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2015年9月

2015/09/30

最近のブラジル音楽でもオールド・スタイルが好き

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今夜、アントニオ・ロウレイロのコンサートが渋谷であるようですが・・・。

 


ジャズのレコードばかり買っていた時代に、僕も多くのジャズ・ファン同様、ボサ・ノーヴァ(風のもの)からブラジル音楽に入り、それ以外のブラジル音楽も少しは買っていた。ウェイン・ショーターの『ネイティヴ・ダンサー』が大好きで、おかげでミルトン・ナシメントの他のLPなども買った。

 

 

ショーターとブラジル音楽というと、その1974年の『ネイティヴ・ダンサー』ばかりに言及されるけど、そもそもショーターは、マイルス・デイヴィスのバンドを辞める直前の、1969年録音の『スーパー・ノヴァ』で、アイアート・モレイラとマリア・ブッカーを迎えて、ジョビンの「ジンジ」をやっている。

 

 

その翌年の70年録音の『オデッセイ・オヴ・イスカ』でも、「デ・ポワ・ド・アモール・オ・ヴァッジオ」というボサ・ノーヴァ・マナーに則った曲を、ソプラノ・サックスで吹いていたりするし、同じ70年録音の次作『モト・グロッソ・フェイオ』では、既にミルトン・ナシメントの曲をやっている。74年のミルトンとの共演『ネイティヴ・ダンサー』に至るには、そういう布石があった。

 

 

もっとも、ジャズマンと関わりのあるブラジル人音楽家でも、マイルスとの共演もあるエルメート・パスコアールに関しては、マイルスの『ライヴ・イーヴル』での三曲は、昔も今も、良さがよく分らない。彼自身のアルバムは、『スレイヴス・マス』等、かなり好きなものがあるけど。

 

 

ミナス系ブラジル音楽も、1970年代のものはいいと思って聴いていたものの、それも今では全く聴かなくなってしまい、ましてや現在の、いわゆる「ミナス新世代」の音楽家達にいたっては、聴いてもどこがいいのかサッパリ分らなかったりする。誉めるリスナーも多いから、悪くないんだろうけど。

 

 

なので、各種メディアで、いろんな方々が展開している記事やオススメ盤には、僕は殆ど興味がなく、たまに買って聴いてみても、どれもいいとは思えない。みなさん絶賛のアントニオ・ロウレイロにしても、何枚か聴いたけど、良さが分らない。東京でのライヴ盤は、ドラムスの芳垣安洋だけはいいと思ったけど。渋さ知らズで聴いて好きなドラマーだし。

 

 

まあ僕みたいなリスナーにとっては、なんか環境音楽とかとあまり違いがよく分らないような、今のブラジル音楽の大半は、BGMとして流すのにはいいとは思うものの、じっくり聴き込むにはちょっとなにかが足りないように感じてしまう。

 

 

カエターノ・ヴェローゾも、かつては熱心なファンだった(特に『粋な男ライヴ』の頃)んだけど、一時期からのアルバムは、買って聴きはするものの、そんなにいいとも思わなくなった。ブラジル音楽の中で、今でも好きでよく聴くのは、ショーロとサンバと、ショーロ風の伴奏が付いたものばかり。

 

 

僕はやっぱりオールド・スクールな耳の持主なんだろう。というわけで、今年聴いた新作でも、ショーロな伴奏の付いたニーナ・ベケールのドローレス・ドゥラーン集とか、新人サンビスタながら老舗の貫禄を感じるCesinha Pivetta 『NOSSA BANDEIRA』とがが大好き。

 

 

考えてみれば、大学生の時、ジャズのLPばかり買ってた頃も、モダン・ジャズよりニューオーリンズやディキシーやスウィング等の古いものが好きだったし、ブルーズでも戦前のカントリー・ブルーズや古いシティ・ブルーズ(含むいわゆるクラシック・ブルーズ)の方が好物になってしまったし。

 

 

ロックやソウルは1950年代以前の録音がないわけだけど、ワールド・ミュージックを中心に聴くようになってからも、最近はどっちかというと、戦前の古いSP音源や、新作でも、古い曲や古典スタイルを現代に蘇らせたものとかの方が好きになってしまって、僕はやっぱりそんな嗜好の持主なんだろう。

 

 

それに20世紀後半に出現したものを除けば、殆どのポピュラー音楽が、録音音楽としては、20世紀前半に成熟して頂点に達してしまい、その後様々に変化して続いてきたものの、その変化は「進化」でなく、それまでの遺産をいろんな形で食い潰して生きてきたのだという考え方もできる。

 

 

ブラジル音楽に戻ると、名曲の多いショーロ・ナンバーの中で僕が一番好きなのは、ピシンギーニャの「1×0」とジャコー・ド・バンドリンの「リオの夜」で、どっちかが僕の中でNo.1。サッカー・ファンだから、「1×0」の方かも。

 

 

 

 

 

ジャズの名曲などと同じく、こういったショーロの名曲も、その後現在に至るまで数多くのショーロ演奏家やブラジルのジャズマン等にカヴァーされている。少し前に荻原さんのブログで、グルーポ・シンカードというブラジルの現代ジャズ・グループが、ピシンギーニャの「ラメント」をやっているのを知った。

 

 

そのグルーポ・シンカードによる「ラメント」がコレ→ https://www.youtube.com/watch?v=QYnI68croF4 この1928年の古いショーロ・ナンバーが、完全に現代ジャズに生れ変わっている。今の音楽家が2014年作でこういう古い曲を新感覚でやるあたりが、ブラジル音楽の懐の深さだろう。

 

 

グルーポ・シンカードの「ラメント」は、実を言うとあまり感心しなかったんだけど(そもそも一部で盛上がりを見せている現代ジャズは、僕にはいいものが少ないように思える)、現代のショーロ・カリオカ、ルイス・バルセロスの2014年作『Depois Das Cinzas』は、今年ようやく買えるようになって、これがかなり良かった。これもCDを買って愛聴盤になっている→ https://www.youtube.com/watch?v=-o-yKMxVmRw

 

 

こういうルイス・バルセロスの新作みたいな王道のショーロ・カリオカ(ショーロ・パウリスタもそうだけど)や、ニーナ・ベケールの『ミーニャ・ドローレス』とかの方が、現代ブラジル音楽としては、多くの方々が持上げるいわゆるミナス新世代とかよりも、はるかにいいんじゃないかと、僕の耳にはそう響くんだなあ。

2015/09/29

クーティー・ウィリアムズはジャズもジャンプも最高だ

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HK&レ・サルタンバンクの今年の新作、しばらく聴続けて、ようやく良作だと確信するようになったと以前書いたけど、こういう音楽の良さがなかなか分らないっていうのが、僕の耳もまだまだ大したことはないという証拠だよなあ。

 

 

僕の場合、チャールズ・ミンガスなどでも、代表作とされている『直立猿人』を大学生の頃に初めて聴いても、どこが面白いのかサッパリ分らず、その後も25年くらい理解できなかった。『クンビア&ジャズ・フュージョン』とか『メキシコの想い出』とかが大好きで、それらばっかり聴いていた。

 

 

音楽の傑作には、一回聴いて即座に面白さが理解できる種類のものと、時間をかけて何回も聴かないと良さが理解できない種類のものがあるよね。経験的にもそれは誰でも実感していることのはず。でもミンガスの『直立猿人』は、分るまでに30年近くもかかったからなあ。

 

 

今考えてみれば、ジャズのLPばっかり買っていた大学生の頃から、ラテン・テイストが好きだったんだから、後のワールド・ミュージック指向の芽はあったのかもしれない。ミンガスの場合は、エリック・ドルフィーやローランド・カークがいた頃のアルバムも、その後大好きになりはしたけど。

 

 

ドルフィーに関してもカークに関しても、僕はミンガスのバンドでやっているのが一番好きで、今でも彼らのリーダー・アルバムよりもいいんじゃないかとすら思っている。まあそういう意見の持主は少数派なのかもね。ただ、ミンガスにしろマイルスにしろ、サイドメンの持味を充分以上に活かせる人だった。

 

 

昨晩書いたデューク・エリントンなんかもそうだね。エリントン楽団では素晴しく響くジャズマンも、独立して自分のバンドを持ってからの作品は、あまりパッとしない人が結構いる。クーティー・ウィリアムズにしてもジョニー・ホッジズにしてもそうだ。結局、この二人は、その後エリントン楽団に舞戻ったしね。

 

 

もっとも、クーティー・ウィリアムズの場合は、独立後1940年代に展開していたジャンプ(リズム&ブルーズ)・バンドはむちゃくちゃ楽しくて、日本にもファンがかなりいるはず。粟村政昭さんが、ジャンプを「黒人音楽の悪しき伝統」と貶したのも、この40年代のクーティー・ウィリアムズ楽団のことだった。

 

 

クーティー・ウィリアムズ楽団の40年代マーキュリー録音は、以前、ラジオの型のボックス・セット(『ブルーズ、ブギ&バップ』というCD七枚組)に、他の黒人ミュージシャンと一緒にリイシューされていて、僕も聴きまくったんだけど、今はそのボックスは入手しにくいみたいだなあ。最高に楽しいのに。

 

 

その後、復刻専門レーベルの仏Classicsから、クーティー・ウィリアムズ楽団の40年代後半録音だけ22曲集めた『1946−1949』が出ていて、それも僕は持っているんだけど、そっちも廃盤だなあ。でもiTunes Storeでは生きている。

 

 

自分のバンドを経て、1962年にエリントン楽団に再加入してからのクーティーは、往年の輝きをすっかり失ってしまっていて、63年の二枚組『グレイト・パリ・コンサート』などでも、彼がフィーチャーされる数曲は聴くのがツラいと思ってしまうくらいだ。66年の『ザ・ポピュラー』なんかではまだいいけど。

 

 

同じく一度退団して自楽団を持ってから、56年にエリントン楽団に出戻ってきたジョニー・ホッジズが、死ぬまで輝きを失わず、色気たっぷりの豊満なサックスを聴かせてくれたのとは対照的だ。『グレイト・パリ・コンサート』にホッジズ・フィーチャーのセクションがあるけど、本当に素晴しいものだ。

 

 

粟村政昭さんは、大のクーティー・ファンで、自著の中でも、エリントン楽団での40年録音「コンチェルト・フォー・クーティー」を、自分の一番好きなレコードだと断言していた。だからこそ退団後のジャンプ路線やその後の凋落にガッカリしたのだろうなあ。僕はちょっと分る気もするのだ。

 

 

40年エリントン楽団「コンチェルト・フォー・クーティ」→ https://www.youtube.com/watch?v=EGiI2sI_aeg

 

49年クーティー・ウィリアムズ楽団「マーセナリー・ パパ」→ https://www.youtube.com/watch?v=05jhY0dAAeY

 

 

どっちがより素晴しいかとかいう議論は無意味だね。

 

 

“ピュア”・ジャズ・ファンは、もちろん40年の「コンチェルト・フォー・クーティー」が最高だと言い、49年のマーキュリー録音の方は毛嫌いするだろう。粟村政昭さんのように。一方、”下世話な”ブラック・ミュージック・ファンは、絶対後者の方が好きだ。僕は、今ではどっちも最高と思うなあ。

2015/09/28

エリントンもジャズじゃない?

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昨晩、マイルス・デイヴィスはあまり典型的なジャズマンではないのではないかと書いたけど、実はデューク・エリントンについても、僕は同じような感じを抱いている。ジャズ音楽最高の存在であり、ジャズを象徴する人物であるかのようによく言われるエリントンだけど。

 

 

デューク・エリントンは、「ジャズ界最高のコンポーザー」と言われているけど、あんまりジャズっぽくないような気がするんだなあ。ジャズ・リスナーよりも、むしろクラシックやロックやリズム&ブルーズなどをたくさん聴いているリスナーの方がエリントンに強いシンパシーを示す場合が多いような気がするのは、なんとなく僕には理解できるのだ。

 

 

だいたいエリントンは、ビバップを経由せずにモダン化した稀な存在。こういうのは、エリントン以外では、直系の弟子とも言えるセロニアス・モンクだけ。モンクはエリントンからモダンなハーモニーを学んだんだろうと思うけど、師匠のエリントンは、おそらくクラシック音楽から近代和声を学んだはず。

 

 

エリントン楽団の場合は、ハーモニーとサウンドのモダン化に貢献したのは、1939年に参加したビリー・ストレイホーンの存在も大きかった。ストレイホーンのエリントン・ミュージックへの貢献は、以前考えられていたよりも、はるかに大きなものであることが、近年の研究では分ってきている。

 

 

元々ブルーズ・ナンバーや、そうでなくてもブルージーな曲が多かったエリントン楽団に、30年代末から徐々に印象派風な曲調のものが増えてくるのは、どう考えてもビリー・ストレイホーンの存在抜きには考えられない。ストレイホーンは1967年に亡くなってしまうけど、それまで甚大な影響を残し続けた。

 

 

相倉久人さんは、20世紀初頭に流行した印象派音楽に、同時代人のエリントンはすぐに影響されて、そういう作風になったのだと書いたことがあったけど、おそらそれは違うだろう。エリントン楽団と名乗る前のワシントニアンズ時代1920年代前半の最初期音源を聴いても、印象派風な曲調など微塵も出現していない。

 

 

初期エリントンのサウンドを特徴づけていたのは、印象派風な作風ではなくて、ブルージーな曲調と、バッバー・マイリーのワーワー・ミュートによるグロウル・スタイルに象徴されるジャングル・サウンド。1927年からのコットン・クラブ出演で人気を博したのも、そのジャングル・サウンドだった。

 

 

もっとも、さっき書いた20年代前半の最初期エリントン音源には、印象派風はもちろん、ジャングル・サウンドだってまだ全く出てこない。僕の知る限り、エリントン楽団で一番早いジャングル・サウンドの録音は、1926年ヴォカリオン録音の「イースト・セントルイス・トゥードゥル・オー」だ。

 

 

その後、27年エリントンとバッバー・マイリーの共作名義「黒と茶の幻想」を経て、28年の「ザ・ムーチ」でジャングル・サウンドは決定的となる。「ザ・ムーチ」は同年に複数レーベルに録音があるけど、一番分りやすいのは、このオーケー録音→ https://www.youtube.com/watch?v=m_-IpeU2Su4

 

 

そうした曲群でジャングル・サウンドを決定づけていたワーワー・ミュートのバッバー・マイリーは、過度の飲酒癖が祟って1929年にエリントン楽団を退団するが、入れ替って入団したクーティー・ウィリアムズに、そのグロウル・スタイルは引継がれ、40年頃までジャングル・サウンドが展開される。

 

 

またエリントン楽団のジャングル・サウンドを特徴づけていたのは、現在録音で聴く限りでは、ドラムのソニー・グリアの叩出す独特の粘っこいリズムにもあったと思う。僕は最初の頃、このグリアのとりもちを踏むようなドラミングに馴染めなかった。ロックやリズム&ブルーズ等のリスナーの方が入りやすかったはず。

 

 

普通のジャズ・ファンにとって、エリントン楽団がグッと聴きやすくなったのは、ドラマーが、1951年のソニー・グリア退団後のルイ・ベルスンを経て、1955年に加入したサム・ウッドヤードになって以後だろう。油井正一さんによれば、牧芳雄さんがそういうことを言っていたらしいが、僕もそうだった。

 

 

つまり、戦前のエリントンの音源は、グリアの粘っこいリズムや、8ビートのシャッフル・ナンバーなど、ジャズよりもロックやリズム&ブルーズ等との親和性が高い。「エリントンはジャズじゃない」と僕が思う一因。リズム&ブルーズ等をいろいろ聴いてからじゃないと、すぐには好きになれなかった。

