2019/06/18

アメリゴ・ギャザウェイがリミックスしたマイルズ「ラバーバンド・オヴ・ライフ」がカッコイイ

180315_miles_rsd_rubberbandhttps://open.spotify.com/album/4iHtBFo4si4ke896dw2yHJ?si=f0JtSy_uQb6vxpspcthV2Q

 

今日の文章はいままでに書いたこれらの記事を下敷きにしています。
http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2018/04/post-b4d9.html
http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/06/post-c5c347.html

 

マイルズ・デイヴィスの『ラバーバンド』フル・アルバムのリリースが公式発表されましたので、2018年11月末のデジタル配信『ラバーバンド EP』にはあったのに漏れるものについて、この際ちょっとメモしておきます。上のアルバム5トラック目の「ラバーランド・オヴ・ライフ(アメリゴ・ギャザウェイ・リミックス)」のこと。これは2019年9月6日リリース予定のフル・アルバムには含まれず、また2018年4月に出たアナログ12インチ EP レコードにもありませんでしたから、いまのところ、あるいは今後も?フィジカルなし、配信かダウンロード限定でしか聴けないものです。

 

しかしながら、そのアメリゴ・ギャザウェイがリミックスした「ラバーバンド・オヴ・ライフ」が超クールじゃないですか〜。なんともいえずカッコイイ。ぼくは大好きなんです。配信アルバム『ラバーバンド EP』の計5トラックのなかでこれがいちばんイイと思っているんですけどね。アメリゴ・ギャザウェイの名はマイルズ・ファンにはなじみが薄いでしょうけど無名人じゃないので、ご存知なかったらちょっとネット検索してみてください。

 

配信『ラバーバンド EP』とリリース予定のフル・アルバム『ラバーバンド』(の予告内容)を比較してみますと、前者にあって後者にも収録されるのは、前者2トラック目の「ラバーバンド・オヴ・ライフ(Feat. レディシ)」と4「ラバーバンド」(は1985年のオリジナル・ミックスです)のふたつ。このふたつ以外はフル・アルバムに入りませんが、ラジオ・エディットや2018年ヴァージョンのインストルメンタルは不要との判断は理解できます。

 

しかし配信 EP ラストのアメリゴ・ギャザウェイ・リミックスはそ〜と〜カッコイイので、しかもこれはアナログ12インチ EP にもなかったし、ということはもはやずっとフィジカル化しないままになるんでしょうか?あまりにももったいないんじゃないでしょうか?こんなにもクールですのにねえ。ストリーミングかダウンロードの『ラバーバンド EP』をお聴きになったならば、多くのかたが同様の感想をお持ちになるのではないでしょうか、最高にカッコイイと。

 

アメリゴ・ギャザウェイ・リミックスは、昨年発売された「ラバーバンド・オヴ・ライフ」のほかの3ヴァージョンとかなり様子が異なっています。それら3ヴァージョンで最も印象的であるボトムス(ベース・ドラム&アップライト・ベース!)の低音部を抜き、サウンドの分厚い感じも消してスカスカにし、ほかのヴァージョンではあまり目立たなかったギター・カッティングをサウンドの中心に据えています。

 

しかもそのギター・カッティングは、アメリゴ・ギャザウェイ・ヴァージョンにしかありません。だから彼が弾いたかだれかに弾かせたかで、新たに付与したものでしょう。全体的に風通しのいい骸骨サウンドとあいまって、その空間を E♭m7 / A♭7 / D♭m7 / G♭7 と四つのコードで刻むエレキ・ギター・リフがチリングですよねえ。も〜う、本当に大好き!

 

あ、コードのことを書きましたので、その点だけちょっとほかのトラック含め書いておきますね。1985年オリジナルの「ラバーバンド」のキーは Dm です。Dm 一発と書いてある文章も見ますけどそれは違います。マイルズがオープン・ホーンで吹くパートがサビというかフックみたいになっていて、そこだけ G♯m に転調します。そこ以外はハーマン・ミュート・プレイですよね。

 

配信『ラバーバンド EP』にあるほかの4トラック、すなわちリメイクされた「ラバーバンド・オヴ・ライフ」は、この転調を消してサビもなくし(オープン・ホーン・サウンドはあり)、全体をワン・グルーヴで貫いて、しかもキーを E♭m に上げ、それ一発でトラック全体を統一しています。アメリゴ・ギャザウェイもこの E♭m ワン・コード一発感は維持しつつ、上で書いたような四つのギター・コードを展開しているわけなんですね。

 

低音部のこともちょっと書きましたので、ついでに触れましょう。1985年のオリジナル「ラバーバンド」に弦ベースは入っていません。そのかわりシンセサイザー・ベースがぶんぶん弾かれていますよね。それ以外の四つ、2018年ヴァージョンでは弦ベーシストがいますが、それがアクースティックなアップライト・ベースを弾いているんですよねえ。ちょっとわかりにくいですが、耳を傾けてみてください。

 

アメリゴ・ヴァージョンではいきなりそのアップライト・ベースの音ではじまりますので、ここはわかりやすいんですけど、マイルズの声に続いて本演奏がはじまったらベースはやっぱりあまり聴こえなくなります。ドラムスの音も極端に減らして、これたぶんハイ・ハットを叩くサウンドだけになっていますよね。音量だって小さいので、アメリゴが手がけた「ラバーバンド・オヴ・ライフ」にベースとドラムスはほぼなし、としてもいいくらいです。

 

そんな風通しのいい空間的なサウンドのアメリゴ・ヴァージョンでは、四つのコードをカッティングするエレキ・ギターとマイルズのトランペットとの事実上のデュオ演奏でトラックが進行するというに近い部分がありますね。事実そうなっている、つまりギター・カッティングとマイルズのトランペットだけという時間はけっこうあります。それにエレピとレディシの声がからんでいるといった感じでしょうか。

 

