2018/05/26

Músicas de PALOP(2)〜 ギネア・ビサウ、モザンビーク、サントメ・プリンシペ

四枚組『メモリアズ・ジ・アフリカ』のギネア・ビサウ篇(CD2)とモザンビーク&サントメ・プリンシペ篇(CD4)。先週のアンゴラやカーボ・ヴェルデとすこし違って、CD3では冒頭からいきなりモダンなバンド・サウンドが聴こえる。電化されていることだけじゃなく、音楽の種類として現代的ポップ・サウンドだ。

むろんギネア・ビサウの音楽伝統があって、それを電化バンド形式でやって大衆化しているということなんだろうけれど、まったくの完全無知な僕が CD3を聴いた一回目でも、こりゃいいね、ノレる、楽しくダンサブルで、しかもかなり明快でとっつきやすいと感じたのだった。

それまでに知っていた音楽で言えば、ちょっとルンバ・コンゴレーズに似ているようにも聴こえるが、共通性とか影響関係があるのかどうか、ぜんぜんわからない。でもこりゃきっとあるよね。ギネア・ビサウ音楽のことをなにも知らない僕が聴いてそう感じるサウンドだ。

CD3に収録の14曲をやるギネア・ビサウの音楽家は五人だけ。オルケストラ・スーパー・ママ・ジョンボ、サバ・ミニャンバ、ジョゼ・カルロス・シュワルツ、ンカッサ・コブラ、ゼ・マネル。それぞれ複数曲が収録されている。ど素人の僕がパッと聴いた感じ、二曲収録のスーパー・ママ・ジョンボがかなりいい。これは大好きだ。
この YouTube 音源の1曲目が、『メモリアズ・ジ・アフリカ』CD3の一曲目だ。どう、これ?サイコーじゃないか。コンゴのフランコみたいだよね。同じスーパー・ママ・ジョンボの演奏で、やはりフランコみたいだが、ラテン・テイストも強めに出ていてちょっとサンタナっっぽく感じる、『メモリアズ・ジ・アフリカ』CD3の6曲目「サヤンゴ」はこれ。いいなあ〜。
フランコっぽいものは『メモリアズ・ジ・アフリカ』CD3にはほかにもいくつかあって、しかしこれ、録音年の記載がないので、影響関係の推測ができない。聴感上のザッとした印象だけだと、フランコから来たものがかなりありそうに思うんだけどなあ。三曲あるサバ・ミニャンバ、ンカッサ・コブラ、ゼ・マネルなんかもそうだ。8曲目、サバ・ミニアンバの「ルシアパール」とか、ぜひご紹介したいよさだが、ネットにないみたい。同じ人の9曲目「サウダージ・ソン」は大きくゆったり漂うグルーヴで、気持ちいい。

CD3の11曲目、ンカッサ・コブラの「スール・ジ・ノ・プビス」が、このオーディブック『メモリアズ・ジ・アフリカ』CD3のギネア・ビサウ篇で個人的に最もグッとくるもので文句なしにいいんだけど、これもネットにないみたいだ。ソロを弾くギター(だれ?)がまるでカルロス・サンタナみたいだけどなあ。しかもリズムはアフリカン・ポリリズム。ヴォーカルもギターも、っていうか全体の曲想に哀感がある。

CD4のモザンビーク&サントメ・プリンシペ篇。どれがモザンビークでどれがサントメ・プリンシペの音楽なのか、僕にわかるわけもなく、それはブックレットのどこにも記載がない。だがまあ、8曲目をやるアフリカ・ネグラ、13曲目のペドロ・リマはサントメ・プリンシペだね。それ以外はモザンビーク??わかりませんので、どなたか教えてください。

その二名(だけかどうかはわかりません)のサントメ・プリンシペの音楽がかなりいい。特にアフリカ・ネグラの「アニーニャ」は最高だ。これもちょっとフランコのルンバ・コンゴレーズっぽく聴こえる。関係あるのかな?リズムの感じとか、その上で複数本のエレキ・ギターがからみあうそのスタイルとか、似ているよなあ。「アニーニャ」では長めのギター・ソロもあり。それにカルロス・サンタナっぽさはぜんぜんなくて、もっとカラリと乾いている。同じのがネットにないんだけど、曲はこれだ。『メモリアズ・ジ・アフリカ』収録のは八分以上ある。
13曲目のペドロ・リマ「マンギダーラ」ではドラマーのスネア使いがすこし垢抜けなくてバタバタしているなあとは思うけれど、なかなか楽しい。こういったリズムの感じ、いかにもアフリカのバンド・ミュージックだという趣(おおざっぱな言いかただ)で、踊れるよなあ。この下のは同じ人の同じ音源かなあ?ヴォーカル(・コーラス)もギターもいいね。
これら二曲以外はモザンビーク音楽なのかどうかわからないが、1〜6曲目までは、これはたぶんモダン・ポップスというよりもトラディショナルなフォーク・ミュージックなのかな。楽器編成もヴォーカルや楽器のラインも素朴。7曲目、ヴェロニカ・ペテルソンのものですこし現代的なポップさが出ているが、う〜んと…まだまだ…、でもこういった部分も音楽の楽しさの一部だ。

その後の8曲目がさっき書いたアフリカ・ネグラで、9曲目ぼサンガズーザからグッと(僕的には)聴きやすくなってくる。サンガズーザの「リカルディーナ」は、ちょっとカリブ音楽ふうのシンコペイションで、コンガがぽんぽん気持ちよくて、そんでもってエレキ・ギターがやっぱりここでもフランコふう。
10曲目、オス・レオネンセス「ミーナ・ファーダ・メンジ」の派手な楽しさ(ちょっと突っかかるようなリズム)、12曲目、同じくオス・レオネンセスの「ルリア・サー・シガード」もほぼ同系で、二つとも聴けて踊れる。興味深いのは11、14曲目と二つ収録のコンジュント・ミンドーロの、14曲目のほうだ。題して「トニ・ファーダ・キンチーノ」。
どうこれ?アメリカはニュー・オーリンズの音楽によく似ているよね。いちばん最初に僕が思い浮かべたのはかの「ジャンバラヤ」だけど、こんな感じの曲はこの北米合衆国内アフロ・クリオール首都にかなりあるよね。クラベスが3・2クラーベを刻んでいる。その先まで書かなくていいだろう。

2018/05/25

水銀の音 〜 マイルズ『ドゥー・バップ』

1992年6月に発売されたマイルズ・デイヴィスの遺作『ドゥー・バップ』。録音時期はイージー・モー・ビーとのコラボでのスタジオ作業が1991年1、2月だったということしかわかっていない。以前も書いたが4曲目「ハイ・スピード・チェイス」と7「ファンタシー」は俗称ラバーバンド・セッション(1985年10月〜86年1月)で収録されていたうちの二曲から、マイルズの死後、イージー・モー・ビーがトランペット・ソロだけを抜き出して、バック・トラックは新たに作成したもの。曲名も変えている。

新録分でも、1991年1、2月の音源にその後マイルズも音を足したかもしれないし、イージー・モー・ビーは間違いなく音を重ねたり編集している。そのモー・ビーの作業だってマイルズの生前と死後に複数回繰り返されただろう。そのあたりのことは、まだほとんど判明していないのだ。

これら以外のことで、まずは明確になっている限りでの『ドゥー・バップ』関連のデータを記しておく。

パーソネル

Miles Davis - trumpet
Easy Mo Bee - produce, keyboards, programing, sampling & rap (2,5,7)
Deron Johnson - keyboards
Rappin' Is Fundamental (Easy Mo Bee, A. B. Money & J. R.) - rap, vocals (2)
Kenny Garrett -alto sax (4)

イージー・モー・ビーの使ったサンプル一覧。

1 Mystery
'Running Away'(Chocolate Milk)

2 The Doo Bop Song
'Summertime Madness'(Kool & The Gang),  'The Fishing Hole'(The Andy Griffith Show),  'Running Away'(Chocolate Milk),  'La-Di-Da-Di'(Slick Rick)

3 Chocolate Chip
'Bumpin' On Young Street'(Young-Holt Unlimited),  'Thanks For Everything'(Pleasure)

4 Hight Speed Chase
'Street Lady'(Donald Byrd)

5 Blow
'Give It Up Or Turn It Loose'(James Brown)

6 Sonya
(no samples)

7 Fantasy
'Love Pains'(Major Lance)

8 Duke Booty
'Jungle Strut'(Gene Ammons)

9 Mystery (Reprise)
'In A Silent Way'(contemporary live version by Miles band)

おわかりのように『ドゥー・バップ』の9曲目は1曲目のリプリーズで、終幕を告げるアンコールなので、アルバムは実質的に八曲。そのうちラップ・ヴォーカルが使われているのは2、5、7の三曲だけ。残りの五つはインストルメンタル楽曲だ。1992年のリリース時点において、ジャズ・ラップみたいなものはまだ馴染みが薄かったのでそれら三曲に注目が集まって、まあ否定的な意見が多かったかもだけど、いまならなんの違和感もない。

違和感ないどころか、ジャズ・ラップ・ミュージックとしてもかなり保守的というか、どうですかこれ?ちょっとダサいような気がしないでもないと個人的には思うんだけど?三曲ともラップの内容はマイルズ賛歌みたいなもので、だからそんなに真剣に耳を傾ける必要などない。1981年の復帰作 B 面にあった曲「ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン」(ヴォーカルはランディ・ホール)と同じ趣向だ。

それをふつうの歌じゃなくラップでやって、バック・トラックも1991/92年時点でのコンテンポラリーなヒップ・ホップ・サウンドに創り上げ、それでできあがったカラオケ(方式だったに違いない)を聴きながらマイルズが吹いたと、ただそれだけの話だ。カラオケ方式はもっとずっと前からやっている。

ラップ入りの三曲では、やはり2曲目の「ザ・ドゥー・バップ・ソング」にいちばん力が入っている。ちょっとリズム・フィールが、あのころはカッコエエ〜と思って聴いていた僕だけど、う〜ん…、まあいいや、2018年のブラック・ミュージックとしては訴求力が薄いかも。ここで歌うのは、パーソネル欄で書いておいたがラッピン・イズ・ファンダメンタルの三人で、これはイージー・モー・ビー主導のトリオ・グループ(ユニット?)。

