2022/01/17

先月に引き続き富井トリオの新曲が出ました 〜「ヴェロニカ」

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(2 min read)

 

富井トリオ / ヴェロニカ
https://www.youtube.com/watch?v=wXpwCZiORMw

 

とみー(1031jp)さんの富井トリオ、12月リリースだった「恋の果て」に続き、1月6日にさっそく新曲が出ました。「ヴェロニカ」(2022)。アートワークの数字が連番になっているし、シリーズ化するということなんですかね。それだったら歓迎です。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2021/12/post-70685c.html

 

軽快なさわやか系ロックだった前曲にくらべ、今回の「ヴェロニカ」はタメの効いた深く粘っこいノリを持つミディアム・グルーヴ・チューン。奇妙なループ感もある、ややヒップ・ホップ寄りの一曲に仕立ててありますね。

 

ロー・ファイ・ヒップ・ホップっぽいフィーリングすらある「ヴェロニカ」。細部までかなりていねいにつくり込まれているんだということが、聴いているとわかるのも好印象。今回もソングライター&ギター&ヴォーカルはとみーさんで、ベース、ドラムスとも前曲と同一メンバー(なかなか豪華なメンツ)。

 

曲づくりの段階で、新曲はこういったビート感の曲にしようというのが念頭にあったはずですが、いざ演奏となって、この手のデジタルなコンピューター・ビート的なものを人力で表現できる原”GEN”秀樹さんの腕前にも感心します。とみーさんのヴォーカルも今回はややクールさが目立っている感じ(やはりラップもあり)。

 

日本の一般のインディ系ロック/ポップスのなかにも、こうしたヒップ・ホップ通過後みたいな新感覚グルーヴを表現する演奏ミュージシャンがどんどん出てきているんだとよく納得できる富井トリオの新曲「ヴェロニカ」、これもたいへん心地いいですね。

 

(written 2022.1.15)

2022/01/16

大貫妙子の「新しいシャツ」は原田知世という表現者を得た

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新しいシャツ
https://open.spotify.com/playlist/0McQKHXxufqAAUk2nxGLHt?si=900298d5348b474b

 

『恋愛小説3 〜 You & Me』(2020)収録の原田知世カヴァーで知った「新しいシャツ」。とてもいい、沁みてくる曲ですよ。1980年に大貫妙子が書いたもので、妙子自身なんども歌っているみたいです。

 

といってもぼくはただの知世ファンなだけで、大貫妙子についてはいままで名前だけ知っていたものの活動にあまり関心を寄せず、その曲や歌をあまり聴いてきませんでした。きらいとかどうとかではなく、なんとなく時間が経っただけ。

 

ところが知世『恋愛小説3』5曲目の「新しいシャツ」に、最初はそうでもなかったのが、近ごろなんだかとってもしんみり感じ入るようになってきたんです。だれだか知らないけど(CD買ってないから)伴奏ピアニストもみごと。ピアノ独奏だけで知世が歌っています。

 

そしてなんといっても曲がいいです。二人の別れの風景を描いたものなんですけど、淡々とおだやかでいる主人公の心情をつづるメロディがこりゃまた絶妙に美しくて、涙が出そう。「(あなたの心が)いまはとてもよくわかる」部分、特に「とてもよく」とクロマティックに動く旋律にふるえてしまうんです。

 

ソングライターとしての妙子の才に感心するゆえんですが、このことにいままで長年、そう50年近い音楽リスナー歴でまったく、気づいていませんでした。知世ヴァージョンがあまりにすばらしく響くので、Spotifyアプリでクレジットを見て、それではじめて妙子の曲だと知ったくらいですから。

 

さがしてみたら妙子自身が歌う「新しいシャツ」は三つあるようです。1980年の『ROMANTIQUE』収録のものがオリジナル。当時現役バンドだったYMOの三人とその人脈がサポートしたアルバムで、この「新しいシャツ」は個人的にイマイチ。

 

その後二種類あるのはいずれもアクースティック・ヴァージョン。妙子は1987年からずっとアクースティック・ライヴを続けているようで、近年の活動の軸になっているみたい。ピアノとストリング・カルテットだけで自身の書いた曲を静かに歌うというシリーズ。

 

妙子アクースティック・ヴァージョンの「新しいシャツ」二つは、スタジオ録音の『pure acoustic』(一般発売は1996)のものとライヴ収録による『Pure Acoustic 2018』(2018)のもの。いずれも上述のとおりの伴奏で歌ったものです。

 

それが実にいいんですね。シンプルで静かな伴奏が、別れのときにおだやかにたたずんでいるという心象をうまく描写できています。ピアノ一台だけの伴奏という知世ヴァージョンをプロデュースした伊藤ゴローも、それらを参照したに違いありません。

 

個人的な好みで言えば、妙子の声のトーンと細かなフレイジングに装飾のない96年『pure acoustic』ヴァージョンは、よりすばらしいと感じます。フレーズ末尾で変化や抑揚をつけずストレートに歌うのがこの歌の内容にはとても似合っているような気がしますから。

 

実はまさにこの意味においてこそ、原田知世ヴァージョンこそ至高のもの。声質そのものが素直でナイーヴで、ふだんからどうという工夫や装飾もせず淡々と歌う知世のスタイルは、「新しいシャツ」という曲にフィットしているし、静かに弾かれる一台のピアノだけという伴奏も絶好の背景です。

 

大貫妙子の「新しいシャツ」は2020年になって原田知世という最高の表現者を得たのだろうと思います。と言えるほど知世『恋愛小説3 〜 You & Me』収録ヴァージョンはあまりにもすばらしく、切なく、美しい。

 

(written 2022.1.12)

2022/01/15

筋骨隆々の肉体美 〜 ダンプスタファンク

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Dumpstaphunk / Where Do We Go From Here
https://open.spotify.com/album/6aVAwiFG24G3VJNedr5ues?si=dFvWGT-UTJeiTtraxt2ZSg

 

ニュー・オーリンズのファンク・バンド、ダンプスタファンクの最新作『Where Do We Go From Here』(2021)。Astralさんもbunboniさんも書いていたので、いつもお先にどうぞなぼくがいまさらなにも言うことはないなと思ったんですけど、


(Astralさん)https://astral-clave.blog.ss-blog.jp/2021-04-23
(bunboniさん)https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-05-02

 

とはいえ超カァ〜ッコイイので、簡素でいいからちょっとだけ自分の記録として残しておかなくちゃ気が済まないっていう、そういう性分なもんで。これ、たぶん、わかっていただけるんじゃないかと。

 

それで、こういうのはプロレス的世界、肉弾あいまみえるばきばきマッチョでファロゴセントリックな音楽ですから(リング入場曲に似合いそう)、近ごろはおだやかで静かでやさしいサウンドを好む気分のときが多いぼくなんかは、やや遠慮したくなったりすることも。

 

がしかし聴いたら聴いたでカッコよく感じて気分いい、アガるというのもたしかなこと。たまにはボディビルダーを眺めるのもいいです。ファンク・ミュージックってそういうもので、パートナーの女性を抑圧していた(バンド・メンバーにもパワハラひどかったらしい)ジェイムズ・ブラウンだって、ときおり聴いてみたら快感でしょう。

 

ダンプスタファンクのこの新作、ぼく好みのファンク・ビートというとたとえば2曲目「メイク・イット・アフター・オール」のこの感じとか、いいですよねえ。これですよ、これが肉体派ファンク・ミュージックの真骨頂。皮膚に血管浮き出しそうなほどの高揚感。

 

7曲目「イン・タイム」も最高。いうまでもなくスライ&ファミリー・ストーンのあれのカヴァーですが、スライのすかしたクールなぺなぺなサウンドが、ここでは人力剛腕で濃厚なヘヴィ・ファンクに生まれ変わっているという料理ぶり。正攻法をつらぬくダンプスタファンクの本領発揮でしょう。

 

このアルバムにはインストルメンタル・ナンバーが数曲あるのもぼくの好みに合致しています。3「バックウォッシュ」、6「イッチー・ブー」、9「ダンプスタメンタル」。どれも聴きごたえ充分で、重量感がありながらシンコペイトの聴いた跳ねるビートがダンサブル。ニュー・オーリンズ的でもありPファンクのようでもあり。

 

(written 2021.12.10)

2022/01/14

昭和オヤジ系インスト・ロック 〜 ロス・マンボ・ジャンボ

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Los Mambo Jambo / Exotic Rendezvous
https://open.spotify.com/album/6PrrbUKDVWnf40OmiXH4wp?si=yO2mmOqKTLK3DIhN6q9jcg

 

いかにもなゲテモノ感満載のこのいかがわしいジャケットはどうですか。アルバム題だってどうにも...だけど、そのイメージそのまんまの音楽が聴こえてくるロス・マンボ・ジャンボの新作『エキゾティック・ランデヴー』(2021)。スペインはバルセロナのバンドみたいで、名前はたぶんこれペレス・プラードの有名曲から取ったんでしょうね。

 

でもマンボなどラテンな感触はほとんどなく、リズム&ブルーズとか、ロカビリーとか、ジャイヴものとか、そういうごきげんなヴィンテージ・グルーヴをマニアックに演奏して聴かせる下世話インストルメンタル・バンドなんです。

 

サックス、ギター、コントラバス、ドラムスの四人が基本編成で、アルバムによってはゲストがいたりビッグ・バンドでやったものもあるみたいですが、全編モノラル・ミックスのこの新作ではシンプルに四人だけで演奏しています。

 

B級インスト・ロック三昧というか、日本でもグループ・サウンズ全盛の1960年代あたりによく聴いたあの感じ、刑事ものとかスパイものやミステリなどのTVドラマや映画で頻繁に流れていたあんなBGMの雰囲気そのまんまなんですよね。59歳のぼくの世代なんかだと、記憶もさだかでない幼少時のぼんやりしたノスタルジーをかきたてられるサウンドです。

 

だからもちろん2021年の新作だからといって現代性なんかはぜんぜんなし。ポップス界における近年のいわゆるリバイバル・ブームとはなんの関係もなさそうで、ただなんとなくこういった世界が好きな連中が時代感無視で勝手にやっているお楽しみ音楽といったところでしょうね。

 

1960年代にまだ生まれていなかった若い世代のリスナーは、こういった音楽をどうとらえるんでしょうか。でも完璧「昭和」としか言いようのないこの世界に(デジタルではない)そこはかとない魅力を感じ接近していく若年層がけっこういるというニュースをよく見ますからねえ、郷愁ではなく新鮮な気持ちで素直に聴けるかもしれないですね。

 

演奏している当のロス・マンボ・ジャンボの四人だって、ひょっとしたらオヤジ世代そのものじゃなく、オッサン趣味の若年新世代で構成されているのかもしれませんし。

 

(written 2021.12.14)

2022/01/13

シュートできるように導いたチームがすごいのさ 〜 スティーヴ・クロッパー

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Steve Cropper / Fire It Up
https://open.spotify.com/album/6LC0JgaYxblH0m74rvvULm?si=r9OIZsf-ReeV_bs-uohacw

 

ご存知スティーヴ・クロッパー。四月ごろだったかな、今年(といってもこの記事が上がるのは2022年になるはず)の新作『ファイア・イット・アップ』(2021)がリリースされたとき、ちょっと話題になっていました。年齢と、10年ぶりの新作アルバムということと、それでも内容がしっかりしていたのとで、感心したひとが多かったはず。

 

クロッパーのギター・スタイルといえば、いまさら説明の必要などありません縁の下の力持ちというか組み立て役っていうか、決して派手なソロを弾きまくったりしませんが、いやソロも弾くけどリフやオブリの延長線上みたいなもので、たいていは曲の土台にあって地味だけど欠かせない基礎工事を黙々とこなすという、そういうギターリスト。

 

このことは往年のスタックス時代から現在にいたるまでまったく変わっておらず、新作『ファイア・イット・アップ』でも存分に堪能できます。いや、堪能というのもおかしいような、フロントで歌うわけじゃなし(今回ヴォーカルはロジャー・C・リアリ)、バック・バンドのサウンドにフォーカスしてもあまりよくわからない程度(は言いすぎ)。

 

だけど存在感がたしかにあるという、そんな脇役ギターリストとして生涯を送ってきましたよね。それはクロッパーが参加しているいままでのソウル系音源を聴くだけでわかっていたことですが、今回の新作について自身が語ったことばがあります。いわく:

 

「バスケット・ボールのチームが勝つとき、3ポイント・シュートを入れた選手がすごいわけじゃない、彼がシュートできるように導いたチームがすごいのさ」

 

どうですか。まさしくクロッパーの音楽哲学をみずから言いあてたセリフじゃないですか。

 

スポーツのチーム競技(音楽も多くはそう)には、勝利に導くためにお膳立てをする組み立て役の選手が必ずいます。野球でいえばバンバン三振を奪取する豪速球ピッチャーや大きなホームランを打ちまくる強打者「じゃない」、脇役の選手。

 

ピッチャーが実力を発揮できるよう配球を考え組み立ててサインを出すキャッチャー、配球や打者の傾向に応じて一球ごと絶妙に守備位置を移動する内外野手、得点につながるような進塁打をコツコツこなすつなぎ役。

 

サッカーでいえば、華麗にシュートを決めてみせるアタッカーにはもちろん見惚れますが、そこにいたるまでの中盤の組み立て役がいないとフィニッシュへ持っていけないわけで。

 

サッカー日本代表元監督だったボスニア人のイビチャ・オシムも「井戸を掘る役目」「水を運ぶ役目」が必要で重要だと、ことあるごとにくりかえしていましたね。

 

音楽でスティーヴ・クロッパーがこなしてきた役目、美学というのはまさにそういうことで、上記引用のとおり自身がバスケになぞらえて明言してくれたことで、あぁ、はっきり意識しているんだな、それも明確なプライドをそこに持ち続けているんだということもわかり、なんともうれしい気分です。

 

バッキング・ギターリストとしての美学に貫かれたクロッパーのギター・プレイを存分に楽しめる新作『ファイア・イット・アップ』、あくまでもチームとして、バンドとして力を合わせた一作に仕上げようという思いが強く感じられて、それでこそすばらしいんですよね。

 

こういう音楽家に惹かれます。

 

(written 2021.12.9)

2022/01/12

銀のデリカシーでつづるほのかな官能 〜 由紀さおり『VOICE II』

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由紀さおり / VOICE II
https://open.spotify.com/album/5u96HgpkYtVbLgIKd4aPaX?si=Hv1Qq9KWRWSXypH3WreQ4g

 

由紀さおり2015年のアルバム『VOICE II』が傑作で、もうすっかり骨抜き状態。

 

こないだ発見したきっかけは、惚れ込んでいる天才アレンジャー坂本昌之の仕事を調べていて。坂本の仕事、できればぜんぶ聴きたいんですが、そうしたら由紀さおりの『VOICE II』もそうだと知り、聴いてみて、とろけちゃいました。

 

(主に)1960年代にヒットした哀切系ロマンス歌謡を11曲とりあげ、それに坂本らしいふわっとやわらかなアレンジをほどこして、さおりがおなじみのおだやかストレートなヴォーカルを聴かせているという具合。こんなもん、惚れない理由がないです。

 

つまり、歌手がいい、選曲がいい、アレンジがいいの三位一体がこのアルバム。

 

1月2日の出会い以来、もうこれしか聴いていないと思うほどですが、以下にトラックリストと初演歌手、そのレコード発売年を記しておきます。

 

1. さよならはダンスの後に(倍賞千恵子、1965)
2. ウナ・セラ・ディ東京(ザ・ピーナッツ、1964)
3. 夜霧よ今夜も有難う(石原裕次郎、1967)
4. 黄金のビギン(水原弘、1959)
5. ラストダンスは私に(越路吹雪、1961)
6. 雨の夜あなたは帰る(島和彦、1966)
7. 赤坂の夜は更けて(西田佐知子、1965)
8. 暗い港のブルース(ザ・キング・トーンズ、1971)
9. 雨に濡れた慕情(ちあきなおみ、1969)
10. 知りたくないの(菅原洋一、1965)
11. 逢いたくて逢いたくて(園まり、1966)

 

とても細かな部分にまで神経の行きとどいた坂本アレンジはデリカシーのきわみ。決して派手さのない渋い銀のような味なんですが、一度はまると抜けられない魔法のアレンジ・チャームを持つ人物ですね。ここにはこの音しかないという最小の必然をそっとすかさずはめこんでいく手法には感嘆しかありません。

 

『VOICE II』ではラテン・ビート香料が随所にまぶされているというのも特質。それも、そうとわからないほど薄くかすかな隠し味的に使われているのが、さおりのヴォーカルをきわだたせることになっていて、文句のつけようがなし。

 

たとえば「ウナ・セラ・ディ東京」「雨の夜あなたは帰る」はボレーロ/フィーリン、「ラストダンスは私に」(with 坂本冬美)はチャチャチャ、「雨に濡れた慕情」はルンバ・フラメンカですが、それらのラテン・ビートが曲の持つ哀感をいっそう切なく、しかし控えめに静かに、香らせています。

 

歌手はこのアルバムの2015年時点で69歳でしたが、声のツヤやセクシーさが失われていないばかりか、適度におだやかな枯淡の境地にさしかかっていて、ほのかな官能ただよう大人の哀切恋情を歌うのにこれ以上のヴォーカリストはいません。

 

決してエモーションを強調したり声を張ったりせず、どこまでも軽くソフトに淡々と、細やかに微妙な表情の変化や陰影をつけながら、ことばをふわりとおいていくさまには、ため息しか出ませんね。

 

「知りたくないの」に参加している平原綾香がややリキんでいて、特に後半部、英語で歌う部分で強めのヴォーカルを聴かせていることだけがただ一点の玉に瑕で、これさえなかったらと悔やまれます。

 

しかしそんな欠点も気にならず、全体的にはパーフェクトなアルバムといえ、坂本昌之アレンジ+由紀さおりヴォーカルによる銀のデリカシーを心ゆくまでじっくり味わえる極上の音楽です。

 

(written 2022.1.11)

2022/01/11

サッチモが生きていたらこうやった 〜 ワンダフル・ワールド・オヴ・ルイ・アームストロング・オール・スターズ

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(5 min read)

 

The Wonderful World of Louis Armstrong All Stars / A Gift To Pops
https://open.spotify.com/album/4v9NoIe0lZvPjOwHzjBGFn?si=2tvGf4tsR1GEmLxCxE6JBg

 

ザ・ワンダフル・ワールド・オヴ・ルイ・アームストロング・オール・スターズ(長いぞ)というバンド、というよりプロジェクトみたいなもんかな、その名義でリリースされた『ア・ギフト・トゥ・パップス』(2021)は、現代のミュージシャンたちによるサッチモ・トリビュート。

 

昨2021年がサッチモ生誕120周年にして没後50周年にあたるというんで企画されたんでしょう。共同プロデューサーもつとめているニコラス・ペイトンを中心に、ダヴェル・クロフォード、レジー・ヴィール、ハーリン・ライリーら、サッチモの故郷ニュー・オーリンズ出身の現役ミュージシャンたちで構成されているプロジェクトです。

 

1920年代から60年代までサッチモが演奏した曲の数々を再構築しながら、その偉大さを現代的な翻案で示そうとしているのが、聴くとわかりますね。この「現代的な翻案で」というのがある意味このトリビュート・アルバムとサッチモ・ミュージックの真価であるように思えます。

 

最注目は10曲目「ブラック・アンド・ブルー」。ファッツ・ウォーラーが書きサッチモが1929年に初演した(ファッツ・ヴァージョンはなし)元祖BLMソングですが、完全にヒップ・ホップ調に生まれ変わっています。2020年代グルーヴに乗せ、ゲスト参加のコモンがラップをかぶせています。

 

「ブラック・アンド・ブルー」、初演が同時期だったデューク・エリントンの「ブラック・アンド・タン・ファンタシー」とならび、あの時代のブラック・ミュージシャンとしては精一杯の黒人差別告発だったわけですが、どういう調子の曲だったのかオリジナルを知っていると、こんなポジティヴで力強いBLMソングに変貌しているのは感慨ひとしお。これぞ2020年代的ブラック・ソングで、コモンのラップもそれにあわせたものになっています。

 

ほかにも7曲目「セント・ルイス・ブルーズ」でもコンテンポラリーなビート・アレンジが聴きとれますし、ウィントン・マルサリスが参加している2「南京豆売り」なんかにもぼくはちょっぴり現代性を感じますよ。ラテン・ビートがヒップ・ホップ以後的な新時代感覚の源泉にあるのでは?

 

9曲目「スウィング・ザット・ミュージック」の細かなビート感もややコンテンポラリーな感触があり。

 

ラテンなビート感覚と、ブルーズが土台になっているファンク・ビートの二種が、1990年代以後的なヒップ・ホップ、現代R&Bのルーツになっているんじゃないかということは、ずっと前からぼくは感じていました。今回のこのサッチモ・トリビュートで、いっそうその思いを強くしましたね。

 

讃美歌である11「ジャスト・ア・クローザー・ウォーク・ウィズ・ジー」は、まずテンポ・ルバートの荘厳なゴスペル・チューンとしてはじまって、その後ビートが入ってストリート・スタイルのセカンド・ラインに移行しますし、続くサッチモ生涯最大のヒット曲12「ワット・ア・ワンダフル・ワールド」は、ニキ・ハリスのヴォーカルをフィーチャーしたこれもゴスペル調の現代R&B。

 

これら以外はまずまずトラディショナルなジャズ演奏だなと思うんですが、メンバーの演奏や歌のすみずみにサッチモ愛が行き渡っているのが、聴いているとほんとうによくわかります。全曲コントラバスだったり、ニュー・オーリンズっぽくバンジョーがリズムを刻むものが数曲あったりも、伝統と現代性のちょうどよい橋渡し。

 

ヒップ・ホップ/現代R&B以後的に生まれ変わったものもふくめ、2021年にサッチモが生きていたらこうやっただろうというスタイルで貫かれていて、アルバム全体では適度なコンテンポラリーネスにスタンダードなサッチモの音楽を新録音で聴けるという楽しさも加味されていて、サッチモ・ファンにも新世代ジャズのリスナーにもオススメの中庸。

 

(written 2022.1.10)

2022/01/10

ゴスペル仕込みの迫力とリアリティ 〜 ドリー・ライルズ

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(2 min read)

 

Dorrey Lyles / My Realized Dream
https://open.spotify.com/album/4MBERL7Yw4DZV87TCrV9fc?si=Cqs9euJ_S_mDysqdNR96RQ

 

Astralさんのブログで知りました。
https://astral-clave.blog.ss-blog.jp/2021-04-29

 

ドリー・ライルズはそれなりにキャリアのあるソウル歌手みたいですが、なんでもこの『マイ・リアライズド・ドリーム』(2020)がデビュー・アルバムだそう。聴いてみたらたしかにキャリアを重ねてきたのは間違いないと思える重厚さや安心感がありますね。

 

ドリーは決して現代R&Bとかのひとではなく、どこまでもヴィンテージなソウル・ミュージックの歌手だと、このアルバムを聴いているとわかりますが、そんな歌手たちの御多分に洩れずやはりゴスペル界出身だそう。

 

ハーレム・ゴスペル・シンガーズのメンバーとして歌のスキルを磨いてきた叩き上げの実力派ということで、アルバムでもその持ち味を存分に発揮する圧巻の声量と歌いっぷりでリスナーを組み伏せるといったスタイルですね。

 

クール・ミリオンのロブ・ハードがバックアップしていて、多くの曲をプロデュースしています。たしかにそんなスムースなモダン・ソウル・テイスト満載で、リズムなんかは打ち込みだと思うんですが、全体的にラグジュアリーなムードでとてもいいですね。

 

個人的にことさら印象に残ったのはラスト三曲の流れ。8「キャラヴァン・オヴ・ラヴ」は堂々たるクラシック・ソウルの趣きで、ヴォーカルの説得力で聴かせる内容ですが、続く9「チャイルド・オヴ・ソウル」はアクースティック・ギターの刻みがほのかにラテン・テイストも香らせる、クラブ系っぽい一曲。アルバム中これだけはややコンテンポラリー寄りなビート感とサウンド。

 