スカスカ・サウンドでボトムスもないからなのかどうか、アメリゴ・ヴァージョンには奇妙な浮遊感があります。ほかの「ラバーバンド・オヴ・ライフ」がずっしりと沈み込むようなヘヴィさ、ダウナーさを最大の特徴としているのとはかなり様子が異なっていますよねえ。どっちがいいとかいう問題じゃなく、どれもぼくは好きなんですが、アメリゴ・ヴァージョンにはぼくを惹きつけてやまない something else を感じるんです。なんでしょうね、それは?やはりエレキ・ギター・カッティングが好きだというだけの嗜好でしょうか?とにかく聴いていて気持ちいいです。えもいわれぬ快感なんですね。

 

アメリゴ・ギャザウェイ・リミックスでは、マイルズのしゃべり声をいくつもサンプリングして挿入しているのも特徴です。マイルズが晩年に主演したオーストラリア映画『ディンゴ』からのセリフを持ってきています。イントロ部で聴こえる「よろしかったらちょっとお聴かせしましょうか」(If you don’t mind, we’d like to play something for you.)は間違いありません。なかなか見事なアメリゴのアイデアじゃないですかね。アウトロ部での「どうでしたか?」(Did you like the music?)、女性の声で「こんなすごいもの聴いたことありません」(It was the best thing I've ever heard.)も、映画『ディンゴ』からでしょう。

2019/06/17

すべては美咲のおかげです

Img_8471最近、朝昼に飲む精神安定剤も寝る前の眠剤もどんどん減っているとしまです。精神安定剤なんか、もうほぼゼロに近くなっているんですもんね。変化が最初に現れたのは今年二月中旬のこと。それまでの人生でなかったことなんですが(あったかもしれないが遠い過去のことだから忘れた)、朝昼晩と眠くなるようになったんですよ。一日中しょっちゅう眠い、というか実際居眠りしちゃうわけなんです。

 

生活に支障が出るようになったので、いろいろと原因を疑って考えてみましたが、毎月通っている心療内科医に相談して、これということがわかりました。薬の効きすぎなんですね。27歳で心療内科に通うようになったくわしいいきさつを語ると長くなりすぎますので省略しますが、その後1999年夏に衝撃的なことがあって以来、すっかり強い薬が欠かせなくなりました。

 

そのままずっと来ていたんですが、今年二月になって変化の兆しが現れて、そして数ヶ月で徐々に、でもしっかりと状態が改善されるようになり、薬をどんどん減らしていってもメンタル面に支障が出ないばかりかシャッキリするようになって健康状態良好で、だからお医者さんも「戸嶋さんの具合はよくなってきていると判断します」と言ってくださっています。

 

劇的ななにかがあって急に改善したわけじゃないですから、ちょっとづつちょっとづつメンタルが上向きになっていって、今年に入ってしばらくしてから身体に顕著に症状が出てくるようになったということでしょうね。自覚できる改善要因はふたつです。ひとつは猫。もうひとつがわさみんこと岩佐美咲ちゃんと会う機会が増えたことなんですよ。どっちも昨年11月からですから、そのあたりからぼくの状態は改善しはじめたんですね、しばらくのあいだは潜行的に、そして今年二月中旬になって顕在的に。

 

猫のことはこのブログでくわしくは書きません。ペット不可物件に住んでいますので室内で飼っているわけじゃありませんが、いわゆるノラというか外猫さんがぼくんちのベランダにどんどん来るようになって現在に至ります。大きなヒーリングというかアニマル・セラピーなんですけど、さらに自覚的にはわさみんこと岩佐美咲ちゃんにどんどん会っては歌を聴き、2ショット写真を撮っては握手し、おしゃべりできるようになったのが大きなことなんですよ。

 

はじめてわさみんに会ったのは昨2018年2月の恵比寿でのコンサートですが、音楽こそ命な人間としては小規模な歌唱イヴェントなんて、はっきり言いますがゴメンニャサイばかにしていたんです。わさみんにかなり近づきやすいかもしれないけどたったの四曲じゃないかと、そうたかをくくっていたかもしれません。それがどんだけ楽しくてどんだけ癒しになるか、ちっとも知りもせずに。

 

きっかけはやはり11月に四国でわさみんの歌唱イヴェントがあったことですね。11/10今治と11/11高知。地元四国まで来てくれるんだから、と思って参加してみたんですね。これがぼくにとってはとっても大きな転換点でした。その楽しさたるやハンパなものじゃなかったです。わさみんといっしょに撮った写真をネットに上げたりするとみなさんおやさしくて好意的な反応をしてくださってそれもうれしくて、出かけた先でちょっといいホテルでくつろいだり、現地のグルメを味わったり…、などなどで、もうすっかりヤミツキになってしまいました。

 

わさみんが四国まで来てくれなかったら、そんなこと諸々ナシで進んだ人生だったかもしれないですよね。そうだったなら、ぼくの心身状態はいまみたいに改善していなかったかも。わさみんと歌唱イヴェントとそれに関係する旅行の楽しさで、もうすっかり癒し効果を得ています。化学的な薬じゃなくて、ちょっとお金はかかるかもしれないけど人生で病んで苦しんで悩んでなにかを抱えている人間にとってのわさみん薬効果は絶大なんですね。

 

これが世間のみなさんがおっしゃっている、体験してきている、(元)アイドルの癒しパワーか!と思い知りました。その後、2018年12月の倉敷、2019年1月と2月の東京、3月、6月の大阪と、頻繁にわさみん現場に通っていますが、そのあいだにすっかり身体の、心の、具合が良くなりましたので、もはやわさみんから離れるなんてことはありえません。

 

わさみんに会うと元気になれる、心も体も健康状態が向上する、これはレッキとした事実です。6/8京橋(大阪)では本人に「わさみんはぼくらの栄養だからビタミンみたいなもんでワサミン C とかあると思う」って言ってみたら、わさみんはちっとも驚きも爆笑もせず、そりゃそうでしょうよという顔でおだやかに微笑んでいましたね。いまのぼくのことは、なにもかもこれすべて美咲ちゃんのおかげです。

 