いまの時代のサウンドとか2010年代的なレレヴァンスとかで判断するとそうなっちゃうんだけど、他のジャズ・ラップ二曲にしても、インストルメンタル R&B みたいなほかの五曲にしても、あまりそういった聴きかたをしないほうがいいのかも、というのが僕の意見なんだよね。マイルズは常に時代の先端的な音楽を追いかけ続けたということになっていて、そういうふうにしか捉えてもらえず、その基準でおもしろい/おもしろくないの判断をされるだけのは、僕たちファンにとっても不幸だという気がする。

もっとこう、聴いて楽しく心地いいかどうかで判断したいんだよ、僕はね。自称マイルズ好きでそんなのは僕だけなの?この考えかたで、いままでもだれひとり話題にしないマイルズの(保守的だけど)好盤のことを、時代をかたちづくった音楽とかいうんじゃない視点で書いてきたつもりだ。

この僕の考え、視点でいけば、マイルズの遺作『ドゥー・バップ』は心地いい。聴いていて(僕は)楽しい。だからこそ好きなんだ。決して(1992年の)時代の音だったとか、先端的ジャズ・ラップだとか、新しいヒップ・ホップ・ジャズだとか、そういうことじゃない。たんに楽しいだけ。クラブ・ミュージックとしてダンサブルだし。

それになんたってマイルズのこのトランペットの音だ。7曲目「ファンタシー」でだけオープン・ホーンだけど、これは俗称ラバーバンド・セッション時からそうだったはずだから、変えることができない。生演奏しかできない楽器だから、過去音源から抜き出したイージー・モー・ビーだって加工はできない。

あっ、そうそう、ラバーランド・セッションからの音源でなくとも、アルバム『ドゥー・バップ』では、マイルズのトランペット・サウンドをサンプリングして、そのサンプル音を使ってキーボードで弾いているのか?と思わないでもない部分がすこしあるよね。マイルズの吹きそうなフレイジングじゃないと感じる瞬間がある。どこがそれと指摘しにくいんだけど、生演奏部分とサンプリング部分を混ぜてあると思う。マイルズ死後の作業でそれをやった?

アルバム『ドゥー・バップ』が聴いて楽しく、ダンサブルで心地いいっていうのは、ちょっと妙なアナロジーかもだけど、1968年発売の『マイルズ・イン・ザ・スカイ』1曲目の「スタッフ」に相通ずるものがあるような、そんなフィーリングだと僕は感じている。このことは、納得していただけるようにうまく具体的に説明はできない。

一定パターンをヒプノティックに反復する「スタッフ」のグルーヴは、ループを頻用するヒップ・ホップ・ミュージックと同質のものがあるってことかなあ?う〜ん、やっぱりうまく言えないや。マイルズのトランペット・サウンドのことを言いたいんだったね。7曲目「ファンタシー」でだけオープン・ホーンだけど、ほかはぜんぶハーマン・ミュートを使っている。

このミューティッド・サウンドが、いつになくコロコロキラキラとしていて、まるで水銀のように光っている音じゃないか。マイルズ好きはここがたまんないんですよ。みんなこのミューティッド・トランペットの音が聴こえただけで気持ちいい。このサウンドそのものは1950年代から不変なのだ。言い換えれば、中音域のクリアな透徹性を失わないというのがマイルズの魅力。マイルズ・ファンはみんなここが好き。

そんな不変不朽の水銀のようなハーマン・ミュート・サウンドのトランペットが、こんな感じのバック・トラックの上に乗ってもいい感じに聴こえるのは、はたしてマイルズの持つサウンドが根本的に「新しかった」とかどうとか、そういうことかどうかは僕にはわからないし、関心も薄い。ただただ、この音をずっと聴いていたいだけ。

2018/05/24

時流に乗らずでいこう

Unknown

「新しさは必ずなにかを与えてくれる」みたいなのがマイルズ・デイヴィスの口癖だった。制作販売側としては、そりゃあいままでと同じような商品じゃダメと考えるのは当然だ。変わり映えしなかったら買ってもらえないんだから、新しさは生存のための必須要件。そんな理由でプロの音楽ライターのみなさんも同様の発想をお持ちのよう。

だけれども、僕らのようにたんなる趣味で、個人的な楽しみのためにだけ、つまり pastime のためだけのものとして音楽を聴くという素人リスナーにとって、新しさとははたしてどれだけ意味を持つものなのか?マイルズが最愛好人物である音楽ファンの発言としては妙だなと受け取られるかもしれないが、長年にわたりマイルズを聴き続けてきたからこそ、最近、心からそう思う。新しい "だけ" の音楽に、値打ちなんか、ない。

スタイルやコンセプトが古くさくても、楽しく美しい音楽がそのままに聴こえ続けているならば、それを聴けばいいじゃないか。これが真っ当な考えかただ。無理して(無理していないひとはべつにいいけれど)新しい音楽を耳に入れることなんて、新しさを追求することなんて、ないじゃんね。そして、真に美しく楽しいものは、そう簡単にはそれが減ったり終わったりしないもんだし。

人間の生み出すものは新しくなっていくものだ、進化していくものだという、たぶんこういった一種の進化論みたいなものが、音楽文化に限らず20世紀世界を支配していたと思うんだよね。19世紀後半や末からその直後あたりのチャールズ・ダーウィンとジークムント・フロイトが、たぶん前世紀思想のかなり大きな部分をかたちづくったんだと僕は考えている。そんなことが、いわゆるポスト・モダンの時代にぜんぶご破算になったという考えかたの信奉者なんだよね、僕は。「進化する」というのは一種の巨大な幻想だという考えを持っている。

好きで聴きたい音楽の要件が「新しいこと」という趣味嗜好のかたがたは、それでいいんだと思う。それにケチをつける気持ちなど毛頭ない。僕は(そしてひょっとして多くのみなさんも)そうとは考えていない、音楽の価値は新しさにはないという個人的意見表明なだけだ。だから、言う。音楽の古い/新しいなんてことはマジでど〜でもいい。

そもそも、古い/新しいの価値判断は、いったい音楽のどこを聴いてのものなのか?時代が如実に反映される録音状態以外に、音楽のどこに「新しさ」を見い出すことができるのか?こんなことが、最近、どんどんわからなくなってきている。言いかたの問題でもあるので、古い/新しいは、美しくない/美しい、楽しくない/楽しいと言い換えるべきかもしれないが。

つまり、進化論を支持なさっているみなさんは、古い(スタイルやコンセプトなど)ものは美しくない、楽しくない、ツマラナイ、つまり端的に言って値打ちがないということの表現として「古い」という言葉をお使いなのだろう。そのばあい(マイルズもそうであったように)「新しい」という言葉は、イコール、素晴らしいとか価値が高いとか、そういう意味なんでしょ。

だからさ、そういうことを言いたいがために古いとか新しいとか、進化するとかしないとか、そういった言葉を使わないほうがいいと思うんだよね。古い/新しいは、(もとは)時代に言及しているだけの表現なんだから。音楽のばあいは、まず第一に制作年代だ。作曲作詞年、録音年、販売年のこと。

年代をさかのぼって「古く」なると、音楽の中身まで古くなるかのような見かた、聴きかたはおかしいと思うなあ。これは理屈じゃない。1910〜30年代の(ジャズやブルーズだけでなく)音楽作品が大好きで、ずっといつも聴いてきている人間の皮膚感覚なんだよね。いい音楽は古くなんか、ならない。

年代が新しいというだけで、またスタイルやコンセプトも現代的なものでも、中身の音楽がちっともおもしろくないものだってたくさんあるじゃないか。そこには「新しさ」(と一般に呼ばれるもの)だけしかなく、それ以外にはなにもない。音楽としての楽しさも美しさもない。

その逆に、1920年代のルイ・アームストロングやビックス・バイダーベックやジェリー・ロール・モートンやフレッチャー・ヘンダスン楽団や、同年代のべシー・スミスらの都会派女性ブルーズ歌手たちや、そのちょっとあとに録音したカントリー・ブルーズ・メンや、またアジア(『ロンギング・フォー・ザ・パスト』)やアフリカ(『オピカ・ペンデ』)の SP 音源集など、ああいったものの不朽の美、当時もいまでも、いつ聴いても、楽しく、心に響くものが僕の心にもたらしてくれるもの、それを考えてみたら、音楽の価値がどこにあるか、はっきりしているんじゃない?

すなわち、年代だけじゃなくスタイルとかやりかたが古くさく時代遅れになっても、そのことじたいは音楽の価値を左右しない。レコーディッド・ミュージックが伝えてくれる美しさや楽しさは、真にそういうものがそこにあるならば、それは古くならず、時代を超える。あたりまえの話ではあるんだけど、新しいものを聴かなくちゃとヤッキになって血眼で追いかけているような音楽リスナーも一部には存在するように見えているので、ちょっと書いておきたかった。

世間一般で言う「古い」音楽が色褪せて聴こえず、それを心から楽しめるならば、ムリして新しい音楽を追求することなどない。美しく聴こえ楽しめる古い音楽をずっと聴いていれば、それでいい。それは懐古趣味じゃあない。いわゆる昔は良かったね的なことでもない。音楽は、根本的に、進化・進歩しないというだけだ。

今日いちばん上で書いたけれど、しかしそれでも変わり映えしなかったら、消費者にソッポを向かれてしまうというのが実態だ。音楽家もレコード会社も営利事業だから、一部些少の愛好家がいるからといって、売れないものをいつまでもカタログに残したり創り続けることはできない。商売の姿勢としてはごくあたりまえだよね。

でも、もう古くなったから、時代遅れだからといって見向きもしなくなる音楽リスナーや専門家とはなんなのか?もっとこう、変わらない価値に重きをおいて判断し、本当に僕らの心を芯からゆさぶったり癒してくれる音楽の素晴らしさについて、声を大にして言わないといけないんじゃないの?進化・進歩しているということだけ強調して、そこになにがあるのだろう?

