2020/09/24

聴きやすく楽しいからこそ『至上の愛』〜 ジョン・コルトレイン

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(8 min read)

 

John Coltrane / A Love Supreme

https://open.spotify.com/album/7Eoz7hJvaX1eFkbpQxC5PA?si=7Q12L9oSSpO33KUv-d7ucw

 

きのう書いたSpotifyプレイリスト『ポール・サイモン:インフルエンサーズ』の末尾にアルバムまるごとぜんぶ収録されていたので、それでふたたび聴いたジョン・コルトレインのアルバム『至上の愛』(1964年録音65年発売)。大好きなアルバムですが、なぜ好きかというとポップで聴きやすいからなんですね。このことはだいぶ前にも一度書きましたが、時間が経ちましたし、またもう一度いまの気分を記しておこうと思います。以前の記事はこれ↓
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-02e1.html

 

それで、コルトレイン1964年の名盤だからといって、精神性とか神とか苦闘とか求道とか聖者とか、そんなことが頭にあっては『至上の愛』の音楽を楽しむことはできません。日本でもかつて1960年代後半〜70年代前半に、主にたぶん(一部の)ジャズ喫茶界隈を中心に、くりひろげられていたらしいそんな言説は、もはや時代が経過して意味を失ったんですから、2020年にもなっていつまでもそんなことにこだわる必要なんてありませんし、言われてもうっとうしいだけです。

 

それにそんなことが念頭にあると、音楽をストレートに楽しむことができなくなるでしょう。シンプルに音に耳を傾ければ、コルトレインの『至上の愛』は聴きやすく、ポップで、楽しくて、しかもとてもわかりやすいイージーな作品であることに気がつくはず。大上段に構えたような四曲の曲題なんかはあまり意識せず、楽な気持ちでリラックスして聴いてみましょう。

 

1曲目「パート1:承認」では、まずカデンツァみたいなイントロ部からはじまりますがそれは短くて、すぐにジミー・ギャリスンの弾くベース・リフが入ってきます。明快なメロディ・パターンを持つこのベース・リフはずっと反復されていて、しかもその音列は、あとになってバンドで合唱する「あ、ら〜ゔ、さぷり〜む」というヴォーカル・コーラス・パートと同じものです。あらかじめかっちり構成されていたことがわかりますね。

 

「パート1:承認」では、サックスが演奏するテーマみたいなものはなくて、そのベース・パターンの反復の上にすべてが成り立っているという、つまりちょっとマイルズ・デイヴィスの「ソー・ワット」みたいな、あるいはもっと言えばファンク・ミュージックみたいな、つくりなわけです。コルトレインのソロも決して逸脱せず、きっちり整然とした一定範囲のなかにおさまった美しいものですよね。聴いていてリラックスできます。

 

注目したいのは背後でエルヴィン・ジョーンズが一曲ずっとポリリズムを叩き出していることです。ちょっとラテン〜アフリカ音楽のそれっぽいなと感じますが、オスティナートになっているベース・リフとあわせ、この曲の推進力となり、上に乗るトレインのきれいに整ったソロを支えているんですね。同じ音列であるベース・リフと「あ、ら〜ゔ、さぷり〜む」という合唱のメロディは、とっつきやすく聴きやすい、明快でポップな感じに聴こえるんじゃないでしょうか。

 

2曲目「パート2:決意」でも、ベースに続きまず出るトレイン吹奏のテーマ部が聴きやすい楽しいメロディじゃないですか。歌えるようなはっきりしたわかりやすいラインです。そのままトレインのソロになだれ込むかと思いきや、今度はマッコイ・タイナーのピアノ・ソロ。これは従来的なモダン・ジャズの範疇から決して出ない常套的なソロ内容だなと思えます。この2曲目でのエルヴィンはわりとおとなしいですね。ビートも4/4拍子のメインストリーマー。二番手でトレインのソロが出ます。1曲目でもそうなんですが、テーマの変奏というに近い内容ですよね。

 

つまりここまで破壊や逸脱などなにもない、聴きやすい王道ジャズの楽しさがあるっていうわけなんです。最近ぼくがハマっているのは3曲目「パート3:追求」ですね。レコードではここからB面でした。 エルヴィンのテンポ・ルバートのドラムス・ソロからはじまりますからいきなりオッ!と思わせますが、トレインがビートを効かせながら入ってくると、そのままマッコイのピアノ・ソロへとなだれこみます。

 

そのマッコイのソロ、かなり内容がかなりいいんじゃないでしょうか。右手のアグレッシヴなタッチでぐいぐい攻めています。たぶんこのアルバムで聴けるピアノ・ソロのなかではいちばんの出来ですね。そしてこのことは、続く二番手トレインのソロについてもいえるんですね。アルバム中いちばんすぐれたサックス・ソロで、熱く燃え上がり、ときどき音色もフリーキーになりかけたりなどしながら、かなり攻めています。スケール・アウトせんばかりの勢いの瞬間もあり、そうとうな聴きごたえのあるすばらしいサックス・ソロだなと思います。

 

そんなマッコイとトレインのぐいぐい乗りまくる熱く激しいソロが聴けるおかげで、最近はこのアルバムで3曲目がいちばん好きになってきましたね。トレインとバンドの情熱をいちばん如実に反映した演奏だと思います。以前は整然とかっちりきれいにまとまったA面のほうが好きでしたけどね。3曲目はトレインのソロ後、テンポがなくなってギャリスンのベース・ソロになっていきます。このアルバムで終始一貫スピリチュアルなムードをぼくが感じるのはギャリスンのベースですね。

 

そのままピアノ音が入り4曲目「パート4:賛美」になりますが、この最後の曲は終始テンポ・ルバートなんですね。四人ともまるで祈りを捧げているかのような演奏で、はっきり言って定常ビートの効いている音楽のほうが好みなぼくにはピンとこない部分もありますが、トレインの吹奏内容は本当に美しいものです。そう、このアルバム『至上の愛』は全編にわたって美しいのです。そして聴いていて楽しい気分、愉快な気分にひたれます。だからぼくは好きなんですね。

 

ところで、4曲目最終盤でサックスの音をオーヴァー・ダビングしてあるんじゃないかと聴こえる箇所がちょろっとあるんですが、気のせいですかね?多層的に折り重なっているかのように聴こえる箇所があるでしょう、6:31〜6:38 あたりです。一回性の演奏で不可能な内容でもありませんが、ちょっとみなさん聴きなおしてみてください。

 

(written 2020.8.9)

 

2020/09/23

ポール・サイモン:インフルエンサーズ

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(7 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/3fcyzVbfnIauW88q5milmR?si=U5dLY0r2RE2RYfW83ZwgqA

 

ちょっと前に『ポール・サイモン:インフルエンサーズ』というSpotifyプレイリストを見つけました。それが上掲リンク。レガシー公式の制作となっていますが、ポール・サイモン自身のキュレイションによるものだそうです。つまりはオーソライズド・プレイリストということで、だれのどんな音楽がポール・サイモンの音楽に影響を与えたのか、自身でつまびらかにするといったものでしょう。二時間半とやや長いですが、楽しんで聴きました。

 

と言いましてもぼくはポール・サイモンの音楽をなにも知らないので(サイモン&ガーファンクル以外には『グレイスランド』『ザ・リズム・オヴ・ザ・セインツ』くらいしか聴いていない)、だからポールの音楽形成にどんなふうに作用しているのかなんてことはまったくわかりません。ただただ、このプレイリストじたいのおもしろさをしゃべることしかできないんで、そこはご了承ください。

 

いきなりサン時代のエルヴィス・プレスリー二曲ではじまるのはいいですね。ロック・ミュージックの出発点あたりということで(ロックの兆しはもっと前からあったわけですけれども)、ここが新しい時代の幕開けだったという、そんな青春をポール・サイモンも過ごしたわけでしょう。エルヴィスはポールの、いや、あらゆるロック系ポピュラー歌手の、アイドルだったかもしれませんね。

 

続いてなんとリトル・ウォルターの代表曲が来ているのはなかなか新鮮です。エルヴィスと深い関係もありましょうが、そういうこと以上にこういったシカゴ・ブルーズのミュージシャンがプレイリストに入って、白人音楽と黒人音楽が混じり合いながらプレイリストが進むのには思わずなごみます。アメリカン・ミュージック提示のありようとしては、当然ではあるんですけど、理想形ですよね。

 

リトル・ウォルターみたいなシカゴ・ブルーズがポール・サイモンの音楽形成にどんな役割を果たしていたかなんてことはやはりぼくにはサッパリわかりませんので、ご勘弁を。そういえば、このポール自身の選曲による公式プレイリスト、けっこうたくさんの黒人ブルーズが登場するんです。サイモン&ガーファンクルなんかを聴いていても痕跡がわかりにくいですよね。しかしもちろんポールだって聴いていたでしょう。

 

このプレイリストにある黒人ブルーズは、ほかにもハウリン・ウルフ、ボ・ディドリーやチャック・ベリーやリトル・リチャード(らはロックンローラー?)、ジミー・リード、マディ・ウォータズ。なかなかおもしろいですね。それらはまとめて出てくるのではなく、さまざまな種類やタイプの曲に混じって登場するので、オッ!と思わせるものがあり、なかなかみごとな効果を生んでいるなと思います。

 

そう、ブラック・ミュージックがかなりたくさん収録されているというのがこのプレイリストの大きな特色で、ポール・サイモン自身がそれらを選曲したことを思えば、感慨深いものがあります。上記ブルーズばかりでなく、ファッツ・ドミノといったリズム&ブルーズ、スワン・シルヴァートーンズ、サム・クック時代のザ・ソウル・スターラーズのようなゴスペル・カルテットであるとか、アリーサ・フランクリンやマーサ・リーヴズ&ザ・ヴァンデラスやミラクルズのソウル・ナンバーだったり、あるいはドゥー・バップ曲だってあるし、目配せが利いているなと感じます。

 

フォークやフォーク・ロック、カントリー、初期ロックンロールであるとかいった白人音楽もまんべんなく収録されているし、このポール自身の選曲によるプレイリスト『ポール・サイモン:インフルエンサーズ』は、彼の青春時代(1950年代?)をいろどったアメリカン・ミュージック総ざらえといったおもむきがありますね。

 

ビートルズのようなイギリス人もいます。ビートルズのばあいレコード・デビューが1962年でしたから、1941年生まれのポール・サイモンにとっては形成期の音楽ではなく、活躍時期がほぼ同じだったという気がするんですが、それでもビートルズがポール・サイモンの音楽形成に果たした役割があったということなんでしょう。

 

そういった同時代音楽や、あるいは成功してのちに発売された音楽も多少このプレイリストには収録されています。ジミー・クリフ(二曲)なんかもそうですし、アリ・ファルカ・トゥーレもそうですね。二曲収録の初期ボブ・ディランなどもポールの同時代人でしょう。あるいはボブ・マーリーであるとか、マーヴィン・ゲイの「ワッツ・ゴーイング・オン」もそうです。あっ、いま気がつきましたが、ヴェトナム戦争をテーマにした音楽がわりと収録されていますね。このへんは同時代的にポール・サイモンと問題意識を共有していたということですね。それはポールの音楽からもわかります。

 

ぼくの大好きな『グレイスランド』『ザ・リズム・オヴ・ザ・セインツ』につながったであろうような音楽もすこし入っているのにもニンマリ。ポール・サイモンとの関係がよくわからない(けど、個人的には聴くのが楽しい)モダン・ジャズも収録されているのだってやや目立ちます。マイルズ・デイヴィスの『カインド・オヴ・ブルー』版「ソー・ワット」と、それからジョン・コルトレインの『至上の愛』なんかアルバムまるごとぜんぶ入っているという。それでプレイリストは締めくくられます。

 

(written 2020.8.8)

 

2020/09/22

マイルズはさほどギターリストを重用しなかったのかもしれません

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(9 min read)

 

萩原健太さんが9月16日付のブログ記事のなかでお書きになった以下の文章:

ーーー
ジョン・マクラフリンやソニー・シャーロック、レジー・ルーカスらギタリストを多用しながら独自のエレクトリック・ジャズ・サウンドで新時代を切り拓こうとしていた大親分マイルス・デイヴィスに対し、ハンコックのほうは、弟子なりの意地か、あえてギター抜きという別ベクトルで自分なりのエレクトリック・ジャズ・ファンク・フォーマットを模索しているのかもしれないなぁ、と。まだ大学生になりたてだった未熟者リスナーなりに興味深く受け止めたものだ。
ーーー
https://kenta45rpm.com/2020/09/16/head-hunters-hybrid-herbie-hancock/

 


この一節にはやや誤解もふくまれているように感じますので、細かいことをうるさいぞ、大学生のころのことじゃないか、と思われそうですけれども、マイルズ・デイヴィス狂としては突っこまざるをえませんので、大目に見てご笑読ください。

 

それはマイルズという音楽家のことをじっくり観察すると、ギターリストは実はそんなに多用しなかったのではないか、1960年代末ごろからソリッド・ボディのエレキ・ギターの使用がジャズ界で一般化して以後も、むしろどっちかというと鍵盤奏者のほうを重用したひとだよね、ということです。

 

ひとつには、自分の使うギターリストにも、鍵盤奏者が出すようなコード使用やハーモニー構成、オーケストレイションをマイルズは要求したということで、ガッチリした分厚いオーケストラルなリリカル・サウンドに乗って吹きたいひとだったんですよね。このことは以前一度詳述しましたので、そちらをご一読ください↓
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-2a11.html

 

そして、なんたって実数が少ないです。1981年の復帰後であれば常時必ずバンドにギターリストがいたマイルズですが、1975年夏の一時引退まででみれば、このひとがバンドのレギュラーとして常時雇いにしたギターリストは、1973〜75年のレジー・ルーカスとピート・コージーと、このたった二名だけなんですよね。

 

ジョン・マクラフリンもよく使っていたじゃないかと言われそうですけれども、マクラフリンはそのつどそのつどスタジオ・セッションに呼んでいただけで、だから頻繁であるとはいえあくまでゲスト。バンド・メンバーではありませんでした。

 

マクラフリンが参加しているマイルズ・バンドのライヴって、臨時の飛び入りだった1970年12月19日のセラー・ドアしかなく(アルバム『ライヴ・イーヴル』になったもの)、バンド・メンバーじゃないから、ほかに一個もないんです。そのセラー・ドア・ライヴだって連続するほかの日には参加していないんですから。

 

健太さんはソニー・シャーロックの名前をあげておられますが、シャーロックは1970年2月18日のスタジオ・セッションに参加して「ウィリー・ネルスン」一曲の複数テイクを録音したのみ。たったこの一日だけなんですよ。アルバム『ジャック・ジョンスン』に一部インサートされています。

 

一回、あるいは二、三回、単発の実験的セッションで呼んだだけのギターリストならほかにもいて、1967年のジョー・ベック(マイルズのギターリスト初起用)、68年のジョージ・ベンスン(『マイルズ・イン・ザ・スカイ』に収録)とかそうですけど、まだまだマイルズがギターリストを本格起用する前の時代でした。

 

トニー・ウィリアムズの推薦でジョン・マクラフリンを1969年2月のスタジオ・セッションに呼び、それが結果的にアルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』(1969)になってからは、マイルズもギターリストを、というかマクラフリンを、どんどん呼ぶようになって、ライヴをやるツアー・バンドにではなくスタジオでのおおがかりなセッション(あの時代のマイルズのスタジオ録音は常にそうで、レギュラー・バンドで、っていうことはほとんどなし)では多くのばあいギターリストが、っていうかマクラフリンが、弾いているというような具合になりました。

 

それでもエレピやオルガン、シンセサイザーなどのキーボード奏者がどんなセッションにも、ばあいによってはニ、三名とか、必ずいて、むしろそのサウンドのほうが音楽の方向性を握っていることが多かったですよね。マイルズが自分の音楽を鍵盤よりもギター・サウンド中心に組み立てるようになったのは、スタジオ作でいえば1974年リリースの『ゲット・アップ・ウィズ・イット』が初にして引退前ラスト。つまりこの二枚組だけ。

 

もちろんライヴ・アルバムならレジー・ルーカス+ピート・コージーのツイン・ギターで鍵盤なし(ボスのオルガンを除く)というものはたくさんあります。たくさんっていうか、『ダーク・メイガス』(1974年録音、77年発売)、『アガルタ』『パンゲア』(1975年録音、後者は76年発売)と、二枚組三つだけですけれども。あの時代はバンドに専門の鍵盤奏者がいませんでしたからね。

 

スタジオ作でなら、『ゲット・アップ・ウィズ・イット』の前に、例外的に(っていうのはバンドに鍵盤奏者が常時いた時代だったから)1971年リリースの『ジャック・ジョンスン』だけがマクラフリン弾きまくり中心のブラック・ロックで、いちおうハービー・ハンコックも電気オルガンで参加はしていますが、このアルバムだけはギター・アルバムですね。『ゲット・アップ・ウィズ・イット』でもマイルズの弾くオルガンがたくさん聴こえるんで、それすらなく、ギターで組み立てた『ジャック・ジョンスン』はあくまで例外ですけれども、でも超カッコイイ!

 

ほかにも、鍵盤楽器多数参加の『オン・ザ・コーナー』(1972)で聴こえるデイヴ・クリーマーや、1974年のドミニク・ゴーモンなど、ギターリストを使ってはいるマイルズですが、個々のスタジオ・セッションで臨時的に起用しただけで、ギターリストを使って音楽の新しい方向性を切り拓こうとしたとは言えなさそうです。

 

それでも、音楽の方向性を左右したとか決定権を握っていたのでないにせよ、サウンド・カラーリングのスパイスとして、1969年以後のマイルズはギターリストを頻繁に使っていたことは間違いなく、それがあの時代のマイルズ・ミュージックの一種の特色でもあったわけですから、健太さんのおっしゃることには納得できる部分もあります。73〜75年のマイルズはギター・ミュージックでしたね。

 

本当は1970年ごろからジョン・マクラフリンをバンド・レギュラーとして使いたかったのかもしれませんが、マクラフリン側の事情で実現しなかっただけかもしれず(ライフタイムを結成したから?)、また同時期にカルロス・サンタナに声をかけておそれ多いと断られたりもしています。

 

(written 2020.9.20)

 

2020/09/21

野茂英雄というピッチャーそのものが最高にロックンロールだった

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(6 min read)

 

というセリフをこないだネットで見かけて、だいぶ前にも同じようなことを書きましたが、こういった言説にはもう心底ウンザリなんですね。ロック、ロックンロールとはなんなのか?音楽のことじゃないのか?ロックとは生きかたのことなんでしょうか?う〜ん…。民謡クルセイダーズのやる「会津磐梯山」について、「朝寝、朝酒、朝湯が大好きで身上潰すんですよ!めっちゃRockですよ!!」っていうツイートも見かけましたよ。

 

こういったことが言われるのはロックだけだと思うんですね。破天荒な、型破りな、生きかたをして、それがジャズだった、シャアビだった、演歌だった、なんてだれも言わないですからね。破滅的だったり挑戦的だったりする生きかたがロックになるんだったら、チャーリー・パーカーこそ最高のロックでしょう。チャーリー・パーカーはロックンロールだったとか、言ってみたらどうなんでしょうか。

 

考えかたというかロックということばのとらえかたが根本的に違っているということなんですけど、ぼくにとってロックとは完璧100%音楽のジャンル名でしかありません。生きかたのことじゃないです。ふつうはみんなそう考えているんじゃないかと思っていたのに、最近は野茂英雄と「会津磐梯山」について立て続けに上記のような発言を見て、ちょっと気分が萎え気味というか、ひょっとしてぼくのほうが少数派だったりおかしかったりするのかと疑ったりしはじめました。

 

ロックとは音楽名なのか、それともはたしてロックとは(音楽とは関係ない部分での)生きかたのことなのか、もうわかりません。だってみんな(じゃないとは思うんだけど)が生きかた、イヤな言いかたをすれば生きざまがロックだったとか言うんですもんねえ。そのばあいのロック(な生きざま)とは、たぶんチャーリー・パーカーみたいなセックスとドラッグと酒とタバコにまみれたムチャクチャな人生のことなんでしょうね、たぶん。

 

でもって、ロックが生きかたのことを指すことばだとして、そういうイメージはいままでにみんなが見てきたロック・シンガーやギターリストの人生から類推して言っているんですよね、おそらく。でも、音楽としてのロックとはなんらの新冒険やアンチテーゼ、アンチ体制的、革新的なものじゃないんですよね。ロック・ミュージックはアメリカン・ポピュラー・ミュージックの王道、保守本道からそのまま流れ出たものなんですよね。

 

このことを詳細に論じはじめるとこりゃまたたいへんなことになってしまいますのできょうはやりませんが、ロックは(直接的には)黒人リズム&ブルーズや白人カントリー・ミュージックなど種々の要素が流入合体して誕生したものです。カントリーなんかアメリカ白人保守層の愛好する音楽だし、黒人リズム&ブルーズは、ルーツが1940年代のジャンプ・ミュージックで、ジャンプとは黒人スウィング・ジャズのことにほかならないんですからね。

 

スウィング・ジャズは、アメリカの大衆音楽の王道中の王道を歩んだ保守音楽なんですから。それが(関係はやや遠いとはいえ)ロックのルーツなんですからね。カウンターだアンチだということをもし言うのであれば、1920年代くらいまでのジャズだってカウンター・ミュージック、不良の音楽だったんですよ。徐々に世間に受け入れられ、1935年くらいからのビッグ・バンド・スウィング・ジャズは完璧にアメリカのお茶の間の健全な音楽になりましたけどね。

 

日本でも、かつてロックは、エレキ(・ギター)は、不良であると、そう言われたりみなされた時代がありましたよね。しかし時代を経て、いまやそんなことを言う中高年、親、教師もいなくなったではありませんか。日本のお茶の間でテレビの歌番組を家族で聴いていて、そこにどんだけのロック(要素)があるか。もはや生活に欠かせない音楽に、つまり主流の、すなわちある意味保守の、大人の、音楽になっているんですよね、ロックは。

 

そういうことじゃない、ロックとは若者の青春衝動みたいなものの象徴なんである、ということかもしれませんが、もしそれを言うのであれば、どんな音楽だって夢中になって必死で取り組んでいる人間にとっては爆発であり反骨であり青春衝動なんですよね。音楽活動というものじたいがそういったパワーを内在していることはたしかなことなんで、それがたまたま「ロック」ということばの衣をまとうことが多いというか、ロックだと言えばなんだかカッコよく思える、っていうことなんでしょうか。

 

そういった用語として「ロック」を持ってくる、それでカッコよく決めたと思うのは、昭和の発想じゃないかと、ぼくなんかはそう思うんですけどねえ。

 

(written 2020.8.7)

 

2020/09/20

モダンでポップなターキッシュ・フォークロア 〜 アイフェール・ヴァルダール

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(4 min read)

 

Ayfer Vardar / Sır

https://open.spotify.com/album/7DnEkOJ6yDv2u4ACzub3Zo?si=-SR3wT5yTxOODDQ8JZcsUA

 

アイフェール・ヴァルダールという読みでいいでしょうか、Ayfer Vardar。トルコの歌手です。そのアルバム『Sır』(2019)をエル・スールのホーム・ページで見て、それまでちっとも知らなかったひとですけど、歌手名とジャケットの雰囲気になんだかピンとくるものがあって、Spotify検索してみたらすんなり見つかったので、聴いてみました。

 

カラン・レーベルが出しているハルク(民謡)・アルバムということで、さすが内容はしっかりしていますね。『Sır』、かなりいいと思います。最大の特色は、だれがつくったともわからない民謡ばかりとりあげつつ、かなりモダンでポップなアレンジを施してあるところ。それは伴奏の楽器編成にも端的に表れています。

 

アクースティック・ギターやピアノなどが中心で、ドラム・セット+パーカッションの組み合わせがダイナミックなリズムを刻んだりする曲もあります。さらにストリング・アンサンブルが起用されていて、曲によってはかなりダイナミックなオーケストレイションを聴かせるものだってあり。エレクトロニクスもちょっぴり活用されているようです。

 

特にいちばん活躍しているのはスティール弦のアクースティック・ギターでしょうか。カランという会社はわりとこういうのが得意だという面があって、ハルクだけでなくオスマン古典歌謡なんかでも現代的な楽器編成とモダンなアレンジで楽しく聴きやすく仕上げることがありますよね。このアイフェール・ヴァルダールのアルバムでも、なにも知らずに聴いたら民謡が素材とは到底思えないポップな聴きやすさを実現しているなと思います。

 

ちょっとアメリカン・フォークみたいだったり、ものによってはポップ/ロック・ミュージックっぽい曲調にアレンジしてあったりなどして、それでもサズ(はアイフェール自身かも)やウードなど伝統楽器もそこそこ使われているんですけど、モダンな楽器&アレンジとのブレンド具合が絶妙で、これ、アレンジャーやプロデューサーがだれだったのか、とても知りたい気分です。正規の音楽教育を受けたアイフェール自身かもしれないんですけれども。

 

彼女の歌声そのものも、ちょっぴりモダンというか、ハルク向きというだけじゃなく現代的なポップスでも似合いそうな資質を持っているんじゃないかと聴こえます。パワフルに声を張ったりしながらも、落ち着いておだやかに揺れるような、それでいてメランコリックで、かつ澄んだ声ですよね。澄んでいながらややくぐもったような、陰なフィーリングもあります。哀感をともなった切ないフィーリングでフレーズをまわす歌いかたがなんともすばらしいですね。

 

ハルク・アルバムですけれども、モダンでポップなフォークロア。そう呼んでいいと思います。伝統ものは伝統的スタイルでやったほうが好きだと思われる向きにはイマイチかもしれませんが、この歌手の過去の作品には伝統スタイルでやったものがあったりしますから、要検索。

 

(written 2020.8.6)

 

2020/09/19

なぜ傑出しているのか 〜 岩佐美咲「糸」

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(9 min read)

 

来る10月21日に、わさみんこと岩佐美咲の「右手と左手のブルース」特別盤二種が発売されますが、タイプAにもBにも中島みゆき「糸」のカヴァーが収録されます。

 

「糸」といえば、わさみんは2017年に一度CD化していますよね。「鯖街道」特別記念盤(通常盤)に収録され、夏に発売されました。そのヴァージョンはいまや伝説ともなっている同年5月7日の新宿での弾き語りライヴで収録されたものです。

 