ラスト10「リーン・オン・ミー」はもちろんビル・ウィザーズのカヴァーで、これがこのアルバム最大の聴きものですね。グッと重心を落としたゴスペル・バラードに仕立ててあって、ドリーのヴォーカルもキャリアを存分に活かした面目躍如。ピアノをメインに据えたシンプルでアクースティックなサウンドに乗せ、この歌詞をこういう声でこう歌われると、強いリアリティを感じざるをえません。

 

(written 2021.12.7)

2022/01/09

涼やかでしなやかな生命力 〜 ミゲル・ヒロシ

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(3 min read)

 

Miguel Hiroshi / Oníriko Orinoko
https://open.spotify.com/album/0pmH9JjudkTLzXPnMXfSeu?si=R3mvpWZlQl-IUZJQpxXrng&dl_branch=1

 

スペイン人パーカッショニスト、ミゲル・ヒロシのファースト・アルバム『Oníriko Orinoko』(2019)はほんとうに美しい音楽。ミゲルは鎌倉生まれだそう。ヒロシっていう名前と関係あるんでしょうか。でも生後すぐスペインに戻ったらしいです。

 

ミゲルは2000年生まれの新しい打楽器であるハング・ドラム(ハンド・パン)というものを演奏するひとで、それは素手で叩くスティール・ドラムみたいなもの。頻繁に聴こえる親指ピアノもミゲルの演奏でしょうし、打楽器全般担当していると思います。

 

アルバムはクールでミニマルな音像で、さわやかさ、端正さがただよっていて、まるでECMの音楽を聴いているような感触です。ジャジーではあるけれど、ジャズ・ミュージックとまで断言できないものかも。世界中のパーカッション・ミュージックを俯瞰したような内容です。

 

個人的にミゲルの演奏するハング・ドラムその他打楽器群にさほどは耳がいかなくて、もっとサウンド全体の組み立てみたいな部分に注目したくなります。コンポジションやアレンジ面での工夫も目立っていますしね。

 

そして、プリミティヴな楽器の響きと現代的な演奏やアレンジが融合されているというのも特徴で、聴いた感じジャジーな洗練からは遠い音楽かもなと感じます。アフリカ音楽のクールネスに近いものがあるような。

 

もちろんシャイ・マエストロがピアノを弾く数曲など、現代ジャズともクロスする部分はあって、そういったあたりでは2010年代以後的なジャズの感性を強く打ち出しているなという印象ですね。ジェンベやベルほか数種の打楽器に、水を手で漕ぐ音、シンセサイザーまでを多重録音した曲もあったり、J. S. バッハの曲を親指ピアノで独奏したり。

 

シンセサイザーやハング・ドラムが混然一体となり強力なビートへと転化するラストまで、心地よく聴き手を一気に導いてくれるアルバムの構成もみごとで、フラメンコやジャズはもちろん、アフリカ音楽やインド音楽の世界観までをも吸収した、アクースティックでアンビエント、ときにスピリチュアルな佳作でしょう。

 

(written 2021.8.29)

2022/01/08

音楽のコロケーション

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英語教師ならみんな知っているコロケーション。「連語」という和訳なんかじゃピンときませんが、これがきたら次はこうくるっていう語と語の自然なつながり、流れのことです。

 

「辞書」だったら「を引く」「で調べる」なんかがよく共起するなと思うんですけど、この手のこと。

 

これを身につけていると、しゃべったり書いたりするときに自然で流暢な感じになります。母語ならだれでもいつのまにかわかっているコロケーション、後天的に外国語を学ぶ際は意識したほうがはるかに早くはるかに容易に習得できるので、コロケーションを集めた辞書などもたくさんあるし、いまではネットでも調べられます。

 

このコロケーションみたいなことが、音楽の世界にもあるよねと思うんです。こうきたら次はこうなるもんだという音と音との自然発生的でスムースなつながり、流れというものは、ミュージシャンやコンポーザーだったならみんな習得していますし、ぼくら素人リスナーだって長年聴いてくれば感じることができます。

 

音楽のコロケーションは、シングル・ノートでの旋律の組み立て、つまりフレイジングにだけでなく、もちろん和音の流れ、つまりコード進行やスケールの並び、さらにリズムの組み立てにもあります。こうやれば自然でスムースで流暢に聴こえるというパターンが。

 

音楽家やファンならみんな身につけているこういった音楽のコロケーション、母語と同じくたくさん接するうちになんとなくこうやればいいんだなとわかるようになるし、近年は音楽学校とかで教えるようにもなっているんじゃないでしょうか。

 

いうまでもなく、文章でも「こうくれば次はこうなる」というコロケーション頼りでしか発語しないと、いつも同じ常套パターンばかりじゃねえかつまらんぞということになってしまうように、音楽でもそうです。ハミ出しフレイジング、意外な和声展開など、新鮮に響く工夫をしますよね。

 

ジャズ史なんかはこのコロケーションからの脱出を試みる歴史だったとみることもできます。スウィング・ジャズ黄金時代の1930年代後半にジャズ語法は一度すっかり熟成し切ったと思うんですが、そのまま直後にビ・バップ革命が起きることとなりました。

 

ビ・バップのアド・リブ手法は、それまでの従来的なコード使いからの脱出を試みるものでしたからね。その底には熟成=退屈という認識があって、新感覚の斬新な表現をしたいという新世代ミュージシャンたちの取り組みの結果、ビ・バップのニュー・イディオムが誕生したわけです。

 

もちろんどんな新鮮な手法でも、完成すればやがて熟成し腐りはじめて飽きられ見捨てられるように、ビ・バップ → ハード・バップも約十数年間の成熟過程を経てマンネリへと至りました。1940年代にはあんなに進歩的と聴こえたものなのに。コロケーションとは常套パターンのことだから、あたりまえではあります。

 

次第に西洋近代音楽的な機能和声システムそのものが行き詰まっていると認識されるようになり、コーダルな手法よりもモーダル、すなわちスケールにもとづいて作曲したりソロをとったり、あるいはもういっそのこと和声そのものを捨てアトーナルなアド・リブ手法をとりはじめる演奏家まで出現するようになったのは、みなさんご存知のとおり。

 

とはいえ、ジャズにおける和声面での工夫や逸脱がどんなに進んでも、この音が来たら次はこれをおくのが自然ななりゆきだ、という組み立てというか流れ、すなわちフレイジングにおけるコロケーションというものは(フリー・インプロなどでも)依然として不変だったようにも思えますけれどもね。

 

そういえば、約一年ほど前に出会ってはまったパトリシア・ブレナンの『Maquishti』が極上の美しさ、すばらしさだと思えたのは、おそらくフレイジングでそういったコロケーションになるたけ拠らないようにしようという即興の試みだったからかもしれません。

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ジャズが参考にした西洋クラシック音楽の世界では、モーダルなアプローチやアトーナルな組み立てなど和声面での工夫は20世紀はじめごろからずっとあって、ジャズで取り組みがはじまったのが50年代末ごろだったのはやや遅かったのかもしれません。民俗音楽の世界でもモーダル・ミュージックは古くからある、というかそっちのほうがむしろ主流です。

 

たとえばブルーズ。はじめての曲でもキーとテンポさえあわせればパッとその場でだれでも演奏に参加できますが、ブルーズは決まりきったコロケーションだけでできあがっている音楽といえるかもしれません。

 

日本の民謡や演歌の世界も同様。決まりきったコロケーションだけで組み立てられているジャンルだといえて、だからはじめて聴く未知曲でもそのままその場でパッとギターとかで伴奏できちゃうなと思えるのは、メロディやコード進行のパターンが固定的だからです。

 

ほんとねえ、演歌なんか、メロディとコード進行のコロケーション・パターンが十個程度しかないんじゃないか、その程度の決まったものだけでできあがっているぞと感じることすらあって、これじゃあ「ぜんぶ同じ」だよと言いたくなる瞬間もあったり。むろん古典的な常套パターンにはまる快楽というものだってありますが。

 

こういった音楽のコロケーションは、近接しながらもジャンルごとに違ったシステムがあって、ジャズのそれ、ブルーズのそれ、カントリーのそれ、演歌のそれ、マンボのそれ、シャバービーのそれ、ルークトゥンのそれ、マンデ・ポップのそれ、などなど何種類もその枠内で通用するコロケーションができあがっています。

 

和声体系とそれにもとづくメロディ展開のパターンは、特にジャンルごとにコロケーションの固有性・独自性をアイデンティファイしやすいものですが、ラテン・アメリカ音楽だけは(世界中に普及している)リズム・パターンこそがアイデンティティでしょう。

 

これがあるがため、ぼくのような素人一般リスナーでも「あっ、これは〜〜というジャンルの音楽(要素)だ」と、はじめて聴く曲であれ認識・分別できるわけです。だから逆に言えば、ジャンル固有のコロケーションから逸脱している、多種をミックスしてあるものにオッ!と感じ、新鮮な感動をおぼえたりするんです。

 

(written 2021.12.29)

2022/01/07

かつて知っていたがもはやない、ここではないどこかへ 〜 アルージ・アフタブ

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(3 min read)

 

Arooj Aftab / Vulture Prince
https://aroojaftab.bandcamp.com/album/vulture-prince

 

アルージ・アフタブはサウジ・アラビア生まれパキスタン育ちで現在は米NYブルックリンを拠点とするコンポーザー/シンガー。いままでに三作あるアルバムのうち、最新作『ヴァルチャー・プリンス』(2021)から昨夏のオバーマ・プレイリストに一曲選ばれて俄然大きく注目されるようになり、そのままグラミー賞二部門にノミネートされています。

 

アルージがどういう人物、音楽家であるか、バイオやキャリア、音楽的影響源など、以下のピッチフォークの記事にくわしくまとめられていますので、ぜひご一読ください。公式サイトもありますがイマイチ。ネットでさがせば日本語での紹介文も少しはあります。
https://pitchfork.com/features/rising/arooj-aftab-vulture-prince-interview/

 

最新作『ヴァルチャー・プリンス』。ぼくが遅まきながら出会った昨年12月時点ではSpotifyでなぜか二曲しか聴けなかったので、Bandcampでデジタル購入するしかなかったんですけど(レコードは完売、CDはなし)、これがもうホント傑作なんですよね。

 

全編を通してハープがかなり印象的で、そのサウンドは平和で牧歌的な原風景を想起させると同時に、現代の深い喪失感や悲痛感をも色濃く表現しています。二曲でアンビエントなシンセサイザー使用はあるものの、基本アクースティック・サウンドで組み立てられているのもいい。

 

しかもそれら生楽器が点描的に浮遊するエレクトロニクスのように響くというのもアルージ・ミュージックの特質です。パキスタン伝統のスーフィー音楽にクラシックのミニマリズムと現代ジャズをミックスしたものですが、印象として民俗音楽色はあまりなく、どこまでも普遍的な、文化を超えた人類共通の内面に訴えかけてくるものがあるように聴こえます。

 

英語に “grief” という単語がありますが、これがまさに『ヴァルチャー・プリンス』の音楽を支配している色彩感。だれしも経験している、存在としての根底にある孤独性をえぐり出し、しかも突きささるようなサウンドではなく、おだやかでふわりとやらわかく空中にただようようにそれを表現するという、そんな音楽ですよね。

 

アルバムの曲はすべてウルドゥー語で歌われていますが、4曲目「Last Night」だけは英語。これはダブですね。続く5「Mohabbat」をバラク・オバーマが選んでいました。こっちはパキスタンに伝わる古いガゼル(恋愛詩)をベースにしたもの。

 

西洋楽器がサウンドのほとんどを占めているものの、その上で優雅に舞うアルージのヴォーカルにはまごうかたなきアラビアの息づかいやエレガンスが聴こえ、そのバランスの美しさに息を呑みます。

 

ソロ活動だけでなく、インド系アメリカ人ピアニスト、ヴィジェイ・アイヤー&パキスタン系アメリカ人ベーシスト、シャハザード・イスマイリーと組んだトリオ<ロスト・イン・エグザイル>でも活動を続けていますので、そちらも要注目ですね。

 

(written 2022.1.4)

2022/01/06

アンプラグドというけれど

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(3 min read)

 

1990年ごろからのMTVアンプラグド番組と、それを収録したヴィデオやCDの大ヒットで一気に世間の認知を得たと思われる「アンプラグド」ということば。アクースティックと言いかえても同じことですが、しかし現実にはですね、電気がないとなにもできません。

 

アンプラグドだとかアクースティックだとかいうのは、楽器演奏と歌の発音システムで電気を使わない生音だけということであって、実際にはそれを(録画)録音しているわけでしょう、となればマイクフォロンなど録音機材一式がそこにあります。1925年以後マイクや機材は電気がないと動きませんよ。

 

つまり電気がなかったらそもそも録音すらいっさいできないし、CD制作だって配信に乗せるのだって宣伝販売だって不可能。聴く側のぼくらだって電気で動くオーディオ機器やパソコン、スマホを使わないとダメなわけですからね。ってことはあれです、アンプラグドなどといいながら、実のところ終始プラグド・インしまくっているわけです。

 

どこが「アンプラグド」なのか?エレクトリックばりばりじゃないか、と笑っちゃうんですけどね。録音されたものばかりでなく、ライヴだってポピュラー・ミュージックのばあいはPAで電気増幅しているのが小規模現場でもあたりまえ。ピアノとかギターとかベースとかヴォーカルとか、音を発する仕組みはアクースティックでも、会場の聴衆全体に聴こえるようにしないといけませんから。

 

クラシック音楽のコンサートや、あるいは民俗音楽の現場とか、そういうものであれば、つまり電気技術の発明前に確立したジャンルなら、ほんとうに生音だけで構成され電気をいっさい使わないから、文字どおりアクースティック、アンプラグドだと言えるでしょう。だからねえ、もはや現代ではそういうのだけですよ。

 

特にロック・ミュージック関係などエレキ・ギターを使うのがあたりまえな世界で、そこを全面的にアクースティック楽器を使ってやってみたらどうなるか?どう仕上がるか?という試みを実行してみせたMTVアンプラグド番組は画期的でしたけど、現実には電気で録音したものを電気で再生しているんです。

 

もちろんこのことをあんまり言いすぎてもねえとは思います。電気があるのがあたりまえの現代ですからね。それにCDでも配信でもいわゆるアンプラグドと銘打つアルバムを聴けば、そこにはたしかに従来にない新鮮なサウンドがあるなあというのも事実です。電気技術誕生前のアクースティックな音楽とは違う「なにか」が。

 

(written 2021.8.10)

2022/01/05

薄味系淡色オーガニック・ポップス 〜 原田知世&伊藤ゴローの世界

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(6 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/3r71Pfsc3i5TEG8Olz6fRP?si=f907c29a47874540

 

music & me (2007)
enja (2009)
noon moon (2014)
恋愛小説(2015)
恋愛小説2〜若葉のころ(2016)
音楽と私(2017)
ルール・ブルー(2018)
Candle Lights (2019)
恋愛小説3〜You & Me (2020)

 

ジャジーなレトロ・ポップス・ムーヴメントの記事(1/1)でもオーガニック・ミュージックの記事(1/2)でも、伊藤ゴローがプロデュースする原田知世の作品にそれとなく触れました。そう、ここ日本では、現代のそうした時流を最もよく具現化しているのがこのコンビだとぼくは考えています。

 

ノラ・ジョーンズがデビューして世を席巻したのが2002年。そこから五年で、日本にもその流れが入ってきたわけです。知世をプロデュースすることになった伊藤ゴローも、はっきりと「ノラ・ジョーンズ的なもの」を意識してサウンド・メイクしたんだなと、いまではよくわかります。

 

つまり、極力コンピューター・プログラミングやデジタルくさいサウンドを避け、アクースティックな人力演奏とアナログ・ヴィンテージなテクスチャーにこだわって、手づくり感のある歌と演奏を実現したいという志向は、知世&ゴローによる全九作を聴けば、明白でしょう。

 

伊藤ゴロー・プロデュース原田知世の音楽をひとことで形容すれば「おだやかさ」、これに尽きます。「やさしさ」「静けさ」と言いかえてもいいんですが、カドがなく、やわらかくまろやかで、あわい色彩感。薄味。

 

ノラ・ジョーンズ的なジャジー・ポップスからの影響とともに、ゴローの持ち味であるジョアン・ジルベルト直系のボサ・ノーヴァ・テイストもそこにくわえ、最低限のデジタル処理はもちろん施していますが、基本、アクースティックなアナログ人力演奏を徹底しているわけです。

 

熟年をむかえた知世の声質が、これまたそういったサウンドにとてもよくフィットするんですよね。声にハリやノビやツヤが弱く、声量や音程感もややあいまいで、まぁヘタといえばヘタな歌手なんですが、極上の雰囲気を持つヴォーカルです。

 

だからソウルフルでファンキーな強いサウンドには合わせられないんですが、ゴローはどういったプロデュースに知世が適応するか、徹底して知り抜いていたと思います。というか、自分の実現したい音楽にいちばん似合う声をさがしていて知世に行き着いたということでしょうか。

 

平穏で静かで落ち着いた知世&ゴローの世界は、派手でザラついてトンがった濃厚な音楽がお好きという向きには決して推薦できないんですが、長年の音楽愛好を経て還暦付近にたどりつき、実人生でもつらく苦しい思いを重ねてきた結果の、おだやかな凪状態を求めるリスナーには、またとない贈りもの。

 

そんな知世&ゴローの世界、現時点での九作、総計99曲7時間弱というなかから、ぼくなりにことさら最高の心地よさだと思えるものをピック・アップし、なんとかしぼって、20曲約一時間半というプレイリストをSpotifyで作成しておきましたので、もしご興味がおありのかたはちょっと覗いてみてください。ほんとうに癒しなんです。
https://open.spotify.com/playlist/3r71Pfsc3i5TEG8Olz6fRP?si=f907c29a47874540

 

基本的にアルバム・リリース順、アルバムのなかでは収録順にならべようとしましたが、ちょっとだけ順序を入れ替えた部分もあります。オープニングとクロージングは聴感上の効果を考慮して大きく並び順を変更しました。

 

このコンビのデビュー作『music & me』には、知世にとって人生最大のシグネチャー「時をかける少女」のセルフ・カヴァーがありましたが、プレイリスト末尾に持ってきました。ゴローの弾くボサ・ノーヴァなナイロン弦アクースティック・ギターとシェイカーだけという、つまり知世の世界を今後どうかたちづくっていくかの宣言みたいなワン・チューンでしたね。

 

カヴァー集一作目、2015年の『恋愛小説』には、ノラ・ジョーンズのデビュー・アルバムに収録されていた代表曲「ドント・ノウ・ホワイ」があるのも象徴的です。『恋愛小説』シリーズ、その後二作は1970〜80年代の歌謡曲カヴァー。だからレトロ・ポップスといっても着地点はそんな古くないのですが、「昭和」時代への眼差しという意味ではたしかに2020年代フィールがあります。

 

2017年に発表されたセルフ・カヴァー集『音楽と私』は、それまでの知世自身の代表曲をゴローとともにリメイクしたもので、フル・アクースティックな人力演奏サウンドが徹底されています。歌手キャリアをふりかえりながら新時代のオーガニック・ポップス志向を実現したアルバムで、坪口昌恭のピアノだけで歌われる「天国にいちばん近い島」なんて、もう息を呑む美しさですよ。

 

それら、過去の初演ヴァージョンと比較すれば、伊藤ゴローがこの歌手を使ってどんな音世界を新時代に構築しようとしたか、いっそう明確に理解できます。ゴローのサウンドで歌う知世は、水を得た魚、そういえるでしょう。

 

(written 2021.12.30)

2022/01/04

やや南部ふうのホンキー・トンク感 〜 ノラ・ジョーンズ『フィールズ・ライク・ホーム』

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(4 min read)

 

Norah Jones / Feels Lke Home
https://open.spotify.com/album/7GaAXgbFSpcJOiLlFGYyOL?si=Ad8LLoIdReehFXjHBKtwrA

 

ノラ・ジョーンズがいままでにリリースした全アルバムでいちばん好きなのは、二作目の『フィールズ・ライク・ホーム』(2004)。なぜかぼくのフィーリングにピタッとくるんですよね。

 

といってもこれは最近ノラをトータルでざっと聴きなおして発見したことであって、個人的には長年この歌手&ピアニストのことを「ふ〜ん」くらいにしか思っていなかったというのが事実。デビューした2002年というとジャズの最低迷期だったし、こちらも若く、まだトンがった音楽が好きだったので、ホテル・ラウンジのピアノ・バーでやっているみたいな新人のことはイマイチだったんです。

 

ごく最近ですよ、「ジャズ(的なもの)」がここまで大きなコンテンポラリー・ムーヴメントになって、もちろんヒップ・ホップ以後的な新感覚を備えた新世代ジャズ・ミュージシャンも、それと同時に復古的なレトロ・ジャジー・ポップスを志向する若手歌手たちも大きな流れになってきたのを、ぼくも認識するようになってから。

 

よくよくシーンをふりかえって考えてみたら、新世代ジャズとレトロ・ポップス志向の両方でノラが源流みたいなものをかたちづくっていたんだなあと、いまはじめてのように気づきはじめ、このジャズ・ミュージシャンの重要性と立ち位置をようやく理解するようになりました。

 

二作目『フィールズ・ライク・ホーム』は、基本デビュー作『カム・アウェイ・ウィズ・ミー』(2002)の路線を継承しつつ、オシャレ感よりもややホンキー・トンク的っていうか、泥くさくファンキーでアーシーな感覚っていうか、ブルージー&南部的なフィールがわりとただよっていて、そんなせいで好みなのかもしれません。

 

ジャズに混ざるようにカントリー・ミュージック色も濃く出ていて、ここもデビュー作とはやや異なるテイストをかもしだす原因になっています。そういえば、7曲目「クリーピイン・イン」にはドリー・パートンが参加しています。ドリーのソロ・パートはなくコーラスですけれど、ギター・スタイルもふくめこの曲もはっきりしたカントリー・ナンバーです。

 

ゲスト参加のなかではリヴォン・ヘルム、ガース・ハドスン二名の元ザ・バンドの面々も目立ちます。特にガースでしょうね、2曲目「ワット・アム・アイ・トゥ・ユー」のハモンド・オルガンと6「ビー・ヒア・トゥ・ラヴ・ミー」でのアコーディオンは耳を惹くもの。

 

ことに6曲目でのアコーディオン・プレイは傑出していて、デビュー作にはなかった素朴で田舎ふうのケイジャン風味をノラの音楽につけくわえることに成功しています。アメリカ音楽におけるちょっぴり泥くさい南部テイストが大好きな人間にとっては格好の味つけで、この一曲での薄くしっかりただよう南部香のためだけにガースがプレイした意義は大きかったと言えるもの。

 

アルバム・ラスト13曲目「ドント・ミス・ユー・アット・オール」は、デューク・エリントンがピアノ独奏で弾いた1953年の「メランコリア」が原曲(アルバム『ピアノ・リフレクションズ』収録)で、そこにノラがオリジナルの歌詞をつけたもの。

 

前作のやはりラストにあったスタンダード「ザ・ニアネス・オヴ・ユー」と同一趣向のピアノ・バーでしめくくっているわけですが、本作の「ドント・ミス・ユー・アット・オール」のほうは、都会的で洒落たムードを維持しつつ孤独感や寂寥感も濃厚にただよう内容で、とても共感できて、いいですね。

 

(written 2021.12.28)

2022/01/03

レトロ・ポップス流行の現代だからこそ聴くアメリカ史上No.1スタンダード・シンガー、パティ・ペイジ on YouTube

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(6 min read)

 

1) I've Got It Bad & That Ain't Good
https://www.youtube.com/watch?v=YokgbKVHP9o

 

2) Don't Get Around Much Anymore
https://www.youtube.com/watch?v=Ijz2Yon3JmI

 

3) Do Nothin' Till You Hear From Me
https://www.youtube.com/watch?v=AqsD9yry1E8

 

4) I Let A Song Go Out Of My Heart
https://www.youtube.com/watch?v=UAMc80rGz0k

 

5) I Only Have Eyes For You
https://www.youtube.com/watch?v=LiUTx_v7VY0

 

6) Stars Fell On Alabama
https://www.youtube.com/watch?v=KoDnijZOiLg

 

7) I'll String Along With You
https://www.youtube.com/watch?v=cjWlDkgbKow

 

8) Everyday
https://www.youtube.com/watch?v=RyraebtNO_o

 

9) Everything I Have Is Yours
https://www.youtube.com/watch?v=ec6Wfocp45E

 

10) Don't Blame Me
https://www.youtube.com/watch?v=TY-P7Xf-ac4

 

11) A Ghost Of A Chance
https://www.youtube.com/watch?v=hzl6dDTgHvQ

 

12) We Just Couldn't Say Goodbye
https://www.youtube.com/watch?v=XV0kSKNMmn8

 

アメリカ人歌手、パティ・ペイジのディスコロヒア盤CD『ニッポン人が愛したパティ・ペイジ』(2014)をエル・スールで買ったときだけ付属する特典CD-Rがありました。パティが1950年代に録音したジャズ系スタンダードばかり12曲集めた計36分間で、題して『パティ・シングズ・スタンダード』。

 

これがもう好きで好きでたまらないんだという話は以前一度書きましたね。憶えていらっしゃるかたもおいでかと思います。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2017/09/hats-off-to-pat.html

 

CD『ニッポン人が愛したパティ・ペイジ』もエル・スールでいまだ在庫あり状態なので、もしその気がおありのかたはお買い求めいただければ『パティ・シングズ・スタンダード』が付いてきます。ぼくはエル・スールとなんら利害関係のない一般顧客ですけれど。
http://elsurrecords.com/patti-page-/13/04/2014/

 

とにかく、パティがよく歌ったワルツ・ナンバーが多い『ニッポン人が愛したパティ・ペイジ』本体よりも、付属品のスタンダード曲集『パティ・シングズ・スタンダード』のほうがはるかに大好きで、ふだん聴き慣れているスタンダードだからこそ、パティのうまさ、持ち味がかえってよくわかるんじゃないかとすら思うんです。

 

もちろん個人的なグレイト・アメリカン・ソングブック系スタンダード・ソング愛好癖も手伝っての判断ではあります。それで、大問題は1950年代のマーキュリー・レーベル時代にパティが歌ったその手のスタンダードは、いまだどれ一曲としてCDでも配信でも正式リイシューされていないという事実。なんてこった!

