2020/01/27

曲「フットプリンツ」をちょっと

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https://open.spotify.com/playlist/3PmelfwG2WIYWNAK0RT7qB?si=UaynEplDTbWbj9DcZlJ1PA

 

楽曲形式は定型の12小節ブルーズなのに、ちっともブルーズっぽくないフィーリングの曲「フットプリンツ」。作者ウェイン・ショーターのスタジオ・ヴァージョンとライヴ・ヴァージョン、それからこの曲を世に広めたマイルズ・デイヴィスの同様に二つのヴァージョンと、合計四つを録音年順にプレイリストにしておきました。マイルズのライヴ・ヴァージョンはたくさんあるんですけど、Spotify で聴けるものをと思ったらあんがい絞られます。1967年冬のコペンハーゲン公演を選びました。

 

これら四つを聴き比べるのもなかなか興味深いんじゃないかと思い立ったんですね。まずオリジナル・ヴァージョンであるウェインのスタジオ録音はわりとふつうのハード・バップですよね。といってもハード・バップのなかにたくさんあるファンキー・ブルーズにはなっていなくて、まったくブルージーじゃないブルーズ演奏なんですけど。リズム面ではごく平凡な3/4拍子。はっきり言ってこのヴァージョンはイマイチかもしれません。

 

ところが同じ年に録音されたマイルズのスタジオ・ヴァージョンでは大きく様変わりしています。最大の違いはリズム・アプローチで、6/8拍子の変型ラテン・リズムみたいになっていますよね。作曲者である同じテナー・サックス奏者が参加しているわけなので、この違いはボスか、あるいはたぶんドラマーのトニー・ウィリアムズがもたらしたものだったかもしれません。しかも一番手でソロを吹くマイルズのそのソロのあいだにも一回リズム・パターンがチェンジします。

 

大方の見方と違って『E.S.P.』〜『ネフェルティティ』期のマイルズ ・クインテット最大の功績はリズムの多彩な表現にあったというのが最近のぼくの考えなんですが(そのうちまとめます)、『マイルズ・スマイルズ』はそこへ一歩も二歩も大きく踏み出したアルバムだったんじゃないでしょうか。本格的には変型ラテン・リズムがいくつも聴ける『ソーサラー』(1967)まで待たなくてはなりませんが、前作『マイルズ・スマイルズ』のなかにもこの「フットプリンツ」みたいなのがあったわけです。

 

そんな新時代のリズム実験を、しかしマイルズはサイド・マンの書いた、それも12小節定型ブルーズでまずやったというのがこのひとらしいと思うんですね。保守と革新の入り混じるというか、なにか一個新しいことをやるときには、別な部分はそのまま旧来的なものを使ってやる、というのが生涯にわたるマイルズの傾向でした。なにもかも一度にぜんぶを新しくはしない音楽家だったんですね。漸進的なアプローチのひとだったわけです。

 

1967年冬のマイルズ・クインテットのヨーロッパ・ライヴでは、そんなリズム・アプローチがさらに一歩進んでいるのを聴きとることができるはず。曲の演奏冒頭からトニーがかっ飛ばしていますよね。さらにこのコペンハーゲン・ヴァージョンではハービー・ハンコックのブロック・コード弾きもトニーのドラミングと一体化してリズムの躍動感を表現しています。それにしてもライヴのときのトニーはぶち切れるとものすごいことになりますよねえ。この「フットプリンツ」でもその一端が聴けます。

 

マイルズはその後1970年までこの曲をライヴで演奏しておりまして、69年以後はもちろん鍵盤奏者がエレクトリック・ピアノを弾いていますが、それでも、アクースティックなこの1967年コペンハーゲン・ヴァージョンがいちばん聴きごたえあるように思います。いちばんはやはりトニーのおかげです。なかでもシンバルとリム・ショットの使いかたに注目して聴いていただきたいと思います。

 

ラスト、ウェインの2001年ライヴ・ヴァージョンは、2002年リリースのライヴ・アルバム『フットプリンツ・ライヴ!』から。もちろんポスト・ウェザー・リポート期で、ウェインはいまだ2020年時点でも現役なんですからビックリですよねえ。アルバム『フットプリンツ・ライヴ!』はかなり充実した傑作のように思います。過去のウェインの代表作ばかりたくさんやっているアルバムです。

 

この2001年ライヴのウェインの「フットプリンツ」は、ウェインがまずソプラノ・サックスで出ます。背後でブライアン・ブレイド(ドラムス)とダニーロ・ペレス(ピアノ)がやはり躍動的なリズムを表現していますが、過去のマイルズ・ヴァージョンみたいにラテンやファンクに接近しているような部分は聴きとれません。マイルズやジョー・ザヴィヌルなしだと、ウェインはやっぱりジャズのひとなんですよね。

 

このウェインのライヴの「フットプリンツ」では、終始ウェインとダニーロの、つまりサックスとピアノの対話形式で演奏が進むのもおもしろいところです。両者ともパッショネイトな演奏ぶりで、しかも対話形式ですから、特にウェインはまとまったパッセージを吹くよりもフラグメンタリーにフレーズを展開するのも特徴でしょう。ダニーロはややハービーを意識したようなフレーズを連発しています。テナーに持ち替えてからのウェインの熱いもりあがりかたがとてもすばらしいですね。最終的にはクールに落ち着いたムードになって終わります。

 

(written 2020.1.11)

2020/01/26

ウェインの『アダムズ・アップル』は聴きやすい

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https://open.spotify.com/album/4sxvTow8IffB0lisGJWb6Z?si=2XshWKChSvKb4hBfKzMXEA

 

ずっと苦手にしてきた1960年代ウェイン・ショーターのブルー・ノートへのリーダー諸作。でも最近ちょっと気を取りなおして聴きかえしているんですね。最近自分でも音楽に対する嗜好がやや変化しているかもと自覚していますから、いま聴けばそれらのウェインだっていい感じに聴こえるかもしれません。実際、『アダムズ・アップル』(1966年録音67年発売)なんかは聴きやすくて、いまはかなり好きになってきています。

 

1966年というとウェインはマイルズ・デイヴィス・バンドで活動しているさなかで、同年には『マイルズ・スマイルズ』をいっしょに録音していますね。でも『アダムズ・アップル』だとそんなに新主流派的な音楽になりきっていない感じもします。従来からのハード・バップ路線上にある一枚かもしれませんね。もっと前の作品、たとえば『ジュジュ』『スピーク・ノー・イーヴル』なんかでは完璧に新世代ジャズ、つまりポスト・バップを表現していたのに、ちょっと意外な気もします。

 

サイド・メンはピアノがやっぱりハービー・ハンコックなんですけど、ベースとドラムスがレジー・ワークマンとジョー・チェインバーズで、アルバム『アダムズ・アップル』がやや保守的に聴こえるのは彼らのおかげでもあるんでしょうか。でもぼくがウェインを苦手としてきたのはそんな部分じゃなくて、たぶんひとえにあのもっさりしたテナー・サックスの音色ゆえだと思うんですけどね。作品によっては聴きやすく思うこともあります。

 

1曲目のブルーズ「アダムズ・アップル」はちょっとファンキー・ジャズというか、いわゆる #BlueNoteBoogaloo 的なフィーリングもあるので、実はかなり好きです。そうなっている原因は曲そのものというよりピアノのハービー・ハンコックのブロック・コードの弾きかたにあると思うんですね。テーマ演奏〜ウェインのソロのパートと続けてずっと一定のファンキー・リフを叩いているでしょう、それがちょうど「ウォーターメロン・マン」にやや似て聴こえないでもないんですよね。好きなんです、こういったハービー。クラシカルな資質も色濃く持つピアニストですけど、同時にファンキーですよね。

 

ウェインのソロ部でずっとハービーは同じブーガルー・リフを叩いていますが、ウェインが吹き終えたらそのままのブロック・コード弾きで自身のピアノ・ソロに入ります。もうひとえにこのハービーのファンキーなブロック・コード・リフのおかげですね、この曲「アダムズ・アップル」が好きなのは。ジョー・チェインバーズもブルー・ノート・ブーガルー的なドラミングで快感です。

 

こういった感じで幕開けするのでアルバム『アダムズ・アップル』は印象がよくなるんですね。でも2曲目以後にこんなファンキー・ジャズ(つまりハード・バップっぽいんだけど)はないんじゃないですか。3曲目「エル・ガウチョ」はこんな曲題にもかかわらずボサ・ノーヴァ・テイストです。いわゆる(スペイン語圏の)ラテンなフィーリングとはちょっと違います。これもいいですね。

 

ラテン・テイストといえば、アルバム6曲目の「チーフ・クレイジー・ホース」にちょっぴりそれを感じます。特にジョー・チェインバーズのやや複雑なリズム表現にそれが聴けるんじゃないでしょうか。あ、この曲はちょっとポリリズミックですかね、何拍子なのか数えてみようと思ったらちょっとむずかしそう。この曲はだからかなりおもしろいです。いわゆるふつうのハード・バップじゃないし、これには新世代のポスト・バップ的な感覚があるように思います。

 

さて、4曲目の「フットプリンツ」。当時のボスだったマイルズが『マイルズ・スマイルズ』でとりあげ、その後のライヴでもしばしば演奏されたので有名化しましたが、初演はここで聴けるウェイン自身のヴァージョンなんですね。マイルズがやったようなリズム面での斬新な展開はなく、ごくあたりまえな3/4拍子の定型ブルーズでやっています。だからマイルズ・ヴァージョンを先に知っている(というひとが多いはず)と、イマイチに感じないでもないですね。

 

アルバム『アダムズ・アップル』では、そんな感じで全体的に先立つウェインのポスト・バップ的諸作よりも、なぜかやや後退したような保守的路線、ごくふつうのハード・バップに接近しているのがかえって聴きやすさに転じていて、ブルー・ノート・ブーガルーな感じもあり、そのせいか関係ないのかぼくの苦手なウェインのテナーのもっさりした音色感もやや薄まっているように聴こえるので(あの感じはウェイン独自の新感覚曲でフル発揮されるものかも)、個人的には愛聴盤になりうる一枚ですね。

 

(written 2020.1.10)

2020/01/25

サンバ・ジ・エンレード 2020

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https://open.spotify.com/album/1JaziyQu8J8mFQc0ikKaDb?si=Fr6jbkWyTHq_W4t9gvzS1g

 

毎年恒例のこのサンバ・アルバム。今2020年のリオのカーニヴァルは2月21日から。それにさきがけて昨年暮れに公式アルバムが発売されています。『サンバス・ジ・エンレード 2020』。ぜんぶで13曲収録なのは、13のエスコーラのオフィシャル・サンバ・エンレードを一曲づつ収録しているからなんでしょう、きっと。エスコーラごとにそれぞれ趣向を凝らし…、と思って聴いてみたら、なんだか共通する特色がありますよね。

 

それはひとことにしてスピード感です。歌謡サンバみたいなのとカーニヴァル・サンバとは違うというのはそうなんでしょうが、それにしても『サンバス・ジ・エンレード 2020』で聴ける13のサンバはものすごいスピード感じゃありませんか。しかもリズムをとても細かく刻んでいるし(特にカイーシャが)、タイトでシャープなノリを感じます。ここまでとはねえ。

 

カーニヴァル・サンバでも、むかしのものはこうじゃなかったように思うんですけど、ぼくの勘違いでしょうか。ゆったりと大きく乗るような部分があまりなく、悪く言えば余裕がなく性急な感じがしますよね。セカセカしているといいますか、こういうのがいまどきのカーニヴァル・サンバなんですね。これも時代のフィーリングの変化ということなんでしょう。

 

社会性、時代性を反映してそんなふうに音楽も変わってきているんだと思いますが、世界で、日本でも、もちろんブラジルでも、ものごとの流転の速度を増すばかりの世相。音楽アルバム『サンバス・ジ・エンレード 2020』を聴いてもそれを感じとれます。いいのかよくないのか、好きか嫌いかは意見が分かれるところでしょうね。実はぼくもイマイチな感は否めません。サンバでもゆったりとした繊細なノリのフィーリングのものがもっと好きです。

 

でもこれはこれでいまの時代の音楽ということなんでしょうから、いいもよくないもないです。リズム感覚って、音楽のなかでもいちばん時代を反映するものだと思いますから、変化の速い2010年代にサンバがこんな感覚になるのも当然なのかもしれないですね。和声感やメロディの動きかたなどはむかしのサンバと違いはありません。スピード感あふれるこういったカーニヴァル・サンバでいまは踊りパレードするのでしょう。

 

(written 2020.1.9)

2020/01/24

岩佐美咲『美咲めぐり〜第2章〜』のライヴ・テイクがすばらしすぎる

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https://www.amazon.co.jp//dp/B07X3QG47M/

 

昨2019年11月に発売された岩佐美咲のニュー・アルバム『美咲めぐり〜第2章〜』。通常盤と初回特別盤の二種類ありますが、どう考えても初回特別盤を買う以外の選択肢はありません。そっちにだけライヴ収録の三曲が収録されていて、それらがあまりにもすばらしすぎるからなんです。ぼくはもう発売以来毎日聴いているんですね。初回などと銘打っていますが、たぶんずっと買えます。

 

ライヴ収録の三曲「ごめんね東京」「初酒」「もしも私が空に住んでいたら」のうち、「ごめんね東京」は標準的な出来じゃないかなと思います。美咲についてぼくが「標準的」と言うときは、それはなかなかいいぞという意味なんですけどね。抜群なとき(がいつ来るか分からないからライヴ通いがやめられない)があまりにもずば抜けてすばらしすぎるから、なかなかいいよ程度だと標準的という形容になるんですね。それくらい現在の美咲はふだんからレベルが高いです。

 

がしかし『美咲めぐり〜第2章〜』に収録のライヴ・ヴァージョンの「初酒」「もしも私が空に住んでいたら」はとんでもない出来ですよ。こんなにも絶品な美咲をいままで CD ではほとんど聴いたことがないかも。二曲とも美咲初期のシングル・ナンバーで、スタジオ録音はそれなりに練り込まれて完成されていますが、それでもこれらライヴ・ヴァージョンを聴いたら、もうまったく比較になりませんね。だんぜんライヴのほうがいいです。

 

「初酒」は2017年、「もし空」は2018年のソロ・コンサートでの収録ですが、たとえば「初酒」でも声の色艶がグンと増していて、しかもこの人生の応援歌みたいな歌を、いっそう前向きに肯定的に歌い込むことに成功しているんです。美咲の声に、なんというか丸みや成熟が聴けますよね。そう思うと、カラオケだから変わりはない伴奏まで違って聴こえる気がするから歌の力とはおそろしいものです。

 

近年のライヴでの「初酒」では、特に緩急が自在なのも特徴です。なかでもぼくがいつも感心しているのは、ファースト・コーラスの「我慢しなくていいんだよ」部とツー・コーラス目の「カッコ悪くていいんだよ」部なんです。いずれも声を強く張って出し、強く説得するようにグイッと発声しているんですが、最後の「よ」の部分に来たらスッと軽く声を抜いてふわっとやさしくやわらかく声を置いているでしょう、そこでぼくなんかはほだされてしまうんです。なんという説得力のある大人な歌いかたでしょうか。

 

ライヴ収録の「初酒」全体にエネルギーがみなぎっているし、余裕を感じるし、しかもミキシングだって効果的に考えられています。この曲(と「鯖街道」)では観客がリズムに合わせて手拍子をするんですけど、CD を聴きますとファースト・コーラスから小さくその音が入っています。でもツー・コーラス目になってはじめて大きめに手拍子の音が入るようにミックスされているんですね。それでこの曲、この歌のもりあがり感、臨場感、ライヴなんだという空気感がいっそう効果的に高まっているんですね。ミキシング・エンジニアは二名が CD ブックレットにクレジットされていますが、どなたのアイデアだったんでしょう、見事な仕事です。

 

もっとすごいのがアルバム・ラストのライヴ「もしも私が空に住んでいたら」です。もはや壮絶とまで言いたいほどの迫力に満ち満ちているじゃありませんか。ここの美咲はいったいどうしちゃったんでしょうか、声の伸び、張りも最上級。このときのライヴ・コンサートはぼくも現場で聴いたんですが、CD でなんども聴くとビックリしちゃいますね。なんなんですか、この美咲の声の美しさは。ベスト of ベストですよ。

 

このライヴの「もし空」を聴くと、美咲がいまの日本の歌謡界最高の歌手のひとりであることは間違いないと思えます。たとえば声の色艶。ファースト・コーラスの出だしからふだんとはちょっと違うぞ、この「もし空」は尋常じゃない、どうしたんだ?と思わせる緊迫感、迫力、説得力がありますが、「そっと見送る」の「る〜〜」部。ここの声の美しい伸びは、いままでの美咲のなかでも聴いたことのない最上の絶品じゃないでしょうか。

 

ツー・コーラス目でも「ため息になる」の「る〜〜」部が同様です。それらでは声に、それとはわからない程度の軽いほんのりヴィブラートがかかり、そのおかげで声に独特の伸びやかさとまろやかさが出ているんですね。しかもその声じたいが丸くて太くて、しかも隠で暗いんです。「もし空」というこのしっとり系の曲の曲想にこれ以上なくピッタリする声の色と質なんですね。

 

ツー・コーラス目の「偽名と孤独」部、サビでの「出逢ったこと、愛したこと」の「こと」部での、そっと隠に声をポンポンと置くタイミングの絶妙さ、軽いヴィブラートで強く声を張る部分とのコントラストのすばらしさ、「愛し合ってはいけないあなたと」「月に一度の合瀬を重ねて」部での歌詞に説得力を持たせる繊細なフレイジングと声そのものにこもる迫真の見事さなど、もう言うことない完璧な完成度じゃないでしょうか。

 

「頬の涙は触れられないけど、自分のその指で拭う日が来る」「ひとはだれでもすぶ濡れになって、いつかの青空を思い出すでしょう」なんていう歌詞を、ここまで迫力と説得力を持って歌い込むことのできる歌手が、いまの日本にはたして何人いるのでしょうか。すくなくともこの2018年ライヴ・ヴァージョンでの美咲以上に美しく歌える歌手はまずいないのではないでしょうか。

 

「もし空」は、「初酒」もそうですけど、長く歌い続けることのできる普遍的な内容を持った歌です。今後も何十年とどんどん歌い込んでいくことで、また美咲の人間的な、あるいは歌手としての、成長にともなって、どこまでものすごい歌唱に化けていくか、出かかり(by 山本譲二)の色艶がどこまで成熟するのか、考えただけでおそろしい気分です。20代前半は歌手として音楽家としてじゅうぶん成熟できる年齢で、それでここまで壮絶な、特に「もし空」が、そうなっているわけですけど、美咲はいったいどこまでの深みをこの名曲に込めることができるようになるのか、想像することすら今はできないですね。

 

(written 2020.1.14)

2020/01/23

多すぎるアフロビート・ジャズだけど 〜 ダニエル・ジゾヌ

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https://open.spotify.com/album/63IOjGDbHot5fIIzjh5ZIf?si=btWI8YY7Q7Ohw5NSsYtRwA

 

ところでいまアフロビートは大流行しているんですよねえ。そう思います。特にジャズ界隈でかなりもてはやされているのは間違いありません。ここ数年もう次々とそんな作品に出会いますから。今日話題にしたいアルバムもそんな一枚。調べてみても西アフリカのトランペット奏者ということしかわからないダニエル・ジゾヌ(Daniel Dzidzonu)の『Walls of Wonder』(2019)です。

 

同じアフリカのトランペッターということで、ダニエルはヒュー・マセケラの流れを汲む音楽家なのかもしれません、このアルバムには「リメンバー・マセケラ」という曲もあるくらいなんで。ダニエルがやっているのもアフロ・ジャズで、しかもそのアフロ要素は完全にフェラ・クティのアフロビートを持ってきているという、そんな音楽でしょうね。アフロビート・ジャズ、多いですね最近、多すぎるくらい多いです。

 

ダニエルの『ウォールズ・オヴ・ワンダー』だと、最後の三曲だけちょっと編成と様子が異なっていますが(そのうち二つは前作にあった曲のリミックスだし)、それらの前まではたぶんパーカッション+ドラムス+ベース+エレキ・ギターがリズムで、鍵盤楽器は控えめ。その上に管楽器群とヴォーカルが乗るというやりかたですが、管楽器はサックスなしのブラスだけかもしれません。曲によってはストリングスも入ります。

 

このアルバムでぼくがいちばん感心したのはダニエル自身のトランペットやヴォーカルではなくて、エレキ・ギターリストなんですね。いやあ、カァ〜ッコイイです。もちろんホーン・アンサンブルもカッコイイんですけど、こんなエレキ・ギターの弾きかたができるのはすばらしいと思うんですね。曲によってはひょっとしてギターリストが二名同時演奏しているのかと思わないでもないですが、いずれも見事なサウンドです。

 

だいたいこんなジャケットだし主役がばりばりとファンク・トランペットを吹きまくっている音楽なのかと思いきや、そうでもないんですね。トランペット・ソロが聴こえる時間はそんなに長くありません。そしてトランペットが鳴っているあいだもそうでない時間も、このエレキ・ギターのコード・カッティングが創り出す空間があまりにも心地いいんで、それにばかり耳が行ってしまいます。

 

たとえばアルバムで唯一これだけなぜかライヴ収録の5曲目「E.I.A. (Emergency In Africa)」。ここでは鮮明に二本のエレキ・ギターが聴こえますね。一人がコード・ワーク、もう一人がシングル・ノート・リフ反復で、まるで1960年代後半のジェイムズ・ブラウン・バンドみたいです。そしてダニエルのこの二名のギターリストがからんで生み出しているサウンドが極上のグルーヴなんですよねえ。

 

そのツイン・ギター・サウンドの心地よさに比べたら、やはり見事だと思うホーン・アンサンブルやヴォーカル・パフォーマンスはどうってことないように思えてしまうんですね。とにかくほかの曲もぜんぶふくめて、ダニエルのこのアフロビート・ジャズではエレキ・ギターが主役のようで、ぼくは Spotify で聴いているだけだからだれが弾いているのかわかりませんが、名前をチェックして憶えておきたいです。

 

5曲目と並ぶ、このアルバムでの個人的ベスト・トラックは、続く6曲目「アフロ・ドリーム」。この曲ではエレキ・ギターのコード・ワークもいいんですけど、それよりもいきなり出だしから鳴るホーン・アンサンブルが超カッコイイですね。続くダニエルのトランペット・ソロもかなりの聴きもの。と思っていると、やはりエレキ・ギターが目立つようになり、そうしたらいきなりカルロス・サンタナみたいな濃厚ソロが出ます。いやあ、こりゃいいなあ。コードを弾いているひとの多重録音か別人か、ホントだれが弾いているんです?

 

(written 2020.1.8)

2020/01/22

奄美の島唄をやる平田まりな『跡(アシアト)』がとってもいいぞ

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http://elsurrecords.com/2019/12/14/%e5%b9%b3%e7%94%b0%e3%81%be%e3%82%8a%e3%81%aa-%e8%b7%a1/

 

エル・スールのホーム・ページでジャケットを見て、なにかピンとくるものがあって、その勘を信じて買ってみた、平田まりなの『跡(アシアト)』。大正解でした。これはとてもいい音楽です。奄美大島の民謡弾き語りで、平田は三味線+歌。たった25分ほどのデビュー・ミニ・アルバムですけど、すっかり平田のファンになっちゃいました。唯一の残念な点は収録時間が短くて、気持ちよさにひたっていてもあっという間に終わってしまうことだけ。一時間くらいずっと聴いていたいと思わせる音楽ですね。

 

ぼくは奄美の島唄についてはなんにも知らないんで、ただジャケットの雰囲気だけで買って聴いてみたらいいなと思っただけなんで、見当はずれなことも多いと思います。『跡(アシアト)』で平田まりなが弾き語っているのは全六曲。これらは奄美島唄のスタンダード・ナンバーなんですかね。YouTube でいろいろとさがしているとよく出てくるものだから、そんな気がします。平田自身がしゃべっているものも見つかりました。

 

このアルバムでは平田まりなの三味線と歌と、それしか入っていないんですけど、ぼくがまず惚れたのは三味線の音色ですね。音が立っています。立ち上がり(アタック)や粒立ちがとてもいいですよね。これはどんな楽器でも一流奏者に共通する特色なんです。平田自身によれば、奄美ではむかし女性は三味線を弾いてはいけなかった、男だけのものだったそうで、平田のおばあちゃんも三味線はまったく弾かないそうなんですね。だから平田は新世代なんでしょうか。奄美の民謡の世界はなにも知りません。

 

でもアルバムを聴いていたらそんなことは信じられないくらいの三味線の腕前だと思います。YouTube で平田まりなの動画を見ると、外見が沖縄の三線にそっくりなんですけど、三線ではなくあくまで奄美三味線であるとのこと。たしかに音色もちょっと違いますね。とにかく平田の奄美三味線はとても上手いです。一音一音鮮明で、クリアに聴こえ、独特のゆったりしたリズムで心地よく、聴いている側をリラックスさせる癒し効果がありますよね。

 

それは歌についても言えることで、落ち着いたフィーリングのしっとりした歌いかたが心に沁みます。声の色に独特の憂いや哀感があって、平田まりな本人がどんなひとなのかはわかりませんが、歌声には翳りというか、ある種の暗さみたいなものがありますよね。深みというか憂いというか哀感というか。ぼくはそう聴きました。でも YouTube とかで見るふだんしゃべっている平田の姿は正反対のようにも見えるので、音楽っておもしろいというかおそろしいですよね。

 

三味線で細かくフレーズを弾きながら大きくゆったりと乗って、平田まりなはどの曲でも低く歌い出します。まるでさぐっているかのようにはじめると、その後も落ち着いた大人のフィーリングでしっとりと歌い、高音部で声を張る箇所もまじえながら、全体的には島唄それじたいの持つ味を活かすように丁寧につむぎながら声を重ねていくその姿に、ぼくはとても好印象を持ちました。

 

しかもなんだか近寄りがたいイメージじゃなく、身近な普段着感、親近感を持てる音楽で、上で書きましたように平田まりなの『跡(アシアト)』を聴いていると、とてもリラックスできてくつろげるまったりタイムを与えてくれる、そんな快感音楽で、だから25分なんていわず、もっとずっとこの心地よさにひたっていたいと思うんですよね。いやあ、いい音楽です。一時間くらいのアルバムで聴きたい!