とにかく、新しいものを聴かなくちゃ!という発想は、ずっと前から僕にはない。いつまでも「古い」音楽を、いや、言い換えれば、心から「好きな」音楽だけを聴いていきたい。それが僕のやりかただ。クビキを捨てて、自由に生きたい。

2018/05/23

ザヴィヌル・バンドのグルーヴァソン 〜『ワールド・ツアー』

オーヴァー・ダブなしのたった五人だけでの演奏かと思うとおそろしいジョー・ザヴィヌルのライヴ・アルバム『ワールド・ツアー』。ザヴィヌル・シンディケートによる1997年の世界ツアーからの収録盤で、翌98年リリースの CD 二枚組だった。僕の持つのはオリジナルのフランス ESC 盤で、ぜんぶで19曲。日本盤は一枚に収めるため数曲オミットしているらしいので、ケシカラン。

とにかくこれほどハードにスウィング、いや、ドライヴするザヴィヌルの音楽って、ほかにあるのかなと思うほど、スゴイ。ウェザー・リポート時代にもここまでのものは少なかったと思うんだけどね。『ワールド・ツアー』では、そんな部分こそ、いや、それだけが、聴きどころなので、「イン・ア・サイレント・ウェイ」系の静謐ナンバーのことは今日は省略。

まずオープニングの「ペイトリオッツ」が完璧なグルーヴ・チューン。これが1曲目なんだから、だいたいみんなこれでつかまれてしまう。ドラムスはパコ・セリー(アイヴォリー・コースト)。パーカッションとヴォーカルがマノロ・バドレーナでベースがヴィクター・ベイリーという旧新ウェザー・リポート人脈。ギターはゲイリー・ポウルソン。プラス、ザヴィヌルでバンドの全員なんだよね。

曲によってはベースをリシャール・ボナが弾いている。歌もやっている。アルバム『ワールド・ツアー』は1997年の5月と11月のライヴからの収録で、全体の3、4、7、8、10、11、15、16曲目が五月のドイツ・ライヴでリシャールが参加。それ以外は11月のやはりドイツ・ライヴでヴィクターが弾いている。

1曲目の「ペイトリオッツ」とか、まあこんなハードなドライヴのしかたをザヴィヌルの率いるバンドがしたことなんて、まずなかったんじゃないかな。中盤部でブレイクが入りながら、バンド演奏が止まった瞬間にマノロが咆哮し、次の刹那にまた再開するとか、そのあたりの展開はほんと背筋がゾクゾクするような快感。

こんなグルーヴ路線は、ほかにも4曲目(はマノロとパコの打楽器+ヴォーカルのみデュオ)からのメドレー状態になっている5「ビモヤ」も同じ。これは、以前ご紹介した1996年のスタジオ作『マイ・ピープル』でサリフ・ケイタをフィーチャーしてやっていた曲。だけど、こんなハード・グルーヴ・チューンじゃなかったでしょ。

『ワールド・ツアー』での「ビモヤ」にサリフを呼べるわけがないので、ここで歌っているのはゲスト参加のパペ・アブドゥ・セク(セネガル)。しかし主旋律部分はヴォコーダーで派手に処理してあって、そこだけだとだれが歌っているのかの判断はできない。パペ・アブドゥ・セクが歌っているのは生声パートで、ヴォコーダーを使ってある主旋律部分はザヴィヌルが歌っているんじゃないかと思うんだけどね。

いずれにしても、サリフが書いた「ビモヤ」はやや落ち着いた曲想だったのに、ここではこんなに激しく疾走するフィーリングでの演奏。パコのドラミング、特に(裏拍で入れる)シンバルと、マノロのパーカッション、特にティンバレスが気持ちいいなあ。いやあ、快感だ。

疾走感満点のグルーヴァーは7曲目「ボナ・フォーチュナ」もそうなんだけど、これは曲題どおりリシャールのエレベ技巧をフィーチャーした短いもので、曲としての聴きごたえはあまりない。まるでジャコ・パストリアスみたいだなあとは思うけれど、ジャコの作品のなかに同じようなものがいくつかあったように思う。

10「スリー・ポストカーズ」、11「スリヴォヴィッツ・トレイル」。どっちも冒頭部からしばらくは「イン・ア・サイレント・ウェイ」系をつまらない感じにしたようで、つまりウェザー・リポートにいっぱあるあんなようなものソックリで、ふ〜んツマランナ…と思っていると(特に「スリー・ポストカーズ」は全体の半分以上がそれ)、途中からパッと場面転換して急速グルーヴ・チューンに変貌。そこからはいいぞ。

こういった場面ではドラマーのパコ・セリーが本当にすごいと思うんだよね。マノロ・バドレーナも1977年にウェザー・リポートで活躍したパーカッショニストで古株だけど、とてもそうとは思えないみずみずしさで、このコンビの生み出すハード・グルーヴこそが『ワールド・ツアー』の肝だと思うんだ。

14曲目「トゥー・ラインズ」(と3「インディスクレションズ」もだけど)はウェザー・リポート時代に書いたレパートリーで、ここからラストの16「カルナヴァリート」まで、テンポよく一気に駆け抜ける。「トゥー・ラインズ」の新型4ビートもすごいけれど、15「カリビアン・アネクドッツ」から16曲目へと続く祝祭感のあるグルーヴは気持ちいいよねえ。15で歌っているのはリシャールだ。

2018/05/22

黄金時代のビリー・ホリデイ

LP でも CD でも一枚とか二枚組とかのアンソロジーなら、むかしから何種類もあるコロンビア系レーベル(ブランズウィック、ヴォキャリオン、オーケー、コロンビア)時代のビリー・ホリデイ。録音時期だとその間1933〜1941年と、1944年に二曲のラジオ放送音源を録音している。別テイクもぜんぶ含めれば計230トラック。それを漏らさず収録した10枚組のコンプリート集 CD ボックスが米ソニーからリリースされたのは何年だっけ?と見直すと2001年。サイズもデカい。

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同じ中身でサイズだけコンパクトにしたものをレガシーが出したのは2009年だ。どうして僕は両方持ってるんだろう?ちょっと比較してみたら、やはりパッケージングとブックレット記載文のフォント・サイズの違いだけだなあ…、あっ、いや、一つだけ違っている。2001年リリースの大きいほうのブックレットには、ディスコグラフィーのあとに "The Songs of Billie Holiday" と題した33ページの曲目解説があるぞ。あれっ?

その "The Songs of Billie Holiday" では一曲ずつすべてについて丁寧に解説されているじゃないか。これ、どうして2009年版で削っちゃったんだろう?扱いやすいサイズだからと思って最近は2009年版ばかり出していたが、う〜ん…。その2001年版の曲目解説を読みなおしてみたが、今日のこの文章にそれが反映されるかどうかはわからない。2009年版で省いたのは、ぜんぶ載せたら分厚くなりすぎるから?

全230トラックから、別テイクを外し、1935年に一つ&前述のとおり1944年に二つあるラジオ音源も省くと、ぜんぶで153曲になる。そこから厳選し、といっても独力ではむずかしいのでいままでに存在するみなさんの編んだ各種アンソロジーを参照しつつ、僕の好みと意見でそこから外したり、ないものを入れたりして、絞りに絞ったセレクション・プレイリストがいちばん上でご紹介したものだ。44曲。これより減らせというのはむずかしい。

録音年を括弧に入れて、それを以下に記しておく。右に * 印がついているのはビリー・ホリデイ名義のレコード音源。ピアノがテディ・ウィルスンじゃないものだけ、その旨書き添えた。つまり、これら1935〜39年の録音セッションは、ほとんどテディ・ウィルスンが弾いている。

1 I Wished On The Moon (1935/7/2)
2 What A Little Moonlight Can Do
3 Miss Brown To You
4 If You Were Mine (1935/10/25)
5 It's Like Reaching For The Moon (1936/6/30)
6 These Foolish Things
7 I Cried For You
8 Did I Remember? (1936/7/19)*
9 No Regret
10 Summertime
11 Billie's Blues
12 Pennies From Heaven (1936/11/19)
13 That's Life I Guess
14 I Can't Give You Anything But Love
15 This Year's Kisses (1937/1/25)
16 Why Was I Born?
17 I Must Have That Man
18 My Last Affair (1937/2/18)
19 Carelessly (1937/3/31)
20 Moanin' Low
21 Let's Call The Whole Thing Off (1937/4/1)*
22 Sun Showers (1937/5/11)
23 Yours And Mine
24 I'll Get By
25 Mean To Me
26 Foolin' Myself (1937/6/1)
27 Easy Living
28 I'll Never Be The Same
29 Me, Myself, And I (1937/6/15)* James Sherman on piano
30 A Sailboat In The Moonlight
31 He's Funny That Way (1937/9/13)* Claude Thornhill on piano
32 My Man (1937/11/1)
33 Can't Help Lovin' Dat Man
34 When You're Smiling (1938/1/6)
35 I Can't Believe That You're In Love With Me
36 You Go To My Head (1938/5/11)* Billy Kyle on piano
37 If I Were You
38 I Can't Get Started (1938/9/15)* Margaret 'Countess' Johnson on piano
39 Everybody's Laughing (1938/10/31)
40 I'll Never Fail You
41 More Than You Know (1939/1/30)
42 Sugar
43 Night And Day (1939/12/13)* Joe Sulivan on piano
44 The Man I Love

コロンビア系レーベルでの、というかそもそもビリーのデビュー・レコーディングは、当該10枚組のトップに収録されている1933年12月18日録音で、ベニー・グッドマン楽団といっしょにやった二曲。しかしまだ魅力が薄い。ジョン・ハモンドの監修下で行われた1935年7月2日の四曲こそが実質的な「はじまり」だった。ハモンドはこの後、1939年1月30日に四曲やった録音セッションまでずっと面倒を見た。

その1935〜39年1月30日こそがビリーにとってもいちばんよかった時期(不可分一体だったテディ・ウィルスン名義のブランズウィックへの一連のレコーディング・セッションがその大半)だと僕は信じている。その次が1939年3月21日録音になるのだが、そこからはどうもフィーリングが異なりはじめている。僕だけの感じかたかもしれない。すべてのアンソロジーがその後の録音からも収録してあるから。

しかし僕個人のこの実感は拭いがたいものがあるんだよね。似たようなメンツによるコンボ編成の伴奏サウンドだって違っているし、ビリーのヴォーカルが変化してやや重くなりかけていて、その後のコモドア・レーベル時代のサウンドと歌いかたに近づいていると思う。あまり好きじゃない。

だから上のプレイリストは、本当だったら42曲目の「シュガー」でやめたかった。そうせずに「ナイト・アンド・デイ」「ザ・マン・アイ・ラヴ」をラストにくっつけてあるのは、レスター・ヤングといっしょにやっている「ザ・マン・アイ・ラヴ」がすばらしいと言われているからではない。サウンドとヴォーカル・フィーリングの変化の兆しを、みなさんにも感じとっていただきたかった。あるいは僕だけの勘違いかもしれないので、その検証という意味も込めて。