それ以前それ以後ともわさみんはいろんな機会で「糸」を歌ってきていて、ある意味得意レパートリーにしていると言ってもいいくらい。以下にリンクするわいるどさんのブログ記事にまとめられているので、ぜひご一読ください。

 

・特別盤のカップリング曲はどうなる?「糸」編
https://ameblo.jp/saku1125/entry-12625148671.html

 

CD収録されているので容易に聴くことのできる2017年5月の弾き語りヴァージョンの「糸」は、わさみん史上最高の一曲として、いまでも多くのファンの心をとらえ続け、泣かせ続けてきています。ぼくも非常に強い感銘を受け、以前一度記事にしたことがありました↓
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2017/09/post-99ed.html

 

熱心なわさ民(わさみんファン)のみなさんのあいだでも、この「糸」は評価が高くて、これ以上の「糸」は存在しない、カヴァーの多い曲だけどほかのどんな歌手のどんなヴァージョンとも比較にすらならない、わさみんひとりだけ<別の曲>を歌っているかのようだ、とまで言われています。

 

複数のわさ民さんからぼくも現場で直接、わさみんの「糸」はどうしてあんなに感動的なのでしょうか?と話しかけられたりすることがあったりなどします。今回、ふたたびCD発売されるということで(もちろん新録新ヴァージョンでしょう)、いまふたたび立ち止まってもう一回考えてみたいなと思い、きょう筆をとっている次第です。

 

参考になるのは、わいるどさんが上にリンクした記事のなかでご紹介くださっているわいるどさん作成のSpotifyプレイリスト『「糸」聴き比べ』です。これはほんとうに助かりました。感謝ですね〜。
https://open.spotify.com/playlist/4N2zAiMmHdvwFnDHDYwUJD?si=Zz1QoeMvS2OXmiPiMdY_gQ

 

中島みゆきのオリジナルやわさみんヴァージョンはSpotifyにないんですけど、一時間半以上にわたり、さまざまな歌手による「糸」のカヴァー・ヴァージョンが並べられています。これをぼくもじっくりと聴き、さらにYouTubeで見つかるほかのいくつかの「糸」も耳にしましたので、わさみんヴァージョンがなぜあんなにも傑出しているのか、思うところを記しておきますね。

 

結論からカンタンに言ってしまえば、わさみん2017年ヴァージョンの「糸」はある種の素人っぽさが功を奏しているんだと思います。ていねいなアレンジに凝ったり、(ふつうの意味でのいわゆる)うまい歌手がしっかり歌いまわしたりしないほうが、映える曲、伝わる曲だからということなんですね。

 

裏返せば、中島みゆきのこの「糸」、曲そのものがとても<強い>んですよね。引力というか聴き手をトリコにする魔力があまりにも強靭で、歌詞にしろメロディにしろ、そのままで世のどんなひとにだって感銘を与えうるパワフルな曲じゃないかと思えます。特にこの歌詞ですよ。

 

そんな強い曲、曲そのものがあまりにも魅力的で強靭すぎる曲は、アレンジの工夫や装飾的な歌いまわしなど意識的な歌唱を拒否してしまう部分があるだろうと思うんですね。そのままストレートに向けられるだけで泣いてしまいそうなくらいですから、カヴァーする歌手が解釈に工夫を凝らせば凝らすほど、曲そのものから遠ざかり、曲が本来持っている力を削いでしまいます。

 

わさみん2017年ライヴ・ヴァージョンの「糸」はアクースティック・ギター弾き語り。決してうまいとは言えないつたない感じの本人のギターではじまって、もう一名サポート・ギターリストがいますが、あくまで控えめ。アマチュアの域にあの時点ではあったといえるわさみんギターを引き立てる影に徹していますよね。オブリガートをつけるヴァイオリニストも同じ。

 

伴奏はたったこれだけ。サポート・ギターリストやヴァイオリニストのかたがたは熟達のプロでしょうけど、おぼつかないわさみんのギターよりも目立つことのないように、あくまで主役はわさみんなんだからということで、脇役から一歩も踏み出ていない伴奏です。

 

そんな演奏ができるということじたい、サポートのギターリストとヴァイオリニストのかたがたが徹底したプロである証拠なんですけれども、逆に言えば主役たるわさみんのギターとヴォーカルが、ストレートさが、それを引き出したという見方もできます。

 

歌いかただって、思い出してください、いつものわさみんスタイルを。歌の持つ本来のメロディを決してフェイクしたり崩して工夫したりすることはしません。そのままストレートに、スッと素直に歌いますよね。ナイーヴ、素直すぎるととらえる向きもおありでしょうが、2017年ヴァージョンの「糸」にかんしては、曲の持つ魅力、パワーをむきだしにしてそのまま伝えることに成功しているではありませんか。

 

ほかの<うまい>歌手たちによる「糸」は、曲そのものの魅力よりも、声や歌いまわしのパワーのほうが前に出てしまっているんですよね。アレンジで工夫しているものだと、聴いていてアレッ?とシラけてしまいますしね。名前は出しませんが演歌系の歌手なんかは(都はるみばりに)強くガナッたりしていて、曲が台無しになっています。

 

YouTubeにちょこちょこ上がっている、ホーム・ヴィデオ収録の、アマチュアのそこらへんのおっちゃんが結婚披露宴の余興で歌った素人くささ満点の「糸」のほうが、はるかにいい曲に聴こえるっていう、そんなおそろしい曲なんですよね、「糸」って。

 

ひとことにすれば、歌手の意識やうまさが前に出て目立ってしまってはいけない曲なんですね。それだと「糸」という曲のパワーが伝わりません。

 

曲がそもそも最初から持っている引力が強すぎる中島みゆきの「糸」という曲は、それをそのまま活かすように、伴奏アレンジでもヴォーカルでもなるべく工夫を施さず、そのままストレートにやったほうがいいんです。そのほうが「糸」という曲の繊細さが伝わりますね。

 

さて、10月21日に発売される新ヴァージョンであろうわさみんの「糸」は、どんな感じになっているんでしょうか。弾き語りではもうあれ以上のものはできえないというものを2017年に発売しましたから、今回は中島みゆきのオリジナル・ヴァージョンに則してストリングスなどオーケストラ伴奏もくわえたものになっているんでしょうか。そんな気がします。

 

いずれにしても、「糸」という曲とわさみんとは相性がかなりいいんだということは実証されていますから、瀟洒なオーケストラ伴奏がくわわっても、持ち味のストレート&ナイーヴ歌唱法で、もう一回ぼくらを感動させてくれる、あるいは神ヴァージョンとまで言われる2017年弾き語りの「糸」すら超えてくる可能性だってありますよね。

 

(※ Spotifyにはローカル・ストレージからファイルをインポートできますので、ぼくは自分のパソコンから中島みゆきのとわさみんのをSpotifyに入れて、わいるどさん作成の「糸」プレイリストに追加しています。完璧や。)

 

(written 2020.9.17)

 

2020/09/18

なごみのサンバ・アルバム 〜 ミンゴ・シルヴァ

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(3 min read)

 

Mingo Silva / Arte do Povo

https://open.spotify.com/album/3ZBp3DlqwAYYRoOPWg4YpG?si=7TCxYJCiRzGTKVUzWLbOgg

 

bunboniさんに教わりました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-06-12

 

モアシール・ルス率いるサンバ・ド・トラバリャドールの歌い手、ミンゴ・シルヴァ(Mingo Silva)によるデビュー作を聴きました。『Arte do Povo』(2020)。デビューといっても50歳で、キャリアはすでに十分ですね。歌っている曲はたぶんすべてミンゴの自作だと思います。それをコクのある味わいの溌溂としたアンサンブルに乗せて余裕を持った歌いまわしでこなすミンゴ。文句なしのサンバ・アルバムですね。

 

収録曲は圧倒的に明るい陽のサンバが多く、哀影のあるサウダージは二曲か三曲しかありません。個人的にはどっちかというとサウダージに惹かれるタイプなんで、だからこのアルバムでもたとえば3曲目なんかが出た瞬間に、うんいいね!と思ってしまうんですけど、やや例外的な嗜好かもしれないですね。またその3曲目でもサビ部分は明るい調子にパッと移行します。

 

ミンゴの書く曲は聴きやすく親しみやすいメロディを持っていて、ポップなセンスもあります。歌手としてのみならずサンバのソングライターとして、もちろんいままでにキャリアを積んできたひとみたいですけど、なかなかいい曲を書きますよね。伴奏も歌も映えます。曲がいいというのはゲスト・シンガーがこのアルバムには複数いるんですけど、それを聴いてもわかりますね。

 

またどの曲でもミンゴの声はディープでありかつ甘さもあって、そんでもって曲の資質同様たいへんに聴きやすいというのが大きな特徴じゃないでしょうか。アレグリア(明るい陽)のサンバを歌うときの表情なんか、聴いていて思わずなごんでしまう、こっちも微笑みを浮かべてしまうような、そんなフィーリングがあるんですね。曲のよさと声のよさが一体になっているなと感じます。

 

ゲスト参加のなかでは7曲目のゼカ・パゴジーニョの存在感がきわだっているんじゃないでしょうか。特にここがこうというような大きな特徴や目立つ点はないけれど、なじみやすい極上のトラディショナルなサンバ・アルバムですね。

 

(written 2020.8.5)

 

2020/09/17

『夜のヒットスタジオ』時代の思い出

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(7 min read)

 

きのうピンク・レディーのことを書きましたが、このコンビもそうだし、山口百恵でも沢田研二でもだれでも、ぼくが10代のころに親しんでいた歌謡曲歌手のほとんど全員は、フジテレビ系の歌謡番組『夜のヒットスタジオ』で見聴きして知っていたものでした。

 

ウィキペディアの記述によれば、『夜のヒットスタジオ』は1968年から1990年まで放送されていたそうですけど、ぼくが見ていたのは中高大学生時代のことですから、70年代中盤〜80年代初頭までのことです。毎週月曜夜10時。

 

歴代司会者でいえば、芳村真理&井上順時代のことしか記憶になくて、実際その期間こそぼくにとっての『夜のヒットスタジオ』時代でしたね。見はじめたのがいつごろどういうきっかけでだったかは忘れましたが、見なくなったのは実家を離れて上京して、テレビのない部屋に住みはじめたからです。ジャズ狂になっていたので、音楽の趣味が変わったからということもありますが。

 

『夜のヒットスタジオ』は生放送。そしていまの音楽番組ではありえないことですが、番組専属のオーケストラがありました。ぼくがこの番組に夢中だった時代はダン池田とニューブリードで、それにくわえストリングス・セクション(東京放送管弦楽団から)が参加していました。これがどの歌手の伴奏もぜんぶやったんです。番組専属の生バンドがいるっていうのは、あの時代はあたりまえだったんですよ。いまではNHKの『紅白歌合戦』だけですかね、そういうのは。

 

もっともある時期以後は『夜のヒットスタジオ』でも、いわゆるフォーク、ニューミュージック、ロック系の音楽家を出演させることも増え、そういうひとたちは当時テレビに出たがらなかったのですが、『夜のヒットスタジオ』には出るときもあって、そういうときは番組のオケじゃなくて、歌手のバンドがそのまま務めるということがありましたね。

 

ぼくの記憶にいちばん焼き付いているのは沢田研二のバックだった井上堯之バンドで、でもジュリーもしばらくのあいだは番組のダン池田とニューブリードで歌っていたような気がするんですが、いつごろからかなあ、井上堯之バンドを引き連れて出演するようになりましたね。あるいは最初から?

 

ジュリーは歌詞が飛びやすい(忘れやすい)歌手としてもよく憶えていて、『夜のヒットスタジオ』は生放送ですからね、歌詞が飛ぶとどうにもならないんですよねえ。ただ呆然として立ち尽くすジュリーが映っているのみなんです。じっと伴奏だけが流れるなか、脇から司会の井上順が歩み寄ってジュリーの背中をポンポンとリズムに合わせて叩いてみたり。いまなら放送事故ですよねえ。

 

生放送ということは、予定されていたのに放送時間に出演しそこねる、つまり間に合わないといったこともあったんです。この件でいちばんよく憶えているのはピンク・レディー。このコンビの絶頂期はそ〜りゃも〜う超多忙で、なんでも睡眠時間が毎日ほとんどないっていうような状態がずっと続いていたそうですからね。

 

だからスケジュールがびっしりで、出演依頼があまりにも舞い込み受けすぎてダブル・ブッキングに近いことも日常茶飯だったみたいです。そんなありえないほど忙しすぎるピンク・レディーだったから、『夜のヒットスタジオ』の放送時間に間に合わないっていうことがなんどかあったんです。

 

そんなときこの番組はそこにいる歌手のだれかにピンチ・ヒッターとして代役になってもらい、歌ってもらうということがあったんですね。どうです、こんなこと、いまでは絶対に考えられないですよねえ。見ている側のぼくらとしては、代役歌手がちょっと動揺しながら緊張感満点でピンク・レディーを歌ったりするのも、ちょっとした楽しみでしたよ。

 

代役が歌うといえばですね、『夜のヒットスタジオ』の幕開けには「オープニング・メドレー」というのがあってですね、司会者から最初に紹介された歌手が「他歌手の持ち歌」のワン・フレーズを歌い、次に「その歌われた歌の持ち主」にマイクを手渡しその歌手が「他歌手(その歌手の次に歌う歌手)の持ち歌」を歌うといったメドレーでした。

 

バトン・リレーのように他人の歌をワン・フレーズずつメドレー形式で歌っていき、最後はトリの歌手が「トリ前の歌手が歌った自分の歌」のサビを歌い、集まった出演者とともにフィニッシュとなるというもので、この番組オープニングがほんとうに楽しかったですね。

 

『夜のヒットスタジオ』は番組内でさまざまな(歌とは無関係な)企画もやっていて、記憶しているかぎりでは「歌謡ドラマ」とか「コンピューター恋人選び」とか「ラッキーテレフォンプレゼント」とか、いくつもあったように思いますが、そのへんは個人的にあまりちゃんと見ていなかったですね。

 

あくまで歌番組として、いろんな歌手の最新ヒット曲を、時代の流行歌を、聴けるのがぼくにとっての最大の魅力だったんです。やっぱり出演しない歌手も、一部の「アーティスト」系のひとたちのなかにいたんじゃないかと思いますが、かなりたくさんの、つまりヒット・チャートをにぎわせているような歌手はだいたいぜんぶ『夜のヒットスタジオ』で聴けたんじゃないかと思います。

 

そんなことが、当時はもちろんわかっていなかったし、その後はずっとそんな歌謡曲の世界を何十年間も否定するような気分が続いていたんですけど、いまとなっては岩佐美咲や原田知世なんかが好きになってみると、彼女たちがどんどんカヴァーする往年の歌謡ヒットをなにもかも憶えているというのが、10代のころのこんな『夜のヒットスタジオ』体験のおかげだったなと、いまではわかるようになりました。

 

(written 2020.9.15)

 

2020/09/16

思春期をピンク・レディーとともに過ごした

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(11 min read)

 

https://open.spotify.com/album/5Ng95KIiBpeNl4uBOK5Zju?si=J1y36LzVTDqMkjqS-EphLA

 

つい昨日(9/11)気づいたばかりなんですが、いつの間にかピンク・レディーが全曲ストリーミングで聴けるようになっていますねえ。いつから?ちょっと調べてみたら昨年の冬あたりに解禁になっていたようです。知らなかった…。大きく告知してくれたらよかったのに。

 

でもそれがなかった(気づかなかっただけ?)のは、もういまやピンク・レディーがどうこうっていうような時代じゃないんだということでしょうね。ぼくらの世代がちょうど中高生のころの最大のアイドルがピンク・レディーにほかならず、そう、沢田研二も山口百恵もキャンディーズもいたけれど、ぼくにとってはピンク・レディーでしたねえ。レコード売り上げ数からいっても断然No.1でしたし、露出度からいってもねえ。

 

だから思春期をピンク・レディーとともに過ごしたと言ってよく、ほ〜んとあのころ、テレビの歌謡番組にどんどん出まくっては歌い踊る二人の姿に夢中になっていたものでした。かわいくて、あのころのぼくにとってはちょっと年上のきれいなお姉さんたちで、セクシーさも感じていたから、思春期のある種の目覚めをミーちゃんとケイちゃんに見出していたような気がします。

 

いまSpotifyで見ますと、ピンク・レディーは当時わりとアルバムもリリースしていたんですね。ライヴ・アルバムだって三つもあるみたい。このへんは山口百恵にしろだれにしろ、いまの現役アイドルでもたぶん同じなんですけど、どんどん発売されテレビの歌番組で披露されるシングルA面曲(表題曲)のことしか、ぼくも頭になかったですね。45回転のドーナツ盤は買っていましたが、アルバムがあると意識すらしたことなく。

 

逆に言えば、ピンク・レディーのシングルA面曲はぜんぶいまでも鮮明に憶えていますし、歌えます。踊りはもう忘れたかも。このコンビの活動期は(解散後の復活には興味なかったので除くと)「ペッパー警部」(1976/8)から「OH!」(1981/3)まで。でもその解散前近くのことはもうあまり記憶になくて、ぼくが夢中だったのは78年12月の「カメレオン・アーミー」まででしたね。

 

実際ピンク・レディーの人気もそのへんを境にガクンと落ちるようになり(「カメレオン・アーミー」が最後のオリコン・チャート1位でした)、世間ではアイドルが人気を保てるのは二年か三年だけと言われていますけど、このコンビも例外ではなかったということです。でも絶頂期の人気はそりゃ〜あもう!ものすごいものだったんですよ。ピンク・レディー現象とまで言われました。

 

個人的にはデビュー曲だった「ペッパー警部」が大きな衝撃で、当時ぼくは14歳。だから中学生でした。いきなりテレビの歌番組に見知らぬ女性二人組が登場し、曲題が「ペッパー警部」と画面にテロップで出たときは、なんじゃそりゃ?!と驚きました。警部もヘンだと思ったけど、ペッパーがなんのことやらわかりませんでしたからねえ。

 

いまであればペッパー警部→サージェント・ペパーと連想が働きますから(サージェントは軍曹だけど)、あぁビートルズなんだと、作詞の阿久悠は完璧その世代ですからね、ちょっとはわかるんですけど、当時はただただ不思議で。もっとびっくりしたのはテレビ画面で歌いながら踊るミーとケイのちょっと大胆な振り付けです。こんな格好していいのか?って子ども心に思ったもんです。

 

その数年前から山本リンダの「どうにもとまらない」とか「狙いうち」とかに釘付けだったわけでしたから、ピンク・レディーの「ペッパー警部」なんかどうってことないだろうと、いまではそう感じます。でも当時はですね、リンダのころぼくはまだ10歳くらいで、ただただおもしろいと思って真似していただけで、要するにまだ「目覚めて」いなかったんですよ。

 

ピンク・レディーがデビューしたときぼくは14歳になっていましたから、見聴きする側のこっちが思春期に入っていたから、だからテレビで見ているだけでちょっと恥ずかしいと、リンダのほうがもっといやらしく激しかったのにあのころはワケわかっていませんでしたからねえ。

 

そう、だから上でも触れましたが思春期のある種の目覚めをピンク・レディーに刺激されて、それでちょっと恥ずかしいでもテレビ画面から目を離すことができないっていう、そんなアンビヴァレンスのジュブナイルをぼくは過ごしました。ぼくにとっての思春期=ピンク・レディーを見聴きする体験でした。

 

第二弾シングル「S・O・S」(1976/11)、第三弾「カルメン ’77」(77/3)と、徐々にぼくのちょっとした恥ずかしさとともにあったある種の抵抗感も薄れ、ひたすら楽しくテレビの歌番組でピンク・レディーを見聴きするようになっていったんですね。

 

ところで「S・O・S」って、いま聴くと楽曲としてかなり完成度が高いっていうか、いい曲ですよねえ。ピンク・レディーのばあい、あくまでああいった振り付けあってこそ、踊りながら歌うのであってこそ、意味がある楽しさがあるという存在だったんで、レコードやCDや配信で曲だけ聴いてもなぁ…とずっと感じていましたが、今回Spotifyで聴きなおし、なかなかどうして楽しいぞとみなおしました。

 

阿久悠(作詞)&都倉俊一(作編曲)の曲づくりもどんどん深化していって、四枚目のシングル「渚のシンドバッド」(1977/6)のころにはだれも及ばない高いレベルの歌謡曲を産み出すことに成功していました。この曲はこのコンビが歌ったなかの最高傑作じゃないですか。ピンク・レディーに書いた阿久悠の詞はかなり不思議というか、「渚のシンドバッド」にしたって曲題そのものが妙でしょう、渚にシンドバッドがいるんですよ。

 

でもそのへんの歌詞の不可思議さ、すっとんきょうなミョウチクリンさ、必ずしも男女の恋愛をテーマにしたものではなかったりした新鮮な題材、「UFO」(1977/12)のように宇宙人に恋をする設定とか、「サウスポー」(78/3)のような<時代>を反映したタイムリーさ、などなど、だれも追いつけない世界を実現していました。「サウスポー」に出てくるバッターは王貞治のことであると全員がわかっていましたけれども、歌詞にしちゃっていいのかよとか、思っていましたよね。

 

そのあたりの、ちょっと、いや、かなりヘンな阿久悠の歌詞がちょうど思春期のぼくを強くくすぐり刺激したのは間違いありません。都倉俊一の書くメロディとアレンジにしたって、いま聴けば、あぁここはブギ・ウギ・ベースのロックンロールだ、これはディスコ・ポップスだなとか解析できますが、10代のころのぼくの耳にはひたすら新鮮でカッコいいサウンドだったんですから。

 

阿久と都倉の歌詞と曲に分割整理して語っていますけど、当時はもちろん両者合体で一体化した魅惑として、土居甫のつけた振り付けとあいまって、ちょっぴりエキゾティックで(見慣れないという意味で)ありかつ一種のキワモノ的な快感もあって、非常に強く当時の子どもたちにアピールしてきていたんですよ。そう、ピンク・レディー人気は子どもが支えていました。1978年のオリコン調査によれば、このコンビの支持層は3〜12歳が42.5%だったそうです。女性アイドルなのに女性ファンのほうが多かったのも特徴です。

 

とにかくレコードが売れに売れて(売れる=正義という世界)、「渚のシンドバッド」で初のミリオン・セラーを記録して以来100万枚突破が常態化し、テレビ番組に出まくってはあんな感じで踊り歌って、しかしピンク・レディーは健全で明るくポップな感じだったのでお茶の間にも違和感なく受け入れられて、当時このコンビを知らない日本人はいなかったのでは?と思うほどでしたねえ。

 

流行歌はあくまで<時代の>ものでしかないんで、過ぎてしまえば忘れられる運命。いまやピンク・レディーの一連のメガ・ヒット・ナンバーも懐メロとなってしまったかもしれません。大学生のころからぼくはジャズにハマるようになると同時に日本のヒット歌謡の世界からは遠ざかり、意識して蔑視してしまっていたような気がします。

 

長い時間が経過して、2017年の初春ごろからわさみんこと岩佐美咲のことが好きになり、するとわさみんは(ファン層がオジサン中心だからでしょうけど)コンサートで往年のヒット曲、つまりピンク・レディーなんかをよく歌うし、DVDにも収録されているんですね。ぼくの記憶しているかぎりでは、わさみんはいままでに二曲、2018年のソロ・コンサートで「UFO」と「ペッパー警部」を歌いました。これからもまた聴きたいな〜。

 

(written 2020.9.14)

 

2020/09/15

ブリュッセルの多様なグナーワ 〜 ジョラ

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(5 min read)

 

Jola - Hidden Gnawa Music in Brussels

https://open.spotify.com/album/28cFTIMyW0hovbkWDbQuN7?si=N0D7v1iiQ-yY-iF_Y1r6Cw

 

ベルギーのブリュッセルはヨーロッパにおけるグナーワの中心地になっているらしく、モロッコから現在40名ほどのグナーワ音楽家が移住しているんだそうです。ジョラ(Jola)は、そんなブリュッセルで活動するグナーワ・グループのひとつなんでしょうか、その2020年発売作『Jola - Hidden Gnawa Music in Brussels』を聴きました。なかなかディープでいいですよ。ブリュッセルのグナーワ集団を録音した世界初のアルバムだとのこと。

 

グナーワ・ミュージックというと、ゲンブリ(三弦のベース的なもの)、カルカベ(鉄製カスタネット)、手拍子、(男声)ヴォーカルのコール&レスポンス、で構成されるのが標準的なフォーマットだという考えがあると思うんですが、このアルバム『ヒッドゥン・グナーワ・ミュージック』では、たしかにそういったものが中心になっているとはいえ、必ずしもそれに沿っていないものだってたくさん収録されています。

 

モロッコのであれ、グナーワの多様な姿のうちぼくが知っているものはCDなどで聴いてきたごく一部なので、実際にはいろんなものがあるんだろうと想像はできますね。たとえばこのアルバム1曲目の楽器伴奏はゲンブリ一台のみ。それと手拍子とヴォーカルだけで構成されています。それがしかしけっこうコクと深みのある味わいで、なかなかいいんですね。

 

2曲目は、手拍子のエフェクトも入るとはいえ、ほぼゲンブリ一台の独奏です。ゲンブリ独奏というのはぼくはモロッコのグナーワで聴いたことがなかったんじゃないかと思いますね。このアルバムでもインタールード的な短い演奏で、アルバムのちょっとしたアクセントになっているだけですけれども。本場モロッコのグナーワにもゲンブリ独奏があるのかもしれません。

 

もっと変わり種は3曲目。これは太鼓アンサンブルだけの演奏なんですね。トゥバールという両面太鼓を使っているそうで、太鼓だけのアンサンブルがグナーワ・ミュージックのなかにあるとは、ぼくは無知にしてぜんぜん知らず、かなり意外な感じがしました。上でも触れましたが、実際にはグナーワのなかにもさまざまな演奏があるのかもしれないですね。きっとそうでしょう。

 

4曲目も、これはカルカベ・アンサンブルだけの伴奏に乗せてヴォーカリストが歌うといったもので、ホントこのアルバムにはいろんなスタイルのグナーワがあって、たぶん日本のぼくなど現場外の人間にはあまり知られていないというだけのことなんでしょうけどね。

 

またこれもちょっとめずらしいのかもと思ったのは10曲目。ここでは女声がメイン・ヴォーカルなんですね。ゲンブリ+カルカベ+手拍子といった伴奏編成は標準的ですが、女声がリードをとって男声コーラスがレスポンスするグナーワというのはぼくは聴いたことなかったです。この女声はちょっと西アフリカ〜トゥアレグ的なフィーリングを持っていますね。そんな発声です。