 

(written 2020.1.7)

2020/01/21

猫のジョアンのペット・プレイリスト

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https://open.spotify.com/playlist/2omoRRrA3SPgfIAtdiTYH2?si=Q3vi9TekS4yowiDWkjyGFQ

 

今日2020年1月16日付けでかな、Spotify がはじめたサービス「Pet Playlists by Spotify」。猫とか犬とか鳥とか、ペットのいるかたはこれをつくることができます。飼い主とペットがともに楽しむことのできる音楽プレイリストを、飼い主のふだんの聴取傾向とペットの種類や状態から判断して自動生成してくれるというもの。早速やってみました。その結果が上のリンク。

 

詳細は以下のリンクからどうぞ。このリンクからそのまま自分のペット・プレイリストを作成できます。ペットの種類(猫、犬、鳥、ハムスター、イグアナ)を選び、性格や状態(リラックスしているかエネルギッシュか、シャイかフレンドリーか、など)を入力、最後にペットの写真と名前を入れてボタンを押すと、Spotify 独自のアルゴリズムで楽曲がキュレイションされ、プレイリストができあがります。
https://pets.byspotify.com

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ぼくんちにはジョアンという猫さんがいます。というのは正確には間違いで、ペット不可物件なんで、いくら猫好きのぼくでもいっしょに暮らすことはできません。それでもぼくの部屋は一階なんで、ベランダがそのままマンションの駐車場につながっていて、そこからよく外猫さんが部屋に入ってくるんですね。そのなかでいちばん仲のいいのがジョアンくんなんです。ぼくと遊ぶようになって約一年半くらいかな、もうほぼ一日中ぼくの部屋に入りびたっていると言ってもいいくらい。飼い猫同然なんですね。外猫(野良猫)さんだからちょこちょこ入ったり帰ったりしますけどね。毎晩どこで寝ているのかなあ。

 

ジョアンを駐車場で見かけるようになったのはずいぶん前です。いまのマンションには2011年の5月末に入居しましたが、そのときすでにいたのかもしれません。猫好きのぼくですけど、ペット不可物件ということもあって、最初は部屋のなかから眺めているだけだったんです。駐車場に出て撫でたりごはんをあげたりもしなかったですね、最初は。

 

転機は2017年の6月に iPhone を買ったことです。それでジョアンくん(やその他地域にうろうろしているいろんな外猫さんたち)の写真を撮ってはネットに上げるようになりました。ネット友人から反応があったりしてそれも楽しくて、どんどん撮って上げていました。そして2018年の秋、ベランダに面した窓を開けていると、ジョアンくんが部屋のなかに入ってきたんですね。最初はちょっと驚きました。しかもなんだかすでに馴れている様子。もとはどなたかの飼い猫だったんでしょうか。

 

様子を見ていると、しばらくうろうろしたのち、キッチンに置いてあったカツオ節の袋をパッとくわえてササッと部屋を出ていったんです。な〜んだ、ごはんだったのか。そのまま見ていると、駐車場のわきでそのカツオ節を食べているじゃありませんか。おなかが空いていたんですね。それを見てぼくはすぐに猫用のごはんを買いにスーパーに走りました。2018年の10月のことです。

 

帰宅して、駐車場にいるジョアンくんに向けてその煮干しの袋をカシャカシャ振ってみたら、一目散に飛んできたんですね。部屋のなかで袋をあけて出すと、夢中でジョアンくんは食べました。そのうちキャット・フードも買うようになり、2018年の10月末ごろからジョアンとぼくのおつきあいがはじまったというわけなんですね。そのころジョアンという名前はまだありませんでした。

 

ペット不可物件ですから、ちょっと部屋のなかに入れるくらいなら OK との大家さんのことばはいただいていますが、いっしょに住むわけにはいきません。だから共同生活とは言えませんね。でも毎日ジョアンくんはぼくんちに入ってきて、ごはんを食べ水を飲み、しばらくゆっくりくつろいで、フローリングやカーペットの上でゴロゴロし、ゆっくりしてから帰っていくという、そういう日常が訪れました。

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ジョアンという名前がついたのは2018年の11月のこと。ジョアンくんとぼくの2ショット写真をどんどん撮ってはこれまたネットに上げているんですけど、膝に乗ったり肩に乗ったりするようになったので、それをご覧になったあるフレンドさんが「お名前が必要ではないでしょうか?」と言ってくださって、それでたまたまそのときジョアン・ジルベルト(ブラジル)を聴いていたから、雄猫の彼をジョアンと命名しました。

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そのまま2020年1月にいたり、いまではすっかり仲よしのジョアンくんとぼく。いまではどちらも声を出さずとも表情や仕草だけで互いにコミュニケーションができるようになっているんですね。自宅マンションの駐車場にはほかにも外猫さんがいて、ぼくんちに遊びにくる、ごはんを食べにくる猫さんはいます。でもジョアンくんはもとの性格がフレンドリーなのか警戒心が薄いのか、こんなに仲よくしてくれるのは彼だけなんです。

 

Spotify プレイリスト「ジョアンズ・ペット・プレイリスト」ですけれど、これってぼくがふだんからよく聴いている好みの音楽とか聴取傾向から読みとって、ジョアンくんに聴かせるための、楽しみのための音楽をキュレイションしてくれたということなんでしょう。たしかにぼくのよく聴く音楽やそれに似たものが並んでいます。2、4ビートのストレート・ジャズとかジャジーなポップス、ブラジル音楽、ラテン系などなど。

 

しかしぜんぜん聴いたことのないもの、ふだん聴く傾向や好みから外れているなと思うものだってありますね。たとえばクイーン(UK ロック)が一曲入っていますが、ぼくはクイーン嫌いなんで、たぶんいままで一度も Spotify で聴いたことないです。カルメン・ソウザも聴いたことないけどやっているのはホレス・シルヴァーの「セニョール・ブルーズ」なんでこれは納得です。だれなんだかわからないひともいますね。

 

でも全体的にはこのプレイリストを聴いていてぼくはリラックスできるし、ジョアンくんがこれでリラックスしてくれるかどうかは、う〜ん、いまこのプレイリストを流していたらたまたまジョアンくんが入ってきてぼくのベッドの上でくつろいでいますねえ。なんだこりゃ(笑)。ジョアンくんの性格や特徴なんかも入力したけれど、どう反映されているのかはまだわかりません。

 

プレイリストにあるシルヴァーナ・マルタはミナス(ブラジル)だけどぼくは大好きだから、入っているのは納得。サブリ・モスバ(チュニジア)はよくわかんないな〜。コノシエンド・ルシア(アルゼンチン)もそうでもないけど、ドーリ・フリーマン(アメリカ合衆国)は好きなカントリー系ポップ・シンガーだから理解できます。

 

バディ・コレットとかアーマッド・ジャマルといったアメリカ合衆国のジャズ・メンはぼくも好きだし、音楽としてもリラクシングだし、ゆったりしているし、おだやかでのんびりおっとりした性格のジョアンくんにはよく似合っているような気がします。この「ジョアンズ・ペット・プレイリスト」全体でそんなフィーリングですかね。あ、いま、ベッドの上でジョアンくんは寝はじめました。

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(written 2020.1.16)

2020/01/20

音楽とぼくのアスペルガー

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上でベーラ・バルトークとエリック・サティの写真を出しましたけど、ほかにも有名音楽家ではヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトとかそうだったんじゃないかと推測されていますし、大衆音楽界ではたとえば自分でそうかもしれないと告白している Gackt やロビー・ウィリアムズ、あるいはスーザン・ボイルやクレイグ・ニコルズや堀川ひとみ(この三名は確定診断されている)など、これらの人物に共通するのはアスペルガー症候群だということです。一説によれば人口の約2.5%がこの障害を持つんだそう。クラスに一人いるかいないか程度ですね。

 

ぼくもアスペルガーなんじゃないかと最近疑うというかもはや確信するようになって、このあいだ専門医の診察を受け、間違いなくそうであると明確に診断されました。最新の学説ではアスペルガー症候群は自閉スペクトラム障害(ASD)に包括されているようですので(DSM-5)、自閉スペクトラムと言うのがふさわしいかもしれませんが、ぼくの症状というか特徴はアスペルガーというほうがぴったり来るような気がしています。だから医学的には自閉スペクトラム症と本来なら言うべきところを今日はアスペルガーと書くことにします。

 

アスペルガー症候群の特徴は、端的に言って社会性・コミュニケーション・対人関係能力の欠如と、限定的な強いこだわり、反復行動です。以下箇条書きに具体的な特徴を列挙しておきます。あくまでアスペルガー症候群で知られている一般的特徴ですが、ぼくのことを記述している(ようなもんですから)と思ってご覧ください。

 

・言語や知的な遅れはない、むしろ高い
・視線があいにくく、表情が乏しい
・相手の発言、行動の真意を理解できない
・相手の言動にふくまれる裏の意、皮肉、冗談に気づかない
・相手の発言を文字通りに、ストレートに受けとる
・婉曲表現、遠回しな表現がわからない
・他者の気持ちが理解できない、気づかない
・共感できない
・人に対しての関心をあまり持たない
・察するのが苦手
・空気を読めない
・会話のキャッチボールができず、一方的にしゃべり、演説のようになる
・流れに関係ない自分の話をする
・「仮に」相手の立場だったらと考えることがむずかしい、できない
・相手や周囲との距離がとれない、計れない、わからない
・自分の感情の気付きや理解が苦手
・「適当に」や「もう少し」「多めに」など、日常や仕事上でよく使われる、幅のある表現を受けての判断や対応がむずかしい
・決まったパターンで行動しようとする
・常に予定どおり、ルーティンどおりに行動したい
・そういかないとき、予定外、予想外のことが起きたとき、パニックになったりイライラしたり怒りをおぼえる
・いつもと違う状況に対応できない
・自分なりのやりかたやルールにこだわる
・反復的な動きが多い
・手先が不器用である
・強迫的なところがある
・感覚の過敏さ、鈍感さがある(うるさい場所にいるとイライラしやすい、洋服のタグはチクチクするから切ってしまうなど)
・細部にとらわれてしまい、最後まで物事を遂行することができない
・過去の嫌な場面のことを再体験してイライラしやすい
・かなり年上の人、もしくは年下とつきあい、同年代の友達は少ない、いない
・親しい友人関係を築けない
・興味の対象が限定的
・狭い分野を深く掘り下げる
・好きなことには時間を忘れて没頭する
・記憶力、集中力が高い場合が多い

 

ぼくのばあい、これらがすべてピッタリあてはまり(まるでぼくのことを見ながらだれかが書いたんだというような気分です)、専門医には「戸嶋さんのばあい、かなりひどいかなと思います」と言われました。結果としては社会生活に非常な困難を感じ、対人関係、人間関係がすべてうまくいきませんので、職場でダメ、私生活でもダメで、とても生きづらく感じるんですね。

 

アスペルガー症候群は病気ではなく脳の機能障害で、感情や認知といった部分に関与する脳の異常を生まれつき持っているのが原因とされています。ですから親や教師や周囲の接しかた、育てかたに原因があるんじゃないんです。持って生まれた障害なんですね。アスペルガーは治るようなものじゃないので、生涯にわたりつきあい続けていくもののようですよ。

 

治療できず適切な対処法もなく、ただ理解してもらうしかないアスペルガー症候群ですが、いまでは幼少期(幼稚園に入る前くらい)に親など周囲の大人が気付くことが多いんだそうです。ぼくが生まれたのは1962年。そのころまだアスペルガーやその他近接する発達障害の概念はありませんでした。ぼくのばあい、なんだか変人奇人、かなりやりにくいイヤなやつヘンなやつ、近づかず逃げておこう、といった対応をされることばかりでしたかね。

 

それで友人も恋人もできず、みんながぼくから離れていく、その理由はわからない、と長年ずっとつらい思いをしてきたんですけれども、本格的に精神障害じゃないかと考えるようになったのは2018年9月末のあることがきっかけでした。2019年に入ってから具体的にいろいろ読んだり調べたりするようになって、その後19年12月初旬の広島のホテルの一室でアスペルガー症候群に違いないと確信するにいたり、20年に入ってから専門医のもとを訪れたわけなんですね。

 

上記箇条書きのような特徴を持つ障害ですから、アスペルガー症候群の人間は会社勤めなど通常の職業で生きることはかなりむずかしいでしょう。通常の人間生活を営むだけでも困難があるわけですから。ぼくもいわゆるサラリーマン生活は体験したことがありません。しかしいっぽう音楽や芸能、芸術、スポーツなど、非日常的な特殊能力を軸とする働き、職種であれば、かなり高い成功をおさめることができるばあいもあるようです。ぼくは大学に在籍する英文学の研究者でした。

 

さらに、音楽が好きで、音楽を集中的に聴き(というかだらだら日常的にも聴いていますけど)それについて調べたり考えたりして、整理して、文章を書くということに、自分で言うのもなんですが異常に高い能力を発揮しているのかもしれません。ネット上でおつきあいのある音楽好き、それもかなりのひとでも、ぼくと比較してここまで執着してはいませんからね。プロは除きます。

 

要するにひとりで部屋のなかで取り組むような仕事や趣味であればとても高い能力を発揮することもあるのがアスペルガー症候群の人間です。そのいっぽうで他者との人間関係を築いたり維持したりは不可能で、自分でそうとは気づかないうちに、そのつもりはぜんぜんないのに、人間関係を破壊します。人生をふりかえれば、思い当たることがあまりにも多すぎます。友達もできず異性とも恋愛できず、結婚生活も破綻しました。

 

本を読むのは部屋でひとりでできることだから読書家になったし、そのせいで文章を読んだり書いたりが得意になりました。学校の勉強もひとりでできるので成績はとてもよく学歴も高いです。音楽を聴くのも(たとえコンサート・ホールのような場所ですらも)ひとりで楽しむ趣味ですから、アスペルガーなぼくでも存分に不足なく味わい楽しむことができて、そのおかげで耳が肥え知識が増え、結果、現在に至っているというわけなんですね。

 

この Black Beauty 音楽ブログをはじめたころはこんなことに気付いていなくて、ただ音楽が好きでどんどん聴いては感想をメモしているうちにそのテキスト・ファイルがたくさんたまったので、そのままにしておくのはもったいないかなと思い公開してみようとなっただけです。でもいま考えてみれば、ぼくに向いている趣味行動かもしれないですよね。

 

音楽のことについても、他者と関わりあう部分(ほかのかたのブログのコメントや SNS でのやりとりなど)では失敗しそうになったり実際失敗したりすることがあるんですけど、自分で聴いて書いて公開するだけであればその心配はありません。最近はアスペルガー症候群であるという気づきもあるし診断も受け、そのちょっと前ごろから他者との関係性もちょっぴりマシになってきているかなと思わないでもありません。

 

こういう障害があるんだから、だれとも他人とはうまくやれないんだから、と思って、強く意識し(自へも他へも)心配心、警戒心が働くようになって、あらかじめなにもしない、だれにもなにも言わないように心がけるようになっただけかもしれないですけどね。部屋で音楽を聴くだけ、感想を抱くだけであればどなたにも迷惑はかけないはず。人間関係がどうのこうのといったことはありません。その感想を記した文章をネットで公開するのはちょっとした社会的行為かもしれませんけれども。

 

ともあれだれともかかわりにならないように、だれにも近づかないようにしておかなくちゃいけません、ぼくは。親、兄弟をふくめ他者との関係が持てない人間なんですから。ひとりぼっちだというのはこういった意味なんですね。人間関係はダメです。音楽や文学などフィクション作品で癒されている毎日です。

 

(written 2020.1.17)

2020/01/19

オールド・ジャズ・サンプル&ヒップ・ホップ・ビート 〜 ジャジナフ

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https://open.spotify.com/album/6vegq6LL9m04TDg4QyS06Q?si=IltFh_jCSO63Z3tRMmK9uA

 

タイトルでぜんぶ言っちゃっていますけれども、何者なのかはいまだ知らないジャジナフ(Jazzinuf)、個人?ユニット?プロジェクト?わかりませんが、2016年リリースとなっているアルバム『コーヒー・アンド・シガレッツ』のことを好きになっちゃいました。もうすっかり愛聴中。Spotify でジャジナフをさがすとほかにもたくさんあって、聴いてみたらどれも同趣向。ハード・バップ・ジャズとヒップ・ホップ・ビートを合体させているんですね。

 

21世紀の新世代ジャズでヒップ・ホップ・ビートを使っているものはたくさんあって、もはやあたりまえになっていますが、ジャジナフならではの着眼点は古いハード・バップを持ってこようと思ったところにあります。たぶんそのトラックはぜんぶサンプリングなんでしょう。聴いたことある(ような)ものがそのまま流れてきますからね。1950〜60年代のジャズ・レコードで聴ける演奏をそっくり使っているんだと思います。

 

それにヒップ・ホップ・ビートを混ぜているっていう、このビートはたぶんジャジナフが(コンピューターで)つくっているんでしょうね。それで古いものと新しいものを折衷させているんだと思います。ジャズ演奏そのものはぜんぶサンプリングでまかなうというのはおもしろい発想ですよね。でも聴き慣れた音楽が新しい容貌で出現するので、なかなかの快感ですよ。ひとによっては「名演を冒涜するな!」とか言いそうですけど。

 

サンプリングしてある演奏トラックのサウンドは、ミキシングの際にわざとちょっぴりロー・ファイにし、しかも遠景においているような、そんな感じで小さめの音量で聴こえるように混ぜているのもいいアイデア、いい雰囲気で、ジャジナフの音楽が気持ちよく聴こえる大きな要因ですね。古いジャズ演奏をサンプリングし、ヒップ・ホップ・ビートをつくって付与し、ヴォイスとかほかにもあらたに録音してくっつけてあるかもしれませんが、くわしいことはわかりません。

 

とにかく雰囲気一発の音楽で、真剣に向き合って聴き込むというよりは、なにかの、カフェでとか、バックグラウンド・ミュージックとしてこそうまく気持ちよく聴こえるジャジナフの『コーヒー・アンド・シガレッツ』。軽〜い音楽ですけど、ときどきこういうものもいいんじゃないでしょうか。こういった軽薄な新旧折衷に抵抗のない向きにはちょっとしたオススメかもしれません。

 

(written 2020.1.6)

 

※(1.15 追記)こういう音楽をここ二、三年ほどでローファイ・ヒップ・ホップ、チルホップと呼ぶようになっているようです。今日知りました。

 

※※(1.16 追記)ジャジナフはソウル在住の韓国人のようです。個人のプロジェクト名なのかもしれません。

2020/01/18

フランス人歌手のやるタンゴ・デカダンス 〜 ノエミ・ウェイズフェルド

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https://open.spotify.com/album/43tUHhhMcJSy0FQiOIiCSk?si=Ckn53kq-SLS4hJpq3Mdvig

 

ノエミ・ウェイズフェルド(Noemi Waysfeld)はフランス人歌手で、その2019年作『Zimlya』でやっているのはタンゴですね。それもアストール・ピアソーラみたいなモダン・タンゴ。好き嫌いが分かれると思いますが、個人的には決してきらいじゃありません。なんだかジャジーですしね。アルバム『Zimlya』ではいきなりビリー・ホリデイの「奇妙な果実」を英語で歌って幕開け。アメリカ南部における黒人差別を告発したこの歌をノエミはどうしてとりあげたのでしょう?これもモダン・タンゴにアレンジされてあるんですね。

 

そうかと思うと2曲目では突如クレズマーを展開。しかもこれ、ノエミは何語で歌っているんでしょう?ロシア語?わからないんですけど、アルバム中この曲でだけバス・クラリネット奏者が参加して、ややアヴァンギャルドな演奏を聴かせているのもおもしろいところです。かなりジャジーですね。しかしこんな路線はアルバム中この曲だけなんで、必然性みたいなことは弱いような。

 

3曲目「アブサンス」で、このアルバムでのメイン路線であろうピアソーラふうモダン・タンゴを全面展開。ヨーロッパ的デカダンスを感じさせる演奏と歌で、もともとタンゴにはそういったものがありましたね。欧州的退廃はアルゼンチンはブエノス・アイレスにも濃いものでしたし、コンチネンタル・タンゴだってあります。ノエミのこの2019年作はだいたいこんな感じで貫かれていると見ていいでしょう。

 

ところでタンゴといえばバンドネオンがつきものですが、このアルバムではアコーディオンが使われています。聴いた感じ、ひょっとしたら鍵盤型じゃなくてボタン式のアコーディオンなのかもしれません。ぼんやり聴いていると、あれっ、バンドネオン?と思えたりもするくらい、ちょっと音色や音の粒立ちが似ています。3曲目では特にそんなタンゴ・スタイルのアコーディオンがいい味を出しています。間奏ソロなんか、好きですね。コンチネンタル・タンゴではアコーディオン使用がふつうでした。

 

アルバム・タイトルになっている4曲目ではまずいきなりウードかきならしが出て、あれっ、ちょっぴりアラビアン?と思わせておいて、すぐにアコーディオンとアクースティック・ギター・カッティングが入ります。曲に中近東ふうなところは聴きとれず、やはりヨーロッパ的な退廃ムードが横溢していますね。しばらくやってコントラバスと打楽器が出てからが本番で、本格モダン・タンゴになっています。そこからはなかなか聴ける感じになって、ジャジーなアコーディオン・ソロもいい感じ。ジャジーというか、あまりにもピアソーラそっくり(アルバム全体でそう)ですけどね。

 

ノエミのヴォーカルはフランス語で歌っているばあいが多いんでしょう。かなり強く激しく発声して声を張り、かと思うとときにささやくようなウィスパリングも聴かせたり、曲ごとに、また一曲のなかでも曲想の変化にともなって声をチェンジしていますね。歌手として特にすぐれているとか目立つ特徴はあまりないかもと思うんですが、このアルバムではわりといい印象です。シャンソンっぽいしゃべるような歌いかたをしているばあいもあります。

 

ここまで書いてきたことでこのアルバムの内容はだいたいぜんぶそろったかなと思います。5曲目以後も似たような感じが続くんですね。やや一本調子というか単調かもしれないので、後半ちょっと退屈しますけど、それでも全体的に好内容であることに変わりはないですね。ノエミはスラブ系の出自らしく、そのこととクレズマーをやったりタンゴに入れ込んだりするのは関係あるんでしょうか。

 

(written 2020.1.6)

2020/01/17

ニコスの仕事が光るアスパシアの『Filachto』

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https://open.spotify.com/album/6YZZAAceS7ChodoLfvVUym?si=m4gbx9AsSQaK6vRcdzXWDw

 

いやあ、それにしてもいいジャケットです。これまたいかにもギリシア歌謡というような、哀感あふるるニコス・サマラスとアスパシア・ストラティゴウのコラボ作『Filachto』(2019)。渋くて、こりゃ実にいいですね。エル・スール界隈とかでは大人気のはず。エル・スールといえばその HP でこのアルバムはアスパシア中心のコラボ作であるような書かれかたになっていますけど、本当はたぶんニコス中心なんじゃないかとぼくは思います。主役歌手であるアスパシアのほうに肩入れするのはじゅうぶん理解できますけれども。

 

いずれにせよ、このアルバム『Filachto』はかなりの充実作ですね。ジャケット絵がすべてを物語っていますが、この地味さ、落ち着き、渋さ、哀感など、ギリシア人でないと出せないもので、しかもそれは遠いレンベーティカ全盛時代からの遺産をいまでもしっかりと持っているからこそのものでもあります。このアルバムでは特に曲がいいですね。大半ニコスが書いているんじゃないかと思います。

 

ソング・ライティングのこのなんともいえない情緒感、たまりませんねえ。アスパシアの声もすばらしいんですけど、これはたぶんだれが歌ってもこんなフィーリングにしあがったであろうような、そんな曲づくり、アレンジのすばらしさを感じます。伴奏陣の演奏ぶりも充実しています。特に弦楽器アンサンブルの見事さなんかきわだっていますよね。

 