 

非売品の私家版である『パティ・シングズ・スタンダード』の12曲をMusicアプリ(旧名iTunes)に入れ日常的に愛聴しているぼくは、ここまですばらしいんだからぜひみなさんとシェアしたいと考え、SpotifyやApple Musicでさがしたんですけど、ほんとうにどれもまったく見つからず。だからプレイリストをつくることができませんでした。悔しかった。

 

でもそういうときは<なんでもある>YouTubeの出番。さがしたら、なんとやはり、ぜんぶある!あるじゃないですか。CD-R『パティ・シングズ・スタンダード』の曲順どおり、一曲づつ拾っていってリストアップして、上にリンクをご紹介しておきました。

 

これらを聴けばですね、ひょっとしてパティ・ペイジこそアメリカン・ミュージック史上 No.1のジャズ系スタンダード・ソング・シンガーだったのかも?と思えてきますよ。コンピューター補正のない時代に音程はパーフェクト、デューク・エリントンがもとは器楽曲として書いたメロディ・ラインも<歌として>イキイキと歌いこなします。

 

発音がハキハキしていて明快で、ディクションもアーティキュレイションも完璧。声もきれいによく伸びているし、しかもジャズ歌手にはありがちの技巧的なフェイクはなし、ストレート&ナイーヴに曲の旋律を歌い、それでいてまぎれもなくパティだという個性が声質からしっかり聴きとれるっていう、こんな歌手、ほかにいましたっけ?

 

個人的愛好もさることながら、2022年にいま改めてパティ・ペイジのこういったジャズ系スタンダードに注目したいと思うのは、近年ジャジーなレトロ・ポップスが流行しているからです。そんな記事をこないだ書いたからこそ、それきっかけで『パティ・シングズ・スタンダード』のことを思い出したんですから。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2021/12/post-b45f60.html

 

パティのこういった歌もやはり<ロック台頭前夜>というような世界で、しかもこのストレート&ナイーヴなヴォーカル・スタイルが、現代のレトロ・ポップス流行時代に映えると思うんですよね。レトロ・ポップス・ブームのさなかにいる新世代歌手たちが参照しているのが、パティ・ペイジ(やドリス・デイやナット・キング・コールら)あたりじゃないかと。

 

パティが歌った1950年代には、こういったレパートリーやスタイルはレトロなものではなく、まだ新しいものとして時代の流行のさなかというか、ちょうど爛熟期。さらに電気・電子楽器やコンピューターも多重録音も一般的ではなく、だからいまでいういわゆる<オーガニック>・サウンドでもありました。

 

そんな時代に、パティ・ペイジは歌のうまさでひときわピカイチでした。タイムレスな音楽でもあるし、レトロ&オーガニックへの視線が最新流行であるような2020年代に、いま一度じっくり聴きかえしてみる価値のある歌手だと思います。

 

(2021.12.26)

2022/01/02

音楽におけるオーガニック

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(9 min read)

 

以前ホットディスクさんに、音楽で「オーガニック」という表現をしているひとはなにを言っているのか意味がさっぱりわからないのである、と言われたことがありましたねえ。でもぼくはかなり頻用します。

 

もとは農業用語で、化学肥料や農薬とかを使わず有機農法で育てる手法や産品、化学添加物を加えない食品などを指すもの。オーガニック・コットン100%みたいな言いかたをしますよね。

 

音楽の世界では、最初たぶんソウル・ミュージックでのタームとして、それも日本限定で、使われはじめたんじゃないかと思います。オーガニック・ソウルという表現が、約20年以上前からあったはずです。

 

それはニュー・クラシック・ソウル(死語?)にとって代わる用語として、ディアンジェロ、ジル・スコット、エリカ・バドゥ、アンジー・ストーン、レディシらが活躍しはじめた1990年代末ごろに考案されたもの。だからつまり、なんのことはない英語圏で言う「ネオ・ソウル」のことを日本独自でオーガニック・ソウルと呼んでいただけの話です。

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同じころ、ハワイのサーファー、ジャック・ジョンスンのやるアクースティックなヒーリング・ミュージックもオーガニックと呼ばれることが増えて、だから21世紀に入る前後あたりに複数の音楽ジャンルで「オーガニック」のブームというか用語の頻用が起きるようになりました。

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もとが農業用語ですからね、だから音楽でオーガニックと言われても、という意見は理解できないわけでもないのですが、なかなかどうして重宝するタームではあるのです。

 

なにぶん皮膚感覚的な用法で、わからないかたをロジカルに説得できるようなものじゃありませんし、定義もありません。ですが、農業のオーガニックとまったく無関係というわけでもなかったような気がします。

 

オーガニック、すなわち有機栽培やノー添加物の食品が重視されるようになったのは、地球環境問題への関心が深まった1990年代後半ごろからだったと記憶していますが、連動するようにスローライフやロハスといった自然に優しいライフ・スタイルが取り沙汰されるようになって、音楽界でも傾向が変化しはじめたのです。

 

1980年代後半〜90年代いっぱいに流行した音楽といえば、打ち込み、サンプリング、プログラミングを駆使しふんだんなデジタル処理をほどこしたコンピューター・サウンドが中心でした。ナチュラル・ライフが重視されるようになったことで、そんな人工的で機械的な音楽から脱却し、自然派の音楽をつくりだそうという流れが出てきました。

 

あるいは、主にロック界を中心に1990年代初頭からMTVアンプラグド・ブームがあって、10年以上大流行したというのも、オーガニック・サウンドの先駆けというか遠因だったのかもしれません。フル・エレキ・サウンドで大活躍していたロッカーたちがアクースティックなライヴをやってアルバムを出すようになっていたのは、ロックの原点回帰でもあったんですが、音楽界全体への波及効果も大きかったような気がします。

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21世紀音楽におけるそんな流れをひとくくりにして「オーガニック」と呼んでいるわけです。端的に言えば:

 

・コンピューター・プログラミングではなく人力の「演奏」行為の重視
・生(アクースティック)楽器を中心的に使うこと
・デジタルな音加工を極力排すること

 

この三点が典型的な特徴です。

 

けばけばしいエレキ・ギターや分厚いデジタル・シンセサイザーのサウンドが敬遠されがちになり、アクースティックなギターやピアノ、オルガン、さらにはベースなんかでもアップライト型のコントラバスのサウンドがエレベより「いまふう」に響いてカッコいい(個人的によくわかる)っていうんで、いまふたたび使われるようになっています。

 

ジャック・ジョンスンは

 

「生楽器を使ったシンプルなサウンドにする」
「多重録音は極力しない」
「エフェクターや電子楽器はできるかぎり使わない」

 

といったことにこだわり音楽をつくることを宣言していました。この理念こそがオーガニック・ミュージックの概念だったと言えます。

 

サーフ・ミュージック、ソウルなどブラック・ミュージック、ジャズ、J-POP、ワールド・ミュージックなど、音楽のジャンルを問わず、こんな傾向が21世紀以後は拡大して、現在まで続いているというのは間違いないことでしょう。

 

ヒップ・ホップ通過後の現代ジャズでも、Us3やグールーなど1990年代は打ち込みでつくりだしていた新感覚ビートを、21世紀以後は人力生演奏で表現できるドラマーがどんどん出てくるようになり、オール・アクースティックな楽器演奏とラップを混ぜたりする新世代ジャズが誕生してすっかりシーンの主流になっていますよね。

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電気・電子楽器を使わずデジタル処理も多重録音もほどこさないアクースティックな生演奏行為の重視と言われれば、な〜んだ、そんなもん、もともと音楽なんてむかしはぜんぶそうだったじゃないか!と指摘されるでしょう。そう、そうです、そんな過去への回帰というか、きのう書いたレトロ・ポップ・ムーヴメントとも軌を一にするようにオーガニック・サウンドも流行しているという面があります。

 

農産品だって、化学肥料や化学添加物が発明されるようになる前までのずっと長いあいだ、人類は天然の原料や手法だけで栽培していたわけですから、近代前の何万何千年という歴史で農業はず〜っと(非効率だったけど)オーガニックでした。音楽も同じです。

 

もちろん、21世紀になっての音楽の新しい流れをオーガニックと呼ぶものの、むかしそのままの音楽をそう言わないのは、デジタル・サウンドやコンピューター活用をいったん経験して通過したからこその新感覚がそこにあるから、ということです。

 

人力演奏にこだわると、複数の演奏ミュージシャンを起用してスタジオなりで拘束しないといけないわけですから、多くのパートをワン・マン打ち込みで済ませることのできるばあいよりコストがかさむというのは事実。

 

それに、デジタル排除といっても最低限のコンピューター処理はどんなオーガニック・ミュージックだってやっていますし、(ヴィンテージ・アナログにこだわっているケースを除き)スタジオ機材だって現在はオール・デジタルで、生演奏だってストレージに電子ファイルで記録されていきます。磁気テープを使うというエンジニアはもうほぼいないでしょう。

 

新時代のオーガニック・ミュージックも、パソコンやスマートフォンなどのデジタル・ディバイス経由でみんなに拡散されたり、インターネットを介したダウンロードやストリーミングで聴かれたりするわけですからね。

 

裏返せば、21世紀以後はそういう時代で、冷蔵庫や炊飯器など日用家電品だってぜんぶICチップが入っていて、デジタル・ネイティヴ世代(20代以下)が活躍するようになっているからこそ、アナログ感やヴィンテージ・サウンド、アクースティック楽器、人力生演奏などに新鮮な魅力を見いだす傾向が生まれてきたのだとみることもできます。

 

一方でEDMとか現代R&Bとかアマピアノみたいにコンピュターをフル活用したエレクトロ・ミュージックだって、もちろん隆盛ですけどね。

 

(written 2021.12.19)

2022/01/01

ジャジーなレトロ・ポップスが、いまドープ ver.1.0

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(7 min read)

 

日本のいわゆるZ世代(20代なかば以下)のあいだに「昭和」ブームがあるみたい。こどものころからスマートフォンなどのデジタル機器とインターネットがあたりまえにあったみんなは、アナログ・レコード、昭和歌謡、純喫茶、銭湯などに懐かしさではなくいま初めて出会う新鮮なカッコよさを感じているようです。

 

世界のポピュラー音楽シーンだと、そんな復古ブームがヒップ・ホップはもちろんロックすら飛び越えて、1950年代中期より前のジャズ時代へと向かうようになっています。ここ数年かな、もうすっかり定着したムーヴメントになりました。

 

このことはだれに教わったわけでもなく、近年リリースされる新作アルバムのなかにそうした傾向を示すものがあきらかに増加中なので、自然に気がつくようになりました。はっきりしてきたのはここ二、三年、2019年ごろからですかね。

 

このブログにパソコンでアクセスすれば右サイド・バー下部に検索窓が出ますので、そこに「レトロ」とか「ヴィンテージ」とかひとこと入れてボタンを押してみてください。該当する過去記事が一覧表示されます。

 

自分でもそうやってもう一回確認したここ数年のジャジーなレトロ・ポップス・ムーヴメント、すでにとりあげたなかからあてはまるアルバムの具体例をリリース順にちょこっと列挙してみましょう。

 

・原田知世 / 恋愛小説2〜若葉のころ(2016)
・孙露 / 十大华语金曲 (2017)
・Samantha Sidley / Interior Person (2019)
・Davina and the Vagabonds / Sugar Drops (2019)
・Kat Edmonson / Dreamers Do (2020)
・Hailey Tuck / Coquette (2020)
・NonaRia / Sampul Surat Nonaria (2020)
・Laufey / Typical of Me (2021)
・Miss Tess / Parlor Sounds (2021)
・メグ&ドリンキン・ホッピーズ / シャバダ・スウィング・トーキョー (2021)
(すべてSpotifyなどサブスクで聴けます)

 

ほかにもたくさんありますが、参考までに近年のこうしたジャジー・レトロ・ポップ歌手たちの音楽的傾向をぼくなりに分析して箇条書きで11個にまとめてみました。

 

1)ロック・ミュージック勃興前の時代への眼差し

2)知世54歳、ダヴィーナ42歳のほかは全員30代以下の新世代

3)ヴィンテージなアナログ感志向

4)電気・電子楽器を基本使わず、アクースティックな少人数編成でのオーガニックな生演奏

5)ジャズ、それもモダン・ジャズ以前、1930〜50年代ふうのスウィング・スタイル

6) 2ビート、4ビート

7)有名曲でも自作でも、グレイト・アメリカン・ソングブック系

8)おおがかりでない、ちょっとした応接間でやって楽しんでいるようなこじんまりした親近感、等身大

9)感情をあらわにしない、おだやかに抑制された表現

10)ときどきかすかにブルージーだったり、ほんのりラテン・ビート香味がまぶされていたりも

11)なぜかみんな女性歌手だ

 

中澤卓也など日本のいわゆる演歌第七世代なんかもやや共通する特色を示しているかなと感じるんですが、こうした新世代歌手たち最大の特色は、アット・ホームな親しみやすさ、近づきやすさです。

 

2010年代以後のソーシャル・メディア世代で、みずからアカウントを持ち、積極的に日常や仕事関係を発信していることが多いんですね。だからファンとの距離感が近いというキャラクターでもあります。

 

時代をさかのぼってこうしたジャジーでファミリアーなレトロ・ポップスの源流をたぐってみると、どうもノラ・ジョーンズが『カム・アウェイ・ウィズ・ミー』でデビューした2002年あたりまでたどりつくんじゃないでしょうか。

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その数年前にジャネット・クラインがデビューしていますが、この歌手もジャジーでレトロなパーラー・ミュージックを最初からずっと志向していたのでした。ジャネットのときに流れができず、ノラでムーヴメントになったのは、ブルー・ノートが大きく展開したからか、時代とシーンが追いついたせいか。

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ノラはヒップ・ホップ通過後の新感覚を身につけたジャズ新世代の先駆けでもあったわけですが、と同時にレトロ・ポップなフィーリングをも存分に発揮していたことは、『カム・アウェイ・ウィズ・ミー』とか続く数作をいま聴きかえしてもわかること。後者があまり言われないのは、顕在化したのが早くみても2011年ごろからだったためでしょう。

 

2011年といえば、ダヴィーナ&ザ・ヴァガボンズの『ブラック・クラウド』が出ています。事実上のデビュー・アルバムで、20世紀初頭のニュー・オーリンズ・ジャズっぽいテイストで満たされていました。あのときぼくはずいぶん快哉を叫んだものですが、2020年代になってここまでの大きな流れになっていくことにはもちろん気づいていませんでした。

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快哉を叫んだというのは、そう、個人的にはいまから40年ほど前の大学生のころから、1920〜40年代に録音されたSP盤を復刻したLPレコードで聴く古いジャズ・ポップス、つまりディキシーとかスウィング系のものが大好きで、ずっといままで愛好してきた人間だからです。生まれるのが遅すぎたと思い続けてきただけに、近年のこのレトロ・ジャズ・ブームは「時代が来た」との感を強くするもの。

 

もちろん流行とはぜんぜん無関係にそういう音楽がずっと好きで聴いてきているわけで、だからたまたま偶然2020年代は時流と嗜好が合致しているというだけ。なので、このブームが終焉してもぼくのレトロ・ジャズ愛は変わることなくずっとこのまま死ぬまで続いていくものです。

 

おおざっぱに言って「ジャズ(的なもの)」がここまで大きなコンテンポラリー・ムーヴメントになるとは、世紀の変わり目あたりにはまったく想像していませんでした。

 

(written 2021.12.17)

2021/12/31

マイ・ベスト・アルバム 2021

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(3 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/4wdIbedQ0wxpssLUuHUNTf?si=1b72f2eadd3f473f

 

毎年言っていますが、今年を代表する傑作だとか現在形だとかいうことより、自分の好みとヘヴィ・ロテ実感で選んでいます。それでいいじゃん、趣味なんだから。

 

1. Chien Chien Lu / The Path(台湾、2020)

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https://open.spotify.com/album/0fo6PcE438y9Ob8cDVF75m?si=of7Cf7FnSaagr8z2u0wKYQ


1. Patricia Brennan / Maquishti (メキシコ)

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https://open.spotify.com/album/52xnMW8ir7yfyuVzUSpeTZ?si=JQ0IhfOIQ7-bkMHiK_ytHw


迷いはてたあげく、どっちも二位にできず。いずれも米NYCはブルックリンを拠点とする若手ヴァイブ奏者のデビュー作。チェンチェンはグルーヴィ&メロウなブラック・ジャズ、パトリシアはアンビエントふう前衛即興独奏と、持ち味は正反対ながら、どちらもぼくには最高に心地よく、なんど聴いたかわかりません。

 

3. 孙露 / 十大华语金曲(中国、2017)

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出会ったのが今年だったので。抑制の効いたややハスキーなアルト・ヴォイスの孙露と、どこまでもおだやかで静かな凪のようなサウンドで、平穏に時を過ごすことのできる幸せをかみしめます。淡く、薄味。
https://open.spotify.com/album/3lhzaYDoPziTrjRJRmS86p?si=B4e5MgB5Q56Vt4WCQ-0EdQ

 

4. Yamandu Costa, Guto Wirtti / Caballeros(ブラジル)

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聴けば聴くほどため息しか出ない、ラテン・ミュージックの優雅なエロスとデリカシーの粋にとろけます。こういうのこそ音楽に求めるもの。
https://open.spotify.com/album/3fqIysSKJMaqenPVtkO7Tn?si=0fhrgEPSRuaW0UZWyX5CVQ

 

5. Walmir Borges / Isso É Coisa de Baile(ブラジル)

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陽のサンバ・ソウル傑作。ギターとパーカッションのビート感が小気味いいし、楽しくて、声もいい。ブラジルものでは今年抜きに出ていたと思います。
https://open.spotify.com/album/52h3GsDzbOdzZX1o75Ss1r?si=kxwCO2IiQISa1ZNwvEBy-w

 

6. Avishai Cohen / Two Roses(イスラエル)

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シンフォニー作品で、ジャズというよりクラシック作品に近い面もありますが、あまりにも美しい。ちょっぴりヘヴィかも?で、この位置。
https://open.spotify.com/album/2szbf6gQqHlk7cogeEMBfg?si=jBP4IU41Tlq5QlMW13Nlnw

 

7. Laufey / Typical of Me(アイスランド)

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レイヴェイ。淡くささやくようでいて、しっかりと、スウィートに、そしてやや仄暗く低く歌う、レトロ・ジャズ・ポップス。タイムレスな音楽。
https://open.spotify.com/album/1ZSqGiN0icYQ9AjMRCAiRo?si=4wOfAY0iQLS-PnvnKiM8sg

 

8. Nathaniel Cross / The Description Is Not The Described(イングランド)

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ブロークン・ビーツが気持ちいい最先鋭のロンドン・カリビアン・ジャズ。UKらしい作品で、コンポジションとソロのバランスも絶妙。
https://open.spotify.com/album/6pwCh7X6DU4Kv8qaizQykc?si=48tZQzz6Qz6p-SS10Fp08g

 

9. NonaRia / Sampul Surat Nonaria (Sebuah Persembahan Untuk Ismail Marsuki)(インドネシア、2020)

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インドネシアはジャカルタのトリオがやるノスタルジックでジャジーなレトロ・ポップス二作目。フィジカル・リリースなきゆえ話題になりませんが、デビュー作よりいいんです。
https://open.spotify.com/album/4DcPdTthhYWoRbAwA5Mj88?si=fCsdY8nxQfeaK86m3mbVyw

 

10. Marilyn McCoo & Billy Davis Jr. / Blackbird: Lennon-McCartney Icons(アメリカ)

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ゴスペル・ソングになった「ヘルプ!」は、いまの時代にあらためて共感と連帯と救済を求めるBLMアンセムのよう。老境を迎えたこの二人が愛を再確認してリスタートを誓いあう光景にも感動します。
https://open.spotify.com/album/3yWA8N5YKVQqhQQTPpQiLl?si=GX0zgQ4hQq2_b9MkDKv8YA