猫と岩佐美咲。この二大ヒーリング・パワーですっかり生活と人生に落ち着きと幸福感が出てきたぼく。わさみん、本当にありがとう。こんなお腹の突き出た高年オヤジにもいやな顔ひとつせず、にこやかに握手して写真におさまってくれて、本当に感謝しています。猫にお礼は言えないけれど、ちょっといいごはんをあげています。わさみんのことはこれからもブログで褒めまくります。

2019/06/16

DVD『岩佐美咲コンサート2019』

81fjoavuv2l_sl1500_2019年1月26日に鶯谷の東京キネマ倶楽部で行われた岩佐美咲(わさみん)コンサートの模様が、つい先日 DVD や Blu-ray の映像作品になって発売されました。こないだ6月8日の大阪京橋や9日の箕面の現場では、ステージ上からわさみん本人が「二月にやったコンサートが」「二月、二月」となんどもくりかえすのでシバいたろかと…、もとい、訂正のツッコミを入れて差し上げようかとよっぽど思いましたが(わさみん現場ではどんどん声が飛びます)、思いとどまりました。

 

それはいいとして、五月末に発売された DVD『岩佐美咲コンサート2019〜世代を超えて受け継がれる音楽の力』をようやく観聴きすることができましたので、感想を記しておきます。まず、この作品、こんなに客席を写しているとは知りませんでした。みなさんもぼくも、あのかたもこのかたもぼくも、しっかり判別できるように出演しているではあ〜りませんか。ちょっとビックリしました。DVD がはじまったらまずイの一番に客席が映りますしね。こういう演出なんでしょう。

 

ともかく『岩佐美咲コンサート2019』。やはり今年の新曲「恋の終わり三軒茶屋」の傾向に合わせるような選曲、構成になっているなと感じます。同様のことを昨年の DVD 作品についても言いましたが、やはりそういったことなんでしょうね。昨年の「佐渡の鬼太鼓」が激烈なド演歌だったのに対し、「恋の終わり三軒茶屋」はライトな歌謡曲テイストなので、コンサート全体もそっちに傾いているのは間違いありません。

 

コンサートの幕開け1曲目がいきなり「佐渡の鬼太鼓」だったのには現場でもすこし驚きましたが、昨年の代表曲をいきなりもってきたのには、「恋の終わり三軒茶屋」(とその路線)への大きな変化と移行をスムースにするために、あえてトップに持ってきて、まあいわば距離を遠くしたという面があったんじゃないかと思います。次いでこれも濃いめ抒情演歌の「旅愁」(西崎みどり)ですから、コンサート幕開けはこういった路線で昨年来の情緒をふりかえってもらおうといった意図が見えますね。

 

MC をはさんでの3曲目が「能登半島」(石川さゆり)で、ここまでが濃厚演歌系。5曲目の「冬のリヴィエラ」(森進一)からガラリと雰囲気を変えてライト・ポップス路線に移り、新曲「恋の終わり三軒茶屋」の傾向に沿ったセット・リストが続きますので、そのあいだの4曲目「遣らずの雨」(川中美幸)はいわば緩衝材みたいなもんです。スムースにチェンジするための。

 

しかし緩衝材などと言いましたが、その「遣らずの雨」がとってもすばらしいんじゃないでしょうか。個人的実感ではこの『岩佐美咲コンサート2019』でのクライマックスというか白眉、出色の一曲がこの4曲目「遣らずの雨」です。川中美幸さんの歌ですが、曲想が濃厚演歌と軽歌謡との中間的なものだから、美咲にはこれ以上なくピッタリはまっています。ここでの美咲の歌唱表現も実に見事なもので、はっきり言って感動ものですね。声の色やツヤといいフレイジングといい、完璧ですよ。いやあ、美咲の「遣らずの雨」、すばらしすぎる。

 

続く「冬のリヴィエラ」からが本格的なライト・ポップス路線ですね。まさしく新曲「恋の終わり三軒茶屋」の傾向に合わせたセット・リストが続きます。カップリング曲になった四曲「恋の奴隷」(奥村チヨ)、「お久しぶりね」(小柳ルミ子)、「あなた」(小坂明子)、「別れの予感」(テレサ・テン)と、ここらはもう文句なしです。ぼくも歌唱イヴェントにどんどん出かけていますので、これら四曲における美咲の歌唱が進歩しているのを実感してはいます。それはコンサート終盤のアンコールで披露される「恋の終わり三軒茶屋」にしてもそうです。生現場で歌い込んで練り込まれ、いっそうよくなっていますよね。

 

ラウンド・コーナー(撮影可で美咲が客席をまわりながら歌う)でも、「飛んでイスタンブール」(庄野真代)は美咲の最新傾向や資質にぴったり似合っているなと思いますし、またラウンド・コーナー最後の「狙いうち」(山本リンダ)はうれしかったですね。なんたってリンダさんはぼくのはじめての女ですから。このことはいままでなんども書いているのでくわしくは省略します。

 

ところで、この話をいままでに美咲ファンのどなたからもうかがったことはないのですが、山本リンダさんやピンク・レディーさん(昨年のラウンド・コーナーで「UFO」を美咲はやった)のレパートリーは、歌手岩佐美咲の資質に実にピッタリ似合っているんじゃないでしょうか。ぼくはそうにらんでいるんですけどね。だから、実を言うと「どうにもとまらない」「狙いうち」「ペッパー警部」「UFO」あたりは、歌唱イヴェントでどんどん歌ってほしいし、CD にも収録したらいいのになと思うんです。間違いないはず。

 

その後、「ルージュの伝言」(荒井由実)、「元気を出して」(竹内まりや)などを経て、今年はここまで一曲しか歌っていなかったオリジナル楽曲セクションに入り、コンサートは終盤へと向かっていきます。アンコールのラストまでぜんぶが美咲のためのオリジナル・ナンバーで占められていますが、これは、一曲だけやや傾向の異なるド演歌の「佐渡の鬼太鼓」を切り離し、ほかの曲をまとめて終盤にもってくることで、歌い込んでいるおなじみ曲の数々で新しい岩佐美咲をアピールしたかったという、そんな意図があったとぼくには思えました。

2019/06/15

マイルズの『ラバーバンド』、ついに9月6日のフル・リリースが決定!