3曲目では打楽器の音が目立ちますし、その地中海的な?リズムもいいです。ちょっぴり北アフリカのセンスをこのリズムには感じないでもないですね。ギリシアと北アフリカ地域は地中海をはさんでいるだけでとなりあっているとも言えるわけで、文化的に相互影響があったことは歴史的に疑いえませんから。いままでもギリシア音楽に、たとえばヨルゴス・ダラーラスにアルジェリア音楽の痕跡が鮮明にあることを指摘してきました。

 

アルバム・タイトルになっている5曲目はオールド・レンベーティカからの流れをストレートに感じさせる曲で、これまたコンポージングがすばらしいんですね。アスパシアのヴォーカルもいいし、ニコスが弾いているであろう弦楽器のオブリガートもソロも見事です。曲のリズムもいい。この5曲目が個人的にはこのアルバムでの白眉で、大のお気に入り。やっぱりニコスのプロデュースぶりが光ります。

 

ニコスのプロデュースぶりが光っているのはこのアルバム全体で言えることなんで、曲づくりからアレンジ、伴奏陣の人選や起用法、演奏の際の指示、アスパシアへのヴォーカル指導など、なにからなにまで徹底していて、その結果あってのこの歌の出来具合なんでしょう。アスパシア個人が云々というより、そこにこそ賞賛を贈りたいと思います。

 

(written 2020.1.5)

2020/01/16

コノシエンド・ルシアの最新作が好き

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https://open.spotify.com/album/5N3ahntioMGhMCkEOuNJUn?si=I3OKYX-OQYSxUWAF0GbL6w

 

アルゼンチンのグループみたいです、コノシエンド・ルシア(Conociendo Rusia)。その2019年作『Cabildo y Juramento』がわりといいので、好きになっちゃいましたよ。ポップなラテン・ロックと言っていいんでしょう、アルゼンチンならではという音楽要素は聴きとれませんが、楽しくカッコいい音楽です。ちょっと日本のサザン・オールスターズに似たような感じにも思えますね。ギターとヴォーカルを中心に音楽を組み立てて、コノシエンド・ルシアのこの作品ではそれにくわえブラス・バンドが彩りを添えています。

 

なかでも好きなのは1曲目、2曲目の流れです。ハーモニカの音が出る1曲目は哀感が強いミドル・テンポで、おもわずグッと惹きつけられますが、2曲目になったらパッと風景がひろがるみたいな明るく大きなグルーヴを感じますよね。このアルバムの特色であるブラス・バンドも活躍。曲全体がちょっとブラス・ロックふうなポップさで、これ最高じゃないですか。やはりアルゼンチン色はなしです。

 

ここまでの二曲はやや濃ゆい感じでしたが、3曲目以後はちょっと軽いフィーリングのものもあります。アメリカ合衆国でいえばフォーキーなカントリー・ロックみたいな感じのものだって混じっているんですね。コノシエンド・ルシアというのがいったいどんな集団なのか、調べてもよくわからないんですが、(国の)ロシアと関係あるのか、Rusia ということばを使っているからやはり命名の際には意識したんでしょうね、でもアルゼンチンのバンドなんですけど。ロシアン・テイストもゼロだなあと思います。

 

楽しいフィーリングで、曲によってはロック・ギターも派手で聴かせるものがあるし、曲がなんといってもいいですよね。ちょっとクセのあるこのヴォーカリストもなかなかの味でしょう。バンドのキャリアなどがぜんぜんわからないもんだからなんともいえませんが、まだ若そうですね。なんでもない感じのアルバムで、こじんまりしてますけど、個人的には好感触です。

 

(written 2020.1.3)

2020/01/15

聴き専とプレイヤーの違い

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思い出話です。

 

かつてネットのパソコン通信をやっていたころ(1995〜2000年代初頭)、ぼくは主に音楽リスナーズ・フォーラム(FROCKL)に生息していたんですけど、おもしろそうだからと思ってプレイヤーズ・フォーラム(FROCKP)にも登録してログを読んでいましたし、書き込みもしていました。プレイヤーといってもたぶんプロのかたはあまりいなかったんじゃないでしょうか(吾妻さんくらいかな、ぼくが認識していたのは、でも彼も専業ギターリストじゃない)。アマチュア・プレイヤーで、リスナーだけどどっちかというとみんなでわいわいセッションするのが好きっていう、そんな腕利き連中の巣窟でした。

 

歌ったり演奏したりせず聴くのだけ(聴き専)というひとも、実はリスナーズ・フォーラムにも少なくて、そっちにもっぱら所属している会員でも過去にバンド経験はあるというひとが多かったんですね。だからリスナーズ・フォーラム、プレイヤーズ・フォーラムといっても根本的な違いはなくて(そりゃそうだ)、比重をどっちに置いているかというだけの話でした。どっちでも活動しているひとはわりといたし、リスナーじゃないプレイヤーはいませんからね。

 

でもフォーラムの会議室での話題はかなり違っていました。リスナーズ・フォーラムでは、聴く際の参考になるようにと楽理や演奏技巧の話をしたりするばあいもなかにはありましたがそれはもちろん余興みたいなもんで、CD やレコードを聴いての感想や論議などがほとんどでした。プレイヤーズ・フォーラムでは楽器演奏や歌唱についてのもっと専門的・技巧的な話題が中心でしたからね。

 

いちばんここが違うなと感じたのはオフ会での様子です。リスナーズ・フォーラムのオフ会は、とにかくレコード・ショップをどんどんまわるんです。1995年にぼくはパソ通をはじめたので、CD 全盛期ですよね。なによりも CD を見ればテンションが上がる、三度の飯より CD が好きという連中の集団ですから、お店でも〜う大騒ぎなんですよ(笑)。何時間でも、そりゃ半日でも、レコード・ショップにい続けてまったく飽きないわけです。おわかりですよね。

 

そんで晩ごはんの時間くらいになってくるとさすがにレコード・ショップ街を離れて、飲み食いできる場所に移動しますが、話題はもっぱらその日の収穫物、つまりどんな CD やレコードを買ったかの報告とウンチクとツッコミみたいなことばかりです。お酒もあまり飲まず(だいたい下戸が多かった)、そりゃもう買った音盤の話でこれまた延々といつまでも、終電近くになるまで飽きもせず、ず〜っとおしゃべりを楽しんでいるんですね。

 

プレイヤーズ・フォーラムのオフ会では、まず集合時の風景がまったく違いました。ギターやベースなど楽器をみんな抱えているんですね。だから一瞥して、あっ、この集団だなとわかります。いちおうレコード・ショップまわりからはじめるんですけど、しばらくするとみんな飽きちゃって(これがぼくには信じがたかった)、お店を離れてお酒を飲めるお店に移動し、食べたり飲んだりをはじめちゃうんですね。

 

ぼくなんかもちろん聴き専の人間ですから、こんなおもしろい CD があるよとみんなに言いたい気分がずっと続いているんですけど、リスナーズ・フォーラムのオフ会ではそれで盛り上がっても、プレイヤーズ・フォーラムのオフ会ではそれが通用しないんですね。ふ〜んってな顔をしてあっちに行っちゃいます。酒飲みの比率が高いというのもプレイヤーズ・フォーラムの特色だったかもしれません。

 

そんなことでレコード・ショップからは早々に退散せざるをえなくなってしまい、日の高いうちから飲食となり、CD 関連でぼくは消化不良のままだったんですけど、日暮れて飲食を済ませるともちろんスタジオに移動してセッションとなります。リスナーズ・フォーラムのオフ会では音盤論議に花が咲くわけですけど、プレイヤーズ・フォーラムのオフ会ではセッションをやるのがメイン・イベント。

 

そうなるとメンバーの目の色が変わっちゃうんですね。俄然みんな輝きはじめます。パッと即興でその場でできるものということで、定型ブルーズのスタンダード・ナンバーなどがとりあげられるんですけれども、ただのジャム・セッションですから、一曲(というかモチーフというか)で延々とやっているんですね。ぼくはといえば歌う側になって、いろんなブルーズ・リリックを借りてきて即興でフレーズをつむいでいました。

 

聴き専フォーラムのメンバーでセッション・オフ会をやることもありましたが、例外的だったと思います。いっぽうプレイヤーズ・フォーラムのオフ会ではセッションは毎回必ずやっていたし、セッション・オンリーのオフ会も多かったんです。そっちで音盤論議みたいなことにはならなかったと記憶していますよ。ゴチャゴチャ言うならちょっとやってみようじゃないかというのが彼らのスタンスで、飲食の場での会話も「としまさんはギターとかやらないの?」とか、そんな感じのものが多かったですかねえ。

 

リスナーズ・フォーラムとプレイヤーズ・フォーラム、ふだんのオンラインでの会話風景も違っていましたが、でも根本的には同じ連中の集まりだなという印象がふだんはあったわけです。でも実際にオフ会などでしゃべったりしていると、なにかやはり質の違う集団なのだろうかと思うことも多かったんですね。

 

(written 2020.1.3)

2020/01/14

似ている三人 〜 アンナ・セットン、ルシアーナ・アラウージョ、ジャネット・エヴラ

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https://open.spotify.com/playlist/14sdJUNSrCNUAFZTP18PXp?si=K_wCDDa0QPaR1vx2VbNOYw

 

この三人のそれぞれのアルバム、上のリンクで一個のプレイリストにまとめてみましたので、ご覧ください。なんだかちょっと似ているような気がしているんですよね。アンナ・セットンとルシアーナ・アラウージョはブラジル、ジャネット・エブラはイギリス出身のアメリカ、という違いはあるんですけど、音楽の種類もちょっと異なっているとは思いますけど、なんだかヴォーカルと伴奏のサウンド質感、肌ざわり、トータルでの音楽性に共通するものがあるんじゃないですか。

 

このなんとなくのフィーリングを言語化するのはむずかしいんです。う〜んなんというかアメリカ合衆国のジャズっぽいところのあるブラジル音楽というか、ひっくりかえしてブラジルふうなテイストのあるアメリカン・ジャズというか、少人数編成のシンプルな伴奏で、スーッと素直にストレートに歌う若手女性歌手ということですかねえ、共通しているのは。

 

でもブラジル特有色のやや薄いアンナとジャネットに比べ、ルシアーナのアルバム『サウダージ』ではブラジルのローカル色がちょっぴり濃いめに出ていますよね。サンバを基調として、そこにバイオーンなどブラジル北東部の音楽をすこし混ぜたみたいな、そんな感じの音楽を展開しています。それでもってやっぱりジャジーというかジャズ・ヴォーカルっぽいという点ではほか二名と同じなんですけど。

 

これら三人のなかでいちばんニュートラルというかローカル色がなく普遍的な音楽に聴こえるのはアンナのアルバムじゃないでしょうか。ブラジル人ながらその色はほぼなしとして過言ではありません。比較したらブラジル人じゃないのにジャネットの『アスク・ハー・トゥ・ダンス』のほうがボサ・ノーヴァ・テイストがあってブラジル的ですよね。それもほんのり薄いのではありますが。

 

つまり三人ともほんのり薄く感じる(あるいはほぼ感じない)ブラジリアン・ジャズ・ヴォーカル、しかも若い女性ということで、そういったあたりに共通するフィーリングというか肌ざわりをぼくは嗅ぎとっているのかもしれません。また三人とも発声、歌いかたにも共通する部分がありますね。軽くソフト&スムースに歌っているでしょう、そんなところも似ているんです。

 

アメリカ合衆国とブラジルが交差する周辺の女性ジャズ・ポップ・ヴォーカルに、新世代の共通する資質を持った一定の歌手たちが登場していて、一つのシーンを形成しつつあるのだという見方ができるのかもしれないですね。いまのところぼくが見つけているのはアンナ・セットン、ルシアーナ・アラウージョ、ジャネット・エヴラの三人だけですけど、もっと出てくればひとまとまりのムーヴメントとして記述することができるでしょう。

 

(written 2020.1.2)

2020/01/13

アンナ・ナリック、 100年間のアメリカを歌う

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https://open.spotify.com/album/4Y1pJXJlrvNxSdk0vaLmNp?si=DCuglSzuQdSC7B6R4bZtMQ

 

萩原健太さんのブログで知りました。
https://kenta45rpm.com/2019/12/09/the-blackest-crow-anna-nalick/

 

アンナ・ナリックっていう歌手、ぼくはいままで知らなかったんですが、ロス・アンジェルス出身のシンガー・ソングライターで、15年ほど前にプチ大ヒットを飛ばしたことがあるそうです。「ブリーズ」という曲なんですって。ちっとも気づきませんでした。その後やや不活発になっていたんでしょうか、いままで名前を聞くこともなかったんですけれど、健太さんの紹介でアルバム『ザ・ブラッケスト・クロウ』(2019)を聴いてみたら、とってもいいじゃないですか。びっくりしちゃいました。

 

このアンナ・ナリックの『ザ・ブラッケスト・クロウ』は、しかし全曲カヴァー・ソングなんです。かなりの有名曲もあるし、なんたって新旧とりまぜジャンルも横断して、幅広い楽曲の数々をとりあげているのが目を引きます。伴奏はアクースティック・ギター、コントラバス、パーカッションの三人だけ。曲によってはこれにチェロ奏者がくわわりますし、またギターだけの伴奏とかベースだけといったものだってあるんですね。要はアンプラグドというか全編アクースティック・サウンドで貫かれています。

 

というわけでスタンダード集みたいな側面もありますから、下にこのアルバム収録曲の作者と初リリース年を一覧にしておきます。この作品を理解するには重要なことだと思うからです。一瞥してなんらかの傾向を嗅ぎとることができるでしょうか。

 

1「アズ・タイム・ドロウズ・ニア(ザ・ブラッケスト・クロウ)」(トラディショナル、南北戦争ごろにはあったらしい)
2「マイ・ラフ・アンド・ラウディ・ウェイズ」(ジミー・ロジャーズ、1929)
3「サム・オヴ・ジーズ・デイズ」(シェルトン・ブルックス、1910)
4「ドント・ゲット・アラウンド・マッチ・エニイモア」(デューク・エリントン、1940)
5「ウォータールー・サンセット」(キンクス、1967)
6「ヘルプレスリー・ホーピング」(CSN、1969)
7「アイル・ビー・シーイング・ユー」(サミー・フェイン、1938)
8「トゥルー・ラヴ・ウェイズ」(バディ・ホリー、1960)
9「マイ・バック・ペイジズ」(ボブ・ディラン、1964)
10「ザッツ・オール」(ボブ・ヘイムズ、1952)
11「ライト・ヒア、ライト・ナウ」(ジーザス・ジョーンズ、1990)
12「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」(ハーマン・ハップフェルド、1931)

 

かなり古い曲から1990年のものまで約100年間近くのアメリカン・ソングを(英国のものも一曲だけあり)ジャンルを問わずチョイスしていますよね。1990年のジーザス・ジョーンズの曲はでも例外で、基本的にアンナ・ナリックを形成したやや古めの曲の数々、また本人と直接の縁はなさそうな第二次大戦前のものが中心になっています。

 

カントリーのジミー・ロジャーズの曲もあるし(アンナもブルー・ヨーデルを披露する)、ジャズのデューク・エリントンとか、やはりジャズ歌手がやることの多いスタンダードである「サム・オヴ・ジーズ・デイズ」「アイル・ビー・シーイング・ユー」「ザッツ・オール」「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」があります。かと思うとロック寄りの CSN やボブ・ディランの歌だってありますよね。

 

それらがシンプルなトリオ編成(+1)の伴奏でいい感じに仕上がっているなと思うんですよ。特にぼくの耳を惹いたのはジャズ系の曲。たとえばデュークの「ドント・ゲット・アラウンド・マッチ・エニイモア」。間奏のギター・ソロがジャジーじゃないのがかえっていい感じに聴こえるし、なんだかヴァースがついているし(そんなのあったっけ、この曲)、アンナもうまく歌っていますよね。

 

ビリー・ホリデイがコモドア盤で歌った二曲「アイル・ビー・シーイング・ユー」「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」なんかもステキです。前者では間奏でチェロ・ソロが入るのがなんともすばらしく、曲の持つムードをもりあげていますよね。アルバム・ラストにある後者はギター一台だけの伴奏で淡々とシンプルにアンナが心境をつづっているのが沁みます。

 

ジャズ・ソングじゃないもののなかでは、個人的にディランの9曲目「マイ・バック・ページズ」が特に印象に残りました。このギター・アレンジがいいですよね。この曲での伴奏もまたギターだけです。颯爽としているし、アンナの歌いかたもカッコイイです。この歌はディランが過去の自分と一線を引く内容なんですけど、アンナもまたヒットを飛ばして15年経って、その間試行錯誤があったみたいで、過去をふりかえり決別し、前に進みたいという気持ちがあるのでしょうか、「あのころの自分よりもいまはもっと若い」のだと。それにしても各種ヴァージョンと比較して、格別カッコいい「マイ・バック・ページズ」ですね。

 

(written 2020.1.1)

2020/01/12

ワイアット・マイケルという新人がちょっといい

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https://open.spotify.com/album/409Oa29NsXy6FMcj1Mub4r?si=QrQo0JZsSQ-xqe28uP2yxw

 

萩原健太さんに紹介していただきました。
https://kenta45rpm.com/2019/12/11/renaissance-wyatt-michael/

 

ワイアット・マイケルなる若者をはじめて聴いたときは、びっくりしたというよりも笑っちゃいました。あまりにもフランク・シナトラそっくり。完璧にその世界を追いかけていて、ワイアットはいまはまだシナトラに憧れてフル尊敬していて、そのまま完全コピー、真似っこしている真っ最中です。声の出しかたやフレイジングなど、なにからなにまでシナトラをそのまま忠実になぞったような新人ジャズ歌手なんですね。

 

いまどきシナトラをこんな熱心に追いかけるなんて、ちょっとめずらしいというか時代錯誤というか、読者さんのなかにはここまでお読みになっただけでワイアット・マイケルというのは遠慮したいという向きもおありではないでしょうか。でもちょっと待ってください。自主制作盤だという彼のデビュー・ミニ・アルバム『ルネサンス』(2019)はなかなか雰囲気のある、好感を持てる作品なんですよ。

 

アルバム『ルネサンス』でワイアットのシナトラ完コピぶりがいちばんよくわかるのは、やはり4曲目の「イン・ザ・ウィー・スモール・アワーズ・オヴ・ザ・モーニング」でしょうね。言うまでもないシナトラが1955年に歌った代表作のひとつです。シナトラはネルスン・リドル・アレンジの瀟洒なストリングスを従えてじっくり歌っていましたね。都会的な孤独感を強くたたえたその歌唱は、そりゃあ見事なものでしたし、そもそもアルバム『イン・ザ・ウィー・スモール・アワーズ』が孤独や喪失をテーマにしたコンセプト・アルバムでした。

 

ワイアットはそれをふまえた上で、アルバム全体がそうですけど、ずっといっしょにインディ活動している相棒のギターリスト、クリス・ワイトマンだけをしたがえて、たったギター一本だけの伴奏で、実に切々と「イン・ザ・ウィー・スモール・アワーズ」を歌っているんですね。ギターだけ、多重録音もギター・ソロ部だけ、つまり歌の部分は完全一発録り(マイクを一本しか使わなかったらしい)というシンプルさで、深夜にたたずむ人間の孤独な哀切感を、ワイアットなりにこれ以上ないフィーリングで表現しているんじゃないでしょうか。

 

アルバム『ルネサンス』全体がギター一本だけでの伴奏で歌ったものというのは、とても大きなポイントだろうと思えます。ワイアットが憧れるシナトラは、だいたい常にオーケストラをしたがえて歌っていました。もちろんワイアットはまだブレイク前なんでお金も名前もなく、自主制作盤で相棒ギターリスト以外やってくれるひとがいないという事情はありましょう。しかしここではそれが結果として音楽的に功を奏しているといえるサウンドなんですね。

 

つまり親密さ、プライヴェイトな感触、アット・ホームなフィーリングを、たったギター一本の伴奏で歌うことで表現できていると感じるんです。マイク一本で録ったというこの音響もそうですよね。シナトラに憧れて追いかけて、フル・コピー状態のままのワイアットですけれど、シナトラが近寄りがたいケレン味を強く(強すぎるほど)まとっていたのとは正反対な素朴さ、ナチュラルさを、このアルバムでは出しているように、ぼくには聴こえます。

 

シナトラをどこまでも追求し、発声から節まわしからなにからなにまでそっくりに似せているワイアットなのに、結果はちょうど真逆なシンプルなナイーヴさを表現することになっているのは、それもまたシナトラ的ヴォーカルの持ちうる可能性だったのか、それともワイアットならではの独自個性なのか、どっちなんでしょう?

 

そんなワイアットの姿、これまたシナトラのアルバム・ジャケットを意識したようなイラストで飾られた『ルネサンス』のジャケットでは、ギターリストだけを脇においての、これはたぶんパリのセーヌ川にかかるどれかの橋の上という設定ですよね。これもインティミットさをかもしだすことに成功しています。パリであるというのはこのアルバム1曲目、ムード満点な「パリ・イズ・ザ・セイム・オールド・パリ」(「イン・ザ・ウィー・スモール・アワーズ」を書いたデイヴィッド・マンの未発表作品を遺族の許可のもとワイアットが発掘したもの)を下敷きにしています。

 

(written 2019.12.31)

2020/01/11

マイケル・ネスミスの1973年インストア・ライヴが楽しい

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https://open.spotify.com/album/1qKFWOAhRKluokVpeLE0Xc?si=kLO_IfhwR1GGuZTFw_rMVg

 

萩原健太さんのブログで知りました。
https://kenta45rpm.com/2019/12/04/cosmic-partners-michael-nesmith/

 

2019年の初冬にリリースされたマイケル・ネスミスの未発表ライヴ・アルバム『コズミック・パートナーズ〜ザ・マッケイブズ・テープス』が文句なしに楽しいですよ。マイク・ネスミスはもちろん元モンキーズのメンバーですけど、アイドルあがりだろうとバカにするひとなどいないのでは。実力のほどは中村とうようさんも認めていましたね。本格カントリー・ロッカーと呼んでいいはず。

 

『コズミック・パートナーズ』は1973年8月18日にカリフォルニアはサンタ・モニカのギター・ショップ「マッケイブズ」で行われたライヴ。アルバム題のマッケイブズはここから。マイクのギター&ヴォーカルのほかは、ペダル・スティール・ギター、ベース、ドラムスというシンプルなカルテット編成で、和気あいあいとしたごきげんなライヴを聴かせてくれているんです。

 

このアルバムには演奏や歌のないおしゃべりだけのトラックもけっこうあるし、演唱トラックでも前後にたいていおしゃべりがくっついています。観客の反応もよく入っているし、親密でのんびりしたインストア・ライヴの様子が伝わってきて、録音されたものを自宅で聴いているだけのぼくでも気分がなごみますね。アメリカのカントリー・ロッカーって、こういった雰囲気をかもしだすのも持ち味ですよ。

 

ただたんに雰囲気がいいっていうだけじゃありません、演奏と歌の内容も見事なものなんです。特にアクースティック・ギターでカッティングを聴かせるマイクと、ペダル・スティールで極上の味わいを出す O.J.・レッド・ローズの熟練ぶりが目立ちます。ベースとドラムスはサポートに徹していますかね。レッド・ローズはマイク・ネスミスのソロ・キャリアの初期からずっと付き合ってきていますので、息はピッタリ、阿吽の呼吸です。

 

ジミー・ロジャーズ・ナンバーのカヴァーでは、マイクがやはりブルー・ヨーデルを披露するし、自作曲でも既存のものや当時の発売予定のものなど新旧とりまぜて、また歌のないインストルメンタル・ナンバーも二曲あり、それらでのマイクのソツのないギター・カッティングぶりとレッド・ローズの絶妙に入るペダル・スティールのオブリガートやソロなど、楽しさ満載です。リラックスできて、流し聴きしてよし聴き込んでよしと、カントリー・ロックの小規模インストア・ライヴとして文句なしのできばえですね。

 

ところでギター・インストルメンタルといえば、このアルバム10曲目の「ポインシアーナ」。第二次世界大戦前からある古い有名曲ですけど、お聴きになって日本人なら感じることがあるでしょう、そう、美空ひばりが歌った「川の流れのように」のメロディそっくりなんですよね。ひょっとしてそれを作曲した見岳章は「ポインシアーナ」を参考にしたのではないでしょうか。これだけソックリなんだからだれかが言っているはずとネット検索してもあまり出てこないのが不思議です。ひばりの有名曲なので、みなさん遠慮なさっているのでしょうか?