 

~~~
十作中インストルメンタルものが半数の五作と、やや多めになったのは例年にない傾向です。

 

今年も圏外にした作品のなかにも見逃したくない好作が多くあり、十個にしぼるのは悩みました。パウロ・フローレス(アンゴラ)、グザヴィエ・ベラン(マルチニーク)、返シドメ(日本)、アントニオ・ザンブージョ(ポルトガル)、ブラック・キーズ(アメリカ)、アーロ・パークス(イングランド)など、選んでもよかった遜色ない作品です。

 

また、新作でも初リイシューでもありませんが今年知って夢中になったものに、徳永英明の『VOCALIST』シリーズ六作(2005〜15)があります。実は今年いちばんくりかえし聴いたのはそれで、坂本昌之というアレンジャーの天才ぶりに惚れ抜いています。
https://open.spotify.com/playlist/2xVegNiu3RVSvD6fi3RISN?si=7bc29a9f5394444b

 

(written 2021.11.7)

2021/12/30

チェンチェン・ルー『ザ・パス』のアナログ・レコードを買った

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(6 min read)

 

Chien Chien Lu / The Path
https://open.spotify.com/album/0fo6PcE438y9Ob8cDVF75m?si=yrSMQWjyTXWI5t4KK6EVYg

 

このリンクはSpotifyにあるチェンチェン・ルー『ザ・パス』ですが、先日ぼくはこのアルバムのアナログ・レコードを買いました。いやあ、LPレコード買ったのなんて、1995年の引っ越し時にプレイヤーを処分して以来ですから。

 

だから、26年ぶりっていうことになるんですか。ターンテーブルはやっぱりいまでも自宅にないので、レコード盤買っても聴けないのに、それでも買うだけ買うっていう、これはなんでしょうね、熱狂的ファン心理?

 

チェンチェンの『ザ・パス』LPは、2021年12月22日、世界で唯一、日本のPヴァインが独自商品として限定発売したもの。ぼくはディスクユニオン通販で買いましたが、街のレコード・ショップ店頭にもならんでいるようです。

 

チェンチェンは台湾出身、現在はアメリカのニュー・ヨークに住み活動しているジャズ・ヴァイブラフォン(&マリンバ)奏者。ソウルフルでメロウなR&Bグルーヴへの熱情を聴かせる音楽性で、マレット二本でガンガン叩いていくスタイルが持ち味。

 

チェンチェンのこのアルバムがどんだけすばらしいか、個人的にどんだけ好きで愛聴しているか、いままでなんどもくりかえし書いてきました。

 

もとは2020年秋にデジタル・リリースされていたもの。CDも今年八月にやはりPヴァインがリリースしていて(本人の公式サイトでも売っている)いまでも容易に入手できるし、ぼくもCDプレイヤーならいまだ常備してあってときどき使っているんですが、そもそもチェンチェンの『ザ・パス』は聴くのならべつにサブスクで困りません。消えるようなものと思えないし。

 

だから聴くためじゃないんで。物理的に所持して部屋に置いて眺めるために買ったんですから。それだけだったらCDよりレコードのほうがいいです。届いたのを開封しジャケットに写るチェンチェンの顔がバ〜ンと出現したときちょっとビックリしたっていうか、12インチ・レコードってこんなデッカいものだったっけなぁ〜?って、若いころはあんなにどんどん買い狂う日常だったのにねえ。

 

チェンチェンの『ザ・パス』アナログ・レコード盤を買ったのには、本人と約束しちゃったからという理由もあります。Instagramでチェンチェンと友人関係なんですけど、『ザ・パス』アナログ・レコードが日本で出ますと、11月末に投稿されていたのにさっそく反応してしまったんですよね。
https://www.instagram.com/p/CWnvBmZLLkI/

 

もちろん日本在住のネット友人だってファンだっているでしょうけど、すくなくともそのインスタ告知にはだれひとりそういうコメントをつけていなかったから、じゃあ日本に住んでいるぼくがぜひ一枚買うよって、思わず勢いでコメントして、チェンチェンからの「届いたらどんな感じか教えて」というリプもありました。

 

言った手前買わなくちゃいけなくなって、さがしたら12/22発売予定になっていたのがディスクユニオン通販で一ヶ月前から予約可の状態でボタンがアクティヴになっていたので、ポチッ。そうなると届くのが待ち遠しかったです。

 

日本リリース盤ならではの帯がついていて、Pヴァインが考案しただろう謳い文句が日本語で記載されています。ひっくりかえして裏ジャケには曲目の下に演奏パーソネルやプロデューサーほかクレジット関係が英語で載っていますので、サブスクでだけ聴くという自分やみなさんのため、ここに転載しておきましょう。

 

Chien Chien Lu / vibraphone, marimba
Shedrick Mitchell / piano, organ
Richie Goods / acoustic & electric basses
Allan Mednard / drums
Jeremy Pelt / trumpet
Quintin Zoto / guitar
Ismel Wignall / percussions
Yoojin Park / violin
Phoebe Tsai / cello
Lisa Lee / vocal

Producer / Richie Goods
Exective Producer / Lisa Lee, Gz Lee
Recorded at Bunker Studios, Brooklyn, NY on February 20-21, 2020
Recording Engineer / Alex Conroy
Mastering Engineer / Dave Darlington
Photography by Brian Doherty, Tracey Yang
Designed by Nicole Wang

 

盤面がこう(ってあたりまえのレコードだけど)。6曲目「ブルー・イン・グリーン」までがA面です:

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さらにフォト・シートみたいなのが一枚入っていて、その裏面にチェンチェン自身が書いた英語と台湾語でのライナー・ノーツが記載され、末尾にサインが入っています:

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台湾時代と2015年からのアメリカ時代といういままでのキャリアをふりかえり、コンポーザー/ミュージシャンとして生きるとはどういうことか、もとはクラシック畑の打楽器奏者だったのがなぜプロのジャズ・ヴァイブ演奏家としてこの世界に入ったか、このファースト・アルバムをつくることになったきっかけなど、くわしく書かれています。

 

レコードを買いこれらを目にしたからといって、チェンチェンの『ザ・パス』で展開されている音楽をどう聴くか、どうとらえるか、どう好きかはぼくのなかで変わりませんし、ライナーにもアルバムの音楽内容に具体的に触れるような文言はないんですけどね。

 

フィジカルだから、ヴァイナルだから、いいっていうことも特になくって、ただなんとなくレコードがほしい、買ってみようかなって感じたのと、お金を払いたいという応援の気持ちと、本人と約束しちゃったからっていうのと、この三つで届いたチェンチェンの『ザ・パス』アナログLP。眺めながら、音楽はこれからもサブスクで楽しんでいきたいと思います。

 

(written 2021.12.24)

2021/12/29

1971年の成分 〜 ダニー・ハサウェイ『ライヴ』

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(3 min read)

 

Donny Hathaway / Live
https://open.spotify.com/album/0csi6eQolki4PIS60tBCW5?si=O8ee6mteS862lzUWmssJ8w

 

今2021年は1971年からちょうど50年。ジャズやロックやソウルなどアメリカン・ポピュラー・ミュージックがほんとうに豊穣だったあの71年からぴったり半世紀という節目の年だったということで、それをふりかえる内容の記事を書いたことがありました。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2021/04/post-7057f4.html

 

マーヴィン・ゲイ『ワッツ・ゴーイング・オン』、キャロル・キング『タペストリー』、スライ&ザ・ファミリー・ストーン『暴動』、ジョニ・ミッチェル『ブルー』、オールマン・ブラザーズ・バンド『アット・フィルモア・イースト』などなど、どれもこれもぜんぶ1971年のリリース作品だったんです。

 

それで、アルバム・リリースは翌1972年だったんですけども、やはりあの時代を同じように生きた音楽家であるダニー・ハサウェイの『ライヴ』。大好きなんですけど、よく考えたらこのライヴ・アルバムは<1971年の成分>とでもいうものでできあがっているようにも思えます。

 

まずこのダニーの『ライヴ』は1971年のライヴ収録なんですね。A面は71年8月のハリウッドはトゥルバドゥール録音、B面が同年10月ニュー・ヨーク・シティはビターエンドでのライヴなんです。71年の空気をたっぷり吸い込んでいるっていうことは、聴いていても感じるところ。

 

さらに演奏されている曲に71年のものが多いです。このアルバムはおおまかに分けて、ポップな歌ものとインストルメンタル・ソウルみたいなフュージョンっぽい演奏中心ものとの二種類が並列しているんですけど、前者、歌ものの三曲、「ワッツ・ゴーイング・オン」(マーヴィン・ゲイ)、「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」(キャロル・キング)、「ジェラス・ガイ」(ジョン・レノン)は、すべて71年発表の名曲です。

 

つまり1971年というあの時代にリリースされたその年を代表する名曲をダニーはとりあげて自己流に解釈して歌ったということです。もちろんそれら三曲が時代を象徴する名曲とされるようになったのはもっとのちのことで、『ライヴ』でダニーが歌った時点でならまだできたてほやほやの流行歌だったでしょうけど。

 

でもここにダニーの一種の嗅覚みたいなものが表れているようにも思えます。まだどうなるともわからないそれらの流行曲をライヴでとりあげてみせるというところが、それをアルバム収録したというところが、間違いなくあの時代を呼吸していたんだなとわかる大きな要素だと思いますね。

 

そんなわけで、1971年にリリースされたどの名作よりも、ある意味かえって71年成分を煮詰めたようになっているとも思える72年リリースのダニーの『ライヴ』。あの豊穣の年からぴったり半世紀後の今年を締めくくるにあたり、聴きなおし、あの時代がどんなだったか?をふりかえるには格好の音楽かもしれません。

 

(written 2021.11.7)

2021/12/28

サンボーンそのまんまなアルト・サウンドもいい 〜 リッキー・ピータースン&ピータースン・ブラザーズ

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(3 min read)

 

Ricky Peterson and the Peterson Brothers / Under Tha Radar
https://open.spotify.com/album/1ZL5SoYCOIhqtaNtb1MGUK?si=iI1M5S_jSKCow-_dEwrGRg&dl_branch=1

 

Astralさんのブログで知りました。
https://astral-clave.blog.ss-blog.jp/2021-03-09

 

プリンスの裏方(リッキー・P)としても活動してきたミネアポリス生まれの鍵盤奏者リッキー・ピータースン。デイヴィッド・サンボーン、ロベン・フォード、ジョージ・ベンスン、チャカ・カーン、ジョン・メイヤーなどのアルバムをも支えてきた敏腕ですね。

 

今年の新作『アンダー・ザ・レイダー』(2021)は音楽一家だという兄弟たちバンドと演奏をくりひろげたもの。リッキーの鍵盤&ウィラード(ベース)、ポール(ドラムス、ギター)、ジェイスン(サックス)という四兄弟が軸で、+ホーン・セクションという顔ぶれです。

 

リッキーのキーボード、特にオルガンはもちろんいいんですけど、今回いちばん驚いたのはジェイスンのアルト・サックス。完璧なるデイヴィッド・サンボーンそのまんまじゃないですか。ここまでソックリというのはねえ、いままで聴いたことないですよ、こんなひといましたっけ?

 

と思って調べてみたら、どうやらジェイスンはやはりサンボーンがアイドルらしく、そのイディオムを丸コピしてすっかり身につけているんだそう。道理でねえ、このアルバム『アンダー・ザ・レイダー』全編でサンボーンふうなフュージョン・サウンドが炸裂しているわけです。

 

特に4曲目「シット・ディス・ワン・アウト」はすごい、というかひどい。こりゃサンボーン本人が吹いているんじゃないか?と思うほど。このすすり上げるような泣きのフレーズといったらもう。

 

アルト・サックスだけでなくバンドのサウンド構築も1970年代後半〜80年代のフュージョン路線ど真ん中のそれで、ジャジーでありながらインストルメンタル・ソウルというか、演奏だけでやる歌なしリズム&ブルーズふうな雰囲気。

 

曲によって、ソウルフルなブラック・フィールが強くなったり、はたまた都会的に洗練されたジャジーなムードが濃くなったり。サンボーン・サウンドそのまんまな4曲目以外でのぼくのお気に入りは、9曲目「ラヴ・イズ・ジ・オンリー・ウェイ」。ブラック・フィール横溢な都会的ジャズのムードで、いいねえこれ。リッキーの弾くハモンド・オルガンも好印象です。

 

(written 2021.7.27)

2021/12/27

おだやかに落ち着いた大人のアルバニア系ポップ・フォーク 〜 エドナ・ラロシ

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(3 min read)

 

Edona Llalloshi / Akustike Ne Karantine

https://open.spotify.com/album/3nFh7BfAMZheb6IzAsLXDX?si=Ar6heFBoQTmI0jAsYxuBHw&dl_branch=1

 

今年四月のbunboniさんのブログで知ったコソヴォの歌手、エドナ・ラロシ。なんでもアルバニア系のポップ・フォーク歌手だとのこと。Spotifyで検索したら、bunboniさんはCD入荷待ちだという最新作『Akustike Ne Karantine』(2020)が見つかったのでぼくはさっそく聴きました。

 

この最新作がですね、とってもいいんです。アルバム題の『Akustike Ne Karantine』というのは、スペリングから察しておそらくコロナ自粛期間におけるアクースティック(・ミュージック)といった程度の意味なんでしょうか。

 

なにより中身を聴けばですね、コロナ禍でなかなかライヴ活動もできないしアルバム制作もままならないなか、エドナ・ラロシと製作陣もそれなりに工夫して、時間だけはたっぷりあるということで、前作のエレクトロ・ダンス・ポップ路線から一転、生演奏のしっとりアンプラグド・ミュージックをやってみたという、そういう音楽になっているんですよね。

 

ジャケット・デザインからして、アダルトな落ち着いたムードを強調したやや暗めの夜のトーン。今回はアクースティックな伴奏でじっくりと歌を聴かせますよっていうエドナと製作側の姿勢がよく表れているんじゃないですか。

 

エレクトロニクスをたくさん使った派手めのダンス・ポップが苦手というわけじゃないんですが、個人的には。でも最近はアクースティックでナチュラルなサウンド・メイクを中心に据えておだやかで落ち着いたヴォーカルをじっくり聴かせるという音楽のほうをたくさん聴くようになってきていますので、最新作におけるエドナの音楽も大歓迎です。

 

パーソネルとか楽器編成とかそのへんのちゃんとした情報を自力では見つけられず。聴いた感じで判断すると、ドラムス、パーカッション、ベース、ギター、ウードかなにかのそれ系弦楽器、ピアノや鍵盤、なにかの笛(クラリネット?)、という感じだと思います。ちらほらコンピューターによる処理もうかがえますけど、あくまで控えめ。

 

だれが曲を書いているのかトラッドか、エドナの歌う曲のメロディはアルバニア系の民謡を思わせるもの。だからそれがベースになった新曲ということか、アクースティックにアレンジされているというだけかわかりませんが、落ち着いた大人のムードでじっくりとていねいに歌い込む様子と、それを活かすオーガニックなサウンド・メイクとがあいまって、バルカン的情緒もあるし、なかなか聴ける一作ですよ。

 

コロナ自粛云々とは関係なく世界のポピュラー・ミュージック界で、こんなアクースティック&オーガニックなアダルト路線は、近年間違いない一つの大きな潮流になっています。アルバニア系のコソヴォ・ミュージックも例外じゃないんでしょうね。

 

(written 2021.10.14)

2021/12/26

純烈リーダー酒井のチカン問題で考える音楽家と倫理

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(7 min read)

 

2021年もおおみそかのNHK『紅白歌合戦』に出場する歌謡グループ、純烈。そのリーダー酒井一圭のチカン問題にかんしては不問にふされているような印象ですよね。一般マスコミはもちろん、演歌歌謡曲界に特化した雑誌などジャーナリズムだってなにも言わず。

 

そればかりか歌手活動を従来どおりバンバン応援するような姿勢がみうけられます。特にひどいのが『歌の手帖』。この雑誌は誌面中身を写真撮影してSNSにアップしてはならんというコンプライアンスだけはうるさく言うけれど、歌手の倫理違反は追及せず、ファンのほうにだけエリを正せって、ちょっとなんだかねえ。

 

もちろん表紙はOKだけど開けたなかの誌面をスマホなどで撮影し勝手にSNSに上げちゃダメっていうのは、どこも間違っていません。100%おっしゃるとおりで、ぼくも守っていますが、だったら酒井一圭のチカン問題でもちゃんとした態度を示してよと言いたくなるというのが当然の人間心理でしょう。

 

『歌の手帖』のことはきょうはどうでもいいんで、とにかく純烈リーダー酒井一圭のチカン問題のこと。発覚したのは、なんと酒井自身による2021年8月15日のTwitterへの動画投稿がきっかけでした(現在その投稿は削除されています)。

 

その動画投稿には、同日に和歌山県で開催されたヒーローショー「機界戦隊ゼンカイジャーVS百獣戦隊ガオレンジャー、スペシャルバトルステージ」での一幕が収められていて、ガオレンジャーのヒロイン、ガオホワイトの尻を酒井がなで、その場にいた俳優、金子昇にたしなめられる様子が確認できました。まぎれもないチカン行為でした。

 

なんとそれを酒井はまるで武勇伝を自慢するように「みずから」Twitterに投稿したのです。ガオホワイトのなかに入っていた俳優は、あるいは女性ではなく男性だったかもしれませんが、同性間でもチカン行為であることに違いはありませんし、ヒーロー戦隊の「女性役」に男性共演者が公衆の面前で手を出すという、ステレオタイプなセクハラです。

 

その投稿があった八月、すぐには問題化せず、ネットというか主にTwitter上で非難の声が巻き起こったのは九月に入ってから。炎上をうけネットの芸能マスコミも記事にしてとりあげるようになりました。問題がどんどん大きくなったので、酒井は該当ツイートを削除したんでしょう。

 

しかし問題は、その後2021年末になっても、酒井本人や純烈サイド、ヒーローショーを主催した東映から、謝罪発言など一個たりともないことです。うやむやにして時間が経てばそのうちケムリも消えてしまうさというわけか、ダンマリを決め込んでいますので、そのせいで個人的には酒井のことを許せない気分です。

 

上で言及した『歌の手帖』など歌謡界に特化したジャーナリズムだって、まったくなにもなかったかのようにそれまでどおり通常営業を続けているのが腹立たしいですよね。酒井本人も、純烈も、東映も、誠実な態度をみせておらず、このチカン問題にかんしてはただただ沈黙をつらぬくのみ。

 

ちょっとしたおふざけじゃないか、この程度のタワムレをとやかく咎め立てしなくていいぞっていうのが、いまだ芸能界の共通認識なのかもしれませんが、もう2021年ですからね、社会がこの手のセクハラ行為を決して容認しない方向へすっかり変化したというのに、いつまで「昭和」時代の感覚で生きるつもりでしょうか?各種ハラスメントにゆるい芸能界体質は変わらないんでしょうか?

 

もちろん、歌手とか演奏家とか、その他芸の世界の人間に倫理なんか求めるのがだいたい筋違いであるという発想はいまだ根強いです。過去をふりかえればチャーリー・パーカー(違法薬物常習者)やフィル・スペクター(殺人犯)やジェイムズ・ブラウン(DV&パワハラ)みたいな音楽家がごろごろいました。

 

そんなにひどくなくたってマイルズ・デイヴィスだってビートルズだってローリング・ストーンズだってちょっとした薬物に手を出すくらいはしていたし、日本でだっていまだ枚挙にいとまがないですね。

 

とことんろくでなしの無法者だったとしても、パーカーやスペクターらがとんでもなく偉大な音楽家だったという評価もゆるぐことなんてなく、彼らの生み出した音楽が聴かれなくなるとか忘れ去られるなんてことは、おそらく人類が存続するかぎりありえません。あそこまでの業績をあげたからこそ人間倫理的な部分はプラマイ大目に見てもらえているということでもないような気がします。

 

音楽界とはそんなものかもしれませんけれどもね。でも最近、特にここ二、三年かな、どんな世界の人間でも差別的言動やハラスメント、誹謗中傷などは許されないのであるという共通認識ができあがってきたように思いますから、芸能界だけいつまでも時代遅れの人権感覚のまま取り残されていくというのではちょっとね…って思いますよ。

 

そういう視点で考えれば、まだまだそんなたいした歌手ではない純烈リーダーの酒井一圭が起こしたチカン問題は、やはりしっかり批判され裁かれていかないといけない、今後はくりかえさないように、すくなくとも本人か純烈サイド、あるいは当日のイベントを開催した東映から謝罪と反省等のコメントが一個でも出てしかるべきです。

 

あたかもなにもなかったかのように揉み消されようとしている現状は絶対に容認できませんし、純烈の歌は個人的には聴きません。応援的にとりあげる『歌の手帖』などジャーナリズムも買いません。なんらかの前向きな対処がなされるまでは。

 

(written 2021.12.25)

2021/12/25

「ルージュの伝言」はオールディーズ・オマージュ、歌詞はヘンだけど 〜 荒井由実

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(4 min read)

 

荒井由実 / ルージュの伝言
https://www.youtube.com/watch?v=MH-P4mXvDPE

 

荒井(松任谷)由美五枚目のシングル「ルージュの伝言」(1975)。わさみんこと岩佐美咲が2020年にカヴァーするまであまり意識したことがなく、こういう曲があるんだということがぼんやり頭のなかにあっただけ。聴いたことくらいはあったっけ。

 

ところが今朝なんとなくTwitterのタイムラインを眺めていたら、この曲の歌詞が実にヘンである、理解できないというツイートが流れてきたので、それでひょっとして生涯初、しっかり意識してユーミン・オリジナルの「ルージュの伝言」を、それも歌詞が妙だというんで歌詞サイトで確認しながら、聴いてみました。

 

あれですよ、歌を聴くときに「歌詞なんか聴いてねえ〜よ!」な音楽熱狂家であるぼくなんですけれども、あらためて意識してみると、「ルージュの伝言」の世界はたしかにちょっと狂っていますよねえ。

 

ダーリンが浮気したのが許せない、しかしそれを直接本人に言わず、ダーリンのママに言いつけてママからしばいてもらおう、だからバスルームにルージュで伝言した上でママに会うためいま電車で向かっている、ふっふっふっていう、そういう歌詞なんですよねえ。

 

なんじゃこれ。たしかにヘンなの。

 

でもユーミンのこの「ルージュの伝言」もまたやはり歌詞なんかどうでもいいんです。これは1950〜60年代的アメリカン・ポップス、つまりオールディーズ世界へのオマージュだっていう、そういうメロディと曲調、アレンジだっていう、それこそがこの曲のキモなんです。

 

ロネッツ「ビー・マイ・ベイビー」でフィル・スペクターがやったようなパターンをなぞるドラムス・イントロにはじまって、ピアノがリフを奏で、ユーミンの書いたメロディも完璧にアメリカン・オールディーズを意識したレトロなものです。

 

それに拍車をかけているのがバック・コーラス。しゅわしゅわ〜、う〜わっわっ、とドゥー・ワップ趣味まるだし。これはですね、コーラスで参加している山下達郎(ドゥー・ワップきちがい)の貢献がかなりあるとのこと。達郎のほかコーラスには吉田美奈子、大貫妙子も参加しています。

 

このドゥー・ワップ・コーラスをリードしたのが達郎だということで、曲のアレンジャーは松任谷正隆なんですけど、「ルージュの伝言」がこんなに抜群なアメリカン・ポップスに仕上がったのは達郎の力が大きかったと松任谷も認めています。

 

そんなところがたいへん楽しめる「ルージュの伝言」なんで、歌詞なんかそんなに意識しなくてもねえ。この曲が完璧なるオールディーズ・オマージュだっていうのは、以下にご紹介するユーミンのライヴ動画でもよ〜くわかります。
https://www.youtube.com/watch?v=ZS6eNJPVvoE

 

2016〜17年のツアーから公式にアップされているものですが、ユーミンの左右にいる三名のコーラス隊兼ダンサーの動きに注目してほしいです。ツイストを中心にチキンやダックなど織り交ぜながら、往年のアメリカン・ダンス・スタイルを忠実に再現しているじゃないですか。映画『アメリカン・グラフィティ』とか『ブルース・ブラザース』とかで観たあの世界そのまんま。

 

なんだったらユーミンの衣装だってそれを意識したレトロなもので、バンドの演奏といいヴォーカルといい全体的にちょっとやりすぎかもと思うほどですが、こういうのこそが「ルージュの伝言」でユーミンや製作陣が目指した世界なんですよ。

 

~~~~~~~~


ところで、ブログ用の文章が毎日複数本書けて止まらず、ストックがたまりすぎて、それでも休まず書き続けているから、このまま一日一本のペースでは一生かかってもアップしきれないと思うんですけど、どうしよう?

