=dHVtTHJCQE4
「一晩中レッツ・ロール」って、まぁありふれたそういう意味の常套句だから、それだけで同じとか似ているとか近いとかっていうのはおかしい。だけどこのふたつのばあい、音楽的に近接しているものがあると思うんだよね。ブギ・ウギが土台になっていて、ブンチャブンチャとリフを刻んで、歌詞はセックスのことで、楽曲形式は定型ブルーズ。それでもってジャンプするというかロールするようなフィーリングの曲調。

ロック・ミュージックにもつながっていくことだと思うけど、こういった近似現象が、1940〜50年代のアメリカン・ブラック・ミュージックの世界で、同時多発的に、起こっていたんだとぼくは考えている。そこにジャズだブルーズだリズム&ブルーズだロックだなどとの区分は意味をなさない。芋づる式にぜんぶがつながり一体化していたというか<おんなじ>ものだった。

『シカゴ・ブルースの25年』収録の J.B. ルノアーの「レット・イット・ロール」もまたそんな一例っていうことなんだろうね。だから、1950年代前半の初期モダン・シカゴ・バンド・ブルーズでも、リロイ・カー&スクラッパー・ブラックウェル「(イン・ジ・イヴニング)ウェン・ザ・サン・ゴーズ・ダウン」の焼き直しがあったり(16、リトル・ブラザー・モンゴメリー「キープ・オン・ドリンキン」)、ブギ・ウギがあったり、洗練された R&B 調のものがあったりなどしながら、ミシシッピ由来の泥臭いダウン・ホーム感覚と徐々に溶け合っていったのだろう。

北部の洗練された(ある種ジャジーな)クールな音楽感覚と、南部ミシシッピ由来の泥臭い感覚とが、このシカゴという大都会で出会ったという(地理的な意味でもそんな)ところに、このウィンディ・シティを全米有数のブルーズ・メッカにした理由があったのかも。融合前のカオス状態が『シカゴ・ブルースの25年』ディスク1で聴けるんだと思う。

2018/12/16

シカゴ、ストーンズをやる

この2018年作『シカゴ・プレイズ・ザ・ストーンズ』は、ローリング・ストーンズ2016年の『ブルー・アンド・ロンサム』に対するシカゴ・ブルーズ側からのオマージュだ。

以下、いちおう曲名・演者名を書いとこうっと。

01. Let It Bleed (John Primer)
02. Play With Fire (Billy Boy Arnold)
03. Doo Doo Doo Doo Doo [Heartbreaker] (Buddy Guy with Mick Jagger)
04. Satisfaction (Ronnie Baker Brooks)
05. Sympathy For The Devil (Billy Branch)
06. Angie (John Primer)
07. Gimme Shelter (Leanne Faine)
08. Beast of Burden (Jimmy Burns with Keith Richards)
09. Miss You (Mike Avery)
10. I Go Wild (Omar Coleman)
11. Out of Control (Carlos Johnson)
12. Dead Flowers (Jimmy Burns)

on all tracks, The Living History Band : Bob Margolin (g), Johnny Iguana (p), Vincent Butcher (h), Felton Crews (b), Kenny 'Beedy-Eyes' Smith (d).

毎度毎度の同じ話で恐縮ですが、ローリンズ・ストーンズがアメリカ黒人ブルーズの普及啓蒙活動に果たした役割・功績は大きい。これは史実だから、どなたにも認めていただかないといけない。好き嫌いは別として、ロック界で、ブルーズ、とりわけシカゴ・ブルーズに最も真摯・真剣に取り組んできたのがストーンズだとして間違いないはず。

ストーンズは絶大な人気を誇るメガ・バンドだから、ストーンズがやるおかげでそれだけで、アメリカ黒人ブルーズにもある程度は光が当たったという部分があるかも。光が当たらないほうがいいというのは、たんなる根性曲がりのヒネクレもの。いい音楽、音楽家は、知名度が上がって売れたほうがいい。アメリカ黒人ブルーズ、特にいわゆるシカゴ・ブルーズのばあい、だから、そんな貢献をちょっとはストーンズがしたんじゃないだろうか。

だから、シカゴ・ブルーズ・シーンでもストーンズへの感謝の気持ちを持つ黒人音楽家が多いかもしれないと思うんだよね。そこへ2016年にストーンズがシカゴ・ブルーズばかりをカヴァーした最新作『ブルー・アンド・ロンサム』が発売されそこそこ評判になったので、ちょうどいいタイミングだったんだろう、きっと、シカゴ側からこの英国白人の子どもたちへ感謝を表するのにね。その結果、今2018年の『シカゴ・プレイズ・ザ・ストーンズ』につながったんだと思う。

そんなわけで、ストーンズのオリジナル・ソングを、シカゴの黒人ブルーズ・メンがみずからのスタイルに解釈しなおしたものをやってみよう、新旧シカゴ人脈を使って、ばあいによってはミック・ジャガーやキース・リチャーズをゲストに招いたりしながら、というプロジェクトが立ち上がったんだと思う。くわしい経緯は CD 附属の紙に書いてある(と思うけど、いくえにも折りたたまれた巨大な一枚紙を広げねばならない仕様にイラっときて、読んでない)。

