2019/08/19

マイルズの『ビッチズ・ブルー』、真夏生まれ

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https://open.spotify.com/album/3Q0zkOZEOC855ErOOJ1AdO?si=ySHFp1haQXijmLgQwA_diw

 

人間でも「わたし夏生まれだから…(こういう人間だ)」みたいなことを言うじゃないですか。音楽作品でもそういったことがあるんですかね。夏に録音されたものはどうだこうだみたいなことが。あるかないかわかりませんけれども、1969年8月ど真ん中(8/19〜21)に録音されたマイルズ・デイヴィスの『ビッチズ・ブルー』は、夏向けの音楽ですよ。真夏に聴くとこれ以上ないピッタリ感です。

 

なずなんたってこのジャケット・デザインが完璧な夏仕様じゃありませんか。黒人男女がほぼ全裸で夏の海に向かっているという。しかもその左には熱帯植物。その上に汗をかいた黒人の顔。正面に海と波と青空。これが夏でなくていつだというのでしょう。ジャケットのデザインを担当したのはマティ・クラワインですが、録音済みだった音楽を聴かせてもらっての判断だったに違いないですね。ダブル・ジャケットを開くと、こんなマイルズの写真もありますし↓

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そんな『ビッチズ・ブルー』の音楽のこの、なんというかアトモスフィアが、これまた真夏の空気感満載ですよね。うまく言えないんですけど、こう、夏っぽい解放感のある突き抜けた、はじけるような音楽ですよねえ。特に曲「ビッチズ・ブルー」「スパニッシュ・キー」「マイルズ・ランズ・ザ・ヴードゥー・ダウン」で、そんなフィーリングをぼくは強く感じます。

 

真夏ど真ん中にレコーディング・セッションが企画されたために夏向けの曲というかモチーフをマイルズやジョー・ザヴィヌルやウェイン・ショーターが用意した、ということはないでしょう。スタジオでのレコーディングの前からレギュラー・クインテットのライヴではくりかえし演奏されていたものも多いし、そもそも一年以上前に録音済みだったものの再演だったりしますのでね。

 

だから仕上がりがこんなにも真夏向けのオーラをまとうことになったのは、やっぱりひとえに演奏そのものが八月の暑いさなかに行われたからだということに原因のすべてがあるに違いありません。マイルズが自叙伝でふりかえって言うには、『ビッチズ・ブルー』になった三日間の音楽は、要はすべてが即興である、その場で組み立てたものであるとのこと。

 

真夏のスタジオ・セッション現場でのインスタント・コンポジションにかなりの部分を負っている音楽だから、ここまでのサマー・ミュージックになったのだということなんでしょうね。スタジオがあったニュー・ヨークの真夏は東京のそれよりは過ごしやすいと思うんですけど、それでも1969年8月19〜21日は猛暑だったそうです。スタジオに空調が効いていたとしても、真夏の季節感をミュージシャンたちも持って入って参加したはずです。

 

夏の文化的特徴は、上でも書きましたが解放感、すなわち感情の自然な発露を抑制しないこと。突き抜けた青い躍動感。激しさ。フィーリングの爆発、すなわちフェスティヴァル(お祭り)感覚の荒々しさ。といったところでしょうか。こんなこと、すべてアルバム『ビッチズ・ブルー』の音楽をかたちづくり彩っている要素じゃないですか。

 

『ビッチズ・ブルー』で聴けるこんな音楽は、やっぱり真夏の演奏だからこそ生まれたと言えると思うんですね。そしてぼくたちが聴く際も、真夏の陽天のもとで汗をかきながら聴くようにすれば、いっそうこのアルバムの音楽の躍動的なフィーリングを身近に実感できるというのが、約40年間聴き続けてきてのぼくの感想です。

 

真夏生まれの『ビッチズ・ブルー』、まさに夏に聴いたらピッタリ来る音楽じゃないでしょうか。ちょっと暑苦しいけど、汗をかいて結果さわやかになるというようなフィーリングを、音楽で味わうことができますよ。

 

(written 2019.8.13)

2019/08/18

ダヴィーナ&ザ・ヴァガボンズはアメリカ音楽の健全さ

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https://open.spotify.com/album/1mkCrsYupAhf4Ko1nkoyFq?si=nqDkivmsSpWSYlJO-A9GZA

 

お気に入りダヴィーナ&ザ・ヴァガボンズの新作が出ました。『シュガー・ドロップス』(2019.8.2)。前作がライヴ・アルバムでしたけど、スタジオ・オリジナル作品としては三作目となりますね。五年ぶりとちょっと久々。でもダヴィーナの音楽性はなんら変化していませんので、安心して身をひたすことができますね。2/4拍子を基調とするレトロなオールド・ジャズ/ポップスをベースにした、グッド・オールド・タイム・アメリカン・ミュージック(+ちょっぴりの三連サザン・ソウル・バラード)。

 

37分間という短さも好印象ですけど、でも今回の新作『シュガー・ドロップス』ではちょっとの新味もあります。2曲目「アイ・キャント・ビリーヴ・アイ・レット・ユー・ゴー」はファンキー風味ですね。コントラバスがガガッと突っかかるようにハネるパターンをはじき続けているのがこの曲のキモで、ちょっぴりカリビアンなロック・ミュージックっぽいのがダヴィーナにしては珍しいところ。

 

カリビアンといえば続く3曲目「デヴル・ホーンズ」は完璧なカリビアン・ミュージック・テイスト。ちょっぴりカリプソっぽいニュアンスもいままでのダヴィーナにはなかったものじゃないでしょうか。最初打楽器群だけに乗ってダヴィーナが歌いはじめるのでオオッと思っていると、途中から入るホーン・アンサンブルも完璧カリビアンなんですね。6曲目「アナザー・ロンリー・デイ」のリズムのハネもちょっぴりロック・ソングっぽいかな。

 

こういったシンコペイションと陽光の効いた音楽はダヴィーナとしては新味じゃないですか。また、自身の弾くピアノ・サウンドを中心に据えたオールド・タイミーなジャジー・ポップスという従来路線な曲のなかででも、エレキ・ギターがソロを弾いたりペダル・スティール・ギターが使われていたりして(7曲目「ノー・マター・ウェア・ウィ・アー」)、なかなか聴かせる工夫がなされています。8曲目「ミスター・ビッグ・トーカー」でも室内楽的なストリングスが入って、そういったのはいままでのダヴィーナの音楽にはなかったものですよね。