 

と、ここまでは、このアルバムで聴けるぼく個人はいままで知らなかったスタイルのグナーワ・ミュージックのことを書いてきましたが、これら以外はきわめてスタンダードなスタイルで演唱しているものばかりです。特にいいな、アルバムのクライマックスかなと思えるのは中盤6〜8曲目あたりですが、ディープさ、コクのあるエグ味などにおいてモロッコのルーツ・グナーワになんら劣るものではなく、決して外部向けに観光商品化したものでもないし、ナマの、現場の、そのままのグナーワの姿を、ブリュッセルにおいてとらえたものだと言えましょう。

 

(written 2020.8.4)

 

2020/09/14

スティーリー・ダン復活を告げたフェイゲン『カマキリアド』

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Donald Fagen / Kamakiriad

https://open.spotify.com/album/3guIJLgNSvFppMVfs4ap8Z?si=U1SP90E6RZ2zIswSg-hn8Q

 

1993年にリリースされたドナルド・フェイゲンのソロ二作目『カマキリアド』。けっこう好きで、当時くりかえし聴いていましたが、このアルバムにはなかなか大きな意味がありました。フェイゲンのファースト・ソロ・アルバムである名盤『ザ・ナイトフライ』が1981年の作品。実に久々の復帰作だったということと、もう一点もっと大きなことは演奏とプロデュースでウォルター・ベッカーが参加しているということです。

 

いうまでもなくウォルター・ベッカーはフェイゲンの盟友にしてスティーリー・ダンの中核メンバー。そのベッカーが実にひさかたぶりに、スティーリー・ダン解散後はじめて、フェイゲンと組んだということで、ぼくらとしては『カマキリアド』CD でそのクレジットを見たときちょっと興奮したもんです。やや、これはひょっとしてスティーリー・ダン再始動の兆しじゃないのか?とかってですね。

 

はたして実際そうなりました。アルバム『カマキリアド』販売促進キャンペーンという意味もあって、フェイゲンとベッカーはスティーリー・ダンを再結成し、1993、94年と全米をライヴ・ツアーしてまわったんですね。 その様子はライヴ・アルバム『アライヴ・イン・アメリカ』で聴くことができます(Spotifyにもあり)。このツアーをきっかけにダンは本格再始動、スタジオ録音作などもリリースしライヴも活発になりました。

 

そんな一連のスティーリー・ダン再始動関連の動きの端緒になったのがフェイゲンの『カマキリアド』だったということで、そんな意味でもなかなか思い入れのあるアルバムなんですね。そしてそれ以上にぼくはこのアルバムの音楽が好き。なにが好きって、サウンドが乾いていて人工的な感触がするところですね。あんがいそういったものも好みに感じるときがあるんです。

 

でもこれはやや意外でもあります。かつてのスティーリー・ダン全盛期には、不確定要素の多いライヴをとりやめ、スタジオでの緻密な組み立てにこだわって作品を仕上げていたフェイゲンとベッカー。しかし1993年ともなれば演奏するミュージシャン個々の力量も上がっているし、なんといってもテクノロジーの進歩が著しく、フェイゲンの思い描くサウンドを具現化しやすくなっていました。

 

だから、かつてのような作業をくりかえす必要もなくなっていたわけで、人力での生演奏をそのまま重ねただけでもなかなかのクォリティを獲得できるようになっていました。実際『カマキリアド』の録音制作は、以前のような過剰とも思えるスタジオ密室作業が減っていたんじゃないかと思えるんですよね。より生のグルーヴをそのままパッケージングしたというに近いプロデュースだったんじゃないかと思えます。

 

それなのに、結果的にはこんな人工的でドライな感触の響きがするというのは、なかなか興味深いところです。なぜそんなことになるのかはぼくにはまったくわかりません。さて、このアルバム、出だしはまあまあの感じではじまりますが、いいなぁ〜!とほんとうに感じるのは4曲目の「スノウバウンド」からです。この曲は大好きですね。グルーヴがね、いいと思うんですよ。ベースもエレキ・ギターのサウンドもフェンダー・ローズもオルガンもみごとに情景を描写しているし、曲のメロディも、サウンド構成も、そしてリズムも好きですね。

 

そこからはほんとうにいい曲が続きます。4「スノウバウンド」が突出してすばらしいと聴こえるんですが、その後も5「トゥモロウズ・ガールズ」のベース・パターンやリズムのノリのカッコよさ、メロディのポップなキュートさなどみごとですし、6「フロリダ・ルーム」でのテナー・サックスの活かしかたや半音で動くメロもいい。ホーン・リフもかっこいいです。8「ティーハウス・オン・ザ・トラックス」のグルーヴも快感ですよ。終わるのが惜しいくらいです。

 

(written 2020.8.2)

 

2020/09/13

岩佐美咲の代表曲はどれか

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https://open.spotify.com/playlist/3OxWmOFVeufNKmqHV3BTdV?si=WREA0--XQ1WooDmMOh8_dQ

 

わさみんこと岩佐美咲のために書かれたオリジナル楽曲は、いままでにぜんぶで九曲。すべてSpotifyで聴けますので、いままでご存知でないみなさんも上にリンクしたプレイリストでぜひちょっと耳を傾けていただきたくお願いします。お金はかかりません。

 

それで、これら九つのわさみん楽曲のなかで、現時点でどれがいちばんいいとか代表曲だとかいう話は、わさ民さんと呼ばれる美咲ファンのあいだでも話題になることがあるんですが、みなさんやはりそれぞれ違った思い入れがあって、トークに花が咲くんです。

 

ぼく個人としては、「初酒」(2015)を強く推薦したいですね。これはほんとうに聴き手を励ます人生の応援歌で、苦しいときつらいときに聴くと大きな救いになる曲なんですよね。いまのぼくにとっていちばん聴いて楽しい気分になれる、気分が<なおる>のは「初酒」なんです。

 

デビュー曲の「無人駅」(2012)がやっぱりいまでもいい、忘れられないっていうファンのかたがたが大勢いらっしゃることも知っていますし、二作目の「もしも私が空に住んでいたら」(2013)が名曲である、泣けるというのもそのとおりであります。

 

大ヒットしたという意味では、三作目の「鞆の浦慕情」(2014)が最高でした。なんたってオリコンの総合チャート1位獲得でしたからね。演歌・歌謡チャートだけじゃありませんよ、総合(週間シングルチャート)で1位を獲ったんですからね。

 

そのころぼくはまだわさみんのことを、その存在すらも知らず、だから「鞆の浦慕情」のときのファンのみなさんの応援ぶり、歌のご当地広島県福山市の熱の入れようなど、当時をふりかえるファンのみなさんの文章や発言などでかいま見ておりますね。

 

また、わさみんにはど演歌というかハードな激烈濃厚演歌よりも、やや軽めの歌謡曲テイストの曲のほうが似合っているんじゃないかという気もして、その意味では「恋の終わり三軒茶屋」(2019)「右手と左手のブルース」(2020)もかなりいいですね。近年の歌ということで、歌手も成長しているのがわかりますし。

 

演歌というとコブシをまわしたりヴィブラートだったり、泣き節だったりシナづくりだったりっていう、旧来的な古いステレオタイプにいまだとらわれているリスナーが多いんじゃないかと思いますが、そのイメージでいっても、わさみんの演歌楽曲のなかでは「佐渡の鬼太鼓」(2018)はイマイチっていう感じになってしまうかもしれません。

 

しかしそれにしては、やはり演歌調である「鯖街道」(2017)なんかはそうとういいですよね。「初酒」「鯖街道」の二曲はいわゆるズンドコ調のリズムなんで、正直な話、ぼくは最初なかなかなじめませんでした。長年苦手にしてきたリズムでしたからね。

 

ところがそれが一変したのは、やはり2018年暮れ〜2019年にあんだけたくさん通ったわさみん歌唱イベントのおかげなんですね。リズムの調子がいい、乗りやすいということで、「初酒」か「鯖街道」をイベントのオープニングに持ってくることが多いんです。

 

それで日々通うわさみん歌唱イベントでくりかえし聴いた結果、もちろんイベント現場での雰囲気や楽しさ、イントロに乗ってわさみんが姿を現した幕開けの瞬間の爆発的なうれしさとかもあいまって、これら二曲のことがすっかり大好きになったというわけです。

 

そうなって以後、もう自宅の部屋のなかで聴いていても「初酒」「鯖街道」が来ると、イントロを聴いただけで気分がウキウキ、ワクワクするようになりましたからね。特に「初酒」ですね。最初に書きましたが、歌詞もいいんですよ。リズムとか調子とか、ナイロン弦ギターとスティール弦ギターとのからみあいのオブリガートも絶品です。

 

いまとなっては、メンタル的につらく苦しい状態のときの個人的必須曲としてわさみんの「初酒」が抜群に効き目のある精神安定剤になっていますからねえ。もうぼくの人生に欠かせないとても大切な一曲になりました。

 

「初酒」と「もし空」は、2018年ライヴ・ヴァージョンが昨2019年リリースのCDアルバム『美咲めぐり〜第2章〜』に収録されているのもポイント高しです。二つとも初期楽曲だけに、近年のわさみんの成長を反映した近年ライヴ・ヴァージョンを発売してほしいというのは、ファンの願望でありました。

 

そのライヴ・ヴァージョンの「もし空」も最高ですが、きょうは特に大好きな「初酒」に話をしぼります。『美咲めぐり〜第2章〜』ヴァージョンの「初酒」はですね、伴奏はカラオケだから同じなんですけど、わさみんの声の艶とかハリとか伸びが格段に増していて、魅力が五倍増しくらいになっていますよね。

 

歌いまわしのフレイジングだって細やかな神経が行き届き、緩急自在、歌詞の意味をひとつひとつ大切に扱いながら、それを聴き手に届けようとする歌手側のていねいで強い思いがそのままニュアンスとなって活きているんですね。フレーズ末尾末尾の声のサステインも、オリジナル・ヴァージョンでは聴けないすばらしいノビとツヤやかさをみせています。

 

「初酒」という曲の持つ、特に歌詞の持つ、しっとりした優しさ、ひとに対する思いやりなんかが、調子のいいリズムに乗った声のなかにしっかり出ていて、『美咲めぐり〜第2章〜』ヴァージョンのこれは本当にすばらしいできばえです。これを聴けば、どんなときだって元気を出して生きていける、前を向いて進んでいけるっていう気分になれるから、だからぼくは大好きなんです。

 

(written 2020.9.3)

 

2020/09/12

ジャズ・メッセンジャーズ『ジャスト・クーリン』がお蔵入りしていたのは

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(6 min read)

 

Art Blakey & the Jazz Messengers / Just Coolin’

https://open.spotify.com/album/7EgjzSVwj5Y8L897m3UiUK?si=WYsJayGeRDGa3AzxL1d3BQ

 

2020年の7月にはじめてこの世に出たアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの未発表作品『ジャスト・クーリン』。1959年3月録音です。ブルー・ノート公式はリリース数ヶ月前から出すぞ出すぞと告知し続けていて、収録曲を小出しにちょっとづつ聴けるようにしていたりなど宣伝に努め、ぼくらファンの期待を高めてきていました。だからちょっとこう、いざフル・アルバムがリリースされて聴く際にやや気負ってしまったというか、聴いてもこんなもんか〜、っていう気持ちになってしまったのも事実ですね。

 

それでも冷静に内容を聴けばなかなか上質のハード・バップ作品には違いないと言えますね。この『ジャスト・クーリン』は、ちょうど1958年黄金期のジャズ・メッセンジャーズのメンバーにして音楽監督だったテナー・サックスのベニー・ゴルスンが抜けたあとのセッションで、ゴルスンの後釜の音楽監督にはのちに新進のウェイン・ショーターが座ったんですけど、ちょうどそれまでのあいだの端境期だったので、臨時にバンドの初代メンバーだったハンク・モブリーを参加させています。

 

だから『ジャスト・クーリン』はリー・モーガン、ハンク・モブリー、ボビー・ティモンズ、ジミー・メリット、アート・ブレイキーという布陣で行われたセッション。1959年でこのメンツというと、ぼくはどうしてもライヴ・アルバム『アット・ザ・ジャズ・コーナー・オヴ・ザ・ワールド』(1959)を思い出してしまいます。そして、このライヴ・アルバム制作と『ジャスト・クーリン』がお蔵入りしたのには関係があったと思うんですよね。

 

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ニュー・ヨークはバードランドでのライヴ収録である『アット・ザ・ジャズ・コーナー・オヴ・ザ・ワールド』は1959年4月の録音。スタジオで『ジャスト・クーリン』を完成させたのがその一ヶ月前で、時期的に近接。さらにメンバーは同じ。そしてレパートリーも『ジャスト・クーリン』のセッションで完成した曲が四つ、バードランド・ライヴでも演奏されているということで、ブルー・ノートのアルフレッド・ライオンとしては、リリースするのはどっちかでいいだろうと、ならばイキのいいライヴのほうを出したい、となったのではないかというのがぼくの推測なんですね。

 

そんなわけで、なかなかクォリティの高い『ジャスト・クーリン』がそのままお蔵入りしてしまったのはちょっと残念でしたが、これがリリースされるというブルー・ノート公式アナウンスを読んで、個人的にいちばんワクワクしたのは「ヒプシピー・ブルーズ」があるということでした。このハンク・モブリー作の曲、大ぁ〜い好きなんですよねえ。

 

もちろん大学生のころから『アット・ザ・ジャズ・コーナー・オヴ・ザ・ワールド』一枚目の1曲目で聴いて惚れちゃっていたわけなんですが、そう、惚れちゃったという表現がピッタリ似合うくらいこの12小節ブルーズの、特にテーマ・メロディの動きのことが、そりゃあもう大好きなんですよね。なんてチャーミングなのだろうと。そして都会の夜によく似合うムーディさ。これがもうたまりません。だからそれが『ジャスト・クーリン』でも幕開けだと知って、ほんとうにうれしかったですね。

 

はたしてスタジオ録音で聴く「ヒプシピー・ブルーズ」は、ちょっと分が悪いっていうか、長年ライヴ・ヴァージョンを聴きすぎてきていたせいで、なんというか、やや物足りない感じがするのは否めません。特にですね、バードランド・ライヴではまずカウントがあってからスネアぼん!が入り、そのままリー・モーガンが一人で出て、5小節目からモブリーが参加しての二管ハーモニーになるその瞬間にグッときていたんですよね。スタジオ・ヴァージョンでは最初から二管のハモリなんで、う〜ん、イマイチ。
https://open.spotify.com/album/6n8t2kQCO0kUzelAz6xXKK?si=BI5VFgDjR1ucgyargapp-w

 

でも旋律が魅力的なのは変わりありませんし、各人のソロだって充実していますから(モブリーはいろんな有名曲を引用しています)、今後はこっちが標準になっていくのかもしれないですね。2曲目以後も、スタンダードの「クローズ・ユア・アイズ」以下、オリジナルはモブリーの書いた曲が多いようですが(音楽監督もモブリー?)、黄金のハード・バップ・フォーマットそのまんまで、古くさいっていえばそうなんですけど、不滅のジャズ・スタイルですよね。

 

こういった音楽は、ジャズ・ファンなら聴けばいつでも落ち着くことのできるものなんですよね。ゴスペル・ベースのファンキーさは薄く、常套的なハード・バップ・アルバムだなと思います。

 

(written 2020.8.3)

 

2020/09/11

いまどきとは思えない古典的ハード・ロック 〜 ラーキン・ポー

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(3 min read)

 

Larkin Poe / Self Made Man

https://open.spotify.com/album/4jwVtyG5s22UpGqKOZishP?si=P4MvgqxQQWyeJAq1E65yiA

 

萩原健太さんのブログで知りました。
https://kenta45rpm.com/2020/06/16/self-made-man-larkin-poe/

 

いまどきめずらしい古典的なブルーズ・ベースのハード・ロック・バンドでしょうね、ラーキン・ポー(Larkin Poe)。通算五作目らしいアルバム『セルフ・メイド・マン』(2020)を聴きました。ラーキン・ポーは二人姉妹バンドで、その遠い祖先がかの作家エドガー・アラン・ポーにつながっているとのこと。ラーキン・ポーというバンド名も二人の曾々々祖父の名前だそうです。

 

1曲目の出だしからしてもう笑っちゃうというか、まるで1960年代末のレッド・ツェッペリンかオールマン・ブラザーズ・バンドかっていうサウンドで、このバンドの音楽志向がよくわかります。二人組なので、ベースやドラムスなどはサポート・メンバーがいるのか、自分たちでの多重録音か、どっちかでしょうね。姉妹の姉メーガンはラップ・スティール・ギター担当ということで、けっこう粘っこくブルージーなプレイで聴かせます。ロバート・ランドルフっぽくもあり。

 

妹レベッカは通常のエレキ・ギターですが、それもゴリゴリのオールド・ファッションドなハード・ロック・スタイル。リード・ヴォーカルをどっちがとっているのかはぼくにはわかりませんが、それも鋭く野太い声で感心しますね。アルバム収録曲はどれもハードなブルーズ・ロック。オリジナル曲ばかりのようですが、6曲目の「ガッド・ムーヴズ・オン・ザ・ウォーター」だけはカヴァー。ブラインド・ウィリー・ジョンスンもやったトラディショナルですね。9曲目「デインジャー・エンジェル」の土台だけがめずらしくアクースティック・サウンド。

 

エッジの尖ったハードなエレキ・ギター(&ラップ・スティール)で構成されるハード・ロック・リフを基調に演奏を展開し、そこにゴリゴリのヴォーカルが乗るという、いかにもな古き良きブルーズ・ハード・ロックをやるラーキン・ポー。そこに2020年ならではの現代性みたいなものがちょっとでも混じり込んでいるのか、ぼくにはちょっとわかりません。

 

でもオールド・ファンの頬をゆるませる音楽には違いなく、ツェッペリンあたりのファンだったらニンマリしそうな作品に仕上がっていますよ。タイラー・ブライアントがゲスト参加の4曲目「バック・ダウン・サウス」では深い南部音楽愛を表明していたりします。

 

(written 2020.8.1)

 

2020/09/10

スカンジナビアン・UK・アメリカーナ 〜 ハナ・ワイト

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(3 min read)

 

Hannah White / Hannah White and The Nordic Connections

https://open.spotify.com/album/6U1jTfjhtQdpZi3dEHHezr?si=y5UZr5VpQQKTbikXFdbIug

 

萩原健太さんにご紹介いただきました。
https://kenta45rpm.com/2020/06/10/hannah-white-the-nordic-connections/

 

イギリスのシンガー・ソングライターらしいハナ・ワイト(Hannah White)。ノルウェイ在住の四人といっしょに組んだバンドのデビュー・アルバム『ハナ・ワイト・アンド・ザ・ノーディック・コネクションズ』(2020)を聴きました。昨年バンドとしての初シングルはリリースしていたようなんですが、アルバムとしては初作品です。これがちょっぴり気になる内容なんですよね。

 

音楽としては米カントリー・ミュージックというかアメリカーナというか、そういったものだと言っていいと思いますが、UKと北欧目線で再構築されたような、そんな清新さがあって、聴いていて気持ちがいいんですね。純真というか無垢というか素直。ナイーヴでストレートなフィーリングが聴きとれます。端的にいえばアメリカ南部臭から来るエグ味がまったくしないカントリーっていう感じですかね。

 

だからそのへん、アーシーな感じがまったくせず、さっぱりときれいにアク抜きされたカントリー・ミュージックに聴こえ、聴くひとによってはかなり物足りない浄水の味わいに思えるんじゃないでしょうか。バンドもギター、オルガン、ペダル・スティール、ベース、ドラムスという標準的な編成で、実にさっぱりあっさりとした演奏をくりひろげ、ハナの清心ヴォーカルの脇役にまわっています。

 

こういったのがスカンジナビアン・UK・アメリカーナっていうんでしょうか、でもそうなるともはやどこの国のどんな音楽だかわからなくなりますよね。録音は、聴いた感じ、これ、ハナの歌もふくめバンド全員の一発合同演奏だったんじゃないですか。そういう意味でのグルーヴはそこかしこに感じられます。アッパーなビート・チューンも、4「シティ・ビーツ」(ボ・ディドリー・ビート )、5「ガタ・ワーク・ハーダー」(ロカビリーふう)と二曲あり。なかなか聴かせます。

 

歌われているテーマは米カントリー・ミュージックの常套に沿ったものが多いですけど、もちろん感触はやはりアク抜き系で。土臭さをまるで感じさせないスライド・ギターやハモンド・オルガンもうまい具合にフィットしていているし、まさにこういう個性ということなんでしょうね。なかなかめずらしい、得がたいタイプじゃないでしょうか。ちょっと気になりますよね。

 

(written 2020.7.30)

 

2020/09/09

不変のバカラック・マジック 〜 EP『ブルー・アンブレラ』

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(5 min read)

 

Burt Bacharach & Daniel Tashian / Blue Umbrella

 

1. Bells of St. Augustine
https://www.youtube.com/watch?v=UyRvMeC89Oo


2. Whistling in the Dark
https://www.youtube.com/watch?v=N_jYXJw05R8


3. Blue Umbrella
https://www.youtube.com/watch?v=BMYjErRdbvA


4. Midnight Watch
https://www.youtube.com/watch?v=RfYKh7P-cZ0


5. We Go Way Back
https://www.youtube.com/watch?v=NBCJG0zEGkw

 

さてさて、以前、どうしてSpotifyで聴けないのか、YouTubeでもバラバラに存在しているだけでアルバム体裁で聴けないじゃないかなどと文句を言ったバート・バカラック&ダニエル・タシアンのEPアルバム『ブルー・アンブレラ』(2020)。グチ言っているだけじゃしょうがないですからね。あのときの文章の終わりのほうに書いたような方法で、自分のiTunes(っていうかアプリの名前はいまや “Music” だけど)でアルバムとして聴けるようにしました。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2020/09/post-986a35.html

 

だからざっとした感想を書いておきます。全五曲、基本的にバカラックが曲を書き、タシアンが歌詞を、といったおおまかな役割分担はあったみたいです。アレンジもバカラックがやっているとのクレジットがありますが、タシアンだってケイシー・マスグレイヴズのプロデュースでグラミーをもらっているくらいですから、今回のこのコラボでもトータルなサウンドの方向性を決めるのに貢献している部分があるかもしれません。

 

セッションはどうやら昨2019年のうちに完了していたという情報があるので、それが確かだとすれば、コロナ時代のオンラインでのリモート・ワークで、といったわけではなかったんでしょう。ナッシュヴィルで行われたというセッションの参加ミュージシャンやアレンジャー、エンジニアなどのクレジットは、以下のタシアンの投稿にしっかり書かれてあるのでご参照ください。↓
https://www.instagram.com/p/CDUA9xmBhxz/

 

ナッシュヴィルでセッションをやったことといい、現地のミュージシャンばかり起用していたり、発売もビッグ・イエロー・ドッグ・ミュージックからというようなこと、など諸々総合的に勘案すると、どうもタシアン主導のプロジェクトだったんじゃないかと思えるフシもありますが、中身の音楽を聴けば、これはもう完璧なるバート・バカラック・ワールド。

 

まず第一弾の先行公開曲だった「ベルズ・オヴ・セント・オーガスティン」がアルバムでもトップに来ていますが、これが本当にいかにもなバカラック的官能。「ルック・オヴ・ラヴ」とか、エルヴィス・コステロとやった「イン・ザ・ダーケスト・プレイス」とか、ああいった路線ですね。ぼくはこういうメロディとコード進行、サウンドにもう本当にメロメロで、聴けばとろけてしまうような恍惚の気分です。

 

今回のEPでは、そのほか2曲目「ウィスリング・イン・ザ・ダーク」、4曲目「ミッドナイト・ウォッチ」(これが第二弾先行公開曲だった)が同様の路線。個人的にはこういったやや暗めの、というかセクシーさ、淫靡さをかんじさせるメロディとコード展開こそバカラックがどんなソングライターよりもすぐれているところだと思っていて、聴けば本当に快感です。言ってみれば昼下がりの情事。

 

しかしバカラックの世界全体をよく見わたし、1960〜70年代に発表された名曲の数々をじっくりふりかえってみると、そういった官能ワールドはむしろ少数派というか例外ですらあって、今回のEPなら3曲目の「ブルー・アンブレラ」みたいな、ふわりとしたやわらかい陽光のもとでの明るさを感じさせる曲のほうが圧倒的にバカラックの書くものには多いです。だから曲「ブルー・アンブレラ」みたいなものにこそバカラックらしさを感じるべきかもしれません。

 

いずれの路線にせよ、2020年(といっても曲づくりと録音は2019年内に終わっていたらしいですが)になって90歳を超えても、往年の、ヒット・メイカーだったころの、バカラックのあのペンの冴えはいまだまったく不変。一度確立した黄金の世界をそのまま維持し磨きをかけ続けているだけという見方もできましょうが、聴けば感動できるこれだけの曲をいまだ書けるというのは驚異的でしょう。レベルを維持し、まったくブレないバカラック。

 

EPアルバム・ラストの「ウィ・ゴー・ウェイ・バック」だけは、クロマティック・ハーモニカ以外たぶんバカラックとタシアンだけの完全デュオ演唱。この曲のメロディ展開にもバカラックらしさ、そのマジックが横溢。ピアノのタッチだっていまだしっかりしているし、不変・永遠のソングライターだ、稀代の天才だという感を強くしますね。

 

(written 2020.8.31)

 

2020/09/08

リー・モーガンのレコード・ジャケットはカッコいい

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(4 min read)

 

リー・モーガンのアルバム・ジャケットを適当に四つ選んで並べてみましたが、ほかにもたくさんあって、このジャズ・トランペッターのアルバムのジャケット・デザインってなんだかカッコいいのが多いと思いませんか。ただそれだけのことなんですけど、ヒップっていうかクールっていうか、リー・モーガンのやる音楽の中身とぴったり一致して本当にカッコいいですよね。

 

きょうはこれ以上なにも言うことがないんですけど、リーの音楽のほうはふつうのハード・バップから、「ザ・サイドワインダー」に代表されるジャズ・ロック調のファンキー・ナンバー、あるいはバラードまでさまざま。そういった中身をよく表しているジャケット・デザインじゃないでしょうか。

 