 

それはそれとして、マイク・ネスミス。『コズミック・パートナーズ』のなかで個人的にぼくがいちばんグッときたのは、長いエピソードをしゃべったあと最後にやる二曲「ジョアンヌ」と「シルヴァー・ムーン」です。特に「シルヴァー・ムーン」かな、これは本当に絶品と言っていいすばらしいヴァージョンだと思います。

 

「シルヴァー・ムーン」はマイク・ネスミス最大の代表曲のひとつなんですけど、ここに収録されているヴァージョンはテンポ設定といい、ギター・カッティングのうまさといい全体のアレンジといい、レッド・ローズのからみ具合、ベースとドラムスのサポートの堅実さといい、もうどこをとっても100%完璧ですね。オリジナルやいくつかあるライヴ・ヴァージョンと比較しても、ここまで見事な「シルヴァー・ムーン」はありません。

 

このマッケイブズ・ヴァージョンの「シルヴァー・ムーン」には、しかもカリブ風味があるでしょう。これが特筆すべきことがらです。ぼくははっきりとそれを感じますよ。カントリー・ソングなのに、というかそうだからこそ、こういったリズムは付与されうるものだと思うんですね。特にマイクのギター・カッティングのリズム・ニュアンスを聴いてみてください。ふりかえればもともとカリビアン・ニュアンスのある曲想を持つものだったのかもしれないですね。レッド・ローズのペダル・スティールも南洋ムードに聴こえます。

 

こんなにも心地いい「シルヴァー・ムーン」はないなあ、こんなにも心地いいアメリカン・ポップ・ソングもなかなかない、と思いながらすっかりいい気分にひたりきってリラックスして聴いていると、このライヴを収録したテープが突然ヒュルヒュルって止まってしまい、「シルヴァー・ムーン」が終了しないまま、途中で突如夢から現実に引き戻されたみたいな気分で、なんだかぼくはこ

 

(written 2019.12.30)

2020/01/10

ボサ・ノーヴァのせいよ 〜 イーディー・ゴーメ

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https://open.spotify.com/album/2ZEGjN8ahDXR1mrFvwJaOh?si=62lD-UG3Rjaj2WU8JkSi5w

 

昨日ハンク・モブリーのアルバム『ディッピン』にある「リカード・ボサ・ノーヴァ」(「ザ・ギフト」)のことを書いて、イーディー・ゴーメ・ヴァージョンに言及したでしょ。そうしたらやっぱり聴きなおしたくなって、Spotify でさがしたらあったので聴いたんですよ、「ザ・ギフト」が収録されているイーディーのアルバム『ブレイム・イット・オン・ザ・ボサ・ノーヴァ』(1963)を。なかなか悪くない作品じゃないですか。

 

昨日書いたような思い出のある曲、アルバム、歌手ではあるんですが、実はいままで歯牙にもかけていなかったんですよね。ところが長いときを経て、特にごく最近かな、ぼくの趣味も変わってきているんでしょう、イーディー・ゴーメの『ブレイム・イット・オン・ザ・ボサ・ノーヴァ』みたいな軽いジャズ・ボッサ・ヴォーカル作品が心地いいと感じるように心境がというか好みが変化しています。むかし大学生〜大学院生のころはケッ!とか思っていたのになあ。

 

その背景として、ひとつには最近ブラジルの会社ジスコベルタスがどんどんリイシューしている過去のブラジル音楽アルバムのシリーズがあります。あのシリーズのなかにはサンバ・カンソーンや軽めのボサ・ノーヴァ、ジャズ・ボッサみたいなものがありますよね。そういうのを次々と耳にしているうちに、そういう音楽の楽しみかたが自分なりに身についてきたのかもしれません。

 

それに今回イーディー・ゴーメの『ブレイム・イット・オン・ザ・ボサ・ノーヴァ』を耳にしてみたら、なかなかよくできた秀作じゃないかなとも感じたんですね。最大の理由は、イーディーのなめらかなヴォーカルの味もさることながら、なにより伴奏のアレンジと演奏です。アレンジャーは曲によってニック・ペリート、メアリオン・エヴァンズ、ビリー・メイの三名がそれぞれ分担。このアルバムでこの三名のアレンジを聴き分けることは(判明していますが)むずかしいと思います。

 

それくらいアルバム全体が軽快なアメリカン・ジャズ・ボサ・ノーヴァで統一されていますよね。コロンビアのプロデューサーだったアル・ケイシャの仕事が徹底していたということでしょう。選曲もいいですよ、「ワン・ノート・サンバ」「ザ・ギフト」「ディザフィナード」などは当然のできあがりでしょうけど、「オールモスト・ライク・ビーイング・イン・ラヴ」「ムーン・リヴァー」といったボサ・ノーヴァとは縁もゆかりもない曲だってとりあげて、それを100%完璧なジャズ・ボッサに仕立て上げているんですから。

 

プレイヤーの具体的なパーソネルは一部しかわかりませんが(マンデル・ロウやクラーク・テリーがいます)、それも手練れの演奏ぶりで感心します。かなりの部分が譜面になっていたんだなと聴けばわかりますが、練習とリハーサルをくりかえしたということもあるでしょうし、そもそもこれくらいこなれた演奏のできるメンツをそろえていたんでしょうね。

 

1963年にこれだけこなれたスムースなジャズ・ボッサをすいすいと難なく(と聴こえる)演奏し、主役のイーディー・ゴーメの歌を寸分も邪魔せずもりたてて、アルバム全体を軽いポップな、つまりヒットするようなできあがり感満載にしあげる、当時のコロンビア製作陣と演奏者たちの仕事ぶりに、いまさらながらあらためて感心しちゃいました。

 

これだけお膳立てがちゃんとしていればどんな歌手だってそこそこの作品ができると思うほどですが、それにくわえてイーディー・ゴーメのようなチャーミングなポップ/ジャズ歌手がノリよくボサ・ノーヴァ・スタイルをものにしたヴォーカリングで歌いこなしているんですから、そりゃあ結果アルバム『ブレイム・イット・オン・ザ・ボサ・ノーヴァ』が好作になるわけです。ヒットしたのも当然ですよね。

 

1963年というと同じジャズ・フィールドにはエリック・ドルフィーやオーネット・コールマンやジョン・コルトレインやアルバート・アイラーなどがいましたが、比較するのは無意味です。イーディー・ゴーメのアルバムのほうもこれはこれで立派な作品なんです。硬派なリスナーのみなさんはいまだに相手にしていらっしゃらないかもですけど、これだけのこなれた伴奏と、イーディーのような、重さのないポップでソフトな歌い口があわされば、いまのぼくなんかはもう文句なしに楽しいんです。

 

(written 2019.12.29)

2020/01/09

ハンク・モブリー『ディッピン』では最初の二曲を

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https://open.spotify.com/album/3mx9Te2p8koxBI9oe1341j?si=9zQ-bsPfQF6gUr5lHTyeUw

 

長年軽視してきたハンク・モブリーの魅力を、最近ようやく発見しつつありますが、アルバム『ディッピン』(1965年録音66年発売)もいいですよね。最初の二曲「ザ・ディップ」「リカード・ボサ・ノーヴァ」で決まり、としてもいいくらいこのふたつが魅力的じゃないですか。ぼくなんかこの二曲しかアルバムで聴いていないかもと思うくらいですよ。

 

これら二曲、どっちもいわゆる(2018年にぼくが夢中だった)ブルー・ノート・ブーガルー #BlueNoteBoogaloo の系列にあるものとして間違いないでしょう。特に1曲目の「ザ・ディップ」はそうです。な〜んてカッコイイイ曲なんでしょうか。曲のテーマ演奏部を聴いているだけで快感ですが、リズムもいいですよね。8ビートで、いやあ実にいいです。ドラムスはこのアルバムでもやはりビリー・ヒギンズ。なるほどなあ。

 

しかも「ザ・ディップ」はハンク・モブリーの書いた曲なんですよね。こんなにもカッコいい曲を書くひとだったなんてねえ、見直さなくちゃいけません。そのあまりにもカッコいいテーマ部は二管で演奏されますが、トランペットはリー・モーガンなんですね。リーは「ザ・サイドワインダー」みたいなものをやっているので、まったく不思議じゃありません。ソロもいいです。

 

ソロがいいといえば、「ザ・ディップ」ではハンク・モブリーのテナー・サックス・ソロの内容も見事ですよね。こんなに吹けるひとだったんですね。ソング・ライティングといいアレンジといいテーマ〜ソロ内容といい、いやあ、ハンクって実にすばらしいジャズ・マンじゃないですか。いまさらなのかと言われそうですけど、ここまで聴かされたら文句なしですよ。ピアノのハロルド・メイバーンもいつものようにファンキーで言うことなし。

 

「ザ・ディップ」がオリジナル・ナンバーでカッコいいのに対し、2曲目の「リカード・ボサ・ノーヴァ」は(ブラジル生まれの)スタンダード・ナンバーですね。別の英語題は「ザ・ギフト」。「ザ・ギフト」題でおなじみのかたも大勢いらっしゃるかもしれません。この「リカード」がスタンダードになったそのきっかけが、ハンク・モブリーのこのアルバムのヴァージョンだったのかもしれませんよね。

 

実際、これを聴いたら自分もやりたいって思うほどハンクの「リカード」はすばらしくチャーミング。こんなジャズ・ボッサ・ナンバーをこんなふうにやれるジャズ・マンだったんですねえ。テナー・ソロもいいし、もうびっくりです。しかもこの曲がまだそんなには知られていないころでしたから。これをとりあげようというのはいったいだれのアイデアだったんでしょう?ハンクだったとしたら降参です。

 

ところでこの曲「リカード」が「ザ・ギフト」題で日本でもよく知られているのは、実はイーディー・ゴーメの歌でじゃないかと思うんですね。たしか1980年代ごろでしたか、日本のテレビ CM で使われていませんでしたっけ。それでこの曲のこんな魅惑的なメロディが知れわたったんじゃないかと思うんですね。イーディー・ゴーメはそれなりに人気のジャズ歌手ですしね。

 

ちょっと思い出話をしますと、そのテレビ CM が流れていたらしい時期にぼくはすでに東京に出てきていたんですけど、夏に帰省した際、松山でずっと通っていたジャズ喫茶のマスターがこんな曲を耳にしたんだけど、おまえ知らないか、レコードがあるならほしいんだと言うんですね。なんの話だろうと思ってよくよく聞いてみたら、イーディー・ゴーメの歌う「ザ・ギフト」のことでした。

 

当時、それが収録されているイーディー・ゴーメのレコードは入手がやや簡単じゃなくて、松山では買えなかったんです。それで話だけ聞いておいて、東京に戻ってからいろんなレコード・ショップでさがして見つけて買っておいたんですね。次回の帰省のときにそのマスターに持っていってプレゼンントしたら喜ばれました。すぐにその場で「ザ・ギフト」をかけていましたね。

 

それにしてもそのジャズ喫茶マスターは、そんなイーディー・ゴーメの「ザ・ギフト」がハンク・モブリーの「リカード・ボサ・ノーヴァ」と同じ曲であることに気がついていたんでしょうか。そのへんよくわかりませんが、でもぼくだって、そんな思い出のある曲なのに、最近ハンクのアルバム『ザ・ディップ』を聴いてその2曲目を初発見したような、そんな新鮮な感動を得ましたから、あまり言えないですね。

 

※ 2018年7月にこのアルバムのことを一度とりあげて当ブログで書いていることに、いまごろ気付きましたが、予約投稿済みのこの文章はこのままにしておきます。すみません。

 

(written 2019.12.28)

2020/01/08

グナーワを借りてきたミスティックなモロッコ人歌手、オウム

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https://open.spotify.com/album/0sC0RjNpcsUjzI9le1yyh0?si=SQ84VuP6TSKCEEhtzApPFA

 

オウムという読みでいいんでしょうか、Oum。モロッコ出身の歌手です。いまはたぶんフランスで活動しているんですかね、わかりませんけど、このアルバム『Daba』はフランスでリリースされた2019年作です。モロッコ出身ということで、実際聴いてみてもその地の音楽ルーツに根ざした一作じゃないかと思えます。

 

特にグナーワでしょうか、このアルバムで顕著なモロッコ音楽要素は。しかしグナーワと言ってもあの音楽のあんな神秘性、呪術性は引き継いでおらず、たんに音楽形式、音の重ねかただけ拝借して(ゲンブリやカルカベではない)別の楽器で表現しているといったやりかたです。プラス、ジャジーな要素もかなり聴きとれますね。

 

楽器で特徴的なのは(ゲンブリではなく)ウードで、アルバムで全面的に聴こえるし、グナーワにおけるゲンブリ的な使われかたをしているみたいですね。リズムは手拍子も多用され、そのへんはグナーワっぽいですが、そのほかはダルブッカなど北アフリカ系のパーカッションと、それからドラム・セットも使われています。ウード+ダルブッカとなると、モロッコというよりアルジェリアを連想しますよね。でもこのアルバムにアルジェリア音楽要素はありません。

 

それから管楽器が多用されているのが目立ちます。全曲でなんらかの管楽器、特にトランペットですね、ばあいによっては複数本使われていて(多重録音?)、それがグナーワ的な反復形式にのっとって、たとえばミュートをつけて吹いたりしますので、それがオウムのこのミスティックなヴォーカルと重なって、なかなかほかでは聴けない特異なムードをかもしだしています。

 

オウムのヴォーカル・スタイルはちょっとつかみどころのないもので、フワ〜っとヴェールのように漂う感じ。個人的にはもっとこう、ガツンとくる濃ゆい発声のほうが好みなんですけど、これはこれでこの音楽に似合っていて雰囲気があります。不思議とクセになる味を持った歌手ですね。気づいたらなんども聴いちゃっていますから、ぼく自身なにか魅力を感じているんでしょう。

 

ジャズの手法も取り入れつつ、自身のルーツであろうモロッコ音楽の手法を土台において、その反復形式で音を重ねつつ、その上でフワッとヴェールのようにヴォーカルと管楽器を載せるという、そんな音楽だといえるでしょうかね、オウムの『Daba』。なかには個人的にかなり気に入っている曲もあります。たとえばダルブッカが中盤で活発する9曲目とか。

 

もりあがる曲でのそのもりあがりかたは、あきらかにグナーワのマナーですし、グナーワに聴こえませんけど、サウンド構築の手法、リズムの反復形式は共通しているんですよね。オウムのヴォーカルも音楽全体も、もっとクールですけどね。

 

(written 2019.12.27)

2020/01/07

やさぐれていない爽やかなトム・ウェイツ 〜 ウィミン・シング・ウェイツ

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https://open.spotify.com/album/4xyavB5BZ4HZeAFwmothzx?si=DLHQ4TZzStyb1F3Zjep2xg

 

萩原健太さんに教えていただきました。
https://kenta45rpm.com/2019/11/28/come-on-up-to-the-house-women-sing-waits/

 

2019年でトム・ウェイツは70歳になったんですって。そのトリビュートみたいな意味で製作・リリースされたらしい『カム・オン・アップ・トゥ・ザ・ハウス:ウィミン・シング・ウェイツ』(2019)は、副題どおり女性が歌ったトム・ウェイツ・オリジナルばかりをピック・アップして一個のアルバムにしたもの。新録ではなくて、既存の作品から選ばれています。このアルバム、かなりいいですよ。

 

トム・ウェイツ自身の世界というとあんな感じですから。やさぐれているというか、ひとによってはとっつきにくいものだと思います。なにを隠そうぼくもトム・ウェイツの、曲は好きだけど、彼自身のヴァージョンは苦手なんですね。芝居がかりすぎているというか、ちょっとわざとらしいでしょう、そんな部分で、聴いていてちょっとシラケちゃうんですね。

 

でも書きましたようにウェイツの書く曲はいいなと思っているんで、だからもっとストレートにそのよさを活かすような歌手がどんどんカヴァーすればいいのになというのが本音です。いままでもそんな清新なヴァージョンに多少接してきましたが、今日話題にしている『ウィミン・シング・ウェイツ』は、いままでウェイツのあんな世界を遠ざけていたような(ぼくもそうだけど)ひとたちにも推薦できる一枚で、曲のよさを理解させ、とっつきにくさを解消してくれる格好のアルバムじゃないかと思うんですね。

 

『ウィミン・シング・ウェイツ』では、トム・ウェイツの曲をどの歌手もストレートに歌い、ウェイツ自身のヴァージョンが持つわざとらしさ、芝居がかったこけおどしを消しています。これが大成功なんですね。彼女たちのヴァージョンはキリッとしていて、凛として、清廉なさわやかさすら感じますから、ウェイツ自身のヴァージョンからガラリと世界が変化していますよね。

 

ぼくの見方では、こんなさわやかな感じに姿を変えたウェイツ・ソングの数々こそ、もとの曲のよさを引き立てた最上の解釈だと思うんですね。これでこそトム・ウェイツの曲の真のよさ、真の魅力が伝わろうというものです。収録されている曲をトム・ウェイツ自演ヴァージョンと比較すれば、だんぜん彼女たちのカヴァーのほうがいい曲に聴こえますから。

 

『ウィミン・シング・ウェイツ』に収録の女性たちによるウェイツ・カヴァーの数々は、決してきどらずストレートに曲を伝えようとしているし、パフォーマーとしての素直で正直なアティテュードが聴きとれます。どの曲も透明感があるし、清新で、ものによってはさわやかな明るさ、前向きに進む肯定感だってあるんですね。アルバムを聴いている最中や聴き終えて、後口がさっぱりと心地いいです。

 

トム・ウェイツはもうああいったひとなんでしょう。だから彼の書いた深みのあるすぐれた曲の数々を自演で聴くのはもうやめて、この『ウィミン・シング・ウェイツ』や、そのほかいままで散発的に女性でも男性でもカヴァーしているヴァージョンで、その世界を味わえばいいじゃないですか。聴けば、どんなヴァージョンがウェイツ・ソングをいきいきと聴かせてくれているか、曲が生きているか、よりよい音楽に聴こえるか、明白なんですもん。

 

(written 2019.12.26)

2020/01/06

古き良きセンバの味わい 〜 パトリシア・ファリア

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https://open.spotify.com/album/0QU9B9gqhUTyqMKcB8elAV?si=fGkAxawbR0a1Zi3d0sb-_Q

 

アンゴラのパトリシア・ファリア。2019年の『De Caxexe』は、エル・スール入荷のもの(左 or 上)と Spotify にあるものとでジャケットが違いますが、それはままあることとして。中身はぼく大好きですね。かなりストレートなトラディショナル・スタイルのセンバで、もはや古き良きといってもいいくらいなもんですけど、こういうの好きなんです。エレキ・ギターの弾きかたなんか、完全に好みですね。打ち込みなしの人力演奏で組み立てられているところもオールド・スタイル・センバで、好ましいです。

 

1曲目から二本のエレキ・ギターのからみが心地いいですが、こんな感じでアルバム全体も続くんですね。いかにもポルトガル系というようなサウダージも随所に感じさせつつ、しかし全体的にはどっちかというと明るさ、陽気さのほうが目立つパトリシアのセンバ、聴いていて楽しくていいですね。ポルトガル系といいましたが、音楽的にはフレンチ・カリブを感じさせる(マラヴォワっぽい)曲もあったり、キューバン・ボレーロがあったりと、なかなかヴァラエティに富んでいるのもこのアルバムの特色です。

 

アルバム・タイトルになっている3曲目がもろストレートな典型的オールド・スタイル・センバで、ホーン陣も炸裂、かなり聴かせます。それになんたってこのリズムですね。も〜う、大好き、たまら〜ん!続く4、5曲目もそのままのスタイルですが、6曲目になってちょっと雰囲気が変わります。これがマラヴォワっぽいと上で書いたフレンチ・カリブふうな曲なんですね。まあ音楽的に関連はあるだろうというか、センバとそれは似てますけれど、これはおもしろい試みです。

 

こういったマラヴォワ・プレイズ・センバみたいな曲はほかにもあって、アルバム後半ではひとつの特徴になっているんですね。パトリシアも豪球で押すばかりでなく、そういった曲ではややゆるめに力を抜きながら歌っているのがわかり、曲想によって歌いかたを変えているんだなと思うと、それも好感触なんですね。

 

そうかと思うと、7曲目はなんとボレーロなんですね。こういうのがアンゴラの音楽家の、それも伝統的スタイルのセンバ・アルバムのなかで聴けるとは思っていませんでした。なかなかの変化球ですよね。ヴァイオリンも使われていたりしてそれが哀愁感をいっそう強めていたりして、工夫されています。この7曲目にセンバとかアンゴラふうとかいう部分は聴きとれない完璧なキューバン・ボレーロで、ボレーロ好きのぼくとしては頬がゆるみます。

 

アルバムはその後ふたたびセンバ一直線スタイルに戻り(といってもマラヴォワっぽいものやさわやか系バラードなどはあるけれど)、あ、そうですね、ヴァイオリンといえば17曲目のこれもストレート・センバなんですけどそれでヴァイオリンが使われています。センバでこんな感じのヴァイオリンが聴けるのはおもしろいですね。ここまで書いてきたもの以外は、どなたがお聴きになってもまごうかたなき直球センバ・アンゴラーノを感じるものだと思います。

 

(written 2020.1.4)

2020/01/05

ネオ・ソウル・ミュージック

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https://open.spotify.com/playlist/78RRvktrPMSqAoCI21mNOe?si=DAcdNu_HSnKU2ZVUfnK-uA

 

これも Spotify プレイリストなんですけど ”Neo Soul Music”。どういうわけか最近よく聴いているんですね。ぼくはソウル〜R&B 音痴なんで、ネオ・ソウルという言いかたがあるというのはずいぶん前から知ってはいたものの、どんな音楽がそこに当てはまるのかはぜんぜんわかっていなかったんです。でもちょっと前に意識する小さなきっかけがあって、それでネットで調べたりしてもイマイチだから、とりあえず聴いてみるのが早いだろうと Spotify で検索したらこのプレイリストが出てきました。

 

それで、ネオ・ソウルというものがなんなのか、やはりいまだよくわかってないんですけど、ディアンジェロの『ブラウン・シュガー』が1995年のリリースですよね。プレイリスト『ネオ・ソウル・ミュージック』(これは私家製)をダラダラ流していて、感じる共通の音楽性のルーツを、ジャンル名のことはわからないまま、いままでに聴いてきた既知のアルバムのなかでさがすと『ブラウン・シュガー』あたりになるんじゃないかと。

 

ネットで解説記事を読むと、その1995年時点ではまだネオ・ソウルの呼称はなかったみたいですね。いつの時代でもどんなジャンルでもそうですけど、具体的な音楽作品が出はじめてひとつの潮流になりかけたころに名称ってつけられるわけなんで、この事実は納得です。具体的には1996年にキダー・マッセンバーグが考案したのが "Neo Soul" という名前なんですってね。

 

ネオ・ソウルといわれてぼくなんかが真っ先に連想するのはニュー・ソウルです。ネオはニューの意ですから、事実上同じ意味のことば。命名者だって意識したはず。実際、プレイリスト『ネオ・ソウル・ミュージック』を聴いてみると、1970年代ニュー・ソウルからの流れは間違いなく聴きとれるように思うんですね。あの時代のマーヴィン・ゲイ、ダニー・ハサウェイ、カーティス・メイフィールド、スティーヴィ・ワンダーらのつくりだしていたあのサウンドがネオ・ソウルにもありますよね。

 

特にぼくがネオ・ソウルに感じるのはカーティス・メイフィールドの遺伝子ですかね。あのやわらかいフワッとしたサウンド・テクスチャーの手ごたえ、肌ざわりなどが1990年代後半〜末〜21世紀に蘇ったかのような、そういったものが聴きとれます。歌手たちの歌いかた、ヴォーカル・スタイルだってソフトで、カーティスのあんな感じによく似ているじゃないですか。

 

また、ネオ・ソウルにヒップ・ホップの影響があることは疑えないと思いますが、ジャズから流れ込んでいるものもかなりありそうですよね。この点でも1970年代ニュー・ソウルにもジャズの流入はあったので、やはり共通するところでしょうか。流れ込んでいるジャズの世代が異なっているのはいうまでもないんですけどね。ネオ・ソウルだと特に楽器ソロ、特にギター・ソロなんかになると俄然ジャジーになりますよね。

 

あ、そういえばディアンジェロはジャズ・ミュージシャンやジャズ畑出身の演奏家をよく起用しているんでした。プログラミングより演奏行為重視というか。彼が起用しているジャズ演奏家自身もジャズだけじゃなくコンテンポラリー R&B との境界線とまたいでいたりしていて。そんなわけで1995年のディアンジェロあたりからはじまって、その後、たとえばエリカ・バドゥ、マックスウェル、エリック・ベネイとか、そういった流れを<ネオ・ソウル>っていうんでしょうか。ローリン・ヒルとかミシェル・ンデゲオチェロとかも(ぼくのいままで聴いている範囲では)ふくめるんですかね。

 

いずれにしても、ここ一ヶ月ほどかな、プレイリスト『ネオ・ソウル・ミュージック』を流していて、とても心地いいっていうのはたしかです。ぼくの好きな音楽がここにはあります。いままでじゅうぶん聴いてきたものだと言えるんですけど、これをネオ・ソウルと呼ぶということは意識したことがありませんでした。このプレイリストにはマーカス・ミラーとかロバート・グラスパーみたいな(一般的には)ジャズの枠内で把握されるひとたちもふくまれているんですよね。ジャミロクワイもいるし、マイルズ・デイヴィスとヴァーチャル共演したレディシの曲もあります。

 

(written 2019.12.25)

2020/01/04

日曜の昼下がりに 〜 アクースティック・カフェ・インターナショナル

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https://open.spotify.com/playlist/37i9dQZF1DX571ttkrxAeN?si=AZOnA5yNR96rN9--O1E4Og

 