 

(written 2021.12.23)

2021/12/24

レイジー&ブルージーなクリスマス 〜 ノラ・ジョーンズ

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(4 min read)

 

Norah Jones / I Dream of Christmas
https://open.spotify.com/album/60SJnVimx7BPaZz2nec9vO?si=fIGnAk3dTUG3aO08JR2unA

 

数日前にノラ・ジョーンズの新作アルバム『アイ・ドリーム・オヴ・クリスマス』(2021)がリリースされました。キリスト教圏の音楽界では定番のクリスマス・アルバムで、この文章を書いているのはまだそのムードのない10月中旬ですけれど、リリースされたばかりのホットな時期に書いておいて、イヴの日が来たら上げましょう。

 

有名クリスマス・キャロルと、先人ポップ歌手が歌ってきたクリスマス・ソング・スタンダードに、このアルバムのためのノラの自作新曲も数個まじえ、おなじみブライアン・ブレイドを中心とするジャズ・バンドがアクースティックな伴奏をつけています。

 

ノラのヴォーカルについてはスモーキーという形容詞がよく使われるわけですが、個人的にはそれをブルージーと言いかえてもいいように前から感じています。ジャジーというよりもブルージーあるいはソウルフル、それがぼくの実感。

 

ピアノ演奏もそんなタッチですし、ヴォーカル・スタイルもあわせ、ひとことで言ってレイド・バックしている、それがノラです。くつろいでいると言っても同じことですが、なんだかちょっと酔っ払いがグダグダとろれつのまわらない、だらしない様子をみせているような、ノラの音楽はそんなフィーリングに聴こえるんですよね。

 

いい意味でダルで気怠いリラックス・ムードをノラのピアノ・タッチにもヴォーカル・スタイルにも感じてきて、それをブルージーさとぼくは表現しているわけですが、今回のクリスマス・アルバムでもそんな持ち味は不変です。クリスマス・アルバムというと華やかでにぎやかなものが多いかもしれないですが、ノラのこれはだいぶ印象が違いますね。

 

だからなんというか日常の生活感覚に根ざしたような、よそ行きじゃない普段着の、人間味のある音楽を、今回もやっぱりノラは聴かせてくれているなと思います。たとえば2曲目「クリスマス・ドント・ビー・レイト」で聴けるホーン・セクションのこの気怠そうでブルージーなグリッサンド・フレーズの決めかたなんか、もうねえ。アレンジはそれをかなり意識したと思います。完全なるリズム&ブルーズ・クリスマスでしょう。

 

4曲目のおなじみ「ホワイト・クリスマス」とかではばっちりジャジーに決めているノラとバンドですが、エルヴィス・プレスリーが歌った6曲目「ブルー・クリスマス」では、またしてもレイド・バックしたブルージー・ムード満開。ピアノのフレイジングにもファンキーなタッチが目立ちます。

 

9曲目の「ウィンター・ワンダーランド」が本作収録曲のなかでは最も有名なクリスマス・キャロルでしょう。ノラはふだんの姿勢をくずさず、やはりやや仄暗くスモーキーな発声で自身の世界に引き寄せているのがいいですね。決してクリスマスらしい祝祭ムードじゃありませんが、こういうのもまたよし。

 

ローリング・ストーンズのキース・リチャーズもソロでやった11曲目「ラン・ルドルフ・ラン」は、なんとラテン・ブルーズなクリスマス・ソングになっています。コンガなどパーカッションの音が聴こえますが、それもブライアン・ブレイドかもしれません。ピアノが短い定型リフを反復しつつ、ソウルフルなオルガンもまじえ、ブルーズ・リック満載でノラが歌うのも、快感です。

 

(written 2021.10.17)

2021/12/23

岩佐美咲のライヴでの写真撮影を認めてほしい

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写真は岩佐美咲オフィシャル・ブログより

 

(5 min read)

 

日本人歌手のご多分に洩れず、岩佐美咲の歌唱イベントやコンサートやディナー・ショーなどでも開演中の写真撮影は固く固く禁止されているわけですけれど、考えてみたら、自由に撮れるようにしたほうがいいんじゃないか、そのほうが本人や事務所(長良プロ)やレコード会社(徳間ジャパン)にとっても実は利益になるはずです。

 

どうしてか?というと、ファンやその他来場者がどんどん撮影してInstagramやTwitterなどソーシャル・メディアに上げれば、それを偶然目にしたひとが「あぁ、これはかわいいな、だれ?」「きれいじゃないか」「楽しそうだ」と思う可能性がじゅうぶんあります。そうか岩佐美咲っていうのか、じゃあ今度自分も現場に行ってみようかな?CD買ってみようか?となって、ファン拡大につながります。

 

それにですね、中澤卓也など一部歌手と違い美咲のイベントやコンサートにはオフィシャルのカメラ・パーソンが入っていないんですよ。だから当日の歌唱風景がまったく出まわりません。スタッフ(マネージャー?)がちょこっと一枚・二枚撮るだけで、それも歌唱中のものはまったくなし。ちょっとねえ。

 

だから来場したファンやみんなに自由に写真撮らせて、もちろん動画とか歌の録音が不可っていうのは理解できるんですけど、スティル写真くらい認めてくれたらいいのになと思うんですよね。ネット、特にソーシャル・メディアは投稿が拡散して不特定多数の目に触れていく世界ですから。岩佐美咲の歌唱風景を写真で見る人が増えるのは、ファン増加につながるとしか思えませんよ。

 

こういうことって美咲だけでなくほとんどの日本人歌手のばあい禁止されているというのがねえ、個人的にはちょっと不思議だな、理解できないなと感じることだってあります。なぜならば、同じ音楽の世界でも外国の、たとえばポール・マッカートニーとかローリング・ストーンズとかU2とかブルース・スプリングスティーンとかそういった大物ですら、開演中の写真撮影は自由開放なんですよ。

 

写真撮影どころか、1960年代末からのグレイトフル・デッドをルーツとする90年代以後のいわゆるジャム・バンド系のライヴなんかだと、録音すら自由。むしろそれが推奨すらされていて、ファンが会場で録音したライヴ・テープ等を自由にトレードしていいということになっています。そもそもライヴ会場にそのためのエリアが「公式に」設けられているくらいですから。

 

ジャム・バンド系のそういった文化はちょっと特殊というか例外かもしれませんが、ブートレグ対策の一環という面もあります。取り締まりを厳しくした結果ブートレガーが地下にもぐって、ワケのわからない音源が秘密裡に出まわるくらいなら、いっそ開放して自由にやりとりさせたほうがよっぽど健全だし、音楽家本人や会社にとってもメリットありいう判断です。

 

そんなこともありますのでね、日本人歌手だって(録音がムリでも)せめて写真の一枚、二枚くらいは認めてほしいです。本人にとっても事務所や会社にとっても不利益はないはず。来場者もうれしいし、本人や会社はファンが増えて売り上げ増というわけで、みんながハッピー、だれもイヤな思いをしない、悪いことなんてなにひとつないはずですよ。

 

もちろん美咲だと(元AKB系アイドルだけあって)握手&2ショット撮影タイムが設定されていることが多く、そこで撮影された写真を記念として保持したりネットに上げたりできますけれども、きょうぼくが言っているのはステージで歌唱中のその姿を撮りたい、上げたいということ。だれしも懸命に仕事に取り組んでいるときがいちばん輝いているんですからね。いい絵が撮れるはず。

 

そして、そうかこういう楽しそうなイベントやコンサートなのであれば、自分も行きたい!買いたい!と思わせるように仕向けることが肝心なんですよ。現状、マネージャーはじめ美咲のスタッフはそれをやっていませんから、だったらファンがやろうじゃありませんか。

 

(written 2021.12.1)

2021/12/22

ジョー・ダイスンのスピリチュアリティ 〜『ルック・ウィズイン』

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(3 min read)

 

Joe Dyson / Look Within

https://open.spotify.com/album/40vmdnKmtXYdzcUoOrE06W?si=9YSS5RnAQ2qJVbuER7ZpDA&dl_branch=1

 

ジョー・ダイスンは米ニュー・オーリンズ出身の若手ジャズ・ドラマー。ドナルド・ハリスンのバンドで頭角を現してきた存在で、その後バークリー音楽大学に進んでいます。Dr. ロニー・スミスはじめ大物ミュージシャンともすでに共演していて、世界をまわっているみたいですよね。

 

『ルック・ウィズイン』(2021)は、そんなジョー・ダイスンの自己名義ではデビュー・アルバムとなるもので、基本、モダン・ジャズの伝統的なフォーマットとイディオムを使いながら、その境界線を拡大しようとする試みに聴こえます。

 

ジョーは二歳のときから牧師である父親の教会でドラムスを叩いていたそうで、実際、このアルバムでも二曲でその父のプリーチがサンプリングされ挿入されています(2、9)。またアルバム・タイトル・ナンバー6曲目で歌っているL.E.とは、ジョーの妹ジョエル・ダイスンのこと。ジョエルもまた幼少時から父の教会で歌っていたそうですよ。

 

こうした教会体験がジョーの音楽に与えた影響は甚大のよう。今回のアルバムでもスピリチュアルな側面が目立つのはそうした要素のためでしょう。そのおかげでちょっと1960年代ジャズに通じる雰囲気も感じないではなく。

 

だからこの『ルック・ウィズイン』ではスピリチュアリティがメインのテーマとなっていると言っていいし、ジャズのサウンドでその探求というか冒険を表現したものだとみることができますね。

 

形式的な部分では従来的なメインストリーム・ジャズの範疇にありながら、深部ではゴスペル、アフロ・ニュー・オーリンズなリズムがはっきりと刻印されています。甘美なサウンドスケープを実現しているのもそのためですね。

 

そもそも従来的なジャズだってそれらを体内に込めてずっと進んできたもの。ジョー・ダイスンは、いまの時代にそれを解放せんと、ジャズの伝統的な演奏手法を用いてもそれらは表現できるのだということを示そうと、しているんじゃないかなというのが、このデビュー・アルバム『ルック・ウィズイン』を聴いての率直な感想です。

 

(written 2021.7.25)

2021/12/21

ともだちとしての歌 〜 富井トリオ

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(4 min read)

 

富井トリオ / 恋の果て
https://www.youtube.com/watch?v=7qxznOuszx0

 

2021年12月19日早朝、突如出現した富井トリオの「恋の果て」。富井トリオというのはこの新曲のための新規編成名称でしょう、やっているのはぼくにはおなじみのとみー(1031jp)さんで、聴き慣れた声が流れてきます。

 

おなじみのとみーさんと言ったって多くの読者のみなさんは「だれ?」っていう気分でしょうから、ちょっと記しておきましょう。年齢とかバイオとか本名はぼくも知りませんが、ザ・ハングオーヴァーズというインディ・ロック・バンドのギター&ヴォーカルとしてずっと活動してきていて、それだけでなくさまざまな編成で都内の小規模ライヴ・ハウスで活動しているみたい。
https://twitter.com/1031jp

 

10年以上前にTwitterでたまたま偶然知り合って、それ以来ずっと音楽活動をじんわりほのかに応援するようになったんですが、とみーさんは以前 “1031jp” 名でソロ・アルバムをリリースしています。その名も『1031jp』(2016)。
https://open.spotify.com/album/3H6HICeC03Yml2XaVLOc1S?si=4kZ58s_8RIGqx57somMeCw

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その後(主に岩佐美咲と原田知世のコンサートを聴きに出かけた東京で)2019年1月、渋谷の小さなライヴ・ハウスに行き、とみーさん+2のライヴを聴き、終演後に個人的に会ってちょっとしゃべるということもありました。あのときスマホでツー・ショット写真を撮ろうと思っていたのに、音楽話に夢中になって忘れちゃいましたねえ。

 

ずっとインディ活動なのはただでさえキビシイと思うのに、大物音楽家でも苦しんでいるコロナ時代以後はいったいどうしているんだろう?とずっと気にかけていたところ、きょう、新曲がYouTubeでリリースされ、ちょっぴりうれしい気分ですよ。

 

富井トリオの「恋の果て」、上掲、公式アップされたYouTubeの説明文に、演奏メンバーや録音データなどクレジット関係がくわしく記載されていますので、ぜひごらんください。やはりとみーさんが作詞作曲、ギター、ヴォーカルで、あとはベース&ドラムスというシンプルなロック・バンド編成。

 

ロックから離れるということがテーマみたいになっていたソロ・アルバム『1031jp』から六年、一転して今回の富井トリオ名義での新曲「恋の果て」はザ・ハングオーヴァーズっぽいロック・チューンに仕上がっていると言えます。アメリカ西海岸系のさわやかなポップ・ロックかな。

 

個人的に好きなのはとみーさんの曲づくりとヴォーカルのトーン。声質がやわらかくていいっていうか、これは前からそうなんです。今回の新曲では原”GEN”秀樹さんのキレがよく手数の多い跳ねるドラミングもめっちゃタイプ。

 

いろいろ足さずにシンプルにまとめたトリオ・サウンドが心地よく、プログラミングなしで人力生演奏にこだわったのも近年の音楽界の流れと合致しています(そこかしこに微妙なサウンド・エフェクトが入っているけど)。ラップにチャレンジしているのもいいですね。歌と切り離せないかたちでないまぜになっているラップですけど。

 

なんどでも飽きずにくりかえし聴ける富井トリオの「恋の果て」。もう30回くらい聴いたよなあ。生活感覚に根ざした身近で日常的な歌詞とメロディがアット・ホームでファミリアーな質感。とみーさんのこのナイーヴ(さはロック・ミュージックの特質)で心地いい声は、決してリスナーのメンタルをえぐらず、そっとそばにたたずんでいるような姿をしています。

 

(written 2021.12.20)

2021/12/20

好みだけで選ぶツェッペリンのトップ20曲

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(5 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/3Y0CbacDvGaKlJLMunfwm4?si=67c5b04dba79460a

 

去年のことだったみたいですが、『ローリング・ストーン』誌に「レッド・ツェッペリン究極の名曲トップ40」という記事が載っていました。ぼくが知ったのはほんのついこないだのこと。
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/34012/1/1/1

 

高校時代から大のツェッペリン・ファンなぼくですからぁ、ちょっと真似してやってみました。40曲はちょっと多いし、各方面に気を配っての総花的で大味なセレクションになってしまいますから、20曲で。

 

『ローリング・ストーン』誌のものと違って、どこまでも個人的なものなので、ベスト20の選考基準はあくまで自分が好きなものというだけ。だから一般的には大名曲とされるものでも入らなかったり、えっ、こんなのが上に来るの?とかいうことがあるかと思います。

 

さらにカヴァー曲は外しオリジナル曲に限定。それからなるべくパクリじゃないものを。ブルーズやフォーク、同時代ロックなどからも(当時は)無許可で完パクしまくったツェッペリンのそこはやっぱり印象よくないので。といってもこのバンドだと、それをセレクションから完全に排することが不可能なのは悔やまれるところです。

 

そんなこんなで選び出した20曲を、極力自分の好きな順に並べようとしましたが、うまくいなかった部分もあり。でも7曲目くらいまではほんとうに好きな順です。その下からはある程度流れみたいなものも意識しました。

 

以下、曲解説などは不要だと思うので、個人的な思い入れの強いところだけ、ちょちょっと記しておきます。

 

1. Custard Pie
2. Rock and Roll
3. Celebration Day
4. Black Dog
5. The Rain Song
6. The Crunge
7. The Wanton Song
8. Tangerine
9. That’s the Way
10. The Battle of Evermore
11. Black Country Woman
12. For Your Life
13. Candy Store Rock
14. The Song Remains The Same
15. Whole Lotta Love
16. Heartbreaker
17. Good Times Bad Times
18. Communication Breakdown
19. I’m Gonna Crawl
20. White Summer (/ Black Mountai Side)

 

1「カスタード・パイ」。ハードでソリッドで、疑いなくいちばん好きなツェッペリン・ナンバー。3・2クラーベのリズム・パターンをリフに応用しているのもいいですね。ゼップのばあいはボ・ディドリー由来でしょう。ファズを思い切り効かせグチャっとつぶれたギター・サウンドが美しく、快感。

 

2「ロック・アンド・ロール」3「セレブレイション・デイ」と続く流れは、要するにライヴ・アルバム『永遠の詩』のオープニングってことで、それをそのまま借用しただけ。それくらいあのライヴ・メドレーが気に入っているんですよね。

 

6「ザ・クランジ」を選ぶファンはほぼいないと思いますし、ツェッペリン名曲選にも入るわけないんですが、この変拍子の変態JBマナーなファンク・チューンがぼくは大のお気に入り。ロンドン下町なまりで歌うプラントのヴォーカルも最高。7「ザ・ワントン・ソング」もファンク・チューンで、一般的にはこんな上位に来ないもの。

 

これ以下数曲がアクースティック・セクション。といっても8「タンジェリン」はけっこうペダル・スティールなども使っている、ヤードバーズ時代末期から存在した名曲で、大好き。『フィジカル・グラフィティ』からとった11「ブラック・カントリー・ウーマン」もマンドリンのサウンドがアクギと溶け合って、いい感じ(バンドに数少ないベース・レスな曲)。

 

ファースト・アルバムや『II』からの有名代表曲が下のほうに来ていますが、気持ち的には4「ブラック・ドッグ」あたりと同じくらい好きなんです。ですけれど、リアルタイムなら中後期以後のツェッペリンに思い入れがある世代としてはこうなりました。ぼくより数歳ほどでも年上のロック・ファンならこれが逆転するはず。

 

19「アイム・ゴナ・クロウル」はリズム&ブルーズ調の美しい哀切バラードで締めくくりにはピッタリなんですが、ラストに1969年BBCライヴから「ホワイト・サマー(〜ブラック・マウンテン・サイド)」をコーダ的に入れました。

 

大好きなんですよね。ヤードバーズ時代にやっていた曲ですが、ツェッペリンになってからも初期はやっていたということで。このヴァージョンの「ホワイト・サマー」は、1990年リリースのCD四枚組リマスター・ボックス一枚目ラストで初お目見えだったもの。あのときツェッペリン・ヴァージョンがあるんだとはじめて知り、感激したのをいまでもよく憶えています。

 

(written 2021.7.14)

2021/12/19

1961年1月、ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズ初来日

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(5 min read)

 

Art Blakey & The Jazz Messengers / First Flight To Tokyo: The Lost 1961 Recordings
https://open.spotify.com/album/5pe7gBl8IgEAaknrfd0hnF?si=paepLzekQqaLY_8EK1gJig

 

1時間43分がただひたすら退屈だったアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズのアルバム『ファースト・フライト・トゥ・トーキョー:ザ・ロスト 1961 レコーディングズ』(2021)。一週間か十日ほど前にリリースされた未発表音源です。

 

アルバム題どおり、このバンドの初来日公演となった1961年1月の東京でのライヴ・ステージを発掘・収録したもの。例によってブルー・ノートは各種ソーシャル・メディアで出すぞ出すぞと数ヶ月前からどんどんおどかしていたし、またこれにかぎっては日本人関係者の一部にも派手に予告し期待を持たせるかたがいました。

 

1961年1月というと、アート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズはリー・モーガン、ウェイン・ショーター、ボビー・ティモンズ、ジミー・メリット。来日の約半年前にこのメンバーで名作『チュニジアの夜』を録音しているといった時期です。

 

このクインテットでの活動というか録音歴はあんがい短くて、正式スタジオ録音は二作しかありません。すぐにカーティス・フラー(トロンボーン)が加わっての三管編成になり、そして三管のままほどなくトランペットがフレディ・ハバードに交代します。

 

モダン・ジャズというかハード・バップの、本場アメリカの、しかもバリバリ第一線で大活躍中の現役バンドの来日はこれがはじめてだったということで、日本におけるモダン・ジャズの門戸を開いた貴重で重要な記録ではありますね。その意味でこそ価値のある音源なんでしょう。

 

『ファースト・フライト・トゥ・トーキョー』、中身の演奏じたいはですね、たいしたことないというか、標準的ハード・バップ・ライヴ、いじわるな言いかたをすれば平凡な出来でしかなく、当時のジャズ・メッセンジャーズだってもっと内容のあるステージは(日本でといわず)くりひろげていたはずだと思うんです。

 

1961年ということで、アメリカでは従来的なコード・チェインジにもとづく作曲とアド・リブ法からモーダルなアプローチへの進展もみられていた時期。この一月の来日時にもジャズ・メッセンジャーズ、特に音楽監督役のウェイン・ショーターがそれを日本の当時の若いジャズ・ミュージシャンたちに伝導したということも言われています。

 

がしかしそれは来日時になんどか行われたという交流イベント(セミナー?)でのことだったんでしょう。このライヴ・アルバム『ファースト・フライト・トゥ・トーキョー』では、モーダルなコンポジションもインプロヴィゼイションもまったく聴かれませんから。従来的にコーダルなモダン・ジャズですよね。

 

それでも聴きどころはそこそこあります。特に「モーニン」「ブルーズ・マーチ」「ダット・デア」三曲のファンキー・ナンバーで展開されるボビー・ティモンズのアーシーなブロック・コード・ソロ。がんがん叩いて否応なくもりあげて、もともとこういう世界が大好きなぼくには快感です。

 

また「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」はウェインのサックス・ソロをはさんでのリー・モーガンのショウケースとなっていますが、リーは終始ハーマン・ミュートで静かに淡々と吹いています。これはおそらく(当時すでに日本でも人気のあった)マイルズ・デイヴィス・ヴァージョンを意識したんじゃないかと思えるフシがありますね。マイルズの初来日は64年。

 

しかしその程度であって、音しか聴けないサブスクだと『ファースト・フライト・トゥ・トーキョー』はイマイチおもしろくないアルバムだというしかなく、日本の聴衆にとって初の本場アメリカ黒人ミュージシャンが生で演奏するハード・バップ・ライヴだったという熱気も伝わってきません。

 

もちろんこれはサブスクだからわからないだけで、こういったアルバムはLPなりCDなりといったフィジカルで買わないと、おもしろみも当時の記録としての重要性、証言性も理解できないはず。

 

豊富な写真類、渡辺貞夫さんや湯川れい子さんなど当時を体験したかたがたの証言、テープ発見とリイシューに至るまでの経緯の解説など、満載らしいですからね。アート・ブレイキーの子、タカシ・ブレイキーが寄せた文章も載っているそうです。

 

ぼくは買う気ありませんが。

 

(written 2021.12.16)

2021/12/18

マイルズもシスリーがタバコぎらいだったから禁煙した

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(7 min read)

 

いまでは大の嫌煙者なぼくですが、20代のころはむちゃくちゃなヘヴィ・スモーカーでした。そりゃあもう絶対にタバコなしでは生きていけないっていうくらいだったんですけど、完全にやめたのは1992年だから30歳のときです。

 

理由はパートナーがタバコぎらいだったから。これに尽きます。タバコくさくちゃキスもしてくんないっていうんで、ずいぶん悩んで、やめようと決心したものの、これがなかなかすんなりとはいかなくて。なにしろそれまでが中毒的ヘヴィ・スモーカーでしたから。

 

とにかく火のついたタバコをくわえていない時間というのがなかったんです。寝ているときとお風呂入っているときだけだったんじゃないか、なんだったら食事しながらでも吸っていたいというほどで、一日に50本以上けむりにしていたと思います。

 

吸っていたのはキャメルだけ。なぜキャメルじゃなくちゃいけなかったのかっていうと、おそらく味や香りの好みと、フィルターとパッケージのデザインとが理由でした。アメリカ産の銘柄だったんで、JTのものよりお値段ちょいお高めだったような。

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キャメルをですね、それも一個一個自販機とかで買っていたんでは到底追いつかないっていうんで、カートンで買っていたんですよね。東京時代の初期は井の頭線の渋谷駅ホームに上がっていく階段のところにタバコ・ショップがあって、そこでカートンを、それもいっぺんに二箱くらい、まとめ買いしていました。

 

とにかくもうほんとうにタバコが好きで好きでたまらなくて、しかもぼくがヘヴィ・スモーカーだった時代は、まだどこででも吸えたんですよね。いまみたいに社会に分煙・禁煙の考えが浸透していなかったので、飲食店内はもちろん映画館内でも駅のホームでも、マジでどこででも吸えました。

 

そんな大のスモーカーだったのにタバコがダメな女性と出会ってお付き合いするようになって、最初のうちはなにも言われなかったから面前で吸っていました。関係が徐々に深くなるにつれ、実はタバコやめてほしいんだということで、決心したんです。

 

あの当時(1980年代後半)禁煙グッズはちょっとあったかもしれませんが禁煙パイポみたいなおもちゃだけ。もちろん医者がガイドしてくれる禁煙外来なんかなく、自分の意思の力だけでやめなくちゃいけなかったのはつらかった。

 

少しづつ一日に吸う本数を減らしていって、だいぶ減ったところで(國學院に就職したので)パートナーと結婚して同居生活がはじまっても、実はまだゼロになっていませんでした。建前上はすっぱり断煙したということになっていましたけど、隠れてコソコソ吸っていました。

 

そうなると罪悪感ハンパなく、後ろ暗いのがつらくてたまらず、早くゼロにしたいと本心から思うものの、なかなかやめられず。でも、一日に吸う本数が三、四本程度までになってはいたので(もちろん外出時のみ、外出しない日はなかった)、あとひといきだ、精神的・身体的依存は脱しているはずだからという実感がありました。

 

そこへもってきて結婚二年目1992年の夏に夏季休暇を利用して二週間ほどのヨーロッパ旅行に行くことになりました。前年に婚姻届を提出したときは(式、披露宴もふくめ)なにもしませんでしたから、新婚旅行のつもりでした。友人新婚夫婦+1の計五人で、パリとロンドン。ぼくはちょうど30歳。

 

これぞまたとない絶好のチャンスだ!と固く決心したんですよね。二週間ほどパートナーとずっと行動をともにするということは、タバコを吸うことがまったくできないはずだから、その旅行をいいきっかけにして完全にやめられるはずだと。

 

はたしてその1992年夏の欧州旅行の前までにだいぶ本数が減っていて準備ができていたぼくは、その二週間で一本も吸わず、苦労なく完全断煙できました。喫煙道具も旅行直前に完全に処分していましたから。ほんとうに晴れ晴れとした気分でした。

 