個人的にいちばん好きなリーのアルバム・ジャケットは『キャンディ』(1958)と『ザ・ランプローラー』(1965)、特に後者です。いまCDクレジットが確認できない状態ですからジャケット・デザイナーがわからないんですけど、写真はたぶんフランシス・ウルフでしょうかね。でもタイポグラフィはリード・マイルズですよね。だから『ザ・ランプローラー』のジャケットはリード・マイルズのデザインかもしれません。っていうかリード・マイルズがブルー・ノート・レーベルのメイン・デザイナーでしたでしょうか。

 

リー・モーガンにかぎったことじゃないんですけれども、1950年代と60年代のジャズのアルバム・ジャケットにおいて、ブルー・ノートがトップ・ランナーであったことは疑う余地がありません。ブルー・ノートはあらゆる面で最高のレコードをつくろうと献身的な努力を惜しまず、魅力的なジャケット写真と、それに付随する裏ジャケットのライナー・ノーツに至るまで、パッケージにおいても決して音楽の質に引けをとることはありませんでした。

 

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エリック・ドルフィー『アウト・トゥ・ランチ』(中身は好みじゃないけど、ジャケットは最高)、ジョー・ヘンダスン『イン・ン・アウト』、ジャッキー・マクリーン『イッツ・タイム!』、ラリー・ヤング『イントゥ・サムシン』、フレディ・ハバード『ハブ・トーンズ』などなど、瞬時に目を惹き、知らない作品であってもレコード・ショップ店頭で見かけたら初邂逅で思わず見入ってしまい、そのままレジに持っていきそうな、そんな魅力的なカヴァー・ジャケットがブルー・ノートには本当に多かったですよね(いまも?)。

 

そんななかでも、特にリー・モーガンの1950〜60年代のレコードは、ジャケット・デザインの秀逸さと、すぐれたデザインのアルバムばかりだという粒揃いの点で、群を抜いていたと思うんですね。実を言いますと、リーのアルバム・ジャケットでいちばん好きな(中身も好き)『ザ・ランプローラー』は、知らないでジャケットだけ見て一目惚れしちゃって、それで聴いてみたというものだったんですからね。

 

(written 2020.7.29)

 

2020/09/07

「誰もが手にとったジャケットを、それこそ穴が空くほど、透視でもするような勢いで見つめていたものだ」

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(6 min read)

 

という、どなただったかネットでの発言を以前見かけましたが、まさしくこのとおりですよね。いまの若い世代の音楽リスナーのみなさんには理解しがたい感覚かもしれませんが、むかしはレコード・ショップ店頭でこのレコードを買おうかどうしようかと迷ったときの判断材料は、ジャケット・カヴァーしかなかったんですからね。

 

いまはサブスクのストリーミングが主流で、あるいはYouTubeでもいいですけど、気になったらちょこっと聴いてみることができますから。でもってストリーミングで聴くわけですから「買う」ということすらもないわけですよね。ぼくもほぼ完全にそういう接しかたになっています。サブスク・サービスがここまでのものになる前はCDなりを買っていたわけですけど、都会の大手ショップだと試聴機が置いてありますよね。

 

もちろんこちらが気になるCDがぜんぶ試聴機に入っているわけじゃありませんが、それでもかなり試し聴きできますよね。いまでも路面店のCDショップへ通っては試聴機で聴いてみて買うかどうかの判断をしているというリスナーのみなさんがまだまだ大勢いらっしゃるはずと思います。

 

お店によっては、たとえば渋谷エル・スールなんかだと、気になるCDなりレコードなり「どんな感じですか?」と原田店主に聞くと、その場でかけてくれるっていうような、そんな親切なお店もあったりします。でもたぶん例外的ですよね。個人商店のアット・ホームな経営だからできることだと思います。

 

そのむかし、いまから40年ほども前のアナログ・レコード(とカセットテープ)しかなかった時代でも、そうやって申し出ればかけてくれる、ちょっと聴かせてくれるというレコード・ショップがなかったわけじゃありません。ぼくの住んでいた松山市内にもそんなお店がちょっとはありました。

 

それでもそんなことは断然例外的なことに違いなく、レコードは音を聴くためのものなのに、肝心のその中身の音がどんなんだかまったくわからないまま買わなくちゃいけないっていうケースがほとんどでしたよね。そんな商品、音楽だけでしょう。聴けないわけですから、見える部分で判断するしか、つまりジャケット・デザインや裏ジャケに書かれてある曲目やパーソネルなど、そんな情報だけで判断するしかなかったんですよね。

 

だから、レコード・ショップ店頭で、そりゃあもう透視でもせんばかりの勢いでジーっとジャケットを凝視すること何分間か、なにかにとりつかれたように、穴があかんばかりの勢いで見つめていたものでした。だってね、それしか判断材料がないんですから。必然的にジャケット買いの習慣が身につくわけです。

 

それにですね、チャーミングな、カッコいい、おしゃれな、ジャケットというのは、それじたいなかなかそそられるものがあって。むかしのレコード・ジャケットは30センチ四方というサイズですから、デザイン商品としての訴求力も大きかったんです。ショップでたまたま偶然発見した魅力的な(まったくだれだかも知らない)レコード・ジャケットのとりこになって、しばらくずっと眺め、そのままレジに持っていくなんてこともよくありました。

 

文字情報もまだ少なかった時代でした。情報が現在のようにあふれかえるようになったのは、間違いなくインターネットの普及以後で、それまでは紙媒体しかなかったわけですから、音楽雑誌や別冊名盤特集とか、ディスク・ガイド本とか案内書とか、そういったものを熟読して、よし!このひとがここまで言うんならこれを買ってみよう!と決断したり、なんてことも多かったですよね。でも個人的な趣味の差がありますから、当たり外れはやっぱりあります。

 

上で書きましたように、大手CDショップの試聴機システムだとかサブスク聴きだとかが一般的になって以後の若い世代のみなさんにはなかなかわかっていただけないメンタルだったかもなと思ったりもしますが、でもいまのサブスク時代にだってジャケット・カヴァーが魅力的に見えるかどうかは大きな意味を持っているに違いなく、スマホやパソコンの小さな画面ででも、やはりジャケットにピンとくる(or その逆)ということはよくありますからね。

 

やっぱりジャケット・カヴァーというのはいちばん表面にポン!と出ている第一印象、<顔>ですから、その印象がくつがえされることも多いとはいえ、やはり聴くか聴かないかの判断を左右する大きな材料であることは、いまでも同じなんでしょう。ショップ店頭でジッと穴があくほど凝視したりすることはなくなったにせよ。

 

(written 2020.7.23)

 

2020/09/06

まっすぐなレトロ・ソウル愛 〜 ジェラルド・マクレンドン

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(3 min read)

 

Gerald McClendon / Can't Nobody Stop Me Now

https://open.spotify.com/album/1bgJNvpaqndDM4Skq9A6WU?si=xwDF8aWOSVyNkfIaMdl5sA

 

萩原健太さんに教えていただきました。
https://kenta45rpm.com/2020/06/17/cant-nobody-stop-me-now-gerald-mcclendon/

 

ジェラルド・マクレンドン(Gerald McClendon)って知ってます?だれなんでしょうホント?新人?紹介してくださっている健太さんのブログにもくわしいことはなにもわからないと書いてあるし、ぼくなんかが知るわけありません。ですが、このアルバム『キャント・ノーバディ・ストップ・ミー・ナウ』(2020)のジャケット・カヴァーを一瞥しただけで、どんな歌手か、中身が想像できちゃいますよね。

 

そう、見た瞬間ちょっと笑っちゃったほどのヴィンテージ・ソウル・ミュージック一直線なこのコテコテ・ジャケ。中身もその期待をまったく裏切らないグッド・オールド・ソウルで満たされているんですね。もうこの、いまどきの2020年のジャケとは到底思えないこれを眺めているだけでおなかいっぱいになりそうじゃないですか。

 

健太さんのブログによれば、地元シカゴでふだんは往年のヒット・ソウル・ナンバーなんかをどんどん歌いまくっているらしいジェラルド・マクレンドン。今年のこの新作はツイスト・ターナーことスティーヴ・パタースンのプロデュースで、収録曲も彼がぜんぶ書いているオリジナルなんだとのこと。オリジナルといってもこんな感じですからぁ、どれもこれも往年の、そう、1960〜70年代のヴィンテージ・ソウルを完璧に模した曲づくりになっています。

 

それをジェラルドがホットに歌っているわけですが、とにかくまっすぐすぎるレトロ・ソウル愛がヴォーカルのはしばしに滲み出ているのを聴きとることができて、ぼくなんかは思わずニンマリ。はい、そうなんです、ソウル/R&Bでもやっぱりこういうのが個人的にはグッと来るんですよね。ジェラルドは本当に古いソウル・ナンバーが大好きなんだなというのがひしひしと伝わってきますよね。

 

ベン・E・キングやマーヴィン・ゲイ、タイロン・デイヴィス、ボビー・ウーマック、ボビー・“ブルー”・ブランド、ウィルスン・ピケット、オーティス・レディングら偉大な先達への限りない敬愛の念をこめた仕上がり。ああいったあたりのソウル・ミュージック愛好家にはもってこいの新人(?)登場です。

 

(written 2020.7.18)

 

2020/09/05

バカラックの新作EPが(日本では)Spotifyでまったく聴けないのはなぜなのか?

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(5 min read)

 

https://open.spotify.com/album/0S04vzLE8EPrLosoHPcEzM?si=hhnskarWTjmvvfbdY0YqRg

 

アルバム・リンクを貼りはしましたけどね、このバート・バカラック&ダニエル・タシアンのコラボによる新作EPアルバム『ブルー・アンブレラ』、Spotifyで一曲たりとも聴けないんです。曲がぜんぶグレー・アウトしているでしょ。これ、なんで?エリア制限がかかっているのか(あなたの国では再生できませんと言われるから)、日本では全滅状態。フィジカル買うほかはYouTubeでしか聴けないんですって。なんてこった。

 

貧乏ゆえにフィジカル買えなくたって、YouTubeで聴けるならそれでいいじゃないかと言われそうですけど、YouTubeにある『ブルー・アンブレラ』はアルバム・フォーマットみたいに曲が連続していないんですね。五曲がバラバラ別個に存在しているだけなんで、だからそのままでは聴きにくいんですよ。

 

ってことはEPアルバムとして聴きたいんならCD買ってねという意味で、しかもそれだって現在アマゾンで品切れ状態ですからね。ネットでは満足に聴くこともできないなんて、いまどきありえない商売のしかたじゃないでしょうか。先行シングル二曲を聴いてかなり期待が大きかっただけにですね、ガッカリ感も強いです。

 

Apple MusicにもないしiTunes Storeでのダウンロードもできないしなあ。しかもですよ、先行シングルの二曲「ベルズ・オヴ・セント・オーガスティン」「ミッドナイト・ウォッチ」は、それまでは聴けたんです、日本のSpotifyでも。EPアルバムが発売されたのは7月31日ですけれど、その時点までは二曲とも聴けました。ぼくは第一弾「ベルズ・オヴ・セント・オーガスティン」をその先行公開時に聴いておおいに感動し、記事にしたんですから。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2020/06/post-ddcceb.html

 

ところが7/31にEPが発売されてしばらく経って、それら先行公開されていた二曲も聴けなくなってしまいました。もとからちっとも聴けないほかの三曲とあわせ、アルバム全曲がグレー・アウトしちゃったんですね。せめてそれまで聴けた先行の二曲は残しておいてくれてもよかったと思うのに、どうして消しちゃったんですかね。

 

不審に感じて、ネットを検索していたら、このニューEPを宣伝しているダニエル・タシアンのInstagram投稿が見つかったので、素直に疑問と要望をコメントしてみました。そうしたらダニエルは、ぼくにもわからない、ちょっと調べてみましょう、と返事してくれたのが三週間くらい前のこと。

 

待っていれば、そのうちストリーミングでも公開されるんでしょうか?フィジカル発売から数ヶ月、あるいは数年、数十年待たされるっていうのは配信の世界ではよくあることです。でも待つのは長くてもせいぜい一年程度にしておいてくださいよ。あんまり待つんならぼくの健康寿命のほうがあぶないですからね。

 

とはいえ、方法がないわけじゃありません。あんまりおおやけには推奨できないやりかただと思うんですけど、とあるアプリを使えばYouTubeからサウンド・データだけをローカル・ストレージにダウンロードできるんですよ。ぼくがふだんからときどき使うMac用アプリで、設定しておけばダウンロード完了後そのまま自動的にiTunesに入ります。

 

バカラック&タシアンの『ブルー・アンブレラ』五曲も、YouTubeではバラバラに存在していても、一個一個そうやってダウンロードしてはiTunesに入れて、最終的に手動で整理してアルバム体裁でプレイリストを作成すればいいんですからね。

 

ちょっとメンドクサイけど、Spotifyなどで解禁になるまでのあいだ、それでしのいでおくしかないんでしょうね。はぁ〜、早くエリア制限を解除して、日本でもSpotifyで聴けるようにしてくれ〜。

 

(written 2020.8.26)

 

2020/09/04

貧乏人の音楽好きにとって

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(4 min read)

 

生活が7/20を境に激変してしまったぼくですが、おかげでCDを買うというようなことは、以前から激減していたとはいえ、もはや今後はほぼ皆無になったと言っていいでしょう。お金がなくなったんですよね。貧乏人になりました。わさみんこと岩佐美咲ちゃんのイベントなどにもいっさい行けなくなりました。来年四月までは月8万円でやらなくちゃいけないんですからね。それ以後も10万円程度の生活です。

 

それでも音楽を聴くことだけはやめられません。衣食住の次に大切なのが音楽ですからね。いままで買って持っているCD(からインポートしたファイルでも)を聴けばいいじゃないかと思われるかもしれませんが、やっぱり新しいリリース作品、過去作でも知らなかったもの、などを聴きたいわけですよ。だれかが話題にしていて気になって、やっぱり聴いてみたいと思えるものはめっちゃあります。

 

そんなとき、ぼくは真っ先にSpotifyで検索します。あればそのまま聴く、なければいまはあきらめるしかないんですね。Spotifyを無制限に楽しめるためにかかる費用は月額わずか980円。たったこれだけ。980円さえ払えばどれだけ聴こうがそれ以上一円もかかりません。これが貧乏人の音楽愛好家にとってどんだけ助かることか。

 

ひと月980円でひと月に何枚CDが買えますか?ダウンロードできますか?アルバムにしておよそ一枚も不可能でしょう。ところがSpotify(だけじゃなくほかのストリーミング・サービスもほぼ同じみたいですが)なら980円だけで何百枚聴こうとタダなんですからね。

 

アルバム一枚最低でも1000円程度はするというフィジカルやダウンロードの世界をあきらめて、たぶんぼくはその世界にはもういない、いられなくなったので、980円で無制限に聴き放題というストリーミングの世界の住人になりました。一ヶ月に980円なら貧乏人にだって払えます。それでもって高音質で、いくら大量にでも好き放題聴けるんですから。

 

CDを買う、ダウンロードする、というみなさんはやはりそれなりにちょっとはお金があるんでしょう。いやいや、こっちも裕福じゃないんだと言われそうですけど、一枚も買うことなどかなわなくなったぼくから言わせればそこそこ余裕があると言えます。いまのぼくには「買う」という行為が、日々の食料品以外はなにかよっぽど特別な機会じゃないかぎり、不可能になったんですから。

 

引越しもして、家のなかにCDでも本でも増やせない状態にもおかれていますから、物理的にも音楽フィジカル商品を買うことはできません。パソコンやスマホによるストリーミングで音楽を楽しむというのが、現在のぼくに残された唯一の音楽享受の選択肢なんですね。現在のような生活状況におかれることになるとは、ちょっと前まで予想もしていませんでしたが、図らずも数年前からSpotify中心の音楽ライフに移行していて、ある意味ラッキーだったのかもしれません。

 

(written 2020.7.24)

 

2020/09/03

さわやかに一体化した声とギター 〜 メリー・ムルーア&オラシオ・ブルゴス

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(4 min read)

 

Mery Murua y Horacio Burgos / Roble 10 Años

https://open.spotify.com/album/358kTYUCrGTRWRT9gYz99K?si=Q8c5KuK-TxOLPXnNHV2Dsg

 

ジャケ聴きです。これはワイン・ボトルのラベルですよね。アルコール類をいっさい受け付けない体質の下戸なぼくですけど、こういったワイン・ボトルの写真を、実物でも、見るだけなら好きです。で、どんな音楽かな?と興味がわいて、ちょっと聴いてみたんですね。

 

主役のメリー・ムルーアはコルドバ(アルゼンチン)の歌手。伴奏をつとめてきたギターリスト、オラシオ・ブルゴスとのタッグが10周年を迎えたということで、それを記念して、ワインの10年ものみたいな感じのジャケット・デザインとアルバム題でリリースされたのが、この『Roble 10 Años』(2017)なんでしょうね。

 

メリー・ムルーアとオラシオ・ブルゴスのコンビ10周年記念アルバムということだからなのか関係ないのか、今回のこの『Roble 10 Años』、全編ギターとヴォーカルの完全デュオで構成されています。ほかの楽器などはいっさいなしの、ふたりだけ。いままでもそれに近いサウンドのアルバムを出してきていたようですが、今回は徹底しています。

 

メリーもオラシオも、アルゼンチンのいわゆるフォルクローレの音楽家とされているらしく、といってもその世界のことをなにひとつ知らないぼくは、アルバム『Roble 10 Años』を聴いても音楽ジャンルのことなどピンときませんし、収録曲も一個も知りません。でも、このサウンドと歌のこのまろやかな清涼感がとても気に入ったんですね。

 

クールな感触もあって、ちょっとキューバやメキシコのフィーリンを思わせる音楽だなと感じます。むろんフィーリンとはぜんぜん違うわけですけど、ちょうどホセ・アントニオ・メンデスがギター弾き語りで自分のレパートリーを歌っている、ああいった世界と共通する感触を、このメリーとオラシオのデュオ・アルバムにも感じます。

 

それをあえて言語化すれば、「洗練」ということになるんじゃないでしょうか。特にオラシオのギター・ワークに強いそれを感じるんですけど、メリーのヴォーカルだってすんなり素直に、こねくらず、スーッとストレートに発声していますから、一種のフィーリンっぽいソフィスティケイションをぼくが感じるのも当然かなと思います。

 

しかもこの二名のギター&ヴォーカルのデュオ、上で示唆しましたように、まるでひとりでの弾き語りであるかのように聴こえます。二名で役割分担しているにもかかわらず、一体化していて、たぶん10年いっしょに活動しているというキャリアのなせるわざなのか、こ〜りゃすばらしいですね。メリーはすっと歌っているだけかもしれませんが、オラシオの伴奏がうまいんでしょうね。そんなところもポイント高しです。

 

もう九月に入りましたが、こちら愛媛県松山市ではまだまだ真夏の猛暑が続いていて、予報では今夜〜明朝の最低気温がなんと30度となっています。こんなの、熱帯夜じゃなくて、なんと呼んだらいいのか?そんな日でもこの『Roble 10 Años』を聴けば、ちょっとしたさわやか感を味わえて、本当に心地いいですね。

 

(written 2020.9.2)

 

2020/09/02

衰えたなりに聴けるエレーニ・ヴィターリの2020年作

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(3 min read)

 

Eleni Vitali / Peras' Apo Do I Eleni?

https://open.spotify.com/album/3sydYro0xad8Z1NzJ5Vcpr?si=FhZD71-OQiacPKkbQ8JKoQ

 

ギリシアの歌手、エレーニ・ヴィターリ66歳。声に衰え著しく引退を発表したハリス・アレクシウのわずか四歳年下ですが、エレーニのほうはそれなりにある程度は喉を維持しているとしてもいいんじゃないでしょうか。2020年新作『Peras' Apo Do I Eleni?』を聴いて、そう感じました。っていうか個人的にはハリのなくなった年寄りの声というのがわりと好きという妙な趣味もありまして。

 

そう、だからエレーニの声もだいぶ衰えてはいます。2020年作でも低音部から一気に高音部へと駆け上がるような伸びやかさはすでに失われていて、声の張りというか艶みたいなものも弱くなっていますよね。しかしですね、この作品みたいなハードボイルドなレンベーティカ系音楽だと、あんがいこういった枯れた渋めの声質が似合って聴こえるといった面があるんじゃないかと、個人的にはそう思うんですね。

 

レンベーティカ系作品といいましても、モダン・ライカふうのものも混じっているというか交互に出てくるような感じで、ライカ、あるいはちょっとロックっぽいフィーリングに聴こえるものだってあります。モダン・ライカふうの曲だといまのエレーニの声ではちょっと弱いかなと思わざるをえない面もありますね。たとえば1、3、5、7、9曲目なんかはそうかもしれません。

 

エレーニの声や歌唱は、それら以外のレンベーティカ系歌謡でもまったく同じなんですけど、曲想や伴奏次第で聴こえかたが変わるもんだなあと実感します。偶数曲のレンベーティカ(からライカへ、という流れがエレーニの本領でしょうが)系のトラディショナルな感じの曲と伴奏であれば、これくらいの声でもまだまだ聴かせる、というかむしろ渋みが曲に似合っているんじゃないかとすらぼくは感じますね。

 

年齢とともに衰えて張りと艶が弱くなって、ややひなびたような感じになった声質が、レンベーティカみたいな港の酒場の無頼者の音楽にはあんがいフィットするような面があるんじゃないでしょうか。暗く哀しくつらい音楽に聴こえてしまいますが、そういうものを求める心情のときがリスナーにだってありますから。

 

(written 2020.7.17)

 

2020/09/01

多彩なゲスト参加で攻めるディオンの新作ブルーズ・アルバム

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(3 min read)

 

Dion / Blues with Friends

https://open.spotify.com/album/70StIKUEqkP9b5irez4XZD?si=vmLBcH0CRzSi_9zO9_-aVA

 

萩原健太さんに教わりました。
https://kenta45rpm.com/2020/06/08/blues-with-friends-dion/

 

80歳にして驚異的に声が衰えないディオン。今2020年の新作『ブルーズ・ウィズ・フレンズ』は、アルバム題どおり友人ミュージシャンたちを一曲ごとに替えながら迎えて行ったブルーズ・セッションズ。といっても必ずしもブルーズとはいえないものもふくまれていますが、大半がなんらかの意味でブルーズ・チューンと言えるもので占められているとしていいでしょう。

 

一曲ごとに替わるゲストがこりゃまた豪華で、ジョー・ボナマッサをはじめとして、ブライアン・セッツァー、ジェフ・ベック、ジョン・ハモンド、ヴァン・モリスン、サニー・ランドレス、ポール・サイモン、ブルース・スプリングスティーン、ローリー・ブロックなどなど、そうそうたる顔ぶれなんですよね。多くのばあいギターリストが招かれていますが、ハーモニカやヴォーカルのゲストもいます。

 

ディオンだからこそできたこんな贅沢な企画、アルバムの中身もその期待に反しない充実の内容になっているんですね。いちばんの聴きものはやはりディオンのヴォーカル。最初に書きましたが、ホント80歳でどうしてこんなに声が若いんだろう?と不思議に思っちゃいます。ゲストもベテランばかりですが、ハツラツとしていて、互いに刺激を受けあいながらセッションを進めていった様子が目に見えるようです。

 

1曲目の直球ストレート・ブルーズ「ブルーズ・カミン・オン」から絶好調ですが、ちょっぴりラテンなブルーズ・ロックの2曲目「キッキン・チャイルド」、ブライアン・セッツァーのギターが炸裂する3曲目「アップタウン・ナンバー 7」と快演が続きます。ヴァン・モリスンを迎えた6曲目「アイ・ガット・ナシン」も沁みますね。

 

それ以上に感心したのはジェフ・ベックがギターを弾く4曲目「キャント・スタート・オーヴァー・アゲン」です。ソウル・バラードだといっていいと思いますが、切々とつづるディオンの歌も最高だし、ジェフのギターがこりゃまたまろやかでコクがあって、最高の聴きものなんです。1960年代から活動しているクラシック・ロック系のギターリストのなかでは個人的にいちばん好きですね。この音色を聴いてほしいです。

 

ローリー・ブロックが参加してアクースティックなスライド・ギターを弾くデルタ・ブルーズふうの12曲目「トールド・ユー・ワンス・イン・オーガスト」もなかなかですし、さらにポール・サイモンが参加しているサム・クック・トリービュート・ソングの10曲目「ソング・フォー・サム・クック(ヒア・イン・アメリカ)」は2020年というこの時代に呼応した内容で、示唆深いものがあります。

 

(written 2020.7.15)

 

2020/08/31

聴きやすいチャック・ブラウン『バスティン・ルース』

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(5 min read)

 

Chuck Brown and the Soul Searchers / Bustin’ Loose

https://open.spotify.com/album/4nphFPujtiSkWJhL0zXzub?si=VTKFKonVSXuXklXwsxAegQ

 

ひさしぶりにチャック・ブラウン&ザ・ソウル・サーチャーズのアルバム『バスティン・ルース』(1979)を聴きました。思い出したきっかけは、六月にミック・ジャガー(ローリング・ストーンズ)が「最近聴いているもの」というプレイリストにこれのアルバム・タイトル曲を選んで入れていたからで、あのプレイリストを聴いていて曲「バスティン・ルース」が流れてきて、あぁこれはやっぱりいいなと感じ入りました。
https://open.spotify.com/playlist/4r3aUpdoQEKdQ9WXdsWwQT?si=CW0YkkNrQ7mgOPdO7EohBQ

 

もちろんワシントンDCのいわゆるゴー・ゴー・ミュージックの代表作なわけですけど、1979年ですからね、まだゴー・ゴーが世間的にはブレイクする前の作品です。ゴー・ゴーの流行ってたぶん1980年代半ば〜後半だったと思いますから、その数年前にそれがすでに確立されていたという見方ができますね。チャック・ブラウンはもちろんゴー・ゴーのキングで、アルバム『バスティン・ルース』もその代表的傑作とされるものです。

 

ですが、今回聴きなおしてみて、いわゆるゴー・ゴーの枠内には決して収まらない幅の広いアルバムでもあるなとの感想を持ちました。1曲目「バスティン・ルース」が典型的にそうであるように、ゴー・ゴーはとにかくダンス・ビートで、BPM100くらいのテンポで、延々とリズムを強調しながら、クラブなんかでは一晩中演奏しているという、そういったものですが、レコード収録ということで短めに刈り込まれています。

 