2019年11月に Spotify をブラブラしていて偶然出逢ったプレイリスト "Acoustic Café International"。この出逢いにはきっかけがあって、それは昨年11月初旬にスアド・マシの新作のことを書いたでしょ、そのときにあのアルバムをなんども聴いていたんですよ。あるときやっぱりそれを聴こうと思って Spotify の画面ですぐとなりにプレイリスト『アクースティック・カフェ・インターナショナル』が表示されたってわけです。

 

実際このプレイリストのカヴァーもスアド・マシですし、スアドのあの2019年作で聴けるようなあんなアクースティック・ミュージックをいろいろ集めてみたというような、そんなプレイリストなんでしょうね。といってもこのプレイリストにはほんのかすかなエレクトリック&エレクトロニック・サウンドも、あくまでサイド・エフェクト的にですけど、使われている曲があります。目立たないですけどね。

 

それで、この『アクースティック・カフェ・インターナショナル』のいうアクースティックというのは、たぶんギターのことを指しているなと思います。MTV アンプラグドのブーム以後、アクースティック・サウンドといえば生ギターをメインに据えたものっていう認識ができあがったような気がしますし、このプレイリストを流していてもずっとそんなサウンドが流れくるし、間違いないと思うんですね。

 

しかもこのプレイリスト、ただたんに生音の(ギター・)サウンドを集めたというだけでなく、似通った雰囲気というかムードというか、一定の音楽性で貫かれているなと感じます。それはひとことにしてメランコリーとか哀愁とか、さびしさ、わびしさ、また言い換えれば落ち着きとか静けさといったようなものなんですね。ずっとこれを流していると、まるで日曜の午後のちょっと気怠いムードにひたってカフェでコーヒーを飲んでいるような、そんな気分になりますね。

 

そう、気怠さ、物憂さ、これですね、このプレイリストにいちばん似合うことばは。アクースティックでそんな曲ばかり選んで一個にまとめたみたいな、そんな感じがします。このプレイリストのカヴァーになっているスアド・マシの最新作『Oumniya』から二曲も選ばれているし(二曲入っているのはスアドだけのはず)、だからスアドのあんな雰囲気を三時間超にわたって聴いているっていうようなムードなんですね。

 

スアドが二曲と言いましたが、彼女以外でぼくがこのプレイリストで知っていた名前はナターリア・ラフォルカデだけです。ほかは無知にしてぜんぜん知らなかったひとたちばかり。でも見事に雰囲気が揃っている、統一されているんで、この Spotify 公式プレイリスト、選曲者がわかりませんが、音楽のプロってすごいんだなあって思っちゃいますね、真剣に。

 

Spotify やレーベルなど公式のものでも、私製のものでも、こういったプレイリストってマジになって向き合ってしっかり聴き込むとかいうようなものじゃなくって、部屋のなかやどこかでただ流しながらなんとなくのムードにひたっていればそれでいいものだなと思うんですね。硬派な音楽通のみなさんには受け入れられない聴きかたかもしれないですけど、そういうのも音楽の効用なんですね。

 

いま北半球では真冬で、日が短くて低くて、暗かったりドンヨリしている時間が長く、だからぼくらの気分までなんとなく沈みがちになってしまうかもしれません(そんなことありません?)。でも音楽でこういったプレイリストを流し聴きして、たとえば日曜の昼下がりになんとなくの雰囲気にひたってブラブラしていれば、かえっていい気分になっていくこともありますよ。

 

(written 2019.12.24)

2020/01/03

万華鏡のようなセインムーター2014年盤

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http://elsurrecords.com/2019/07/19/sein-moot-tar-auspicious-and-ceremonial-myanmar-orchestra-tunes/

 

エル・スールに入荷して買ったのが2019年のことだったセインムーター(ミャンマー)の CD アルバム(2014)。これ、アルバム題や曲題がいっさいわからないんですね。だからセインムーターの2014年盤と今日呼びますが、中身はかなりすごいですよ。傑作でしょう。エル・スール HP 記載の原田さんの文章がやや興奮気味なのも納得です。

 

原田さんによれば、このアルバムが入荷する数年前に YouTube で発見したセインムーターの音楽がとてもすばらしかったそうで、それが収録されたアルバムがあるならぜひほしい、いや売りたい!と強く思ったみたいです。それがひょんなことから叶うことになって今2019年の入荷となったわけですね。その原田さんがお聴きになって惚れちゃったという YouTube 音源がこれ↓
https://www.youtube.com/watch?v=V5rGwGJPCw0&fbclid=IwAR0ckJe5ZvmNsG39CcveZc_na3dTlYAliNavzsqmhHSeVwDNn54E159cSQ8

 

たしかにこりゃすごいですよね。これは2014年盤の6曲目。いちばん大活躍しているのがやはりセインムーターのパッ・ワインです。パッ・ワインとはミャンマーの環状連太鼓で、音階を演奏できるものです。これホント二つの手で演奏しているとは思えないほどめまぐるしい幻惑的な演奏じゃないですか。高速フレーズを正確無比に叩きこなしていますよね。

 

この6曲目でセインムーターのパッ・ワイン聴きどころは二回出てきます。中間部でサイン・ワイン(パッ・ワインを中心とするミャンマーの楽団のこと)合奏パートがありますが、その前後ということです。ぼくはセインムーターの CD アルバムをぜんぶで三、四枚持っているんですけど、いつもいつも万華鏡のようなそのめくるめく世界に降参しちゃっています。なかでもこの2014年盤の6曲目は最高じゃないですか。

 

セインムーターのパッ・ワイン(これがサイン・ワインと呼ばれることも多いので、ややこしいですね)妙技を聴けるという意味では、3曲目もなかなかすごいです。フネー(笛)が大きく聴こえるサイン・ワイン・アンサンブルに引き続き、セインムーターのパッ・ワイン演奏がフィーチャーされていますね。これもかなりの聴きものですよ。

 

サイン・ワイン楽団のアンサンブルの響きもゴージャスでいいし、パッ・ワインの、セインムーターが超絶技巧を駆使してくりだす音色は、しかしどこかのどかで落ち着けるフィーリング。一度その世界にはまるとなかなか抜け出せないような麻薬のような心地よさがありますね。ものすごい技巧でものすごい演奏を、それとはわからない程度のやわらかいサウンドで聴かせてくれるセインムーターとそのサイン・ワイン楽団。今日話題にした2014年盤はエル・スールでいま再入荷待ちになっていますけど、また入ったらぜひ買って聴いてみてください。トリコになりますよ。

 

(written 2019.12.23)

2020/01/02

軽快にスウィングするアンクル・ウォルツ・バンド

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https://open.spotify.com/album/27eFjGLnpr1gRb2C59rkmJ?si=h2kP01sHRK2qKO17ydq3Uw

 

萩原健太さんのブログで知りました。
https://kenta45rpm.com/2019/11/07/an-american-in-texas-uncle-walts-band/

 

アンクル・ウォルツ・バンドというひとたちがいるらしいです。ギター二名+コントラバスの三人組。アクースティック・スウィングというか、ブルーグラス/カントリー系のバンドといっていいでしょうか。軽快にスウィングするジャジーなストリング・バンドであるという点では、かのジャンゴ・ラインハルト&ステファン・グラッペリらのフランス・ホット・クラブ五重奏団以来の伝統に連なっているのかもしれません。

 

健太さんのブログによれば(経歴からなにからくわしいことはぜんぶ書かれてあるので、ぜひご一読ください)、アンクル・ウォルツ・バンドは結局テキサスの地元クラブ界隈でだけ知られていたごくごくマイナーな存在だそうで、レコードだって直接そこへ行って買う以外にむかしは手がなかったそうですよ。それがいまや(CD もあるけど)Spotify できわめて手軽&気軽に自室にいながらにしてポンと聴けるんですから、いい時代になりました。マジで。

 

ぼくはまず二作目の『アン・アメリカン・イン・テキサス』(1980)から聴きましたので、今日はその話です。といっても一作目を聴いても音楽性は100%同一でしたから違う話はできなさそうですけどね。ともあれ『アン・アメリカン・イン・テキサス』では、まずオープニングの「アズ・ザ・クロウ・フライズ」で降参しちゃいます。な〜んてスウィンギーなのでしょうか。もうこれ一曲を聴いただけでアルバム全体の楽しさがわかってしまうくらい、いいですよねえ。

 

しかもギターリストは二名ともかなりうまいです。特にソロを弾くほう、どっちが弾いているのか知らないんですけど、これは感心しちゃいますよ。アルバム全体でソロが聴ける時間はそんなにたくさんはないんです。それだけに1曲目でのこの流暢なギター・ソロは目立ちます。サイドにまわってカッティングに徹しているほうも腕達者ですね。

 

さらにどの曲もメンバー三人のコーラス・ワークが聴きものです。ちょっとビートルズの三声ハーモニーを思い出しますよね。実際影響を受けたんじゃないでしょうか。アンクル・ウォルツ・バンドは活動期間が1970年代後半〜80年代初頭だったみたいですからね。曲つくりにもビートルズっぽいところが聴きとれます。特に1968年の『ワイト・アルバム』に収録されていたような曲に似たものがアンクル・ウォルツ・バンドにはたくさんあります。

 

ところでアルバム『アン・アメリカン・イン・テキサス』でもそうですが、メンバー三人だけじゃなく、けっこうフィドルが聴こえますよね。専門のフィドラーがゲスト参加しているんでしょうか。そんな気がします。まず4曲目の「ラスト・ワン・トゥ・ノウ」で聴こえ、その後もときおり入ります。そのフィドルの演奏スタイルは、完璧にカントリー・ミュージックのそれですね。

 

フィドラー参加といえば、9曲目のアルバム・タイトル曲でもそうです。これに歌はなくインストルメンタル・ナンバー。そういうのはこのアルバムではこれだけのはず。三人+1の演奏のうまさで聴かせる内容ですね。ミドル・テンポで軽く乗るこのスウィンギーなアクースティック・サウンド、かなり見事なものじゃないですか。

 

ボーナス・トラックがたくさんありますが、そのなかではライヴ・テイクの四曲が特にいいですね。素のアンクル・ウォルツ・バンドの姿を垣間見ることができるし、生演奏で間違いない三人の演奏技術の上質さが聴きとれて、いい気分です。そこから推し量るに、スタジオ録音でもほぼ一発録りといってもいいスポンティニアスな演奏だったんだなとわかります。

 

(written 2019.12.22)

2020/01/01

プリンスの1982年デトロイト・ライヴがいい 〜『1999』拡大盤

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https://open.spotify.com/album/1rVZhQOyV33ZKRNXTnrjTM?si=1Kv0XH13RgSF4CpbsR-wGA

 

2019年11月末に発売されたプリンス『1999』のスーパー・デラックス・エディション5CD+1DVD。DVD に収録の音楽は聴いていませんが、五枚の CD に収録のうちでは五枚目にある1982年11月30日のデトロイト・ライヴ(レイト・ショウ)が抜きに出てすばらしいのではないでしょうか。ぼくはもうこればかりくりかえし聴いています。

 

このデトロイト・ライヴ、当時の新作アルバム『1999』が10月に発売になったばかりということで、そのキャンペーンということだったんじゃないでしょうか。この新作アルバムでプリンス史上はじめてバンド、ザ・レヴォルーションがクレジットされていたわけですけど、ライヴ・ツアーをやっているのもその同じバンドということなんでしょう。といってもアルバムのほうは名義だけで、実質的にはやはりプリンスのひとり多重録音が多いんですけど、ライヴではそうはいきませんよね。

 

デトロイト・ライヴを聴いてみると、バンドは相当よくやっているなと感じます。スタジオではプリンスがなんでも完璧にこなしてしまいそれと同じレベルをライヴでは生バンドに要求するらしく、なかなかたいへんだったみたいですけど、聴いた感じスタジオ・ヴァージョンと遜色ないし、ライヴならではのキメやソロもバッチリで、文句なしじゃないですか。

 

演奏されているのはやはり『1999』からの曲が中心で、そこに『コントロヴァーシー』『ダーティ・マインド』からのものを混ぜているという感じです。それら以前からのレパートリーも、『1999』の音楽性にあわせた新時代のというか、当時のプリンス最新のサウンドに更新されているのは、当然とはいえさすがですね。

 

たとえばオープニングの「コントロヴァーシー」からしてもうスタジオ・ヴァージョンとは様子が違っています。冒頭に曲「1999」で使われていた低音男声ナレイションを入れて P ファンクふうに仕立ててあるのもそうですし、曲のグルーヴも新しくなっているなと感じます。ノリが違うんですよね。1982年のプリンス・ミュージックになっています。これをこの日のレイト・ショウ幕開けにもってきたのは正解。

 

ほかにもたとえば「ドゥー・ミー、ベイビー」「ヘッド」「アップタウン」といった以前のポップ・ナンバーも様変わりしています。後者二曲なんかファンク・チューンに近づいているし、最初の官能セクシー・ソングも軽いビートが効いて変態的なエロさが薄まり、ある意味ライヴでも聴きやすい親しみを感じさせる内容になっていますよね。またプリンスの演奏する(右チャンネル)エレキ・ギターのコード・ワークも見事です。

 

そう、全体的に聴きやすくノリやすい、これがこのデトロイト・ライヴの大きな特色なんですね。以前のナンバーだけじゃありません、最新アルバム『1999』からの曲でも、そのスタジオ・ヴァージョンよりも親しみを増すように工夫されています。これはやはりライヴだからでしょう。プリンスといえどまだ大ブレイク前、すでにツアーは一万人規模の会場でやるようになっていたとはいえ、まだまだ唯我独尊的世界には踏み込んでいなかったんでしょうね、生の観客の前では生の親しみやすさ、盛り上がり感を重視したんだと思うんです。

 

特にぼくの耳を特に惹いたのは8曲目の「ハウ・カム U ドント・コール・ミー・エニイモア」です。これはアルバム未収録曲で、シングル「1999」の B 面となって発売されたものです。大好きなトーチ・ソング(失恋歌)なんですよね。スタジオ・ヴァージョンではプリンスみずから弾くアクースティック・ピアノだけの伴奏で歌われていました。それが実に沁みる哀切でいい感じでしたよね。

 

このライヴの「ハウ・カム〜」では、やはりこのピアノはプリンス自身の演奏でしょう。1982年ごろみんなライヴでは使っていたヤマハのエレクトリック・グランド・ピアノの音色がします。また、ここでは背後でタンバリンの音とヴォーカル・コーラスが聴こえますね。指を鳴らす音も入っていますよね。それらのおかげで、もとからちょっぴりゴスペルちっくだったこの曲のそのゴスペル要素がきわだっているなと思うんです。ドゥー・ワップ・ソング的にも聴こえますしね。実にいいなあ。

 

ライヴの本編ラストは「1999」(「D.M.S.R.」はアンコールだと思います)。スタジオ・ヴァージョン冒頭に入っていた低音ナレイションはライヴ幕開けで使ったのでここではなし。いきなり本演奏に入ります。いかにもライヴ・バンド、ツアー・バンドだっていうだけのマイク・リレーやノリのよさ、ギター・ソロのライヴ感、バンドの演奏の生々しさ、あいまあいまに入るプリンスの掛け声など、どこをとっても文句なしのキレのよさで、ライヴのよさを実感します。

 

(written 2019.12.21)

2019/12/31

2019年ベスト10

https://open.spotify.com/playlist/6Ew32Aqdsbr6elOQZdfjvf?si=zAeRVEl5RZ2S_ICLPuVpJw

 

毎年12月25日に発表し続けていたぼくの年間ベストテンですが、今年から大晦日に移動しました。特に理由はないんです。ただ一年の音楽ライフのしめくくりというだけですかね。音楽だけ人間なので、大晦日にその年どんな音楽作品をよく聴いたかをまとめておこうかなと思うようになりました。

 

さて、昨日も書きましたが今年は岩佐美咲の生歌をかなりたくさん聴きました。岩佐美咲のことはだから別格扱いにして、今年から年間ベストにはふくめないことにします。キリがないですからね。いつでも岩佐美咲はぼくのなかではベスト1なんです。これは今後もたぶん変わりませんので、毎年岩佐美咲がトップに来るベストテンなんておもしろくないでしょう。

 

ってなわけで、岩佐美咲以外で、とてもよく聴いた音楽アルバムの2019年ベストテンです。以下、新作篇とリイシュー・発掘篇に分けて10枚づつ。

 

 

<新作篇>

1) Angham / Hala Khasa Gedan(エジプト)

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これはもう文句なしでしょう。アンガームはいま絶頂期にあるのです。歌手として、人間として、女性として。こんなにも美しくとろける音楽がこの世にほかにあるでしょうか。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-d491ab.html

 

2) Dudu Tassa & The Kuwaitis / El Hajar(イスラエル)

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アラブ歌謡をやるイスラエル人。この国ではこういう人が最近わりといるらしいですね。これも美しい音楽だと思います。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/03/post-d104.html

 

3) 坂本冬美 / ENKA III 〜 偲歌(日本、2018)

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これもきれい。伴奏アレンジも見事で、冬美もいま歌手人生でいちばんいい時期を過ごしているんじゃないですか。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/06/post-179fad.html

 

4) Àbáse / Invocation(ハンガリー)

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ブダペスト出身のアフロ・ジャズ・ユニット。カッコよくグルーヴィでした。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/post-1ff32f.html

 

5) Gaby Moreno, Van Dyke Parks / ¡Spangled!(アメリカ)

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汎アメリカン・ミュージックを目指すガビー・モレーノと、見事なアレンジを施したヴァン・ダイク・パークスの手腕が光っています。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/11/post-411f3c.html

 

6) Salomão Soares / Colorido Urbano(ブラジル)

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アクースティックなストレート・ジャズ・インストルメンタル作品では、今年いちばん聴きました。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-cd8abd.html

 

7) Anabela Aya / Kuameleli(アンゴラ、2018)

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アナベラの生々しい躍動感のある声にゾクゾクするクレオール・ジャズの秀作。ジャズは完全に身体性を取り戻しましたね。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/10/post-c8feb3.html

 

8) Alfred Del Penho / Samba Só(ブラジル、2018)

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ブラジルにはギター弾き語りシンガー・ソングライターがとても多いわけですけど、今年聴いたもののなかではこの一枚が抜きに出ていたような気がします。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/03/post-1bbf.html

 

9) KutiMangoes / Afrotropism(デンマーク)

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ひとひねりしたアフロビート・ジャズがめちゃめちゃカッコいい。彼らにしかできないオリジナルな音楽性がありますね。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/11/post-146c22.html

 

10) Souad Massi / Oumniya(アルジェリア)

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スアド・マシひさびさの原点回帰作で、この人のいちばん豊潤な音楽を取り戻したように思います。これなら文句なし。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/11/post-963066.html

 


<リイシュー・発掘篇>

1) Nusrat Fateh Ali Khan / Live at WOMAD 1985(パキスタン)

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どう考えても一位はこれしかありえません。なにも言うことはない傑作。大事件でした。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-a46b09.html

 

2) Maria Teresa de Noronha / Integral(ポルトガル、2018)

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ややあっさりめのファドで聴きやすく、明るさもあるし、ファド入門にももってこいでしょう。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/09/post-c474c2.html

 

3) Early Congo Music 1946-1962: first rumba, to the real rumba(コンゴ)

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深沢美樹さん入魂の二枚組第二弾。ぼくなんかが特に言うことはありませんが、できれば来年書きたいと思っています。

 

4) 嘉手苅林昌 / 島唄黄金時代の嘉手苅林昌(沖縄)

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沖縄の嘉手苅林昌。三線と歌が本当に心に沁みますねえ。女性とのデュオものもよし。

 

5) ナット・キング・コール / キング・コールと行くラテンアメリカの旅(アメリカ)

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今年はナット・キング・コール生誕100周年にあたります。ラテン好き&ナット好きのぼくにとってはうれしい企画ものリイシューでした。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-a0c12d.html

 

6) Kapingbdi / Born In The Night(リベリア)

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リベリアのアフロ・ジャズ・ファンク・バンドをいままで聴いたことなかったんですけど、これはすばらしくグルーヴィでした。スピリチュアル・ジャズみたいなボスのテナー・サックスもよし。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/11/post-51e77e.html

 

7) Bob Dylan / Travelin' Thru: The Bootleg Series Vol. 15 1967-1969(アメリカ合衆国)

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ボブ・ディランの全キャリアで、この時期のこのスタイルがいちばん好き!だって心地いいんですもん。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/11/post-f13b49.html

 

8) Kinshasa 1978(コンゴ)

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特にコノノ No.1がすごい、すごすぎる。未発表オリジナル音源もマルタン・メソニエの再構築も超絶グルーヴィ。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/12/post-51d19d.html

 

9) Linda Ronstadt / Live in Hollywood(アメリカ合衆国)

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病気で歌えなくなったリンダですけど、現役時代のよかったころは本当にこんなにもチャーミングだったんですよねえ。意外にもキャリア初のライヴ・アルバムで、真骨頂を聴かせています。バンド・メンも腕利きぞろい。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/03/post-93f0.html

 

10) Stella Chiweshe / Kasahwa: Early Singles(ジンバブウェ、2018)

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ステーラ・チウェーシェは親指ピアノ弾き語り奏者。その初期シングル盤音源が、はじめてちゃんとしたかたちでリイシューされました。強く鋭い音楽です。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/01/post-568c.html

 

(written 2019.12.20)

2019/12/30

2019年のわさ活をふりかえる

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(今年二月に浅草で撮ったこの2ショット写真がいちばん気に入っています)

 

2019年も終わりかけています。昨年までと違う今年の生活最大の個人的特色は、歌手であるわさみんこと岩佐美咲ちゃんの生歌唱現場にどんどん出かけていったことですね。きっかけは2018年11月の四国イベントでした。今治と高知の二日間。これですっかり楽しさを憶えてしまったぼくは、その後わさみん歌唱イベントにどんどん出かけていくことになったのです。

 

思えばぼくの生わさみん初体験は2018年2月の恵比寿。これはふつうのソロ・コンサートです。すごく思い出深いライヴとなりましたが、いままで数十年間で体験し感銘を受けたコンサートの数々と比較して、そんなに大きく違うのだろうか?と思っていたのです。音楽のライヴに接し感動することを続けてきている人生なので、わさみんコンサートが格別スペシャルだとは思えなかったんですね。

 

それが小規模の歌唱イベントですっかり生わさみんにはまってしまうことになったのは、やはりすごく近づきやすいからでしょう。歌唱イベントは、たいていどこかのショッピング・センター、モール内のイベント・スペースや、レコード・ショップのなかで行われることが多いです。わさみんは四曲歌い、その後握手&2ショット写真撮影会となります。本人とおしゃべりもできます。

 

そんなわさみん歌唱イベント(&コンサート)で今2019年に体験したものといえば、

 

1月末(東京でのソロ・コンサート)
2月中旬(東京での新曲発売記念イベント二日間)
3月末(大阪イベント)
6月頭(大阪イベント&コンサート二日間)
6月末(広島イベント)
8月上旬(東京での特別盤発売記念イベント三日間&公開収録)
10月頭(東京での三人の歌仲間コンサート)
10月中旬(大阪イベント二日間)
11月下旬(東京でのコンサート&イベント三日間)
12月上旬(広島イベント二日間)

 

以上となります。けっこう行きましたねえ。一年間で東京にこれだけ行くことになるとは。また、ひとりの歌手の生現場に一年間でこれだけ出かけていくようになるなんて、昨年までまったく想像していませんでした。もう完璧にわさみんにハマってしまった一年でした。それくらい、リピートしてしまうくらい、わさみん歌唱イベントは楽しいんですよ。

 

歌唱イベントではやっぱりなんといっても歌唱後に握手しておしゃべりできることが、つまり接触があることが、楽しさの最大の理由なんですよねえ。一年間で写真もたくさん撮りました。相手はプロ歌手です。スターなんです(本人にどこまで自覚があるでしょう?)。そんなわさみんと至近距離に接近し、握手し、たいした内容ではないとはいえ親しげにおしゃべりできるというのは、至福の時間なんですね。

 

すっかりわさみんに顔も憶えてもらいました。こんなうれしいことはないでしょう。12月の広島イベントの最後、タワーレコード広島店での特典会では「今年はこれで終わりだと思う」と言うと、わさみんが「一年間ほんとうにどうもありがとう」と返してくれ、手をぎゅっと強く握ってくれました。そんなこんなの他愛のない会話が多いんですけど、あんなにうまく歌える一流歌手のわさみんと直接こうやっておしゃべりできるんですから、そりゃあハマりますって。

 

さあ、来年はどれだけわさみん歌唱現場に行けるでしょうか。いまのところまだぜんぜんわかりませんが、今年は平均して約一ヶ月に一回は会っていた計算になりますので、来年はそこまではむずかしいのではないでしょうか。でも可能な範囲で、それも西日本エリアで開催される際には、できるだけ参加するようにしたいなと思っています。

 

(written 2019.12.17)

2019/12/29

マイルズ『カインド・オヴ・ブルー』は今年でちょうど60歳

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https://open.spotify.com/album/1weenld61qoidwYuZ1GESA?si=o4zjrLP8R9CWT1A-72gl1A

 