 

 

以前、1999年リリースのドクター・ジョンのエリントン曲集『デューク・エレガント』でエリントンに興味を持ったロックやファンクのリスナーに、エリントン楽団の演奏を聴かせると、戦後のものより戦前物、それも40年頃よりも20年代後半の録音に惹かれるということが、実際にあった。

 

 

エリントンとロックといえば、スティーリー・ダンによる「イースト・セントルイス・トゥードゥル・オー」のカヴァー(74年)が有名→ https://www.youtube.com/watch?v=NWOg0gHknKs (今チェックしたら、これは再生不可能になっている。他にも上がってないし、仕方がない)。エリントン楽団の27年ブランズウィック録音がこちら→ https://www.youtube.com/watch?v=OoDm_O71iYk

 

 

エリントン楽団は、1927〜33年のコットン・クラブ時代に、ジャングル・サウンドで、レコード作品でも生演奏でも人気を博したわけだけど、楽団が音楽的ピークを迎えるのは、1939年のビリー・ストレイホーン加入後だろう。印象派風な作品も増えて、一般の多くのリスナーに受入れられるようになった。

 

 

エリントン楽団の印象派風なサウンドは、ストレイホーン加入前から「ムード・インディゴ」や「ソフィスティケイティド・レディ」などありはしたものの、本格化するのはストレイホーン加入後の「チェルシー・ブリッジ」や「オール・トゥー・スーン」等々に代表される、1940年以後のことだ。

 

 

「ムード・インディゴ」や「ソフィスティケイティド・レディ」にしても、初演(前者は30年、後者は32年)よりも、ストレイホーン加入後の50年『マスターピーシズ』での再演の方が、印象派度がはるかに高い。これらの再アレンジを施したのが、ストレイホーンであった可能性は高いと見ている。

 

 

そして1939年のビリー・ストレイホーン加入後でも、一般にはジャングル・サウンドとは見做されない1940年ヴィクター録音の「ジャック・ザ・ベア」や「コンチェルト・フォー・クーティー」など多くの曲で、ブラス陣のワーワー・ミュートによるグロウル・スタイルが効果的に使われている。

 

 

同じく40年ヴィクター録音の「ココ」は、そういう従来からのエキゾチックなジャングル・サウンドと、ストレイホーン主導で導入されたモダンな作風が最高レベルで結合した大傑作。いわゆるジャズ界にはこれ以上の濃密な音世界は存在しない。ブルーズ形式。
https://www.youtube.com/watch?v=qemBuum2jSU

 

 

しかしながら、このエリントンのジャングル・サウンドは、エリントン楽団だけの唯一無二なものであって、その後これを継承したジャズマンは全く存在しない。ジャズ音楽ではこういうサウンドは、やはりかなり異色だったのだと言わざるをえない。第二次大戦前の欧州公演などでは、理解されずかなり笑われたらしい。

 

 

エリントンが後世のジャズ界に大きな影響を与えたのは、ジャングル・サウンドよりもむしろ印象派風なハーモニーであって、しかも、その一般にエリントン・ハーモニーとして知られているサウンドは、実はエリントンよりもビリー・ストレイホーンによるものだったのかもしれない。

 

 

むろんエリントンとストレイホーンの音楽的共同作業は、両者が不可分一体に結合していて、明確に区別することは不可能(ストレイホーンは殆どクレジットされない「影武者」だったし)だけれども、エリントン本来のサウンドは、20年代末の「黒と茶の幻想」や「ザ・ムーチ」みたいな曲にあったのではないか。

 

 

そして、そういうあまり典型的ではないジャズ・ミュージシャンのエリントンを、同じく典型的なモダン・ジャズマンではないマイルスが敬愛して、追悼盤(『ゲット・アップ・ウィズ・イット』)まで作ったというのは、二人の音楽のなにかの真実を語っているような気がして、大変面白い気がする。

 

 

だって、70年代マイルスの電気トランペット・サウンドは、エリントンのジャングル・サウンドそっくりだ。『ゲット・アップ・ウィズ・イット』『アガルタ』『パンゲア』等を聴くと、僕はいつもバッバー・マイリーやクーティー・ウィリアムズを想起する。通底するものがあるとしか思えないんだよね。

 

 

さっき、エリントンのジャングル・サウンドを継承したジャズマンは全く存在しないと書いたけど、いわゆるジャズとも言いにくいけど、電気トランペットを吹いた70年代マイルスだけが、その唯一の継承者だったのかもしれない。トランペットの音といい、リズムの粘りといい、バンド・サウンドの濃密さといい。

 

 

そして、70年代電化マイルス以上に、エリントン・ミュージックの世界の本質を継承しているのは、実はフランク・ザッパやPファンクの連中だったのかも。両者ともエリントンに言及したことは、僕の知る限り、ないと思うけどね。やはり、エリントンはロックやファンクなんだ。

2015/09/27

マイルスは本当にジャズマンか?

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マイルス・デイヴィスという人は、本当に「ジャズ」・ミュージシャンなのかという疑問を、以前から僕は持っている。こんなことを言うと、また69年代以後の電化マイルスはジャズじゃないと言いたいんだろうと思われそうだけど、僕は彼がチャーリー・パーカーのコンボに居た時代から、どうもそんな感じがしている。

 

 

もちろん、1969年以後の電化マイルス(68年の『マイルス・イン・ザ・スカイ』と『キリマンジャロの娘』は、明確なテーマ・メロディがあって、それに基づくアドリブ廻しを展開しているから、エレピやエレベを導入しているけど、若干保守的に聞える)の音楽は、いわゆるジャズじゃないと思っているんだけど、そもそもそれ以前から、マイルスはいわゆるモダン・ジャズのミュージシャンなのだろうか?

 

 

チャーリー・パーカーのコンボに参加してデビューしたので、ビバップのミュージシャンと見做されているけど、当時からマイルスは普通のビバップのソロを吹いていない。「垂直的」な、コード分解によるインプロヴィゼーションをあまりやったことがない。例外的なものもありはするけど。

 

 

それは典型的ビバップ・トランペッターのディジー・ガレスピーの手法と比較すればよく分る。マイルスの場合は、パーカー・コンボでの録音から、機能和声に拠らない、メロディー重視の「水平的」なアドリブ・ラインを吹いている。自叙伝などに拠れば、マイルスは随分とディジーに憧れてはいたようだけど。

 

 

そのマイルスのメロディアスな水平指向は、そのままコーダルなアドリブ方法を脱却してモーダルな手法導入へと繋がる。しかし、マイルスのモーダルなアドリブ・ライン指向は、本格的にモード手法を採るようになる58年以前からはっきりと存在していたのだ。それは、50年代半ばの録音を聴けば分る。

 

 

さらに、アドリブ一発勝負のビバップ時代に、マイルスはそれへのアンチ・テーゼであるかのような、アレンジ重視のグループ・サウンドを指向した『クールの誕生』みたいな作品を残し、その後も一貫してグループ表現重視で、逸脱するような過剰なアドリブ・ソロは、自身にもサイドメンにも殆ど許さなかった。

 

 

ビッグ・バンドでもないのに、アレンジ中心のグループ表現重視というのは、マイルスの時代のミュージシャンのコンボには、あまり見られない。そういうマイルスの指向は『クールの誕生』から『カインド・オヴ・ブルー』、そして『イン・ア・サイレント・ウェイ』以後の電化サウンドまで一貫している。

 

 

マイルスもライヴでは、アドリブ一発勝負みたいなものもある(特に1960年代は)し、むしろそちらをマイルスの本領発揮だと捉える向きもある。『フォア&モア』や『プラグド・ニッケル』などはそうだ。僕に言わせれば、それは従来からのジャズ観でマイルスを見ているだけに他ならない。

 

 

ライヴだって、マイルスは『クールの誕生』を産むきっかけになった、九重奏団による48年のロイヤル・ルースト出演では、アレンジャー名を看板に出すという前代未聞のことをやったし、そのライヴ録音を聴くと、長めのアドリブ・ソロを許しているけど、あくまでグループ表現の枠内に留まっている。

 

 

また、75年の『アガルタ』『パンゲア』でも、いわばステージ上での「インスタント・コンポジション」(マイルスの言葉)とでも言うべき、よく計算され構築された演奏を繰広げており、完全即興のライヴ録音なのに、まるであらかじめアレンジされた作品のように聞える。マイルスはそういう指向の持主だった。

 

 

70年代半ばには、マイルスはレジー・ルーカス等のサイドメンに、ハチャトゥリアンやラフマニノフなどのクラシック作品を聴かせ、オーケストレーションの勉強をさせていたらしい。そうやって、『アガルタ』『パンゲア』みたいな、ライヴ録音ながら、よく構築された音楽美が即興演奏でも産まれたのだった。

 

 

だから、『フォア&モア』や『プラグド・ニッケル』などの、「アドリブ勝負のジャズのスリル」といった観点からマイルスの音楽を判断しては、本質を見誤るような気がしている。そもそもそういう観点でしかジャズ音楽を把握しないから、ビバップ以前の古典ジャズだって、良さが分らないんじゃないかね?

 

 

少し脱線するけど、ジャズはアドリブ勝負の音楽だということを、どうもみんな強調しすぎのような気がする。譜面重視のビッグ・バンドだけじゃなく、そうじゃないジャズも結構あるんだ。マイルスなんかはアレンジ部分はもちろん、ソロ・パートですら、あらかじめ譜面化されていたものが結構あるようだ。

 

 

肝心なのは、アドリブそのものであるかどうかというより、「アドリブ的」に聞えるかどうかということなのではないのかという気がする。ジャズだけでなく、すべて完全に譜面があるはずの伝統的なクラシック音楽のソロにだって、優れた演奏には、そういう一種のアドリブ性のようなものを、僕は感じてしまうのだ。

 

 

マイルスが最初からモダン・ジャズの本流に乗れず、独自の路線を歩んでいたことが、その後かえって典型的なモダン・ジャズの枠に囚われない様々な音楽にチャレンジできる素地を育んだんじゃないかと、僕は考えている。1960年代末からの、大胆な電化ファンク路線への転身も、おそらくはそのおかげ。

 

 

そういうものもああいうものもすべて含め、様々なスタイルを許容するのがジャズなのだ、それがジャズという音楽の懐の深さなのだよと言われたら、まあそうなのかもしれないなとは思ってしまうけど、どんなジャンルでも、本当に傑出した人物は、しばしばそのジャンルの典型的様式から逸脱している人だよね。

2015/09/26

僕のシカゴ・ブルーズ事始め

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歳取ってきたということなのか、最近昔のことを思い出すことが多いけど、マジック・サムの『ライヴ』も、大学生の頃、二枚組LPを買って聴いていた。ジャズのレコードばっかり買ってた時期なんだけど、なぜこういうブルーズ・アルバムを買ったのかは、もはや全く憶えていない。

 

 

大学生の頃持っていたマジック・サムのレコードは、『ライヴ』だけで、凄いとは思ったものの、他のLP(二枚しかないけど)も買ってみようとならなかった辺りは、やっぱり本格的に探求してたのはジャズだけだったんだろうなあ。他にもブルーズのレコードはいくつか買ったけど、やはり単発的だった。

 

 

あのマジック・サムの『ライヴ』は録音状態が悪い。アン・アーバー・ブルーズ・フェスティヴァルのは少しマシという人いるけど、まあどっちも悪いね。でも今もそうだけど、当時もそれは全く気にならなかった。もっと音の悪いジャズのレコードがたくさんあったし、そういうものも好んで聴いていたので。しかし、ホントなぜあの二枚組を買ったんだろうなあ?

 

 

まあシカゴ・ブルーズは、大学生の頃から少しは聴いていて、『シカゴ・ブルースの25年』(確かLP四枚組)とかも買っていて、調べてみたら、これは1981年リリースだから、多分出た直後に買っていたと思う。あの四枚組は、チェス等の大物は殆ど入ってなくて、むしろマイナーなブルーズマンばかり。

 

 

チェスとか、大物とか、マイナーとか、ブルーズの世界に関してはそれは当時全く分ってなくて、ただ面白そうだと思って買っただけだった。実際あの四枚組LPは、当時は全く面白くなかったような記憶がある。マディもウルフも誰も知らない19歳が、いきなりあんな四枚組買っても面白いわけがなかった。

 

 

ブルーズに関しては、前に書いたような気がするけど、B.B. キングの『ライヴ・アット・ザ・リーガル』が愛聴盤だったけど、それはBBが門外漢でも誰でも知っている超有名人だったから、なにか一枚買ってみようと思っただけで、聴いたら凄くよかったけど、BBがブルーズ界でどういう位置付けの人かなんてことは、全く意識してもいなかった。

 

 

ジャズに関しては、20世紀初頭のニューオーリンズ・ジャズから、当時リアルタイムで聴いていた70年代後半のフュージョンまで、全てのスタイルの変遷を自作の樹形図のような形にして、大きな紙に書いて壁に貼っていたりしたけど、ブルーズに関しては、全然ダメだった。

 

 

妹尾みえさんのような、生れついてのブルーズ・リスナーみたいな人は違うのかもしれないけど、僕みたいなドシロウトは、やっぱりちゃんと順番を踏んで代表的なブルーズマンの名盤から聴いていかないと、分らなかったんだろうなあ。最初に買ったブルーズのレコードが、あの四枚組LPだったとはねえ。

 

 

あの四枚組がリリースされた当時、多分レコード屋でも大きくフィーチャーされていたんだろうと思うし、四枚組LPボックスなんて大きくて目立つし、アルバム・タイトルと枚数で、なんとなくこれでシカゴ・ブルーズ入門ができるんじゃないかと勘違いして、買っちゃったんじゃないだろうかなあ。

 

 

『シカゴ・ブルースの25年』で、唯一買った当時から大好きだったのが、最後の方に入っていた、デトロイト・Jrの「コール・マイ・ジャブ」。イビキの音から始る冒頭のユーモラスな掛合いや、曲も楽しいし、最後の「クビだって!」にも笑ったなあ。https://www.youtube.com/watch?v=poUlmEhI16o

 

 

それ以外は、どこが面白いのかさっぱり分らず、あまり繰返し聴かなかった。あの四枚組の面白さが分るようになったのは、やっぱりCD三枚組でリイシューされたのを買い直して聴いてからだろうなあ。一度1989年にCDリイシューされたらしいけど、それは見逃してて、僕が買ったのは2008年盤。

 

 

今見てみたら、『シカゴ・ブルースの25年』ボックスに入っているもので、一番有名なのは多分オーティス・ラッシュの「アイ・キャント・クイット・ユー・ベイビー」だろうなあ。これはレッド・ツェッペリンのファーストに入っていたので知っていた曲だったから、その意味では当時から馴染はあったはず。

 

 

他にもジョニー・シャインズとかココ・テイラーとかメンフィス・スリムとかサニー・ボーイ・ウィリアムスンとかロバート・Jr・ロックウッドとかエルモア・ジェイムズとかバディ・ガイとかアール・フッカーとか、まあまあ有名どころが入っているじゃないの(笑)。でも当時は全く知らなかったもん。

 

 

その後、最初に書いたマジック・サムの『ライヴ』二枚組LPも買って、こっちは一回聴いていきなり凄いと思ったけど、これがシカゴ・ブルーズの中でどういう位置付けにあるのかとか、そういうことは全く知らなかった。まあそういうことは音楽を楽しむのには、本質的なことではないとは思うけど。

 

 

マディ・ウォーターズとかハウリン・ウルフとかリトル・ウォルターとかサニー・ボーイ・ウィリアムスンとか、そういうシカゴ・ブルーズの代表的なブルーズマンのアルバムを買始めたのは、多分大学生の終り頃からだったろうと思う。同時にブルーズ関係の文章も少し読始めて、徐々に馴染始めたのだった。

 

 

その頃、ほぼ同時にデルタ・ブルーズなど戦前のカントリー・ブルーズも聴始めて(ベシー・スミスなどいわゆるクラシック・ブルーズはもっと前から聴いてたけど、あれは油井正一さんも取りあげてたし、当時の僕にとってはジャズだった)、むしろそっちの方が好きになっていった。

2015/09/25

サッチモの最高傑作は「ディア・オールド・サウスランド」だ

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アマゾンで、またルイ・アームストロングの1920年代ホット5&ホット7の録音集をオーダーしてしまった。この25〜28年のサッチモ音源、CDでもう何種類持っているのか分らないくらい買っている。コンプリート集を含め何種類もリリースされていて、見つけたらその度に買ってしまう。一体何種類買ったら気が済むんだ?