これがしかしのちのゴー・ゴー・バンドとかになると、レコードなどでも一曲10分超えもあたりまえで、そりゃあダンスのための音楽なんだからそのほうがいいわけで、スローでメロウなフィーリングの曲もあまりなく、っていう感じになっていったんですが、チャック・ブラウンのアルバム『バスティン・ルース』だとジャンルの先駆にして、聴きやすい音楽としてまとまっているなとの印象も強いです。

 

ゴー・ゴー・ビートの1曲目「バスティン・ルース」も、ダンスにいいけど聴いても楽しくて、このビート感としゃべるように歌うチャックのヴォーカルとバンドの演奏が、ダンス・ビートばかり強調しすぎない中庸なというか、部屋で聴くのにもちょうどいい感じの曲として完成されていますよね。しかもなんだかジャジーでもあります(アルバム全体に言えることですけど)。

 

2曲目はジェリー・バトラーの曲で、メロウなラヴ・バラード「ネヴァー・ゴナ・ギヴ・ユー・アップ」。これなんかきれいなソウル・ナンバーですよね。ゴー・ゴー・バンドの本拠地だったライヴ・クラブなんかでは息抜きとして作用したのかもしれません。スロー・ナンバーはもう一曲あって、5曲目の「クッド・イット・ビー・ラヴ」。これもきれいなラヴ・バラードですね。

 

これら二曲以外はやっぱりダンス・ナンバーですけど、曲が長すぎないし、アルバム全体でも39分と、集中して聴くのにちょうどいい頃合い。ゴー・ゴーがどうとかいうんじゃなく、聴きやすいソウル/ファンク・ミュージック作品として、部屋のなかでちょっと膝をゆすったりするものとして、適切なアルバムじゃないかと思いますね。

 

アルバム・ラストの7曲目「ベロ・イ・ソンバロ」にはラテンな香味もただよっていて、なかなか味なファンク・ナンバーです。なお、このアルバムで、というか当時のチャック・ブラウンのバンドでドラムスを叩いていたリカード・ウェルマンとは、すなわちマイルズ・デイヴィスが1987年に雇い、マイルズのラスト・ドラマーになったリッキー・ウェルマンそのひとです。

 

(written 2020.7.14)

 

2020/08/30

テキスト書きアプリをJeditからBearへ移行する理由

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(6 min read)

 

ブログ用などテキスト書き・編集作業のためのアプリを、JeditからBearへ完全移行させることを考えていて、すでにかなり移行が進んでいます。理由はiPhoneやiPadでもストレスなく快適に作業したい 〜〜 この一点、これのみです。

 

Jeditには本当にすばらしいテキスト・エディタなんですけどMac用しかなくモバイル・アプリが存在しないんですね。それでも方法を見つけていままでなんとかシンクロさせながらどうにかやってはきましたが…。

 

モバイル・ディヴァイスでもの書きするには、大きな障壁が二つありました。(1)ソフトウェア・キーボードでは満足に入力できない 。(2)充実した優秀なテキスト・エディタがモバイル用には、特にMac、iPad、iPhoneの三者でシンクロさせながら使えるものが、あまりない。

 

しかしこれらもすでに解決しつつあります。

 

現状、Macというかパソコンは(オフィスなどでの事務作業を除き)すでに一部の限られた人のためのものになりつつあり、ネットなんかはもはやだれもパソコンでやっていないかもしれませんし、そのほかほぼすべてのデジタル作業をモバイル・ディヴァイスで完結できるようになっています。現実、世界のたくさんのみんながそうしているはず。

 

ぼくなんかも世代的にはMacパソコンから使いはじめた人間ですけれども、これからもずっと使い続けるとは思いますけれども、iPhoneやiPad(特にテキスト書き・編集のときはiPadが便利)へと環境がだいぶ移行しつつあります。

 

ネットで調べものをしたりSNSで遊んだり写真を写して整理をしたり音楽を聴いたりなどなど、ほぼすべてのことがモバイルでできるし、そっちのほうが便利ですし、現実にそうなりつつあるいま、テキストを書くとき「だけ」MacでJeditを使う、というのは、非効率的なんですね。テキスト書き以外の作業ともシームレスにつながりません。

 

事実、ぼくにとってMacでしかできない作業はテキスト書きだけだったんですけど、だからそうしていたんですけれど、もう最近はモバイルでものを考え書くようにしたいし、そうなりつつあります。iPad、特にiPad Proなんか、専用の物理的キーボード(Magic Keyboardなど)につなげれば、もはやこれがモバイルだと意識すらさせません。一台の小さな、そして完璧なMac以上なのです。でありながらしかし取り外せばそれはモバイルなんです。

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ぼくはもう、そういうテキストの書きかたをしたいんです。Mac、iPad、iPhoneの三つでシームレスにシンクロさせながら、いつでもどこででも、思いついたときにすっと快適に書きたい。基本的にはMacで書くにしても。

 

さらにモバイルでも充実した優秀なテキスト・エディタがいくつも登場してきています。その代表二つがBearとUlyssesでしょう。BearもUlyssesもMac、iPad、iPhoneの全ディヴァイスでシームレスに自動シンクロさせながら使えるんですね。しかもテキスト・アプリとして優秀で便利ですし、充実していて不足ありません。メモ、ノートだけでなく、本格的な長文もストレスなく書けます。

 

テキスト・エディタとしてはUlyssesのほうが高機能なのかもしれませんが、買い切り型ではなくサブスクリプション型で、しかも年間5400円という金額。これはちょっと払えないですね、毎年毎年5400円はですね。すでに愛用しているBearもサブスク型ですけど、年額1500円ですから、現実的です。それにBearはとにかくUIが美麗で、使っていて快感なんですね。シンプルな使い勝手もベスト。

 

Bearを知り、サブスクリプションをはじめてBear Proへ移行したのは三年ほど前のこと。メモ、ノート・アプリとして便利に使ってきましたが、すこし前から長文書きもふくめ、ほとんどすべての執筆活動をこれで行うようになっています。iPadやiPhoneも多用しながら。

 

1995年の初登場以来25年間ずっとJedit系を愛用し続けてきた身としては、ちょっと後ろ髪を引かれる思いなんですけれども、べつにJeditとの縁が切れちゃうわけじゃありません。メイン・エディタでなくなるだけで。でも時代はいまやネット&モバイル時代。それでディヴァイス間をシンクロさせながら全作業をシームレスにこなせなかったら、取り残されていってしまうかもなと思います。

 

ぼくにとってテキスト書きは「日常」なんですよ。

 

(written 2020.8.25)

 

2020/08/29

ハンク・モブリー『ポッピン』ではバリサクが好き

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(6 min read)

 

Hank Mobley / Poppin'

https://open.spotify.com/album/0fGG4NXcCWzTcpYGrcyCtc?si=LAUpCKn5Qwi-yVBACmlDjQ

 

ハンク・モブリーのブルー・ノート作『ポッピン』。1957年10月20日録音ながら、この世にはじめて出たのが1980年、しかも日本でのことだったみたいですね。当時このことをちっとも知らず、っていうかごくごく最近までこんなアルバムがあることに気がついてすらいなかったです。ついこないだのことですよ、いつものSpotify徘徊でこのアルバムのジャケット(上掲、オリジナルじゃないみたい)が目にとまり、あ、いいな、ちょっと聴いてみようかなとなったんです。

 

しかもそのジャケットにはバリトン・サックスが写っているでしょう。これが大きかったですね、バリトン・サックスの音色が大好きなんで。きっとバリサクが入っているんだろう、それなら、となったんですね。はたせるかな、このモブリーのアルバムにはペッパー・アダムズが参加していて(アート・ファーマーもいる三管)、バリバリ吹きまくってくれているんですね。そこが個人的にポイント高しです。

 

全五曲のこのアルバム、レコードもCDも知らないんですが、調べてみたら4、5曲目がB面だったらしく、そのB面分のほうがそれまでのA面分三曲よりいいんじゃないかと思います。二曲とも10分越えという、標準的なハード・バップ・チューンとしては長尺。4曲目がマイルズ・デイヴィスの「チューン・アップ」で、これが快調でみごとですよね。主役のテナー・サックス演奏はこんなもんかなと思います。

 

ちょっとよりみちしますが、マイルズ作となっている「チューン・アップ」は、実はマイルズではなくサックス奏者のエディ・クリーンヘッド・ヴィンスンが書いた曲であるというのは、わりと知られていることじゃないでしょうか。たぶんヴィンスンはマイルズのために書いたんだと思います。初録音が1953年の5月19日ですけど(プレスティジ盤『ブルー・ヘイズ』)、同年の1月か2月ごろマイルズはすでにライヴで演奏したという記録が残っています。『クッキン』収録の56年ヴァージョンが有名でしょうね。

 

マイルズ関連でもっと脇へ行くと、モブリーのこの話題にしている『ポッピン』、「チューン・アップ」に続く5曲目「イースト・オヴ・ブルックリン」(モブリー作)では、テーマ演奏部でだけラテン・リズムが使ってありますね。そういえばマイルズっていわゆるハード・バップ時代にラテン調リズムの曲をやったことがないんじゃないですか。

 

1960年代後半〜70年代以後はあんなに中南米リズムを追求したマイルズなのに、それ以前のハード・バップ時代にまったくやったことがない(かどうか、ともかくいまぱっと一つも思い出せない、「フラメンコ・スケッチズ」もスケールだけ)というのは不思議だったような気もします。ジャンル成立当初からジャズとラテン音楽の縁は深いし、なんでもない通常のハード・バップのなかにあんなにアフロ・キューバン・リズムがあるのにねえ。典型的ハード・バッパーのソニー・クラークだってたくさんやっていますよねえ。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-4a2c.html

 

あ、ソニー・クラークといえば、きょう話題にしているモブリー『ポッピン』のピアノもソニーなのでした。ソニーは作編曲能力に長けたひとなんで、だからリーダー作のほうがおもしろいんじゃないかというのがぼくの見解ですけど、こうやってセッション・ピアニストとしてもブルー・ノートでたくさんの作品に登場します。録音のせいもありますが、このゴロンとした決してなめらかではないピアノ・サウンドが、ソニーのばあいだとイイネと感じたりイマイチに思ったり。

 

さて、『ポッピン』に参加している注目のバリトン・サックス奏者ペッパー・アダムズですが、べつにアダムズじゃなくてもバリサクであればだれでもよかったんです。この低音サックスのことがなぜかずっとむかしからぼくは大好きで、そう、大学生のころにジェリー・マリガンとか(デューク・エリントン楽団の)ハリー・カーニーとか、もうホントどんどん聴いていました。ビッグ・バンドだと必ず一名いるんで、うれしいですね。

 

音域のこともさることながら、たぶん(エキゾティックな感じがする?)独特のその音色が好きなんだと思うんですよね。しかもバリサクだけを大々的にフィーチャーしているものよりも、このモブリーの『ポッピン』みたいにメンバーの一員としてときおりそのサウンドが聴こえてきたその瞬間に、あぁいいな〜!って感じちゃいます。ゴリゴリ、バリバリ、しかもなんだか都会の夜のメロウネスを感じる音色で、バリトン・サックスってほ〜んと魅力的。

 

(written 2020.7.13)

 

2020/08/28

ナターリア・ラフォルカデのメキシコ古謡集

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(3 min read)

 

Natalia Lafourcade / Un Canto por México, vol. 1

https://open.spotify.com/album/6yDcHjoEqNkkl9UC6KSlFE?si=vCJvte8ERuO_Yx0FZmV3gw

 

メキシコのナターリア・ラフォルカデ(Natalia Lafourcade)。いままでに二作出しているラテン・アメリカン古謡シリーズのことはこのブログでもとりあげました。今2020年の新作は、汎ラテン・アメリカというわけではなく、出身地のメキシコに限定しての、やはりルーツ探訪シリーズなんですね。メキシコに焦点を絞ったのには理由があったそう。

 

実はこれ、2017年にメキシコ中央部で起きたプエブラ地震で大きな被害をこうむったソン・ハローチョ・ドキュメンテーション・センターを再建するプロジェクトの一環として制作されたアルバムだということなんですね。ナターリアは昨2019年の11月、このドキュメンテーション・センター再建のためのベネフィット・コンサート『ウン・カント・ポル・メヒコ』、英語でいえば “A Song for Mexico” を多数のゲストを迎えながらロス・アンジェルスで行なったようで、そのコンサートのタイトルをそのまま流用して制作されたのが今回の新作アルバムというわけです。

 

アルバムはやはりメキシコの古い歌の数々に焦点が当てられた作品ということで、実際聴いてみてもわりとストレートにメキシカン・フォークロアをとりあげているなという印象です。いかにもなフォークロアから、それでもモダンなアレンジをほどこしたものまで様相はさまざま。だれがプロデューサー/アレンジャーなのかわかりませんが、ナターリアのばあい、多少はみずから手がけていそうな気もしますよね。ゲスト参加も多彩で豪華で、ナターリアのヴォーカルはかなり落ち着いたムードで、アルバムの音楽に深みを与えています。

 

ドキュメンテーション・センターの創設者でもあるソン・ハローチョ・グループ、ロス・コホリーテスをはじめ、カルロス・リヴェラ、レオネル・ガルシア、ホルヘ・ドレクスレル、エマニュエル・デル・レアル、パンテオン・ロココらが曲ごとに入れ替わりながらゲスト参加。「パラ・ケ・スフリール」とか「ヌンカ・エス・スフィシエンテ」とか過去のレパートリーをゲストたちと新鮮に再演したり、いきいきと聴かせてくれるのもいいですね。

 

なかでも特にウルグアイのホルヘ・ドレクスレルをゲストに迎えた8曲目「パラ・ケ・スフリール」なんか、本当にキラキラしていてみごとです。ブラスのアレンジも曲想もまるでバート・バカラックを彷彿させる洗練された内容で、ブラジル音楽っぽさもあって、魅力的ですよね。カエターノ・ヴェローゾも歌ったラスト14曲目の大スタンダード「ククルクク・パローマ」(トマス・メンデス作)はアルバム・エピローグで、ナターリアひとりでのギター弾き語りです。

 

(written 2020.7.16)

 

2020/08/27

暑さで弱った心に 〜 サンバとボサ・ノーヴァの中間あたりで、エドゥアルド・グジンとレラ・シモーイス

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(3 min read)

 

Eduardo Gudin, Léla Simōes / Eduardo Gudin e Léla Simōes

https://open.spotify.com/album/0sVwj8ke98uf0W47syvFsc?si=IALJ5wzTSe6BLjIyydFdhw

 

きれいでいいジャケットでしょう、それだけでちょっと聴いてみようという気になったアルバムです。ブラジルのエドゥアルド・グジンがレラ・シモーイスと全面共演した『Eduardo Gudin e Léla Simöes』(2019)。こ〜れがいいんですよね。真夏の灼熱猛暑もなんだかちょっとピークを越えつつあるのかなと思わないでもないここ数日ですけれど、今年のひどい暑さにバテている心をそっとやさしく癒してくれる、そんな音楽じゃないかなと感じています。

 

このアルバム、エドゥアルドが牽引しての作品に違いありません。エドゥアルドはプロデューサー/シンガー・ソングライターにしてギターリスト。音楽的には軽めのサンバからボサ・ノーヴァにかかるあたりのテイストを持っていると言えるんじゃないでしょうか。レラはゲスト・ヴォーカルですけど、曲によってはヴァイオリンも弾いているようです。さらにゲストといっても、全面的に歌でフィーチャーされていますよね。エドゥアルドも歌っています。

 

まずなんといってもエドゥアルド(とほかのひととの共作も多いみたい)の書いた曲がいいし、サンバの香りを残しつつボサ・ノーヴァに寄ったようなギター演奏の刻みも心地いい。エドゥアルドもレラもヴォーカルのほうはほぼ完璧なボサ・ノーヴァ・スタイルじゃないでしょうか。伴奏はエドゥアルドのギターのほか、コントラバス、ほんの小さな音でのドラムスの三者がメイン。ちょこっとだけほかの楽器が入ることもあり。ドラマーはほとんどの曲でまるでシェイカーみたいなシンプルで控えめな演奏に徹しています。ギターは多重録音してあるかゲスト・ギターリストがいるかで、とにかく二本聴こえる時間もありますね。

 

そんな感じのサウンドで、この軽いサンバ/ボサ・ノーヴァのやわらかいノリとヴォーカルが、やさしい涼感をともなってぼくら聴き手の心を癒してくれるように思うんですね。どこまでも激しさはゼロで、軽く、控えめに、ソフトに、そよ風のようにふわりとただよってくるギターとヴォーカルが本当に心地よくて、真夏のあいだ毎日のように聴いていました。体感温度がちょっと下がりますね。

 

心地いいギターのリズムに乗るソフトなヴォーカル、特にアルバム前半の2〜5曲目あたりはこりゃもうなんど聴いてもため息が出る至福の時間です。サウダージ一色のアルバムですけど、聴いていてとても幸せな気分で満たされていく作品です。

 

(written 2020.8.22)

 

2020/08/26

渡辺貞夫さんが歌手を使いはじめたころ

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(5 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/4L5Wby2qUywvh0K87RudDq?si=08rCS-LaS_6ZwWn2BnXoXw

 

渡辺貞夫さんが自身のリーダー・アルバムでヴォーカリストを起用するようになったのは、1983年の『フィル・アップ・ザ・ナイト』からでした。続く84年の『ランデブー』、85年『マイシャ』と連続起用。ストレート・ジャズな作品をはさみ86年の『グッド・タイム・フォー・ラヴ』でも使っています。それまでは歌手をフィーチャーしたことなどありませんでした。

 

いまだから正直に言いますが、ぼくはあのへんの貞夫さん+歌手の作品がキライでした。だれにも言わなかったけど、ケッ!とかって内心思っていたんですよね。いま考えたら意味のわからないことです。ですが、ぼくは当時ジャズのなかに(っていうかフュージョンと呼ぶべきか)ポップなヴォーカルが入るのをあまり好ましく思っていなかったんですよね。それは事実だったんで、はっきり認めておかなくちゃいけません。

 

1983年の『フィル・アップ・ザ・ナイト』のレコードを買い、一曲ヴォーカルが入っているのを聴いて、「なんだこれは!?」と思ったんでですから。しかもそれが「フィル・アップ・ザ・ナイト」というアルバム・タイトル曲だったから、いわばアルバムの目玉のようなものとして歌手がフィーチャーされているんだなあと知って、なんだかガッカリしたのを憶えています。そう、ガッカリしたんですよ、アホでしょう。

 

アルバムのほかの曲はそれまでの貞夫さんのイメージから外れない従来的なポップ・フュージョンで、だから歓迎だったんですけど、そう、期待のなかにおさまっているか従来イメージから外れているかみたいなことが当時のぼくにとって大切なことだったのかもしれません。バカバカしいことです、貞夫さんの音楽は貞夫さんのやりたいようにやればいいのに、どうしてファンのぼくがイメージを決めつけることができると考えたのでしょう?いまとなってはさっぱり理解できませんが、当時はそうだったんです。

 

しかもですよ、ここが当時たいへん重要なことだったんですけど、ぼくが貞夫さんのレコードを、発売されたリアルタイムではじめて買ったのが、その『フィル・アップ・ザ・ナイト』だったんですよ。ずっと前にこのブログで書いたことがありますが、ぼくは貞夫さんのレコードをほとんど買ったことがなく、超高名な『カリフォルニア・シャワー』と次作の『モーニング・アイランド』だけ持っていて、それ以外は知らん顔をしていた、というよりかラジオとライヴでぜんぶ聴けたんですよねえ、だから。

 

松山で開催されるコンサートにも毎回必ず行っていたし、FM 番組『渡辺貞夫マイ・ディア・ライフ』も毎週欠かさず録音しながら聴いていました。それで、大学生活の四年間ですっかり貞夫さんへの期待値が高まっていたところで、じゃあ、っていうんでいざ発売されるとなった新作『フィル・アップ・ザ・ナイト』をワクワクしながら買ったんですよ。そうしたらヴォーカル・ナンバーがフィーチャーされていて。

 

それでもめげずにその次作1984年の『ランデブー』も買ったんですけど(ジャケットは大好きだった)、今度はヴォーカル・ナンバーが二曲もあったんですね。もうそれですっかりイヤになったぼくは、ラジオ番組を聴いたりライヴに行ったりはやめなかったけど、貞夫さんのレコードを買うのをやめちゃったんです。だから『マイシャ』とか『グッド・タイム・フォー・ラヴ』のことは、収録曲をライヴでやるのを生で、または録音されたライヴ・ヴァージョンをラジオで、耳にしていただけです。

 

40年近くが経過していまふりかえってみるに、やっぱり自分のなかに身勝手に組み上げたイメージから外れているのがイヤだったんでしょうね。貞夫さんの音楽はインストルメンタル・フュージョンであるっていう、しかもそれはかなりの部分、体験したライヴ・コンサートでぼくのなかにできあがったような、そんな強固な印象があって、だから歌が入るなんて…、とか思ったんでしょうね。

 

ぼくが決してフュージョン・ヴォーカル嫌いの人間なんかじゃないことは、このブログを継続的にお読みくださっているみなさんはおわかりいただいていることだと思うんですけど、むかしはこんなこともあったんです。ヴォーカルがどうこうっていうんじゃなく、貞夫さんがそれをやるのが意外だったんですよね。いまではそれら『フィル・アップ・ザ・ナイト』も『ランデブー』も、アルバム全体が好きで、聴いて楽しめます。

 

貞夫さんはといえば、その後、もちろんストレート・ジャズ作品をやったりするときはヴォーカリストは使いませんが、フュージョン・アルバムではやっぱり継続的に歌手を起用し、またブラジル人ミュージシャン、たとえばトッキーニョと共演したアルバムをつくったとき(『メイド・イン・コラソン』1988)なんかは、もちろん全面的にトッキーニョの歌をフィーチャーしているのをぼくも心から楽しく聴いています。

 

(written 2020.7.7)

 

2020/08/25

ストーンズは不良なんかじゃない

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(4 min read)

 

ザ・ローリング・ストーンズが不良連中であるというパブリック・イメージというか固定観念がいまだにはびこりついていて、ぼくなんかはもうウンザリです。ストーンズは音楽家でしょ、音楽家の評価というか印象はあくまでどんな音楽をやっているかで決めたらどうなんですか。ストーンズのみんなは1962年のデビュー以来、もう何年ですか、今2020年になってもいまだ現役なんですけど、ここまで継続してやれているのはかれらがマジメだからにほかなりません。ストーンズは決して不良なんかじゃありません。音楽についてはマジメ集団です。

 

ストーンズがどんな音楽を、どんな態度で、ずっとやってきたかを考えるとき、そしてどんな成果をあげてきたのかを考えるとき、彼らが一途にアメリカ黒人音楽を(もちろん白人カントリー・ミュージックをもなんですけど)真摯に追求してきて、熱心に、真剣に、それこそクソ真面目に、つまりまったく不良なんかではないやりかたで、みずからのロック・ミュージックのなかに活かしてきたことは明白じゃないですか。

 

それをなんですか、不良、不良って。それでストーンズの音楽のことについてなにか語った気になっているのなら大間違いですよ。ストーンズは不良じゃありません、真面目バンド、真面目連中ですよ。ぼくがこう言うのは音楽に関して、ということなんですけど、ストーンズは音楽家なんだから音楽に対してどういう姿勢で接してきたかで評価すべきでしょ。

 

ストーンズがここまで何十年間も現役第一線で活躍でき続けているのは、とりもなおせば彼らが真剣に音楽に取り組んできたからにほかならないんですよ。不良な態度でここまで続けられるわけないじゃないですか。それともストーンズが不良であるというイメージを執拗に持ち続けたいかたがたは、ストーンズのいったいどこを見て彼らが不良であると判断しているのでしょうか。たぶん音楽関連のことじゃないですよね。

 

音楽家に対して、音楽以外のことでなんだかんだ言うのはそれは意味があることなんですかね。音楽家はあくまで音楽のことだけでものを言われるべき存在じゃないんですか。音楽が真摯ならその音楽家がどんな私生活を送っていようとそのひとは真摯な音楽家だし、どんな聖人君子のような生活を送っていようとも生み出す音楽がだらしなかったら、そのときはじめてその音楽家は不良と呼ばれるべきなんですよ。

 

ひるがえってストーンズの音楽はどうですか。だらしない、情けない、つまらない音楽をやっていますか?逆でしょう。ストーンズの音楽はきわめてマトモで多くのひとたちを魅了する(されないひともいるかもだけど)すばらしいものじゃないですか。ストーンズの音楽を聴くとき、ぼくは彼らが音楽に対しとことん真摯な姿勢で取り組んできている、それも何十年も継続して真摯であり続けてきている、との気持ちを強く持ちます。

 

それが間違いないストーンズの(音楽)イメージなんですよ。彼らは(音楽に対し)きわめて誠実で真摯で真剣に真面目に取り組んできている、このことはみなさんおわかりなんでしょ?それなのにどうしてストーンズを「不良」のイメージで語るんですか?そろそろやめていただけませんか?ストーンズを不良と呼ぶのは、ある種のパブリック・イメージに沿っているかもしれないけど、彼らの(音楽の)実態からはかけ離れています。

 

(written 2020.7.5)

 

2020/08/24

(元)アイドルのライヴは客席がちょっとやかましい (^^)

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(4 min read)

 

はじめてわさみんこと岩佐美咲のコンサートを体験した2018年2月4日の恵比寿ガーデンホール。いまだから言えるぼくの偽らざる第一印象は、お客さんがなんてにぎやかなんだろうということでした。とにかくですね、「わっさみ〜〜ん!」「わっさみ〜〜ん!」とかなりデカい声でみんなが叫ぶというか、怒号みたいなものが飛びまくるわけですよ。お客さんはオッサンばっかりだからかなり野太い声で、そりゃあもうやかましいんです。

 

ぼくは慣れていなくて、そりゃあそうですよ、あのときがわさみん初体験というか、元アイドル歌手のコンサート初体験だったんですから、それがいったいどんなものなのか、いっさい知らなかったんですからね。もうビックリしちゃって、かなり引いちゃったというのが真相です。どうしてみんなこんなに叫ぶのだろうと、音楽のコンサートなんだからイントロがはじまって〜歌〜アウトロが消えるまでのあいだ、もっとじっと聴き入ればいいのにと思ったというのが事実です。イントロも間奏もアウトロも聴くべき音楽なんだぞと。

 

