2021/09/23

禁酒法時代とコロナ時代を二重映しにして 〜 シエラ・フェレル

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(4 min read)

 

Sierra Ferrell / Long Time Coming

https://open.spotify.com/album/5ZI0k3IynnC5C9QKMmY7cB?si=0INHFsJ8R2SsuVkg07SBYA&dl_branch=1

 

萩原健太さんのブログで知りました。
https://kenta45rpm.com/2021/08/30/long-time-coming-sierra-ferrell/

 

ウェスト・ヴァージニア生まれ、アメリカ国内をひろく放浪しているらしい(いまはナッシュヴィルに定着しているんだっけ?)シンガー・ソングライター、シエラ・フェレルのデビュー・アルバム『ロング・タイム・カミング』(2021)がなかなかいいです。

 

このアルバム発売にこぎつけるまでの経緯みたいなことは上の健太さんのブログ記事にくわしいので、ぜひご一読ください。公式サイトもあります。カンタンに言うと、インディー活動していたところをアメリカーナ系YouTubeチャンネルで紹介されてバズったということみたいです。

 

ということで、アルバムの音楽性としてもやっぱりアメリカーナというかカントリーやブルーグラスなどを基調とするルーツ系。

 

ですけれど、そう一筋縄ではいかないところがシエラの持ち味。タンゴその他ラテン・アメリカ音楽のリズムがあったり、ジプシー・スウィングっぽさが聴けたり、バルカンっぽい東欧、あるいは中東音楽っぽさもまぶされているのがぼく好み。

 

なんでもシエラは、ブルーグラスも、カントリーも、ブルーズも、ジャズも、ジプシー・スウィングも、タンゴも、さらにはテクノも、ゴス・メタルも、なんでもかんでも大好きという嗜好の持ち主だそうで、そんなところがアルバムにもそこはかとなく反映されています。

 

無国籍で豊かなルーツ系の素養を持つごた混ぜシエラの音楽性は、1曲目「ザ・シー」から鮮明。カントリーがルーツになっているだろうという曲想ですけれど、ジャジーでもあって、ジャンゴ・ラインハルトら1930年代のフランス・ホット・クラブ五重奏団的な雰囲気も濃厚にあります。

 

どこのどんな音楽要素がどれだけの割合で混合しているみたいなことを察知させないのがシエラらしいところですかね。1曲目「ザ・シー」だって、上に書いたものだけでなく、ちょっぴり東欧的、一滴のラテン・ミュージックっぽさだって感じますもん。

 

2曲目以後、全体的にはやはりカントリー・ベースのアメリカーナ系の音楽が展開されているなとは思いますが、数曲ある三拍子ナンバー(どうもお得意みたい)はヨーロッパ大陸ふうでもあるし、かつての古き良き時代のアメリカン・ポップスを想起させたりもします。ジミー・ロジャーズを想わせる典型的なカントリー・ナンバーだっていくつもありますけどね。

 

7曲目「ファー・アウェイ・アクロス・ザ・シー」は、ブラス楽器をフィーチャーしつつバルカン音楽っぽさを存分にふりまいていて、ちょっとあれです、デビューしたころのベイルート(ザック・コンドン)の『グラーグ・オーケスター』みたいですよ。

 

8曲目「ワイド・ヤ・ドゥ・イット」はちょっとタンゴっぽいけどそうでもないような意味不明ラテン・ミュージックのリズムに、色香ただようヴァイオリンとアコーディオンがからんでいるっていう。

 

シエラの音楽はレトロな眼差しと同時にコンテンポラリーな肌触りもきっちりあるのがおもしろいところですね。禁酒法時代と新型コロナ・ウイルス禍の時代とがぐにゃっとワープしながら二重映しになったような、そんな音楽で、若いころ旅芸人一座に出会い刺激されて自分も放浪の音楽生活を送っていただけあるっていう雰囲気がサウンドにも反映されているのが唯一無二です。

 

(written 2021.9.17)

2021/09/22

2021年に甦ったヒル・カントリー・ブルーズ 〜 ブラック・キーズ

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(5 min read)

 

The Black Keys / Delta Kream

https://open.spotify.com/album/682pJqnx8hcrCfSjvyNBki?si=SY904XTaTOCbnkGWDtKyUg&dl_branch=1

 

ハード・ロック、ブルーズ・ロックで思い出しました、今年五月のリリース以来お気に入りになっていたのにもかかわらず、なぜだかいままで書かずにいたブラック・キーズの新作『デルタ・クリーム』(2021)。実はほんとうに大好きなので、この際ちょこっとメモしておきましょう。

 

『デルタ・クリーム』は、2002年のデビュー当時からブラック・キーズが影響を隠してこなかった北ミシシッピのヒル・カントリー・ブルーズへの全面的なオマージュ・アルバム。全11曲、すべてヒル・カントリー・ブルーズ・スタンダードのカヴァーで、オリジナルは一曲もなし。ジュニア・キンブロウとかR. L. バーンサイドのレパートリーだったものが中心です。

 

いままでもヒル・カントリー・ブルーズ愛を表明してきたとはいえ、ここまで全面的なトリビュートをブラック・キーズがやったのははじめて。それがぼくにはたいそう気持ちよくて、しかもゲスト・ミュージシャンを迎えスタジオでのライヴ・セッション一発録りだったこともわかる音響で、そんなナマナマしさだって大好き。リハーサルなし、たった二日間で録音完了したそう。

 

ゲスト・ミュージシャンというのがこれまた目を(耳を)引くもので、なかでもR. L. バーンサイドのバンドで活躍したギターのケニー・ブラウンと、ジュニア・キンブロウのベーシストだったエリック・ディートンの二名。直系のエッセンスを注入したかったということでしょうか。

 

ケニーとエリック両名は、実際『デルタ・クリーム』で大活躍。特にケニーのギュンギュンっていうスライド・ギターですね、聴けば瞬時にケニーとわかる独自のスタイルを持っていますから。

 

一度聴いたらヤミツキになるケニーのスライド・サウンド、1990年代のバーンサイドの諸作やライヴでたっぷり味わいましたから、『デルタ・クリーム』を聴いているとまるでタイム・スリップしたかのような感覚におそわれ、快感です。

 

バーンサイドやキンブロウらと共演を重ね、バーンサイドからは「白い息子」とまで呼ばれたケニーは、全盛期ヒル・カントリー・ブルーズの中核を担っていた存在。ケニーの全面参加で、ブラック・キーズが一気にディープ・サウスの深奥のブルーズ・グルーヴを獲得しているような感じです。

 

ナマの(rawな)、つまりちょっとロー・ファイでザラついたガレージな音の質感を活かしたできあがりなのは、いかにもブラック・キーズらしいとも言えるし、もともとヒル・カントリー・ブルーズの諸作だってそうでした。コミュニティ内部の、現場の、空気感をそのまま真空パックしたようで、いいですねえ。

 

アルバムは、ジュニア・キンブロウ・ヴァージョンを下敷きにしたジョン・リー・フッカーの「クロウリング・キングスネイク」でどす黒くはじまり、そのどす黒さを保ったまま最後まで進みます。3曲目「プア・ボーイ・ア・ロング・ウェイ・フロム・ホーム」(ケニーが冴えている)でのこのノリとかビート感なんか、迫力あります。

 

ブラック・キーズのダン・オーバックも、ヒル・カントリー・ブルーズならではっていうギターで短くシンプルな同一フレーズを延々と反復することによってヒプノティックな快感グルーヴを産むという例の手法を、どの曲でも活用していて、5曲目「ゴーイング・ダウン・サウス」でもそうですね。

 

バーンサイドが生き返ったのかと思うような6曲目「コール・ブラック・マティ」や10「メロウ・ピーチズ」、ロー・ダウンでヘヴィ&ダーティなグルーヴを聴かせるジュニア・キンブロウの7「ドゥー・ザ・ロンプ」と8「サッド・デイズ、ロンリー・ナイツ」など、ほんとうに全盛期90年代のヒル・カントリー・ブルーズが2021年に甦ったのかと錯覚するような内容。

 

ただひたすら気持ちいいです。

 

(written 2021.9.21)

2021/09/21

ブルーズ・ロックをいろどる管弦アンサンブル 〜 ラーキン・ポー&ヌ・デコ・アンサンブル

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(5 min read)

 

Larkin Poe, Nu Deco Ensemble / Paint The Roses (Live In Concert)

https://open.spotify.com/album/2rIe2vSV47OAhOBLNtCWmu?si=p8oV-hugRI-CZlxe8mSNdw&dl_branch=1

 

こちらもぼくのお気に入り、レベッカ&ミーガンのローヴェル姉妹をツー・トップとする時代遅れのブルーズ・ロック・バンド、ラーキン・ポー。やはり新作ライヴ・アルバムの『ペイント・ザ・ロージズ(ライヴ・イン・コンサート)』(2021)が出ました。昨年もスタジオ録音で二作出しているし、なんだかコロナ禍に入ってかえって活動が活発化しているような。

 

ともあれ、これもルーマーの新作ライヴ・アルバム同様9月17日にリリースされたもので、なんだかこの日はリリース・ラッシュだったというか、ジャズ・ドラマー、ネイト・スミスのニュー・アルバムも出ましたよね。それもおもしろかったし。

 

七曲29分しかありませんが、ラーキン・ポーの新作ライヴは、なんとヌ・デコ・アンサンブルという管弦の室内楽オーケストラとの共演。昨年12月にマイアミで行われたコラボ・コンサートを収録したもので、その映像は全曲YouTubeで観られます。

 

ヌ・デコ・アンサンブルのほうにぼくはなじみがないわけですが、なんでもマイアミを拠点とする2015年発足のオーケストラで、しかもジャンル・クロシングなというか、自身の表現を使うとハイブリッドで「折衷的な」音楽活動を続けているそう。いままでにワイクリフ・ジョン、P. J. モートン、メイシー・グレイ、ジェイコブ・コリア、ベン・フォールズなどなど多数と共演してきているみたい。

 

ヌ・デコ・アンサンブルは2020〜21年のコロナ・シーズンに、感染対策に配慮してソーシャル・ディスタンスをとったストリーミング・コンサートのシリーズを実施していて、やはりジャンル混交的なプログラムだったそうですから、ラーキン・ポーとの初共演は(クラシック・ロック勢とのコラボも多く経験している)ヌ・デコ側からもちかけたんじゃないかと思います。

 

演奏曲目はいずれもラーキン・ポー・サイドのもので、過去作でやっていた曲ばかり。オリジナル・アルバムとしては最新作にあたる昨年初夏の『セルフ・メイド・マン』からのレパートリーが中心です。一曲、「マッド・アズ・ア・ハッター」だけは、自作の新曲じゃないかと思います。

 

ヌ・デコ・アンサンブルのオーケストラ・サウンドはさほど大きくは目立たず控えめで、どこまでもラーキン・ポーのローヴェル姉妹のギターと歌をフィーチャーしているといった内容。こういうのがヌ・デコの共演スタイルなのかもしれませんが、ミキシングでも配慮しているように聴こえます。

 

考えてみれば、ハード・ロックとクラシカルな管弦のオーケストラル・サウンドとの相性は、レッド・ツェッペリンなどを思い出してみてもわかるように、むかしからいいです。ツェッペリンでいえば『フィジカル・グラフィティ』とか、あのへんのビッグ・サウンドを想起させるものが、このラーキン・ポーの新作にはあります。

 

それをメロトロン(古っ)とかシンセサイザーとかじゃなくて、生演奏のアクースティック・オーケストラで実現したというところに、このアルバムの眼目があるのでしょう。ローヴェル姉妹のコアなクラシック・ロック愛がいっそうきわだって聴こえますし、カラフルでふくよかなサウンドになって、聴きごたえありますし楽しいです。

 

曲そのものはですね、以前からラーキン・ポーのアルバムでなじんでいたものがそんなに違っているとか変貌しているというわけではなく、どこまでもそのままライヴ披露したという背後にオーケストラがくわわってふくらませているだけといった感じですかね。

 

ヌ・デコ・アンサンブルにはレッド・ツェッペリンの曲を自分たちだけでオーケストラ再現するプログラムもあるそうで、こういったスコアは得意なのかもしれないですね。クラシック・ロックとシンフォニック・サウンドは似合うし、ハードだけど元来は単色で均一なラーキン・ポーの音楽にゴシックな多彩感を与えていて、おもしろいと思います。

 

(written 2021.9.20)

2021/09/20

ルーマーの新作ライヴ・アルバムがとてもいい

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(5 min read)

 

Rumer / Live from Lafayette

https://open.spotify.com/album/09vVEtZkovVtpaINULggur?si=-vWI7yx9TKqqq7W_RgkI8A&dl_branch=1

 

お気に入り、ルーマーが新作を出しました。『ライヴ・フロム・ラファイエット』(2021)。タイトルどおりキャリア初となるライヴ・アルバムで、ロンドンのヴェニュー、ラファイエットで昨年10月16日に行われたコンサートを収録したもの。

 

コロナ禍でちょうどロンドンが二回目のロックダウンに入っていた最中に行われたストリーミング・コンサートだったので、現場に観客は入れていなかったと思いますし、事実そういうサウンドですね。でも配信で大勢が視聴したんだそう。

 

伴奏は、ルーマー自身の曲中での紹介によれば、ピアノ、ギター、ギター&マンドリン&ドブロ&ヴァイオリン、ベース、ドラムスという編成。このうちバンド・リーダーにしてピアノを弾くのが私生活でもパートナーのロブ・シラクバリです。

 

このライヴが行われた昨2020年というと、スタジオ録音による最新作『ナッシュヴィル・ティアーズ』が八月に出ていますので、そこからの曲が多く歌われています。+ルーマー自身の過去のレパートリーからもとりまぜて、しっとりとつづるルーマーのやさしい歌声が沁みますね。

 

ルーマーの美点はなんといってもアダルトなおだやかさ、そしてナチュラルでイノセントなトーンが声にあること。自分で書いた曲や他作の名曲を、そんなソフト・ヴォイスでどこまでもやわらかく歌うそのトーンに、ぼくは降参しているのです。使いたくないことばですけど “アダルト・オリエンティッド” という表現がいま最も似合う現役歌手、それがルーマーで、だからこそ最高のお気に入りになっているんですよね。

 

そんなところ、このライヴ・アルバムでも本領発揮されていて、観客がいるいないにおそらく関係なく、決して強く激しく盛り上がったり興奮したりしない、この静かでしなやかなヴォーカル表現をつらぬくことができるルーマーの資質は、疑いえない立派なものです。

 

『ナッシュヴィル・ティアーズ』でとりあげていたヒュー・プレストウッドの曲が多いですし、そもそもカントリーとかアメリカーナの文脈で語られることも多い歌手なんですが、個人的にはポップでもあるなと思うのと、若干のソウルフルなフィーリングもたたえていて、それが歌に独自の色彩感をもたらしているのも美点ですね。

 

このライヴ・アルバムでも、前半はヒューの曲を中心にカントリー・バラードっぽいものをオーガニックな伴奏に乗せてしっとりと歌っていて、たとえば5曲目「ブリスルコーン・パイン」なんかでの発音の美しさには息を呑むほど。毎コーラス終わりで「ブリスルコーン・パイン」と歌うときのこの切なさ、絶妙なトーンというか声遣いにはためいきが出ます。

 

アルバム後半に来て、かつての自作レパートリーである7「アリーサ」や、また近作ですけどやはり自曲の9「プレイ・ユア・ギター」などで聴かせる、しっかりしたブラック・ミュージック・フィーリング、色彩感はみごと。リズムへのノリのよさも抜群だし(「プレイ・ユア・ギター」終わりでは思わず声が出ている)、ルーマーの才能をしっかり見せつけていますよね。ギャラン・ホジスンの弾くエレキ・ギター・ソロも輝いています。

 

ヒットするきっかけになったファースト・シングル「スロー」も披露していたり、また2012年の『ボーイズ・ドント・クライ』で歌っていたホール&オーツ作のソウル・ナンバー「サラ・スマイル」も再演。ここではメンバー紹介ソングみたいな感じですが。

 

しっかりした声でありながら、どんなときでもどんな曲でも、決してソフトなおだやかさを失わなず、エモーションを抑制しているルーマー。デビューして11年ほどなのですが、もはや間違いないポジションを歌の世界に確立しつつあるということを、キャリア俯瞰的な選曲で挑んだこのライヴ・アルバムでも証明しました。

 

(written 2021.9.19)

2021/09/19

『ブラック・アメリカ、ディランを歌う』をSpotifyで

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(4 min read)

 

v.a. / How Many Roads - Black America Sings Bob Dylan

https://open.spotify.com/playlist/5eubDGb0UcgMOmN5k7TGVt?si=3d67d89597044225

 

英エイス・レコーズが2010年にリリースしたCDアルバム『ハウ・メニー・ローズ:ブラック・アメリカ・シングズ・ボブ・ディラン』。アメリカ黒人歌手たちが白人ソングライターであるボブ・ディランの曲をカヴァーしたものばかり集めたコンピレイションでした。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-ada1.html

 

エイスはこの手の「ブラック・アメリカが歌う」シリーズをいくつもリリースしていて、二集あるビートルズ・ソングブックなんかも楽しかったですが、どれもこれもCDしかないんですよね、あたりまえですけど。サブスクにあるわけないんで、それでもぼくもCDでぜんぶ買いましたから、Musicアプリ(旧名iTunes)に入っていて、聴こうと思えばいつだって聴けました。

 

それをSpotifyで聴きたいな〜って思うぼくの考えが間違っているかもしれませんけど、この手のエイスのコンピレイション、収録されている一曲一曲はそのための新録じゃなく、既存の音源を使ってあるだけなんですから、さがして拾っていけばSpotifyでプレイリストができあがるはずと思い、やってみたのがいちばん上のリンクです。ボブ・ディラン曲集だけ。

 

ふだんSpotifyばかりで音楽を聴いているから、アプリを切り替えるのがメンドくさいっていうのと(なんというモノグサ)、もう一個重要な理由はサブスクにあればみんなでシェアできるじゃないですか。これはほんとうに大きい。『ハウ・メニー・ローズ:ブラック・アメリカ・シングズ・ボブ・ディラン』をSpotifyを使うみんなで聴けたら、シェアできたら、最高です。

 

というわけで決意して、一曲一曲さがして拾っていってプレイリストをつくったわけですが、問題はCDに収録されているもののうちSpotifyでどうしても見つからないっていうものがわりとあったことです。う〜ん、もちろんさまざまな理由で配信に乗らない、乗せられないものがあるんだということは承知していますけど、残念至極でありました。

 

もとのCDアルバム『ハウ・メニー・ローズ:ブラック・アメリカ・シングズ・ボブ・ディラン』が全20曲なのに対し、ぼくがSpotifyでつくったプレイリストは全14曲。しかもそのなかには、あるにはあるけどグレイ・アウトしていていまは聴けないっていうものだって二曲ありますから、結局トータルで12曲しかないっていう。約半分じゃないか。あぁ。

 

こんな具合ですから、プレイリスト作成中からなんども気持ちが折れそうになりました。こんなに聴けないんじゃ意味ないよなあ、やめちゃおうかって思いそうになんどもなったんですけど、それでもゼロよりはずいぶんマシなはずと気持ちを取りなおして作業を続行。はっきり言ってこの結果にはおおいに不満です。

 

あれがない、これもない、みたいな結果になってしまっているでしょうけど、それでもこういうコンピがあるんだっていうアピールにでもなれば。それでディランの曲の偉大さを実感し、それを黒人歌手たちもどんどんカヴァーしているんだという事実を知ることさえできれば、当初の目的は達成されたものと考えるしかありません。

 

ボブ・ディランの曲が好きなアメリカン・ブラック・ミュージック愛好家のみなさんの日常の楽しみの一助となれば幸いです。

 

(written 2021.5.31)

2021/09/18

リビングルームでくつろいでいるような 〜 ケイト・テイラー

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(3 min read)

 

Kate Taylor / Why Wait!

https://open.spotify.com/album/4ghsj9ArrTMKssU0uIiHmA?si=1_6kuHv1Sq6xQsoSFKz-YA&dl_branch=1

 

萩原健太さんの紹介で知りました。
https://kenta45rpm.com/2021/08/16/why-wait-kate-taylor/

 

ケイト・テイラーは、かのジェイムズ・テイラーの妹だということで、しかも1971年にデビューしているようですから、もうベテランですよねえ。ちっとも知らなかった…。この一家、JTしか聴いてこなかったなぁ。

 

新作『ワイ・ウェイト!』(2021)でぼくははじめてこのケイトの歌に触れたわけです。デビューからちょうど50周年、クラウド・ファウンディングで資金集めして製作されたものだそうですよ。

 

ケイトのばあい、このニュー・アルバムもカヴァー中心。自身の書いた新曲はアルバムの全14曲中ニ曲だけなんですよね。個人的にはこの塩梅がケイト入門にちょうどよかったです。曲がおなじみのものだと、歌手の特徴や持ち味、音楽性がわかりやすいですからね。

 

いきなりビートルズの「グッド・デイ・サンシャイン」で幕開け。曲がもともといいし、それをケイトはチャーミングかつていねいに、そしてさっぱりした感じで歌いこなしています。ちょっぴりのカントリー色もあるのがこの歌手のテイストなんでしょうね。

 

カントリーといえばですね、続く2曲目「ワイ・ウェイト!」もそうだし7曲目「アイ・ガット・ア・メッセージ」というこれらニ曲だけあるケイトの自作曲はカントリー・ゴスペル楽曲です。だから、そういうのがこの歌手の特色なんでしょう。

 

そういったところ、カヴァー・ソングの数々でも存分に発揮されていて、それ+若干のジャジーなフィーリングでアット・ホームにくつろいでいるような心地を味わえるのが、このアルバムの良点でしょう。決してよそゆきじゃないっていうか、虚勢みたいなものをまったく感じないのもケイトの歌のポイントです。

 

4曲目、タジ・マハールの「シー・コート・ザ・ケイティ」(例によってヒーにしているけど)なんかで聴ける若干のラテンふうなリズムもいい味ですし、6曲目、兄ジェイムズの「アイ・ウィル・フォロー」での素朴な味わいも極上。

 

9曲目「ザ・グローリー・オヴ・ラヴ」はスタンダード・ナンバーで、ここでケイトとデュエットしている男声歌手はだれなんでしょうか。これもほっこり和めるリビング・ルームのロッキン・チェアでゆっくりしているような感触で、いいですよねえ。

 

そして10曲目、リトル・フィートの「ロング・ディスタンス・ラヴ」。これが個人的にはこのアルバムでいちばんのお気に入り。そもそも大好きな曲だし、フィートにあった西海岸カントリー・ロックなフィーリングをケイトはうまくポップに消化して、しっとりと味わい深く歌うのが沁みます。

 

(written 2021.9.7)

2021/09/17

超カッコいい最新J-POPリリース二曲 〜 Xavier、原田知世

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(3 min read)

 

Xavier / Call In Sick
https://open.spotify.com/album/26Jddr1sQf7Z179CGiRhxO?si=S2v8Oya2QIeMYgWxmKYtxA&dl_branch=1

 

原田知世 / 朝日のあたる道(Single Version)
https://open.spotify.com/album/2Cs6uFb7NT1OVzjf5XIint?si=FigsuzTdRjOwR5e_vB5GbQ&dl_branch=1

 

いずれも2021年9月15日にリリースされた二曲、Xavierの「Call In Sick」と原田知世の「朝日のあたる道」がめっちゃいいので、ちょこっと軽くメモしておきましょう。アルバムとかはまだないみたい。

 

クール&ザ・ギャングみたいで最高にカッコいいXavierの「Call In Sick」は、80sファンクみたいなダンス・チューン。+ラップですね。ラップ担当はchelmicoっていう二人組ラップ・ユニット。

 

Xavierはこれがデビューの日本のコラボ・プロジェクト。ギターリスト&プロデューサーの石井マサユキ、サウンド・エンジニアのZAK、そして大野由美子の三人が中心人物のようです。曲は石井の書いたもので、ゲストでベースに鈴木正人、ドラムスに沼澤尚。