 

でもそのストリングスにしても優雅でエレガントで、まるで19世紀末ごろのアメリカのシティ・サロンでかくありきと思わせるクラシカルなムードをかもしだしているのが、いかにもダヴィーナっぽい古き良き時代へのレトロスペクティヴ。決して雰囲気をこわさず、いままでの四作品で聴かせてくれていた世界を踏襲しているなとわかるのが好印象です。カリビアン風味もハワイアン・スティール・ギターも、ルーツとしてアメリカン・ミュージックの発祥時から根底にありますからね。

 

10曲目の「マジック・キシズ」もほんのりカリブ香を漂わせながらオールド・タイミーなジャズ・ソングを展開していますが、いままで書いた曲以外はどれもやっぱりダヴィーナの従来路線。2/4拍子のディキシーランド・ジャズふうなポップ・ソングで、19世紀末〜20世紀初頭ごろの古いジャズやブルーズをそのまま再現したようなレトロ・ミュージックなんですね。趣味がよくて、聴いていてなごめて、実にいい気分です。

 

アルバム・ラスト11曲目「ディープ・エンド」は、アルバム・タイトルになっている5曲目「シュガー・ドロップス」同様、ダヴィーナのピアノ弾き語り(が中心)でシンミリと。二曲とも孤独な哀感がにじみ出ていて、かといってさびしくわびしいフィーリングというよりアット・ホームなあったかさがあるんですよね。ダヴィーナの音楽って、そんな親近感がいつもありますよね。今回の新作でもそこらへんはそのまま変わりません。

 

こういったレトロなグッド・タイム・ミュージックがいまでも絶えずときおり登場し、決して恥ずかしいような顔もせず堂々として、とりあえず一定の支持を得つづけているあたりには、アメリカン・ミュージック・シーンの健全さ、大きさ、懐の深さを感じますね。

 

ダヴィーナ&ザ・ヴァガボンズの『シュガー・ドロップス』、日本盤も出るそうです。

 

(written 2019.8.14)

2019/08/17

デモでもマジなプリンス 〜『オリジナルズ』

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https://open.spotify.com/album/1X1So5oX4TCFGdK6BN9UXs?si=ijR9v4rKS1GFeZx_X-I8iQ

 

1「セックス・シューター」(アポロニア 6)
2「ジャングル・ラヴ」(ザ・タイム)
3「マニック・マンデイ」(バングルズ)
4「ヌーン・ランデヴー」(シーラ E)
5「メイク・アップ」(ヴァニティ 6)
6「100 MPH」(マザラティ)
7「ユア・マイ・ラヴ」(ケニー・ロジャーズ)
8「ホーリー・ロック」(シーラ E)
9「ベイビー、ユア・マイ・トリップ」(ジル・ジョーンズ)
10「ザ・グラマラス・ライフ」(シーラ E)
11「ジゴロズ・ゲット・ロンリー・トゥー」(ザ・タイム)
12「ラヴ…ザイ・ウィル・ビー・ダン」(マルティカ)
13「ディア・ミケランジェロ」(シーラ E)
14「ウドゥント・ユー・ラヴ・トゥ・ラヴ・ミー?」(タージャ・セヴィル)
15「ナシング・コンペアズ・2 U」(ザ・ファミリー、シネイド・オコナー)

 

今2019年の6月下旬ごろリリースされたプリンスの未発表集『オリジナルズ』。収録曲はどれもほかの歌手たちが歌うためのものとしてプリンスが書き提供したもの。それらのプリンス本人ヴァージョン集ですね。これらはガイド・テープというか、デモというか、こんな感じですよ〜と教えるためのものとして録音したものだっていうことなんでしょうね。それともたんなる録音癖?デューク・エリントンとかフランク・ザッパみたいな。そういえば、これら三者の音楽家たちは、似てますねぇ。

 

そんな大きなテーマは今日はおいといて、プリンスの『オリジナルズ』。12曲目の「ラヴ…ザイ・ウィル・ビー・ダン」だけが1991年の録音となっていますけど、それだけを例外とし、ほかはすべて1981〜85年に録音したものです。たしかにそれらの曲の提供先歌手たちによる初演ヴァージョンもそのころでした。プリンス自身の作品でいうと、ちょうど『1999』『パープル・レイン』『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』のあたりですよね。昇竜のごとき勢いで音楽界を猛烈に駆け上がっていた時期であります。

 

そのころのプリンスは、初期の密室独りスタジオ作業癖から一歩抜け出て、リアルなバンド編成サウンドをも試みていましたよね。でもアルバム『オリジナルズ』収録のものは、どれもほかの歌手に提供するためのデモなためなのか、ぜんぶプリンスひとりで音をつくっています。すべての楽器演奏と歌がプリンスだけによるスタジオ作業で完成しているんですね。

 

CD 付属リーフレット掲載のクレジットにありますように、サックスとかチェロとかはプリンスじゃない演奏者が参加しているんですけれども、全15曲、これはほぼすべてプリンスひとりのパフォーマンスで完成させたとして過言ではありません。そのほかギターやバック・ヴォーカルで若干名の参加があるばあいも見られますけれども、本質的にこの『オリジナルズ』はオール殿下です。

 

そう、完成させたと言いましたが、このガイド・デモみたいなテイク集は、実質、完成品と呼んでさしつかえないレヴェルだと思うんですね。このことは、なにより当時発売されていたほかの歌手によるオリジナル・ヴァージョンと『オリジナルズ』収録のプリンス・デモを聴き比べればハッキリします。だいたいどの歌手のオリジナル・ヴァージョンもプリンス・デモと大差ないといいますか、それに沿って歌を入れ直しただけというに近いものだったと判明したからです。

 

ここが今年六月の『オリジナルズ』発売最大の意義でしょう。ソングライターによるガイド・デモがすでに完成品としてもいいできばえであった、それがプリンスという音楽家のすごさ、すばらしさだったとわかったということです。というかですね、このアルバムを聴いていての実感なんですけど、プリンスはガイド・デモをちょこっととかいうんじゃなく、これは本気ですね、マジで演奏し歌っています。このひとが本気でやるとどうなるかを彼自身のアルバムで知っていると、これは間違いないと思えます。

