2019/12/06

とあるジャズ・ファンク・ライヴ(夢)

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現実に存在しない音楽の話をときたましますけど、今日もまた今朝方の夢のなかに出てきた音楽のことを書いておきます。そうせずにはおれないほど鮮烈な内容でした。それはなにかのライヴ盤で、夢のなかでぼくはその CD ジャケットを眺めながらそれをかけて、すさまじい内容に感動しきりだったんですね。その夢の音楽は、なにかソウル・ジャズ〜ジャズ・ファンクっぽいライヴでした。

 

編成はたぶんトランペットとテナー・サックス入りのクインテット。ストレート・ジャズとジャズ・ファンクの中間のような内容だったと思いますから、たとえばリー・モーガンの『ライヴ・アット・ザ・ライトハウス』(のラストの「ザ・サイドワインダー」とか)みたいな、そんな演奏でした。とにかくトランペットとサックスのソロが長尺で、しかもめっちゃ熱く盛り上がり、さらに(特にサックスのほうかな)トグロを巻くようにまがまがしいソロだったんですね。
https://open.spotify.com/track/7lA14iZss8k35hAllPl3LK?si=ATu5zDmiRWSWgkGuwI5x7A

 

その夢で見た音楽はこの世のものではありませんから、いまぼくはとりあえずリー・モーガンの『ライヴ・アット・ザ・ライトハウス』を聴きながらこれを書いているんですけど、これのサックスはベニー・モウピンですね。でもぼくが見た夢のなかのサックス奏者は、たぶんローランド・カークが演奏するような、そんな内容に近いものだったように思います。

 

夢に出てきた CD ジャケットがこりゃまた印象的だったんですが、こまかいことはもう忘れてしまいました。まるでジャズ喫茶がそうするように、ぼくもそのジャケットを掲げて眺めながら聴いていたんですね。1970年代にはあんな音楽がジャズのなかにたくさんあったなと思うんですけど、ホントどうして今朝の夢にあんなファンキーで熱い演奏が出てきたんでしょう?

 

それどほまでにぼくはあんなふうなジャズ・ファンクのライヴが好きなんでしょうか?夢のなかでは特にサックスですね、延々とまるでジョン・コルトレインがライヴ演奏でそうだったように長尺の激しいソロを吹きまくり、しかしフリー・ジャズではなくリズムはファンキーでタイトでした。ジャズ・ロックにも近いようなそんなビートに乗って、そのサックス奏者がすばらしくファンキーなソロをくりひろげるのを、ぼくは興奮しながら聴いていたんですね。

 

とにかく目の覚めるような(といっても寝ていたんですけど)音楽で、夢のなかではぼくだけでなくその場で耳にしたみんなが(ということはぼくはどこにいた?)「このすごいのはなんだ?!」といった顔でジャケットを見つめたり手にとったりしていたんですね。あんなにも激しく熱いソロ演奏を聴かせるジャズ・ファンクのライヴ盤って、この世に現実に存在するのでしょうか?一度聴いてみたいという(コルトレインがやるようなものを)強い願望が夢となって出現したんでしょうか?

 

(written 2019.11.26)

2019/12/05

ウィルソン・モレイラの遺作は、みんなで歌うサンバ

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https://open.spotify.com/album/5id4Bt8NzmFc97giLv9S36?si=npeLeuxeQ7KgzB8EWOOMlg

 

ブラジルのサンバ歌手、ウィルソン・モレイラの『Tá Com Medo Tabaréu』(2018)。遺作だとのことです。ウィルソンはこんな感じで、はっきり言ってヨボヨボで力もなく、声に張りもありません。だから主役のヴォーカルに集中すると、聴けない作品ということになってしまいますが、約35分のこのアルバムを通してあんがい悪くないなと思えるから不思議です。

 

あんがい悪くないと思える理由ははっきりしているでしょう。それはなるべくウィルソンの歌に耳が行かないようにアレンジされているから。特にヴォーカル面では大編成コーラス隊がかなり活躍していて、ウィルソンがちょっと歌うとコーラス(ぜんぶユニゾンかな、これは)が出るとか、そもそもコーラス・メインでアルバムが進むように工夫されていますよね。

 

おかげでヨボヨボなウィルソンの声だけ聴いてがっかりするという結果になりにくいと思うんですね。こうした「みんなで歌う」サンバというのは、この音楽ジャンルの伝統のひとつでもあるわけで、特にカーニヴァル・サンバですかね、こうやってほぼ全編が大編成ユニゾン・コーラスで進むという具合なのは。だから、ウィルソンのこの遺作でも、その伝統にのっとっただけという見方もできます。

 

伴奏のアレンジもいいですよ。弦楽器+パーカッション(&ときおり管楽器)という編成ですが、弦楽器ではカヴァキーニョがサウンド形成の中核を担っていますよね。この小型のウクレレみたいな楽器の奏でるちょっぴり甲高い音色での刻みがなんともいえず心地いいです。打楽器はパンデイロとスルドと、たまにクイーカかな、それもサンバの伝統マナーですね。

 

どこまでも土くさい伝統サンバなんですが、この遺作は、年老いてもう声に力のなくなったウィルソンを囲むみんなが力を合わせて主役を盛り立てて、パワー不足を補って、みんなで歌いみんなで演奏するコミュニティの芸能を聴かせてくれるところ、この作品にサンバ・コミュニティの真髄を聴くような気がします。

 

(written 2019.11.18)

2019/12/04

フェラ・クティとロイ・エアーズの共演盤

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https://open.spotify.com/album/0MBoCqtaNMo5av80u0YqqT?si=LeQhfO_xQjCUzQcvep97Og

 

フェラ・クティとロイ・エアーズ1979年の共演盤『ミュージック・オヴ・メニー・カラーズ』。これ、Spotify のだと1曲目が「2000 ブラックス・ガット・トゥ・ビー・フリー」ですけど、ナイジェリア盤レコードだとどうやらこれが逆なのかもしれないですよね。レコードでは「アフリカ - センター・オヴ・ザ・ワールド」が A 面だったんじゃないでしょうか。どうしてひっくりかえしちゃったんでしょう。

 

それはいいとして、このアルバム、1990年代的レア・グルーヴの香りもプンプンと立ち込めていますよねえ。ぼくは Spotify のでしか聴いていませんから、A 面 B 面のことが(ひっくりかえっているのか?とかも)わかりませんので、Spotify にあるのにそのまま沿って話をしますが、まず1曲目の「2000 ブラックス・ガット・トゥ・ビー・フリー」ではロイ・エアーズが主役のようで、歌っているのもロイです。

 

フェラが自身の名前を冠したアルバムで、ここまでゲストを立てているのはなかなか珍しいことじゃないでしょうか。そもそもこのときロイはフェラのライヴの前座をやるべく自分のバンドを引き連れてアメリカから飛んできたわけで、1979年といえばロイも立派に自身のキャリアを築いていましたし、フェラもそんなことでここまでロイをフィーチャーしているのかもしれないですね。

 

この1曲目はロイのバンドとフェラのバンドの合体演奏で、しかもなんだかディスコ調に近いですよね。ロイはちょうどこのころそんな音楽に接近していたし、この曲はロイ主導ということでこういった感じになっているんでしょう。テナー・サックス・ソロはフェラではなく、ロイのバンドのハロルド・ランドみたいです。1曲目ではフェラの音楽っぽいところが薄いかもしれません。同じフレーズをくりかえすコーラス隊はフェラのバンドのひとたちでしょうけど。ぼくとしてはジャズ・ファンクと言いたいところ。

 

そこいくと、2曲目に来てフェラが主導の「アフリカ - センター・オヴ・ザ・ワールド」になればおなじみのアフロビートになるので安心というか、フェラの音楽としては落ち着く感じです。2曲目では歌もサックス・ソロもフェラのものでしょう。ロイのバンドからはボスのヴァイブラフォンとハロルド・ランドのサックスだけ参加している模様。そしてフェラはここでもロイにどんどん弾かせていますよね。

 

これはなかなか珍しいことだと思います。ふだんどおりのアフロビートをやるフェラのバンドの演奏でヴァイブラフォンがこんなに目立つのは、ぼくはこのアルバムでしか聴いたことがありません。アフロビート+ヴァイブ、このおかげでかなりジャジーな雰囲気も漂っていますし、ふだん聴けないフェラということで、かなり異色ですね。

 

歌詞は二曲とも黒人とアフリカを賛美したみたいな内容で、音楽的には1曲目がディスコ調だったりはしますが、延々と反復されて次第にアフロビートに傾くというか融合していって、聴き手の感覚が麻痺していくような感じに聴こえなくもないし、2曲目もテナー・ギターのヒプノティックな響きを背景にロイのヴァイブがクールに決まっていて、こんなアフロビートもほかでは聴けないっていう、なかなかおもしろい一枚じゃないでしょうか。

 

(written 2019.11.19)

2019/12/03

ジャズって小粋で洒落たポップ・ミュージックなのだ 〜 ジェフ・ゴールドブラム

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https://open.spotify.com/album/1EMMlBhECxqCcuEjSvMw0N?si=UnGpM9aKRlW1oZO4iVIDqQ

 

萩原健太さんの紹介で知りました。
https://kenta45rpm.com/2019/11/06/i-shouldnt-be-telling-you-this-jeff-goldblum/

 

ジェフ・ゴールドブラムといえばみなさんご存知の有名俳優ですが、なんとジャズ・ピアノの腕前のほうも一流だったとは、ぼくはついこないだまで知りませんでした。二作目になるらしい『アイ・シュドゥント・ビー・テリング・ユー・ディス』(2019.11.1)がすっかりお気に入りになっています。ミルドレッド・スニッツァー・オーケストラとの共演。ジェフはお父さんがエロール・ガーナーの大ファンだったそうで、幼少時分からジャズに接してきたらしいです。

 

アルバム『アイ・シュドゥント・ビー・テリング・ユー・ディス』にはインストルメンタル・ナンバーも三曲あります。ハービー・ハンコックの「ドリフティン」、ジョー・ヘンダスンの「ザ・キッカー」、ジミー・スミスの「ザ・キャット」。ジェフは決して弾きまくらず、どっちかというと脇役にまわっているような感じで、短いソロもとるんですけど、ほかの楽器奏者が演奏している時間がずっと長いです。

 

しかしこれらはこのアルバムのなかでは例外かも。ほかの曲はすべてヴォーカリストをフィーチャーしていますから。ラスト11曲目ではジェフみずから歌っていますがそれはいいとして、ほかは名のある歌手を招いていますよね。個人的な印象としてはヴォーカル・ナンバーで小粋にまとめるスウィンギーさが、このアルバムやジェフの持ち味なんじゃないかと思えます。

 

なかでも器楽曲と歌ものの合体が三つあるでしょう。「ザ・サイドワインダー/ザ・ビート・ゴーズ・オン」「ジャンゴ/ザ・スリル・イズ・ゴーン」「フォー・オン・シックス/ブロークン・イングリッシュ」。これら三つこそこのアルバムの目玉ですね。なんて楽しいのでしょうか。しかも小粋で小洒落てて、(アルバム全体も)ラウンジ・ミュージックふうですけど、かつてのジャズとはそんなものだったことを思い出させてくれます。

 

これらの合体曲、器楽演奏部分はいずれも超有名ジャズ・オリジナル、歌のほうはそうでもないポップ・ナンバーというところに注目したいです。この合体のアイデアとアレンジがジェフのものなのか、それともプロデューサーやアレンジャーの発案なのかはわかりませんが、実にスムースにつながっていて、違和感ゼロですよね。ジャズ・オリジナルとポップ・ナンバーがこんなふうに合体できるのは、考えてみたらあたりまえですけど、しばしば忘れられがちだったり、あるいは否定されたりすることだってあるんじゃないですか。

 

ジェフらがやっているこうした合体は、ジャズもポップスも本当は違いなんてない、ひとつながりのものであって、こうやって工夫すればなんの違和感もなく融合できちゃうよという、ジャズ・ミュージックのかつてのというか(ロックが出現する前までの?)本来の姿を思い出させてくれているんじゃないかと、ぼくは考えています。そう、ジャズってアメリカン・ポップ・ミュージックの保守本道を歩んでいた音楽だったんですよね。

 

(written 2019.11.17)

2019/12/02

アメリカの音 〜 バンダ・ブラック・リオ

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https://open.spotify.com/album/0VHDhU0LmpSaikzQZZHEX2?si=84Oi0EPKRrentRi2IynN0g

 

これは今年夏ごろのリリースでしたっけ、バンダ・ブラック・リオ(ブラジル)の新作『O Som Das Américas』(2019)。アルバム題を直訳すれば「アメリカの音」となりますけど、このばあいのアメリカとはアメリカ合衆国のことではなく、南中北米を総合した意味での「アメリカ」ということなんでしょう。つまり汎アメリカンなサウンドを目指したということでしょうか。Américas と複数形になっていますからね。

 

しかしながら実際にこのアルバムを聴くと、かなりアメリカ合衆国のブラック・ミュージック寄りの音楽だなとわかります。そこにすこしブラジル成分を足したという、そんな感じではないでしょうかね。だからここでいうアメリカズとはアメリカ合衆国とブラジルということで、それ以外のアメリカン・ミュージック要素はとくに見当たりません。

 

でもこれは、だからな〜んだ、っていうことじゃなくて、聴くとけっこう楽しい音楽なんですよ、このアルバム。豪華なゲストを大勢迎えてやっていますけど(いちばんの大物はジルベルト・ジルとカエターノ・ヴェローゾか)、そんなにぎやかさもいいし、腰が動きそうなボトムスに支えられたファンキー・ビートも愉快です。

 

このアルバムを聴いていちばんこれがあるなと思うのは、ちょっと古くさいんですけど、アメリカ合衆国でかつて人気だった(1980年代ごろだっけ?)ブラック・コンテンポラリーのサウンドです。アルバムの全編がほぼそれで貫かれていると言いたいくらい、はっきりと聴けますよね。だから、2019年にリリースするにしては時代のレレヴァンスがないんですけど、それはそれこれはこれとして、聴いたら楽しいからいいんじゃないかっていうのがぼくの考えです。

 

けっこうジャジーな要素もありますよ。たとえばレオ・ガンデルマン(サックス)を加えてやっている4曲目がそう。これはインストルメンタル・ナンバーですが、冒頭からのピアノとエレベのユニゾンで突き進むアレンジはなかなか聴かせますよ。スティール・パンみたいな音も聴けます。ジャジーというかフュージョンっぽいんですけど、こんなところもアメリカ合衆国音楽的。

 

そうかと思うと、続く5、6曲目はそれぞれジルとカエターノを迎えてブラジル音楽をポップに展開しているし、特にカエターノが歌う6曲目とセサール・カマルゴ・マリアーノが歌う17曲目がボサ・ノーヴァふう MPB でブラジル要素が濃く出ています。さらにサンバ・ルーツの MPB 的なものだってあるし、でも全体的にはブラック・コンテンポラリーっぽいっていう、ちょっとおもしろいアルバムです。

 

(written 2019.11.16)

2019/12/01

シカゴ・ブルーズなビッグ・ママ・ソーントン

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https://open.spotify.com/album/2lpWAoHgTroLmD8eCeF6l5?si=luHmkef9R3qSgOZyygXacA
(オリジナル・アルバムは10曲目まで)

 

ビッグ・ママ・ソーントンは1950年代がピークだったと思いますが、ここにマディ・ウォーターズ・ブルーズ・バンドをしたがえて歌った1966年の録音があります。アルバム題はなんの変哲もない『ビッグ・ママ・ソーントン・ウィズ・ザ・マディ・ウォーターズ・ブルーズ・バンド』。これがなかなか悪くないんですね。ちょこっとだけ感想を書いておくことにします。

 

ブルーズ聴きにはもちろんマディのほうが認知度高いでしょうけど、先にヒットしたのはジョニー・オーティス楽団時代のビッグ・ママ・ソーントンのほう。だからマディのバンドをしたがえて歌うっていうセッションが実現したんでしょうね。といっても1966年といえばビッグ・ママもマディも人気が落ちていた時期。だからその両者で組んで、またもう一発みたいな願望があったかもしれません。

 

この両者の1966年共演、ビッグ・ママが歌っているのは大半が自分で書いた曲のようですが、それでも伴奏のマディ・バンドの演奏は66年当時の完璧なシカゴ・ブルーズ・スタイルですよね。ブギ・ウギ・ビートの効いたアップ・テンポ・ジャンパーや、ゆったりとたたずむようなスロー・ナンバーはまるでとぐろを巻くような、黒い水たまりのようです。主役の歌も実にいい。

 

そしてビッグ・ママの歌は、ときどきソウルフルにも響きますよね。ソウル・ナンバーに近づいているものがこのアルバムには数曲あるように思えます。たとえば三連のストップ・タイムが使ってあるせいか4曲目の「ライフ・ゴーズ・オン」とか、またこれもバンドの演奏するリズムのためなのか7曲目の「ギミー・ア・ペニー」なんかもソウルっぽいですね。

 

こういったことは、ビッグ・ママがもともとピュア・ブルーズというというよりもリズム&ブルーズの歌手だったことにも起因するかもしれませんが、ぼくの聴くところそれ以上に時代が関係しているんじゃないかと思うんです。1966年でしょ、新興音楽ジャンルであるソウルが人気を獲得しつつありました。シカゴ・ブルーズ・シーンでも新世代はソウル寄りの音楽性を発揮しはじめていたころですからね。

 

とはいえ、このアルバムを聴いて、いちばん目立っているのはたとえばオーティス・スパンのピアノでしょうけどそれを聴くと、やはりまごうかたなき完璧なシカゴ・ブルーズに違いない、ビッグ・ママのヴォーカルもそれに接近しているなとは感じるんですけどね。それにくわえ、ジェイムズ・コットンのアンプリファイド・ハープが聴こえますから、もう文句なしのシカゴ・ムードです。

 

ビッグ・ママ・ソーントンは、戦後にシカゴ・ブルーズが確固たるスタイルを確立していくのとは関係なく歌い、人気となり、曲も有名になった歌手ですけど、このアルバム『ビッグ・ママ・ソーントン・ウィズ・ザ・マディ・ウォーターズ・ブルーズ・バンド』を聴けば、そんな歌手でも包摂してしまうほどの魔力を1960年代のシカゴ・ブルーズは持っていたんだなと納得します。

 

なおバンドのボス、マディ・ウォーターズもギターで参加とのクレジットはありますが、そんなには目立っていませんね。

 

(written 2019.11.14)

2019/11/30

このウェイン・ショーターとアート・ブレイキーは、ものすごくすごい!〜ジャズ・メッセンジャーズ『フリー・フォー・オール』

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https://open.spotify.com/album/1iYuqmkhvfNCTpo94ZjVuY?si=EYj3zT9EQtyWcZhhsJ439Q

 

これ、いったいどうしちゃったんだ?!アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズのアルバム『フリー・フォー・オール』(1964年録音65年発売)、ものすごいじゃないか!こんなジャズ・メッセンジャーズ、聴いたことないですよ。いままでずっと長年このアルバムのことを知らずに来て、ついこないだはじめて聴いたばかりなんですけど、これ、ジャズ・メッセンジャーズ最高傑作じゃないかなあ。いやあ、すごいすごい!!

 

アルバム『フリー・フォー・オール』では1曲目「フリー・フォー・オール」と3曲目「ザ・コア」がアホみたいに鬼すごいので、この二曲だけを聴いたので OK と思います。んでもっていちばんすごいのがウェイン・ショーターのテナー・サックス・ソロ。これ、いったいどうしちゃったんでしょう?まるでジョン・コルトレインそのものじゃないですか。1964年のトレインがジャズ・メッセンジャーズで吹いたらかくありきと思わせる壮絶さ。マジどうなってんのよ、このウェインは?