 

 

サッチモの頂点は、衆目の一致する通り、「ウェスト・エンド・ブルーズ」や「タイト・ライク・ディス」に代表される1928年録音だろうけど、個人的には27年の「ポテト・ヘッド・ブルーズ」や「ウェアリー・ブルーズ」なんかの方が好きだったりする。クラリネットがジョニー・ドッズだし。ブルーズ・ギタリストのロニー・ジョンスンとスキャットで渡り合う「ホッター・ザン・ザット」も、大学生の頃から大好き。僕は今でも27年録音の方をよく聴く。

 

 

そして、僕が最高傑作と思っているサッチモの演奏は、全員が推す「ウェスト・エンド・ブルーズ」でも「タイト・ライク・ディス」でもない。バック・ワシントンの弾くピアノだけの伴奏で吹いた1930年録音の「ディア・オールド・サウスランド」なのだ。これこそが、サッチモの全生涯で一番優れた一番感動的な演奏だ。いまだに何度聴いても、聴く度に泣きそうになってしまう。

 

 

 

1930年代後半には大人気で一世を風靡したベニー・グッドマン楽団も、36年に録音している(発売は39年)有名曲で、デューク・エリントンも、楽団とピアノ・ソロの両方で録音していたり、実に多くのヴァージョンがある有名曲なんだけど、僕が聴いた範囲内では、このサッチモの1930年録音を超える「ディア・オールド・サウスランド」は存在しない。

 

 

この1930年の「ディア・オールド・サウスランド」が収録されているCDセットは、僕の知る限り二つだけ。一つは1990年に東芝EMIから出て既に廃盤の『黄金時代のルイ・アームストロング 1925-1932』。僕がこれを買ったのは、リリースの翌年くらいだったはず。長年これで聴いていた。

 

 

もう一つは2012年にレガシーから出た10枚組の『Okeh Columbia & RCA Victor Recordings 1925-1933』。これは現在も生きている。僕が知る限りでは、米コロンビア本家が、この時期のサッチモの録音集を完全な形でまとめて出したのは、これが初めてのはず。

 

 

調べてみたら、まとまった一つのボックス・セットでなければ、他にも何種類か、この時期のサッチモ音源をまとめたものがあるみたいだけど、僕が買って持っている全集は、その二つだけだ。今では版権が切れているので、本家コロンビア以外でも、復刻専門レーベルなどからも出せるはずだしね。

 

 

要するに、サッチモの1920年代後半〜30年代前半の全盛期を集大成したボックスは、日本でのリリースがはるかに早かった。米コロンビア本家は、ホット5やホット7の録音はまとめて出したことあるけど、僕の大好きな30年の「ディア・オールド・サウスランド」は、CDでは長年リイシューしていなかった。

 

 

東芝EMIのボックスの方は、今はもう廃盤で入手困難で、中古盤が超高値だし、今聴いたら音がだいぶショボイので、探して買うことは全くオススメしない。さっき書いた2012年のレガシーのボックスでは、徹底したリマスタリングが行われていて、音質も大幅に向上しているので、断然そっちがオススメ。

 

 

まあ1930年の「ディア・オールド・サウスランド」一曲のために、そんな10枚組なんていう大きなボックスを買ってほしいとは言えないけどね。素晴しい演奏ではあるけど。一般に全盛期とされている20年代後半のホット5とホット7の録音だけなら、もっと気軽に買える録音集が何種類も出ている。

 

 

だからコンプリート・ボックスを買えとは言えないので、さっき貼ったYouTube音源で、30年の「ディア・オールド・サウスランド」を聴いてほしい。大学生の頃通っていたジャズ喫茶のマスターも、これが一番好きだと言っていた。というか、僕がこれを知ったのは、そのマスターのおかげだった。

 

 

その頃、LPでどんな形で29年以後のサッチモの録音がリイシューされていたのか、実は僕は知らない。そのジャズ喫茶でかけてくれるので、それで聴いていただけで、自分ではそれは持っていなかった。おそらく僕がサッチモを知った頃には、既に無かったのかもしれない。

 

 

僕が大学生の頃LPで持っていたサッチモの1920年代コロンビア(オーケー)録音集は、『サッチモ 1925-1927』という1925〜27年の録音をセレクトしたのが一枚、1928年の録音を全部まとめた『ルイ・アームストロングの肖像1928』というのが一枚。この二つしか持っていなかったもんなあ。

 

 

ググったら、二枚ともジャケット画像が出てきた。25〜27年の録音セレクト(全集ではない)がコレ↓

 

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そして1928年録音(こっちは全集)がコレ↓

 

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どっちも大学生の頃、擦切れるほど繰返し聴いた愛聴盤だった。

 

 

『〜の肖像』っていうタイトルのLPレコードは、昔CBSソニーからたくさん出ていて、サッチモ以外にも、ベシー・スミスとかビリー・ホリデイとかレスター・ヤングとかカウント・ベイシーとかミルドレッド・ベイリー等々、いろいろ戦前ものがリリースされていたなあ。コロンビア系SP音源のLPリイシュー名盤シリーズだったね。

2015/09/24

シャンソンとアラブ歌謡の融合

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エル・スールから買った直後の今年一月〜三月頃は、ほぼ毎日のように聴き惚けていたドルサフ・ハムダーニの『バルバラ・フェイルーズ』(邦題が気に入らないから、原題に即してこう書く)だけど、しばらく聴いていなかった。今日久しぶりに聴直したら、これはやっぱり素晴しいとしか言いようがないね。大傑作だ。

 

 

今見たら、YouTubeにアルバム丸ごと上がっているから、是非聴いてほしい→ https://www.youtube.com/watch?v=xP8DQdQ2Q6A&list=PLvnuT4k4Diq7MXVhOkZz39Ha58O65rTfY 僕はCDであまりに何度も聴きすぎて、今聴いても、最初の頃の大きな感動はないんだけど、それでも聴けばやっぱりいいなあと感心してしまう。

 

 

一曲目の冒頭、ハーディー・ガーディー(だと思うんだけど)みたいな音がぼわ〜っと立ち上がる中、ドルサフがアラビア語で詠唱を始めるので、やはりアラブ歌謡の歌姫だと思って聴いていたら、その詠唱が終ると、ナイロン弦のギターを爪弾く軽い音に乗って、フランス語でバルバラの「孤独」を歌い出す。

 

 

本来、その冒頭のアラビア語の詠唱は、シャンソン歌手であるバルバラのヴァージョンにはもちろん存在しないもので、このドルサフ・ヴァージョンのアレンジに唸ってしまった。冒頭にアラビア語の詠唱を入れるというこのアレンジを考えたのは、一体誰なんだろうなあ。知りたいとところだ。

 

 

アルバム・ジャケット裏を見ると、アレンジャーのクレジットに二人書かれていて、一人がアコーディオンを弾いているダニエル・ミール、もう一人がギターとウードを弾いているルシエン・ゼラードとなっているから、その一曲目のバルバラ・ナンバー「孤独」を、どちらがアレンジしたのか分らないんだよなあ。

 

 

アコーディオン奏者のダニエル・ミールは、表ジャケットにも “direction musicale” と大きく明記されているから、やはり彼の方が主導権を取っているんだろう。ミールがアルバム全体にわたって、音楽的な方向性を決めているんだろうと思う。ミールはサリフ・ケイタと活動していたことがあるらしいけど、バルバラやフェイルーズは、あまり知らなかったはず。

 

 

一曲目のバルバラ・ナンバー「孤独」だけでなく、このアルバム全体が、まさにアレンジの勝利。例えば二曲目のフェイルーズ・ナンバー「私に笛をください」 でも、ほぼ全編にわたってギター一本の伴奏。そこに間奏で泣きのハーモニカが入る。フェイルーズ・ナンバーでハーモニカを使うという発想。https://www.youtube.com/watch?v=40-Jasw9KWQ

 

 

最初の頃は、アレンジが面白いバルバラ・ナンバーの出来の方がいいと思っていた。ドルサフはアラブ圏の歌手なんだから、フェイルーズは歌い慣れているはずだし、2012年の前作でも一部フェイルーズを歌っていた。でも今では、アルバムの中で一番好きなのが、二曲目のその「私に笛をください」なんだよね。

 

 

最初の頃、アルバムの中で一番好きだった11曲目のバルバラ・ナンバー「黒い太陽」→ https://www.youtube.com/watch?v=tZjktyG0bwQ これでも、伴奏がほぼウードとダルブッカのみ。ウードもダルブッカもアラブ圏の楽器(ダルブッカは北アフリカ由来の打楽器)で、それがシャンソン曲の伴奏なんだから。

 

 

このアルバムは、仏シャンソン歌手であるバルバラの曲と、レバノンのアラブ歌謡歌手フェイルーズの曲を交互に歌っているんだけど、バルバラの曲ではウードを使い、フェイルーズの曲ではギターを使うという、普通とは逆の発想のアレンジになっているもんねえ。これもダニエル・ミールの着想かなあ?

 

 

つまり、このアルバムでは、フランス語のシャンソン・ナンバー(バルバラ)をアラブ風に、アラビア語のアラブ歌謡(フェイルーズ)をシャンソン風に料理して、それらを一曲ずつ交互に並べて、それがアルバム全体を通して全く違和感なく繋がっている。全体を聴くと、一貫した音楽性が感じられる。

 

 

以前、2014年のトルコ古典歌謡『Girizgâh』を聴いて、アクースティックな少人数編成の音楽の方が好きになったと書いたけど、その嗜好を決定づけたのが、この『バルバラ・フェイルーズ』だった。このアルバムでは、殆どの曲で伴奏はギター(かウード)+アコーディオンだけ。他に一つか二つ入る程度。

 

 

ドルサフが得意なはずのフェイルーズは、壮大で劇的なオーケストラ伴奏が付いている場合が多いから、こういう少人数編成の伴奏で歌われると、かえってメロディ・ラインの美しさがクッキリする。バルバラ・ナンバーにしても、バルバラ自身の歌は、いつも語りというか喋っているような歌い方だから、ドルサフ・ヴァージョンで、初めて曲の良さを発見したといっていいくらい。

 

 

アレンジが素晴しいだけでなく、それに乗って歌うドルサフが、素晴しく上手い。こんなに上手い歌手だとは、失礼ながらこのアルバムを聴くまでピンと来ていなかった。彼女を最初に知ったのは、2012年の『アラブ歌謡の女王たち』だったけど、そこではまだそんなにいいとは思わなかった。僕の不明を恥入るしかない。

 

 

ドルサフは1975年チュニジア生れ。現在はパリに住んで、フランスなどを中心に活動しているようだ。デビューが1991年で、渡仏は1994年らしい。チュニジア出身だから、フランス語が堪能でも不思議じゃないけど、それにしても、バルバラ・ナンバーを歌う彼女のフランス語は端正だ。

 

 

YouTubeで探すと、ドルサフ・ハムダーニが、エディット・ピアフの曲など、フランス語でシャンソンを歌っている動画がいろいろ見つかるけど、どれも本当にキレイで見事なフランス語だ。旧フランス語圏のチュニジア出身というだけでなく、フランスに渡って、もう20年以上になるからなあ。

 

 

単独アルバムは、先の2012年『アラブ歌謡の女王たち』が最初らしいけど、他に共作名義のアルバムが二枚ある。それらは僕は実はまだ聴いていない。だから、彼女の歌を聴いているのは、それと『バルバラ・フェイルーズ』の二枚だけなんだけど、もうそれらで充分過ぎるほど彼女の歌の素晴しさは分る。

 

 

チュニジア出身で、大学でアラブ音楽を学んだらしいから、ウム・クルスーム、アスマハーン、フェイルーズを歌った『アラブ歌謡の女王たち』の方が、彼女本来の得意分野なんだろうね。今聴直すと、このアルバムも素晴しいものだけど、個人的には企画の勝利といえる『バルバラ・フェイルーズ』の方が好き。

 

 

ドルサフ・ハムダーニ(Dorsaf Hamdani)は、ググると仏語のWikipediaページも出てくるし、FacebookページもTwitterアカウントもある(あまり活発にはやっていないけど)。その仏語版Wikipediaが、彼女の経歴ついてはまあまあ詳しいようだ(といっても簡素だけど)。

 

 

その彼女のFacebookページやTwitterアカウントが、たまに最近のライヴ動画を貼ってくれたりするので、それで近況を少しだけ分るんだけど、やはり去年末に出た『バルバラ・フェイルーズ』収録曲を中心にした活動を行っているみたい。https://www.youtube.com/watch?v=mWxkLRy9ilU

 

 

今貼ったのは、2014年11月にフランス本国でのアルバム・リリースに先だって公開されたティーザーだ。こういうライヴを日本でも観てみたいなあ。ドルサフや、以前書いたトルコ古典歌謡のヤプラック・サヤールや、ヴェトナムのレー・クエンは、僕が今一番ライヴを観たい歌手だ。日本公演実現は難しそうだけど。

 

 

上記ティーザーを公開しているのは、所属レーベルのアコール・クロワゼ(Accords Croisés)。サイード・アサディというイラン人男性がオーナーのこのフランスのレーベルは、今、世界中で最も面白いアルバムを出しているレーベルの一つなんじゃないかと思う。Twitterアカウントもある。

 

 

ドルサフのアルバムを全部出しているのがアコール・クロワゼだし、2014年末のリリースで、日本では今年になって買えるようになった、オック語で歌う南仏のマニュ・テロン他による『シルヴァンテ』(これも傑作)もそうだったし、ドルサフとの共作もあるイランのアリーレザ・ゴルバーニの新作もよかった。今一番注目しているレーベルの一つだ。

 

 

ただまあアレだ、フェイルーズ・ナンバーはフェイルーズ自身の歌が大好きなんだけど、バルバラ・ナンバーの方は、バルバラ自身の歌は、大学生の頃は、ちょっと苦手だった僕。このアルバムでのドルサフの歌があまりにいいので、気を取直してバルバラを聴直したんだけど、やっぱりちょっと苦手かも。

 

 

また、アルバム四曲目の「シャラビの娘」などは、フェイルーズの『アーリー・ピリオド・オヴ・フェイルーズ』にオリジナル・ヴァージョンが入っているから、iTunesで連続再生してみると、ドルサフの歌声が、フェイルーズそのまんまのソックリに聞えてしまうんだなあ。フェイルーズは2011年の『望み』で同曲を再演しているけど、そちらはあまり似ていないね。

 

 

もっとも、このドルサフの『バルバラ・フェイルーズ』。日本盤だってとっくに出ているのに、日本語メディアでは、紙媒体でもネット上でも、これを話題にしているのをあまり見掛けないから、今年(といっても昨年末のリリースだけど)を代表する大傑作とか絶賛するのは、ひょっとしたら僕だけなんだろうか?レー・クエンに抜かれて二位になるまでの今年上半期は、僕の今年のベストテンで首位を独走していたんだけどなあ。

2015/09/23

Liberate your music, Prince!!