まず1曲目の「レット・イット・ブリード」がはじまった途端に笑っちゃうよね。これがあの曲かと。あまりにもコテコテ。基本、ブギ・ウギをベースとする1950年代以後のモダン・シカゴ・ブルーズのやりかたになおしてあるが、この曲、こんなふうになりうる可能性があったんだなあ。すばらしい、これがブルーズだ&ストーンズ・ナンバーだと思い知る。

しかしこんな「レット・イット・ブリード」なんか序の口だ。ビックリするのは、たぶん6曲目「アンジー」、8「ビースト・オヴ・バーデン」、12「デッド・フラワーズ」あたりかな。あんな曲たちがこんなふうに変貌しちゃって、思い切りワラケてくるよ。いや、悪い意味じゃない、楽しくおもしろい。そして最高だ。それでもしかし「アンジー」はなんだよこれ〜(笑)。原曲のあの情緒のかけらもないじゃないかヾ(๑╹◡╹)ノ。

「ビースト・オヴ・バーデン」はまだそれでもカーティス・メイフィールドふうのニュー・ソウル・ナンバーに仕上がっているのがオリジナルだったので、180度様変わりしているとまでは言えないのか。ここでもブギ・ウギを土台とするジャンプ・ブルーズになっているんだけどね〜。ブロック・タンギングを多用するブルージーなハーモニカはここでも入る。ほぼ全曲で入っている。

ラスト12曲目の「デッド・フラワーズ」なんかカントリー・ロックな曲だったのに、こんなブルーズ・ソングになっちゃって。でも、ほんのちょっとのグラム・パースンズ色が残っているように聴こえるのがおもしろい。さらにさらに、ここではラテン・リズムなニュアンスがあるのが楽しい。ピアノはニュー・オーリンズ・スタイルだし。最高にイイね。コテコテのラテン・ブルーズ化した「デッド・フラワーズ」が聴けるなんてねえ〜。言うことなしだ。

「デッド・フラワーズ」でもそうだし、アルバム中ほかでも随所で聴けるけれど、エレキ・スライド・ギター。これはだれが弾いてんの?ボブ・マーゴリン?気になるのはどうしてかというと、ドゥエイン・オールマンに似て聴こえる部分があるからなんだよね。つまり、英国ブルーズ・ロック・バンドを媒介にして、シカゴとマスル・ショールズがとなりあわせになっている。ストーンズの経歴を考えたら自然なことだね。

2018/12/15

ジャコーを中心に、バンドリンを囲むベテランと新進と

(個人的には)ブラジル・イヤーだった2018年。ジャコー・ド・バンドリンの生誕100周年でもあった。言っときますがショーロ史上最重要人物のひとり。そこで2018年に同じ楽器バンドリンのベテラン、ジョエール・ナシメントと新進、ファビオ・ペロンを組ませてジャコー曲集をやらせてみようというのは、だれの発案だったんだろうなあ。プロデューサーがカルロス・アルベルト・シオンとエンリッキ・カゼスだから、そのどっちかってことかな。

二名のバンドリン奏者ジョエール・ナシメント(8弦、ベテラン80歳)とファビオ・ペロン(10弦、新進28歳)にくわえ、エンリッキ&ベトのカゼス兄弟、7弦ギターのジョアン・カマレーロ(これはエンリッキ・カゼス・トリオ?)と、この五人が演奏の中心になっている。曲によってはフリューゲルホーンやアコーディオンその他が参加する。やっているのはもちろんすべてジャコーの曲で、アレンジはエンリッキ。

できあがったアルバムが『ジャコー・ド・バンドリン 100 アノス センティメント&バランソ』(Jacob Do Bandolim 100 Anos Sentimento & Balanço)。収録の12曲ぜんぶがジョエールとファビオの共演ではない。ふたりのタッグが聴けるのはアルバム冒頭の1、2曲目と終盤の11、12曲目の四曲。そのあいだはそれぞれ単独での演奏。7「De Coração A Coração」だけはデュオ演奏で、ジョエールのバンドリンとジョアンの7弦ギターのみ。

そのバンドリン+7弦ギターのデュオ「De Coração A Coração」にもはっきり表れているこの湿った泣きの情緒、これがショーロのショーロたるゆえんで、歌心を全開にし、しっとりと雨がそぼ降るかごときフィーリングをこれでもかと表現しているのが実にいいね。むろんジャコーの曲がもとからいいってことだけど、ジョエール&ジョアンのデュオ演奏が美をきわだたせているなあ。

そうそう、以前ピシンギーニャ関連で言ったような気がするけれど言っていないかもしれないんだが、ジャコーはそこまで古いひとじゃないにせよ、ショーロの古典名曲って、だいたいだれがやってもふつうに演奏すればいい感じに聴けるように仕上がるって思わない?ぼくはそう感じている。つまりこれは、クラシック音楽の名曲なんかと同じで、ある種の普遍性・永続性を持っているという証拠なんだよ。ショーロって、ポピュラー音楽でそんな曲が最も多い世界かも。