 

最初は他人に歌ってもらうために書いて、そのデモを…という気持ちもあったかもしれませんが、スタジオで作業していくうちどんどん気持ちが入っていってマジになってしまう、っていうのはよくあることだと思うんですね、音楽家のばあいだけでなく、みなさんも仕事や趣味でそういった憶えがあるでしょう。ましてやプリンスの、この天才の、1980年代前半といえば最も勢いがあった時期だったんですから、当然です。

 

こんなガイド・デモのテープを渡されたどの歌手も、本当はちょっと戸惑ったかもしれないです。わたしたちはいったいなにをしろというのかと。曲もすばらしいけれど、演奏と歌の完成度がここまで高いデモをもらってしまったら、これをどうすればいいのかと、ただこのまま忠実に演奏と歌を(自分たちが)再現するしかないじゃないかと、そう感じたんじゃないかと推測します。

 

で、上で書きましたように、みんなのヴァージョンもだいたいプリンス・デモをそのままなぞったような内容になったというわけです。プリンス本人ヴァージョンは今回はじめて聴けたものですから、この事実が証明されたわけですね。ああ、プリンスって、なんという天才だったのでしょうか。しかも『パープル・レイン』前後あたりの時期ですからね。多産豊穣だった本人のアルバムに収録されていても不思議じゃないものが多いです。

 

なかでも、バングルズに提供した「マニック・マンデイ」とケニー・ロジャーズのための「ユア・マイ・ラヴ」が、特別ぼくの耳を惹きました。なんてポップでなんて軽みがあって、なんていい曲なのでしょうか。正直に言いますが、バングルズのやケニー・ロジャーズのやったオリジナルをしっかり聴いたことがなかったのですが、ここで聴けるプリンス・ヴァージョンがあれば充分だという気がします。いやあ、好きですね、こういったライトでポップなプリンス。ぼくがプリンスで最も好きな部分のひとつです。

 

アルバム『オリジナルズ』ではほぼ唯一と言っていいんですけど、末尾に収録されている「ナシング・コンペアーズ・2 U」のシネイド・オコナー(のは初演じゃないって今回はじめて知りました)・ヴァージョンだけが、プリンス・デモとは大きく異なっています。シネイドのヴァージョン(1990)がヒットしてこの曲もシネイドも認知されましたが、それをいちおうご紹介しておきましょう。
https://www.youtube.com/watch?v=0-EF60neguk

 

この「ナシング・コンペアズ・2 U」という曲のことがぼくは本当に大好きで、なんて切なく哀しい歌なのかと、聴くたびに泣いちゃいそうになるんです。この曲のプリンス・デモだけは、昨2018年春に配信リリースされていたもので、今回のはその再録です。これで公式発売されているこの曲の本人ヴァージョンは、計三つとなりました。

 

この大好きな切哀歌のことは、また別の機会にじっくり書いてみることとして、今日のところはこれにて筆をおくこととします。

(written 2019.7.25)

2019/08/16

アメリカン・ポップ・ヴォーカルなトリオ・レスタリ

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https://open.spotify.com/album/3ttimZXZQMkxufn0YWUeet?si=7VBphVlZQ62gjqK5x0szCA
(ジャケットが違いますが、Spotify にあるこれがたぶんオリジナル・アルバム分で、ぼくの持つ CD はこれに三曲のシングル盤音源を加えています)

 

インドネシアの男声ヴォーカル三人組、トリオ・レスタリの『ワンギ』(2014)。エル・スールから届いたこれ、しかし、届いたってことは自分でお願いしてあったということですよねえ。記憶にないんですけど、最近は自分でもオーダー・メモを残すことにしてあるので、間違いありません。エル・スールのホーム・ページで見たときに、なにかひっかかってピンと来ていたということなんでしょう。しかしどうして憶えていないんでしょうか。

 

それはいいとして。聴いてみたらまさしくビンゴ、これは完璧にぼく好みのヴォーカル・ミュージックです。しかも都会派で、洗練されていて、さらにアメリカン・ジャズ/ポップ/ソウル・ミュージックのエッセンスが詰まっているんですね。どんな三人組だかちっとも知らなかったのに、う〜ん、われながら勘が冴えています、いやマジで(ドヤ顔)。

 

その意味では、以前書いた同じインドネシアのサンディ・ソンドロに相通ずるところがありますが、トリオ・レスタリのうち一人はサンディなんですね。へえ〜、そういうことですか。ほか二名はトンピ、グレン・フレドリ。サンディふくめ、ぼくはなにも知らないので(サンディだって一枚聴いただけ)、アルバムで次々ソロをとりマイク・リレーを聴かせるのがだれなのか、ちっともわかりません。

 

トリオ・レスタリのこの『ワンギ』の音楽は、基本、1980年代ふうの米ブラック・コンテンポラリーですね。だから(ジャズ・)フュージョンとも関係が深いと思います。エル・スール HP 掲載の原田さん解説ではラテン風味ということがくりかえされていますが、ぼくはほとんど感じません。5曲目の「Nurlela」(イラーマ・ジャズのあれのカヴァー)だけじゃないでしょうか、インドネシア・ラテンは。全体的にはもっとド直球のストレートなアメリカン・ミュージックじゃないかと思います。

 

クインシー・ジョーンズとかがやった、あのへんの音楽を強烈に、というかもろストレートに意識させる、というかそのまんまなトリオ・レスタリの『ワンギ』。エル・スールで買った CD は全12曲ですが、いちばん上で書きましたように、原田さんの解説文によっても、オリジナル・アルバムは九曲で、それにシングル盤音源三つを加えたものが2014年にリリースされたということみたいですね。

 

それらシングル・ナンバーは、アルバム『ワンギ』のリリースよりも前の発売だったのか後なのかわかりませんが、アルバムに加えてなんの違和感もなく、スムースに違和感なくすっとつながります。言われなかったらこういうアルバムなんだと思う一体感がありますから、トリオ・レスタリとはこんなアメリカン・ヴォーカル・ミュージックの三人組なんだと思うんですね。

 