それまでぼくが体験してきたコンサートはジャズ系が多かったですからね、みんな客席で静かにすわって黙ってじっと音楽に聴き入っているんですよね。演奏が終われば熱狂的に拍手が起きたりしますけれども、演奏中に、もちろんイントロ中にでも、音や声を出すひとはまったくいないんですよね。その静寂と音楽の興奮とのギャップがこりゃまた楽しいもんだったんです。

 

ところがわさみんコンサートのばあい、まだ歌いはじめる前、イントロに乗ってわさみんが姿を現しただけで「わっさみ〜ん!」と爆大なる歓声が飛ぶじゃないですか。なんてうるさいんだろうと。だってイントロがもう鳴っている最中なんですよ。イントロも音楽なんですけどね。イントロだけじゃありません、ワン・コーラス歌い終えては「わっさみ〜ん!」、全コーラス歌い終えては「わっさみ〜ん!」と、そのあいだずっと音楽が鳴っているのに。

 

ぼくはといえば、その2018年わさみんコンサートのとき、「音楽を聴く」という目的で恵比寿ガーデンホールに来たつもりでしたから、客席から飛ぶものすごくデカい音量の声援で歌の前後の伴奏がかき消されてしまうのが実はあのときちょっとイヤで、なんだよみんな静かに聴いたらどうなんだ?!と実は本音では思ったというのが真相だったんですよね。

 

わさみんだけじゃなく(元)アイドルのコンサートはそんな静かに聴くもんじゃない、どんどん声援を送るものなんだということがわかるようになったのは、しばらく経ってのことでした。あの2018年2月4日恵比寿ガーデンホールは昼夜二回公演でしたが、昼の部で客席の盛大な歓声にすっかりけおされてしまっていたぼくも、夜の部のころにはこういうものなんだとなじんでおりましたね。

 

みずからも激しい声援を飛ばすようになったのは2018年11月の歌唱イベント初体験以後ですが、それに慣れてしまうとすっかり快感になって、声を出せない状況(というのが現場によってたまにある)だったりすると物足りなく欲求不満におちいるようになってしまいましたね。翌2019年1月26日のわさみんコンサートのときは叫びまくりしゃべりまくりました。

 

わさみん歌唱イベントなんかでも、2019年8月の笠間(都心のホテルから実に遠かった)でのときは、大きな声を出し終えると(特にわさみんファンではないであろう)地元のお客さんがぼくのほうをふりかえり、なんだこのひとは!?という不思議そうな、怪訝そうな、変態を見るような、目つきでにらみましたから。ぼくはそれがかえって快感で、そうですわさみんファンとはこういったものなんです、どうですか、と開き直るような心持ちでしたね。

 

2019年に二回体験した原田知世ちゃんのコンサートでも似たようなものでしたし、やっぱり(元)アイドルのライヴってそういったものなんでしょうね。ステージと客席のやりとり、ファンからの応援・声援がさかんであるっていう。いまや(元)アイドルではない歌手や音楽家のコンサートでもどんどん叫んだり歓声を飛ばすようになっているぼくです。

 

(written 2020.7.3)

 

2020/08/23

アメリカン・クラシックを歌うウィリー・ネルスンが好き

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(5 min read)

 

Willie Nelson / American Classic

https://open.spotify.com/album/3a6KzdXSmRbx5EAhYkSA6p?si=jv7mlEchR8-NLto1AGWmjA

 

カントリー・ミュージック界の大御所でありながら、ぼくのなかではスタンダード・ソングを歌うアメリカン・クラシック・シンガーとの印象も強いウィリー・ネルスン。なんたってウィリーのばあいは最近はじめたことじゃありません。多くの歌手が歳とって衰えてから安直に臨むそんな世界に、ウィリーはまだ若くて元気だった1978年にはやくも取りくんで、その『スターダスト』を成功させているんですからね。個人的にはウィリーに出会ったのがこのアルバムでだったんで、いっそうイメージが強くなっちゃいました。

 

その後もウィリーは一貫して同様の作品を世に送り出し続けているんであって、クロスオーヴァー・スタンダード・ポップとでもいいますか、そんなジャンルがもしあるとするならば、それはウィリーが道を拓いたものだ、ウィリーこそが第一人者だと言えましょう。もちろんカントリー・シンガーとして偉大な存在ですけど、声に独自の甘みと渋みが同居する彼は、スタンダード・ポップスを扱うのに資質的に向いているんですよね。カントリー界の人間らしく「愛国保守」っていうことでもあるんでしょうね、アメリカン・クラシックを歌うのは。

 

そんなウィリーの2009年リリース作『アメリカン・クラシック』。これのことを思い出したのは、きのう書いた B.B.キング&エリック・クラプトンの共演作『ライディング・ウィズ・ザ・キング』がきっかけでした。アルバム末尾に「カム・レイン・オア・カム・シャイン」があったわけですけど、ちょっとこの曲のいろんなヴァージョンを聴きなおしたくなって Spotify で曲検索をかけたら、ウィリーの『アメリカン・クラシック』が出てきたわけです。

 

そう、アメリカン・クラシック、まさにそんなスタンダード・ソングブックをこのアルバムでもまたウィリーは歌っているんですけど、この作品はなんとブルー・ノートからリリースされているんですね。プロデューサーがかのトミー・リプーマ。ウィリーとトミーと、それからピアニストのジョー・サンプルと、この三名で2008年にテキサスはオースティンにあるウィリー邸で話し合いが持たれ、選曲もされたそうです。

 

そう、ジョー・サンプルもこのアルバムではとても重要な役割を果たしているんですね。プリ・プロダクションの初期段階からかかわって、選曲にも関与し、さらにレコーディング・セッションでピアノを弾いてサウンドのキーになっているばかりか、アレンジャーまでも務めています。アルバムを聴けば、あぁジョーだ、とわかるあの特徴的なサウンドが鳴っていて、ウィリーとジョーの共作としていいかも?と思うほど。

 

アルバムには二曲だけジョーがピアノじゃないものがあって、4曲目「イフ・アイ・ハッド・ユー」、8「ベイビー、イッツ・コールド・アウトサイド」。これらは、前者にダイアナ・クラール、後者にノラ・ジョーンズがゲストとして迎えられていて、ウィリーとデュオで歌い、ピアノも弾いているんですね。これら二曲以外はジョーのピアノです。

 

それにしても「イフ・アイ・ハッド・ユー」とは古い曲を持ってきたもんです。第二次大戦前のスウィング・ジャズの時代にはよく歌われたスタンダードですが、モダン時代になって以後はかなり機会が減ったんじゃないですか。歌うひとはいますけど、ステイシー・ケントみたいな意図的にレトロなムードを演出したい歌手が中心じゃないでしょうか。

 

そう考えてみれば、このアルバムにはほかにも(すたれてしまったような)古い曲がちょっとあります。ファッツ・ウォラーの5曲目「エイント・ミスビヘイヴン」なんか、故意のレトロ・チャンス以外ではほぼだれも歌わなくなったものでしょう。1930年代まではみんなやっていましたが。「イフ・アイ・ハッド・ユー」「エイント・ミスビヘイヴン」のほかにもこのウィリーのアルバムにはそんな曲があるかもしれません。

 

いつもながらのカクテル・ジャズふうなソフィスティケイッティド・ムードといいますか、たぶん批判もされているんでしょうね、ウィリーのこういった路線の音楽は。しかしぼくはここにも(カントリー・フィールドでいい作品をつくるときと同様の)誠実で真摯で厳しい姿勢がヴォーカル・トーンのなかに聴きとれて、かなり好きですね。クリスチャン・マクブライドやルイス・ナッシュなど腕利き連中が伴奏についた熟練のジャズ・サウンドもみごとです。

 

それになんたってリラクシング。上質なバック・グラウンド・ミュージックといいますか、部屋のなかで、あるいは都会の夜景でも眺めながらで、とてもくつろげるクォリティの高さがあるんじゃないかなと思います。上で触れましたように、もともとウィリーの声の資質にはこういったクラシック・スタンダード・ポップスをこなすのに向いている部分があるんですからね。自分の世界を知っている歌手でしょう。

 

(written 2020.7.12)

 

2020/08/22

キングと相乗りクラプトン

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(5 min read)

 

B.B. King, Eric Clapton / Riding With The King

https://open.spotify.com/album/7b0Ysbudh2BH9A853EfxEu?si=IYUzsG6dQWWaiLuXw1UK9w

 

今年、発売20周年記念ということでデラックス・エディションがリリースされた B.B.キングとエリック・クラプトンの共演作『ライディング・ウィズ・ザ・キング』(2000)。そのデラックス・エディションとはオリジナル・アルバムのおしりにボーナス・トラックを二曲くっつけただけの貧相な内容で、作品としてはラストにスタンダード「カム・レイン・オア・カム・シャイン」を置いたほうがきれいに締まるので、上はオリジナルをリンクしておきました。

 

さて、エリック・クラプトンのほうからしたら B.B.キングは正真正銘の「ザ・キング」なわけでして、さかのぼることはるかむかし、あんな英国の白人のガキにホンモノのブルーズがやれるわけない、猿真似だ猿真似と揶揄された時代から、研鑽に研鑽を重ね、それまで共演歴があったとはいえ、とうとう本物中の本物である超大物黒人ブルーズ・ミュージシャンとの全面コラボ作をつくるとなったときの心境をおもんばかるに、無関係のぼくですら涙が出てくるような気持ちがします。

 

そのキングたる BB ですけれど、その名前にあやかったようなアルバム1曲目のタイトル・チューン「ライディング・ウィズ・ザ・キング」は、もともとジョン・ハイアットがエルヴィス・プレスリーのことを想いながら書き歌った曲だったんですよね。2000年にこの BB&クラプトンのアルバム CD を買ったばかりのときのぼくはそれを知らず、てっきり B.B.キングのことをクラプトンが考えて書いたオリジナルなんだろうと想像していました。

 

しかしこれがまさにどハマりしているじゃありませんか。ポピュラー・ミュージックの世界ではカヴァーがオリジナルを超えるなんてまずないんですけど、この BB+クラプトンの「ライディング・ウィズ・ザ・キング」は、BB の名前にひっかけることもできているし、この曲はこの二人にこうカヴァーされるのを待っていたのだと、そう言えるほど上出来です。ブルーズ・ナンバーじゃありませんけど、このアルバムのテーマにこれ以上ピッタリくる曲はなかったなと思います。

 

2曲目以下の収録曲もセレクトしたのはたぶんクラプトン側だったんじゃないかという気がしますが、メインは BB サイドのレパートリーで、五つ。2「テン・ロング・イヤーズ」、5「スリー・オクロック・ブルース」、6「ヘルプ・ザ・プア」、9「デイズ・オヴ・オールド」、10「ウェン・マイ・ハート・ビーツ・ライク・ア・ハンマー」。

 

これらを中心軸に据えながら、ほかは両者ともがアクースティック・ギターを弾くブルーズ定番二曲(3「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ」、8「ウォリード・ライフ・ブルーズ」)。さらにサム&デイヴの11「ホールド・オン・アイム・カミング」に、ポップ・スタンダードの12「カム・レイン・オア・カム・シャイン」。二つだけこのアルバムのためにクラプトン・サイドが用意したオリジナル新曲(4「マリー・ユー」、7「アイ・ワナ・ビー」)もあります。

 

演奏は当時のクラプトンのセッション・バンドが中心になっていて、そこに BB が客演したような格好にパーソネル表をみると思えますが、アルバムを聴くと印象は逆ですね。BB が主役で、クラプトンは脇。BB にどんどん歌わせ弾かせています。やはりいまだ現役バリバリだった師匠とその弟子格ですから、アルバムをどう創ればいいか、いかな自己顕示欲の強いクラプトンでも心得ていたわけでしょう。

 

そんな姿勢は、クラプトンのヴォーカルとギター・プレイにもはっきりと聴きとることができます。BB の存在を意識してでしょう、ふだんとは違う謙虚で真摯な演唱で、うまいぐあいに抑制が効いています。この2000年前後のクラプトンのふだんの姿をライヴ録音などで聴いても、違いは鮮明です。アルバム『ライディング・ウィズ・ザ・キング』ではヴォーカルもギターもていねいなんですね。決してクリシェにおちいらず、全面共演作をつくるだなんてふたたびはないであろうこの機会を本当に大切に思いながらセッションに臨んでいるなというのが、聴いているとよくわかります。

 

だから、ぼくはいつも1990年代以後のクラプトンはおもしろくなくなったとくりかえしていますけど、このアルバムだけは例外的に内容がいいんじゃないかと思っているんですね。それでもクラプトンが歌い弾いたその次の瞬間に BB が出ると「あぁ、やっぱり違うな」と存在感の差に唖然とするんですけれど、クラプトンだってなかなかどうして大健闘ですよ。ここまでやれれば文句なしじゃないですか。

 

ヴォーカルでもギターでも二名がからみあいながら進むパート、特にギター・ソロですね、ソロじゃなくてデュオか、BB とクラプトンが同時に弾きながらからみあって進行する部分がたくさんあって、そんなところを聴くと、クラプトンは師匠である BB に対し堂々としかも謙虚に向き合いながら、誠実に自分のプレイを貫いていて、決して劣ってなんかもいないし、ここまで来たんだと感慨もひとしおですね。

 

オリジナル・アルバムのラストに収録されているスタンダード「カム・レイン・オア・カム・シャイン」。どんなときだって、どんなことに直面しようとも、あなたのことを愛しますというラヴ・バラードなんですけど、BB とクラプトンの師弟愛に置き換えて聴くこともできるという、なかなかグッドな選曲じゃないでしょうか。演唱内容だって光っています。

 

(written 2020.7.11)

 

2020/08/21

サバハットとサズの音色

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(3 min read)

 

Sabahat Akkiraz / Sabahat Akkiraz ile 50 Yıl

https://open.spotify.com/album/19aEw6sXrFpDaILgMGZGOf?si=InS4H4NjToeXBk1DgqmBqQ

 

トルコのハルク(民謡)歌手ということなんですけど、サバハット・アクキラズ(Sabahat Akkiraz)。このジャンルのことをなにも知らないですが、大スターらしいですね。エル・スール HP 記載文によれば「世界で最も偉大な声の持ち主」とまで言われるそうで、載っていた2020年リリースのアルバム『Sabahat Akkiraz ile 50 Yıl』を Spotify で聴いてみて、なるほどと納得したんです。

 

このアルバム、副題が「1970 - 2020」となっていますし、「ile 50 Yıl」というのがおそらく50年間にわたるみたいな意味でしょうから、サバハットが活躍してきたこの期間、歌手活動50周年を記念して編まれたベスト・アルバム、コンピレイションなんじゃないかと思いますね。それにしてはアルバムを一貫するオリジナル・ムードがあって、寄せ集めとの印象がほとんどないのはさすがです。

 

歌手サバハットを今回はじめて聴いたんですけど、ヴォーカル以上にぼくの印象に非常に強く刻まれたのは伴奏を務める(たぶん)サズの音色ですね。サズはトルコとかその他周辺各地で用いられるネックの長い弦楽器で、このサバハットのアルバムではどの曲でもずっとそのザラザラした音色が聴こえますから、この弦楽器、で、この音色だとサズだと思うんですね。それがとってもいい雰囲気です。

 

このザラッとした舌触りの音色ですね、サズでしか出せないこの独自の音色、本当にヤミツキになる快感で、サバハットのこのアルバムをとおしずっと聴こえますから、ぼくなんかサバハットのヴォーカルもさることながら伴奏のサズにばかり耳が行ってしまいます。マジでぼく好み。サズの音をこれだけまとめて一定時間聴いたのは初体験でしたが、気持ちいいことこの上ないですね。

 

サズと、なにか簡易な伝統パーカッション(とバック・コーラス)だけ、みたいなシンプルな編成の伴奏に乗せてサバハットが歌うそのヴォーカルはパワフルで、しかも繊細。サバハットの声には耳につくイヤなところが微塵もないですよね。なかなか豊潤&華麗にコブシをまわしているなと思うんですけど、わざとらしい感じがまったくなく、きわめてスムース&ナチュラルに響いてくるのが心地いいです。

 

サバハットの声のまろやかな聴きやすさと、サズのざらっとした濁りみ成分のある音色とリズム、その両者あいまって、こんなに豊かな世界も滅多にないよなと実感できるだけの貴重な時間を楽しめるコンピレイションですね。ダイジェスト・アルバムではありますが、これ一枚でじゅうぶんサバハットとサズの魅力がわかる好内容。収録のどの曲も魅力的でため息が出ます。ラストの一曲だけはライヴ録音でしょうか、ドラム・セット、エレベ、エレキ・ギターなども参加している実験的ミクスチャー・ミュージックとなっています。

 

(written 2020.7.9)

 

2020/08/20

カッコよすぎる UK ホーン・ファンク 〜 ザ・ハギズ・ホーンズ

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(3 min read)

 

The Haggis Horns / Stand Up For Love

https://open.spotify.com/album/0B95klwEoReHDRfMYqQEi1?si=S6thsiFJR-GBhzYIH6uUfg

 

萩原健太さんに教わりました。
https://kenta45rpm.com/2020/05/27/stand-up-for-love-the-haggis-horns/

 

UK ホーン・ファンク・バンドであるザ・ハギズ・ホーンズ(The Haggis Horns)。編成はパーカッション、ドラムス、ベース、ギター、キーボードのリズム・セクションに、トランペット、サックス、サックスのホーンズが加わり、さらにヴォーカリストがフィーチャーされるという布陣。その2020年作『スタンド・アップ・フォー・ラヴ』が快調でかなりいいですよね。

 

今回はじめてこのバンドを聴いたんですけど、もうカッコイイのなんのって、このグルーヴですよ。アメリカにこの手の管楽器をフィーチャーしたジャズ・ファンク・バンドは数多くあります(ありました)が、ザ・ハギズ・ホーンズは英国のバンド。UK バンドならではの特色みたいなものは特に感じませんが、これだけバリバリやれたら文句なしじゃないですか。いま現在2020年にアメリカでもこれだけカッコイイ、ノリのいい管楽器バンドってあるんですかね。

 

アルバムの全九曲中七曲でジョン・マッカラムのヴォーカルをフィーチャーしているということで、しかしその歌声になにかスペシャルなものは感じないですね。ぼくが本当にいいなと思ったのはリズム・セクションのこのグルーヴィな演奏で、特にエレキ・ギターですかね、伴奏コード・カッティングに単音弾きのソロにと大活躍。カッティングではこのバンドのグルーヴを決める決定的な要因になっているなと感じます。

 

インストルメンタルが二曲。4曲目「ハギズ・エクスプレス」なんか、もう疾走感がすごくって、こんなにもカッコいいホーン・ファンクがあるのかとビックリしちゃいますよ。それでこのバンド、3ホーンズ編成なわけですけど、必ずしも管楽器ソロの時間は長くないですね。あまりなしとしていいんじゃないですか。ソロはギターが弾く時間が長く、というかそもそもどの楽器でもソロはあまりないです。

 

ソロよりもカッコいいアンサンブル全体で攻めている時間が大半だなと思います。ホーンズもファンキーなリフをずっと演奏しているし、それを下支えする、というかある意味主役なリズム・セクションの極上のグルーヴもみごとで、ここまでのノリを出せるリズム隊ってなかなかすごいことですよ。

 

アメリカなんかでも JBズとかミーターズとかタワー・オヴ・パワーとか、こういったカッコよすぎるホーン・ファンク・バンドはあったと思いますが、このザ・ハギズ・ホーンズもなかなかのものです。1970年代的 US ファンク・バンドへのリスペクトも随所に感じられ、印象いいですね。6曲目のアルバム・タイトル曲だけはレゲエっぽいフィーリングでやや異色。

 

(written 2020.7.8)

 

2020/08/19

音楽の残り香

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(3 min read)

 

音楽についてはすこし遅れてきたなという実感がぼくにはあります。時代の流行や先鋭的な音楽のその最盛期にはそれを知らず、そのかけらを拾い残り香を嗅いできただけなんじゃないかという気持ちがあるんですね。ジャズの昂揚を知り、ロックの受容を肌身で体験し、ワールド・ミュージックの熱気を我が事として感じていた、一世代上の先輩たちがうらやましくてたまりません。

 

たとえばぼくはマイルズ・デイヴィス・マニアを自認していますけど、ハマりはじめたのは1979年。マイルズの一時隠遁中です。新作レコードも出なかったけど、来日公演に接する機会を得たのは1981年が最初でした。その前1975年のあの来日公演を生で体験できなかったのはなんとも痛恨事なんですよね。73年とかも。あのマイルズの、あの時代の、あの音楽を実体験できなかったんです。

 

ぼくよりちょうど10歳年上の中山康樹さんとなれば、1973年の来日が初生マイルズだったそうで、もうそんなうらやましいことってないですよね。73年とか75年が初体験だった人間と復帰後の81年が初体験だった人間とでは、マイルズに接する態度や気持ち、マイルズ観もおのずと違ってくるはずでしょうからね。

 

ロックだって1960年代後半〜70年代のあの隆盛をぼくは肌身で感じていませんから。すべてが完璧なる後追いで、その時代が終わってからレコードで聴いたというだけです。ビートルズは知らないし、ストーンズだって勢いがあった時代のことは後追いです。レゲエにかんしてもそう。ずっとあとになって1980年代半ばにボブ・マーリーのレコードを買いました。レゲエのあの時代をぼくは知らないんです。

 

日本におけるワールド・ミュージック・ブームは、たぶんおおよそバブル景気とともにあったんじゃないかという気がいまではしますが、そのころもぼくはようやくリアルタイムで接することができるようになったマイルズに夢中で、ワールド・ミュージックのレコード、というか CD ですかねこのばあい、を積極的に買って情報を集めライヴなどに出かけていくようになったのは、ネットをはじめた1995年以後のことです。ネットでどんどん情報が入るようになりましたからね。ユッスー・ンドゥールのライヴ初体験は1999年のブルーノート東京だったんですから。ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンのライヴは一度も生体験していないし。

 

そんな感じで、常にみんなが去りかけたあとに遅れて入ってきては残り香をクンクン必死で嗅いでいるだけのぼく。世代的なこともありますが、本格的に音楽にハマったのが17歳と遅かったんですよねえ。しかしですね、だからこそ現在ここまで必死で追いかけられているのかもしれません。遅れてきた後追いでしか感じられない断片やかすかな匂い、それがえもいわれぬセクシーさを放って迫ってくる、夢を見させてくれるみたいなことだってあるのかもしれません。

 

(written 2020.7.1)

 

2020/08/18

キーボードということば

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(5 min read)

 

自分が大学生のころ、当時高校生でアマチュア・ギターリストだった下の弟と軽く言い合いになったことがあるんですけど、楽器でいう「キーボード」っていうことば、そもそもは鍵盤楽器の鍵盤を指すものなんだとぼくは思っていましたから、鍵盤のついた楽器、特に電子楽器はなんでもキーボードと呼べるはずと思い、実際そういう使いかたをしていたら、弟の顔に「?」マークが出て、キーボードとシンセサイザーは違うのだ、キーボードはキーボードという種類の楽器なのである、と言うんですね。

 

鍵盤はすべてキーボードなのであるというのはもちろん(ことば的には)間違いのないことなので(keyboard は鍵盤の意)、だから極論すればピアノもオルガンもチェンバロもその他もキーボードです。フェンダー・ローズだってキーボード。でもそういう言いかたをしているひとはたぶんいません。キーボードとはポータブルな電子鍵盤楽器で、使えるサウンドがプリ・セットされてあらかじめ入っていて演奏に使える楽器、そういう意味で使うんじゃないでしょうか。

 

シンセサイザーには、もちろん鍵盤型じゃないものだってあるわけですけど、たぶん鍵盤型が最もポピュラーなんでしょう、たぶん。シンセサイザー というくらいだから音を合成して新しく作ることのできるもので、電子的に音を組み合わせて合成して独自のサウンドを作ることができるという機能は、<いわゆる>キーボードにはないですよね。もちろんエレピや(電子ふくめ)ピアノやオルガンなどもそんなことはできません。

 

ここが最大の違いになってくるかなとは思います。鍵盤という定義はシンセサイザーということばにはないので、鍵盤型であってもいいけどギター型とか、いろんなのがあるというのはもちろんです。だから鍵盤シンセサイザーという意味でキーボード・シンセサイザーという言いかたをすることもあって、だからなんだかやっぱりちょっとまぎらわしいですよね。

 

っていうか鍵盤付きのシンセサイザーであれば、それはキーボードと呼んでもさしつかえないように、いまでもぼくはちょっとだけ思っていますけどね。逆も真で、いわゆるキーボードも(音色がプリ・セットされた)一種のシンセサイザーだろうと。いわゆるキーボードは音を合成することなどできずプリ・セット音で弾くしかないわけですけれども、いわゆるシンセサイザーだってあらかじめ音が何種類か付属していますからねえ。やっぱり区別は曖昧ですよね。

 

ウェザー・リポートのジョー・ザヴィヌル。ピアノやエレピも弾くし、シンセサイザーの名手でもあったわけですけど、あるときのアルバム(『ナイト・パッセージ』だったかな?)のパーソネル・クレジットで、ザヴィヌルの項に「keyboards」としか書かれていなかったこともあります。もちろんこのばあいのキーボードとは鍵盤楽器全般という意味であって、そのアルバムでザヴィヌルはシンセもピアノも弾いているんです。そういった使いかたもできることばなんですよ。

 

ピアノだってデジタル・ピアノなんかは、フル・アクースティック・ピアノの音をサンプリングして電子的に合成してそれを組み込んでいるわけですから、やっぱりいわゆるキーボードの一種であり、音を合成できないけどちょっぴりシンセサイザー的でもあるなとぼくなんかは思います。オルガンだって電子オルガンのたぐいはやっぱりいわゆるキーボードと言ってもいいですよね。言わないですけど。

 

シンセサイザーは、近年パソコンなどをつなげて使用して音楽を制作・演奏することができるようになっていますし、演奏をするというよりも、どちらかというと音作り、音楽制作という目的で使用されることが多くなっているんじゃないかという気もしますね。そういった部分はいわゆるキーボード、デジタル・ピアノなどにはできないことです。音色波形を加工して新たな音を創り出すのがシンセサイザーですよね。

 

そのほか細かいこと、たとえばデジタル・ピアノの鍵盤はボックス型でアクースティク・ピアノのタッチに近い(重く深い)ものが採用されていますけど、キーボードやシンセサイザーの鍵盤は薄くて軽いとか、鍵盤数の違いとか(多くのキーボードは61鍵、シンセはもっと少なかったり)、シンセサイザーはスピーカーを内蔵していないだとか、違いがあるにはありますね。