アルバム『ジャコー・ド・バンドリン 100 アノス』収録のジャコーの曲は、上で書いたような、ゆったりしたテンポでのサウダージ全開の泣きのショーロ心情と、快活なリズムを持つ楽しく愉快なショーロ(それってショーロがもとから持つストリート感覚の発露?)に大別できるようだ。くわえて、ややエキゾティックなリズムやニュアンスを持つものだってある。

しっとりした泣きのショーロが1、3、7曲目。快活ダンス・ショーロが2、4、5、9、12あたりかな。どっちとも言えない中間的なのが8と10。エキゾティック・ショーロというか、要するにスパニッシュ(系ラテン含む)音楽要素を色濃く反映しているのが6と11だ。(ベトのソロがある)9はこっちかも。6「Assanhado」、11「Santa Morena」は、どっちもジャコーのオリジナルからしてこんな感じになっていたもの。後者はフラメンコ。こういったエキゾティック・リズムのショーロでは、ベトのパーカッションも大活躍している。

ベトを除き(基本)ストリング・アンサンブルで構成されている音楽なので、複数のバンドリンやカヴァキーニョや各種ギターなどがからみあいぶつかりあって、音のキラメキが生まれ輝いているのがとってもいいね。同系楽器が複数からむときには、たとえば金管アンサンブルなんかでも同様の効果が生まれると思うんだけど、ギター型弦楽器中心のショーロだと、これまたえもいわれぬ独特のキラキラさがあるなあ。

そんな世界の先駆者にして世界を確立したジャコー・ド・バンドリンの生誕100周年に、同じ楽器の古参と新進二名を共演させ、偉大なる先達の名曲の数々をとりあげて21世紀に再現し、不朽の音楽美、音楽享楽を味あわせてくれる 〜 こんなことはブラジルのショーロ界のほかではなかなかむずかしいことじゃないかなと思う。

『ジャコー・ド・バンドリン 100 アノス』もまた2018年を代表する傑作とかじゃない。落ち着いた佳作といった程度。だけど2018年にしか生まれえなかった作品には違いないし、バンドリンを通じての世代を超えた心と技術の交流、人間的あたたかみを感じられるアルバムで、好感度は高い。

とってもハート・ウォーミングな音楽だしね。まあショーロってそういうものだけどさ。

2018/12/14

down & blue 〜 マライアとマイルズ、時代の音

Astral さんのこの記事がなかったら、今日の文章は書けなかったはず。感謝します。そもそも21世紀に入ってからは完全にスルーしていたマライア・キャリーの、2018年新作を聴いてみようと思ったのは Astral さんのおかげです。
どっちも Spotify でしか聴いていない、っていうかマライアの新作『コーション』のほうは CD あるけれど、マイルズ・デイヴィスの『ラバーバンド EP』は、ついこないだ11月にようやく配信リリースされたばかりで CD はなし。以前書いた今年四月のレコード・ストア・デイ限定で12インチ・アナログが売られたものだ。マイルズほどの音楽家だ、待っていればそのうち CD もリリースされそうだけど、動きがやや遅い。『ラバーランド EP』がなんなのかは、以下をご一読あれ。
CD かサブスクリプションかはさておいて、マライアの『コーション』とマイルズの『ラバーバンド EP』は、完璧に同種の音楽だと思うんだよね。暗くダウナーなテンポ設定、深く沈み込むようなリズムの感じ、それらと同様なサウンドの垂れ幕、ビート感、ボトムスの創りかたが最大の共通項かな。それでグルーヴが同系のものとなっているように思う。

Astral さんもお書きのように、こういったダウナーな感じ、ノリ、グルーヴが、今様 R&B なんだけど、マライアのほうは新録の新作なので、時代に合わせてきているのは当然。ぼくもかつては夢中だった1990年代前半ごろのマライアのあの楽しく跳ねまわるポップでキュートな感触は消えているが、ないのがあたりまえだ。しかしあれだ、ちょっと歳食ったとはいえマライアはやっぱりクイーンなんだなあ、時代の求める先端サウンドを持ってきて、しかもそこに、これだけは余人に真似できない歌唱力でもって音楽に力を与え、聴き手を説得する。『コーション』、すばらしい新作だ。

ところが、マイルズの『ラバーバンド EP』は今年四月リリースとはいえ、録音は1985年。知っているひとは知っている、かのラバーバンド・セッションから誕生した一曲で、そのオリジナル・ヴァージョンは配信 EP でも四つ目に入っているので確認できる。それは、2010年代のサウンドでは、まったく、ない。いかにもあのころ1980年代半ばという、マイルズがワーナーに移籍直後の『ツツ』に入っていてもおかしくないサウンドだよね。

それを、今年四月のレコード・ストア・デイで限定発売するにあたり、リリース関係者はリミックスし創りなおした。まずテンポをグッと落とし、重心を低くして身をかがめ、暗めのダウナーなグルーヴを与え、マライアの新作アルバム同様、ボトムスを強調し、中低音メインの音楽に仕立てている。高い音は主役の吹くトランペットと、今回新たに重ねた女声ヴォーカルだけと言ってもいいほど。
 