 

chelmicoのリリックは語呂だけでできていて、メッセージ性なんかはまぁ〜ったくないのが気持ちいい。グルーヴとサウンド、ノリ一発で聴かせる一曲で、そのコアを石井の弾く乾いたギター・カッティングが担っています。カッコいいなあ、もう。

 

Xavierの「Call In Sick」は、本日Pヴァインから7インチでもリリースされたもので、もう片面は羊文学の塩塚モエカをフィーチャーした「球体」。個人的には「Call In Sick」のグルーヴにやられちゃいました。

 

同日リリース、原田知世の「朝日のあたる道」のほうは、今月末発売予定のOriginal Love(田島貴男)30周年を記念するオフィシャル・カヴァー・アルバム『WWW』からの先行配信シングル。知世をずっと手がけている伊藤ゴローのプロデュースで、きらびやかに躍動する現代的なアンサンブルがさわやかで印象的ですね。

 

曲がいいっていうのがここまでみごとな仕上がりになっている最大の原因かもしれませんが、生演奏リズム・セクション&ホーン陣によるサウンドがやはりグルーヴィでなんといってもすばらしい。そして、知世のソフトだけど芯のある声がいい。ぼくのぞっこんな、やはりゴロー+知世による「September」(『恋愛小説2』、竹内まりや)に似たノリで、快感。

 

(2021.9.15)

2021/09/16

ジョージ・ウェインがいなければ、こんにちのフェスの隆盛はなかった

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(4 min read)

 

https://www.nytimes.com/2021/09/13/arts/music/george-wein-dead.html?smid=tw-share

 

日本時間の2021年9月14日早朝、フェスティヴァル・プロモーター、ジョージ・ウェインの訃報が流れました。95歳とのことで、やるべき仕事をきっちりぜんぶやって天寿をまっとうしたと言える人生だったんじゃないでしょうか。

 

ジョージ・ウェインが音楽界で成し遂げたものの大きさは、ちょっとひとことで語り尽くせないものがあります。一般にはニューポート・ジャズ・フェスティヴァルとニューポート・フォーク・フェスティヴァル、特に前者の創設者として名が知られているでしょう。

 

ジョージ・ウェインがニューポート・ジャズ・フェスティヴァルを開始したのは1954年。それまでポピュラー・ミュージックの世界にこんな大規模ライヴ・イヴェントは存在しなかったのです。ジャズにとっても、ナイトクラブとコンサート・ホールが主な活動現場でしたし、しかも音楽家単独の出演というものばかりでした。

 

そこにジョージ・ウェインは大勢を集合させるフェスティヴァル形式の音楽ライヴ・イヴェントを企画し、それを毎夏実施することにしたわけで、ニューポート・ジャズ・フェスはその後最も歴史の長い最も有名なジャズ・フェスとして、歴史に名を残すことになりました。

 

このことの功績は、こんにちに至るまで類似のジャズ・フェスを無数に生んだということだけにとどまりません。たんにジャズ界にとどまらず、ひろく音楽ライヴ興行の世界一般に夏フェス形式を定着させたというところに、ジョージ・ウェインの真の偉大さがあります。

 

かのウッドストック・フェスティヴァルだってそうだし、ただいま日本でも公開され話題を呼んでいる最中の映画『サマー・オヴ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』になった、同じ1969年のハーレム・カルチュラル・フェスティヴァルだって、ジョージ・ウェインの遺伝子です。

 

アルバム『ザイール 74:ジ・アフリカン・アーティスツ』になった、1974年にザイール(現コンゴ)はキンシャサで開催された音楽フェスティヴァル、ザイール 74だって、この手のものを開催するという発想そのものがジョージ・ウェイン的だったのです。

 

いま21世紀の日本でだって、今年は開催された例のフジ・ロック・フェスティヴァルもそうなら、新型コロナ感染対策を無視して強行され非難轟々の、愛知県で行われたヒップ・ホップ・フェスだって、夏開催の音楽フェスという意味ではジョージ・ウェインの孫みたいなもんです。

 

音楽ジャンルを問わず、世界のどこと言わず、時代を超えて、ジョージ・ウェインの編み出したフェス形式の音楽ライヴ興行は、もうぼくたちの体液にまでなっていると言えるくらいこの世界の隅々にまですっかり浸透しています。

 

日本人音楽ファン、いや世界で、フェスのない音楽体験はもはやありえない、フェス抜きに音楽ライフを語ることが不可能なくらいにまでなっている、そんな文化のありようのルーツは、なにもかもジョージ・ウェインが1954年にはじめたニューポート・ジャズ・フェスにあるんですよ。

 

ぼくの応援している岩佐美咲だって、単独のコンサートやライヴ・イヴェントだけではなく、大勢の演歌歌謡曲歌手が集合したジョイント形式のコンサートに出演することも多く、そんなところにまでジョージ・ウェインの遺伝子は伝承されていると言えるんですよね。

 

(written 2021.9.15)

2021/09/15

オルジナリウスの新作はボサ・ノーヴァ曲集

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(3 min read)

 

Ordinarius / Bossa 20

https://open.spotify.com/album/7CDwkQGoU0qxw2hlOL5dJt?si=JPOu5OC1TJ-o48SaxQYE_Q&dl_branch=1

 

今年二月にオルジナリウスの新作が出ていたようです。『Bossa 20』(2021)。七人編成(うち一人はパーカッション専念)によるブラジルのコーラス・グループで、2008年結成。アルバム・デビューは2012年。

 

オルジナリウスについては、以前2018年に一度記事にしたことがありますし、
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2018/12/post-3810.html

 

民音主催で翌19年暮れに来日公演をやった際は松山にも来ましたので、ぼくも行きましてレポートを書きました。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/12/post-2cb470.html

 

このライヴ・レポの最後のほうにも書いてありますが、まもなく次のアルバムを出すべく準備中とステージで言っていたんですよね。なかなかリリースされないのでどうなっているんだろう?と首を長くしていた待望の次作がとうとう出たということでしょう。

 

そんな新作『ボッサ 20』は、なんとボサ・ノーヴァ・スタンダード集。全12曲、なかでも特に有名なのは、マルコス・ヴァーリの2曲目「Samba de Verão」、ルイス・ボンファの4「Manhã de Carnaval」、アントニオ・カルロス・ジョビンの8「Wave」と「The Girl From Ipanema(イパネマの娘)」、ジョアン・ドナートの9「A Rã」あたりでしょう。

 

そのへん、だれが書いた曲かみたいなことは、以下のディストリビューター・サイトに全曲の情報がまとめられていますので、気になるかたは目を通してみてください。
https://tratore.com.br/um_cd.php?id=28077

 

「ウェイヴ」とか「イパネマの娘」といったジョビン・ナンバーは、2019年12月の松山公演でも歌われました。そのころから次作に収録したいという気持ちがあったのかもしれませんし、あるいはライヴで手ごたえがあったのでアルバム収録しようと思ったという可能性もあります。

 

新作でもオルジナリウスの持ち味は一作目、二作目とまったく変わらず。ハーモニーの構成は実は複雑で、9thや13thといったテンションを多用し、半音でぶつかる多声の美しさをたたえながら、聴いた感じまったく難解な感じがせず、逆にとても明快で聴きやすいポップな音楽を展開しているところに、このグループの真の凄みがあります。

 

名曲ばかりなので、原曲やほかのカヴァーとのアレンジの聴き比べをしても楽しいし、ブラジル音楽にいままで縁遠かったかたがたであれば、お気に入りの曲を見つける入門編としてもオススメできる内容になっていると思います。

 

とにかく(音楽的には高度でも)むずかしいことをいっさい感じさせないオルジナリウスのヴォーカル・コーラス、そのままイージーに楽しんでいくのがこのグループへの接しかたでしょうね。新作では明快さにいっそう磨きがかかったように聴こえますよ。

 

(written 2021.9.14)

2021/09/14

オリエンタルとかエキゾティックとか

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(6 min read)

 

っていうことばを、音楽関連でも、今後は使わないようにします。差別的ニュアンスをともなっているように感じるからです。

 

「オリエンタル」にかんしては(ぼくもアジア人だからたぶん当事者意識があるせいで)ずっと前から違和感が強く、いままで一度も使ったことがありません(と思ってブログ検索したら、実はちょっとある…)。

 

ところが「エキゾティック」のほうはこのブログで乱用してきました。そしてorientalと違ってexoticはアメリカ合衆国の連邦公式文書で(2016年以後)禁止されていることばというわけじゃありません。

 

しかし考えてみると、エキゾティックという表現をしたくなるメンタリティの根底には、(音楽的に)自分にあまりなじみがないもの、異なもの、外的な要素を雑にくくって、それをちょっとおもしろがって興味本位でとりあげているということがあったんじゃないかと自分でも思うんです。

 

さらに、エキゾティックという表現で音楽面でのどんな要素を指摘しているのか、実はよくわかりません。日本生まれで日本に住んでいる日本人であるぼくにとっての「異質」「外的」なもの、というだけのことですから、日本の音楽や西洋クラシック音楽やアメリカ合衆国産のポピュラー音楽「じゃないもの」というだけのことでしかありません。

 

中南米のラテン・ミュージック要素(そこにはスペイン由来の旋律とアフリカ由来のリズムがあるわけですけど)もエキゾティックなら、アラブ圏やトルコの音楽だってエキゾティック、アラブ・アンダルースな旋律作法だってそうだし、さらにトルコやアラブの音楽で聴けるキューバン・リズムは二重の意味でエキゾティックだとか、はっきり言ってもうワケわかりませんよね。

 

つまりエキゾティックという表現で、なにか実体のある具体的な意味のある音楽性にはなんら言及していないのです。言っているのは、たんにぼくにとってなんだかちょっと異国情緒がしておもしろ〜いというだけの雑駁な感情でしかありません。

 

それは、むかしの日本人が西洋白人を見ても東南アジア系でもアラブ系でもアフリカ系でも「ガイジン」と言って、黄色東アジア人である自分とはなんかちょっと違う、異な感じがする、というだけでおもしろがって、興味本位ではやしたてたり避けたりする、そんな行為と本質的に差がありません。

 

つまりエキゾティックとは、ホモソーシャルな音楽文化ネットワークのなかにいる自分とはなんだか違う、異なもの、外なもの、を差別するステレオタイプでしかなかったのです。

 

アメリカ合衆国にいるアジア系を「オリエンタル」と呼ぶのは、自分がちょっと優位に立っているかのような視点から排除意識を持つ差別表現であるという点で、当時の大統領バラク・オバーマがこのことばの公的使用を法的に禁止しましたが、ぼくも「エキゾティック」について同様の認識を持たなくてはなりません。

 

へへ〜い、これ、ちょっとヘンだぜ!おもしろいね!っていうフィーリングの表現でしかなかったエキゾティック(とかオリエンタル)。現実の事物というか音楽を知らず妄想の産物でしかない世界、非西洋な音楽要素、違和感や非日常感に対していだく快感 〜〜 それは端的に言って誤解と偏見。それをぼくはまき散らしていたわけです。

 

今後は、ちょっとヘンに感じておもしろいと思う音楽要素を、「エキゾティック」と雑にまとめてテキトーに放り出すんじゃなくて、もっと実体に即して、わかる範囲で具体的・個別的に指摘するように心がけたいと思います。

 

「エキゾティック」ということばは植民地主義的なコンテクストをふくんでいるし、このことばを使うことは外国人排斥や人種差別を強化しかねないということで、『ワシントン・ポスト』紙は2021年7月、食材をエキゾティックと表現するのをやめようという記事をフード部門のスタッフ・ライターが掲載しました。

 

日本人女性がチャイナ・ドレスやアオザイを着ているのをふだんよりセクシーだと思ったり、ばあいによっては和服を着ているのすらこんにちでは非日常的だというのでなんとなく妙というか異に感じて興味本位でジロジロ見つめたりする、そんなメンタリティこそ、エドワード・サイードが指摘した意味での「オリエンタリズム」であり、差別的エキゾティシズムの発露にほかならないと思います。

 

ですから音楽の世界でも、アジア的だったりラテン・アメリカ的だったりアフリカ的だったりする要素をエキゾティックとくくることは、もうやめます。デューク・エリントンの「キャラヴァン」やディジー・ガレスピーの「チュニジアの夜」を、ぼくら日本人リスナーでも異国ふうに感じてなんだかおもしろく思うっていうのは、本土の人間が沖縄の旋律に対してエキゾティシズムを感じるのと同じ、抑圧構造に立脚した差別意識なのですから。

 

音楽について「辺境」ということばが使われるのは1990年代からずっとほんとうに大嫌いなのですが、辺境音楽などという表現を遠慮なくするひとたちと同じ愚を、ぼくもエキゾティックということばを頻用することで犯してしまっていたことになりますからね。

 

(written 2021.9.13)

2021/09/13

批判禁止同盟?

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悪口とか誹謗中傷っていうのじゃない、前向きの建設的な批判って、あると思うんですよ。ポジティヴな要望とか提案とかですね。でもそういったたぐいのものもふくめて、「批判」をいっさい封じようとするのが(元)アイドル応援の世界です。

 

どんな活動をしようとも、ありようを全肯定っていうか、そういうの、ぼくはもう違和感しかないです。わさみんこと岩佐美咲関連のことでこれを強烈に感じますね。あんまり言うとまた敵を増やしてしまうのですが、まったくなにも注文をつけない、ただすばらしいステキ可愛いと言うだけのファンのほうが多すぎる。

 

2020年初春からのコロナ時代になって、美咲関連で長良グループや徳間ジャパンが仕事をしていないのは明白だと思うんですけどね。コロナ前みたいに現場でのイベントやキャンペーンなど開催できないんですから、いつまでもそれじゃないとできないよと思っていると、ほんとうにダメです。

 

現場開催のキャンペーンやコンサートやライヴに相当するものをインターネット上で開催しないと曲を売っていけないし、歌手じゃないでしょうが。ところが長良と徳間の美咲担当スタッフはそれをまったくといっていいほどやっていません。そればかりか、ネットチェキサイン会だのネット飲み会だのヴァーチャル・デート企画だのオンライン・グリーティングだのばかりやるんですよね。

 

この際だからはっきり言わせてもらいますが、そういうのにほいほい飛びつくファンもファンです。なにを開催したらダメで、どういうのが歓迎されるのか、運営スタッフに知らしめないといけないのに、どんなものでもどんどんチケット買っては喜んで、「かわいい〜」とかしか言わないもんだから、運営スタッフも味を占めてしまっています。お手軽集金システム。美咲オタクはいいカモですよ。

 

そんでもって、歌唱配信関係は、たま〜に忘れたころに申し訳程度にちょこっとやるだけ。

 

これじゃあ「歌手」岩佐美咲が成長していくことはできません。ぼくが惚れたのはアイドル・タレントじゃありません、歌手としての美咲のことを好きになって、応援しようと思うようになったんですからね。それなのに、運営のこのていたらくといったら、もう。

 

ひとつにはAKB48出身という(一見強みだったのが)のがかえってわざわいしているように、いまでは見えます。もちろんAKBブランドがあるからこそここまで美咲はやってこれたし、とっくに卒業したいまでもそのシルシがあるから商売できているという面もあると思います。メディアに出るときは、いまでも必ず「AKB48出身」との枕詞で紹介されますからね(それも良し悪し)。

 

これがかえって歌手活動に専念させない運営スタッフの態度、特に長良側の姿勢を招いているんじゃないかとぼくには見えていますね。だってね、AKB時代からついている熱心なファンがたくさんいて、批判禁止でやってきて、かわいいかわいいとずっとほめていくばかりで、どんなものでもイベントがあればお金を出しているんですからね。

 

歌わせなくても食べていけるだろう、歌わせなくても事務所も潤う、ということであれば、そりゃ歌唱配信イベント、ストリーミング・コンサートなんてね、照明・音響・映像設備も必要だし、念入りに準備しないといけないけど、その割には実入りが少ないですから、消極的になるのも道理です。

 

AKB時代からのアイドル活動で、卒業して五年になるいまでも美咲はずっとやってきているというのが現状ですよね。コロナ禍でそれが鮮明になりました。歌手業一本ではやっていないのです。これがですね、アイドル時代なんかない、そもそも最初から歌手でやっているみなさんが、コロナ時代にどんな営業活動を展開しているか、ちょっと見渡してみれば、美咲界隈の異常さが理解できます。

 

結局、美咲は「歌手」じゃないのでしょう。すくなくとも歌手業で食べていっているとは言えないし、歌手活動をさせてもらえなくてもファンだっていっさい文句を言わず批判もせずできています。

 

もっと歌の活動をやってほしい、みたいなことを言うと、一部のファンからはすぐに「クレーマー」扱いされてしまうし、なんなんですかこれ。岩佐美咲って、いったい何者なんですか。

 

ぼくは歌が好きなんですよ。

 

(written 2021.9.12)

2021/09/12

岩佐美咲の脱フィジカル

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去る8月13日に東京は中野で開催された岩佐美咲10周年コンサートは、DVDやBlu-rayなどの円盤化はされないとのことで。配信リリースだけっていう。この発表が公式ブログであったとき、ちょっと意外な感じがしました。いままでぜんぶ円盤化されてきていましたからね。

 

これはちょっとした予告、予兆じゃないかとぼくは解釈しているんです。

 

今後は美咲のコンサートは円盤物体を発売しない方向に進むんじゃないか、今回のこれはその第一弾ということじゃないかということです。そして、将来的にはひょっとしたら楽曲のCD販売もやめて、全面的に配信リリースだけにしていくということかもしれませんよね。

 

美咲がCDもDVDも発売しない、配信(ダウンロード、ストリーミング)だけでやるっていう日が来るかもしれないなんて、現時点ではだれも予想していないし、いままでの歩みからしたらありえないことのように思えるかもしれませんよねえ。ファンの一部からは悲鳴があがるかも。

 

でも、これからはそういう時代ですよ。いまや全世界的にみて音楽業界の総売り上げの八割がサブスクリプション型サービス(Spotify、Apple Musicなどストリーミング)の収入によるものなんですからね。この傾向は今後どんどん進みこそすれ、ふたたびフィジカル販売がもりかえしてくるというようなことはありえません。

 

演歌・歌謡曲の世界は、この点でもやや時代遅れになりつつあって、サブスク対応が著しく遅れている歌手や事務所、レコード会社もあります(氷川きよし、水森かおりなど)。それに演歌界はファン層が高齢化していて、インターネットが苦手であると堂々と宣言しては物体購入に走るというかたがたもいます。

 

さらに、CDやDVDなどのフィジカルは、握手会や特典会などのチケット代わりとして使われてきたという面もあります。現場でCDを一枚買えば、それで握手一回分ということになるっていう、この手の接触ビジネスは、しかしもはや終わりつつあるのではないでしょうか。特にコロナ禍でイベントじたい実施できないということになって、このビジネス・モデルの終焉はいっそうあぶりだされています。

 

コロナ時代にあぶりだされている終焉しつつあるビジネス・モデルとは、握手券商法だけじゃなく、そもそもCDやDVDなどのフィジカル販売に寄りかかる姿勢というのもふくまれているように、ぼくには見えているんですよね。

 

もちろん、コロナ禍が収束すれば(といっても何年後?)美咲のリアル歌唱イベント、キャンペーンのたぐいも再開できるでしょうし、そうなれば現場でいくらかのお金を払って握手権、2ショット写真撮影権を買うという手法が復活するでしょう。しかしそのとき、それはもはやCD販売ではなくなっている可能性があると思います。

 

もうそういう時代なんです。CDを買って聴くという時代は終わっています。サブスクで聴く、これがもうみんなの音楽聴取手段になっています。そんなこと、もうみんなもわかっているんでしょ?

 

もちろん美咲サイドがCD販売をやめて、全面的にサブスク・モデルに移行するためには、いままでCDで発売してきた全楽曲をサブスクに乗せないといけません。現状、シングル表題曲の九つしかありませんから、これではお話になりません。シングルのカップリング曲もアルバム曲も入れないと。

 

美咲がサブスク・モデルに移行することにはメリットも多いです。たとえばムリして新曲のカップリング曲を選ばなくてよくなります。以前も書きましたが、シングル曲にカップリング曲を入れるっていうのはA面B面があった45回転ドーナツ盤時代の名残にすぎませんから。サブスクだと、みんながすでにそうしているように、新曲一個だけリリースすればOK。

 

各種イベントやコンサートなど現場に曲を持ちはこぶことも容易になります。いままでファンは、CDをまずパソコンにインポートして、それ経由でスマホや携帯音楽プレイヤーに入れていたと思うんです。そんなメンドくさい手間が消えます。サブスクに楽曲があれば、いつでもどこででもどんなディヴァイスでもアクセスできますから。

 

それはそうと、昨2020年7月1日にサブスク解禁になった美咲のシングル表題曲は、どれくらい再生されているのでしょう?ちょっとSpotifyだけ覗いてみたら、やはり最新楽曲の「右手と左手のブルース」が1万8千回でトップ。これは理解しやすいことです。

 

「無人駅」「もしも私が空に住んでいたら」「ごめんね東京」が約9千回、「鞆の浦慕情」8千回、それ以外は3〜5千回といった程度の再生回数です。だいたい予想どおりというか、「ごめんね東京」の健闘にはやや驚きましたが、それ以外はCDでも評価の高い楽曲が数多く聴かれているようです。

 

10月6日発売予定の美咲の新曲「アキラ」も当然サブスクに乗るはずですから、どこまで再生回数が伸びるか、楽しみにしたいと思っています。

 

いずれにせよ、AKB48という握手券付きCD販売で一斉を風靡した世界出身で、しかも別の意味でCDに寄りかかっている演歌界にデビューした岩佐美咲のような歌手ですらも、今後はフィジカル頼みをやめて、配信リリースを中心にやっていかないと、早めにそのビジネス・スタイル移行をやらないと、時代に取り残されてしまうことは明白です。

 

ファンも、そんな時代についていかないと。

 

(written 2021.9.11)

2021/09/11

全体的にニュー・オーリンズっぽいのが好き 〜 A.J. クロウチのカヴァー集

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A. J. Croce / By Request

https://open.spotify.com/album/0k8E7ZlAkRsIb4jZuqPbol?si=5cy0oNyeQpmjNv-a4N1N_A

 

萩原健太さんに教わりました。
https://kenta45rpm.com/2021/02/10/by-request-aj-croce/

 

もはやジム・クロウチの子という枕詞も不要なんじゃないかと思えるA. J. クロウチ。そのAJの新作『バイ・リクエスト』(2021)は、このタイトルからもちょっぴり察せられるとおりのカヴァー・アルバムで、ギター、ベース、ドラムスのレギュラー・バンドを引き連れてのスタジオ一発録りでベーシック・トラックをライヴ録音したそう。

 

かなりこなれたパフォーマンスを堪能できるし、AJの真っ向からのルーツ表明作としても興味深い内容。ぼくがなんといっても好きなのは、アルバム全編にわたりニュー・オーリンズ音楽の風味がまぶされているところ。AJ自身の弾くピアノだってまるでドクター・ジョンみたいに聴こえるっていう、そんな部分です。

 

1曲目「ナシング・フロム・ナシング」(ビリー・プレストン)からして、すでにそんなテイストが濃いめに出ていると思いますね。冒頭のホーン・アンサンブルだってちょっぴりニュー・オーリンズふうですよ。パッとリズムが出た瞬間に転がるピアノ。歌が出てからはほぼストレート・カヴァーに近い雰囲気ではありますが、こりゃいいですね。

 

3曲目「ハヴ・ユー・シーン・マイ・ベイビー」(ランディ・ニューマン)はブギ・ウギ・ミュージックふうに換骨奪胎してあって、こりゃまたぼく好み。ランディ・ニューマンはAJの音楽に強い影響を与えた存在だと言えますが、このAJヴァージョンのリズム、ホーン・リフが奏でるビート感など、なかなかみごとですよねえ。ピアノ・スタイルはやっぱりちょっとニュー・オーリンズふう。

 

ファッツ・ドミノ的三連ダダダで弾く4曲目「ナシング・キャン・チェインジ・ディス・ラヴ」(サム・クック)はまったく斬新な解釈でキメています。完璧なるファッツ・スタイルのニュー・オーリンズ・ポップになっていて、サム・クックのあの曲がこうなるなんてねえ、楽しいったらありゃしない。

 

笑っちゃったのは7曲目の「ステイ・ウィズ・ミー」(フェイシズ)。そのまんまのストレート・カヴァーというかもろコピーなんですよね。まるで高校生アマチュア・バンドがフェイシズを真似して思い切り楽しんでいるとか、そんな雰囲気で、これはこれでなごめます。AJのヴォーカルがちょっとロッド・スチュワートっぽいような。

 

8曲目「ブリックヤード・ブルーズ」はアラン・トゥーサンがプロデュースしたフランキー・ミラーのヴァージョンがオリジナルだし、アラン自身もやっているというわけで、ここでのAJヴァージョンがニュー・オーリンズ・ポップっぽく仕上がるのも道理です。やっぱりピアノがこれまたちょっぴりドクター・ジョンふうですよね。

 

やはり大胆にニュー・オーリンズふうにリアレンジされた10曲目「セイル・オン・セイラー」(ビーチ・ボーイズ)も換骨奪胎系で、ブルージーに仕上がっていて好みですし、11「キャント・ノーバディ・ラヴ・ユー」(ソロモン・バーク)も、いい感じの南部ふうな三連ポップ・ビートが効いていて。きょう書かなかった曲にはあまり南部ふうなスワンピーさがないんですけど、全体的に滋味深くできあがった佳作でしょう。

 

(written 2021.5.24)

2021/09/10

音楽における、新しいとか、古いとか

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Chuck Berry / Toronto Rock ’N’ Roll Revival 1969

https://open.spotify.com/album/73nLDkfjI8BrtGYroJ2m6x?si=FSOPYiLeRD2Brf31SV8NqA&dl_branch=1

 

きのうもジャズの古いスタイルを否定することはないじゃないかということを書きましたが、ホント、音楽における、新しいとか、古いとか。そこんとこにやけにこだわるひと、いますね。けっこういる。

 

ざっくりいって、音楽に新しいも古いもねーだろ、という立場です、ぼくは。これが科学技術とか工業製品とかだったら新しさに価値があるのを理解できますが。家電なんかだって故障しちゃうし、年数の経ったものはメーカーに部品の在庫もなくなって修理すらできなくなってしまいますからね。

 

だから常に更新していかないといけないっていうか、一定年数で(オシャカになった)古いものは廃棄するか引きとってもらって新製品を買うっていうサイクルをくりかえしていくことになりますよね。

 

でも、音楽、でしょ。古いものが聴けなくなるわけでもない。亡くなってしまうとその歌手やミュージシャンのライヴに触れることはそこで終わりになってしまいますけど、レコードやCDや配信に刻まれた音は消滅しません。ずっとずっと聴き続けられます。

 

そういうもんですから、音楽って。だから結局は聴くひとが楽しいかどうか、美しい、カッコいいと感じるかどうか、感動できるかどうか、だけが問題であって、そこに音楽のスタイルの古い/新しいは関係ないでしょって思うわけです。1955年生まれの音楽に突如激しい新鮮な感動をおぼえたりするってこと、あるでしょう?

