2020/11/29

わさみんオンライン・トーク・イベント 11.28

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(写真は岩佐美咲オフィシャル・ブログより)

 

(5 min read)

 

きょう11月28日は、Zoomアプリを使ってのわさみん(岩佐美咲ちゃん)オンライン・トーク・イベントでした。ネット越しとはいえ、わさみんと1対1でおしゃべりできるわけですから、ファンとしてはそりゃあもう嬉し楽しいイベントなわけですよ。

 

Zoomを使ってのわさみんのオンライン・トーク・イベントはいままでに二回開催されていました。七月と九月。そのうち一回目は日程が合わずパス、二回目の九月イベントには申し込むもののみごと落選、悔し涙にくれました。

 

それで二回目の応募で今度こそ!と勢いこんだ11.28開催分にはなんとか当選することができたわけです。ぼくは二枠お願いしたので計九分。午前11時すぎからZoomでわさみんとのオンライン・トークを存分に楽しみましたよね。

 

九分があっというまに終わってしまいましたが。

 

2ショットのスクリーン・ショットも撮ったんですけど、それはネットに上げちゃダメっていう決まりになっているので。わさみんはブルーのニットを着ていました。午前中だったので、まだちょっとテンション低めだったかも(※オフィシャル・ブログが更新されましたので、その写真を上で使いました)。

 

ほんとうだったら本業の歌の話をもっとしようと思っていたんですけど、なにぶんわさみんとのトークは約一年ぶりですからねえ。舞い上がるやら緊張するやらで(Zoomで順番待ちするのもドキドキするし手に汗をかく)想定どおりには話せませんでした。

 

ちょうど11/25から銀座山野楽器の「元祖どこでも演歌まつり」というのがネット配信番組として開催されていて、わさみん分をきのうもきょうもみましたから、その話を中心に、歌のできぐあいがどうだったとか選曲とか、そんなことを話しようと思っていたのに、九分の枠内ではほとんどしゃべれず。

 

一回のログインで巻き戻せばなんどでも見られるっていうのは、わさみんたぶん知らなかったかもしれません。それを言うと、ちょっとビックリしていましたもん。

 

山野楽器「元祖どこでも演歌まつり」の話は、また機会をあらためて記事にすることがあるかと思います。

 

そのほかはウクレレの話が中心になりましたね。なんでウクレレかっていうと、ちょうど部屋のなかにふだん弾きのウクレレがあるので、それを抱えてZoomイベント開始の順番待ちしていたら、パッと画面が開いたときに案の定わさみんがそれに食いつきました。

 

わさみんはギターを弾きますが、ギターのチューニングとウクレレのチューニングはぜんぜん違うとか、弦も違うとか(ウクレレはナイロン弦)、ヘッド部分にクリップ・チューナーをつけているので、取り外してみせるとクリップ・チューナーの話題にもなりました。

 

予想どおりわさみんもふだんやはりクリップ・チューナーを愛用しているとのことです。そう、いまやいちばんカンタン便利なチューナーですもんね。でもぼくがギター弾きはじめた40年以上前にはクリップ・チューナーとかなくて、そもそもチューナーじゃなくAの音叉でギターの5弦を耳で聞いて合わせて、残りの弦は…、とか、そんな昔話になっちゃいました。通じたのかな、あの耳チューニングの話。

 

現在25歳のわさみんの世代だと、そんなギターのチューニングで苦労するっていう経験もあまりないかもしれませんね。ウクレレ、わさみんに「ちょっと弾いて聴かせてよ」って言われたんですけど、あくまで話のネタというか飾りとして抱えただけなので、遠慮しておきました。

 

そうそう、2021年わさみんカレンダーもウチに届いたのを見せたら、「あっ、買ってくれたんだ」と、その話にもなりましたね。「何枚目がいちばん好き?」とか、いや、ぜんぶいいけど、ぼくは特にこれかなとか、はっきり言ってそれもこれも他愛のない話題ですけど、愛するわさみんとオンラインでも九分間生でおしゃべりできて、大満足なぼくだったのでした。いやあ、楽しかった。

 

さぁ、オンライン・トークもいいけど、わさみんの本業は歌手なんです。いま現在、山野楽器「元祖どこでも演歌まつり」が配信されている真っ最中ですが、そのほかやはり歌を聴かせるイベント、配信ライヴ、ハイブリット・コンサートなどのたぐいをもっとどんどんやっていってほしいですね。

 

そんな歌の企画こそ、長良プロと徳間ジャパンには強く強くお願いしておきたいところです。その気になれば、配信ライヴなど、もっともっとできるのではないでしょうか。なんといってもわさみんは歌手なんですから。

 

(written 2020.11.28)

2020/11/28

明るく愉快なラウンジ・ジャズ 〜 ルパート・クレメンドール&ジョン・バディ・ウィリアムズ

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(6 min read)

 

Rupert Clemendore, John Buddy Williams / Le Jazz Primitif from Trinidad

https://open.spotify.com/album/248iaWKUvBK7AiR3U27Tu1?si=h5DbwjBrQzu5wCA840Wa1A

 

この、スミソニアン・フォークウェイズからリリースされているアルバム『Le Jazz Primitif from Trinidad』(2012)には二種類のセッションが収録されていて、たがいにとくに関係もないみたいです。だからたんなる時間あわせというか、どっちも一方だけでは尺が短すぎるからというだけのことなんでしょうね。

 

アルバム題に出ているトリニダード・トバゴとは、後半に収録されているジョン・バディ・ウィリアムズにかんしてのことみたいですけど、あるいは前半に入っているルパート・クレメンドール(この読みでOK?ルペール・クレモンドールだったりする?)もトリニダードのジャズ・ミュージシャンなのかもしれません。

 

ともあれ、前半六曲がルパート、後半五曲がジョン・バディと、それぞれの名義録音ですね。アルバムは全体的にとってもゆるく、これはたぶん一種のラウンジ・ジャズっていうか、BGMふうっていうか、イージー・リスニング・ジャズですよね。1961年の録音である模様。

 

ジャケットがこんな感じですから、ちょっとお化けでも出てきそうなおそろしげな暗い雰囲気で、これは完璧に失敗ですね。これだけ見て聴かずに敬遠するひとも多そうです。中身を聴けば、かなりとっつきやすく明るい感じの陽気なカリビアン・テイストのイージー・ジャズなんで、もうちょっとどうにかならなかったのかこのデザインは、スミソニアン・フォークウェイズさん。

 

くつろげるラウンジ・ジャズだという側面は、特に前半六曲のルパート名義の音楽に色濃く出ていて、だから楽器がヴァイブラフォンなのでその音色もあって、ということですね。ヴァイブラフォンとパーカッションがルパートの担当楽器みたいで、曲によってヴァイブは入ってなかったり。それ(+ピアノ)+コントラバス+パーカッション、でしょうか。あ、ギターが聴こえるものも一個だけあるなあ。

 

5曲目「ザ・フライ」にはドラマーとサックス奏者がいて、+ピアノ+ベースで、ワン・ホーン・カルテットでの演奏になっていますが、そういうのはこれだけ(ドラマーだけ1曲目にもいるけど)。アルバム前半を占めるルパートの音楽でぼくのお気に入りは、特に2曲目「ボンゴ・ムード」、3「ウィー・マンボ」、6「マンボ・バッソ」あたり。パーカッションのリズムがどれもいいんですよね、楽しくて、明るいカリビアン・ジャズで。ラウンジふうで雰囲気もいいし、聴きやすいです。

 

なお、4曲目のタイトルが「ワン・ベース・ヒット」ですけど、ディジー・ガレスピー作でモダン・ジャズ・カルテットもやった同名曲とは関係ないみたいですね。でも聴いた感じ、同じくヴァイブラフォンが入っていたり、同様にくつろげる室内楽ふうなラウンジ・ジャズということで、共通点がまったく見いだせないわけでもなさそう。ムードがちょっと似ているんじゃないですか、ルパートとMJQ。

 

キューバン・ジャズなテイストも感じられたアルバム前半のルパートの音楽に比し、後半のジョン・バディ・ウィリアムズの五曲は、わりと鮮明なトリニダード・カラーに染まっていて、これらはかなりはっきりしたカリプソ・ジャズですね。シリアスなというかシビアな音楽リスナーにはこの後半のジョン・バディの音楽のほうが歓迎されそうです。

 

ジョン・バディの音源は、リズム隊+複数人数(大編成というほどでもなさそう)のホーン・セクション+ヴォーカル・コーラスという編成によるもので、リズムもそうだけどぼく的にはホーン・アンサンブルの楽しさがグッと来る感じ。リズム・スタイル、アンサンブルのハーモニー、メロディの音階というか動きなど、すべてトリニダードのカリプソがベースになったジャズです。

 

アメリカ合衆国のモダン・ジャズがお好きなみなさん向けにてっとり早く解説すれば、かのソニー・ロリンズの「セント・トーマス」(『サクソフォン・コロッサス』)、あれにそっくりだということになります。ロリンズの両親は、トリニダードではないけれど西インド諸島にあるヴァージン諸島の出身で、ソニーも子ども時分からカリブ音楽には親しんでいたんだそう。

 

きょう話題にしているこのアルバム後半で聴けるジョン・バディ(ベーシスト)の音楽には、ジャズといえどアド・リブ・ソロのパートはあまりなくて、ほぼ全面的に譜面化されたアレンジを演奏しているのも大きな特色ですね。譜面はボスのジョン・バディが書いているのかどうかわかりませんが、その際に同地のカリプソ・カラーを全面的にとりいれようとしたんでしょう。アメリカ合衆国のジャズ・ミュージシャンがやるカリビアン・ジャズとは比較にならないすばらしさですね。ダンサブルだし。

 

スミソニアン・フォークウェイズがつけたアルバム題には “Primitif” とのことばがありますが、とんでもない、かなり洗練された進んだ音楽です。

 

(written 2020.9.29)

2020/11/27

ジャジーなサンバ・カンソーン 〜 マルシア

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(4 min read)

 

Márcia / Prá Machucar Seu Coração vol.1

https://open.spotify.com/album/3nosZmmmM7esOLIcDm6sgL?si=XbzMvGx6QVuQs0AXM4dRHw

 

bunboniさんに教わりました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-08-17

 

ブラジルの歌手、マルシア…、って実はネットで検索する際ちょっと困っちゃうんですよね。日本で活動する演歌歌手のマルシアがいるでしょう、猪俣公章の弟子だったそのマルシアも(日本系三世の)ブラジル出身で、アルファベット文字での綴りも同じ。「ブラジル マルシア」だけのキーワードでは演歌のマルシアばっかり出てきちゃいます。困っちゃうな〜。

 

ともかく、こっちはブラジルで活動したブラジル人歌手のマルシアのアルバム『Prá Machucar Seu Coração vol.1』(1995)。アルバム題はジョアン・ジルベルトも歌った有名曲「Prá Machucar Meu Coração」のもじりですね。大好きな一曲で、だからそれを見ただけでちょっと聴いてみたくなるっていう。

 

それにしても「Prá Machucar Meu Coração」っていう曲、作者はアリ・バローゾだったんですね。アントニオ・カルロス・ジョビンじゃなかったんだぁ、恥ずかしいです。大学生のころ『ゲッツ/ジルベルト』が愛聴盤だったぼくは、あのアルバムA面にあったこの「プラ・マシュカ・メウ・コラソン」が大のお気に入りで、あのアルバムはジョビンの曲を集中的にとりあげたものだから、と思ってよく確認していませんでした。

 

その「Prá Machucar Meu Coração」がきょう話題にするマルシアのこのアルバムでも4曲目に収録されています。これがとってもいい内容じゃないでしょうか。イントロ〜無伴奏での歌い出しあたりはそうでもないですが、パッとリズム伴奏が入ってきてからが極上のムード。でもって、これはサンバのリズムですよね。ベース、打楽器群がそれをわりとはっきり表現していると思います。

 

しかしカーニヴァル向けのダンサブルなサンバじゃなくて、すわって聴くための歌謡サンバ。だからbunboniさんのおっしゃるようにサンバ・カンソーン的な資質の歌手だったということになりますね。しかし一般にサンバ・カンソーンに分類されている多くの歌手たちみたいなねっとりと粘りつく湿度はマルシアにはなく、もっとアッサリ乾燥風味。だからそこを取るとボサ・ノーヴァ歌手っぽいとなる評価もなんだかわからないでもないっていう。

 

しかも伴奏のバンド演奏にはジャジーなテイストもあって、実際よくわかんない、けど上質、っていうアルバムですねえ。しっとりした(しばしばテンポ・ルバートな)バラード調のものも悪くないんですけど、個人的には軽いビートが効いてテンポのいい、つまりサンバっぽいアレンジで演奏・歌っているものが大の好み。

 

だから4曲目「Prá Machucar Meu Coração」とか、8曲目「Errei...erramos!」とか、11曲目「Não Me Diga Adeus」あたりがなんともいえず心地いいですね。とくに8曲目、これは最高の逸品ですよ。バンドの演奏するリズムやシンセ・リフ(たぶんピアノ奏者が弾いている、しばしばMIDI同期で)なんかも快感で、その上に乗るマルシアの歌うメロディの動きがなんともいえないサウダージ。も〜う、なんべん聴いてもタメイキが出ちゃいます。この雰囲気ですよ。

 

(written 2020.9.26)

2020/11/26

ジャズのアルテミス登場

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Artemis / Artemis

https://open.spotify.com/album/2NHS9RKnUaFqVU13hHgDAP?si=8ZYWX2jeTLCW2tSAG5jq9w

 

今年9月11日にブルー・ノートからアルバム・デビューしたばかりのスーパー・グループ、アルテミス。Artemisは古代ギリシア神話に登場する狩猟の女神の名。アメリカを拠点に活動するグループですからアーティミスと書くべきか、ちょっと迷いました。

 

女神名からグループ名もとっているように、アルテミスは全員女性の七人メンバーで構成されています。アルバム・デビューしたばかりといっても新人ではなく、全員がしっかりしたキャリアを積んできている評価の高い実力者ばかりで、だからスーパー・グループなんですね。

 

以下にグループ・メンバーを書いておきます。

・リニー・ロスネス(ピアノ)
・メリッサ・アルダナ(テナー・サックス)
・アナット・コーエン(クラリネット)
・イングリッド・ジェンセン(トランペット)
・ノリコ・ウエダ(ベース)
・アリスン・ミラー(ドラムス)
・セシル・マクローリン・サルヴァント(ヴォーカル)

 

女性ばかりというだけでなく、アメリカ合衆国、カナダ、フランス、チリ、イスラエル、日本、と多様に異なった文化背景を持つ多国籍集団であることもアルテミスの特徴。リーダーで音楽監督役リニー・ロスネスの呼びかけで、2017年にヨーロッパのフェスティヴァル・ツアーをまわるために集められたのがグループ結成のきっかけだったそう。

 

2018年8月のニュー・ポート・ジャズ・フェスティヴァルでこのアルテミスのステージに接したブルー・ノートの社長ドン・ウォズが、その充実した内容に感動したようで、それが今年のデビュー・アルバム・リリースにつながったのでしょうね。

 

アルバム『アルテミス』収録曲は、カヴァー四曲以外すべてメンバーが持ち寄った自作の数々。以下にその作者名を記しておきましょう。

1)ガッデス・オヴ・ザ・ハント(アリスン・ミラー)
2)フリーダ(メリッサ・アルダナ)
3)ザ・フール・オン・ザ・ヒル(レノン・マッカートニー、イングリッド・ジェンセン編曲)
4)ビッグ・トップ(リニー・ロスネス)
5)イフ・イッツ・マジック(スティーヴィ・ワンダー、リニー・ロスネス編曲)
6)ノクターノ(アナット・コーエン)
7)ステップ・フォワード(ノリコ・ウエダ)
8)クライ・バターカップ・クライ(ロッコ・アクセッタ、編曲だれ?)
9)ザ・サイドワインダー(リー・モーガン、リニー・ロスネス編曲)

 

アルバム収録曲は、どれもかなりしっかりと細かく(特にリズムが)アレンジされています。新世代ジャズというわけじゃない、従来的なメインストリーム・ジャズの範囲内にある音楽でしょうから、演奏フォーマットもテーマ合奏〜ソロまわし〜テーマ合奏という従来的なものを踏襲していますけれども、それでも細かな、特にリズム・アレンジをソロのあいだも綿密に行き渡らせていて、決して一発勝負的なものにしていないあたりには現代性を感じますね。

 

しかもその(テーマ演奏部ではもちろん)各人のソロ・パートでもていねいにアレンジされたリズムがかなり柔軟で、伸び縮みしたり変化したりはしませんけれど、しなやかなやわらかさを感じる演奏なんですね。従来的なハード・バップってそのへんリズムが硬いっていうか、一方向的だったと思うんですが、アルテミスのリズムにはのびやかな双方向性を感じます。

 

ソロ内容だって充実していますが、しかしソロで聴かせる音楽でもないような気がします。もっと総合的にっていうか、イントロ〜最初のテーマ合奏から演奏全体をトータルでみたときに魅力を感じられるグループじゃないでしょうか。

 

メンバーのオリジナル・チューンでは、もちろん幕開けの「ガッデス・オヴ・ザ・ハント」からみごとなんですけど、ぼくが特に感心するのはたとえば2曲目「フリーダ」の清新さ、みずみずしさとか、4「ビッグ・トップ」の迫真の迫力とパワーとかですかね。そのほかの曲もふくめ、ソロはコンポーザーが中心にとっているみたいです。

 

全四曲のカヴァー・ソングのほうが、実はもっと内容がいいように聴こえるんですが、なかでも圧巻はラストに入っているリー・モーガンの「ザ・サイドワインダー」。リーのオリジナルや種々のカヴァーと比較しても、このアルテミス・ヴァージョンは特筆すべきできばえですよ。

 

グッとテンポを落としヘヴィに重心をおいて、低域を強調したダークで不穏でロー・ダウンなフィーリングに(リズムもハーモニーも)アレンジされたアルテミス・ヴァージョンの「ザ・サイドワインダー」は、不気味で落ち着かないフィーリングを聴き手のなかに巻き起こします。このダウン&ブルーな感触こそ、いまの、2020年の、時代の音だなという感じがしますね。近年のコンテンポラリーR&Bなんかにも通じる空気感で、実にみごとな再解釈です。カァ〜ッコイイ!

 

(written 2020.10.15)

2020/11/25

やっぱりジャジーなマット・ローリングズの新作がとっても沁みる

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Matt Rollings / Matt Rollings Mosaic

https://open.spotify.com/album/49Fvb3Ntjzp3xxQLLpISPT?si=coRE_fGBSgq7TLe0EdDNcw

 

萩原健太さんのブログで知りました。
https://kenta45rpm.com/2020/08/19/matt-rollings-mosaic/

 

鍵盤奏者マット・ローリングズ。セッション・ミュージシャンとして、ジャンルを超え各方面でひっぱりだこの人気者ですね。1990年のジャズ・アルバム以来という30年ぶりの自己名義作品『マット・ローリングズ・モザイク』(2020)は、一曲ごとに参加歌手を替えながらさまざまな著名曲のカヴァーでモザイクした、いわばアメリカン・ソングブックみたいなアルバム。マットって自身名義のソロ作品というのはあまりつくらないひとなんでしょうか。

 

ともかく最新作『マット・ローリングズ・モザイク』がこりゃまた沁みる内容の音楽で、しかも大のぼく好み。その最大の理由は、やっぱりこれもオールド・ジャズふうに展開した感触の作品だからですね。健太さんはぐっとアメリカーナ寄りの作品とお書きですが、個人的にはジャズ風味を強く感じます。

 

それになんたって1曲目「テイク・ミー・トゥ・ザ・マルディ・グラ」(ポール・サイモン)が、完璧なアバネーラにアレンジされているのがかなりポイント高し。あれっ、こんな曲だっけ?と驚いて、ポールのオリジナルを聴きなおしてみたけど、ちっともカリビアン/キューバンじゃないんですもん。

 

だからマットが今回わざわざキューバン・アバネーラに仕立てあげたというわけで、ぼくは大のアバネーラ好きだから、もうこのアレンジとリズムだけで心地よさに満たされていきます。このオープニングはほんとうにうれしかったですね。ホーン・アンサンブルだってニュー・オーリンズ・ジャズふうで、そりゃマルディ・グラだからそうなります。カリブ文化とは切っても切れない縁のクリオール文化首都ですからね、ニュー・オーリンズって。

 

アルバム全体でもニュー・オーリンズふうの古典的なジャジーさを強く香らせるできばえで、同地のジャズには抜きがたくカリビアン・ミュージック要素が混じり込んでいることを、マットのピアノ・プレイのタッチに随所でしっかり感じます。

 

ピアノ(だけじゃなく多重録音でオルガンやシンセサイザー も弾いている様子)のタッチがどうこうといっても、このアルバム、基本、どの曲もゲスト参加の歌手をフィーチャーしていて、ピアノでもなんでも楽器ソロはまったくなし。伴奏のピアノ演奏だってこれみよがしにオブリガートを入れることもなく、ただひたすら淡々とマットは地味に弾いている堅実さ。

 

だからこそかえって職人気質が気高く思えるっていう内容に仕上がっているんですよね。そのほかのミュージシャンもベースとドラムスだけのトリオ編成っていうのが基本で、そこに曲によってはちょこっと弦楽器や管楽器などがゲスト参加して装飾しているだけ。

 

なかにはアイリッシュ・ソングを思わせるものもあったり(3「ステイ」、7「ウェン・ユー・ラヴド・ミー・スティル」、10「スランバー・マイ・ダーリン」)、それはたしかにアメリカーナですけれども、ほかにはたとえばライヴ・ラヴェットが歌う2曲目「アクセンチュエイト・ザ・ポジティヴ」はオールド・ジャズ・スタンダードですし、ブラインド・ボーイズ・オヴ・アラバーマ参加の4「ウェイド・イン・ザ・ウォーター」だって、ゴスペルというよりジャジーな香味のほうが強いアレンジになっています。

 

クライマックスであろう、ライル・ラヴェット、ランブリン・ジャック・エリオット、ウィリー・ネルスンの三人が参加して歌っている8曲目「ザット・オールド・ラッキー・サン」なんかも完璧オールド・スタイルのジャズ・ソングに仕上がっていて、ビートも2/4拍子、マットのピアノなんかストライド・スタイルだもんねえ。ニンマリ。

 

ウィリーの子ルーカス・ネルスンを迎えての9曲目「アイル・カム・ナキン」でも、こんなふうに地味&滋味深くルーカスも歌えるのかと驚くほどの落ち着いたできばえ。支えるマットのピアノ・サウンドがしっかりしているからではありますが、それにしてもねえ、アレンジ次第で化けるもんです。ジャジーですけど、でもたしかにちょっぴりアメリカーナっぽいかも。

 

アメリカーナっぽさよりもジャジーな味を個人的に強く感じるのは、このアルバム、ギターリストがまったくといっていいほど参加していない、ピアノ・トリオ中心のサウンドで構成されているからかもしれません。そのなかにカリビアンだとかアイリッシュだとか、もともとアメリカン・ミュージックのルーツになったような音楽要素も混ぜ込んで味わい深く聴かせるマット・ローリングズ。自身のプロデュース・ワークも光っています。

 

(written 2020.9.21)

2020/11/24

ブラジリアン・ジャズ・スキャット 〜 レニー・アンドラージ

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(4 min read)

 

Leny Andrade / Leny Andrade

https://open.spotify.com/album/3pnY6lMWo3nfqe2Ie5soBs?si=LtcASDL2STaV5d-sVeOD8w

 

bunboniさんに教えてもらいました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-08-15

 

ブラジルの歌手、レニー・アンドラージ(Leny Andrade)1984年のライヴ・アルバム『レニー・アレンドラージ』が真夏にピッタリということでbunboniさんが紹介なさっていて、ぼくも熱帯夜が続いていた八月なかばに聴いて、とてもいいなと感じましたが、文章化するのは涼しくなったいま九月も下旬です。以前も書いたけどメモがたまっていて順番があるからで、書き上がったもののストックもたまっていますから、ブログに上がるのは寒くなってからでしょう。

 

レニー・アンドラージはブラジリアン・ジャズ・シンガーといっていいと思いますが、この1984年ライヴは少人数のコンボ編成。たぶんこれ、ギター、ピアノ、ベース、ドラムスと、たったそれだけじゃないですかね。ライヴだけあって、かなりこなれたナチュラルな演奏ぶりで、スムースなスキャットを駆使するレニーのヴォーカルがいっそう映えます。

 

はじめて聴くからよくわかっていないんですけど、レニーってこういう、勢いというか雰囲気、ムード一発で歌う歌手なんですかね。細かくていねいにフレーズをつづっていくといったヴォーカル・スタイルとはちょっと違うかなと、そういう印象を持ちました。ライヴだからってこともあるでしょうか。

 

だからバンドの演奏とともにハマるときはいいけど、雑になりやすい資質の歌手かもしれませんね。この1984年ライヴではいいほうに出ている、成功しているなと思えます。それはバック・バンドの、こちらはかなりていねいにつむぐ繊細な演奏ぶりが支えているんでしょう。ライヴならではのスポンティニアスな雰囲気も満点でいい感じ。

 

洗練されたコード・ワークを駆使したジャジーで有機的な演奏ぶりで、特に中心になっているのはピアノとギターでしょうね。ソロは主にギターリストが弾いていますが、だれなんでしょう、かなり細かいフレーズを息長くうねうねとくりだす、うまいひとだと思います。ピアノはバンド・サウンドのキーになっているし、全体の牽引役かなと感じます。

 

1曲目でゆっくりとしたテンポのボサ・ノーヴァっぽいノリでレニーが歌いだし、まあまあかなと思っていたら、ワン・コーラス終えたところでバンドの演奏がパッと止まり、一瞬の空白のあとレニーが勢いよくスキャットをはじめるや否やバンドがアップ・テンポでなだれこんできます。そこからは疾走感満点で、レニーのスキャットが終わったらギター・ソロ。そのへんで、あぁ、これはいい、すばらしいジャズ・ヴォーカル・ライヴだと実感しますね。

 

どの曲でもレニーはジャジーなスキャットを駆使していて、爽快に乗りこなしているし、ブラジリアン・ジャズ・フュージョンみたいなバンドの演奏も聴きやすくてみごと。ブラジルの曲が並んでいるなかで気を引くのは9曲目の「ディス・マスカレード」。もちろんリオン・ラッセル(アメリカ合衆国)の書いたものです。前後と違和感なくおさまっていて、もとからそういう曲調のものだからなんですけど、みごとな選曲ですね。レニーはこれだけ英語で歌っています。

 

(written 2020.9.21)

2020/11/23

ナチュラルな音像とインティミットな質感 〜 メアリー・チェイピン・カーペンター

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(4 min read)

 

Mary Chapin Carpenter / The Dirt and the Stars

https://open.spotify.com/album/01Ik011bsnoj52aeyE6XXg?si=JT6ePQ1rSPO8QMOV2QYc6g

 

萩原健太さんに教えていただきました。
https://kenta45rpm.com/2020/08/14/the-dirt-and-the-stars-mary-chapin-carpenter/

 

アメリカ人歌手、メアリー・チェイピン・カーペンターの新作アルバム『ザ・ダート・アンド・ザ・スターズ』(2020)は、イングランドのバースにあるピーター・ゲイブリエルのリアル・ワールド・スタジオに(コロナ情勢下だけど)ミュージシャンを集めてのライヴな一発録りで制作されたものだそうです。

 

メアリー・チェイピンはやっぱりカントリー系のシンガー・ソングライターかなと思うんですけど、独特の辛口な深みとインティミットさをたたえた曲づくりと歌声はそのままに、新作ではグッとアメリカーナに寄ったような内容になっています。もとよりカントリーの枠内におさまる音楽家ではなく、1990年代からずっとフォーク、ルーツ・ロックや、あるいはブラック・ミュージック的な要素もあわせ持つ存在ではありました。