 

ウェインがあまりにすんごいもんで、引っ張られてかボスのアート・ブレイキーも鬼の形相で叩きまくっているじゃないですか。「フリー・フォー・オール」でも「ザ・コア」でも、これはもうブレイキーのドラミングじゃないです。1964年ならちょうどトニー・ウィリアムズがマイルズ ・デイヴィス・バンドでこんな演奏を展開していましたが、『フリー・フォー・オール』のブレイキーはトニーそっくりなパルス感覚の自在なドラミングを展開しているように聴こえます。

 

「フリー・フォー・オール」も「ザ・コア」もいちおう定常ビートがあるものの、ブレイキーのドラミングはそこにとどまることなく、絶え間なくオカズを入れ続け、というかはみ出すばかりで、もはや4/4拍子を(たとえばハイ・ハットやシンバルで)キープしようなんて気持ちはさらさらないみたいですよね。かなりフリーなドラミング・スタイルに近づいているといえるでしょう。

 

そのほかサイド・メンではフレディ・ハバードは当時の新世代ジャズ・トランペッターなのでこれくらい吹けても不思議じゃありませんが、守旧派トロンボーンニストのカーティス・フラーまでこんなに鋭角に尖ったソロを演奏できちゃうなんて、これが化学反応ってやつですかね。すべては曲を書き音楽監督をやってアホみたいにフリーキーに吹きまくるウェインと(「ザ・コア」はハバードの曲だけど)、それにインパイアされたボス、ブレイキーのぶっ飛んだドラミングのおかげです。

 

いやあ、それにしてもアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの『フリー・フォー・オール』、なんど聴いても1曲目と3曲目がすごい、すごすぎる!こんなのなかなか聴けませんよ〜。なかでも特にウェイン・ショーターがね、このひともっとこうクールなスタイルの持ち主とばかり思っていましたが、とんでもない、ここでは激アツも激アツ、フリーキー・トーン連発で、沸点200℃くらいで煮え立っています。いやいやあ、これはすごい。こんなの聴いたことありませんよ。ビックリ仰天です。

 

(written 2019.11.13)

2019/11/29

マイルズが休んで、新主流派ができあがる

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https://open.spotify.com/playlist/38b3oUWLMqcEaJ6puqlnhZ?si=k_RUVxcFQei0kMogV01Jjw

 

最近は新主流派と言わず、ポスト・バップって呼ぶんですかね、英語圏では。アメリカではむかしまた違った名称があった気がしますが、いまやもうすっかりポスト・バップの呼称で定着したような感のある(ぼく的には)新主流派ジャズ。今日のこの文章ではどうしましょうかね、やはり長年慣れ親しんだ新主流派という呼び名でいくことにしましょうか。ぼくのなかでは新主流派とポスト・バップは同じものです。

 

新主流派(ポスト・バップ)とは、(主に)1965年ごろから60年代後半にかけて、ブルー・ノート・レーベルを舞台に、ハード・バップから一歩進んだ新感覚の若手ジャズ・メンがどんどん録音した(フリー・スタイルではない)メインストリーム・ジャズのこと。一般にハービー・ハンコックやウェイン・ショーターやフレディ・ハバードやマッコイ・タイナーやといったひとたちに代表されるのではないでしょうか。

 

以前も一度チラッと触れたんですが、こういった新主流派ジャズが1960年代なかばに台頭した背景には、65/66年のマイルズ・デイヴィスの休養という事情があったのではないかというのがぼくの見方なんですね。前64年秋にウェイン・ショーターを迎えニュー・クインテットとなり、65年1月にひさびさの本格スタジオ作『E.S.P.』を録音したにもかかわらず、マイルズは股関節痛の悪化で手術などすることになり、同年いっぱいは入退院をくりかえし、年末までいっさいの活動を休止していました。翌66年もあまり活動せず。

 

マイルズのアルバム『E.S.P.』や次作1966年録音の『マイルズ・スマイルズ』を聴けば、いわゆる新主流派ジャズがそこにあるのは明白です。そもそも新主流派とはアイラ・ギトラーが『マイルズ・スマイルズ』に寄せて考案した名称(new mainstream)ですしね。マイルズ個人はビ・バップ時代から活躍しているジャズ・マンですが、その後の時代の変展にあわせてバンドでやる音楽も刷新してきました。

 

そして1963年にハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズという新しいリズム・セクションを雇ったのがさらなる新時代のはじまりでしたよね。63年当時はまだまだハード・バップの枠内にあったかもしれませんが、その後ウェイン・ショーターがくわわって『E.S.P.』を録音したころには、マイルズ・バンドも新感覚の新時代ジャズへと舵を切っていました。

 

そんなスタジオ最新作も完成し、さあこれから!といった1965年冒頭、いきなりボスが休養することとなり、復帰のメドも立たないといった状態におかれてしまいましたので、サイド・メン四人はかなり困ったはずです。なにより四人ともまだ若く、創造意欲にあふれた清新な秀才でしたから、相当な欲求不満がたまったのではないでしょうか。

 

そんな欲求不満を解消する場となったのが、ブルー・ノート・レーベルだったんです。ウェイン、ハービー、ロン、トニーの四人に録音の機会をどんどん与え、むろんマイルズ・バンドのメンバーとしてコロンビアと契約していましたから四人がそっくりそのまま揃って使われることはなかったんですけど、別な(若手新感覚の)ジャズ・マンを混ぜ、フロントにはまた違ったホーン奏者を立てて、それでアルバムをどんどん制作したのが、いわゆる新主流派ジャズというものの実態です。ボスのマイルズが休んでいるあいだにですね。

 

ですから新主流派(ポスト・バップ)とはなにか?という問いに対する端的な答えは、マイルズ・バンドのサイド・メンが、それぞれ別な若手ジャズ・メンと組んで、ブルー・ノート・レーベルを舞台に、1965〜68年ごろに展開した、新感覚ジャズのことだ、ということになるんですね。むろん、ハード・バップとの明確な線引きなどはむずかしいことなんですけど。

 

そんなわけなので、ブルー・ノートにたくさんある新主流派ジャズのアルバムは、例外なくどれも『E.S.P.』〜『ネフェルティティ』までのマイルズ・ミュージックを敷衍したような内容になっているでしょう。本来であればマイルズが自身のバンドで1965年来どんどん展開すべきものでした。ところが健康状態の悪化で本格復帰までの約二年間活動できなかったがために、ボスの意を汲んだかのようにサイド・メンが(ブルー・ノートで)展開したというわけなんですね。

 

マイルズ・ミュージックのその後の新展開と軌を一にするように、新主流派も短命に終わりました。1968年ごろからマイルズは電気楽器を積極的にとりいれ、ロックやファンク・ミュージックなどからも貪欲に吸収して、ニュー・ミュージックの創造に意欲的になりましたよね。その結果が『キリマンジャロの娘』『イン・ア・サイレント・ウェイ』『ビッチズ・ブルー』のトリロジーですけど、ちょうどそのころ新主流派の火もついえました。

 

新主流派ジャズをブルー・ノートで展開していた(マイルズ・バンド所属であろうとなかろうと)若手ジャズ・メンも、あたかもマイルズ・ミュージックの変化にあわせたかのように、1960年代末からジャズ以外の他ジャンルの音楽との融合・横断を試みるようになり、そのまま1970年代があんな時代となったわけですね。

 

今日は新主流派ジャズへのジョン・コルトレイン・ミュージックからの流れをしゃべる余裕がなくなってしまいました。また機会をあらためます。

 

(written 2019.11.9)

2019/11/28

わさみんと歌の距離感

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2019年11月21日に代々木上原のけやきホール(古賀政男音楽博物館)で開催された「ザ・令和ライブ」。わさみんこと岩佐美咲も出演するので出かけてきたんですけど、司会の湯浅明さんがわさみんのときにちょっとおもしろいことをおっしゃっていました。「津軽海峡・冬景色」を歌い終えてのトークの際、わさみんは歌の世界に入り込んで歌うのではなく、歌の世界を「風景画」として眺めるようにして歌っていますね、と湯浅さんは指摘なさったのです。

 

そのときは湯浅さんが「岩佐さんのなかでこの曲では世界に雪が積もっていますか、それともハラハラと舞い落ちている感じですか?」とお聞きになって、するとわさみんはかなりドギマギした感じになって、え〜っとえ〜っと…と言いながら前傾姿勢になってなにも答えられず、思わず客席から助け舟が出ましたから、あのとき、わさみんは要するになにも意識せず本能的に歌っているだけだとバレちゃいましたよね。

 

それはいいんですけど、そんな本能的歌唱法でやっているわさみんのばあい、湯浅さんのご指摘による、まるで風景画を眺めているように歌の世界をとらえて、それで歌っているのだというのは、わさみんと歌の世界の距離感を的確に表現したものだと思うんですね。歌の世界の中にすっぽりと没入せず、まるで外から眺めているような、そんな歌いかたをたしかにわさみんはしていますよね。

 

歌の世界に没入しないというのは、一見、よくないことのように思われるかもしれません。集中していないというか入り込んでいないのではないか、と考えられてしまうかもしれないですよね。でも、ぼくの考えでは逆なんです。歌の世界と一定の距離感、ちょうどいい適度な合間を取ってあったほうが歌の世界を聴き手にうまく伝達できると思うんです。

 

ずいぶん前にテレビ番組で知った八代亜紀さんのことばに「歌手は歌に感情を込めないほうがいい」というのがありまして、八代さんのご体験によれば若いころのキャバレー歌手時代に、歌に感情を込めずに歌ってみたらホステスさんたちがわんわん泣き出したということがあったそうです。それ以来八代さんは、歌の世界に入り込みすぎずスッとストレート&ナチュラルに歌うように心がけていらっしゃるんだそうですよ。

 

ぼくの言いたいことは、この八代亜紀さんのことばですべて表現されています。歌の世界に入り込み感情を強く込めて歌うと、たしかに歌はその歌手のものになります。しかしそのばあい表出されるのは歌の世界ではなくその歌手の世界じゃないかと思うんですね。その歌手のファンのみなさんにはそれでいいでしょうけど、ひろくみんなに訴えかけるという部分からはやや遠ざかってしまうかも。

 

前からくりかえしているように、わさみんの歌唱法はそういったやりかたとは逆ですよね。自覚的にしっかり熟慮の上練習を重ねて、選んで学びとったものというより(もちろんそれもあるんですよ、程度の問題です)、なにも考えず本能的にやっているだけかもしれないですけど、わさみんは歌手としての自分の色をなるべく消しています。強く個性的なところがないですよね(いい意味で)。

 

個性を強く打ち出すと、歌はその歌手のものになって、みんなのものにはならないんじゃないでしょうか。逆にまるで無色透明容器のようなものになって歌えば、楽曲の魅力をいっそうよりよく聴き手に伝えることができますよね。無色透明なら中身がよく見えますから。生得的、本能的であったとしても、わさみんはそういった方法を選んで実践しているんですよね。

 

ザ・令和ライブでの司会の湯浅さんがご指摘なさった「岩佐さんはまるで歌の世界を(他人事のように)絵を眺めながら歌っていますよね」というのは、まさに的を射ていらっしゃったと感心しちゃったというわけです。そう、わさみんのナチュラルでナイーヴで素直な発声と歌唱法はそういうことなんです。歌の世界に入り込まず、適切なちょうどいい距離感を保ちつつ、冷静にそれを歌って表現することができている、だからこそ聴き手には歌の世界がよりよく伝わって大きな感動につながっていく 〜 これがわさみんのやりかたなんですよね。

 

しかしそれを一貫して実践できるというのもまた得がたい個性なんじゃないかと思います。

 

(written 2019.11.27)

2019/11/27

岩佐美咲、秋LOVEライブ 2019.11.23 私感

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(写真は岩佐美咲オフィシャルブログより)

 

2019年11月23日、浜松町の文化放送メディアプラスホールで開催された、わさみんこと岩佐美咲のコンサート「秋LOVEライブ」に行ってきましたので、簡単に私的な感想を書いておくことにします。毎年わさみんの誕生日近辺に開催されることの多いソロ・コンサートが演歌中心なのに対し、○LOVEライブのシリーズは歌謡曲やポップスだけで構成されています。ぼくは今年が初体験でした。12曲+アンコール1曲をやるというのが通例のようで、今年もそうでした。

 

1 風立ちぬ
2 楓(弾き語り)
3 君はロックを聴かない(弾き語り)
4 水の星へ愛をこめて
5 愛にできることはまだあるかい
6 20歳のめぐり逢い
7 色づく街
8 M
9 茜色の約束(弾き語り)
10 秋桜(弾き語り)
11 夜空ノムコウ(弾き語り)
12 変わらないもの
EN1 恋の終わり三軒茶屋

 

上記のうち弾き語りと書いてあるものはわさみんがアクースティック・ギターを弾きながら歌ったものですが、ほかにせんべいさんのアクースティック・ピアノ(の音色を出すデジタル・ピアノでした)伴奏もついています。弾き語りと書いていないものはピアノ一台の伴奏だけで歌われたものです。わさみんのギター演奏技術は、2018年2月に恵比寿で観聴きしたときよりも格段に上達していました。

 

指のつりそうな難度の高いコード・フォームの押弦やコード間の移動も目視なくきわめてスムースで(プロ・ギターリストだったならあたりまえですが)、それだけでなく右手のピッキングもはるかに上手くなっています。ピックを使ってのピッキング・アタックのニュアンス変化のつけかた、フィンガー・ピッキングでのアルペジオ弾きのうまさなど、目立ちました。とにかくギター・プレイ技術が向上しているなというのがこの日のとても大きな印象です。

 

松田聖子の「風立ちぬ」で幕が開いたときは、今日は100%の本調子じゃないかもと感じたんですが、それはオープニング特有の緊張感からまだすこしかたくなっていただけだと次第に気づきました。熱を帯びてきたのは、ぼくの記憶では3曲目の「君はロックを聴かない」(あいみょん)からです。この曲では歌に力がこもり、温度が上がって声に張りや伸びがグンと増しました。これ以降はラストまでずっと好調を維持できたと思います。

 

4、5曲目のアニメ・ソング・パートを経て、6曲目の「20歳のめぐり逢い」(シグナル)でぼくは感極まってしまいましたね。これは初披露の曲ではなく、ずっと前にシングル CD に収録していますし、ソロ・コンサートでも歌った年がありました。わさみんの歌う「20歳のめぐり逢い」は、本当に切なくて哀しくて最高なんですけど、この日のアクースティック・ヴァージョンはいっそうそれがきわまっていましたよね。

 

もちろん CD 収録などされている「20歳のめぐり逢い」とは伴奏がまったく異なっています。この日はピアノ伴奏だけで歌ったわけですから、もちろんなんどもリハーサルをくりかえしたでしょうけど、それでもこんな出来具合まで持ってきたのには称賛のことばしか浮かんできませんね。CD などヴァージョンに比しややテンポを落とし、落ち着いた暗めの陰な情緒をうまく表現することに成功していたと思います。いやあ、マジすばらしかった。

 

コンサート全体の個人的クライマックスは、ピアノ伴奏といっしょにわさみんがギターを弾きながら歌った10「秋桜」(山口百恵)、11「夜空ノムコウ」(SMAP)でしたね。こういった曲はギター&ピアノだけっていうミニマル編成でのアクースティック伴奏でやるとグンと魅力を増すものだと思うんですね。わさみんのギターもアルペジオでしっとりした雰囲気だったし、ヴォーカルのほうも安定していました。

 

これらはなんたって曲そのものがいいし、ふたりだけのアクースティック伴奏も似合っているし、かつわさみんのナチュラルな歌唱法は円熟味を増し、デビュー期のようなアイドルっぽい高音のキンキンさは影を潜め、しかし本来持っているキュートさはそのまま維持しつつ、スムースに発声し声に色艶を出すっていう、そんな歌手としての成熟を聴かせてくれました。

 

この日のわさみん歌唱、最大の着目点は、ふだんの演歌(系のもの)を歌うときとで歌いかたを変えてきていたというところでしょうね。コンサートや歌唱イベントなど演歌などを歌うときはわさみんも強く声を張りグググ〜ッと伸ばしたりしているんですが、この日はそれを抑えて、よりいっそう曲そのものに寄りそうようにナチュラルかつナイーヴな発声を意識してしているのが聴きとれました。レパートリーの違いで歌唱法を変化させられるんですね。

 

またピアノ担当のせんべいさんとの息もピッタリ。せんべいさんはどの曲でだったか忘れましたがエレクトリック・ピアノの音色にチェンジして弾いた曲もありましたね。コンサート全編を通じ、わさみんとふたりでかなりリハーサルしたんだなとうかがえる、阿吽の呼吸で合わせていました。阿吽の呼吸というか練習のたまものですけれど、わさみんのギター演奏技術が上がっているおかげで合わせやすくなっていたと思います。

 

アンコールで歌った最新シングル曲「恋の終わり三軒茶屋」だってもちろんアクースティック・ヴァージョンに生まれ変わっていましたし、それもおもしろかったです。もともとこの曲は歌謡曲・ポップスに近い雰囲気を持っているということで、アクースティック・アレンジでやってピッタリ似合っていましたよね。ワイン・レッドのドレスであの振り付けをそのままやるのも一興でした。

 

演歌なのか、歌謡曲か、はたまた J-POP なのか、わさみん本来の資質や願望がどこらへんにあるのか、どういうものを歌うと実力をフル発揮できるのか、そういったことは軽々には言えませんが、ふだん着物姿で演歌やそれに近い古い歌謡曲を歌っていることが多いだけに、ぼくにはかなり新鮮な驚きで、しかも岩佐美咲の真の実力の一端を垣間見たような気がした一時間半でした。

 

(written 2019.11.26)

2019/11/26

ケニー・ドーハム『アフロ・キューバン』

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https://open.spotify.com/album/6sfAnBHbBbI8Z4NEDpXycZ?si=SoCFgjNjSZy_DnOv5kZvNA

 

ケニー・ドーハム『アフロ・キューバン』のオリジナル10インチ LP は1955年。その後拡充を二度ほどくりかえし、詳細を説明しなくてもネットで調べればすぐわかると思うので省略しますが、とにかく現在では2007年のルディ・ヴァン・ゲルダー・エディションが標準ということになっているんじゃないでしょうか。しかしそれでもやっぱり10インチ盤に収録だった最初の四曲だけ聴けば(アフロ・キューバン視点からは)オッケーだという気がします。その10インチ・ジャケットはこれ↓

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2007年 RVG 盤だと(Spotify にあるのもそれ)ラスト9曲目も同日録音でメンツも同じですが、それは3曲目「マイナーズ・ホリデイ」の別テイクにすぎないので省略してもいいでしょう。最初の四曲にしぼって話を進めたのでだいじょうぶ。5〜8曲目はなんらアフロ・キューバンではないごくふつうのモダン・ジャズですしね。要するに肝心なのは 1「アフロディジア」、2「ロータス・フラワー」、3「マイナーズ・ホリデイ」、4「バシアーズ・ドリーム」。

 

それでこの四曲を今日ここでは『アフロ・キューバン』と呼びますが、このアルバムほどモダン・ジャズがラテン・ミュージックに直截的に接近・合体せんとしたものはないのかもと思います。それほどすごい。ジャズにおけるラテン要素はこのジャンルの誕生の瞬間からしっかりあったものですけど、モダン・ジャズで、となると、ビ・バップ時代にしばしばキューバの音楽家と合体していたのを除けば、ケニーの『アフロ・キューバン』以上のものはないのでは。ジャズもその後1970年代になってようやく本格的にラテンやアフロ要素と融合するようになりましたけれども、1950年代にここまでのものはありません。

 

ケニーの『アフロ・キューバン』は四管編成でモダン・ジャズ・コンボとしては大きいですが、そのアレンジをだれがやっているのか、というかそもそもアルバム全体をここまでキューバン・ミュージックに寄せていこうとしたのはだれだったのか、ケニー自身かなとは思いますが、ピアノで参加しているホレス・シルヴァーや1955年時点ならホレスの盟友だったドラムスで参加のアート・ブレイキー(二名ともアフロ・キューバン好き)も貢献していたかもという気がします。

 

また、『アフロ・キューバン』にはブレイキーだけでなく、ラテン・パーカッショニストが二名参加しているんですね。コンガのカルロス・パタート・バルデスとカウベルなど金物のリッチー・ゴールドバーグ。この二名がブレイキーと三位一体となって表現するリズムの躍動感にこそ、このアルバムの醍醐味、聴きどころがあるなと思います。それに比すれば、管楽器ソロなどどうってことはありません。ついでにいえばテーマ演奏部のホーン・アンサンブルも放っておいていいでしょう。

 

1曲目「アフロディジア」が聴こえただけでラテン好きの血が踊りますが、実際この、特にコンガの音色と打楽器三名によるリズム・パターン(にはピアノのホレスも貢献)には降参です。ソロ・パートをふくめ一曲全体がこのアフロ・キューバン・リズムで貫かれているのがきわめてポイント高し。打楽器奏者三名はくんずほぐれつしながらこのマンボっぽいリズムをうまく表現しています。いやあ、キッモチエエ〜!トロンボーンの J.J. ジョンスンのソロが終わった瞬間にパーカッション群乱れ打ちになるのもすばらしい。

 

2曲目「ロータス・フラワー」はキューバン・ボレーロのモダン・ジャズふう解釈みたいなものと聴くこともできますね。コンガの定常ビートが心地いいです。このバラードではホーン・アンサンブルやケニーのソロなどもかなりの聴きもの。ソロのあいだ折々にはさまるホーンズも美しいですが、ホントだれのアレンジなんだろう?やっぱりホレスですかねえ。かなりの腕前だと思いますが、ひょっとしてジジ・グライスのアレンジなんじゃないかとも響きます。そんなスタイルのような気も…(ちなみに4曲目がジジの曲ですから)。

 

3曲目「マイナーズ・ホリデイ」は、ソロ・パートで4/4拍子のメインストリーム・ビートになっちゃいますからイマイチあれですけど、それでもコンガがずっと入り続けていてラテン香味なスパイスをまぶしてくれていますよね。まるでルー・ドナルドスンのアルバムでレイ・バレットが叩くのを聴いているような気分で、快感じゃないですか。最初と最後のテーマ演奏部は完全なるラテン・ジャズ・ミュージック。

 

4曲目「バシアーズ・ドリーム」でのリッチーは金物ではなく、聴こえるクラベスを叩いているんでしょう。この曲もソロ・パートは4/4拍子ですけど、3曲目に比べラテン色が濃厚で、リズムの多彩さ、陰影も見事ですよね。コンガやドラムスが表現するリズムの躍動感も強力ですし、跳ねも大きいです。特にブレイキーのシンバルがとても印象的に響きます。クラベスを中心にクラーベのパターンが潜在的に織り込まれていて、まごうかたなき完璧ラテン・ジャズだと言えましょう。

 

(written 2019.11.6)

2019/11/25

ジョー・ヘンダスン『ページ・ワン』

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https://open.spotify.com/album/7mQGTuvmdp56DNz0AmMwWi?si=nmb_KNZhQv-3mYoHcYM_QQ

 

ぼくのなかで勝手に名脇役のイメージができあがっているジョー・ヘンダスンの初リーダー・ソロ・アルバムが『ページ・ワン』(1963)。このなかにはラテン・ナンバーが二曲ありますね。どっちもジャズ・ボッサみたいなもので、1曲目「ブルー・ボッサ」と4曲目「リコーダ・ミー」。ジャズ・ボッサみたいなのはモダン・ジャズのなかにとても多いので、ことさらラテンふうと言い立てることはないのかもしれませんが、この二曲のおかげで『ページ・ワン』というアルバムの印象がぼくのなかでよくなっているのはたしかです。

 

「ブルー・ボッサ」は、でもトランペットで参加のケニー・ドーハムが書いた曲ですよね。ケニーってふつうのハード・バッパーという感じで、特にラテンとかブラジルとかと関係なさそうなのに(でもアルバム『アフロ・キューバン』がありますが)、こういった曲を用意できるんですね。「リコーダ・ミー」はジョーの曲です。どっちもドラマーのピート・ラ・ロッカがリム・ショットを混ぜながら印象的なボサ・ノーヴァ・ドラミングを聴かせているのもグッド。

 

各人のソロは無難にまとめているなと思いますが、なかでもぼくの気持ちに残るのはマッコイ・タイナーのピアノ・ソロですね。実はアルバム『ページ・ワン』の隠れた主人公はマッコイじゃないかと思うほどハツラツとした鮮烈な演奏ぶりで、イントロもソロもバッキングも大好き。1963年録音ですから、マッコイはちょうどグングン勢いに乗っていた時期ですよね。だから納得のプレイです。もちろんボスのジョーのソロもいかにも1960年代的といえる新感覚に満ちていて、好印象。

 

「ブルー・ボッサ」も「リコーダ・ミー」も、作曲者が違っているとはいえ、独特の哀感というかブラジルでいうサウダージがあって、そんなしっとり情緒が漂っているのがとってもいいですよねえ。ほ〜んと大好き。また二曲とも演奏後半でホーン二管のセカンド・リフ(テーマ部のヴァリエイションみたいな)が入るところも共通しています。演奏全体に統一感をもたらすことに寄与していますね。

 

これら二曲以外はふつうのモダン・ジャズ、ハード・バップ・ナンバーかなと思います。個人的にオッと思うのは、ちょっぴりジョン・コルトレイン・ジャズの香りがするところ。2曲目のバラード「ラ・メシャ」は「ナイーマ」みたいですし、5曲目のなぜか曲題が「ジンリキシャ」もちょっとコルトレインがやっているみたいに聴こえませんか。ピアノがマッコイなせいかなあ。いや、それだけではなく、1963年ならトレインの影響力が大きくなっていたということかもしれません。

 

全体的に新感覚を持った新しめのモダン・ジャズに聴こえるこのアルバム『ページ・ワン』のなかで、ラスト6曲目の「アウト・オヴ・ザ・ナイト」だけは従来路線っぽいです。これはふつうのブルーズなんですね。だからかなあ。曲が古い気がしますが、実はこれだけ1957年に書いたものだそうですから、さもありなん。でもジョーのソロ・パートだけは新世代に聴こえなくもないような。マッコイがあんがいふつうの(旧来からのハード・バップっぽい)演奏ぶりです。

 

(written 2019.11.5)

2019/11/24

ソニー・クラーク『リーピン・アンド・ローピン』

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https://open.spotify.com/album/2akec72Ypln9yScfhHo8rm?si=klseKXqGSiyPeMBrQ0yEJQ

 

ソニー・クラークのラスト・アルバム『リーピン・アンド・ローピン』(1961年録音62年発売)は、なかなか雰囲気のあるいいハード・バップ作品ですよね。ラテン好きなぼくにとっては、ラスト6曲目が「ミッドナイト・マンボ」であることがポイント高し。いやあ、好きですね。これはソニー作ではなくトランペットで参加しているトミー・タレンタインの曲です。しかしアレンジはかなりソニーが貢献しているんじゃないでしょうか。

 

といっても各人のソロ・パートはふつうの4/4拍子のなんでもないモダン・ジャズになっちゃうっていうよくあるパターンですけど、でもこの最初と最後のテーマ演奏部のラテン・リズムは強力ですよ。1961年録音だから、アメリカ合衆国でもマンボはもちろん認知されていたでしょう。この曲がマンボと言えるかどうかはむずかしいですけれども。あ、そうそう、ソロ・パートでもビリー・ヒギンズのドラミングとソニーのピアノ・バッキングにラテン香味がちょっぴりありますね。

 

その前の5曲目が「ヴードゥー」というタイトルで、これまた南洋というか中米カリブ風味かという感じですが、ソニーのこの曲にハイチふうなところはありません。なんとなくおどろおどろしい不気味なアトモスフィアをヴードゥーと表現しているだけのことでしょう。ドクター・ジョンなどニュー・オーリンズの音楽家がこのことばを使うときとは用法が違っているなと思います。でもそれなりにソニーの「ヴードゥー」もお化けが出てきそうなハロウィンっぽい雰囲気で、いいですよね。

 

ってな感じでぼく的にはアルバム終盤の二曲が『リーピン・アンド・ローピン』のハイライトなんですが、一般的にはここじゃないですね。幕開けの変型ブルーズ「サムシン・スペシャル」の早足で歩く感じがちょっと「クール・ストラティン」(これもブルーズ)っぽいなとかソロも内容がいいとか、ホーン二管がおやすみして代わりにテナーのアイク・ケベックのワン・ホーン・カルテットでやる2曲目のバラード「ディープ・イン・ア・ドリーム」のゆったり感とかが聴きどころですよね。もちろんぼくもそれらは大好き。

 

特にバラードの2「ディープ・イン・ア・ドリーム」はかなりできがいいと思うんですね。しかしここでだけどうしてアイク・ケベックを起用しているんでしょうか。同じときのセッションなんですけどねえ。ほかの曲のテナーはチャーリー・ラウズ。そのへんの人選理由はわかりませんが、録音数の全体が少ないアイクのテナーがここでは実にいいです。こんなふうにバラードを演奏されると、思わずベン・ウェブスターを連想しちゃいますよ。褒めすぎ?