1985年のマイルズやセッション時のプロデューサーだったランディ・ホールら関係者が、2010年代後半の音楽を予見していたとは思えない。たんに発掘素材(といっても曲「ラバーバンド」は前から編纂盤 CD でリリースされていた)をいじって、今2018年のリミックスとリイシューに際してもプロデュースしたランディ・ホールなど複数名が、時代の音になるように手をくわえただけだ。

しかしマイルズのトランペット演奏そのものは変更できない。そのまま、テンポは落としてあるがだいたいそのまま、活かして使ってある。それが実にいまの2018年の時代の空気を呼吸しているように聴こえるから不思議だ。1985年録音のオリジナルと同じ演奏なのに。そのイシュード・トラックで聴いても2018年の音だとは感じないのに。

ミックス次第で音楽はかなり変貌するということなんだろうけど、それで同じマテリアルでも響きかた、というか音楽じたいが大きく違ってくるということだろうけれど、でも、いやあ、マイルズってさすがすごいなあ、っていうのが、たんなるいちマイルズ狂の妄言なんだよね。2018年のマライアや、2010年代先端 R&B のサウンドに聴こえるもんね。1991年に死んだ男の出す音がね。

2018/12/13

ライヴ・エルヴィス 1954〜1955

昨日の続き。2017年の三枚組『ア・ボーイ・フロム・テュペロ:ザ・コンプリート 1953-1955 レコーディングズ』の CD3、つまりライヴ&ラジオ・マテリアル。録音時期は1954/10/16〜55/10/29で、全32トラック。なかには紹介やインタヴューやコマーシャル・メッセージ(ラジオ放送用)だけのトラックもあるので、歌はぜんぶで30トラック。ソング・トラックの冒頭にも紹介の声など、どんどん入る。

演目はわりとだぶっていて、いちばんたくさんやっているのは「ザッツ・オール・ライト」の六回。そのほかサンでスタジオ録音している曲が中心だけど、そうじゃないのは「シェイク、ラトル・アンド・ロール」「フール、フール、フール」「ハーツ・オヴ・ストーン」「トウィードリー・ディー」「マニー・ハニー」「リトル・ママ」「アイ・ガット・ア・ウーマン」「メイベリーン」。

『ア・ボーイ・フロム・テュペロ』三枚目のライヴ&ラジオ音源集を聴くと、サン時代のスタジオ録音ではエルヴィスもまだかなり抑制を効かせていたんだなとわかる。生演唱だとエネルギーが解放され気味なのだ。といっても後年の爆発的なハード・ロックなバンド連中のそれとは比較できないが、1950年代半ばというロック台頭間もないころの、それもデビューしたての白人歌手としては、かなり激しいと言える。

なんども収録されている「ザッツ・オール・ライト」でもそれはわかる。あんな中庸でおとなしいフィーリングだったスタジオ・ヴァージョンだけど、それはサン録音のだいたいのトラックについて言えたことで、腰が動くようにハードで猥褻なイメージはまだないよね。ところが同時期のライヴ・マテリアルではそんなような激しい雰囲気に近づいているのだ。

昨日の記事では、エルヴィスはロッカーというよりどっちかというとバラディアーだと書いたんだけど、『ア・ボーイ・フロム・テュペロ』三枚目収録のライヴ&ラジオ・マテリアルではこの印象が逆転している。テンポはやはり中庸な「ザッツ・オール・ライト」や「グッド・ロッキン・トゥナイト」なんかでも、伴奏陣二名はほぼ同じだけど、主役歌手は発声そのものからして違っているんだ。今日上で使った写真に見えるエルヴィスの姿、これがピッタリ来るような躍動感を聴かせている。

発声も違えば、フレジング、節まわし、フレーズ末尾の微妙な震え&持ち上げ具合などもグンと生々しくなっていて、まさに live & raw なロック・ヴォーカリスト、エルヴィス・プレスリーがここに誕生している。サンのシングル・レコードもメンフィス・エリアを中心に売れラジオ放送もされたろうけれど、『ア・ボーイ・フロム・テュペロ』三枚目で聴けるライヴ&ラジオ・エルヴィスこそ、次世代を担うポップ・シンガーとして、つまりまだこのジャンル名は確立されていない<ロック>歌手として、メイジャーの RCA が白羽の矢を立てたものだったかも。

シンプルに言えは、1954/55年のライヴ・エルヴィスは、ハメを外しはじめている。エネルギー、エモーションを解放・放出しはじめているんだ。彼自身の、そして1955年という時代のそれを。それでもってしか、新しい音楽は生まれえなかった。いつでもそうだけど、このロック台頭の契機も、やはり個人=社会の脱皮・飛躍にあったと言えるはず。