 

古い、ということが、なんというかある種ネガティヴな価値であるように信じ込んでいるひともたくさんいるみたいで、趣味として音楽を聴いているだけの(ぼくもふくめて)一般のリスナーは好きにしたらいいとは思いますけどね。それに、新しいほうがいいっていう考えは、実はぼくも理解できないことじゃないです。

 

というのは、ものごとが微妙に「古く」なったなと感じさせる瞬間というかタイム・スパンみたいなものがあるような気がします。個人的感覚というか経験からすると、10年、15年の経過あたりがちょっと鬼門かなあという感じですかね。

 

音楽だけじゃないけれど、30年、40年、50年と経ってしまえばですね、もうなんでもぜんぶいっしょというか、10年程度の違いは吸収されます。10歳と25歳ってとんでもなく違うけれど、65歳と80歳って、あんまり変わらないっていうか、本人たちはともかく若者からみれば同じじゃないですか。

 

人間でも音楽でも、成長発展期の変化は大きく感じるけど、完成されたらもうねえ、ちょっとくらい時間が経っても同じっていうか。

 

だから、音楽の世界で新しいとか古いとかっていうことにやけにこだわるひとっていうのは、まだ音楽を聴きはじめて10年程度なのか、あるいはものごとを常に10年、15年くらいの短いスパンでのみ考えているのかなあとかって思いますよ。

 

ロック・ミュージックにとっても、1950〜60年代はちょうど誕生&成長発展期だったから、ちょっとの時間の経過による変化がとてつもなく大きなものに思えたかもしれません。上でSpotifyリンクを貼ったチャック・ベリーはロックを産んだ人間のひとりとされていて、50年代にデビューして活躍したわけです。

 

エルヴィス・プレスリーの登場と大爆発も1950年代半ばで、そこでロックというものが世間に認知されましたけど、60年代に入ってビートルズがビッグ・バン的大活躍をするようになって、それで大きく時代が変わったような感じがありました。エルヴィスはもう「過去のひと」みたいな扱いで。

 

このへん、リアルタイムで経験してきている湯川れい子さんが常日頃からくりかえしているように、日本における洋楽ロック文化の浸透はビートルズからはじまったので、そこが出発点で、それ以前があたかも「無」であったかのような認識で、エルヴィスなんていうと完璧にバカにされる、という時代が続きましたよねえ。

 

1950年代半ばのエルヴィス登場と同時代かそのちょっと前ごろから、チャック・ベリー、リトル・リチャード、ジェリー・リー・ルイス、ボ・ディドリー、ジーン・ヴィンセントなどなど、黒人白人とりまぜてのロック創成期があったわけですけれど、60年代前半のビートルズ爆発でそれらがいったん御破算になっちゃったわけです。

 

デビュー期にはそれらをたくさんカヴァーしていたビートルズなのにねえ。

 

ビートルズのレコード・デビューは1962年ですけど、世界的にブレイクしたのが64年で、オリジナル曲の「抱きしめたい」とか「シー・ラヴズ・ユー」とかそのへん。『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』でシーンを揺るがしたのが67年。

 

そしてウッドストック・フェスティヴァルが1969年でしたが、ニュー・ロック、アート・ロックと呼ばれた新世代ロックが大人気を博していたそのころにふりかえるロックンロール黎明期というのは、だからほんの15年くらい前のことでしかないのに、なんだかやけに古い感じがしたのかも。まるで太古の化石時代であるかのような扱いだったんじゃないでしょうか。

 

というわけで、その1969年の9月13日、カナダのトロント大学構内のヴァーシティ・スタジアムで行なわれた野外音楽フェスティヴァルに、チャック・ベリーをはじめとするロック黎明期のスターたちが大挙出演した際のコンサート・タイトルが「トロント・ロックンロール・リヴァイヴァル1969」っていう。

 

ほんの15年程度しか経っていない、1969年からしてもついきのうのことのようなロック黎明期なのに、その時代のミュージシャンたちもまだ若く現役なのに、すでに「リヴァイヴァル」扱いっていう、なんでしょうかねこれ。チャック・ベリーだってまだ42歳だったんですよ。

 

そんなことも、もっと時代がくだってロック・ミュージックが成熟し、ロックのばあい成熟は「死」と呼ばれたりするという、ぼくらから見たらきわめて不可思議な現象もありますが、いろんな新スタイルもひととおり出尽くしたおそらく1990年代あたりからは、すべてがフラットになり、黎明期ロック・スターも正当に評価されるようになったので、よかったなぁと思います。

 

上でも書いたけど、それらをいったん葬った(かのように勝手に誤解されただけですが)1960年代のビートルズやローリング・ストーンズやレッド・ツェッペリンだって、みんなチャック・ベリーやエルヴィスのヒット・ナンバーをどんどんカヴァーしていたんですけどね。

 

(written 2021.9.9)

2021/09/09

ジャズの廃仏毀釈?

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Michael Dease / Give It All You Got

https://open.spotify.com/album/04EmPprPjfaeleHecmo21h?si=75QRtEuAQP61EKijeQipUQ&dl_branch=1

 

萩原健太さんのブログで教えてもらいました。
https://kenta45rpm.com/2021/04/06/give-it-all-you-got-michael-dease/

 

この記事冒頭で健太さんが書いていること、ぼくも全面的に共感できて、ほんとうにこのとおりだよねえと心から膝を打つ内容なんですよね。

 

というのはジャズの新しい傾向、ニュー・チャプターっていうんですか、その手のもの、たとえばロバート・グラスパーだとかカマシ・ワシントンだとか、もちろんワクワクしますし、すばらしいと思うんですけれども。

 

しかし(健太さんが強調されているように)そういった新しいジャズのそのよさを強調したいがためになのか、古いスタイル、過去のものを全否定するようなひともいたりして、ファンばかりか専門家のなかにもいて、それはちょっとどうなんだろう?と。

 

新しいものが入ってきたら、過去の古いものを捨てて、いわば伝統と断絶するようにして、次へ進む、という傾向は、うん、日本には廃仏毀釈という歴史がありますからね、そういう民族なのかもしれませんよねえ。残念です。

 

西洋のルネサンスがそうであったように、時代の新潮流がゼロから生み出されるわけもなく、それは常に伝統の再解釈、読みなおしであるわけです。ルネサンスで新しい文化がどんどん生まれましたけど、ことばの意味どおりこれは古代ギリシア、ラテンの古典復興というのがきっかけだったんですからね。

 

ポピュラー音楽、ことにジャズの世界は時代の進展とともに新しいスタイルが生み出され次へ次へと進んでいくという歴史をたどってきたと思いますが、そして新しいもの、自分たちが生きている時代のスポットライトを浴びている新鮮なものは無条件にワクワクしますが、それで過去のものが消え去るわけじゃないんですよ。

 

個人的には「積み重ね」「累積」だと思っていて、新しいスタイルのジャズが誕生したら、歴史のなかにまた一枚ピースが加わるっていうことだろうと。過去を否定するのではなく、いままでに生まれたさまざまなスタイル(ニュー・オーリンズ、ディキシー、スウィング、ビ・バップ、ハード・バップ、モード、フリー、フュージョン、ワールド、アシッド、クラブなどなど)が同時に存在していて、どれも廃れることなく生き続けているんだっていう、そういうことじゃないかなあ。

 

だから時代が進めば積み重ねのピースが増えて、ぼくらリスナーにはどれを聴くかの選択肢が増えて、好みに応じて自由に選べて、喜ばしいねと、ぼくはそんなふうに受けとめているわけなんです。革新的なジャズは過去を否定するものなんかじゃないです。

 

「時代遅れ」ということになった、いわば季節外れの洋服みたいにクローゼットのなかにしまわれたようなジャズのスタイルだって、消えてなくなったわけじゃなく、それを取り出していまの時代の自分たちの音楽として演奏するミュージシャンはやっぱりいるわけですから。伝統的なスタイルのジャズだって、今後もイキイキと生き続けていってほしいと、ぼくは心から願っています。その一方で新しいジャズも楽しいしおもしろい。

 

もちろん2020年代のコンテンポラリーなジャズは文句なしにカッコいいとぼくも思うし、それを好きなみんながそれを言うのは自由だどころか、どんどん言えばいい。ぼくもこのブログでふだん言うことは多いです。でも、だからといってその新しい価値観を強調したいがための踏み台として古いジャズを否定することはないんじゃないですか。併存していけばいいんであって。

 

きょういちばん上で紹介したマイケル・ディーズというトロンボーン奏者もまた古い時代のというか、1950年代後半〜60年代前半に一世を風靡したようなファンキーなハード・バップを演奏するミュージシャン。『Give It All You Got』はその2021年新作なんですよ。

 

今年の新作といったって、もちろん2021年的な要素、同時代への訴求性みたいなものを求めてはいけません。ここにあるのはある種蒸留されたみたいに典型的なハード・バップですからね。ホーン三本+オルガン+ドラムス+パーカッションで演奏する、あの時代のいかにもなジャズ・ミュージック。

 

マイケル・ディーズは2014年以後ポジ・トーン・レーベルから作品を発表し続けていて、『Give It All You Got』は八作目。今作はジム・アルフレッドスンのオルガンを中心に据えたあたりにサウンド・メイクのキモがあります。そのことで、いかにもなファンキー・ジャズの雰囲気を演出していますよね。

 

そう、ちょうどフレディ・ハバード+カーティス・フラー+ウェイン・ショーターの三管編成だった時代のアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズあたりを彷彿させる音楽で、ブレイキーは使わなかったオルガンのサウンドをフィーチャーしたことで、いっそうあの時代のブルー・ノートらしさみたいなものが出ているかなあと思います。

 

ときどきこういうのが新作として出るっていうのが、本場アメリカのジャズ・シーンの懐の深さ、豊穣さであるわけです。

 

(written 2021.9.8)

2021/09/08

プリンスの初期カタログをリマスターしてほしい

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プリンスのアルバムの音質が発売当初からちゃんとなったのはいつごろからだったか、ていねいに順にたどってみないといまちょっとわかりませんが、たぶん1990年代に入ったあたりからですかね、マトモな音質になりました。

 

だからそれ以前の1970〜80年代に発表されたアルバムは、どれも音質がショボかったんですよ。あの時代としてもちょっとありえないと思えるほどのペラペラさ加減で、あれはどうしてだったんだろうなあ、どれもほぼひとりでのスタジオ密室作業で多重録音をくりかえしたせい?素人にはわかりません。

 

それでも『1999』(1982)『パープル・レイン』(84)『サイン・オ・ザ・タイムズ』(87)の三つの傑作だけは、それぞれ2019、2017、2020年にリマスター盤が出ました。いずれも著しい音質向上で、やっと安心していい音で聴けるようになりました。

 

ってことはそれ以外のプリンスの初期カタログは、レコードだったのがCDになったり配信に乗ったりしたものの、オリジナルのままの変わらぬヘボ音質で、いままでずっと来ているんですよねえ。こりゃちょっと問題ですよ。音量もなんだか小さいしねえ。クリアじゃなくてこもっているというかモコモコで、楽器とヴォーカルの分離も鮮明じゃないし。そういうロー・ファイ志向の音楽家じゃなかったんですからね、プリンスは。

 

個人的にプリンスをリアルタイムで聴くようになったのは1984年の『パープル・レイン』からですが(それもロック好きの下の弟が買ってきたレコードで)、それ以前だと『1999』はリマスターされましたけど、その前の『ダーティ・マインド』(1980)も『コントロヴァーシー』(81)もペラいダメ音質。

 

『パープル・レイン』で大ブレイクしたんだからそれ以後のものはちゃんとすればよかったと思うのに、次作の『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』(1985)も、その次の『パレード』(86)も、いまだに音質的にはダメダメです。音楽は最高ですけども。特に『アラウンド〜』がヘボすぎる。

 

1987年の『サイン・オ・ザ・タイムズ』が、音質的なことをいえばいちばんのダメ・アルバムだった(最高な音楽性と比較しての話)んですけど、これは昨2020年ちゃんとリマスターされて立派なサウンドに立て直されましたので、いまでは大安心。Spotifyは圧縮音源なんですけど、それでも違いが鮮明にわかりますからね。

 

しかしその次の発売だった1988年の『ラヴセクシー』はやっぱりリマスターされずに音がもっこりモコモコのままじゃないですか(それでもこのころになるとちょっぴりマシになりつつあるような?)。その後数作を経て1994年の『カム』あたりで、ようやく当時からちゃんとしたといえる音質になったような気がします。

 

問題は、ここまで書いてきたどのアルバムも、音楽内容的には最高だということですよ。なかでも『1999』のへんから『パープル・レイン』を経て『ラヴセクシー』に至るまでの数年間は、この音楽家の創造力が生涯でピークにあった時期で、どんどん湧き出て止まらなかったんですからねえ。

 

それなのに、その時期に発売されたアルバムが、リマスターされた一部を除きいまだに音質的にはチープでショボいまんまっていうのがもう残念で悔しくてたまりません。それら傑作群を、ちゃんとした音で聴きた〜い!って思うのはごく自然な気持ちだと思います。

 

だから、プリンス・エステートと、この時期の音源の発売権を持つワーナーには、ぜひこの問題に取り組んでほしいなと強くお願いしたいです。どうか、デビューから1980年代いっぱいくらいまでのプリンスのアルバムをリマスターしてリリースしなおしてほしい。

 

リマスター盤発売の際にボーナス・ディスクがついたデラックス・エディションみたいになるかどうかは、どっちでもいいです。肝心なのはオリジナル・アルバムの音質で、それさえちゃんとしていただければそれだけでOK。音楽的には最高なんだから、それに見合ったしっかりした音に仕上げてほしいんです。

 

どうかお願いします>プリンス・エステート&ワーナー。

 

(written 2021.5.22)

2021/09/07

アレグリア・サンバ・ソウルの大傑作 〜 ヴァルミール・ボルジェス

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(3 min read)

 

Walmir Borges / Isso É Coisa de Baile

https://open.spotify.com/album/52h3GsDzbOdzZX1o75Ss1r?si=PrDKt-lCT22dtV2IcFkGPg&dl_branch=1

 

ヴァルミール・ボルジェス(ブラジル)の新作『Isso É Coisa de Baile』(2021)がとてもいい!傑出しているじゃないですか。ぼくはちょっとビックリ。なんて楽しい音楽なのでしょう。

 

リリースされたのが8月31日とついこないだ、フィジカルはまだないみたいだから、日本語で話題にしているひともほぼいないですけど、ぼくは完璧に降参しました。こんなに楽しいサンバ・ソウルならいくらでも聴いていたい。35分で終わってしまうのがもったいないくらいでねえ。

 

1曲目から楽しいですが、ライヴ収録というわけじゃないと思う拍手の音から入る2曲目から、もう陽のアレグリア・ミュージックが全開。この打楽器リズム、アクースティック・ギターのカッティング(ヴァルミール自身でしょう)でつくる跳ねる空間、そしてなんといっても歌メロが美しくて、コーラスもそれをもりたてます。

 

2曲目は終盤ガラッとパターン・チェインジしますが(スライ&ザ・ファミリー・ストーンの「スタンド!」を想起)、落ち着いたビート感の3曲目だって最高の楽しさ。余裕のある大きなメロディ・ラインとヴァルミールのヴォーカルがほんとうにすばらしい。ここでもコーラス・セクションがいいですね(全曲そうですが)。

 

この新作におけるヴァルミールの音楽にはそんなに多様なパターンや曲想があるわけじゃなく、どれも似たようなつくりなのですが、たったの35分間ですからね、アレグリア・ムードで最初から最後まで一気に駆け抜けるようなな爽快感すらあります。9曲目のメロディの動きにはやや陰影というか哀感もありますけどね。

 

どれも曲がいいし、メロディがきわだって歌いやすく明快で、しかもビートが楽しく快活。さらにヴァルミールのヴォーカルは滑舌がよくて、歯切れのいいディクションが心地いいんですよね。それは曲のビート感やノリのよさと一体化したものであるように思えます。

 

それでいて、勢いに任せて走るんではなく、細かい部分まで綿密によく考えて練り込んでつくり込まれたていねいな音楽であることも伝わってきます。しかも不自然な加工臭は皆無で、きわめて自然体で、ノビノビやっているオーガニック&ナチュラルな姿勢が音に出ているのがすばらしい。

 

とにかく聴いていて心地よく、楽しい、ノレる 〜 これに尽きるヴァルミールのこの新作。気分はすっかりウキウキです。今2021年のブラジルものでは断然 No.1 でしょう。ブラジルに限定しなくても、こんな傑作、滅多にない!

 

(written 2021.9.6)

2021/09/06

イエロージャケッツとWDRビッグ・バンドの共演作が痛快 〜『ジャケッツ XL』

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(4 min read)

 

Yellowjackets + WDR Big Band / Jackets XL

https://open.spotify.com/album/3OeeKfK9hNDe57rF9FVI7u?si=O70gk8FBQMOjO1AWpskffg&dl_branch=1

 

イエロージャケッツといえばフュージョン・バンドのイメージしかないでしょう。その手の音楽にアレルギーのある向きのなかには蛇蝎のごとく嫌うひともいるくらいステレオタイプな西海岸フュージョンの代表的存在。

 

ぼくはといえば、ただでさえフュージョン好きなところへもってきて、ファンだった渡辺貞夫さんが1980年代前半のツアーのためにイエロージャケッツをバンド丸ごと起用したことがあって、そのライヴに接し、腕利きの達者なミュージシャンたちだとの印象を強くし、好きになりました。ロベン・フォード(ギター)がいた初期のころの話です。ほんとねえ、フュージョン嫌いって、なんなん?