 

その「ディープ・イン・ア・ドリーム」はワン・ホーン・カルテット演奏ですが、アイクのテナーが出るまでのすこしのあいだ、ソニーがピアノ・ソロを弾いていますよね。たんなるイントロというのとも違います。そのソニーのピアノ演奏がいつになくいいですね。前々からくりかえすように、ぼくのなかではジャズ・ピアニストというよりコンポーザー/アレンジャーとして評価しているひとなんですけど、アルバム『リーピン・アンド・ローピン』でのピアノ・ソロは聴きごたえあります。後ノリでプレイして粘っこいフレイジングをするソニーの特徴がよくわかりますよね。

 

(written 2019.11.4)

2019/11/23

わさみんタイムはあっという間に終わってしまう

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こないだ2019年11月6日に発売されたばかりのわさみんこと岩佐美咲ちゃんの新作アルバム『美咲めぐり 〜第2章〜』は、トータルで約55分あります(初回限定盤のほう)。最近のぼくの嗜好・志向からしたら「長い」と感じておかしくないんですけど(近頃30〜40分程度のアルバムを聴いていることが多い)、ところがこのわさみんアルバムにかぎっては「あっという間に終わってしまう」と感じちゃうんですね。

 

そりゃそんなもんだろう、好きなこと楽しいことをしていると時間はあっという間に過ぎてしまうもんだと、それが世の常だと、そうおっしゃられるでしょうね。そう、そうなんです、ぼくはわさみんのことがそれだけ大好きなんですよね。好きで好きで、どう〜しようもないほど大好きでたまらないんですよね。

 

時間が短く感じるというのはアルバムやプレイリストを聴いているときだけでなく、わさみんと会って姿を眺めながら生歌を聴き握手したりおしゃべりしている歌唱イベント体験のときもそうなんですよね。もちろんすっごく楽しいから何時間でも、なんだったら何日間でもこれが続けばいいのに、しかしそれでもあっという間だぞと思っちゃいます。なにかが、だれかが好き、ファンだ、というみなさんならどなたでも同じように感じることがあるでしょう。

 

わさみんのばあいアルバムがまだ三枚と少ないんですけど、シングル CD がかなりたくさんあって、シングル盤中心の活動というのはやはり演歌・歌謡曲歌手らしいなと思うんですね。だからアルバムは少ないけれど、いままでに CD 発売されているわさみん歌唱曲はかなり多いです。それらからぼくなりに作成したマイ・ベスト・プレイリストでふだんは楽しんでいるんですね。

 

そのうちいちばん再生時間が長いプレイリストは、もちろん「岩佐美咲全曲集」ですが、これはあまり聴かないので。デビュー期のカヴァー・ソングのなかには物足りないものもありますからね。この次に再生時間が長いのが「岩佐美咲トータル・ベスト 2019」で、これは全八曲のわさみんオリジナルと、ぼくが選んだカヴァー・ソング・ベストで構成されています。これをふだんから実に頻繁に聴くんですね。

 

その「岩佐美咲トータル・ベスト」は、新しい CD が発売されるたびにいい曲を追加していってどんどん長くなっていますが、2019年11月時点で約1時間59分。つまりほぼ二時間近いわけです。二時間あっても、これだって聴いていればあっという間に時間が過ぎていきますからね。瞬時に終わってしまう、というとちょっと言いすぎですけど、それに近い感覚がありますよ。

 

つまりそれくらい現在のぼくにとってわさみんこと岩佐美咲ちゃんの歌を楽しんでいる時間は幸せで、ハッピー・タイムだから瞬く間に過ぎ去って、またもう一度さらに二度、となってしまうわけですね。わさみんファンのみなさんのなかには CD や DVD よりも生体験を重視なさっているかたも大勢いらっしゃるかもと思いますが、四国は愛媛県に住んでいるぼくにとってそれは頻繁にはできません。

 

だからふだんの日常生活では、超楽しいわさみん生体験を追想しながら CD で歌を聴くということになるわけですね。しかしそれもあっという間に終わってしまうので、ホントどうしたらいいんでしょう。そもそも定期的(月一、二月一程度?)に生わさ注入しないと元気が出ないっていうからだになってしまったし、わさみん聴いてりゃ楽しくて幸せで、ほかのことが色褪せるように思えてしまうし、困ったな〜。

 

(written 2019.11.11)

2019/11/22

マヌ・ディバンゴ『ワカ・ジュジュ』

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https://open.spotify.com/album/30gLt6nQcs5kTTU1n9zoZh?si=4YIOo82CTrOnz1fOKQCdeg

 

マヌ・ディバンゴ1982年の『Waka Juju』がアナログ・リイシューされたそうです。アナログだからぼくは買わないですけど、Spotify で聴けますので。これを知ったのは先日某ショップのツイートで発売のアナウンスがあったからで、それで早速さがして聴いてみました。ぼくは存在すら知らなかった一枚で、ひょっとして名盤なんですかね。うん、中身はかなりいいです。

 

マヌってアフロ・ジャズの音楽家と呼んでいいと思うんですけど、でもアフロ云々といわなくなっていわゆる1970〜80年代的ジャズ・フュージョンとしてもさしつかえないですよね。実際、ジャズ・フュージョンのなかにはアフリカ/ラテン音楽要素がたくさん入り込んでいたんだし、それをアメリカ人が取り入れるかアフリカ人側がそのまま活かすかの違いだけでしょう。結果的には似たような内容に仕上がっていると思います。

 

だからマヌの『ワカ・ジュジュ』もフュージョンっぽいのですね。特にそれを実感するのはアルバム2曲目の「ドゥアラ・セレナーデ」ですね。これはもろアメリカ西海岸的なさわやかフュージョンの香りがします。1982年ならちょうど当時の渡辺貞夫さんがやっていてもおかしくない曲ですね。曲想やマヌがサックスで吹くメロディなどなど。

 

また、この曲でもほかのすべての曲もそうなんですが、エレキ・ギターの弾くリフが印象的ですね。エレキ・ギターは実際このアルバムのサウンド・メイクの中心になっているなと思います。ときにはシングル・トーン、ときにはコード・ワークで、曲の根幹を成すビートを生み出していますよね。3曲目の「アフリカ・ブギ」なんかでも冒頭からコードで弾かれるパターンが気持ちいいです。

 

さらにピアニストはわりとラテン・ミュージック(サルサ?)を思わせる弾きかたをしているのも印象に残ります。1曲目の「ワカ・ジュジュ」でも中盤でそうだし、4曲目の「モウナ・ポーラ」なんか完璧ラテン・ミュージックじゃないですか。そこにエレキ・ギターがグチョグチョとからんでいき、マヌが吹くという。5曲目「マ・マリ」はエレキ・ベースのリフとクールなヴァイブラフォンが印象的な、これもフュージョンっぽい一曲です。アルバム・ラスト6曲目の「マンガ・ボロ」はアフロ・ファンクと呼んでいい内容で、たった33分間のこの『ワカ・ジュジュ』はあっという間に終わります。

 

(written 2019.11.10)

2019/11/21

続々アンジー・ストーン(3)〜『カヴァード・イン・ソウル』

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https://open.spotify.com/album/4HGEXvjkZ7KrlsHTaF6xkn?si=6zRMnE1KSiaw9OC28Bjqeg

 

すっかりアンジー・ストーンのファンになってしまいました。だからいろいろと聴きまくっていますが、過去の有名ソウル・ナンバーのカヴァー集『カヴァード・イン・ソウル』(2016)も好きです。一般的にはイマイチとされるアルバムなんですかね?わかりませんが、とにかくぼくには心地いいです。知っている曲が多かったからですかねえ。古典落語ファンやジャズ・スタンダード好きと同じ心境?

 

といってもアンジーの『カヴァード・イン・ソウル』のなかでぼくが知っていた曲は、スティーヴィー・ワンダーの4「アイ・ビリーヴ(ウェン・アイ・フォール・イン・ラヴ・イット・ウィル・ビー・フォーエヴァー)」、ボブ・マーリーの8「イズ・ディス・ラヴ」、キャロル・キングの9「イッツ・トゥー・レイト」の三つだけですけどね。その後の10〜12曲目はアンジーのセルフ・カヴァーみたいなので、外して考えてもいいでしょう。

 

それら三曲はいずれもぼく好みのサウンドと歌いかたで、実にいいですねえ。でもこのアルバムでいちばんグッと来たのは、実は6曲目の「エヴリ・1ズ・ア・ウィナー」なんです。初演はホット・チョコレート…、って、みなさんご存知です?えっ?知らないのはぼくだけ?そうですか、そうですねきっと。ソウル無知なぼくでありますからゆえ。

 

でもこの「エヴリ・ワンズ・ア・ウィナー」は本当にいいですよ。しかもなんだかデジャヴ感まであるっていう、不思議ですねえ。むかしから知っているおなじみの曲のように聴こえるのはどうしてなんでしょう?たぶん、このずんずんリズムと、それからゲスト参加でファズの効いたハード・ロックっぽいエレキ・ギターを弾きまくるエリック・ゲイルズのおかげかもしれません。いやあ、心地いい。

 

このアルバムは、アンジーが歌う以外のバック・トラックはすべてコンピューターでつくっているみたいなんですけど、だからできあがったリズム・トラックを聴きながらアンジーが歌いエリックが弾いたんでしょう。人力パフォーマーは6曲目のエリック・ゲイルズだけかも。そのエリックのギター・プレイも最高ですが、バック・トラックもよくできているなとぼくは思います。ちょっと雑にやや投げやりというかワイルドに歌うアンジーもここではグッド。曲の持つ高揚感をよく表現できていますよねえ。

 

そのほか、コンピューターでつくった打ち込みバック・トラックは、アルバム全体でわりといいなと思っています。ドラムス、ベース(的低音)、キーボードのサウンドがメインですが、プログラマーがだれだったのか知りたいくらい、いい仕事です。個人的にはベース・ドラム(のような低音)のお腹に響くサウンドが強調されているのが好みです。ベース音はいかにも鍵盤ベースだというような音色で、あんがい好きなんです、そういうのも。

 

レゲエ・ナンバーも二曲まじえつつ、全体的にはやはりソウルフルに迫るアンジーの、ていねいに声を置いていくというか乗せていくようなヴォーカル・マナーは、もはや完全にマイ・フェイヴァリット。曲調にあわせてわざとラフに歌ってみたり、キャロル・キングの曲がここまで濃厚なブラック・ナンバーに仕上がるかと思う「イッツ・トゥー・レイト」(もちろんキャロルはもともと黒人のために書いていたソングライターでしたが)などもスウィートで、グッド。バック・トラックのリズムがねえ、特にいいですよ。ほんと、だれがプログラマーなんです?

 

(written 2019.11.3)

2019/11/20

けっこう好みのさわやかめアブッシュ・ゼレケ

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https://open.spotify.com/album/73pv6PONDf4FZT5leTS6PC?si=RpBwSDg7S-egn6Xb9n8nYw

 

bunboni さんに教わりました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2019-10-24

 

エチオピアの歌手、アブッシュ・ゼレケの2019年作『Hid Zeyerat』がけっこうぼく好み。聴きやすくていいですよ。エチオピア歌謡というと、日本の(古式な)演歌歌手みたいにコブシをグリグリまわして濃厚にやるというイメージがあって、それゆえちょっと敬遠しがちなんですけど、アブッシュはちょうどいい適度さがあります。アッサリさっぱりとまでではないし、濃厚すぎもしないっていう加減が気に入りました。

 

また、個人的にはアルジェリア/フランスのグナーワ・ディフュジオン(アマジーグ・カテブ)にちょっぴりだけ似て聴こえるあたりも気に入りました。それはだからアブッシュもレゲエ・ベースの音楽構築をやっているからだと思うんですけど、同じレゲエ・ベースといってもアマジーグみたいな深刻さや社会性はアブッシュには感じられないのがこれまたぼく好み。あ、いや、アマジーグも大好きだから似て聴こえるのが楽しいんですけど、アブッシュのほうはもっと気楽にやっている印象です。

 

アルバムでいえば、たとえば3曲目「Tamenal」。これなんかぼく的にはほぼグナーワ・ディフュジオンに聴こえます。やはりレゲエ・リズムですけど、特にホーン・セクションが演奏するリフなんか、なんだっけな、GDの『バブ・エル・ウェド・キングストン』に同じような曲があったと思います。それにとてもよく似ていますが、似ているのは偶然というよりレゲエ・ベースの音楽構築に共通性があるからでしょうね。

 

アマジーグのばあいは政治的スタンスもあってボブ・マーリーに強く共感して、ある世代以後のアフリカの音楽家に多いパターンなんですけど、自分の主張を強くおしだす推進力としてレゲエのビートや音構築法をとりいれたんだと思います。そこには深刻とまで言えるほどの一直線できまじめなシリアスさがありましたね。強く濃い暗い影もサウンドにあり、日常的に聴いて楽しむにはややヘヴィと感じられたりもしました。

 

エチオピアのアブッシュのばあいは、もっと気持ちを楽に持って、レゲエのこのビートが楽しいから使ってみているというような軽みが音楽に感じられるのが、ぼくは好きなんです。だからこのアルバムでもレゲエ・ビートを直截的に活用したどの曲も聴いて楽しいですよね。いちおう社会的な意見も音楽家として持っているらしいのですが、音楽を聴くかぎりではそれがストレートにシリアスなかたちでは出ていないのがエンタメとして好印象です。

 

その結果、アブッシュの音楽とヴォーカルにはさわやかなイメージがあって、聴いたあとくちがサッパリしているんです。そういったあたりがこのアルバムを聴いてぼくの持った最大の印象ですね。さっぱりしていて聴きやすい、歌いくちも濃厚すぎないし、かといって適度な粘り気はしっかりあって、ちょうどいいなあって感じです。

 

アルバムでは後半というか、7曲目あたりからラストに向けて、ぐんぐん充実してくるという印象ですね。出だし1曲目の、最初テンポ・ルパートでやってその後ずんずんビートが効いてくる、そこの感じも実は大好きですが、6曲目でアクースティック・ギターを使ったあとの7曲目「Wub Nesh」や8曲目「Kunoo」なんか、特に8曲目ですかね、さわやかでとってもいいですね。これがあのしつこいグリグリ濃厚コブシ演歌で押すエチオピア歌謡とは到底思えません。それがゆえにアブッシュにかなりの好感を持ちました。ノン・ヴィブラートでストレート、ナイーヴで素直な歌唱や演奏のほうが好きですから。

 

(written 2019.11.1)

2019/11/19

アナベラ・アヤでウェザー・リポートを思い出した

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https://open.spotify.com/album/297vP5Fa2Zox6ZNb5zWOuG?si=VOQxGUntQIyeLtJsB1PLpQ
(オリジナル・アルバムは8曲目まで)

 

以前アンゴラのアナベラ・アヤのことを書きましたが、そのときウェザー・リポートに似ているなとつけくわえておきました。これは間違いない実感なんです。特にアナベラのアルバム1曲目で歌が出るまでのイントロ部分なんか、まるでウェザーそのもの。そのほかあのアルバムは、ある意味、ウェザー(ジョー・ザヴィヌル・アレンジ)の音楽を21世紀的なクレオール・ジャズに還元したようなものだったようにも感じます。おもしろいですね、そもそもウェザーが中南米やアフリカなどの(クレオール)音楽に大きく影響されてできあがったアメリカン・ミュージックでしたのに。

 

そんなわけで、ちょっと気分だったのでウェザー・リポートを一枚聴きかえしてみたわけなんですね。選んだのが1980年の『ナイト・パッセージ』。ぼくの直感ではこのアルバムがいちばんアナベラ・アヤ的な感じがしたからです。特にオープナーのアルバム・タイトル曲でそう感じます。曲「ナイト・パッセージ」は個人のソロはあまりなく、ほぼ全編アンサンブルで進むというものですね。

 

そのアンサンブル、特にジョーの弾くポリフォニック・シンセサイザーとウェイン・ショーターの吹くテナー・サックスとの合奏が、実におもしろいというか楽しいというか、気持ちいいです、ぼくには。2曲目以後は個人のソロもたくさん出てくるんですけど、アンサンブル部分では、やはりこのウェザー・リポート独自の乾いた、情緒性のない、それでいてコンクリートなメロディ・ラインを合奏で実現しています。

 

そんなところ、つまりアンサンブルとソロとの比率、バランス、全体はバンドの合奏で進むけれどもソロをそのなかの一歯車としてうまくはめ合わせるアレンジ技術、マナーとか、モダン・ジャズはソロ中心の音楽だったのをうまくアンサンブルとの比重をとったこと、言い換えればソロを重視しすぎない方向へ進んだこととか、書かれたメロディでもソロでもリリカルさ、別な言いかたで歌心を排したことやなどなど、21世紀的なジャズのありようをウェザー・リポートは予言していたかもしれないです。

 

アンゴラのアナベラ・アヤはきわめて現代的なというか、2010年代末に出現した新世代のジャズ・シンガー、ミュージシャンに違いありませんが、そのアルバムを聴いてぼくが真っ先に連想したのが1980年のウェザー・リポートのアルバム『ナイト・パッセージ』であったというのは、なんとも示唆的じゃないでしょうか。ウェザーなんて、いまどきだれからも相手にされなくなっているような気がしますが、いま一度聴きかえし、その21世紀的現代性を再評価してもいいんじゃないでしょうか。

 

(written 2019.10.31)

2019/11/18

痛快なヴァイブラフォン・ジャズ 〜 ボビー・ハッチャースン『ハプニングズ』

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https://open.spotify.com/album/4TbWPn2fJUrQc924iTylFi?si=rG4F2ntHS6uh6T7EsLOCVg

 

ボビー・ハッチャースンのアルバム『ハプニングズ』(1966年録音67年発売)。これを最近聴きなおすきっかけがありました。それは、とあるブルー・ノート公式配信プレイリストを流していて、ふとこのアルバムからの「ヘッド・スタート」が来たんですね。それがカッコよくって。こんなに痛快なメインストリーム・ジャズだっけ?と自分の記憶のあやふやさがなさけなくなりました。それでアルバムを聴きかえしてみたわけなんです。

 

ボビーの『ハプニングズ』、メンバーはボスのヴァイブラフォン、ハービー・ハンコックのピアノ、ボブ・クランショウのベース、ジョー・チェインバーズのドラムスですが、アルバム・ラスト7曲目の「ジ・オーメン」だけは担当楽器がいろいろと入れ替わっています。音楽としてもかなり感じの異なるものだから、今日の話題からは外してもいいでしょう。注目は当時マイルズ ・デイヴィス・クインテットで活躍中だったハービーの参加でしょうか。

 

ハービーの曲「処女航海」もやっているし、だから『ハプニングズ』も当時のいわゆる新主流派、いまでいうポスト・バップの一枚と位置付けられるでしょう。実際、聴いてそんな印象がありますよね。上で書きましたようにぼくが再注目したのは、ふと流れきた「ヘッド・スタート」があまりにもカッコイイということでしたし、アルバムを聴いてもこの印象は変わりません。

 

「ヘッド・スタート」はメインストリームの4/4拍子で会心の走りを聴かせるアップ・ビート・ナンバー。こ〜れがもう最高に気持ちいいじゃありませんか。個人的にはボビーやハービーもいいけどそれよりも、ジョー・チェインバーズのこのドラミングが大好きですね。なんらスペシャルなことはやっていませんが、爽快痛快で、聴いていて快感ですよ、この4ビート・ラニング。この「ヘッド・スタート」がどうしてアルバム・オープナーじゃないのかと思うほど。

 

現実にアルバムの幕開けとなっている1曲目「アクエイリアン・ムーン」も、もちろん痛快に走るアップ・ビーターですが、「ヘッド・スタート」みたいに一直線ではなく、リズムにやや工夫がされていますよね。新傾向のジャズとしてはこっちのほうがおもしろがられそうな気はします、1967年当時であればですね。ハーモニー的にも斬新だし、特にハービーのソロ、バッキングともに興味深いフレーズです。

 

アルバム『ハプニングズ』全体で爽快に走るアップ・テンポな4ビート・ナンバーはこれら二曲だけと、やや意外な感じもします。それは「ヘッド・スタート」のメインストリーマーな感じで惚れなおしたぼくだけの特異な感想でしょうか。3曲目の「ロホ」は曲題どおりラテン・ナンバーで、しかし曲じたいはスペイン系ではなくボサ・ノーヴァふうですね。ジョー・チェインバーズがリム・ショットも多用しながらそんなドラミングをやっています。これも好印象。ジャケットが紅色で塗られていますけど、この曲(「赤」の意)と関係あるんでしょうか?