シングル盤音源三つは Spotify では聴けませんのですこし書いておくと、「Sabda Rindu」「How Could We Not Love」「Menghujam Jantungku」の三曲。「Sabda Rindu」はかなりジャズ・フュージョンっぽいですね。アメリカのフュージョン・バンドもよくヴォーカリストを迎えてやっていたでしょう、それと同系の音楽です。さわやかなシティ・サウンドですよね。アクースティック・ピアノを中心とするサウンド・メイクも、まるでスタッフみたい。ギター・ソロがエリック・ゲイルっぽいし、ソロのあとのヴォーカル・パートでパッと転調するのだって、いかにもですね。
https://www.youtube.com/watch?v=H76SpHWx8Tg

 

「How Could We Not Love」(Superstar)はもっと黒っぽくて、1980年代的ブラック・コンテンポラリーのサウンドとヴォーカル・スタイルです。これ、だれが歌っているんだろうなあ。知りたいです。サンディかなあ。歌詞も英語だし、まるでアメリカの黒人ソウル〜R&B シンガーそのまんまですよねえ。また、アレンジを、というかサウンド・メイクを、だれがやっているのかもすごく知りたいですよねえ。オルガン(ふうの音を出すシンセサイザーだと思う)を基本に据えたファンキーかつブルージーな音が気持ちいいです。YouTube でさがしましたがありません。が、こんな曲です。
https://www.youtube.com/watch?v=Ood7tJ0Jn1A

 

アルバム『ワンギ』本編の収録曲もまったく同傾向で、アメリカの黒人ソウル系ジャズ歌手、そうですね、ナンシー・ウィルスンあたりを男性にして三人揃えてコーラスでやって、その伴奏をスタッフあたりがやれば、まさしくトリオ・レスタリのこの音楽とぴったり同じになるという、そういったものですね。ぼくもそういった音楽が大好きなんで、トリオ・レスタリも完璧に好物になりました。聴いていて、楽しいですもんね。

2019/08/15

いつでも音楽がある

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https://open.spotify.com/album/07tbMxw9qeVsNIq0l7xBBX?si=6eTi7CgoQVCA0IxrwMEmaQ

 

この話は何度目になるでしょうか。また書いておきたい気分になりました。とにかくぼくはなにをしているときでも必ず音楽を聴いています。聴いていないのは就寝中だけ。それ以外は本当に文字どおりずっと音楽かけっぱなしなんですね。トイレやお風呂で聴くのはもちろん、セックスするときも電話がかかってきても訪問者があっても、音楽はとめません。だって、ぼくには音楽が必要なんですから、まるで空気や水みたいに。だから音楽が聴こえていなかったら死んでしまうと思います。

 

つらいことがあっても、それを知る瞬間にだって音楽が流れていますので、ショックがちょっとやわらぎます。うれしく楽しいことでもあれば、そのとき聴いている音楽が幸せを二倍、三倍にしてくれます。そうやってぼくは音楽とともに生き、音楽になぐさめられ、ともに喜びながら、いっしょに人生を歩んでいるんです。音楽こそぼくの人生パートナーです。

 

このブログをはじめて以後は、書くために聴くということも増えました。しばらくのあいだはテキスト・ファイルの貯金がたっぷりありましたので、特別これを書くためにあれを聴こうなんてことがありませんでした。ごく自然に聴きたいものを聴き、自然に頭に浮かんだことを書き記していただけです。それが、そうですね、一年半ほどは続きましたでしょうか。

 

そのあいだに、音楽と文章とぼくとの関係がすっかり深くなりました。音楽を聴いてなにか書くということが、イコール、生きるという意味になったのです。そのまま2019年夏現在まで来ていますので、音楽を聴かないとか、聴かないで今後の人生を歩むなんてことは到底考えられません。なにがあっても音楽だけは手放しません。人間関係はもうなにもかも一切合切うまくいかず、ダメになることばかりの人生でしたから、せめて音楽とだけはずっといっしょにいたいです。

 

最近は旅に出ることも増えているんですが(主に岩佐美咲ちゃん関係で)、自宅にいるときはほぼずっとスピーカーで鳴らしていますね。ヘッドフォンやイヤフォンは、ウォーキングと、たまに電車に乗るときだけでしょうか。どこにいても五分と途切れず、ず〜っと聴いて、というかかけっぱなしにしているんですね。部屋のなかでなにをしているときでも、五分以上、いや、三分程度かな、音楽がとまったままだと、にわかに不安がつのり、心の安定がそこなわれます。なんかイライラして、いやドキドキかな、緊張しはじめ焦りのようなものが生まれ、そのときやっていることがうまくできなくなります。これは間違いなく実感していることなんですね。

 

だからなにをやるにも常に音楽に囲まれていることがぼくには必要です。ふだんのものごとを正常に進めるためにも音楽は聴いていなくちゃなりません。なにもしておらず、ただ楽しみのためにだけ音楽に耳を傾けている時間は、それこそ至福ですしね。よく知っているお気に入りの音楽ならリラックスできるし、未知の新開拓分野であればワクワクするスリルがあって、やはり楽しいですもん。

 

岩佐美咲ちゃんの生歌を聴くために旅に出ているときも、道中で、(開演前後の)現場で、ホテルで、カフェで、レストランで、つまりず〜っと音楽を聴いています。そのために持ち歩くポータブル・デジタル機器(MacBook、iPad、iPhone)のストレージに音楽をたくさん入れているのはもちろんですけど、入れてないものでも Spotify で無数に聴けるというのはありがたいですね。Spotify がなかったら、音楽を道連れとするぼくの旅、人生は成り立たないですもん。ところで、旅に出て交通機関のなかで聴く音楽って、また格別にいいですよねえ。窓の外をぼ〜っと眺めながら聴く音楽って、どうしてふだんと違って聴こえるのでしょう。特に電車と船。

 

そんなわけで、一年365日24時間ずっと絶え間なく音楽を耳に入れているぼく。部屋にテレビ受像機はありませんし、ホテルの部屋でもその電源は入れないので、音の出るものといえばソースは音楽だけです。音楽だけがわが友、音楽だけがわが仲間、わが伴侶です。いままでも、いまも、これからも、ずっとそうやってぼくは生きてきたし、生きているし、生きていくでしょう。ぼくにはいつも、どんなときでも、音楽があるんです。

2019/08/14

「遣らずの雨」は全岩佐美咲史上 No.1!