そんなことは、『ア・ボーイ・フロム・テュペロ』三枚目のライヴ・マテリアルで聴けるオーディエンスの反応のよさからもうかがえる。嬌声が飛んでいるが、「ザッツ・オール・ライト」なんかでも、ある時期以後のものは、エルヴィスが「ザッツ・オール・ライト!」と強く叫ぶように歌い繰り返すと、客席から「ザッツ・オール・ライト!」とおうむ返しでレスポンスの合いの手が飛んでいる。熱気がかなりなことになっているんだよね。

こういった雰囲気は、新しい音楽が生み出されようとしているそのときその現場ではいつでも聴けるものなんじゃないか。エルヴィスがロックを生んだとか、ロック歌手第一号だったと言えるかどうかは微妙だ。同じような内容の歌やヴォーカル表現が、もっと前から徐々に出現し、かたちを整えはじめていたと思う。がしかし、ここまで満ちたエネルギーが辛抱ならず爆発しそうになっている瞬間は、ロックのばあい、これまでほかの音楽家では聴けなかったはずだ。

個人的にはサン・レーベルでのスタジオ録音レコードで聴けるのんびりのどかで中庸なムードが大好きで、ポップで聴きやすいしって思うんだけど、そして(同時期のエルヴィスの)音楽や歌のクォリティとしてはやっぱりそっちのほうが高かったんだと言わざるをえないけれど、この時期のエルヴィスは、間違いなく<なにか>を産もうとしている。そんなエネルギーが充満し爆発しかけているんだよね。新時代がすぐそこまで来ている。

2018/12/12

ブルー・エルヴィス 〜 サン・マスターズ

2017年の RCA 盤三枚組『ア・ボーイ・フロム・テュペロ:ザ・コンプリート 1953-1955 レコーディングズ』は、エルヴィス・プレスリー最初期の姿のほぼ全貌を収録したものとして間違いない、人類の宝だ。超充実の附属ブックレットは英文119ページで、写真満載。このボックスはも〜う!楽しいったら楽しいな。

『ア・ボーイ・フロム・テュペロ』CD1は主にサン・レーベルへの録音。CD2はその別テイク集。CD3はライヴ&ラジオ・マテリアルで、三枚ともやっている曲はだいたいぜんぶ CD1にあるのがエルヴィスによる初演だ。別テイク集は研究家・好事家のためのものだから、CD1のスタジオ録音オリジナルとCD3のライヴ&ラジオ集に話を絞って問題ないはず。今日は一枚目の話だけ。三枚目は明日書く。

『ア・ボーイ・フロム・テュペロ』附属ブックレット末尾には曲目一覧があって、この時代のエルヴィスがやったのはすべて他作曲だからその作者名と、それからていねいなことに全曲エルヴィスのカヴァーの影響源・参照元が付記されてある。知っていることだとはいえ、これはありがたい。あらためて思い出す必要がない。眺めてそうだそうだとうなづいていればいいから、こんなラクチンなことはないんだ。RCA もやるときはやる。その他、このボックスはマジすごいよ。1953〜55年12月まで時系列に進む解説は、同時代の社会文化事情も併行記載され、も〜う!文句なし。

『ア・ボーイ・フロム・テュペロ』一枚目の全27曲。1〜4曲目は<メンフィス・レコーディング・サーヴィス・アセテート>とあるが、これはエルヴィス自身がお金を払ってレコードにしてもらったものだ。5〜23曲目が<サン・マスターズ>、24〜27はサン時代の録音だけど、移籍の際にサンのエルヴィスのすべてを買いとった RCA が手を加え自社シングルとしてあらためてリリースしたもの。

だから今日のとりあえずの興味は5〜23曲目のサン・シングルズなんだけど、その前の自前レコードから含めても、この時期のエルヴィス最大の特色は、憂鬱そうに歌うバラディアーだという点にある。決して激しいロックンローラーではない。ご存知ないかたも、上のリンクをちょっとクリックしてみてほしい。快活なロック・ナンバーと呼べるものはかなり少ないよね。

有名な「ザッツ・オール・ライト」「グッド・ロッキン・トゥナイト」「ベイビー、レッツ・プレイ・ハウス」もハードなロックンロールじゃない。ミディアム・テンポでゆったり大きく進むもので、ポップなんだ。エルヴィスの歌にも伴奏にも、余裕が感じられる。

激しいビートの効いたロック・ナンバーと呼んでいいと思えるのは、たぶん、8「ブルー・ムーン・オヴ・ケンタッキー」、12「アイ・ドント・ケア・イフ・ザ・サン・ドント・シャイン」、13「ジャスト・ビコーズ」、15「ミルクカウ・ブルーズ・ブギ」、21「ミステリー・トレイン」と、これだけじゃないかな。

ところでそんなロックンロール・ソングになっているもののなかでは、「ミステリー・トレイン」がいちばん出来がいいんじゃないかと思う。たぶん、この時期のエルヴィスにフィットした題材っていうことだろうなあ。スコッティ・ムーアの弾くエレキ・ギター・リフも実にいいし、エルヴィスの声のトーンがいい。決して焦っておらず冷静にとりくんでいて、余裕を持ちながらも快活でハードに乗るフィーリングがある。ま、ぼくのばあいは、このトレイン・ピースという(ブルーズ界には多い)題材そのものが好きですが。それだけのこと?