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それにしてもレー・クエンは、(おそらく)全てのアルバムが丸ごとYouTubeに上がっているので、CD買わなくてもいいんじゃないかと思ってしまうなあ。しかもそれがオフィシャルだったりするから、以前スチャラカさんも言ってたけど、商売する気あるのかと思ってしまう。

 

 

僕はヴェトナム語が分らないし、よく2in1でアップされてたりするので、どの動画がどのアルバムなのかというのが、イマイチ分らなかったりするけど、ただ聴いている分には、どれも素晴しい。これだけいいんだから、やっぱりフィジカルでほしいと思う僕は、古い人間なんだろうか?

 

 

既にリリースされて何年も経つ過去作を丸ごとアップするというのは、よくあることだけど、レー・クエンの場合は、2015年の最新作も、オフィシャル・チャンネルがアルバム丸ごとYouTubeに上げちゃってるもんなあ。そのおかげで、CDが買えなかった頃から、たっぷり何度も聴けたけど。

 

 

こんな具合だから、CD買う人が減っちゃうってのは理解できる。そのうち、録音音楽はすべて無料で流通するような時代が来るかもしれないなあ。音楽家や歌手の収入源は、ライヴ活動や、あるいはもっと別のなにかの方法で獲得するようになるかもしれない。

 

 

アマゾンなんかでの過去作品CDの超格安価格を見ていると、そんな時代はもうすぐそこにまで来ているのかもしれない。その点、今の時代の音楽家にしてはプリンスなんかは、かなり古い考えをしているんじゃないかとしか思えないよねえ。

 

 

とはいえ、プリンスは僕より数歳年上だから仕方がないのかなあ。でもスタジオ・アルバムにしろライヴ音源にしろ、片っ端からYouTubeに上がるのを削除しまくるというのは、ちょっとどうかと思うぞ。かえって新たなファン獲得のチャンスを逃していると思ってしまうなあ。

 

 

プリンスはどうも音源の所有について、かなり時代遅れの認識を持っているんだろうとしか思えない。今はみんなで共有する時代だ。あんなにムキになって動画共有サイトを否定するのは、僕の知る限りプリンスだけ。そのせいで、ブログやTwitterやFacebookでプリンスの音源を紹介したいと思っても、ほぼできない。そんなことするなら、自分の公式サイトで全部試聴できるようにしてくれよ。

 

 

だからプリンスの音楽を他人に紹介したいと思ったら、CDをコピーしてCDRに焼いて渡すしかない。みんなそうしているはずだ。そのうち、みんな金取始めるかもしれないぞ(笑)。そうなったらまずいだろうが、プリンスさんよ。

 

 

だって、やっぱりお金のない10代や学生にとっては、CD買ったりライヴに行ったりってのは、なかなか大変なんだぞ。それが今やYouTube等の動画サイトなどで試聴できるので、それがきっかけで好きになって、その結果CD購入に繋がるということも多いんだ。現に僕なんかはそうだけどなあ。

 

 

まあプリンスの場合は、新たなCD購入層が拡大しなくてもいいと思っているのかもね。だって彼やマドンナは、もう一生働かなくても楽に食べていけるだけの大金を稼いじゃってるもんなあ。今後一枚もCD売れなくたって全く困らないはず。僕なんかは、それだったら今後無料でCD配ってくれと思うけど。

 

 

もちろんレー・クエンみたいに今までのすべてのアルバムをオフィシャルで丸ごと全部YouTubeに上げちゃうってのも極端ではあるけど。彼女の場合、いろんなライヴ音源も公式で上がっているし。そこまでとは言わないけど、プリンスさんには、もうちょっと考え直してほしいという気持がある。

 

 

今みたいにインターネットが普及するだいぶ前から、ジャム・バンドや、元々その起源とも言える古参バンド(グレイトフル・デッドやオールマン・ブラザーズ等)は、ライヴ録音自由、フリー・トレードだったんだけどなあ。音楽は「みんなのもの」という思想。プリンスは、「自分のもの」と思ってるんだろうなあ。

 

 

音楽に限らず文化作品は、それを創った人だけに所有権があるのではなく、みんなで共有してみんなで楽しむものだという思想は、もちろん前からあったんだけど、インターネットの爆発的普及で、それが一層世界中に広まったよねえ。作品は個人の創造的産物だという発想は、考えてみたら近代西洋のものだ。

 

 

近代の西洋以前は、文学でも美術でも音楽でも、文化作品は個人の天才に拠るものというより、社会的価値と伝統の産物だという思想の方が有力だった。音楽でも、個人の天才に創造性の起源を求めるという考え方は、近代に西洋クラシック音楽が成立して以後のものだ。そんな時代はもうとっくに終っている。

 

 

そういう近代西洋の考え方が爆発的に世界中に普及してしまったために、いまだに西洋以外でもこの考え方から脱却できない場合が多いけどね。20世紀半ばに既にこの思想は終っているというのは、僕は主に文学研究の場面で学生時代に学んだ。その後、音楽リスナーとしても、ネットを始めた1995年から実感している。

 

 

ポピュラー音楽の世界でも、遅くともその頃には、良心的な音楽家やよく考えているリスナーは、音楽は社会的産物でみんなのものだと思っていたはずだ。そして、そういう思想は元々米国大衆音楽でも、戦前のカントリー・ブルーズの時代には当り前だった。ブルーズ曲などは、殆ど全てが共有財産。

 

 

別に米国戦前カントリー・ブルーズだけでなく、そもそも世界中で連綿と受継がれてきた民俗伝統音楽は、音楽共同体の社会的共有財産で、誰かのミュージシャン個人に帰属するような意識はなかったはず。それが19世紀末頃になってポピュラー音楽に変容しても、そんな認識が強かっただろう。

 

 

そういう大衆音楽が、個人の天才的創造によって産み出される個人的産物のように思われるようになったのは、やっぱり20世紀初頭の、米国ティン・パン・アリーの作詞作曲家システムの成立(厳密には、ティン・パン・アリーは、19世紀末の楽譜出版制度から)によるもの以後だったのではないかという気がする。そこには、近代西洋音楽の文化思想が強く影響していたはずだと、僕は思っている。

 

 

元々終っていたそんな近代西洋の考え方に、完全にピリオドを打ったのがインターネットの爆発的普及だった。プリンスさんには、そういう時代の音楽家として、是非考え方を改めていただきたいと思う。そして音楽をみんなで共有して楽しむことが、逆にプリンス個人のファンを増やすことにも繋がるはずなのだ。

マイルスのブルーズ〜エレクトリック篇

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昨晩、自作のマイルス・デイヴィス演奏のブルーズ・コンピの話をしたけど、それに入っているのは、全部アクースティック・ジャズ時代のもの。その頃はブルーズをたくさんやっていたマイルスも、68年以後の電化時代になると、12小節のいわゆるブルーズ進行のストレート・ブルーズは、殆どなくなっている。

 

 

アクースティック・ジャズ時代は、ほぼどのアルバムにも最低一曲はブルーズ・ナンバーがあるんじゃないかと思うほどブルーズ好きだったはずのマイルスだけど、68年電化後、75年の一時隠遁までの間のスタジオ録音でやったストレート・ブルーズは、『ゲット・アップ・ウィズ・イット』収録の「レッド・チャイナ・ブルーズ」一曲だけ。

 

 

「レッド・チャイナ・ブルーズ」→ https://www.youtube.com/watch?v=EuKhccJi_GI ハーモニカが入っているせいか、ジェイムズ・コットンのファンク・ブルーズの雰囲気がちょっとあるようなないような。72年録音のこれには、ギターのコーネル・デュプリーとドラムスのバーナード・パーディが参加している。左チャンネルで(僕の持っているCDでは右なんだけど)刻んでいるのがデュプリーだろう。

 

 

そういうR&B〜ソウル人脈のセッション・ミュージシャンをマイルスが起用したのは、そっち系の人だったマイケル・ヘンダースン(元はモータウン人脈で、スティーヴィー・ワンダー、マーヴィン・ゲイ、アリサ・フランクリンなどとの録音歴あり)をレギュラー・メンバーにしていた以外では、この曲だけだ。

 

 

68〜75年の間のスタジオ録音では、その「レッド・チャイナ・ブルーズ」だけのマイルスのストレート・ブルーズだけど、81年復帰後は、再びまあまあ演奏するようになっていた。スタジオ録音されているのは、83年の「スター・ピープル」(同名アルバム)と、84年の「ザッツ・ライト」(『デコイ』)だけだけど。

 

 

「スター・ピープル」→ https://www.youtube.com/watch?v=PsXqBdkaZbU

 

「ザッツ・ライト」→ https://www.youtube.com/watch?v=-btSYGX73uo

 

 

スタジオ録音はそれだけでも、ライヴ・ステージでは82/83年から91年に死ぬまで、ほぼ全てのステージで、序盤にストレート・ブルーズをやっていた。来日公演でも必ずやっていたので、僕も何度も聴いたのをよく憶えている。今ではそれらは全て「スター・ピープル」か「ニュー・ブルーズ」というタイトルになっている。

 

 

つまり、ブートレグも全部含めたら、かなりたくさんの「スター・ピープル」や「ニュー・ブルーズ」の録音が存在するわけだけど、現在、公式盤でそれを聴けるのは、88〜91年のライヴ音源からセレクトした『ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド』と、73〜91年の全てのモントルー・ジャズ・フェスティヴァルでのステージを収録したモントルー箱20枚組の二つだけだ。

 

 

モントルー箱の方は、最初の73年の録音以外は、全部84年から91年までのものなので、「スター・ピープル」か「ニュー・ブルーズ」が毎年全部入っている(計七種類)。その中で、僕の聴く限り一番いいのは、86年のヴァージョンだ。当時のレギュラー・メンバーだったロベン・フォードが入っているから。

 

 

マイルスが81年の復帰後に雇ったレギュラー・メンバーのギタリストでは、おそらくロベン・フォードが一番ブルーズは上手いように思う。そのロベン・フォード入り「ニュー・ブルーズ」→ https://www.youtube.com/watch?v=JRnafQOkZTo やっぱりロベンのソロがいいよね。モントルー箱はDVDでも発売されているので、そこから取ったんだろう。

 

 

モントルー箱にある「ニュー・ブルーズ」では、91年ヴァージョンも面白い(もっとも、それはニースでのライヴ)。91年のバンドにはキーボードのデロン・ジョンスンが入っていて、88年に在籍していたジョーイ・デフランシスコ同様元々オルガニストのデロンが、ハモンドB-3(の本体は持込みにくいから、その音を出すシンセサイザーだろう)でソロを取っているのが、なかなかいい雰囲気なのだ。

 

 

ところで68年の電化後は、69年のロスト・クインテットのライヴで「ノー・ブルーズ」をやっていたのと、前述の72年スタジオ録音の「レッド・チャイナ・ブルーズ」以外は、完全にストレート・ブルーズをやらなくなっていたマイルスだけに、83年の『スター・ピープル』で18分にも及ぶ長いタイトル・ナンバーのブルーズをやった時は、当時『スイングジャーナル』編集長だった児山紀芳さんも、マイルスへのインタヴューで真意を聞いていたほど。

 

 

そりゃまあ72年の「レッド・チャイナ・ブルーズ」がありはするものの(当時はまだ69年のライヴ録音は出ていない)、あんな真っ黒けなドブルーズは例外中の例外で(マイルスの音楽性は案外白い)、スタジオでもライヴでも、68年から83年まで、ストレートなブルーズはやらなかったのに、それが突然83年にあんなストレート・ブルーズをやったんだからなあ。

 

 

だから大勢の日本人ファンを代表して、直接マイルスに聞きたいという児山さんの気持は伝わってくるインタヴューだったけど、当のマイルスは、なんでブルーズ?などというアホみたいな質問に今更真面目に答える気にもならないといった感じで、全く取合っていなかった。お付きの黒人に答えさせてたくらいだった。

 

 

復帰後のマイルスは、50年代のポップ・ナンバーをたくさん取りあげていた頃の姿勢に少し戻っていたんじゃないかと僕は思っているんだけど、ブルーズ・ナンバーに関しても、まあそんな感じだったんだろうと、今では思う。50年代にはたくさんブルーズをやっていた、別にどうってことはないと。

 

 

また、イアン・カーはマイルス分析本の中で、電化後はストレートなブルーズはやらなくても、多くの曲がデフォルメされたブルーズなのだと書いている。その一例として『ビッチズ・ブルー』のタイトル・ナンバーを挙げていた。マイルスはそういう意味でも、児山さんの質問をアホらしいと思ったんだろう。

 

 

僕も、例えばローリング・ストーンズの『メイン・ストリートのならず者』を、ブルーズ・アルバム(ブルーズ・ロックではなく)だと発言したことがあって、それは「ストップ・ブレイキング・ダウン」みたいな曲のことを指してのことではなく、アルバム全体のフィーリングがブルーズそのものじゃないかと思っているわけだ。

 

 

そういう意味では、『イン・ア・サイレント・ウェイ』の「イッツ・アバウト・ザット・タイム」や『ビッチズ・ブルー』の「マイルス・ランズ・ザ・ヴードゥー・ダウン」や『ゲット・アップ・ウィズ・イット』の「ヒー・ラヴド・ヒム・マッドリー」や、そういうのは僕にとってはブルーズのフィーリングに聞えるのは確かだなあ。

 

 

まあしかし50年代に比べると、録音されたストレート・ブルーズが68年電化後は、種類が少ないというのは事実なので、いざエレクトリック・マイルスのブルーズ・コンピを作ろうとすると、困ってしまった。それでもなんとか55分程度のをでっちあげたけど、アクースティック篇に比べたら緩急がなくて、あんまり聴かないんだなあ(苦笑)。

2015/09/22

マイルスのブルーズ〜アクースティック篇

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二ヶ月ほど前に、ある女性にプレゼントするので、新たにもう一枚CDRを焼いた自作のマイルス・デイヴィスのブルーズ・コンピレイション。iTunesのプレイリストは三年ほど前に作っていたものだけど、プレゼントした後少し気になって、焼いたCDRを自分でも聴直していた。自分で言うのもナンだけど、緩急というか起伏があって、なかなかよくできたコンピレイションだ(笑)。

 

 

そのマイルス・ブルーズ集の一曲目は、55年の『マイルス・デイヴィス・アンド・ミルト・ジャクスン』収録の「ドクター・ジャックル」なんだけど、この隠れた名盤(これを隠れた名盤扱いしている文章に、今まで一度も出会ったことがない)からはもう一曲、ラストの「チェンジズ」も選んで、コンピでもラストに入れている。締め括るのに相応しい雰囲気だ。

 

 

「ドクター・ジャックル」はジャッキー・マクリーン、「チェンジズ」はレイ・ブライアントの曲なんだけど、どっちも一番いいのは、ブルーズの得意なミルト・ジャクスンのファンキーなソロ。ホント旨味だよなあ。ボスのマイルスよりだいぶいいぞ→ https://www.youtube.com/watch?v=Y5lXtN5_Jqc

 

 

マイルスはこの「ドクター・ジャックル」を「ドクター・ジキル」というタイトルで、58年に再演している(『マイルストーンズ』収録)。そっちはかなりテンポが速くなって、全く違う感じになってしまい、曲のテーマが持つ面白さは消えている→ https://www.youtube.com/watch?v=YZ5TT-ND4mQ