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いやあ、なんなんですかこのわさみん(岩佐美咲ちゃん)の「遣らずの雨」は。超絶品じゃないですか。すばらしいすばらしいと前から言っているわさみんですけど、ここまで美しい歌はいままで聴いたことがないですよ。たぶん、岩佐美咲史上最高の一曲になったと思います。いやあすごいすごい。もうすごいとしかことばが出てこないっていう語彙の貧弱さですけど、そうなってしまうくらいわさみんの「遣らずの雨」は見事です。

 

わさみんの「遣らずの雨」は、このあいだ8月6日に発売になったばかり。「恋の終わり三軒茶屋」特別盤のカップリング・ナンバーで、初演は川中美幸さん。そのほか「飛んでイスタンブール」(庄野真代さん)、「冬のリヴィエラ」(森進一さん)といったカヴァー曲も収録されています。それらもいいんですけど、今回は「遣らずの雨」がすばらしすぎて、これ一曲ばかり延々と反復再生してしまうんですね。

 

「遣らずの雨」わさみんヴァージョンのアレンジは、基本、川中美幸さんの初演のそれに沿っています。わさみんヴァージョンのアレンジャーがだれなのか明記されていませんが、おそらくは野中”まさ”雄一さんじゃないでしょうか。わさみんヴァージョンでの最大の特徴は、川中ヴァージョンでのギターをカーヌーン(の音を出すシンセサイザーだと思う)に置き換えたこと、それからこのリズムです。

 

川中美幸さんの「遣らずの雨」はみなさんご存知だと思います。あのナイロン弦ギターでのイントロやオブリガートを、頭のなかでカーヌーンのサウンドにしてみてください。頭のなかでというかぼくたちわさ民はみんなそれを実際に耳で聴いていますけれど、なんともいえずしっとり切なくて、最高の音色じゃないですか。アラブ〜トルコ〜ギリシア歌謡ではごくふつうに使われる楽器なんですけど、あのへんの歌謡の特色である悲哀感を最もよく表現している楽器ですよね。

 

だから川中ヴァージョンでのギターを(代用シンセサイザーであるとはいえ)カーヌーンに置き換えてみようと考えた野中さんは、やっぱり天才。わさみん楽曲をアレンジするときの野中さんの冴えはマジ天才になるときがあるとぼくは前から言ってますけど、今回も本領発揮とあいなりました。このカーヌーン(ふうシンセだけど)の音での伴奏を聴いたり、それがわさみんのヴォーカルにからんだりしているのを聴いているだけで、この「遣らずの雨」という歌の切なさ、哀しみがグッと胸に迫ってきます。

 

この点でさらに大きなポイントがリズム・アレンジですね。川中ヴァージョンでは特にこれといった特徴がリズムにはなかったんですけど、わさみんヴァージョンではこのスーッと流れ進むような、でありながら同時にハネをともなってややシンコペイトするようなこのリズム・スタイルが、切々とした情緒表現にこれ以上なくピッタリ来ているなと思うんですね。ドラミングにおいてイントロ部ではリム・ショットで、歌が出たらスネアの打面に移行して、それがうまく表現できています。

 

(リズムのハネは今回の特別盤二枚の隠れテーマで、「恋の終わり三軒茶屋」「飛んでイスタンブール」「冬のリヴィエラ」「遣らずの雨」の四曲に共通するものです)

 

そんなリズムとそれに乗って歌うわさみんの声が、この曲「遣らずの雨」の哀切感をこれ以上なく強調していますよね。ヴォイス・トーンも安定しているし、丸みと艶があって、しかもことさらどこかを強調するというのではなく、あえて淡々と(一見)平板にというかフラット&スムースに、表情の濃淡をつけないで素直に歌うのが、いつもながらわさみんの特長なんですけど、今回の「遣らずの雨」では、最大限に有効さを発揮できています。

 

もともと「遣らずの雨」というのはこんな曲なので、つまり聴いていて泣きそうになる歌詞とメロディを持つ歌なんで、歌手がそんな(泣くような)濃い表情をつけてしまうと、聴き手のほうはかえって逆に冷めてしまうんですよね。萎えちゃって泣けません。表現者は歌の世界をすっと伝え、聴き手はそのまますんなりと感情移入できて、この物悲しい内容がそのまま胸に沁みてくるようになるというようなことを、わさみんは今回最高度の次元で実現できているのではないでしょうか。

 

いやあ、こんな「遣らずの雨」みたいな世界を、ここまですばらしく表現できるなんて、わさみんこと岩佐美咲ちゃんの成長と充実ぶりはものすごいじゃないですか。「遣らずの雨」は、もともと今年一月末のソロ・コンサートで歌われてたいへんに評判がよかったものですが(だからスタジオで再録して収録したんだと思います)、こんなに淡々とこんな大人の情緒を、ナイーヴさすら漂わせながら、表出できるなんて。もう降参です。岩佐美咲、すごい歌手です。もともとすごかったけど、最近とんでもない歌手になってしまいました!

 

いままでわさみんは「20歳のめぐり逢い」「糸」「風の盆恋歌」といったような超絶品を世に送り出してきましたが、今回の「遣らずの雨」はそれらをも凌駕しています。疑いなく違いなく、わさみん史上 No.1歌唱になっていると思います。いやあ、すごい、すごすぎるぞ、わさみん!

 

(written 2019.8.12)

2019/08/13

来夏のわさみんイベントはどうなる?

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夏っぽい写真を選んでみました。

 

2019年8月6日から9日まで、わさみん(岩佐美咲ちゃん)の「恋の終わり三軒茶屋」特別盤発売記念キャンペーンに参加してきました。いずれも首都圏というか関東エリアで開催されたものです。いやあ、それにしてもとんでもない暑さでしたね。特に笠間とか深谷での猛烈な暑さはハンパじゃなかったです。ぼくは浴衣一枚で行ったんですけど、同じく浴衣姿のわさみんいわく「女のほうがたいへんよ」と。そりゃそうですよねえ。

 

そんな暑いさなかにどうして関東まで行くのかというと、毎夏はわさみんのその年の新曲の特別盤 CD が発売されるのが通例なんですよね。今年はそれが8月6日だったんです。新しい CD が発売されればその記念というか販促キャンペーンをどんどんやるのはふつうのことです。ちょうど夏休みの時期になりますので、全国のわさ民(わさみんファン)のみなさんも参加しやすいと思うんですけど、毎夏恒例なのに、来2020年はちょっと心配です。