Miles_davis_rubberband_cover_art_2https://open.spotify.com/album/4iHtBFo4si4ke896dw2yHJ?si=x7fl3UNDQ36esupSqq5OMA

 

https://twitter.com/milesdavis/status/1139171874460581890

https://store.rhino.com/rubberband-2lp-1.html

 

マイルズ・デイヴィスの失われたアルバム『ラバーバンド』が、とうとう11曲のフル・アルバムとしてリリースされるとアナウンスされました。2LP、CD、デジタル配信の三種類。曲目は以下のとおり。

 

01 Rubberband Of Life (Feat. Ledisi)
02 This Is It
03 Paradise
04 So Emotional (Feat. Lalah Hathaway)
05 Give It Up
06 Maze
07 Carnival Time
08 I Love What We Made Together
09 See I See
10 Echoes In Time / The Wrinkle
11 Rubberband

 

これらのうち、同じソースである1曲目と11曲目はすでに公式リリースされていますね。上のリンク最上段がその音源です。それは昨2018年4月のレコード・ストア・デイ限定で12インチ・アナログ EP が発売されていたもので、その後 Spotify などデジタル配信でも聴けるようになっています。だから、フル・アルバムとしてのリリースへ向けての準備はその前からはじまっていたんでしょう。ライノのサイトでは、2017年に開始されたとありますね。

 

マイルズの『ラバーバンド』とはなにか?それは以下の過去記事でかなりくわしく解説しましたのでご一読ください。簡単にいえば、マイルズが1985年にコロンビアを離れワーナーに移籍した直後にロス・アンジェルスのスタジオで取り組んでいたレコーディング・セッションで誕生した曲の数々です。当初それをワーナーでのデビュー・アルバムとする予定だったはずですが、なぜかお蔵入りし、次いで完成した『ツツ』が、マイルズの初ワーナー作品となりました。
http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2018/04/post-b4d9.html

 

この記事は「そして、フル・アルバムとしてはいまだ失われたままの『ラバーバンド』だけど、いつの日か、見い出される日が来ることを期待したい。」と結んでありますね。とうとうそれが実現することとなってうれしいかぎり。こんな気分になったのもひさしぶりです。そうそう、12月にはこんな文章も書きましたよ。
http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2018/12/down-blue-7ca8.html

 

この記事は、オリジナル・セッションの「ラバーバンド」からリワークされた「ラバーバンド・オヴ・ライフ」が、実に2018年的今様のコンテンポラリー・サウンドに仕上がっていて感心するという趣旨です。しかし、来たる九月リリース予定のフル・アルバム『ラバーバンド』にそこまで求めてはいけないのかもしれません。

 

今回も発売プロデューサーはランディ・ホール、ゼイン・ジャイルズ、ヴィンス・ウィルバーンの三人です。来たるアルバム『ラバーバンド』フィジカルのライナー・ノーツをお書きになったジョージ・コールさんと昨晩二往復ほど直接お話をさせていただきました。フル・アルバムをお聴きになったジョージさんによれば、三人はすごくよくやっている、1985年のマイルズ・サウンド、オリジナル・レコーディングになるべく近づけるように、それを忠実に再現しようと腐心していて、しかしいくつかコンテンポラリーに響いたりもするものもある、とのことです。

 

具体的には、「カーニヴァル・タイム」「ザ・リンクル」「ギヴ・イット・アップ」「エコーズ・イン・タイム」「シー・アイ・シー」「ディス・イズ・イット」は、オリジナル・レコーディングのサウンドに本当にとても近いもので、いっぽう、ヴォーカリストがゲスト参加している「ラバーバンド・オヴ・ライフ」「ソー・エモーショナル」はもちろん、「パラダイス」もリワークめざましく、現代的なサウンドに仕上がっているとの、ジョージさんのお話です。

 

また、「メイズ」「カーニヴァル・タイム」「ザ・リンクル」の三曲は1986年ごろからマイルズ・バンドのライヴ・ツアーで定番レパートリーとなりましたので、公式盤でもブート盤でも当時のライヴを収録したものがいくつかありますよね。スタジオ・ヴァージョンもそう大きくは変わらないんでしょう。三曲ともぼくだって東京の生現場で聴きました。

 

だから、マイルズの『ラバーバンド』、2019年9月に発売するという事実に同時代的な意味合いや意義を大きく求めることはむずかしいかもしれません。といっても一般人のぼくはまだフルには聴いていませんけれど。そういったことよりも、とうとう日の目を見る偉大な発掘ものとして意味を見出すべきものなんだと、いまはそう思うんですね。なんたってぼくもマイルズの1980年代ものが大好きですし、もしそうだったならきっと『ラバーバンド』はお気に入りになるはずだ、とジョージさんも太鼓判でしたよ。

 

なんにせよ、期待は大きいと言えます。9月6日を待ちましょうね。ジャケット絵はマイルズ本人の筆によるものです。

2019/06/14

美咲の歌唱技巧

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こないだ6月9日に箕面でわさみん(岩佐美咲ちゃん)と話したのは、歌詞の意味によって発声を自在に変えているよねということでした。その日は箕面温泉スパーガーデンでコンサートが行われて、わさみんは一部、二部あわせて計30曲歌いました。それをじっくり聴き、また以前より抱いている感想をそのときにいっそう確信しましたので、わさみんに話を向けてみたわけなんです。

 

あたりまえみたいなことだし、歌手ならみなさんやっているのがふつうだし、わさみんファンのみなさんもとうにお気づきのことだとは思います。歌詞の意味が明るい前向きのものであるときと、暗いというか陰なしっとり系の意味のことばであるときとで、わさみんの声はかなり違いますよね。

 