 

ところが、そんなイエロージャケッツの最新作『ジャケッツ XL』(2020)は、なんとドイツはケルンのWDRビッグ・バンドと全面共演した、アクースティックかつ重量感のあるストレート・ジャズ・アルバムなんですよ。これはビックリですよねえ。

 

1981年デビューのイエロージャケッツ、現在のメンバーはラッセル・フェランテ(鍵盤)、ウィリアム・ケネディ(ドラムス)、デイン・アンダースン(ベース)、ボブ・ミンツァー(サックスなど)の四人編成。ジャズ界隈では最古参バンドということになっちゃいました。

 

このうち、ボブ・ミンツァーが2016年来WDRビッグ・バンドの首任指揮者をも務めているということで、きっとその縁で共演が実現することになったに違いないでしょう。書き下ろしの新曲も二つだけあれど、大半はイエロージャケッツの過去のレパートリーの焼き直しで、しかもそれがまったく新たな容貌をみせているのが楽しいです。やはり全曲でミンツァーが指揮した模様。

 

なんたって1曲目の「ダウンタウン」を聴くだけで、イエロージャケッツがWDRビッグ・バンドとの共演でどんな地点にまで達しているか、よく理解できようというもの。ラッセル・フェランテの書いた1990年代の代表曲でしたが、ここではヴィンス・メンドーサのアレンジによって、ドライヴィングな完璧なるビッグ・バンド・ジャズ・ナンバーへと変貌しています。

 

2曲目以後も、主にフェランテがシンセサイザーを華やかに操る場面も頻繁に聴かれるものの、サウンド・マナーはフュージョンではなく完璧なるアクースティック・ジャズのそれ。音のダイナミズムをWDRビッグ・バンドが与えていて、ここまで躍動感と柔軟性のあるストレート・ジャズ演奏をイエロージャケッツがこなせるとは、大きな感動ですよ。

 

アド・リブ・ソロの腕前にはデビュー当初から定評のあったバンドでしたが、90年代にミンツァーが参加したあたりから洗練されたハーモニーとアレンジ・ワークが加味され、バンドとして成熟してオリジナリティを確立していたイエロージャケッツではありました。

 

今回はそれを大きくふくらませるビッグ・バンド・サウンドとのアクースティックな共演で、このバンドの持っていたポテンシャルが最大限にまで発揮・高められたという印象が強いですね。ビッグ・バンド用のアレンジも冴えていますが、もともとの曲だってここまで化ける可能性を秘めていたということで、ファンだったぼくも認識をあらたにしました。

 

軽薄フュージョンなんかじゃない、立派なストレート・ジャズ作品。はっきりいって降参です。アルバム題どおり、スケールの大きな良作にしあがりました。

 

(written 2021.9.5)

2021/09/05

なんと!これがぼくのザディコ初体験 〜 コーリー・レデット

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(3 min read)

 

Corey Ledet / Corey Ledet Zydeco

https://open.spotify.com/album/2KGZkQv4xbbP5bdeYrWMW8?si=5svMrzqkRNu3tgsL_hF-lw

 

bunboniさんに教えてもらいました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-02-07

 

意外に思われるかもですが、なんとなんと!いまのいままでザディコという音楽をまぁ〜ったく聴いたことがなかったぼく。おかしいですよねえ。でも事実です。べつに食わず嫌いしていたとかいうのでもなく、なんとなく手が伸びなかっただけで、そのまま数十年も放置したままでした。愛読している小出斉さんの『ブルース・ガイドブック』にも章があるくらいなのにねえ。

 

bunboniさんの上記記事を読み、じゃあこれがいい機会かもしれないから、ちょっくらどんなもんかな?とコーリー・レデットの『コーリー・レデット・ザディコ』(2021)を聴いてみたら、これが楽しいのなんのって!もうすっかり降参しちゃいました。こんなことなら、ザディコ、もっと早く聴いておけばよかった。なんか人生だいぶ損しちゃったなあ。

 

ともあれコーリー・レデットの『コーリー・レデット・ザディコ』、ほんとうにザディコ入門者にもわかりやすく楽しめる一作で、こりゃあいいですねえ。必要最小限のシンプルな編成で、なんでもルーツ還りしたらしいザディコ本来の姿が聴けるんだそうで、そうか、こういうのがザディコなんですね。

 

アルバムで、なかでも特にお気に入りとなったのが4曲目の「ペル・モ」と6「フリップ・フロップ・アンド・フライ」。どっちもカヴァーで、しかもブルーズ楽曲ですよね。それで気に入ったのかなあ。「ペル・モ」ではザクザク刻むアコーディオンの歯切れよい感触が快感ですし、「フリップ・フロップ・アンド・フライ」では圧倒的な疾走感にノック・アウトされるカッコよさ。

 

このコーリー・レデットという人物が何者なのか、bunboniさんの記事で読める内容以上のことは知りませんが、音楽一家で、曽祖父も祖父も音楽家だった模様。家族にも伝わるルイジアナの伝統を継承して、それを後世に伝えていこうという姿勢で制作されたのが今回の新作アルバムだそうで、まさにザディコの楽しさを、それまでちっとも触れてこなかったぼくにもわかりやすく聴かせてくれていることは間違いありません。

 

(written 2021.5.17)

2021/09/04

まるでディアンジェロとシュギー・オーティスを足したような 〜 オリヴィエ・セント・ルイス

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(2 min read)

 

Olivier St. Louis / Matters of the Heartless

https://open.spotify.com/album/3knxVn7TBbdYRmbOEAM91R?si=lPUzRKa0SVGtkoMkmaMVWA

 

オリヴィエ・セント・ルイス、という読みでいいんですかね、Olivier St. Louis 。母親がハイチ人、父親がカメルーン人で、米国ワシントンDCで生まれたものの、育ったのは大半イギリスで、いまはベルリン在住なんだそう。

 

検索すればある程度は日本語情報も出るので、ちょっとは注目されているみたいなオリヴィエの最新EP『Matters of the Heartless』(2021)がなかなか心地よく、わりとよく聴いています。ぼくはこれではじめてオリヴィエと出会いました。

 

音楽的にはコンテンポラリーR&Bといっていいでしょうね。オリヴィエはヴォーカルだけでなく楽器もマルチにこなすみたいで、このEPでも聴こえるサウンドはたぶんオリヴィエひとりでつくったものかもしれません。ビート・メイクなんかはたぶんこれ打ち込みですよね。

 

1990年代ふうなサンプリング・ヒップ・ホップの感覚もあるかと思えば、往年のソウル、ファンク・ミュージックなどのエッセンスも垣間見えたり、またけっこうブルージーなサウンドも聴けるので、と思って調べると、オリヴィエ自宅のCDやテープのコレクションにはブルーズもたくさんあるんだそう。

 

ブリティッシュ・ロックなフィーリングだってちょっぴり感じるこの最新作、曲のメロディ・ラインに独特の陰影というかちょっとくぐもったようなフレイジングがあって、そんなところもぼくはおおいに気に入っています。甘くてスモーキーな歌声も好感度大。クラシカルなフィーリングと最新のオルタナティヴ・ソウルが絶妙にブレンドされている佳作です。

 

(written 2021.5.16)

2021/09/03

都会の夜に 〜 チェンチェン・ルーの現代R&Bジャズ

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(5 min read)

 

Chien Chien Lu / The Path

https://open.spotify.com/album/0fo6PcE438y9Ob8cDVF75m?si=cA-0DIkzTcirj0UfKI2jBg&dl_branch=1

 

チェンチェン・ルーは台湾人若手ジャズ・ヴァイブラフォン奏者。現在は米ニュー・ヨークのブルックリンを拠点にしているみたい。またしてもブルックリンですよ。以前も書いたけど、新世代ジャズ・ヴァイビストってブルックリンに集結しているんじゃないの〜?なにかあるよなあ。

 

ともかくチェンチェン・ルー。オフィシャル・サイトによれば、台湾の台北国立芸術大学で作曲やパーカッションを学んだのち2015年アメリカに留学、フィラデルフィア芸術大学ジャズ科でヴァイブラフォンを専攻したというキャリアの持ち主。

 

ぼくがこのヴァイビストを見つけたのはついこないだ八月上旬のことで、デビュー・アルバム『The Path』(2020)のPヴァイン盤CD入荷をディスクユニオンがツイートしていたからです。去年の作品ですが、日本ではまだほとんど知られていないんじゃないですか。Bandcampのページには配信リリースしか載っていないんで、フィジカルは日本盤しかないのかも。

 

しっかしこの『The Path』がホント最高なんですよねえ。現代ジャズとソウル/レア・グルーヴ/R&Bテイストとの幸福な結婚ともいうべきような内容で、グルーヴィなサウンドがなんともテイスティ。現代ジャズとブラック・ミュージックの交差する地点にしっかり存在する傑作と言えます。

 

特に1曲目ロイ・エアーズの「ウィ・リヴ・イン・ブルックリン・ベイビー」や続く2「インヴィテイション」、3「ブラインド・フェイス」と、冒頭三曲でのうねるグルーヴはみごと。チェンチェンのアレンジ/作曲能力もヴァイブ演奏能力もきわだっているし、それにリズム・セクションの表現するビート感が現代的で、しかも野太く、黒い。

 

もうこれら三曲だけでもノック・アウトされちゃいますが、全体の雰囲気に都会の夜のムードが横溢しているのも気持ちいいところですね。洗練されたニュー・ヨーク・ジャズといった感じで、ヴァイブやマリンバの硬質な音色がそんなフィーリングをいっそう高めています。

 

5曲目「ブロッサム・イン・ア・ストーミー・ナイト」は、台湾民謡「雨夜花」を現代的なソウル・ジャズへとアダプトしたもので、ここでのアレンジや演奏にもほんとうに感心します。チェンチェンの出自たる台湾的要素を感じさせるのはここだけかも。でも冒頭で聴こえる歌のサンプリングだけで、あとは都会のジャズなんですよ。

 

アルバム中いちばんのお気に入りとなっているのは6曲目の「ブルー・イン・グリーン」。もちろんマイルズ・デイヴィスの『カインド・オヴ・ブルー』からの一曲ですが、こんなにも雰囲気満点でメロウなR&Bジャズに変貌するなんて、もうタメイキしか出ませんね。最高のムード。都会の夜の甘美なムード満点です。

 

このチェンチェン・ヴァージョンの「ブルー・イン・グリーン」はほんとうに最高の現代R&Bジャズで、あまたあるこの曲のカヴァーのなかでも特に傑出したワン・アンド・オンリーなできばえ。ぼくはもう完全にこれに降参しています。聴き惚れちゃうな〜。溶けてしまいそう。

 

アルバム後半、8曲目「ジ・イマジナリー・エニミー」も9「ティアーズ・アンド・ラヴ」も、チェンチェンの作曲能力の高さがきわだってみごとだし、ブラック・ミュージックふうにメロウなフィーリングをたたえたサウンドが現代的で、ループ感をともなったビート・メイクともどもコンテンポラリー・ジャズのありかをしっかり示しています。

 

最終盤のアルバム・タイトル曲「ザ・パス」もチェンチェンの自作曲。幽玄な感じの演奏だなと思っているとそれはプレリュードに過ぎず、2分すぎから雰囲気が変わって、ノリのいいビートも効きはじめ、俄然現代ジャズの容貌をあらわにします。チェンチェンがマリンバで表現するソロは、いまの時代のニュー・ヨークで生きるフィーリングをたっぷり聴かせてくれていますね。

 

アルバム・ラストはスパイク・リー監督の映画から「モ・ベター・ブルーズ」。チェンチェンのR&Bグルーヴへのパッションを感じさせるつくりになっていて、これも言うことなしですね。

 

傑作でしょう。年末のベスト10では上位に入ること間違いなしです。

 

(written 2021.9.2)

2021/09/02

セヴンティーズ・ソウルまっしぐら 〜 ドゥラン・ジョーンズ&ジ・インディケイションズ

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(2 min read)

 

Durand Jones & The Indications / Private Space

https://open.spotify.com/album/4ogV05oprfriua7n9icbvN?si=g5t-OjnbQAyFIABcD33swg&dl_branch=1

 

萩原健太さんに教えてもらいました。
https://kenta45rpm.com/2021/08/02/private-space-durand-jones/

 

ドゥラン・ジョーンズ&ジ・インディケイションズについては、以前ぼくもちょこっとだけ触れたことがありますね。完璧に1970年代黄金時代ふうのレトロ・ソウルをやる連中で、甘茶的にスウィートなのがとてもいいんですよね。

 

そんなドゥラン・ジョーンズの最新アルバム『プライヴェイト・スペース』(2021)もまたそんな路線まっしぐら。いったいいま何年だ?と一瞬頭が混乱しそうになるほどのヴィンテージ・ソウル志向ぶりで、ぼくはいい気分。

 

特に1曲目「ラヴ・ウィル・ワーク・イット・アウト」がもう最高じゃないですか。これが冒頭にあるおかげで、それだけで、このアルバムの印象が決まってしまうくらいのミディアムなスウィート・ソウルぶり。これはいい!しかも聴こえるヴァイブラフォンはジョエル・ロスの演奏なんですって。どういう縁かなあ。控えめに入るストリングスもいいよねえ。

 

もうこれ一曲だけでおなかいっぱいというくらいこの1曲目が大好きなんですが、実際、ドゥラン・ジョーンズらは、アース・ウィンド&ファイアっぽさに寄りつつ、70年代なかばのブルー・ノートとかCTIふうというか、ディスコ的なサウンド・メイクも聴かせつつ、そのへんの時代感に白羽の矢を立てて、マニアックなソウル・ミュージック愛を炸裂させています。

 

でもこのアルバムのグルーヴには、確実にいまの時代っぽいループ感もただよっていたりして、そういった加減というか案配もなかなかうまいぐあいにやっていますよねえ。いい曲揃いですし、フルートとか、ハープとか、ちょっとチープな女声コーラスとか、ここぞのところでここぞの要素を散りばめているのもニクイところです。

 

いまの時代のR&Bにイマイチなじめない部分もあったりする身としては、こうしたソウル・ミュージックはホッと安心できて、いいんです。こういったあたりにソウル・ミュージックの未来があるだとか領域拡張だとか、そういうことは考えませんけどね。

 

(written 2021.9.1)

2021/09/01

なんでもないサンバ・アルバムだけど 〜 ヌーノ・バストス

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(2 min read)

 

Nuno Bastos / Coração Em Desalinho - Os Sambas de Ratinho

https://open.spotify.com/album/1YX0gMhwpsN2od4rAHQTO7?si=VYtU1dCHTdmmA5TXvxGydA

 

ヌーノ・バストスはポルトガル生まれながら、サンバに恋して一途に追求、いまはブラジルに住んでいるんじゃないかと思いますが、現地のサンバ・コミュニティからも一目置かれる存在にまでなっているそう。

 

そんなヌーノの新作アルバム『Coração Em Desalinho - Os Sambas de Ratinho』(2020)は、やはり同様にポルトガル生まれながらサンバ作曲家としてブラジルで活躍したラチーニョのソングブックとなっています。

 

ヌーノのこともラチーニョの曲も初体験なぼくにはなんとも言えないところではあるんですが、このアルバム、なかなか楽しく仕上がっているんですよね。中身は王道のエスコーラ系ストレート・サンバで満たされていると言っていいと思います。気をてらったり特に工夫したりといった感じのない、なんでもないサンバ・ミュージックですけど、楽しいですよ。

 

一つには曲がいいっていうことがあるでしょう。ラチーニョ初体験ではありますが、いいサンバ・ソングライターだとわかります。このアルバムではアレグリア系の明るいサンバと、サウダージ系の短調サンバがとりまぜられていて、ヌーノはどちらも違和感なくこなしています。

 

とりたててなんの変哲もないあたりまえのサンバ・アルバム。ですけれど、ちょっとありきたりじゃない新味サンバにオオッ!と思ういっぽうで、こうした王道サンバ・アルバムはなんどでもくりかえし聴けて、緊張しないし、聴くたびにほっと安心できるし、結局のところこういうのが愛聴作となるんですよねえ。

 

(written 2021.5.13)

2021/08/31

マイルズのチック&キース同時起用時代

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(9 min read)

 

Miles Davis / Isle of Wight

https://open.spotify.com/album/7htBv9PDUO3dN6KrCLEyG5?si=2WpqvRTvRsu9va-SYYskGw&dl_branch=1

 

このSpotifyリンクは、マイルズ・デイヴィス・バンドが、1970年8月29日、イングランドのワイト島フェスティヴァルに出演した際のフル・パフォーマンス音源。現在ではこうやってサブスクで単独アルバムとして手軽に聴けるようになって、ありがたいかぎりです。

 

この『アイル・オヴ・ワイト』はですねえ、LPレコード時代はテオ・マセロが編集した短縮版「コール・イット・エニイシング」としてしかリリースされていなかったもので、もちろん編集済みであることはみんな知っていたんで、ノー・カット版を聴きたいと思えども叶わず、という状態が長年続いていました。

 

この世ではじめて『アイル・オヴ・ワイト』のフル・パフォーマンスが日の目を見たのは、CD音源としてではなく映像作品としてで、2004年リリースのDVD『マイルス・エレクトリック』の一部として収録されてだったという。前からくりかえしていますように、音楽が聴きにくいから映像はいらないぼくなんですけど、これはさすがに買いました。

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その後、CDでもその音源が収録されたものが出るようになって、といってもトータル約35分間ですからね、これだけだと短すぎるっていうんで、なにかほかのライヴ音源との 2in1 的抱き合わせというパターンばかり。サブスクだとこれだけ単独で聴けますけど、このへんはフィジカル・メディアに疑問を感じないでもありません。

 

ぼくの知るかぎり、マイルズのこの『アイル・オヴ・ワイト』だけを収録したという単独CDは一種しかありません。2009年リリースの『コンプリート・コロンビア・アルバム・コレクション』という71枚組だかのバカでかいボックス・セットに一枚それが入っていました。それだけ。そのためだけに買ったわけじゃありませんが。

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ところで、ワイト島フェス1970年8月29日のマイルズ・バンドは、記録に残っているかぎり、このバンドにおけるチック・コリアのラスト出演となったもの。ご存知のとおり、このときチックとキース・ジャレットのツイン鍵盤体制ですけれど、この後はキース一人になっていき、71年いっぱいまでそれが続きます。

 

チック・コリアがマイルズのもとに初参加したのは、1968年9月24日のスタジオ録音で「マドモワゼル・メイブリー」と「フルロン・ブルン」を録音したとき。しかしこの年はその前後マイルズ・バンドのライヴ記録がなく、チックがツアー・バンドのレギュラー・メンバーになったのがいつごろだったのか不明なんですね。

 

といいますのも、1968年9月にチックを起用して二曲を録音し(アルバム『キリマンジャロの娘』に収録されリアルタイム・リリースされた)たものの、すぐそのままマイルズのスタジオ・セッションはマルチ鍵盤奏者時代に突入するからです。

 

二ヶ月後の68年11月にはハービー・ハンコックとチックとの二名同時起用で録音していますし、同月数日後にはさらにジョー・ザヴィヌルをくわえてのトリプル体制となり、ちょっとづつメンツを交代させながら、こんな状態が70年暮れまで続きます(71年はスタジオ録音なし、ライヴだけ)。

 

ライヴ・ツアーは1969年はじめごろに再開されるようになったのが記録に残っていて、全米や欧州をまわり、そこからかなりの数のブートレグも発売されています。そこではもちろんすでに鍵盤のレギュラーはチックで、これがいわゆるロスト・クインテットとして知られるマイルズ69年バンドだったわけです。

 

スタジオではほとんどのばあいニ、三人の鍵盤奏者の同時起用を軸として、打楽器奏者なども拡充しながら常に大編成でセッションし結果を出していた1968年暮れ〜70年のマイルズですが、そのあいだ同時並行でやっていたライヴ・ツアーは少人数のレギュラー・バンドでやっていて、そのキモをチックが握っているという状態が続いていました。

 

ここにキース・ジャレットが参加し、ライヴをやるレギュラー・ツアー・バンドでもツイン鍵盤体制になったのがいつごろだったのか、やはり判然としないわけですが、記録が残っているかぎりでは、例の『マイルズ・アット・フィルモア』になった1970年6月17〜20日のフィルモア・イースト公演が最初。

 

スタジオ録音では同年5月19日の「ホンキー・トンク」(『ゲット・アップ・ウィズ・イット』収録)でキースを初起用していて、その後コンスタントにスタジオ・セッションに呼んで(チックやハービーらとの複数人体制で)起用していますから、そのときの好感触がマイルズにあって、レギュラー・バンドにどうか?と誘ったのかもしれません。違うかもしれません。なにもわかりません。客観的証拠がないんですから。

 

ともあれライヴをやるレギュラー・バンドでチックとキースのツイン鍵盤体制だったのは、記録でたどるかぎりでは1970年6月17日から同年8月29日まで。たったのニヶ月間ほどのことなんですね。しかしマイルズはこのチック&キースのツイン鍵盤サウンドをずいぶん気に入っていたみたいです。

 

後年、つまり1981年の復帰後は、過去をふりかえる昔話を隠さずどんどんするようになったマイルズですが(音楽的には75年の一時隠遁前からよく自己の過去音源を参照していて、下敷きにしてあたらしい音楽を産み出していた)、そんな回顧のなかでも、1958〜59年のジョン・コルトレイン&ジュリアン・キャノンボール・アダリー時代と、70年のこのツイン鍵盤時代のことは自慢していました。

 

以前からくりかえし書いていますが、マイルズ・デイヴィスという音楽家はオーケストラルな分厚いサウンド志向の強い人物で、だからギル・エヴァンズをあんなに重用したわけですし、サックス二本とか、鍵盤ニ台とか、ギター二本なんていう体制をレギュラー・バンドでもよく採用しました。

 

復帰後も、1983年のマイク・スターンとジョン・スコフィールドのツイン・ギター時代を経て、86〜90年にはロバート・アーヴィングとアダム・ホルツマンとか、そのほかメンツは折々変更されましたが同時二名のキーボード・シンセサイザー奏者をバンドで起用していました。

 

ライヴ・ツアーをやるレギュラー・バンドでツイン鍵盤(or ギター)体制をはじめて採用したのが、1970年夏のチック&キース時代であったということで、やはりおそらくスタジオ・セッションでオーケストラみたいに響く(のですごかったと1975年来日時のインタヴューでも語っていた、『アガルタ』ライナーノーツ収録)のをとても気に入って、ライヴでも再現したかったということだったんでしょうね。

 

そんなサウンドを、きょうはじめにご紹介した70年8月のワイト島フェスでのライヴ・パフォーマンスでも聴けますし、また6月のフィルモア4デイズ(はいまや完全版四枚組で発売されていてサブスクでも聴ける)なんかでもよくわかるんじゃないかと思います。

 

(written 2021.6.17)

2021/08/30

音楽家は音で勝負だ 〜 パトリシア・ブレナン

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(4 min read)

 

https://www.youtube.com/user/VibesBeyond

 

YouTubeでパトリシア・ブレナンのヴァイブラフォン(やマリンバ)演奏シーンを観ていると強く印象付けられることがあります。演奏内容は発売されているアルバム『Maquishti』録音の際のセッションそのままが多いんで新味はないですが、もっと違う部分、つまりパトリシアのルックスが印象に残るなということなんです。

 

きれいだとか美人だとかきらびやかだとかいう意味ではありません。まったくその逆で、パトリシアは外見をいっさい飾らない演奏家なんですよね。髪型もテキトーだし、フェイス・メイクなし、アクセサリー類はまったく着けず、服装だってシンプルな素っ気ないものです。

 

しかしそんな姿で奏でられるヴァイブラフォン・サウンドはこの上なく美しいんですよねえ。これはあれです、「音楽家は音で勝負だ」という透徹した姿勢の表れなんじゃないかとぼくは解釈していて、だからこそいっそうの好感を抱くんですよね。いさぎよいというか、ルッキズムを徹底排除したところに自身の音楽があるという覚悟でしょう。

 

性別問わず歌手や演奏家も、ライヴ・ステージなどで、あるいは動画撮影などする際も、ある程度はルックスを気にするもんじゃないでしょうか。顔のつくりじたいは変えようがないけどメイクでけっこう化けられるし、髪型や服装など気を遣って、それで見た目の印象がよくなるように配慮していると思います、ほぼ全員。

 

ところがパトリシアにはそういった部分がまったくなく。もちろんまだライヴ・ステージにナマで接したことはないんですけれども、YouTubeにもライヴ・シーンがちょっとだけ上がっているし、スタジオ・セッションの際の演奏シーンでも、こんだけまったく外見を飾らない演奏家って、かなりまれなのではないでしょうかねえ。

 

それゆえに、ちょっと人気が出にくいという面もあるかもしれません。ましてや女性ですしね。まだまだ世界ではルッキズムがある程度、いや、かなり、幅を利かせているというか、特に女性歌手、演奏家に対してはですね、かわいかったり美人がいいだとかきれいな衣装を着るべきだとか、さまざまに言われるじゃないですか。

 

しかしですね、真の勝負要素は演奏内容、音です。歌手なら声。それこそが音楽家の「命」ですよ、どんなサウンドを出せるかが。パトリシアはそこにこそ全力を傾注しているように、YouTube動画を観ていると感じるんです。音楽家として、徹底して音にだけ真摯に向き合おうっていう、そういう姿勢が鮮明に読みとれて、ぼくなんかは強い好印象を持ちますね。

 

もともとSpotifyで(CDやレコードはまだ買っていない)でできあがった音楽だけ聴いていたころから大ファンでしたけど、YouTubeで動画をいくつも観るようになってからは、こんな理由でもっとさらにファンになりました。音楽家はルックスじゃない、あくまで音で、音だけで、勝負するもんなんだという、そういうパトリシア・ブレナンの真面目な態度や信念が全開になっているように思えます。いいことですよねえ。

 

(written 2021.5.9)

2021/08/29

再生回数が少なくてもいい音楽はたくさんある 〜 ニーナ・ヴィルチ

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(3 min read)

 

Nina Wirtti / Joana de Tal

https://open.spotify.com/album/0Oivkm8f3O3YIIvPEJJr05?si=4FBcm_KhTiajNijwNuJeGw

 

ブラジル人歌手ニーナ・ヴィルチの『ジョアナ・ジ・タル』(2012)。もうホント大好きで、いまでもときどき聴くんですけど、それまでもずっと聴いていたころとの違いは、Spotifyアプリに再生回数が表示されるようになったこと(きのうも書いたけど今年四月から)。

 

するとですね、ニーナのこの『ジョアナ・ジ・タル』もかなり再生回数が少ないんですよ。各曲どれも1万回いってなくて、数千回程度。これ、2012年の作品で、Spotifyサービスが本格化したらすぐ入ったはずなのにねえ。

 

こんなにわかりやすくて、こんなに楽しくて、キュートでポップな音楽でも、その程度しか再生されないっていう、う〜ん、どうもやっぱりサンバ・ショーロってそれくらいしか聴くひといないのか…。ちょっと一回聴いてみればこの音楽のトリコになってしまうこと必定、と思うのはぼくだけ?