それ以来59歳の現在にいたるまでタバコとはまったく縁のない人生で、そうなってみると、スモーカーというのがいかに周囲に迷惑をかけまくりながら吸っている存在であるか、自分もそうだったんだよなあと痛感するようになりました。いまでは懺悔の情しかありません。

 

ぼくが完全絶煙した1992年夏というと社会における禁煙の考えはまださほど強くなかったと思うんですが、2021年現在ではもうタバコはほぼ追放されつつあります。スモーカーの肩身は狭くなる一方で、そんな状況にハマって苦しむ前にやめられたのはラッキーだったなと思います。

 

だからタバコをやめてくれと強く言ってくれた元パートナーに心から感謝しています。隠れてこそこそ吸っていた時分に見つかって叱られて、あのころずいぶん「なんだよ〜!」とか反発心をいだいたものでしたが、いまではほんとうにほんとうに感謝しかありません。

 

タバコ(と酒)は、音楽なんかでも重要な演出要素となってきたもので、歌詞や曲題に出てきたり、インスパイアされた曲があったり、カヴァー・ジャケットに吸っているシーンとか吸殻とかよくデザインされていましたけど、もし21世紀のいまでも実生活でタバコ吸っていたなら、かなり生きにくい思いをしなくちゃいけなかったでしょうねえ。

 

(written 2021.8.31)

2021/12/17

メグ sings 江利チエミ 〜 日本における新世代レトロ・ポップス vol.1

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(4 min read)

 

Meg & Drinkin’ Hoppys / Sha Ba Da Swing Tokyo
https://open.spotify.com/album/1Puh5fgdnXFKlWRe5LrShP?si=9xA3i876T0qCIvMkPkb3gA

 

本日12/15リリースでさっそく聴いています、メグ(民謡クルセイダーズ)がドリンキン・ホッピーズと組んで歌う江利チエミ曲集『シャバダ・スウィング・トーキョー』(2021)。吾妻光良プロデュース。日本にもこうしたレトロ・ジャジー・ポップスの流れがきてますねえ。

 

アナログ10インチでも発売された四曲14分弱というEPなんですが、これがほんとうに楽しい。とりあげられている江利チエミ・ナンバー四つはいずれも1950年代のレコードだったもので、当時日本でもああいったジャジーなスウィング・ポップスが全盛でした。

 

端的に言って<ロック勃興前夜>の世界だったといえるもので、日本においては多分にアメリカ進駐軍のキャンプなどを舞台にしてくりひろげられていたものだったかもしれません。チエミもそういうシーンで育ったひとりでした。

 

メグの歌いかたはというと、発声と音程がややぼんやりしているかもと聴こえる瞬間もあって、実を言うと(ご本人の目に触れるかもしれませんね、ごめんなさい)そんなに大好きだとか上手い歌手だというわけじゃありません。

 

とはいえ、チエミだってそんなにはですねえ…。それにメグのばあいはこのふんわりしたやわらかいヴォーカルがいい味、個性ですよね。アマチュアっぽさというかちょっとトボケた感じが、レトロなジャズ・ポップスを歌うのにもってこいじゃないですか。

 

共演しているドリンキン・ホッピーズは東京都内を中心に活動する日本人ジャンプ・ブルーズ・バンド。1930〜40年代のああいったアメリカン・ブラック・ミュージックをこよなく愛する集団で、8管+4リズムという12人編成でぐいぐいドライヴして、そりゃあもう快感。ぼくの音楽趣味本領はジャイヴ、ジャンプあたりですから。

 

プロデュース、録音、ミックス(「東京ワルツ」ではサイド・ヴォーカルも)をつとめた吾妻光良こそが、日本におけるそういった分野のまさに第一人者なわけで、ジャズ・シンガーとしての江利チエミにフォーカスし、ドリス・デイとかパティ・ペイジとかアメリカでそんなポップ歌手が活躍してヒットを出していた、あの時代の世界観を2021年に再現せんとしています。

 

ロックンロールのビッグバンがあって以後、世界の音楽シーンはすっかり塗り変わったような印象がありますけれども、その前夜にこんな豊かで楽しくかぐわしい音楽があふれていたのだというあたりまえの事実は、近年見なおされるようになっています。それで主にアメリカの新世代歌手のあいだでリバイバル・ブームが起きていますよね。

 

日本でも江利チエミみたいな歌手が大活躍した1950年代にはスウィンギーなジャジー・ポップスが大衆音楽の主流で、後年演歌に転向する美空ひばりだってそうだったんですから。メグ+ドリンキン・ホッピーズ+吾妻光良のチームが送り出す今回の『シャバダ・スウィング・トーキョー』、アメリカにおいてはすっかりシーンの中心になってきたレトロ・ポップスの流れを、日本にも運んできてくれたものです。

 

(written 2021.12.15)

2021/12/16

戦前欧州のヴィンテージ・ジャズ・ムード 〜 アナベル・チヴォステック

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(3 min read)

 

Annabelle Chvostek / String of Pearls

https://open.spotify.com/album/1F0iuHp6CupweyV73yKMBD?si=r128_CvgRweuKYXwC9LhLw&dl_branch=1

 

萩原健太さんのブログで知りました。
https://kenta45rpm.com/2021/03/30/string-of-pearls-annabelle-chvostek/

 

カナダはトロント出身のシンガー・ソングライターらしいアナベル・チヴォステック。なんでもウェイリン・ジェニーズっていう同国のトリオに在籍していたこともあるそうで、そのバンドはブルーグラス/トラディショナル・ミュージックをやっているんだって。

 

とはいえ、ぼくはこの今回の新作『ストリング・オヴ・パールズ』(2021)でしかアナベルを知らないので、まったくのレトロ・ミュージック志向なんだとしか思えず。ジャネット・クライン、ダヴィーナ&ザ・ヴァガボンズなどなど、ああいった路線ですね。

 

それにくわえアナベルのばあいはヨーロッパ風味が濃厚で、ちょうど第一次大戦と第二次大戦のあいだ、1930年代くらいに大陸で花ひらいた、かの音楽文化、ジャンゴ・ラインハルトらのジプシー・スウィングとか、ムーラン・ルージュっぽいキャバレー・ミュージックとか、そのころ欧州でも大流行したタンゴとか、そんなムード満載なんです。

 

もちろん禁酒法時代のアメリカのボールルームへの回帰みたいな側面が基底にあって、その上での濃厚な戦前ヨーロッパ大衆音楽テイストみたいな感じでしょうか。そんな雰囲気がアルバム『ストリング・オヴ・パールズ』には横溢しています。新録音だから音質はあたらしいものの、音楽性はまったくもってヴィンテージ。

 

いちばん強く感じるのは、やはりジャンゴやステファン・グラッペリらが活躍した1930年代のフランス・ホット・クラブ五重奏団の音楽で、それとその近隣にいたようなスウィング・ジャズ。雰囲気っていうより音楽性がそのまんまですよね。ヴァイブラフォンのレトロな音色もなつかしい1曲目から、そういったヴィンテージ香味がフルに展開しています。

 

5曲目までずっとそのままのムードで続き、6曲目「カム・バック」がタンゴ。退廃ムードも濃厚で、いかにも戦前のコンチネンタル・タンゴというフィーリングです。タンゴ、というかこれはミロンガなのか、8曲目「ジャスト・ザ・ライト・ブレッツ」(トム・ウェイツ)も同傾向ですね。ウェイツはこういったうらぶれた雰囲気の曲をよく書きました。

 

アルバムではこの二曲だけがタンゴ or ミロンガ。10曲目がワルツで、これまたヨーロッパ・レトロですね。これら以外はすべてが戦前スウィング・ジャズのスタイルで統一するっていう、これが2021年新作なんです。それまでこんな路線とは無縁だったらしいアナベルなのに、突如どうしてこうなった?みたいなことは、上でリンクした健太さんのブログ記事にくわしく書かれてあるので、ご一読ください。

 

ともあれ、前からくりかえしていますけど、戦前ジャズというかニュー・オーリンズ/ディキシー/スウィングのリバイバル・ムード、はっきりあるんじゃないですか、この十数年、世界で。

 

(written 2021.7.31)

2021/12/15

バラードはソロ・キャリア初期からかなりよかったマイルズ

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(7 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/5UXGBdPU6gkTsUZ8g1td1g?si=dada255d7bb14f15

 

マイルズ・デイヴィスの初期ブルー・ノート録音は、『Vol. 1』と『Vol. 2』の二つのアルバムにすべてがまとめられています。1952/5/9、53/4/20、54/3/6と三回のセッションで収録されたもの。

 

このへんのマイルズ初期ブルー・ノート音源がもともと10インチLP三枚だったことは、一度くわしく書きました。ずいぶん前の記事なのでおそらくみなさん忘れているだろうということで、もう一回書いておくことにします。リンク書いて案内してもクリックされませんし(でもいちおう貼っておく↓)。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-6366.html

 

まず最初、1952年録音はJ. J. ジョンスン、ジャッキー・マクリーンをふくむセクステット編成。完成した六曲が同52年に『ヤング・マン・ウィズ・ア・ホーン』という10インチLPに収録され、発売されました。

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1953年のセッションはJ. J. ジョンスン、ジミー・ヒースらによる、これまたセクステット編成。やはり六曲が完成し、同年に10インチ盤『マイルズ・デイヴィス・ヴォリューム 2』として発売。

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ラスト1954年は、ホレス・シルヴァーをピアノに据えたワン・ホーン・カルテット。このときも六曲録音して、やはりこれも同年に10インチ盤『マイルズ・デイヴィス・ヴォリューム 3』となりました。

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マスター・テイクだけならこれでマイルズの初期ブルー・ノート録音はぜんぶです。いずれも六曲づつ、すべて10インチLP、一年に一枚づつその年の録音分が収録・発売されたわけですから、わかりやすいんじゃないでしょうか。

 

それらぜんぶひっくるめ、未発売だった別テイクも入れて、12インチLP二枚となってまとめられたのは1956年のこと。その際ブルー・ノートが採用したタイトルが『Vol. 1』と『Vol. 2』で、ジャケットもいちばん上に掲げた二つのとおりです。これらもちょっと10インチっぽいジャケですけどね。

 

それで、これら初期ブルー・ノート録音のマイルズのことが、個人的には大学生のころからけっこう好きなんです。世間的にはまったく人気がないし、評論家筋の評価もかなり低いということで、なんとなく言いづらい雰囲気が長年ありました。

 

そんなことを気にせずに書いた過去記事が上にリンクした2016年のものだったんですけれど、これもあまりアクセスがなくてですね。やっぱりなぁ、このへんのマイルズのことはみんなイマイチなのかも?とちょっぴり落胆したという次第。

 

でもねえ、ホント、たとえばバラード吹奏なんかは、この1950年代初期においてすでに完成されているとみていい立派な内容ですよ。マイルズ初期ブルー・ノート録音にあるバラードといえば、以下の五曲。

 

1952年(録音順)
「ディア・オールド・ストックホルム」
「イエスタデイズ」
「ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン」

1953年
「アイ・ウェイティッド・フォー・ユー」

1954年
「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」

 

54年の「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」をカップ・ミュートで吹いていることを除けば、すべてオープン・ホーンでの吹奏。マイルズにとってハーマン・ミュートがトレード・マークになったのは1955年ごろからのことですから。

 

また52年、53年はセクステット編成であるにもかかわらず、これらバラードにかんしてはワン・ホーン・カルテットでの演奏なのも特徴でしょう。例外は「ディア・オールド・ストックホルム」。そこではアルト・サックスのジャッキー・マクリーンのみごとなソロもフィーチャーされています。

 

おもしろいのは「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」も「ディア・オールド・ストックホルム」も、数年後にファースト・レギュラー・クインテットで再演していること。前者はプレスティジの『ワーキン』に、後者はコロンビアの『ラウンド・ミッドナイト』に収録されています。

 

しかしいずれもきょう話題にしているブルー・ノート・ヴァージョンのほうが情緒感があって出来もいいんじゃないかと思えるんです。個人的な好みもおおいに関係しての判断ですけれどもね。「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」はプレスティジ・ヴァージョンと甲乙つけがたいというのが事実ですが、ぼくはカップ・ミュートの音色のせいで仄暗いリリカルさの出ているブルー・ノートのほうが好き。

 

「ディア・オールド・ストックホルム」にいたってはですね、コロンビア・ヴァージョンではバラードであるという表現様式はいったん捨てて、ビートの効いたミドル・テンポ・ナンバーへと大胆に変貌させています。リズム・セクションの動きに特徴のある内容で、なかなかおもしろいのではありますが、バラードとして聴いたらブルー・ノート・ヴァージョンのほうに軍配が上がるでしょう。

 

「イエスタデイズ」「ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン」もみごとにリリカル。情緒的なバラード吹奏ぶりで、しかも、こういったムードを感じさせる要素は1955年ごろ以後マイルズから消えてしまったと思うんですけど、独特の丸さ、暗さ、ムーディさがあります。レギュラー・クインテット結成以後はもっとキリッと引き締まった痩身の演奏をバラードでもするようになりました。音楽としてはそのほうが上質でしょうけども。

 

まだそうなっていないぶん、テンポのいいグルーヴ・ナンバーなんかでは物足りなさを感じさせるいっぽうで、バラード演奏では(その緊張感のなさがかえって)リリカルな表現に独特のムードというかくぐもった仄暗さというか、えもいわれぬ雰囲気をもたらしているんじゃないかと思うんですよね。

 

初期ブルー・ノート時代のマイルズはいまだ未完である、がしかしそれゆえに、バラード吹奏では自分にしかできない独自の個性を見出しつつあって、ある意味これはこれで立派だとも言えるんです。チャーリー・パーカー・コンボ時代からリリカルなバラード表現には長じていましたから。

 

(written 2021.7.21)

2021/12/14

CDを聴いているのと同じオーディオでサブスクを聴く ver. 2(updated Dec. 2021)

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(7 min read)

 

インターネットに接続してパソコンやスマホで流すストリーミング音楽を、どうやってCDなどを聴いているハイ・ファイ・オーディオ・システムに接続しているかについては、以前こういう記事を書きました。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-1c4582.html

 

ここからすこし時間が経ちましたし、そもそも使っていたApple社製のAirMac Expressはもうかなり前に製造販売が終了しているもので、だからW-Fiの新規格にも対応しておらずセキュリティ面で不安があります。将来がないんですから、いつまでも使い続けるというのもねえ。

 

なにより、八月に引っ越して、ふだんSpotifyで音楽を聴いているMacBook Airを新調したら、どうもAirMac Expressだと音がプツプツ頻繁に途切れるようになり、快適な音楽リスニング生活を送れなくなりました。

 

そんなこんなで、前々から検討していたBluetoothレシーバーを導入してみました。音質面での評判を吟味した結果これを狙っていたんですけど、ほんとうは、でもモタモタしていたらアマゾンで品切れになってしまい、ネットのどこをさがしてもないというありさまで(いま見たら復活しています、12/11)。
https://www.amazon.co.jp/dp/B00MHTGZR4/

 

というわけで次点候補だったこっちを買いました。ほんの片手のひらサイズ。これもいま見たら品切れ状態になっていますが(やはり復活)、パソコンやスマホからオーディオ装置に無線接続できるこの手のBluetoothレシーバーって人気あるんですかね?
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B01COOUKQI/

 

これら二品がアマゾンなどで買えないときでも、同様のBluetoothレシーバーは多くのメーカーからかなりたくさん発売されていますので、ご興味のあるかた、どうやってパソコンやスマホの音楽をそれまで使っていたオーディオ・アンプにつないだらいいか、安価で簡便な手段を教えて!という素朴な疑問をお持ちのかたは、ぜひちょっとさがしてみてください。

 

接続は実に簡単シンプルです。Bluetoothレシーバーが届いたら、例のオーディオ用RCAケーブルか(アンプが対応していれば)光デジタル・ケーブルでアンプにつなぎ、電源コンセントにつなぎ、あとはふだん使っているパソコンかスマホとBluetoothでペアリングするだけです。

 

たったそれだけ。こんなラクチンなことで、それまでCDやレコードを聴いていたオーディオ装置でサブスク音楽を聴けるんです。あ、そうそう、CD聴くときとサブスク聴くときとで、アンプの入力ソース切り替えはしないといけませんよ、もちろん。それくらいなんの手間でもないでしょう。

 

すなわちぼくのばあいは:

 

パソコン →(無線)Bluetoothレシーバー →(有線)アンプ → スピーカー

 

というわけ。商品が届いてからほんの二分ほどでスムースにすべてが完了し、音楽を聴けるようになりました。

 

近年はオーディオ・メーカー各社からネットワーク・プレイヤーも発売されています。それらはAirPlay(とはつまりWi-Fi)やBluetoothの技術を使ってディバイスと無線接続し、そこからアンプまではケーブルを使いますが、一度つないでしまえばその後ずっとそのままでいいので(Bluetoothレシーバーも同じ)。

 

ただ、その手の本格ネットワーク・プレイヤーは安価な機種でも五万円近くします。経済的に余裕のあるかたがたならこれがいいだろうと思いますが、ぼくら貧乏人にはちょっとね。使い勝手も、それからなにより音質面でも、一個数千円程度のBluetoothレシーバーでじゅうぶん満足のいくサウンドが得られます。

 

実際、10月に届いたBluetoothレシーバーをさっそくアンプにつないで、しばらく試しにいろいろと既知音源を聴いた結果、これがAirMac Expressを使ってのAirPlay2よりもはるかに高音質で快適だということを実感しています。たぶんAppleのAirMac Expressは音楽専用ではなく、そもそもがWi-Fiルーターだというせいなんでしょう。

 

ぼくが買ったときは8000円でお釣りがきたTSDrenaのオーディオ用高音質Bluetoothレシーバー、微細な部分まで鮮明に聴きとれて、デリケートな音や声の表情の変化、陰影までよくわかり、奥行きや深みもしっかり表現、低音がひきしまってタイトにしっかり鳴るっていう具合で、どうしてこれをもっと早く導入しなかったんだという気持ちですが、毎日望外の満足感と幸福を味わっています。

 

もっと年月が経過してテクノロジーが進めば、より簡便でより高音質低遅延な音楽無線再生が開発されるかもしれませんが、Bluetooth規格がここまで熟成してきている昨今では、これが最適な方法と言えるはず。もちろん価格度外視のハイ・ファイなハイ・エンド・オーディオ志向なみなさまがたにとっては、上述のとおりネットワーク・プレイヤーの購入こそ選択肢であります。

 

あるいはパソコンに有線のケーブルがぶらさがることに抵抗がなければ、そこからUSB接続でDACを経由しアンプへとつなぐ方式がベストです。アンプがDACを内蔵していれば(近年発売のものには多い)それも必要なく、パソコン→アンプへとダイレクトでつなげます。パソコン周辺のケーブルのとりまわしがちょっぴり面倒ですが、遅延はゼロになりますし、最高音質です。

 

以上、パソコンやスマホで流すサブスク音楽をどうやってちゃんとした音質でスピーカーから流せばいいのかわからず、とりあえずヘッドホン(かイヤフォン)、あるいはBluetoothスピーカーで聴いているという庶民のみなさん向けのお手軽入門情報でした。お役に立てばと思います。

 

(written 2021.12.3)

2021/12/13

ノルウェイ発、洗練されたブルー・アイド・ソウル 〜 アダム・ダグラス

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(3 min read)

 

Adam Douglas / Better Angels
https://open.spotify.com/album/14RxQtnCjf9s7mcVJdA8yZ?si=r_I7odLTTe-nycJAHmes6Q&dl_branch=1

 

萩原健太さんのブログで知りました。
https://kenta45rpm.com/2021/03/16/better-angels-adam-douglas/

 

現在はノルウェイに移り住んで音楽活動を展開しているらしいアメリカ人ブルー・アイド・ソウル歌手のアダム・ダグラス。新作『ベター・エンジェルズ』(2021)もノルウェイ録音で。ほんとうはアメリカに帰国して制作したかったみたいなのですが、コロナ・パンデミックのせいでそれはお流れ。

 

でも現地の腕利きミュージシャンたちを起用して、全体的にとても聴きやすくグッと来るソウル/ポップ・サウンドを展開していて、好感が持てます。1曲目から、16ビートでうねるメンフィス調のリズム・セクション、ゴスペル・クワイア、ホーン・セクション、アダム自身による粘っこいスワンプ・ロック調のスライド・ギターなど、多彩な米ルーツ・ミュージックの要素でバック・アップしてみせています。

 

こういった傾向が2曲目以後もずっと続いていて、洗練されたコード進行をともなったライト・ソウル・サウンドっていう感じかな、ソウルといっても決して暑苦しくない、真夏に聴いてもさっぱりとした涼感が得られそうなシティ・ポップ寄りの音楽に仕上がっていて、米サザン・ソウルはむさ苦しいなぁと感じることもたまにあるぼくなんかにはちょうどいいです。

 

だいたいぜんぶアダム自身(共作もふくめ)が曲を書いているようですが、どれもチャーミングでいいんですよね。それとこのサウンド・メイク。プロデュースも自身でやっているみたいで、アレンジのみごとさもきわだっています。楽器演奏でもアダムの弾くエレキ・ギター、バックでのカッティングといいシングル・ノートで弾くソロやオブリガートといい、とってもいい感じ。

 

なかでもぼくが気に入っているのは6曲目の「ウェア・アイ・ワナ・ビー」。ファンキーじゃないですか。しかもエレキ・ギターのカッティング・サウンドがとっても気持ちいい。完璧なるメンフィス・ソウル・サウンドだけど、しっかりソフィスティケイティッドされていて、ジャジーでもあって、しかもほんのりブルージーっていう。最高だ、これ。

 

また、4曲目の「ソー・ナイーヴ」なんて、たとえばボズ・スキャッグズの『シルク・ディグリーズ』に入っていてもおかしくなさそうな雰囲気の曲で、こういった洗練されたちょっぴりジャジーなAORテイストが、ブルー・アイド・ソウル志向と相性いいんでしょうね。

 

そういえばボズだって、AORの代表のように言われるけどだいたいはブルー・アイド・ソウル、ホワイト・ブルーズの世界の人間だし、なんか関係あるんですかね、白人がソウルをやってジャジー・テイストをとりいれた洗練サウンドをやるとAOR化するとか。

 

(written 2021.7.19)

2021/12/12

中東ラテン 〜 オメル・クリンゲル

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(2 min read)

 

Omer Kringel / Okan Project
https://open.spotify.com/album/2azzWPcIFWoLq7uenUcufq?si=k_IUWGVkRZ2EO3AQxBKEyg&dl_branch=1

 

lessthanpandaさんのMúsica Terraで教えてもらいました。
https://musica-terra.com/2021/03/17/omer-kringel-okan-project/

 

イスラエル人鍵盤奏者/作曲家/プロデューサーのオメル・クリンゲル。その最新2020年作『オカン・プロジェクト』はジャズとラテン・ミュージックを軸に、中東音楽、ファンク、ラップ、フラメンコなどが融合した、なんとも色彩感あふれる仕上がり。

 

特に強く感じるのはキューバン・サルサ色ですかね。1曲目、2曲目あたりでもそれがよくわかります。ラテンの熱いノリがたまらなく快感。イスラエル人がリーダーの音楽ですけど、参加ミュージシャンたちは世界中から参加しているそうなので、中南米のミュージシャンもいるかもしれません。+オメル自身がラテン志向なのかも。

 

イスラエル人でありかつラテン志向っていう、そんなオメルの音楽性が最もいい具合に発揮されているのが4曲目の「フリーダム・キー」。曲のメロディ・ラインなどは中東系のそれですけれど、ビートは完全にラテン・ミュージックであるっていう、中東+ラテンの合体ナンバー。

 

もちろんラテン・ビートだって日本人の古代からのDNAにはないものでしょう。けれども、ぼくらがもはやそれに異国情緒を感じないのは、ラテン・ミュージック要素が全世界にひろく強く浸透し切っているからじゃないかと思うんですよね。ぼくだって幼少期からラテン歌謡曲(山本リンダなど)ですっかりなじんでいて肌身に染み込んでいますから、「異」「外」だとは感じないですね。

 

ラテンの世界的普及度たるやおそるべしといったところで、オメルの『オカン・プロジェクト』では、それ+中東要素がそこかしこに有機的に混じり込んで溶け合い、しかも強いビートの反復はファンクっぽさをも感じさせ、なんとも汗くさい肉体派の音楽を産み出しているなと思います。

 

なかなかのオススメ品ですよ。

 

(written 2021.8.1)

2021/12/11

ネットでしか音楽聴けなくなったら終わり?