 

今回の新作ではプライヴェイトで内向的な色彩感を帯びた内容が多く、それは主に曲のテーマ設定や歌詞、サウンドのテクスチャーやカラーリングなどに感じるんですけど、できあがりの肌触りがとても親近感のある、やさしくやわらかい心地がするんですね。全員集合の一発ライヴ収録ということで、ナチュラルな音像やリアルな歌声が楽しめる作品に仕上がっているのもいいですよね。

 

4曲目の「オールド・D-35」はマーティンのギター D-35 のことだと思うんですけど、これはメアリー・チェイピンの恩師的存在で故人のジョン・ジェニングズ(ギターリスト、プロデューサー)に捧げられたものみたいですね。1987年のデビュー作『ホームタウン・ガール』をプロデュースしたのがジョンでした。そのほか個人的な生活事情(年齢の積み重ね、人生の変化など)を歌い込み、サウンドもそんなインティミットな質感で彩っているアルバムのように聴こえます。

 

ビートの効いたノリのいい曲だってあります。たとえば5曲目「アメリカン・ストゥージ」や8「シークレット・キーパーズ」。後者はストレートなロック・チューンに思えますけど、前者はマット・ローリングズのハモンド・オルガンが効いているせいもあってか、なかなかファンキーです。これら二曲ではバンドの一体感のある演奏もグッド。デューク・レヴィンのエレキ・ギターだって聴きものですね。

 

そんなファンキーな5曲目「アメリカン・ストゥージ」に続く6「ウェア・ザ・ビューティー・イズ」なんか、これは必ずしもビート・チューンじゃないですけど、メロディがやさしくやわらかくて、しかもとっても美しいです。こんなにきれいなメロディ、なかなか聴いたことないと思うくらいで、それをそっとやわらかくつづるメアリー・チェイピンのヴォーカルもすばらしいですね。

 

アルバム・ラストの11曲目「ビトゥウィーン・ザ・ダート・アンド・ザ・スターズ」。実はこの曲こそぼくがこのアルバムでいちばん気に入っているもので、これはローリング・ストーンズの「ワイルド・ホーシズ」のことを歌ったバラードなんですね。これも歌手の人生からくるプライヴェイトな内容の歌ですが、約八分間のうちヴォーカルは前半で終わり。後半は最後までずっとデューク・レヴィンのエレキ・ギター・ソロなんですが、それがほんとうにヤバイんです。超カッコいいし、物語をつむいでいるソロですよね。

 

(written 2020.9.20)

2020/11/22

『俗楽礼賛』を音で聞く

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(4 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/0ss9z4PwrQD44lCKVl9la3?si=SwCmaX8BTzKFWPnyqJzYdw

 

っていうSpotifyプレイリストがあるんですけど(上掲リンク)、これ、なんでフォロワーがぼくを入れて三人しかいないわけ〜??中村とうようファンは多いはずなのに、そんなみなさんはSpotifyやっていないんでしょうか。もったいない。

 

この「『俗楽礼賛』を音で聞く」プレイリストを作成されたのは、Twitterでおつきあいのあるcintaraさん。とうようさんの名著『俗楽礼讃』(1995)に登場する歌手たちを、実際の音源でたどれるようにしたものですね。ぜんぶがぜんぶSpotifyにあるわけじゃないんで、だから可能な範囲で、ということでしょう。

 

といいましてもぼく個人はあの『俗楽礼賛』がもう手許にないんで、だからあの本とこのSpotifyプレイリストを比較して突き合わせながら聴くっていうことはできないんですけど、『俗楽礼賛』の内容はちょっとだけなら憶えているので、あるいはあの本をご存知ないかたがただって、じゅうぶん楽しめるプレイリストだと思いますよ。

 

プレイリスト「『俗楽礼賛』を音で聞く」は、とうようファンのあいだで、そうでなくとも日本でもむかしから大人気のパティ・ペイジではじまりますが、その後もあの本を愛読していたファンならもちろん知っている名前ばかり並んでいます…、のはずなのですが、個人的には忘れていた歌手もいました。

 

『俗楽礼賛』を、というか多くの本を、愛媛に戻ってくる2011年に手放したのでしかたがないかなとは思いますが、たとえばLos Torovadores de Cuyo、Jaime Guardia、La Niña de los Peinesあたりはわかりませんでした。そういうのはこの三組だけなんですけど、『俗楽礼賛』に登場していたということなんですよねえ、う〜ん。

 

でもそれら以外はおなじみの歌手たちばかり並んでいて、あの本やとうようさんを愛読していたファンのみなさんなら思わずニンマリするはず。上でもちょろっと言いましたが、とうようさんの愛読者じゃなかった、中村とうようなんて知らないよというリスナー向けにも、幅広い音楽ジャンルを包摂したプレイリストとしてなかなか楽しくできあがっているなと感じます。とうようさんをご存知ないかたが『俗楽礼賛』名のプレイリストに興味を示すかどうかはともかく。

 

個人的にはトルコの二名(ヌレッティンとゼキ・ミュレン)あたりからはじまるパートがほんとうに好きで、アスマハーンを経てヌスラット、エルフィ・スカエシなんかで、聴きながら微笑んでしまいます。最終盤の日本の歌手パートもすごくいい。川田義雄とミルク・ブラザースってマジ楽しいな〜。そこから小畑実を経て美空ひばりで締めくくる流れも抜群の構成。

 

一人一人、一曲一曲、Spotify内を検索して拾っていって並べたのに違いありませんから、なかなか骨の折れた作業だったろうとねぎらいのことばをcintaraさんにかけたい気分です。歌手や曲の並びも考え抜かれているし、聴いて楽しい構成になっていますよね。必ずしも『俗楽礼賛』での登場順じゃないあたり、実際の音で聴くとどうなるか、よくご存知のひとが編んだものだということがわかります。

 

『俗楽礼賛』という本は、活版印刷、糸かがり、布製表紙など、あの時代でも消滅しつつあった製本技術を駆使してつくられ出版された渾身の一冊だったので、絶版となっているいまや、復活の可能性もありません。でもこうやって実際の音楽として聴けるようにしてくださるかたのおかげで思い出し、忘れずにいることができますね。

 

(written 2020.9.24)

2020/11/21

音楽のいいも悪いも気分次第(字余り)

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(6 min read)

 

音楽って、一回、二回聴いてピンとこなくても、寝かせておいて、しばらく経ってからもう一回聴いてみたらとてもいいと感じることがよくありますよね。そのときそのときのこっちの気分次第でどうにでも変わるっていうことだってあります。

 

気分次第という面と、それからリスナーである自分の耳の成長といった面もあると思いますね。いろんな音楽を聴いて知らなかった世界を知り、その結果、それまでイマイチだな〜と思っていた音楽が、実はこうこうこういうことだったんだと気がついて、おもしろさがわかるようになったりします。

 

ぼくのばあい、音楽も知らないことだらけですから、毎日どんどん聴いて新たな発見があったりして、それでカッコよくいえば知見を深めるっていうようなことがありますからね、だから聴いて最初つまんないなぁと思っても即断しないように心がけています。しばらく時間が経ってからもう一回聴くとこりゃいいねと感じるっていうことのくりかえしばかりで人生をやってきていますから。

 

どんどん次から次へと聴いているひとのばあいですと、そのへん余裕がないかもといいますか、長時間寝かせておいてしばらく経ってからもう一回聴くとかいうようなチャンスがあまりないのかもしれないですよね。ちょっとわかりませんが、そういったひともいるんじゃないかと推測します。ぼくはただのヒマ人アマチュア趣味音楽リスナーですから、そのへんはまったく自由にふるまえます。

 

時間が経過してからもう一回聴いてみると印象が変わるっていうのは、だから知見が深まって、という面と、そのときそのときの気分とか心理状態でそれぞれ聴こえかたが違ってくるから、だから感想も変わるという面と、両方が作用しているんだなというのがぼくの実感で、気分にムラのないリスナーなら後者の作用はないのかもしれませんが、ぼくはわりと気分屋ですからね。

 

たとえば以前書いたサンバ〜ボサ・ノーヴァ系のアルバム『Eduardo Gudin e Léla Simōes』。これ、ジャケットが最高なんで、それきっかけで聴いてみようと思って最初に接したときはピンとこなかったですからね。二回くらい聴いてフ〜ンと思っただけで、そのまま放ったらかしだったんです。でも、すぐに見捨ててはならないっていう経験則がありますので、ずっと「次聴くもの」というメモには残しておいたんです。あ、ぼくはCD買わないんで、売るとか処分するとかじゃなくて、メモから消すかどうかということだけなんです。メモからデリートすると、もう忘れちゃいますからね。

 

そんなわけで、一、二ヶ月くらい経った八月初頭の真夏の猛暑さなかに『Eduardo Gudin e Léla Simōes』をもう一回聴いてみたんです。そうしたら、季節のせいだったのか、真夏にピッタリ合う音楽だからなのかどうか、こ〜りゃすんばらしい!と感動しちゃいましたから、人間って、いや、ぼくって、わからないですよねえ。

 

この『Eduardo Gudin e Léla Simōes』のばあいは、いろんな音楽を聴いて知見が深まった結果わからなかったものがわかるようになったということではなく、たんに季節とか気分とか、そんな雰囲気だけの変化で違って聴こえるようになったということでしょう。楽しい、美しいと思える音楽がちょっとでも増えたほうが人生楽しいんで、だから「時間をおいて聴きなおす」、これ大切です。即断は禁物ですね。

 

もちろん逆のケースもあって、一聴惚れっていうか、一回パッと聴いてこりゃすごい!と感動してくりかえし聴いていても、ちょっと離れていて時間が経ってからもう一回聴いてみたら、アレッ?こんな音楽だっけ?イマイチだなぁ〜って感じることもあります。ぼくはそんなケースが少ない人間なんですけど、たまにあり。たとえば、うん、ちょっと告白するのは勇気がいりますが、去年夏ごろに熱狂したブダペストのアフロ・グルーヴ・ユニット、アバセ(Àbáse)はいまではちょっぴり物足りないかも。

 

マイルズ・デイヴィスのことだって、『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』『カインド・オヴ・ブルー』『アガルタ』などは一回聴いての一発感動で、いまでもそれが続いていますが、『マイルズ・デイヴィス・アンド・ミルト・ジャクスン』『マイルズ・アヘッド』『キリマンジャロの娘』『イン・ア・サイレント・ウェイ』などがこんなにもすばらしいアルバムだっていうことは、わりと最近になってようやくわかってきたことですからね。

 

特に『キリマンジャロの娘』、いまではこれがマイルズの音楽史上最高傑作だと言いたいほど大好きで、実際頻繁に聴きますが、そうなったのはここ四、五年ほどのことです。はじめて聴いたのが40年近く前ですから、ずいぶん時間がかかりました。1曲目の「フルロン・ブルン」とかラストの「マドモワゼル・メイブリー」なんか、いまでは身震いするほど聴けば感動しますが、数年前までなんだこれ?!っていう感じだったんですからねえ。

 

(written 2020.9.4)

2020/11/20

英語による自作のラテン・ジャズ・ヴォーカルがいい 〜 エバ・コルテス

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(5 min read)

 

Eva Cortés / Todas Las Voces

https://open.spotify.com/album/7IMCnusXQEtCVuELxrg36l?si=jz98oVUbThG6j3g6dyRQXQ

 

エバ・コルテス(Eva Cortés)はホンジュラス生まれスペイン育ちの歌手。現在はアメリカ合衆国のニュー・ヨークで活動しているみたいです。その2020年作『Todas Las Voces』は、ジャケットを(パソコンで)一瞥して魅力を感じ、それで聴いてみたら正解でした。

 

アルバムにはスペイン語題の曲と英語題の曲がまじって収録され、実際中身もスペイン語/英語で歌い分けていますが、たぶんこれ、英語曲はシンガー・ソングライターでもあるエバの自作ナンバーで、スペイン語曲はラテン名曲のカヴァーだということでしょう。

 

アルバム・プロデューサーはダグ・ビーヴァーズ。現在のNYラテン界における重要人物のひとりですね。参加ミュージシャンも豪華で、ダグのトロンボーンのほか、エリオ・ヴィジャフランカ(ピアノ)、ロマン・フィリウ(サックス)、クリスチャン・マクブライド(ベース)、ルケス・カーティス(ベース、1&4曲目)、ルイシート・キンテーロ(パーカッション)、エリック・ハーランド(ドラムス)といった面々。

 

それで、曲数からいっても内容からしても、エバ自作の英語曲のほうがこのアルバムでは聴きどころだという気がするんですね。それらはさながらラテン・ジャズ・ヴォーカル作品といった趣で、手練れのミュージシャンたちのこなれた演奏に乗って、(あたかもヴォーカリーズのような)アブストラクトな器楽的ジャジー・ラインをエバが歌いこなしています。

 

アルバムに四つあるラテン名曲はたしかに美しいメロディを持っているし、エバの歌唱もバンドの演奏もみごとなんですけど、ぼくにはエバ自作の英語曲でのジャジーな味わいのほうがピンときたというわけなんです。特にキモになっているのはクリスチャン・マクブライドのベースとエリオ・ヴィジャフランカのピアノでしょうか。とくにエリオのピアノがリフを演奏したりオブリガートで装飾したりするときに、えもいわれぬ快感があります。クリスチャンのベースはジャズ要素を代表。二本のホーン陣はラテンな味付けをくわえる伴奏役に徹していることが多いです。

 

全体的によく練られた演唱だなという印象で、アレンジはダグ・ビーヴァーズがやったのかなという気がしますが、演奏の中心役はエリオですね。あるいはエリオがアレンジしたんじゃないかと思えるフシがあるというか、そういう演奏ぶりです。5曲目「レターズ・アンド・ピクチャー・フレイムズ」で冒頭の二管ハーモニーが聴こえてきたら心地いいし、その後のリズム・セクションのキューバン・スタイルに乗ってエバがジャジーに歌うのもいい感じ。ここでもクリスチャンのベース・ソロがあり(アルバム中多し)。

 

6曲目「バード・オン・ア・ストリング」なんかでは、エバがまるで(ラテンふうにやるときの)サラ・ヴォーンみたいですし、ドラムスのエリック・ハーランドもリム・ショットを混ぜ込みながらの効いた演奏ですね。やはりエリオのピアノが目立っています。7「アウト・オヴ・ワーズ」ではアブストラクトなジャジー・ラインを歌っていますが、一方ちょっぴりロック調の9「レット・ミー・ビリーヴ」は聴きやすくメロディアス。二管ホーン・リフのメロディがいいですね。ほんとアレンジャーだれ?

 

個人的白眉はアルバム・ラスト10曲目の「ピース」。これもエバの自作でしょうけど、ジャジーな要素を排し、完璧なキューバン・ボレーロにアレンジしてあるんですね。伴奏楽器もドラムスとホーン陣は抜き、ピアノ+ベース+ボンゴだけっていう、ラテン・ミュージックそのまんまですよね。こんな8ビートのボレーロ・リズムが大好きなぼくには好物です。ここではクリスチャンがお得意のアルコ弾きで美しいソロを聴かせてくれているのも好感度高し。

 

(written 2020.9.19)

2020/11/19

ポールにとってのビートルズ再訪 〜『フレイミング・パイ』

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(5 min read)

 

Paul McCartney / Flaming Pie

https://open.spotify.com/album/4PdxBagz2MlU1nLA9RxgJ5?si=7oC9W2ngSu2RYFLeFCUQuw

 

今2020年、なんだっけな、デラックス…、じゃなくてアーカイヴ・コレクションか、そういう拡大版がリリースされたポール・マッカートニーの名作『フレイミング・パイ』(1997)。フィジカルだとCD五枚+DVD二枚のセットだそうで、CD部分の四枚目まではSpotifyで聴けますが、そんな拡大増幅版にもはや興味はございません。上にリンクしたのはオリジナル・アルバム。

 

がしかしでもそんなことで今年ふたたびちょっとした話題になったかもしれませんし、ぼくも思い出したということで、ポールの『フレイミング・パイ』をちょっと聴きなおし、いまの感想をすこし記しておきたいなと思うようにになりました。

 

『フレイミング・パイ』はポール、ジョージ・マーティン、ジェフ・リンと、三人の共同プロデュース。ミュージシャンは当時のツアー・バンドを起用せず、だいたいポールとジェフのふたりがほぼぜんぶの楽器を担当、多重録音のくりかえしで仕上げていったものです。若干のゲスト参加はいますし、管弦のオーケストラなんかは人員がいるんですけれども。

 

それから、これがたいへん重要なことになってくると思うんですが、ジェフ・リンが全面参加していることと関係ありますけど、このアルバムの録音は基本1995/96年で、ちょうどビートルズの『アンソロジー』プロジェクトと同時進行でした。<新曲>まで発表したりした時期でしたよね。

 

つまりアルバム『フレイミング・パイ』はポールがビートルズのことをもう一回徹底的にディグしたことと深い関係があるっていう、そういう曲づくりやサウンド・メイクになっているなと思うんですね。ジェフ・リンの全面参加もジョージ・マーティン起用も、この路線に沿ってのもの。

 

収録曲も、天性のメロディ・メイカーともいえるポールの真価を発揮したものがどんどん並んでいるし、実際1〜5曲目あたりなんかスキがまったくありませんよね。ビートルズふうに仕上げたサウンドとともに、ほんとうにチャーミングで、聴き手に感動を与えてくれます。1960年代ふうのポップ・ロックが好きなみなさんであれば、文句なしに楽しめるかと思います。

 

しかも、演奏にはスポンティニアスさがあるといいますか、ふたりだけの多重録音のくりかえしで仕上げていったにもかかわらず、生バンドの生演奏フィーリングが感じられるんじゃないかと思うんですね。ビートルズ時代後期からずっとそういう制作手法をとってきたし、ポールはソロ・デビュー初期からそうしているので、もうすっかり板についているということでしょう。バンドの生演奏感、ナチュラルさ 〜 これはこのアルバム『フレイミング・パイ』のキモですね。

 

アルバムは6曲目の「キャリコ・スカイズ」でちょっと骨休め。これはバンドではなくポールひとりでのアクースティック・ギター弾き語り。親密な感じで、なんでもアメリカ・ツアーの最中にその日終わってホテルの部屋でリンダに頼まれて、即興的にやった一曲なんだそう。それでここまでのレベルの楽曲が仕上がるとは、驚きですよねえ。

 

アルバム題にもなった7曲目「フレイミング・パイ」はファンキーなロック・ナンバー。ちょっとリズム&ブルーズ・フィールがありますよね。そういう曲はアルバム後半にほかにもあって、たとえばスティーヴ・ミラーが主導権をとっているブルーズ・ナンバーの9「ユースト・トゥ・ビー・バッド」(大好き!)、やはり変形ブルーズである12「リーリー・ラヴ・ユー」(ドラムスがリンゴ・スター)もファンキーでカッコいいですね。

 

そしてそれら以上にいまのぼくがもっとグッとくるのはバラードである切な系美メロ・ナンバーです。二曲、8曲目「ヘヴン・オン・ア・サンデイ」と13「ビューティフル・ナイト」。特に前者のおだやかでジャジーで落ち着いた都会的なフィーリングはポール流AORともいえ、もうほんとうに大好きです。個人的2020年気分ですと、この「ヘヴン・オン・ア・サンデイ」こそこのアルバムの白眉。

 

(written 2020.9.17)

2020/11/18

これもブラジリアン新世代ジャズ・シンガー? 〜 ジュリー・ウェイン

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(3 min read)

 

Julie Wein / Infinitos Encontros

https://open.spotify.com/album/7f3vC3MT1rUJ4a4TJUOTXu?si=i5-rndCDR7eOclnnNsqNyA

 

ブラジルのシンガー・ソングライター、ジュリー・ウェイン(Julie Wein)の『Infinitos Encontros』(2020)はこの歌手のデビュー・アルバムらしく、収録時間がたったの27分間ですからあっという間に終わってしまうEPサイズですけど、中身は充実していて、印象いいですね。

 

ジュリーはピアノも弾くそうで、このアルバムでもたぶんピアノは本人なんでしょう。八曲トータルでみたらイマイチ焦点がしぼりきれていないかもとの印象もあって、ジャズ、MPB、サンバ、ボサ・ノーヴァ、ちょっぴりのモダン・タンゴ、ショーロ・スタイル、クラシカル風味とさまざまな曲が並んでいます。

 

でも焦点がしぼりきれていない…、というのは実は批判にならないっていうか、ちょっと違うかも。いまやストリーミング聴きの時代。ファビオ・ペロンの2015年作なんかでもそうなんですけど、あっちを聴きこっちを聴きと一曲単位でおもしろそうなものをピック・アップするのが楽しみかたで、アルバムのトータリティ、一貫性みたいなものを重視するのはもう時代遅れかもしれないんですよね。

 

ジュリー・ウェインのこのアルバムは、それでもまだアルバムを通しての一貫したムードは感じられるので、まだまだオールド・ファンだって親しめるんじゃないでしょうか。ジュリー本人のピアノはなかなか端正なタッチでクラシカル。そこにストレートでひねらないおとなしいヴォーカルが乗っかっているという感じです。伴奏楽器やアレンジが曲ごとに変わるだけで。

 

基本的にはやっぱり新世代ジャズ・シンガーのひとりかなとも思え、1曲目、2曲目とジャジーですが、2曲目にはボサ・ノーヴァのフィーリングもあります。かと思えば3曲目はいきなりタンゴ。それもアストール・ピアソーラふうのモダン・タンゴなんですね。でも聴こえるのはたぶんこれアコーディオンでしょう。そのフレイジングは完璧にピアソーラふうのバンドネオン・スタイルですけどね。

 

続く4曲目は完璧なるサンバで、途中ちょっとジャジーなインタールードが入ったりもします。その後、5曲目以後はボサ・ノーヴァ、クラシカルなショーロふう、やっぱりMPB的ジャズかなと思えるものなど、さまざまなタイプの曲が並んでいます。陰気で仄暗いアトモスフィアがアルバム全体を貫いていますけどね。

 

(written 2020.9.14)

2020/11/17

ラテン・ジャズ/ポスト・バップ 〜 イグナシオ・ベロア

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(5 min read)

 

Ignacio Berroa / Codes

https://open.spotify.com/album/5j3EdKkzl2V9hFTQv4Ibxa?si=gv_qp58HSSejaMIcF2l3XA

 

Astralさんのご紹介で知りました。
https://astral-clave.blog.ss-blog.jp/2020-08-09

 

イグナシオ・ベロア(Ignacio Berroa)。キューバはハバナ生まれのジャズ・ドラマーで、1980年にアメリカ合衆国に渡ってからはディジー・ガレスピーのバンドを皮切りにニュー・ヨーク・ラテン・ジャズ・シーンの中心で活躍してきた重要人物みたいですね。ぼくは今回はじめて知ったんですけれども。

 

そんなイグナシオの2006年作『コーズ』をAstralさんのご紹介で聴いてみたらとってもいいので、イグナシオ初体験だったぼくはちょっとビックリしちゃいました。ゴンサロ・ルバルカバとの共同プロデュース(ゴンサロは演奏でも参加)で、ブルー・ノートからリリースれています。

 

『コーズ』で聴けるバンドの編成は、2サックス、ピアノ(&ちょっとだけシンセサイザー)、ベース、ドラムスで、曲によって一名か複数名のパーカッショニストも参加。シンセは例外的で、ベースはエレベもちょっと聴こえますけど(じゃない?)、基本的にはアクースティックなラテン・ジャズ・アルバムとしていいんじゃないでしょうか。

 

ラテン・ジャズ・アルバムといいましたけれども、このアルバム『コーズ』の中盤にある名の知れたラテン・ナンバーでは、しかしあまりラテンなリズム・アレンジが施されていません。エルネスト・レクオーナの3「ラ・コンパルサ」とセサール・ポルティージョ・デ・ラ・ルスの5「レアリダート・イ・ファンタジーア」。4「パルティード・アルト」はだれの曲か知りません。

 

むしろそれらはメインストリームなジャズ・ナンバーに仕上がっていて、しかもメインストリームといっても1960年代中期的な新主流派、すなわちポスト・バップなジャズ楽曲と化しているんですね。おもしろいのはアルバムにはいわゆるポスト・バップ・ナンバーも二曲あって、1「マトリクス」(チック・コリア)と6「ピノキオ」(ウェイン・ショーター)。

 

そんでもってそれらポスト・バップ・ナンバーでは完璧なるラテン・ジャズとなっているのが興味深いところなんですね。くわえてビ・バップ・ナンバーですけれどイグナシオの師であるディジーの7「ウディ・ン・ユー」も通常のジャズ・ナンバーであるところを大胆にラテン・ジャズ化しています。イグナシオのオリジナルであるアフロ・キューバン・ナンバーの2「ホアン・ス・メルセード」では、ソプラノ・サックス・ソロの途中で「ネフェルティティ」(マイルズ・デイヴィス)のフレーズが鮮明に引用されていたり。

 

だからちょっとねじれているというか、ラテン・ナンバーはジャズ化し、ジャズ・ナンバーはラテン化するっていう、その二者がこのイグナシオのアルバム『コーズ』には共存しているっていう、そういったあたりのアンビヴァレンスが最大の特色じゃないでしょうか。ストレートなジャズもいいけどぼくはラテン・ジャズにもっと惹かれるタイプのリスナーなんで、1「マトリクス」、6「ピノキオ」、7「ウディ・ン・ユー」こそ最大の聴きものです。

 

それらラテン化したジャズ・ナンバーでは、リズムがラテンな8ビートとメインストリーム・ジャズな4ビートを行ったり来たり、交互に出てくるというのも興味深いところ。その移行の瞬間もスムースで、もちろん演奏後の編集なんかじゃなくて一回性の同時即興演奏で実現しているわけですけど、なかなか現代的なリズム・アレンジじゃないでしょうか。

 

ジャズになったりラテンになったり、っていうかメインはあくまでラテン・ビートだけど、そのなかにときおりストレート・アヘッドな4ビートを混じり込ませ、リズムに伸縮性や柔軟性を持たせて、バンドの演奏でのアンサンブルをイキイキとした生き物のように提示するというのは、新世代ジャズのひとつの特色でもあるなと感じています。一定の定常ビートをずっと維持するんじゃなく、ウネウネと自在に変化していくビート感とアンサンブルのインプロヴィゼイション。それをラテンで表現したのが、このイグナシオの作品『コーズ』なんじゃないですかね。

 

(written 2020.9.12)

2020/11/16

このビッグ・バンドは快感だ 〜 ビッグ・ホーンズ・ビー

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(5 min read)

 

Big Horns Bee / Dancin’ with Jazzy Beats

https://open.spotify.com/album/0nkmj0TkJFm8zZLzDYObVW?si=bOaNTYpESgGKvJU7yB202w

 

これはちょっとしたEPっていうかシングルに近いものでしょうか、ビッグ・ホーンズ・ビーの『ダンシン・ウィズ・ジャジー・ビーツ』(2020)。たったの三曲14分ですからね。日本のバンドです。萩原健太さんが関係しているとのことで、知りました。
https://kenta45rpm.com/2020/08/10/dancin-with-jazzy-beats-big-horns-bee/

 

それでこれはジャジーなスウィング〜ジャンプ系のビッグ・バンドですよね。曲によってはかなりポップだったりしますけど、音楽の土台はジャズ・ビッグ・バンドだなと思います。たった三曲しかぼくは聴いていないんでなんとも言えないのではありますが、ジャズ・ビッグ・バンドのなかにかなりラテンな雰囲気というかリズムも混じり込んでいて、かなり好きですね。

 

EP『ダンシン・ウィズ・ジャジー ・ビーツ』だと、まずなんといっても1曲目「キー・ステイション」が最高にカッコよくてですね、ほんとうに気持ちいいんです。リズムはかなりラテン。実際、パーカッショニストも参加してガチャガチャと細かいビートを混ぜ込んでいるのが快感です。ドラマーのシンバルの使いかたもグッド。

 