 

ブラジル音楽が一般的にさほどは聴かれないものなのか、ほかの例をあたっていないのでわかりませんが、でもついこないだ4月30日に解禁されたばかりのジョアン・ジルベルト『三月の水』をちょっと覗いてみたら、もうすでに数十万回も再生されている曲が多いじゃないですか。

 

これは知名度の差かなあ。ジョアンはボサ・ノーヴァの巨星で知らぬひとのない存在だけど、ニーナ・ヴィルチなんてねえ、知っているひとはかなり少ないんじゃないかと思いますから。音楽は圧倒的に楽しいんだけどなあ。どうして聴いてもらえないんだろうか。

 

Spotifyのデスクトップ・アプリが曲ごとの再生回数を表示するようになったのも良し悪しで、人気の指標になるから一定の判断ができるようにはなったとはいえるものの、一般のファンはそこまで考えませんからねえ、みんなが聴いているんならじゃあ自分もちょっと聴いてみようかな、くらいに軽く扱うひとが多いのかも。

 

すると、知名度があってどんどん聴かれる曲はますます聴かれ、人気のない音楽はそのまま低迷状態が続くっていう、そんなことになってしまうような気がします。再生回数が少ないけれど音楽的にはとてもいいんだよ、楽しい音楽なんだよって、もっと引っぱりあげるようなことをしないといけませんよね。ぼくもその一翼を担っているものと自覚して、どんどんオススメ、というかブログで書いていきたいと思います。

 

ただでさえ、世間一般的にはあまり聴かれない音楽ばかり掘っているのかもしれませんからね。お〜い、みんな、ここにグッド・ミュージックがあるぞ!と、ふだんから声を大にしているつもりですが、もっともっとどんどんやらないと。

 

(written 2021.5.9)

2021/08/28

パトリシア・ブレナン『Maquishti』の再生回数が少なすぎる

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(7 min read)

 

Patricia Brennan / Maquishti

https://open.spotify.com/album/52xnMW8ir7yfyuVzUSpeTZ?si=25Sngl5sT8uTKI_7JJ5Vyw

 

ヴァイブラフォン独奏によるパトリシア・ブレナンのデビュー作『Maquishti』がリリースされたのは2021年1月15日。ぼくが知ったのはそのちょっとあとになってCD入荷を告げるディスクユニオンのツイートがあった同月下旬ごろだったと思います。

 

で、Spotifyでさがしてみたらあったので聴いてみて、惚れ込んでしまい、そのままヘヴィ・ロテに。完全にトリコになってしまっているというか、(比喩じゃなく文字どおり)毎晩ベッドに入る前に必ず聴いています(した)。だから、もう100回以上は聴いたんじゃないですかね(記事執筆時点)。それほど心地いい。

 

これ、もちろんレコードもCDもあるんですけど、ぼくはSpotifyで聴いています。で、以前もなにかのときにちょろっと言いましたけど今年四月頭のデスクトップ用Spotifyアプリの大幅刷新で、各曲の再生回数が表示されるようになったんですね。それでパトリシアの『Maquishti』のことも見てみたら、っていうか必然的に目に入るわけですけど、これが発売後三ヶ月以上経過しているとは思えない少なさなんですよね。

 

曲ごとに集計されていますが、このアルバムでいちばん再生回数が多いのでも2曲目「Solar」の8万回(記事執筆時点)。少ないのになると万回に届いてなくて4千とか3千回程度しか再生されていません。こりゃ、いくらなんでも少なすぎじゃないのかなあ。そんなに聴くひといないのか、このアルバム。みんな、フィジカルで買ってんの?そうとも思えないけどねえ。

 

多くて8万回という再生回数がいかに少ないものなのか、それは人気のある有名音楽家の有名曲をみればわかります。ぼくがパッとすぐ思いつく範囲だと、たとえばビートルズとかプリンスとかマドンナとか。ちょっとSpotifyで覗いてみたら、たとえばビートルズの「イエスタデイ」「ヘイ・ジュード」「レット・イット・ビー」あたりで3億回以上再生されているんです。

 

プリンスの「パープル・レイン」が約2億回。ローリング・ストーンズの「サティスファクション」が約4億回。デレク&ザ・ドミノズ(エリック・クラプトン)の「レイラ」が約2億回。レッド・ツェッペリンの「天国への階段」が約5億回。

 

このあたり、聴くひとはすでにほぼみんなCDなどのフィジカルで持っているだろうという音楽家のでもそれくらいのSpotify再生はあるもんなんです。サブスク・ネイティヴ世代ともなれば、たとえばビリー・アイリッシュの「バッド・ガイ」(2019)が17億回再生。

 

世間一般的に人気のないジャンルであろうジャズ分野だと、たとえば全ジャズ史上最人気アルバムとも言われるマイルズ・デイヴィスの『カインド・オヴ・ブルー』のうち、Spotifyで最も聴かれているのが3曲目の「ブルー・イン・グリーン」で1億回。アルバムのシグネチャー・ソングともいうべき1曲目の「ソー・ワット」が6千万回とあんがい少ないですけどね。

 

こんな具合ですから、いくら無名の新進音楽家のデビュー作で話題にもなっていないとはいえ、パトリシア・ブレナンの『Maquishti』はあまりにも聴かれなさすぎです。このアルバムに対する世間の関心はほんとうに低いんだな、まるで注目を集めていないし話題にもなっていない、どんなにいい音楽でも人気が出ないものは出ないんだということを痛感します。

 

そういった超マイナーな音楽家の、だれも話題にすらしていない、しかしすぐれた作品に、光を当て、耳目を集めるようにするのは、音楽マスコミ、音楽ジャーナリズムの仕事じゃないんですかね。その点でも日本語の音楽ライターたちはパトリシア・ブレナンにかんしサボっているとしか思えません。

 

たとえばGoogle検索で “Patricia Brenann” と入力してリターン・キーを押すと、相当数の英語記事が出ます。だから(主にたぶんアメリカの)英語ジャーナリズムはこのアルバムを高く評価して、それなりのレヴューをどんどんネット掲載しているんですよ。

 

ところがカタカナで「パトリシア・ブレナン」と入れて検索しても、ディスクユニオンなど通販サイト以外は、ぼくの書いた記事ともう一個、「サナコレ」っていうアマチュア音楽ブロガーのサイトしかヒットしないんですね。なんてこった!こんなことでいいのか!?

 

紙メディアのならすでにどなたか輸入盤で紹介しているかもしれないですが、おそらく期待できないでしょうねえ。つまりパトリシア・ブレナンのソロ・アルバム『Maquishti』、こんなにもすぐれた、こんなにも美しい音楽なのに、聴かれもしないければ(日本語圏では)まったく話題にもなっていないというわけで、なんとも嘆かわしい現状なんですね。

 

必ずしも人気が出るとはかぎらないところをぼくもどんどん掘っているのかもしれませんが、パトリシア同様に夢中になっているアヴィシャイ・コーエンの『Two Roses』だってSpotifyでみたら各曲とも数万回単位の再生しかなくて、それでもこっちはまだリリースされて一ヶ月も経過していませんからね(記事執筆時点)、こんなもんかもしれません。

 

もはやフィジカル売上よりも、サブスク・サービスでの再生回数による収益金分配が音楽産業の中心(総売上の八割以上)となったいま、それを上げるように音楽評論・ジャーナリズム業界も動かないといけないんじゃないですかね。パトリシア・ブレナンの『Maquishti』にかんしては、こんなにもすばらしい音楽なのに、そういった努力がまったく足りていません。

 

すばらしい音楽だ、ということを熱心に書くひとが、ぼく以外ほぼだれもいないんですから。

 

(written 2021.5.8)

2021/08/27

熱心なマイルズ・ファンというのは、どこにでもいるもんだ

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(5 min read)

 

Miles Davis - Complete Thursday Miles At Fillmore

https://www.youtube.com/watch?v=mPYjK7XVNUE&lc=Ugx0PkjGJBIR058SXMt4AaABAg.9Mc8gWCtPGZ9Mcp_jx2kiu

 

YouTubeにたくさんあげているマイルズ・デイヴィス関係のブートレグ音源。公式発売されていないものはこうやってみなさんとシェアするしかないのですが、たくさんコメントがついてにぎわっていて、うれしいかぎりです。

 

音楽の内容については、どんな感想を持とうと、どう感じようと、各人それぞれなのでどうとも思いません。音源にまつわる個人的な思い出話みたいなものを語ってくださるのも楽しく読んでいます。

 

しかし客観的事実関係にかんして、「これはこうだ!」と断定してあって、しかもそれが事実誤認なんじゃないかと思えるときは、やっぱり訂正しておいたほうがいいのかなと思うこともあるんですよね。

 

そういったことが以前からたまにあるんですが、こないだもですね、上でリンクした「コンプリート・サーズデイ・マイルズ・アット・フィルモア」にそんなコメントがつきました。これの10:00〜12:00は「ファラオズ・ダンス」であると断言する(英語の)かたが出現したのです。

 

いやいや、そんなことはないでしょうと。そこは1曲目「ディレクションズ」の終盤部で、バンドも例のリフというかベース・ヴァンプを反復しているし、それに乗ってボスもトランペットで「ディレクションズ」のテーマ・メロディを吹いているパートじゃないですか。

 

とコメントを返したら、いやいや、わたしは「ファラオズ・ダンス」が大好きで大好きで、もう何千回もくりかえし聴いている、だから一聴で速攻わかりましたよとおっしゃるんです。で、念のためと思い、『ビッチズ・ブルー』1曲目の「ファラオズ・ダンス」をじっくりと聴きなおしてみました。ぼくもこの曲、ファンですけどね。

 

そうしたら、やっぱり案の定みつかりませんよ。いったいどこが、「コンプリート・サーズデイ・マイルズ・アット・フィルモア」の10:00〜12:00のどこらへんが、「ファラオズ・ダンス」だというのでしょう?

 

そのかたは、時間があるときにどこがどうそうなのか、一度聴きかえして具体的に指摘してあげるっていうんで、じゃあお願いします、ぼくはわからなかったから、とコメントを返してから、もうずっとまったく音沙汰なし。そんなに忙しいかたなのでしょうか。やっぱり間違っていたと気がついてケツまくったのでは?という可能性もありますよね。

 

「コンプリート・サーズデイ・マイルズ・アット・フィルモア」の音源は上でリンクしておきましたので、この話に興味がおありのみなさんはちょっと覗いてみてください。1970年7月の水曜日から土曜日、四日連続でフィルモア・イーストにマイルズ・バンドが出演した際の木曜日分ノー・カット・フル音源です。

 

念のため、「ファラオズ・ダンス」はこちら↓
https://www.youtube.com/watch?v=05leipH58jM

 

そして、「コンプリート・サーズデイ・マイルズ・アット・フィルモア」の1曲目になっている曲「ディレクションズ」(ジョー・ザヴィヌル作)のマイルズによるオリジナル・スタジオ録音↓
https://www.youtube.com/watch?v=GOGX6XF6bpg

 

なお、「ディレクションズ」には明快なテーマ演奏が冒頭にありますが、「ファラオズ・ダンス」にはそれがありません。冒頭からずっとインプロヴィゼイションで曲が進行し、そのなかに各人のソロもちりばめられています。唯一、16:38〜から演奏終了にかけて、マイルズが(ノリを変えながら)八回反復する同一メロディというかモチーフがあるのですが、それが「テーマ」だといえばそうかもしれません。

 

でもそれだって、「コンプリート・サーズデイ・マイルズ・アット・フィルモア」には一瞬たりとも、一片も、出てこないのです。

 

(written 2021.5.6)

2021/08/26

きょうはずっとストーンズばかり聴いている

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Charlie Watts (June 2, 1941 – August 24, 2021)

 

https://open.spotify.com/playlist/6adxCMc4HuaZj21ymUXK9d?si=60868f3b2a024d8c

 

The followings are my most favourite Chrlies Watts 5.

 

Sympathy For The Devil (1968)
https://www.youtube.com/watch?v=GgnClrx8N2k

 

Honky Tonk Women (69)
https://www.youtube.com/watch?v=hqqkGxZ1_8I

 

Bitch (71)
https://www.youtube.com/watch?v=a4g8PxsG_j4

 

Just My Imagination (78)
https://www.youtube.com/watch?v=_FDlZPOLn0M

 

Dance (Pt. 1) (80)
https://www.youtube.com/watch?v=_g2jDc5jrIc

 

(2021.8.25)

2021/08/25

淡色系レバノン歌謡 〜 アビール・ネフメ

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(3 min read)

 

Abeer Nehme / Byeb’a Nas

https://open.spotify.com/album/75Kg82i925AgtrYJTqJyJU?si=NRrqAH4aQZuJXVpBUTJfyA&dl_branch=1

 

レバノン人歌手、アビール・ネフメ。以前bunboniさんが紹介していましたね。そこでとりあげられていたのは2018年作でしたが、Spotifyで見ると最新作『Byeb’a Nas』(2021)が聴けます。

 

こ〜れがまた、いいんですよねえ。アビールは1980年生まれですし、そこそこ活動してきていてアルバムもわりとありますから、若手という感じじゃないですね。中堅どころといったあたりでしょうか。同じレバノン歌謡では、数歳年下にヒバ・タワジがいますが、絢爛豪華で派手なヒバとは対照的な、地味で淡く歌う歌手です。

 

そういうのがアビールのばあいは好結果に結びついていますよね。あたたかみのある中音域がベースになっている堅実なアビールの歌唱法は、近年世界で主流になってきているスタイルの一環と言えましょう。曲のよさ、アレンジの秀逸さをそのまま活かせる歌唱法ということで、実際、この2021年作はかなり聴きごたえのあるいい曲が揃っています。

 

曲はアビール自身で書いているものもあるし、ウサマ・ラハバーニの曲なんかも混じっている模様。ぜんぶ新曲なんですかね。だれがプロデュースやオーケストレイションをやっているのかわかりませんが、ウサマだとしたらヒバのときとの大きな違いに驚きます。このアビールの作品では、リズム+ストリングスによるどこまでも控えめなサウンドですからね。

 

そういったあたり、後輩の有名人ヒバ・タワジよりも大先輩のフェイルーズを想わせるサウンドと歌いかたで、正調レバノン歌謡の新世代としておおいに期待できる存在じゃないでしょうか。西洋的なサウンドやオーケストレイションでくるまれたアラブ的な哀愁に満ちたメロディが心に沁みますし、それをストレートに聴き手に伝えるアビールの歌がみごとです。

 

その決して気どらない、技巧をみせびらかさない、淡くストレートかつ素直に、さわやかさすらただよわせながら、歌ってみせるアビールのやりかたで、こういった曲の数々がフルに活きるというもんです。レバノン歌謡とはどういうものか、じっくり&しっとり味わうことのできる好アルバムで、ぼくはもうすっかりヘヴィ・ロテ状態。

 

ラスト8曲目だけは、ちょっと西洋的っていうかアメリカン・ポップスを思わせる軽い曲調で、ちょっとディズニーっぽいフィーリングもあるチャーミングな曲。アラブふうな哀愁感はありませんが、それまでとの雰囲気の変化がとてもいい感じに聴こえます。

 

(written 2021.8.24)

2021/08/24

アナザー・サイド・オヴ・ジョン・コルトレイン

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(7 min read)

 

John Coltrane / Another Side of John Coltrane

https://open.spotify.com/album/5A4BHYbEff8raBUrt4CCE0?si=AOleD8-ETyKblVoqiirMWA&dl_branch=1

 

1. Tenor Madness (Sonny Rollins / Tenor Madness 1956)
2. ‘Round Midnight (Miles Davis and The Modern Jazz Giants 1956)
3. Oleo (Miles Davis / Relaxin’ 1956)
4. Airegin (Miles Davis / Cookin’ 1956)
5. Soultrane (Tadd Dameron / Mating Call 1956)
6. C.T.A. (Art Taylor / Taylor’s Wailers 1956)
7. Monk’s Mood (Thelonious Monk / Thelonious Himself 1957)
8. Epistrophy (Thelonious Monk with John Coltrane 1957)
9. Trinkle, Tinkle (Thelonious Monk with John Coltrane 1957)
10. Billie’s Bounce (Red Garland / Dig It! 1957)
11. Someday My Prince Will Come (Miles Davis 1961)
(数字は録音年)

 

8月20日にリリースされた『アナザー・サイド・オヴ・ジョン・コルトレイン』(2021)。独立して自分のバンドを持って活動するようになる前の、サイド・メンバー時代の音源に焦点を当てたコンピレイションで、コンコード傘下レーベル(プレスティジ、リヴァーサイドなど)音源を中心に、大手コロンビアのものも一個だけ収録されています。

 

となれば、あるいはそうでなくともそもそも、マイルズ・デイヴィス関係とセロニアス・モンク関係の音源が多くなるのは必然。実際全11曲中マイルズものが4曲、モンクものが3曲ということで、この二種類が大半を占めているのはいうまでもありません。

 

この1956〜61年までのコルトレインの成長に耳を傾けるように味わうというのがこのコンピレイションの聴きかたでしょうし、実際、成長めざましいものがあります。逆にアトランティック、インパルス時代の演奏でふだんなじんでいるファンのみなさんには新鮮に響くかも。

 

まずは1956年、ソニー・ロリンズと共演した「テナー・マッドネス」で幕開け。モダン・ジャズ・テナー・サックス界の二大巨人のスタイルの違いを比較できる絶好の機会とみる向きもあるようですが、トレインのほうがまだまだ未熟で、到底ロリンズとは比べものにならないなというのがぼくの正直な感想です。

 

この共演時、すでにトレインはマイルズ・バンドの一員でした(55年から)。それだってもともとマイルズはロリンズに入ってもらいたかったのに断られたのでやむなくトレインになっただけで、イモくさい、ドンくさいトレインの吹奏ぶりを存分に味わうことができますね。まろやかによく歌うロリンズとは好対照です。

 

ロリンズのことは、ある意味このコンピレイション前半部の隠しテーマみたいになっていて、マイルズ音源パートでも「オレオ」「エアジン」となぜかロリンズの曲が続きます。同じテナー・サックス奏者の書いた曲だからなのか、それともリーダーの統率ぶりがみごとだったのか、それらではトレインもそこそこ聴けるソロを吹いているのが印象的。

 

また、さらにもう一曲「ラウンド・ミッドナイト」が収録されているのはモンクの曲ということで、このアルバム後半のモンク音源パートの予兆のようになっているのも興味深いところ。やっぱりトレインが立派になったのはマイルズがいっときバンドを解散したのでモンクのところに参加していた57年からですよね。

 

実際7曲目からの三曲連続のモンク音源で聴けるトレインは、それ以前とはあきらかに違います。音色もシャープで硬質になっているし、なんといってもフレイジングが変わりました。それまでのモッサリした吹きかたを一掃、いわゆるシーツ・オヴ・サウンズと呼ばれる高速で音をびっちり敷き詰めていくスタイルが完成に近づいています。

 

コードや楽理、音楽全般の理解なんかもモンクからずいぶんと教わったはずで、やはり57年こそトレインにとってのターニング・ポイントだったかもしれません。特に9曲目「トリンクル・ティンクル」での目覚ましい吹きっぷりなんか、すばらしいじゃないですか。

 

さらにこのコンピレイションでいちばんビックリしたのは、個人的にいままで聴いたことのなかったレッド・ガーランド『ディグ・イット!』からの「ビリーズ・バウンス」です。57年の録音みたいですけど、ここでのトレインは、これ、どうしたんですか?ここまで吹きまくれるとは。まるで59年ごろ以後のスタイルがすでに完成しているじゃないですか。これホントに57年?驚愕の超絶吹奏ぶりです。

 

ここまで来ればですね、もはやなにも言うことはない、ぼくらみんなが知っているあのトレインがここにいるということで、サイド・メンバーとしてマイルズやモンクのもとで修行し、みずから研鑽を重ねた結果、こんな高みに到達してしまったわけです。55年のマイルズがここまで見抜いていたとしたら名伯楽でしたが、どうでしょうか。

 

ラスト11曲目「サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム」は61年3月のセッションということで、もうすでにトレインは独立し自分のバンドで活動していた時期のゲスト参加です。これと、さらに同じアルバムに収録されている「テオ」が、サイド・メンバーとしてのトレイン生涯ラスト演奏になったので、このコンピレイションに選ばれたのでしょうね。

 

「サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム」では、当時のマイルズ・バンド・レギュラーだったハンク・モブリーもソロを吹いていて、トレインとの大きな差を聴くことができます。モブリーは決して悪いわけじゃないんですよ、ハード・バップ・テナーとしては標準的といったあたりですが、トレインがあまりにもかっ飛びすぎているだけで。モブリーには残酷ですけど。

 

最後に。マイルズ・バンドでのトレインのサイドでのかっ飛びぶりを聴くならば、脱退直前、60年初春のヨーロッパ・ツアー音源もぜひ聴き逃さないでいただきたいと思います。2018年に『ザ・ファイナル・ツアー』というボックスになってレガシーから公式発売されました。トレインの狂気がたっぷり詰め込まれています。
https://open.spotify.com/album/3p6XK8PERkujtV6MRu7QH3?si=s0oz_ac8TGmP0EaEv3e8-Q&dl_branch=1

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(written 2021.8.23)

2021/08/23

岩佐美咲「アキラ」を聴いた 〜 ヨーロー堂歌唱配信 2021.8.21

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(6 min read)

 

2021年8月21日16:00から約30分間、わさみんこと岩佐美咲の浅草ヨーロー堂歌唱配信がありました。今回は10月発売予定の新曲「アキラ」を歌うというのが目玉で、もちろんそれを目当てにぼくもこの配信を聴いたわけです。

 

四曲の全体的な印象としては、ずいぶん歌がヘタになったなあと思います。音程もややふらついているし、なんといっても発声があいまいで雑。もっとていねいに歌う歌手だったと思うんですが。ノビやハリなど声もイマイチ出ていません。

 

理由は間違いなく歌い込み不足。コロナ禍で現場がほぼゼロになってしまいまして、事務所がそれを補うだけの歌唱配信もやらないせいで、歌う機会は激減。これじゃあね、どんな才能のある歌手でも衰えます。

 

美咲の歌はこんなもんじゃない、もっとしっかり歌える歌手だっていうのは、2018年暮れ〜2019年いっぱい、それこそ無数の歌唱イベントやコンサートなどに出向き、コンピューター補正の入らないナマの美咲を山ほど聴いてきた身なので、よくわかっているつもりです。いまの美咲は本来の姿じゃありません。

 

それでも同じヨーロー堂配信では、前回五月の配信のときよりはよくなっていました。六月以後、明治座、新歌舞伎座、ディナー・ショー、コンサートなど、現場の客前で歌う機会が以前よりはありましたので、とりもどせた部分もあったかと思います。

 

ムダなおしゃべりが減ったかもなというのも改善された点ですね。このこと、わさみんはコンサートなんかでもしゃべりすぎ、もっと減らして歌に集中すべきと、わいるどさんのブログのコメントで書いたことがありますが、ひょっとして本人やスタッフの耳に届いたんでしょうか。

 

おしゃべりを減らしたならば、そのぶんもっと歌に割けるはずだと思うんですが、曲数なんかは従来どおり四曲のまま。もっとしゃべりを減らして五曲にするとか、1曲目からフル・コーラスで歌うとか、やりようはいくらでもあるんじゃないかと思います。

 

ともあれ、今回は新曲「アキラ」、これですよ。4曲目にしっかり歌われました。フル・コーラス。若干の不安定さをみせていた3曲目までとはまるで別人のようなしっかりした歌いぶりで、発売予定の新曲だけにリキが入っているんだなと実感することができました。4曲目だったことも幸いしたと思います。

 

「アキラ」、8月13日のコンサートでも歌われたようで、しかし金欠によりそれには行けていないぼくだから、多くの美咲ファンにとって二回目であるところ、ぼくはこれが初回でした。まだ発売もされていないしMVも公開されていないというわけで、きょうの一回しか聴けていませんので、どんな曲なのかについてはまだなんとも言いようがありません。