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(5 min read)

 

写真のデュークというのは愛媛県松山市内にただ一軒だけ2021年現在でも存在する音楽CDショップ。いまやここだけなんですよね。県庁所在地の松山でもこうなんですから、いわんや県内のほかの町は言わずと知れた砂漠状態。大洲で九年暮らしましたが、もちろんCDショップなんてゼロでした。

 

デュークも街に出たときに毎回ちらっと覗いてみるんですが、どうやって商売を続けられているのか不思議に思うような閑古鳥が鳴いていて、いまや音楽聴きが完全にネットでのダウンロードやストリーミング、特に後者に移行したことを、地方都市に住んでいるほうが強く実感します。

 

このへんの現実というか事情は、やや規模が縮小傾向?とはいえタワーレコードやディスクユニオンみたいな大型チェーン店や、小規模でも特異な品揃えの充実で魅せるセレクトショップ的専門店などがまだまだ残っている大都会の住人には、なかなか皮膚感覚で理解してもらえないことだろうなあと日々痛感しておりますね。

 

ですので、この種のことがらではちょっと前に大阪府民の音楽ファンと口論になりました。そのかたのおっしゃるには、CDショップとかは音楽情報の発信基地であって、それはいつまでもなくなってほしくないと。その考えは正しいとぼくも思うものの、こちら地方都市にはそんな基地なんぞもはや一個もありませんぜ〜っていう実情をどうしてくれるの?

 

だから事情を知らずに発言しているんでしょうねえ。そのかたは一連の投稿の最初のほうで「ネットでしか音楽聴けなくなったら終わりだろう」という暴言も吐いていて、終わりってなんだ?!終わりって!と、ぼくは激しい憤りを感じたわけです。それで口論になったんですけどね。

 

なぜかって、いまやぼくは100%ネットでしか音楽聴かなくなっていますから。ってことは、そのかたの御説が正しいとするならば、音楽リスナーとしてのぼくは「終わって」いることになります。CD買うのは岩佐美咲などよほどの例外だけ。ここ約二年間では美咲関係でたった二枚買っただけです。あ、こないだ一枚、マラヴォワ買ったけど。

 

こちらではCDを売る路面店が絶滅していますから、どうしても買いたいときはもちろんアマゾンやディスクユニオンやエル・スールなどのネット通販でっていうことになるんですけれども、書店もどんどん消えているから本も通販だし、映画館も郊外型シネコンがちょっとだけっていう現状だからサブスクで、っていうのが地方民の直面している切実な現状です。お芝居や落語会なんかはまったくのゼロ。

 

どうか、このあたり、想像力の乏しい大都会民のみなさんにもわかっていただきたいなと心から願う次第。本や映画その他はいったんおくとしても、音楽。SpotifyやApple Musicが、ネット端末と環境さえあれば(これはどんなド田舎でもさすがにつながる)だれでも使えるので、それに頼るようになるのは必然的な流れだと思います。

 

それらはひと月¥980で不自由なく無限に聴けるんですから、いわゆるロスジェネ以降の経済的な困窮にあえいでいる一般現代人にとっても(これは都会民/地方民関係なく)優しいでしょう。CD一枚、買えたとして¥2000くらいします。約二日分の食事代じゃないですか。背に腹は変えられないんですから。

 

もはやサブスクでしか、すなわちネットでしか音楽聴かなくなったぼくは「終わって」いるのかどうか、ちょっと自分ではわかりませんが、でも毎日こんだけ大量の音楽を聴き、感想文を書き毎日ネットに上げ、反応を得たり得なかったりしている自身の感覚で言えば、CD買って聴いていた時期よりも充実度・満足度が大幅にアップしているという強い実感もあります。

 

CDショップなど路面店が情報発信基地だとその大阪府民のかたはおっしゃるけれども、足でかせげ、実地をまわってさがせ、情報をゲットせよっていうのは、25年くらい前までの感覚じゃないですか。いまやどんな音楽情報もネットで、特にソーシャル・メディアで、流れる時代なんですから。

 

そのアンテナを常に張っていればOKなんで、1970年付近に青春時代を過ごし、そのころレコードを買って楽しんでいたあの時代の感覚から一歩もアップデートできていないひとたちとは、要件以外でお付き合いする気がなくなりつつあるかもしれません。

 

(written 2021.10.27)

2021/12/10

タイムレス&コンテンポラリー 〜 ミス・テスのいる応接間

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(3 min read)

 

Miss Tess / Doucet
https://open.spotify.com/album/1v79s68S7y4HjwkxGTk4Cf?si=W0XRB9aYTlSigwk0WamNbw

 

きのう最新作のことを書いたミス・テスですが、昨年リリースの前作『ドゥーセ』(2020)はグレイト・アメリカン・ソングブック系のスタンダード曲集だと知り、そういう世界が大好きなので、Spotifyでさっそく聴いてみました。

 

トラックリストをごらんになれば、みなさんも親しみのある有名曲ばかりのコレクションになっているのがおわかりのはず。一個だけ、8曲目の「リヴァーボート・ソング」はミス・テスのオリジナルですが、それもアメリカン・ソングブックにあわせたスタイル。6「ヌアージュ」はジャンゴ・ラインハルト(フランス)の曲ですね。

 

本人の公式サイトやBandcampに載っている説明を読むと、どうやらミス・テスの育った家庭環境がオールド・スタンダードの流れるものだったそうで、両親、特に父親はヴィンテージなスタイルで古い曲を演奏するジャズ・バンドをやっていたそう。

 

ミス・テスもそういうのを聴いて育ち、家のなかにそんな音楽があふれていて、また両親から折に触れて1930〜50年代のジャズ系ポップ・スタンダードをコレクトしたCD-Rをもらって聴いていたとのことで、本人もそんな音楽志向ができあがっていったのでしょうね。

 

『ドゥーセ』でもそんな曲の数々をとりあげながら、ミス・テスがレトロな味をたたえたチャーミング&ややセクシーなヴォーカルを披露しています。伴奏はアップライト型のコントラバス(ザッカリアー・ヒックマン)とホロウ・ボディのピックアップ付きギター(ライル・ブルーワー)の二名だけ。

 

これまたまさしくパーラー・ミュージックそのものという趣きで、この手の音楽は、端的に言えば<ロック勃興前>のポップスの主流だったもの。それがまた近年、ここ10年か15年くらい?リバイバルしつつあるような傾向がみられますよね。

 

2007年デビューのミス・テスもまたそんなレトロ・ムーヴメントのなかにいるひとりなんでしょう。『ドゥーセ』でもヴィンテージ・スタンダードをとりあげながら、なつかしくもあると同時に、こういった音楽はタイムレスでもありますからね、たんなるレトロ志向というだけでなく、近年のオーガニック・ポップスの流行のなかに位置付けることだってできます。

 

コントラバス、ギター、ヴォーカルのアクースティックなトリオ編成によって同じ部屋のなかでライヴ収録された『ドゥーセ』、この親密で家庭的なムード、音響のやわらかさ、聴き込むでもなくじっくりくつろいでリラックスできるこじんまりした安心感 〜〜 そういったまさに応接間で流れている音楽がここにはあります。

 

(written 2021.12.6)

2021/12/09

すばらしいキレ味のギター・サウンド 〜 ミス・テスのパーラー・ミュージック

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(4 min read)

 

Miss Tess, Thomas Bryan Eaton / Parlor Sounds

https://open.spotify.com/album/7qloE7CikTR458g0Xrzeur?si=twMWRtcWQVCwV8PctHma-Q

 

萩原健太さんに教わりました。

https://kenta45rpm.com/2021/11/29/parlor-sounds-miss-tess-thomas-bryan-eaton/

 

ミス・テスというシンガー・ソングライター。メアリーランド育ちのアメリカ人で、いまはナッシュヴィルを拠点にしているみたい。ヴィンテージなジャズ、ブルーズ、カントリーを混合折衷したようなおだやかな室内音楽をやっています。

 

その最新作『パーラー・サウンズ』(2021)をとりあげた健太さんのブログ記事でぼくは出会ったわけですが、これがなんともいえずぼく好み。フィジカルはBandcampか本人の公式サイトで売っていて、ぼくはもちろんサブスクで楽しんでいますよ。

 

『パーラー・サウンズ』というアルバム題は、まさに応接間でやるような音楽だということと、ミス・テス&トーマス・ブライアン・イートン(プロデューサーも兼)の二名ともパーラー・サイズのヴィンテージ・ギターを弾いているというところから来ています。

 

パーラー・ギターとは通常のアクースティック・ギターよりもワン・サイズ小ぶりのものを言い、まさしく応接間など小さい空間でちょうどよく響くもの。携帯用のいわゆるトラヴェル・ギターよりはちょい大きめですね。

 

ミス・テスが1940年のレコーディング・キング社製、トーマス・ブライアン・イートンが1951年のハーモニー・ステラをそれぞれ演奏し、楽器伴奏はそれだけ。ヴォーカルはもちろんミス・テスで、それらスタジオでの一発ライヴ収録だったそう。曲によりかすかにバック・コーラスが聴こえるのは同時収録かダビングかわかりません。

 

曲はオープニングの「シュガー・イン・マイ・ボウル」を除きすべてミス・テスのオリジナル(ライター・クレジットはTeresa Reitz名)で、もちろんそれがいいんですが、アタックと切れ味の強く鋭い二名のギター演奏が最高にぼく好みなんです。

 

まるで滑舌がすばらしくいいアナウンサーの実況を聴いているかのようなハキハキしたキレのいいサウンドで、ピッキングが鋭強で明快なおかげなんでしょう。聴いているだけで気持ちよくて、たとえば 1曲目「シュガー・イン・マイ・ボウル」では間奏で二人が順にソロを弾いていますが(どっちがどっちかはぼくには聴解できず)そこからして惚れちゃいました。特に後半の二人目。ほんとどっち?

 

この二人目のギター・ソロで聴けるとても強くてシャープなアタックとなじみのいい歌心は、ヴォーカルのオブリガートで聴こえるスタイルと同じものだから、トーマスのほうなんですかね?大の好みです。だれかわかるかた、教えて!

 

レトロな味をたたえるミス・テスのソングライティングとヴォーカルはもちろんすばらしいです。このアルバムだと伴奏が二名のアクースティック・ギターだけですから、それでもってグルーヴをつくっていくその様子に自然と耳がいくと思うんですよね。

 

そんなギターだけでのアクースティック・サウンドに乗せて、ゆったりジャジーな曲から、ブルージーなミディアムもの、ぐいぐいロールするアップ・テンポものまで、ミス・テス自身の人気レパートリー(を再演したものらしいです、このアルバムは)をひょうひょうと聴かせてくれています。

 

シンプルでキレ味があまりにもいいギター・サウンドが快感なのと、そもそもこういったヴィンテージなジャジー・ポップが大好物なこととで、ぼくなんかにはこたえられないアルバム。いい音楽に出会えてうれしいです。

 

(written 2021.12.5)

2021/12/08

MDが消える...

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(5 min read)

 

https://digital.asahi.com/articles/ASPD32WD3PCZUTIL00Z.html

 

2021年12月初旬、MDことミニ・ディスクがとうとう辞書(17日発売予定の『三省堂国語辞典』第八版)からも消えてしまうというニュースに接しました。もちろん再生録音機の製造販売はとっくに終了していて、新品のディスクもすでにどこにも売っていないという状態。

 

それでも文学作品など文献に載り続けているあいだはなかなか辞書から消すことができないわけですけど、もうそれも終わったのだとわかったこのさびしい現状に向きあう気持ちをどう表現したらいいのでしょう…。もう今後MDということばすら(現代語としては)みんなの記憶から抹消されてしまうのだと思うと…。

 

もっともMDは音楽の新作販売メディアとしては不発だったと言わなければなりません。技術を開発したソニーのカタログが中心で他社のものはあまりなく。それでも一時期は音楽ソフト・ショップ店頭でよく見かけていたんですけどね。1990年代の話。マライア・キャリーとか、渋谷東急プラザ内の新星堂にあったよなあ。

 

個人的にもMDは音楽作品を買うというのではなく(それはCDで買っていた)、もっぱらダビング・メディアとして愛用していたのでした。ダビング用にMDを使いはじめたことで、ぼくのカセットテープ時代が終了したんです。

 

なぜダビングするか?というと大きく分けて理由は三つ。1)電車や出先などに携帯してどこででも聴くため。2)自分がCDで買って愛聴している作品をコピーして友人などにプレゼントするため。3)マイ・ベスト的な自作コンピレイションを編むため。

 

特に音源トレードですね、1995年にネットをはじめて、音楽系コミュニティでみんなとどんどんおしゃべりするようになりましたから、それでいっそう話題の音楽をなかよし友人とシェアしたいと思う機会が増えました。

 

1990年代なかばというとiTunesなどパソコンの音楽アプリもまだなかったし、だからリッピングしCD-Rに焼いてパンパン複製するなんてこともはじまっていませんでした。カセットデッキをオーディオ装置に接続してダビングはやっていたわけで、だから簡便で極小サイズのMDの登場はうれしかったんです。

 

といってもぼくがMDを使いはじめたのは、そうやってネットの音楽仲間が使うようになっていたから。MDであげたいけど、MDでほしい、などと頻繁に言われるようになったので導入したわけで、世間の流行からはちょっぴり遅れました。自室のオーディオ装置に接続してCDからダビングできる据え置き型のMDデッキを買い、便利だとわかったので携帯用のポータブルMDプレイヤーも追加しました。

 

それでどんどん仲間と音源をトレードするようになったんです、MDで。あのころ、1990年代後半から2000年代初頭にかけて、ぼくらのあいだでは、最主流の音源交換メディアに違いありませんでした。郵送したり、会っての手渡しだったり、あのひとこのひと、いろんな当時の友人の顔も名前もいまだに鮮明に思い出します。

 

MDというメディアにはそんな濃厚な思い出がつまっているんです。さまざまな音楽のことでみんながなかよくネットでおしゃべりしながら音源を交換していた1995〜2003年ごろの、あの思い出が。

 

そんなMDなので、この世からことばすら消えてしまうということになっても、ぼくとしては永遠に忘れられないメディアです。iPodが2001年に登場し、たちまち世を席巻、類似の携帯型デジタル・ファイル・プレイヤーもあふれるようになり、iTunesがスタンダードなアプリとなって以後、MDは役割を失ったかもしれません。

 

いまや(ディスクであれファイルであれ)コピーして移動させることすら不必要で、SpotifyなりApple MusicなりAmazon Musicなりのサブスク・サービスを契約していれば、スマホを持ち歩くことでいつでもどこででも音楽を聴けるという便利な時代になったし、だから「この曲、アルバムをちょっと聴いてみて」と友人にオススメするにも手間がいらなくなりました。

 

(written 2021.12.6)

2021/12/07

シナトラにはなかったあたたかみ 〜 ウィリー・ネルスン

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(5 min read)

 

Willie Nelson / That’s Life
https://open.spotify.com/album/3i0UVz6teoPDfy3JhK74Tr?si=or0sZnt4QLm7K0PhWvKvgw&dl_branch=1

 

二月のことでしたが今年もウィリー・ネルスンの新作が出ました。『ザッツ・ライフ』(2021)。ウィリーってなんだかもうずいぶん老人だというイメージがあって、実際90歳近いのに、新作リリースのペースは落ちる気配すら見せず。すばらしいことです。若手や充実期の壮年だってこんなにどんどん出せないでしょう。

 

今回は2018年の『マイ・ウェイ』以来のフランク・シナトラ・トリビュート二作目。アルバム・ジャケットをごらんになればわかるように、それもシナトラ1955年のキャピトル盤LP『イン・ザ・ウィー・スモール・アワーズ』のデザインを意識したものです。

 

シナトラとウィリーの共通点といえば、歌に託された物語をリスナーへと深く豊かに伝える語り部として、ストーリーテラーとして、卓越しているということに尽きます。この点においてウィリーもシナトラを敬愛し、友として共感し歩んできたのだと思います。

 

今回の『ザッツ・ライフ』もシナトラの歌ったレパートリーばかりを11曲選び出し、それをウィリーなりに歌いなおしたもの。プロデュースはおなじみバディ・キャノンとマット・ローリングズ。シナトラが本拠にしていたロス・アンジェルスのキャピトル・スタジオでレコーディングが行われた模様。

 

どの曲も一聴でウィリーだとわかる唯一無二の個性を発揮しているのはさすが。曲の魅力はそのままに、なにひとつ変えず壊さず、その上でウィリーにしか出せない香りを最大限に付与していて、いやあ、すごいパフォーマーです。ワン・フレーズ歌っただけで納得させられる歌手というのはそういるもんじゃありません。

 

ジャケット・デザインがシナトラのアルバム『イン・ザ・ウィー・スモール・アワーズ』を意識したものであるように、9曲目にその「イン・ザ・ウィー・スモール・アワーズ・オヴ・ザ・モーニング」もあります。シナトラのブルー・バラード最高傑作だったものですが、とても大きな違いを聴きとることができるはず。

 

メタリックな冷たさを感じたシナトラ・ヴァージョンに対し、ここでのウィリーの歌にはそれでも救いのあるほんのりとしたあたたかみがあるのが特徴なんですね。

 

そう、シナトラの歌唱全般には救いがなかったわけで、ある種どこまでも突き放された冷酷さ、残酷さみたいなものをとても強く感じたものですが(それが美点だった)、ウィリーが同じ曲を歌うと人間的なぬくもりを持ちはじめるというのがおもしろいところ。ここは決定的な差ですね。長年カントリー畑でやってきたキャリアがもたらすものでしょうか。

 

3曲目「カテージ・フォー・セール」も今回のこのアルバムでひときわ沁みてくる歌になっていますが、ウィリーならではの人間的な説得力を感じさせるできあがりで、寂寥感に貫かれたこの曲を淡々とつづってみせているところに、シナトラとは異なる、声の体温をぼくは感じます。

 

10曲目「ラーニング・ザ・ブルーズ」、11「ロンサム・ロード」といったブルージーなナンバーでは独自のアーシーな味を発揮、シナトラよりもずっといいぞと思えるできばえで、ジャジーなスティール・ギターやハーモニカも効いていますね。

 

ラテン・アレンジが聴けるものが二曲あるのもいい。4曲目「アイヴ・ガット・ユー・アンダー・マイ・スキン」、8「ラック・ビー・ア・レイディ」。いずれもシナトラ・ヴァージョンにはなかった味付けで、今回の独自アイデア。以前から言っていますが、ウィリーの音楽のなかには(カントリーの発祥地たる)アメリカ南部由来のカリブ/ラテン・ビートがしっかり刻印されているんです。

 

(written 2021.7.26)

2021/12/06

エリントンかミンガスかっていう 〜 ロニー・ボイキンズ

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(3 min read)

 

Ronnie Boykins / The Will Come, Is Now

https://open.spotify.com/album/5zIMgrL3ISTvnk9wxXzbIq?si=rKxms-_SRgmRQxUZYUeOQw&dl_branch=1

 

ジャズ・ベーシスト、ロニー・ボイキンズの1975年作『ザ・ウィル・カム、イズ・ナウ』(74年録音)。いままであまり知られることなく50年近くが経過していますけど、なかなか充実したアルバムですよね。

 

ロニー・ボイキンズは1935年シカゴ生まれ、10代のころからベースを演奏しはじめたようですが、50年代なかばからサン・ラとの関係がはじまり、61年楽団に初参加。その後楽団のニュー・ヨーク進出と行動をともにし、サン・ラ・アーケストラの主要メンバーとして活躍した存在です。

 

そのほかサイド・メンバーとしてさまざまなジャズ・ミュージシャンの作品で演奏しているものの、自身のリーダー作は生涯この1975年『ザ・ウィル・カム、イズ・ナウ』一つのみ。それが2021年、復刻されたんですよ、たしか。それでアルバムの存在をぼくも知ったわけなんです。

 

この作品、たぶんサン・ラ色満載ということなんでしょうけれども、サン・ラにいままであまり縁がなかったぼくとしては、デューク・エリントンやチャールズ・ミンガス的な色彩感で満たされていると言いたいできばえで、思わず快哉を叫びます。たいへん好みの音楽ですね。

 

特にミンガス色かな、1曲目から濃いんですが、ボイキンズ自身は随所でアルコ弾きのベース・プレイも聴かせています。ややアトーナルで、手法的にもフリー・ジャズに近いやりかたで演奏されているのが聴きものでしょう。しかしながら中人数編成のホーン陣アンサンブルはしっかりアレンジされていて、統率のとれたアンサンブルを展開します。

 

そんなあたりもエリントンやミンガスのやりかたに近いんじゃないかと思えるこのアルバム、2曲目は大々的にボイキンズのアルコ弾きをフィーチャーした美しくリリカルなバラード。これがアルバムの白眉だと言いたいくらいに感動的で、バラードとしてもミンガスが書きそうな曲との印象があります。

 

エリントンふうなホーン・アレンジで進行する3曲目、4曲目、5曲目と小品ながら好演が続き、アルバム・ラストは一曲目とならぶ長尺12分超えの演奏。それまでとはこれまたイメージの異なるコレクティヴ・インプロヴィゼイションで、しかも全面的にアトーナルなフリー演奏。

 

(written 2021.7.18)

2021/12/05

ビートルズのルーフトップ・コンサート完全版 1969.1.30

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(6 min read)

 

The Beatles / The Complete Rooftop Concert
https://www.youtube.com/watch?v=6Wz75aLsh-w

 

2021年11月末にディズニー+でリリースされ大きな話題を呼んでいるビートルズのドキュメンタリー『ゲット・バック』。各二時間超が全3パートで計七時間以上あるので、(ぼくみたいな)ヒマ人じゃないとなかなか全体をなんどもは観られませんね。

 

ディズニー+は月額990円の映像サブスク・サービス。ビートルズなど音楽ものにしか興味のない人間でも、いったん入会して初回だけ課金してさんざん『ゲット・バック』を楽しんで満足したら、翌月の更新前に退会すればいいだけなので。

 

ぼくは11月26日に入会しましたから、12月27日の契約更新直前に解約するつもりでいて、それまで『ゲット・バック』を心ゆくまで満喫しようと思っています。いや、もうすでに通して一度は観て、その後は気になったり好きな部分を検証しながらなんどか観ています。

 

今回公開されたドキュメンタリー『ゲット・バック』がなんであるか、どういうものかは説明しておかなくてだいじょうぶだと思うので、もしご存知ないという向きはちょちょっとネットで調べてみてくださいね。1970年の映画『レット・イット・ビー』と同一ソースでありながら、充実度はまったく違います。

 

その最大の理由は、やはりかのルーフトップ・コンサートのフル・ヴァージョンがパート3後半(1時間27分目くらいから)に収録されているからじゃないかというのがぼくの見方です。場所はスタジオでセッションを続けていたロンドンはサヴル・ロウのアップル・ビル。トータルで約39分間。

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1969年1月30日のこれが結果的にビートルズのキャリア・ラストのライヴ・パフォーマンスとなりました。同月初旬から延々と続けてきたゲット・バック・セッションは、これへの布石、準備だったんじゃないかと思わせる内容で、『ゲット・バック』七時間のクライマックスと言えるこのルーフトップ・コンサート、完奏されたのは以下の五曲九テイク。

 

1. ゲット・バック(1回目)
2. ゲット・バック(2回目)
3. ドント・レット・ミー・ダウン(1回目)
4. アイヴ・ガッタ・フィーリング(1回目)
5. ワン・アフター 909
6. ディグ・ア・ポニー
7. アイヴ・ガッタ・フィーリング(2回目)
8. ドント・レット・ミー・ダウン(2回目)
9. ゲット・バック(3回目)

 

このうち「アイヴ・ガッタ・フィーリング」(1回目)と「ワン・アフター 909」「ディグ・ア・ポニー」は、アルバム『レット・イット・ビー』に収録されて1970年に日の目を見ていましたし、その後だいぶ経ってからの『アンソロジー』シリーズや『レット・イット・ビー…ネイキッド』にも別のものがちょこちょこ入っていましたよね。

 