ホーン・アンサンブルをだれが書いているのか、リズム・セクションもふくめ全体のアレンジをやっているのがだれか、知りたいところなんですが、1曲目だとラテンふうなところと4/4拍子のストレートにジャジーなパートとの接合具合も絶妙にうまくて、なかなかの実力者なんじゃないでしょうか。こなす演奏者たちもみごとです。各人のソロは平均的な内容でしょう。やっぱりなんといってもこの1曲目ではリズムですよ、ドラマーとパーカッショニスト。

 

2曲目「オー、イッツ・イージー・トゥ・ダンス(ウィズ・ジャジー・ビーツ)」では英語ヴォーカルが入るんですが、それでもちょっと日本の歌謡曲っぽい雰囲気を漂わせています。たぶんそれは英語の発音に日本語なまりが出ているからなんじゃないかと思いますね。曲想もちょっぴり米米クラブっぽいですし。実際、関係あるそうですよ。ジャジー・ビーツとの副題に反し、この2曲目にはジャジーな雰囲気が薄いです。歌謡曲の伴奏をやる日本の(ジャズ系)ビッグ・バンドってむかしはいくつもありましたが、そんな雰囲気に近いかなと感じます。

 

3曲目「カーム・ビフォー・ザ・ストーム」はなかなかおもしろく、ちょっとクラブ・ミュージックっぽい、それも1990年代的な英ロンドンのクラブ・ジャズの雰囲気を持っています。冒頭からのしゃべりのせいでそう感じるだけなんじゃないかと最初は思っていましたが、ジャジーな4/4拍子の定常ビートが入ってきてからもUKクラブ・ジャズっぽいですよ。

 

でもって、しばらく聴いていると、この3曲目は現代的なNYラージ・アンサンブルっぽく聴こえてきたりもするんで、おもしろいですね。やはり2020年のリリース作品だけあるっていうコンテンポラリーさは発揮しているというわけでしょう。ここでもラテン・パーカッションが活躍していて、ラテン・ジャズな雰囲気をも出しているのだって現代的。

 

個人的には1930年代後半的なジャズ・ビッグ・バンドの基本を保ちつつ、濃厚なラテン・ジャズの雰囲気を持ち、ラテン8ビートとジャズ4ビートのあいだを行ったり来たりするといったあたりにも、2020年代的なコンテンポラリーさをぼくは感じるし、ビッグ・ホーンズ・ビー、なかなかあなどれない存在じゃないでしょうか。ジャケット・カヴァーのデザインはレトロ・スタイルですけど、なかなかどうして。ストレートにカッコよく、聴いて快感ですし。

 

(written 2020.9.11)

2020/11/15

スワンプ・ロックの先駆けだった1967年のボビー・ジェントリー

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(7 min read)

 

Bobbie Gentry / Ode to Billie Joe

https://open.spotify.com/album/05I1EsreLq47JU8pypj7TR?si=aUJ0TkKlR7C5wvvbbi9Jzg

 

アメリカ人シンガー・ソングライター、ボビー・ジェントリー(Bobbie Gentry)。今年『ザ・デルタ・スウィーティー』(1968)のデラックス・エディションが発売されましたので、再注目を集めているかもしれません。Spotifyでも聴けます。あるきっかけがあって、そのちょっと前から総合的に再評価の機運も。

 

そんなこともあってボビーのことを思い出しましたので、でもぼくが『ザ・デルタ・スウィーティー』よりもどれよりもずっと好きなのは一作目の『オード・トゥ・ビリー・ジョー』(1967)ですから、それをちょっと聴きなおして感想を書いておくことにしました。

 

それで、1967年というとサイケ全盛で、まだスワンプ・ロックとかルーツ・ロックが時代の潮流になっていなかったころだと思いますが、ボビーのアルバム『オード・トゥ・ビリー・ジョー』は完璧なるスワンプ・ロック/ポップだと呼んでいいと思うんですね。数年時代に先んじていたわけですよ。ボビー自身ミシシッピ出身で、南部音楽をベースにしていますから、そんなことで自然と南部的なスワンピーさを身につけていたのかもしれません。

 

『オード・トゥ・ビリー・ジョー』で聴くかぎりでは、ボビーはそんなにたくさんのパターンを持っているわけではなく、っていうかはっきりいうとワン・パターン。自身で弾くナイロン弦アクースティック・ギターでの、ズン、チャッチャ、ズチャ!のリズムしか土台となる型がないんですね。いい感じの曲はどれもぜんぶこのパターン。

 

1曲目「ミシシッピ・デルタ」、3「チカソー・カウンティー・チャイルド」、4「サンデイ・ベスト」、5「ニッキー・ホウケイ」、7「バグズ」、9「レイジー・ウィリー」、10「オード・トゥ・ビリー・ジョー」と、な〜んだほぼぜんぶの曲がそうじゃないですか、このアルバム。

 

なかでもアルバム・ラストの「オード・トゥ・ビリー・ジョー」のシングルが大ヒットしてボビー・ジェントリーの代名詞になりましたけど、それには理由がありました。アルバムより先に発売されていたシングルでは、当初A面が「ミシシッピ・デルタ」(アルバムでは1曲目)になる予定だったんですけど、全米のラジオDJがみんなB面予定だった「オード・トゥ・ビリー・ジョー」ばかりくりかえしどんどんかけたんですね。それで発売時にはAB面の予定はひっくりかえり、「オード・トゥ・ビリー・ジョー」がA面になりました。

 

おかげで全米のチャートで一位になっちゃいましたけど、この曲ばかりラジオでリピートされたのは、間違いなく歌詞のおかげでしょう。曲調なんかはシンプルだし、ナイロン弦ギターの(例のパターンの)カッティングだけが伴奏と言ってよく、アレンジされたストリングスがちょっとだけ入っていますけど、それだけでしょう。サウンド面でのおもしろみは薄いかなと思います。もっぱら歌詞ですよね、注目されたのは。

 

タラハッチ橋から飛び降りて自殺したビリー・ジョー・マカリスターの悲劇についての歌なんですが、歌詞でそのことは話のついでに触れられる程度の他人事として扱われているんですね。衝撃的な事件に対するコミュニティの沈黙こそが曲のテーマで、家族のなかにすら存在するひとのつながりの希薄さ、孤独さが容赦なくあらわになっています。

 

(この曲で)「重要なことは、他人に起きていることを人はそれほど気にかけないということなんです」とボビー本人はのちに語っていて、そんな歌を1967年に自身で書いて歌いレコードになったことが、たぶんアメリカのラジオDJたちにはショックで、だから音楽的にはるかに魅力的な「ミシシッピ・デルタ」じゃなく「オード・トゥ・ビリー・ジョー」ばかりかけたんだと思うんですね。オーディエンスにとってもそうで、だからヒットしたんでしょう。

 

そう、だから音楽的にはアルバムだと1曲目のブルーズ・ナンバー「ミシシッピ・デルタ」のほうが、比較にならないほど魅力的でカッコイイですよねえ。ぼくはこのアルバム・オープニングがもう大好きで大好きで。ファンキーでソウルフルなノリとサウンドを持っているし、1967年時点での最新ブラック・ミュージックふうでありかつ、アメリカン・ルーツ志向(アメリカーナ)的でもあります。でも曲はポップなロック・ナンバーなんですよ。

 

そう、黒人音楽的なものと白人音楽的なもの、両者のルーツ・ミュージックが分ちがたく渾然一体と溶け合って最新型になっているっていうのが、1960年代末ごろ〜70年代初期のスワンプ・ロックなどああいったたぐいの音楽の最大の特色で、ジョー・コッカーやマーク・ベノ、またザ・バンドにしろボブ・ディランにしろ、エリック・クラプトンでもローリング・ストーンズでも、みんなああいったサウンドに取り組んでいましたよね。ビートルズですらやろうとしたんですから(ゲット・バック・セッション)。

 

ああいったムーヴメントの源流にして中核にいたのは米ロス・アンジェルスに拠点を置くリオン・ラッセルらのタルサ〜LAスワンプ勢でしたけど、そんな流れとは無関係だった、年代的にも先んじていたボビー・ジェントリーが1967年にすでにこういった「ミシシッピ・デルタ」みたいな曲を実現させていたわけですねえ。いまふりかえって考えたらすごいことですよ。だれひとりとしてボビーをLAスワンプの流れの先駆者として位置付けたりしませんけどね。

 

なお、曲「ミシシッピ・デルタ」で、冒頭「エム・アイ・ダブル・エス・アイ・ダブル・エス・アイ・ダブル・ピー・アイ」とくりかえし歌われているのは、最初なんのこっちゃ?!と英語理解力の低いぼくなんかはわかっていませんでしたが、要は “Mississippi” と歌っているだけなんです。そんな歌詞もカッコイイし、大好き!

 

(written 2020.9.10)

2020/11/14

これまた新世代クレオール・ジャズ・シンガーの登場 〜 グウェンドリーヌ・アブサロン

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(4 min read)

 

Gwendoline Absalon / Vangasay

https://open.spotify.com/album/6VpkwFwLX7V8UFiIPjYOfP?si=megM8GwQTGmPXn2R-GT6QQ

 

bunboniさんに教えていただきました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-06-08

 

これも真夏向きっていう雰囲気がジャケットからプンプンただよってきていますよね、グウェンドリーヌ・アブサロン(レユニオン)のアルバム『Vangasay』(2020)。でも中身の音楽は必ずしも夏向けというわけじゃありません。

 

どっちかというと都会の夜が似合うようなソフィスティケイティッドなジャズ・アルバムですから、この『Vangasay』くらいジャケットから受ける印象と中身の音楽がかけ離れている音楽もめずらしいかもしれませんよね。最初に接したときぼくが抱いた違和感はそれが原因だったのかも。

 

都会的に洗練されたジャズ・アルバムといっても1曲目がこんな感じで、親指ピアノだけをバックに素朴に歌っていますから、出だしではピンとこないでしょうけど、これはあくまでプロローグですよね。2曲目からはクレオール・ジャズ路線全開です。ずっと前、同じレユニオンのメディ・ジェルヴィルのことを書きましたがそれとか、それから去年書いた、アンゴラですけどアナベラ・アヤとか、ああいった作品に近い感触があります。

 

プロデューサー(とたぶん演奏でも)でマルチニークのエルヴェ・セルカルを迎えていることが大きな特色で、レユニオン、マルチニーク、そしてカーボ・ヴェルデなど、世界のアフロ・クレオール音楽を幅広くとりいれ消化したような音楽になっているのはポイント高し。アルバム全編で聴こえるアクースティック・ピアノがエルヴェの演奏でしょうか、実際のサウンド面でもキモになっていますよね。

 

アルバム6曲目「La Diva de la Morna」は、曲題どおりモルナ(カーボ・ヴェルデ)ですけど、リズムはマロヤ(レユニオン)であるっていうなかなか興味深い一曲。セザリア・エヴォーラに捧げた曲らしいです。冒頭ア・カペラで歌う部分にはあまり感じませんが、リズム伴奏が入ってくる2分すぎごろからオォッ!と思わせます。

 

モルナとマロヤの合体っていうこれなんかもクレオール・ミュージックをひろく見わたしたグウェンドリーヌとエルヴェの志向が強く出た一曲ですね。あまりジャジーではありませんが、アルバムのまんなかに置かれてちょうどいいフックになっているんじゃないでしょうか。

 

その前後はクレオール・ジャズ全開。都会の夜のジャズ・クラブなんかで聴けたらいい雰囲気だろうなあっていうものが揃っていて、たとえば8曲目「Fo Pa Krwar」なんかほんとうに洗練されていて気持ちいいですね。グウェンドリーヌのスキャット・ヴォーカルも決まっています。でもストレート・ジャズではなく、リズムにクレオール色が出ているのが特徴で、アルバムの全編そんな感じで進むんです。

 

グウェンドリーヌは、近年世界中でどんどん生まれつつある新世代のジャズ若手女性新感覚ヴォーカリストのひとりであるに違いなく、そんなムーヴメントがあるんじゃないか、感じることができるんじゃないかとはぼくも以前から書いてきています。昨年のアナベラ・アヤ(アンゴラ)に続き、インド洋のレユニオンからも登場してきたというわけですね。アナベラに比べてグウェンドリーヌの音楽はもっと湿度が高いというのが特色ですけどね。

 

だから、くどいようですが、返す返すもこのジャケット・デザインじゃないほうがもっとよかったなと思います。このジャケットでは中身(洗練された新世代クレオール・ジャズ)を推測できないでしょう。

 

(written 2020.9.9)

2020/11/13

クライマックスは「M」〜 岩佐美咲「右手と左手のブルース」特別盤のカップリング曲を聴く

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(5 min read)

 

去る10月22日に岩佐美咲「右手と左手のブルース」特別盤AとBが発売されました。表題曲はもちろんそのまま。カップリングの三曲だけがあらたなものですから、それらについてちょっとだけ短くコメントしておきます。

 

今回のカップリング曲三つとは、「糸」「ETERNAL BLAZE」「M」。それぞれ初演は中島みゆき、水樹奈々、プリンセス プリンセスです。もうそりゃだれにとっても最大の注目だったのが「糸」ですよねえ。このカップリングが発表されたときから話題になっていました。

 

「糸」にかんしては、2017年にも一度CD収録されて発売されており、それがも〜う超絶的にすんばらしいと、ファンのあいだでは意見が一致しております。美咲自身のギター弾き語りヴァージョンなんですけど、今回はたぶんオーケストラ伴奏であらたに歌も録りなおして、ということですから、さてどうなるか?おおいに注目されていました。

 

結論から言えば、今回の「糸」は2017年ヴァージョンを下回るできばえとなってしまっているようにぼくには聴こえます。新ヴァージョンももちろんすばらしいし、そもそも中島みゆきの歌と美咲の相性がかなりいいんだというのも実証されていますが、「糸」にかんしては2017年ヴァージョンがあまりにもすばらしすぎたという、そのせいで新ヴァージョンはちょっとだけ聴き劣りしてしまうように思います。

 

その最大の原因はやっぱり伴奏ですね。2017年のがギター弾き語りだったのに対し、今回の新ヴァージョンではまずピアノ(+アクースティック・ギター)の伴奏が中心。2コーラス目からドラムス伴奏やオーケストラも入ってドラマティックにもりあげますが、ぼくのみるところ、この「糸」という曲は淡々と地味なアレンジでやったほうが曲が映えるような気がします。

 

美咲の歌唱そのものは決して聴き劣りしない内容だと思うんですけれども、このバック・アレンジのおかげで、実は素人っぽく訥々とやったほうが似合う曲である「糸」にかんしては2017年ヴァージョンの弾き語りのほうが、全体的にレベルが上であると言わざるをえません。

 

あれだけのものを残しておいてたった三年でもう一回録音しなおすという、製作陣の判断にも疑問符がつきますね。超えていっていないと、ファンのみんなも納得しないわけですから、ある意味無謀な挑戦だったなと思います。この新ヴァージョンではじめて美咲の「糸」を聴くというかたがたには、じゅうぶん感動的でしょうけどね。

 

「ETERNAL BLAZE」と「M」の二曲については、実はあまり知らないぼくなのですけど、前者にかんしては水樹奈々のオリジナルそっくりに仕上がっていて、これは製作陣も美咲本人もかなり意識したんだろうなとわかります。水樹奈々は美咲の憧れの存在ですからね。もうちょっと個性を出せたらよかったような気もしますが、それでも曲のよさを、持ち味を、そのまま活かすようにストレートに素直に歌うという美咲のやりかたは発揮されています。

 

「M」については、あきらかに今回の美咲ヴァージョン、プリンセス プリンセスのオリジナルのはるか上をいっていると言えますね。プリプリとそのファンのみなさんにはもうしわけないのですが、歌手の力量というか資質が違うんじゃないでしょうか。声のハリ、艶、伸びやかさなど、美咲はふだん演歌歌手ですから、スムース&ナチュラルな歌唱法といえども、それなりの実力を持ちあわせているわけです。

 

と同時に、ポップスもすんなりこなすという持ち味の歌手ですから、美咲は。演歌をやり歌謡曲も歌いこなし、ポップスすらもすんなりスムースに歌ってわざとらしくならないっていう、そんな歌手がいま、日本にいったいどれだけいるでしょう?多方面でこれだけムリなく歌いこなせるという意味では、現在のところ美咲が日本でナンバー・ワンなのではないでしょうか。

 

(written 2020.11.12)

2020/11/12

ぼくのコンピューター使用歴

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(13 min read)

 

はじめてコンピューターというものに接したのは、1981年、大学二年のときでした。

 

通っていた愛媛大学の一般教養課程カリキュラムは、たしか文系・理系ムラなく幅広く学んでもらいたいということで三種類というか三系統の必修科目が設定されていて、どの系統からも選んで何単位か取得するように義務づけられていたんですけど、だからぼくは英文学科だったのに物理の講義とかにも出ていました。

 

そんな理系の必修科目のなかに「情報なんとか」っていうのがあって、コンピューターに触れることができるっていうんで、これは物理と違って(いや物理も好きだったけど)喜んで進んで学びました。1981年当時、コンピューターに接している一般の19歳なんてまだすくなかったですからね。

 

学んだ内容は100%近く忘れてしまいましたが、とにかくFortran(フォートラン)というコンピューター言語とそのプログラミングと、パンチ・カードを使っての実際の操作も学びました。コンピューター・ハードウェア(機械)は教室とかその教授の研究室にあったのではなく、かなりサイズの大きなものが大学のそれ専用部屋にあって、全学的に使われていたはずで、予約してその部屋まで行かなくてはなりませんでした。一つの部屋全体がコンピューターで占有されていて、専門の技師みたいなひとが常駐していました。

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熱心に学んだのでちょっと仲良くなった教授の研究室には、サイズのあまり大きくないパーソナル・ユースのコンピューターも置いてあって、その記憶装置がカセットテープだったんですね。カセットといえば、その1981年当時ぼくは音楽レコードをかたっぱしからダビングするのに頻用していたわけですが、コンピューターの外部記憶も音声データを使っていたんです、1981年当時。

 

ぼくが個人で使うコンピューターのたぐいを買って自室に置いて使うようになったのは、東京都立大学大学院に進学して三年目の博士課程一年目でしたから、1986年です。コンピューターといっても当時流行りはじめたばかりのワープロ専用機でしたが、あれはコンピューターですからね。

 

もちろん文書書き・編集・印刷しかできないマシンなので(のちになって種々の機能も付属するようにはなりましたが)、あれをいわゆる「コンピューター」だと意識して使っているひとは多くなかったんじゃないでしょうか。でもワード・プロセッサー機能に特化したコンピューターだったんですよ。

 

ぼくが1986年に買ったワープロ機は富士通のオアシス・ライトで、どうして富士通のにしたかというと、当時父親が勤務していた消防署の通信指令室に納入しているコンピューターが富士通社製で、出入りしている業者に頼めば同社のを割引価格で買えるとなったからでした。

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ワープロ機とか(コンピューターとか)いっても、いまの若い世代には信じてもらえないでしょうけど、ぼくが買った一台目は、文字を表示するディスプレイが、なんと!たったの8文字分だけだったんですよ!極小の覗き窓みたいなもんで、使っていてかなりもどかしかったですが、当時はこれしか知らないからこんなもんかなと。不便でしたけど不思議とは感じなかったです。

 

博士課程の二年間をそれで過ごし、論文もそれで執筆し、二年目が終わって三年目に入る前に研究室の助手に採用されましたから(大学院は中退)給料がもらえるようになって、それでしばらく経って同じ富士通の(にしたのはキーボードに慣れていたから)もっと大型の、ディスプレイも紙で言えば一枚分くらい表示されるデスクトップ型のワープロ機を買いました。

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デスクトップ型ということは据え置いて、その場所にすわって使うものですから、それでもたいへん便利に愛用していたんですけど、テーブルの上で軽便に移動させられるマシンもほしいぞと思って、ノート型のワープロ機もちょっと経ってから買い増しましたね。

 

同じ富士通製オアシスですから、一枚のフロッピー・ディスクを二台で使いまわせるということで、普段はテーブルの上に置いたノート型マシンで書いて、その文書内容を保存したフロッピーをデスクトップ型オアシスに入れて続きを作業するとか、その逆とか、そんな感じでしたかね。

 

ぼくが都立大英文学研究室の助手だったのは1988年4月〜1991年3月までの三年間。その三年間がそれら二台の富士通製ワープロ機とともにありました。研究室ではまた違った複数のメーカーの(NECのとかカシオのとかだったような、忘れた)ワープロ・マシンを仕事用に使っていたんですけど。

 

助手だったそのころ、つまり1980年代末から、本業の延長線で商業媒体に英文学関係の文章や翻訳を書いて売るという仕事をしはじめたんですけれども、当時電子入稿はおろかフロッピーで提出なんてこともはじまっていませんでしたし、まだ原稿用紙に手書きしたものを封筒に入れて郵便局に持っていっていましたね。

 

だいたい、文書を保存したフロッピーだってワープロ機のメーカーが異なると読めないという時代でしたから、フロッピー入稿なんてのは現実的じゃなかったんです。出版社内のDTP化だってまだ進んでいなかったはず。それがはじまるのはパソコンが一般化してテキスト・ファイル形式(.txt)がメーカーや機種を超えた汎用フォーマットとして普及してからです。その後は現在の電子入稿まで一直線。

 

そんな、いまでいういわゆるパソコン(パーソナル・コンピューター)をぼくが買ったのは、國學院大學に就職して五年目の1995年夏のことです。ずっと富士通製のワープロ機を使ってきていた身としては、パソコンも富士通製のにしようかなとちょっと思ったんですけれども、91年に結婚していたパートナーの進言でApple社製のMacintoshになったわけなんです。義父(中学の理科教師)がMacユーザーで、実家へ遊びにいくとSE/30が置いてあったりなどしました。

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最初に買ったMacはPerforma5210という入門者用のデスクトップ・マシンで、自宅に届いて使いはじめたらもうまるで夢心地でしたねえ。こんなにも楽しい世界があるのかと。以前からなんどか書いていますけど、パソコンを買ったのに文書作成とかの目的はゼロで(それはワープロ機で事足りている気分でした)、ネットをやりたいがためでした。

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だから夫婦で新宿のソフマップにそれを買いに行ったとき、最初から同時にモデムも買いました。当時はまだ外付けでしたから。それで、このことははじめて言うんですけど、なぜ1995年にパソコンを買おうと思ったかというと、実はパートナーの事情でした。そう、最初の一台は夫婦で兼用だったんですね。

 

当時ちょうど就職活動中だったパートナーは、応募する各大学へ提出する履歴書に「パソコン通信なんかも得意です」などと、やったこともないのに、パソコンを持ってすらもいないのに、書いていたそうです。事後にどうしよう?書いて出しちゃった!と相談されて、じゃあ早くパソコン買ってはじめておかなくちゃ!となったわけですよ。

 

そんなわけでパートナーもぼくも、ハナからパソコン通信をやりたいという目的でMacを買ったわけです。いざ買って使いはじめてみたら、履歴書で豪語したパートナーではなくぼくのほうがネットにハマってしまって、ズブズブのネット中毒患者になってしまい、だってねえ、音楽系フォーラムとかチョ〜楽しすぎてですね、寝ても覚めてもそのことしか考えられないっていう、そんな生活になりました。

 

そうなった1995年夏からは、2020年の現在まで本質的にあまり変わらない生活が続いておりますが、なんて使いやすいんだろうと、その後職場でWindows機も触るようになったぼくはMacについてそう感じるようになり、私生活ではMacしかぞ使わないと誓い、95年末にノート型のPowerBook5300、98年に名機(とのちに言われるようになった)PowerBook2400cを買いました。

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そのころ、まだネットは普及しはじめたばかりで、ブロードバンドの常時接続回線が各家庭に普及するようになったのはたぶん21世紀に入ってからの話ですから、まだまだネット中毒患者なんかはすくなかったかもしれないですね。

 

PowerBook2400cがとにかく使いやすくて溺愛していたぼくは、これが完全にオシャカになるまでトコトン使い倒し、内部CPUをG3化までしていたんですけど、とうとうダメになってやむなくiBookG3を2006年に買ったんですね(クラムシェルじゃないやつ)。2011年にMacBook Pro、14年にいまでも使っている二台目のMacBook Proを買いました。

 

モバイル・ディヴァイスであるiPhoneを買ったのはかなり遅くて2017年の6月1日。だからスマートフォンが普及しはじめてから10年近くが経っていましたよねえ。ぼくは電話や電話機が大嫌いで、こっちの事情も考慮せず日常生活にズケズケあがりこんでくるでしょう、電話って。寝ていてもお風呂に入っていてもかかってくるときはかかってくるわけで。

 

それしか通信手段がなかった時代はあきらめていましたが、いまやメールやSNSのメッセージ機能があるだろう!と。だからそんなに大嫌いな電話機を、ましてや常備携帯するなんてカンガエラレ〜イ!と思っていて、そもそもガラケーも持ったことすらなかったんですよ。

 

ところが時代の変化というか、電話機というよりモバイル・コンピューターとして、スマホじゃないとできないとか、そっちのほうが便利カンタンにできるとか、具体的にはInstagramをやりたかったんですよね。Instagramは(基本的には)スマホやタブレットのアプリからしか投稿できないですからね。

 

それで、カメラ機のたぐいもぼくはそれまでの人生で一度も持ったことがなかったんですけど、iPhone買って一気に携帯電話もカメラも(もちろんモバイル・コンピューターも)なにもかもが一堂にiPhoneのなかに揃うこととなり、これでまた人生が激変しましたね。最初に買ったのはiPhone 7でした。

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ぼくのデジタル人生は、はじめてワープロ機を買った1986年、はじめてMacを買った1995年、はじめてiPhoneを買った2017年と、三回の劇変を経験しているわけなんです。

 

(written 2020.9.6)

2020/11/11

曲がいい、声がいい 〜 シーロー・グリーンのカントリー・ソウル

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(4 min read)

 

CeeLo Green / CeeLo Green Is Thomas Callaway

https://open.spotify.com/album/2FtrghOi4t9mjjay5RBXhf?si=dqBwGeO4QwShvsjC9zDNcw

 

萩原健太さんに教えてもらいました。
https://kenta45rpm.com/2020/08/06/ceelo-greenis-thomas-callaway-ceelo-green/

 

シーロー・グリーン(CeeLo Green)の新作アルバム『シーロー・グリーン・イズ・トーマス・キャラウェイ』(2020)を聴きました。シーローはソウル〜R&B歌手と言っていいでしょうね。今回の新作はダン・オーバック(ザ・ブラック・キーズ)のプロデュース。ナッシュヴィルで制作・録音されたみたいですよ。

 

もうなんといってもシーローのばあいはこの声が大好きで、それだけで4、50分は飽きずに続けて聴いていられるんじゃないかと思うほど。このちょっと塩辛いような甘くてスウィートなような、くぐもっているようで明るく開けたような、軽いようでずっしりしているような、この声質、トーンがですね、ぼくは本当にたまらないんですよね。

 

だからシーローならたぶんどんな曲を歌っても聴けるぞと思うくらいなのに、今回の新作では曲がほんとうにいいんですね。良曲粒揃い。収録の12曲、基本、ぜんぶ自作のようですけど、ダン・オーバックとのコラボで、っていうかインティミットでプライヴェイトなつきあいのなかで自然と生まれた曲々らしく、アルバム用っていうよりも仲良くセッションしているうちにできちゃったから録音しておこうとなったんですって。

 

そんな自然体な姿勢が曲のつくりにも反映されていて、サウンドのまろやかなコクのある味わいとともに、1970年代っぽいニュー・ソウル、スウィート・ソウルふうなフィーリングをかもしだしているのが本当に気持ちいいですね。カーティス・メイフィールドとか、それから今年亡くなったビル・ウィザーズとか、ああいったひとたちの作品で聴ける感触に近いです。

 