 

はっきりしているのは、「アキラ」は函館が舞台になっているということ、「恋の終わり三軒茶屋」(2019)「右手と左手のブルース」(2020)に続く歌謡曲路線第三弾であるということ。この傾向でしばらくやるんですかね。地方都市が舞台になっているのはいわゆるご当地ソングの一環とも言え、その意味では「鞆の浦慕情」「鯖街道」の路線に連なるものともみることだってできます。

 

函館で恋したアキラという名前の相手のことが、離れても忘れられないという未練ソングで、「ねぇアキラ、ねぇアキラ」とくりかえすリフレインがとても印象的なセンティミエント。歌い込んでいけば(といっても発売が10月だけど)、「初酒」「鯖街道」のような代表曲になるであろうようないい曲でしたよねえ。

 

くわしいことは10月6日に発売になったらくりかえし聴いて書くとして、運営スタッフには、現場なり配信なりでどんどん歌わせていってほしいなと切望しておきます。「アキラ」、曲はいいだけにですね、美咲自身どんどん歌い込んでいって完成度を上げていくことができれば、立派な内容を聴かせることができるようになると思います。

 

さて、前半で言いましたように、美咲の歌唱力はあきらかに落ちました。コロナ禍前のように毎週定期的にどんどん客前で歌うという機会が失われたのが理由ですが、回復のためにスタッフはやることがあるはず。現場でも配信でも、もっと歌唱機会を増やさねばなりません。

 

以前わいるどさんも言っていましたが、長良プロのよくないところは現場があるときはまったく配信しないし、配信ばかりのときはまったく現場がなくなるところ。両者同時並行で歌唱機会を2019年までのように従前どおりキープしていかないと(どうもやる気がないみたいだけど…)、水準をキープできないどころか落ちる一方です。

 

岩佐美咲、ポテンシャルは高い歌手だけに、生かすも殺すもスタッフの運営いかんにかかっています。よろしくお願いしますね。

 

(written 2021.8.21)

2021/08/22

こぶしの終焉

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(7 min read)

 

Aretha Franklin / Aretha

https://open.spotify.com/album/0RemO3TlI1NdaeWqdE4E9H?si=-RqdRCODRPOh9WKFuGG2ZA&dl_branch=1

 

今年七月末ごろ、ライノからCDなら四枚組になるアリーサ・フランクリンの新しいベスト・アルバムが出ましたよね。その名もずばり『アリーサ』とだけ、シンプルなのも魅力で、至高のディーヴァここにあり!といった雰囲気で、いい感じ。

 

『アリーサ』はこの歌手にとって初のレーベルの枠を超えたキャリア・スパンニングなアンソロジーで、その意味でも重要です。なかにはアリスタ時代のものとか、いまだにCD&配信リイシューすらされていない廃盤音源もふくまれていたりしますから。

 

聴けばもちろん文句なしに感動しますし、すばらしい、偉大な存在であったことはだれだって微塵も疑わないわけですけれども、しかしいま2021年になってこうしたヴォーカルを聴くのは、ちょっとヘンな気分がしないでもないというのがぼくの正直なフィーリングです。もはやこういったぐりぐりメリスマをまわしまくる時代は終わっているのではないかと思うわけです。

 

朗々と強く声を伸ばし張り上げシャウトしたりしながら、細かく、あるいは大きくこぶしをまわし、ヴィブラートをきかせる歌唱法。そういうのこそすばらしい、真の偉大な歌手のありようだ、と評価された時代がずっと長く続きました。ポピュラー音楽における20世紀はほぼそうだったと言っていいかもしれません。

 

オペラ的歌唱法と言っていいわけですが、ヌスラット・ファテ・アリ・ハーン(パキスタン)、サリフ・ケイタ(マリ)、アマリア・ロドリゲス(ポルトガル)などなど、みんなそうじゃないですか。アメリカン・ブラック・ミュージックの世界においては、ゴスペル由来の発声をするアリーサ・フランクリンは、こんな歌唱法の代表格だったんじゃないですか。

 

もちろん曲によってはアリーサも軽くふんわりすーっと歌っているものもあって、『アリーサ』にもいくつか収録されていますが、あくまでメインは劇場的な歌唱法でした。そういうのって電気マイクロフォンの存在をある意味無視した手法だと思うんですよね。生声で観客に届くようにっていう強い発声。だから19世紀的でオペラティックだと言えます。

 

そういうやりかた、声の出しかた、歌唱法は、それじたいすばらしいということは決して否定などできませんが、しかしいまや21世紀には時代遅れになってしまっているというのも間違いないんじゃないかというのがぼくの正直な気持ちです。

 

ビックス・バイダーベックとかレスター・ヤングとかマイルズ・デイヴィスとか、ジャズにおけるノン・ヴィブラートなストレート&ナイーヴ発音法のことは、また分けて考えないといけないような気がしますが、でも決して無関係ではないです。時代の要請というか、歌手の発声においてもそういったものが主流になる時代に、特に2010年代以後、なっているということです。

 

ぼく自身はこういったことを、主に日本の演歌の世界を聴き込むうちに発見しました。演歌といえば劇場性・非日常性の極地みたいな世界で、強く声を出しヴィブラートをきかせグリグリこぶしをまわしまくる、というイメージが長年支配的でしたし、実際そういう歌手がほとんどでした。

 

そこへもってきて、2017年に岩佐美咲に出会い、そのいっさいの装飾や虚飾を排した日常的な歌唱法に触れるにつれ、徐々にその魅力に目覚めていくようになったのです。すると、なんだかここ十年くらいかな、演歌界でも非劇場的な歌唱法をとる若手歌手が急増していることに気が付いたんですよね。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2020/12/post-2bfb3c.html

 

エモーションの抑制というひとことに尽きるのですが、旧世代で旧タイプの歌手とされてきていたような坂本冬美ですら、そうした日常的な歌唱法へと完全に移行しているし、もちろん若手には最有望格の中澤卓也をはじめとして、ノンこぶしな歌手は大勢いるしで、もうぼくのなかですっかり認識があらたまったわけです。

 

考えてみれば、台湾出身、日本でも活躍した鄧麗君(テレサ・テン)なんかもそんなストレート歌唱法をとっていたし、以前から世界の歌の世界で一翼を担っていたことは間違いありません。それが近年、ここ十年くらいかな、ぐっと世界で主流になってきているということです。

 

現在活躍中の世界の若手歌手のなかで、従来的な劇場的歌唱法をとる代表は、レバノンのヒバ・タワジかもしれません。しかし同じレバノン国内でも、同世代でアビール・ネフメのように淡い歌いかたをする歌手も出てきているし、以前から活躍していたナンシー・アジュラムでも最新作では淡色歌唱法へと移行しています。

 

レバノン人じゃないけれど、今年デビューした歌手のなかではぼくのぞっこんであるレイヴェイ(アメリカ在住の中国系アイスランド人)なんかもストレート&ナイーヴ歌唱法で、もはや時代は完全に塗り変わったなあという感を強くします。

 

あっさりしていて、濃厚トンコツ・ラーメンをお求めの向きにはなんとも物足りないでしょうが、トンコツ・ラーメンのお店がなくなってしまったわけじゃなく健在です。現にこうして『アリーサ』のようなアンソロジーが編まれ、いまでもみんなに聴かれ愛されているじゃないですか。

 

『アリーサ』の末尾に収録されているのは、アリーサ生前のラスト・パフォーマンスとされている、没する三年前、2015年のケネディー・センター・オナーズでのライヴで、「ア・ナチュラル・ウーマン」↓
https://www.youtube.com/watch?v=qz2efshhuq4

 

圧巻のひとことですね。すばらしい。歌手人生で劇場性を徹底してつきつめた堂々たるヴォーカルで、文句のつけようもありません。

 

(written 2021.8.21)

2021/08/21

プリンス・エステートは『ラヴセクシー』のトラック切れたのを出しなおしてほしい

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(5 min read)

 

Prince / Lovesexy

https://open.spotify.com/album/49YqSdLkadJY5RADpR3LsZ?si=Xkl_pdKxTHmTo42dI-f9GA

 

1 Eye No
2 Alphabet St.
3 Glam Slam
4 Anna Stesia
5 Dance On
6 Lovesexy
7 When 2 R in Love
8 I Wish U Heaven
9 Positivity

 

プリンスの、大傑作だとぼくは思っている『ラヴセクシー』(1988)。そういう評価をされず一般的な人気も低いのは、殿下ナルシシズム全開のジャケット・デザインが気持ち悪いといったことだけでなく、やはり全九曲のトラックが切れていないせいに違いありません。

 

ジャケットが問題だっていうのはですね、聴くときに見なければいいんですから、音と違って、だから実はさほど問題じゃないんですよ。路面店でレジに持っていくのは恥ずかしかったかもですが、発売当時と違って現代はネット通販もあります。

 

でも音楽作品なんだから音のほうは無視できませんよねえ。みなさんご存知のとおり『ラヴセクシー』の全九曲、トラックが切れていなくて、ずるずるつながって一個なんですよねえ。これじゃあ聴きにくくってしょうがないってぇ〜の。

 

デューク・エリントンにしろマイルズ・デイヴィスにしろ、突出した音楽家はたまにこういったたぐいの主張をくりひろげることがありますけれどもね、『ラヴセクシー』でのプリンスも、1988年ということでCDメディア出現当初という時期、ぽんぽんトラックをスキップして飛ばし聴きするのが容易になったというのに抵抗したかったんでしょう。

 

自分の作品は、アルバムで一個の音楽作品なんである、トータルで通してじっくり味わってほしい、という希望からこのような1トラック仕様にしたのでしょうけど、その結果、そもそもハナから聴かれすらもしないという結果とあいなってしまいました。あたりまえだと思います。

 

なぜなら、ひとことで言ってアルバムの全貌がつかみにくい。曲がわかんないんですもん。だって45分間以上も「一曲」じゃあ聴きにくいことこの上ないんですもんねえ。最初からそのつもりで作曲・構成された作品ならOKでしょうけど、『ラヴセクシー』はそうじゃない、通常の数分単位で録音された九曲を並べただけ。

 

一曲一曲の姿がわからなかったら、結局そのアルバムが全体でどんなものかも把握しにくいっていう、立派な証拠となってしまっていますよね。みんなが『ラヴセクシー』にはイライラしてきていて、いまやサブスクで聴く時代になりましたけど、Spotifyでみてもやはり1トラックっていう、これはもはや無意味なんじゃないの。

 

Spotifyアプリだとどんどんスキップできるし、でも1トラックで曲がないから、そもそもチラ見してやめちゃうんじゃないですかね。その証拠に総再生回数がプリンスの作品にしてはかなり少ないです。

 

ぼく個人はですね、数年前、自分で『ラヴセクシー』のトラックを切りました。そうしないと聴きにくいですからね。CDからパソコンにインポートして、その(iTunes)ファイルをオーディオ・エディタ(Audacityを愛用)で書き出して、各トラックを手作業で切り分けたんですよ。

 

切り分けた九つのファイルをふたたびiTunesに読み込ませ、一個のプレイリストにして、無事みごとトラックの切れた『ラヴセクシー』の完成。このアルバム、トラックの切れ目は聴けばわかりやすいんで、切り分け作業はメンドくさいだけで、カンタンでした。それをCD-Rに焼いて、プリンス好きの友人にあげたりもしました。

 

もちろんプリンス・エステートやワーナー側が、九つそれぞれのトラック別々に所持していることはわかっています。各種公式ベスト盤などには「アルファベット・ストリート」など一曲単位で収録されていたりするんですからね。

 

だから、公式がその気になれば、トラックの切れた『ラヴセクシー』を発売することは容易であるはず、フィジカル&配信で。わりと大勢がそれを望んでいると思うのに、どうしてやらないんでしょうか。故人の1988年当時の意思だったから?それを尊重したい?いやいや、遺族や関係者はもっとファンの利便を考えてくれてもいいと思いますよ。当時も今も不評でしょう。

 

(written 2021.4.27)

2021/08/20

去りゆく夏の寂寥感のような郷愁 〜 エルヴィオ

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(3 min read)

 

Hélvio / Baia dos Amores

https://open.spotify.com/album/767NKCajPOFWC2ckPOrWjm?si=-LQzKem3QDWz3z6Yanwjwg

 

bunboniさんに教わりました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-02-03

 

(きょうの記事題は、上記リンク先の記事内でリンクされているbunboniさんの過去記事からサンプリングしました)

 

アンゴラの歌手でしょうかね、モダン・センバを歌うエルヴィオの新作『Baia dos Amores』(2018)を聴きました。ぼくは上の記事で教わったので初耳のシンガーです。ところでそのbunboniさんの記事題、「ビター・スウィート・サンバ」(ハーブ・アルパート)のもじりで、ノルべきかと一瞬悩みました(笑)。

 

それはそうと、このエルヴィオ、Spotifyで見るとアルバム題も『Hélvio』になっていますけどね、ジャケット画像中央に青い文字が見えるでしょ、わかりにくいですけど、それを拡大してじっくり眺めると「Baia dos Amores」とあります。これがアルバム・タイトルじゃないんですか。こういったところ、Spotifyはけっこういい加減ですよねえ。

 

ともあれエルヴィオの『Baia dos Amores』では、アフリカン・サウダージともいうべきやるせない哀感がたまらないんですよね。過去作がSpotifyにないもんで、これだけ聴いて判断するしかないんですが、そういった切なさを特色のソング・ライティングをするひとなんでしょうか。

 

ブラジル音楽のサウダージやそれ由来のメロウネスにはめっきり弱いぼくなので、エルヴィオのこのアルバムでもそれがたっぷり聴けていうことなし。センバなリズムもいいですが、それは実はあまり強く表面に出ていないような気がします。それがモダン・センバということでしょうけど。

 

もっとこう、(アンゴラ・ローカルというより)ワールド・ワイドにアピールできうるようなポップなセンティミエントを表現できる歌手なんじゃないかとの感を強くしますね。ビート・メイクやサウンド・メイクも現代的で、ときおりヒップ・ホップ感覚のあるトラックもあり。ロックっぽいエレキ・ギターの刻みも快感ですね。

 

とはいえ、こういった音楽が(フィジカルでは)なかなかアンゴラ国外で世界流通しているという話も聞かず、もったいないことです。もちろんSpotifyなどでは聴けるので、その意味では世界に出ていると言えるんですけど、それで見つけるひとも滅多にいないということで、なんとも。

 

アルバム・ラストの曲後半に収録されている隠しトラックで、ドゥー・ワップふうのヴォーカル・コーラスをやっているのは、いったいなんでしょうかねえ。

 

(written 2021.4.26)

2021/08/19

「〜〜のロバート・ジョンスン」

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(7 min read)

 

https://open.spotify.com/album/0MG8ODOjmgu62MpgeS9dRF?si=Hz1qIrJWROCUa-8_1KXUhg

 

という言いかたをしたばあい、その世界のパイオニア、始祖、第一人者、というみなされかたをしていることもたまにあるように感じますが、これはブルーズ史におけるロバート・ジョンスンの意味を取り違えているんだろうと思わざるをえません。

 

だから、いままでも強調してきたことではあるんですけど、いま一度あらためてこのことを書いておきます。同じことばかりのくりかえしで、前からいつもずっとお読みのみなさんはうんざりでしょうけど、世間でのロバート・ジョンスン像は、どうもいまだに誤解されたままの部分がありますので。

 

それは端的に言って、ロバート・ジョンスンをデルタ・カントリー・ブルーズ界の人物とみなすのは間違いだということで、もっといえばブルーズ・ミュージックの世界における古典的先駆者と考えるのも妥当じゃないぞということです。

 

ロバート・ジョンスンはデルタ・ブルーズ、カントリー・ブルーズの世界の人間ではないし、古い人間でもないということです。でもブルーズ史上最も有名で名前が知れ渡っている人物のひとりであろうということは疑いえません。だからこそ「〜〜界のロバート・ジョンスン」と比喩に使われたりするわけですからね。

 

そう、ロバート・ジョンスンは最有名人。そのわりには(イメージばかりが先行して)残した音楽をしっかりちゃんと聴いている人間がなかなか少ないのかもという気がします。CDなら二枚組になるその全録音をじっくり味わえば、「音楽的には」彼は決して謎の人物でもない、音楽性なら全貌が判明している存在だということも理解できるはずです。

 

ロバート・ジョンスンの録音を聴きますと、そこにデルタ・カントリー・スタイルの曲がかなり少ないという事実に気がつくはず。マスター・テイクだけにするとぜんぶで29曲となる彼の全録音のうち、デルタ・カントリー・スタイルだと言えるのはたったの五曲しかないんですよ。いいですか、29のうちたったの5、ですよ。

 

具体的には(録音順に)「テラプレイン・ブルーズ」「ウォーキン・ブルーズ」「プリーチン・ブルーズ」「イフ・アイ・ハッド・ポゼッション・オーヴァー・ジャジメント・デイ」「トラヴェリング・リヴァーサイド・ブルーズ」と、たったこれだけしかデルタ・ブルーズはないんですよね。

 

この事実だけをもってしてもロバート・ジョンスンがデルタ・ブルーズの人間ではないことがはっきりするはず。たしかにミシシッピ・デルタ地域の出身で、典型的なデルタ・ブルーズの人間である先輩サン・ハウスを師としましたが、デルタを出てアメリカ全土を放浪していた時期に、さまざまなブルーズのスタイルを身につけたのです。

 

ロバート・ジョンスンが全国放浪で身につけた(デルタ・スタイルではない)その時代の新しいコンテンポラリー・ブルーズとはいったいなんだったのか?端的に言えばそれはブギ・ウギです。主にピアノで演奏されていたブギ・ウギのずんちゃ・ずんちゃというあのパターン、それをそのままギターの低音弦反復に移植したんですよね。

 

そんな曲なら彼の全録音のなかにたくさんあります。ちょっと数えてみたら14曲。かの有名な「スウィート・ホーム・シカゴ」も「ダスト・マイ・ブルーム」も「ランブリング・オン・マイ・マインド」も、ローリング・ストーンズの秀逸なカヴァーを産んだ「ストップ・ブレイキン・ダウン・ブルーズ」も「ラヴ・イン・ヴェイン・ブルーズ」も、ぜ〜んぶブギ・ウギのパターンなんですよ。
https://open.spotify.com/playlist/7xBNvs0xAc1b7Mn2S1FZzZ?si=9de35eb8e414486e

 

もうひとつ、ロバート・ジョンスンはリロイ・カーに代表されるような洗練されたシティ・ブルーズも吸収しました。ロバートがブルーズに目覚めたのは、リロイ・カーの1928年のレコード「ハウ・ロング・ハウ・ロング・ブルーズ」でだったんですし、もとからそんな志向を持ってブルーズ・ギターリスト/シンガーを目指した人物だったんです。

 

同時代のあらゆるコンテンポラリー・ブルーズをギター一台での弾き語りでやった、結合させたという点では画期的だったと言えますし、だからこそ後世のブルーズ・ミュージシャンやロック・ミュージシャンたちが下敷き、模範にしやすかったと言えます。ロバート・ジョンスンを神格化したのは、どんどんカヴァーした1960年代活動開始の白人UKブルーズ・ロッカーたちだったでしょうが、彼らのせいでなにか特別な存在のように思われているだけです。

 

現在のようにロバート・ジョンスンがブルーズ史上の最有名人になったのだってUKブルーズ・ロッカーたちがさんざんひろめたからであって、それ以外に理由はありません。最初のLPレコード『キング・オヴ・ザ・デルタ・ブルーズ・シンガーズ』が発売されたのが1961年。そこからですよね。しかもアルバム題が「デルタ・ブルーズ歌手の王様」となっていたのがいけなかった。誤解のもとでした。

 

音楽的にロバート・ジョンスンが発明した・開発したといえるブルーズのスタイルはなにもなく、先達たちの演奏をレコードで、あるいは現場で生で、聴き、それらを吸収し、自分ひとりで展開したのがロバート・ジョンスンという人物の実像です。クロスロード伝説などアホみたいな言い伝えもありますが、自分で研鑽を重ねて腕を磨いていったに違いないのです。楽器の上達にそれ以外の方法はありませんから。

 

録音時期だって1936年と37年の二回のセッションがすべてで、これは第二次大戦前のブルーズ・ミュージシャンとしてはかなり新しい時期に入ります。そこで録音され、レコードやCDや配信でリリースされている音源は、「漏れなくすべて」現在のわれわれも聴くことができるのであって、謎とか伝説なんかじゃありませんよ。

 

(written 2021.4.24)

2021/08/18

ハート・メルティングなレイヴェイの新曲にぞっこん

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(3 min read)

 

Laufey / Let You Break My Heart Again

https://open.spotify.com/album/2yKcJB2QkNyogIyDY96pu4?si=rKR7BlKfShqkuwUYqBHmRQ&dl_branch=1

 

以前五月にとりあげたレイヴェイ。レイキャビク出身の中国系アイスランド人で、現在は米ボストンのバークリー音楽大学に在籍中のジャズ系シンガー・ソングライターです。ほんとうにすばらしい声なんですよねえ。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2021/05/post-42cbf3.html

 

そんなレイヴェイの新曲が8月13日に出ました。「レット・ユー・ブレイク・マイ・ハート・アゲン」。やはり自作曲ながら、今作はフィルハーモニア・オーケストラとの共演になっていて、瀟洒に攻めるレイヴェイに、もはや心がとろけてしまいそう。

 

YouTubeでもこの曲はオフィシャルに聴けるんで、そちらのほうがいいというかたがたにはぜひそちらでお聴きいただきたいと思います。そっちには各種クレジット関係もしっかり記載されているのでいいかも。
https://www.youtube.com/watch?v=NLphEFOyoqM

 

とにかくですね、このレイヴェイの書いた曲とヴォーカルと、それからたおやかな管弦楽のサウンドが、もうこりゃたまらん!ほど美しいじゃないですか。こんなにもきれいな曲、それも2021年の新曲としては、ほかにないんじゃないですか。すくなくともぼくが出会ったなかでは今年No.1に美しい曲です。

 

しかし曲題でもわかりますし歌詞をしっかり聴けば、これはロスト・ラヴの歌なんですよね。つらく苦しく哀しい内容の歌で、それをこんなにもやわらかくしなやかなメロディでつづることのできるレイヴェイのソングライティング能力には感嘆の声しか出ませんね。

 

ギターやチェロも弾きながら歌うヴォーカルも、この歌手ならではの独自の仄暗さというか落ち着きがあって、歌の内容やメロディの美しさをきわだたせています。+イアイン・ファリントンがアレンジしたフィルハーモニア・オーケストラのおだやかで美しい響きも、まるでちょっとガーシュウィンの作品を想わせるできばえで、みごと。

 

レイヴェイは、まるでちょうど100年くらい前ごろのティン・パン・アリーの歌の世界を2021年によみがえらせてくれているかのようですよ。ああいった大作曲家たちの書いたラヴ・ソングの数々と比べても遜色ない、現代においては比類なきシンガー・ソングライターだと言えます。

 

(written 2021.8.17)

2021/08/17

ジャズのレトロ・トレンドはどういうわけなの? 〜 スピークイージー・ストリーツ

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(5 min read)

 

Speakeasy Streets / Back Alley Beats

https://open.spotify.com/album/4HTGVlq6usARRoTaNHOqAh?si=1S9yB0SnSZ-v8WVdlI83CA

 

萩原健太さんに教わりました。
https://kenta45rpm.com/2021/01/20/back-alley-beats-speakeasy-streets/

 

ニュー・ヨークのブルックリンを拠点に、フランス、チリ、イスラエル、南アフリカ、そしてアメリカという多国籍メンバーが集まって結成したバンドらしいスピークイージー・ストリーツ。そのデビュー・アルバムですかね、『バック・アリー・ビーツ』(2021)は、往年のジプシー・スウィングを基調としながらも、そこにヒップ・ホップ感覚のビート・メイクとパンクなラップをまぶしたっていうような内容。