通しでのフル・ヴァージョンが公開されたのは今回が初ということで、めでたいかぎり。このルーフトップ・コンサートだけ取り出して単独アルバムとしてリリースすればいいのになと思ったりします。1969年時点でのビートルズ+ビリー・プレストンによる、ダビングいっさいなしの一発生演奏での実力がよくわかりますからね。

 

そう、ビートルズは同世代のロック・バンドのなかでは演奏能力で抜きに出ていたんです。それがよくわかるライヴ・パフォーマンスで、さらにここにはエレピでビリー・プレストンが参加しているというのもサウンドに厚みをもたらす大きな要因になっています。

 

ビリーはもちろんルーフトップ・コンサートの前、1/22からアップル・スタジオでのゲット・バック・セッションに参加していて、音楽面での貢献だけでなく、不穏な緊張感や暗い終末感も強くただよう四人のセッションの緩衝材、いい潤滑油としても機能していたのでした。粘度の高い彼のエレピ演奏が四人を接着しているとも言えます。

 

ルーフトップ・コンサート完全版を聴けば、姿こそほとんど写らないものの、ビリーのエレピあってこその音楽に仕上がっているのもよくわかります。影のMVPと言ってもいいくらいですよね。ビートルズの四人だってイキイキしていて、バンドとして生演奏で音楽をやるという楽しさや喜びがこちらにも伝わってきます。

 

トウィッケナム、アップルとスタジオで続けてきていた1969年1月のゲット・バック・セッション、全体としてはとてもグルーミーで、ポール・マッカートニー発案でのバンド結成当初のああいったころの姿にもう一回戻ろうよ(ゲット・バック)という意図は達成されず崩壊していたというしかないんですが、最後の最後にこのルーフトップ・コンサート完全版が来ることで、すべて救われたような気分になります。

 

(written 2021.12.4)

2021/12/04

リボンの騎士

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(7 min read)

 

写真のようにきのうネイルをやってきましたが(ぼくがやってもらったのはマニキュアじゃなくてジェル・ネイル)、はじめてでした。近場でここがいいなと最初に見つけたネイル・サロンには「男性だから」という理由だけで断られ気分がだいぶ沈みましたけど、施術してくれるお店が見つかって、ほんとうによかった。

 

こういったことは、59歳というぼくの世代と松山という地方都市に住んでいるという二点を考えあわせると、男性向きじゃないとされることが多いです。それでも髪の毛のことなんかは美容室に行く男性もいまやかなりいると思いますが、ネイルはまだまだでしょう。

 

そういうのって、つまるところステレオタイプな固定観念で、ジェンダー偏見だと思うんですよね。男性はこう、女性はこう、と決めつけないでほしいなと心から思います。髪とか肌とか唇とか爪とか服装とか、きれいに整えるのがぼくは好きです、むかしから。男性のなかにだってそこそこいるでしょ。

 

そういえば思い出しましたが、ぼくがはじめて自分用の口紅を買ったのは1988年に就職して間もなくの26歳のころ。なにに使おうというわけでもなく、なんとなくほしくなっただけで、塗って鏡見れば楽しいかなと思ったんですよね。

 

それで、買ってきたリップをひきだしにふだん入れていたんですけど、のちに結婚することになるパートナーと当時すでにつきあっていました。ぼくの留守時に彼女がそれを見つけて、なぜだか大激怒。しばらく口きいてもらえなかったということもありました。

 

いまでこそリップやネイルをおしゃれにしたり、ヘア・ケア、スキン・ケアに気を遣うのが「美容男子」と言われちょっとした流行っぽくなっているかもしれませんが、あのころ1980年代、そんなことしているのはクロスドレッサーとかMtFのトランスとかだけでしたから、ぼくもそうなのかとパートナーは思ったらしいです。

 

パートナーはぼくと同世代にして自由で進歩的な考えかた、発想の持ち主だったんですけど、この手のことだけはあまりピンと来なかったのかもしれません。ぼくはべつに女装したかったわけじゃなく、リップを塗れば気分がいいはず、ストレス解消できるはずと思っただけでした。

 

ネイルの話でいえば、仕事上の実用目的なら男性でも古くから野球選手やギターリストはやりますよね。野球、特にピッチャーは爪が割れたりしますし、ギターリストも自爪でピッキングするスタイルなら同様。爪を補強するついでにワン・カラー塗るということがあったかも。

 

ぼくのばあいは爪の補強にもなるけれどもルックスの快適さを追求しているだけです。それで、ネイルとかリップとかその他美容関係で、世間一般の従来型のというか旧弊な男女観、ジェンダー偏見に沿っていえば、いわゆる「女性」に分類されることをするのがぼくは大好きです。

 

美容関係だけじゃなく、料理や家事一般もほんとうに好きで得意でもあるっていう。でも家事のことはですね、以前料理関係でも言ったようにそれを仕事にしているプロには男性もかなり多いので、性別は関係ないんですけどね。

 

なんというか、どんなことでも世間、コミュニティが押し付けてきたステレオタイプに囚われるのが極度に嫌いな性分ですから、ぼくは、だからジェンダー的なことでもそれでやっています。ヴァレンタイン・デイにはみずからチョコレートを買って仲良しの女性や男性のお友だちに送っています。

 

正直に告白すると、セックスのときなんかでもどっちかというと下になって受け身でいるほうが感じる人間なので、だから男性とするときはウケ(ネコ)にまわることが多いです。それをもって「女性の役割」と言うのもちょっと違うような気がしますけどね。

 

それでも女性のようになりたい、フェミニンな感じにしたいみたいな願望が内心あるのかもしれませんね。性自認にまったく揺らぎがないただのオッサンなのに、これはいったいなんでしょうか。変身願望?たんなるヘンタイ性欲の発露?

 

美容室とかネイル・サロンとか、女子トイレ(には入らないけど)とか、一般的な女性は男性が支配するこの社会から一時的に脱出するための息抜き的な、シス女性だけの「避難所」と考えているかもしれず、ぼくみたいな存在はヤッカイなだけかもしれませんけど。

 

でもでも、ただのオッサンでもリップやネイルなどをきれいに整えるといい気分だ、ウキウキ楽しい、うつでイヤなフィーリングが消えてしまうというのはたしかなこと。わかってくれる女性も多いし、男性でも進歩的な現代感覚のあるひとには共感されます。

 

とにかく、性別関係なくだれでも一度試しにチャレンジしてみればいいんですよ、そうすれば、なぜそんなことをするのか?気持ちが理解できると思いますよ。やってみなきゃ、わかんないでしょ。外野からヤイヤイ言うより、まず体験です。

 

それに歌手とか演奏家、音楽関係者など芸の世界では、むかしから性別をクロスしているひとは多いし、熱心な音楽愛好家であるぼくも長年そんな世界に触れ続けて、その結果似たような発想が染みついたのだとも言えるかもしれません。

 

そもそも、妊娠出産を除き世のなかのたいがいのことは性別関係ないんですからね。

 

(written 2021.12.2)

2021/12/03

ぼくの #Spotifyまとめ 2021

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(3 min read)

 

Your Top Songs 2021
https://open.spotify.com/playlist/37i9dQZF1EUMDoJuT8yJsl?si=2822305742e948c6

 

きょう日本時間の2021年12月2日早朝、#SpotifyWrapped 2021が出ました。毎年この時期に出ているもので、ユーザーの年間聴取歴をAIが分析して、どんなリスニング生活だったかふりかえって表示してくれるというもの。

 

それによると、2021年のぼくは263,498分音楽を聴きました。分単位で言われてもピンとこないなあと思って換算すると、約4,391時間ということで、これはどうやら日本人ユーザーでは第一位らしいです。

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うん、そりゃあねえ、仕事せずどこにも出かけず、朝起きてから深夜寝るまでず〜っと音楽聴きっぱなしの人生で、しかもその99%が(2018年来)Spotifyで、という具合なんですから。世界的にみてもサブスクだろうとフィジカルだろうとこんなに音楽まみれの人間もそうはいないはず。

 

それで、今年最もよく聴いた100曲をその順にAIがプレイリストにしてくれた「Your Top Songs 2021」もできましたので、シェアしておきました。なんだか限られた音楽家をなんどもくりかえし聴いていたんだとわかり、実感とはだいぶ違いますが、データ的にはこうなんでしょうね。
https://open.spotify.com/playlist/37i9dQZF1EUMDoJuT8yJsl?si=2822305742e948c6

 

結果的に今年最も頻繁に聴いたのがチェンチェン・ルーの「ブルー・イン・グリーン」で、これがトップ。再生回数101回で、年末までにもっと聴きますから。チェンチェンはニュー・ヨークで活動している台湾人ジャズ・ヴァイブラフォン奏者で、ブラックなR&Bグルーヴへの傾倒を強く示すミュージシャン。

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トップ五曲がこんな感じ。徳永英明はたしかにわかりますが、岩佐美咲の「初酒」がこんな上位に来ているのは個人的にやや意外です。が、聴いたということなんでしょう。これもですね、全わさみんファンのなかでぼくがトップだと思いますよ、これほどSpotifyで美咲を聴いているというのは。

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Top Artistがマイルズ・デイヴィスなのは解せませんが、う〜ん、そんなに聴いたっけ〜?あ、そうだ、五月ごろ「マイルズを深掘りする」シリーズ全四回を特集して、ブログで書き、プレイリストもつくりました。あのとき集中的にマイルズのトータル・キャリアを聴きなおし、再発見があったのでその後やはり再生するようになったかも。

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これがぼくの今年のTop Artists 5です。実感とはかなり違うんですが。どうしてパトリシア・ブレナンやチェンチェン・ルーが入っていないの?それなりにキャリアのある音楽家が優先されているということかなあ?ちょっとヘン(なのはぼくの実感のほう?)です。

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ただ、Spotifyは曲単位、音楽家単位でしか分析しないので、いつもアルバムで聴いているぼくにはそのへんのふりかえりがわかりにくいというのも事実。というわけで、今年のベストアルバム10は例によっておおみそか発表の予定です。

 

(written 2021,12,2)

2021/12/02

しなやかなオーガニック・セネガル・ポップ 〜 オマール・ペン

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(2 min read)

 

Omar Pene / Climat
https://open.spotify.com/album/0wHn1XdgiZMsBWOcEa32H1?si=xe9Hbf8vSia4gyWh8nxG_A

 

bunboniさんに教えてもらいました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-11-16

 

セネガルの音楽家かな、オマール・ペンの最新作『Climat』(2021)が実にいいですよね。海面上昇などの温暖化問題やテロリズムなど(4と6?)社会的なテーマが取りあげられているそうですがおいといて、もっぱらメロディの陰影、サウンドやリズム、声のトーンがいいなと思うだけ。

 

いかにもなアフリカン・ポリリズムではじまる1曲目から生演奏楽器によるオーガニックなサウンドが心地よく、美しい。アクースティックでオーガニックというのはアルバム全体を通して言えること。ストリング・カルテットも全面的にフィーチャーされていていい味ですが、プロデュースをやったエルヴェ・サンブの手腕なんでしょう。

 

女声バック・コーラスもほとんどの曲で活用されていて、カラフルなアクセントになっていますよね。bunboniさんも書いていますが、ビートが跳ねる曲と重たい曲とがあって二名のドラマーが使い分けられているようなんですが、いずれもぼくには最高ですね。オマールのヴォーカルにも言えることですが、しなやかさ、このひとことに尽きます、このアルバムの音楽は。

 

しなやかさは、同じセネガルなら往年のユッスー・ンドゥールの音楽でも目立った特色でした。はがねのように強靭でありながら決して硬さを感じずむしろ柔軟だっていう、そんなサウンドとビート感が西アフリカン・ポップの黄金時代をいろどっていたと思います。

 

オマールの今作、上でメロディの陰影がいいと言いましたが、たとえばアルバム・タイトル・チューンの4「Climat」とか、やはりセネガルの歌手ファーダ・フレディをゲストとしている8「Lu Tax」。このへんの曲で聴ける独特な翳りというか、やや影が差したようなメロディ展開やサウンドとビート、それはオマールの声にも感じますが、かすかにヨーロッパふうの退廃感に近いかも?というフィーリングすらあって、ぼくはとても好きです。

 

(written 2021.11.28)

2021/12/01

リズムの狂宴 〜 ルベーン・ラダ en 松山公演 2021.11.29

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(4 min read)

 

(参考プレイリスト)https://open.spotify.com/playlist/5ksqCNa52gsYbkKSNW6eR5?si=101ea88e9dee4f0f

 

第一部
1. Aye Te Vi
2. Candombe para Gardel
3. Don Pascual
4. Quén Va a Cantar
5. Chão da Mangueira
6. Dedos
7. Antídoto
8. Santanita
9. Candombe para Figari
10. Don’t Stop el Candombe

第二部
11. Cuesta Abajo
12. Corazón Diamante
13. Malísimo
14. Blumana
15. Shimauta
16. Montevideo
17. Cha-cha, Muchacha
18. Muriendo de Plena

アンコール
19. No Me Queda Más Tiempo

 

打楽器奏者だけで全五名(ルベーン、ドラマー、パーカッショニスト三名)というステージ上のバンド編成を見ただけで、この日の音楽がどんなものになるか予想がつきましたが、はたしてそのとおりのリズムの狂宴でしたね、ルベーン・ラダ(ウルグアイ)の松山公演。

 

実際、どの曲も激しいカンドンベ・ビートのオンパレード。なかにはサンバ、ロック、タンゴなども一曲づつやってはいて、カンドンベでもちょっとおとなしめというか静かでしっとりしたバラード調の曲ももちろんありましたけど、ルベーンの本領はどこまでも続くダンス・ビートの祭典。

 

幕が開いた1曲目からいきなりルベーンはカンドンベ・ビートにあわせた例の手拍子(3・2クラーベ、ボ・ディドリーと同じやつ)を客席に要求。客だってこんなに楽しければ文句なしといった様子で喜んで応じ、オープニングからステージと客席は一体となりました。

 

ダンス・ナンバーでは例外なくルベーンは客席にカンドンベ手拍子をうながしましたので、この日の松山市民会館大ホールは開幕から終演までほぼずっとみんながバンドにあわせてリズムを刻んでいたというに等しい状態でした。立ち上がって気がふれたように踊っている客だって第一部からちらほらいましたよ。

 

そりゃあそうですよ、五名の打楽器奏者が織りなすあんな強烈でカラフルなダンス・ビートには自然と腰や膝が動きます。こういったことはルベーンの音楽の本質であり、また今回の初来日公演で彼が最も強く目論んだことに違いありません。

 

もちろんじっくり歌や演奏を聴かせるパートや曲もありました。特に娘フリエタが歌った三曲はどっちかというとヴォーカル・ナンバーで、またギターリストの息子マティアスの超絶技巧もきわだっていました。マティアスは両部で一曲づつトーキング・モジュレイターを駆使して弾きまくったんですが、いやあ、カァ〜ッコよかったなぁ!

 

そうそうギターといえばですね、サンタナに捧げられたインストルメンタル「サンタニータ」ではマティアスのギターを全面的にフィーチャーしていて、音色までカルロス・サンタナそっくりにチューン・アップして、濃厚かつ饒舌に弾いていたのが印象的でした。

 

第二部では日本の「島唄」(宮沢和史)のスペイン語ヴァージョンも披露。これってアルゼンチンでちょっとヒットした曲なんですよね。サビの部分でギターが裏拍で刻んでややレゲエっぽい感触になる以外、これもカンドンベ・アレンジになっていました。

 

「島唄」が終わったら、そこから終演までの三曲はもうぼくをふくめ客席だってみんな踊りまくるという興奮のるつぼ。三曲とも強烈なダンス・ビートの連続で、生でカンドンベを聴いたのは初めてでしたが、ここまでとはねえ、録音されたアルバムで聴いていてもわからなかったことです。

 

約二時間のステージ・トータルでみても伴奏が五名の打楽器だけになるパートがけっこうあって、+複数のヴォーカルというテクスチャーのカラフルさ、躍動感を現場で耳にすると、カンドンベのアフリカン・ルーツをまざまざと見せつけられる思いでした。

 

(written 2021.11.30)

2021/11/30

おっちゃんの使っている「国産」パソコンも外国製なんやで

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同じわさみん(岩佐美咲)ファンとしてときどきネットでやりとりしたり現場で会って仲良くしている岡山のおっちゃんがいるんですけど、59歳のぼくよりだいぶ歳上みたいで、見た目70越え?

 

そのおっちゃんの言うには「パソコンでもスマホでもなんでも俺は国産しか使わない、外国製なんて考えられへん」っていうことなんですね。iPhoneがどうたらってわさみんがよく言うからだと思います。この手のことは2014年に亡くなったぼくの父も言っていました、「なんでも国産がいちばんだ」と。

 

たしかに企画発案、部品から組み立て、営業、販売までトータル日本国内で完結しているという時代があったかもしれません(昭和?)。しかしいまではどんな商品でも、特に家電とかパソコン、スマホなどのデジタル・ウェアなら、国産/外国産の別を言う意味はなくなりました。

 

たとえば上で掲げた写真、いまぼくが使っているパソコンMacBook Airの底面にある刻印ですが、ごらんのとおりデザインはカリフォルニアのApple社だけど組み立ては中国で行われています。Apple製品はMacもiPhoneもiPadもいまやすべて中国製。でもAppleはアメリカの会社です。

 

デザインがアメリカで、アセンブリーが中国だけど、なかに使われている部品は台湾製だったり日本製だったり韓国製だったりシンガポール製だったり。つまりミックスで、要するに多国籍なんですよ。一国純粋なんて、どんな商品でも21世紀の現在ではありえません。

 

部品から組み立てからなにからなにまで日本でやっているというパソコンやスマホなんて、日本のメーカーでも、もうないんじゃないですか。かりにあったとしてもOSはマイクロソフト(アメリカ)のWindowsや、Androidが走るんでしょ。国産OSなんてパーソナル・ユースでは使われませんからね。

 

会社や工場で働いているひとたちもいろんな国から来ているというのが現状ですしね。ぼくは着るものをよくUNIQLOショップで買いますが、UNIQLOは日本の会社であるものの、タグを見ると「ベトナム製」になっていることが多いです。原材料は中国の新疆綿を使っていたりしますし。

 

以前もヴァイブラフォン奏者チェンチェン・ルー関連で言いましたが、レコードやCDといった音楽物体商品も「どこ国盤」ということにこだわるのが無意味になってきています。歌手や演奏家が国境をまたぐようになっているだけでなく、盤の原材料はここ、プレスはまた別な国、それを輸入してぜんぜん違う国で売るとかだから、音盤の国籍にこだわる意味は消えました。

 

アメリカのメイジャー・リーグで活躍する野球選手の大谷翔平は日本生まれの日本人で東アジア系黄色人種だけど、仕事はだからアメリカでしていて、アメリカに納税しているはず。テニス選手の大坂なおみは日本生まれの日本とハイチの混血で、肌は褐色のバイリンガル。大坂もまたアメリカを拠点にしていて、ある時期に国籍は日本を選択しました。

 

パソコンやスマホで言えば、いちおうAppleはアメリカの会社、東芝とかNECとか富士通とかシャープとかは日本の会社だというんで「アメリカ製」「日本製」と言ってはいますけど、上で書いたように実態は多国籍なんだから国別で分けるのはあんまり意味がないなと思います。

 

「俺は国産しか使わない」が信条の岡山のおっちゃんの使っているパソコンだって、どこのメーカーのものか知らないけど、中身の部品製造や組み立てはですね、おそらく、どこか外国でやっている可能性が高いと思いますよ。

 

演歌しか聴かない、演歌ひとすじらしいけど、そのおっちゃんは。演歌も純日本産音楽なんかじゃなくって、西洋クラシック音楽や米英ロックやラテン・ミュージックから大量に流入しているんですから。メイド・イン・ジャパンとか純国産、純血主義へのこだわりって、いったいなんなんでしょうね。

 

(written 2021.11.29)

2021/11/29

現代的ビート感で甦ったパーカー・クラシックス 〜 SWRビッグ・バンド

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The SWR Big Band / Bird Lives
https://open.spotify.com/album/3OQ9cYWP2yK3zaTUNXzD2f?si=LboRypUzS2uPeLjXy1nK4w

 

lessthanpandaさんのブログで知りました。
https://musica-terra.com/2021/11/13/swr-big-band-bird-lives/

 

シャープな高速4ビートに現代ジャズの可能性があると教えてくれたのは『ナイト・パッセージ』(1980)以後のウェザー・リポートというかジョー・ザヴィヌルでした。2021年になってそのことがまた一個結実したような作品が出ましたよ。

 

ドイツの名門、SWRビッグ・バンドの新作『Bird Lives』(2021)のこと。これはアルバム題どおりバードことチャーリー・パーカーへのトリビュートで、昨2020年のパーカー生誕100周年にあわせて企画されたものみたいです。

 

それでパーカーの自作&愛奏曲を集めて、現代的に再解釈し演奏したもの。ゲスト・ソロイストとしてスウェーデンのサックス奏者、マグヌス・リングレンが迎えられ、またアレンジをジョン・ビーズリーが担当しています。ビーズリーはマイルズ・デイヴィス・バンド在籍歴(1989)があるため、ぼくなんかには忘れられない鍵盤奏者。

 

1曲目の「チェロキー」と「ココ」のメドレーというか合体から快速調で飛ばすフィーリング。これですよ、これ、この4ビートの感覚が2021年においてコンテンポラリーだなと思うんですよね。同じ高速4ビートでも、ビ・バップの1940年代ものとはシャープさが違っていることに気づくはず。

 

それで、念のため、前にも一度くわしく書いたことをくりかえさなくてはなりません。「チェロキー」を下敷きにした「ココ」もそうですが、1940年代のビ・バップ・オリジナルに古いスタンダード曲のコード進行だけ借りてきて別なメロディを乗せるものが多かったのは、当時二度のレコーディング・ストライキがあったせいです。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/v--146c.html

 

一度目は1942年8月~44年11月、二度目は48年1月~12月、いずれも著作権料の値上げなどの理由でAFM(アメリカ音楽家連合会)が起したストライキで、このためその期間、ミュージシャンたちはAFMが管理している楽曲を使うことができませんでした。

 

コード進行だけなら著作権がないため、ジャズ・ミュージシャンならだれでも知っているスタンダード・ナンバーをセッションで演奏したい際、そのメロディはレコーディングできないのでコード進行だけそのまま使って、その上にアド・リブで別なメロディを乗せ、それをテーマにして、それを「新曲」としてあらたに版権登録したんです。もちろん、新しい時代には新しいメロディを、という音楽的な要請もあったでしょうけど。

 

今回のSWRビッグ・バンドの『Bird Lives』に収録されている曲でいえば、1「ココ」だけでなく、たとえば6曲目「ドナ・リー」(はマイルズ作だけど、版権登録をパーカーでやったのは会社のミス)も「インディアナ」のチェインジにもとづいているものですね。ビ・バップ・ナンバーには多いんです。レコーディング・ストライキのせい。

 

アルバムには現代的な高速4ビート解釈だけでなく、ちょっとメカニカルっていうかコンピューターを使った打ち込みっぽいデジタル・フィールなビート感を聴かせるものがけっこうあります(2、3、5、6)。もちろんSWRビッグ・バンドは人力生演奏ですが、でもたとえば6「ドナ・リー」なんかはこれ、冒頭からたぶんビート・ボックスを使ってありますよね。『暴動』でスライ・ストーンが使ったようなやつ。

 

だから「ドナ・リー」にかんしてだけはマシン・ビートだとも言えるんですが、パッとすぐに人力演奏ドラムスも入ってきて、合体します。この手のマシン+人力生ドラムスを並行共演させるというのも、ウェザー・リポートが『ドミノ・セオリー』(1984)や『スポーティン・ライフ』(85)で、オマー・ハキムを使って、最初に示した方法論です。

 

そこからだいぶ時間が経ちましたが、ヒップ・ホップなビート感覚も(打ち込みではなく)演奏で表現できるドラマーなどが出現するようになり、ジャズの4ビート・フィールが刷新されたようなイメージがあります。主に21世紀に入って以後あたりからかな。

 

そんな現代ビート感を、SWRビッグ・バンドも今回の『Bird Lives』でかなりはっきり示していて、そのおかげでパーカー・クラシックスがいまの時代のリスナーに違和感なく受け入れてもらえそうな感じに生まれ変わっているんじゃないかというのが、今作を聴いてのぼくの正直な感想です。

 

(written 2021.11.27)

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