 

「処女航海」も、いま聴きなおしてみれば各人のソロとも(特にボビー)充実しているし、バラードな6曲目「ウェン・ユー・アー・ニア」の哀感あふれるプレイぶりも見事。ヴァイブラフォンって、いろんな楽器のなかでもこういったサウダージをかなりうまく表現できる音色を持っているなあと思うのはぼくだけでしょうか。

 

特別とりたてて傑作というほどのアルバムじゃないでしょうけど、ヴァイブラフォンが好きで、奇を衒わないメインストリームなモダン・ジャズをちょっとなにか、というときには格好の好盤です。

 

(written 2019.10.29)

2019/11/17

これもマイルズ、ロスト・クインテットのブート・ライヴ

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https://open.spotify.com/album/2IQwM81ZpSyo3Xp32y8VRd?si=l_hkFVmuS5ugHllq40JeCQ

 

つい最近発売されたばかりかな、なんだかエエ加減なジャケット・デザイン、きわめてテキトーなアルバム題、録音年月日などいっさいのデータが不明と、こりゃいったいどうなんだ?!と思わざるをえないマイルズ ・デイヴィスの発掘ライヴ盤『ザ・ロスト・クインテット』。ブートレグなんですけど、ディスクユニオンで売っているし Spotify でも聴けるということで、話題にしておきます。Spotify のほうで見る4曲目はもちろん「Masqualero」の間違い。

 

このアルバム、1969年のいわゆるロスト・クインテットのライヴであることは間違いありません。でもホントいつどこでのライヴなんだろうなあ?ディスクユニオンのサイト担当者のかたは11月3日のパリ・ライヴとの推測ですが、違うんじゃないかと思います。信頼できるディスコグラフィで見る11月3日のパリ・ライヴとは演奏曲目がかなり違います。じゃあいつのライヴなんだ?と言われても、ぼくにもわからないんです。1969年のロスト・クインテット・ライヴ、それも秋〜冬のヨーロッパ・ツアーの一幕であろうことは言えるんですけど。

 

それから Spotify で見るのだと四曲になっていますけど、実は3曲目「サンクチュアリ」となっているその後半は(8:23 から)「イッツ・アバウト・ザット・タイム」ですね。はっきりマイルズがそのモチーフを吹いているのに、どうして発売元はトラックを切らなかったんでしょうか。「サンクチュアリ」になってからも 1:49 までは「ビッチズ・ブルー」ですし、そこから 4:28 までは「アイ・フォール・イン・ラヴ・トゥー・イージリー」です。

 

ロスト・クインテットのことを書くのはひさしぶりですから、ちょっと再説明しておきましょう。1969年のマイルズ・バンド、正確には前68年暮れに誕生していたんですけれど、ボスのマイルズ以下、ウェイン・ショーター、チック・コリア、デイヴ・ホランド、ジャック・ディジョネットの五人編成を、ぼくたちはロスト・クインテットと呼びます。なぜ lost かというと正規録音がひとつもないから。

 

正規録音がないとはいえ、1969年にこのバンドは活発に活動していて、グループとしての実態があったんです。年間とおしライヴには実にたくさん出演していますし、またスタジオ録音でも、同年二月の『イン・ア・サイレント・ウェイ』、八月の『ビッチズ・ブルー』ともに、ロスト・クインテットを軸に据えて参加メンバーを大幅に拡充したものなんですね。「サイレント」のときだけはドラムスがトニー・ウィリアムズですけれども。

 

1969年というマイルズにとって非常に重要な一年を、ともに充実して過ごしたのがこのバンドであったにもかかわらず、どうしてなのか正式ライヴ録音を一度も行わなかったことを、後年マイルズ はたいへんに悔いたといいます。実際、各種ブートレグで聴けるこのロスト・クインテットのライヴのなかには、かなりぶっ飛んだすごいものがありますので、記憶力のかなりいいマイルズのこと、正式録音しておくべきだったと追想するのも当然です。

 

そんなわけで今日話題にしたい『ザ・ロスト・クインテット』も、そんなライヴ・ブートの一つなんですね。そして、このアルバム、なかなかテンションの高いすばらしい演奏を繰り広げている箇所もあります。それはぼくの聴くかぎりふたつ。一個は1曲目「ディレクションズ」。もう一個は(「サンクチュアリ」となっているトラックの後半 8:23 からの実質3曲目)「イッツ・アバウト・ザット・タイム」です。

 

「ディレクションズ」は例によっていつものようにチックのフェンダー・ローズむずむずによってはじまりますが、一番手マイルズ、二番手ウェインともにソロ内容がたいへん充実していますよね。マイルズも短いながら実に荒々しくというか猛々しいソロを吹きますし、テナーのウェインもフリーキーにかっ飛んでいて見事です。惜しむらくはこの「ディレクションズ」、完全収録じゃありません。ウェインのソロ終盤からフェイド・アウトして切れちゃっていますよね。ウェインはもっと長く演奏したかもですし、チックのソロだって聴きたかったところです。

 

3曲目の「イッツ・アバウト・ザット・タイム」(「サンクチュアリ」8:23 から)は、その点、完璧です。一番手マイルズのソロは平均的な出来かなと思うんですけど、ソプラノを吹く二番手ウェインのソロが超絶的ですよ。ソプラノでここまでアグレッシヴに攻めるウェインはほかでは聴いたことがありません。フリーキーに細かいフレイジングをくりかえしながらどんどん異様にもりあがるさまは、聴いているこっちまで興奮しますね。

 

そしてそんなウェインのソプラノ・ソロ背後のチックの伴奏ぶりにも注目してください。過激にフェンダー・ローズを叩きつけるように弾きまくるその様子は、手に汗握るよう。チックってこんなにも攻撃的で先鋭的なエレピ奏者だったんですよね。同様にハードに迫るジャックのドラミングもあいまって、三者一体でいったいどこまで行くの〜?という激しい世界を展開していますよね。

 

チックは、そんなウェインのソロ背後でのアグレッシヴな伴奏の雰囲気をそのまま自身のエレピ・ソロ(ではほぼジャックが休んで、デイヴとのデュオ演奏)に持ち込んでいます。一般に1969年ロスト・クインテット時代のチックの演奏はこんな過激さに満ちているんですが、このブート・アルバムの「イッツ・アバウト・ザット・タイム」でのソロほどとんがった内容のものはなかなかありませんよ。こりゃ完璧にフリー・ミュージック。いやあ、ウェインもチックも、すごいなあ。

 

(written 2019.11.15)

2019/11/16

コペンハーゲン発のアフロ・ジャズ、クティマンゴーズがカッコいい

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https://open.spotify.com/album/2Af3s3gQ70cTALCmRFwSkr?si=OT9TISrTQT2FSSoKbPTzdw

 

bunboni さんにご教示いただきました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2019-10-08

 

クティマンゴーズはデンマークはコペンハーゲンのアフロ・ジャズ・バンド。ホーン三管(トロンボーン、2サックス)をふくむ六人編成です。その最新作『アフロトロピズム』(2019)がもう超カッコイイんですよね。大傑作と言えるのではないでしょうか。アフロビートをとりいれたアフロ・ジャズ・バンドはあまたあれど、ここまでの作品はなかなかなかったでしょう。

 

ジャズ・バンドでありながら個人の楽器ソロはほとんどなく、もっぱらアンサンブルで突き進むクティマンゴーズの特色は、ぼくに感じられるところ、さわやかさですね。特にホーン・アンサンブルの響きにそれを聴きとっているんですけど、これって北欧的ってことになるんでしょうか。トロンボーン+2サックスという編成で、ちょっとヒンヤリした涼感のあるサウンドを奏でているなと思います。

 

そんなさわやかさは、実はクティマンゴーズの演奏するアフリカン・ビートにも感じられ、どこか熱くなりすぎない、入り込みすぎず客観視するバンドのクールな自我を感じます。しかしかなり込み入った激しいビートを演奏していることはたしかですよ。でも、アフリカン・ビートをそのまま持ってきたというんじゃなく、全員が欧州白人であるという一種のフィルターみたいなものをいったん通過しているような気がします。

 

そんなビートと(ホーン・)サウンドのさわやかさがぼくにとってはクティマンゴーズ最大の魅力ですね。それと同時にかなりのスリルを感じるのもたしかなことで、たとえば3曲目「コール・オヴ・ザ・ブルブル・バード」なんかたまらないですよね。この曲の中盤でホーン・アンサンブルがいったん止まってリズム・セクションというか打楽器だけになるパートがありますが、そこへ入る瞬間のこのゾックゾクするフィーリングがやみつきになります。ホーンズがふたたび出たら、やっぱり同様にスリリング。

 

1曲目の「ストレッチ・トゥワーズ・ザ・サン」なんかでの細かいビートの重なり合いと積み上げで産み出す独自のグルーヴも心地いいし、細かいビートの重なり合いというのはリズム・セクションだけでなく、ホーン・アンサンブルもそうなっているなと思うんですね。ゆったり大きくうねる箇所はすくなくて、細切れのフレーズの連続・反復をリズムもホーン・セクションも演奏しています。

 

かと思うと4曲目「キープ・ユー・セイフ」なんかでは大きくノル感じでホーンズは演奏していますから、多彩ですよね。ところでこの曲はリズムよりもホーン・アンサンブルを聴かせるワン・ナンバーということなんでしょうか。アルバム中特にこの曲でホーン演奏の北欧性みたいなことを強く感じます。こういった曲は、ありきたりのアフロ・ジャズ・バンドでは聴かれませんね。

 

そういった独自のホーン・アンサンブルは、実はアルバム全体で活用されていて、このクティマンゴーズというバンドのオリジナリティになっているんですね。5曲目以後もアフリカンなビートを存分に活用しながら、その上にうまくホーンズを重ねています。しかもそれらが一つになって溶け合っていて、決してバラバラではないんですね。

 

6曲目「マニー・イズ・ザ・カース」もすごくカッコいいし、アルバム中いちばん長い八分以上あるラスト7曲目「サンド・トゥ・ソイル」なんか、細分化されたビートをすこしづつ重ねていきながらそこにトロンボーンが乗ってくる瞬間の快感とか、ドラマーがバンと来てアンサンブルがなだれ込む刹那も超気持ちいいし、またリズムだけになったりしながらサックス・ソロが来て、ふたたびアンサンブルになったりなど、展開が多彩で聴きものですね。しかもやっぱりどこかさわやかでクール。

 

(written 2019.10.28)

2019/11/15

跳ねるビートと親しみやすい旋律 〜 アルバニアのポニー

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https://open.spotify.com/album/54toJAtcZwEQlghZfagXpF?si=fnwPx5XNSqKrqZAgzsFbHg

 

bunboni さんに教わりました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2019-10-04

 

なぜなのか、取り憑かれたようになんども聴いてしまうポニーの2019年作『Identitet』。アルバニアのポップ・フォーク歌手みたいです。アルバニアの音楽をなにも知りませんが(たぶんこれではじめて聴いた)、いったいこのアルバムのどこにそんなに魅力を感じているんでしょう?垢抜けない感じなのに、どうしてかクセになってしまいます。

 

アルバニアのことをなにも知らず、周囲のバルカン諸国のことだってほぼ無知なぼくですけど、ポニーのこのアルバムで感じる魅力は、大きく言って二点です。この跳ねるリズム、つまりシンコペイションと、旋律というかそれをつくる音階ですね。またバルカン的哀感とでもいいますか、独自の情緒を感じることもできますね。

 

ポップ・フォークなんですから、収録されている全6曲7トラックは、すべてアルバニアの民謡なんでしょう。民謡ならではといいますか、この独自のメロディ展開、それはバルカンとか東欧的とだけいうよりも、なんだか東洋的なといえますかどうか、あるいはひょっとして日本の民謡の旋律づくりにも相通ずるような動きがあるかもしれません。なんだか垢抜けず田舎くさいと感じるのも、そこらへんが理由かも。

 

素朴、純朴というか、このクッサ〜い感じがいかにも民謡的だなと思うわけですが、ぼくがポニーのこのアルバムを聴いていて感じる親近感、なんだか他所の世界の歌だという気がしないとでもいいますか、身近なフィーリングがあるのも、そんな旋律、音階の類似性があるからかもしれないですね。気のせいかもしれません。たんにフォーク歌手だから親しみやすい衣をまとっているだけかもしれません。

 

また、どの曲もリズムが強く跳ねているのもこのポニーのアルバムの大きな特徴ですよね。シンコペイションのかたちは曲によって異なりますし、またリズムが複雑というか変拍子(バルカン、東欧的?)を使っているものだってありますが、個人的にはビートの効いた音楽が好きなもんで、だからこのアルバムも好みであるという、そんな面だってありますよね。

 

アルバニアの民謡が、ポップ化しないばあいどんなリズムを持っているのか、ぼくにはなにもわかりません。そもそもポニーのこのアルバムだって、どんな素材にどんなアレンジを施しているのか、わかるわけもなく、ただ聴ける完成品を楽しんでいるだけですけど、ノリやすくダンサブルだし、全体をとおしリズムの跳ねはとってもチャーミングですね。

 

また、アルバムに2ヴァージョン収録されている(4、7)「Kolazh Dasme」は、どっちもどんどん調子が変化します。それにともなってリズムのかたちもどんどんチェンジするので目まぐるしい感じですが、しかしフォーク・ミュージックってわりとどんな世界のものでもそうだったりしますよね。アルバニアでもそうなのかもしれないです。

 

いずれにしても(アルバニアのことをなにも知らない)ぼくのような日本人音楽好きが、いっさいの予備知識なしで聴いてもけっこう楽しめるというかクセになりリピートしてしまう魅力を持ったアルバムなのは間違いありません。それだけの聴かせる魅力を持っているのがアルバニア民謡なのか、ポップ化した際のアレンジなのか、ポニーのヴォーカルなのか、そこらへんはぼくにはまだよくわかりませんけれども。

 

(written 2019.10.24)

2019/11/14

イナタいジャズ・オルガン 〜 ベイビー・フェイス・ウィレット

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https://open.spotify.com/album/5eaTwFVFo3DLYwcD7cHCPu?si=emPmzynYRH-UI08BgGJEuQ

 

これは偶然の出会いでした。ブルー・ノート公式の、とある配信プレイリストを流していて、おっ、これいいじゃん!だれ?ってなったんですね。それがベイビー・フェイス・ウィレットの『フェイス・トゥ・フェイス』(1961)収録の「ゴーイン・ダウン」。スロー・ブルーズなんですけど、いやあ、なんてイナタいんでしょうか。あんまりジャズの形容にイナタいってことば使わないでしょうけど、思わずそう言いたくなりますね。

 

その「ゴーイン・ダウン」でもそうですけど、このアルバムのメンツはカルテット。ギターのグラント・グリーンだけがぼくの知っていたひとで、ほかのボスのオルガン、テナー・サックス、ドラムスともに無知にして知りませんでした。でも、アルバムを聴くと四人ともなかなかの実力者だとわかります。1961年ですから、アメリカにはこれくらいのジャズ・メンはごろごろいたということでしょうね。

 

とにかく2曲目の「ゴーイン・ダウン」の印象があまりにも強いんですけど、これ、1961年のハード・バップ・ナンバーというにしてはかなりくっさ〜くブルージーですよねえ。ジャズ・ナンバーというよりもリズム&ブルーズ・インストと呼んだほうが適切かと思うくらいです。61年当時で言えばファンキーということばで形容できるいちスタイルでしょうね。

 

だからほかにもいっぱいあったのはたしかですし、さらにオルガンだからいっそうイナタく聴こえるということもあるでしょう。テナー・サックスのひとは知らないんですけど、ギターのグラント・グリーンもまたブラック・ルーツに根ざしたアーシーな演奏を得意とする人物なんで、だから「ゴーイン・ダウン」みたいなこんなフィーリングにはぴったりの好人材ですよね。

 

「ゴーイン・ダウン」がジャズというよりリズム&ブルーズ・フィールに近いなと思うのは、曲のリズムのおかげもあります。ハチロク(6/8拍子)の三連ですよね。それもファンキー・ジャズのスロー・ナンバーのなかにはけっこうあるとはいえ、この「スロー・ダウン」ほど見事にくさく決まっているものはなかなかないですよ。曲はベイビー・フェイス・ウィレットの自作ですから(このアルバム収録曲はほぼぜんぶそう)、こんな持ち味のひとなのかもしれないですね。

 

そのベイビー・フェイス・ウィレットのオルガンも、「ゴーイン・ダウン」ではハモンド・オルガンの特徴を最大限にまで活かしてグリグリやっているのがぼくには快感です。フレイジングもファンキーさ、アーシーさ、ブルージーさ満点。ボスのソロは二回出ますけど、どっちも最高ですね。あいだに入るテナー・サックス・ソロもギター・ソロも、これでもかとばかり下世話に盛り立てて、言うことなしですよ。

 

こんなにもイナタい「ゴーイン・ダウン」が2曲目にあるもんで、アルバムのほかの収録曲がかすんでしまいますが、でも本当はなかなか悪くないです。一聴、ふつうのメイン・ストリームなハード・バップのオルガン・カルテット演奏かと思わせておいて、実は4/4ビートの底に8ビート・シャッフルの感覚を持っていますよね、数曲で。テーマ部でラテン調になる他作曲の「ワットエヴァー・ローラ・ワンツ」もあって楽しいし、だれも言及しない隠れた作品のような気がしますが(ぼくだって知らなかった)、『フェイス・トゥ・フェイス』っていいアルバムですね。

 

ハード・バップ全盛期にはこんなのが山ほどあったんでしょう。

 

(written 2019.10.23)

2019/11/13

スアド・マシの2019年新作はアクースティック路線に回帰して、いい感じ

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https://open.spotify.com/album/4hu42nNoG5DCRahtvY77NP?si=g5tFQmlYTuiT21hXS5kGXA

 

アルジェリア/フランスのスアド・マシ。リリースされたばかりの新作『Oumniya』(2019.10.11)がとってもいいですよ。エレクトリック楽器は極力おさえ、控えめに弾かれるベースだけ。ほかはアクースティック・ギターやウードと打楽器(ドラム・セットのこともあり)だけっていう、かつての路線に回帰したようなサウンドで、しかもアルジェリアのルーツ音楽にも還ったような内容なんですね。これなら大歓迎です。

 

アクースティック&アルジェリア・ルーツに回帰したっていうのは、アルバム1曲目「Oumniya」のイントロを聴いただけでわかりますよね。この雰囲気、しかもメランコリーに満ちたスアドらしいこの感じ、これですよ。歌のサビに入ってリズムが入ってきてからも実にすばらしいフィーリングです。軽いビートが効いていて、しかし沈み込むように暗く重い、このスアドがスアドであるというレゾン・デートルみたいな曲調。

 

もうこの1曲目を聴いただけで、今回の新作がなかなかいい内容なんだなと納得できちゃうくらいですけど、スアドって歌が決して上手いとかいうタイプじゃないですよね。アラブ圏の歌謡界にたくさんいる強く張った声で朗々とコブシをまわしたりはしないです。ボソボソっとしゃべるようにというかつぶやくように声を落としていくような歌いかたですよね。スアドのばあいはそんなトーキング・ヴォーカルがかえっていい効果をもたらしているなと感じます。

 

3曲目「Ban Koulchi」はややシャアビっぽい曲。ウードが華麗なめくるめく旋律を奏でる導入部からしてオオッと思わせます。こんな路線の曲、いままでのスアドにありましたっけ?忘れているだけかもしれませんが、これ、かなりいいなあ。っていうか今回の新作でぼくのいちばんのお気に入りがこれです。北アフリカの打楽器がビートを刻みはじめスアドらが歌いだしたら、ぼくはもう最高。ヴァイオリンも聴こえます。マジ、この3曲目は白眉じゃないですか。

 

完璧アルジェリア音楽みたいなそんな3曲目のことが忘れられませんが、そのほかギターを中心とするやっぱりフォーキーなテイストの曲が並んでいたりするのも従来のスアドっぽいですね。アクースティック・ギターはスアド自身の演奏なんでしょう。必ずしもアルジェリアとか(彼女のルーツである)ベルベル系歌謡とあまり関係なさそうなものも並んでいますが、アメリカ音楽好きにも聴きやすくていいですね。

 

5曲目「Salam」はいかにもメランコリックなスアドらしい曲で、どうしてここまで沈んでいるのか?と思っちゃいますが(といっても歌詞のことはアラビア語だからわかりません、曲調のことです)、スアドのメランコリーは聴いていてもこちらの気分は落ち込みませんね。むしろ、そのなかにぼくも身を置いて漂って、それでなかなかいい気分にひたったりできるから、ちょっと不思議です。

 

フランス語で歌う二曲(7曲目も仏語題ですが中身はアラビア語)をふくむ、アルバムの全10曲で約42分間。あっという間に過ぎていきます。完璧なスアドの世界がここにはありますね。後半は必ずしも憂鬱で暗く漂っているだけでもなく、もっと強くはっきりしたものを表現しているようにも思います。男性ヴォーカルをまじえている8曲目「Fi Bali」もアルジェリア音楽っぽく、またアルバム・ラストの10「Je chante」はスアドの歌手宣言みたいな内容でしょうか。

 

(written 2019.11.12)

2019/11/12

クラシック・ロックは金持ち中高年の愛玩品となったのか?