アルバム題になっているトーマス・キャラウェイというのはシーローの本名で、だから今回の新作は、いままでより以上に<素>のシーロをみせているということかもしれないです。ナッシュヴィルでのセッションだったことと関係あるのか(ないような気もするけど)カントリー系の人脈もバック・ミュージシャンとして参加して演奏しているそうで、オーガニックな雰囲気がたしかに聴きとれます。

 

曲によってはデジャ・ヴュっていうか、はじめて聴くはずなのにずっと前から知っているおなじみの曲だと錯覚させるようなフィーリングもあって、たとえば2曲目「リード・ミー」、8「ドゥーイング・イット・オール・トゥゲザー」なんかがそうで、曲のスムースさ、ナチュラルなよさがそんなところにも出ているんだなあと感じます。

 

適度にエモーショナル、適度に乾いてアッサリで、カントリー・ソウルな感触もあるし、ポップでありかつソウルフル/ファンキーで、ときにはメロウになったりもして、つまり『シーロー・グリーン・イズ・トーマス・キャラウェイ』っていうこのアルバム、要ははなにごともやりすぎない中庸さが肝心だっていうちょうどいいポイントにおさまっている佳作だなと思いますね。

 

(written 2020.9.8)

2020/11/10

基本のモルナ 〜 マリアーナ・ラモス

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(3 min read)

 

Mariana Ramos / Morna

https://open.spotify.com/album/1hBpNwFnntCubuLxBXT751?si=IAUEOQYwRcCBMEkk24iTrQ

 

bunboniさんに教わりました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-03-28

 

マリアーナ・ラモス(カーボ・ヴェルデ)の2019年作『モルナ』。bunboniさんは今年三月にブログでとりあげていますけど、それで知ったにしてはぼくが書くのは遅くなってしまいました。これには理由があって、after youでディーノ・ディサンティアーゴの次だったんですよ。だからbunboniさんも分が悪いかもとお書きでしたが、まさしくそう。アルバム全編なんでもないようなモルナ一本だから、そのときは聴いてもフ〜ンって思っただけでした。

 

もう一つの理由に、ジャケット・デザインふくめ夏向きの音楽だなと感じていたということがあります。一、二度聴いてフ〜ンと感じただけのぼくでも、真夏の猛暑下であらためて聴きなおし、うん、なかなかいいアルバムじゃないかと考えなおしたんですよね。そういうわけで夏が終わりかけのいまごろ九月にようやく書いています。だから、ブログに上がるのは秋。

 

それでですね、スーパーマーケットなどの食品コーナーで売っているカゴメの商品に「基本のトマトソース」っていうのがあるんですけど、そのままでも使えるし、それをベースにして工夫を足せばまた違ったおいしい味わいになるっていう、まさに基本、土台、ベースなんですね。

 

マリアーナ・ラモスのこの新作って、このテイで言えば「基本のモルナ」だなって思うんですね。保守的でなんでもないものなんですけど、基本。モルナはカーボ・ヴェルデの国民音楽とまで言われる歌謡スタイルで、踊るためというよりしっとり歌って聴かせるものですね。カーボ・ヴェルデが島国であることからいえば、モルナは島唄みたいなもんですか。

 

モルナにアフリカ音楽っぽいリズムの躍動感みたいなものを求めると期待が外れますけど、これはじっくり聴くための音楽ですからね。同じ旧ポルトガル圏だったということで、ブラジル音楽からの影響もあるんじゃないでしょうか(モジーニャ)。

 

コラデイラとかフナナーとかバトゥーケとか、カーボ・ヴェルデにはあるわけですけど、モルナは歌謡として基本中の基本であるのかもしれないですね。マリアーナのアルバム『モルナ』は、そんなカーボ・ヴェルデ音楽の王道に真正面から向き合ってしっかり歌った充実作ということになるんでしょう。

 

島の浜辺にたたずみながら、海のさざなみの音を背景に、こんな歌を聴けたら気分最高だろうなあっていうような、そんなしっとりした歌唱の数々で満たされているマリアーナの『モルナ』。正直言って、アルバムの全48分間ずーっと同じ調子が続いて変化がないもんですから、たぶんそれもあって最初に聴いたときはピンと来なかったのかもしれません。やわらかくて自然体の歌唱ですしね。でも気分と雰囲気次第で、特に夏の夕暮れときとか、ちょうどいいんじゃないですか。正対して聴き込むっていうより背景におくといい感じになる音楽でしょう。

 

(written 2020.9.7)

2020/11/09

クレズマーとタンゴと古典ジャズ 〜 クレズマーリッシュ

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(6 min read)

 

Klezmer-ish / Dusty Road

https://open.spotify.com/album/4boCWXXmLmzHjJiWD6XoJO?si=lXAI-okrQ4mPijNf77wXhA

 

調べてもくわしいことがあまりわからないんですが、クレズマーリッシュ(Klezmer-ish)というバンドというかユニットがあって、どうやら英国で結成され同地を拠点に活動している四人組らしいです。

 

その『ダスティ・ロード』(2020)は、2016年のデビュー・アルバムに続く二作目で、これが楽しいんですよね。バンドの公式サイトによれば、四人の編成は

・トーマス・ヴェリティ(クラリネット)
・ロブ・シェプリー(ギター、ヴィオラ、ヴォーカル)
・コンチェッティーナ・デル・ヴェッキオ(アコーディオン、ピアノ、ヴァイオリン)
・マーセル・ベッカー(コントラバス)
https://klezmerish.com

 

四人ともロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーらしく、同楽団で出会ったんでしょうね。だからもともとというかふだんはクラシック音楽畑の演奏家たちで、楽団での担当楽器もやや違ったりもしているようですけど、それぞれがかなり熱心なポップ音楽ファンだそう。その趣味をいっしょに活かそうとしてクレズマーリッシュを結成したんでしょうか。

 

バンド名どおりのクレズマーをはじめとして、古典ジャズ、(ジャンゴ・ラインハルトみたいな)ジプシー ・スウィング、(アストール・ピアソーラみたいな)モダン・タンゴと、クラシック界でも人気の高いスタイルのさまざまなポピュラー楽曲が、アルバム『ダスティ・ロード』には収録されています。基本、メンバーのオリジナル曲みたいですが、なかには「アイム・コンフェッシン」(古っ!)みたいなジャズ・ミュージシャンがよくやるポップ・スタンダードや、ジャンゴの「ブルー・ドラーグ」、カルロス・ガルデールの「ボルベール」やピアソーラの「キチョ」もあります。

 

だからはっきり言ってヨーロッパで人気のポピュラー・ミュージック、それも東欧〜ジプシー ・ミュージックなどをベースにする移民たちの音楽ジャンルを中心に混合的に演奏するというのがクレズマーリッシュの特色なのかもしれません。そのへんはいかにもクラシック界の演奏家たちらしい志向ですよね。打楽器なしなのもそういうことかも。

 

アルバムは1、2曲目といかにもなクレズマーが並んでいますが、3曲目の「ボルベール」(ガルデル)でオッ!と思います。これはタンゴというよりもキューバのアバネーラに近いリズム・フィーリングでの演奏。もうアバネーラ愛のとても強いぼくなんかはそれだけで快感なんですね。ガルデールのオリジナルってどんな感じだっけなあ。

 

タンゴ・フィールドの曲といえば、アルバム5曲目の「キチョ」(ピアソーラ)。クレズマーリッシュのここでの演奏もストレートなピアソーラ・リスペクトみたいな感じで、モロそのまんまなピアソーラ・スタイルのモダン・タンゴになっています。コントラバスのアルコ弾きもそうだし、アコーディオンもまるでバンドネオンみたいな響き。アンサンブル全体がピアソーラのキンテートみたいですよ。ぼくはけっこう好きですね。

 

こういったたぐいのものはクラシック界でも人気の音楽でしょうが、そうかと思うと、4曲目「セプテンバー・サン」はジャンゴふうのジプシー ・スウィング。クレズマーリッシュのオリジナル曲かなと思いますが、ヴァイオリンがステファン・グラッペリにちょっと似ていますよね。クラリネットもジャジーで、なかなかいいです。

 

ジャンゴといえば、アルバム9曲目の「ブルー・ドラーグ」がジャンゴの曲ですけど、クレズマーリッシュのこれでも1930年代ふうのレトロなスウィング・ジャズ・フィールが横溢。特にギターとクラリネットにそれが聴きとれますね。ギターといえばところでこのバンドではロブの弾くアクースティックなスティール弦ギターはかなり硬い音色を出していて、なかなか特徴的です。ちょっとマンドリンっぽい響きに近いですね。

 

ギター・サウンドということでいえば、ちょっと不思議なのが10曲目「ギヴ・ミー・ア・リフト・トゥ・ツファット」(Tzfatはイスラエルの都市名)。この曲の演奏途中で、アクースティック・ギターにまるでワウをかませているようなサウンドが聴きとれます。っていうか、これ、間違いなくワウ・ボックスを使ってあるでしょう。1960年代後半〜70年代のロック・エレキ・ギターリストたちが使って一般的になったエフェクトですが、アクースティック・ギターで、しかもクレズマー演奏のなかで、使われているのを聴くのはめずらしいかも。

 

ヴォーカルが入る二曲、スタンダートの8「アイム・コンフェッシン」とたぶんオリジナルの12「ダスティ・ロード」はジャズ演奏ですね。それも古典的っていうかレトロっていうか、1930年代ふうなヴィンテージ・ジャズのスタイル。ご存知のとおりジャズとクレズマーとは1910年代から仲良しで、30年代後半に一斉を風靡したベニー・グッドマンのクラリネット演奏にもクレズマーの痕跡が明瞭に聴きとれたり、BG楽団でクレズマー曲をやったりもしたんでした。

 

(written 2020.9.6)

2020/11/08

90年代のファット・ポッサムみたいに 〜 シーシック・スティーヴのストレート・ブルーズ

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(8 min read)

 

Seasick Steve / Love & Peace

https://open.spotify.com/album/6Lvdyve5cjekLpTG1wcriF?si=l6hZ-qFXQuKbJhK-DNXBPA

 

萩原健太さんのブログで知りました。
https://kenta45rpm.com/2020/08/05/love-and-peace-seasick-steve/

 

知らなかったひとですけど、ギター&ヴォーカルのシーシック・スティーヴというアメリカ人ミュージシャン。いまはノルウェイ人パートナーの希望でオスロを拠点にしているそうですが、そのスティーヴの新作アルバム『ラヴ&ピース』(2020)って、えっ、ちょっと待ってくださいよ、いまは1969年なんでしたっけ?

 

そう、いかにも1960年代末っていうか、なんでもこの新作、2インチのアナログ・テープを使って制作されたそうで、だからアナログ24チャンネル録音かもしれず、そこからハーフ・インチのアナログにトラック・ダウンされ、ラッカー盤にカッティングされたんだそう(この段、健太さん情報丸写し)。

 

いやあ、いまどきねえ。でも中身の音楽を聴けば、そんなヴィンテージな手法にこだわったのも納得できようっていうようなグッド・オールド・ブルーズ感満載なんですよね。歌詞のことはあまり聴いていないんですけど、このサウンドですよ。

 

古くさいっていうかレトロっていうか、視点を変えればこういったストレートな米南部スタイルのブルーズって、いつになっても、21世紀でも、不変の魅力とパワーを持っているということですよね。このシーシック・スティーヴの新作アルバム、ちょっぴりブルーズ・ロックっぽいところもありましょうが、全体的にはアメリカ深南部ミシシッピ北部の、ヒル・カントリー・ブルーズによく似ているなと感じます。

 

そう、だからR. L. バーンサイドとかジュニア・キンブロウなど、ファット・ポッサム・レーベルが録音・発売したような、あんな感じのミシシッピ北部のブルーズ・ミュージックでこのアルバムは満たされているんじゃないでしょうか。1曲目はなんでもないブルーズ・ロックかなと思うんですが、2曲目「レギュラー・マン」からそんなディープ・サウスの雰囲気全開になります。

 

アルバムのメンバー編成は、基本、スティーヴのギター&ヴォーカルのほか、ギター&ベース、ドラムス、ハーモニカといったもの。曲によってはキーボーディストも参加しているらしいですが、ほとんど聴こえないですね。ギター&ベースを務めているルーサー・ディキンスンは、ご存知ノース・ミシシッピ・オールスターズの一員で、このバンドはR. L. バーンサイドやファット・ポッサムとも縁が深いんですよね。

 

でもだいたいの曲でスティーヴ自身のギター弾き語りがメインのサウンドになっているんで、若き日に南部のブルーズ・ミュージシャンに師事していたというだけありますね。スティーヴ自身がこういった北部ミシシッピのディープ・ブルーズを肌で身につけているということなんでしょう。ヴォーカルはやや軽いけど、特にギター・プレイにそれがはっきり聴きとれます。

 

アルバムのなかには、ゲストが参加しないスティーヴひとりでの弾き語りというものもあり、5曲目「カーニ・デイズ」(ここではリゾネイター・ギター)とラスト12曲目の「マーシー」。そんな演奏でのディープな味わいもまた格別ですね。サイド・メンバーが入る曲もふくめ、かなりシンプルでストレートな音楽で、1990年代のファット・ポッサム・ブルーズ全盛期に戻ったかのような心地がします。

 

最後に、今日のこのシーシック・スティーヴの『ラヴ&ピース』と直接の関係はないかもっていうことをちょっとだけ。1990年代にファット・ポッサムの録音するシンプルだけどディープな北部ミシシッピのピュア・ブルーズがあんなにも売れたのは、もちろんあの時代がCDメディア普及期で、第二次大戦前の弾き語りものなど古いブルーズ音源がどんどんリイシューされまくっていたことと密接な関係がありました。

 

ミシシッピのヒル・カントリーではむかしかながらの、それこそ戦前からあったスタイルのギター弾き語りブルーズが、まるで時代と社会に取り残されたかのようにずっと何十年もそのまま真空パックされて存続していて、現地の黒人コミュニティ内部の音楽だったから、そんなコミュニティが外部からの侵食をあまり受けていなかったからだと思うんですけど、ファット・ポッサムが1990年代に録音するブルーズは、どれもこれも戦前スタイルそのまんまみたいな素朴でストレートで、しかもディープな味わいがありました。

 

時代はちょうどCDメディアで戦前のブルーズ名録音がどんどんリイシューされていたころ。ロバート・ジョンスンのコンプリート録音集CD二枚組がこの世ではじめて発売されたのがちょうど1990年で、これがブルーズとしてはありえないほどの大ヒット商品になったのがたぶん最大のきっかけで、その後各社とも戦前のブルーズ録音をどんどんCDリイシューしていました。それが90年代のブルーズ・マーケット最大の特色でしたよね。出しすぎというほど出ていました。ぼくも山ほど買いましたよ。

 

それとR. L. バーンサイドなど新録ファット・ポッサム・ブルーズの流行が同時期だったのが、ただの偶然とは思えないんですよね。1990年代はロック界でも60年代的なクラシック・ロックの再評価・回帰傾向がありましたし、これもCDというメディアの登場で過去のロック名盤なんかがどんどんリイシューされはじめたのと密接な関係があったんだと思います。

 

新しいテクノロジーや新メディアの登場・普及が音楽シーンの質まで変えるというのはいつものことなんでしょう。19世紀末〜20世紀初頭のSPレコード登場、1950年代初期のLPメディアの登場も音楽のありようを大きく変えました。さあ、いま2020年代は配信中心、ストリーミング全盛時代なわけですが、そんな変化が音楽の姿まで変えてしまうでしょうか。ぼくはちょっとその傾向が出はじめているように思うんですよ。

 

(written 2020.9.5)

2020/11/07

まるでハービー・ハンコックみたいにファンキーでかっこいい「ジョイシー」でしょんべんチビる 〜 メアリー・ルー・ウィリアムズ

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(6 min read)

 

Mary Lou Williams / Joycie

https://www.youtube.com/watch?v=5P2jm4pSXdo

 

ジャズ・ピアニスト、メアリー・ルー・ウィリアムズ1965年の演奏「ジョイシー」、あんまりにもファンキーでカッコよすぎて、しょんべんチビリそうですよねえ。Spotifyとかにはないけれど、上のYouTubeリンクでみなさんぜひ!お聴きください。

 

このメアリー・ルーの演奏「ジョイシー」は、『ザ・ジャズ・ピアノ』っていうCDアルバムのなかの一曲で、このアルバムは1965年6月20日のピッツバーグ・ジャズ・フェスティヴァルにおけるライヴ録音を収録したものなんですね。

 

ピッツバーグあたりからはむかしからたくさんの好ジャズ・ミュージシャンを輩出していますが、この年のピッツバーグ・ジャズ・フェスティヴァルは<ジャズ・ピアノ・ワークショップ>というものを開催。メアリー・ルーのほか、ウィリー・ザ・ライオン・スミス、アール・ハインズ、デューク・エリントンなどなど、古参ジャズ・ピアニストが一堂に会して、さまざまなスタイルのジャズ・ピアノ演奏を披露して競演するといったものをやりました。

 

みんなが自己のスタイルを確立した際のその古典的なジャズ・ピアノ・スタイルで演奏するなか(それもすばらしくてぼくは大好きなんですけど)、メアリー・ルーだけは、やはり1920年代頭に活動を開始したという古参キャリアの持ち主でありながら、しかし1965年というコンテンポラリーなその時代のファンキー・プレイをくりひろげたのでした。ビックリですよねえ。

 

上でリンクしたそのYouTubeファイルはぼくが自分で上げたものなんですけど、も〜うあまりにもすばらしいと思ってですね、これぞ音楽ファン、ジャズ・リスナーのみなさんとぜひシェアしたいと、その思いでアップしました。でもいままでの再生回数がたったの552回ですよ。なんてこった。7つのイイネがついていますから、それでも好評の部類に入るのかもでしょうけどね。

 

でも再生回数がちょっと少なすぎるように思いますよ。こんなにもカッコイイのにねえ。1965年でここまでファンキーに弾けたジャズ・ピアニストって、ほかにはハービー・ハンコックくらいじゃないのですかね。メアリー・ルーのほうはしかも1922年に活動をはじめて、第二次大戦前に評価を確立しているっていうキャリアなのに、どうですか、このファンキー・ジャズ・ロック!いったいどうしたんですか、なにがあってこんなにファンキーになっているんですか?

 

この「ジョイシー」は、お聴きになればわかるように、曲としてあらかじめ書かれたものではありません。ただの12小節3コードの定型ブルーズなんで、キーとテンポだけ決めて、あとは三人せ〜の!で演奏をはじめただけの完全即興なんですよ。だからナチュラルでスムースな、自然発生的なフィーリングでこんな8ビートのファンキーなジャズ・ロックができあがっているということで、メアリー・ルーがシックスティーズの時代の空気をまさに呼吸していたというあかしですよね。

 

ちょうどこの二、三年前に録音・発表されたハービー・ハンコックの「ウォーターメロン・マン」とかリー・モーガンの「ザ・サイドワインダー」とか、完璧にその系譜に連なる演奏で、いやあもうカッコイイなんてもんじゃないですね。最初の1秒目から音が消えるまで、すべてインプロヴィゼイションで成立しているんですけど、シングル・トーン弾きもブロック・コード叩きもピアノの音の粒が立っていて、1960年代を生きるブラック・アメリカンとしてのファンキー・ジャズ・ピアノ感覚横溢じゃないでしょうか。

 

もうこのメアリー・ルーの「ジョイシー」がぼくは大好きで大好きで、でもCDアルバム『ザ・ジャズ・ピアノ』じたいこの世でほとんど知られていないものですから、こんなにファンキーでカッコいい「ジョイシー」だってだれも聴いていないんだ、ましてやその魅力を語って伝えようとする人間なんてだれもいないんだ、と思うとくやしくて、残念でたまりません。

 

ほ〜っんと〜っに!カッコイイんですよ、このメアリー・ルー・ウィリアムズの「ジョイシー」。もしこの路線でアルバムを一枚でも制作していたならば、たとえばそれがブルー・ノートからでも発売されていれば、そのアルバムはいまごろ1960年代ジャズの名盤としてあがめられ、メアリー・ルーだってその時代を生きたピアニストとしていまだハービー・ハンコック並みの評価を維持していたはずですよ。

 

(written 2020.9.4)

2020/11/06

ブログって、さがせない

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(5 min read)

 

最近のぼくは、いつもブログの記事タイトルに、その日とりあげている音楽家名か作品名を出しているでしょ。これはのちのち検索して見つけやすくするためなんです。bunboniさんも必ず音楽家名を記事タイトルに出すのは、たぶん同じ理由じゃないかと推測しています。

 

そうしておかないと、ずっとあと、何年も経ってからさがせない、さがしにくいんですよね。でもこのこと、ぼくはブログをはじめて数年間は気づいていませんでした。というのも、しばらくのあいだはぜんぶおぼえていたから、検索する必要がなかったんですね。

 

いつごろだったか、2017年だったか、あるかたに「ブログってさがせないですよね」と言われたことがあって、それでハタと気がついたんですよ。検索こそ命で検索しやすいようにできているSNSなんかとはそこが決定的に違うんですよね、ブログは。

 

だからブログってちょっと不便っていえば不便です。もちろん検索できないと言ったって、工夫すれば実際にはちゃんとサーチできます。ちょっとひと手間いりますけどね。気になるさがしたいキー・ワード+ブログ・タイトル、でGoogle検索すればいいんですよね、スマホでも。

 

だからたとえば「ヴァン・モリスン black beauty」で検索すれば、ぼくがブログでヴァンについて書いた記事は出ます。「アンガーム after you」でさがせばbunboniさんがアンガームのことを書いた記事が出るというわけ。

 

そんな際も、記事タイトルに歌手名、音楽家名を入れておけばわかりやすい、ヒットしやすい、みつかって一瞬でなんの記事かわかりやすいんで、っていうことに気づいたのがぼくのばあいわりと最近で、気づいて以後は歌手名とか音楽家名とか、そうじゃなくてもアルバム名とか曲名とか、とにかく明示的になんらかのワードを必ず記事題に出すようになりました。

 

これはさがしたいみなさんのためというより、まず第一に自分自身のためです。さすがにもうおぼえていないし、忘れちゃっている記事も多いからです。だから、これについてなにか書いたはずだけど、いつのなんという文章だっけ?読みなおしておきたい、いま書いている新記事でリンクを貼って案内したい、っていうときは、検索するしか方法がないんですから。

 

ブログもサービスによってはですね、その当該ブログ内を検索する窓がついていたりします。たとえばアメーバ・ブログなんかはそれができますよね。だから便利です。ぼくの使っている@niftyのココログにはそんな設定ないですねえ。次回のリニューアルのときはその機能をつけてくれたらいいのに。

 

そんな検索窓をつけられるブログ・サービスでも、たとえばアメブロならアメブロ内全体を検索したりはできないし、あるいはなにかのワードで全ブログをサーチしたりはできないんで、だからやっぱりブログって検索しやすいようにはできていないシステムではありますよねえ。考えた意見をまとめて発表するにはいいんですけど。

 

ぼくのばあい、これについて書いたはずだけど、キー・ワードが違うのか、どうしてもさがせない、なにもヒットしないという、ときたまあるそんなケースに対応するため、いままで書いた1880個以上の記事をテキスト・ファイルにそれぞれひとつづつ書き出して、ローカル・ディスク内の一個のフォルダに入れて、ぜんぶ残してありますね。

 

それでもってMacの検索機能を使えば、いともカンタンに見つかってしまいます。SpotlightっていうMacの機能なんですけど、これ、チョ〜便利。書類だけでなく、アプリとかブラウザのブックマークとか検索ワードとか、その他自分のMacに関係のあるあらゆるものが対象なんで、だからたとえばいま「ヴァン・モリスン」でSpotlight検索してみた結果が、いちばん上の添付画像です。

 

そんなこんなで、とにかくあとになって、数年以上も経過してのちも、さがせるようになっていないと、なかなかものごとがはかどらないし不便なんですよねえ。そのためブログ用の文章を書いたりタイトルをつけたり、いろんな際に注意するようになりました。

 

(written 2020.9.3)

2020/11/05

ビートにこもるメロウネス 〜 ケム

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(4 min read)

 

Kem / Love Always Wins

https://open.spotify.com/album/6uQ5fMbmWl1KEgVrxlPBsG?si=QE7BOnQKRsONBh6AMlXa_A

 

bunboniさんのブログで教えてもらいました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-09-20

 

2003年にデビューしたナッシュヴィル生まれデトロイト育ちのアメリカのソウル〜R&B歌手、ケム(キム・オーウェンズ)。その新作『ラヴ・オールウィズ・ウィンズ』(2020)がほんとうにいいですよねえ。甘美のきわみ。bunboniさんはメロウなんて陳腐なことばはこの音楽には使えないとおっしゃっていますけど、ぼくからしたらまさにメロウネスの極地じゃないかと思えます。

 

1曲目「ナット・ビフォー・ユー」からしてそれが鮮明になっていますけど、意外にもアクースティック・ギターではじまる出だしでケムがささやきはじめたら、もうその世界にとろけてしまいそうです。そしてぼくがいちばんグッと来るのはビートが入りはじめてからなんですね。

 

そのビートは生演奏ドラムスじゃなくて、(アルバム全編)デジタルな打ち込みなんですけど、まるでなまめかしいじゃないですか。このケムの新作でもっとも気に入っているのが、実を言うとこのコンピューター・ビートにこもるメロウネスなんですね。ちょっとおかしいでしょうか、打ち込みビートに色気を感じるなんてねえ。

 

このケムの新作アルバムは、いかにも現下のコロナ禍中で制作されたというだけあって、複数人数での合同生演奏セッションはなし、音数も最小限にまで減らし、スカスカなサウンドのなかに最低必要なものだけを配置するという具合になっています。

 

そのせいもあってか、大きな比重を占めるデジタル・ビートの重要性が高まっているなとぼくは聴くんですね。それでもって、それが生演奏ドラムスでもってしても出せないなまめかしさ、メロウネスを、ビートそれじたいが、表現しているなと思うんです。ぼくはそう感じました。デジタルなメロウ・ビートが、ケムの持つヴォーカルのアダルトな質感をきわだたせていますよね。特にベース・ドラム音。

 

スロウ〜ミディアムなナンバーでもそうですし、アップ・ビートな曲、たとえば4曲目「ラヴ」なんかでも、実にナマナマしいビート感とヴォーカルの質感じゃないですか。エレキ・ギターとエレピもいい。音数を最低限にまでしぼってあるせいで、一個一個の楽器の持つ音色の色気がきわまっています。

 

そのせいで、結果的にはバンドでの生演奏セッション以上のナマモノ感を表現することに成功していると思う、このケムの新作『ラヴ・オールウィズ・ウィンズ』。6曲目「ライ・トゥ・ミー」でもこのベース・ドラム音はどうですか、色っぽいでしょう。それに乗るケムのやわらかくていねいな声もいいですね。

 

ぼくがたんにデジタル・ビート好き人間だからというだけのことかもしれない、きょうのこの感想、でもケムの声を活かすにはもってこいのサウンド・メイクじゃないかと思いますね。9曲目「フレンド・トゥデイ」だけがビートなしでアクースティック・ギターだけという伴奏ですが、それ以外は後半ゴスペル・ライクにぐいぐいもりあがったりもして、とてもいいアルバムですね。

 

今2020年を代表するソウル・アルバムじゃないでしょうか。

 

(written 2020.10.16)

2020/11/04

さほど中南米ふうでもないデュークの『ラテン・アメリカ組曲』

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(6 min read)

 

Duke Ellington / Latin American Suite

https://open.spotify.com/album/7Cmz36VEKJas9IPP2aQuHM?si=-0Tw0jo2TPCIJ4TkZcaCSA

 

デューク・エリントン楽団に「〜〜組曲」というタイトルの作品がいくつもあることはみなさんご存知のとおり。でも『ラテン・アメリカ組曲』(1968&70年録音72年発売)というアルバムがあることは、つい最近まで知りませんでした。

 