 

 

『マイルストーンズ』にはもう二曲、「シッズ・アヘッド」と「ストレート、ノー・チェイサー」の二つのブルーズがある。そのうち、モンク・ナンバーの後者では、特にコルトレーンとキャノンボールの二人のサックス・ソロなんか相当にいいと思うんだけど、ボスへのゴマスリを弾くレッド・ガーランドのソロがどうも気に入らないんだなあ。

 

 

『マイルス・デイヴィス・アンド・ミルト・ジャクスン』の「チェンジズ」の方は、ちょっと聴いた感じではブルーズ進行だと分りにくい曲なのだが、「ブルーズ・チェンジズ」とタイトルを替えて、作曲者のレイ・ブライアント自身がプレスティッジの『レイ・ブライアント・トリオ』でやっている。そっちは56年録音。元々ブルーズの上手い人だからねえ。

 

 

レイ・ブライアントのブルーズの上手さが一般に認識されるようになったのは、リアルタイムでは72年のライヴ録音『アローン・アット・モントルー』かららしい。オスカー・ピータースンの代役として出演したものだけど、一夜にしてレイを人気ピアニストにしたようだ。あのアルバムはほぼ全編ブルーズ。

 

 

僕がジャズを積極的に聴始めたのは79年なので、最初から一番有名なその『アローン・アット・モントルー』でレイ・ブライアントに入門したから、最初からこの人はブルーズ・ピアニストなんだろうみたいな認識だった。あのエイヴリー・パリッシュの名曲「アフター・アワーズ」も、このアルバムで知った。

 

 

レイ・ブライアントとブルーズ、「アフター・アワーズ」といえば、大学三年の時(1982年)、来日公演を松山でもやって、しかもそれは小さなジャズ喫茶店内でのライヴだったから、すし詰めの店内で、僕は目前約1メートルの距離で、アップライト・ピアノを弾くレイ・ブライアントのプレイを聴いた。「アフター・アワーズ」もやった。

 

 

マイルスのブルーズ・コンピに話を戻すと、その四曲目に、『コレクターズ・アイテムズ』収録の「ヴィアード・ブルーズ」を入れてある。この56年録音は、ピアノが同じくブルーズの上手い、僕の大好きなトミー・フラナガンなのだ。この曲、実は『ワーキン』収録の「トレーンズ・ブルーズ」と同じ曲。

 

 

「ヴィアード・ブルーズ」→ https://www.youtube.com/watch?v=DabNQMNsFJk 

 

「トレーンズ・ブルーズ」→ https://www.youtube.com/watch?v=LjA1CD2E89M

作曲者のクレジットは、前者がマイルス、後者がコルトレーンになっていて、どうも真相が分らない。後者のピアノはレッド・ガーランド。

 

 

録音は「ヴィアード・ブルーズ」を含む『コレクターズ・アイテムズ』B面の方が二ヶ月だけ早い。聴くと、テーマのメロディ・ラインがちょっと「ドキシー」みたいな雰囲気もあって、録音に参加しているロリンズの曲なんじゃないかと疑ってしまう。そして僕はやっぱりフラナガンの弾くブルーズの方が好きだ。

 

 

このブルーズ・ナンバーは、『ワーキン』収録の「トレーンズ・ブルーズ」ヴァージョンよりも、「ヴィアード・ブルーズ」ヴァージョンの方が、若干テンポが遅くて面白い気がするんだなあ。当時のバンドのレギュラーだったレッド・ガーランドもブルーズの上手いジャズ・ピアニストではあるけど。

 

 

ついでだけど、ブルーズではないが、デイヴ・ブルーベック作曲の「イン・ユア・オウン・スウィート・ウェイ」も、マイルスがやったものでは、『ワーキン』収録ヴァージョンより、『コレクターズ・アイテムズ』のヴァージョンの方が断然好き。イントロのフラナガンのピアノもいい雰囲気だし、ロリンズのソロもいい。

 

 

ミドル・テンポやスローな演奏が三分の二を占める僕のマイルス・ブルーズ・コンピCDRだけど、入れてある数少ないアップ・テンポの曲(アップ・テンポなマイルスのブルーズで、いいと思えるものは少ない)が、『ウォーキン』収録の「ブルー・ン・ブギ」。これは凄くいい。大学生の頃から大好きなナンバー。

 

 

 

その「ブルー・ン・ブギ」では、わりとアレンジされている部分があって、ヘッド・アレンジではなく譜面があったように聞えるね。マイルスのセッションに参加経験のある菊地雅章は、マイルスの録音で譜面があったら、それは全部ギル・エヴァンスが書いているんだと言っていたけど、これはどうも違うんじゃないかなあ。

 

 

『ウォーキン』の録音(54年)にギルが参加していたという話は全く聞かないし、聴いた感じでは、ピアノで参加しているホレス・シルヴァーがアレンジを書いているように思う。マイルスもなにかの述懐で、あのアルバムでのホレスの貢献度を語っていたことがあるしね。あくまで僕の適当なヤマカンだけど。

 

 

69年録音の『ビッチズ・ブルー』一曲目の「ファラオズ・ダンス」(ブルーズではない)も、終盤多少アレンジされていて、これも菊地雅章の言葉に反して、ギルじゃないだろう。作曲者のジョー・ザヴィヌルが書いたものだね。ザヴィヌル自身もそう言っていたことがある。ザヴィヌルは言葉があまり信用できない人だけど、この場合は間違いないだろう。

2015/09/21

レー・クエンの2015年作は演歌っぽい?

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レー・クエンで一番好きな2014年作は、真夏に聴くは若干暑苦しいから、ここ二ヶ月ほどは2015年作の方をよく聴くんだけど、大好きなバカラック・サウンドの官能に似ている2014年作(こっちの方がバカラックより官能性が強い)に比べると、2015年作は若干日本の演歌っぽいというか、ヴェトナム民俗色が出ている。アルバム・ジャケット(上掲左)を見ただけで、それが分る。右の2014年作のジャケットと比べると、はっきりと違う。もし僕の母親に聴かせたら、絶対に2015年作の方が好きだろうなあ。

 

 

まあでも、レー・クエンは、歌っている言葉の意味が分らないから、僕の母親は好きにはならないかな。そういう音楽の聴き方をしている人は結構いるよね。僕なんか、歌詞の意味が分った方が、音楽を楽しむにはかえって邪魔なんじゃないかと思ったりする。アラビア語とかトルコ語とかヴェトナム語とか、意味の分らないものばかり聴いているせいもあるけど。

それらは意味は分らないけど、何語かだけは判別できる(韓国語や中国語が、意味は分らなくても判別できるのと同じで、タモリの四ヶ国語麻雀は、まさにそういうイントネイションによる言語判別を活かした芸)。しかし、意味が分らないばかりか、そもそも何語であるかすら判別できないものだって聴いている。例えば、アゼルバイジャン音楽は、アゼルバイジャン音楽だと書いてあるから、アゼルバイジャン語なんだろうと思っているだけだし、あるいは、なんの言葉かを知るきっかけが全然ないものもある。

 

 

もし僕の母親がレー・クエンを好きになれば、人生で初めて母親と音楽の趣味を共有できることになる。母親はもう30年以上ほぼ演歌ばかり聴いている。というより、カラオケ好きで、カラオケ教室に通っていて、そこで歌うネタとして演歌を聴くという具合。買うのはもっぱらカセットテープ。

 

 

僕は高校の時にツェッペリンのコピー・バンドでヴォーカルをやった以外は、その後好きになったジャズのレコードで、英語のヴォーカル物を聴いては、合わせて一緒に歌うくらいだった。それでスタンダード曲の歌詞などは結構憶えた。カラオケは誘われない限り自分から進んで行ったことはない。

 

 

だって、カラオケに行ってもジャズ・スタンダードなんてほぼないしね。だからたまに誘われてついていくと、僕が歌うのは、中学生の頃夢中だったジュリー(沢田研二)の曲とか、大学生になってから憶えたスティーヴィー・ワンダーの曲とかだった。山本リンダや山口百恵も大好き(山本リンダの「どうにもとまらない」は、僕のハジレコ)だけど、キーが合わない。昔のカラオケ装置は、キーを変えたりできなかったもん。

 

 

なお、父親とは、以前も書いたけど、僕が小学生の頃、カーオーディオでペレス・プラードとかのラテン音楽の8トラをよく聴いていたので、その頃は音楽の趣味が完全に一致していた。また祖父とも、彼が買ってくる三波春男の歌謡浪曲などのレコードをよく一緒に聴いていたから、音楽の趣味を共有していた。

 

 

そんな父親も晩年は演歌路線に転向したけど、これは多分、母親のカラオケに付合ううちにだんだん影響されて好きになっていったんじゃないかという気がする。若い頃のラテン音楽好きと晩年の演歌好きには通底するものがあったことは、僕は最近になって分ったけど、父親にその自覚はなかったと思う。

 

 

まあでも、祖父の浪曲好き、父親のラテン好き→演歌好き、母親のカラオケ好きと、今になって考えれば、僕の育った家庭環境には、大人になった僕がこんなに音楽に夢中になるのも当然と言えるものがあったわけだよなあ。子供の頃も大学生の時ジャズ好きだった頃も、それには全く無自覚だったけど。

 

 

無自覚というより、大のジャズ・ファンだった頃は、そういう家庭環境をむしろ否定してかかってたようなところがあった。ジャズを聴始めた当初は、自分が聴いているのは「芸能」ではなく「芸術」なんだと信じていた。今思えばアホなことだったと思うけど、当時は真剣だったんだよなあ。しばらくして戦前ジャズの虜になって、そういう考えは捨てたけれども。

 

 

しかしジャズを「芸術」だとか思ってたわりには、結構ロックやブルーズなんかもレコード買って聴いてたんだけどね。ジェイムズ・ブラウンの1968年アポロ・ライヴ二枚なども大学生の頃自分で買って、カッコイイと思いながら夢中で聴いていたけど、その頃は、ファンク・ミュージックをどう思っていたんだろう?

 

 

今思うに、ジャズだけはかなり自覚的に考えながら聴いていたけど、高校生の頃から大好きだったレッド・ツェッペリンとか、大学生になってから聴くようになったB.B. キングとかオーティス・レディングとかジェイムズ・ブラウンとか、そういうものは、なんにも考えずに、ただ単にカッコイイとしか感じなかったんだろう。

 

 

ジャズ以外のブラック・ミュージックについて、少しは自覚的に考えるようになったのは、多分中村とうようさん編集・解説の『ブラック・ミュージックの伝統』LPを買って聴いてからじゃなかったかなあ。あの二枚組×2セットが出たのは1975年らしいけど、僕が買ったのは大学四年(1983)の頃だった。

 

 

あのとうようさん編纂のLP2セットには、ジャズ編もあって、それでそれまでの僕のジャズ観も少し変ったのだった。だから、それまで仲良くしていたジャズ・リスナーの友人達とは、だんだん話が合わなくなっていった。『フロム・スピリチュアル・トゥ・スウィング』LP二枚組を聴いたのも、そのちょっと前。

 

 

ブルーズといえば、シカゴ・ブルーズなどのバンド編成によるモダン・ブルーズしか知らなかった僕が、ロバート・ジョンスンなどの戦前弾き語りブルーズにも強い関心を示すようになったのも、その『フロム・スピリチュアル・トゥ・スウィング』二枚組LPのおかげだった。ブギウギ・ピアノだってそうだ。

 

 

しかし、レー・クエンの2015年作が演歌っぽいという話から、どうしてこういう僕の昔話に展開したんだろう・・・(^^;。まあなんにせよ、かなり涼しくなってきたから、また2014年作も聴直したくなってきた。最近は、2015年作の方が若干出来がいいのかもと思い始めてはいるんだけど、やっぱり僕は2014年作の方が好きなんだなあ。

2015/09/20

ブラック・アフリカとアラブ・アフリカ

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僕のワールドミュージック入門が、ナイジェリアのキング・サニー・アデだったおかげで、しばらくはアフロ・ポップ中心に聴いていたんだけど、最近はアフリカものでは、いわゆるマグレブ地域など、サハラ以北のアラブ圏のアフリカ音楽(と言っていいのか?)を中心に聴いている。

 

 

地理的には同じアフリカ大陸にありながら、音楽的には(その他文化的にも)、サハラ以北とサハラ以南とでは、大きく違う。同じ「アフリカ音楽」で括ってしまえないし、現に音楽関係のいろんな書物やウェブサイトでも、この二つははっきりと分けられている。

 

 

 

もちろん北アフリカのマグレブ音楽でも、モロッコのグナーワなど、元はブラック・アフリカがルーツの音楽があったり、サハラ以北なのか以南なのか分りにくいモーリタニアや、あるいははっきりサハラ以南の国の音楽でも、イスラム圏音楽の影響が強い場合も結構ある(宗教的にはイスラム教徒が多い国がかなりある)から、厳密には分けられない。

 

 

 

 

それでも、普通「アフリカのポピュラー音楽」とだけ言えば、アラブ・アフリカのものは入れず、サハラ以南のブラック・アフリカのものを指す。キング・サニー・アデは最初の大スターだったけど、同じ頃スターになったフェラ・クティも、以後のサリフ・ケイタやユッスー・ンドゥールなど、全てサハラ以南の音楽家だ。

 

 

僕はようやく最近聴始めた、もっと前の時代のスークースやハイライフの音楽家達もブラック・アフリカの音楽家だし、ティナリウェンの活躍で、21世紀になって注目を浴びるようになったいわゆる砂漠のブルーズも、マリ等を拠点とするトゥアレグ族達がメインだから、やはりブラック・アフリカの音楽家。

 

 

というわけで、昔も今も「アフリカのポピュラー音楽」は、サハラ以南のブラック・アフリカを中心に、世界的に注目を浴びてきたけど、しかしながら、最近の僕の関心はサハラ以北のアラブ・アフリカにあったりする。そして同じアラブ圏という意味で、西アジア一帯の音楽にも大きな興味がある。

 

 

大きなきっかけは、これも以前書いたけど、1998年に買って聴いたオルケストル・ナシオナル・ドゥ・バルベス(ONB)のデビュー・ライヴ・アルバムと、翌年のグナワ・ディフュジオンの『バブ・エル・ウェド・キングストン』だった。この両者とも、アルジェリア等マグレブ地域出身の在仏音楽家。

 

 

近年のドルサフ・ハムダーニ(チュニジア出身)にしてもそうなんだけど、こういった北アフリカの元フランス領だった地域の音楽家は、フランスに渡ってパリなどを中心に活動している場合が多く、アルバムもフランスのレーベルからリリースされることが多い。フランス語で歌ったりもする。

 

 

その在仏チュニジア出身のドルサフ・ハムダーニは、自己名義のアルバムでは、二枚ともフェイルーズの曲を一部歌っている。フェイルーズはレバノン出身の大歌手(現在も存命)。レバノンは地理的にはアジア圏の国だけど、音楽を含めた文化的には、中東の一部というか同じアラブ文化圏というわけで、北アフリカのアラブ諸国とも繋がっているというわけ。

 

 

ちょっと関係ない話だけど、FIFA(国際サッカー連盟)の分類でもレバノンはアジアだけど、同じ西アジア文化圏にあるような気もするトルコは、1962年以後UEFA(欧州サッカー連盟)所属だ。また、南北アメリカは、北中米カリブと南米に分けられていて、これは南米がサッカーの世界では特別な地域だからなんだけど、音楽ファン的視点からは、違和感がある。サッカー・ファン的視点からも、北中米カリブの一部としてW杯予選などを戦うメキシコのサッカー・スタイルは、南米的なんだけど。