それは曲によっての歌い分けというだけではありません。同じ一曲のなかでも歌詞の意味内容が変化するにつれ、声のトーンをわさみんは各種使い分けているんですよね。歌手ならあたりまえといっても、わさみんはかなり微妙繊細な声質変化を実現していて、明るいトーン、しっとりトーンと、しかもどっちも艶があって輝いていますよね。完璧に使い分けるのはなかなかむずかしいことじゃないかと思うんです。

 

歌詞をどう歌ったらいいか、伝わるかを考えて、それをどんな声でどう発声してメロディの変化にもあわせていくかという方法論を実行するということを、最近、わさみんはわさみんなりに確立しつつあるでしょう。ぼくの聴くところ、どうも2018年のソロ・コンサートあたりからじゃないかと。それが2019年に入ってコンサートや歌唱イヴェントなどで深化しているという、そんな印象です。

 

たとえばですよ、大好きな「初酒」のことをとりあげましょう。オリジナル・シングル・ヴァージョンと、2018年、19年コンサート・ヴァージョンとでは、もうぜんぜん別物ですよ。ふだんはぼくも CD で聴いていますから、ときどき DVD(や生歌)で聴くとわさみんの成長にビックリしちゃうんです。もうね、声じたいも一曲全体でまるで違っていますけど、もっとすごいのは一曲のなかのパートパートで声を使い分けているところ。

 

「初酒」は曲そのものが前向きに笑って進んでいこうという人生応援歌みたいな内容なので、孤独や喪失を歌ったものが多いほかのわさみん楽曲とはもとから大きく違っています。だからわさみんも歌いかたをそれにあわせた明るい声のトーンにスイッチしているんですが、この曲でも箇所箇所でこまかく声の色や質を自在にチェンジさせながら歌っているんですよね、最近のわさみんは。発声そのものを変えているんです。

 

「生きてりゃいろいろとぉ〜、つらいこともあるさぁ〜」とふつうに歌いはじめていますが、ここでもうすでに2018年ヴァージョン以後は声が色っぽくなって艶が増しています。大人の女が、落ち込んでいるぼくらにやさしく語りかけてくれているような、そっと寄り添ってくれているような、そばに座って一酌やりながらなぐさめてくれているような、そんな色気が近年は出ていますよね。わさみんはスッとストレートに歌っているだけなのに…、と思わせるところが技巧が真に上達した部分で、実は相当練りこんで歌い込んだ結果なのですよね。意識してわさみんはこんなふうに歌っていますが、なにも意識していないナチュラルさだと感じさせる結果にまで到達しているということです。

 

すごいことですよ、これは。しかも続く「ここらでひとやすみ」の「ひと」を「ひっと」気味に歌い、声もいっそう明るみのあるものに変えてヴォーカル・トーンに軽みを出し、実際、軽い気分でちょっと休もうよ、という歌詞の意味に最大限の説得力を持たせることに成功しているんですね。

 

次の「我慢しなくていいんだ、よ」パートで、ぼくなんかは涙腺が弱いですから、ホロっときちゃうんですね。特に一拍休符を入れた「よ」の声質変化です。「我慢しなくていいんだ」までは強めのリキみ声を張り、おいお前そんなに気を張るな我慢すんなと説得されているような気分にさせておいて、一瞬間をおいた「よ」ではふっと力を抜くんですよね、わさみんは。もう、この「よ」でぼくはダメになっちゃうんです。親や教師がこどもを叱っておいて最後の最後にすっと優しくする一瞬でこどもを落とすでしょ、あれと同じですよ、わさみんのこの声質変幻技巧は。最近のことなんです。CD での「初酒」ではまだふつうですから。

 

わさみんはこういったことを、実にスムースかつナチュラルに実現していますが、なにも考えず自然に歌っているだけだと、聴いた感じそういう印象に仕上がっているのは、実は最高の技巧が凝らされている結果だからということなんですね。ほかの曲でも最近ぼくはそれを感じていましたが、6/9箕面で30曲聴いて確信に至り、終演後にわさみんと話してみて、その反応で、あぁ間違いないとわかりました。本人は工夫を重ね、その工夫とは結果的になにも工夫していない自然体なのだと聴こえるように練りこまれたものだということです。

 

ぼくが言っているのは「初酒」のことだけではありません。ほかの曲でもこういったケースが多々見受けられますので、2018、19年のソロ・コンサート DVD でみなさんも探してみてくださいね。じっくり聴き込めば、わさみんがリスナーに歌を伝えるためにどれほどの技巧を凝らしているか、気づくことができるはずです。

 

また箕面のコンサートや全国各地でやっている歌唱イヴェントなど、生歌でもこういったことは聴きとれるし、生現場ならではのわさみんとの近い距離感で、歌の内容がもっと胸に迫ってきて、小規模で気さくなさりげない親近感のある現場でも、わさみんが歌に本気の工夫を込めていることと、その結果の自然体を獲得していることを理解できると思うんですね。

 

CD を聴き、DVD を観聴きし、生歌現場で聴いて接近し、と三種総合でわさみんを味わってこそ、この歌手の真価と深化もわかろうというものだっていうことです。

2019/06/13

ポップでファンクなドナルド・バードの『125番街』

71zjwadra5l_sl1011_https://open.spotify.com/album/2YLGbldm2kzxMpTzI3kkXn?si=-ok_TPRGQwWHW4SCzhUUvw

 

ドナルド・バードの『アンド・125th・ストリート、N.Y.C.』(エレクトラ、1979)は、基本的に前作『サンキュー…フォー F.U.M.L.(ファンキング・アップ・マイ・ライフ)』の創りを踏襲している。タイトなファンク・ドラミングにきめきめスラップ・ベース、ソリッドなエレキ・ギター・カッティングに電気キーボード類(ここではクレア・フィッシャー)。その上にヴォーカルとトランペットが乗っかっているという、そのまま。

 

しかし大きな違いもあって、前作では全曲が弟子バンド、ブラックバーズの面々が書いたコンポジションだったのに対し、『125番街』ではほほすべてをドナルド・バード自身が作曲している。それでここまでできあがりが似てくるというのは、アレンジャーが同じウェイド・マーカスであることも肝だけど、ドナルド自身こういったファンクな曲創りを急速に身につけたということだろう。