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大きなボックス・セットばかり出るのはもういいかげんウンザリなんです、クラシック・ロック界。ビートルズにしたって今2019年は『アビイ・ロード』50周年記念ということで、数枚組サイズのでかい、つまり価格も高いボックスがリリースされました。ぼくはもはやおつきあいする気が失せていますので、Spotify で聴いて済ませています。CD を買う気はまったくなし。

 

ビートルズは昨年も『ワイト・アルバム』の50周年記念ボックスがありましたよね(来年は『レット・イット・ビー』の箱が出る?)。そこまではぼくも買っていたんですけど、もうなんか、古い(評価の定まった)ロック・ミュージシャンの再発ものって、こんなのばっかりになりましたよね、最近。いつごろからでしたっけ?10年くらいはこんな状態が続いていると思います。

 

だからもちろんビートルズだけでなく、エルヴィス・プレスリーをはじめとして1950/60/70年代に活躍したロック・ミュージシャン、バンドの再発ものはぜんぶそう。高価なボックスものばかりになって、それがまたどんどん次から次へと出るもんですから、ぼくなんかもう完全に息切れしていてギヴ・アップ状態なんですね。

 

ひとつには経済的事情もあります。お金をどんどん使うのはわさみん(岩佐美咲ちゃん)関係でということになりました。わさみん歌唱イベントがぼくの日帰りできる地元で開催されるなんてことはないので、生歌を聴きに会いに行くばあいは必ず往復の交通費とホテル代が必要です。その上イベント現場にいけば握手券目当てでどんどん CD を買うので、だからお金がかかるんですね。

 

わさみん関係でお金をどんどん使うようになりましたので、そのほかのことはなるべく緊縮財政でいかないとお財布が持ちません。クラシック・ロックではないほかの音楽の新作 CD やリイシューものだって(特に Spotify で聴けないばあいは)買いたいのに、内容がほぼ知れている古いロック・ミュージシャンの大部なボックスなんて遠慮しちゃうんですよ。万円単位がふつうですもん。

 

もうひとつ、ロックでもなんでもそうですけど大衆音楽は身近で親しみやすい、近づきやすいという点が大きなメリットで、もともとが金持ち特権階級の趣味だったクラシック音楽なんかとはそこが根本的に違うのに、一巻数万円もするような高価なボックス・セットをどんどん売るという商売はいったいどうなんだ?という大きな疑問だってあるんですよね。

 

なかでも特にロック・ミュージックは庶民性、卑近さがウリだったはずでしょう。近付きがたい高貴な人物が特別なことをやっているんじゃなくて、そこらへんの近所のおにいちゃんたちが安い楽器を持ってわかりやすいことをやっているという、なんというか原初的動機がロックのばあいとても大きなものでした。ボブ・ディランだってビートルズだってローリング・ストーンズだって、もともとはそんな連中でした。

 

彼らが現役で大活躍していた(ディランとストーンズはいまだ現役だけど)時代に青春時代を過ごし、知って聴くようになってファンになった世代が、いまちょうど還暦ちょい(だいぶ?)過ぎあたりになると思うんですよね。若い時分にはお金がなくて、一枚のレコードを舐め尽くすようにくりかえし味わっていたそんなみなさんもすっかりエスタブリッシュメントになって、お金と生活にゆとりができるようになっているかもしれません。

 

レコード会社はそんな世代を狙い撃ちしているんですよね。一巻で軽く一万円を超えるような大くて高価なクラシック・ロックのボックス・セットを、後追いで彼らを知った若いファンが買っているとはあまり思えません。なかには買っているひともいるでしょうが、そんなボックス・セット購買層の大半が50歳過ぎの中高年に違いありません。

 

つまり要するにぼくの言いたいことは、ロック・ミュージックの存在理由・価値観が薄れているんじゃないかと思うわけですよ。失せてはいなくても確実に変質はしています。大部なボックス・セットの相次ぐ発売に象徴されるように、1970年代くらいまでのクラシック・ロックは、いまや金持ち中高年層のための趣味となってしまいました。そこにヤング・ジェネレイションや若くてナイーヴな感性が共感できるような内容はもうないんです。

 

(written 2019.10.22)

2019/11/11

「私は(北米も中南米も)アメリカという一つの大陸として見ている」 〜 ガビー・モレーノ&ヴァン・ダイク・パークス

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https://open.spotify.com/album/5fJPmkm2zrCmEFyxkADcri?si=dpijWLVvTkaAaoJc4dfRdw

 

うわあ、これはかなりの傑作ですね、『スパングルド!』(2019)。グアテマラ人歌手ガビー・モレーノとアメリカ合衆国のヴァン・ダイク・パークスのコラボレイション・アルバムです。ガビーもヴァン・ダイクも、いまはロス・アンジェルスで活動していますよね。そこにいながらにして、中南北を俯瞰したような汎アメリカン・ミュージックをこの作品では指向したと言えます。

 

この『スパングルド!』でぼくがいちばん感動したのはヴァン・ダイクのアレンジですね。実に見事なオーケストレイションじゃないでしょうか。ガビーも素直な発声できれいにスムースに歌っていて、好感が持てます。ガビーのヴォーカルには特にこう、ひっかかりというか、大きな強い特色みたいなものがないと思うんですけど、そのナチュラルさがこのアルバムではかえって楽曲やアルバム全体での普遍性をきわだたせることになっていて、大成功です。

 

そんなガビーとヴァン・ダイクがたぶん共同で曲を選んでいったんんじゃないかと思いますが、楽曲はアメリカ合衆国のものもあれば中南米のものもあって、わりとまんべんなくチョイスされているなといった印象です。英語圏の歌は英語で、ラテン系の曲はスペイン語かポルトガル語でガビーは歌っていますね。グアテマラの歌手だからといって、ラテン系楽曲ばかりにはしたくなかったとのガビーのことばがありますが、汎アメリカ性みたいなことに配慮した結果なのでしょう。

 

さらに、楽曲の選択もさることながら、このアルバムに統一感をもたらしているのは、なんといってもヴァン・ダイクのオーケストレイションでしょう。北米の曲も中南米の曲も自然な感じでスーッとつながるように、なんというかラテン系の曲でもエキゾティズムや国の音楽アイデンティティを出さず、極力それは消して、スムースにというか <アメリカの>音楽として一つに聴こえるよう、アレンジに腐心したのがうかがえます。

 

そんなヴァン・ダイクの尽力のおかげで、『スパングルド!』を聴いているぼくは、どの曲がどこの国のものだみたいなことをほとんど意識せず、アルバム全体をひとつながりのものとしてスーッとスムースに聴けるんですね。じっくりたどってみると多様な曲が並んでいるのに、どの曲も同じ<アメリカ>の音楽に聴こえるからすごいです。ガビーとヴァン・ダイクがつとめてそうなるようにしたというのがわかります。

 

そんな<アメリカ>とは、だから実はどこにもないものです。架空のというか仮想のもの、ファンタジーですよね。でも音楽の世界では、南中北アメリカ一体となった統一感、一体感をガビーとヴァン・ダイクは表現することに成功していて、それこそがこのアルバムの勝利であり、実は国境なんかないんだよ、そんなもの越えていこう、ひとつになろう、というのがこのアルバムの意図なんじゃないかなと思えてきます。

 

ってことは、いまガビーもアメリカ合衆国に住んでいるわけですし、この国の大統領が実行している国境分断政策やらといった政情に強くアピールする色濃い時事性、政治性をも帯びた作品であるとも言えますね。トランプ時代になって、音楽の世界でもライ・クーダーやメイヴィス・ステイプルズなど、音楽を使った発言が増えていますが、ガビーとヴァン・ダイクの『スパングルド!』もまたそんなひとつと言えましょう。

 

(written 2019.10.17)

2019/11/10

リベリアのアフロ・ジャズ・ファンク、カピンジーがかっこいい

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https://open.spotify.com/album/2g2XdoOf0PLsR9i23L7Jcn?si=k-hNXVqnRhS8naI4ijYHow

 

bunboni さんに教えていただきました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2019-10-12

 

カピンジーと読むらしい Kapingbdi。リベリアのバンドです。その編集盤『ボーン・イン・ザ・ナイト』(2019)はこのバンドの三枚のレコードからの抜粋みたいで、しっかしこ〜れが!カァ〜ッコイイんですよ。リベリア音楽のことをまったく知りませんが、このアルバムで聴くかぎり、1970年代のアメリカにけっこうあったアフロ・ジャズ・ファンクですね。

 

アルバムの全10曲、テンポのいい快速グルーヴ・チューンばかり続くのはコンピレイションだからなんでしょう。このバンドの魅力をギュッと凝縮して届けたいという編纂者の意図が伝わります。実際、カピンジーの『ボーン・イン・ザ・ナイト』を聴くと、猛烈にグルーヴするカッコいいバンドだって納得しますよね。リーダーはサックス(&たぶんフルートも)のコジョ・サミュエル。編成はコジョのほか、たぶんギター、キーボード、ベース、ドラムス、パーカッションっていう感じでしょう。

 

とにかくアルバム1曲目の「ドント・エスケイプ」。この曲の出だしから三分すぎまでのテンポ・ルパートな導入部はぼくにはどうってことないですが、その後ドラマーが激しく叩きはじめ、強いビートが効きだしてからが本番ですよ。もうそこがなんといっても超カッコイイんでシビレます。グルーヴがね、生きていますよね。コジョのサックスはもちろんいいんですけど、個人的にはこのギターリストが大の好みです。伴奏で刻んでいるときもソロでも、実にカッコいい弾きかたですねえ。どの収録曲でもそう。

 

アルバムは全体的に似たような感じで進みますが、曲によってコジョはフルートを吹いたり、また歌ったり、あるいは男声バック・コーラスみたいなのも頻繁に聴こえるのはバンド・メンバーによるものでしょうか。1曲だけ女声リード・ヴォーカルの曲もありますね。でもどの収録曲もつくりの根本は同じです。手数の多いドラマーの叩きかたも好みですねえ。

 

4曲目の「アワ・ヘリティッジ」もすごいグルーヴだし、この曲ではコジョはフルートですけど、吹きまくるテナー・サックスで聴いてみたかったと思わせるいい曲です。コジョのサックスの吹きかたはちょっとジョン・コルトレインとかそのフォロワーみたいな感じで、1960〜70年代にはたくさんいたあのスタイルですね。それがアフロ・ジャズ・ファンクとこんなに相性いいんだから、トレインだってもっと長く生きていれば…。

 

8曲目の「マリ・フィーリング」でもギターリストがとてもいいですが(まるでギターを弾くトレインみたい)、このリズム、ビート感こそ命ですよね。アフロ・グルーヴに乗って、ここではコジョがサックスを吹いてくれます。そのソロが実に聴かせる内容で感心しますよね。リベリアにこんなにすばらしいサックス奏者がいたんだなあ。しかもこんなにもカッコいいアフロ・ジャズ・ファンクをやってくれていて、こんなにもグルーヴィだっていう。はっきり言って降参しちゃいました。

 

(written 2019.10.16)

2019/11/09

岩佐美咲『美咲めぐり 〜 第2章 〜』を聴く

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こちら愛媛県大洲市という超ど田舎にも、発売日翌日の11月7日に岩佐美咲(わさみん)のニュー・アルバム『美咲めぐり 〜第2章〜』が届きました。もうなんども聴いていますので、ちょっとした感想を記しておきたいと思います。通常盤と初回限定盤の二種ありますが、上に写真を出したのは初回限定盤。そっちには通常盤の全曲を収録してなおかつ独自にオリジナル曲の近年ライヴ・ヴァージョン三曲があります。

 

『美咲めぐり 〜第2章〜』の目玉は、一般的には「魂のルフラン」と「千本桜」ということになるのかもしれませんが、個人的には「雨」と「秋桜」ですね。それからライヴ・ヴァージョンの「初酒」「もしも私が空に住んでいたら」、特に「もし空」です。これらは本当に絶賛すべきできばえに違いありません。すばらしいのひとこと。

 

「雨」(森高千里)と「秋桜」(山口百恵)はちょっと似たような傾向の曲です。歌詞内容はかなり違いますが、曲調が似ていますよね。しっとりと落ち着いた大人のおだやかな情緒を表現したもので、それを歌い込むわさみんのヴォーカルは以前よりもぐんとセクシーさを増しています。ここまでとは正直言って予想していましたが、それでもやはり驚きの完成度ですよね。

 

セクシーさ、言い換えれば色艶を声のトーンそのものに持てるようになったということで、わさみん個人の人間的成長もさることながら、ソロ歌手として10年近いキャリアを持ちいろんなタイプの楽曲をどんどん(ほぼ毎日)歌い込み続けてきているという経験が、ヴォーカルにこれだけの大人の色艶をもたらしているのではないかと推測します。

 

声が丸くなっておだやかさを増し、しかも落ち着いてきていますよね。「雨」はつらい失恋を歌った曲ですが、このまま濡れておきたい、雨が気持ちを流してくれるからという、そんな歌詞を表現するわさみんの歌声に聴きとれるのは、決して切なさや哀しさではありません。この恋を流して、さぁ前を向いて歩んでいきたいという肯定感こそがそこにあると思うんですね。

 

「秋桜」は、はっきり言って山口百恵の名唱がありますから、わさみんでもそれを凌駕できているかどうかわからないのですけど、それでもわさみんなりのしっとり情緒をうまく出せているなと思います。楽曲そのもののよさ、アレンジ、主役歌手の表現力など諸要素をトータルで考えれば、この「秋桜」が、今回の新作アルバムで個人的にはベスト・トラックです。エンディング部の演奏というか音量変化がちょっと妙ですけど(最初 CD の再生不良かと思った) 、それでも、いやあ、すんばらしい。

 

いやいや、ちょっと待ってくださいよ。初回限定盤の末尾にボーナス・トラックとして収録されている近年ライヴ・ヴァージョンのオリジナル曲三つのうち、「初酒」「もし空」の二曲は、もっといい出来の歌唱を聴かせているかもしれませんねえ。なんどもなんどもそれこそ無数に歌い込んできている持ち歌だけにそのことによって、またわさみんのここ二年ほどの大幅な急成長によって、曲そのものが違って聴こえるほど大充実しているのではないでしょうか。

 

「初酒」にしろ「もし空」にしろ、わさみんは(シングル CD とは違う)ライヴならではの独自フレイジングを聴かせてくれているんですが、それ以上に声そのものの色がぐっと丸くて太くなっています。張りと伸びと幅が出てきているというか、余裕と艶を増しています。特にアルバム・ラストの「もし空」ですね。これはわさみんオリジナル曲のいままで発売されたヴァージョンのなかでも絶頂を記録したものと言ってさしつかえないと思います。

 

「もし空」はわさみんファンのみなさんが声をそろえるように名曲だとぼくも思うんですが、この新作アルバム・ヴァージョンはすごみに満ちていますよね。迫力があるというか壮絶さすら感じます。こんな「もし空」はいままで聴いたことがありません。2018年2月の恵比寿でのコンサートで収録したものだからぼくも現場で聴いたはずですが、ここまでの見事なものだったとは失念していました。特に終盤部での歌唱の節まわしと発声なんか、なめらかさにおいて絶品ですよねえ。

 

全体的に見てわさみんのニュー・アルバム『美咲めぐり 〜第2章〜』は、楽曲のすばらしさ、堅実なアレンジ、そして主役歌手のヴォーカル・トーンと表現力の大幅な充実によって、三年前の「第1章」を大きく超える傑作に仕上がったものと言えましょう。いまの日本で、演歌、歌謡曲、J-POP、アニソン、ヴォーカロイド曲など、ここまで多彩な楽曲の数々を自分の土俵にひきつけて、均一かつ着実にこなせる歌唱能力を持った歌手がほかにいるのなら、ぜひ教えていただきたいものです。

 

(written 2019.10.8)

2019/11/08

ディランとキャッシュのロカビリー・セッション 〜『トラヴェリン・スルー』

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https://open.spotify.com/album/1euXUeJobzra05wyBIrdtH?si=qxttU0cHRsuUNGxdPW2yyQ

 

ボブ・ディランのブートレグ・シリーズ、最近のものはちょっとやりすぎだとぼくは思っています。未発表音源集の CD で10枚組近いとか以上というようなサイズを、それもやつぎばやにポンポンと立て続けにリリースされたってお財布事情が許さないし、追いつけたって味わう時間もないっちゅ〜ねん。そんなわけでここのところの同シリーズは買わずにスルーを決め込んでいました。どうしてだか Spotify では抜粋のサンプラーしか聴けませんしね。

 

ところが今2019年11月の頭に発売された Vol.15はそうはいかないですよねえ。なんたってジョニー・キャッシュとの共演をふくむ1967〜69年の音源集で、そりゃあもう『ジョン・ウェズリー・ハーディング』と『ナッシュヴィル・スカイライン』が最愛のディランであるぼくなんかには、そこをメインとする未発表録音集で、しかも今回は CD 三枚組とあまり大きすぎないサイズですからね、もう感涙。

 

それで三枚組の CD を買いましたが、それでもやはり今日は Spotify で聴けるそこからの抜粋サンプラーに沿って話を進めたいと思います。やっぱりなんといっても聴けるかどうか、みんなでシェアできるかどうかは大きな違いですからね。ボブ・ディランとコロンビア側にも、ブートレグ・シリーズぜんぶをフルにストリーミングで聴けるようにしてもらいたいと強く願っておきます。

 

さて、その『トラヴェリン・スルー』(サンプラー)。中心は(CD でもそうですが)ジョニー・キャッシュとの共演音源でしょうね。サンプラーのほうでは7〜12曲目がそれと、やはり中核を成しています。既発アルバムだと『ナッシュヴィル・スカイライン』に「北国の少女」一曲があったのみですが、やはりかなりたくさんのセッション音源があったんですね(CD だと25トラック)。

 

ディランとキャッシュの共演最大の特色は、ロカビリー/ロックンロール色を強く帯びているということじゃないでしょうか。キャッシュとの共演でありながら、カントリーというよりエルヴィス・プレスリー的なロカビリー・ミュージックに近づいていると思います。そんな部分は『ナッシュヴィル・スカイライン』ではわからなかったことですよね。ロック・ミュージックの持つ(黒人ブルーズ的以外の)白人音楽要素を前面に出したとでもいいましょうか。

 

たとえばサンプラーにはカール・パーキンスの「マッチボックス」が収録されていますよね。たしかにカントリーに寄ったような色彩もありますが、これはほぼロックでしょう。CD だとほかにも「ザッツ・オールライト」や「ミステリー・トレイン」といったエルヴィスのレパートリーだった曲での共演が収録されているんですね。どうせだったらそれらをサンプラーにも入れてくれたらこのセッションの特色がもっとハッキリしたのになぁと思うんです。

 

がしかしそれをせずロック・スタンダードは「マッチボックス」一曲だけをサンプラーに収録したのは、サンプラーゆえの制限と、もうひとつあまり(ブルーズ的な)ロック・サイドに寄りすぎないようにとの配慮があったかもしれません。『ジョン・ウェズリー・ハーディング』『ナッシュヴィル・スカイライン』といったあたりのディランの音楽は、かなり鮮明にカントリー(・ロック)に傾いていましたから。そうはいってもサンプラー9曲目「ビッグ・リヴァー」や11「ゲス・シングス・ハプン・ディス・ウェイ」もロック・ナンバーっぽいのではありますが。

 

サンプラー10曲目の「北国の少女」(リハーサル・テイク)。大好きな曲なんですが、ディランもキャッシュもまだ手探りといった状態で、『ナッシュヴィル・スカイライン』で聴けるような、冬の冷たくて引き締まった空気がピンと張るような清廉なアトモスフィアはありません。しかしキャッシュのほうはそれでもしっかり歌っていると言えるのではないでしょうか。

 

『ナッシュヴィル・スカイライン』の録音期に行われたジョニー・キャッシュとの共演セッションからの曲群の前後は、サンプラーだとそのアルバムと『ジョン・ウェズリー・ハーディング』からの未発表テイクが中心です。それらではディランもしっかり歌っているし、曲としても完成に近づいている、あるいはこっちをアルバム収録してもよかったと思えるほどのいい出来のものだってありますよね。

 

なにしろカントリー色を濃厚に出して少人数のアクースティック編成でこじんまりと歌うそれらの時期のディランがぼくの大好物なもんですから、未発表音源でも聴けばただただ楽しいのひとことです。なかにはサンプラー3曲目の「トゥ・ビー・アローン・ウィズ・ユー」のように本テイクとかなり様子の異なるものだってありますが、それもまた一興です。

 

サンプラーのラストに「見張り塔からずっと」が収録されています。これは『ジョン・ウェズリー・ハーディング』セッションのときの曲ということで、三枚組 CD では一枚目に入っているものです。しかしそれをくつがえしてサンプラーではラストに持ってきたというあたりには、発売側のこのテイクにかける自信のようなものがうかがえますね。実際、本テイク以上といってもいい迫真の歌唱じゃないでしょうか。今回の『トラヴェリン・スルー』収録のもののなかで最高のワン・トラックでしょうね。

 

(written 2019.11.7)

2019/11/07

くつろぎのジャズ・ボッサ 〜 ルイス・ロイ・キンテート

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https://open.spotify.com/album/3O1G4pumjlwgHymvNjnPsm?si=2pAezMYpT8OOyBqcmro7zQ

 

ルイス・ロイ・キンテートといえばエリス・レジーナの伴奏バンドとして名を成したんでしたね。ぼくはあまり知らないんですけど、そのルイス・ロイ・キンテートのアルバム『ルイス・ロイ・キンテート(1966)』が、ついこないだ CD リイシューされました。例のジスコベルタスのシリーズのおかげです。このアルバムがあるということも知らず、リイシューがあってはじめて存在を知り、聴いてみました。

 

そうしたらなかなか心地いい演奏ぶりじゃないですか。ぜんぶで35分もありませんけど、ちょっとした休憩時に、カフェか自室かどこかで流し聴きしてくつろげる、良質のイージー・リスニング、BGM だと思うんですね。そう、どこか特にひっかかるというかグッと来るところのない音楽で、このバンドの演奏を集中して聴くとかいうようなものじゃないですけど、肩肘こらない内容でなかなかいいですよ。

 

全編歌はなしでインストルメンタル・オンリーな『ルイス・ロイ・キンテート(1966)』。ちょっと覗いてみていただけないでしょうか。軽いというかソフト・タッチのジャズ・ボッサみたいなものじゃないですかね。たとえば9曲目のスタンダード「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」が有名曲かなと思いますが、だからそれを聴けば、ルイス・ロイ・キンテートのスタイルがよくわかります。

 

ボサ・ノーヴァのリズムを効かせ、軽いノリでふんわりと、決してリキを込めずさらりと流すように、演奏していますよね。ドラマーの叩きかたなんかはだいたいどの曲でもこんな感じでリム・ショットを多用しているのがいかにもボッサふうですね。ピアノで伴奏をつけながらホーン二管のアンサンブルが走るっていう。

 

いちおうホーンズやピアノのアド・リブ・ソロも入るんですけど、その内容に特筆すべきものはありません。このルイス・ロイ・キンテートのつくりだすふわっとした雰囲気を味わって、なんとなくいい気分でカフェや部屋でリラックスしてたたずむとか、読書でもするとか友人とおしゃべりを楽しむとか、そんなこと向けの BGM にすぎません。でもそのためだったらフルに機能しますし、これだけぜいたくな音楽もないもんだなと思いますよ。

 

(written 2019.10.15)

2019/11/06

アート・ブレイキー生誕100周年にあたり

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https://open.spotify.com/album/00kSJu1snceWGZ0yYkTZXr?si=F5hhXBwMSBK88wNacEobYQ

 

ついこないだ、10月の10日すぎにアート・ブレイキー生誕100周年になったということで、ブルー・ノート・レコーズの公式 Twitter がなにか称賛のことばを送っていました。そうです、ブレイキーと、ジャズ・メッセンジャーズはまさにブルー・ノートの鼓動を打つ心臓みたいなものでしたもんね。そして生誕100年記念でブルー・ノートは "Art Blakey : The Finest" というストリーミング・プレイリストを公開したんです。

 

そのプレイリスト1、2曲目が予想どおり1954年のバードランド・ライヴ幕開けでして、ピー・ウィー・マーケットのイントロダクションと「スプリット・キック」をひさしぶりに聴きかえしたんですね。そうしたら、これ、完璧なワン・ナンバーじゃないかということに気がついちゃいました。しかも爽快ですし。いやあ、ここまですばらしい一曲だったとは、むかしから知っていたつもりでしたが認識をあらたにしたんですね。