残り少なくなりましたが、今2019年はマイルズ・デイヴィス『カインド・オヴ・ブルー』の60周年にあたります。今年は『イン・ア・サイレント・ウェイ』『ビッチズ・ブルー』からちょうど50周年でもあるということで、60より50のほうがピッタリ半世紀と区切りがいいということと、1969年という意義深いあの時代に新しい時代の新しい音楽のフィールドを切り拓いたという意味でも、そっちのほうが(主に夏場に)盛り上がりましたよね。ぼくもそれに乗じて複数の文章を書きアップしました。

 

しかし『カインド・オヴ・ブルー』60周年のほうは、今年たぶんだれも言っていないと思うんですよ。こりゃちょっと扱いが不当じゃありませんか。ぼくも今年いままでこの1959年作のことを言わないできましたが、2019年も終わってしまうということで、やはりなにかちょっとだけでも書いておこうかなという気になりました。

 

でも『カインド・オヴ・ブルー』について特に斬新なことは言えない、もはや残っていないという気がしますし、60周年という区切りにもこれといった意義、意味はないように思えます。だから困っちゃうというか、みなさんそれでなにも言っていらっしゃらないんだろうと推測します。だからいままでも書いてきたことのくりかえしになってしまいますけれども、それでも記しておいて、2019年という60周年の節目にこのアルバムのことをもう一回思い出しておきたいんですね。

 

最近『カインド・オヴ・ブルー』を聴くといつも思うのは、なんて静かでおだやかな音楽なんだろうということです。そして全体的にとても整っています。あるいは整いすぎている、あまりに均整がとれすぎているという見方もできるのではないでしょうか。それはこの作品の長所でありますけれども、ばあいによってはだからつまらない、スリルがないとみなされてしまうかもしれません。

 

このアルバムにおける、それでもちょっとはハードなグルーヴ・ナンバーといいますと、たぶん2曲目の「フレディ・フリーローダー」ですよね。これは12小節の定型ブルーズです。ややファンキーに跳ねるフィーリングも持っているということで、アルバム中この曲でだけピアノはウィントン・ケリーが起用されています。といいますか1959年時点でのマイルズ・バンド・レギュラーはウィントンで、ほかの曲で弾いているビル・エヴァンズはすでに脱退していたのにセッションのときだけ呼び戻されたわけです。

 

このビルを呼び戻したというところにも、このアルバムを静的志向のものとしたいというマイルズの意図が見えますよね。ビルの和音の使いかたをかなり気に入っていたマイルズですけれど、そもそもこのピアニストに対してボスが持っていた最大の不満は「(ハードに)スウィングしない」ということでしたから。それでも『カインド・オヴ・ブルー』ではビルを使いたいと思えるだけの理由があったということです。

 

同じブルーズでも B 面の「オール・ブルーズ」はやっぱり落ち着いたフィーリングです。けれどもこのアルバムでビルが弾いている曲のなかでは、それでもちょっとは激しさが聴きとれるものかもしれません。ボスはテーマ部分だけハーマン・ミュートでやってソロ部ではオープン・ホーンですが、そのソロ部で強い音を吹くとビルが呼応して鍵盤をガンと激しく叩く場面もあります。

 

また『カインド・オヴ・ブルー』ではジョン・コルトレイン、キャノンボール・アダリーの二名のサックス奏者がそこそこハードなプレイ側面を担っていると聴くこともできます。それでもかなり抑制が効いているのはやはりボスの統率下にあるからで、このアルバムの音楽志向を如実に物語るものですけど、テナー、アルトのサックス・ソロは饒舌ですし、ボスやビルの控えめなソロ内容といいコントラストを形成しているかなと思います。

 

なんだかんだ言っても、やっぱり全体的にこのアルバムは静かにたたずむような夜の音楽といった面が非常に強いですね。だからこそ聴いていて心がなごみますし、ジャズ史に残る一大傑作には違いありませんが、ふだんはそんなことまったく意識しません。ただ聴いていて心地いいな、リラックスできるイージー・リスニングだなと思って、ただのんびり流しているだけなんですね。オーネット・コールマンの『ジャズ来るべきもの』もそうなんですけど、歴史に残る一大傑作、問題作とは、しばしばそういったおだやかな表情を見せているものなんです。

 

(written 2019.12.16)

2019/12/28

冬にも似合うニーナ・ベケール『ミーニャ・ドローレス』

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https://open.spotify.com/album/4KKDLia9xJT8NM98jPfRvM?si=SytbIQDdScGUEKHfikIUtA

 

以前、2018年の夏でしたか、ニーナ・ベケールの『ミーニャ・ドローレス:ニーナ・ベケール・カンタ・ドローレス・ドゥラン』(2014)は夏にピッタリという話をしましたよね。独特の冷感があってヒンヤリした音感で、聴くだけで体感温度がちょっと下がりそうっていうようなことでした。その記事を書いてブログを更新したのがちょうど真夏でしたから、だからそんな感想を持ったのかもしれません。

 

それはそれで間違いないといまでも思っていますが、最近実感しているのはこのアルバム、寒い季節に聴いても実にピッタリの温感があるなということなんです。冷感があると言ったり温感と言ったり、一貫性がないぞ、ええ加減なやつめ、どっちなんや?!とのご指摘もあろうかと思いますが、すぐれた作品とはさまざまな容貌を見せ、種々多様に変化し、幅のひろい受け止めのできるものでしょう。

 

ニーナ・ベケールの『ミーニャ・ドローレス』もまたそんな傑作のひとつに違いありません。このアルバムが暖かい感じがする、だから冬に聴いたらピッタリだなと思うのは、主に曲のよさ、ショーロふうな伴奏、ニーナのちょっぴりかすれたハスキー・ヴォイスのおかげなんですね(ぜんぶやないか)。特に伴奏と声ですね、それが理由でこんなぬくもりみがあるんじゃないでしょうか。

 

なかでもニーナのこの声、これがいいですよ。そっと優しく、決して張らずささやくように、ていねいにことばを並べていくこの歌唱法が、あたたかみを感じさせるんですよねえ。こういった歌いかたこそぼくにとっては最高の声なんです。いや、最高だと感じさせる歌いかたはいくつもありますが、ニーナのこのアルバムでのこのヴォーカル表現こそ、温感をもたらすものじゃないでしょうか。

 

収録されているどの曲でもそうなんですけど、特に注目していただきたいのは6曲目の「Vou Chorar」です。この親密で(聴き手との)距離の近い声の出しかたは実にすばらしいですよねえ。曲がいいんですけど、それにくわえニーナのこの発声がそれを最大限に活かすことにつながっています。まるで狭い部屋のなかでふたりっきりになって目の前でニーナが耳元で小さな声でささやくように歌ってくれているような、そんな気分になりませんか。そのおかげで人間の肌のぬくもりすら(じかに)感じられると思うんですね。この曲ではウーリッツァーの電気ピアノが使われているのもそんないい感じに拍車をかけていますねえ。

 

そう、人間味のあるあたたかさ、これこそぼくが今日いちばん言いたいことなんです。このアルバム最大の特長がそれでしょう。基本的には7弦ギターとバンドリンの二名デュオだけっていう伴奏がショーロふうなのも、オーガニックな音楽の質感構築に寄与しています。サンバ・カンソーン歌手だったドローレス・ドゥランの書いた曲も暖かみがあって、アルバム全体として真冬に聴いたら気持ちがほっこりとぬくもっていくような、そんな音楽じゃないでしょうか。

 

(written 2019.12.15)

2019/12/27

メロウな AOR っぽいレア・ソウル 〜 ポジティヴ・フォース

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https://open.spotify.com/album/0YSz3eDpByYw4AiD8PaYJa?si=M5P9KFeXRvaWzW3CIY2miA

 

これはアナログだけでのリイシューっていうことでしょうか、そもそも CD 化されたことがあるんでしょうか、ポジティヴ・フォースというバンド唯一のアルバム『ポジティヴ・フォース・フィーチャリング・デニス・ヴァリン』(1983)。ポジティヴ・フォースという存在じたいほとんど知られていないかもと思うんですけど、アメリカ西海岸で活動したソウル・バンドのようです。ネットで検索すると同名のペンシルヴェイニアのバンドが出ますけど、たぶん別者。

 

ぼくが今日話題にしたいポジティヴ・フォースはほぼ無名の存在で、唯一のアルバム『ポジティヴ・フォース・フィーチャリング・デニス・ヴァリン』ですら激レア盤だったんだそう。それが Spotify だとなんの苦もなく見つかって聴けてしまうんだからありがたいことですね。ここをありがたいと思うかつまらないと思うかは分かれ道ですよ。ぼくは前者です。

 

ともあれ『ポジティヴ・フォース・フィーチャリング・デニス・ヴァリン』。このアルバムではソウル/ディスコっぽい音楽をメインとしながらも、ジャズ・フュージョン的 AOR のニュアンスも濃く漂っていますよね。まず1曲目「ユー・トールド・ユー・ラヴド・ミー」、これはなかなかの名曲です。これを聴くとヴォーカル部分は完璧なソウル・チューンですけど、中間部のギター・ソロはフュージョンっぽいでしょう。そして全体的にとってもメロウ。それがいいんですよねえ。

 

メロウネスはこのアルバムを貫いている基調で、ポジティヴ・フォース最大の特色といえますね。3曲目「エヴリシング・ユー・ドゥー」なんかもそれがすばらしい聴きもので、曲も歌も演奏もいいです。4曲目「ユー・ガタ・ノウ」では男声歌手が歌っていますが、これもメロウ・ソウルの名曲かもしれません。しかもどの曲も、ホーン陣の使いかたにはどこかアース、ウィンド&ファイア的なマナーも聴きとれます。

 

アルバム全体の音楽が落ち着いたしっとり系で、演奏形態や楽器ソロなどにはあきらかなジャズ・フュージョンっぽさがあって、だから AOR 的っていうか、ソウルだから AOS ですか、そんな感じに聴こえますよね。西海岸で1980年前後にアクティヴだったとなれば、ソウル・バンドでも当然のようにフュージョン色があって不思議じゃないです。そんな時代でした。随所で入るサックス・ソロなんかでもそれがよくわかります。

 

ファンキーな8曲目「プット・イット・イン・ザ・グルーヴ」もノリがいいし(ちょっぴりエピック移籍後のマイケル・ジャクスンを連想させる)、このバンドの本領ともいうべきメロウネスを最大限に発揮した9曲目「ナウ・イズ・ナット・ザ・タイム」なんかグッと来ますよねえ。ラスト10曲目「アイ・シンク・オヴ・ユー」はやっぱりアダルト・オリエンティッドなフュージョン・ソウルに聴こえます。

 

(written 2019.12.14)

2019/12/26

明瞭な歌 〜 ジャネット・エヴラがとてもいい

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https://open.spotify.com/album/4dE6czaEnJONr6vwQY0VHh?si=3gom32BIRRmXatOuE1RJvA

 

bunboni さんに教えていただきました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2019-11-23

 

ジャネット・エヴラ。英国出身で、いまはアメリカのセント・ルイスに拠点を置いて活動するシンガー・ソングライターみたいです。そのデビュー作『アスク・ハー・トゥ・ダンス』(2019)がとってもいいですよ。ジャネットはやっぱりジャズ歌手なのかな、楽器はコントラバスをやるらしく、このアルバムのベースもたぶんジャネット自身でしょう。

 

ジャネットの最大の長所はその明瞭な発声にありますね。ハキハキしていて歯切れよく、滑舌がすばらしくいいし、鮮明で一個一個のことばの発音がクッキリしていて、聴いていてこんなにも気持ちいい歌手はなかなかめずらしいと思います。近年まれじゃないでしょうか。

 

さらに bunboni さんも書いていらっしゃいますけど、低音域から高音域まで声質をまったく変えずに、特に高音で張らず、全体をスムースにムラなく同質に歌える歌手ですよね。これはかなりの才能だと思います。ふつう高い音を出すときは声が立ちますからね。ジャネットのばあい、どんな音域でも同じ発声ができるという、これは訓練でなんとかなるような気がしませんから、天賦の才じゃないでしょうか。

 

そんなわけですから、アルバムを聴いていて実に心地いいんですよね。曲もジャネットの自作みたいですけど、軽いジャズ・ボッサ・テイストをうまく活かしたモダンなものが多く、とても聴きやすく気分いいです。バックはギター入りのリズム・セクション+(曲によって)複数の管楽器といったところ。伴奏はあくまで脇役に徹していて、決してジャネットのヴォーカルの前に出たりはしません。目立つソロもあまりなしで歌伴としては理想的。

 

ジャズといわず、聴いていてこんなにも心地いいヴォーカル・アルバムはひさしぶりに出会ったような気がしますよ。オススメです。この快感な肌ざわりを味わってほしいです。1曲目「パリ」とか9「アスク・ハー・トゥ・ダンス」なんか、極上ですよ。ぼくはアルバム出だしの "I still wonder" 三語で惚れました。

 

(written 2019.12.11)

2019/12/25

マイルズ『ザ・ロスト・クインテット』は1969年のライヴ最終日

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https://open.spotify.com/album/2IQwM81ZpSyo3Xp32y8VRd?si=i20gMnoUR-a1kg73OjFK1g

 

今日の文章はこの記事の追補です。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/11/post-fe6b42.html

 

このリンク先で書いたマイルズ・デイヴィスのライヴ盤『ザ・ロスト・クインテット』は、録音日時と場所が不明だったんですけど、最近、1969年11月9日のロッテルダム(オランダ)公演だと判明しました。この11月の文章を書いた時点では、日本で販売しているディスクユニオンのサイトに11月3日のパリ・ライヴじゃないかとの推測が記載されていて、それは違うだろうとぼくは書きましたが、最近はそれも修正されているんですね。
https://diskunion.net/portal/ct/detail/1008011076

 

1969年11月9日のロッテルダム公演は、だいぶ前からブートレグ CD-R がでまわっていて、ぼくも以前から持っています(だからディスクユニオンの「初出」音源との記載は誤り)。それは約十数年以上前の mixi 時代におともだちだったマイルズ・ブート・コレクターのかたとのトレードで手に入れたもの。そのかたは青森県在住でしたが、かなりのコレクターだったのでぼくは恩恵にあずかりました。感謝しています。

 

ディスクユニオンで売っていて Spotify でも聴ける『ザ・ロスト・クインテット』がなぜ11月9日公演だと判明したのかといいますと、たまたまなんの気なしにディスクユニオンのそのページをふたたび見にいったら、そういうふうに修正されていたからなんですね。それで、えっ、その日のライヴだったら前から流通しているやつじゃん、ぼくも持ってるよとなって手持ちのブート CD-R を聴きなおしてみて、同じだと判明したわけです。

 

でも違いもありますよ。二点。手持ちの CD-R のほうでは演奏前に司会者のメンバー紹介があることと、1曲目「ディレクションズ」が約二分ほど長いです。メンバー紹介はあってもなくてもいいようなものですけど、演奏の長さ二分の違いはめっちゃ大きいですよねえ。どうして二分も違うかと言いますと、『ザ・ロスト・クインテット』のほうの「ディクレションズ」は完奏じゃないでしょう、ウェイン・ショーターのテナー・サックス・ソロの最後のほうでスッとフェイド・アウトしてしまいます。

 

ところがぼくの持つブート CD-R の1969.11.9公演分の「ディレクションズ」ではウェインが最後まで吹き、その後(チック・コリアじゃなくて)デイヴ・ホランドのベース・ソロがあるんですね。それが二分近いんです。「ディレクションズ」でベース・ソロとは相当めずらしいなと思います。ほかの日のライヴで聴いたような記憶もありませんからねえ。このロッテルダム公演だけじゃないでしょうか。

 

これ以外の演奏内容は同一だと思います。

 

さて、マイルズの11月9日ロッテルダム公演というと、実は1969年のロスト・クインテットのラスト・ライヴになるんですね。すくなくとも現在記録に残っているかぎりではこれが1969年のライヴ最終日です。その日までマイルズ・バンドはヨーロッパを数ヶ月間ツアーしてまわっていました。

 

ロスト・クインテットのライヴは、その日によって演奏曲目が違ったり演奏の出来も差がありますけれど、基本的には同じことをくりかえしていたとしていいんじゃないでしょうか。1960年代的フリー・ジャズ総決算とでもいうような内容で、69年だとすでに『イン・ア・サイレント・ウェイ』『ビッチズ・ブルー』でふみこんでいたロック/ファンクへのアプローチはスタジオだけでのもの。ライヴではまだまだ完全にジャズでした。

 

これが翌1970年のライヴになりますと、メンバーもほぼ変わらないのにどうしてだかリズムがタイトでシャープになって斬れ味を増し、バンド全体もファンキーな演奏をくりひろげるようになります。スタジオ録音でも70年には『ジャック・ジョンスン』がありますね。ライヴでもそんな内容に近づいているかなと思わないでもない展開を聴かせるようになるんです。

 

最終的にはそれが1974/75年のああいった一連のライヴ傑作群(『ダーク・メイガス』『アガルタ』『パンゲア』、その他ブートなら無数)に結実することになるわけですが、1969年だと11月9日のラスト・ライヴでもまだピュアなジャズ・ミュージックの枠内にとどまっているのが興味深いところですね。かつて油井正一さんがマイルズはスタジオでは先鋭的、ライヴでは保守的と書いたことがありましたが、69年の音楽についてもこれが言えるのでしょう。

 

(written 2019.12.12)

2019/12/24

ヒバ・タワジでクリスマス

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https://open.spotify.com/album/1XaS1MuxlxF1UJFpQLMym2?si=VXDmbirhT2CHoVZjVaIbdQ

 

キリスト教は中近東地域発祥です。現在アラビア語がひろく通用しているエリアでは全体的にイスラム教徒ばかりかというとそんなこともないんです。少数とはいえキリスト教徒だって現在でもいますよね。レバノンの歌手ヒバ・タワジが2017年にクリスマス・アルバム『ハレルヤ』をリリースしたのには、たぶんそんな文化背景と、もうひとつは世界的に活躍しているヒバだからマーケットのことを考慮したという面もあったんじゃないでしょうか。さらに、いまやクリスマスは宗教の枠を超えた大きなイベントになっているからでもありましょうね。

 

ヒバ・タワジの『ハレルヤ』、現地では2017年に CD が発売されていて、それと同時に日本でも Spotify などストリーミングで聴けるようになっていましたのでぼくも親しんでいましたが、エル・スールさんに入荷したのは今2019年初頭。そのころぼくはまだフィジカルをどんどん買っていたので、ヒバのこれも買いました。それでようやく今年のクリスマスにあわせてこの文章を書いているというわけです。

 

ヒバの『ハレルヤ』、全12曲(Spotify のでは11曲)のなかには欧米などキリスト教世界で人気のクリスマス・キャロルが多くあります。2「ジングル・ベルズ」、4「サイレント・ナイト」などは日本でも知らぬひとはいませんが、ほかにも5「ガッド・レスト・イェ・メリー・ジェントルメン」、6「オ・カム・オール・イェ・フェイスフル」、7「ハーク!ザ・ヘラルド・エンジェルズ・シング/グローリア」もキリスト教会ではスタンダードです。

 

ちょっとした変わり種は Spotify のには収録がない(なぜ?)8曲目でしょうか。CD の裏ジャケットにはアラビア語題の下に「オ・モスト・ワンダフル・クリスマス」などと英語題の記載がありますが、これはジャズ・サックス奏者ジョン・コルトレインなども得意とした世俗のポップ・スタンダード曲「マイ・フェイヴァリット・シングズ」にほかなりません。ウサマ・ラハバーニとヒバはクリスマス体裁にしてここに収録しているというわけですね。といってもぼくにアラビア語はわかりませんからピンときていないんですけど、どうして「マイ・フェイヴァリット・シングズ」が選ばれたのでしょう。

 

たぶんそれはヒバの資質をウサマも考慮したということかもしれないですね。ヒバはオペレッタみたいなのが得意中の得意で、ドラマティックな歌唱がサマになる歌手です。「マイ・フェイヴァリット・シングズ」の初出はみなさんご存知のとおりロジャーズ&ハマーシュタイン作のミュージカル『サウンド・オヴ・ミュージック』。ジュリー・アンドルーズ主演で映画にもなりました(たぶんこれが最有名)。ミュージカル、つまりオペレッタですよね。

 

そういえばアルバム『ハレルヤ』のなかでも、この8曲目ではけっこう大きくもりあがる劇的な歌いかたをヒバはしているなと思うんです。もとがミュージカル・ナンバーなだけに、クリスマス・ソング仕立てになってはいても、ここは本領発揮とばかりにグイグイ迫る迫力の歌唱でヒバは歌い込みます。ウサマのオーケストレイションも派手な感じになっていますよね。

 

言いかえれば、このアルバムにある8曲目以外のものでは、ヒバはふだんの持ち味をグッと抑え、控えめで抑制の効いた落ち着いた静かめのフィーリングで歌っているなと感じるんですね。ウサマのアレンジも同様で、両者ともふだんアラブ歌謡をやるときとはやや様子が違っていますよね。たぶんクリスマス・アルバムだからでしょう、派手さよりも宗教的な敬虔さ、厳かさを前面に出すことを意識したんじゃないでしょうか。

 

おかげで、ヒバやアラブ歌謡の(ばあいによってはトゥー・マッチと感じるかもしれない)あの濃厚でグリグリとした派手な世界から少し距離を置いているなと感じないでもないです。それでもヒバの声に常時漂っている微妙な震え、振動、揺れはアラブ歌手特有のものですけれども、だからやっぱりアラブの歌手だなとはわかるんですけれども、それでもアルバム『ハレルヤ』では聴きやすい身近なフィーリングを獲得できているととらえることができますね。

 

なお、このアルバムに収録の、上で書いたキリスト教世界で知られているクリスマス・キャロルでは、ヒバは一部の歌詞を英語でも歌っていますね。そのほかの曲をふくめ大部分はアラビア語で歌っていると思います。有名クリスマス・キャロルやスタンダード・ナンバー以外は、このアルバムのための書き下ろしかもしれません。

 

(written 2019.12.16)

2019/12/23

どんどん増える YouTube サブスクライバー

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https://www.youtube.com/user/hisashitoshima/videos

 

なにも知らなくて、YouTube チャンネルのサブスクライバー(日本語でなんと言います?登録者?購読者?)が1000人を越したとき、今年の晩夏ごろでしたか、オフィシャルにお祝いのメッセージが届きました。そういうもんなんですね。現在約1100人程度ですけど、毎日のようにどんどん増えています。新しい登録者ができるとメールでお知らせしてくれるのでわかります。

 

ぼくが YouTube にアップしているのは、もちろん音楽(に関係するしゃべりなどもふくむ)だけですけど、いうまでもなくすべて権利者には無断でやっていることです。なかにはグレー・ゾーンにあるというか、たぶん許諾の必要はないと思えるものだってあるんですけど、たとえばかなり時期が古い音源などはですね、そのままみんなが使えると思うんです。でもそれら以外は法的にはヤバイわけですよ、ブートレグ音源以外は。

 

もっとも、YouTube にあがっている音楽の多くがそんな感じで、無関係の第三者が勝手にアップロードしているだけなんで、だから事実上無法地帯になっていますよね。そんなのをむかしから見てきて便利に利用してきたからなのか(未知音源を試聴できるのはありがたかった)、自分でこれは紹介したい、ぜひ!と思うものはファイルを作ってあげてしまうようになりました。

 

以前も書きましたが、著作権者に発見されクレームされたらもちろん強制削除となります。現在アカウントというかチャンネルの残りライフが一個となっていて、もう一回同じことがあるとこのアカウントは使えなくなるぞとオフィシャルから警告を受けているので、もうそれ以後はなにもアップしないようにしているんですね。そうなってからでもサブスクライバーは継続的に増えています。過去の遺産ということでしょうか。

 

なかには Spotify などで聴けない、フィジカルでも発売されていないというものだってぼくのチャンネルにはちょっとだけならあるんで、そういうのは値打ちあるんじゃないかと自負していますけれど、大半は CD 買うか Spotify などでさがせば聴けるものです、ぼくが YouTube にあげているものはですね。でも大部なボックスのなかの一曲だったりするんで買ってほしいとは言いにくく、ぜひ紹介したいという一心でやっていたことなんです。

 

ここ数年は日本でもストリーミング・サーヴィスが普及したので、そういった大きなボックスものでも一曲単位で聴きやすくなりました。だからもはやぼくのチャンネルの価値は減じているなと思うんですよ。それでもなぜサブスクライバーが増え続けるのかは、端的に言ってタダで聴けるということに尽きるのではないでしょうか。YouTube も広告を消したりできるプレミアム・プランは些少額ですけど有料ですが、ふつうは無料のままで無限に聴けます。

 

無限に聴くならひと月980円なりを払わないといけない Spotify などとはここが大きな違いですよね。月に980円くらい払ったらどうなのか?とぼくなんか思うんですけど、そんな少額でもお金のかかることは遠慮したいという向きが多いんでしょうね。そうかと思うと、YouTube で試聴してそれをきっかけに数千円の CD を買うというひともいるみたいですから不思議です。

 