 

『125番街』のほうには、ドナルドのトランペット・ソロをフィーチャーしたインストルメンタル・ナンバーも数曲ある。これも大きな違いだね。それらでは、かつてジャズ・トランペッターだった腕前を活かし、魅力的な演奏を聴かせていると言える。全曲ヴォーカル・ナンバーでソロのなかった前作との大きな差だ。全体的にはやはり歌ものが『125番街』でも多いけど、バランス重視型にシフトしているよね。

 

クレア・フィッシャーの鍵盤演奏だけを伴奏にしてドナルドが吹くラヴ・バラード「マリリン」のこの上ない美しさったらないね。ふんわりとやわらかいヴェールが降りているかのようでありかつキラキラした透明感にも満ちていて、屹立する孤高感もあり、こういったインストルメンタルはジャズでもないし、なんだろうファンカバラードとでも言ったらいいのか、いやあ、マジきれいですね。

 

同じくインストルメンタルな6曲目「ヴェロニカ」。こっちはちょっぴりビートが効いているが、やはり女性名を曲題にしているところといい、同じくラヴ・バラードとしていい曲想じゃないかな。ややジャジーさも加味し、都会の夜の雰囲気も漂っている。ドナルド独自のハーフ・ヴァルヴを多用したノート・ベンディングも聴けるし、ジャズ・バラードに近い演奏で、これも充実している。

 

これら二曲以外はファンク・ヴォーカル・ナンバーだけど、とっつきやすくノリやすいし、ジャズ・ファンクというよりロックやソウルに近いフィーリングもあって、しかも全体的にやはりかなりポップで親しみやすい。どこかで聴いたようなファミリアーなリフやフックも随所で多用されているし、それでいてリズムやサウンドはタイトでシャープでソリッド。とんがっている感じがせず丸いのが、ドナルド・バードの持ち味だね。

 

ドナルド・バード・シリーズはこれで終わりです。

2019/06/12

ドナルド・バードの「サンキュー」

R40416013806458461397jpeghttps://open.spotify.com/album/6NwRfwq2bQZ3HgvcH3OhiZ?si=uOGD8vp0QUytwZkcDs7epw

 

ドナルド・バード、1978年のエレクトラ盤『サンキュー…フォー F.U.M.L.(ファンキング・アップ・マイ・ライフ)』は、それまでのあらゆるドナルドの音楽とも明確に異なっている。ジャズから大きく離れ、リズム&ブルーズ/ファンク・ミュージックへと大きくグンと踏み出しているよね。かすかにフュージョン色とディスコ色もあるかなとは思うけど、もはやジャジーさはほんのかすかにしかない。というか、これはもはやジャズ作品じゃないね。

 

アルバム題は1曲目のタイトルだけど、あるいはスライ&ザ・ファミリー・ストーンを意識したものだったかもしれない。そういえばドナルドのこのアルバムでは、ほぼ全曲にわたってエレキ・ベースのスラップが強調されているが、これもスライ時代のラリー・グレアムを、こっちは間違いなく下敷きにしている。弾いているのはエド・ワトキンス。ドナルドの音楽でエレベのスラップを活用したものはそれまでまったくない。このサウンド・メイクも間違いなくファンク・ミュージック志向だ。

 

全曲でヴォーカルが大きくフィーチャーされているし、っていうかそもそもこのアルバムではどの曲も歌ものであって、ドナルドのトランペットやバンドの演奏を聴かせるためのものなんかじゃない。ポップス/ファンク界にあるものと同様に、あるのは歌。すべてはそれをどう聴かせるかというところにかかっている。

 

そんな音楽がドナルドのリーダー作として、しかもだれかポップ界の人材を起用してでなく本人自身のプロデュースで、実現しているという事実ひとつ取っても、いかにこの(ジャズ界出身の)トランペッターが自己の音楽を変容させたか、わかろうというもの。といっても曲はすべて弟子たちバンドのブラックバーズの面々が書いたものだけど。レーベルを移籍したので、ラリー・マイゼルはもういない。

 

トランペット吹奏も、ほぼ全曲でハーマン・ミュートを付けてのもの。あくまで曲全体のなかに溶け込んでムードをつくるエフェクトとして機能するように、と心がけてのものだったんじゃないかな。それに実際、ドナルドはあまり吹いていない。ソロみたいなものはまったくないし、歌のオブリガートでパラパラやっているだけ。それも思いつくままやっているだけで、構成らしい構成もなし。

 

構成は、どこまでも曲のリズムやサウンド全体をどう組み立てるかに腐心されていて、リード・ヴォーカルをフィーチャーしても楽器はあくまで伴奏でしかないのだと、このアルバムを聴けばわかるよね。これが(かつては)ハード・バッパーだった楽器奏者のリーダー作なんだから、それも1978年時点でのそれなんだから、ちょっとビックリだよねえ。

 

アルバムのなかでは、ビートの効いた明るいファンク・チューンと都会の夜の雰囲気を持つメロウ・バラード系が代わる代わる出てくるように思うし、その二種類が並べられているとして間違いないと思う。タイトなドラミング、迫力のあるスラップ・ベース、くちゅくちゅ言うソウルフルなギター・サウンドなど、どこにもジャズがないドナルド・バードの『サンキュー…フォー F.U.M.L.』は、一つの時代の道標ではあったと思うのだ。

2019/06/11

ドナルド・バードのレア・グルーヴ全盛期 〜『ストリート・レイディ』

71mrljnjakl_sl1400_https://open.spotify.com/album/7Iw2Tx6Jh0Y8iKEVfx7Sua?si=lJSdFdJBRQycPUuUfuQt2g

 