 

 

僕が西アジアのアラブ文化圏の音楽に興味を持ったのも、ひとえに北アフリカのアラブ圏の音楽を聴始め、それが音楽的に西アジアの音楽と深く繋がっている、というか、一続きの同じ音楽圏に属していると知ったからだった。三年前から積極的に聴始めたトルコ古典歌謡も、音楽の内容的には共通するものがある。

 

 

アラブ圏といえば、トルコは入らないけど、「中東」といえば、トルコも含んでの西アジア・北アフリカ一帯を指す。まあこの「中東」という表現もヨーロッパ側からの視点ではあるけれど。また、トルコ語だって1928年のケマル・アタチュルクによる文字改革以前は、アラビア文字表記だった。

 

 

今年に入ってから強く興味を抱き、いろいろ聴始めたアゼルバイジャンのムガーム音楽にしても、元々イラン(ペルシア)古典声楽の強い影響下にあるし、トルコ古典歌謡とも繋がっていて、その辺一帯の音楽が完全に一続きになっているのが、いろんな音源を聴いていると実感できたりする。

 

 

そういうわけで、最近の僕は、文化的に一体となって繋がっている、西アジア〜北アフリカなどの、アラブ圏・トルコ・アゼルバイジャン等の音楽を中心に聴いていて、アフリカ大陸の音楽でもサハラ以北のアラブ圏をメインに、買って聴いている。それらは音楽の歴史も長く、聴けば聴くほど面白い。

 

 

サハラ以南のアフリカ音楽に興味がなくなったわけでは全然ないんだけど、めぼしいリイシュー物以外の、新譜を買う頻度は少し減った。2015年に入ってから、新譜で買ったのは、セネガルのファーダ・フレディ、ジンバブウェのオリヴァー・ムトゥクジとトーマス・マプフーモ、ブルキナファソのババ・コマンダントだけだなあ。どれも良かった。

 

 

その中ではファーダ・フレディの『ゴスペル・ジャーニー』が一番素晴しいように思う。また、同じジンバブウェの音楽家の2015年作では、トーマス・マプフーモのも傑作だとは思うものの、僕はオリヴァー・ムトゥクジのライヴ盤の方が断然好みだなあ。

 

 

リイシュー物はもっと数を買っているんだけど、その中では、やはりE.T. メンサー(ガーナのハイライフの音楽家)の四枚組が、一番意義が大きかったように思う。個人的な好みだけなら、フェラ・クティの最初期音源も入っている、同じガーナとナイジェリアのハイライフの二枚組アンソロジー『ハイライフ・オン・ザ・ムーヴ』だけどね。

2015/09/19

とうようさんのオーディブック・シリーズ

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数ヶ月前に、中村とうようさん編纂のオーディブック・シリーズが、三つだけライスから復刻された。僕みたいにかなり遅れてとうようさんを追いかけ始めたファンには、ありがたい限り。僕がとうようさんを信頼し始めフォローするようになったのは、例の『ブラック・ミュージックの伝統』LP上下巻からだった。

 

 

あの『ブラック・ミュージックの伝統』LP上下巻は、1975年のリリースだったらしいけど、その頃はまだ音楽を熱心に聴始めていない。あれを僕が買ったのは確か大学四年の時(1983年)。『ミュージック・マガジン』を買って読始めたのもだいたいその頃で、『レコード・コレクターズ』の方はもうちょっと後。

 

 

実は『ミュージック・マガジン』の方は、その少し前から本屋でパラパラめくったりはしていたものの、出た当時は大好きだった(今聴くと、なんでもない凡作だけど)『ウェザー・リポート(1982)』がボロカスに言われていたりして、そのレヴュワーが他ならぬとうようさんだったりして、ちょっと趣味の合わない雑誌だなあと思っていたのだった。

 

 

1982年創刊の『レコード・コレクターズ』の方は、最初の頃は(昨晩書いた)ジャイヴやジャンプ関係の記事がたくさん載っていたらしいから、もしその頃知っていたら、完全に趣味の合致する愛読誌になっていたはずだけど、どういうわけか、松山の普通の本屋では見掛けなかったんだよなあ。僕の探し方が悪かっただけだろう。凄く口惜しい。

 

 

だから、まあだいぶ遅かったよなあ。それでもオーディブック・シリーズがリリースされたのは、その後のことだったようけど、ワールドミュージック関連のものはほぼ全部買い逃している。僕がワールドミュージックを聴始めたのは、1986年にキング・サニー・アデの『シンクロ・システム』をラジオで聴いてから。

 

 

しかも、それからしばらくはアフロ・ポップ中心に聴いていたから、クロンチョンとかを聴始めたのはもっともっとずっと後のこと。それもこれも、全てとうようさんの『大衆音楽の真実』で知ったくらいだった。僕が世界中の音楽を本格的に聴こうと思い始めたのも、あの本を読んでからのこと。

 

 

『大衆音楽の真実』は1986年に初版が出ている本で、僕はその翌年か翌々年くらいに買って読んだ。だから、僕のワールドミュージック探求は、80年代末にようやく始った程度だった。この本にもオーディオセットが付いていたみたいだけど、それは僕は買っていない。本屋で買ったから、CDが付いていことすら知らなかった。

 

 

その頃から、主にワールドミュージック関連で、熱烈な中村とうよう信者になってしまい、随分たくさん勉強させてもらった。その後英米日のポピュラー・ミュージック関連についての文章も、大変面白く読めるようになった。『ブラック・ミュージックの伝統』LPを買った1983年頃は、まださほどでもなかったんだなあ。

 

 

僕がリアルタイムで買って聴いたとうようさん編纂のオーディブックは、唯一、2005年に出た『アメリカン・ミュージックの原点』二枚組だけだ。有名な「ラ・パローマ」は、あれで初めて聴いたのでは?それ以外は、CDショップ店頭に在庫が残っていたものを少し買っただけ。今でも二・三個しか持っていない。

 

 

もっとも、その『アメリカン・ミュージックの原点』だって、オーディブックは元々は1994年に出たものらしいけど、当時はそれを知らなかったんだよなあ。2005年にライス盤でリリースされたので初めて知って買った。だから「リアルタイムで買ったオーディブック」とは、ちょっと言えないなあ。

 

 

その2005年盤『アメリカン・ミュージックの原点』も、すぐに廃盤になったらしいけど、今アマゾンで見たら2012年にリイシューされたのが生きている(http://www.amazon.co.jp/dp/B0089RVK0K/)。このセットは『アメリカン・ミュージック再発見』のオーディオ版みたいなイメージかも?

 

 

だけど、今見てみたら、とうようさんの『アメリカン・ミュージック再発見』が出たのは1996年になっているから、ちょっとその僕の認識は違うなあ。むしろ、MCAジェムズ・シリーズの一つとして出たCD『ロックへの道』などと連動していたのかな?このCDは1996年リリースだし。

 

 

脱線するけど、とうようさん編纂のMCAジェムズ・シリーズは、1990年代後半(だったかな?)にどんどんリリースされたもので、これは大変有難かった。あんなに勉強になって、しかも最高に楽しいCDシリーズはなかった。あの『ブラック・ミュージックの伝統』も、それで改訂復刻された。

 

 

MCAジェムズ・シリーズ、特に『ロックへの道』は、従来の黒人音楽中心のロック起源観をガラリと変えてしまう目から鱗の一枚だったし、他にも『ハーフ・パイント・ジャクスン』とか、40年代のジャンプ・バンドばかり集めた『ブラック・ビートの火薬庫』とか、それまでになかったし、最高に楽しかった。

 

 

MCAジェムズ・シリーズは全部買ったけど、あれが出てた90年代後半は、ちょうどパソコン通信をやっていた頃で、僕が棲息していた音楽系フォーラムにもとうようさんのファンが多かったから、買いながら大いに話が盛上がった記憶がある。あれほど一枚一枚出るのを待遠しく思ったCDリイシュー・シリーズはない。

 

 

そのMCAジェムズ・シリーズも、今ではほぼ全部廃盤みたいで、僕がオーディブック・シリーズに遅れてしまって買い逃して悔しい思いを今でもしているのと同じような思いをしている若いリスナーが、現在結構いるんじゃないだろうか?まあそれが世の常であるとはいえ。

 

 

数ヶ月前にライス(オフィス・サンビーニャ)からリイシューされたオーディブック・シリーズは、『プエルト・リコ音楽入門』『ハイチ音楽入門』『南アフリカ音楽入門』の三つだけ。三つとも持っていなかったから有難い。でもオーディブック・シリーズは全部で50作くらいあったらしい。僕は殆ど持ってないんだよなあ。

 

 

できれば、その50個のオーディブック・シリーズを全部復刻してほしいんだけど、それを実現するには、まあいろいろと難しい問題もあって不可能だということは、今では少しだけ理解できる。今回リイシューされた三つも、再プレスというわけではなく、残っていた在庫を出しただけみたいだし。全部持っている人が羨ましい。

 

 

ところで、どうでもいいことかもしれないけど、とうようさん編纂のオーディブック、ネットで検索すると「オーディオブック」となっているものが殆どだなあ。そもそも「オーディブック 中村とうよう」でググっても「Did you mean: オーディオブック 中村とうよう」と聞かれてしまうなあ。

2015/09/18

ジャイヴもジャンプもジャズなのだ

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ジャズ系の音楽では、ジャイヴやジャンプなどの1930〜40年代黒人ジャズが、今では一番好きなんだけど、大学生の頃から、「ジャイヴ」とか「ジャンプ」という言葉を知らないまま、結構そういうレコードを買って聴いていたというのが、事実。昔は松山でもそういうレコードを結構売っていた。

 

 

例えばキャブ・キャロウェイ楽団なんかも、昔から多少はLPが出てて、ジャイヴという言葉は知らなくて、普通の黒人スウィングだと思って聴いていたもんだった。エリントン楽団なんかとそんなに違わないように聞えていたし、キャブのバンドも上手かった。1930年代後半のキャブのバンドにはテナー・サックス奏者のチュー・ベリーがいて、僕はチューのテナーが大好きだった。

 

 

今ではジャイヴに分類されることもある40年代のナット・キング・コール・トリオだって、キャピトルから出てたインスト物と歌物の二枚のLPや、もっと初期のデッカ録音も愛聴していた。特に「スウィート・ロレイン」が大好きで、大学生の頃は完璧にソラで歌えた。ジャイヴという言葉も知らずに、普通に楽しんでいた。

 

 

ジェイ・マクシャン楽団も、今はジャズ的視点からは、チャーリー・パーカーを輩出ことばかり強調されるけど、昔は普通の黒人スウィングとして楽しんでいた。カンザスにはそういうビート感覚の強いバンドが多いというのも、ジャンプという言葉は知らなかったが、なんとなく感じてはいたのだった。

 

 

アースキン・ホーキンス楽団の「アフター・アワーズ」(エイヴリー・パリッシュ作)は、ジャズ・ピアニストによるカヴァーが多いし、ブルーズの上手いレイ・ブライアントがこれを弾くのを生でも聴いたりした。ジャンプの名曲として、黒人国歌とまで言われたりするらしいけど、当時はそういうことは知らなかった。

 

 

ライオネル・ハンプトンに関しては、30年代ヴィクターでのスウィング・セッションや、50年代初頭のクリフォード・ブラウン在籍時や、例の『スターダスト』ばかりで、イリノイ・ジャケーをフィーチャーした「フライング・ホーム」以外は、ビッグ・バンド・ジャンプ録音はほぼ完全に無視されてはいたけど。

 

 

僕は大学生の頃、そうやっていろいろ聴いていたキャブ・キャロウェイや40年代ナット・キング・コール・トリオなどの「ジャイヴもの」や、ベイシーやマクシャンなどの「ジャンプもの」が、他のいわゆるスウィング・ジャズと違うものだとは全く感じておらず、同じように並べて一緒に聴いていたのだった。

 

 

だいたい僕は大学生の頃から、ベッシー・スミスのジャズ・ブルーズ的なヴォーカルが大好きだったりしたから、元々ジャズとブルーズをあまり区別して聴いてはいない。ベッシー・スミスの伴奏を務めたのは、当時のフレッチャー・ヘンダースン楽団の面々。当時この楽団に在籍していたサッチモもやった。

 

 

というか、”ピュア”・ジャズ・ファンが聖典のように崇めるサッチモの1928年録音だって、「セント・ジェームズ病院」とか「タイト・ライク・ディス」その他は、今聴くと、結構猥雑な感じもある。後者なんか、ドン・レッドマンの女性の声色とサッチモとで、かなり卑猥なやり取りをしているしね。

 

 

僕は昔から、「芸術」っぽいモダン・ジャズより、「芸能」的な戦前の黒人ジャズの方が好きだったし、サッチモでもエリントンでも、「ウェスト・エンド・ブルーズ」や「黒と茶の幻想」みたいな生真面目な感じより、「タイト・ライク・ディス」や「クリオール・ラヴ・コール」みたいなのが好みだった。

 

 

油井正一さんの『ジャズの歴史物語』によれば、粟村さんが、戦後のサッチモをクソミソに貶したことがあるらしいけど、サッチモは最初からアーティストではなくエンターテイナーだった(20年代から結構楽しく歌っているし)。というか、その二つが分離していない。分っていないのは粟村さんの方だった。

 

 

僕は以前サッチモのジャイヴ風なナンバーばっかり集めた私家版コンピレイション・カセット(まだiTunesとかはなかった時代)を作って楽しんでいたことがあって、パソコン通信時代の音楽フォーラムで、コロンビアもこういうのを出せば、サッチモのファンももっと増えるのにと発言したことがある。

 

 

実はその頃、真剣にコロンビア(ソニー)に働きかけようかと思ったことすらある。そしたらるーべん(佐野ひろし)さんには、それならライナーを任せるのは仙台の佐々木さんしかいないぞと言われたり、版権が切れているんだからPヴァインなどから出せないかと言うと、小川真一さんから、コロンビアは他社に音源を貸さないはずと言われたり。

 

 

サッチモもエリントンも、真面目な「ピュア・ジャズ」の方に分類されていて(中村とうようさんのサッチモへの見方は少し違うようだけど)、現在彼らを聴くファンも、ほぼそんな人ばっかりだろう。僕みたいに彼らを芸能方面から聴いて、私家版コンピ・カセットを作ったりするファンは少ないはず。ちょっと残念だ。

 

 

そもそも芸術と芸能がほぼ完全に分離してしまったビバップ以後のモダン・ジャズと違って、戦前の黒人ジャズは、その二つが分離していないものが多い。今でも僕が惹かれるのはそのせいなんだけど、ベイシー楽団なんかでもジミー・ラッシングが歌うブルーズ・ナンバーとかは、かなり猥雑だよね。

 

 

昔はジャズ・リスナーも、そういう下世話な芸能っぽいジャズを、真面目なジャズと区別せずに楽しんでいたと思う。油井さんなどには、そういう感じがあった。ジャンプを毛嫌いした粟村さんとは、その辺が完全に違う。僕の世代でも、昔は、かなり芸能色の強い戦前ジャズのLPを普通に買えたんだから。

 

 

いつ頃からか、ジャイヴやジャンプなどの芸能ジャズを聴くファン層と、戦前物でも生真面目なジャズを聴くファン層が分離してしまった。でもそれは、当時のジャズ音楽の実態に即していない。どうも中村とうようさんの『ブラック・ミュージックの伝統』LPセット以来、そうなってしまったのではないだろうか?