とにかく、今後も増え続けるのかはわからないぼくの YouTube チャンネルのサブスクライバー数。インターネットなので世界各地のかたがたにご登録いただいているようです。あきらかな日本語名と思える登録者は現在一名だけ。なかにはどこの国のかたなのか名前では判断できないばあいもあって、いずれにしてもありがたいことです。好意的なコメントをいただけることがほとんどで、うれしいかぎりです。

 

(written 2019.12.10)

2019/12/22

エピック・イン・ジャズ、最終回は『ザ・デュークス・メン』

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https://www.amazon.co.jp//dp/B00005ULFO/

 

エピック・イン・ジャズのシリーズ(全六枚)のことをいままで散発的に書いてきましたが、いよいよ今日で最終回であります。名盤『ザ・デュークス・メン』をとりあげます。いままでもこのシリーズのことを書く際には付記してきたことをくりかえしておきますと、エピック・イン・ジャズのシリーズは、第二次世界大戦後にエピックというレコード会社(コロンビア系)が LP 形式で発売した戦前ジャズ音源(もとは SP 盤で発売されたもの)の編集盤。編集盤といいましても、一人のジャズ・マンを特集していたり、一個のテーマのもと蒐集されたものですから、アルバムとして整った体裁があります。

 

ちょっとふりかえっておきましょう。まず最初ぼくがこのシリーズのことを書いた文章はこれ。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-c36a.html

 

一個一個の単独記事のリンクも貼っておきます。参考にしてください。


『チュー』チュー・ベリー https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/post-f6efb1.html


『レスター・リープス・イン』レスター・ヤング https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2017/09/post-31f4.html


『ホッジ・ポッジ』ジョニー・ホッジズ https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/10/post-ba6c1f.html


『テイク・イット、バニー!』バニー・ベリガン https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2018/10/post-790b.html


『ザ・ハケット・ホーン』ボビー・ハケット https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2017/12/post-4f6c.html

 

さて『ザ・デュークス・メン』ですけど、エピック・イン・ジャズのシリーズでこの一枚だけが単独の演奏家をフィーチャーしたアルバムではありません。アルバム題で推察できますように、デューク・エリントンが彼の楽団のサイド・メンたちを使って実施したスモール・コンボ録音を集めたものなんです。

 

主に1930年代にデュークは自楽団からのピック・アップ・メンバーでスモール・コンボを組み、主にコロンビア系レーベルにたくさん録音を残し、当時からレコード発売(もちろん SP 盤)されました。その多くが楽団サイド・メンのリーダー名義のもので、ぜんぶかきあつめれば100曲以上もあるはずです。いまだ全貌はリイシューされていません。

 

『ザ・デュークス・メン』はそんななかから四人、レックス・スチュワート(コルネット)、バーニー・ビガード(クラリネット)、ジョニー・ホッジズ(アルト・サックス)、クーティ・ウィリアムズ(トランペット)名義のレコード音源をそれぞれ四曲づつの計16曲収録したもの。録音は1936〜39年。

 

もちろんデュークの楽団員でどのコンボも編成され、だいたい六〜七人程度のばあいが多いです。こまかいことはネットにあるディスコグラフィなどくってみてください。すぐわかります。大切なことは、これらぜんぶ「デュークの音楽」であるということです。名義こそサイド・メンのリーダー・レコードのようになっていますが、編成も全員デュークの楽団員、御大もピアノと作編曲で全面的に参加しています。できあがりの音を聴けば瞭然としていますよね。

 

さて、『ザ・デュークス・メン』収録の全16曲のうち、個人的に特に好きなのは1「レクシェイシャス」(レックス・スチュワート)、5「クラウズ・イン・マイ・ハート」、7「キャラヴァン」、8「ストンピー・ジョーンズ」(以上バーニー・ビガード)、14「ブルー・レヴァリー」、15「エコーズ・オヴ・ハーレム」(以上クーティ・ウィリアムズ)なんですね。

 

これらはいずれの曲もデュークのアレンジメントが冴えていて、このひとにしか出せないデューク・カラーがスモール・コンボ編成のなかにもくっきりと横溢しているでしょう。聴けば、エリントン楽団をそのまま縮小化したような見事なサウンドを表現できていると、万人が納得できるはずです。ピアノ・スタイルだっていかにもデューク。

 

さらに、デュークの楽団をデュークの楽団たらしてめていたのは、サイド・メンたちの色とりどりの個性、独自の音色でもありましたね。上記の曲たちではそれもフル発揮されているがため、コンボ録音でありながら、一聴してデュークがそこにいるなと強く実感できるものです。また個々のサイド・メンの実力のほどを思い知ったりもしますね。

 

ことに「キャラヴァン」はこの『デュークス・メン』に収録されているヴァージョンが初演なんです。冒頭からまるでヴァイオリンみたいな音色で吹くファン・ティゾルが魅惑的でしょう。次いで出るプランジャー・ミュートをつけたクーティ・ウィリアムズも見事。ハリー・カーニー、バーニー・ビガードと名演が続きます。いやあ、たまりませんね。御大のアレンジも絶品。
https://www.youtube.com/watch?v=mKF2qlzdwlY

 

また、続く「ストンピー・ジョーンズ」はバーニー・ビガード畢竟の名演であります。この技巧のすばらしさ、疾走するスピード感、迫力、チャームなど、どこをとってもこれ以上のジャズ・クラリネット・ソロをさがすのがむずかしいと思うほどです。エリントン楽団ヴァージョンよりも出来はいいですね。
https://www.youtube.com/watch?v=m09rAlyAYlI

 

クーティ・ウィリアムズ名義の「ブルー・レヴァリー」は、ベニー・グッドマンが1938年のカーネギー・ホール・コンサートで再現したほどの名演。これぞジャングル・サウンドともいうべきこのムードは、なんともいえず味わいがありますね。クーティとトリッキー・サム・ナントンのプランジャー・ミュートが冴えています。同様に「エコーズ・オヴ・ハーレム」も見事なジャングル・サウンドでしょうね。
https://www.youtube.com/watch?v=WHtEJxXpMIY
https://www.youtube.com/watch?v=ebjol82zTf4

 

(written 2019.12.5)

2019/12/21

猛烈なグルーヴ、すごいぞ、コノノ No.1 〜『キンシャサ 1978』

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https://open.spotify.com/album/7qhnWEhHl9uuNQUbSlSjVq?si=Tfcb3goZTcG37IOSC6M5Dw

 

今2019年にリリースされたアルバム『キンシャサ 1978』。フィジカルだと CD と LP が合体しているみたいですね。発掘&リミックス音源といっていいんでしょうか。Spotify で見るのをエル・スールのホーム・ページ記載の情報とつきあわせますと、1〜4曲目のマルタン・メソニエによる再構築が LP に収録されていて、5曲目以後の未発表音源は CD に収録ということですね。

 

それで CD 分と LP 分、どっちも四曲づつで、それぞれ一曲づつやっている音楽家もピッタリ同じ、聴いてみても…、ということであるいはぼくの推測が当たっているとするならば、『キンシャサ 1978』、LP 収録分でマルタン・メソニエが再構築しているその元の音源が CD 収録分であるということなのかもしれません。どうでしょうか?

 

ともあれ、『キンシャサ 1978』、ハイライトはどう聴いてもコノノ No.1でしょう。Spotify でこのアルバムを流していて、最初はお風呂につかりながらボンヤリと聞いていたんですけど、いきなりものすごい音楽が、それも長尺の、なんだかビリビリいうし、ナンジャコリャ〜!となったのがほかならぬこのアルバム5曲目のコノノ No.1の未発音源だったのです。いやあ、こりゃまったくもってものすごい!としか言いようがない!!

 

なにを隠そう、このときがぼくにとってのコノノ No.1初体験でした(えっ?)。そりゃあもうビックリしましたねえ。これ、親指ピアノでしょう、しかも電気アンプリファイドされていますよねえ、それがもうビリビリに歪んでいて、ノイズ寸前というか、こりゃもうほぼ(楽しい意味での)ノイズ・ミュージックでしょう。いやあ、やかましいったらありゃあしないヾ(๑╹◡╹)ノ。最高に楽しいじゃないですか。

 

背後で打楽器も聴こえますし、メンバーは(コール&レスポンスで)歌ってもいますよね。笛も入っています。でもあくまでメインはこのビリビリいう親指ピアノですね。彼らの弾くそれは同じフレーズを延々と反復しながらちょっとづつ変化させていくっていう、つまりアフリカ音楽に多いミニマル・ミュージックの手法をとっていますよね。同一フレーズの反復も、まずなんたってこの歪んだ音色が心地いいのでそれだけで延々と聴いていて快感だし、ちょっとづつズレていくことでこれまた違ったグルーヴを編み出しています。

 

親指ピアノの演奏がいったん止まって、打楽器と歌だけになり、ふたたび入ってくるあたりのスリルには本当に背筋がゾックゾクする思いです。この5曲目は28分間以上もあるんですけど、まさしくあっという間に終わってしまうような、そんな気持ちになってしまいます。もっと長く、一時間でも二時間でも、オールナイト・ロッキンしてほしいっていう、そんな感じですね。いやあ、最高にキモチええ〜!

 

同じコノノ No.1。2曲目のマルタン・メソニエによる再構築も楽しいですよね。ややテンポを落とし重心を低くしてグルーヴ・タイプを変え、そこにエレキ・ギター(?)やビート・ボックスというかデジタルなコンピューター・ビートを付与しています。そのことでやや混沌としている感もある(そこがいいんだけど)コノノ No.1の音楽を聴きやすく整理していますよね。それがいいかどうかは賛否あるでしょうけど、ぼくにはうれしかったですね。

 

5曲目のオリジナルも2曲目の再構築(いや、同じ音源であるかは不明ですけど)も、コノノ No.1の音楽は最高に激しくダンサブルで、クラブ・ミュージックとしてもカッコイイですよね。実際、世界の DJ 連中が使っているんじゃないでしょうか。名前だけは前々からよく見ていて、実は CD も持っているのに積んでいるだけになっていたコノノ No.1。完全にノックアウトされちゃいましたから、今後はどんどん聴いていきます。

 

(written 2019.12.13)

2019/12/20

オス・ノーヴォス・バイアーノスとの出会い

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https://open.spotify.com/album/5pIlMNPZh4D9iJSoCfMzGi?si=P_GHVXe6QoCudhewW7VUUA

 

オス・ノーヴォス・バイアーノス1972年の『Acabou Chorare』。これ、傑作ですよねえ。バイアーノスっていうくらいだからバイーア出身者で編成されたバンドかと思いきや、そうでもないみたいです。ブラジル各地から集まってきて、ヒッピー的なコミューンを形成していたんだそうですね。でもオス・ノーヴォス・バイアーノスについてはぼくはなにも知りません。Twitter をぶらついていて(だいたいいつもそうですけど)偶然このバンドとこのアルバムのことを知って、ちょっと聴いてみたらいいなと思っただけです。

 

アルバム『アカボウ・ショラーレ』では、どっちかというとアクースティック・サウンドのほうが多いですよね。なかには3曲目みたいにエレキ・ギターが派手に鳴るロック調のものもありますけど、例外的なように思えます。ほかの曲はほとんどアクースティック・ギターをサウンドの中心に据えたものばかりですから。

 

それで全体的にはかなり落ち着いていて、サンバ、ボサ・ノーヴァなどを基軸としながらも彼らにしかできない独自の MPB を生み出しているという感じでしょうか。アルバム中ぼくが特に気に入っているのがサンバっぽいリズムを部分的に活用した1曲目(でもサンバ楽曲じゃない)、これまた落ち着いたナイロン弦ギターの響きがいい2曲目(弾き語り?)、アルバム・タイトルになっている5曲目(ちょっぴりボサ・ノーヴァっぽいリズム?)。

 

さらにアルバム後半に来て、同語反復が楽しい8曲目(これはサンバだよね、間違いなく)、エレキ・ギターも使いやや派手なリズムがバイーアっぽいインストルメンタルな9曲目(アルバム全体はクールに落ち着いているので例外的かも、でもかなりおもしろい)、これまたバイーアっぽい跳ねるリズムのラスト10曲目(これもちょっぴりにぎやか)なども好きですね。

 

オス・ノーヴォス・バイアーノスというバンドが均質性をよしとしない雑種な集団だったように、アルバム『アカボウ・ショラーレ』も雑多な音楽で満たされていて、一個の焦点を結ばないっていうかひろがりのあるまぜこぜなところ、そのあたりもぼくはかなり気に入っています。

 

(written 2019.12.4)

2019/12/19

オルジナリウス松山公演 2019.12.17

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開演ブザーが鳴ったとき、客席はまばら。キャパ2000人の松山市民会館大ホールは半分くらいしか埋まってなかったんじゃないでしょうか。やはり松山でのオルジナリウス公演はなかなかたいへんだよなあと思ったんですけど、それでもメンバーたちは全力を尽くしてエンターテイメントに徹してくれました。CD で聴くこのヴォーカル・グループのハーモニーの楽しさがそのままステージにあったんですね。いやあ、実に楽しかったです。

 

幕が開くと、そこにはまず映画館のスクリーンのようなものがあって、ブラジル音楽、特にヴォーカル・グループの歴史が簡単に紹介されました。個人的には知っている内容でしたが、一般のお客さん向けにオルジナリウスを楽しむための必要知識として映し出されたのでしょう。それが二、三分ほどあったでしょうか、終わるとスクリーンが上がり、そこにオルジナリウスのメンバーが立っていました。

 

オルジナリウスのステージは二部構成。一部ではいままでに発売されているもののなかから、それもカルメン・ミランダのレパートリーや彼女に関連した曲を中心に、やったように思います。ブラジル音楽、それもヴォーカル・ハーモニーの楽しさをまず知ってほしいという意味でそういった構成にしたのかもしれないですね。CD で親しんでいる曲がどんどん並ぶので、おなじみの世界をあらためて味わっているような、そんな親しみがありました。ほかのお客さんたちはどうだったでしょうか。

 

どの曲のアレンジも CD ヴァージョンどおりでしたが、随所にライヴ・ステージならではというパートもふくまれていて、ライヴ・パフォーマンスで観客にアピールするという意味での、ヴィジュアル面あわせ、強調や緩急や激しさも聴けました。そういったところは CD では味わえないところですよね。特に見た目の演出、ダンスやちょっとした動作など、ステージ・パフォーマンスも考え抜かれているなと感じました。

 

日本公演ははじめてだったとはいえ、ブラジル国内外でライヴ経験を積み重ねているオルジナリウスですから、ヴォーカル面やヴィジュアル面での演出もすっかりお手のものなのかもしれないです。歌っているのは六人(男女三人づつ)。計七人のメンバーのうち一人、マテウスははパーカッション専門で歌いませんでした。そのマテウスのパーカッションなんですけど、実にうまかったですね。正確無比のひとこと。しかも柔軟で多彩、一曲のなかでも自在にリズムを変化させていました。しかもそれとわからないくらい微妙に。そのおかげで、聴き手が意識しなくても曲に陰影が生まれていましたね。

 

ライヴならではといえば、一部で「アデウス・バトゥカーダ」をやったんですけど、それへの導入部として、二名によるパンデイロ妙技のかけあいインストルメンタル・パートがありました。一名はマテウス、もう一名は歌やカヴァキーニョもやったファビアーノがパンデイロを持ちました(ファビアーノは歌のあいまあいまに打楽器を演奏していた)。バトゥカーダということで、打楽器合奏パートをくっつけたんでしょうね。

 

一部で歌った曲のなかには CD に収録されていないものだって少しありましたよ。イヴォーニ・ララの「Alguém Me Avisou」や、ジャコー・ド・バンドリンの「Santa Morena」(アンダルシアふう)、さらに一部のラストではカルメン・ミランダに提供されながら彼女は歌わなかった「Brasil Pandeiro」もやりましたね。全体的に一部は(ぼくには)親しみやすさが前面に出ていたように思います。

 

二部の出だしではちょっとビックリしました。プロテスト・ソングをやったからです。シコ・ブアルキとジルベルト・ジルの「Cálice」。1970年代のブラジル軍政下でつくられ歌われた曲ですよね。オルジナリウスもこんな社会派な曲を歌うんですね。コンサート全体をとおし、この曲でだけシリアスさが際立っていました。ここではハーモニーの楽しさよりも、リーダーのアウグストがひとりでギターで弾き語るのがメインでした。歌詞も重要ということで、一曲ぜんぶの和訳がスクリーンに映し出されました。

 

そうそう、スクリーンに映し出されといえば、ステージ背後にどの曲もぜんぶ曲紹介が出ていたんですね。だれの書いたどんな曲かという説明が日本語で出ていました。さらにいえば、メンバーがポルトガル語でしゃべる内容も大意が和訳され映し出されていたんです。盛り上げどころ(「さあみなさんもいっしょに手拍子を!」など)も出ていたし、つまりこのオルジナリウスのライヴ・ステージは全曲セット・リストが固定されていて、しゃべる内容もあらかじめ決められていたということです。

 

二部のステージではおなじみのボサ・ノーヴァ・ナンバー(「Wave」「Garota de Ipanema」)が続けざまに歌われるパートがあって、「イパネマの娘」では歓声が上がりましたから、オルジナリウス側の目論見は成功したといえるでしょう。レゲエのジョニー・ナッシュの曲をやったり、日本向けのサービスとして松任谷由美の「ルージュの伝言」をオルジナリウスふうにアレンジして日本語で歌ったり、最後のほうでは有名曲「Mas Que Nada」を客席といっしょに合唱したりなど、とことんファン・サービスに徹していましたねえ。

 

一部開幕の最初のほうではかたかった客席の反応も、二部になりどんどんほぐれてきて、最後は立ち上がって踊り出すことになりましたから、ホールの半分しかお客さんが入っていなかったとはいえ、結局はオルジナリウスの音楽の楽しさが伝わったと言えるでしょう。その意味でも大成功のライヴでした。なによりぼくはたいへんに楽しかったし、前後左右に座ったお客さんの反応から同様に感じていることが伝わってきました。

 

音楽的は聴きやすい洗練されたハーモニー・ワーク、微妙に変化して曲にダイナミズムをもたらす陰影に富むリズム表現など、意識しないとわからない程度ですけど、たんにわかりやすく底抜けに楽しいヴォーカル・グループというだけでなく、いや、その魅力を最大限に発揮するために凝らされた工夫も聴きとれて、なかなかうなる場面もあって、収穫がありましたよ。ステージのラストのほうでは、もうすぐ次のアルバムがリリースされることも言われましたので、楽しみです。

 


セット・リスト
(一部)
・South American Way
・Na Baixa do Sapateiro
・Tico Tico No Fuba
・Linda Flor
・Disseram Que Eu Voltei Americanizada
・O Samba E O Tango
・Adeus Batucada
・Auguém Me Avisou
・Um Chorinho Em Cochabamba
・Santa Morena
・Brasil Pandeiro

(二部)
・Cálice
・A Rã
・Estrada do Sol
・Wave
・Garota de Ipanema
・André de Sapato Novo
・Baião de Quatro Toques
・I Can See Clearly Now
・ルージュの伝言
・Cantar
・Mas Que Nada
・Feminina
・O Que É Que A Bahiana Tem

 

(written 2019.12.18)

2019/12/18

ミナスなシルヴァーナ・マルタが最高に心地いい

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https://open.spotify.com/album/6GeWlySIuLs478aEfKRIrE?si=lo6LZkcjRmSzhiVaqD3C9Q

 

いやあ、こりゃあいい音楽です!傑作でしょう。最高に気持ちいい、デンマーク在住のブラジル人歌手シルヴァーナ・マルタの『Céu De Brasilia』(2005)。プロデュースがトニーニョ・オルタで、演奏にもギター(と一部ヴォーカルでも)で全面参加(打楽器はアイアート・モレイラ)。それを知らなくたって聴けばミナス音楽だなとよくわかります。

 

ミナス嫌いなぼくでも、このシルヴァーナのアルバムには完全降参なんですね。なんたって気持ちいいんだも〜ん。アルバムはいかにもミナス派らしい、フワ〜っと漂うアンビエンスみたいな曲と、ビートの効いたグルーヴ・ナンバーに大別できると思いますが、どっちもすばらしく、ミナス音楽の(ぼくにもわかる)美点が完璧100%表出され、結晶化したような、奇跡の宝石ですね、これは。

 

1曲目のナイロン弦ギター刻みからしてたまらない快感ですが、そうかトニーニョってこういうギターを弾くんですね。それにスキャットでシルヴァーナがからんでいくあたりから最高のムード。ミナスらしくこのアルバムでのシルヴァーナは歌詞をあまり歌わず音だけでハミングのようにして乗っかっていることが多いんですね。それが心地いいんです。

 

アイアートも入ってきて1曲目はかなり強くグルーヴするようになりますが、そうなってからはまるで夢心地ですよ。こんなオープニングだけで傑作アルバムだとわかりますが、ミナス派らしいアンビエンスの2、4曲目だって気持ちいいですよ。たぶん個人的にはウェイン・ショーター+ミルトン・ナシメントの『ネイティヴ・ダンサー』で聴き慣れているおかげなんでしょうね。もっとも2曲目は途中から軽めのビートが快活に効きはじめます。そんなところもいかにもミナス。

 

3曲目なんかファンキーですらあって、いいなあこりゃ。個人的にこのアルバムでいちばんのお気に入りがこれです。シルヴァーナのスキャットも歯切れよく快調、ビートも跳ねているし、いやあ最高に気持ちエエ〜。途中から叫び声のように入ってくるのはたぶんアイアートでしょう。その部分では本当にビートが強く効いていて、打楽器群がにぎやかで、もうたまりません。ミナス音楽もこんなのばかりなら大好きなジャンルなんだけどな〜。

 

4曲目でのトニーニョのエレキ・ギター・ソロはまるでパット・マシーニーみたいで大好きですねえ。って順序が逆ですけども、トニーニョのギター・スタイルがパットに大きな影響を与えているんでしょう。それにしてもこの盛り上がるセンティメント、最高のフィーリングじゃないでしょうか。箱物ギターじゃないと出せないこのサウンドがいい。ブラシでバッキングするアイアートもうまいです。

 

ナイロン弦ギター一台だけの伴奏でシルヴァーナがしっとりと歌うバラードの7曲目もすばらしいし、こういったのはミナスうんぬんじゃなくて普遍的な美ですね。これが終わると、ふたたびビートが軽く効いている8曲目が来るし、ラスト9曲目は典型的なミナス・ミュージックみたいな曲で、これも快感。シルヴァーナの声質がぼくにはピッタリくるせいなのか、大傑作アルバムだとしか思えないですね。トニーニョのプロデュースも完璧でしょう。

 

(written 2019.12.3)

2019/12/17

アラブ歌謡を歌うイスラエル人歌手 〜 ディクラ

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https://open.spotify.com/album/07ueGqxIoWBae75gO1KIgE?si=wF6kOi_-Rim8KJS5TRt_9g
(11、12曲目はリミックスの模様)

 

どうもこのディクラ(Dikla) というひとはイスラエルの歌手らしいんですが、やっているのはアラブ歌謡ですね。母がエジプト出身、父がイラク出身ということで、そんなルーツも関係あるのかないのか、でも最近イスラエルではアラブ音楽をやるのが流行っていうか、けっこうやっているひといますよね。そんな流れのなかにディクラもいるのかも。イスラエルでは人気の歌手なんだそう。

 

そんなディクラの2014年盤、Spotify ので見ると(一部の英語を除き)チンプンカンプンですが、ぼくがこのアルバムを発見したエル・スールのホーム・ページ情報によればライスから日本盤も出ているそうで、そのタイトルが『別れの予感』。エル・スールの HP には曲目の日本語題も掲載されています。ディクラが歌っているのはイスラエルということでヘブライ語のようで、一部は英語ですね。
http://elsurrecords.com/2019/11/11/dikla-if-we-should-part/

 

つまりなんだか別れの歌、愛の歌ばかりということみたいです。聴いてみると、たしかにそんな哀感が流れているように聴こえますが、しかしアラブ歌謡の世界によくある濃厚で強い情緒をグリグリと表現するという感じではないですね、このディクラは。もっとあっさりというか、ときにフォーキーさすら漂わせ、サラリと流すように歌っています。こういったスタイルの持ち主なんでしょうかね。

 

伴奏もアクースティック・ギターやあっさりめのエレキ・ギターがわりと使われていて、ちょっぴりアメリカンなロックっぽい雰囲気もあります。リズム・セクションも米英ポップスのそれ。その上にシンセサイザーなのか生演奏か、ストリングスも乗っかっています。伴奏陣のアレンジも決して濃すぎず、流れるようなシンプルさで(アラブ歌謡にありがちな)おおげささがないのがかえっていいです。

 

そしてディクラの濃くないあっさりヴォーカルが乗っているというわけです。ディクラはコブシもほとんどまわしませんし、ヴィブラートもつけませんし、声も揺れていません。アラブ歌謡という世界のなかでは珍しいんじゃないかと思わないでもないですけど、こういうひともいるんでしょう。ちょっぴりジャジーで、ときたまラテン・テイストも聴けますね。10曲目なんかはいかにもなオリエンタルなエキゾ風味で、ぼくは好きですね。

 

(written 2019.12.2)

2019/12/16

岩佐美咲杯少年サッカー大会(夢)