ちょっと興味がわいた&ヒマなので、デュークの作品に「〜〜組曲」がぜんぶでいったいどれだけあるか、ディスコグラフィを検索して拾って列挙してみたのが以下。数字は初録音の年です。

 

・香水組曲(Perfume Suite、1944)
・深南部組曲(Deep South Suite、1946)
・リベリア組曲(Liberian Suite、1947)
・コントロヴァーシャル組曲(Controversial Suite、1951)
・ニューポート・ジャズ・フェスティヴァル組曲(Newpot Jazz Festival Suite、1956)
・トゥート組曲(Toot Suite、1958)
・女王組曲(The Queens Suite、1959)
・チュルカレ組曲(Turcaret Suite、1961)
・秋組曲(Autumnal Suite、1961)
・女性組曲(The Girls Suite、1961)
・ヴァージン島組曲(Virgin Island Suite、1965、未発表)
・極東組曲(Far East Suite、1966)
・ラテン・アメリカ組曲(Latin American Suite、1968)
・ドガ組曲(The Degas Suite、1968、未発表)
・ニュー・オーリンズ組曲(New Orleans Suite、1970)
・グーテラス組曲(The Goutelas Suite、1971、未発表)
・トーゴ・ブラヴァ組曲(Togo Brava Suite、1971、未発表)

 

けっこうたくさんありますね。曲単位だったりアルバム単位だったり、アルバムのなかの一部だったり、いろいろなフォーマットで作曲・演奏されたようです。ホントまだまだ知らないことだらけですよ。

 

きょうは『ラテン・アメリカ組曲』の話です。

 

読みかじった情報によれば、1968年9月、デューク・エリントン楽団はブラジル、ウルグアイ、アルゼンチン、チリ、メキシコをまわる中南米ツアーを行ったんだそうで、これが、結成から約40年におよぶこの老舗ビッグ・バンド初の赤道以南楽旅だったみたいです。ちょっと意外ですよね。

 

それでその中南米楽旅から得られたイマジネイションをもとにジャズ組曲に昇華した作品がきょう話題にしたい『ラテン・アメリカ組曲』であるとのこと。そうはいっても、19世紀末のジャンル勃興当時からずっとこのかたジャズと中南米音楽とのえにしは深く、デュークだって第二次大戦前からラテン・リズムをとりいれた曲をやっています。

 

けれども、中南米現地を演奏旅行でまわり直接得られたものをベースにしてあらためてそれをテーマにしたアルバムを制作するというのは、また違った格別のフィーリングがあったということなんでしょうね。でも正直な話、アルバム『ラテン・アメリカ組曲』を聴いて、そんなに強い中南米風味は感じないんですけどもね。

 

中南米というよりも、いつものデュークらしい濁りみアンサンブルだなというのが最大の印象で、それは特にブラスとリードあわせたホーン群合奏の不協和なというか豊穣でブワっとひろがりのあるサウンドに感じます。デュークのピアノだっていつもどおりの調子。この音楽家のばあい、ピアノ・コードとアンサンブル・トーンが完璧に軌を一にしているというか、ピアノで出す和音をそのままビッグ・バンド化したのがデュークのオーケストラ・サウンドですよね。

 

どっちかというとホーン・アンサンブルのほうが先で、それを左右の手に移植したのがデュークのピアノ・スタイルだっていうことかもしれません。いや、どっちが先?さらに『ラテン・アメリカ組曲』ではメンバーのソロ時間があまりなく、ホーン・アンサンブル中心に曲が進行しますので、その意味でもこのオーケストラの持ち味を理解するにはもってこいのアルバムかもしれないです。

 

ラテンというか中南米風味という部分は、もっぱらドラマー(&ときどきベーシスト)の演奏するリズムにそれが反映されていますが、1968/70年の録音で、現地もまわったにしては、1930年代の「キャラヴァン」のころのあのフィーリングから大きな変化がないように聴こえてしまいます。それでもドラマーのルーファス・ジョーンズが叩きだす、特にシンバル・ワーク中心のリズムは躍動的で、曲を活かすことにつながっているなと思います。

 

だいたいの曲のリズムが、往年の「キャラヴァン」のそれであるという意味では、個人的にちょっと拍子抜けというか、正直言ってややガッカリでしたが、ホーン・アンサンブルに横溢するデューク・カラーは聴きごたえがあって、とくにラテンだ中南米だと言わなければなかなか聴ける作品じゃないでしょうか。

 

4曲目の「ティナ」だけはオーケストラ抜き、デュークのピアノ演奏だけをフィーチャーしたトリオ演奏。実はこれがこのアルバム中いちばん聴ける上質な一曲になっていて、意外でした。また、正規なバンド・メンバーにいないので使わなかったというのはしかたなかったかもしれませんが、ラテン・リズム強化のためアルバム全体でせめてコンガ奏者などパーカッショニストをゲスト起用したらおもしろかったんじゃないかという思いは残ります。

 

(written 2020.9.3)

2020/11/03

灼熱の炎天下で 〜 アル・ビラリ・スーダン

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(3 min read)

 

Al Bilali Soudan / Tombouctou

https://open.spotify.com/album/42TJ96JzVeoSBXrYUySDj8?si=3jG3xtAzQEScnNnFzcFt7Q

 

bunboniさんに教わりました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-06-02

 

ジャケット・ワークがよく表しているように、これは真夏の灼熱下の音楽だなあという気もしますが、今年のとんでもない暑さのもとではどうしてもちょっと聴く気にならず、冷房のよく効いた部屋のなかにあってすらちょっと遠慮したいという気分だったので、いまごろ九月になってようやく書いています。マリのトゥアレグのグリオ・グループ、アル・ビラリ・スーダン(Al Bilali Soudan)の『Tombouctou』(2020)。

 

このファズの効いたエレキ・ギターみたいにビリビリいうサウンドが刺激的でたまりませんが、それがテハルダントという楽器。西アフリカで一般的にはンゴニとして知られているものですね。トゥアレグのタマシェク語ではテハルダントと呼ぶようです。だから生でそのまま弾かれることが多いんですが、アル・ビラリ・スーダンのこの新作では一名がタハルダントを電化アンプリファイドして弾いているんですね。エフェクターだってかましてあるかも。

 

今回のアル・ビラリ・スーダンは、テハルダント三台(うち一台が電化)、カラバシ二台(カラバシは打楽器で、大型のヒョウタンを二つに割ったもの)という五人編成なんですが、もうこの電化テハルダントの刺激的なサウンドがあまりにも強烈すぎて、ほかのことがぜんぶふっ飛んでしまいますよね。ノイジーでトランシー。乱暴に投げつけるようなトーキング・ヴォーカルもこのサウンドによく似合っています。

 

しかしこういった音楽、はじめて体験するわけじゃありません。bunboniさんもお書きのように、以前タラウィット・ティンブクトゥのことをぼくも書きました。ビリビリいう電化テハルダントのサウンドと、大地を直接叩きつけているようなカバラシの野太いビート。いやあ、これはすごいアルバムで、ぼくはこれで一発KOされちゃったんですね。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/01/post-6a54.html

 

これをすでに体験していたからこそ、今回のアル・ビラリ・スーダンの『Tombouctou』でそんなにビックリしないっていうか、でもテハルダント三台+カラバシ二台ですから、今回のこっちのほうがよりサウンドに厚みが出ているなという気はします。

 

しかもアル・ビラリ・スーダンのほうは、特に複数のテハルダントのはじくフレーズが、それでもわりと細かく計算されているように聴こえます。インプロヴィゼイションでしょうけれども、リードする電化テハルダントのあいまを縫うように生音テハルダントが繊細なフレーズをくりかえし入れ込んでいるのは印象に残りますね。特に8、9曲目あたり。

 

かなりやかましい(ときには気に障ったりすることもある、特に真夏だと)音楽なので、TPOを選びますけどね。

 

(written 2020.9.1)

2020/11/02

アン・ピープルズへのラヴ・レターふたたび 〜 ドン・ブライアント2020

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(5 min read)

 

Don Bryant / You Make Me Feel

https://open.spotify.com/album/5nmTyPcWtLpY6HfkQI5AQN?si=hEfL9LoqRSWZ5xNT3bBeeg

 

Astralさんのブログで知りました。
https://astral-clave.blog.ss-blog.jp/2020-06-21

 

1960年代から活動しているサザン・ソウルのシンガー/ソングライター、ドン・ブライアント。2017年に48年ぶりという新作アルバム『ドント・ギヴ・アップ・オン・ラヴ』をリリースして、その内容も充実していたので、日本のソウル・ファンもビックリするやら感激しきりだったわけです。

 

そんなドン・ブライアントが、それに続き今2020年にも新作アルバムを届けてくれました。『ユー・メイク・ミー・フィール』(2020)。前作に引き続きファット・ポッサムからのリリースで、メンフィス・ソウル健在を強く印象づけてくれるものなんですね。いやあもう年齢とキャリアを考えたら奇跡みたいなもんですが、そのキャリアがこれまたきっちり作品の内実に反映されているので感心します。

 

ところでこのブライアントの『ユー・メイク・ミー・フィール』、ちょっと妙なこともあるんです。6月19日に発売になったみたいなんですが、Astralさんのご紹介でぼくはすぐSpotifyで検索、見つかったので聴いていました。ところがしばらく経ったらグレー・アウトしちゃって聴けなくなったんですよね。

 

どうやらそのとき、フィジカルも回収になっていたみたいで、それはひょっとしたらCOVID-19のせいだったかもしれないし違うかもなんですけど、とにかくCDは買えない、配信でも聴けないっていう状態がずっと続きました。CDは基本買わなくなっているぼくなんで、Spotifyでまた復活したらいいのになあと思っていたら、やはり最近ふたたび聴けるようになってホッとしています。

 

しかしですね、どうも解せないのはSpotifyだと “Don Bryant” で検索しても “You Make Me Feel” でも、その合体でも、このアルバム、まったく出てこないんです、いまだに。これはやっぱりちょっとヘンですよねえ。ぼくは発売直後に自作プレイリストに入れていたんで、そこからたぐっていつも聴いているんですよ。オカシイよなあ。

 

それはともかく、ドン・ブライアントのこの新作『ユー・メイク・ミー・フィール』、2017年の前作がパートナーであるアン・ピープルズに捧げたものだったわけで、夫婦愛がブライアント復活劇の背景にあったわけですけど、今回の新作も引き続きアン・ピープルズへのラヴ・レターとなっています。

 

それこそが(前作もそうだったけど)このブライアントの新作アルバム最大の聴きどころだと思うんですね。それは出だし1曲目「ユア・ラヴ・イズ・トゥ・ブレイム」を聴いただけでわかります。この歌、シャウト、歌詞もそうなんですけどサウンド、特にリズムやホーン・リフなど、力強くブライアントの歌う「愛」を下支えしています。生バンドの演奏だからこそ成し遂げうる空気感がここにはありますね。

 

2曲目「99 パウンズ」はアン・ピープルズが歌った曲だから、いっそうこのブライアントのパートナーに向けられた感情が極まっているのを感じとることができるでしょう。やはり古い曲である7曲目「アイル・ゴー・クレイジー」にしたって、この太いファンキー・グルーヴ表現は、50年間いっしょにい続けているアン・ピープルズへの愛をサウンド化したものなんですね。

 

4曲目「アイ・ダイ・ア・リトル・イーチ・デイ」は1970年代にオーティス・クレイが歌った曲。今回の新作アルバムでいちばん注目されるのがこれじゃないでしょうか。クレイは来日公演でも歌い、録音されアルバムにもなりました。その冒頭にはリハーサル・ヴァージョンだって収録されている、日本のファンにとっては特別な曲です。

 

ブライアントの今回の新作アルバムに収録されているこの「アイ・ダイ・ア・リトル・イーチ・デイ」は、作者自身によるハイ・サウンド実現で、決定的なヴァージョンに仕上がったと言えるのではないでしょうか。続く5曲目「ドント・ターン・ユア・バック・オン・ミー」と来るこのへんの流れは、アルバムをなんかい聴いてもグッと胸に迫る迫真の表現ですね。

 

(written 2020.8.28)

2020/11/01

岩佐美咲にはひばりの初期楽曲がよく似合うはず

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(5 min read)

 

https://open.spotify.com/album/2Gk0kbVTTcV9pLzz2NXE0p?si=kjSdVWm2T5CfKBpi506n5Q

 

わさみんこと岩佐美咲もいろんな歌手のいろんな曲をカヴァーしていますが、ほとんど歌っていないのが美空ひばりのレパートリー。1stソロ・コンサートで「川の流れのように」を歌ってDVDにも収録されているのが唯一で(秋元康の作詞だから?)、ほかは昨2019年の長良グループ沖縄イベントで「お祭りマンボ」を歌ったらしいんですが、これは現地の客席にいたみなさんしか聴いていませんし、ソロ歌唱でもなかったらしいです。

 

そう、「川の流れのように」とか(「愛燦燦」とか)のひばり晩年曲は、実はあんまりおもしろい曲じゃないなとぼくは思っていて、それよりかは「お祭りマンボ」のような、ひばりが10代のころに歌った初期楽曲のほうがはるかに曲がいいし、ひばりの歌もすばらしいし、わさみんにも似合っているだろうと確信しています。

 

ひばりが本当はどういう歌手だったのか、10代のころのひばりがどんだけすごかったか、演歌歌手なんかじゃなかったんだぞとか、そんなような話は、きょうは遠慮しておきます。ご興味のあるかたは、以前書いたこれらの文章をぜひご覧ください。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-b014.html
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-c90d.html
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2017/11/2-30ac.html

 

簡単に言えば、初期の(10代のころの)ひばりはブギ・ウギ〜スウィング・ジャズ〜ジャンプ系の軽快なポップ・シンガーで、ウキウキ跳ねるようなはじける魅力が全開の陽気で明るい歌手だったんですね。

 

だから、与えられた楽曲もそんな系統のものが多く、それを軽やかに歌いこなしジャジーにスウィングするのがひばりだったんです。そういうのこそひばり本来の魅力なんですよ。

 

そのあたりのひばり初期録音は、CDでも二枚組にまとめられていて、それが『ミソラヒバリ アーリーソング コレクション 1949~1957』。なんとこれがそのままSpotifyにあります。ぜひちょっと聴いてみてください!「柔」「悲しい酒」「川の流れのように」などでしかひばりを知らなかったなら、イメージが一変すると思いますよ。
https://open.spotify.com/album/2Gk0kbVTTcV9pLzz2NXE0p?si=MQ9ZFXWdTJWfDGldl1aeFw

 

それで、わさみんこと岩佐美咲には、このあたりのひばりの初期レパートリーをぜひカヴァーしてほしいな、CDやDVDに収録してほしいな、それがムリならせめてコンサートやイベントなど種々の機会をとらえて歌ってほしいなとぼくは思っています。

 

とってもよく似合うはずだと思うんです。「河童ブギウギ」のコミカルなブギ・ウギ調、ちょっとしっとり気味ながら明るく庶民的なスロー・ジャンプ・ナンバー「東京キッド」、軽快なラテン・リズムの「ひばりの花売娘」、やはり楽しく跳ねるブギ・ウギの「銀ブラ娘」。

 

やや哀愁を感じる「あの丘越えて」なんかもわさみんが得意としてきたタイプの曲ですし、ひばり最大の代表曲ともいえる「お祭りマンボ」はしっかり歌いなおしてCDかDVDに収録してほしいです。当時最新流行だったマンボのにぎやかなリズムに乗せ人の世の浮沈を表現した大傑作ナンバーですよね。

 

いわゆるマドロスものだってわさみんにはよく似合うと思いますよ。ソロ・コンサートでは似たような曲調のものをたくさん歌って成功してきていますからね。初期のひばりにあるマドロスものといえば「ひばりのマドロスさん」と「港町十三番地」。ちょっぴりレトロなこんな雰囲気をわさみんは得意としていますからね。

 

これもやはり4ビートのジャジーでスウィンギーなブギ・ウギ・ナンバーである「心ブラお嬢さん」(心とは大阪は心斎橋のこと)だって楽しくて、調子がよくて、本当にわさみんが歌うのにピッタリ。

 

最低でも以下の五曲:

「河童ブギウギ」
「ひばりの花売娘」
「お祭りマンボ」
「心ブラお嬢さん」
「港町十三番地」

 

これらはぜひともわさみんに歌ってほしいですね。ひばり以後もたくさんの歌手のみなさんによってカヴァーされてきているものばかりですけれども、わさみんが歌えば21世紀の若手新世代歌手による決定的ヴァージョンに仕上がること必定だと思うんですよ。

 

間違いないと思います。長良グループさん、徳間ジャパンさん、なにとぞご検討ください!

 

(written 2020.9.3)

2020/10/31

ライヴに行くのが怖かったぼく 〜 パニック障害のこと

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(9 min read)

 

長年パニック障害を患っていました。2020年のいまではすっかり寛解しているように思いますが、28歳(1990年)で発症して、50歳過ぎごろにこれはもうだいじょうぶだろうと自分で思えるようになるまで、長年。

 

ちょうど東京都立大学英文学研究室の助手をやっていた三年目の春のことでした。朝の通勤の満員の井の頭線のなかで突然心臓がバクバクなりはじめ、鼓動と呼吸が荒くなり、動悸がして冷や汗をかいて、立っていたんですけど苦しくなって、走行中の車内でその場にしゃがみこんでしまいました。これはもう死ぬんじゃないかと震えました。

 

その日はなんとか(当時まだ八雲にあったから東横線沿線だった)都立大の研究室まで行き、仕事中はなにもなく、帰りの電車のなかでは平気だったんですけど、仕事を終えた帰りは気がラクですからね。朝の出勤時ですよ、まずいのは。頻繁に発作が出るようになり、満足に電車に乗れなくなりました。

 

ぼくのパニック発作は神経性過敏大腸症候群をともなっていて、おなかがカラッポ状態でも神経性で腸が動き便意をおぼえ(脳と腸がダイレクトにつながっていることを知ったのは20年くらいあと)、トイレに行きたくなる、特に朝の満員電車で発車時に扉が閉まったとたんに便意をおぼえはじめ、ドキドキ動悸がして脈拍が早くなり汗をかき、苦しくなるというものでした。

 

最初は扉の閉まった満員電車だけだったんですが、次第に似たような閉鎖空間とか、しばらく自由にトイレに行けないような拘束状態におかれると、やはり発作が出るようになり、出るんじゃないかという予期不安もあって、だから行動がかなり制限されるようになりました。苦しいので発作が出ないようにしたいという気持ちから、みずからすすんで行動や場所を選ぶようになりました。

 

もちろん心療内科に通うようになって投薬治療もはじまったんですけれども、なかなか症状がちゃんとおさまるっていうようなことはかなわなかったんですね。電車も朝の満員状態がダメだから、次第に仕事のシフトを後ろにずらしてもらうようになったり、1991年に國學院大學に就職してからは午後と夜の講義ばかりにしてもらって。

 

閉鎖空間にジッといるといけないんで、映画館もダメ、そしてあんなに好きだった音楽ライヴも、閉じ込められた空間内という現場ですわって動かない動けないという状態がなかなかまずいので、足が遠のくようになったんです。途中でトイレに行けないんだと思っただけで、もう発作が近いんですから。

 

このパニック障害&神経性過敏大腸のことを、発症したことのないみなさんに実感し納得してもらえるように説明することはなかなかむずかしいように思います。だから周囲からは、特に國學院大學の職場のみんなからは、「サボり病だろう」みたいに思われたり言われたりすることも多くて、つらい思いをしましたね。

 

といっても、音楽のライヴ・コンサートなんかの際は、音楽パフォーマンスの最中楽しい気分にひたっていますので、パニック発作のことはだいぶ忘れていますし、実際発作も(あまり)起きませんでした。そう、発作が不安でも、なんだかんだで行っていた音楽ライヴはあったんですね。

 

特に、いまはもうなくなったパークタワー・ブルース・フェスティバルは、毎年定期的に通っていた唯一のライヴ・コンサート。これは1995年にパソコン通信をはじめた際、同じ音楽会議室のネット仲間のなかに東京ガスに勤務するリアル友人を持つかたがいて、優先チケットが入手できるよというので、それで行きはじめたものでした。フェスティヴァルじたいはその数年前から開始されていたようです。フェスが消滅するまで毎年通いました。毎年12月開催でしたかね。

 

マイルズ・デイヴィスが1991年に亡くなって、その後ほとんど現場でのライヴ・コンサートに行かなくなっていたぼくにとっては、95年(33歳)にパソコンを買ってネットをはじめたことが、やはりたいへん大きなきっかけになっていたわけなんです。

 

だれそれのライヴがいついつどこそこであるぞ、なんていう情報もどんどん入るようになったのはネットをはじめたからであって、それでユッスー・ンドゥールやサリフ・ケイタのブルーノート東京公演を知り、行ったんですからね。いっしょに行って並んで観てくれる友人も、やはりネットにいました。感想を投稿しあったりも。

 

それでも、音楽ライヴ現場でときたまパニック発作が起きることもあり、だからぼくにとってはどんな場所でも着いたらまずトイレがどこにあるかを確認しておく、すぐ行けるようにしておくことが絶対なる必須事項でした。ブルーノート東京しかり新宿のパークタワー・ホールしかりです。

 

パークタワー・ブルース・フェスティバルのパフォーマンスの最中に突然パニック発作が起きて(なぜそうなるのかは自分でも説明できない)トイレに行きたくなって、席を立ってトイレに駆け込むことは、ときたまありました。ブルーノート東京ではワン・ステージが一時間未満でしたから、まだちょっと安心していました。

 

2011年に東京を離れ愛媛に戻ってきたころには(その数年前から)具合はよくなっていたように記憶しています。2017年にわさみんこと岩佐美咲と、原田知世を好きになるきっかけがあって、その後わさみんの歌唱イベントに通ったり、わさみんや知世ちゃんのコンサートに行ったり、そんなことがきっかけで音楽ライヴの楽しさを思い出し、ほかの音楽家のコンサートにもときどき行くようになったり、それらのために公共交通機関に乗ったりなど、そんなことになっているいまのぼくにとって、パニック障害と神経性過敏大腸のことはもうすっかり過去のことになっているように思います。

 

飛行機だってダメだったし(トイレがあるのにね、でも海外旅行に行くため乗ってはいた)、バスもダメ、電車なんかでも各駅停車じゃないとダメで、扉が閉まってしばらく開かない急行などには絶対に乗れなかったけど、もうそんなことなくなりました。現場に到着してのトイレ確認もいまやしなくなっていますけど、でもいつも警戒したりする気分がちょっとだけ残っています。長期間患っていましたから、習い性になってしまいました。この手の病気は再発の可能性が消えないですからね。寛解であって全快じゃないんで。

 

(いまのところ)最後にパニック発作を経験したのは2000年に渋谷の映画館で『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』を観たとき。その後最初にアレッこれ平気じゃないか?と気づいたのは2015年に大阪でアラトゥルカ・レコーズ(トルコ)のライヴ・コンサートを観たときです。

 

ところで、ぼくのASD(アスペルガー症候群)、アロマンティック資質、パニック障害、発音障害(どもり)、これら四つはつながっているんじゃないかと思えるんですけれども、これらをトータルでみてもらえるところってないんでしょうか?

 

(written 2020.9.2)

2020/10/30

ジャズ記事がブルー・ノートものばかりになってしまう

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https://twitter.com/bluenoterecords


https://www.instagram.com/bluenoterecords/

 

のは、ある意味当然というか、しょうがないことですよねえ。なぜかって、いまのぼくがなにを聴こうかと音楽の題材をさがすのはもっぱらネットで、であって、いろんなひとのブログとかホーム・ページとかTwitterとかInstagramとか。するとジャズ関係でいちばん活発に発信しているのがブルー・ノート・レコーズ公式ですから。特にSNSですよね、いまや最大の情報源は。

 

ほかにどんなレコード会社が公式にジャズのことをどんどんSNSで発信していますか?アトランティックが、プレスティジが、リヴァーサイドが、うんアトランティックはジャズ専門レーベルじゃないですけど、かつてはあんだけあったジャス・レーベル、2020年になっていまだ活発にやっている、それも時代にあわせてインターネットで、SNSで活発に、っていうブランドはブルー・ノートだけくらいなんですからね。

 

あ、いや、ジャズ系レーベルではECMもかなり活発にSNSを使ってどんどん発信していますけど、なにしろレーベル・カラー、音楽性が好みじゃないもんでねえ、こればっかりはどうしようもないです。ブルー・ノート、ECM、ほかにありますか、メイジャーなインディ・ジャズ・レーベル(ってヘンな言いかた)でSNSをフル活用している会社が?