 

現実的に、音を作らずプリ・セット音で決められた曲をちょろちょっろっと弾いて遊んでみるといった程度だったら、やっぱりデジタル・ピアノもキーボードもシンセサイザーも大差ないんじゃないかというのが、いまでもぼくの本音だったりします。ピアノのサウンドなんか、どれでも出せますしねえ。シンセの鍵盤は、あくまで音源を操作するスイッチという位置づけですけれどもね。

 

(written 2020.6.30)

 

2020/08/17

#BlackLivesMatter 〜 シャンダ・ルール

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(4 min read)

 

Chanda Rule + Sweet Emma Band / Hold On

https://open.spotify.com/album/7aV3SMdZRBhHPYnedxpz4E?si=fMP3LgUAQLmZOx1IIdzK7A

 

萩原健太さんのブログで知りました。
https://kenta45rpm.com/2020/05/25/hold-on-chanda-rule/

 

アメリカ人歌手、シャンダ・ルール(Chanda Rule)。新作『ホールド・オン』(2020)をリリースしている名義のスウィート・エマ・バンドというのは、もちろんニュー・オーリンズのジャズ・レジェンド、スウィート・エマ・バレットにちなんで命名されたものでしょう。シャンダ自身の音楽スタイルがニュー・オーリンズ・ジャズと関係あるかどうかわかりませんが、南部的黒人音楽のルーツに根ざした活動をしているのは間違いありません。シカゴ生まれワシントン DC 育ちですけどね。

 

アルバム『ホールド・オン』は、たぶんゴスペル・ベースのソウル・ジャズ作品と呼んでいいだろうと思えます。それも1960年代的なフィーリングが濃く、黒人としての人権意識の高揚や、生活感覚に根ざしたアメリカン・ブラック・ルーツをさぐってよみがえらせたような感覚が横溢、ちょうど21世紀のブラック・ライヴズ・マター運動と強く共振しているような音楽じゃないでしょうか。音楽的にもアティチュード的にも公民権運動のころのジャズ・ヴォーカル作品みたいな空気を感じます。

 

歌われている曲はトラディショナルやゴスペル・ソングが多く、バンド編成はシャンダのヴォーカルに、ハモンド・オルガン、三管(トランペット、トロンボーン、サックス)+ドラムスと、いたってシンプル。ゲスト的にパーカッショニストやハーモニカ奏者も一部いますが、全編アクースティックなオーガニック・サウンドで構成されています。スカスカで、しかも土くさ〜い音楽で、アメリカン・ブラック・ルーツを生のままよみがえらせ現代化したようなアルバムですね。

 

1曲目「アナザー・マン・ダン・ゴーン」でタブラの音が聴こえますが、エスニックな響きはしていないようにぼくには聴えました。もっと普遍的というかユニヴァーサルな打楽器効果音として活用されているなと思うんです。タブラは4「サン・ゴーズ・ダウン」でも同じような活用のされかたをしていますね。タブラが、もはや民族楽器との枠を超えたパーカッションになったんだなとわかるサウンドです。

 

アルバムで個人的に特にグッと来るのは、ストレート・ジャジーな2「アイル・フライ・アウェイ」とやはりジャジーにニーナ・シモンを展開した8「シナーマン」、ミディアム・スローでグルーヴィなソウル・ジャズである3「ロザリー」(ルー・ドナルドスンの「アリゲイター・ブーガルー」にちょい似)、ホーンズのそれもふくめリズムがいい4「サン・ゴーズ・ダウン」、教会ゴスペルなハモンド・オルガンが鳥肌な5「マザーレス・チャイルド」あたりでしょうか。

 

シャンダの声もディープで、1960年代の、あの時代のあのフィーリングを持ちつつ、そこから遠い過去のルーツにまでさかのぼるパワーと2020年代に訴えかける時代のレレヴァンスの双方向の視野を同時に獲得しているようなひろがりとふくらみがあって、デューク・エリントン・サウンドを軸に据えつつアメリカ黒人400年の歴史を凝縮したようなバンド・アンサンブルともあいまって、このアルバムの音楽に説得力を与えています。

 

偉大なマヘリア・ジャクスンが歌ったデュークの「カム・サンデイ」(『ブラック、ブラウン・アンド・ベージュ』)をアルバム・ラストにもってきていますが、シャンダがこのアルバムでなにを目論んだのか、音楽的な意図や構図も鮮明になっているなと思います。黒人教会やコミュニティ・ベースのアフリカン・アメリカン・カルチャーに根差した音楽を再解釈していまの時代に届けることが、現代に黒人としてアメリカで生きる意味をも表現するんだという覚悟ですね。

 

ナイーヴに古いスタイルの音楽であるように思えて、同時にストレートに2020年的な現代の先鋭的なサウンド・スタイルにも聴こえるという、ちょっと不思議な肌ざわりの音楽です。リアノン・ギドゥンズあたりとも響きあう部分多し。

 

(written 2020.6.25)

 

2020/08/16

8.14 生わさみんはすべてを超えた 〜 岩佐美咲ファーストストリーミングライブ~離れていても繋がっている~

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(9 min read)

 

最後にわさみんこと岩佐美咲に会ったのは、昨2019年12月初旬の広島シリーズ二日間でのことでした。二日目のラストで美咲と握手してしゃべったとき「今年はこれで最後になると思う、また来年会いましょう」と言って、実際来年またすぐ会えると思って軽い気持ちで別れちゃったんですけど、その結果がこれですよ。コロナや、すべてはコロナが悪いんや。

 

コロナ禍ゆえ、美咲の歌唱イベントも二月下旬ごろから中止になりはじめ、三月に入ったら予定が完全白紙状態になって、そのままなにもなしで八月まできているわけですよ。その間、実際に客と対面してのリアル・イベントができないんだから、早くネット配信ライヴをやるべきだと、ぼくも三月ごろから(美咲所属の)長良プロダクションと徳間ジャパンにも直接言い続けてきました。

 

がしかし、これがいつまで経っても実現せず。ほかの事務所やレコード会社の歌手のみなさんがどんどん配信ライヴをやっているというのに、いったい長良+徳間はなにをやっとるんや?!と、憤りすら感じていましたね。大幅に遅れること七月になって、8月14日に美咲の有料ストリーミング・ライヴを開催するとの告知があって、あぁようやくだと、しかし飛び上がるほどうれしかったですね。美咲の(ネット越しとはいえ)ナマ歌を聴けるのは超ひさびさなわけですから。

 

それで、きのう8/14、20時から『岩佐美咲ファーストストリーミングライブ~離れていても繋がっている~』が eplus の Streaming+ で配信されたというわけです。時間ピッタリにはじまって、21時15分ごろまで。予定では一時間程度とのことでしたが、1時間15分になりましたね。チケットを購入したかたは、アーカイヴで17日深夜までなんどでもくりかえし楽しめます。

 

歌われた曲目は以下のとおり。

1 無人駅
2 元気を出して
3 ふたりの海物語
4 年下の男の子
5 虹をわたって
6 初酒
7 千本桜
8 魂のルフラン
9 マリーゴールド(ギター弾き語り)
10 365日の紙飛行機(ギター弾き語り)
11 右手と左手のブルース

 

美咲のネット・ライヴは初めてということで、制作側、美咲ともにまだ慣れていない面もあるというか、ぼくからしたらやや不満に感じる点もありましたので、そこからまずメモしておきたいと思います。

 

・60分はちょっと短い、90分ほしかった
・設定で最大にしても音量がやや小さい
・しゃべりすぎ
・無観客なのに、どうしてカメラが三台しかないのか
・やや暗かった照明の問題
・総花的になったかも

 

60分という短めの時間尺しかないんですから、あまりしゃべりすぎずポンポン次々と歌ってほしいというのが個人的な願望で、11曲というのは事前の予想どおりですが、あんなに曲間でしゃべらなければさらに数曲歌えたはずです。美咲は歌手なんですからね。二時間くらいあるふだんのリアル・コンサートなどではいいでしょうが、いままで半年以上もまったくファンの前で歌っていなかったんですから、なによりもまず第一に(しゃべりよりも)歌を!もっと聴きたかったですね。

 

カメラ台数の不足もちょっぴり不可解でした。無観客なんですから、カメラはもっとたくさん用意してさまざまなアングルから多様な美咲の姿を撮影できたはずです。会場や音楽家や予算の規模の違いもあって比較はできませんが、サザンオールスターズの配信ライヴでは40台のカメラが使われたんですよね。それが昨夜の美咲ネット・ライヴでは、正面、斜め左、右横と三つしかありませんでしたので、一時間にわたってほぼ同じような三種類の絵を見続けることとなりました。

 

照明もやや暗かったというか、もっと派手な明るめのライティングの演出を考えたらよかったんじゃないかと思いましたが、それ以上に、たった一時間ほどのライヴであれもこれも詰め込もうとした結果(その気持ちはよくわかるんですが)、総花的になってしまって要点がしぼられなかった点はイマイチだったかもしれません。その象徴がギター弾き語り。出来はよかったんですが、限られた時間枠内でさまざまな姿を見せよう聴かせようとしたから、全体的に焦点がボケたかもしれません。歌唱一本でやったほうが内容は整理されたんじゃないでしょうか。弾き語りはそれに専念したネット・ライヴをまた開催するとか、方法はあります。

 

さてさて、ここまで不満に感じた点を書いてきましたが、しかしなんといってもぼくらファンにとってはナマわさみん不足、わさみんロス状態がずっと続いていましたので、ネット越しであるとはいえ、ライヴ・コンサートを観られた聴けたというのは大きな幸せでありました。日常のつらく苦しい、しんどい気持ちのすべてを吹き飛ばす、すべてを超えていくパワーが美咲のネット・ライヴにはありました。ようやく生わさみんが帰ってきた!というヨロコビで胸がいっぱいでしたね。ぼくなんかちょっと泣いちゃったもんね。

 

きのうのネット・ライヴで歌われた美咲の持ち歌は、結局「無人駅」「初酒」「右手と左手のブルース」と三曲だけでしたが、そのうちデビュー・シングル「無人駅」でライヴをはじめたのは、最初意外に感じました。「初酒」か「鯖街道」が常道どおり来るんじゃないかと踏んでいましたからね。でもこれは最も回数多く歌い込んできている曲を、慣れない無観客ライヴのオープニングに持ってきて、歌手の緊張をほぐそうという制作側の意図だったのでしょう。歌の出来も無難だったと思います。

 

続けて最新シングル「右手と左手のブルース」のカップリングから二曲「元気を出して」「ふたりの海物語」。この二曲は、この日のコンサートで(弾き語りパートとあわせ)いちばん内容がよかったかもと思うほど上出来でしたね。特に竹内まりやが書いた「元気を出して」は印象に残りました。その晩の夢のなかにまで出てきましたからね。ぼくは前から言っていますが、美咲は(演歌というより)こういったライト・タッチの歌謡曲テイストがよく似合うんです。

 

でも「ふたりの海物語」もよかったですよ。これは4月22日に発売されただけということで、ライヴで歌うのは美咲自身はじめてだったと思いますが、ど演歌というか、このブログでも以前指摘したように演歌そのものというより演歌カリカチュアなんですね。反面、その意味では演歌とはなにか、どういうのが演歌なのか、といった特徴をギュッと凝縮したような一曲ですから、演歌というジャンルを味わいたいときにはもってこいなんですね。こなれた歌唱だったなと感じました。

 

「年下の男の子」「虹をわたって」はいままでに歌唱イベントでたくさん歌ってきているものですから、新曲シングルのカップリングであるとはいえ、ぼくも生わさみんで聴き慣れているし、だからわざわざ貴重なネット・ライヴで選ぶ必然性があったのかな?と思います。続く「初酒」は順当な選曲で(なんといっても代表曲です)、しかも今年のこのコロナ禍で苦しむぼくたちの心境をなぐさめてくれるような歌詞と曲調なので、これはよかったですね。

 

次いで歌われた二曲「千本桜」「魂のルフラン」にはちょっと驚きました。無観客のネット配信ライヴでこれをやるのかと。オタク観客いてこそ映えるレパートリーであるとも言えるわけで、このへんはやっぱりセット・リストにヴァラエティを持たせようとした制作側の意図がみえますね。「千本桜」ではライティングとカメラ・ワークもかなり凝ったものを披露して映像をつくっていましたからね。

 

ギター弾き語りの二曲「マリーゴールド」(あいみょん)「365日の紙飛行機」(AKB48)は、ギターよりも歌の出来がすばらしかったと感じました。逆にいえばギター演奏面では、おそらく緊張ゆえか、左手の押弦が若干曖昧になってしまう瞬間もありましたが、歌唱はみごとでしたね。弾き語りは演奏に気を取られて歌が淡白になってしまうということは、美咲にはあてはまりません。

 

そもそも美咲の歌唱法がどういったものなのか、ちょっと考えてみてください。素直というか歌のメロディをそのままストレートに、ナイーヴ&ナチュラルに、スッとスムースに歌う、ことさら特別な技巧を凝らさない、といったものじゃないですか。あっさりクールなフィーリングというか、だから歌オンリーのときも弾き語りのときも、差が生じないんですよね。いい曲はそのままきれいなメロディのまま率直に発声する美咲であればこそ、弾き語りでも歌一本のときとそのまま同じように歌いこなせるんです。

 

きのうのギター弾き語り、上のほうではセット・リストが総花的になってしまった最大の原因であるようなことを言いましたが、「マリーゴールド」と「365日の紙飛行機」の出来そのものはすばらしかったんです。特に歌がですね、よかったと思います。後者は昨今のコロナ情勢下で沁みる内容の歌詞を持っていることもあり、本当にグッときましたね。

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ラストに最新曲「右手と左手のブルース」を持ってきたのは、おそらく全員の予想どおりだったでしょう。なにしろこの曲の CD 発売が4月22日というコロナ禍まっただなかだったということで、ファンの前、観客の前で披露することができないまま現在まで来ていました。どんな振り付けで、どんな様子で、(生歌だと)どんな歌唱法で、歌うのか、ほとんどわからないままでしたから、やはりこのラスト・ナンバーがいちばん感銘深いものでしたね。

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歌唱そのものは、この「右手と左手のブルース」、いままでのシングル表題曲のようにキャンペーンで毎週末どんどん歌い、回数をこなし、熟練の度を上げていくということができていませんから、きのうのネット・ライヴ時点ではいまだイマイチと感じざるをえない面もありました。がしかしまずは一回聴けた、観られたというだけでぼくらはじゅうぶん満足なんですね。

 

美咲ストリーミング・ライヴ、まだ一度目です。歌手も制作側も、そしてぼくら視聴者側も慣れていなかったかもしれません。それでもいくつかの不満を払拭するだけの魅力を美咲が歌う姿と歌唱は放っていたんじゃないかと、そう思いますね。ほぼ成功だったと言えるでしょうから、二度目、三度目を期待したいですし、実際、あるでしょう。

 

(written 2020.8.15)

 

2020/08/15

ホレス・シルヴァーのスピリチュアル・ジャズ

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(4 min read)

 

Horace Silver / Silver 'N Percussion

https://open.spotify.com/album/1OFkdxR9N6lBxNyx5lJSCd?si=JFbqerVbTomAYT5mU88dFw

 

ホレス・シルヴァー1977年の『シルヴァー・ン・パーカッション』。こういうアルバム題ですし、実際ドラマー(アル・フォスター)以外に三名のパーカッショニストが参加しているということで、リズム面に重きを置いたアルバムなんだろうなとは思いますが、聴いた感じ強く印象に残るのはむしろヴォーカル・コーラスですね。全編スキャットなのか、歌詞のないクワイアで、作品の色彩感を決定しています。

 

曲題は「ヨルバの神」とか「マサイの太陽神」とか「ズールーの魂」とかアフリカ志向で、パーカッション群の起用もそれに沿ったものなんだろうと思います。四曲目以後は「インカ」「アズテック」「モヒカン」なんてことばが使われていますからアメリカン・インディアンがテーマなんでしょうね。レコードではそれが両面に分かれていたみたいですけど、続けて聴いてアルバムが二分されているといった印象はないです。テーマが連続的なのかもしれません。

 

それで、アフリカとかアメリカン・インディアンとかが作品のテーマになっているとはいえ、この『シルヴァー・ン・パーカッション』、そんな味がそこまで濃厚に出ているわけでもありません。曲題がなんだか大仰なので身構えてしまいますが、聴くとアクの薄いあっさり感に拍子抜けすらしますよね。パーカッション群とコーラス陣を起用してのアフリカン・ジャズ、アメリカン・インディアン・ジャズといった趣は(音楽的には)弱い、というかほぼなしとしてもいいくらいです。

 

むしろこのアルバムは1960〜70年代的な意味でのいわゆるスピリチュアル・ジャズといった感触で、そうとらえれば理解しやすいし親しめる好作品なんじゃないでしょうか。ヴォーカル・コーラスが大きく聴こえサウンド・テクスチャーを支配していますが、打楽器群はどうなんでしょう、これ、ミックスの際に小さめの音量に抑えたということなんでしょうか、そんなに積極的に聴こえないっていうかアピールしてこないですよね。

 

クワイアでムードをつくっておいて、リズムはファンキーでダンサブルなものを使ってあって(60年代ジャズふうでもある)、しかし音楽そのものにアフリカンだとかアメリカン・インディアンな要素は直接的にはなく、もっとこう姿勢というかアティテュード、取り組みかたとしてのアフリカ志向みたいなものがこのホレスのアルバムにはあるんじゃないかなと、ぼくはそう聴くんですね。ジョン・コルトレインやそのフォロワーたちがやっていた、ああいった音楽をここでホレスはやっているのかなと。

 

あんまり使いたくないことばなんですけど、精神性、みたいなものが強くこのホレスのアルバムでは打ち出されているなというふうに聴こえます(特にヴォーカル・コーラス部分でそれがかもしだされている)。ホーンズにしろクワイアにしろ、両者が溶け合うアンサンブルとして使われている時間が長いんですが、なんだかヴェールみたいなふわっとしたオーラみたいなものを表現しているなという印象ですね。

 

そんなわけなんで、1977年のレコード・リリース当時このアルバムがどれだけ聴かれ評価されたかわからないですけど、90年代以後現在まで続くスピリチュアル・ジャズ再評価の機運のなかに置けば、じゅうぶんイケる作品じゃないかなと思うんです。ホレスのピアノ・ソロがアルバム全編で大きくフィーチャーされているのも特色です(だれのソロよりもホレスが弾く時間が長い、というかホレスしかソロを取っていないかと思うほど)。また、ベースのロン・カーターがかなり弾きまくっていて内容もすごいぞとは思うものの、そのベース・サウンドがこの時期特有の例のピック・アップ直付ぺらぺらサウンドなんで、減点です。

 

(written 2020.6.24)

 

2020/08/14

ホレス・シルヴァーのブラス・ロック

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(4 min read)

 

Horace Silver / Silver 'N Brass

https://open.spotify.com/album/5ldUPXu3D1G2A3Tgn39mZY?si=hGnrRA5HS26uo7MTmeI_vw

 

ホレス・シルヴァー1975年の『シルヴァー・ン・ブラス』。これはたぶんブラス・ロック作品と呼んでいいでしょう。といってもアルバムの全六曲中、(ブラス・)ロックかなと思えるのは1、4、6曲目と三つだけですけど、ジャズ・ミュージシャンのつくったアルバムで半分あればじゅうぶん。しかもそれらのうち、1と4曲目はドラマーがバーナード・パーディなんですね(それ以外はアル・フォスター)。

 

アル・フォスターといえば、このホレスの作品、録音が1975年の1月なんですけども、アルはちょうどマイルズ・デイヴィス・バンドのレギュラー・メンバーでした。同月末から怒涛の来日公演もやった(なかで大阪公演は録音され『アガルタ』『パンゲア』となった)というような時期で、しかしこのホレスのアルバムではわりと穏当なジャズ・ドラミングに徹しているなという印象ですかね。もともとファンクというよりジャズ・ドラマーではありますが。

 

そのアルが叩いているブラス・ロックの話からしますと、ラスト6曲目の「ミスティシズム」。これはしかし8ビートではありますが、ロックというよりラテン・ナンバーですね。アルもがちゃがちゃとにぎやかなシンバル・ワークで雰囲気を出していますが、さすがはラテン好きのホレス、こういった曲は得意です。バンド人員のソロもよし。ホレスのピアノも光っていますが、なんといってもアルを中心とするリズムがいいですね。

 

んでもって、アルバム題どおり大編成ブラス(金管楽器)陣が演奏に参加しているわけですけど、それはホレスではなくウェイド・マーカスがアレンジを書いていて、しかも録音も別で、オーヴァー・ダビングしてあるものなんですね。だからブラス・ロックといってもちょっとあれなんですけれども。1、4、6曲目以外はストレートなビッグ・バンド・ジャズといったおもむきです。

 

アルバム1曲目の「キシン・カズンズ」。幕開けがいきなりこれなんで、保守的なジャズ・リスナーなら出だしでけっこうなパンチを喰らうようなフィーリングですね。冒頭からビッグ・サウンドが鳴りますし、それが8ビート・ロックのリズムに乗って演奏しますからね。1975年ですからいわゆるブラス・ロックなどは下火になっていた時期で、だから流行に乗ったわけじゃなかったのかもしれません。遅れただけ?ボグ・バーグのテナー・サックス・ソロはコルトレイン・ライクでかなり聴けますね。

 

ここでまたマイルズ関連の話ですが、ボブ・バーグって1984年から数年間マイルズ・バンドで吹いていました。カム・バック・バンドのビル・エヴァンズの後任で。マイルズのところでは音楽性の違いというか、どうもパッとしなかったような印象がありますが、このホレスのアルバムではかなり出来がいいと思えます。1975年ですからまだ新人だったんじゃないでしょうか。4拍子のジャズ・ナンバーでも聴かせます。

 

4曲目「ザ・ソフィスティケイティッド・ヒッピー」。この曲題はデューク・エリントンへのオマージュでしょうね。しかし曲想にエリントンふうなところはまったくなく(3曲目「ダムロンズ・ダンス」もタッド・ダムロンへの言及でしょうけど、音楽的には関係なさそう)、ホレス独自のファンキー路線ですね。こういったリズムでブラス陣が炸裂すると本当に快感です。やはりボブ・バーグのテナー・ソロがかなりよし。ボスのピアノ・ソロがいいのはもちろんです。やや哀愁をともなった曲のメロとコード展開も魅力です。

 

(written 2020.6.22)

 

2020/08/13

ホレス・シルヴァーの、これは完璧ラテン・アルバム

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(4 min read)

 

Horace Silver/ In Pursuit of The 27th Man

https://open.spotify.com/album/1jSn14NPxq3RfopCPluTyp?si=uAI7oWC7SEiVLRhpPvlFQA

 

ホレス・シルヴァーの『イン・パースート・オヴ・ザ 27th マン』(1972年録音73年発売)は、全七曲のうち四曲がラテン・ナンバーなんで、これはもうラテン・アルバムだとしていいでしょうね。1、2、3、6曲目。これら以外はなんでもないジャズ・チューンでしょうが、四曲の印象があまりにも強いんです。このアルバム、当時まだ新人の部類だったブレッカー・ブラザーズをトランペットとサックスに起用しています。

 

1曲目「リベレイティッド・ブラザー」はウェルダン・アーヴィンの名曲。これはもうどこから聴いても完璧ラテン。ホレスはしかも1972年当時最新の音楽だったサルサをとりいれたピアノを弾きアレンジを施しています。出だしのエレベに続いてピアノのブロック・コード・リフが鳴りはじめただけで快感じゃないですか。ホレスはそのパターンをずっと弾き続けています。ランディのソロもよし、マイクルのほうはまだもうひとつといったところでしょうか。三番手ボスのピアノ・ソロがやっぱりいちばん聴きごたえありますね。

 

モアシル・サントスのペンによるブラジリアン・ワルツの2曲目「キャシー」もグッド。ミッキー・ローカーのドラミングも文句なしですが、ここで参加しているデイヴィッド・フリードマンのヴァイブラフォンがクールで、なんともみごとなラテン香味をかもしだしてくれていて、くぅ〜たまらん。ヴァイブはこのアルバム、ほかにも三曲で入ります。ホレスはこの曲、ちょっぴりボサ・ノーヴァふうなブロック・コードをずっと叩き続けていますね。そのままピアノ・ソロへ。ホーン陣はおやすみです。

 

3曲目「グレゴリー・イズ・ヒア」に来てようやくボスのオリジナル・コンポジションとなりますが、ここまでの他作二曲のラテン・ナンバーと比較してなんらの遜色もないんですね。もともとホレスはラテンなジャズ・ソングを書くのが得意でしたし、それでもこのアルバムほどのものはそれまでなかったとはいえ、もともと領域内のものです。三曲目ではマイクルのテナー・ソロがかなりいいですね。ホレスがずっとラテン・リズムを弾き続けています。ミッキー・ローカーも大活躍。

 

ストレートなジャズ・チューンは飛ばして、アルバムのクライマックスである6曲目「イン・パースート・オヴ・ザ 27th マン」。陰影に富むラテン名曲のこれでもヴァイブが参加、リズム・セクションと(特にミッキーのシンバル・ワークがすごい)ともに完璧なアフロ・キューバン・サウンドを形成しています。まずヴァイブ・ソロが出て、それも雰囲気満点ですけど、サビ部分は4ビートに移行しますね。二番手でボスのピアノ・ソロ。

 

このアルバムではホーン陣二名とヴァイブラフォン奏者は曲によって入れ替わり参加して重なっていませんので、この6曲目でもブレッカー・ブラザーズはおやすみ。ヴァイブ、ピアノ、エレベ、ドラムスのカルテット編成です。二名のソロが順番に終わった演奏後半は、ピアノとヴァイブがかけあいながらの四人合同集団即興みたいになって、超絶ラテンでありかつアヴァンギャルドなコレクティヴ・インプロヴィゼイションを展開。カッコよすぎてしょんべんチビりそう。

 

このアルバム、21世紀の近年流行のいわゆるラテン・ジャズのなかにもここまでの作品はなかなかないぞと思えるだけの内容で、1970年代もラテンが一大ムーヴメントだったとはいえ、もともと50年代からラテンの得意だったホレスが本腰据えたらどうなるか?みたいな傑作にしあがっていて、なんど聴いても感動しますね。