本論の前に付記しておく。フリーランスだったビリーだけど、テディ・ウィルスンのセッションで歌いテディ名義で発売されたレコードが評判になって、さっそく1936年7月10日からビリー名義で発売すべくレコーディングが開始され、その後テディ名義のものと、まあ実態はほぼ同じものだけど、並行してセッションが進み、レコード発売された。

それだけじゃなく、それらのブランズウィック・セッションにカウント・ベイシー楽団(はジョン・ハモンドのフェイヴァリットだったから)からのメンバーが参加しているので、ビリーの歌がいいぞと口コミでボスのところに伝わったからなのか、ハモンドの口利きか、わからないが、1937年3月13日にビリーはベイシー楽団の専属歌手となる。

そのあいだもコロンビア系レーベルへの録音セッションは続き、1938年3月3日にビリーはベイシーのところを退団(クビだったらしい)。しかし直後の同年同月末(正確な日付が判明しない)にアーティ・ショウ楽団の専属として迎えられる。それも11月に退団することとなり、その後のビリーは亡くなるまでやはりフリーランスだった。

さて、1935年から1939年までのビリーが歌ったコロンビア系録音。上の曲目一覧をご覧になっても、ビリーのファンじゃなかったらふつうあまり知らないなというものが多いかもしれない。いや、そんなことないぞ知っているぞとおっしゃるかたが多いだろうけれど、その場合、それはこの時期にビリーが歌ったので有名化したものなんだよね。

特別なアメリカン・ポップ・ソング愛好家は例外として、ビリー・ホリデイを連想せずに思い出せるものは、上のセレクションだと6「ジーズ・フーリッシュ・シングズ」、10「サマータイム」、12「ペニーズ・フロム・ヘヴン」、14「捧ぐるは愛のみ」、21「レッツ・コール・ザ・ホール・シングズ・オフ」、38「アイ・キャント・ゲット・スターティッド」、42「シュガー」、43「ナイト・アンド・デイ」、44「私の彼氏」だけじゃないかな。

それら以外は当時の流行歌で、なんでもないヒット・ポップ・チューン、はっきり言ってしまえば取るに足らない他愛のないふつうの小唄なのだ。ビリーは、というかジョン・ハモンド監修下のテディ・ウィルスンのブランズウィック・セッションは、多くのばあいそんな、当時だけのいっときのヒット・ポップスをとりあげた。

しかしどうだろう、参加しているジャズ・メンの演奏力量が抜きん出ているからというのもあるけれど、世間一般のふつうの流行歌も、ここに収録されているビリーの歌で聴くと、2018年のいまでも輝きを感じるんじゃないだろうか。僕はそう思うんだけどね。キラキラしている。時代に即しただけの、ふつうの大衆音楽のありようだけど、そうだからこそ、時代を超える美を放つ。

1「アイ・ウィッシュト・オン・ザ・ムーン」、2「ワット・ア・リトル・ムーンライト・キャン・ドゥー」、3「ミス・ブラウン・トゥ・ユー」、5「イッツ・ライク・リーチング・フォー・ザ・ムーン」など、ビリー以前のヴァージョンをだれが思い出せるだろうか?ビリー以後ならあるけれどね。

いま具体名をあげた四曲。この録音集では最初期のものだけど、個人的にはいちばん好きだ。アップ・テンポで軽快にスウィングし、ミドル・テンポで活き活きと躍動し、ビリーのための録音じゃないので歌はワン・コーラスだけで、あとは楽器演奏だけど、インストルメンタル部分とヴォーカル部分に音楽的な差異がないのは驚異的だ。

ここが戦前コロンビア系レーベル時代のビリー最大の特長だと思うんだよね。ヴォーカルを楽器のごとく操ることができた。しかしそれでも歌詞を無視、軽視することにはなっていない。その逆で歌詞を最大限に表現せんがためのテクニックとして器楽的に歌うのだ。

端的に言えば、歌詞とヴォーカル表現の不即不離。くっつきすぎず離れすぎず適切に、しかし最大限にまで両者の表現領域を高めている。それこそがビリーの真骨頂なのだ。その後の、上でも書いたがコロンビア系時代の後のコモドア、デッカ、ヴァーヴといった諸レーベルへの録音だと、歌詞表現を重視するほうへ傾きすぎていると思うんだよね。

言い換えれば重さというということで、ちょっとベタッとなっているように僕は感じる。濡れ紙が肌にまとわりつくかのようなフィーリングが、そのあたりのビリーの歌には聴きとれてしまう。ところが1939年までのコロンビア系録音だと、軽い。ソフトなライト・タッチでふわりと舞っているポップさが、僕には心地いい。

そんなビリーの歌いかたへの最大の影響源はベシー・スミスじゃなくて、エセル・ウォーターズと、そしてだれよりもサッチモことルイ・アームストロングだった。特にサッチモの痕跡は、この時期のビリーに強い。レパートリーだってにオーケー時代のサッチモが歌ったものがいくつかある。

一例だけあげておこう。今日のセレクション14曲目の「捧ぐるは愛のみ」。これなんか、ビリー独自のヴォーカル・スタイルである、歌い出しを元旋律よりも高い音ではじめて、その後(あたかも一音程を続けるかのように)平坦なラインをたどり、それでゆっくり大きくノって、リズム・セクションの細かく刻むビートとの好対照で、両者がぶつかり合ってキラキラするというあれ(つまりアフロ・クリオール・ミュージック共通のあれ)〜 それの典型例の一つだ。

この「捧ぐるは愛のみ」も、サッチモが1929年3月5日にオーケーに録音したのがレコード発売されている。そのヴァージョンもご紹介しておこう。ビリーのヴァージョンと比較してほしい。
ヴォーカルをコルネットと完璧に同じスタイルで扱って、ジャズ(ポップ)・ヴォーカル界の嚆矢となったサッチモ。ビリーはそこからたくさん学んで、しかしそんな器楽的唱法というにとどまらず、サッチモ以上に歌詞の意味に即し離れず(ビリーはスキャットをまったくやらなかった)、しかしくっつかず。それでもってベタつかないドライな、しかしドライすぎない適度な情緒を残しながら、絶妙なバランスで細やかに歌いこなしているよね。

その結果、多くの曲でビリーは元旋律を歌わず、毎回自らの新たなヴォーカル・ラインを(おそらくは)アド・リブで編み出して歌っているよね。これはもはやフェイクとかいうものじゃない。しかしこの点はいままで多くの評者がたくさん語ってきていることなので、今日は繰り返さない。

1935年7月時点ですでに素晴らしかったビリーの歌だけど、セレクション15曲目の「ディス・イヤーズ・キシズ」からすこし変化しているよね。この1937年1月25日はレスター・ヤングとの初邂逅だった。その後しばしばビリーとレスターは共演し、ビリーはレスターの持つナチュラルでスムースでしなやかな表現を声に移植するようになり、グンと成長した。ビリー独自のやわらかさとくつろぎとリリシズムが完成されていく。

15〜35曲目あたりはどれもすべて宝石だけど、特に22「サン・シャワーズ」から35「あなたがわたしに恋してるなんて信じられない」までは、バンド・メンとの一体感もあって、この一連のレコーディング・セッションのピークとして、すなわちビリー・ホリデイの生涯最高の歌唱として、そしてテディ・ウィルスンのブランズウィック・セッション中でも屈指の名演として、いくら激賞してもし足りないほどだ。

34曲目「ウェン・ユア・スマイリング」こそがベスト・ワンだと僕は信じている。レスターのソロも生涯の名演。ビリー・ホリデイとテディ・ウィルスンのレコーディング・セッションのなかの一曲としても、そしてアメリカ合衆国の戦前ジャズ界でも見つけることができた汎アフロ・クリオール・ミュージックの一発露としても、すばらしすぎて称える表現を見つけることができない。

2018/05/21

大好き、パット・マシーニーの『ウィ・リヴ・ヒア』

かなりポップだから、ふつう一般のジャズ・リスナーや、あるいはパット・マシーニー(メセニー)・ファンですら敬遠しているかもしれない1995年リリース作、パット・マシーニー・グループ名義の『ウィ・リヴ・ヒア』。打ち込みビートを使っているのも評判が悪い一因かもしれない。しかしなにを隠そう、僕のいちばん好きなパットのアルバムはこれだ。

その打ち込みビートとポップさこそが、僕は大好きなんだよね。しかもブラック・ミュージック・フィールなんだ。黒い感覚が間違いなく聴ける。しかしそれら A 面でだけ。と言うとエッ?って思われるよね。『ウィ・リヴ・ヒア』は CD しかない(はず)だから A面もB面もないんだけど、なんだかそれがありそうに思えるくらいのコンセプトの差みたいなものが、1〜4曲目と5〜9曲目にある。

1〜4曲目を(仮想)A 面として、5〜9曲目を B 面とすると、A 面はデジタルな打ち込みビートをメインに据えたポップなブラック・ミュージック。B 面は生演奏で組み立てたジャズ・フュージョンと言っていい。それをつないでいるのが B 面1曲目(全体の5曲目)の「ウィ・リヴ・ヒア」におけるアフリカン・ビート。

僕がパット・マシーニー・グループの『ウィ・リヴ・ヒア』で好きなのは仮想 A 面であって、生演奏ジャズである B 面はイマイチ(だけど、従来的なファンだと間違いなくこっちだね)。だから今日は A 面たる1〜4曲目の話だけしたい。ところでこの一枚は、パット、ライル・メイズ、スティーヴ・ロドビー、ポール・ワーティコのレギュラー・バンド(+α)でやったラスト作なんだっけ?あ、違うのか…。

でもポール・ワーティコとスティーヴ・ロドビーは、A 面だとほぼなにをやっているのかわからないと思うほどの薄い存在感だよなあ。ベースとドラムスといったリズム面はかなりの部分がコンピューターを使った打ち込みで組み立てられていて、それをやったプログラマー名が明記されている。生演奏のパーカッショニストはいるみたいだ。

それから、いつもながらパットはヴォーカルの使いかたがうまい。1曲目「ヒア・トゥ・ステイ」、2曲目「アンド・ゼン・アイ・ニュー」でそれを痛感する。デジタルなリズム・ループの上にライル・メイズの鍵盤演奏とパットのギターが乗るのだが、それプラス、人声をポリフォニックにからめてある。

パットの弾くギター・ラインもそれまでとは違って強めのブラック・フィーリングがある。まるでウェス・モンゴメリー。っていうか、この A 面でのギター・スタイルは、ウェスへのオマージュ的なものを意識したのか?と思ってしまうほど。