 

ということでバンド自身はその音楽を、ジプシー・スウィング+ヒップ・ホップの合体で「ジプ・ホップ」と独自に名付けているのだとか。とはいえですね、ぼくが聴いたところ、どちらの風味もさほど強くなく。だってジャンゴ・ラインハルトらフランス・ホット・クラブ五重奏団はストリング・バンドだったけど、スピークイージー・ストリーツは管楽器主体で、印象がまったく違います。

 

ヒップ・ホップなビート感覚だって、あまりないんじゃないですか。このバンドは1930年代後半〜40年代のジャズ・ビッグ・バンドをそのまま踏襲し、そこにちょこっとラップ(はヒップ・ホップの重要エレメントではあるけれど)をまぶしたっていう、そういったものじゃないかと個人的には感じますね。

 

ビートの感覚だって往年のフィーリングそのままっていう感じで、そこにラップが乗っているのは新鮮かもしれないですけど(1930年代にはジャズにラップをくっつける発想はなかった)、音楽そのものはレトロ一色な感じがします。バルカン・ビート風味もちょっと感じますかね。

 

でもそのレトロなフィーリングがなかなかいいんじゃないかなと思うんですよね。スクィーレル・ナット・ジッパーズほか、ディキシー/スウィング時代のヴィンテージ・ジャズを現代に再現するレトロ・バンドやミュージシャンのことがぼくは大好きですからね。ジャネット・クラインとかダヴィーナ&ザ・ヴァガボンズとかもですね。

 

そういうたぐいのミュージシャンたちをぐるっと見まわしてみると、どうも21世紀に入ったあたりからなのか、もっと前、1990年代のネオ・アクースティック/スウィング・リバイバルあたりからなのか、レトロ・ムーヴメントがしっかりしたかたちとしてトレンドとなってシーンにどっかりと存在してきているようにみえるんですよね。

 

こういったミュージシャンたちのそんなレトロ・ムーヴメントをどうとらえたらいいのか、楽しんでいるだけなんであまりつきつめて考えてみたことがないんですけれども、一度死んだかもしれないと言われていた(のは事実誤認だと思うけど)ジャズが、近年新しいかたちになってよみがえってきているようなことや、あるいはSNS時代になってそれを舞台にブルー・ノート・レーベルを中心にかつての古典作が復興してふたたび聴かれるようになったり、そんなことになっている21世紀の風景と決して無関係じゃないだろうなあという気がしています。

 

だからじゃあなんなの?レトロ・ムーヴメント、1930年代あたりのスウィング・ジャズとかもっと前からのスタイルもふくめ往年のヴィンテージ・サウンドを現代に再演しているミュージシャンたちの活動が活発になっているのはどうして?どういう時空の歪みかた?と問われても、いまのところぼくは答えを持っていません。

 

ただたんに、聴いたら楽しいなぁ〜って感じて好きなだけなんで。

 

※ きょうとりあげたこのバンドの名前になっている speak easy とは、かつてアメリカの禁酒法時代(1920~33)に存在した、秘密酒場のことです。

 

(written 2021.4.25)

2021/08/16

アダルト・オリエンティッドってなるべく言いたくなかったけれど

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(6 min read)

 

1962年生まれだから来年還暦のぼく。近年は歳取ってきて人生経験も経て人間的にほんのちょっとだけなら成長した(ような気がするけど?)せいなのか関係ないのか、おだやかでソフトでまろやかに円熟した音楽もかなり好きになってきました。「も」と書いているのは、ザラザラしたハードでサイケでとんがった音楽もまだまだ好きだからです。

 

感情の激しい露出や起伏を抑制したおやだかな音楽、たとえば鄧麗君とか、いわゆるAORとか、坂本昌之がアレンジしたときの坂本冬美とか徳永英明とか、伊藤ゴローがてがける原田知世とか、『エラ&ルイ』シリーズとか、いやぁもう大好きでたまんないんですが、そういったあたりなんかは20代のころにもし出会っていてもよさがわからなかったかもしれないですよね。

 

きのうも渡辺貞夫さんの『Outra Vez』のことを書きまして、ホ〜ントいい音楽だなって心から感銘を受けているし、アンガーム(エジプト)の2019年なんかも数えきれないほどくりかえし聴いていたし、どうも頻繁に聴く音楽の傾向がやや変わってきたかもなと思わないでもありません。

 

しかし、こうした事実をもってして「大人の」音楽志向になったとか「アダルト・オリエンティッド」だとか、そういうことはあんまり言いたくないというか、そのようなタームを極力使いたくないなというのが本音なんですね。

 

といいますのは、ずっと前にも書いたことですが、音楽に子どもとか大人とかいったことばや考えかたをあてはめるのは著しく的外れじゃないのかというのがぼくの思想だからです。大人の音楽、アダルト・オリエンティッドなんちゃら、みたいな言いかたをするメンタリティの根底には、「どうせガキどもにはわかんねえだろうな」という年齢差別、(逆)エイジズムとか、そういった偏見が横たわっているように感じます。

 

若者、若年層、子どもたちを一個のちゃんとした人格として、このばあいは音楽リスナー人格ということですけど、それをしっかり認めようとしない親世代社会の傲慢な発想だということで、ぼくはそういったものが大嫌い。

 

いつだって若者こそ時代時代のカッコいい音楽を真っ先に見つけ出しフォーカスして、世の潮流にしてきたわけですし、音楽とか芸能文化活動なんてものは本質的に青春の情熱のほとばしりみたいな側面もあって、そこを見失ったり誤解したりすると音楽のポイントをつかまえそこねるだろうなと強く思っています。

 

つかまえそこねはじめた(音楽精神的)老年層が、「アダルト・オリエンティッドなんちゃら」みたいな表現をしているんじゃないかという疑念が拭いきれないわけです。そんな、思考が硬直した(音楽精神的)老年の仲間入りをしたくない。

 

だから、大人の音楽とかアダルトなんちゃらっていう表現を、ずっと、かなり意識的に、避けてきました。

 

けれども、ここ数年、そう2018年ごろからかな、静かでおだやかで、感情をぐっとセーヴした、抑制された均衡美を好むようになってきていて、それはあきらかな一傾向としてぼくのなかにしっかり芽生え腰を据えつつあるんですよね。もう疑いえない確かな嗜好となっているように思います。

 

そして、感情の抑制の効いたおだやかでまろやかな音楽をひとくくりにして、ジャンルとして、一定の短いことばで言い当てようとしたばあいには、ほかに適切なタームが思い浮かばないんですよ。ぼくのなかにあるこの嗜好を言い表したいと思うことがしばしばあるのに、これという用語がないんです、アダルト・オリエンティッド〜〜を避けるとですね。

 

結局のところ、そういった音楽傾向には「大人の音楽」「アダルト〜〜」「アダルト・オリエンティッド〜〜」と言うのが最もふさわしく、いちばん手っ取り早いというのが事実。上で書きましたように逆エイジズムだと感じてイヤなんですけど、ほかに適切な用語がないわけですから困ってしまいます。

 

そういうわけで、ここのところ(気に入らないながらも)ぼくも使うようになりはじめていますね>アダルト〜〜。

 

いい音楽に年齢や世代は関係ないというのは間違いない普遍的真実。ヤング〜〜とかアダルト〜〜という表現はやっぱり気に入らないというか、音楽の本質からはかけ離れているだろうと思います。そこをしっかり踏まえた上で、あくまで勘違いしないように気をつけながら、アダルト〜〜っていうタームを、ときたま使うときは使っていこうかと。

 

(written 2021.4.22)

2021/08/15

渡辺貞夫、円熟の老境が美しい 〜『Outra Vez』

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(4 min read)

 

渡辺貞夫 / Outra Vez

https://open.spotify.com/album/30xTCpNszJCG8WvMNcKCqM?si=qXtxcklCQ6SiydebkEPrFw

 

なんとも美しい、ため息が出ちゃうような、そんなジャケットですよねえ。見とれちゃうな〜、渡辺貞夫さんの『Outra Vez』(2013)。これもブラジル録音で、現地ブラジルのミュージシャンたちを起用して製作されたものです。

 

近年の貞夫さんのブラジル録音といいますと、以前、2015年の『Naturally』というアルバムのことを書きましたが、かなりのお気に入りになっているんですよね。その前作もブラジル録音で、同様にしっとりアダルトで落ち着いたムードの作品と知り、ジャケットを見てみてあまりの美しさに驚いちゃったというわけです。

 

中身の音楽も、個人的には『Naturally』のまろやかに円熟した完成にはおよばないと思うものの(あっちにはジャキス・モレレンバウムが参加しているから?)、『Outra Vez』もなかなかすばらしいです。これもやはりブラジリアン・フュージョンというべきような内容で、編成は貞夫さんのアルト・サックスに、ギター、ピアノ、ベース、ドラムス、パーカッション。二曲だけヴォーカリストも参加しています。

 

やはりオール・アクースティックなナチュラル&オーガニック路線で、近年こういったサウンドが世界の音楽で主流の一つになってきていますよね。音楽そのものは貞夫さんもずっとやってきたアフロ・ブラジリアンなジャズ・フュージョンで変わるところはないんですけれども、かつては電気・電子楽器もたくさん使っていました。それらをいっさい用いないようになっているんですね。いい意味で枯れた円熟のサウンドと言えましょう。

 

アルバムは快調なジャズ・サンバっぽい曲で幕開け。バンドも貞夫さんも決して熱くはならず、ほどほどのちょうどよいフィーリングのノリを聴かせているのがいかにもといったムード。それはアルバム全編について言えることで、中庸感覚といいますか、使いたくないタームですがアダルト・オリエンティッドな音楽をくりひろげているでしょう。

 

特にグッとくるのはサウダージ満点の哀切バラード系。3曲目は「レクイエム・フォー・ラヴ」と、なんだか意味深な曲題ですが、失恋がテーマなのかもしれません。これも貞夫さんの自作曲です。雰囲気満点に吹くアルト・サックス演奏に涙が出そうな思いです。軽いボサ・ノーヴァ・ビートもそれに一役買っていますね。

 

やはり同様の哀切バラードである6曲目「カーボ・ヴェルデ・アモール」も同じフィーリングで、情緒をかきたてます。ところで3曲目とか6曲目みたいな、こういった貞夫さんのサウダージ・バラードって、そのルーツをたどると1981年の名曲「コール・ミー」(『オレンジ・エクスプレス』)に行き着くような気がします。86年のトッキーニョとの共演ヴァージョンをご紹介します。最高ですよ。
https://www.youtube.com/watch?v=u-vZeP0tW2s

 

アルバム『Outra Vez』にはいっぽう快活なサンバ・ビートを持つにぎやかな演奏もあり。5曲目「ボン・ジーア 80」と8「ナタカ・マジ」。特に後者はやや派手めですね。バンドの演奏や打楽器群も活躍して演奏をもりあげますが、そんなばあいでも貞夫さんのアルト演奏はハメを外さず落ち着いているというのは円熟のなせる技でしょう。

 

ラスト10曲目のタイトルが「ソリチュード」になっているので、ひょっとしてデューク・エリントンのあれか?と一瞬思えどもそんなわけはなく、これも貞夫さん自作の渋いバラードです。ここではギターとベースだけの伴奏で、しっとりと孤独の老境をつづるアルト・サックスの音色が美しく、胸に沁みますね。

 

(written 2021.4.21)

2021/08/14

唯一無二のモダン・ヴィンテージ・ソウル 〜 メイヤー・ホーソーン

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(2 min read)

 

Mayer Hawthorne / Rare Changes

https://open.spotify.com/album/1U0PE21EKYzvLsf7M4EfIX?si=Tf4C34AsSJ25Gk_Aci6i_g

 

現行ソウル・シーンの最高峰とまで言われるらしいメイヤー・ホーソーン。最新作『レア・チェインジズ』(2020)がリリースされていますね。ぼくがこれを知ったのは2021年に入ってからのことでした。メイヤーはジェイク・ワンとのユニット、タキシードでも顔役として活躍する人物です。

 

このアルバムは2019年から20年にかけてデジタル・リリースしてきたシングル曲八つに、もう一個「イントロ」を付加したというもので、21年になってCDでも発売されたので一部で話題になっていて、ぼくもそれでようやく気がついたというわけです。だから全曲初耳ですね。

 

そんな『レア・チェインジズ』でも、モダン・ヴィンテージ・ソウルとでもいうようなメイヤーの持ち味はまったく変わらず。クラシック・ソウルを基調に、AOR、ディスコなどさまざまなエッセンスをちりばめたヴィンテージ・サウンド。スムースで軽やかなビート、特筆すべき唯一無二のメロディ・センスで、スウィートな歌声とともに現行シーン最高のモダン・ヴィンテージ・ソウルを聴かせてくれています。

 

オリジナル新作というわけじゃないし、アルバム全体でもわずか26分間という尺ですけれども、それでもなかなか楽しめる好作品に仕上がっているんじゃないですかね。こういったヴィンテージ・ソウルのファンはまだまだたくさんいると思いますし、21世紀でもヒップ・ホップ系のR&Bだけじゃないぞというあたりを見せつけてくれる実力作で、ぼくは気に入ってときどき聴いています。

 

(written 2021.4.20)

2021/08/13

今朝の夢 〜 スライド・ギター弾き語り

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(4 min read)

 

今朝の夢のなかに森山良子と松任谷由実が出てきました。ぼくの部屋のなかで二人はくつろいでいて、三人でなかよく話をしていたんですが、二人ともなんだか妙なヘッドフォンをしていました。

 

そのヘッドフォンは有線ケーブル付きのものだったんですが、その先っぽをテレビ画面にマグネットみたいなものでペタッとくっつけるようになっいて、それで音を拾うという仕組みだったみたいです(ヘンなの)。

 

テレビではひたすらなにかの音楽ライヴをやっていて、二人ともそれを見ながら、ぼくも交えて三人でおしゃべりしていたんですが、つまりそのヘッドフォンをつけて番組を聴いていても外部のしゃべり声などはしっかり聴こえるみたいでした。

 

その部屋は自宅のはずなのに大学の一教室であって、窓から外を見るとちょうど学園祭の準備の真っ最中だった様子。それでぼくはちょっとそれに出演するとかなんとかそんなことになって、アクースティック・ギターで弾き語りをやることにして、部屋のなかで弾きはじめました。

 

やったのはブルーズで、しかもスライド・プレイで弾いていました。それも長めのスライド・バーみたいなものじゃなく金属製の短い指輪か塊みたいなもので懸命に弦の上をすべらせていたのです。

 

不思議なことに指輪のようなものでスライドしていたにもかかわらず、二、三本の複数弦を同時スライドで弾いていて、それも大きくビョ〜ンビョ〜ンと低音部から高音部へと行ったり来たりしていたんですね。

 

勢いをつけて、ガシャガシャとリズムに乗って、スライド・プレイはかなり雑で乱暴にやっていました。森山良子とユーミンの二人はそれに合わせて歌っていたみたいです。といってもぼくが弾いていたのはブラインド・ウィリー・ジョンスンみたいなブルーズ(っていうかあれはゴスペルですけど)だったんですけどね。

 

でもなかなかいい感じだったので、気分がちょっとよくなった特にユーミンのほうが部屋の窓から外にいる学生に大声でしゃべりかけ、実は坂本龍一なんかも参加するんですよ、どうですか!私たちを学園祭に出演させませんか?!と言っていました。

 

すると、一人の男性学生が部屋に入ってきて、ダルブッカみたいな打楽器でぼくのスライド・ギター・プレイに合わせて叩きはじめました。ぼくも調子に乗ってそのまま演奏し、強い打楽器ビートに刺激され、ますます勢いづいてスライドで表現するリズムもガシャガシャ、ギュイン・ギュインと鮮明になりました。

 

かと思うと、一曲、やはりブラインド・ウィリー・ジョンスンのレパートリーから「ダーク・ワズ・ザ・ナイト、コールド・ワズ・ザ・グラウンド」を、これはソロ演奏でぼくはやりました。っていうかぼくがやったのはライ・クーダー・ヴァージョンのコピーです。

 

といっても1970年『ライ・クーダー』のやつじゃなく、1985年の映画サントラ『パリ、テキサス』で再演されたヴァージョンをそっくりそのままぼくはコピーしたのです。これを演奏したときは、弦を一本スライドさせるものなので、まさに指輪スライドが役に立ったと思います。

 

(written 2021.4.19)

2021/08/12

マイルズ、91年7月のパリ同窓会ライヴ、発売されるみたい

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(4 min read)

 

https://www.loudersound.com/news/legendary-miles-davis-1991-paris-concert-to-be-released

 

約一週間ほど前の『Louder』によりますと、マイルズ・デイヴィスが1991年7月10日にパリでやった盛大な同窓会ライヴが、『ザ・ロスト・コンサート』というタイトルで、2021年9月29日にスリーピー・ナイト・レコーズから発売されるみたいです。

 

ライノ/ワーナーからのリリースじゃないところが、なんだかアヤシイな〜って思ってしまうのですが(ブートレグ?そうじゃない?)、この91年7月の同窓会ライヴは、当時からマイルズ・ファンのあいだで大きな話題となってきていたもの。

 

なんたっていつも前向き、未来を見て、過去を決して振り返らなかった(ということになっているけれど)マイルズが、死の約二ヶ月前にパリでやったそのライヴは、ジャッキー・マクリーン、デイヴ・ホランド、アル・フォスター、ウェイン・ショーター、スティーヴ・グロスマン、チック・コリア、ハービー・ハンコック、ジョー・ザヴィヌル、ジョン・マクラフリンなど、過去の豪華な共演者たちを一堂に呼び寄せてセッションしたもの。

 

演奏曲目だって、「イン・ア・サイレント・ウェイ」「カティーア」みたいな曲ばかりではなく、なんと「ディグ」だの「フットプリンツ」だの「オール・ブルーズ」だのまでやっているんですからねえ。あのマイルズがですよ。当時ジャズ・メディアで大きな話題になっていたし、ワーナーが公式録音したということも聞いていました。

 

しかし公式発売はいまだなし。ブートレグCDでなら、以前からリリースされていて、それはしかもワーナー公式から流出しただろうことが間違いないような高音質。『ブラック・デヴィル』という二枚組で、ぼくも90年代末か21世紀はじめごろにお茶の水のディスクユニオンで見つけ買いました。

 

その『ブラック・デヴィル』の収録曲は以下のとおり。

 

Disc 1
1. Perfect Way
2. New Blues
3. Human Nature
4. All Blues
5. In A Silent Way
6. Katia

Disc 2
1. Out of the Blue / Dig
2. Watermelon Man
3. Penetration
4. Wrinkle
5. Footprints
6. Jean Pierre

 

いちばん上でリンクした『Louder』の記事によれば、今回発売されるものもまったく同一内容。だからこれが1991年7月10日当日のセット・リストそのままだったんでしょうね。最初の三曲だけマイルス・バンドでの演奏で、4曲目から同窓会セッション・ライヴ。

 

ブートCDでずっと聴いてきたコンサートなので、今回正式?発売されるとなってもべつにどうといった感慨もないんですが、それでもこれでまた多くのファンの耳に届くことなるかもしれませんからね。サブスクにも入るんじゃないでしょうか。

 

『ドゥー・バップ』みたいな作品も一部録音済みの1991年7月になって、「アウト・オヴ・ザ・ブルー」「ディグ」だの「オール・ブルーズ」だの「フットプリンツ」だのを、それも過去のバンド・メンバーを迎えて演奏するマイルズの気持ちはどんなものだったか?と思いますが、自身の強気の発言とは裏腹に、実は音楽的に過去をよく振り返っていた人物。

 

晩年になってこだわりも消え、昔話もよくするようになっていたマイルズです。1991年というとモントルー・ジャズ・フェスティヴァルで、クインシー・ジョーンズの指揮下、ギル・エヴァンズがアレンジを書いた過去のオーケストラ作品を再演するという企画だってやりましたしね。

 

いっぽうでこのパリ同窓会ライヴには、現代的ファンク・チューン化した「ウォーターメロン・マン」もあったり、またこれでしか聴けないプリンス提供曲「ペネトレイション」もやっていたりと、なかなかに興味深い内容ではあります。

 

(written 2021.8.9)

2021/08/11

貧乏人の音楽道楽はサブスクで

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(4 min read)

 

同じようなことをなんども書いていますが。

 

一枚60分のCD換算で、毎日10〜15枚相当の音楽を聴いているんですが、いちおう一日10枚と考えたばあい、ひと月でのべ300枚聴いている計算になります。

 

もちろんそのなかには同じアルバムをなんどもくりかえしているものだってたくさんふくまれていますけど、計算がメンドくさいので毎月300枚聴いているとしましょう。

 

CD一枚が2000円としたら、300枚で総計60万円。これだけ毎月毎月CDを買っているという換算になるわけですけど、同じものを反復再生するのを省いても20〜30万円分相当は買っていることになるんじゃないでしょうか。

 

毎月コンスタントに20万〜30万円をCD代に割くことのできる人間が、はたしてこの世にどれだけいるというのでしょう。

 

ひと月20〜30万円相当の音楽を聴いているといっても、いうまでもなくぼくはCDで買っているわけじゃありません。同じだけの量をサブスクのSpotifyで聴いているということです。サブスクなら、かかる金額は毎月たったの980円。980円だけ払えば、ひと月何千時間聴こうがタダなんです。

 

Spotifyをはじめる前、ぼくがCD買うのに使っていた金額は月に4、5万円程度でした。だから枚数にすれば20枚ちょっとくらいかな。それを考えたら、毎月100枚以上相当を聴けている現在は、Spotifyによってぼくの音楽道楽ぶりにいっそう拍車がかかったのだと言えましょう。

 

ですからね、たくさんどんどん大量の音楽を聴きまくりたいという人間にとっては、もちろんそれをぜんぶレコードなりCDなりで買える経済力があればそれでいいでしょうけど、毎月数十万円になりますからね、なかなかむずかしいでしょう、だからサブスク以外の選択肢は存在しません。

 

毎月数十万円もCD買うのと同じだけのものを、サブスクならひと月980円ですからね、比較にすらなりませんよ。世界が変わります。もちろん世の多くの音楽ファンは、どんな熱心なひとだって、毎日毎日10数時間も音楽に熱中していたりはしないものなのかもしれませんけれど。

 

朝起きてから深夜寝るまでずっと聴きっぱなしというような、ほかにいっさいなにもせず音楽だけ一日中聴いて生きているなんていうような、しかも音楽関係のプロとかじゃない趣味でやっているだけでそんなに聴いているという人間は、そうはいないのかもしれませんね。

 

でもぼくの人生はぼくのもの。ひと月10万円程度で生活しなくちゃならないっていう程度の貧乏になったのも、それで自室で音楽ばかり聴きまくるようになったのも、ぼくの勝手な事情なんですから、Spotifyでどんどん聴いたってだれにも文句を言われる筋合いはありません。

 

ひるがえれば、もちろんCDやレコードでどんどん買っている、フィジカルから離れられないっていうひとびとも自由なんで、ぼくらサブスク派がどうこう言うことはありません。ですがしかし一枚一枚買うっていうのはおのずと経済的限度っていうものがどうしてもつきまといますね。

 

現在のぼくの財力だと、がんばっても月にCD一枚、二枚買えるかどうかという程度なんで、それなのに音楽は無限に聴きまくりたいと。そうなれば、ひと月980円で聴き放題のサブスク・サービスを使うのは当然じゃありませんか。

 

貧乏人の音楽熱狂者には、サブスク以外の選択肢はありませんよ。

 

(written 2021.8.7)

2021/08/10

ジャクスン・ブラウン『フォー・エヴリマン』では、デイヴィッド・リンドリーのスライドがいいね

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(6 min read)

 

Jackson Browne / For Everyman

https://open.spotify.com/album/12X80pgkHSjMDgAAS0HBdr?si=uwQcwnWOTfS2XX2CTgDaRA

 

いままでの音楽リスナー人生でなぜだか縁がなかったジャクスン・ブラウン。好みじゃないとかなんだとかっていうんじゃなく、ほんとうに聴いてみるチャンスがなかっただけなんですよね。かじり読む情報によれば、たしかにぼくのストライク・ゾーンからはやや外れているみたいだという判断もありました。

 

そういった自分では決してレコードやCDを買わないであろうものも、ちょこっと気軽に聴いてみることができるっていうのがサブスクの大きなメリットですね。試し聴きした結果、これはいいぞ!好きだ、と思える結果に転じることがよくあるし、たいへんなめっけものじゃないですか。結果、音楽趣味がひろがります。

 

そう、どうしてだかちょこっと聴いてみようという気になったジャクスン・ブラウンのアルバム『フォー・エヴリマン』(1973)も好印象でしたよ。こんないいミュージシャンだったなんてねえ、もっと早くに聴いておけばよかったな〜。

 

でも、まったくの初耳というわけじゃなかったというのが正直なところ。実はこのアルバムから(イーグルズもやった)一曲「テイク・イット・イージー」だけ、なにかの日本編集のカントリー・ロック・コンピレイションに入っていたんですね。たしか萩原健太さんがかかわっていたんじゃなかったかと記憶しているCD。

 

1990年代だったと思いますが、それでその一曲だけ聴いてはいて、なかなかカッコいいなと感じていたんで、そのへんが今回それを収録しているオリジナル・アルバムを聴いてみようと思った数十年前の遠因だったのかも。

 

それくらい気になっていた「テイク・イット・イージー」が、アルバム『フォー・エヴリマン』でも1曲目。カッコいいかっ飛ばすロックンロール、ローリングなカントリー・ロックということですけど、爽快で快感ですよね。これこれ、こういったビートが効いていてスライド・ギターがぎゅわ〜んと入るような音楽はほんとうに好みなんですよ。

 

これがレコード時代はA面トップ。今回アルバムではじめて聴いてみてビックリしたのがB面トップだったらしい6曲目の「レッド・ネック・フレンド」。な〜んてカッチョエエんだ!「テイク・イット・イージー」とまったく同様のローリング・カントリー・ロックですが、こっちのほうがもっとかっ飛ばしているじゃん、なにこれ、こんなカッコイイ曲ってあるの!?