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またもや今朝見た夢の話です。その夢のなかでぼくは少年サッカーの大会に出場していました。プレイイング・マネージャーとして。監督としてなら問題ないとして、少年サッカーの試合なのに中年のぼくが選手として出場するなんてオカシイですけど、そこは夢だから。見た夢のなかでやった試合は一つだけですが、なにかの大会だったように思いますので、たくさん試合があったでしょう。

 

その少年サッカーの大会は、なんと<岩佐美咲杯>と銘打たれていたんですね。ここが音楽と結びつくところなんですけど、サッカーの世界では、たとえばスペインの国王杯とか日本の天皇杯とか、個人名を冠した大会はよくあるんです。でも岩佐美咲杯とか、いち歌手名を冠したカップ戦なんて、たぶん聞いたことないですよねえ。

 

ところでいまでこそ音楽ひとすじでやっているようなぼくですけど、若いころサッカー選手だった経験があるんですね。だからこそサッカーをプレイする場面が夢に出てきたわけですけど、実は指導者としての経験もあります、というとちょっとおおげさですけど、東京での大学教員時代にサッカー・サークルの顧問を長らくやっていました。練習(内試合も)を見にいってアドヴァイスしたりなんてことがよくあったんです。いっしょにボールを蹴ったりもしていましたよ。

 

それにくわえ、いまは熱心な岩佐美咲ファンですから、それで今朝方見た夢のような内容になったんだと思います。ぼくがプレイイング・マネージャーとして出場した試合では、なぜだか岩佐美咲の歌が BGM としてずっと試合会場に流れていました。笑っちゃうでしょう、そんなこと、現実のサッカーの試合ではありえないことです(サポーターが応援のチャントをずっと歌っているのは日常ですけど)。でもそこは夢だから。

 

しかもですよ、その BGM として流れていた岩佐美咲の歌は、なんと新曲だったんですよね。聴いたこともないのにどうして新曲とわかるのか不思議な気もしますが、カヴァー・ソングじゃないし発売されているオリジナルでもないしということで、来2020年に発売されるであろう新曲なんだなと判断しました。

 

出場したサッカーの試合会場で流れていた岩佐美咲の新曲は、かなりハッキリと鮮明に流れていましたねえ。どんな感じの曲だったのか?それはもうだいぶ忘れてしまいました、が、おぼろな記憶をたぐって書いておきますと、たぶん演歌というより歌謡曲 or ポップスみたいな軽い曲調で、しかしながらズンドコのマーチ調で(ヘンですよねえ)、親しみやすいメロディと歌詞だったように思います。決して激烈濃厚演歌ではなかったです。もっとポップなフィーリングでした。

 

これはあれでしょうか、岩佐美咲の新曲がそろそろ来年二月あたりに発売されるであろうことが予想されているわけで、だから水面下でもう活動はしているはずでしょうし、ってなことが岩佐美咲ファンのみなさんのあいだでも話題になっているしぼくも最近ふだんから気にしているし、というようなことがあるので、夢に出てきたんでしょうかねえ。

 

しかし起きているあいだに聴いたことのない新曲が夢のなかで鮮明に鳴るというのも不思議な話です。ぼくのばあい、そんな感じで未知の音楽を夢で聴くということがときたまあるんですね。たいていは知っている音楽に類似したものが聴こえる、既知の音源要素を組み合わせて未知が鳴るということなんですけど、今朝夢で聴いた岩佐美咲の新曲は、なんだかかなり新鮮な、つまりまったく聴いたことのないものでした。

 

そんな岩佐美咲の(仮想)新曲を耳にしながらチームの少年たちやぼくはサッカーの試合を戦ったんです。一試合だけ。ぼくはけっこう活躍しましたよ。ポジションは(現役時代そのままの)右サイド FW。これはもう体が憶えている、刻み込まれている動きの記憶なんで、そのまま夢に出たんでしょうね。少年たちに混じって、監督だから指揮もしながら、けっこうオジサンがんばりました。

 

大会が終わったら、優勝チームに、振袖姿の岩佐美咲から優勝杯(岩佐美咲杯)の贈呈とことばがありました。ぼくらは負けちゃったんで、もらえませんでしたけれども。終わってロッカー・ルームへ帰る会場内の道すがら相手チームのメンバーから「あんたがいちばんすごかったよ」となぜか英語で褒めてもらいました。うれしかったなあ。

 

(written 2019.12.15)

2019/12/15

仮想コルトレイン・カルテット? 〜『ザ・リアル・マッコイ』

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https://open.spotify.com/album/22HoIP0ai6Wikh4R8yM0AX?si=B-q0t7QCSLGBZdF6eNXVwA

 

マッコイ・タイナーのブルー・ノート盤『ザ・リアル・マッコイ』(1967)。マッコイ、ジョー・ヘンダスン、ロン・カーター、エルヴィン・ジョーンズという鉄壁の布陣です。このアルバムでは1曲目の「パッション・ダンス」と3「フォー・バイ・ファイヴ」がなかでも抜きに出てすんばらしいと思うんですね。特にマッコイとエルヴィン。ふたりともすでにジョン・コルトレインのバンドを離れていましたが、ここでは本当に息ピッタリの超絶プレイぶり。

 

そんな二名にあおられてかテナー・サックスで参加のジョー・ヘンダスンがまるでコルトレインばりの吹きっぷりですから、ワン・ホーン・カルテット編成のこのアルバムは、さながら仮想ジョン・コルトレイン・カルテットとでもいうような内容といえるでしょうね。1967年といえば夏にトレインは亡くなりますが、もしもフリーというかアトーナルな世界に踏み込まずメインストリーマーのままでいたらトレインはこんな感じになった、というようなものとして聴けるのかも。

 

ともあれ1曲目の「パッション・ダンス」。曲題どおりの激しい演奏で、パッショネイトで、これはなかなかの聴きものです。四人ともすばらしい演奏ぶりですが、特にドラムスのエルヴィンのかっとびぶりが目立ちます。テーマ演奏部でのこの複雑に入り組んだリズム表現など、どうでしょう、すごいじゃないですか。シンバルやリム・ショットの使いかたなど、目を見張るものがありますね。

 

もうそのエルヴィン爆発のテーマ演奏部を聴いただけでこの「パッション・ダンス」のトリコとなってしまうほどですが、アド・リブ・ソロ部になるとエルヴィンはいったん落ち着いてやや定常表現にいたります。しかしそこからはマッコイとジョーヘンが熱い演奏をくりひろげているので、熱は冷めないですね。マッコイはトレインのバンドでこれくらい演奏していたと思いますが、二番手で出るジョーヘンもかなりのものですよ。

 

ほぼトレインが(死ぬ前だけど)乗り移ったようなそんなテナーの吹きっぷりをジョーヘンは聴かせてくれているなと思うんですね。ときどきフリーキーに音がかすれたりしている部分など、まるでソックリ。三番手でエルヴィンのドラムス・ソロもありますが、マッコイ、ジョーヘン二名の激アツなソロ内容と、テーマ演奏部でのエルヴィンの複雑な叩きっぷりで、この曲「パッション・ダンス」は決まりです。最終テーマ演奏後のマッコイとジョーヘンの掛け合いも熱いし、いやあ、見事な8分47秒です。

 

ちょっとひょうきんなテーマを持つ3曲目「フォー・バイ・ファイヴ」でのマッコイとジョーヘンもソロがすばらしく熱いですが、ハービー・ハンコックっぽい新感覚のバラードである4曲目「サーチ・フォー・ピース」も完璧なる新主流派スタイル。また、ちょっぴり古めの題材というふうに聴こえるほかの二曲でも、演奏内容は新世代のものとなっていて、特にラスト5曲目なんかただのブルーズなんですけど、こういう感じにやるのが1967年当時の新世代的ジャズ・ブルーズ表現だったんでしょうね。

 

(written 2019.12.1)

2019/12/14

音楽系サブスクは流し聴きになりがち??

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という意見をネット上でいくつも見ています。Spotify や Apple Music などストリーミング・サーヴィスのことですね。だからしっかり聴くにはフィジカルに向かいがちなんだそう。でもこれ、はたして真実でしょうか?すくなくともぼくには当てはまりませんので、普遍的な真実とは言えないでしょう。

 

主に経済的理由によって、今年の七月末ごろからぼくはもうほとんど CD を買わなくなっています。こんな作品があるんだと知ったばあい、すぐに Spotify でさがす癖がすっかり身につきました。あればそのまま聴き、なければ CD がないかどうか見てみますけど、見つかってもあまり買わなくなりましたね。習慣とはおそろしいものです。

 

で、それまで CD か、そこからインポートした iTunes ファイルで舐め尽くすようにしっかり聴いていた音楽作品を、いまは Spotify で聴いていて、同じことができているという自覚がぼくにはあります。ブログでとりあげて書いているアルバムなどだって、もうフィジカルではぜんぜん買ってないんですよ。サブスクで聴いて感想を書いているだけです。

 

それでもたんなる流し聴きしかできないとか向き合えないとか、そんなことはないです、ぼくのばあいはですね。もちろん試聴機みたいな使いかたもしているんですけれど。これはどんなもんかなとちょっと覗いてみるということですけど、それでなかなかよかったから CD を、とはもはやいまのぼくはなっていないです。そのままもう一回しっかりと Spotify で聴きなおすだけです。

 

音楽をしっかり聴いて、なんらかの感想を持つとか文章を書くとか、そういったことがサブスクではやりにくいというのは、だから幻想だと思うんですよね。世代っていうか、いや、ぼくも高齢、ではないにせよそこそこいい歳です。レコード、CD 世代なんですけど、いまやすっかりサブスクに移行してしまいました。

 

部屋のなかで、外出・旅行先で、移動の交通機関のなかで、ただ BGM 的にだらだら流し聴きにするのも Spotify ですけど、さぁ聴くぞ!と気合を入れてというか腰を据えてしっかり向き合うのも Spotify なんですね、ぼくはね。みなさんのことはわかりませんし、ぼくのこの態度というか習慣はどうだなんていうつもりもさらさらないんです。個人的にはこうなっているよというだけの話です。

 

でも最低でも一人、あるいはたぶん何人もいるでしょうから、サブスクというかストリーミングがしっかり聴きに向かないとか、フィジカルじゃないと聴き込めないとか、そんなことはないんだぞということだけは言えるなと思うんですね。ネットで見つからないものはフィジカル買えばいいよねと思うんですけれど、いったんネット聴きの習慣が身に染みてしまうとそうならなくなるのは、ちょっと考えないとなとは思っています。

 

とにかく、音楽系サブスクは流し聴き、試聴しかできないとか、しっかり聴きはできないとか、そういった言い分は、そういうひともいればそうでないひともいるっていうだけのことだとは確実に言えます。たんなる習慣とか癖の問題でしかないでしょう。ぼくもしばらく時間がかかったのではありますけれども。

 

(written 2019.12.1)

2019/12/13

中近東ふうなステファン・ツァピス

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https://open.spotify.com/album/7EOcJa8Qt7t6I69fZkx9cy?si=XmIzzcfBQqKaPdSn0lr2Dg

 

ギリシアとフランスにルーツを持つらしいステファン・ツァピス(Stéphane Tsapis)は、パリ在住の新世代ジャズ・ピアニスト。しかしその2019年作『ル・ツァピス・ヴォラン』で印象に残るのはピアノ演奏ではなく、女性ヴォーカル陣ですよね。もちろんピアノ演奏を聴かせるインストルメンタル・ナンバーだっていくつもありますよ。それらだって楽しいんですけれども。

 

そんでもってインスト・ナンバーでもヴォーカル・ナンバーでもこのステファンのアルバムで一貫して感じるのはアラブというか中近東風味ですね。このピアニストの出自とか現在の活動地とか見ていると、中近東の音楽と関係あるのかないのかよくわかりませんけど、このアルバムではわりとはっきりしたアラブ音楽の音階と旋律つくりを聴きとることができるなと思います。

 

そんなところがぼくのお気に入りになっているところなんですけど、曲によって哀感を持ちながらふわっとヴェールのように漂ったりするものもあれば、強く鮮明にグルーヴィなものだってありますね。グルーヴ・ナンバーではそのリズム・タイプも中近東音楽ふうにぼくには聴こえ、これ、いったいどこが新世代ジャズ・ピアニストなんですかね。

 

いや、けなしているわけじゃなくて、このアルバムみたいな音楽やそれをやる音楽家なら好きです。曲はもちろんぜんぶステファンの自作でしょうし、女性ヴォーカルのアレンジもやっているはず。ヴォーカルにしっかりした歌詞らしいことばはないばあいが多く「あぁ〜」「うぅ〜」とか言っているだけで、まるで立ち込める幕とか霧みたいなヴォイス活用法ですね。ちょっとアンビエンスっぽい?6曲目は日本語が使われています。どう聴いてもネイティヴの日本語話者ですね。

 

そういえば、ステファンのピアノ演奏によるメロディ・ラインも、無国籍ふうと思わせながら、やっぱり中近東のアラブふうなところが漂っていますし、それに<オリエンタル・ピアノ>とクレジットされているものも弾いているみたいで、それはどの音でしょう、この(アメリカでいえば)ホンキー・トンクなタック・ピアノみたいな音がそうなんでしょうか?アルバムではエレピも使われています。

 

オリエンタル・ピアノ(というのがなんなのかイマイチわかりきりませんが)だけでなく、ふつうのアクースティック・ピアノでも、ステファンはわりと中近東音楽ふうなフレイジングをしていますから、女性ヴォーカルのラインもそれにあわせて同趣向にアレンジしているというわけで、全体的にミステリアスなムードも漂わせ、なかなか雰囲気のある好作品だと思います。

 

(written 2019.11.30)

2019/12/12

モダン・ジャズがいいなと思うとき

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それはあからさまに楽しげでもあからさまに哀しげでもなく、ニュートラルっていうか情緒感が中間的っていうか曖昧っていうか、乾いているのが助かると思うときなんですね。聴き手であるぼくのフィーリングがなにか特定のネガティヴな落ち込み傾向にあるときに、聴く音楽が共振を起こすような暗いものでもダメだし、あまり明るく楽しげでもシラけてしまうっていう、そういうときモダン・ジャズだと助かります。

 

だからそういった情緒感をモダン・ジャズは消していると思うんですね。一般にジャズはそうかもしれませんけど、ビ・バップ勃興前までの古典ジャズだとすこし違うような気がぼくはします。もっとこう、はっきりした感情表現があったと思うんですね。ふだん、ぼくはそういった音楽のほうが好みです。ジャズだって古典ジャズのほうがどっちかというと好きですからね。あまり抽象的じゃありませんし。

 

ビ・バップ革命によってジャズはそうした感情表現を、失ったというと語弊があるかもですけど、消す方向へ進んだなあと思うわけです。チャーリー・パーカーがラヴ・バラードを演奏するのを聴いて、ああすばらしい表現だとは思うものの、うれしいとかかなしいとか、そういった特定の情緒を感じることはないでしょう。パーカーだけじゃありません、一般にモダン・ジャズとはそういったものです。

 

それは決して悪いことじゃないんですね。ジャズ・ミュージックが、ある一定の表現領域に踏み込むためには必然的な展開でした。そして、そういったモダン・ジャズの無情緒感が、聴くときの心境によってはこっちの気持ちに寄り添ってくれるなと思うときが確実にあるんです。楽しいときうれしいときは、だれだってそれを増幅したいでしょう、だからそうなる音楽を聴けばいい。ですけれど、暗く哀しいとき、あるいはつらい気分のときは、それを癒してくれる音楽がいいです。

 

ぼくのばあいもその癒しを与えてくれる音楽がいろいろとありますが、モダン・ジャズの、あたかも一見聴き手の心境を撫でてくれたりはしないような乾いた硬質でニュートラルな感じが、かえってこっちの心境にピッタリくるなと感じることも多いんです。もちろん鄧麗君(テレサ・テン)とか原田知世とか、あるいは岩佐美咲など、それなりにぼくも癒しの音楽を持っていますけど、モダン・ジャズもいいんですよね。

 

(written 2019.11.30)

2019/12/11

ルンバ・コンゴレーズが楽しすぎる 〜『コンゴ・レヴォルーション』

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https://open.spotify.com/album/3Sepc0LPMxIfShjWQ31B9G?si=Dw9g0mvqSPWj-kYy2OUcCg

 

コンピレイション盤『コンゴ・レヴォルーション:レヴォルーショナリー・アンド・エヴォルーショナリー・サウンズ・フロム・ザ・トゥー・コンゴズ 1955-62』(2019)。1955〜62年のシングル盤録音集で、これ、かなり楽しいですよ。コンゴの独立は1960年。だからちょうどその直前直後の音源集ということになりますね。収録されているのは、ほぼすべてが(コンゴのいわゆる)ルンバみたいです。そ〜れが!もうどれもこれも楽しいんですよ。

 

アルバム『コンゴ・レヴォルーション』を聴いていって最初に、いや、どれもいいんですけど特にオオッ!ってなるのが4曲目、Edo et O.K. Jazz の演奏です。こりゃ最高じゃないですか。このグルーヴがですね、超キモチエエ〜!ところでこのコンピレイションにはフランコのバンドの演奏がわりと入っていると思うんですけど、Edo et O.K. Jazz っていうのはどうなんでしょう?O.K. Jazz となっているのはぜんぶフランコのバンドですか?なにもわかっていません。

 

そういえば以前 Astral さんもおっしゃっていましたね、フランコのバンドはストリーミングで見ると名義がさまざまだから探しにくいと。ぼくもこれを実感しています。『コンゴ・レヴォルーション』だと、フランコの名前が出ているのは一曲だけですけれども(8曲目)、ほかも O.K. Jazz となっているのは同じバンドなんじゃないかと思えないでもないです。

 

そのフランコの名前の出ている8曲目なんかも、たいへんまろやかな味わいで、これぞルンバ・コンゴレーズ、いやすばらしいですね。これを聴き、ほかの(フランコとの記載なくとも)O.K. Jazz となっている曲を聴けば、やはりこりゃ同じフランコのバンドですよねえ?違います?とにかくどれもコクのあるいい味わいで、グルーヴィだし、こんなにも楽しめる音楽って世界でほかにはすくないでしょう。

 

そのほか『コンゴ・レヴォルーション』だと、たとえば African Jazz と書いてあるものもすんごく楽しいですよね。11曲目とか17曲目、20曲目など、文句なしの極上グルーヴ。楽しいったらありゃしない。フランコのバンドでもそうですけど、エレキ・ギターの弾きかたがまろやかで、たいへんぼく好みです。ルンバ・コンゴレーズはどれを聴いてもそうですけどね。

 

12曲目の Dewayon, Conga Jazz だってエレキ・ギターと打楽器の使いかたが最高で、グルーヴィだし、15、18曲目の Rock-A-Mambo もすばらしい。いやホント、このコンピレイション・アルバム『コンゴ・レヴォルーション』は楽しすぎますよ。時期としてはコンゴ独立前後にあたるということで、音楽的にはルンバ円熟期じゃないでしょうか。キューバ音楽からの影響もよくわかります。

 

(written 2019.11.29)

2019/12/10

倦怠期ブログ Black Beauty?

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2015年9月3日にはじめてからの数年間はこのブログの記事用の文章を書くときに、書きながらハイになって脳が興奮状態で、どんどん書きまくっていたぼくも、最近、いつごろからかな、今年の夏くらいからかな、(よく言えば)落ち着いてきて(わるく言えば)気分が萎え気味で、文章を書き終えても、なんらの達成感、到達感もありません。

 

これはこんなもんなんでしょうか?こんなにどんどん文章を書きまくる数年間というのは人生初で、だからよくわかっていないんですけど、音楽関係の文章を書いて自分で楽しいとかおもしろいとかいうような感覚がやや失せ気味になってきているような気がします、ここ数ヶ月間は。はじめの三年ほどあんなに充実していたのが、まるでちょっとウソのような感じに、いまなってきているんですね。

 

それでも取り組めばいちおうなにがしか書き上がりますし、内容的にちょっと落ちたかな?と思わないでもないですけど、それでも以前とそんなに大きくは変わらない一定水準は保持できているかなという気がします。しかし夢中でキーボードを叩いていたあの感覚はもはやなく、ある種醒めているというか、のめり込みが弱くはなっているんですけれども。

 

あと、執筆時間が短くなっています。それと並行するように文章も短めになってきていますよね。以前は一個の記事を書くのに一時間半くらいかかっていましたが、いまは約30分ですね。文章が短めになっていることも一因ですが、なんだか熱心に取り組めないのでもうこのへんでいいや、と思って終わらせてしまうことが多いんですね。

 

短めといいましても、以前のぼくに比べてということですから、みなさんのブログを拝見しているとぼくの文章はまだまだ長いようです。書きはじめれば一定の長さを書かずには終われないという、一種のこう(無意識の)強迫観念みたいなものがぼくのなかにあるかもしれないですね。もうちょっと気を楽に持って、もっとドラスティックにグッと短い文章でもいいんだぞ、と自分に言い聞かせたいところです。ホントもっと短くてもいいんですよねえ?

 

音楽を聴いての感動、興奮、感銘は変わらずなんですけど、そこからブログ用に文章を書く際に、もはや熱意がない、ってことはないけれどやや冷めているだとか、書きながら(特に書きはじめで)ちょっと気分が萎えてしまうこともあるだとか、それでも柳美里さんのおっしゃる「ダメだと思ってもあきらめずに書き続け」るのがコツだということばを支えになんとかやっていますけど(途中から気分が乗ってくることも多いし)、こんなこと書いてもなぁという気分に襲われることだってしばしばです、最近は。

 

しかしですね、過去のぼくのブログ記事をたまに読みなおしますと、まさに「こんなこと書いてもなぁ」といったようなことが満載で(苦笑)、よくこれで書いていてイヤにならなかったもんだ、恥ずかしくなかったのかと思いますが、若かったというか青かったというか、なにもわかっていなかったんでしょうね。そう考えれば、いまはちょうど成長途上、そのさなかだというような、そんな一種のプラトー状態にあるんでしょうか?

 

(written 2019.11.29)

2019/12/09

カリブふう?ギリシア歌謡 〜 エレフテリア・アルバニタキ

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https://open.spotify.com/album/1imoPbwErKi20kI9JfJ4EM?si=7DK8MrczRjKuNEiOrxrhGA

 

エレフテリア・アルバニタキという読みでいいんでしょうか、ギリシアの歌手 Eleftheria Arvanitaki の2019年作『Ta Megala Taxidia』がなかなかいいですよ。紹介してくださっているエル・スールのホーム・ページになにも記載がないですからくわしいことはわかりませんけど、現代ギリシア・ポップスですかね。歌声を聴くとそんなに若い歌手じゃなさそうに思えます。

 

このアルバムでまず惹かれるのは、1曲目にアバネーラのリズムを使ってあるというところですね。カリブふうギリシア・ポップス?おかげで汎地中海的なニュアンスも感じられます。とにかくアバネーラが好きで好きでたまらないもんですから(ぼくは「ラ・パローマ」の熱狂的愛好家)、このリズムが使ってさえあればどんな音楽でも好きになれそうな気がします。

 

エレフテリアのこの1曲目のばあい、ギリシアふうな哀感こもる情緒よりも、陽光のもと青い海に臨んでいるような、そんなカラッとさわやかなフィーリングが漂っていますよね。これはリズムにアバネーラが使われているせいなだけでなく、メロディ・ライン、和音構成やアクースティックな弦楽器をうまく活用したサウンド・メイクにも理由がありそうです。

 

エレフテリアのヴォーカルもさっぱりしていて、かといって乾きすぎずちょうどいいリリカルさもあって、しっかりしているし、聴きやすくていいですね。そんなに強く声を張ったりはしない歌手のようで、スムースにスッと歌っているみたいなんですね。軽く舞っているような、しかし地に足を下ろした、フレイジングも感じられ、いい感じですね。

 

カリブふうとか汎地中海的という点でいえば、アルバム・ラストの9曲目もそんなフィーリングをぼくは感じます。それよりはギリシア的哀感のほうが強い曲かもしれませんが、2〜8曲目とはあきらかに違っていますよね。そんなには明るくもないけれど、ちょっとさっぱりしてさわやかな雰囲気が漂っているでしょう。この曲もかなり好きですね。エレフテリアがふわっと軽く歌っているのが印象に残ります。

 

こんなカリブふうな地中海歌謡にはさまれた2〜8曲目はいかにもギリシア歌謡といった趣で、おなじみの路線です。ところでギリシア音楽って、それにしかない音階使用があるんですかね。なんだか歌のメロディ・ラインを聴いていると、世界のほかのどこの音楽でも聴けない、すぐにこれはギリシアだなと判別できる動きがあるように思うんですけど、それがこの独自の哀感とか濃い情緒表現に結びついているのでしょうか。どなたか楽理にくわしいかた、教えてください。

 

たったの31分間とこじんまりしたアルバムですし(だからといってミニ・アルバムとか EP とかっていうわけじゃない)音楽的に特筆すべきものじゃないのかもしれないですけど、1曲目のアバネーラが印象的ですし、全体的にもきれいにまとまって、歌手の歌いかたもしっとりしていて好感が持てるいい内容だと思います。

 

(written 2019.11.28)

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