特に、ヴォーカリストの入らない3曲目「ザ・ガールズ・ネクスト・ドア」。これは間違いなく黒い。あ、ここではスティーヴのコントラバスがはっきり聴こえるなあ。しかしこのドラム・サウンドはやはり打ち込みを使った部分もあるかも。それをポール・ワーティコのドラムス生演奏と混ぜてあるのかな。その上でパットがひとりで黙々とブルージーに弾きまくる。後半のトランペットはあくまでチェンジ・オヴ・ペースみたいなもの。

ソウルフルと言ってさしつかえないほどの、そんな「ザ・ガールズ・ネクスト・ドア」の前の1、2曲目は、もっと僕好みだ。それら二曲ではスティーヴ、ポールの二名はほぼ存在感がなく、レギュラー・グループからはパットとライルの二人が、あ、いや、パットひとりが目立ちまくっている。いちおうベーシストもドラマーも演奏はしていると思うんだけど、デジタルなサウンドに混ざって溶け合って、ほぼわからない。

ヴォーカル・ラインもパットが書いたものに違いない。それがポップだよね。僕はこういうパットの人声の使いかたが大好きなんだ。この1995年作よりもずっと前からあるそういうのがね。この音楽家最大の特色なんじゃないかと思うし、またそれはブラジル音楽から、特にミナス系のそれから学んだんじゃないかな。ジャズ・フュージョンとミナス音楽の関係は深い。

1曲目「ヒア・トゥ・ステイ」、2曲目「アンド・ゼン・アイ・ニュー」ともに、メロディ・ラインも明快なポップさだけど、このデジタル・ビートも聴きやすいよね。それを出したいがゆえに、またポップさとブラック・フィーリングを合体させて同時共存させたいがゆえに、コンピューター・プログラマーを使ったんじゃないかな。

1曲目「ヒア・トゥ・ステイ」。後半、マーク・レッドフォードが繰り返す一定のヴォーカル・ライン(はテーマのヴァリエイション)に乗ってパットがアド・リブ・ソロを弾く部分が、僕はたまらなく大好きだ。そのポリフォニーはかなり整っているから、ギター・ソロもアド・リブじゃないんじゃないかと疑うほど。

2曲目「アンド・ゼン・アイ・ニュー」だと、そんなポリフォニーの楽しさが極まっていて、この曲が個人的にはアルバム『ウィ・リヴ・ヒア』でいちばん好き。も〜う!大好きだ。最初、ライルとパット中心のテーマ(?)演奏部で、それがパッと止まってブレイクになりドラムス・サウンドだけになる箇所も気持ちいい。そこはポール・ワーティコの演奏?

2曲目「アンド・ゼン・アイ・ニュー」がもうたまらん快感になるのは、中間部の静かなバラード調パート(ではいつもどおりのセンティメンタリズムをパットが弾く)を経て、ライルのシンセサイザーが転調して、その後のグルーヴ・パートになる 6:12 から。そこからマーク・レッドフォードのヴォーカルが入ってくる。

その後、曲が終わるまでの約1分40秒間、パットのギターも用意されたラインを反復して弾き、同じくアレンジされたラインを歌うマーク・レッドフォードとツイン・ポリフォニーでからみあい、黒いデジタルな祝祭ダンス・ビートの上でツー・ラインが対位的に同時進行する。かなりな細部まで綿密丁寧に創り込まれているが、ここの快感ったらないね。泣きそうなくらい、爽快。

2018/05/20

たまにはケニー・ドゥルーをちょっと

1956年のリヴァーサイド盤『ケニー・ドゥルー・トリオ』。いま僕が持っているのは1994年に再発された日本のビクターの紙ジャケット盤 CD で、たぶんこういった作品は日本でしかリイシューされない。解説文の佐藤秀樹さんによれば、来日時のオリン・キープニューズは、『ケニー・ドゥルー・トリオ』の再発と『スイングジャーナル』誌選定のゴールドディスク獲得に大喜びだったそう。

こういうようなモダン・ジャズのピアノ・トリオ、特にケニー・ドゥルーみたいな、言いかたは悪いけれど、どうってことないような平均的なジャズ・ピアニストのトリオ作品は、個人的にどんどん遠くに行きつつあるのだが、それでもたまには思い起こし引き出して聴いてみようっと。

それにケニー・ドゥルーは平均的とはいえ、個人的にちょっと記憶に残っている忘れじのモダン・ジャズ・ピアニストなんだよね。ケニー自身のリーダー作は、今日話題にしたいリヴァーサイド盤『ケニー・ドゥルー・トリオ』と、渡欧後のやはりトリオ作『ダーク・ビューティ』しか CD では買っていないが、サイド・マンとしてなんだか印象のある人なんだ、僕にはね。

『ケニー・ドゥルー・トリオ』に関連してこういうふうに言えばだいたいのみなさんがおわかりのはず。そう、翌1957年にジョン・コルトレインがブルー・ノートに録音した『ブルー・トレイン』のリズム・セクションにそのままなったのだ。トレインのブルー・ノート盤は、もちろんこれ一枚だけ。

すなわち、ケニー・ドゥルー(ピアノ)、ポール・チェインバーズ(ベース)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ドラムス)。だから1956年当時だと、後者二名はマイルズ・デイヴィス・クインテットのレギュラーだった。

そのほかこの編成のトリオじゃなくてもケニー・ドゥルーひとりでいろんなジャズ・ホーン奏者の伴奏をやっているもののなかで、個人的に思い出があるアルバムってのがいくつかあるんだよ。そんなわけで、ケニーのことは、腕前とかスタイルとかは格別のものじゃないと思うけれど、ちょっと頭の隅にひっかかっている。

1956年のリヴァーサイド盤『ケニー・ドゥルー・トリオ』。全八曲のうち、いちばんいいなと僕が感じるのは3曲目の「ルビー、マイ・ディア」だ。ご存知セロニアス・モンクの書いたチャーミングなラヴ・バラード。ここでのケニーのレンディションがなかなかいいと思うよ。僕は好きだ。

これははっきり言ってしまえばケニー・ドゥルーら三人のおかげというよりも、モンクのコンポジションが抜きん出て素晴らしいので、ふつうに失敗なくやればちゃんと聴けるいい出来栄えになってしまうという、そういう曲だ、モンクがえらいと、そういうことなんじゃないかと僕は思っているのではあるけれど。

しかしこのことは裏返せば、ケニー・ドゥルーら三名はモンクの書いたこの「ルビー、マイ・ディア」の持ち味を殺さず、つまり解釈しすぎずこねくりまわさず、ストレートにそのまま演奏しているということの証左でもあるよね。ときどきそうやってひねりすぎて原曲の味を殺しちゃう音楽家もいるじゃない?そう考えるとケニーもやっぱり凡庸じゃなくて一流なのか。

アルバム『ケニー・ドゥルー・トリオ』を聴くと、3曲目のモンク「ルビー、マイ・ディア」が図抜けて素晴らしく、ほかの演奏曲は、う〜ん…、やっぱりふつうなのかなあ。ごくごく普通のモダン・ジャズのピアノ・トリオだ。ってことは、ストレートに演奏するケニーらがやってこうなっているということは、モンクの曲以外は、コンポジションとして格別のものじゃないってこと?

そんなことないよ。1曲目はデューク・エリントン(実質的にはたぶんファン・ティゾルが書いた)「キャラヴァン」、2曲目「カム・レイン・オア・カム・シャイン」、有名スタンダードはほかにも5「テイキング・ア・チャンス・オン・ラヴ」、ディズニー・ソングの6「星に願いを」、ナット・キング・コールでも有名な8「イッツ・オンリー・ア・ペーパー・ムーン」とある。

もとはジャズ・オリジナルである「キャラヴァン」も、アフロ・キューバンを装ったあの独特の無国籍エキゾティズムがあって、ここでのケニー・ドゥルー・ヴァージョンだって悪くない。ただ、エリントン本人を含めジャズ・メンはしばしばそうだけど、せっかくのこんな魅惑的なビートを持つ曲を、アド・リブ・ソロ演奏部ではストレートな4/4拍子にしちゃうのが、個人的には残念。大学生のころから、いろんな(ラテン・)ジャズ・ソングについて、ずっとそう感じ続けてきている。なぜ全編ラテン・ビートのままやらない?

それでもこのケニー・ドゥルー・ヴァージョンでもフィリー・ジョー・ジョーンズなりにがんばってはいるよね。それとケニーのピアノ・タッチはまさに精緻だ。大半シングル・トーンで弾き、ときおりブロック・コードを混ぜるけれど、破綻がなく正確無比。precise という英単語がピッタリ似合うピアニスト。そこがケニー最大の美点だね。

2曲目「降っても晴れても」。ところで念のために。同じくスタンダードの「ヒアズ・ザット・レイニー・デイ」にしてもそうなんだけど、こういった曲はたんに気象のことを言っているんじゃない。心象というか、「降っても晴れても」とは、どんなときでも、たとえどんなことがあっても(あなたのことを愛し続けます)というプロポーズ・ソングみたいなもの。逆に「あの雨の日が」っていうのは、あのまさかのときがまた来てしまった、つまりロスト・ラヴ・アゲインってことだ。

ケニー・ドゥルー・トリオは、「降っても晴れても」のテーマ演奏部でリズム・パターンをちょっと工夫してあるよね。三拍子を混ぜている。ソロ部はやっぱりどうってことないんじゃないかな。ブロック・コードでケニーが弾くテーマ部がチャーミングだ。ソロ部ではややブルーズっぽく弾いている。フィリー・ジョーはブラシでやっているが、このドラマーもブラシがうまい。

ブルーズっぽく弾くで思い出したが、このリヴァーサイド盤には一曲、ストレートな12小節定型ブルーズがあるよね。7曲目の「ブルーズ・フォー・ニカ」。ニカはジャズ・ファンならみんな知っている女性ジャズ・パトロン。ニカはパノニカなので、あのひとの書いたあの曲も、それもこれも、ニカへのオマージュだ。

「ブルーズ・フォー・ニカ」で弾くケニー・ドゥルーはさすがのうまさだけど、ジャズ・ブルーズのピアノ演奏として特段すぐれているのかというと…、う〜ん、ふつうだけど、でもかなりいいよね。ポール・チェインバーズのベース・ソロもマジでいいなあ。いつもどおりだけどね。

ところで、この「ブルーズ・フォー・ニカ」はテーマ部が2/4拍子でソロ部が4/4拍子なんだけど、気のせいか6/8拍子(ハチロク)のブラック・ミュージック・ビートを内包しているかのように聴こえることがある。そういったものを聴きすぎな僕の耳がアホになっているのかな?つまりですね、ピアノでやるジャズ・ブルーズの世界では、あの1940年の「アフター・アワーズ」(エイヴリー・パリッシュ)の影響が後年までずっとかなり濃くあると思うんだけど、違う?