ひとりで1990年代にタイム・スリップしつづけているような気分のここ数日。ドナルド・バードの『ストリート・レイディ』(1973)も、ぼくの持つ CD には「ブルー・ノート・レア・グルーヴ・シリーズ」とバ〜ンと銘打ってあって、たしかにそうだよなあ、あのころこういったのがもてはやされていたもんねえ。CD リイシューそのものがレア・グルーヴ・ムーヴメントに乗ってのものだったんじゃないかなあ。

 

さて、『ブラック・バード』のことを書いたから、その次に大きなことは1979年のエレクトラ盤『ドナルド・バード・アンド・125th・ストリート、N.Y.C』になるんじゃないかと思うけど、そのあいだに個人的にグッとくるものが二枚あるので、それぞれ単独でとりあげてちょっとだけメモしておきたい。まずは『ブラック・バード』の次作『ストリート・レイディ』のこと。

 

『ストリート・レイディ』は前作に比べるとやや食い足りない感じがするのも事実。そしてジャズ・ファンクよりもふつうのフュージョンに寄っているようなサウンドだよね。ワン・リフ中心に組み立てていたワン・グルーヴのタイトさ、ファンキーさが薄れて、もっとやわらかめの方向に向いているように聴こえる。したがって、ちょっとジャジーさは復活したと言えるかも。

 

ぼくにとっての『ストリート・レイディ』は、なんたってマイルズ・デイヴィスの愛聴盤だったという事実でもって認識されている。わりと有名なんじゃないかな。それなもんで、マイルズの遺作『ドゥー・バップ』の4曲目「ハイ・スピード・チェイス」では、曲「ストリート・レイディ」からのサンプルが使われている。トラックをつくったイージー・モー・ビーも明言している。
https://open.spotify.com/track/00JSeHZVBL0bwKZ7GL0jYu?si=jnICO51lQSCp9g0UBQsyog

 

聴き比べれば、あぁ〜な〜んだ、とわかっちゃうけど、ぼくが最初に『ドゥー・バップ』を聴いた1992年当時、まだドナルド・バードの「ストリート・レイディ」を知らなかったから、なんてカッコいいトラックなんだ、イージー・モー・ビーってすごいんだな、って感心しきりだったよ〜。

 

いま、アルバム『ストリート・レイディ』全体を聴きかえしても、やっぱり曲「ストリート・レイディ」が突出してすばらしいと思える。アルバムの白眉だね。この曲はピアノを中心とするバック・トラックだけ先にできあがっていて、その上に楽器ソロやヴォーカルを乗せたものだと思うけど、ラリー・マイゼルのサウンドやリズム・メイクの冴えを感じるよね。前作『ブラック・バード』の手法だったボトムス中心のワン・リフはここにはない。「ストリート・レイディ」ではジャジーな演奏に近いフィーリングだ。

 

それはアルバム全体に言えること。『ブラック・バード』が異質で異様に鈍黒く輝いていただけかもしれないが、ああいったヘヴィなリフ一発の反復で組み立てる手法は、次作『ストリート・レイディ』ではほぼ聴けない。代わって、ジャジーなスポンティニアスさに軸足を戻しているかのようだ。だからファンクというよりソフト・フュージョンに聴こえるんだね。『ストリート・レイディ』だってしっかり組み立てられているけれど、できあがりがどう聴こえるかにラリー・マイゼルは気を配ったんだろう。

2019/06/10

ドナルド・バードの飛翔宣言 〜『ブラック・バード』

61zgdthclhttps://open.spotify.com/album/0j5Nx6IeRw3H5gohShC0qZ?si=kxPedjLGRqW8fV8FVhn-6w

 

さてさて、ドナルド・バードの『ブラック・バード』(1972年録音73年リリース)。ラリーとフォンスのマイゼル兄弟を迎え、いよいよポップ・ファンク路線へと本格転換した記念碑的アルバムだ。アルバム題は、ドナルドが大学で教えていた弟子バンドの名 The Blackbyrds から取っている。ハワード大学で教鞭をとっていたドナルドで、この後もそのかかわりあいで作品ができたりもしている。『ブラック・バード』は売れたので、その意味でもエポック・メイキングだった。

 

プロデュースが全面的に代わったということで、もう音づくりが前作までと比較して根本から変化しているよね。リズムやサウンドがいくらファンキーになっても、なんだかんだでジャズ的な即興のスリルをベースにしていた『エチオピアン・ナイツ』までに対し、『ブラック・バード』以後ではワン・リフの反復とシンプルなフレーズ・パターンを中心にポップに組み立てている。長めのアド・リブ的な展開はなしで、カッチリしたアレンジと構成でできている。

 

こんなふうにヴォーカルが入ることもそれまでなかった。歌っているのはドナルドとラリー・マイゼルを中心とする数名みたいで、しかもそれはいわゆる歌ではなく、ちょっとしたエフェクトというか雰囲気づくりみたいなフレーズだよね。ドナルドに歌わせたのはたぶんラリーだと思うけど、『ブラック・バード』の評判がよかったので、これ以後、あるいはラリーと別れても、ドナルドは歌い続けている。ハミングに近いようなものだとはいえ。

 

エフェクト的な使いかたといえば、ドナルドのトランペットやフリューゲル・ホーンだってそうなのだ。アルバムで本格ソロはなし。折々にはさみこまれているだけだよね。吹奏にどこまで自由が与えられていたかわからない面もあるけど、『ブラック・バード』全体やラリーがプロデュースしたほかの作品も聴くと、けっこう指定されていたのでは?と思えるふしもある。あ、そうそう、収録曲はぜんぶラリーが書いているんだ。アレンジもラリー。

 

それでラリーがかっちりした枠組みを考えて構成し、それに沿って音を足していったというのがとてもよくわかるできばえのアルバムだよね。どの収録曲も、ファンクの手法であるワン・リフのワン・グルーヴを根底に置き、ドラムス+エレベ+エレキ・ギター+鍵盤でそれを演奏させ、その上に効果的にドナルドほかのホーン陣とヴォーカルをからめてある。音楽にさわやかな空気を付与することに成功しているフルートも効果的だ。

 