 

それでブレイキーの『バードランドの夜 Vol. 1』を丸ごと聴きかえしました。やっぱりなんど聴いてもオープニングの「スプリット・キック」(ホレス・シルヴァー)が完璧だとしか思えないですよねえ。しかもブレイキーのドラミングだって非の打ちどころが一分もないですよ。テーマ合奏部〜三人のソロ〜ルー・ドナルドスン&クリフォード・ブラウンのかけあい〜ブレイキーのソロ〜最終テーマ合奏と、見事に完成されています。

 

ホレスによって徹底的にアレンジされている「スプリット・キック」でぼくが特に感心するのは、オープニング・テーマ演奏時のブレイキーのドラミングです。ラテン・リズムを使ってある曲なんですけど(ホレスに多し)、まず最初はがが〜っとスネア・ロールで出てホーン二名の合奏に。その後ラテン・ビートを叩きだし、メイン・テーマの演奏に入ります。

 

そのラテン・ビート・パートに入るときのブレイキーのドラミングのタイミングがまた絶妙だと思うんですね。シンバルを中心とする叩きかた全体もいいです。ホレスがピアノでラテン・リフを奏でているのとピッタリ合致して、フロントの管二名のリフをがっちりバッキングしています。あいまあいまにスネア・ロールを入れて装飾しながら、緩急自在、オープニング・テーマ演奏をブレイキーはこれ以上ない完璧なものに仕立て上げていますよね。

 

こういった演奏こそグループのリーダーたるドラマーのとるべきまさにお手本というようなドラミングじゃないでしょうか。ソロ・パートに入ってからも要所要所で手綱をとってみんなをしっかり盛り立てたり引っ張っていったりしていますよね。ただたんに4ビートを刻んでいるだけではありません。バンドの心臓部となって、グルーヴを牽引しています。

 

そうして「スプリット・キック」という曲ができあがっているわけですけど、このバードランド・ライヴは1954年の2月なんですね。というとハード・バップの夜明け直前といった時期じゃないでしょうか。ハード・バップは1955年か、あるいはモダン・ジャズ界全体がしっかりその方向を向いたのは名盤がこぞって録音された56年と見るべきでしょうね。

 

でもその前の1954年の「スプリット・キック」で、もはやブレイキー(やホレス・シルヴァーたち)は完璧にハード・バップをつくりあげています。実際、二枚の『バードランドの夜』ライヴ盤はハード・バップの夜明けを告げたものと位置付けられることも多いと思うんですけど、今回「スプリット・キック」をじっくり聴きかえし、その完成度の高さにびっくりしちゃいました。

 

それをもたらしているのは、むろん曲を書きアレンジしたホレス・シルヴァーや立派なソロを吹くクリフォード・ブラウンらの力量もありますが、ぼくの見るところバンド・リーダーのアート・ブレイキーの牽引統率力にほからならないです。この1954年バードランド・ライヴのときのバンドは、実質的にジャズ・メッセンジャーズの前身ですが、このライヴのあとそれを結成したら、ブレイキーはまさにハード・バップの、ブルー・ノートの、ハートビートとなっていくのでした。

 

(written 2019.10.14)

2019/11/05

「バスタブの太っちょさん」〜 リトル・フィート『ディキシー・チキン』

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https://open.spotify.com/album/4xtCtXkGuTbHQwTaVd5FCF?si=FWgPJdCyTS-Ry8wjMMQlJw

 

リトル・フィートのアルバムを発売順に聴いていくと、三作目の『ディキシー・チキン』(1972年録音73年発売)でいきなり大化けしたように思えます。ウェスト・コーストのバンドでありながら大胆に米南部ニュー・オーリンズの音楽要素をとりいれて、そしてずいぶんと都会的に洗練されたサウンドになって、ときどきジャジーにも響くっていう、しかも全般的にビートが強化されているという、そんなバンドになりましたよね、突然変異的に。

 

ベースがロイ・エストラーダからケニー・グラッドニーに交代、さらにポール・バレーア(ギター)とサム・クレイトン(パーカッション)の二名があらたに参加したというバンドのメンバー変更も、音楽性の激変に寄与したのでしょうか。でもロウエル・ジョージ自身以前からニュー・オーリンズ音楽には興味を持っていたようですけどね。リッチー・ヘイワードのドラミングまで根本から変化しているのはなぜなんでしょうか。

 

そのへんのラディカルな音楽性の変化の原因はぼくにはわからないのですけど、ともあれアルバム『ディキシー・チキン』では、まず出だし1曲目のタイトル曲こそシグネチャーですよね。ロウエル亡きあと再結成されたフィートでも現在に至るまでライヴで必ず演奏される、このバンド最大の代表曲になりました。こんな曲をロウエルが書いたという事実に、それまでのフィートのことを考えたら、驚きます。

 

しかし、ことニュー・オーリンズのセカンド・ライン・ファンクという面にフォーカスを当てると、むしろ8曲目の「ファット・マン・イン・ザ・バスタブ」のほうが直截的でわかりやすいと思うんです。みなさん曲「ディキシー・チキン」のことばかりおっしゃいますが、どっちかというと「ファット・マン・イン・ザ・バスタブ」のほうでしょ。わりとタイトな曲「ディキシー・チキン」に対し、「太っちょさん」ではもっとルーズでゆるい、スキマのあいた、そしてそのあいた空間で大きく跳ねるような、いかにもニュー・オーリンズのセカンド・ライン・ビートというものが表現されていますよね。アクースティック&エレキのギター・カッティングも3・2クラーベのパターンです。

 

ところでこの「太っちょさん」でもそうなんですが、ロウエルがスライド・ギターを弾いていますよね。しかしこのひとがこのバンドで弾くばあい、あまり目立ってソロで弾きまくるとかはせず、あくまでバンド・アンサンブルの一部としてうまく溶け込むようになっていますよね。だからいちスライド・ギターリストとして聴いたらイマイチに響くかもしれず、実際、ロウエル・フォロワーはほとんどいないというのが事実です。フィートのロウエルのばあい、アルバム・プロデュースもやってバンド全体のサウンド・メイクに気を配っていたからかもしれません。

 

さて、ニュー・オーリンズ・ビートのフィート流活用ですけど、あんがいかなり好きなのが、アルバム2曲目の「トゥー・トレインズ」ですね。歌詞も大好きなんですけどそれよりも、このリズムですね。こんな躍動的なビート感は最初の二枚目までのフィートにはありませんでした。いかにも米南部的と言えるイキイキとした肉感的なリズムですよね。リッチー・ヘイワードもいい仕事をしています。

 

アルバム4曲目の「オン・ユア・ウェイ・ダウン」はアラン・トゥーサンの曲。いかにもアランが書きそうなややエキゾティックなメロディ・ラインでぼくは大好き。しかも都会的に洗練されていて、このフィートの演奏にもジャジーさをぼくは感じます。この意味ではロウエルの曲ですけど続く5曲目「キス・イット・オフ」もなんだかアランっぽい感じのメロディじゃないですか。それをロウエルが書いたという事実がニュー・オーリンズどっぷりぶりを表しているなと思うんです。

 

アルバム最終盤の二曲はかなりジャジーというかフュージョンっぽいですよね。特に10曲目の「ラファイエット・レイルロード」は歌なしのインストルメンタル・ナンバーで、ロウエルのスライド・ギターをフィーチャーしているとはいえ、実のところ共作者のビル・ベイン(キーボード)がかなり貢献していそうな気がします。こんなジャズ・フュージョン路線は、この後フィートのなかで比率が大きくなっていくのでした。

 

(written 2019.10.13)

2019/11/04

ブルー・ノート 50

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https://www.udiscovermusic.com/stories/the-50-greatest-blue-note-albums/

 

疑いなく史上最もアイコニックなジャズ・レーベルであるブルー・ノート。1939年の創設以来、今年でちょうど80年。その長きにわたる歴史のなかでリリースしてきたレコードは1200枚近く。そのなかからベスト50というものを uDiscovermusic が選び掲載したのが上にリンクした記事です。ちょこっと簡単に感想を記しておきましょう。

 

このブルー・ノートの50作品という記事は、ただ単なる好事家の楽しみというだけでなく、初心者向けの格好のディスク・ガイド、ジャズ入門のためのガイダンスにもなっているなと思うんですね。モダン・ジャズへの道案内としてはこれ以上ないセレクションじゃないでしょうか。その意味でも幅広いみなさんにご一読願いたいところです。

 

50作品のチョイスと順位は妥当なところじゃないかと思います。第1位がキャノンボール・アダリー名義のマイルズ・デイヴィス『サムシン・エルス』なのは納得ですよね。これ以上の名盤はなかなかありませんから。だいたいだれが選んでもこれがトップに来そうな気がしますね。

 

2位以下やはり名盤の数々が並んでいますが、なかには個人的にイマイチなものもあります。たとえば3位のウェイン・ショーター『スピーク・ノー・イーヴル』ですけど、ぼくのなかではそんなに評価は高くありません。あくまで個人的な趣味ですけどね。だいたいぼくは1960年代のショーターがやや苦手といった側面があって…。エリック・ドルフィーの『アウト・トゥ・ランチ』が生理的にムリという話は以前しました(ドルフィーは好きだけど)。

 

あと、10位のアンドルー・ヒル『ポイント・オヴ・ディパーチャー』は、今回のセレクション50のなかで唯一 CD で持っていない作品です。たぶんいままで聴いたこともなかったものです。苦手だとかなんだとか、なにか理由があるわけじゃありません。なんとなくヒルと縁遠かっただけなんで、これを機にちょっと…と思い Spotify で聴いてみたらかなりいいですよねえ。どうしていままで聴いてこなかったんでしょう?不思議です。

 

でもこれら以外はあまのじゃくのぼくが見ても黄金の選盤といった感じで、選者がどなたであれ、こんなような50作品になるのではないでしょうか。ブルー・ノートですからハード・バップとそれ以後のものが中心で、そのあたりのジャズを味わうには持ってこいの選盤ができるレーベルですよね。ここに名前があがっている50作品を聴いていけば、だいたいモダン・ジャズのおおまかな見取り図が描けるのではないかと思うほどです。

 

50セレクションのなかに二枚だけ、21世紀的新世代ジャズがふくまれていますね。42位のカサンドラ・ウィルスンと45位のロバート・グラスパー。ふたりとも最近のジャズ界を引っ張っている存在なので、ここに名前があるのは納得です。彼らと48位のシドニー・ベシェ(は古いひと)以外は、すべていわゆるモダン・ジャズのアルバムで占められていますよね。

 

こうしたセレクション50を眺め、あれが入っていないとか、これは外すべきだとか、順位付けに不満があるとか、いろいろ言うのはカンタンです。ですけれど、ちょっとした概観とガイダンスとして活用・応用すればいいのであって、従来からのブルー・ノート・ジャズのマニアはただ微笑んでいればいいし、ジャズの世界にあまり縁がなかった向きにはピッタリの入門選だし、特に文句なしだとぼくは思いますよ。

 

(written 2019.10.8)

2019/11/03

アシュリー・ヘンリーが心地いい

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https://open.spotify.com/album/0vgHCgQXFyO6z7OCZKSu52?si=aMrJ7e_CTDyat2OUteaaBA

 

bunboni さんに教えていただきました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2019-09-28

 

どうしてだかなんどもくりかえし聴いてしまう『ビューティフル・ヴァイナル・ハンター』(2019)。ロンドンのジャズ・ピアニスト、アシュリー・ヘンリーのデビュー・アルバムです。これが第一作目かと思うと、おそろしい完成度ですね。なんども聴いてしまうのは気持ちいいからだと思うんですけど、ぼくの感じているこの気持ちよさの原因がこの音楽のどこにあるのか、それはまだちょっとよくわからないです。

 

いちおうジャズ音楽作品には違いありませんが、ネオ・ソウル、今様 R&B、ヒップ・ホップなどを自在に横断してみせているところも好感度高し。ピアノを弾くタッチは端正で古典的ですけど、音楽的には冒険的、野心的ですね。しかしできあがった音楽はそれを感じさせないスムースさで、すーっと聴くがわのなかに入り込んでくる心地よい肌ざわりがあるのがこのアルバムの大きな特長です。

 

おかげで約一時間、聴いていて引っかかったりすることもなく、そのままスッと時間が経っていくのを感じます。ぼくが個人的に特に好きなのはヴォーカル曲や管楽器をフィーチャーしたのではないピアノ・トリオ中心の演奏で、たとえば6曲目「クレインズ(イン・ザ・スカイ)」とか11「プレッシャー」とかで聴かせるパッションですね。パッションはドラマーの演奏にも強く感じます。

 

熱く燃えあがるような激情的なジャズ・ピアノ・トリオ演奏なんですけど、でもどこか完璧にはのめり込んでいないような、一歩引いて演奏者自身が自己を外側から客観視しているような、そんなクールさも感じられ、つまり適度に抑制が効いているあたりも心地よさの原因になっているかもしれません。そんなクールネスはヴォーカル・ナンバーだといっそう際立っていますけどね。

 

とにかくこのビート感が気持ちいい、聴いていて心地よく、スムースにぼくのなかにすべりこんでくるような音楽であるアシュリー・ヘンリーの『ビューティフル・ヴァイナル・ハンター』、もうすでにヘヴィ・ローテイション盤になっていますし、今年はこれからもくりかえし聴くと思います。と〜にかく聴いていてなめらかで快感なんですよ、このサウンドの質感とビートが。

 

(written 2019.10.7)

2019/11/02

ロックにおけるラテン・シンコペイション(2)〜 ツェッペリン『プレゼンス』篇

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https://open.spotify.com/album/3uhD8hNpb0m3iIZ18RHH5u?si=isxC4ClLToaLoxaXN_QIqA

 

いまごろようやく明文化しているのかとあきれられそうですけど、レッド・ツェッペリンのアルバム『プレゼンス』(1975年録音76年発売)ではかなりはっきりした跳ねるラテン・リズムが聴けますよね。それも、このバンドのこのアルバムのばあい、たぶんアメリカ南部のニュー・オーリンズ経由でということじゃないかと思います。カギは間違いなくミーターズ。ジョン・ボーナムがジガブー・モデリステのファンで、よく研究していたことは知られていますよね。

 

アルバム・ラストの「ティー・フォー・ワン」はないことにぼくはしている『プレゼンス』だと、1曲目の「アキレス・ラスト・スタンド」はそうでもないと思いますが(どっちかというとフラットにずんずん進むビート)、2曲目以後はどの曲のリズムも強く跳ねていますよね。その跳ねかたはあきらかにラテン系のシンコペイションだと思うんですね。

 

特にそれを強く感じるのが3曲目「ロイヤル・オーリンズ」、5「キャンディ・ストア・ロック」、6「ホッツ・オン・フォー・ノーウェア」です。「ロイヤル・オーリンズ」だとサビの部分でコンガが多重録音されているのもラテン香を強く漂わせる効果をもたらしていますよね。しかもそのサビ部分でのリズムの跳ねがかなり強いんです。「キャンディ・ストア・ロック」でもサビで、「ホッツ・オン・フォー・ノーウェア」では一曲全体で、リズムに強いシンコペイションがかかっていますよね。

 

またアルバム2曲目以後はブレイク、ストップ・タイム、空間、スキマが異様に頻用されているのも、このアルバムのとても大きな特色です。ツェッペリンでこんな作品はほかにありませんからね。しかもストップ・タイムを使った部分でビートの跳ねが強調され、大きくジャンプしたり、突っかかってヨレたり跳ねたりしているでしょう。

 

こんなところはツェッペリンだと『プレゼンス』だけの特異現象なんですが、こんなアイデアがジミー・ペイジ由来だったのかジョン・ボーナムの発案だったのかわかりませんが、興味深いところです。でもできあがりを聴いて判断する限りでは、ミーターズのあのスキマの多いひょこひょことユニークに跳ねるビート感に近づいているように聴こえますから、ボンゾの着案というかリーダーシップでこんなリズムを多用したのだとも考えられますね。

 

そう、ツェッペリン『プレゼンス』で聴けるラテンなリズム・シンコペイションは、あきらかにニュー・オーリンズのミーターズ由来なんですね。ジミー・ペイジもジョン・ボーナムも、どっちかというとビッチリと空間を音で敷き詰めていくタイプの音楽家であるにもかかわらず、このアルバムでは空間を、スキマを、活用して、タメやハネを強調しているのも、ミーターズ系です。

 

こういったことは、煎じ詰めればファンク・ビートとはラテン由来ということにたどりつくと思うんですけど、そのテーマは大きいので今日は追いません。ですけれども、ツェッペリンの連中、特にボンゾがアメリカのファンク・ビートを研究した結果、『プレゼンス』で聴けるようなリズムのラテン・シンコペイションを活かすことにつながっているのは、たいへんに興味深いことです。

 

(written 2019.10.6)

2019/11/01

ジョニー・ホッジズの至芸 〜『ホッジ・ポッジ』

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https://www.amazon.co.jp//dp/B00GXEY0G2/

 

ぜんぶで六枚ある「エピック・イン・ジャズ」のシリーズ。いままでに四枚をそれぞれとりあげて書きました。このシリーズは LP レコードでエピック(コロンビア系)から第二次大戦後に発売されたものですけど、中身はすべて戦前の SP レコードで発売された音源です。一枚づつ(ほぼ)すべてひとりのジャズ・マンに焦点を当て、そのひとをフィーチャーした録音集となっているわけです。くどいようですが中身の音源は一曲単位の古い SP 音源です。

 

それで、まだとりあげていないものはジョニー・ホッジズの『ホッジ・ポッジ』と『ザ・デュークス・メン』だけということになりました。後者はひとりのジャズ・マンにフォーカスしたものではない異色の一枚で、しかもかなりの名作ですから最後にとっておくことにして、今日はジョニー・ホッジズ名義の『ホッジ・ポッジ』のことをちょこっと書いておきましょう。

 

<名義>と書きましたが、実際、『ホッジ・ポッジ』に収録されている全16曲の SP 音源も当時からホッジズ名義のレコードだったものですけど、一聴してわかるようにこれは実質デューク・エリントンがリーダーシップをとったセッション音源なんですね。1936〜41年にかけて、コロンビア系レーベルに、エリントンは自楽団のピック・アップ・メンバーで構成されるコンボで、しかも名目のリーダーはそれぞれのサイド・メン名義で録音しています。SP も当時発売されました。

 

『ザ・デュークス・メン』もそんな音源集なのですが、今日は『ホッジ・ポッジ』の話。このアルバムのばあい、録音は1938/39年。ジョニー・ホッジズはもちろん、やはりクーティ・ウィリアムズ、ローレンス・ブラウン、ハリー・カーニー、ソニー・グリーアなど、セッションを行なったメンツは全員当時のエリントン楽団員。もちろん御大デュークもピアノで参加しているばかりでなく、作編曲もこなしていますので、ホッジズ名義といえど、どうしたってエリントン・サウンドに聴こえてしまうというわけなんです。

 

それでもいちおうはホッジズ名義のセッション&レコードでしたので、やはりホッジズがいちばん多くソロを吹いているのは間違いありません。そんなわけでエリントニアン・コンボにおけるホッジズの特長がよくわかる一枚といえましょう。また『ホッジ・ポッジ』ならではのこととして、ホッジズがアルトではなくソプラノ・サックスをたくさん吹いているということもあげられますね。

 

アルバムに四曲収録されているそんなホッジズのソプラノ吹奏を聴きますと、彼がいかにシドニー・ベシェ直系であったかよくわかります。実際、キャリア初期はソプラノ・サックスからはじめたホッジズの直接の師匠にして最大の影響源がベシェだったんですね。その後ホッジズはその影響をアルトに移植したとでもいうようなスタイルを確立し、ジャズ・アルト界の No. 1的存在となりました。

 

特にこのアルバムにおけるホッジズのソプラノ吹奏の見事さを示すものとして、5曲目の「アイム・イン・アナザー・ワールド」をあげておきたいと思います。どうです、この美しさ。アルトを吹くときのホッジズの美はみなさんご存知でしょうけど、そのルーツはこういったシドニー・ベシェからもらった豊穣な表現にあるのです。
https://www.youtube.com/watch?v=74x7B1f9QOI

 

アルトのほうでいいますと、このアルバムでは、ぼくはいつも13曲目の「フィネス」に感動のためいきをもらしてしまいます。なんて美しいのでしょうか。この「フィネス」というデュークの曲は、かのジャンゴ・ラインハルトがエリントニアンたちとパリでやったセッションでも演奏されていてそれも極上ですけど、『ホッジ・ポッジ』のものは、なんと実質デュークのピアノとホッジズのアルトだけのデュオ演奏なんですね。
https://www.youtube.com/watch?v=f4l9veZJjeI

 

ああ、なんてきれいな世界なのでしょうか。ジャズにもいろんなものがありますが、こういったバラードにおけるアルト・サックスの嫋嫋たる表現でホッジズの上をいく存在は、いまだ出現していないと断言できます。かのチャーリー・パーカーですら敗北を認めていたんですから。パーカーのサウンドも丸いですが(硬質だけど)、ホッジズのこのなめらかでやわらかくとことん丸い色艶に勝るものではありませんね。

 

(written 2019.10.5)

2019/10/31

曲の長さを把握することは重要

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レンタル・レコード・ショップ全盛のころ、そう、いつごろでしたっけ、1970年代末〜80年代前半あたり?忘れましたが、多くのひとがレンタル・ショップで借りてカセット・テープにダビングしちゃうのでレコード買わなくなって(本当にそうだったのか、個人的な実感はないのですが)、レコードの売り上げが落ちていた時期がありましたね(本当に?)。CD メディア登場前夜あたりの話でしょうか。

 

それでレコード会社側のレンタル対策の一環として(ほかにもいくつかあったけど)レコードのパッケージやライナーノーツなどに曲の長さを記載しなくなっていたことがありました。この時期に日本のレコードを買っていたみなさんであればご記憶のことでしょう。聴いてみるまで曲の長さがわからなければ、何分カセットを買ったらいいかわからなくなるであろうみたいなことだったんでしょうか。

 

実際それでレンタル対策になったかどうかもわからないんですけど、LP レコードで収録曲の長さをいっさい書かないということには、レンタルなどしないであろうリスナーとかプロ評論家のみなさんがかなり反発していました。ぼくが記憶しているのは『スイングジャーナル』誌に載った油井正一さんの文章です。いわく「音楽を楽しむのに曲の長さを知っておくことはたいへん重要なんです」とか、そんな意味のことが書いてあったように思います。

 

つまりですね、こういったことはいまの配信全盛時代やその前の CD 時代に音楽を聴くようになったみなさんには理解しにくい事情だと思うんです。配信だともちろん曲の長さが表示されますし、CD だって書いてなくともプレイヤーに入れたら即時にわかりますもんね。レコード会社もバカバカしくなって、CD の時代になったら(レンタル対策で)曲の長さを書かないなんてことはやめました。無意味ですから。

 