 

ちょっとどころか大いに心配、わさみんイベントが開催されるかどうかすら危ういと思うんですけど、それは来夏には東京オリンピック&パラリンピックが開催されるからですね。五輪のために東京というか首都圏は、いや、日本全体もかな、それ一色に染まってしまうのは間違いありません。こういったスポーツの祭典が開催されることは、諸議論ありますが、まあいいんじゃないでしょうか(しょうがないんじゃないかと思います)。

 

問題は、2020夏の東京五輪のために、それ以外のいっさいの娯楽が首都圏エリアで開催できにくくなってしまうだろうということです。それでもそちらにお住いのみなさんにとってはそうでもないのかもしれないですけど、ぼくのように遠隔地在住で、東京のホテルに滞在してエンタメを楽しみたいという人間にとって、来夏のホテル宿泊価格は、もはやすでに可能な値段ではなくなっているんですね。

 

ぼくのばあい定宿にしているホテルが新宿にあって、そこは閑散期のウィークデイのシングル・ルームで一泊だいたい一万円程度です。都内のビジネス・ホテルだとそれくらいのところが多いんじゃないでしょうか。ところが、いまから予約できる2020年夏の同じホテルの同じ部屋は、なんと一泊五、六万円にもなっているんですね。カプセル・ホテルみたいなところですら、来夏は一泊一万五千円程度にまで、すでにはねあがっていますよ。ラヴ・ホテルだって似たようなものかと思います。

 

どないするんですかこれ?予約できないじゃないですか。たぶんオリンピック&パラリンピック期間中の来夏は、首都圏でのホテル宿泊は絶対に不可能と思います。地方人が東京や周辺エリアに滞在できないだけではありません。五輪期間中はキャンプ地になるので、地方都市でも同様の事態が発生しているかもしれませんから。これはあれですよ、五輪期間中の来夏は一切の移動が禁止されるというに近いものがありますね。公共交通機関だって激混みで事実上機能停止するかも。

 

移動・宿泊が不可能なばかりではありません。五輪期間中はいろんな人的・物的パワーもリソースもサポートも、もろもろいっさい、それに向けて割かれるようですから、だからスポーツ競技やそれにかかわるひとたち以外は、ふだんの仕事すら満足にできないかもしれないです。特にわさみんみたいにどんどん現場でイベントをやったりする歌手みたいな職業だと、あまり活動できないかもしれないですね。

 

う〜ん、こりゃあちょっと…、困りました。事態を見越して、山下達郎はじめ来年のジャパン・ツアーとりやめを発表している音楽家もいます。実際、満足に活動できないでしょうからそれも当然です。達郎ほどの大物でもそうなんですから、わさみんなんてじゅうぶんな活動ができないのは目に見えていると思います。来年夏のわさみんイベントを首都圏で開催するのはむずかしいかも。開催したとて、行ける人間がいませんから。すくなくとも、書いたように地方民はひとりも行けません。

 

そこで提案なんですけど、新しい CD が発売されるとその記念キャンペーン・イベントを主に東京エリアでどんどんやるというのがいままでのわさみんサイドの通例なんですが、例年どおりだとやはり新作が発売されるであろう来年夏は、思い切って一ヶ月ほどのあいだ、わさみんもスタッフさんはじめ周囲のみなさんも、地方都市に疎開して活動してみたらどうでしょうか〜。

 

五輪期間中は地方都市もベース・キャンプ地になって…と書きましたが、コミコミ具合は首都圏ほどじゃないはず。不足なく活動しようと思ったらそれしか手はないと思うんですけどね。五輪のためになにもかも犠牲になってしまう東京や首都圏を脱出して、まだちょっとは余裕のある地方都市で一時的に暮らせば、そして新作発売記念キャンペーン・イベントも地方都市ばかりどんどんまわるようにすれば、人と物の不足もさほどではないと思うんですけどね。地方わさ民のみなさんやぼくからすれば喜びしかありませんし。なんだったら四国は愛媛県に疎開してきてもええのですよ〜。面倒見まっせ〜〜。

 

(written 2019.8.11)

2019/08/12

フレディ・ハバード『ストレート・ライフ』

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(ずっと使ってきたデザイン・テーマが終了するので、これにしました)

 

https://open.spotify.com/album/1r66S2fnO8T8QWaVGWp2jo?si=jZtP_LKkQHacWnsY3zX8KA

 

ねえ、この Spotify にあるフレディ・ハバードのアルバム『ストレート・ライフ』(1970年録音71年発表)は1曲目のタイトル・ナンバーがグレイ・アウトしていて聴けないですが、どうしてぇ〜?こんなの意味ないじゃ〜ん。そのほかいくつかあたってみると、どう〜も CTI レーベルの作品はネット聴きに問題があるみたいで、なんとも時代錯誤はなはだしく、残念なかぎり。というわけで、フレディ・ハバードの曲「ストレート・ライフ」は、これでお聴きください↓
https://www.youtube.com/watch?v=a4xwNHUyz1Q

 

あっ、というかそもそもアルバム丸ごとぜんぶ YouTube にあるやないですか。これでええやないですか。
https://www.youtube.com/watch?v=gUiL-xG_Aos

 

それはともかく。フレディ・ハバードの『ストレート・ライフ』は、このジャズ・トランペッターがフュージョン路線をとって CTI に残したアルバムのなかでぼくのいちばんのお気に入りなんですよね。この音楽の、特に1曲目のタイトル・ナンバーの、鍵を握っているのは、フレディ本人というよりエレクトリック・ピアノ(フェンダー・ローズじゃないかも)を弾くハービー・ハンコックですね。ハービーがこの曲の影の主役なんです。

 

いきなり無伴奏でフレディがプレリュードを吹きはじめますけど、リズムが入ってテーマ吹奏となったら、すでに主役はホーン二管じゃなく、ハービーとドラムスのジャック・ディジョネットだってわかりますよね。この二名がガチャガチャと演奏するファンキー・ビートこそ、曲「ストレート・ライフ」のキーなんですね。

 

だから、まずテナー・サックスのジョー・ヘンダスン、次いでフレディとソロをとりますけれど、輝かしい音色でソロ内容も抜群であるとはいえ、ぼくはいつも背後のリズムを聴いているんですね。三番手でそのハービーのソロ、次にギターのジョージ・ベンスンのソロと続きますが、なかでもギター・ソロ部背後でのハービーの動きは特筆すべきものです。ハービーのエレピこそがリズムをつくっていると思うからなんですね。