 

 

ジャンプは、リズム&ブルーズを産み、それがロック誕生にも繋がったから、そういう大衆音楽の歴史的意義からも、見直す必要はあった。ジャイヴも、それ自体は一時期だけでほぼ消えたけど、感覚としては脈々と残っていて、ルイ・ジョーダンを経て、チャック・ベリーの歌詞などにはそれを感じたりする。

 

 

もちろんとうようさんの書いたものを読むと、芸能色の強い黒人ジャズにシンパシーを示してはいるものの、他のジャズとそんなに区別しては聴いていないのが分る。従来のジャズファンが注目しない、そういう「本流」じゃないものを再評価し、ファンの目を向けさせるための、故意の戦略だったんだろう。

 

 

あまり戦前ジャズを聴いたことのないリスナーには、当時はそういうとうようさんの意図までは理解できなかったと思うから、彼がジャイヴだジャンプだと言って再紹介した黒人スウィングを、他のそうじゃない真面目な「ジャズ」とは全然違う音楽だと思い込んでしまったんじゃないかという気がする。

 

 

日本では、そうやってリスナー層が分離したまま、今まで続いているような気がして、少しとうようさんの功罪両面を感じてしまったりもするんだよなあ。もちろん彼がやらなかったら、ジャイヴやジャンプなど、芸能色の強い下世話な黒人ジャズを聴く人は、そのままいなくなってしまったのかもしれないけど。

 

 

ルイ・ジョーダンの「チュー・チュー・チ・ブギ」(1946年)を聴くと、これはスウィングしている・ジャンプしている・ロックしている、の三つの表現、どれも当てはまる気がする。ルイ・ジョーダン本人は、当然そんな区別はしていなかったわけだ。
https://www.youtube.com/watch?v=c8uxrypkqv4

 

 

「シリアス」なモダン・ジャズ界の巨人で、僕が聴いて戦前ジャズのユーモラスな芸能色を一番よく残していると感じるのは、テナー・サックスのソニー・ロリンズだ。ロリンズは、子供の頃のアイドルがルイ・ジョーダンだった。僕は最近まで知らなかったことだけど。

2015/09/17

Assaf - Bright Star from Palestine !

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パレスティナ人歌手、アッサーフ(ムハンマド・アッサーフ)を知ったのは、今年春頃、エル・スールのサイトを彷徨いている時に(まあ毎晩彷徨いているわけだけど)、たまたま彼のデビュー・アルバムからのサンプル動画を視聴して、それが凄く良かったからだった。偶然の出会い。全くの新人らしく、それまで一度も聞いたことのない名前だった。

 

 

エル・スールのサイトで試聴して一番いいと思ったのはコレ→ https://www.youtube.com/watch?t=14&v=jCOfMdXNSzs とても24歳の新人とは思えない素晴しい歌声だよねえ。一番驚いたのは、今時の若手アラブ・ポップ歌手にしては珍しく、アラブ古典歌謡風の濃厚なコブシ廻しを身につけていることだった。24歳の新人歌手が、アラブ歌謡のディープな伝統をしっかり継承しているのが、嬉しくなった。

 

 

いろいろとYouTubeにあがっているアッサーフの音源を聴くと、伴奏は今時の現代風アラブ・ポップスなのに、アッサーフ自身の歌い方は、どれも正調アラブ古典歌謡風なのだった。今、こういうのはなかなか聴けないので、僕はすぐに彼に惚れてしまった。なんといってもこういうコブシ廻しに弱い。

 

 

嬉しくなってTwitterでアッサーフのことをほんの少しツイートしたら、これまた驚いたことに、おそらく(世界各地の)パレスティナ人の方々と思われるアラビア語アカウントから、たくさんふぁぼられたりリツイートされたり、アラビア語や英語でのリプライが飛んできたり、かなりの反応があった。

 

 

そういう数多くの反応で分ったことなのだが、アッサーフにはTwitter公式アカウントがあって、さらにファンクラブのようなTwitter集団が世界各地(のおそらくパレスティナ人社会)に存在していて、彼らの間でアッサーフは大人気らしかった。その頃は、かなりそういう方々とやり取りした。

 

 

すぐにアッサーフのデビュー・アルバムをエル・スールで買った→ http://elsurrecords.com/2015/03/05/mohammed-assaf-assaf/  いざ聴いてみたら、最初はこんなもんかと思った程度で、さっき貼った音源の曲はアルバム・ラストに収録されているので、そこまでなかなか辿り着かないので、もどかしい感じすらした。

 

 

このデビュー・アルバムを何度か聴いて、そのまましばらく放置していたのだが、最近思い直してまた聴いてみたら、これがなかなかいいんだなあ。今年のベストテンに入るような傑作ではないように思うけれど、これはなかなかの快作だ。ジャケット・デザインはイマイチ気に入らないけれども、中身はいい。

 

 

もっとミドル〜アップ・テンポの曲を増やした方がよかったように、最初の頃は感じていたけど、最近久しぶりに聴直したら、結構入っているじゃないか。最初の頃は単に僕の聴き方が足りなかっただけだった。ドラムスは打込みだし、それ以外にも電気・電子楽器をたくさん使っているけど、それはまあいいんじゃないかな。

 

 

最初は、一番先に動画を試聴していた、アルバム・ラストの「ヤ・ハラリ・ヤ・マリ」が一番いいように感じていて、どうしてこれをアルバム・トップに持ってこないのかと思っていたんだけど、今聴くと五曲目の「アイワ・ハガーニ」や六曲目の「ワード・アル・アサイェル」も、快活でなかなかいいね。

 

 

(まだ一枚だけの)アルバムをじっくり聴直したり、それ以外にもたくさんYouTubeに上がっているアッサーフの歌う動画を試聴すると、どうも彼はスローなバラードよりも、やっぱりそういうアップ・テンポの快活なナンバーで、今のところは真価を発揮するタイプの歌手であるように、僕は感じる。

 

 

いろいろYouTubeに上がっているアッサーフの歌う動画で、僕が一番気に入っているのがコレ→ https://www.youtube.com/watch?v=O-a3zagLXIY 実はこれ、まだデビュー前の素人時代、『アラブ・アイドル』というオーディション番組決勝での模様なのだ。既に歌は完全に完成されているよねえ。

 

 

アメリカに『アメリカン・アイドル』という新人歌手発掘のオーディション番組があって、『アラブ・アイドル』は、そのアラブ版。アラブ地域一帯で大人気の番組らしく、アッサーフは『アラブ・アイドル』第二シーズンの優勝者。「アラブ・アイドル」でググるとたくさん出てくるので、すぐに分る。

 

 

もっとも『アメリカン・アイドル』も、イギリスの同趣旨の番組『ポップ・アイドル』を下敷にしていて、『アラブ・アイドル』も、直接的には『ポップ・アイドル』をベースにしているそう。放映しているのはサウジ系のテレビ局。先ほど貼った動画を見ると、審査員席にレバノンの人気歌手、ナンシー・アジュラムがいるね。

 

 

パスレティナ自治区ガザ地区出身のアッサーフが『アラブ・アイドル』で勝上がるたびにどんどんパレスティナ自治区や世界中のパレスティナ人社会で大きな話題になって、ベイルートのパレスティナ人難民キャンプでは、金曜夜の同番組が始ると、全住民がテレビの前に貼付いて、彼の歌に聴入ったらしい。

 

 

これは別にベイルートの難民キャンプだけの話じゃないはずだ。パレスティナ自治区内はもちろん、おそらく世界中のパレスティナ人ディアスポラの間で同様の現象が発生していたはずだ。僕が少しツイートしただけで、しかもほぼ日本語でしかツイートしていないのに、世界中から反応があったのだから。

 

 

言ってみれば、アッサーフは世界中のパレスティナ人達の希望の星、パレスティナ・ドリームの体現者なのだ。僕が中東地域で、パレスティナに強いシンパシーを覚えるのは、パレスティナ他のアラブ世界に一方的な迫害を加え続けるイスラエルが大嫌いだからそうなったというのが最大の理由ではあるけど。

 

 

だいたい、イスラエルは、何千年も前の聖書の記述だけを根拠に、それまで長年に亘って定住していたパレスティナ人を追出して、無理矢理そこに新国家を建設するなんて、理不尽そのものだとしか僕には思えない。もちろんそこには英国を初めとする欧米国家の思惑もあったわけだが。

 

 

音楽とはほぼ関係のない話だが、僕の大好きな文芸・文化批評家エドワード・サイード(故人)も、米コロンビア大学で教鞭を執ったパレスティナ人だった。パレスティナ生れで、エジプトのカイロで高等教育を受けた人で、いわゆる一般の貧しいパレスティナ人民とは、生まれも育ちも違う人ではあったけど。

 

 

サイードの『オリエンタリズム』や『カヴァーリング・イスラム』(『イスラム報道』という邦訳題は、このタイトルの一面しか表していない)などは、西洋人が中東世界をどう見てきて、それを中東側からしたらどう感じるかということが、非常に良く分る名著だ。どちらも邦訳があるから、是非ご一読を。西洋のイスラム報道(cover)が、同時にいかにイスラムの真実を隠して(cover)いるかという。

 

 

先に書いた『アラブ・アイドル』第二シーズン決勝の最後にアッサーフが歌ったのは、「ケフィエを掲げよう」という曲だった→ https://www.youtube.com/watch?v=Aj-pyJF6ckU  ケフィエとは、PLO(パレスティナ解放機構)の故ヤセル・アラファト元議長がかぶっていたことで知られるチェック柄のヘッドスカーフのことだ。

 

 

つまりアッサーフは、ガザ地区のパレスティナ人居住区出身という出自と、その抜群の歌唱力で、政治的・地理的に分断されたパレスティナ人社会を、再び一つにしようと訴えかけるように歌ったわけだ。そしてそれに呼応するように、ガザ地区と西岸地区だけでなく、世界中のパレスティナ人が熱狂した。

 

 

アッサーフはパレスティナ人再結束のシンボル的存在。歌も凄く上手くて魅力的だし、ご覧になれば分るように、ルックスもなかなかのイケメンで、まだ24歳だし、これからパレスティナ人だけでなく、アラブ世界を中心に、世界中にどんどんファンを増やし活躍し続けていくはずだ。

2015/09/16

マイルス ー 『ライヴ・イーヴル』のライヴ・サイドとスタジオ・サイド

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いいという人も多いけど、マイルス・デイヴィス『ライヴ・イーヴル』での、エルメート・パスコアール等が参加したスタジオ小品は、僕は昔からどうも良さが分らない。唯一、ジョン・マクラフリンがファズを目一杯かけたギターを弾きまくる「ジェミニ/ダブル・イメージ」だけが、まあまあいいと思う程度。

 

 

『ライヴ・イーヴル』のライヴ音源じゃないスタジオ小品(「ジェミニ/ダブル・イメージ」以外)が、心から素晴しいと思う人は、ちょっと手を挙げてみてください。そして、それらのよさが分らない僕に、どの辺がいいのか教えて下さい。特にプログレ系リスナーの方々!(笑)

 

 

1990年代後半にパソコン通信をやっていた頃、音楽フォーラムで同様の発言をしたところ、瞬時にプログレ系リスナーの方々から一斉に激しくツッコミが入り、ああいうのがいいんだぞちゃんと聴けと説教されたことがある。最近はネット上でそういうことが少なくなってきて、ちょっと寂しい。

 

 

LP時代は飛ばすのが面倒くさいから、仕方なく全部聴いていたけど、CDになってからは、『ライヴ・イーヴル』は、スタジオ作品は飛ばしてライヴ音源ばかり聴くようになった。最近は、また再び全部通して聴くようになってはいる。

 

 

テオ・マセロの編集意図としては、ライヴ音源とスタジオ音源をサンドイッチ状に挟み込んで並べて、一種のトータル・アルバム的な仕上りにしたかったということなんだろうけど、僕の聴く限りでは、その目論見は成功しているとは言い難いなあ。

 

 

『ライヴ・イーヴル』のライヴ音源のソースになった、1970年12月ワシントンDCでのセラー・ドア録音『セラー・ドア・セッションズ 1970』六枚組が2005年に出たけど、それで『ライヴ・イーヴル』二枚組は用無しかというと、そんなことはない。

 

 

『セラー・ドア』の生素材な感じに比べると、同一音源でも『ライヴ・イーヴル』の方は、よく計算・編集されて「作品」化されていて、ミックスも違うから印象が全く違う。一曲目の「シヴァッド」など元の形がほぼ分らなくなっているものもあるけど、それでも編集された方が良く聞えるから不思議。

 

 

『ライヴ・イーヴル』の一曲目「シヴァッド」の出だし約三分間は、現場のライヴでも一曲目だった「ディレクションズ」であることが今では分っているけど、編集されまくってあまりに違うため、最初ブートでこの元音源6CDが出た際に、ブート紹介本でこれについて書いた原田和典さんが、(「シヴァッド」になった部分を)「見つけられなかった」と書いたほど。

 

 

簡単に見つけてしまった僕などからしたら、プロなのに「見つけられなかった」というのはちょっとどうかと、そのマイルス・ブート紹介本(なにかの雑誌ムックだったはず)を読んで思っちゃったけど、それも仕方ないかと思うほど違っているのは確かだ。

 

 

 

 

 

今でこそ『セラー・ドア・セッションズ 1970』ボックスのブックレットに、『ライヴ・イーヴル』ではどこをどう編集したか、詳細に明記されているので、それを見れば誰でも分るけど、ブート盤しかなかった頃に、特にマイルス愛好家というわけでもなかったらしいのに、記事のために比較・分析しなくちゃいけなかったご苦労だけは、素直に同情する。

 

 

それにしても『ライヴ・イーヴル』のライヴ音源は、本当に凄い。前から電化マイルスでは一番凄いかもという人もいるくらいで、一枚目一曲目の「シヴァッド」出だしの三分間とか、キース・ジャレットがゴスペル風でアーシーなエレピを弾きまくる、一枚目B面トップの「ホワット・アイ・セイ」とか、何回聴いても興奮する。なお、「ホワット・アイ・セイ」だけは、一曲丸ごと完全に無編集。

 

 

「ホワット・アイ・セイ」でのキース・ジャレットのエレピは、ソロもいいけど、なんといってもイントロが凄い。感極まった観客の叫び声も聞えるほどだ。こんなにファンキーに弾くまくるキース・ジャレットは、彼自身の作品はもちろん、マイルスの他の作品でも聴けないね→ https://www.youtube.com/watch?v=Lb-jR8OSXaY

 

 

そして、『ライヴ・イーヴル』二枚目のライヴ音源でのバンドの演奏はもっと凄い。特にキースの無伴奏エレピ・ソロ後半から徐々に盛上がってきて、最後一気にベースとドラムスが入ってド〜ン!と来て、いきなりバンド全体が激しくグルーヴし始めるあたりは、もう筆舌に尽しがたい物凄さ。

 

 

「ホワット・アイ・セイ」始め、『ライヴ・イーヴル』でのエレピ・プレイが、キース・ジャレットの生涯最高の演奏だと、僕は確信している。70年6月の『フィルモア』完全盤四枚での、チックとのフリーでアヴァンギャルドな掛合いも凄いけど、個人的には70年12月のこっちの方が好きだ。

 

 

『セラー・ドア・セッションズ 1970』のブックレットに寄せた文章の中で、キースはフェンダー・ローズを"toy instrument"と呼んでいるけど、マイルス・バンド以外ではほぼアクースティック・ピアノしか弾かない彼は、一体どこがいいのか?74年の『生と死の幻想』と76年の『残氓』以外に、いいものあるのかなあ?