 

もちろん自分でもっとアンテナをひろげればいろんなジャズ情報がネットで得られるのかもしれませんけれども、ブルー・ノートのばあい、特に情報を拾いに行くと意識しなくても、ただなんとなくTwitterやInstagramのタイムラインをざ〜っとぼんやりながめているだけで新リリース情報が流れてきます。これはたいへんに意味のある大きなことなんですよ。

 

過去の遺産の再発掘ばかりじゃなく、新作もブルー・ノートはどんどん出していますから、ヴァイブラフォンの新人ジョエル・ロスだって、それからたとえばちょっと前、南アフリカのピアニストであるンドゥドゥーゾ・マカティーニの2020年作のことだって、今年のアルテミスだって、知ったのは、ブルー・ノートからのリリースだったからなんですもん。複数のSNSでなんども宣伝していました。

 

現実にはこのブログで(ジャズ関係では)ブルー・ノート作品のことしか書いていないわけじゃありませんが、でも圧倒的に数が多くなってきているのは間違いありません。やっぱりねえ、SNSでどんどん情報を発信するのは2010年代以後においてはほんとうに重要なことですよ。

 

ブログとかホーム・ページなどは、ただジッとしていて、ブラブラしていて、そのままで情報が入ってくるわけじゃありません。その気になって見にいかないといけないものでしょう。同じネットといってもSNSはここがぜんぜん違うんですね。

 

TwitterやInstagramだとヒマなときになんとなくぶらついているだけで、ただそれだけで、ブルー・ノート公式が、こんなプレイリストを作ったぞ、こんな新作、リイシューが出る(出た)ぞ、このアルバムがいいぞ、と流してくれるんで、なにもしなくても情報が入ってきます。

 

それで、オオッと思ってやおらSpotifyで検索してみるとか、もうぼくはそんなジャズ聴取生活ですよ。もちろんディスクユニオンやタワーレコードのTwitterアカウントがジャズ新作、リイシュー作のリリース情報を流してくれるんで、それもありがたく頂戴していて、やっぱりそのままSpotifyで検索するんですね。

 

ブルー・ノートのばあい、会社設立は1939年ですけど、メインのカタログはやはり1950年代のハード・バップ以後ですよね。そこからずっと来て2020年まで、しかもぼくの大の好みである野太いブラック・ジャズを中心に録音・リリースし続けてきています。

 

ブルー・ノート公式SNSアカウントが情報を流してくれるプレイリストなんかで(テーマ別に)過去の遺産を聴いていても、こんなに知らないものがまだまだたくさんあるんだなあと実感しますし、新しい気づきもあって、実に刺激的。

 

それをふだんの音楽生活にフィードバックして、ジャズや音楽の見方が変化したり更新されたりすることも多し。ほんともう、ブルー・ノート公式SNSアカウント様さまですよ。

 

そんなことで、ぼくもかつては第二次大戦前の古典ジャズのことをたくさん書いてきましたが、もういまやブログでもモダン・ジャズ中心、それもブルー・ノートもの中心の人間にすっかり変貌しました。

 

(written 2020.8.27)

2020/10/29

ファンキーになりたてのボビー・ハッチャースン 〜『サン・フランシスコ』

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(5 min read)

 

Bobby Hutcherson - San Francisco

https://open.spotify.com/album/4iWJYzYbD0S6e3I8Xzr7LR?si=I0kXZnkDR8OQIU5WNCru-g

 

きのうに引き続きブルー・ノート公式プレイリスト『ブルー・グルーヴ』で発見したカッコいいものシリーズ、二日目のきょうはヴァイブラフォン奏者ボビー・ハッチャースンのアルバム『サン・フランシスコ』(1970年録音71年発売)です。これもグルーヴィでいいんですよねえ。

 

でもきのう書いたブルー・ミッチェルの『バントゥー・ヴィレッジ』ほどのジャズ・ファンク傾倒ぶりではなくて、従来的なメインストリーム・ジャズもかなり残してはいるこの『サン・フランシスコ』、アルバムの全六曲はおおまかに三種類にわけられます。クラブ受けしそうでDJに重宝されそうなグルーヴ・チューン(1、4)、ラテン・ジャズ(3、6)、新主流派ジャズ(2、5)ですね。

 

それにしても、それらのなかに「サン・フランシスコ」というタイトルの曲があるわけじゃないし、どうしてこのアルバム題なんでしょうか。アメリカ西海岸という意味ではボビー・ハッチャースンはまさにそこの人間ですけど、出身も当時住んでいたのもロス・アンジェルスなんですよね。あるいは1970年前後、若者文化の中心地だったという象徴的な意味合いのことばとしてサン・フランシスコを選んだんでしょうか。

 

ところでこのアルバム、ピアノとエレピでジョー・サンプルが参加していますけど、かなり重要な役割を担っているように思えます。クルセイダーズ結成直前といった時期で、このアルバムのために曲も二つ書き、お聴きになればわかるように鍵盤楽器でバンド・サウンドの軸になっていますよね。たぶんこれ、アレンジとか全体の方向性もかなりジョーが指示したんじゃないかといった特徴が聴きとれるように思います。

 

また、このアルバムはハロルド・ランドとの双頭リーダー作としてもいいくらいなんですが、ハロルドはテナー・サックスだけでなくフルートやオーボエも吹き、曲も一個提供しています。ぼくのなかでハロルドはマックス・ローチ&クリフォード・ブラウン・クインテットのサックス奏者という印象が長年強かったので、ときおりこうしたジャズ・ファンク・セッションに顔を出しているのが、二、三年前までは意外でした。

 

さて1曲目「ゴーイン・ダウン・サウス」。ジョーの曲ですが、これがグルーヴィでカッコいいですよねえ。ボビーがマリンバを叩くこの曲でファンキーなフェンダー・ベースを弾くのはジョン・ウィリアムズ。彼のベース・ラインは、同じくグルーヴ・チューンである4曲目「アム」でも目立っていて、演奏のノリをかなり支配しています。特に「アム」のベース・ラインなんか、格好のサンプリング・ネタになっていそうですよ。

 

それはそうとその「アム」、冒頭からぐちゅぐちゅと、エフェクターをかませたエレキ・ギターだとしか思えないサウンドがずっと聴こえるんですが、ギターリストが参加しているという情報はないので(それにしては酷似)、たぶんこれはジョー・サンプルのエレピなんでしょうね。その音を歪ませてあるんでしょう。気持ちいいですよねえ。

 

これら「ゴーイン・ダウン・サウス」「アム」の二曲がこのアルバムでは突出してすばらしく、実際、プレイリスト『ブルー・グルーヴ』に二つとも選ばれています。後年の、1990年代以後の、レア・グルーヴ・ムーヴメントで再評価されDJたちに使われるようになったのも、これら二曲でしょう。それにしてもクラブDJって、いったいどんだけのレコードを聴いているんでしょうねえ。

 

アルバムではこれら以外のものはわりとストレートめなジャズ・ナンバーかなと思えるんですが、それでも、ラテンな3曲目「ジャズ」と6「ア・ナイト・イン・バルセロナ」(「チュニジアの夜」のもじり?ハロルド・ランド作)はかなりおもしろく、ラテン・ジャズ好きなら血が踊ります。そういうのに向いているミッキー・ローカーのドラミングもみごとで、各人のソロもいいです。特にジョー・サンプルのピアノが聴きものですね。

 

(written 2020.8.30)

2020/10/28

ブルー・ミッチェルのジャズ・ファンク時代 〜『バントゥー・ヴィレッジ』

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(5 min read)

 

Blue Mitchell / Bantu Village

https://open.spotify.com/album/48XaLARTQEZLOjgZUL7xbg?si=ssXd6_s7RZi9UktggAnEUw

 

きのう書いたブルー・ノート公式プレイリスト『ブルー・グルーヴ』で、それまで知らなかったカッコいいファンキー・チューンがいくつも見つかりました。ぜんぶとりあげているとキリがないので、二、三個にしぼって、もとのアルバムまでたぐって聴いてみましたので、感想を記しておきます。

 

きょうはトランペット奏者ブルー・ミッチェルの『バントゥー・ヴィレッジ』(1969)。このアルバム題、そして曲題にもなっているわけですけど、そこからアフリカ志向なんじゃないかと想像すると、アテが外れます。特にどこといってアフロ要素は見当たりません。でもカッコいいジャズ・ファンクですよ。ブルー・ミッチェルがこれだけのアルバムを残していたなんてねえ。

 

そもそもぼくのなかでのブルー・ミッチェルはハード・バッパーで、ホレス・シルヴァーのクインテットとか、そのほか自己名義作でもそうでですし、ブルー・ノートに録音されたいろんなハード・バッパーのアルバムでセッション・トランペッターとして演奏しているのを聴いてきて、あまり上手くないそこそこのひとだなあという印象しか持っていませんでした。

 

2018年ごろからですよ、ブルー・ノート公式が編纂・公開する各種Spotifyプレイリストでブルー・ミッチェルのやるファンキー・チューンをちょこちょこ聴いてみて、エッ?と感じたというのが最初の正直な気持ち。このジャズ・トランペッター、こんなファンキー・チューンを演奏していたのか?!と、認識をあらたにし、長年の軽視を反省していたところでした。

 

そこへもってきて、きのうのプレイリスト『ブルー・グルーヴ』1曲目にブルー・ミッチェルの演奏する「ブルー・ダシキ」が来ていて、あまりのカッコよさにもうKO状態、ひもをたぐってアルバム『バントゥー・ヴィレッジ』にたどりついたんですね。いやあ、ほんと、ファンキーでクールなアルバムです。

 

『バントゥー・ヴィレッジ』ではモンク・ヒギンズがアレンジャーをやっていて、曲もほとんどすべて(ディー・アーヴィンと共作で)書いています。モンク・ヒギンズはピアノや鍵盤楽器を弾き、このアルバムの音楽のキー・パースンになっているんですね。管楽器がやや多めの人数参加、リズムはエレキ・ギター、エレベ、ドラムス、コンガ。これでグルーヴィな演奏をくりひろげています。

 

どの曲もエレクトリファイされていて、リズムは16ビート。完璧なジャズ・ファンクのノリ。このアルバムが録音・発売された1969年当時は多くのジャズ・ミュージシャンがジャンルの境界をまたいでいたころで、ロック、ファンク、ソウルなどとジャズとの合体を試みて、成果もあげていた時期でした。アメリカでは若者を中心とするヒッピー文化がメイン・カルチャーの下層から噴出し、世界を変えつつあった時代でしたね。

 

1950年代から活動するブルー・ミッチェルも、もともとは保守的なハード・バッパーだったかもしれないですけれども、1960年代末ごろからの時代の、音楽の、変化を感じとって、ファンキーでグルーヴィな方向性へと舵を切っていたということだったんでしょう。その際のパートナーがモンク・ヒギンズだったと。

 

『バントゥー・ヴィレッジ』はそんな時代の典型的なジャズ・ファンク・アルバムの一つで、どの収録曲もエッジが効いていてファンキー。1969年のレコードですから、さぞやのちのレア・グルーヴ界でもてはやされただろうと思います。実際、サンプリング・ネタとして使われることも多いようですよ。ラスト7曲目の「ブッシュ・ガール」(こういう曲題のつけかたは感心しないけど)だけはきれいなソウル・バラードです。

 

(written 2020.8.29)

2020/10/27

groove is the thing 〜『ブルー・グルーヴ』

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https://open.spotify.com/playlist/1IRLsH3eiRAiMjvVv9BH8g?si=tXFVf6T6Rd6e3fPwK4tphQ

 

ブルー・ノート公式がたくさんのSpotifyプレイリストを作成・公開してくれていて、たいへん楽しいんだということは、もはやくりかえす必要がないでしょう。そのなかでも今年数ヶ月前に聴けるようになったプレイリスト『ブルー・グルーヴ』(上掲リンク)は傑作ですね。以前このブログでなんども記事にした2018年の『ブルー・ノート・ブーガルー』(↓)と並ぶ楽しさじゃないでしょうか。
https://open.spotify.com/playlist/1OAOMYbP4EDgKstUio9FdD?si=Trj8iY26TsOVMLvKYu0g9g

 

『ブルー・グルーヴ』は1960年代中期から現代に至るまでのブルー・ノートのファンキー・チューンを集めたもので、だからつまり8、16ビートの効いたジャズ・ロック、ソウル・ジャズ、ジャズ・ファンクとか、そんなグルーヴィなものばかり、しかも10時間以上。その長さゆえ、実はいまだ全貌は聴けていませんが、その必要もなし。きょうはこのへん、あしたはまたべつなところと、適宜ピック・アップしながらブラブラ流して楽しんでいればOKなのが配信プレイリストですからね。

 

よく知っているものもありますが、なじみが薄かったりいままで知らなかったりした曲ばかりで、ぼくってなんて無知なんだろうとイヤになっちゃいますけど、言い換えればブルー・ノートは実にいろんなファンキー・ミュージックを録音したんだなと感心します。ストレートなジャズのなかにだってこんだけあるんだという、だからやっぱりジャズは4ビートだとかにこだわりすぎると楽しさが減りますね。

 

つまりはぼくのばあい、4ビートのメインストリームなストレート・ジャズも大好きだけど、それ以上に主にブラック・ミュージシャンのやるブーガルー・ジャズっていうか、ファンキーでグルーヴィなソウル・ジャズ、ラテン・ジャズ、ジャズ・ファンクなどが本当に好きで好きでたまらないっていう、そういう嗜好の持ち主なんでしょうね。快感に大きな差がありますからね。

 

プレイリスト『ブルー・グルーヴ』を流していても、その強靭なグルーヴ感にやられちゃいますけど、実に多様な曲が並んでいるこのプレイリストを貫く軸になっているのが、ずばり “groove is the thing” ということですね。そういったジャズ・チューンが主に1960年代中期ごろから登場しはじめたというのは意味深いことです。ファンキーでグルーヴィなソウル・ジャズの台頭は、ちょうど公民権運動やブラック・アメリカンの意識の高揚と軌を一にしていたんだなとわかりますよね。

 

ホレス・シルヴァー、ルー・ドナルドスン、ドナルド・バード、グラント・グリーン、リー・モーガン、ハンク・モブリー、スタンリー・タレンタインといった1950年代から活動してきて、60年代にファンキー化して花開いたようなジャズ・ミュージシャンたち。ブルー・ミッッチェルのように50年代は典型的ハード・バッパーだったのが70年代にはジャズ・ファンクをやったようなひとたち。

 

また、ラリー・ヤング、ジャック・マクダフ、ドクター・ロニー・スミス、ボビー・ハッチャースン、ルーベン・ウィルスン、ジーン・ハリス、ハービー・ハンコックらのように1960〜70年代に一斉に噴出した新世代のグルーヴ資質を持つニュー・タイプのジャズ・ミュージシャンたち。

 

さらには、ロバート・グラスパー、カサンドラ・ウィルスン、ソウライヴ、メデスキ、マーティン&ウッド、エズラ・コレクティヴなどなど、1990年代〜21世紀型の新世代ジャズ・ミュージシャンたちだって、このプレイリスト『ブルー・グルーヴ』には収録されています。つまりおおよそ60〜70年間にわたるという、長いタイム・スパンを見わたしたものなんですね。

 

驚くのは、そんな長期間にわたる、世代も異なるさまざまなタイプの音楽家による多様なジャズ・チューンを一堂に会したプレイリストであるにもかかわらず、フォーカスというか中心軸がまったくブレていない、一個の明確で明快なグルーヴ・タイプで貫かれているということですよ。ブルー・ノート・レーベルがひたすら追求してきたグルーヴィなブラック・ジャズとは、やはり時代を超える普遍性とパワーを持ち続けているものなんでしょうね。

 

(written 2020.8.27)

2020/10/26

2020年のコンテンポラリー・ジャズとも響き合うパット・マシーニー『ザ・ウェイ・アップ』

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(7 min read)

 

Pat Metheny Group / The Way Up

https://open.spotify.com/album/4QhHJZxGczkO6gRKLyQKB6?si=Nqon-HABSy2pceoHp8RSJA

 

パット・マシーニー・グループの最終作『ザ・ウェイ・アップ』(2005)。これ、ジャケットが数種類あるみたいで、当時CD買って持っているものをネットで画像検索して拾ってきて上に貼りつけておきました。このアルバムのことを書こうと思い立ったのは、もちろんきのうからの流れでPMGの作品を総ざらいしていて、発売当初はこんなシリアスな大作主義なんかと退屈に感じて敬遠していた『ザ・ウェイ・アップ』が、かなり楽しくみごとな充実作だと気づいたからです。

 

『ザ・ウェイ・アップ』を録音したPMGのメンツは前作『スピーキング・オヴ・ナウ』とほぼ同じで、違うのは新たにクロマティック・ハーモニカでグレゴワール・マレが参加していることくらい。でも音楽性はぜんぜん異なっていますよね。どうしてだか2005年の時点で、もっと10年くらい先の、いまの新世代ジャズを先取りしたような作品になっているので驚くじゃないですか。

 

だから2005年当時ぼくがこの作品を理解できなかったのはある意味当然です。耳がヘボいのを棚上げするとしても、やはり時代の先を行っていたからじゃないかという気がいまではするんですね。あともう一点、このアルバムは、当時21世紀に入って数年が経過して、ちょうどiPodが流行っていたころ、音楽を一曲単位で扱って、つまりスキップしたりシャッフルしながら聴いたりっていう、そんな風潮にパットが異を唱えたものでもありました。

 

だから、それまで数分単位の曲をどんどん並べていたのをやめて、(CDだと)1曲目はオープニングで5分程度ですけど、それに続いては三つしかトラックがなく、それらはいわゆる「曲」(song)ではなく、一つ20分以上もあるのを並べてトータル68分間で「一個の」音楽作品なのである、としてリスナーに提示したんですね。Spotifyにあるのだと、1トラック目でオープニングとパート1が合体していますから、この志向がさらに進んでいますよね。

 

そんなの聴きにくいよ、と思われるでしょう。2005年当時のぼくもよく聴かず同様に感じて、それもあって放棄しちゃってたんですね。でも大作主義にみえて、実は長尺なそれぞれのトラックも、短い5〜7分ほどのパッセージというかセクションに分割されていて、それの連なりで組み立てられており、セクションとセクションのあいだに一瞬の空白が置かれていますので、よく観察すれば実は聴くのラクチンなんです。

 

そんなわけで実質的には数分の曲がどんどん並んでいるのを続けて聴くという従来的なアルバムとたいして変わらないPMGの『ザ・ウェイ・アップ』、やっぱり曲をスキップされたりシャッフルされたりするのに抵抗しただけだったんでしょうね。今回それがよくわかって、印象がグンとアップしました。

 

さて、音楽的にはこのアルバム、2010年代以後的なコンテンポラリー・ジャズ作品と考えていいと思います。それまでPMGの作品を彩っていたブラジルはミナスの音楽とかワールド・ミュージック志向はほぼ消化され、ストレートな、しかも現代の新世代なメインストリーム・ジャズになっています。クオン・ヴーとリシャール・ボナがいちおうヴォイスでクレジットされてはいるものの、アルバムを通し聴こえる時間はあまりなし。インストルメンタルな、しかも作曲よりも即興演奏を中心に組み立てられています。

 

バンドのインプロヴィゼイションの中心となって牽引しているのは、あきらかに(パットのほかには)ドラムスのアントニオ・サンチェスですね。この細分化された、しかもめっちゃ躍動的なビートを、繊細かつ大胆に叩きこなしていますよね。それはアルバム全体をとおしてそうなんですが、アントニオのこのドラミング、ジャズ・スタイルでありながら、アフロ/ラテンなリズム感を吸収し咀嚼して現代化しているっていう、そんなフィーリングですよね。

 

ぼくはちょっとルデーリ(ブラジル)のドラマー、ダニエル・ジ・パウラを連想したんですが、そういえばドラムスだけじゃなくバンドの音楽全体が、このPMGの作品、ルデーリの三作に近似しているようにも聴こえます。アンサンブルとソロとの比重というかバランスも、ルデーリなど現代ジャズに類似しているし、クオン・ヴーがトランペットを吹いている時間はなおさら。こっちのほうではギターリスト大活躍ですから、そこは違うんですけれども。

 

ギターリストといえば、この『ザ・ウェイ・アップ』でのパットのギター・ワークは冴えていますよね。曲、というかトラック、アルバム全体の見取り図のなかできっちり風景を描くことに成功しているし、そうでありながらしかも弾きまくり系の技巧をも細かく駆使しています。そうかと思うと、パート2から登場するクロマティック・ハーモニカがなにげに効いていたりもします。

 

それぞれのパート(Spotifyのでは全3パート)のなかでも、音像風景や曲想、曲調はどんどん変化していきますが、アルバム・トータルできれいな心象をつむぎだすことに成功しているし、拡大鏡をかざして細かい部分を聴いていけば、パットのギターはじめバンドの各人が繊細で超絶的な技巧を凝らしているのがわかるし、アンサンブル/ソロのバランスやそれと一体化したリズムのフィーリングは2020年のジャズ新作として出しても通用するだけの先進性、同時代性を兼ね備えているしで、いやあ、なかなかすごい傑作アルバムです。

 

(written 2020.8.26)

2020/10/25

パット・マシーニー・グループの変遷

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(10 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/64jY1LvfkZUNY949eXBSzX?si=WwwVQHFGQCOu5hdY_qQFUg

 

きのう書いたレオ・リベイロでやはりパット・マシーニー・グループのことを思い出し、聴きなおしたくなってひっくりかえして聴いていました。ぼくが好きなパット・マシーニー・グループは1980年代後半あたりのそれで、あくまで『スティル・ライフ』から『レター・フロム・ホーム』を経て『ウィ・リヴ・ヒア』のあたり。その前後は実はそうでもないんですけれども、今回ぜんぶひっくるめてもう一回聴いてみて、感じたことを記しておきたいと思います。

 

まずパット・マシーニー・グループの作品をリリース年順に列記しておきましょう。自分の整理のために。ライヴ・アルバムとコンピレイションは外しました。また1985年の『ファルコン&ザ・スノウマン』は映画のサウンドトラックということでディスコグラフィから外されることも多いんですけど、きょうは並べておきました。

 

1. Pat Metheny Group (1978) ECM
2. American Garage (79) ECM
3. Offramp (82) ECM
4. First Circle (84) ECM
5. Falcon & the Snowman (85) EMI
6. Still Life (Talking) (87) Geffen
7. Letter From Home (89) Geffen
8. We Live Here (95) Geffen
9. Quartet (96) Geffen
10. Imaginary Day (97) Warner
11. Speaking Of Now (2002) Warner
12. The Way Up (2005) Nonesuch

 

ぜんぶで12作。少ないような多いような。発売レーベル名も記しておいたのは、音楽性の変遷と個人的嗜好を考える際大切になってくるからで、このことはあとで述べます。さて、これら12作を音楽傾向とその変遷で考えると、おおよそ三つの時期に分けることができるんじゃないかと思うんですね。

 

・初期 『オフランプ』まで
・中期『ファースト・サークル』から『ウィ・リヴ・ヒア』まで
・後期『カルテット』以後

 

個人的な履歴をちょっと思い出しておくと、パット・マシーニーというギターリストのことは、ジョニ・ミッチェルのライヴ・アルバム『シャドウズ・アンド・ライト』(1979)に参加していますから、1970年代末から知ってはいたんですが(ジャズ・ファンもみんな買ったアルバム)、パット自身のソロ・アルバムやパット・マシーニー・グループのアルバムふくめ、パット名義のものをはじめて聴いたのはかなり遅くて、なんと1995年のPMG『ウィ・リヴ・ヒア』からでした。

 

これにもう強い感銘を受けたんですね。一般的評価は必ずしも高くないアルバムかもしれないですけど、な〜んてカッコいい音楽なんだと、特にアルバム冒頭の三曲がすんばらしいと、ぼくはもう感激しきりで。これを買ってみようと思ったのにはきっかけがあります。当時まだ一般的だったFM雑誌を毎号買っていたんですが(『FMファン』だったかな?忘れました、何種類かありましたよね)、当時のFM雑誌は総合音楽誌みたいな役割も担っていたわけなんです。

 

毎号新作紹介のディスク・レヴューみたいなのも掲載されていてまあまあ充実していました。それで1995年のある号でどなたかがPMGの『ウィ・リヴ・ヒア』をとりあげてくれていたんです。ページでそのジャケット写真を見て惹かれちゃったのと、レビュー内容にも興味を持ったのとで、CDショップでさがしてみたわけなんですね。

 

『ウィ・リヴ・ヒア』は、ドラム・ループなんかも使ってあったりして(プログラマー名もクレジットされている)PMGとしては異色作だったのかもしれないんですが、いま考えたらその前からのPMGのブラジルはミナス路線(『スティル・ライフ』『レター・フロム・ホーム』)と、1990年代半ば当時の最新音楽潮流とがある意味合体し、以前からのジャズ路線だってあるという、ちょっとした意欲作でした。これでPMGとパットに惚れちゃったぼくは、その後ソロのでもグループのでも、どんどんCDを買うようになったのです。

 

PMGの作品でいえば、ですから『スティル・ライフ』『レター・フロム・ホーム』あたりの路線がほんとうに大好きで、特に一番好きなのはあのヴォーカルですね、歌詞のないスキャットみたいなもんなんですけど、いろんな文章で「無国籍ヴォーカル」と書いてあるやつです。でも決して無国籍というわけじゃなくてブラジルのミナス音楽にひじょうに強い影響を受けたヴォーカル・スタイルなんですね。主に歌っているペドロ・アスナールはアルゼンチン出身ですけれども。

 

いま、PMGの全作品をじっくり聴きかえし考えてみても、この『スティル・ライフ』『レター・フロム・ホーム』はも〜う超絶的な大傑作なんだとしか思えず、どう考えてもこの二作がこのバンドの頂点でした。ジャズ、ロック、ポップス、アフリカ、ラテン、ブラジル(特にミナス音楽)そのほかワールド系などが渾然一体となってシンフォニックに溶け合い壮大に展開していくさまを聴いていると、いまでも鳥肌が立つ思いです。

 

そんな路線のハシリが1984年の『ファースト・サークル』で、ペドロ・アスナールがはじめて参加したアルバムでした。でもまだシンフォニックなワールド・ミュージック路線をフル展開してはいませんね。そこにはおそらく当時まだ所属していたECMのマンフレート・アイヒャーとの齟齬があったんじゃないかというのがぼくの想像です。それまでのすべてのPMGの作品はアイヒャーがプロデュースしていますからね。パットがグループで展開したい音楽にプロデューサーのアイヒャーがやや待ったをかけた折衷的な作品が『ファースト・サークル』だったかもしれないような気がします。

 

はたして、パットはそれを最後に、音楽制作の自由を求めてECMを去り、サウンドトラック盤『ファルコン&ザ・スノウマン』を経て、自分で音楽制作プロダクションを立ち上げ、配給をゲフィンに任せることになったのです。その結果が『スティル・ライフ』『レター・フロム・ホーム』『ウィ・リヴ・ヒア』となって結実しました。その直前の『ファルコン&ザ・スノウマン』にはデイヴィッド・ボウイが歌う「ディス・イズ・ナット・アメリカ」も収録されていて、個人的にはなかなか好きな一枚。

 

そんなわけで、ECM時代のPMGがどうしてもイマイチに思えてしまうんですが、なかでは『アメリカン・ガレージ』がいちばん好きですね。やっぱりアルバム終盤のタイトル曲と「ジ・エピック」、特に後者のダイナミックでシンフォニックな展開はのちの傑作群を予告させる内容で、聴きごたえありますね。

 

『ウィ・リヴ・ヒア』のあとからを後期PMGと呼びたいですが、四人だけでやった『カルテット』、実験的な『イマジナリー・デイ』を経て、心機一転、メンバーをかなりチェインジして新生パット・マシーニー・グループとして出発したのが2002年の『スピーキング・オヴ・ナウ』です。これと次の『ザ・ウェイ・アップ』(2005)と二作しか残さずグループは自然消滅、ライル・メイズが亡くなったいまとなっては再起動もありえないというのがちょっぴり残念な気もします。

 

そのへんのPMGでは、『スピーキング・オヴ・ナウ』はなんだか『ファースト・サークル』のころの音楽に戻ってしまったような感じで、イマイチに感じますが、次の『ザ・ウェイ・アップ』はかなりいいですよね。個人的には傑作と呼んでもいいんじゃないかと思うほど。ただしそうとわかるようになったのはついきのうのことで、2005年にCD買ったときはシリアスな大作主義になじめず、二回くらい聴いてそのまま放置していましたけどね。

 

『ザ・ウェイ・アップ』は、ミナスとかブラジルとかアフロ/ラテンなワールド・ミュージック路線を(直截的には)抜いた上でのジャズ・アルバムなんですよね。それもストレート・アヘッドなメインストリーム・ジャズ作品なんで、ジャズ・グループとしてのこのバンドの演奏実力を見せつけた(たぶん一発即興録音だったと思う)充実作じゃないですか。この路線のままこのメンツでもう一つ二つ作品を聴きたかったという気持ちもあったりします。

 

(written 2020.8.25)

2020/10/24

まるでパット・マシーニー・グループ 〜 レオ・リベイロ

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(3 min read)

 

Leo Ribeiro / Paisagem

https://open.spotify.com/album/43kfmtTM7S2oDJe6cqZJsP?si=-OBMGWXwRIeLc4OXwLjmrw

 

bunboni さんに教わりました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-06-10

 

レオ・リベイロ(Leo Ribeiro)の2019年作『Paisagem』。ブラジルはミナスのギターリスト&シンガー・ソングライターなんですが、このアルバム、聴いて笑っちゃいましたねえ。もう完璧に1980年代のパット・マシーニー・グループそのまんま。音楽のつくりがそうなんですよね。違いは?といえば、パットと違ってレオは自分で歌っているというところくらいでしょうか。

 

といってもパットのああいった音楽(『スティル・ライフ』や『レター・フロム・ホーム』など)がもとはといえばブラジルはミナスの音楽から非常に強い影響を受けて成り立っていますので、ミナスのレオからしたらべつに猿真似をやったわけじゃないのかもしれません。パットと盟友ライル・メイズに捧げた曲もあるので、もちろん意識はしているんでしょうけどね。

 

もうホント、(最近の新世代)ミナス音楽のことが嫌いなくせに1980年代パット・マシーニー・グループの大ファンで大ファンで、もうたまらなく大好きで、聴いているだけで、いや、想像しただけで感極まってしまうほどのファンであるぼく。だからレオのこの『Paisagem』も本当にお気に入りなんですよ。あのへんのパット・マシーニー・グループがお好きなみなさんであれば、間違いなく全員ハマると思います。

 

この空気感、サウンド・メイク、リズム・フィール、ヴォーカルの活用法、それからレオはパットほどにはギター・ソロを弾かず、ヴォーカルとトータルなサウンド・メイクにほぼ徹していると思うんですけど、たまにちょろっと出るギター・ソロとかもパット、というかトニーニョ・オルタ・マナー。二番煎じというより、これがミナス・ジャズというものなんだろうなという気がしますね。

 