キューバのエルネスト・レクオーナが書いた「シボネイ」を知るまでは僕の最愛好ポップ・ソングだった「星に願いを」(ディズニー映画『ピノキオ』)。ナンバー・ワンが「シボネイ」になったいまでも、やっぱりこの曲のどんな演奏を聴いても、あの映画のあの場面が浮かんできて、どうか願いが叶いますようにと、そう思うと泣きそうだ。

ケニー・ドゥルー・トリオもあくまできれいにリリカルに、この「星に願いを」を演奏している。フィリー・ジョーはここでもブラシ。途中でテンポ・アップして倍速になり、その後またきれいに終わる。ケニーのプリサイスなタッチが見事に活きている。最終盤でポール・チェインバーズが(僕の苦手な)アルコ弾きをやるのも、ここでは美しく聴こえる。

2018/05/19

Músicas de PALOP(1)〜 アンゴラ、カーボ・ヴェルデ

PALOP とは Países Africanos de Língua Oficial Portuguesa(African Countries of Portugese Official Language)。つまりポルトガル語圏アフリカ諸国のことで、ルゾフォニア・アフリカと言い換えることもできる。アンゴラ、カーボ・ヴェルデ、ギネア・ビサウ、モザンビーク、サントメ・プリンシペの五か国。

その五カ国の音楽の概観的アンソロジーというか、いつまでも植民地支配に固執したポルトガルの罪滅ぼし的なものなのか、2008年に Differenece がリリースした CD 四枚組『メモリアズ・ジ・アフリカ』。一枚ずつそれぞれ、アンゴラ(CD1)、カーボ・ヴェルデ(CD2)、ギネア・ビサウ(CD3)、モザンビークとサントメ・プリンシペ(CD4)の音楽が収録されている。

これら五カ国はポルトガルのカーネーション革命を受けて独立したので、それは1974年か75年。音楽アンソロジー『メモリアズ・ジ・アフリカ』には、1960〜70年代の録音を中心に、80年代初期ごろのものまでが収録されているとされている(が個別に記載はない)。アンゴラとカーボ・ヴェルデ音楽についてかなりの初心者で、ギネア・ビサウ、モザンビーク、サントメ・プリンシペについてはなにも知らない僕だから、ザッとした感想だけ書いておこう。今日は一枚目と二枚目のアンゴラとカーボ・ヴェルデ篇。

さて『メモリアズ・ジ・アフリカ』はオーディオブックみたいな側面もあって、というかたぶんブックとして読ませる目的のほうが大きいのか?と思うほどブックレットが充実している。上記五カ国のことをあまり、なにも、知らないひと向けの入門案内文のように思える。葡英二か国語。

実際、それぞれまず最初に各国の各種基礎情報(国家名、国旗、首都名、使用言語、独立年、通貨、人口など)が書いてあり、そのあとその国の歴史、ポルトガル支配時代、独立、地理など、やはり概観解説が続く。音楽については、五カ国分ともラストにちょこっと触れてあるだけで、CD 収録の音楽家や曲の具体的なことはほぼ書かれていない。

だから、四枚の CD は、ブックレットを読んでその国のことを知る際の一種の BGM みたいなものとして、ちょっと付属させてあるだけだという、そんな位置付けなのだろうか?そんなわけで、綿密に書いておく必要などあるのかないのかわからないが、そうしようとしても、いまの僕にその知識も能力もない。

CD1のアンゴラ篇。1曲目からいきなり(ブラジルでいう)ビリンバウの音ではじまり、そのほか擦弦楽器の音が聴こえるが、あくまでビリンバウびんびんに乗せての男性ヴォーカルとコーラス隊のコール&レスポンスで構成されている。素朴な印象を持つ。2曲目もバラフォン合奏+男性ヴォーカル。

僕のばあい、パウロ・フローレスというセンバ新世代でアンゴラ音楽に入門したのでそういうのが出てくるかな?と思っても、CD1のラストまでそれはなし。パウロの世代を考えたら、1980年代初期までしか収録されていないこの、現地の音楽のベースみたいなものだけ示そうとした(?)『メモリアズ・ジ・アフリカ』にないのはあたりまえか。

その後、やはりアコーディオン一台+ヴォーカル(3)とかあるけれど、でも4曲目「ゾン・ゾン・2」(エリアス・ディア・キムエゾ)がかなりモダンなポップ・グルーヴで、これってセンバってこと?わからないがグルーヴィだ。男性リード・ヴォーカル+アクースティック・ギター+打楽器+コーラス隊。ビート感が現代的。

5曲目、マリオ・ルイ・シルヴァ「ゼカ・カマラオ」は、まるでカーボ・ヴェルデ音楽にそっくりだけど、相互影響みたいなものがあるんだろうかなあ。アクースティック・ギターの刻むリズムとかヴォーカルの乗せかたなど、これもアンゴラ音楽ってことか。
そんな感じのアフロ・クレオール・ミュージックがずっと続き、ホントどこまでがポルトガル由来で、どこまでがアンゴラ現地の(ってなにも知りませんが)っていうか大陸部アフリカのもので、どこからが島嶼部カーボ・ヴェルデ音楽の流入で、あるいはブラジル音楽から来ているものがあるのか?とか、わからない。がまあたぶんミクスチャーってことなんだろう。

しかしこれなら僕でもわかるサウダージ。あの独自の翳った哀感。それはもとはポルトガルから流入したフィーリングなんだろうから、ブラジル音楽にもあるし、PALOP ミュージックにもあるってことなんだろうね。『メモリアズ・ジ・アフリカ』全体にそれが流れている。アンゴラ篇にだってあるわけで。

サウダージって、哀感とか翳りとか、あるいは暗いとかいうのとは違うと思うんだけど、そこいらへんはあまり考え込まず、適当にサウダージと言って済ませておくことにする、今日は。ブラジルのショーロなんかにもある、あんな明るさと翳りの相反同居みたいな、あるいはアメリカ合衆国のブルーズ・スケールの持つ、長調か短調かわかりにくいようなどっちつかずの曖昧フィーリングにも似ている?

CD1アンゴラ篇の8曲目、アナンゴーラの「プーシャ・オデッテ」がかなりいい。モダン・センバっぽいが、でも南海の音楽みたいな(カリブふう?)感じもある。グルーヴは強烈だ。『メモリアズ・ジ・アフリカ』CD1アンゴラ篇のなかで僕のいちばんの好みがこれだ。ジャンプするリズムがとてもいい。パブリック・ドメインなのかな?
10曲目がルンバ・コンゴレーズみたいだったり、12曲目がハワイ音楽みたいだったりするが、11曲目はやはりアンゴラのダンス・ミュージックであるセンバかな。こういったハードなダンス・ナンバーが、僕はやっぱり世界のいろんな音楽のなかでもいちばん好きだなあ。ファンキーなハード・グルーヴが僕にとっての癒しだ。以前、シスター・ロゼッタ・サープ関連でもそう書いた。こういうので溶けるんだ、心が。

CD2、カーボ・ヴェルデ篇。1曲目はブラック・パワーという演者名になっているが、曲もアメリカ黒人音楽みたいだ。っていうか、アメリカン・ブラック・ミュージックのあんな感じがそもそもアフリカン・ルーツなのかもしれないから、言及順序が逆か。でもアメリカ音楽から入ってきたものもあったかもだよね。

2曲目で典型的なモルナになって、これは女性歌手が歌っている。3曲目が、今度はこっちがアンゴラのセンバみたいだが、本当はコラデイラってことかな。ホーン・セクションがスタッカート気味の細切れリフ・フレーズを入れるあたりは、ほんとセンバみたいな、あるいはキューバ音楽みたいな、そんな感じだ。ピアノもちょっぴりキューバン・スタイル?

4曲目以後もモルナみたいな歌謡と、コラデイラみたいなダンス・ナンバーが交互に連続する。聴いているのもいいが、踊ってもいい。7曲目、アナ・フィルミーノ「オ・ベルナルド」がかなりいい。サウダージがあって、しかもゆったりと大きくノるミドル・テンポのダンス・ナンバー。これも一種のコラデイラかな?ナンシー・ヴィエイラにもこういうのたくさんあるよね。
モルナを管楽器でやっているみたいな8曲目とか、おもしろいけれど、その後はまた打楽器+ギター+ヴォーカル(&コーラス)で、しっとりしながらダンサブルで、メロディの動きはやっぱりポルトガル由来のものがあるんだなとわかりつつ、リズムのこんな混交フィーリングは、やっぱりアフリカ音楽なんだなと実感する。9、11と二曲あるマリーノ・シルヴァがかなり素晴らしい。

2018/05/18

激しい雨が降る、京都、1964 〜 内のマイルズと外へ行くサム・リヴァーズとつなぐトニー

JAL のファースト・クラスで来日した1964年7月のマイルズ・デイヴィス。各都市のホテルからコンサート会場までのすべての移動も空調の効いたリムジンで。この事実だけでもいかに特別待遇だったかがわかろうというもの。このときはマイルズ・バンドの単独公演ではなかったのだが、日航のファースト・クラスに乗ったのはマイルズだけ。マイルズ・クインテットのサイド・メンだって席は別だった。いっしょに来日した妻のフランシスは、情報が見つからないが、たぶんマイルズの隣だったんだろうけれど。

1964年7月のそれがなんだったのか、なにかのフェスティヴァルみたいなもんなのか、ずいぶん以前(大学生のころ??)に読んだ気がするけれど、いざ今日記しておこうと思って調べても情報が出てこないのが悔しい。どなたかご存知のかたがいらっしゃると思いますので、どうか教えてください。

いまの僕にわかっていることは、アメリカ人ジャズ・ミュージシャンたちによるその1964年日本ツアーは、マイルズ・バンド以外に、伝統派のクラリネット奏者エドモンド・ホール、歌手カーメン・マクレエ、それからなんとウィントン・ケリー・トリオ with ポール・チェインバーズ&ジミー・コブ(!!)がいっしょだったということ。彼ら以外にいたかもしれないが、やはりわからない。