だからこんな問題はアナログ・レコードの世界でしかありえない問題なんですね。そして、油井さんのおっしゃったように、一曲一曲それぞれ何分何秒の長さなのかを知っておくことは、そのアルバムを楽しむ上で必須の情報であるようにぼくも思っていたし、いまも同様に考えています。これをわかりやすく論理的に説明するのはむずかしいんですけど、間違いない実感です。

 

一曲全体で、たとえば25分の曲の、いま聴いているのは何分目あたりであるということを常に把握しながら聴き進むということは、その曲の姿とかありようや演唱状況を把握するのにとっても重要じゃありませんか。もしこの情報がなかったら、という状況を想像してみてください、まるで五里霧中でさまようような感じになってしまうと思いますよ。もちろん、体感できる部分もあるのですけど。

 

アルバム全体でも、何分の曲と何分の曲がどれだけの数並んでいるかみたいなことを知っておかないと、いったいどんな構造のアルバムなのか把握がむずかしいように思うんですね。違いますか?曲の長さ、アルバム全体の長さといったことは、曲名やパーソネルや録音データとあわせ、音楽を楽しむ上で必要不可欠なデータでしょう。

 

そんな大切な情報を、一時期だけのこととはいえ、日本のレコード会社は隠してぼくらに与えようとしなかったんですよ。あのころ、みんな不満をいだいていましたよねえ。だから、油井さんのようなかたの寄稿は、まさにぼくらの気持ちを代弁してくれていたなと感じたんですね。みなさん、当時はどうなさっていたでしょう?買ったレコードでもカセット・テープにダビングする癖のあった(のはステレオ装置のない自室のラジカセで聴きたいがため)ぼくは、まず第一回目に聴くときに時計を見ながら時間を計っていました。それで何分カセットを使ったらいいか判断していたんです。

 

こんなこと諸々、CD が登場しプレイヤーに入れたら即座にアルバムや曲の長さがわかるようになって無意味になりましたから、レコード会社もムダな抵抗をしなくなったのかと思いきや、今度は iTunes など音楽アプリの登場でカンタンに CD をコピー(リッピング)できることとなり、今度はその対策でコピー・コントロール CD(CCCD)なる欠陥品が幅を利かせていた時期だってありました。いまやそれも消えたように思いますけどね。

 

(written 2019.10.4)

2019/10/30

南洋グルーヴ 〜 查勞 巴西瓦里

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https://open.spotify.com/album/08gFdMo1OUGmavOyRpPywW?si=1LxoVB2QRCyqYna4CClwdA

 

チャーロウ・バシワリと読むらしいこのひとは台湾の先住民、アミ族のミュージシャン。今年の新作『Salama』(2019.5.17 )は、チャーロウ自身がマダガスカルに乗り込んで、現地の音楽家たちと全面共演したもののようです。これが気持ちいいんですよ。快感ですね、全編をとおし貫いているこの南洋グルーヴがですね。このアルバムみたいなのを汎南洋音楽と呼んでもいいんじゃないでしょうか。

 

このアルバムで聴くかぎり、チャーロウのこだわりはオーガニック・サウンドですね。音楽が本当に大好きでたまらないんだなというのが全身からあふれ出ているチャーロウのこのアルバムは、全編アクースティック・サウンドに徹しているんですね。アルバム・ラストの9曲目は3曲目のリミックスですから、そこでだけエレクトロニックなサウンド処理が聴けますけど、ほかは電気・電子はいっさいなし。ベースもコントラバスですし、そのほか生音楽器しか使っていません。

 

いかにも自然の、大地の、大海の、ナチュラルなオーガニック志向を明確に打ち出したというようなサウンドで、曲も(たぶんぜんぶチャーロウの自作と思います)広大な大自然を思わせるようなゆったり雄大なグルーヴで貫かれていますよね。しかもなんだか底抜けにとまで言いたいほど明るい曲と演唱ばかり。つらい気持ちになって沈んでいたりする聴き手の心情をもかきたててしまう、しかし無理強いではない、気持ちよさとパワーがありますね。

 

レゲエっぽい曲がふたつ(それらでも裏拍の刻みを入れるのはアクースティック・ギター)ありますが、シリアスさは微塵もなく、徹底的に突き抜けた解放感があるのがチャーロウの音楽の特色ですね。ンゴニ?かあるいは親指ピアノ?か、なんだかそんな音も聴こえますし、アコーディオンも全編で効果的に使われています。控えめながらドラムスやパーカッションや、またコーラス隊、ホーンズも活躍。

 

チャーロウは台湾先住民のアミ族ですが、アミ族の言語は、オーストロネシア語族に属するそうです。オーストロネシア人は、ほかならぬ台湾を起点に、紀元前2000年ぐらいに、現在のフィリピンやインドネシア、マレイ半島に移り住み、そこからまたインド洋を渡って、西暦五世紀ごろにアフリカ沖のマダガスカル島まで到達しました。かたや、南太平洋へ渡り、ポリネシア人やミクロネシア人の祖先になったともされています。

 

つまり、海洋民族だった台湾の先住民たちが、インド洋や南太平洋に渡り世界に拡がったという経緯が、最近の DNA 研究から解明されたそうですが、そんな古代史的物語に想像力をふくらませて音楽の旅を繰り広げるチャーロウ・バシワリの全編マダガスカル録音のこのアルバム『Salama』、実に広大な音楽じゃありませんか。根っこに野太いグルーヴがありましすし、徹底的に人生肯定的ですし、こんな陽光のもとで水浴びしているような解放感に救われることもあるんですね。

 

※最後の二段落はエル・スール HP 記載文を参考にしました。

 

(written 2019.9.30)

2019/10/29

ラテンなプリンス

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https://open.spotify.com/playlist/190KkanGDDJoSOGyyuape6?si=Nkh5znEKQmuTu88O-3xSjA

 

プリンスのラテンものについて、いますぐパッと思いつくものだけパパッと並べてみました。もちろんちゃんとその気でさがせばもっともっとあるはずですけれども、今日はとりあえずこのくらいで。もっとたくさんあったとぼくもなんとなく感じているし、実際軽いラテン・リズムのニュアンスがあるとかいうものなら、もう無数にといっていいほどあるんじゃないかと思います。アメリカ合衆国の音楽においてはラテン要素は最重要で不可欠なものですから。

 

さて、今日のプレイリスト。1曲目「シー・スポーク 2 ミー」、2曲目の「ウェン・ザ・ライツ・ゴー・ダウン」のラテン風味はちょっと薄めですよね。軽いラテン・ジャムとでも言った感じですか。でもこれら、ラテン・テイストがなかったらあまりおもしろく仕上がらなかった曲じゃないかと思うんですね。曲の魅力の重要な部分をこのほんのりラテン香が担っています。

 

3曲目と7曲目の「ジ・エヴァーラスティング・ラヴ」は同じ曲ですが、スタジオ・ヴァージョンかライヴ・ヴァージョンかの違いです。スタジオ録音のほうはまだまだちょっと物足りないですよね。それだけライヴのほうがすぐれているっていうか、なんですかねこの超絶濃厚なラテン・ソロまわしは。中盤の楽器ソロの部分が本当に鬼すごいと思います。その前後はどうってことないような。あ、でも前後も軽いラテン・ノリはありますね。このスタジオ版とライヴ版を比較してみてほしいと思って、前者もいちおう入れておきました。

 

『3121』からとった「チ・アモ・コラソン」。な〜んてきれいなのでしょう。本当に美しい必殺ラテン・バラードでしょう。個人的にはラテンなプリンスのなかでこれがいちばん好きですし、出来もすばらしいと思っています。ストリングスやホーンズのアレンジはクレア・フィッシャー。楽器は多くがプリンスのひとり多重録音です。

 

『3121』の末尾を飾っていた「ゲット・オン・ザ・ボート」。シーラ E がラテン・パーカッションで参加しているこれも大好き。強いビートの効いたラテン・ファンクとでもいったところでしょう。アルト・サックス・ソロはメイシオ・パーカー。強力ですね。ドラムスやパーカッション群も大活躍で、いやあ、これは楽しい。ラテン・ノリの痛快さを思い知る一曲です。

 

ライヴ音源パートに入って「ドロシー・パーカー」(ザ・バラッド・オヴ・ドロシー・パーカー)は、『ワン・ナイト・アローン...ライヴ!』の三枚目『ジ・アフターショウ』から。この曲、『サイン・オ・ザ・タイムズ』収録のオリジナルにはそんなに感じなかったラテン風香を、ライヴでは特に楽器ソロ部分で最大限にまで拡大・強調していますよね。たぶんコンガもピアノもプリンスが演奏しているんじゃないでしょうか。いやあ、この「ドロシー・パーカー」はヤバいですよ。ちょっぴりサルサふう?

 

本日最後は先にも触れたライヴの「エヴァーラスティング・ナウ」。いったん歌が終わって中盤で全員でリフを決めたあと、プリンスのギター、レナート・ネトのピアノ、グレッグ・ボイヤーのトロンボーン、キャンディ・ダルファーのアルト・サックス、ギター、アルトとソロまわしが続くその箇所が、と〜んでもなくかっとんでいるでしょ〜。さらに全員のソロが終わってのキメのリフのカッコよさといったら、も〜うしょんべんチビりそう〜〜。

 

(written 2019.9.29)

2019/10/28

オルジナリウス来日公演に向けて期待が高まる

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https://www.min-on.or.jp/play/detail_170079_.html

 

右 or 下の画像は、つい数日前のこのブログの「このブログの人気記事ランキング」ですが、3位に注目してください。いまはもう違っているとは思いますが、オルジナリウスについて書いた文章がランク・インしていますよね。ちょっと前に5位から来ていました。ランキング内にいままで影も形もなかったのに、急遽これが上昇してきたのには、これだという間違いない理由があります。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2018/12/post-3810.html

 

それはもうすぐ(11月中旬から)オルジナリウスの来日公演があるということなんですね。オルジナリウスとはブラジルの七人組ヴォーカル・コーラス・グループ。男女混成できれいで楽しいハーモニーを聴かせてくれるんですね。ぼくは昨年このグループのアルバムに出会い、聴いて、すっかり大好きになってしまって、上の記事も書いたというわけなんです。

 

オルジナリウスなんて、日本でどれだけ知名度があるかわからないのに、つまり来日公演をやってどれだけお客さんが集まるかはっきりしないのに、それでも日本へ呼ぼうと考えた主催者さんのご判断を称賛したいと思います。オルジナリウスは、実際、とっても楽しいですよ。ぼくもライヴにははじめて接することになるんですが、アルバムどおりのヴォーカル・ハーモニーを聴かせてくれるんなら、文句なしに最高のライヴとなるに違いありません。

 

オルジナリウス来日公演の詳細については、今日、いちばん上でリンクした紹介サイトをごらんください。特筆すべきは公演回数の多さと、数多くの地方都市までくまなくまわるその熱意ですね。オルジナリウスみたいなブラジルのグループが、こんなに二ヶ月近くも日本に滞在し、全国で計20ヶ所以上も、それも小規模な地方都市を中心に、どんどんコンサートをやってまわるというのは、かなりの快挙と言えます。

 

ぼくは愛媛県に住んでいるんですけど、松山でも12月17日に公演が予定されていますよね。ぼくはもうチケットを買いました。松山市民会館大ホールのキャパは2000人なんですけど、松山みたいな田舎街でオルジナリウスに2000人も集まるでしょうか?いささか不安ですが、愛媛のローカル・テレビ局なんかでもどんどん宣伝してほしいと思います。

 

そのほか、あなたのお住まいの、あるいはお近くの街にも行くんじゃないでしょうか、これだけ全国をどんどんたくさんまわればですね。オルジナリウスは現役のヴォーカル・コーラス・グループのなかでは断然トップの実力を持つすばらしい集団です。主にブラジルの、それもスタンダード曲を中心に楽しくやっていますが、来日公演ではアメリカ合衆国の曲などもとりあげるそうです。

 

楽しい一夜となることうけあいのオルジナリウスの来日公演。みなさんの地元へ彼らが行くときには、もし可能だったらちょっと足を運んでみてはいかがでしょうか。きっとすばらしい体験となるにちがいありませんよ。

 

(written 2019.10.27)

2019/10/27

ナマの身体性を取り戻したジャズ・ヴォーカル 〜 アナベラ・アヤ

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https://open.spotify.com/album/6H21dAstKzesF670fTus5E?si=U5OAnY1wSoWcX_FBNaXG_Q

 

Astral さんのブログで読んだのが知ったきっかけです。
https://astral-clave.blog.so-net.ne.jp/2019-09-04

 

アンゴラのアナベラ・アヤ。『Kuameleli』(2018)がデビュー作のようですが、ジャケットを一瞥しただけでなにかこう、予感めいたものが働きますよね。とってもいいジャケットだけに。そう、アルバム『Kuameleli』は中身も傑作です。クレオール・ジャズみたいな作品と思うんですけど、そこにとどまらないスケールの大きな音楽かもしれません。

 

アナベラのこのアルバムを聴いての最大の印象は、なんてナマナマしいセクシーな声で貫かれているのかと、このナマの身体性こそがこの音楽の最大の魅力だなということです。声にいのちが宿っている、それはいつでもどんなものでもヴォーカル・ミュージックのチャームなんですが、ジャズのフィールドでは濾過されて表出されることが多かったんじゃないかと思うんですね。

 

だから声の持つナマの身体性、色気をそのままストレートに活かしたアナベラのばあいは、ジャズ・ヴォーカル作品としてはやや異色というか、新しいなと思うわけです。そもそもヴォーカルに限らず、身体性がナマナマしく活かされているというのは、この作品のばあいアナベラの声だけではありません、バンドのリズムにも生命が宿っていますよね。

 

こんな質感のジャズ作品には、はじめて出会ったような気がします。生唾ゴクリと飲み込むようなリズムとヴォーカルのセクシーさで、思わずのけぞってしまいそうになるほどの迫力に満ちているじゃないですか。ウェザー・リポートみたいなアンサンブルを聴かせるオープニングのアルバム・タイトル曲からはじけていますよね。

 

リズムやサウンドが多彩なのも、このアルバムの特色です。一曲ごとにリズムは変わり、またどの曲もポリリズミックで色彩感・躍動感豊かです。一曲のなかでもリズム・パターンがパッと変化したりします。打楽器群も活用されていますよね。サウンド面ではアコーディオンの多用も目につきます。ちょっとした素朴な泥くささをこの超高度に洗練された音楽に付与する役目を担っているかもしれません。

 

3曲目はアクースティック・ギターと生打楽器の響きを活かした、少人数によるオーガニック・テイストなサウンド・メイク。しなやかに綴るアナベラが見事です。そうかと思うと続く4曲目はビッグ・バンド・ホーンズが使われていて、アナベラは軽くしかし強靭に乗りこなしていますよね。これはアフロ・ジャズ・ホーンズといえばいいのかな、でもちょっぴりサルサっぽいですね。また、9曲目はエレベ一本だけの伴奏です。

 

どんなサウンド、どんなリズムを使ってあっても、アナベラの強くしなやかでセクシー&艶やかな声が全編を貫いているので、それこそが、ナマの身体性を取り戻したジャズ・ヴォーカルこそが、このアルバムの中心にしっかりあるのがわかるから、アルバムの強固な統一性が保たれているんですね。

 

(written 2019.9.24)

2019/10/26

コロゴの魅惑 〜 スティヴォー・アタンビレ

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https://open.spotify.com/album/4HGbWu2NPvcCU2SOH4R8a5?si=jckdZ46GRlWMIe0rVBkPIQ

 

bunboni さんに教えていただきました。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2019-08-23

 

スティヴォー・アタンビレ(ガーナ)のアルバム『ティーチ・ミー』(2017)でいちばんグッと来るのは、17曲目の「マイナス・ミー」ですね。いやあ、こ〜れが、も〜う!超カッコイイのなんのって!しゃべりから出て、次いでホーン陣の咆哮があり、次の瞬間スティヴォーが弾きはじめるコロゴのカッコよさ、スピード感がたまりません。リズム・セクションも入り猛烈にグルーヴしていきますよねえ。いやあ、カッコイイなあ〜!

 

しかしこんな、なんというかややポップなというかファンクな感じもする「マイナス・ミー」は、このアルバムのなかでは例外ですね。だからこそ異様に輝いているとも言えるわけですけど、アルバム全体ではもっと渋く、スティヴォーのコロゴ弾き語りを中心に据え、派手なバンド編成サウンドはあまりありません。しかし地味な音楽かというとそうでもないっていう、不思議な感触のアルバムですね。

 

だいたいコロゴ(楽器名でもあり音楽名でもある)って、シンプルな反復フレーズを延々とくりかえすばかりで、それ自体はモロッコのグナーワに共通するようなものなのに、グナーワみたいな神秘的呪術性みたいなものが、このスティヴォーのアルバムだとほぼ感じられないのは、ポップ・ミュージック仕立てになっているからなんでしょうか?

 

それにしては、17曲目を除くだいたいどの曲もコロゴで同じフレーズをずっと反復しながら歌っていたり、ゲストがラップを聴かせたり、楽器が加わっていたりするだけなんですけどねえ。曲によってそのパターンは変化するものの、一曲のなかではコロゴのパターンはずっと同じです。じゃあ飽きちゃってつまんないかというと、ぜんぜんそんなことない、楽しめるっていう、だからやっぱり不思議な音楽です。

 

これはあれですかねえ、同一パターン反復の快感というものがあると、ぼくは以前からくりかえしていますが、スティヴォーのコロゴのばあいもそれが言えるということなんでしょうか。延々と反復されるコロゴの同一パターンと、その上に乗るスティヴォーの野生的なヴォーカルを聴いているだけで、なんだか気持ちいいっていう、そんなアルバムです。コロゴのこのころころっていう独特の音色も快感に拍車をかけているかもしれません。

 

しかしプロデューサーのワンラヴ・ザ・クボローはそこかしこに工夫はこらしていて、エレクトロニクスを控えめながら随所で効果的に使ったり、重低音ベースを活かしたり、各種打楽器をうまくからめたりして、スティヴォーの持ち味にうまく多彩性を加味しているとは言えるのかも。ゲスト・ヴォーカル(ラッパー?)も活躍しています。

 

それでもスティヴォーのこの『ティーチ・ミー』のキモはあくまで本人のコロゴ弾き語り。その根幹をしっかり維持し前面に出しているプロデュースなので、コロゴ・ミュージックの(スティヴォーの)野性味を失っていません。種々の工夫はあくまで控えめ、聴感上、アルバム全体がコロゴ弾き語りだけでできているじゃないか、それなのに飽きないのはなぜだ?!と思わせるマジックがありますね。いや、ホント、不思議なアルバムです。

 

(written 2019.9.22)

2019/10/25

エチオ歌謡と抑制された哀感 〜アスター・アウェケ

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https://open.spotify.com/album/4EqwBVCtN2frEGyZ7vPVxn?si=wr9vHLJcTUaUUHDSc67EZg

 

bunboni さんの紹介で知りました。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2019-09-18

 

エチオピア歌謡は、日本の演歌、民謡に近いというのがだいたいみなさん感じているところだろうと思うんですけど(だって、どう聴いたって、ねえ)、といってもぼくはエチオピア音楽のことをなにも知りません。いままでにチラッと聴いてきた数枚でそう感じているだけです。ともあれ、またそれを実感する一枚が出ました。アスター・アウェケの新作『Ćhewa』です。

 

この独特の哀感、それを表現するアスターの繊細なこぶしまわし、高音部で微妙に揺れるというか震えるようなヴィブラートなど、実に演歌っぽいですよね。曲の旋律のつくりそのものがそもそも近いのじゃないかと思いますが(音階が共通している)、アスターの今回の新作のばあいは哀感の表現がうまくコントロールされている、抑制が効いているというのも好感度大ですね。

 

声の出しかたも、決して張りすぎずやわらかくそっと、しかし伸びのある強い声をしっかりと、でもソフトに出して、フレーズの表情のつけかたも緩急自在、豊富な陰影で聴き手をトリコにする魅力にあふれています。エチオ歌謡をほとんど聴いたことのないぼくですら、一回聴いてはまってしまったんですから、エチオ云々を言わなくても普遍的な魅力があるっていうことです。

 

『Ćhewa』でも情感豊かな、しかしその表現に抑制の聴いた聴かせる歌が並んでいますが、バックの伴奏もうまくコントロールされた控えめなものであることも成功の一因かと思います。1曲目から大好きなんですが、特にぼくがグッと来るのは3曲目の「Tiwsta」ですね。出だしのピアノ・サウンドが好きなんですが、歌がはじまってからもこの情感を抑えた繊細な表現にうなります。サックスのオブリガートもいいなあ。

 

アルバム中ちょっと異質なのは、7〜9曲目のブルージー・セクションでしょうか。これら三曲だけ、前後の情け深い哀感とはやや異なったフィーリングを出しているように聴こえます。特に8曲目「Ethiopia」、9曲目「Efoy」ではやや不気味なサウンドも聴かれ、ポリリズミックな展開とあいまって、不穏な空気をかもしだしていますね。ぼくはかなり好きな三曲パートです。

 

なんにせよ、エチオ歌謡ってこんなにも演歌好き日本人の感情にフィットするんだなあというのをあらためて強く実感したアスター・アウェケの『Ćhewa』でした。アフリカ音楽とかワールド・ミュージックとかに特に興味のない一般の日本人音楽好きにも聴いてみていただきたいですね。

 

(written 2019.9.20)

2019/10/24

ソニー・クラーク『マイ・コンセプション』の思い出

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https://open.spotify.com/album/4kyXSmqZ7WVTjodTRR4wgZ?si=c0F2Rq1nTHygj0poNDkE7g
(オリジナル・アルバムは6曲目まで)

 

1979年にブルー・ノートの日本法人から日本限定で突如発売されたソニー・クラークのアルバム『マイ・コンセプション』。これはたいへんに思い出深いアルバムなんですよね。ピアノ・トリオ作品『ブルース・イン・ザ・ナイト』(これも79年発売)とならび、はじめて買ったソニー・クラークでしたから。『マイ・コンセプション』のほうは二管コンボ編成です。79年は、ぼくがジャズを聴きはじめた年。

 

同じ日本でだけ、同じソニー・クラークの同じく未発表集で、やはり同様に1979年に発売されたということで、『マイ・コンセプション』と『ブルース・イン・ザ・ナイト』のジャケット・デザインのコンセプトは同じです。グランド・ピアノをモチーフにしたもので、たぶん同じデザイナーの手になるものでしょうが、確認する手だてをいまぼくは持っていません。

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CD だと、同じジャケットで同じ曲目で、となると、二枚ともやはり日本盤でしかリイシューされていないです。でも主にジャケットに目をつぶればアメリカ盤でも CD(やネット配信)があるんですね。待ちきれなかったぼくはそれを買っちゃったんで、その別のデザインのを眺めているわけです。買いなおそうかなあ〜。いや、たぶん買わないな。

 

『マイ・コンセプション』の収録六曲はすべてソニー・クラークのオリジナル・コンポジションで、しかもコンボ編成でとなると初お目見えとなるものばかりでした(1959年の録音)。それらが、も〜うチャーミングで、1979年にジャズ・ファンになったぼくは、それらを聴いて、ソニー・クラークってなんと魅力的な作曲家なのかと、強く印象に刻んだんですね。いまに続く「ソニー・クラークは作編曲家」というぼくの見解は、最初からしっかりあったわけです。