アルバムでは終盤クラシック・ギターの技巧を披露するソロ演奏曲が並んでいるのがレオならではというところでしょう。なんでも音楽学校で正式にクラシック・ギターを学んだそう。11、12曲目がエチュード(練習曲)ですが、11曲目のほうはややフラメンコ・ギターっぽい雰囲気です。10、13曲目もソロ・クラシック・ギター・ピースですから、アルバム終盤に計四曲もあるというわけで、ある意味それも聴かせたいというプロデュース意図があるんでしょうね。

 

プロデュース意図というのは、なんでもこのアルバムはインディーな自主制作盤だそう。30年以上のキャリアを持ち、これだけのハイ・クォリティな音楽をつくりあげるだけの実力の持ち主でも、なかなか正式なフル・アルバム発売のチャンスには恵まれないものなのかもしれないですね。厳しい世界です。

 

(written 2020.8.23)

2020/10/23

最近、書くときにぼくが注意していること

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(2 min read)

 

・才媛、才女、〜〜嬢、〜〜女史、女流〜〜、女版〜〜だとかいった表現を使わない。褒めているつもりの実は差別だから。

 

・歌手や音楽家の性別をなるべく書かない、すくなくとも強調しない。女性歌手、女性ヴォーカルということはみなさん言っても、男性歌手ということはあまり言われないでしょう。

 

・彼、彼女、などの代名詞を可能な範囲で避ける。

 

・その他、鮮明にジェンダー・バイナリーな表現を極力用いないよう心がける。「息子」「娘」も基本使わない。

 

・年齢にもなるべく言及しない(でもこれは守れないことも多い、特に年配者)。

 

・美人歌手だとか、言わない。逆に容姿はどうでもいいだとかも、言わない。

 

・音楽と関係ない意味合いでルックスの話題を出したり、画一的な美しさばかり言ってそこに当てはまらない人をどうこう言わない。

 

・やぐっちゃん(矢口真里さん)が「夫ちゃん」と呼んでいるのがぼくは好きで、「主人」とか「旦那」とかじゃないのがいいよね。

 

・男性の立場からなら、女性配偶者のことを「奥さん」「奥方」「家人」「家内」「嫁さん」「嫁」とか言うのも好きじゃないですね、ぼくは。

 

・これら配偶者をどう呼ぶかは、最近じゃなくて30年以上前から気になっていることです。

 

・外国語からの翻訳の際、女性の発言でも「〜〜なの」「〜〜だわ」などといった女口調を不必要に使わない。男性のばあいも、原文にそのニュアンスがないのに「〜〜だぜ」みたいなオレさま口調で訳さない。

 

・女性専用スペース、女性専用車両、レディース ・デイとか、ああいったものは、「女のため」というよりは「男のせい」だと思います。

 

・ジャズ・マン、ブルーズ・マン、セッション・マン、サイド・マンとぼくは言わなくなった。

 

・家事が好きで得意だからといって、「料理男子」とか「女子力」高いねとかって言わないでほしい。

 

・男らしさ、女らしさ、ってなんだろう?これはこどものころから強い違和感を持ってきたことです。

 

・ぼくもアライです。

 

(written May 〜 August 2020)

2020/10/22

1950年代のレイ・ブライアントはおだやかだった

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(6 min read)

 

The Ray Bryant Trio / Ray Bryant Trio

https://open.spotify.com/album/6Tzji1A705579YT9chT8uq?si=7cUHkruLRTihk2iRUaojqA

 

ジャズ・ピアニスト、レイ・ブライアントの1957年プレスティジ盤アルバム『レイ・ブライアント・トリオ』のことを、どうしてだかこないだちょっと思い出し、実にひさびさに聴きかえしたりしていました。大学生のころは一番好きなレイのアルバムで、四年生のとき(だから1983年か)松山のジャズ喫茶でもソロ・ピアノ・ライヴをやったんですよ。そのときこの『レイ・ブライアント・トリオ』LP盤を持参して、ジャケットにサインをもらったという思い出もあります。

 

それでこの1957年『レイ・ブライアント・トリオ』はむかしからずっと聴き続けている愛聴盤ですし、もうこのブログですでに話題にしたはずだと思って検索しても出てこないんですね。ちょこちょこっと部分的に言及しているだけで。だからきょうここにはじめてこのアルバムのことをしっかり書き残しておこうと思い立ちました。いやあ、いいアルバムなんですよね。サインしてもらおうとご本人に見せたら(こんな古いものをと)ちょっとビックリしていましたねえ。

 

1983年に体験した松山の小さなジャズ喫茶でのレイのソロ・ピアノ・ライヴは、エイヴリー・パリッシュの「アフター・アワーズ」などブルーズ・ナンバーを中心とするもので、やはり『アローン・アット・モントルー』の路線でしたけど、レイがあんな感じになったのは1970年代からじゃないですか。1950年代あたりは、まだ落ち着いた静かでリリカルなプレイが特色のピアニストだったように思います。

 

そんなところ、この『レイ・ブライアント・トリオ』でもよく発揮されていますよね。たとえばその後のレイの代名詞となったソロ演奏とブルーズという二点で考えてみても、このプレスティジ盤にはソロで2曲目の「エンジェル・アイズ」、ブルーズでは3曲目の「ブルーズ・チェインジズ」があるわけですけど、もうまったく1970年代以後とは雰囲気が違いますよね。

 

マット・デニスの「エンジェル・アイズ」でのレイはとことんリリカルに、といってもこの曲はロマンティックな恋愛がテーマじゃなくて残酷な失恋を扱ったものなんですけど、レイはきれいにきれいにメロディをつづっています。静かで落ち着いた抒情的な雰囲気。右手と左手のバランスがいいのもこのピアニストの特徴です。それでもってこの暗い曲を残酷すぎないように、もともとメロディは美しい曲ですから、それを活かすようにていねいに弾いていますよね。

 

こういったリリカルさ、決してゴリゴリやらない、ちょっと線の細いやわらかいムード、というのが1950年代のレイ最大の特色で、このアルバムの代名詞になった1曲目「ゴールデン・イアリングズ」なんかがその結晶ともいえる傑作です。このレイのヴァージョンがこの曲の代表的名演となりましたし、この曲をとりあげたことじたい、この当時のレイのリリカルな志向性をよく反映したものだと言えましょう。

 

3曲目の自作「ブルーズ・チェインジズ」。1955年のマイルズ ・デイヴィス&ミルト・ジャクスンとのセッションでも演奏された曲ですけど(『マイルズ・デイヴィス・アンド・ミルト・ジャクスン』)、定型12小節ブルーズでありながら、ブルージーさ、ファンキーさがまったくない、ムーディなバラードのような曲想を持つ一曲ですよね。

 

ここで聴けるトリオ・ヴァージョンでも、まず無伴奏ソロから出て、リズム・セクションが入ってきても、最後までレイはとことんリリカル。だからちょっと聴き、ブルーズ・ナンバーであることに気がつかないほどです。1970年代以後のソロ・ピアノ演奏ではあんなふうにブルーズを弾いたのに…、と思うと、まるで別人のようですよね。

 

LPではA面ラストだった4曲目「スプリッティン」だけがハードにスウィングするグルーヴ・ナンバーで、レイもどんどん弾きまくりますけど、決してファンキーになったりはしません。5曲目以後アルバムを最後まで聴いても、こういったハード・グルーヴァーはこの一曲だけで、モダン・ジャズ・アルバムとしてはややめずらしい部類に入るのかも。おだやかな曲ばかりで。

 

そう、おだやかさ。これこそが1950年代の、『レイ・ブライアント・トリオ』の、最大の特色で、決して激しく攻めない、エモーショナルにもファンキーにもならないっていうのが、5曲目以後でもよくわかると思います。B面でいちばんの聴きものはトップに来ていたモダン・ジャズ・カルテットの「ジャンゴ」でしょうね。一定の枠から決してはみ出ないMJQの曲は、この当時のレイの資質によく合致していたと言えます。

 

その後の三つも知られた曲ばかりですが、リリカルでおだやかにはみ出ないで弾く、というレイのこの当時の持ち味を存分に発揮した演奏。曲じたいの魅力と演奏の質では、A面よりやや落ちるかもなというのが個人的な感想です。

 

(written 2020.8.21)

 

2020/10/21

2020年にしてプリテンダーズ初体験

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(4 min read)

 

Pretenders / Hate For Sale

https://open.spotify.com/album/1A88QI9i0LT4ClZgoQIl0t?si=1f_ptIjfSnel-1eOI3YLcQ

 

萩原健太さんのブログで知りました。
https://kenta45rpm.com/2020/07/17/hate-for-sale-pretenders/

 

2020年新作の『ヘイト・フォー・セール』、プリテンダーズとしてはひさびさのアルバムになるそうですけど、プリテンダーズに特にどうという興味も抱いてこなかったぼくで、でも健太さんのご紹介と、どうしてだかなんとなく気になる部分があってSpotifyで聴いてみたんですね。クリッシー・ハインドだけはいままで気にしてきましたが、たぶんプリテンダーズのアルバムを聴くのは今回がはじめてになるんじゃないかと思います。だからきょうの文章はどうか笑って読み飛ばしてください。

 

アルバム題にもなっている1曲目の「ヘイト・フォー・セール」というタイトルは、コール・ポーター作の大スタンダード「ラヴ・フォー・セール」のもじりのような気がしますが、音楽的にはまったくなんの関係もないですね。プリテンダーズのこっちのほうはストレートな完璧ロックンロールで、爽快にぶっ飛ばすみたいな、いかにもな曲調。これは気持ちいいですね。

 

ちょっぴりラテン香味が効いているようにも聴こえる2曲目「ザ・バズ」を経て、3曲目の「ライティング・マン」はレゲエ、というかこれはダブですね。プリテンダーズってダブもやるんだというのは、ぼくは今回このバンド初体験ですから、なんとも言えません。ただ英国のバンドですからね、ジャマイカ音楽への親近感はわりとあるだろうなと。ダブになっているこの3曲目はかなり聴けますよね。

 

その後、4、5、6、7、8曲目と、ロッカバラードなども交えながらやはりストレートに王道ロック路線を進んでいるなと思うアルバム『ヘイト・フォー・セール』、こういったハードでスピーディなストレート・ロックは個人的に好みなので、すんなり楽しく聴けます。8曲目の「ジャンキー・ウォーク」もストレート・ロック、でありながらリズムにちょっとのおもしろみを感じたりもするのは、ぼくのラテン好き感じすぎ資質ゆえ?

 

ラテンといえばですね、続く9曲目「ディドゥント・ワント・トゥ・ディス・ロンリー」は鮮明なボ・ディドリー・ビートを使ってあります。つまりキューバ音楽でいう3・2クラーベのリズム・パターン。健太さんはジャングル・ビートということばをお使いですが、ロック・ミュージック界隈ではたしかにそう呼ぶことも多いみたい。リズム&ブルーズやロックやジャズなどの米英音楽で聴けるばあいのこのビート・スタイルは(カリブから来た)ニュー・オーリンズ由来じゃないですかね。

 

3・2クラーベ、あるいはひっくり返して休符から入る2・3クラーベとかの(アフリカン〜)カリブ/ラテンなリズム・パターンが、もうだ〜い好きなぼくなんで、プリテンダーズのこの新作『ヘイト・フォー・セール』でもこの9曲目がいちばんのお気に入り。それとダブな3曲目、幕開けでKOされる1曲目と、これら三つですかね。ラスト10曲目はしんみりしたバラードで締めくくり。これもいいです。

 

(written 2020.8.20)

 

2020/10/20

レコードやCDの貸し借り、ダビングなどもいまはむかし

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(6 min read)

 

になったなあと個人的には思うんですね。すべてはデジタル技術とインターネットの普及のおかげです。物体でやりとりしなくたって電子ファイルの送受信で用が足りるでしょうからね。ばあいによってはファイルの送受信すら必要なくて、音楽のストリーミング・サービスみたいにあっちのサーヴァーにあるものをそのまま流してこっちのディヴァイスで聴くだけっていうような世界が一般的になりつつある、というか、もうすでになっているんじゃないですか。

 

このへん、一部のみなさん(ってぼくもちょっとそうなんですけど)はまだまだ抵抗があるところかもしれないですね。レコードとかCDとかのフィジカルじゃないと音楽を「入手」したという気にならないという向きが大勢いらっしゃるかもと思うんですけど、そもそも(物体ではなく)「音楽を入手する」ってどういうことなんだ?それはあなたのものになるものなのか、物体じゃなく音楽が、とか根源的な疑問を抱くこともあります。

 

それはともかく、ネット配信ではいまだ聴けない、解禁されていないものはCDとかで聴くしかないわけですけど、問題はその貸し借りですよね。上で掲げた写真のように大手レンタル・ショップなんかでもそこを狙って商売していたりしますけど、借りたとして、それで聴くというよりもパソコンにリッピングしてファイルで聴くみたいなことのほうが多いんじゃないかという気がします。返却したあとそれをCD-Rに焼くとしても、それはパソコン内のデジタル・ファイルだったものですから。

 

さらにもう一段、他人にすすめたいというときでも、焼いたCD-Rを渡すとか送るとかいうよりも、電子ファイルになっているものをメールかSNSのメッセージなんかに添付して送信するとか、ファイル共有サイトにアップロードしておいてダウンロードしてもらうとか流してもらうとか、そういった方法のほうが一般的になってきているのは間違いありません。

 

そもそも(CDを発売するような)プロの音楽家同士だって、いまやコロナ禍でスタジオに集結していっしょに音を出すというのを遠慮しなくちゃいけないという状況ですから、まずだれかがつくって録音した音源ファイルを電子的に送信して、それを聴いてもらって仲間がリモートでそれに音を足すなどして送り返すとか、いまや音楽の新作だってそんな方法でプロデュースされるようになっていると思うんですね。

 

で、最後までその方法で一度も物体化なんかはせず(楽器演奏は物体操作だけど)、完成したものをマーケットに流通させる最終段階になって、はじめてCDを作るということになっているだけなのかもしれません。近年、アラブのロターナなんかもそうですけど、そもそも物体化すらもしない、したくない、コストがかさむだけで買う人間も減っているんだし、デジタル・ダウンロードかストリーミングで十分という考えのレコード会社、音楽家だって増えているなとみえています。

 

音楽のフィジカル・マーケットは、たぶん日本が世界で最大かつ唯一に近いガラパゴス島に違いなく、もはや世界の主流からは取り残されつつあるなと実感することしきり。ストリーミングとかダウンロードでちゃんと聴けるのに、フィジカル化されていないと話題にすらしないとか、なんだかちょっとう〜〜ん…、とぼくは感じておりますね。

 

そりゃ30〜40年くらい前のむかしはですね、友人同士で「このレコードいいんだぜ、ちょっと聴かせたい」と思ったら、自宅に来てもらうか持っていくか、貸すか、カセットテープなどにダビングして渡すとか、それ以外に方法がなかったし、CD時代になっても事情は似たようなもので、やはり来てもらうか行くか物体でしかやりとりできませんでした。ほかに手段がなかったんですからね。貸し借り、(テープやMD、CD-Rなどへの)ダビングなどさかんでしたよね。

 

でも時代は変わったんです。いつまでも数十年前の方法に固執して、それじゃなくちゃダメなんだ、音楽を聴いたということにならないんだとか、そういうふうに考える必要もなくなったように思うんですけどね。テクノロジーの進展で、新しい時代には新しいやりかたができてきて一般化しますから、なんでも。それで便利になっていくんであって、その反面失われるものだってあるでしょうけれどもね。

 

(written 2020.8.24)

 

2020/10/19

オーガニックなラヴ・ソング 〜 原田知世

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(8 min read)

 

原田知世 / 恋愛小説3〜You & Me

https://open.spotify.com/album/1EZy3C9uNNtucsPLo1lP63?si=6pw7r8qETOqHBrCM3-IKsg

 

原田知世の新作アルバム『恋愛小説3〜You & Me』が2020年10月14日に出ました。昨年も『Candle Lights』があったんですけれども、それはベスト盤みたいなもので、新曲もふくまれていたとはいえ、あくまで企画ものみたいな感じでした。

 

だから知世の新作としては2018年の『ルール・ブルー』以来ということになりますね。『恋愛小説3』というアルバム題でおわかりのように、いままでに二作出ているラヴ・ソング・カヴァー集の三作目。

 

一作目『恋愛小説』(2015)が洋楽ポップスのカヴァー集、二作目『恋愛小説2〜若葉のころ』(2016)が日本の歌謡曲のカヴァー集だったわけですが、今作『恋愛小説3』も日本のポップスばかりとりあげて、そして『2』との違いは曲の年代ですね。

 

『2』が山口百恵とか太田裕美とかの1970年代の歌謡曲ヒットをカヴァーしていたのに対し、今年の『恋愛小説3』ではもっとあたらしい、1980〜90年代の日本のポップ・ソングを中心に歌っています。知世の世代だったということでしょうか。

 

さらに今作『3』ではゲスト歌手が四名迎えられているのも大きな特色です。大貫妙子、小山田圭吾、細野晴臣、土岐麻子。細野さん以外は、個人的に実はイマイチなじみの薄い歌手たちなんですよね。

 

曲も、『恋愛小説2』収録のものはぜんぶよく知っているおなじみのものばかりだったのに対し、今回の『3』では、実を言うと知らなかった曲ばかり。だから、体内にしみついている曲を伊藤ゴロー(プロデュース)&知世がどう料理するか?という楽しみかたはできませんでした。

 

そんなわけで、自分のために、『恋愛小説3』の収録曲のオリジナル歌手たちを、以下に一覧にしておきます。

 

1)A面で恋をして(ナイアガラ・トライアングル)
2)ベジタブル (大貫妙子)デュオ with 大貫妙子
3)小麦色のマーメイド(松田聖子)
4)二人の果て(坂本龍一)デュオ with 小山田圭吾
5)新しいシャツ(大貫妙子)
6)A Doodlin’ Song(ジャッキー・クーパー)デュオ with 細野晴臣
7)花咲く旅路(原由子)
8)ping-pong(原田知世)デュオ with 土岐麻子
9)ユー・メイ・ドリーム(シーナ&ザ・ロケッツ)
10)あなたから遠くへ(金延幸子)

 

1曲目の「A面で恋をして」からしてかなりいいですよねえ。伊藤ゴローがつくったサウンドも極上だけど、知世の声がイキイキとしていて、曲が生き返っています。伊藤ゴローはもうずっと知世のプロデュースを続けてきていますけど、今作でもその腕前が光っています。ゴローの世界を最もよく表現できる歌手が知世だということなのかもしれません。

 

それは知世との仕事じゃないゴローのふだんの音楽活動からしてもなんとなく想像できることです。ゴロー・ファンがどれだけこういったアルバムを聴くのか?買ったり聴いたりする中心はやっぱりあくまで知世ファンだろうという気もしますが、こういった日本のポップスを素材に活かされるゴロー・サウンドの清新さはなかなかのものです。

 

知世の声もいいし、さわやかですっきりしていて、まわりくどいところがまったくありません。凝っているのはゴロー・アレンジのほうで、知世はそれに乗っかってすーっとすんなり歌っているなという印象です。2曲目「ベジタブル」もいいけど、もっといいと思うのが(今回ぼくが唯一知っていた曲の)3「小麦色のマーメイド」ですね。ストリングスの活用がみごとな伴奏に乗って、知世がつづることばがじんわりと心に沁みます。

 

ところで、今回ゲスト歌手が四名、女性二名、男性二名といるわけですけど、特に女性歌手二名、大貫妙子と土岐麻子はほとんど目立っていませんよね。男性ゲスト歌手のほうは、やっぱり声に男女差があるということもあって、参加しているというのがよくわかりますが、女性二名のほうは、うっかりしていると知世一人で歌っているように思ってしまうほど。やっぱりあくまで主役をきわだたせる役目に徹したということでしょうね。一体化しているというか。

 

5曲目「新しいシャツ」の伴奏はアクースティック・ピアノ一台だけ。これは実にいい歌ですよねえ。伴奏がこういった感じだからこそ、知世の声のチャーミングさがきわだちます。これはある意味今回のアルバムのハイライトかもしれません。はじめて聴いた大貫妙子の曲ですけど、いい曲ですよねえ。それがわかるっていうことは、伴奏と歌がすばらしいっていうことです。

 

7曲目「花咲く旅路」は原由子が歌った沖縄音階ソング。原はこういうのをつくって(といってもこれは桑田佳祐の作詞作曲だけど)歌うのが得意ですよね。サザンオールスターズ内でもときどき歌っています。知世も、鈴木慶一プロデュース時代からこの手の曲は歌うことがあり、慣れたもんです。実にいいですね。オーガニックなサウンドの質感もすばらしい。

 

そう、オーガニック・サウンドというのは、今回の新作アルバム『恋愛小説3』で一つの大きな聴きものになっているなと感じます。混じりものなしのコットン100%のシャツをまとっているかのような肌触りの心地よさ、それがオーガニックっていうことなんですけど、伊藤ゴローのサウンド・メイクって前からそうなんですよね。またそんなオーガニックな音の質感に、知世の声質が実によく似合っているなと感じます。知世ってそんな歌手じゃないですか。

 

そして、今作でぼくがいちばん大好きになったのが9曲目「ユー・メイ・ドリーム」。シーナ&ロケッツがやったポップなロック・ソングですけど、曲そのものがいいですよね。ちょっとビートルズが書きそうな曲でしょ、特にリフレインの大サビ部分(「それが私の素敵な夢〜〜」ではじまる部分)でビートルズっぽさが炸裂しています。

 

ゴローはしかしエレキ・ギターやシンセサイザーを使わず、あくまでアクースティックなサウンド・メイクに徹しているのが耳を惹きます。曲がいいので、それをとことん活かすように素直に歌った知世のナチュラル&ナイーヴ・ヴォーカルもすばらしいし、これ、この「ユー・メイ・ドリーム」はほんとうに楽しいなあ。

 

(written 2020.10.18)

 

2020/10/18

まるで宝石 〜 ルーマーのバカラック集が美しすぎる

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(6 min read)

 

Rumer / This Girl’s in Love: A Bacharach & David Songbook

https://open.spotify.com/album/6GCJb3dvt1ioLYCIZNYNYR?si=_eBelmJ9TwmJrKxGvamtvg

 

きのう最新作のことを書いたルーマーには今回はじめて出会ったわけですが、Spotifyで聴けるものをひととおりぜんぶ聴いてみて、いちばんのお気に入りになったのが2016年の『ディス・ガールズ・イン・ラヴ:ア・バカラック&デイヴィッド・ソングブック』。あまりのたおやかな美しさに、もうはっきり言ってトロケちゃったと言ってもいいくらい。

 

ルーマーがイギリスを離れアメリカに定住するようになったのが2015年のことらしいんですけど、ちょうどそのころロブ・シラクバリと結婚しています。ディオンヌ・ワーウィックやバート・バカラックとの仕事で知られているマルチ楽器奏者/アレンジャー/プロデューサーですね。それ以前からバカラック本人もルーマーに注目して声もかけていたそうで、そんないきさつがあって2016年にバカラック&ハル・デイヴィッド曲集をつくることになったのでしょう。

 

だからアルバム『ディス・ガールズ・イン・ラヴ』のプロデュースとアレンジは当然のように全編ロブ・シラクバリが担当。ディオンヌが歌ったレパートリーが多く、そのほかあまり知られていない曲もふくまれていたりするのは、ロブの仕掛けなんでしょうね。しかもバカラック・バンドで仕事をしていただけあって、このルーマーのアルバムでもバカラックによるオリジナル・アレンジを尊重したできあがりになっているあたりも意義深いところです。

 

一聴、バカラック本人がアレンジのペンをとったのかと聴き間違えそうなほどで、しかもルーマーの持つ声質と歌いかたがバカラック・ソングにまさにぴったり。曲の資質と歌手の資質がこれほどまでに合致している音楽ってなかなかないなと思うんですけど、そこに聴き手としてのぼくの趣味までフィットしていますから、『ディス・ガールズ・イン・ラヴ』はそんな例外的な、まれな奇跡のような宝石だと思えます。

 

しかもアレンジされたサウンドも歌手の声もほんとうに美しいでしょう。全編、派手にもりあがるということもなく、ただひたすら世界を淡々と描いているだけなんですけど、それでここまで感動的に仕上がるというのは、まずはやっぱり曲そのもののよさでしょうね。ロブ・シラクバリはバカラックのパートナーだったわけですから、さすがその曲群を知り尽くしているなという印象です。そういうリズムやバンド、オーケストレイション、プロデュースじゃないですか。

 

歌手のルーマーも、この独特の落ち着いたしっとりめのヴォーカルが曲によく似合っています。2016年になって、バカラック・ソングはその最好適なパフォーマー・コンビを得たのだと、そう言えるような気がこのアルバムを聴いているとしてきます。どの曲もオリジナルよりいいし、ロブのアレンジも秀逸で、バカラックの書いた曲をどこまでも第一に考えているな、その曲のもともと持っているよさを引きださんとしているなというのがよくわかります。ルーマーのヴォーカルだってそうです。曲のよさを最大限にまで発揮するようなていねいで美しい歌いかたをしています。声そのものがやわらかくて美しいんですね、ルーマーは。

 

オリジナル・ヴァージョン以後、数多くのバカラック・ソングはたくさんの歌手たちを魅了してきて、だからバカラック・ソングブックのアルバムは多いんですけれど、このルーマーの2016年作『ディス・ガールズ・イン・ラヴ』を聴いたら、これこそ最高、No.1で、これを超えている作品はないなと、そう実感するようになりました。

 

アルバムのどの曲を聴いてもため息が出ますが、なかでも特に2「バランス・オヴ・ネイチャー」、4「アー・ユー・ゼア」、5「クロース・トゥ・ユー」、6「ユール・ネヴァー・ゲット・トゥ・ヘヴン」、8「ア・ハウス・イズ・ナット・ア・ホーム」、9「ウォーク・オン・バイ」、13「ワット・ザ・ワールド・ニード・ナウ・イズ・ラヴ」あたりは、まさにもう珠玉の宝石と言う以外ないですね。美しすぎる。

 

また、12曲目「ディス・ガールズ・イン・ラヴ・ウィズ・ユー」の冒頭部では、作者のバカラックみずから参加してピアノとヴォーカルを聴かせてくれているのもうれしいボーナスですね。ロブ・シラクバリのアレンジとプロデュース・ワークも的確にツボだけをしっかり押さえていくという、これ以外のサウンドはないと思える極上のもので、歌手ルーマーの細やかに神経の行き届いたソフトなヴォーカルとあいまって、バカラック・ソング史上最高の一作になったと断言します。

 

(written 2020. 10.10)

 

2020/10/17

ネオ・オーガニックなアメリカン・タペストリー 〜 ルーマー

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(3 min read)

 

Rumer / Nashville Tears: The Songs of Hugh Prestwood

https://open.spotify.com/album/14rdSyKf6e1XzE157DlHyo?si=-Bc01GeiT0erRGL_jlb-aA

 

萩原健太さんに教えていただきました。
https://kenta45rpm.com/2020/09/07/nashville-tears-rumer/

 

パキスタン生まれのイギリス人歌手ルーマー(サラ・ジョイス)。いまはアメリカに住んで活動しているみたいで、シンガー・ソングライターだったんですけど、ジョージア州メイコンに定住して、結婚して母になってからは、ちょっと活動が停滞気味だったみたい。

 

といっても今年の新作『ナッシュヴィル ・ティアーズ:ザ・ソングズ・オヴ・ヒュー・プレストウッド』(2020)がなかなかいいし、その前作であるバート・バカラック集『ディス・ガールズ・イン・ラヴ』が2016年の作品でそれは最高だし、イギリス時代ほどではないにせよ、そこそこ充実したアルバムをリリースしています。

 

そう、ここ二作のルーマーは特定のソングライター集みたいなアルバムを出しているんですね。自身がシンガー・ソングライターのルーマーにして、決して自分には書けないであろうような曲を知ったり、それに挑んだりして、世界がひろがるといった経験もしているのかも。

 