エルヴィスの声が…、と書いたけれど、この歌手最大のチャームがそこだと思うんだよね。声そのものに(ややメランコリックな)色気を宿している。なにも工夫せずとも似合う題材をスッと素直に歌うだけでそれだけで、セクシーなんだ。これこそ、エルヴィス・プレスリーを爆発的メガ・スターにした最大の理由だったと思う。そんな部分、サン・レーベルへの録音でもしっかり確認できる。

そんなヴォイス・メランコリー・セクシーなエルヴィスは、このサン時代、私見ではゆったりしたテンポの曲でのほうが魅力が増しているように聴こえるんだよね。それらはしばしばロスト・ラヴ・ソングで、それをこんな(ブルージーな)声でエルヴィスが漂うように揺れるように震えるように歌うもんだから、う〜ん、もうたまらない強い引力が発生しているなあ。

このサン時代のエルヴィス(実はメイジャー移籍後も?)は本質的にバラディアーだったというぼくの意見は、こんな事実に支えられているんだよね。「アイ・ラヴ・ユー・ビコーズ」「ブルー・ムーン」(が、サン・エルヴィスの最高傑作かも)「アイル・ネヴァー・レット・ユー・ゴー(リトル・ダーリン)」「ユア・ア・ハートブレイカー」「アイム・レフト、ユア・ライト、シーズ・ゴーン」(2ヴァージョンとも)「ウェン・イット・レインズ、イット・プアーズ」など。

これらの曲では、ブルーでメランコリックに漂っている、フラフラして安定しない、どこへ行くのか心配だ、支えてあげないと到底見ていられない、といった気持ちにリスナーをさせるような、そんなヴォーカル表現ができているなあと思うし、そんな部分こそエルヴィス最大の魅力だったかも。後年までもずっと。

端的に言えば、泣き嘆き懇願し揺れるブルー・エルヴィス。それがこの歌手だ。

2018/12/11

2018年ジャズ最高傑作かも 〜 イチベレ・ズヴァルギ

このアルバム、これも、またしても、bunboni さんに教えていただきました(こんなことばっかでいいのか?ごめんなさい)。ありがとうございます。ぼくもたぶん2018年のジャズ最高傑作かなと思っています。
ブラジルのジャズ・ベーシスト、イチベレ・ズヴァルギ(Itiberê Zwarg)。といってもぼくは今回のこの2018年新作ではじめて出会った人だけど、その2018年新作『intuitivo』がすばらしすぎる。なにがいいって、まずアンサンブル主導で進むところ。これ、譜面は、たぶんイチベレがぜんぶ書いているんだろうなあ。それが複雑高度で難度が高いんだけど、グルーポのメンバーは全員平気な顔をしてサラリとこなしているのが、またすごい。ばんばんキメまくるのが超快感だ。

楽器ソロも当然あるけれど、ソロまわしを音楽展開の軸には据えていない。ソロはあくまでチェンジ・オヴ・ペースっていうか、ほんの彩り程度に添えられるだけで、そのへんも従来型のジャズ・マナーとは大きく異なっている。ソロに充てられている時間だってかなり短い。アンサンブルのあいだを縫うようにしてすこし走る程度なのが、音楽全体の構築美とテンションを高く維持する結果となっていて、とってもいいね。

この点では、このバンドの名前を出すと抵抗を受ける可能性もあるけれどウェザー・リポート。特にジョー・ザヴィヌル体制が固まった時期以後のウェザーに相通ずるものがあると、ぼくは聴く。事前に完成品となっていた作編曲譜面があって、それをバンド・リハーサルで練りこんでいって、あくまで音楽のメインはアンサンブル、ソロは脇役程度でちょっぴり、全体の緊張感あふれる構築美重視で、難度の高い演奏をバンド全員がキメまくってこなす 〜 どう?イチベレとウェザーにはかなり共通項が多いよ。メロディ・ラインに湿り気のある情緒性が薄く、だから歌心もなく、メカニカルに上下することがほとんどだっていうのも同じ。

あっ、こう書くと、フランク・ザッパの音楽にも似ているよなあ、イチベレ・ズヴァルギ。イチベレのこの新作で、ウェザー・リポートやザッパを連想する音楽ファンがどれだけいるのかわからないが、愛好家であるぼくの感触では間違いないように思える。っていうか、イチベレのこの新作についての文章ををたくさんはちゃんと読んでいないから、みなさんどうお感じなんだろうかわからない。ちょっぴりビ・バップ・ミュージック的でもあるよね。あ、そういえばザッパとビ・バップは…、いや、今日はやめときます。

中身の音楽がどんなものなのか、具体的なことはいちばん上でリンクした bunboni さんの文章に書いてある。ぼくは同感で、付け加えることがないように思うから、そちらをお読みください。『イントゥイチーヴォ』でのイチベレは、ベースだけでなく、ピアノ、クラヴィネットなど複数楽器を担当。声も出している。演奏メンツは曲によって大きく変わるが、ホーン・アンサンブルはリード楽器で構成されているみたいで、金管の参加はない模様。