 

ビートも効いているし、なんたってデイヴィッド・リンドリーのエレキ・スライド・ギターがキレッキレ!こんなの聴いたことないですよ。イントロ〜歌のオブリ〜間奏〜アウトロと大活躍で、いやあ、すばらしい。ピアノも目立ってノリノリでロックンロールしていますけど、エルトン・ジョンらしいです。いやあ、「レッド・ネック・フレンド」、これこそぼくにとってのこのアルバムの白眉です。カッチョエエ〜〜!

 

こういった1970年代前半のカントリー・ロックとされるものは、ほぼ同時期のブルーズ・ロック系のものに比べたらやっぱりぼくの守備範囲は狭いというのが事実。曲によって好みの差が大きいんですよね。

 

ブルーズ・ロック系のものだとだいたいアルバム一枚丸ごと楽しめるけど、カントリー・ロックは好きじゃないものも混じっているという印象がいままではあって、それはやはり西海岸で活動してジャクスン・ブラウンとも縁が深い同時期のリンダ・ロンシュタットやイーグルズなんかでもそうでした。

 

実際、ジャクスンのこの『フォー・エヴリマン』でも、1曲目の「テイク・イット・イージー」や6「レッド・ネック・フレンド」はめっちゃ楽しいなと感じるのに、2曲目以後イマイチ感が残るような気がします。でも、ぼくも歳とってちょっとはカドが取れてきたというか、許容範囲がひろがったということか、まずまず楽しめるので。それに2曲目以後も、たとえばほぼ同時期のロス・アンジェルス時代のビリー・ジョエルに通じるフィーリングもあるなと感じます。

 

ジャクスン・ブラウンのソングライティングがいいっていうことなんでしょうね。特に5曲目の「ジーズ・デイズ」。これ、Spotifyのデスクトップ・アプリで再生回数を見ると、このアルバムのなかではぶっちぎり断然トップなので、一般的にはこれこそが代表曲とされているものなんでしょう。

 

実際、5「ジーズ・デイズ」はたいへんいい曲です。これを録音するだいぶ前、1960年代にすでにジャクスンは書いていたものらしく、ほかの歌手にとりあげられたりもして、彼の名刺代わりみたいな有名曲だったものらしいですね。これもぼくの大好きなビリー・ジョエルっぽい。

 

「ジーズ・デイズ」でもエレキ・スライド・ギターが大活躍ですが、やはりデイヴィッド・リンドリーのようです。絶品じゃないですか。ある意味ジャクスン・ブラウンのヴォーカルの部分よりもスライド・ギターこそが歌っている、物語を語っているなという印象です。

 

(written 2021.4.19)

2021/08/09

LA発近作二つがなかなかいい 〜 ジャクスン・ブラウン&ロス・ロボス

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(6 min read)

 

Jackson Browne / Downhill From Everywhere

https://open.spotify.com/album/0aN2WQEv8kxv49tNolsP0Q?si=4Muyt4cTRHmNJllGCcKvJw&dl_branch=1

 

Los Lobos / Native Sons

https://open.spotify.com/album/2AH53pDM2S1jAggLLAueAM?si=fz42fn7TR5KjD9NV3QHVqA&dl_branch=1

 

どっちも七月にリリースされた二作、ジャクスン・ブラウンの『ダウンヒル・フロム・エヴリウェア』(2021/7/23)とロス・ロボスの『ネイティヴ・サンズ』(2021/7/30)。リリース時期が近接していたということと、二者ともロス・アンジェルスの音楽家であるということで、なんだか共通するものを感じてしまいます。

 

リリース時期が近かったというのはもちろんたんなる偶然でしょうけど、どっちもLAの音楽家であることには意味があると思うんですよね。それに二作ともかなり充実していて、かなり評判もいいみたいですよね。両者ともLA発ということで、まとめて一つの記事のなかに並べてみようと思いました。

 

ジャクスン・ブラウンの『ダウンヒル・フロム・エヴリウェア』。なかなかにシリアスな作品で、歌詞をじっくり聴き込むとポリティカルな色彩感が強いアルバムなんだなとわかります。近年のジャクスンがこうした姿勢を示していることは周知のとおりで、今作でも政治や環境問題など歌っています。

 

がしかし、そこは英語が母語じゃないぼくのこと。歌詞の中身だけを抜き出して音楽を聴かないというポリシーも徹底していますから、やはりリズムやサウンドなどに耳が行きます。すると、おだやかであたたかいメロディとしなやかなバンド・サウンドがすばらしいなと思うんですね。

 

特に、エモーショナルになりすぎない適度な感情表現というか、おだやかさが目立つなと思うんですね。ジャクスンらしいところなんですが、70歳を超えてまろやかさにいっそう円熟がかかってきたということかもしれません。

 

そうはいっても、歌詞はもちろんなかなかシャープで辛辣ですけど、そんな歌詞をこういった丸みのあるサウンドでくるんであるのが音楽の勝利だと思うんですよね。+ところどころラテンというかスパニッシュなアプローチが聴けるのは、いかにもLA発らしいところ。ヒスパニックの街ですからね。

 

たとえばスペイン語で歌われる7曲目「ザ・ドリーマー」は、ロス・ロボスのデイヴィッド・イダルゴとの共作。音楽的にもテックス・メックス風味炸裂で、かなり楽しいですよね。でもこれ、歌詞はめっちゃ政治的なんですよ。日本語しかわからないぼくがぼ〜っと聴いていると、ただの愉快な音楽だと思ってしまいます。

 

でもそれでいいんじゃないかっていうのが本音でもありますね。文学作品を読んでいるんじゃないんですからね、音楽を聴いているんですから。それにしても、ロス・アンジェルス出身の音楽家だとはいえ、ここまでスパニッシュというかラテン風味を打ち出したジャクスン・ブラウンはめずらしいのでは?

 

いっぽうロス・ロボスの『ネイティヴ・サンズ』にはそんな歌詞面でのシリアスさ、ポリティカルな姿勢はありません。こっちはタイトル曲を除き全曲カヴァーによるアルバム。しかもどれもLAにゆかりのある音楽家や曲をカヴァーしているっていう、一種のLAトリビュートみたいな作品なんです。

 

肩肘張らないナチュラルなムードが気持ちいいロス・ロボスの『ネイティヴ・サンズ』、1曲目からスムースな音像が全開。アルバムでカヴァーしているのは、ジー・ミッドナイターズ、バッファロー・スプリングフィールド、ラロ・ゲレロ、そしてジャクスン・ブラウン、さらにパーシー・メイフィールド、ウィリー・ボボ、ビーチ・ボーイズ、ウォー、ブラスターズなどなど。

 

いずれもLAに縁のある音楽家ばかりで、たぶんロス・ロボスのメンバーがイーストLAで青春時代を過ごしていたころ聴いて親しんでいたであろう曲たちなんでしょうねえ。だから、連中なりの郷愁だったり、土地への敬愛とかオマージュとか、でも、ここぞの局面では真っ向から自我を主張するみたいな、なんとも理想的なカヴァー・アルバムに仕上がっていますよ。

 

チカーノ・ロックあり、ブラウン・アイド・ソウルあり、フォーク・ロックあり、ルンバあり、ボレロあり、ローレル・キャニオンものあり、ジャンプ・ブルースあり、ラテン・ジャズあり、ラテン・ロックあり、パンクあり、エレキ・インストありで、こうした雑多なごった煮がLAならでは。ロス・ロボスはそれらを丸ごとぜんぶ飲み込んで消化して、自分たちの音楽として表現しています。

 

(written 2021.8.8)

2021/08/08

まるで60年代ブルー・ノートみたいなジャケットだけど 〜 デルヴォン・ラマー

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(3 min read)

 

Delvon Lamarr Organ Trio / I Told You So

https://open.spotify.com/album/4z1iO0enp7c919GrpOnttF?si=qsgclnGTRcaCllZ_2vtGRg

 

このジャケットを見てください、どう見ても1960年代のブルー・ノートのアルバムとしか思えないですよね。完璧にそんな雰囲気をかもしだしているこれは、ところが2021年の新作なんですねえ。オルガン奏者デルヴォン・ラマーの『アイ・トールド・ユー・ソー』。

 

こんなレトロなジャケット・デザインで、さらにこれもオルガン・トリオ(オルガン、ギター、ドラムス)というクラシカルなフォーマットですけど、でも中身は?というと、必ずしもブルー・ノートのヴィンテージ・ジャズふうではないんですね。もっとリズム&ブルーズ寄りっていうか、ブッカー・T&MGズとかミーターズとか、あのへんを連想させる音楽をやっています。

 

だからあえてジャズ界隈でさがせば、ソウライヴとかメデスキ、マーティン&ウッドとか、オルガン・トリオっぽいものだとそういうものに近いっていうか、現代的で、実際そのへんを参照している音楽性の持ち主じゃないかなと思いますね、デルヴォン・ラマー・オルガン・トリオ。

 

そんでもって、最も現代的だなと思うのはドラマーの叩きかた。あきらかにヒップ・ホップ以後的なビート感覚をあわせもっていて、21世紀のバンドだけあるっていうところ。実を言うと、ソリッド・ボディのエレキを使うギターリストの弾きかたにもそれは感じられ、ハモンドB-3を弾くデルヴォンの演奏スタイルにも先進性がみてとれます。

 

オルガンのフット・ペダルで弾くベース・ラインだってクラシカルじゃなく先端的だし、こんなヴィンテージなカヴァー・デザインにしたのはどうしてだったんだろう?と疑問に思うほどなんですよね。もちろん古典的なオルガン・トリオのフォーマットでやっているからそれなりにヴィンテージ風味はあるんですけど、そのへんの中庸具合が聴き心地いい音楽ですね。

 

オルガン・ファンク、オルガン・ソウル・ジャズの最先端、とまでは言えないにしても、先端性とヴィンテージ風味のよみがえらせかたがちょうどよく溶け合って聴きやすく、聴きやすく受け入れやすい音楽じゃないかと思います。

 

なお、アルバム7曲目の「ケアレス・ウィスパー」はワム!の例のヒット曲のカヴァーですね。ちょっと意外です。

 

(written 2021.4.8)

2021/08/07

もしもジェフ・ベックがトルコ人だったら 〜 トルガ・シャンル

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(3 min read)

 

Tolga Şanlı / Vouves

https://open.spotify.com/album/22XeOyftddQmu3JqjrhLFe?si=xJJCyy6AQHil36qX4qIwQw

 

Música Terraことlessthanpandaさんの紹介で知りました。
https://musica-terra.com/2020/08/17/tolga-sanli-vouves/

 

トルコの若手ジャズ・ギターリスト、トルガ・シャンル(Tolga Şanlı)はイスタンブル生まれで、米バークリー音楽大学での学習歴もあります。その二作目にあたる最新アルバム『Vouves』(2020)で、ちょっと惚れちゃいました。

 

ジャズといってもトルガはソリッド・ボディのエレキ・ギター奏者。+エフェクターを効かせていますから、聴感上はロック、インストルメンタル・ロック、あるいはジャズ・ロックのサウンドに聴こえます。実際、ジェフ・ベックあたりからの影響もかなり強そうですよね。

 

言ってみれば「もしジェフ・ベックがトルコ人だったなら?」を地でいったようなこのアルバム、『ブロウ・バイ・ブロウ』とか『ワイアード』とか、あのへんの音楽にたっぷりトルコ風味をまぶしたような音楽だ、とでも言えば伝わりやすいでしょうか。

 

トルコ要素をこのアルバムで代表しているのがバグラマー奏者の参加。それ以外はギター、キーボード、ベース、ドラムスと標準的なジャズ・ロック・バンドなんですが、バグラマー(サズ)のサウンドがとても目立っていますよね。そのおかげでかなりエキゾティックなムードがかもしだされています。

 

なんたって1曲目「7」ではいきなりバグラマーの音からはじまって、その後バンドが入ってきてからは変拍子大胆活用の現代ジャズとなりますが、もうこのイントロだけで、オッ、この音楽はなにか違うぞ!と感じさせるものがあります。バグラマーはその後の2曲目以後も随時活用されています。

 

しかしバグラマーを抜きにすればトルガのギター・プレイといいバンドの演奏といい、やはり典型的な現代ジャズと言ってよく、世代と国籍を超えた普遍的な音楽をやっているなという印象です。クォリティの高い現代的なジャズ・ロック・サウンドで、1970年代的なサウンドとコンテンポラリーなコンポジションがうまく溶け合うさまは、ぼくのような世代にはまさに快感。

 

カンタンにいえば、プログレ+ジャズ+トルコ+ジェフ・ベック、みたいな音楽だと言っていいでしょうね。

 

(written 2021.4.1)

2021/08/06

ほのかに香るように歌う 〜 中澤卓也

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(6 min read)

 

中澤卓也 / 繋ぐ Vol.3~カバー・ソングスⅢ Elements~

https://open.spotify.com/album/3GZexDXb0IX4EFxdu40Htq?si=aAH9n5MYSkG4a-uh0Frb5Q&dl_branch=1

 

近い将来の日本の歌謡界を背負って立つ存在になることはもはや間違いない中澤卓也。2017年のデビュー以来ぐんぐんと急成長を遂げ、ヴォーカルに色艶を増してきています。

 

そんな卓也の新作アルバム『繋ぐ Vol.3~カバー・ソングスⅢ Elements~』が8月4日にリリースされました。三作目のカヴァー・アルバムで、おおいに期待している大好きな卓也だけに、ぼくはCD買うつもりでいたんですが、なんと意外や意外、即日Spotifyなどサブスクで聴けるようになりました!えらいぞ日本クラウン!

 

七曲、トータル約33分間は、演歌歌謡曲系のアルバムとしてはやや短いように思えるかもしれませんね。一曲四分程度ですから、10曲ほどは収録してもよかったんじゃないかと思わないでもないですが、でも33分間というこのサイズが、2020年代的な時代の要請を受け入れている感じがして、個人的には好感を持っています。

 

卓也の『繋ぐ Vol.3』、もうすっかりヘヴィ・ロテ状態なわけですが、今回も往年の歌謡曲、ヒット・ソングの数々をカヴァー。あまり知られていないものもふくまれているように思いますので、いちおう初演歌手とその年を一覧にしてみました。

 

琥珀色の日々(野口五郎、1984)
さらば友よ(森進一、1974)
駅(中森明菜、1986)
無縁坂(グレープ、1975)
異邦人(久保田早紀、1979)
シルエット・ロマンス(大橋純子、1981)
心の瞳(坂本九、1985)

 

「琥珀色の日々」「心の瞳」あたりは知名度が低いかもしれませんが、それ以外はわりとよく聴かれている有名曲じゃないでしょうか。それで、以前も言ったことですがカヴァーのキモは、初演歌手にない独自カラーをアレンジや歌唱で出せるかどうか?というところ。

 

その点、卓也は発声や歌いまわしに独自の個性がありますよね。声に甘さと優しさを兼ね備えながらも、決して主張しすぎず、すれ違いざまにほんのりほのかにふわっとだけ香る、みたいなヴォーカルがぼくは大のお気に入り。

 

エモーションの表出を抑制したソフトでクールでおだやかな歌唱法は、いつも言っていますが、最近の世界の歌の世界で主流となってきているもの。そんな表現スタイルをとる日本歌手のなかで、卓也は若手の代表格と言えるんじゃないでしょうか。

 

すーっと軽く乗せるようにふわりと歌う卓也には、ずっしりとした重厚感や濃厚さはないんですが、こういうのこそいまの時代のヴォーカル・スタイルですからね。べったりとした重たさやまとわりつく湿度がなく、あくまでドライで、クールでソフトで軽いっていう、卓也のそんなヴォーカル・スタイルこそ、2020年代的な歌唱法として称賛すべきものです。

 

今回『繋ぐ Vol.3』では、中盤に少人数編成のアクースティック・アレンジ・ヴァージョンが収録されているのも特筆すべきです。「駅」「無縁坂」「異邦人」の三曲で、全七曲中三つですから、目玉セクションと言えるかもしれません。

 

それらでは、ピアノ、アクースティック・ギター、パーカッションの三人だけでアンプラグド伴奏していて、しかもライヴ感を大切にするため、卓也の歌もふくめ全員での一発同時収録だったそう。たしかにそれでしか得られないグルーヴが息づいているのを聴きとることができます。

 

こういうのは、昨春のコロナ禍突入後、すぐに卓也が公式YouTubeチャンネルで開始して現在も続行中の「歌ごころ」企画がベースになっているんだろうと思います。「歌ごころ」は、カヴァーばかり、毎週金曜日に一曲づつとりあげて、ピアノ+ギター(+パーカッション)だけの伴奏で卓也が歌うというもの。
https://www.youtube.com/channel/UC81EX2rADDDUgZXtcovxebg

 

毎週一曲公開されていてもう一年半以上になるので、トータルで現在80曲以上にもなる「歌ごころ」ですが、この企画をずっと続けていくなかで、少人数のアクースティック伴奏でカヴァーを歌うということにたしかな手ごたえを感じるようになったのではないでしょうか。実際、今回のアルバム『繋ぐ Vol.3』収録曲のうち、半分程度は「歌ごころ」ですでに歌っていたものです。

 

アルバム中盤にあるそうしたアンプラグド・コーナーの前後も、リズム・セクションを中心に控えめなストリングスやホーンズ、エレキ・ギターなどが彩りを軽く添える程度で、軽めのアレンジです。

 

中澤卓也というこのたぐいまれな才能をサポートするのにこれ以上ないという伴奏で、軽くほのかに甘さや色香がふんわりとただようという卓也の特徴が活かされた好アルバムですよ、『繋ぐ Vol.3』。「無縁坂」「シルエット・ロマンス」などはこれ以上ないヴァージョンに仕上がったのではないでしょうか。

 

(written 2021.8.5)

2021/08/05

配信時代のシングルにカップリング曲はいらない

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(5 min read)

 

応援しているわさみんこと岩佐美咲、今年も新曲が発売されることになりました。タイトルは「アキラ」で、10月6日発売予定。上で掲げた写真がそのための宣材写真です。

 

このお知らせが7月28日に出たとき、一部のファンから、たぶんずっと前から抱いてきた思いでしょうけど、美咲のシングルにはどうして表題曲しかオリジナル新曲が収録されないの?という疑問というか不満の声があがりました。

 

実を言いますと、ぼくも美咲を知った2017年初春からずっと同じように感じてきているんですよね。美咲のすべてのシングルは表題曲しか新曲が収録されず、それ以外はそもそも用意すらされず、カップリング曲はどれもこれもぜんぶカヴァー。

 

たぶんこんなのは美咲だけじゃないですか。ほかのどんな歌手でも、ニュー・シングルを発売するとなれば、表題曲以外にもう一曲、二曲、用意されたオリジナル新曲が収録されるもの。そうじゃない歌手がいるとは思えません。

 

美咲は歌手活動にあまり力を入れてもらえていないのかな?と疑問に思う次第です。でもこれ、よく考えたらニュー・シングルを出す際にカップリング曲が必要だというのは、フィジカル時代の発想なんですよね。はっきりいえばアナログ・レコード時代の名残。

 

むかし新曲発売のシングルは45回転のドーナツ盤でしたから。その前にSP時代がありましたけど、やはり同じ一曲単位。送り手側が売り出したい新曲をA面に収録するわけですけど、もう片面になにも入れずツルツルのままにしておく、というわけにはいきませんからね。

 

といってもSP時代の初期にはそういうこともあったみたいなのですが、片面ツルツル時代は例外で、通常は新曲発売のついでに、放っておくわけにはいかないもう片面に一曲、ついでみたいに収録したんです。

 

これがシングル曲のカップリング習慣のはじまり。だから、アナログ・レコード時代にはA面とB面で一曲づつだったので、カップリング曲は一曲だけ。それがあたりまえでした。

 

CD時代になって、シングルもCDで発売されるようになると、表裏がなくなってこの二曲ワン・セットという拘束が消えましたから、だからシングルCDのカップリングも数曲入っているということが増えました。そうなると「2」を意味するカップリングという用語を使うのも本来はおかしいわけですけどね。

 

ともあれ、CDシングルには三曲とか四曲入っていることが多くなっているのですが、いまや2021年ともなればCDですらなく、サブスクやダウンロードなどネット配信で新曲をリリースする歌手や会社も増えているのはご存知のとおり。

 

するとですね、たとえばSpotifyなどサブスクで新曲をリリースするのであれば、もはや曲数にこだわる必要がまったくないわけですよ。出すのは新曲一個だけでいいんです。

 

実際そうやって一曲だけサブスクでリリースするケースは増えていて、ぼくの知るかぎりソナ・ジョバーテ(ガンビア/イギリス)もエズギ・キュケル(トルコ)もそうしています。サブスクで、ダウンロードもあるかもですけど、新曲一個だけ、次々リリースしています。

 

これがレコードとかCDとかだと一曲だけというわけにいかないと思うんですよね。パッケージ・フォーマットのない配信だからこそ一曲だけでリリースできるわけです。ホントこういうのこそ、いまの時代の、2020年代の、シングル・リリースの望ましいありようでしょうねえ。

 

さて、来る10月に発売される岩佐美咲のニュー・シングル「アキラ」。もちろんCDで出ます。しょうがないっていうか、演歌とか歌謡曲とかの世界はまだまだ旧弊なので、フィジカル・パッケージにこだわる気持ちはわかります。それで、発表されているカップリング曲はやっぱりカヴァーばかりで、こんなもんなんでしょうかねえ。

 

美咲のばあい、昨2020年7月1日にいままでの全シングル表題曲九曲がサブスクに入りました。今回の「アキラ」もきっと入るんじゃないでしょうか。それらはもちろん一曲単位で存在しているんで、やっぱりこういうのは配信ならではっていうことですよね。

 

(written 2021.8.4)

«没後半世紀目に考える、サッチモとジャズ・エンターテイメント

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