ジャズ・ミュージック的にどんどん個人がソロをとってそれが複数人で連続するというような、そんな音楽の快感はアルバム『ブラック・バード』にはない。取って代わってここにある気持ちよさは、タイトでファンキーなワン・グルーヴに乗るダンスのそれだ。グルーヴ一発ですべてが決まる、そんな音楽だよね。聴いていて、ただそのノリに身を委ねればスリリング、そんなブラック・ミュージック本来のありように<もどった>だけ、と考えることだってできるね。

2019/06/09

ドナルド・バードの『エレクトリック・バード』から『エチオピアン・ナイツ』まで三枚まとめて

4abfc9aba0794f09805ae78b7626c422https://open.spotify.com/album/3I3wHHxGI7jFOzMja07ZcS?si=CE6jK8G9Q5WdppyRroXvNQ

 

https://open.spotify.com/album/41rZeHM1GX1aocheecDsBr?si=ZmEyppjQTXS_UC300RjC9Q

 

https://open.spotify.com/album/5Y91dijjpECGa62GvTUQro?si=6wrcj5XzQbOtpnbOrFj60A

 

ドナルド・バード。1969年の『ファンシー・フリー』の次に大きなことは、なんたって73年リリースの『ブラック・バード』だから、そのあいだにある三つのアルバム(といっても当時はリリースされなかったものも)『エレクトリック・バード』(70)、『コフィ』(69〜70/95)『エチオピアン・ナイツ』(71/72)について、まとめてざっと扱っておきたい。『エチオピアン・ナイツ』はかなりカッコイイから単独記事にしてもよかったんだけど。

 

じゃあそのカッコいい『エチオピアン・ナイツ』のことを最初に書こうっと。このアルバム題や「皇帝」などの曲題は、もちろんラスタファリズムから来ているものだろう。音楽的にこのアルバムがジャマイカやレゲエと関係あるかどうかわからないが、1972年だし、ドナルド・バードやブルー・ノート陣営としても意識したムーヴメントだったのだろう。

 

三曲のアルバム『エチオンピアン・ナイツ』では、1曲目「ジ・エンペラー」と3曲目「ザ・リトル・ラスティ」がめっちゃいい。これの次作『ブラック・バード』からしばらくのあいだ、ラリーとフォンスのマイゼル兄弟がドナルドのアルバムをプロデュースするようになり演奏にも参加して、明確なファンク路線に傾いているが、マイゼル兄弟なしですでにこれだけのものが仕上がっているとわかる。

 

いや、予兆というか、もうじゅうぶんカッコイイよね。「ジ・エンペラー」でもエレベの太い音がリフを弾きはじめるが、こんなのはそれまでのドナルドの音楽にはなかったものだ。続いて出るドラムスもかっこよくグルーヴィ。エレキ・ギター二台がからんでリフを演奏するあたりで、もう脳天シビレちゃう感じだなあ。もうね、なんたってこのリズムというかグルーヴですよ、聴きものは。カァ〜ッコイイじゃないですか!

 

それはアルバム・ラストの「ザ・リトル・ラスティ」でも同じ。しかもこれは曲というより、たぶんただの即興演奏だよね。リズムが順番に出て重ね、ソロをみんながまわしているだけだと思う。あらかじめの決めごとはなにもなかったかも。それでこれだけのグルーヴが生まれるのは個人の力量もあるし、時代もあるし、ドナルド・バードにはこういったソウル/ファンク系の資質が本来あったと見たほうがいい。いやあ、カッコエエなあ〜。この曲のギター・ソロはデイヴィッド・T・ウォーカー。

 

レア・グルーヴ/アシッド・ジャズ観点からもめちゃめちゃグッドな『エチオピアン・ナイツ』だけど、それに先行する二作『エレクトリック・バード』『コフィ』は、一部を除きイマイチ物足りない。というのはグルーヴを感じるかどうかという点でだけどね。でもいい部分だってあるし、また同時にかなり興味深い。

 

個人的な最大の関心ごとは、1970年5月録音の『エレクトリック・バード』が、完全にマイルズ・デイヴィス『ビッチズ・ブルー』を意識したものになっているというところ。マイルズのは録音が1969年8月だけどレコード発売が70年4月だった。さらにその二枚組にも関与したギル・エヴァンズのアレンジ手法も大きくとりいれている。

 

なんたって1曲目「エスタヴァニーコ」のホーン・アレンジを聴いてみて。どう聴いたってギルでしょ。実際に手がけているのはフェンダー・ローズで参加のデューク・ピアスンみたいだけど、このフルートなどの使いかたといい、あからさまにギル・メソッドじゃないか。こういったちょっと大がかりなホーン・アンサンブルは『ビッチズ・ブルー』にはないけれど、ギルなら当時書きそうな譜面で、サウンドの響き、それのなかに立ち上がってくるオープン・ホーンのトランペットといい、ギル&マイルズの仕事をそのまま下敷きにしているのは間違いない。

 

そのほか『エレクトリック・バード』は全体的に1968/69年ごろのマイルズ、特に『ビッチズ・ブルー』からアイデアを借用している音楽で、ここまで露骨だと感心するしかない。あるいは、この当時のジャズ界でマイルズ&ギルの影響力がそれだけ大きかったという証左でもあるね。アルバム・ラストの「ザ・デュード」はかっこいいグルーヴァーだ。これだけはマイルズよりいい。

 

録音当時は未発表だった『コフィ』。1曲目のアルバム・タイトル曲で出るフルートが印象的だけど(ルー・タバキン)、アルバムで最も魅力的なのは2曲目の「フフ」だね。このリズムがいいと思うよ。リム・ショットかんかんやりすぎ(つまり大歓迎)のアイアート・モレイラも楽しい。そのせいか、数年後のリターン・トゥ・フォーエヴァーを想起させるところのあるドラミングとリズム・スタイルだ。だから好きなのかなあ。5曲目「ザ・ラウド・マイノリティ」も、うねるホーン・リフがいいね。トランペット・ソロもキレているし、リズム・セクションも魅力的だ。

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