色彩感がアルバム全体のなかではやや異なっているかなと思うのが5曲目「ノイビーラ」。これはイチベレ(ピアノ)とマリアーナ(フルート)両ズヴァルギの完全デュオ演奏。アルバムのなかではこの曲にだけ湿ったぬくもりのある歌心が感じられ、ちょうどピシンギーニャが自分の曲を吹いているのにやや似た印象を持った。そう、この5曲目だけ、ややショーロっぽい。大好きだ。

でもこんな感じは、アルバム『イントゥイチーヴォ』のなかでは例外。ほかは乾いて硬質な難度の高いジャズ・アンサンブルを、そのあいだにほんの短いソロがはさまりながら、メンバーがビシバシとキメまくり、聴いているこっちまで快感のめまいを起こしそうなほどスリル満点の音楽に仕上がっている。イチベレやメンバーのヴォイスの使いかたも効果的。いやあ、気持ちいいったらありゃしない。

2018/12/10

アメリカ、君に夢中さ 〜 カエターノ『粋な男ライヴ』

昨日書いたオリジナリウスのカルメン・ミランダ集には、そこはかとなくカエターノ・ヴェローゾ香があるというのがぼくの感覚なんだけど、そんなわけで聴きかえしたカエターノの CD『粋な男ライヴ』(Fina Estampa Ao Vivo、1995)。「サンバとタンゴ」つながりってだけ?う〜ん、それだけじゃない気がする。このなんとなく漂う共通性については、しかし掘り下げず、カエターノのこのライヴ盤について、せっかく思い出したんだから、ちょっとメモしておこう。汎ラテン・アメリカン・ソング・ブックとでもいった意匠や規模のことは、よくわからないのだが。

カルメン・ミランダの「サンバとタンゴ」で幕開けするのは、このライヴが、スタジオ作『粋な男』で示したスペイン語歌曲集でのラテン・アメリカ性よりもずっと先をカエターノが見据えているという証拠だ。カルメンのオリジナル・ヴァージョンのようにサビでタンゴになってはいないが、ラテン諸国の蜜月時代を歌い込んだものと言えるはず。すくなくともぼくはそう聴く。つまり、『粋な男ライヴ』ではスペイン語アメリカだけでもポルトガル語アメリカだけでもない、汎(ラテン・)アメリカ音楽のひろがりと同一性を示そうとしている。

それはここでの「サンバとタンゴ」のリズムにも顕著に示されている。サビでタンゴ・リズムにならずサンバのままではあるけれど、ほぼカエターノとパンデイロだけというに近い前半部に続き中盤のチェロ・ピチカート・ソロ(ジャキス・モレレンバウム)をはさんでの後半部では、スルドが大きく入って、ゆったりと低音を置いている。しかし同時にパンデイロとカエターノのギターは細かく刻んでいるから、大細二種の混交ポリリズムでグルーヴが生まれているんだ。

こういった種類のグルーヴ・タイプは、前々から書くようにアフロ・クレオール音楽にある典型なんだよね。ラテン・アメリカだけでなく、アメリカ合衆国の黒人音楽でも聴けるもの。カエターノの『粋な男ライヴ』では、2曲目以後、スペイン語曲とポルトガル語曲の双方を縦横に行き来しながら、こんな汎アメリカン・ミュージック・グルーヴを描き出してくれている。

2「ラメント・ボリンカーノ」、3「粋な男」、4「ククルクク・パロマ」は、スタジオ作『粋な男』のライヴお披露目といったところか。しかし次の5曲目にジルベルト・ジルと組んでやった「ハイチ」(『トロピカリア 2』)が来る意味は大きい。尖ったリリックも意味が強いが、現代アフロ・ブラジル音楽的なノリ、リズムの創りに注目したい。全体が鋭利なナイフのように輝いている。

ギター弾き語り(を中心とする)セクションはカエターノのライヴ・コンサートでは定番なので、6〜8曲目はちょっとのチェンジ・オヴ・ペースといったところか。しかしとりあげられているのはブラジル古典曲ばかりなのがふだんと異なっている。やはりブラジル〜ラテン・アメリカ〜南中北アメリカ(〜アフリカ)を俯瞰したいという主役の気持ちを感じるものだ。

9曲目、ジョアン・ジルベルトの「ヴォセ・エステヴィ・コン・メウ・ベン?」で陽光が差す。ジャキス・モレレンバウム編曲指揮の管楽がやわらかくイントロを奏でたあと、カエターノひとりの弾き語りが出た瞬間の快感と和みはなにものにも代えがたいチャームだ。弾き語りそのものはジョアン直系のボサ・ノーヴァ。伴奏の管弦アレンジはアントニオ・カルロス・ジョビンを想起させるもの。

その後、タンゴやボレーロやキューバン・ソングなどを経て、やはりキューバ人、セサール・ポルティージョ・デ・ラ・ルス作の14曲目「コンティーゴ・エン・ラ・ディスタンシア」でオーケストラ・サウンドの幕がおりた刹那に涙腺が刺激され、それを背後にするカエターノのヴォーカルで目から水がホロっと一滴こぼれ、コード・チェンジでまた泣く。