今年の新作が『ナッシュヴィル ・ティアーズ』と題されているのは、録音・制作がナッシュヴィルで行われたからでしょう。アルバムのなかにそういう曲はありませんからね。とりあげられているソングライターのヒュー・プレストウッドというひとについてはぼくはなんにも知らず。今回が初邂逅ですが、ルーマーのこのしっとり落ち着いた声で聴くと、ほんとうにいい曲を書くんだなあと実感しますね。

 

ルーマーのこともはじめて聴いたんですけど、こんないい歌手にいままで出会えていなかったということに後悔を感じるほど。声もいいし、歌いかたもみごと。曲がいいのと歌手の声が美しいのと、ジャケットもきれいだし、『ナッシュヴィル ・ティアーズ』はアルバムとして完成度の高い作品なんだなと納得できますね。

 

ナッシュヴィル発ということで、カントリー色が濃いのかというとそんなこともなく、もっとポップな感じがします。現地のミュージシャンたちを起用したんだろうと思いますが、基本アクースティックなリズム・セクションに、エレキ・ギターがちょこっとだけ入る(+ストリング・アンサンブル)っていう、そんなサウンドですね。この手のネオ・オーガニック・ポップみたいな音の質感は、アメリカン・ポップスでここのところ流行しているもので、ぼくも聴き慣れています。

 

ちょっぴりカレン・カーペンターを思い出させるルーマーの美しい声と、アメリカのタペリトリーみたいなヒュー・プレストウッドのソングブックがあいまって、えもいわれぬ居心地のよさを感じさせてくれる、心休まるアルバムじゃないですかね。

 

(written 2020.10.9)

 

2020/10/16

奄美島唄の輪廻転生 〜 里アンナ×佐々木俊之

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(4 min read)

 

里アンナ×佐々木俊之 / Message II - Reincarnation -

https://open.spotify.com/album/4gPjfmbVGV36bOql9vBMjP?si=ZBe0O9MLSvm1c77pzW2YSA

 

里アンナは奄美大島の島唄を歌う歌手。三味線や竪琴もやります。そんな里がドラマー、佐々木俊之と組んでリリースしたコラボ二作目『Message II - Reincarnation - 』(2020)にたまたまたどりつく機会がありました。いやあ、これはなかなかすごい音楽ですよ。

 

奄美島唄の里アンナは2005年の「愛・地球博」で山本寛斎プロデュースのイベント出演後にデビュー。スペインのフラメンコ集団と共演したりもしていて、多彩な活動を世界で続けてきているみたいです。ドラマーの佐々木俊之のほうは2014年結成した自身のバンド Nautilus でドイツの音楽レーベルからも作品を発表するなど、やはり海外でも活躍。

 

この両者、それまでたがいに接点はなかったと思うんですが、共演で2016年、フランスのコルシカ島で開催された歌のフェスティバル、パリ公演を成功させたあたりがコラボの出発点だったみたいです。デュオ一作目の『Message』が2018年のリリース。ぼくは今年の二作目が初邂逅だったわけですけど、一作目からしてすでにぶっとんでいます。

 

さて、もうすっかり愛聴作になっている里+佐々木の『Message II - Reincarnation - 』ですが、聴いていてなにが楽しいって、ぼくにとっては佐々木のドラミングなんですね。ジャズ、R&B、ヒップ・ホップを自在に横断するスタイルで、里の島唄&三味線 or 竪琴に、基本的には寄り添いながら、ときに挑発したりもして、自由にビートを刻んでいますよね。佐々木のおかげで奄美島唄が新しい衣をまとって新鮮に聴こえてくるっていう、そういったアルバムじゃないですか。

 

里のヴォーカル+三味線(or 竪琴)にくわわるのが佐々木のドラムスだけっていう、そんなシンプルな編成ながら、織りなすサウンド・テクスチャーは多彩でカラフル。ぼくにはそれが佐々木のドラミングのおかげであると聴こえるんですね。奄美の島唄には地元の太鼓が加わることが通常らしいんですが、そこに西洋ふうのドラム・セットをあえて用いたことで、ポリ・レイヤーな音楽ができあがっているなと感じます。

 

アルバムのなかで特にお気に入りは、たとえば2曲目「綾蝶」とか7「ワイド節」とか。佐々木がとても細かいビートを刻んでグルーヴを生み出していますが、そこに里の三味線&ヴォーカルが大きくうねるように乗って、そのポリリズミックな多層性ゆえに奄美島唄に現代性を持たせ蘇らせることに成功していますよね。

 

ポリリズムというかポリ・グルーヴとでも言ったらいいのか、この里+佐々木のコンビによる音楽、とにかく理屈は抜きにしても、とにかく聴いて快感で、ずっといつまでも聴いていたい、このサウンドのうねりに身を任せていればひたすら気持ちいいっていう、そんな音楽で、だからくりかえしなんども聴いちゃうんですよね。

 

一作目『Message』もすごいので、そっちもぜひ聴いてみてください。
https://open.spotify.com/album/62vP417C42qzMMYzyYXClC?si=dUCICPFYRPmK4kcfPZtzHg

 

(written 2020.10.7)

 

2020/10/15

愛しの「オー・プリヴァーヴ」〜 チャーリー・パーカー『スウェディッシュ・シュナップス』

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(6 min read)

 

Charlie Parker / Swedish Schnapps

https://open.spotify.com/album/1mQ11XRLltORPc1bAJv9tt?si=WxG2yMWxSdykHr70oub6Ag

 

今2020年はチャーリー・パーカー生誕100周年にあたるそうです。1920年生まれだったんですねえ。パーカーみたいな大物でも生没年月日をほとんど憶えない人間なんで、ついこないだ言及しているかたのツイートを見るまで気づいていませんでした。

 

それで100周年ということで、パーカー関連のフィジカル商品がいくつかリイシューされているようです。といってもパーカーですからね、いままでもくりかえし発売されてきたものばかりで、どうってことありませんが、せっかくのワン・センチュリー、ぼくもなにか聴きなおして感想を書いておこうと思い立ち、選んだのがヴァーヴ盤『スウェディッシュ・シュナップス』(1958)。

 

どうして『スウェディッシュ・シュナップス』か?というと、これ、ほかの何枚かとあわせ、ボーナス・トラックもつけて、今年の100周年記念でCDリイシューされたそうですよ。その情報だけいただいて、ぼくはCD買えない人間になったので、オリジナル・アルバムのままのSpotifyので聴きなおしました。

 

それで、『スウェディッシュ・シュナップス』、1958年といってもですね、それはヴァーヴがLPフォーマットにまとめてリイシューした年であって、すべて最初はSP盤で発売されたものです。中身はA面が1949年、B面が51年の録音セッション。上掲リンク先のSpotifyアルバムでいえば、8曲目の「オー・プリヴァーヴ」からがB面です。

 

その「オー・プリヴァーヴ」、楽曲形式としてはただの12小節定型ブルーズなんですけども、大学生のころに初めてこのレコードを買って針をおろしたころから、もう大好きで大好きで、溺愛してきた一曲なんですよね。パーカーの書いたテーマ・メロディがですね、あまりにもチャーミング!

 

たぶんパーカーの曲のなかで個人的にいちばん好きなのがこの「オー・プリヴァーヴ」ですね。後続の多くのジャズ演奏家たちも魅力的だとの感想を持つのか、実にカヴァーの多い曲であって、あ、いや、もちろんパーカーの曲はいろんなのがどんどんカヴァーされてきましたが、ぼくにとってどのカヴァー・ヴァージョンでも聴けば胸がワクワクするのが「オー・プリヴァーヴ」のメロディであるというだけのことかもしれません。

 

そんなに溺愛する「オー・プリヴァーヴ」があるせいで、そのおかげで、アルバム『スウェディッシュ・シュナップス』全体が愛聴盤となってしまいました。B面の1951年セッションはトランペットがマイルズ・デイヴィスであるのもぼく的には愛好ポイントです。A面はレッド・ロドニー。

 

「オー・プリヴァーヴ」だけでなく、実にブルーズ・ナンバーが多いアルバムでもありますね。もちろん以前からパーカーはブルーズをたくさんやるんですけど(カンザス・シティ育ち、ジェイ・マクシャン楽団出身ですしね)、このアルバムで聴けるブルーズはあまりブルージーじゃないっていうのがひとつの特色かも。

 

パーカー自身のアルト・サックス演奏は、サヴォイやダイアルに録音していた1940年代中期と比べたらヴァーヴ時代は腕前が落ちたというのが一般的評価かもしれませんが、なかなかどうして聴けるんじゃないでしょうか。ほかにはヴァーヴらしい特色が出たアルバムもあるかもしれませんが、『スウェディッシュ・シュナップス』は全盛期同様のビ・バップ・セッションの寄せ集めですからね。

 

もう一点。バックのサイド・メンバーたちのビ・バップ理解や演奏技巧が、1940年代中期と比較すれば大きく向上しているせいで、『スウェディッシュ・シュナップス』は聴きやすい、スムースだ、全体的にクォリティが高いように思えるというのがメリットですね。

 

パーカー自身の演奏内容が全盛期よりやや落ちて、とんがっていたのがちょっとカドが取れて丸くなったのとあわせ、サイド・メンバーの力量向上もあいまって、アルバム全体としてはなかなかみごとな一枚となっているようにぼくには思えます。

 

パーカー自身だって、たとえば12曲目の「K.C. ブルーズ」なんかで聴かせるうま味はまったく変わっていないし、なにがヴァーヴ時代は衰えただ?!とかって、むかしからぼくは思っておりますね。『スウェディッシュ・シュナップス』は特にそうです。

 

ヴァーヴのパーカーにはほかにもラテン集やウィズ・ストリングスものなど、楽しい愛好作品があるんで、それらもできうれば今年のうちに書けたらなあと。それらはすでにいままでの過去記事で言及してきているんで、書かないかもしれませんけど。

 

(written 2020.9.7)

 

2020/10/14

岩佐美咲 at「3人の歌仲間」コンサート 2020.10.12

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(8 min read)

 

きのう10月12日、東京は王子の北とぴあで「3人の歌仲間」コンサートが開催されました。出演者は岩佐美咲、はやぶさ、辰巳ゆうとの三組。これがわさみんこと岩佐美咲ほか全員(が長良グループ所属)にとって、ほんとうに久々の客入れした会場でのコンサートになりました。

 

現場ではソーシャル・ディスタンスに配慮して観客数が制限されましたが、その分、ネット配信が行われました。アーカイヴで13日深夜まで楽しめます。そういうハイブリッド・コンサートになっていましたので、田舎の貧乏人であるぼくもくりかえしこのコンサートを味わうことができました。ちょこっとその感想を、わさみん中心に、書いておきたいなと思います。

 

昨2019年の、同じ三組による「3人の歌仲間」コンサートは現地で生体験したんですが、今年の最大のヴァージョン・アップは、生演奏によるバック・バンドにキーボード・シンセサイザー奏者が加わったことですね。昨年はギター、ピアノ、ベース、ドラムスの四人でしたから、演歌・歌謡曲の伴奏としてはやや物足りないというかスカスカだなという印象もあったのです。

 

そこにキーボード・シンセが加わったということで、たった一人それが参加するだけで、こうもサウンドが分厚く充実したものになるのかと、ちょっとビックリするくらいでしたよねえ。アレンジを担当した義野裕明の仕事ぶりもすばらしく、オーケストラルなサウンドになっていましたので、三組とも歌いやすそうでしたね。

 

さて、わさみんが歌ったのは以下:

 

・大阪ラプソディー(全員)
・鯖街道
・恋の終わり三軒茶屋
・紅蓮華
・右手と左手のブルース
・津軽の花(全員)
・お祭りマンボ(全員)
・上を向いて歩こう(全員)

 

わさみんの歌の調子は、はっきり書いちゃいますがイマイチな部分もあったのではないでしょうか。客前で歌うのが約八ヶ月ぶりということで、そのあいだのブランクが響いているのかなといった印象を持ちました。

 

自身の過去の持ち歌(「鯖街道」「恋の終わり三軒茶屋」)ではソツなくこなしていましたが、新曲「右手と左手のブルース」ではそれでも音程が若干あいまいになったり声のハリが足りなかったりする箇所も散見し、う〜ん…と感じてしまいました。この歌は客前で披露するのがはじめてでしたからねえ。

 

「大阪ラプソディー」もCD収録しているし、各地で昨年までどんどん歌ってきているものだということで、わさみんは慣れている様子。無難に歌いこなしていましたね。問題はきのう初めて歌ったカヴァー・ソングでした。今回のコンサートはネットのアーカイヴでなんども聴けますから、きのうのわさみんの歌の調子がクッキリわかってしまいます。

 

特に同じ事務所の後輩である辰巳ゆうとの歌唱が充実していましたので、比較してしまいますよねえ。ゆうとのことは長良グループも力を入れてバック・アップしていて、コロナ禍で各種リアル・イベントが実施できないなりにがんばって活動してきていました。ゆうとの歌の調子はかなりよかったですよね。カヴァーである「私鉄沿線」(野口五郎)なんかでもほんとうに伸びやかでした。

 

それに比べて、同じ事務所でわさみんは飼い殺し?というわけじゃないでしょうが、どんどん歌うという機会を与えられないまま約八ヶ月が経過してしまいましたので、そのブランクのせいでしょう、いざ、きのうああやって会場でのコンサートで歌うとなって、緊張もしただろうし、喉の調子、体調も万全ではなかったように聴こえました。

 

また、コンサート中盤でDAMチャンネル演歌の四代目MCである中澤卓也が登場し(毎年その年のMCが登場する仕様)最新曲を披露したんですけど、これが!ほんとうにすんばらしかった!さすが複数回のハイブリッド・コンサートをこなすなどコロナ禍でも活動を怠っていない卓也だけのことはありました。「北のたずね人」、聴き惚れましたね。声につやつやした色気がありましたよねえ。

 

それなのに、わさみんのほうはといえば…、とどうしても比較してしまいますので、ちょっとこれは…、となってしまうのはだれしも否定できなかったのではないかと思います。後輩の辰巳ゆうとにもすっかり追い抜かれてしまい(というかゆうとも昨年生で聴きましたが、一年での急成長ぶりに驚きました)、わさみんもこのままではイカン!との思いを強くしましたね。

 

きのうのわさみんイマイチ感をもっとも感じたのは、全員で歌った「お祭りマンボ」(美空ひばり)でした。歌いこなすのがむずかしい歌で、短い小節間にかなりたくさんのことばをぎゅうぎゅうに詰め込んであって、それを速射砲のように細かく正確にくりだす技術の高さが求められます。

 

きのうの「お祭りマンボ」でわさみんが歌ったパートは、どうも舌足らずというか口がまわっていないというか、もちろんひばりのうまさと比較することは不可能ですけど、調子がよければもっとやれたはずではないか?との思いが強いです。わさみんだけでなく、辰巳ゆうともはやぶさも歌えていませんでしたけどね。

 

きのうの「3人の歌仲間」は、客入れしてのコンサートとしては実にひさびさであったわけで、だから楽しめるものではありました。生演奏バンドによる臨場感のある伴奏もあいまって大きな喜びであっただけに、わさみんもこのままではいけないぞとの思いもいっそう強くしましたね。

 

きのう訃報を聞いた作曲家、筒美京平のことば:

 

「最高で月に45曲くらい書きました。レストランははやっていないとダメ。材料が落ちる。職業作曲家も同じ。注文が来れば来るほど、いい仕事ができる」

 

歌手もそうじゃないでしょうか。現在ふだんどおりの活動ができないのはみんな同じ。ですけれど、それなりにできることをやっていくしかないと思います。きのうの「3人の歌仲間」コンサートでのわさみんの歌はそんなに悪かったわけじゃありません。十分立派だったんですけど、好調時からはちょっとだけ遠かったかなという印象を抱きました。辰巳ゆうとと(ゲストの)中澤卓也がすばらしかったので比較すれば…、という話です。

 

今後ちょっとづつ客入れしてのリアル・コンサートやイベント、テレビ収録なども増えていくとは思いますが、まだまだ昨年並みの水準に戻りません。引き続きオンラインでの歌唱イベント系、配信ライヴ系、またSHOWROOMでのカラオケ配信など、どんどん続けていってほしいと思います。そうやってわさみんの喉や体調を維持していく必要があるなあと、そう感じた10月12日の「3人の歌仲間」コンサートでした。

 

(written 2020.10.13)

 

2020/10/13

トランシーなエレクトロ・パーカッション・ミュージック 〜 ニイロキシカ

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(3 min read)

 

Nihiloxica / Kaloli

https://open.spotify.com/album/60zIn86oH8QkyU2ry5z8hc?si=3rUggBntQ2eUW7iiNFBSbQ

 

ニイロキシカと読むみたいです、Nihiloxica。ウガンダのグループということで、しかも今回の新作『Kaloli』(2020)は、マーク・ホランダーが設立したレコード・レーベル、クラムド・ディスクスからのリリース。クラムドはコノノNo.1を手がけたところですね。新作というか、これがフル・アルバムとしてはデビューなのかもしれないんですが、ぼくはまだなにも知りません。

 

ただただSpotifyでこれを発見し、ジャケットに惹かれ、聴いてみて一発KOされちゃったんです。なんといってもこの『カロリ』は分厚く野太すぎるパーカッション・ミュージックですね。ビートこそがすべて。そこにデジタルなエレクトロニクスを用いたテクノ・サウンドも混ぜ込まれていますが、それはあくまで遠景。

 

このリズムはなんでもウガンダの伝統的なものらしく、ウガンダ中南部の「ブガンダン」と呼ばれるものみたい。それがパーカッション・ミュージックなわけですが、しかしこのニイロキシカの新作を聴いて、ウガンダ伝統のリズムがどこまで元来の姿かたちを保っているかとかどこまでモダナイズされているかみたいなことは、いまのぼくにはまったくわかりません。

 

ただただ、聴けばひたすら快感なだけで、それでずっとくりかえしアルバムをリピートしているだけなんですね。いやあ、マジ気持ちええ!基本的にはこのアルバムで聴けるこのバンド(ユニット?)、ドラマーふくむ複数の打楽器奏者+デジタル・シンセサイザー担当だ思うんですが、もちろんパーカッショニストこそがキモで、それが<すべて>と言っても過言じゃないでしょう。もちろん打楽器サウンドにもある程度のデジタル加工が施されてはいるみたいですけど。

 

ゴシックなパーカッション・サウンドと、遠景でエフェクト的にサウンドをつけくわえるエレクトロニクスと、両者あいまってアルバム全体のサウンドはダークで不気味で不穏。しかしあまりにも強烈にダンサブルで、トータル51分間をとおし似たようなビート感がずっと続くのに、飽きず、快感が持続します。

 

2020年の現代のクラブ・シーンなんかでも間違いなく歓迎されるであろうコンテンポラリーなビート ・ミュージックにも聴こえ、いやあ、こりゃあ傑作じゃないですかね。

 

(written 2020.9.16)

 

2020/10/12

ジャジーなターラブ・アンサンブルの魅惑 〜 シティ・ムハラム

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(5 min read)

 

Siti Muharam / Siti of Unguja: Romance Revolution on Zanzibar

https://open.spotify.com/album/3PFSo4rIUsm5YPOzxUSYe2?si=h2JP-heHS0ahQ7VxCu759w

 

bunboniさんにご紹介いただきました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-07-30

 

アフリカ大陸の東、インド洋のザンジバルにターラブという音楽があります。その伝説的歌手シティ・ビンティ・サアド(1880年ごろ〜1950年)のことは、名前しか聞いてきませんでした。今回、そのひ孫にあたるというシティ・ムハラム(Siti Muharam)のフル・アルバム『Siti of Unguja (Romance Revolution on Zanzibar)』(2020)を聴き、そのあまりに魅惑的なサウンドのトリコになっちゃいました。

 

このアルバム、実は主役歌手のヴォーカルだけじゃなく楽器演奏にもかなり大きな比重が置かれていて、ぼくがまずなんといっても降参しちゃったのはそのアンサンブルの魅力、というか魅惑ですね。特に低音。実際、ヴォーカル抜きのインストルメンタル・ナンバーも数曲あります。

 

楽器編成は、聴いた感じたぶん、パーカッション(複数)、コントラバス、ウード(複数?か多重録音?)、バス・クラリネット、若干のエレクトロニクス、と、あとちょっとなにかという感じでしょうか。パーカッションやウードなどは北アフリカ系というか、ザンジバルのターラブはエジプト渡来のアラブ音楽の影響があるので、そのあたりがルーツかなと思います。

 

でもコントラバスやバス・クラリネット、エレクトロニクスは西洋音楽やジャズの楽器ですよね。シティのこのアルバムは(やはりザンジバルの)ムハンマド・イサ・マトナが音楽監督をやっているそうで、ヨーロッパ系、ジャズ系の楽器やミュージシャンなどと共演しながらターラブをモダナイズしてきたマトナのキャリアがここでも活きているのでしょう。

 

幕開けの1曲目もインストルメンタルですが、これを聴いただけでターラブとかのことをなにも知らなくたって、なんてチャーミングなインストルメンタル・ミュージックだろうと感じるひとが多いんじゃないかと思うんですね。ヴォーカルは2曲目から入りますが、たぶんミックスの具合なのか、そんなに大きく前面にポンと主役の声をフィーチャーしすぎず、あくまでアンサンブルのなかの一員として並行して活かすというようになっているのが印象的です。

 

こんなアンサンブルやミックスにしたのには、むろんシティ本人の意向もあったでしょうが、ムハンマド・イサ・マトナがかなり方向性を握っていたのではないかという気がするんですね。マトナは以前2018年のマトナズ・アフダル・グループのアルバムでもジャズとターラブの合体インストルメンタル・ミュージックを試みて成功していましたが、あのアルバムで聴ける一部の曲と、今回のシティの『Siti of Unguja』の楽器アンサンブルはソックリなんですね。

 

ターラブという音楽のことをぼくはほとんど知りませんが、シティ・ムハラムのこの『Siti of Unguja』で聴けるジャジーな少人数編成のターラブ・アンサンブルは、コントラバスとバス・クラリネットという二本の低音楽器で生み出す独自のおどろおどろしいサウンド・テクスチャー、主にウードが表現するアラブ古典由来の独自の音階、そしてヴォーカル・コーラスと主役シティのリード・ヴォーカルまでもそこに混ぜ込まれて、えもいわれぬ独自の世界をみせてくれているなと思います。

 

そう、今回のこの新作ではシティのヴォーカルまでもあくまでアンサンブルの一員となって溶け込んでいて、歌手の歌がどうこうっていうより、それも込みでのバンドのサウンド・カラー、アンサンブルのテクスチャーなどを聴かせようという、そんな作品になっているんじゃないかというのがぼくの正直な感想ですね。だからスワヒリ語がぜんぜんわからず、ターラブのことも曽祖母シティ・ビンティ・サアドのことだって知らなくても、楽しめるんでしょう。

 

実際、ザンジバルの音楽とかターラブといってもなにも知らない日本人音楽リスナーがほとんどだと思うんですけど、ジャズ・ファン、たとえばマイルズ・デイヴィスの『ビッチズ・ブルー』(1969)のあんなサウンドになじみがある向きであれば、今回のシティ・ムハラム『Siti of Unguja』はわりとすんなり入っていける聴きやすい音楽じゃないかという気がしますね。

 

(written 2020.9.13)

 

2020/10/11

なんてチャーミングなんだ、リンダ・ルイス

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(6 min read)

 

Linda Lewis / Lark

https://open.spotify.com/album/3MNTrnzSNGfjV69eZx8PKS?si=epwFecqGQaicv4rQgF9O5w

 

いままでにぼくが聴いてきたどんな音楽にも似ていないリンダ・ルイスのアルバム『ラーク』(1972)。なんでも日本では翌73年に中村とうようさんが絶賛したそうで、たぶんそれもあって日本では知られているんですよね。フリー・ソウル・ムーヴメントで90年代に再発見されるということもあったそう。ぼくはといえば、なにを隠そう、ついこないだちょっとしたきっかけがあるまで、まぁ〜ったく名前すらも知らないままで来ていました。Spotifyでふと聴いてみて、アルバム1曲目の「Spring Song」で一目(一聴)惚れ。

 

なんてかわいくてチャーミングな声なんでしょうか。ノリも極上のグルーヴ。リンダ・ルイスの『ラーク』は名盤とされていて、ずっと続く日本での人気を反映してネットで検索すれば日本語の記事もたくさん見つかるので、くわしいことをぼくが記しておく必要はないはず。英国の黒人シンガー・ソングライターで、音楽的に分類するのはちょっとむずかしそう。世間ではソウル・シンガーにくくられていますけど、聴いた感じ、もっとこう、フォーキーっていうかポップっていうか、ジョニ・ミッチェルとかキャロル・キングとかローラ・ニーロなんかに近い感触があるなと思います。

 

アルバム『ラーク』では伴奏楽器が必要最小限なのも好印象で、リンダのチャーミングなヴォーカルをきわだたせる結果になっていますよね。1曲目「スプリング・ソング」でも自身の弾くアクースティック・ギターのほかには打楽器(コンガ)だけ。それが実にいい雰囲気なんですよね。リンダは声もいいけど、ギターもうまいですね。これをソウルと呼ぶのか、あるいはフォーキー・ソウルなのか、とにかくジャンルはどうでもいいから、このヴォーカルとミニマム・サウンドのチャーミングな魅力にやられてしまいます。

 

2曲目「リーチ・フォー・ザ・トゥルース」は後半パッとリズムと曲調が変化して、ゴスペルふうにもりあがっていくのも楽しいですね。アルバム全体で、もうなんといっても歌手のこのかわいらしい声の魅力のトリコになってしまうんですが、曲はいろんなタイプのものが収録されていて、ソングライターとしてもなかなかの存在だったとわかります。

 

フォーク・ロック・バラードみたいな4曲目「フィーリング・フィーリング」はじっくり聴かせる雰囲気で、途中からエレキ・ギターやドラムスも入ってきますけど、あくまでサウンドの軸はリンダの弾くアクースティック・ギターのカッティング。それと、アルバム全体でコンガの音色がいい味を添えているというのも大きなポイントでしょう。1972年ですから米英ポピュラー・ミュージックにおけるコンガの活用は一般的でしたけど。

 

アルバム題になっている6曲目の「ラーク」は、アクースティック・ギターではなくピアノ伴奏で歌われる、この作品のサウンド・テイストからしたらやや異色な一曲。これ(と10「ビーン・マイ・ベスト」)がいちばんローラ・ニーロっぽい雰囲気をただよわせていますが、あまりグルーヴィな曲じゃないので、個人的にはイマイチかも。バック・コーラスはリンダの多重録音っぽい声質で、ピアノ以外にはフィンガー・スナップだけというサウンド・メイクはおもしろいアイデアですね。

 

こういったものよりも、個人的には7曲目「オールド・スモーキー」のシティ・ポップっぽい軽妙な雰囲気とか、8曲目「グラッドリー・ギヴ・ユー・マイ・ハンド」と11「ウォーターベイビー」のファンキーな強いグルーヴが大のお気に入り。特に「ウォーターベイビー」ですね、本当にノレるソウル・ナンバーで、マジですんごくいいですね。エレキ・ギター・カッティング、エレピ、ベース、コンガ(ドラムスも控えめに聴こえるけれど、なんといってもコンガがいい)でつくるサウンド・テクスチャーもファンキーです。うん、こりゃあいいなあ。

 

続くアルバム・ラストの12「リトル・インディアンズ」だけはどうやらライヴ収録みたいで、リンダはギロを刻みながら歌い、伴奏はそれとコンガだけ。そのせいなのかワールド・ミュージック的と言われることもあるみたいですけど、それは感じないですね。でも主役のかわいい声(&ギター・カッティング)とコンガをはじめとする打楽器とで形成するこのアルバムのサウンド・カラー志向を象徴しているような一曲で、楽しいです。歌が終わり拍手が消えかかったころにひばりの鳴き声が重ねられているのも一興です。

 

(written 2020.8.19)

 

«リアン・ラ・ハヴァスの極上ムード

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