 

そしてギター・ソロ部後半からハービーは一定の同じリフ・パターンを弾きはじめ、そのままずっと、ラスト・テーマ吹奏に入るまでずっと、その同じフレーズを弾き続けています。ギター・ソロが終わってから二管テーマまで、しばらくだれのソロでもない時間が流れていますが、そこはハービーのそのエレピ・パターンを、というかリズムを、聴く時間だと思うんです。実際、ファンキーで気持ちいいですし。

 

2曲目(から旧 B 面)もファンク・ジャズ路線ですが、ここからの主役はハービーじゃなくジョージ・ベンスンですね。「ミスター・クリーン」では「ストレート・ライフ」よりもタイトで、グッと重心を落とした、ややヘヴィなソウル/ファンク寄りのリズムとサウンドになっているのが注目点でしょう。ここでもぼくはソロ内容もさることながら(ギター・ソロは相当いいけど)、やはりリズムを聴いているんです。

 

意外な良品がラストの「ヒアズ・ザット・レイニー・デイ」。ベースのロン・カーターの音も聴こえるものの、伴奏者はジョージ・ベンスンひとりといっていいデュオ内容で淡々とフレディが綴っているジャズ・ナンバーです。なんといっても感心するのはジョージのギター・サウンドですね。箱物エレキじゃないと絶対に出しえない、この丸く暖かみのあるふんわりした和音の響き。なんてやわらかいんでしょう。たまりませんねえ。それにこんなふうに歌伴できるなんて、いや、フレディは実質歌っているようなもんだと思いますから、ジョージって本当にうまいギターリストなんだなあって、舌を巻きますね。

 

蛇足ですけれど、「ヒアズ・ザット・レイニー・デイ」というのは天候のことを言っているんじゃありませんよ。失恋の歌なんです。rainy day とはそういう意味ですから。歌入りヴァージョンでこのポップ・ソングの歌詞内容を確認してくださいね。
https://www.youtube.com/watch?v=vCB9A6Eji8o

2019/08/11

サッチモの古い録音を聴いてほしい

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https://open.spotify.com/playlist/38Dtc4gJ9auQJwUA7driUi?si=K7D1y3hXQ0-f_Q8sOABGMA

 

本当にサッチモことルイ・アームストロングの全盛期1920年代後半〜30年代前半のオーケー時代のことは、その偉大さと楽しさと重要性をどれだけ強調してもしたりないほどなんですけど、それに反比例するようにどんどん忘れられつつありますよね。いまやだれもふりかえらないようになっています。ジャズ史上最も輝いていて、最も重要だった録音集なのに、そんなことでいいんでしょうか。

 

1925〜33年のオーケー(コロンビア系)・レーベル時代こそサッチモの全盛期で、このへんの音源はだいぶ前にレガシーが全集 CD ボックスを発売しました。10枚組。これこそ、至高の録音集なんですね。ジャズ・ファンや大衆音楽に興味のあるかたがたには必携のボックスと言えましょう。いまや中古しかないようですが、入手は可能みたいです。
https://www.amazon.co.jp//dp/B008S80PPG/

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しかし、10枚組という規模ですし、サッチモのことをあまり知らないひとにいきなりこれを買ってほしいとはなかなか言えない面があります。本来であれば、音源の発売権利を持つレガシーが、もうちょっと年代別に小分けにして、ベスト盤のようなものを発売すべきだとぼくは考えていますし、人類史でも類い稀なこの偉大な音楽遺産を管理しているレガシーには(啓蒙、教育という意味もふくめ)その責務があるんじゃないでしょうか。

 

ぼくとしてはいちファンにすぎないわけですから、その立場からできるかぎりのことを今後もくりかえしやっていきたいと思います。まずやるべきことは、書いたように年代別ベスト盤みたいにした音源集がだれでも簡単に聴けるような状態にしておくことです。それを Spotify のプレイリストとして作成しておきました。1925〜27年、28年、29〜33年という三種類です。28年分はセレクションではなく全集です。

 

・(1925〜27)https://open.spotify.com/playlist/1tjvR2nS8x09B5AfiYNPlg?si=eNuJdkg1TcGMVV9L8UbF0Q


・(1928)https://open.spotify.com/playlist/70iGg4fNSeTCrnpStbqm7X?si=yxj26FgDSHG9pBDdBcydow


・(1929〜33)https://open.spotify.com/playlist/0UUw0rmMZaLs6W2bNXio0k?si=Einf26tFQfaUojH6Bf-o8g

 

これらのセレクションの曲選出基準は、以前自分で書いた以下の三記事に書いてあるとおりです。これらの過去記事はそれぞれ解説文でもありますので、1920年代のサッチモと言われても五里霧中だなぁ〜というかたは、参考にしてみてください。

 

・「サッチモ 1925〜27」http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2017/06/192527-bfc3.html


・「サッチモ 1928」http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2017/06/1928-f5ad.html


・「サッチモ 1929 - 33」http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2017/06/1929---33-d736.html

 

これらの文章にぼくの言いたいことはだいたい書いてありますので、今日は同じことをくりかえしません。このころのサッチモの音楽はエンターテイメントとして最高度に洗練され、ステージ芸人のようでありながら同時に究極のアーティストでもあるという、おそろしい高みにありました。

 

音楽とはリスナーを楽しませることこそ最大の目的であって、音楽家はそれに全力で邁進すべきであるという理想を、サッチモはデビュー期から貫いていました。1925年といえば、サッチモがフレッチャー・ヘンダスン楽団での修行時代を終え、自己のバンドを率いるようになった時期です。そこから数年間のサッチモの飛翔は、まさに敵なしの最上空を行っていたのであります。2019年現在のジャズ史全体でも、いまだにだれも敵わない頂点にあったのです。

 

トランペット(コルネット)演奏もヴォーカルも、まったく同じ次元でくりひろげていたサッチモのエンタメ=アート。聴いていれば、気分がウキウキし、楽しくて、なにかいやなこと、つらいことがあっても、それを忘れさせてくれる最高のリラックス剤となり、またうれしい気分ならそれを二倍、三倍にしてくれるよき友でもあるんですね。

 