バイーアのことをカエターノが綴った美しい15「イタプアン」を経ての16曲目「ソイ・ロコ・ポル・ティ、アメリカ」。これはジルとカピナンの手になるサルサ・ナンバーで、それをカエターノがここでこうやって歌うというのは、南中北総体としてのアメリカ(音楽)全体を視野に入れつつ、直接的にはラテン・アメリカ世界の同胞意識を歌い込んだものと言っていいはず。しかも、ここでのリズムを聴いてほしい。サルサといいながら、アフロ・バイーア的、さらに言えばタメの深いこのグルーヴはアフリカ音楽的ではないだろうか。

2018/12/09

どう聴いても、マンハッタン・トランスファー・シングズ・カルメン・ミランダで、最高だ

このアルバムを教えてくださったのは、またしても bunboni さんです。感謝します。年齢やキャリアでものごとを判断することをぼくはしませんが。ありがとうございます。
通算二作目らしいオルジナリウス(Ordinarius)の『Notável』(2017)。これが楽しいことこの上ない。楽しいことしかない、そればかりっていう作品で、いいなあこりゃ〜。オルジナリウスというブラジルのヴォーカル・コーラス・グループのことは今回はじめて知ったけれど、CD 附属のリーフレットには男女七人が写っている。ハーモニーの組み立てはきわめてオーソドックス。それでとりあげているのが、新作ではカルメン・ミランダのレパートリーなんだなあ。聴くしかないっしょ、こりゃ〜。そして、降参しました、あまりの楽しさに。

このオルジナリウスというヴォーカル・グループは、ぼくの聴くところ、現代ブラジルのマンハッタン・トランスファー(アメリカ合衆国)だね。男女混成で、ハーモニーの組み立てにちょっとでも前衛的なところはなく、きわめてオーソドックス。その国のポップ・ソングの伝統にのっとって、古い曲もストレートかつきれいにカヴァーして、あくまで楽しく、わいわいがやがやとにぎやかに、ときどき切なくしんみりと、ポップにわかりやすく楽しく聴かせる 〜 なにからなにまで同じじゃないか:マンハッタン・トランスファーとオリジナリウス。

CD パッケージにはパーカッショニストだけ楽器奏者がクレジットされている。実際音を聴いても伴奏はそれだけだね。でも生演奏の打楽器だけでなく、コンピューター・サウンドも混ぜてあるみたい。間違いないと思うんだけど、でも100%伴奏はそれだけ。あとはぜんぶがヴォーカル・コーラス。それも(bunboni さんの言葉をお借りすると)シャバダバっていう例のあたりまえなふつうのやつ。ポップでわかりやすく、聴きやすく、そして(たぶん)世界のいたるところにある。

ああいったヴォーカル・ハーモニーの重ねかたが全世界で聴けるのは、たぶんキリスト教会音楽のおかげってことかなあ。クラシック音楽界のものだってそうだしね。以前、インドはゴアのヴォーカル・コーラスのことを書いたけれど(葡トラジソン社の例のシリーズ)、やはり同じようなものだった。あれは植民地支配したポルトガルの教会コーラスが持ち込まれたんだと思うけれど、ブラジルでこうやってオルジナリウスみたいなのが聴けるのもポルトガル由来?あるいはアメリカン・ポップ・コーラスも入り込んでいる?

そのへんの理屈は、でも今日はいらないね。ただたんに聴けば楽しい、気分ウキウキで上々に陽気でいられるオルジナリウスのカルメン・ミランダ曲集。たったの35分程度しかないけれど、この短さもこじんまりした宝石の輝きを思わせて、とてもいい。でもこれ、商品のどこにも Carmen Miranda の文字は一個もない。だから気づかないひとがいるかもだけど、それでもオッケーだと思う。楽しんでもらえさえすれば、それでいいと思うんだよね、こういう音楽は。

でも随所にピリっとした工夫は施してある。たとえば大好きな7曲目「サンバとタンゴ」は、メイン・メロディが出る前にヴァースみたいなのがくっついているし、その後も(たぶんタンゴつながりということで)カルロス・ガルデルの「Por Una Cabeza」が出てくる。9曲目「Touradas Em Madrid」の最終盤では、ベートーヴェンの「歓喜の歌」(交響曲第九番)が歌われる。

これまた大好きな8曲目「Adeus, Batucada」では女性がおやすみで、男声コーラスのみ。10曲目「O Que É Que A Bahiana Tem」では、やはりリズムの感じがサンバというよりアフロ・バイーアな雰囲気なのも楽しい。曲じたいはアルバム中いちばん古い、有名な11「Tico Tico No Fubá」では、ちょっぴりエキゾティックに、でもカルメン・ミランダが持っていた愉快な軽みさをうまく再現できている。

パッとすぐぜんぶ聴けるし、聴きやすくわかりやすく楽しいし、オススメのポップ・アルバム!

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