ともかく今日の話題はマイルズ・バンド。この初来日時にはサックス奏者だけ交代していて、サム・リヴァーズがテナーを吹いている。前任のジョージ・コールマンがやめたのは1964年の3月か4月。例のニュー・ヨークはフィルハーモニック・ホール公演が2月だったので、すぐあとというに近いタイミング。

ジョン・コルトレインの推薦だったジョージ・コールマンは、このひとの力量を考慮すればマイルズ・バンドでの吹奏は大健闘だと思うんだけど、当時のバンド・メン、特にトニー・ウィリアムズは好きじゃなかったらしい。このニュー・バンドは、結成後しばらくして、まだ10代だったこのドラマーを中心にまわるようになったので、彼が気に入っているかいないかは大きな問題だった。

スタジオ録音盤『セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン』やその後の一連のライヴ・アルバム・シリーズでおわかりのようにコールマンは守旧派で、コードやスケールのなかから一歩も外へ出ない。そこが、たぶんトニーは好きじゃなかったのかも。ボスのトランペットだってだいたいそうなんだけど、さすがに雇い主のスタイルには好き嫌いを言えなかったということか?サウンドはマイルズだって鋭いし。

トニーのそんな嗜好は、彼自身がブルー・ノートに残したリーダー作品を聴けばよくわかる。そしてたとえば『ライフ・タイム』にも『スプリング』にもサム・リヴァーズが参加している。録音はどっちもマイルズ・バンド1964年7月の初来日よりもあとだけど、だいたいああいったのがこのころのトニーの好む音楽だった。すなわち、無機質でアヴァンギャルド。

保守的で情緒的なコールマンを、トニーが直接イビったりはしなかったと思うけれど、コールマンのほうが自主的に、つまり忖度して、バンドのボスのトニー愛も考慮した上で、自ら辞表を提出することとなった。このことは後年コールマン自身も明言していて、クビじゃなくて自分から出たんだという、嫌われていたからという、この言葉はそのとおりだったと僕は思っている。

そんなわけで次のサックス奏者は当然のようにトニーの推薦を聞くということになって、同郷マサチューセッツはボストン出身ということもあり、サム・リヴァーズになった。また、このころエリック・ドルフィーをマイルズが起用したがっているという噂が流れたのをこのトランペッター本人がかなり嫌がって、それを打ち消す意味もあって、ちょっぴり前衛的なサム・リヴァーズを選択。

サム・リヴァーズがマイルズ・バンドの一員になったのは1964年の4月。コールマンが辞めてもクラブ・ギグなんかは立て込んでいたので、あいだを置かずにそうなったけれど、リヴァーズが参加しているマイルズ・バンドの録音は、公式でもブートレグでも、1964年7月の来日公演のものしかない。それを終えて8月に帰国すると即、というタイミングでウェイン・ショーターに交代した。

エリック・ドルフィーにかんしては上で名前を出したけれど、実際マイルズはそのプレイ・スタイルが好きではなく、しかしトニーがエリックのことを気に入っているということはボスも知っていたし、またエリックはなんたってコルトレイン(のことをマイルズは終生忘れなかった)がライヴ共演するほどのお気に入りだったともわかっていた。トニーはオーネット・コールマンのファンでもあった。

ジョージ・コールマンが辞めたとき、トニーはマイルズに向けて本当にエリック・ドルフィーの名前を出したとのこと。だが、ボスはまったく一顧だにせず。マイルズもトニーもいちばんのチョイスは前からウェイン・ショーターだったけれど、ちょうどアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズで音楽監督役だったので、まだ引き抜きはむずかしかった。

それでサム・リヴァーズになったというわけだね。上述のとおり、1964年の日本公演分しか録音がないリヴァーズ在籍時代のマイルズ・バンドだけど、現在聴けるのは以下の三日分。

7月12日 日比谷野外音楽堂
7月14日 新宿厚生年金会館
7月15日 京都円山公園野外音楽堂

コンサートはこれら以外の都市でも開催された可能性が高い。といっても客観的な資料はなく、マイルズ当人やカーメン・マクレエなどの記憶、そのほかから推測してのことだけど、7月13日に大阪でコンサートがあったのは間違いないんだろう。Nagoya という文字が見えることがあるので、名古屋でも一夜があった可能性があり。そうだとして、おそらくこれら五回でぜんぶだったんだろうと推測できる。

聴ける三夜分の音源は、7/14の新宿公演がコロンビア盤『マイルズ・イン・トーキョー』となって1969年に公式発売された。残る二日分は、現在 CD 二枚組『ジ・アインイシュード・ジャパニーズ・コンサーツ』という Domino Records 盤になっているのが最も入手がたやすい。ブートレグだけど、アマゾンでふつうに売っている。
これら三日間はすべて日本のラジオ局が録音したもの。コロンビアの公式盤もブート盤もラジオ放送(のための)音源がソースだ。『マイルズ・イン・トーキョー』はニッポン放送の実況録音で、ブート分は不明。いまだ商品化されていない大阪分や名古屋分も、ひょっとしたら録音テープがあって倉庫に眠ったままの状態なのかもしれない。なんだかそんな気がするんだよね。

周辺情報だった。

さて、サム・リヴァーズがマイルズの雇った全サックス奏者中図抜けて前衛的で、バンドとは、特にボスとは、水と油みたいだったというのが定説みたいになっているが、はっきり言って間違っている面もある。トニーが前衛ジャズ好きだったと書いたが、ウェイン・ショーターに交代後のライヴ録音を聴けば、かなりとんでもないことになっていることも多いからだ。

その証拠を二つだけ示しておこう。1965年12月のシカゴはプラグド・ニッケルでのライヴ(これはアンソロジーのほうにしておいた)と、1967年10、11月の欧州公演(はボックスしかない)。マイルズはいつもとさほど違わない演奏だけど、ウェインとトニーが暴発している。

1965年プラグド・ニッケル
1967年欧州公演
こういったものに比べたら、1964年のサム・リヴァーズ(とトニー)はまだおとなしいほうに聴こえるよなあ。そして1965年のシカゴでも67年のヨーロッパでも、暴発しているのがサックスとドラムスなのでもおわかりのように、1964年日本公演で激しい雨が降ったとするならば、それもやはりサム・リヴァーズとトニーによる共闘だったんだよね。

なんどもしつこいようだけどマイルズは構築型の音楽コンセプトの持ち主で、スタジオ録音ではいつもこれを徹底し丁寧に創り込み、ライヴ・コンサートでは必ずしもこの限りではないこともあるけれど、それでもあまりに強く崩壊型に向かいすぎるのはやはり避けていた。

そんなところ、1964年7月12、14、15日分と日付順に聴き進むと、なかなかおもしろいこともわかってくる。14日の新宿公演分は公式発売されているので Spotify にあるのをいちばん上でご紹介しておいた。それ以外の二夜は、12日の日比谷公演が見つからないものの、15日の京都公演がネットにあったので貼っておく。
12日の日比谷ではサム・リヴァーズもまだおとなしい。生演奏機会はこれがマイルズ・バンドで初のものじゃなかったはずだけど、みんなにすこし遠慮しているように聴こえる。ボスのトランペットはいつもどおりのマイ・ペースで変化なし、っていうか、だいたい1964年のどのコンサートにおけるマイルズのソロも様式化されていて、悪く言えば変わり映えしないのだ。

ぜんぶの曲で二番手でサム・リヴァーズのテナー・サックス・ソロ、三番手でハービー・ハンコックのピアノ・ソロとなっているが、笑っちゃうのはハービーのソロだ。リヴァーズはおとなしいといってもああいったスタイルのサックス奏者だから、しばしばスケール・アウトし、フリーキー・トーン(こそマイルズの嫌ったもの、エリック・ドルフィー関連で)も出す。背後でそれをトニーがあおる。だから続くハービーも刺激されていることがあるんだよね。

12日の日比谷でも「ソー・ワット」「ウォーキン」といったハード・ブロウ・ナンバーでそれが顕著だ。いっぽうバラード「ステラ・バイ・スターライト」はあくまでリリカルにやりたいマイルズなので、本人は、あのフィルハーモニック・ホールのヴァージョン(『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』)と同じようにきれいに吹いている。伴奏のハービーもそう。

そしてサム・リヴァーズもあくまでそんなボスのリリカル志向にあわせるかのように、落ち着いたフィーリングで美しくサックスを吹いているんだよね。この12日の「ステラ・バイ・スターライト」でのリヴァーズは、それでもたまにアウトしかけているけれどすぐに戻り、音色も外さず、フレイジングに情緒感は薄い抽象的なものだけど、それでもそこそこマイルズ好みの演奏だったかもと思う。

「ステラ・バイ・スターライト」は15日の京都でも演奏されているので聴き比べたいのだが、12日ヴァージョンと大きな違いはない。特にボスのトランペットは、上でも書いたがいつも同じになるような様式化されたもので、だからそんな二つ聴かなくてもいいのかも。つまらんといえばたしかにつまらん。でも京都ヴァージョンのほうが、トランペットの音がより強く、フレジンングにもやや力が入っているのかなと聴こえる。

続く二番手サム・リヴァーズの演奏は、しかし12日の日比谷ヴァージョンと大きく異なっているのだ。スケールの外側へどんどんハミ出して、音色も通常のものからアウトして、これはなんだろう?フリーキー・トーンというのでもない、ちょっとこうグチャっていうヘンな?(これはいい意味で)サウンドだよなあ。

サム・リヴァーズがこうなるっていうのは、もちろん12日の日比谷公演からそんな傾向が若干うかがえる。しかし12、14日と二回の東京公演ではまだ抑制していたんだよね。さすがにボスに遠慮して気を遣い、あまり外しすぎないようにしたってことかなあ。でもそれじゃあ肝心のトニーはイマイチおもしろくなかったんじゃ?