 

『マイ・コンセプション』収録の六曲はどれもとても魅力的なメロディを持っていますよね。それらのうち五曲までは1960年のタイム盤アルバム『ソニー・クラーク・トリオ』に収録されているものだ、ということをずいぶんあとになって知りました(曲名が違いますが「ロイヤル・フラッシュ」と「ニカ」は同じ曲)。

 

しかしぼくがソニー・クラークを知ったころにはタイム盤のトリオ・アルバム LP は松山では入手できず。松山でといわず、当時一般的にこのレコードは買いにくかったんじゃないしょうか。なにを隠そうぼくがタイム盤の『ソニー・クラーク・トリオ』を聴いたのは CD リイシューされてから。それまでは手段がありませんでした(ジャズ喫茶でリクエストすればよかったかもですけど)。

 

でもぼくはそのタイム盤に収録されている魅力的なソニー・クラーク・オリジナルの大半を『マイ・コンセプション』で聴いていたんですから、最初にタイム盤のトリオ CD を聴いても、あぁあらためていい曲だなと思っただけで、曲そのものがチャーミングでビックリしたみたいなことはなかったわけです。もちろんどれもすぐれたいい曲で、ピアノ・トリオでやるソニー・クラークならブルー・ノート盤より断然タイム盤ですね。

 

そんな曲のよさは、実は二管コンボ編成でやった『マイ・コンセプション』でのほうがわかりやすいなと思うのは、そっちに先になじんでいたぼくの欲目でしょうか。いや、そんなことはないでしょう、ピアノでトツトツと弾くよりも二管でば〜っと吹いてもらったほうが、ソニー・クラークのオリジナル楽曲の持つなんともいえない魅力が伝わりやすいように思います。

 

どの曲もそうなんですが、ぼくが大学生のころに最初に聴いて以来いまでも変わらず感銘を受けるのが、オリジナル・アルバムではクローザーだった「マイ・コンセプション」です。ゆっくりしたバラード調なんですけど、ハンク・モブリーにテーマ演奏を任せたのが大正解じゃないでしょうか。この渋い、決して派手な自己主張じゃないけれど確信に満ちたコンポーザーの表情を、モブリーが実に滋味深く表現してくれていますよね。ピアノ・パートを経て終盤はドナルド・バードのトランペットでカデンツァまでやりますが、そこも聴きごたえじゅうぶんです。

 

(written 2019.9.27)

2019/10/23

大好きな『ソニーズ・クリブ』

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https://open.spotify.com/album/469Y1IVCrttWSp2qQYzioA?si=lsIl30ouSwquRW0QSRyd7Q
(オリジナル・アルバムは5曲目まで)

 

初期ソニー・クラークでいちばん好きなアルバムが『ソニーズ・クリブ』(1957年録音58年発売)。この作品のばあい、アルバム・タイトル曲を収録した B 面は個人的にイマイチで、スタンダードばかり三曲で構成された A 面こそがずっと好きで聴いてきました。いちピアニストとしてより作編曲家としての才能が抜きに出ていたと思っているソニー・クラークですが、このアルバムにかぎってはスタンダード曲サイドのほうがいいですね。

 

まずオープニング1曲目の「ウィズ・ア・ソング・イン・マイ・ハート」。この急速調にアレンジしたのが大成功ですよね。A 面三曲はいずれもスタンダード・ナンバーなため、ソニー・クラークがどんなアレンジを施すかによって勝負が決まると思うんですけど、三曲ともいい仕事です。なかでもこの「ウィズ・ア・ソング・イン・マイ・ハート」のテンポ設定はいいですね。

 

トップ・バッターで出て爽快にかっ飛ばすドナルド・バードのトランペット演奏も見事。さらにもっと見事だなと思うのは、そのドナルドに対位法的にからむジョン・コルトレインとカーティス・フラーのオブリガートです。彼ら二名、テナー・サックスとトロンボーンのフレーズは、あらかじめソニー・クラークが書いて用意していたのか、それとも二名のアド・リブだったのか、そのへんは判然としませんが、きれいに決まりすぎているので、アレンジされていたとみてもいいですね。

 

もちろんそういったからみはテーマ演奏部のあいだだけで、各人のソロに入ればなくなります。ソロまわしとその内容については今日は省略しましょう。まあビ・バップとかハード・バップとかフリー・ジャズとかって、結局ソロを聴くしかない音楽だなと思うんで、音楽作品としての全体的把握みたいなことは薄くなっちゃいますよね。あ、でもぼく、カーティス・フラーのこのちょっとくぐもったような音色は大好きなんで、彼のトロンボーンが出てきただけでいい気分です。

 

とにかく、ふだんはバラード調でやることも多いこの「ウィズ・ア・ソング・イン・マイ・ハート」という曲を、こんなアップ・テンポにアレンジしてソロを取らせただけでも大正解。アルバム幕開けにまことにふさわしい雰囲気で、アレンジャー、ソニー・クラークの面目躍如だと言えましょう。最終テーマ終了時の三管でのまわしもいいアイデアです。爽快に幕締めとなっていい気分。

 

2曲目の「スピーク・ロウ」は A メロ部分でラテン・リズムを使ってあるのが特色ですね。以前、ソニー・クラークのふだんのなかにもいっぱいラテンがあるぞという記事を書きましたが、実際多いんですよね。「スピーク・ロウ」はそんな感じにアレンジされることが多い曲であるとはいえ、メインストリーム・ジャズなどアメリカ合衆国音楽のなかにも中南米要素は抜きがたくあるということです。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-4a2c.html

 

3曲目の「カム・レイン・オア・カム・シャイン」。カーティス・フラーがあの音色でテーマを演奏するのがなんともいえず大好きなムード。ぼくはホ〜ントこのトロンボーニストのことが、特に音色が、たまらなく好きなんですね。ここではテンポがとまりそうになるほどのゆっくりした調子でやっていますが、こういったテンポ設定はたぶんボスのソニー・クラークの指示ですね。ソニーのピアノ・ソロも親しみやすくてグッドです。この曲はワン・ホーン・カルテットでやったほうがよかったかも。

 

(written 2019.9.26)

2019/10/22

アンジー・ストーンが心地いい(2)〜『ドリーム』

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https://open.spotify.com/album/2hDF82eJV1l8SQ75qC7U0G?si=8ZgjzztOST2jdFEqfTN4hw

 

アンジー・ストーンの過去作をざっと聴いてみて、いちばんピンと来たのが2015年の『ドリーム』です。まずなんたって出だし1曲目がいいですよ。ビートの効いたアップ・テンポの「ダラー・ビル」。大好き。トラック・メイキングも見事だし、それにこういったソウル・ジャンパーに乗るときのアンジーの声の出しかた、置きかたがすごく好きなんですよね。いいノリじゃないでしょうか。

 

もうこんな「ダラー・ビル」だけでじゅうぶん好きになってしまうアルバムなんですが、その後はやっぱりどっちかというとしっとりめのバラード系のもののほうが中心ですかね。2曲目はデイヴ・ホリスターをゲストに迎えてやるヘヴィなナンバー。ひきずるようなビート感が特色ですね。デイヴが目立っていますが、こういった重たい曲想のものでもアンジーの発声は見事です。

 

3曲目「クローズ・ドント・メイク・ア・マン」は、たぶんこれ、モーニング娘。の「LOVE マシーン」を…、じゃなくてバナナラマの「ヴィーナス」(ショッキング・ブルーのかもしれないけど)のリフをサンプリングして使っていますよね。けっこう派手なワン・ナンバー。ちょっとケバケバしい感じもしますが、派手なソウル・ジャンパーを歌うときのアンジーの発声が大のお気に入りで心地いいぼくには楽しい。

 

その後、4「マグネット」、5「ドリーム」と続くしっとり美しめのバラード・セクションがこのアルバムのハイライトなんでしょう。実際、すばらしい。2019年最新作をふくめ何枚かアンジーのアルバムを聴いていると、こういったおとなしめのしっとりきれいなバラードを歌うのが本領のひとなんですかね。なんだかそんな気がします。表現力があるし、立派に聴かせるできにしあがっていて、アルバム『ドリーム』でも文句なしです。

 

アルバムではその後もどっちかというと落ち着いた曲想のものが続いていますが、9曲目の「シンク・イット・オーヴァー」はバラードでありながらややドラマティックなフィーリングも持ったスケールの大きな曲ですね。淡々としたなかにもりあげるアンジーのヴォーカル・パフォーマンスもすばらしいものです。トラック・メイクも見事ですね。特にバック・コーラス。

 

切なく哀しい9曲目「フォーゲット・アバウト・ミー」を経て、アルバム・クローザーの10「ドント・ブレイク・ミー」はふたたびテンポのいいアップ・ビート・ナンバーで、大好き。やっぱりどうしてもこういったビートの効いた曲を歌うときのアンジーがいちばんのお気に入りなんですよねえ。『フル・サークル』の「セイム・ナンバー」で惚れちゃったせいですかねえ。

 

(written 2019.9.17)

2019/10/21

アンジー・ストーンに癒されて(1)

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https://open.spotify.com/album/6KhoIz4SDYW5zEnl0O9bRB?si=z3n7GbzCSS2SI2Q5h2gcuw

 

bunboni さんのブログで知りました。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2019-09-12

 

ぜんぜん存在に気づいてもいなかったレイディ・ソウル・シンガー、アンジー・ストーン。いやあ、実にいいですねえ。こんなにいい歌手がいたんだなあ。最新作の『フル・サークル』(2019)を聴いてみたら一発でハマっちゃって、過去作もざっと聴きましたが、すばらしいのひとことです。今日は『フル・サークル』のことだけ。

 

アンジー・ストーンって、いままでなにも知らなかったからわかりませんけど、けっこうクラシカルなソウル・シンガーなんですかね。アルバムを聴いているとそんな気がします。近年のヒップ・ホップ R&B シンガーみたいな感じは薄いです。でもしっかりした土台があって、その上で間違いない歌を聴かせてくれていますよね。

 

最新作『フル・サークル』のばあい、ぼくはまず2曲目の「セイム・ナンバー」で KO されちゃいました。このテンポのいいアップ・ビート・ジャンパー、気持ちいいったらありゃしません。バック・トラックのつくりかたも完璧だし、歌うアンジーのリズムへのノリも文句なし。いやあ、こんな気持ちいいソウル・ナンバーはなかなかないですよ。快感というしかないです。

 

アルバムのぜんぶの曲が「セイム・ナンバー」だったらいいのに、と思うほどなんですけど、ちょっと書いておくと、アンジーのこのアルバムをはじめて聴いたとき、ぼくはちょっと個人的に落ち込むことがあって気分が暗く憂鬱だったんですね。ところがこの「セイム・ナンバー」ですっかり癒されて元気になっちゃったんです。ぼくを癒し救ってくれたのがアンジーの歌う「セイム・ナンバー」だったんですよね。

 

しかしアルバムではこの手のアップ・ビート・ナンバーはこれだけ。ほかはもっと重心の低いミドル・グルーヴァーですね。でもそれらも完璧に見事です。1曲目「パーフェクト」から、まるでブラック・コーヒーを飲んでいるかのような味わいのアンジーのヴォーカルは絶好調。3曲目「ダイナソー」もすばらしい。この3曲目はアルバムのなかでも目立ってできがいいかもしれないです。

 

続く4曲目「ゴナ・ハフ・トゥ・ビー・ユー」ではジャハイムとのデュオ歌唱で。ちょっとスティーヴィ・ワンダーが書きそうな曲ですね。特に曲終盤でファズの効いたエレキ・ギターが粘っこいソロを弾きながら終わるっていう展開もなかなかグッド・アイデアで胸に迫ります。

 

アルバム全体ではホント落ち着いた曲調のものばかりなんですけど、それでも終盤の9曲目「ワイル・ウィ・スティル・キャン」、10「レット・ミー・ノウ」ではややラフなサウンド・タッチをわざと施して、ドラマティックにもりあがる感じがありますね。この二曲が、個人的にはこのアルバムで「セイム・ナンバー」の次に好きです。

 

(written 2019.9.16)

2019/10/20

秋の夜長に 〜 ブルチュ・イルディス

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https://open.spotify.com/album/09q2PIt0pjTkX2xjENNsqZ?si=Cukq8AsASZOiz8aKqAP28w

 

トルコのハルク歌手ということなんですけど、Burcu Yildiz というこの名前はどう読めばいいのでしょう、ブルチュ・イルディス?とりあえずそういうことにしておきましょう。2019年の(たぶん)デビュー・アルバム『O Günler』がなかなかいいですよ。しっとりしていて落ち着けて、これからの秋にはピッタリの内容じゃないでしょうか。

 

このアルバムの編成の基本は、アクースティック・ギター+ベース(ときにエレキ)+ドラムスで、これを中心とし曲ごとにゲスト参加のミュージシャンがかわるといった具合。どんな楽器がゲスト参加しているかは本当に曲によってさまざまで、ウードだったりネイだったりストリングスだったり管楽器バンドだったりで、そこに一貫性みたいなものはあまりないみたいです。

 

1曲目「Suskun」でギター・トリオの演奏にウード(アラ・ディンクジアン)がくわわってフォーキーな演奏をはじめ、そこにブルチュのヴォーカルがしっとりとからんでいくあたりから、すでに引き込まれてしまいますよね。実にいい雰囲気じゃないでしょうか。演奏も歌も決して派手に盛り上がらず、ずっと一定の落ち着いたムードをたたえたまま進みますが、そんなところもいい感じです。

 

2曲目のゲストはたぶんチェロ奏者でしょうか。ここではリズムがやや快活、というほどでもないんですけどこのアルバムのなかでは目立つほうでしょう。途中からやや劇的なストリングスも入ります。それに乗ってブルチュのヴォーカルにもすこし力が入っているような。ドラマーもリム・ショットで派手にやります。こういうのもありですね。

 

3曲目の管楽器隊はちょっとバルカンブラスみたいで、だから曲全体もやや東欧的な感じがします。リズムも2曲目よりもっと派手になって、ぐるぐる回転するようなにぎやかなものですよね。バック・ヴォーカルが聴こえますが、これはブルチュの多重録音の可能性があると思います。こんなにぎやかな3曲目はこのアルバムではやや例外的かもしれません。やや大道芸的な音楽?

 

しかし4曲目以後はふたたび1曲目同様のしっとり落ち着いたハルク路線に戻って、秋の夜長をうるおしてくれますよ。夜長などといってもこのアルバムはたったの33分しかありませんけどね。4曲目ではネイやクラリネットがゲストの模様。哀しげ&切なげな演奏と歌の雰囲気でこの曲も貫かれています。でもドラマーは背後でけっこうやってますねえ。

 

5曲目以後もずっとそんな暗くしっとりした陰なムードが一貫しているんですが、ブルチュのヴォーカルは開放的な発声をしていて好感が持てますね。しっとり感を維持しつつ伸びやかさを保っています。アルバム・タイトルになっている5曲目はウードとギターのデュオ演奏で歌い、6曲目はストリングス+ホーンズ入り。ここでもホーンズがちょっぴり東欧的に聴こえますけど、トルコと地理的に近いせいなんでしょうか。6曲目は若干ドラマティックに盛り上がるかもしれません。

 

ウードのアラ・ディンクジアンと男性歌手オニク・ディンクジアンをゲストに迎えた7曲目はウード+ギター・トリオだけの伴奏でどこまでもしっとりと。これを経てアルバム・ラスト8曲目ではアラのウード一台の伴奏だけでブルチュが歌っています。7、8曲目ではブルチュの声の美しさがきわだっていて、特筆すべきできばえですね。ウードだけで歌う8曲目なんか実にすばらしく、個人的にこのアルバムのベスト・トラックです。

 

(written 2019.9.18)

2019/10/19

大は小を兼ねるというけれど

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https://open.spotify.com/album/0Oivkm8f3O3YIIvPEJJr05?si=7Xrk9YWpSJOIEpXRtSe3cw

 

大学生のころ、クラシック音楽マニアだった英文学教授が言うにはですね、「若いころは大規模なシンフォニーとか、そりゃあ好きで、気合を入れてどんどん聴いていたけれど、この歳になるとそういうものはちょっとしんどい、短い小品なんかがちょうど具合いいんだ」と。そのときはへえぇ〜と思っただけでして、ぼくは大学生でジャズに夢中で、レコード二枚組の大作なんかも平気でどんどん聴いていました。

 

むかしはそういった大きな作品を聴くのがしんどいなんて思ったことなかったんですけど、最近ですね、ちょっとそんな感じが出てきているんですね。ひとつには加齢ということがあるでしょう、というかこれがたぶん最大の原因です。体力・気力が徐々に落ちてきているせいで、集中力が持続しにくくなってきていますよね。前段で引用した教授の話もこのたぐいのことです。

 

これはおそらくだれでもそうなっていくんでしょう。ただ BGM としてだらだら流しているだけなら途切れないほうがいいから長大なアルバム(やプレイリスト)がいいんですけど、しっかり向き合って気持ちを入れて集中して聴ける時間の長さには、年齢的な限度の変化があるでしょう。だからぼくも最近短めの小品のほうが、どっちかというと聴きやすいと思うことが多いです。

 

もうひとつには、いままでなんどかくりかえしていますが、最近音楽アルバムの長さが短めになってきているなというのも原因のひとつかもしれないです。CD だと一枚で最長80分が収録できますけどそんなのは最近なくなって、一枚のアルバムで30分とか40分とかが主流になってきているでしょう。なかには25分くらいなのもあったりして、かつての LP 時代よりも短時間になってきているような気がします。

 

音楽アルバムの長さが短くなったのは、どう考えてもネット聴き、それもストリーミングで聴くのが世間の主流になったからですよね。それで CD など物体で聴くときでも同じ短さで、ぼくもそんな傾向にすっかり慣れちゃったというのがあるんじゃないかと思います。聴取習慣というか、一個40分程度までっていう、なんというか心理的な区切り、フレームみたいなものができてしまったかもしれません。

 

そんなわけで二つの理由 〜 年齢的な衰え、アルバムの短時間化 〜 によって、長い収録時間のアルバムを聴くのが、まあ流し聴きなら問題ないんですけど、気持ちを入れて向き合うのはややしんどいと感じるように、最近なっています。集中力を途切れさせず維持したまま一気に聴けるのは、アルバム一枚40分か45分くらいまでじゃないですかね。一時間以上あると、聴く前に「うぇ〜」と感じちゃうようになりました。

 

だからそんな一時間超えの長さのアルバムなどは、途中でいったん休憩したくなっちゃいます。これはだから、長大なアンソロジーとかコレクション(SP 時代の音源集大成とか)なんかだと、実際休憩しやすいですからいいんですよね。そういった長いものはそもそも続けて一気にぜんぶ聴くことは想定されていないと思いますから。ぼくの言っているのはオリジナル・アルバムということです。

 

長いものより短めのもののほうがいいっていうのは一曲単位でも言えることで、最近はシングル曲基準の三分程度が最も心地よくて、五分とか八分とかあると長い、長すぎるとか感じてしまうこともあります。これはむろん例外も多くて、最近だとたとえばヌスラット・ファテ・アリ・ハーンのウォマド1985ライヴ。1曲目も2曲目も20分を超えていますが、わりとあっという間に聴けてしまいますからね。長いと感じたことがありません。

 

な〜んだ、音楽的にすばらしければ長さを感じない、楽しければあっという間だと、そういう世間のみんなが知っているだけのことなのか、と言われそうですけど、まあそれが事実です。でも曲単位ならそうでも、アルバム単位となると充実作でも長いとちょっと…、と思うことはままありますね。なんというか人間としての生理というか、やっぱりあんまり長い時間は集中できないですよねえ。だから創り手、届け手さん側にもちょっと考えてほしいと思うこともあるんです。

 

(written 2019.9.25)

2019/10/18

気持ちいいスキャットマン・クローザーズ

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この CD のリリースは bunboni さんに教えていただきました。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2019-08-21

 

ジャスミン盤アンソロジーの『ロックンロール・ウィズ・スキャット・マン』(2019)、いやあ、爽快で気持ちよくカッコイイですよねえ、スキャットマン・クローザーズ。ジャズ/ブルーズ/ジャイヴでかっ飛ばすこのシンギングがたまりません。スキャットマンのヴォーカルには、どこか夢中になりきっていない醒めたクールネスもあって、そんなところもジャイヴな味といえましょう。ちょっとキャブ・キャロウェイにも通じるところででしょうか。

 

でもハチャメチャなナンセンス・シラブルを速射砲のように繰り出すスキャットマンの歌で、ぼくのほうはすっかり夢中。ガーシュウィンの「アイ・ガット・リズム」とかファッツ・ウォーラーの「手紙でも書こうか」とか、このヴォーカルのスウィンギーさといったらたまりませんね。軽快で爽快で胸をすく思いです。

 

ぼく個人の感想と断っておきますが、ロックンロール・ヴォーカルに通じるものだって感じました。それは「ビ・バップ・ア・ルーラ」「ハウンド・ドッグ」といったロック・スタンダードを歌っているからというわけでは必ずしもなく、もっとこう、このスキャットマンの持つスピード感とテンションの高さ、リズムのハネといったものがロック・ミュージックに通じる部分もあるなと思うわけなんです。

 

「イグザクトリー・ライク・ユー」「アイ・ガット・リズム」などのこのパワフルさやハチャメチャ、キテレツな破裂ぶり、「マイ・ブルー・ヘヴン」「手紙でも書こうか」などの痛快にハネるスウィング/ドライヴ感、「(アイ・ウォント・トゥ)ロックンロール」「キープ・ザ・コーフィー・ハット」などのこのタメの深い(R&B ふうな)ノリなど、それらはたんにジャズ・ヴォーカル、ジャイヴ・シンギングという枠におさまりきるものではありません。

 

思えば、ジャズとロックは、ジャンプ・ミュージックをあいだにおき、ひとつづきなんです。スキャットマンのすこし前、1940年代に一世を風靡したルイ・ジョーダンは、基本ジャズのひとですけど、ジャンピング・ジャイヴともいうべき独特の芸風で、約10年後のチャック・ベリーの先駆となりました。ジャズ/ブルーズ/ジャイヴのルイ・ジョーダンは、そのままロックンローラーにつながっているんですね。

 

今回ちゃんとしたリイシューがなったスキャットマン・クローザーズは、ジャイヴ/ジャンプ・シンガーでありながら、というかそうであるからこそ、ジャズとロックの中間あたりで、あるいは双方をまたにかけて、歌芸を爆発させたヴォーカリストだったんじゃないか、というのがぼくの見方です。

 

参考プレイリスト。
https://open.spotify.com/playlist/3ALeKbDAMHeESPhYeQYewH?si=YRi9SxzFQRuffgPv8cfr4w

 

(written 2019.9.13)

«ロバート・ランドルフの高揚感が戻ってきた 〜『ブライター・デイズ』

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