 

(written 2020.6.21)

 

2020/08/12

ホレス・シルヴァーの、これはソウル・ミュージックかな

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(3 min read)

 

Horace Silver / Total Response (The United States of Mind - Phaae 2)

https://open.spotify.com/album/6qkOJlPfAdb01Oe1w09zGg?si=dPmK0CsmTt22K-Zet1p0lg

 

ホレス・シルヴァー1972年(録音は70、71年)の『トータル・リスポンス(ザ・ユナイティッド・ステイツ・オヴ・マインド、フェイズ 2』、これはいったいどうしたんでしょう?それまでのホレスの音楽とはなにもかも違います。ガラリと変貌していて、1970年代前半当時のソウル/ファンク・ミュージック、に寄っていっているジャズ、じゃなくて、ソウル、ファンクそのものと言ってもさしつかえない内容になっています。

 

管楽器隊も参加しているもののアンサンブルだけで、アルバムをとおして(ジャジーな意味でもどんな意味でも)ホーン・ソロはまったくなし。ベーシストはエレベをファンキーに弾き、エレキ・ギターリストがぐちゅぐちゅとエフェクターをかませて(特にワウかな)ひずんだ音を出しまくっています。さらにホレスも全編エレピのみを弾き、それにもエフェクターをかませてあるんですね。さらにどの曲でもソウル・ヴォーカルをフィーチャーしています。

 

音楽がどれだけ変貌したかは、1曲目「アシッド、ポット・オア・ピルズ」の出だしをちょろっと聴いてみるだけでわかるんじゃないでしょうか。これはいったいどうしたことか?とビックリするようなサウンドですよね。スネアとエレベがぶんと鳴ったかと思うとすぐに思い切りワウをかませたエレキ・ギターのカッティングが鳴りだし、ホーンが背景に入りますが、すぐにヴォーカルが出ます。

 

しかもビートはファンキーな16ビートですもんねえ。これ、この1曲目を聴いて、これがジャズだと言えるひとはどこにもいないはず。でもやっているのはホレス・シルヴァーのバンドなんですから。ソロはリッチー・レスニコフ(ってだれ?)のぐちゅぐちゅいうエレキ・ギターのみ。それも短くて、だいたいの時間、歌が聴こえるというポップさ加減。

 

そもそもこのアルバム『トータル・リスポンス』ではソロの時間が、従来的なジャズ・マナーと比較すれば極端に少ないんです。ほとんど歌とギター、ちょっとのエレピだけっていう、そんなところもホレスが時代の音楽潮流の変化を感じとって自分の音楽にとりいれたところなんでしょうね。ジャズというよりポップ寄りのロックとかソウル、ファンクとかに大胆に接近している、というよりそれそのものをやっていると言えます。

 

ラテンなリズムを使ってある4曲目「アイヴ・ハッド・ア・リトル・トーク」のカッコよさとか(ミッキー・ローカー最高)、ポップなソウル・テイストの5曲目「ソウル・サーチン」なんか1980年代のブラック・コンテンポラリーを先取りしたようなサウンドで(エレピの音色に注目)、ファンク・ミュージックそのものと言いたい6曲目「ビッグ・ビジネス」のタイトさとか、もうこのアルバムはなにもかもがカッコよく、どこもぜんぜんジャズではなく、ここまでの音楽をジャズ・ミュージシャンとされている人物がつくりあげたとは大きな驚きです。

 

(written 2020.6.19)

 

2020/08/11

ホレス・シルヴァーのジャズ・ロック(1)〜『ユー・ガッタ・テイク・ア・リトル・ラヴ』

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(4 min read)

 

Horace Silver / You Gotta Take A Little Love

https://open.spotify.com/album/2kJDQ8OaEInm5FJRkczmNe?si=L-iPe0Q7SGKMYzCUszTnzw

 

なにしろぼくのホレス・シルヴァー歴は、二年前にはじめて聴いてぶっ飛んで書いた『ザ・ケープ・ヴァーディアン・ブルーズ』までも長年届いていなかったくらいで、それは1965年の作品。たぶんその前作の『ソング・フォー・マイ・ファーザー』くらいまでしか聴いていなかったんじゃないですかね、ずっと。あぁ、なんてこった!どう考えても1960年代末ごろからのホレスにはカッコいいファンキーなアルバムがあるに違いないと踏んで、CD は持ってないので Spotify で洗いざらい聴きました。

 

そうしたら、もう次々と、あるなんてもんじゃないくらいある!ぜんぶファンキーでカッコいいアルバムばっかりなんですよねえ。ちょっと数回にわたってとりあげてみたいと思います。きょうは1969年の『ユー・ガッタ・テイク・ア・リトル・ラヴ』。このへんからじゃないですかね、ホレスがファンキーなジャズ・ロック、ジャズ・ファンク領域に踏み込むようになったのは。これのあとにはどんどんあるみたいです。

 

アルバム『ユー・ガッタ・テイク・ア・リトル・ラヴ』、1曲目のタイトル曲からしてすでにカッコいいファンキーなジャズ・ロックです。ちょうど1963年の「ザ・サイドワインダー」(リー・モーガン)の直系遺伝子みたいな曲ですね。タイトでファンキーなビートを叩き出しているのがビリー・コバム(コブハム)。ホレスもお得意のブロック・コード連打でキメています。ランディ・ブレッカー、ベニー・モウピンと続くソロもよし。

 

いやあ、もうこんなのまできたら、69年ですからちょっと遅かったなと思わないでもないですが、それでもじゅうぶんみごとなファンキーさですよねえ。いや、ロックっぽいかな。このアルバム『ユー・ガッタ・テイク・ア・リトル・ラヴ』でキモになっているのはやっぱりビリー・コバムのドラミングだと思うんですね。細かい8ビートを刻むシンバル・ワーク、跳ねるアフター・ビートを効かせるスネアなど、感覚的にも当時の新世代ジャズ・ロック・ドラマーといった感じがします。

 

ふつうのジャズ・ナンバーのことは飛ばしますが、2曲目「ザ・ライジング・サン」も1曲目同様のジャズ・ロック。3曲目の「イッツ・タイム」はラテン8ビートを使ってあって、こういうのはこの1960年代当時よく聴けたパターンですね。ビリー・コバムはスネアでそれを表現しています。二管のたゆたうようなアンサンブルもラテンな雰囲気満点。でもそのまますっと4ビートに移行しちゃいますけどね。ベニー・モウピンのテナー・ソロはそれでも新感覚派と言えるでしょう。

 

モウピンがフルートを吹く美しいバラードの4「ラヴリーズ・ドーター」なんかも、従来的なハード・バップ路線では聴けなかった曲想です。1970年代に入ろうとしているこの時代の感覚をホレスがしっかりつかんでいたというあかしになる一曲ですね。全体的にジャジーな5「ダウン・アンド・アウト」でも、モウピンのソロが出るところでパッとロック・ビートが効きはじめます。ここではソロはモウピンだけ。

 

そして6「ザ・ベリー・ダンサー」。これこそこのアルバム最大のクライマックスでしょう。曲題どおり中近東ふうを意識したんでしょうエキゾティックな一曲で、しかしメロディもリズムもアフロ・キューバンっていう、ちょっとおもしろいものなんですね。各人のソロ・フレイジングもラテンで楽しいですが(モウピンはフルート)、そのあいだリズムが止まったり進んだりとヴァラエティを持たせているのもホレスのアレンジの妙味でしょうね。ビリー・コバムの表現する快活な8ビートはこの曲がアルバム中いちばんでしょう。

 

アルバム・ラストの7「ブレイン・ウェイヴ」はジョン・コルトレイン・ジャズによく似た一曲。

 

(written 2020.6.18)

 

2020/08/10

サミー・エリッキの才能

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(4 min read)

 

Samy Erick / Rebento

https://open.spotify.com/album/7FtbQpQ8WLLHiXlAphpn4i?si=4o8l4YmhTvWGBMzSftJs8g

 

bunboni さんに教わりました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-05-07

 

サミー・エリッキ(Samy Erick)はブラジルのギターリスト&コンポーザー/アレンジャーということで、2017年作『Rebento』がデビュー・アルバムみたいです。ジャズかショーロかっていうようなインストルメンタルなブラジリアン・ミュージックをやっているんですけども、編成はリズム・セクション(ギター、鍵盤、ベース、ドラムス、パーカッション)+四管(サックス、サックス兼クラリネット、フルート、トランペット)の計九人。

 

聴いた感じ、サミーはエレキとアクースティックの両方を弾くギターの腕前もさることながら、譜面を書く才能のほうがまさっているなという印象で、実際このアルバム最大の聴きどころもそこにあるんじゃないでしょうか。アルバム冒頭1曲目「Devaneio」でもいきなりアクギの音でアンサンブルがはじまりますが、その後サックスが出て、そのソロが進むにつれリズム・セクションも盛り上がってくるといった感じです。トランペット(の音がやわらかいのでフリューゲル・ホーンみたい)が出て管楽器アンサンブルが鳴る演奏後半が聴きものなんですね。

 

個人的に耳を惹いたのは2曲目の、ショーロというよりサンバ・ジャズな「Choro de Maria」、冒頭ビリンバウなどパーカッションの音色が印象的な、でもその後はミナス的なアンサンブル・ハーモニーを聴かせる3「Sol e Lua」、フルートのサウンドとその背後のエレピ・ヴォイシングが心地いい4「Roditi」、アフロ系のリズムがおもしろいしソロも聴こごたえある9「Lampião e Maria Bonita」あたりです。

 

それらではサミーのギターも聴けるけどホーン陣のソロがよくて、さらにソロ背後なんかでも聴こえる伴奏アンサンブルが本当に秀逸なんですね。かなりアレンジされているなとわかるんですけど、これがデビュー作だというサミーって何者なんでしょうね、正式な音楽教育を受けたような譜面を書くなあと思うんです。ミナス新世代らしい洗練されたハーモニーだと感じますよ。特にフルートの使いかたがいいなあ。

 

それでも、アルバムでぼくがことさら聴き入ったのは7曲目「Outro Lugar」とラスト10曲目「Lagoa Negra」ですね。これら二曲ではナイロール・プロヴェタをフィーチャーしていて、前者ではアルト・サックス、後者ではクラリネットと、それぞれサミーの前者はエレキ、後者はアクーティックなギターとの、ほぼデュオで演奏が進みます。

 

7曲目のほうではそれでもリズム・セクションや、背後に伴奏のホーン・アンサンブルが入って、ギター&サックスの情緒をもりたてているんですけど、後者は文字どおりの完全デュオ演奏。サミーの弾くナイロン弦ギターのうまあじに乗せてナイロールのしっとりしたクラリネットが切なげに感情をつづっていくさまは、まるでピシンギーニャが書きそうな(「ラメント」「カリニョーゾ」とか)ショーロ・バラードみたいで、聴き惚れますね。

 

(written 2020.6.17)

 

2020/08/09

夏の成分 〜 ジャズ・セレブレイション・オヴ・スティーヴィ

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(3 min read)

 

v.a. / Tales of Wonder - A Jazz Celebration of Stevie

https://open.spotify.com/album/3ooyAWAJArRdEYb1UGO2lS?si=XTiKOxUnTLGE5urzS2XA7Q

 

ポジ・トーンっていうアメリカ西海岸のジャズ・レーベルがありまして、そこが、スティーヴィ・ワンダー生誕70周年にあたる今年、それを記念して同レーベルのジャズ・ミュージシャンたちによるスティーヴィ・カヴァー集をリリースしました。アルバムのための新録じゃなくて、基本、既発音源からの寄せ集めコンピレイション(レーベル・サンプラー?)なんですけど、その『テイルズ・オヴ・ワンダー:ア・ジャズ・セレブレイション・オヴ・スティーヴィ』(2020)、中身はけっこういいです。

 

なにがいいって、梅雨明けして猛烈な暑さが到来したいまの真夏時期にピッタリくるような清涼感があるところですね。ジャズ・ミュージシャンたちがジャズふうに解釈したスティーヴィ集ということで、多くがややフュージョン(融合)に寄ったような演奏になっていますけど、なかにはストレート・アヘッドなジャズに展開したものもあり、さらにどの演奏もスティーヴィの原曲の持つメロディの美しさをそのまま活かしたようなフィーリングなのに好感が持てますね。

 

とりあげられている曲は、だいたい多くが1970年代のスティーヴィ・ナンバーということになっていますけど、そりゃあいちばんスティーヴィが充実していたのがその時期だったんだから当然ですよね。アルバム収録曲のなかで特に印象に残ったものをあげていくと、まず2曲目「マイ・シェリ・アモール」。ジョン・デイヴィス率いるピアノ・トリオもので、ストレートにジャジーな展開が気持ちいいですね。

 

テオ・ヒルのやわらかいフェンダー・ローズが印象的な3「スーパーウーマン」を経ての4曲目「ユー・アンド・アイ」。これ、かなり好きです。軽めのボッサ・フュージョンみたいな仕上がりで、演奏はアイドル・ハンズ。ウィル・バーナード(g)、ベーン・ギリース(vib)、アート・ヒラハラ(p)らによるコンボですね。これぞ西海岸フュージョンといった出来で、ぼくはこういうの、かなり好きなんですよね。

 

ファンキー&ブルージーなオルガン・ジャズになった5「ユー・ハヴント・ダン・ナシン」もゴキゲンでカッコいいですね。デイヴ・ストライカー(g)をふくむジャレッド・ゴールドのオルガン・トリオの演奏です。デイヴのギター・カッティングもぐちゅぐちゅ言ってソウルフルで快感ですよ。同じようにソウルフルなオルガン・ジャズになったのが7「オール・イン・ラヴ・イズ・フェア」。トランペットはファーネル・ニュートンで、オルガンがブライアン・シャレット。ゴスペル風味だってありますね。

 

そしてなんといってもラスト8曲目の「ヴィジョンズ」。これがこのアルバムで最大の好物なんですけど、ベーン・ギリースのヴァイブラフォンをフィーチャーしたアクースティック・ジャズなんですね。バンドはアウト・トゥ・ディナーというクインテット名義になっていますが、ここでの伴奏はボリス・コズロフのコントラバスのみ。こ〜れが、もう美しいのなんのって!もちろんスティーヴィが書いたメロディがあまりにもすぐれているからということなんで、やはりとんでもないソングライターだったなと、こういうふうにジャズに再解釈された演奏を聴いても再確認できますね。

 

(written 2020.7.31)

 

2020/08/08

エディ・コンドンが二位だなんて

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※ Astralさん、これをご覧になっていたら、ほかに接点がありませんので、コメントでも、右サイド・バーのリンクにあるメールでも、どっちでもいいので、連絡を下さい。伝えたいことがあるんですけど、Asral Clave に長期間コメントできなくなっています。

 

(5 min read)

 

https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2020/08/post-bc0cd0.html

 

奇跡が起きました。8月6日付の「このブログの人気記事ランキング」で、エディ・コンドンの記事がなんと二位に入りました!こんなことってあるのでしょうか。上掲リンクがその記事ですけど、エディ・コンドンですよエディ・コンドン。ディキシーランド・ジャズですよ。それが人気ランキング二位だなんて。

 

ぼくが1979年にジャズに夢中になりはじめたとき、すでにニュー・オーリンズ・ジャズ、ディキシーランド・ジャズ・スウィング・ジャズといった古典的なスタイルを好んで聴くというファンは皆無となりつつありました。周囲に(ごくごく少数の例外を除いて)まったくいなかったんじゃないですかね。その傾向がどんどん進み、現在に至るというわけです。

 

ぼくだってジャズを聴きはじめたいちばん最初はモダン・ジャズ(とフュージョン系)ばかりでしたからねえ。リアルタイム的に思い入れがあったのはもちろんフュージョンですけれど、レコードを聴く回数はハード・バップ、特にファンキー・ジャズなんかのほうが多かったと思います。ジャズ喫茶でメインでしたし、雑誌などジャズ・ジャーナリズムでもそれ中心でしたからね。

 

ぼくが第二次大戦前の古典ジャズにはまるようになったのは、ひとえに松山にたった一軒だけあったアーリー・ジャズばかりかけるジャズ喫茶「ケリー」(その後一回閉店して、「マーヴィー」として別の場所で再開も、また閉じる)のおかげです。マスターだった荒井さんの趣味だけで成り立っていたお店でしたけど、そこはアーリー・ジャズのレコードしかかけなかったんですよね。

 

どうしてケリーに足を踏み入れたのかは、たぶんなにかの間違いだったんでしょう。1980年初頭ごろ、ぼくはジャズ(と映画と推理小説)好きの大学生で、自転車で市内をブラブラしていて、「ジャズ」の看板が出ていたから気になって、それだけでたぶんケリーに入ってみたんでしょうね。そうしたらそこは異空間でした。

 

ケリーの荒井さんはモダン・ジャズのレコードもたくさん持っているし、渡辺貞夫さんなんかのフュージョンなんかも聴いていると知ったのはずいぶんあとになって個人的に親しくなってからで、最初は、うん、店内でも頑固オヤジといったイメージじゃなくほがらかでにこやかでしたけど(ぼくよりひとまわり年上なだけだった)、ケリーで聴けるジャズは戦前の古典ものばかりでした。それがどうしてだかぼくの琴線に触れたんですよね。

 

だから、ぼくのなかにもなにか古典ジャズ向きの資質があったということかもしれませんし、あるいはまんまと荒井さんの策略にしてやられただけだったのかもですけど、とにかく古典ジャズばかりかけるケリーに入りびたるようになり、それでもほかの(モダン・ジャズをかける)ジャズ喫茶にだってそこそこ行っていたんですけど。とにかく古典ジャズのトリコとなって、マスターの荒井さんとも親しくお話するようになりました。

 

荒井さんのご自宅にも頻繁に遊びに行くようになって、いっしょに街を歩いてレコード屋あさりをしたりなど、それはお店を完全にやめてしまってからのことですけど、ご自宅にあるレコードを聴きながらしゃべり、ぼくは知らないこと、わからないことを質問してはどのレコードを買ったらいいのか相談したりするようになりました。東京の大学院に進学するとなったときは、餞別として好きなレコードを棚から抜いて持っていっていいよと言われました。

 

あとはですね、1980年ごろというと、古典ジャズもたくさん紹介されている粟村政昭さんの『ジャズ・レコード・ブック』なんかが本屋で新刊で買えましたし、古いジャズもどんどん解説している油井正一さんの複数の著書だって並んでいました。それからあの『スイングジャーナル』だって、別冊ムック本みたいな特集号で古典ジャズをふくめた名盤選をやったりすることだってあったんですよ。たぶんその最後の時代くらいでしたよね。デューク・エリントン楽団の『アット・ファーゴ 1940』はそんな特集号で知りました。

 

こないだも記事を書いたエディ・コンドンの『ジャム・セッション・コースト・トゥ・コースト』もそんな時代に、大学生時分に、松山のレコード・ショップで見つけて買って愛聴するようになった一枚だったんですね。それ以来大好きなアルバムで、40年ほどが経過したいまでも大好きなままずっときているっていう、そういうことなんですね。

 

でも周囲を見わたし世間の空気を感じてみれば、ディキシーランド・ジャズなんかを愛好する人間は、日本では絶無に近いというような状態で(ディズニーランドで聴けるだけ?)、ディキシーだけじゃなくニュー・オーリンズもスウィングも好きなぼくとしては、いくら好きでも仲間がぜんぜんいないなあと思って、いささかさびしい思いに暮れたりすることもある41年間なんですね。

 

だからごくたまにこうやって、いっときとはいえブログのアクセス人気記事のランキング上位にそれが入ったりすれば、本当に飛び上がるほどうれしいんです。

 

(written 2020.8.6)

 

2020/08/07

ロリンズ&MJQ、かなりいいんだなあ

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(4 min read)

 

Sonny Rollins / With The Modern Jazz Quartet

https://open.spotify.com/album/1Vnn90iSXyOn5jCh0l9Usl?si=U0FKPKRATYGT1xF_9vZvoQ

 

『ソニー・ロリンズ・ウィズ・ザ・モダン・ジャズ・カルテット』(1956)というアルバム題でありながら、ソニーと MJQ が共演しているのはアルバム全13曲中冒頭の四曲だけで、1953年録音。残り九曲は51年録音で、最後の一曲(はピアノがマイルズ・デイヴィス)を除き、ケニー・ドゥルー(p)、パーシー・ヒース(b)、アート・ブレイキー(dms)の伴奏なんですね。MJQ をタイトルに出したのはプレスティジのボブ・ワインストックの趣味でしょう、お気に入りだったみたいですからね。

 

ともあれこのアルバムがソニー・ロリンズのファースト・リーダー録音です。1951、53年というとハード・バップはまだ勃興前といったあたりでしょう。このアルバム、ぼくは長年なぜだか乗り気がせず、レコードを買ってはあったもののほとんど聴かず、CD でも同様で、ついこないだ Spotify でぶらっとかけてみたというのが真相なんですね。ずーっと知っていながら58歳のジャズ歴41年目にしてはじめてちゃんとこのアルバムを聴いたんです。なんてこった!

 

そうしたら内容がかなりいいのでびっくり。理由もなしになんとなく聴かなかったというか、録音が1950年代初頭ということで、ひょっとして50年代半ばにロリンズは完成したというあたまがあったせいなのか、遠ざけていて、バカでした。かなりすぐれたアルバムです。1951年録音の初リーダー録音でここまで流暢に吹けているロリンズには驚きますね。いまごろおまえはなにを言っているんだ?!と思われるでしょうけどね。

 

特に感心したというか感動したのはスタンダード・バラードの演奏ですね。1953年に MJQ とやったのも51年のケニー・ドゥルーらとのセッションも差がないと思いますからひっくるめて語りますが、まず4曲目「イン・ア・センティメンタル・ムード」(デューク・エリントン)、そして6「ウィズ・ア・ソング・イン・マイ・ハート」(リチャード・ロジャーズ)、8「タイム・オン・マイ・ハンズ」(ヴィンセント・ユーマンス)。

 

フランク・シナトラがトミー・ドーシー楽団時代に歌った9「ディス・ラヴ・オヴ・マイン」もきれいなラヴ・バラードですけど、これらの曲でのロリンズはまったくよどみなくすらすらとチャーミングなフレーズが湧き出てきて止まらないといったおもむき。しかもそのアド・リブ・フレーズが実によく歌っています。アド・リブでここまで歌えるジャズ器楽奏者はほとんどいないんじゃないでしょうか。50年代半ばにロリンズは完成したなんてとんでもない、デビュー作にしてすでに一級品じゃないですか。

 

それらの演奏の印象がさらにアップする要因は、アルバムの収録曲がいずれも SP サイズの約三分前後におさまっていることです。テーマ吹奏から適度な長さのインプロヴィゼイションまで、整っていて破綻なく、冗長になったり聴き飽きしたりすることのないこのサイズは、ポピュラー・ミュージックを聴かせるのに最適な時間尺かもしれません。ロリンズのチャーミングな演奏がチャーミングなまま終わってくれます。

 

2曲目「オールモスト・ライク・ビーイング・イン・ラヴ」、7「ニュークス・フェイドアウェイ」、11「オン・ア・スロー・ボート・トゥ・チャイナ」みたいなミドル・テンポのスウィング・チューンも心地いいことこの上なく、このアルバムはだれが共演者であろうと関係なく朗々と吹ける実力の持ち主(である点ではルイ・アームストロングやチャーリー・パーカーやクリフォード・ブラウンと同資質)であるロリンズひとりにスポットライトが当たっている独壇場で、文句なしの一作です。

 

(written 2020.6.16)

 

2020/08/06

涼風のようなグスタヴォ・ボンボナートの洗練にノックアウトされちゃった

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(3 min read)

 

Gustavo Bombonato / Um Respiro

https://open.spotify.com/album/1dmR5Vcl22V9fWPlYGVo0u?si=Oy-yyMpPQn-a_Kv1SyOP3A

 

bunboni さんに教えてもらいました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-05-05

 

ブラジルのピアニスト&コンポーザー、グスタヴォ・ボンボナートの2018年作『Um Respiro』がさわやかな涼風のようで、本当に気持ちいいです。1曲目「Finda à Dor」にマジックが働いているとしか思えないんですけど、グスタヴォのピアノ音四つでのイントロだけで「あぁ、これは好きだ、とてもいい」と感心してしびれちゃいました。タチアーナ・パーラが奇妙に上下するメロディ・ラインを歌いはじめたらもう降参ですね。こんなにも心地のいいジャジー MPB ソング、いままでありましたっけ。

 

そんな1曲目「Finda à Dor」だけでアルバムの印象がいいほうに決まってしまうなと思うほどすばらしいと思うんですけど、3曲目「Sapateiro Benevolente」のスキャットなんかも粋で気持ちいし、ボサ・ノーヴァ・リズムがいいし、グスタヴォのエレピ・ヴォイシングといい、佳演ですね。5「Salutar」も清涼感たっぷり。6曲目「Samba Contenção」のリズムも最高です。

 

伴奏は基本アクースティックなピアノ・トリオかな、曲によってグスタヴォはエレピを弾いたり、またちょっぴり木管が入ったり、ハーモニカが参加している曲もあったりします。ヴォーカル・アルバムなんですが、歌手はタチアーナ・パーラ(1)、マヌ・カヴァラーロ(2、5)、フィロー・マシャード(3、7)、アドリアーナ・カヴァルカンチ(4、6)の四人が一曲ごとに入れ替わっています。

 

それらヴォーカリストはいずれもジャズ資質の歌手たちで、グスタヴォの書く洗練された抽象的に上下するジャジー ・ポップをみごとに歌いこなしています。そのメロディ・ラインそのものがさわやかでとてもチャーミングだなと思うんです。だからコンポーザーとしてのグスタヴォの才能を感じますが、歌手たちもストレートにすっとつづっているのが好印象。

 

バンドのサウンドもまるで湿度の低い過ごしやすい春風に吹かれているかのようなジャジーさで、ヴォーカリストの歌うメロディ・ラインの聴きやすさと歌の印象のよさもあいまって、こんなにも気持ちい音楽ってなかなかないよねえと、なんど聴いてもトリコになっちゃいます。しかもあと口がとてもさっぱりしていていいんですね。洗練の極みのような音楽です。涼感、冷感があって、いまの真夏に聴くのにもピッタリ。

 

なお、ハーモニカのガブリエル・グロッシは6、7と二曲で参加しているように思います。

 

(written 2020.6.15)

 

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