ハード・ブロウ・ナンバーは、14日の新宿でもたとえば「ソー・ワット」「ウォーキン」がある。15日の京都には「ソー・ワット」がなく(残念)「ウォーキン」があって、さらに14日にもやった「イフ・アイ・ワー・ア・ベル」や、また京都でだけ演奏の「オレオ」なんかもハードな調子。

それらのアップ・テンポな曲での最大の聴きどころは、やはりサム・リヴァーズとトニーのコラボレイション。一番手マイルズのソロ背後からしてすでに激しいトニーだけど、リヴァーズのサックス・ソロになると、またすこし違ったリズムの実験をやっている。それにはロン・カーターとハービー・ハンコックも参加して、進んだり止まったり一箇所で回ったりなど、マイルズのソロ・パートでは聴けないリズムの複雑化を見せている。

続くハービーのピアノ・ソロ部ではまたメインストリームなスタイルに戻ったかのようだけど、ハービーがリヴァーズに刺激されながらも自分のペースに立ち返っているから、トニーもそれにあわせてステディな4/4ビートを刻んでいるんだよね。このドラマーは1963〜67年までライヴではいつもそうだけど、ハービーのピアノ・ソロ部でいちばんおとなしく保守的。その前までで存分に暴れたからってことかなあ。

12小節定型のブルーズ・ナンバー「ウォーキン」。この曲をこのバンドがやる際には、マイルズに続き二番手でトニーのドラムス・ソロが入るのが日常で、ほかのメンバーのソロ部でもハードに叩きまくっている。14日の新宿だと、三番手のサム・リヴァーズが、ブルーズだからアヴァンギャルドにやりやすいということか、この日、かなりアウトサイドへ踏み込んでいるのがわかるよね。特に音色というか音の出しかた。フレイジングもそうだ。

「ウォーキン」は15日の京都でも演奏されている。それを聴くと、14日の新宿がまだまだコンサヴァティヴだったのかと思えるほど。だいたい二回の東京公演では、マイルズとサム・リヴァーズが互いに歩みよっているかのようにも聴きとれるもんね。内側にとどまりたいマイルズががんばって外へ行き、外に出たいリヴァーズも遠慮して内にいようとして、それでなんとかバンド五人のバランスを保とうとしている。

15日の京都公演では、そんな一体化を目指す方向性ももはや弱くなっているよね。マイルズもサム・リヴァーズもリズムの三人もやりたいようにやり放題で、クインテットの音楽総合性では整合美を欠くけれど、だからこそ実はいちばんおもしろいのが京都公演なのかもしれない。マイルズも京都ではなんだかハードだけど、サム・リヴァーズがどんどん外側へ出て行って帰ってこない。そのせいなのか、リズム三人もポリリズミックな方向へ傾きつつある。

1964年7月15日の京都は円山公園野外音楽堂。この夜の天候は雨。ここは野外といっても完全なる屋根なしではなくカヴァード・エリアもあった。この日、マイルズ・バンドの演奏中に雨がポツポツ降りはじめ、それがどんどん激しくなって、観客のなかで避難できる人は屋根のある場所へ移動したり、傘の花が咲いたりしたそうだけど、それでもオーディエンスの大半はそのままその場でずぶ濡れになりながら聴いたのだった。

2018/05/17

アレクサンドリア・ザ・グレイト

Unknown

黒人教会音楽の影響が言われる女性ジャズ歌手ロレツ・アレクサンドリアだけど、ことインパルス盤『ザ・グレイト』(1964)にかんしては薄いような気がする。粘っこいアクみたいなものがなく、もっと小粋で軽快にスウィングし、かつ丁寧に歌いこんでいるよね。そして原曲の歌詞をとても大切にしていることも、聴けばわかる。

これもしかしむかしの僕はレコードの A 面しか聴いていなかったような気がする。だって完璧なんだもんね。ラストの「オーヴァー・ザ・レインボウ」を聴き終えたらすっかり満足しちゃって、そこで終わっていた。でも CD リイシューされてから(意識的に)旧 B 面分も続けて聴いたら、かなりいいじゃんね。

ロレツの『ザ・グレイト』全十曲はどれもよく知られたスタンダードばかり。それが伴奏陣の編成で二つに分かれている。オーケストラ演奏をバックにしてミュージカル『マイ・フェア・レイディ』からの有名曲を歌った三つと、ほかの七曲はウィントン・ケリー・トリオ(三曲はプラス2)のスウィンギーな伴奏で、やはり有名曲を歌う。

インパルス盤ロレツのもう一枚は Spotify にあって、でもそれは『ザ・グレイト』の続編なんだから、どうして『ザ・グレイト』がないのか不思議なんだけど、なんと Apple Music にはどのレーベルのどの一枚もロレツは存在しない。過小評価の極みのようなジャズ歌手なんだよなあ。そんなわけで今日話題にしたいこのアルバムは、曲目一覧を書いておこう。

1 Show Me
2 I've Never Been In Love Before
3 Satin Doll
4 My One And Only Love
5 Over The Rainbow
6 Get Me To The Church On Time
7 The Best Is Yet To Come
8 I've Grown Accustomed To His Face
9 Give Me The Simple Life
10 I'm Through With Love

言うまでもなく、1、6、8が『マイ・フェア・レイディ』からの歌。僕の趣味嗜好だと、どうしても8曲目の曲題と歌詞が Her ではなく His になっているのが気になって。以前から繰り返すように対象の性別変更だ。女性歌手だから His になっているんだけど、もとのミュージカルでどんな場面だったかがわかりにくくなっちゃわないかなあ。ならないのか…。

でもそれだけ目をつぶれば、ロレツの歌もビル・マルクスの書いたオーケストラ・アレンジもいいし、ヴィクター・フェルドマンのヴァイブラフォン・ソロだってグッド。でも『マイ・フェア・レイディ』からの歌なら、ほかの二曲のほうがもっといい。

6曲目「時間どおりに教会へ」は、もとからユーモラスな感じのある曲だからなのか、ロレツも軽妙な感じで歌っているし、ビル・マルクスのオーケストラ・アレンジもそんなペンで、いいね。大編成にもかかわらず、ロレツの歌いかたは、まるでスモール・コンボをしたがえているかのようなフィーリングで軽くこなしている。それに、だいたいこの曲が僕は大好きなんだ。フルートはバド・シャンク。ピアノがやはりフェルドマンで、ドラマーは(全曲)ジミー・コブ。
1曲目「ショウ・ミー」はもっといい。私見ではロレツのこの『グレイト』でいちばん出来がいい、おもしろいと思うのが「ショウ・ミー」と、5曲目の「オーヴァー・ザ・レインボウ」だ。愛しているなら見せてと迫る歌詞も、その歌い込みかたも素晴らしい「ショウ・ミー」では、まずワルツ・タイムでゆったりとはじまるが、途中でパッとテンポ・アップしてスウィンガーになる。
そしてこの「ショウ・ミー」最大の聴きどころは、その中間の快活なパートも終わってスローな三拍子に戻り、その後テンポ・ルパートになる終盤部のカデンツァだ。3:31から。その最終盤パートでのロレツの節まわしがおもしろい。元歌詞のなかからフリーに抜き出しているんだけど、"make me no undying vow" とか "shoooowww meee nooow" のあたりとか、かなり粘っこくグリグリとコブシを回している。それはアメリカ黒人ゴスペルのものというより、まるで日本の伝統芸能のそれに近いようなフィーリングじゃない?新内節みたいだというひともいる。

こんなネチっこいフレイジングは、ロレツの『ザ・グレイト』ではここだけ。だからこの歌手の持ち味というよりも、オーケストラ・アレンジといっしょにビル・マルクスがヴォーカル・アレンジもやったんだという可能性がすこしあるかも。う〜ん、ホントちょっと上の YouTube 音源を聴いてみて。アメリカ人ジャズ歌手でこんな節まわしって、ほかで聴けるかなあ?そのカデンツァ部分前後のバンド・サウンドもいい(歌のあいだは無伴奏)。

つまりここでの「ショウ・ミー」は4パートになっていて、こんなふうにドラマティックな展開を聴かせるあたり、プロデューサーのボブ・シールがアルバム・オープナーに持ってきたのはとてもよくわかる。大学生のころの僕は、このアルバム・オープナーの「ショウ・ミー」だけでつかまれてしまった。ロレツというとこれがいまでも浮かぶほど、好きだ。

ロレツのアルバム『ザ・グレイト』でのもう一つの白眉、5曲目「オーヴァー・ザ・レインボウ」。ちょっとまず音源からご紹介しておく。説明前にまず聴いていただきたい。
どうです?出だしでヴァースみたいにして歌っている部分は「オーヴァー・ザ・レインボウ」じゃない。このスタンダード・ナンバーにヴァースはもとから存在しないんだ。この曲の初演はジュディ・ガーランド主演のミュージカル映画『オズの魔法使い』(1939)↓
ロレツがヴァース代わりに歌っているのは別な曲で、アーサー・ハミルトンが書いてペギー・リーが歌った「シング・ザ・レインボウ」。映画『ピート・ケリーズ・ブルーズ』(1955)からの一曲↓
つまり "虹" つながりってことで、だれのアイデアか、ロレツの発想なのか、わからないが、くっつけたんだね。これが最高にチャーミングな演出になっていると思わない?僕はかなり好きなんだけどね。メイン・パート部分も含め、伴奏のウィントン・ケリー・トリオがいい仕事ぶり。ウィントンは1950年代にダイナ・ワシントンの歌伴もやっていて、手慣れたものなんだ。

"blueee, uee, uee, birds fly" 部分とか、その他ワン・フレーズの末尾を微妙に変えて伸ばしたり、フレーズ途中でも陰影をつけたりなど、ロレツの丁寧で、ちょっと凝った、そして粋な歌詞の扱い、歌わせかたも聴かせるものがある。歌詞の意味をこんなに沁みるように歌いこんだ「オーヴァー・ザ・レインボウ」はなかなかないよ。素晴らしい。「そこでわたしを見つけて」。

そしてこのロレツ・ヴァージョンの「オーヴァー・ザ・レインボウ」も、終盤部でやはりフリー・リズムになるカデンツァみたいなものが仕立ててあるよね。ウィントン・ケリー・トリオが伴奏でも、オーケストラとやる「ショウ・ミー」と同じようなエンディング・アレンジになっているってことは、こういうのはロレツ本人か、ボブ・シールの着案だったのかなあ。

そのカデンツァ部分では「鳥たちは飛ぶんだから、わたしだって虹を超えて飛べるわよね」(I know the birds fly over the rainbow, why, then, oh why can't I fly over the rainbow?)と歌っているが、ここはジュディ・ガーランドやその他の歌手が歌うオリジナル・リリックにはない。いや、あるのだが、変えてアレンジして言葉を足し、ロレツの独自歌詞を組んでカデンツァにしている。歌い終えてのウィントン・ケリーの転調で終わるのも効果的。

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