「芸能ってのはお客さんに喜んでもらえなきゃしょうがない。でも、たどり着く頂点はアートと同じですよ」というのは相倉久人さんのことば(『相倉久人にきく昭和歌謡史』アルテスパブリッシング、2016)。これこそサッチモの真の偉大さを的確に言い表したものじゃないでしょうか。相倉さんはサッチモのことを語ったのではありませんが、サッチモにこそ、あるいは全大衆音楽の理想について、的を射た表現だと思います。

 

エンターテイメントを追求し、どこまでも徹底的に追求した結果、サッチモは本物のアートだけが持つピュアさ、高みにたどりついていました。そんな、真に偉大な音楽家がいちばん輝いていたピーク時期の録音集こそ、1925〜33年のオーケー・レーベルのものなんです。録音が古いからといって遠ざけていては、人生の大損ですよ。

 

ぜひ、ちょっとでも耳を傾けていただけたらうれしいなと思っています。

2019/08/10

ライ・クーダーの、これはテックス・メックス・ライヴかな

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https://open.spotify.com/album/7fygV5lqrItwH3YU0T50nK?si=nR1DgrfbSXKGzMGSdKsSgg

 

2013年にノンサッチから CD がリリースされたときに買ったライ・クーダー&コーリドス・ファモーソスの2011年ライヴ。Spotify にあるのだと『ライヴ・イン・サン・フランシスコ』となっていますけど、現物には Live としか書いてないですね。でもたしかにサン・フランシスコのザ・グレイト・アメリカン・ミュージック・ホールでの2011年8月31日と9月1日の実況録音。

 

ライのこの2011年サン・フランシスコ・ライヴは、テックス・メックス作品と呼んでいいんじゃないかと思います。最初、幕開け数曲はルーツ・ロック色が濃いですけど、5曲目、ウディ・ガスリーの「ド・レ・ミ」あたりから完璧なるラテン、というかメキシカン・ミュージック・ワールドが展開され、その中心にフラーコ・ヒメネスのアコーディオン・サウンドがあるんですね。

 

だいたいこのアルバム・ジャケットが完全にメキシカンじゃないですか。バンド名が Corridos Famosos で、バックのブラス・バンド名も La Banda Juvenil なんだから、プロデュースもやっているライ自身、テックス・メックス/ラテン音楽のライヴ・アルバムを企画したというのは間違いないと思いますよ。

 

テックス・メックス路線をとる5曲目「ド・レ・ミ」以前にも伏線は引かれています。最大のものは、たぶん3曲目「ブーマーズ・ストーリー」ですね。そう、ライ最大の代表曲のひとつである過去曲ですよね。流れ者、ホーボーの物語をテーマにしたこの曲を前半部に置いているのは、テックス・メックス・バンド、コーリドス・ファモーソス(有名な無法者たち?)の登場を告げるものになっているんですね。

 

それにしても、フラーコがこんなふうにアコーディオンを弾く「ド・レ・ミ」を聴いていると、ウディ・ガスリーのオリジナルがどんなのだったか思い出せないほど。この曲以後フラーコはアルバムの最後までほぼすべての曲で大きくフィーチャーされていて、このコーリドス・ファモーソスの中心となって活躍し、アルバムの音楽を大きく特徴付けています。CD パッケージ内側に集合写真が載っていますけど、真ん中がフラーコで、向かってその右となりにライが座っているのも、このバンドと音楽をよく物語るっているでしょうね。

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6曲目の「スクール・イズ・アウト」が終わると、ライの紹介で次の曲ではテリー・エヴァンズとアーノルド・マッカラーの二名の歌をフィーチャーするとなっていて、次いでテリーがその曲紹介をやって、かのチップ・モーマン&ダン・ペンの「ダーク・エンド・オヴ・ザ・ストリート」がはじまります。ここでもフラーコのアコーディオンが目立っていて、まるでメキシカン・サザン・ソウル。あ、アメリカ合衆国南部はメキシコと隣り合わせなんでした。『ブーマーズ・ストーリー』にあるライによるこの曲の初カヴァー(1972)は歌なしのギター・インストルメンタルでしたが、ここでは艶のあるヴォーカル入りで、大きく様変わりしています。

 

続く8曲目がこのライヴ・アルバムの目玉でしょうね。ライいわく新曲だそうで、その名も「エル・コーリド・デ・ジェシー・ジェイムズ」(ならず者ジェシー・ジェイムズ)。銀行強盗などをはたらいた実在のアウトロー、ジェシー・ジェイムズに題材をとった曲ですね。このライヴのときのバンド名をコーリドス・ファモーソスとしているのと関連しますし、3曲目の「ブーマーズ・ストーリー」からの流れはここへ来ています。

 

曲「エル・コーリド・デ・ジェシー・ジェイムズ」ではふたたびライがリード・ヴォーカルをとっていますが、バンドのビートはいかにもな典型的メキシカン・ビートの三拍子。曲想、曲調、和声、サウンドなどとともに、どこをどうとってもメキシカン・ナンバーです。フラーコのアコーディオンは当然のように大活躍。後半、ラ・バンダ・フーベニールが派手に乱入し、ブラス・バンドのビッグ・サウンドで曲を飾るさまは壮観ですね。

 

一曲はさんで10曲目の「ボルベール、ボルベール」は全編スペイン語で歌われますが(そういうのはアルバム中これだけ)、そのヴォーカルを女性歌手ジュリエット・コマジェールがとっています(このライのアルバムでベースを弾いているのがジュリエットの弟ロバート・フランシス)。ロス・アンジェルスに拠点を置くシンガー・ソングライターですね。曲はビンセンテ・フェルナンデスや、それからなんといってもわれらがロス・ロボスも歌った、メキシカン・ランチェーラです。6/8拍子のリズムで、当然のようにフラーコのアコーディオンもラ・バンダ・フーベニールも大活躍。いやあ、楽しい。

 

その後のラスト二曲はアンコール的な位置付けかなと思いますが、最後の「グッドナイト・アイリーン」は、ライの超絶大名盤『チキン・スキン・ミュージック』の末尾を飾っていた有名曲ですよね。やはりフラーコがアコーディオンを弾いていました。ライとフラーコの音楽親交はあれ以来ずっと続いているわけです。あのアルバムもテックス・メックス音楽を大きくとりいれた作品でした。

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