 

 

まあキース・ジャレットだけでなく、チック・コリアも、マイルス・バンドでフェンダー・ローズを弾いていた頃、特に1969年ロスト・クインテットでのライヴ音源が、生涯で一番物凄いと思うけどね。ハービー・ハンコックだけは、独立後のファンク・ミュージックの方が面白いと思うけど。

 

 

ちなみに、どうでもいいことかもしれないけど、マイルスの『Live-Evil』。CBSソニーから出ていた昔の日本盤LPのタイトルは『ライブ・エビル』だった(笑)。これはあまりに酷すぎるので、現在の日本盤CDは『ライヴ・イヴル』に訂正されている。これでもまだちょっとどうかと思うけど。

2015/09/15

天然トランス・ミュージック ー マレウレウ

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マレウレウというアイヌの四人組女性ヴォーカル・グループを知ったのは、Twitterでフォローしているしぎょうさんが「久々に凄い音楽を発見した!」と興奮気味にツイートして、デビュー・ミニ・アルバムを紹介していたからだった。2010年のこと。僕はそれまで名前すら知らなかった。

 

 

しぎょうさんがデビュー・ミニ・アルバムの『マレウレウ』を絶賛していたから、慌てて僕も買った。六曲でわずか15分程度のアルバムなんだけど、一回聴いて僕もノックアウトされちゃった。なんか頭の中がグルグルしてトリップするような不思議な感覚に見舞われたのだった。ビックリしたなあ。

 

 

ヴォーカル・グループによるポリフォニーというと、例えばブルガリアン・ヴォイスとか、ピグミーの合唱とか、いろいろ凄いのをそれまでも愛聴してはいたんだけど、マレウレウのポリフォニーはそのどれとも似ていなかった。ここ日本にこんなとんでもなく凄いヴォーカル・ポリフォニーがあったんだなあ。

 

 

聴いたアルバムは15分程度のミニ・アルバムであっと言う間に終ってしまうから、どうにも物足りなくて、YouTubeで探すと、いろいろとライヴ動画があった。それでいろいろと聴きまくった。今ちょっと探してみたら、今は最近の動画が上に来るから、五年前に僕がよく聴いたものは見つからない。

 

 

まあしかしはっきりと憶えているのは、どのYouTube動画もとんでもなく素晴しく、マレウレウというヴォーカル・グループの真価は、スタジオ録音のアルバムももちろんいいんだけど、どっちかというとライヴ・ステージでこそフルに発揮されるのではないかということが、徐々に分ってきたのだった。

 

 

さっきも書いたように世界中に凄いヴォーカル・ポリフォニーがあるんだけど、こと日本の音楽に関しては、こんな凄いものは僕はそれまで全く聴いたことがなく、まあ僕はアイヌの音楽については安東ウメ子さんを多少と、OKIさんのダブ・アイヌ・バンドをほんの少し聴いている程度だったんだけど。

 

 

それでひょっとしたら僕が知らなかっただけで、アイヌ音楽にはこういう頭がクラクラするような凄いヴォーカル・ポリフォニーがあるのか?と思い、いろいろ聴いてみたけど、やっぱりマレウレウみたいなのは見つからなかったのだった。もっともマレウレウのレパートリーは基本アイヌの伝承歌らしいけど。

 

 

アイヌの伝承歌であるということは、マレウレウ以前にアイヌの人々の間には、こういうヴォーカル・ポリフォニーが存在していたのだろうか?勉強が全く足りないから分らない。あるいは昔から伝わっている曲の数々を、マレウレウ流にポリフォニー仕立に料理しあげて歌っているということなんだろうか?

 

 

ちょっとその辺り、彼女たちにじかに尋ねてみたい気持がする。一応Twitterで四人ともフォローしてお話しさせていただいてはいるものの、普段はあまり音楽とは関係のない話ばかりしていて、肝心のマレウレウの音楽そのものについて、あまり突っ込んだ話をしたことがないんだよなあ。わっはっは。

 

 

僕が凄い凄いとだけ言っても、ご存じない方には全く伝わらない思うので、一個ライヴ動画を貼っておこう→ https://www.youtube.com/watch?v=hby3n2fKspM 僕が最初の頃よく聴いていたのも、こういうのが多かった。ただこういうのを普段ロック等しか聴かない人に紹介しても、理解してもらえなかった。

 

 

これもなかなか凄いよねえ→ https://www.youtube.com/watch?v=yJPA1HI2jPw これ、多分僕が最初の頃によく聴いていたものの一つだなあ。こういうのが分りにくいロック・ファンなどには、OKIさんのバンドのバックで歌っているマレウレウがとっつきやすいのかもなあ。探しても出てこないけど。

 

 

一般のロックやジャズのファンとは違って、僕が一発でマレウレウにハマったのは、彼女達を紹介された頃には、既にジャズやロックなどの英米ポピュラー・ミュージックより、世界中のワールドミュージックを中心に聴くようになっていて、いろんなヴォーカル・ポリフォニーにも親しんでいたからだろう。

 

 

まあそんなこんなで2010年に完全にマレウレウの魅力の虜になってしまっていた僕は、2011年2月に浅草でライヴがあることを知り、当時はまだ東京在住だったから、これはもう万難を排して出かけて行ったのだった。その時は当然ながらしぎょうさんも一緒だった。この時がマレウレウの生体験初。

 

 

一部がマレウレウ、二部がUA、三部がその共演というメニューだった。マレウレウのバックにはトンコリ(アイヌ伝承の撥弦楽器)を弾くOKIさんがいたけど、冒頭はいつも通り(というのをいろいろ見ていたライヴ動画で知っていた)に、無伴奏の輪唱だった。10分くらいだったと思う。素晴しかった。

 

 

二曲目からはOKIさんのトンコリが入って七曲やった。七曲というのは憶えているわけではなく、このライヴの後数ヶ月して、この時のライヴ音源がOTOTOYから配信されたのを買って持っているわけで、確認したら冒頭の無伴奏の輪唱を含め八曲なのだ。OKIさんは打楽器をやったのが一曲あった。

 

 

やった曲の中で僕が一番好きなのが「カネレンレン」。これはデビュー・アルバムには入っていないけど、いろいろ聴いていたYouTube音源で知っていた曲で、マレウレウのレパートリーの中では最高にお気に入りのナンバーなのだ。紹介したいと思ってYouTubeを探しても出てこないのが残念。

 

 

OTOTOYの配信で買ったその『マレウレウ祭り〜めざせ100万人のウポポ大合唱! vol.2』が、生ライヴの追体験という意味でも、またマレウレウはライヴの方がはるかに凄いのだという意味でも、実に繰返しよく聴く音源。一時間以上、たっぷりマレウレウの天然トランス音楽を堪能できる。

 

 

OTOTOYのサイトで探したら、今でもカタログに残って売っている→ http://ototoy.jp/_/default/p/18756  素晴しい音楽が70分もあって1500円だから、格安だろう。配信とはいえ、今までのところは正式にリリースされているマレウレウのライヴ・アルバムはこれだけなのだから。

 

 

マレウレウは2012年に初のフル・アルバム『もっといて、ひっそりね。』をリリースした。全編無伴奏のウポポだったデビュー・ミニ・アルバムとは違って、OKIさんのトンコリを中心にいろんな伴奏が(控目だけど)入っていて、大好きな「カネレンレン」はクラブ・ミュージック風のアレンジになっている。

 

 

『もっといて、ひっそりね。』については、僕が知っている範囲内では、高く評価する人は残念ながら少ないみたいだけど、僕は素晴しいアルバムだったと思っているんだよね。マレウレウにあまりハマっていない、あるいは音楽を聴いてトリップしたことのない人には分りにくいだろう感覚があるんだよなあ。

 

 

なんといっても、何回目かに音量を上げて『もっといて、ひっそりね。』を聴いている時に、どういうことかよく分らないんだけど、身体がスーッと空中に浮上がるような、妙な感覚に襲われて、これってやっぱり一種の疑似トリップ体験なんだろうと思ってしまった。他にはなかなかそんな音楽はないよねえ。

 

 

今までのところ、公式にリリースされているマレウレウのアルバムは、先に書いた配信ライヴ音源以外は、二枚しかない。しかし彼女たちはかなり活発に国内外でライヴ活動を行っているようだから、早く正式なライヴ・アルバムが欲しいよねえ。あるいは前作から三年経ったから、そろそろ次作が出るのかな?

2015/09/14

「ラ・パローマ」とハバネーラの魅力

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数ヶ月前に、スーザ・バンドの「ラ・パローマ」をYouTubeにアップロードした(なかったので)。画像の方はなんの芸もないSP盤レーベルの画だけど、なかなかいい演奏だし、三分ちょっとなので、是非聴いてみてほしい。https://www.youtube.com/watch?v=VOunR0Ac0hE

 

 

マーチ王として有名なスーザは、セバスチャン・イラディエール作曲の「ラ・パローマ」を何度も繰返し録音しているようだ。SPレーベルだけでも画像検索すると何種類も出てくるけど、音源は、アップした1910年のヴィクター録音(Victor-16529)しか僕は持っていない。中村とうようさん編纂の『アメリカン・ミュージックの原点』に収録されているもの。

 

 

それにしても、YouTubeへのアップロードは、三年前に三つほどやった時と比べると、随分と簡単になったなあ。三年前との違いは、YouTubeページに”Upload”ボタンができたこと。これをクリックして、作ってローカルに保存してある動画ファイルを指定するだけでアップロードできてしまう。

 

 

そしてアップロードしたら、タイトルと説明を書くだけ。ちなみに、僕がYouTube用の動画作成に使っているのは、Macに最初から入っているiMovie。しかも最新ヴァージョンではなく、旧ヴァージョンのver.9.0.9。旧ヴァージョンといっても、2014年のヴァージョンだけど。

 

 

はっきり言ってiMovieだけは、ver.10になって、はるかに使いにくくなってしまった。そもそもそのver.10が出てインストールした時、旧版がフォルダに入って保存されそっちも残ったということが、なにかを物語っているような気がする。改悪だったよなあ。

 

 

今回も、最新のiMovie(10.0.8)でやってみようと思って、ちょっとやってみたけど、分りにくくてすぐに諦めちゃったんだよなあ。そもそも音源と画像とのドッキング方法がよく分らなかった。旧ヴァージョンだと実に簡単。

 

 

今回アップロードしたスーザ・バンドの「ラ・パローマ」は、一応英語で簡単な説明を入れておいたけど、日本語でも書いておこうかとちょっとだけ思った。でも日本語の説明入れても、読む人いるのかなあ?三年前にアップロードしたマイルス・デイヴィスの音源三つにしても、Analytics見ると、ほぼ外国からのアクセスばかりだし。ちなみに、僕のYouTubeアカウントのアイコンは、ブログのアイコン(Twitterアイコン)と同じにしてあるので、一瞬で僕と分ると思います(笑)。

 

 

まあそれはともかく、最近、「ラ・パローマ」とか「シボネイ」とかの、古いキューバの曲(「ラ・パローマ」の方はスペイン人作曲家の作品だけど)を聴きたくなって、CDをいろいろ引っ張り出したり、YouTubeで検索して、結構聴いている。魅力的だよねえ。

 

 

イラディエール作曲の「ラ・パローマ」は、一説によると、もっとも録音(カヴァー)の多いポピュラー・ソングとして、ギネスブックに認定されているそうだ。僕の知っている範囲では、ビートルズ(ポール)の「イエスタデイ」もむちゃくちゃ多いはずだけど、どっちが多いんだろう?

 

 

ちょっとググってみたら、やっぱりビートルズの「イエスタデイ」か「エリナ・リグビー」が一番カヴァーが多いという調査結果が出てきた。でもこれ、英語使用者によるものということなんじゃないかなあ?どうなんだろう?「ラ・パローマ」は元々スペイン語の歌詞だけど、英訳詞も古くからあるけどなあ。

 

 

まあ、「イエスタデイ」なのか「ラ・パローマ」なのか、どっちが録音回数が多いのかは、正確なことは誰にも分らないはずだけど、僕個人が現在魅力を感じているのは、圧倒的に「ラ・パローマ」の方だなあ。でもググっても、カヴァーした歌手や演奏家一覧というのは出てこないなあ。誰かまとめてくれ。

 

 

ちなみに、僕は2005年に中村とうようさん編纂の『アメリカン・ミュージックの原点』で、スーザ・バンドの「ラ・パローマ」を聴いて以来、すっかりこの曲に惚れてしまい、この曲だけをやっているいろんな歌や演奏だけを集めた、ドイツのレーベルから出ている全六枚のシリーズCDを持っている。全六枚計100曲以上、全部「ラ・パローマ」だけという。

 

 

ビートルズの「イエスタデイ」のカヴァーだけを集めたCDとかって、あるのだろうか?かなり高い確率でありそうではあるけど。ところで”Yesterday”っていう名前が入っている曲やアルバム、映画、小説など、むちゃくちゃ多いので、これだけで探すと、いろんなのが出てくる。堀ちえみも出る。

 

 

ところで、とうようさんの『アメリカン・ミュージックの原点』では、その二枚目にスーザ・バンドの「ラ・パローマ」(1910)と、ジェリー・ロール・モートンのソロ・ピアノ録音「ティア・ファーナ」(1924)が続けて並んでいて、かなりはっきりとしたとうようさんの意図が感じられるのだ。

 

 

ジェリー・ロール・モートンの「ティア・ファーナ」も、ミドル・テンポで左手がハバネーラ風に跳ねていて、世界最初のハバネーラ曲とも言われる「ラ・パローマ」と似たような感じ。モートン自身はそれを”Spanish tinge”と呼んでいた→ https://www.youtube.com/watch?v=n-UPZr4-xvM

 

 

そして、これもとうようさんが指摘してたと思うけど、カーラ・ブレイの「リアクショナリー・タンゴ」(1981)も同じ感じだよねえ。まあこっちはハバネーラというより、曲名通りタンゴだけど、タンゴのリズムだってハバネーラから派生したもんね。https://www.youtube.com/watch?v=HO3-jvdVLQ4

 

 

要するにとうようさんが言いたいことは、19世紀末の「ラ・パローマ」に始るハバネーラの流行が、おそらく世界のポピュラー音楽発生に関わる重大事だったのではないかということだった。そして、これは1981年のカーラ・ブレイから、2001年のロス・スーパー・セヴンの「シボネイ」まで続いているものなのだ。

 

 

ロス・スーパー・セヴンの『カント』でラウル・マロが歌う「シボネイ」も最高なので、ご存じない方は是非ちょっと聴いてみてほしい。ヴォーカルとドラムスとピアノだけというシンプルな編成で、リズムの骨格とメロディの素晴しさが浮き出ていて、僕は大好き→ https://www.youtube.com/watch?v=SLhNQaaSB9k

2015/09/13

マグレブ系伝統音楽とマグレブ系ミクスチャー音楽

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HK&レ・サルタンバンクの2015年の新作『Rallumeurs d'Étoiles』、数ヶ月前に初めて聴いた時はピンと来なかったけど、しばらく聴いたらかなりいいと感じるようになってきた。伝統的なマグレブ・サウンドには敏感なくせに、こういうミクスチャー系サウンドには鈍感な僕。

 

 

 

このアルバムの中では、この曲が一番いいと思う→ https://www.youtube.com/watch?v=f3SDCmyhFrc この動画、HKがフランス語で歌っている歌詞の意味が分らなくても、映像を見ているだけでこの曲とアルバムのテーマが伝わってくるね。リズムはレゲエっぽい。

 

 

ミクスチャー系バンドに鈍感というより苦手だから、HKのサルタンバンクも今まであまりいいと思ったことがなかった。HKに対する僕のそういう苦手意識を根底から覆したのが、2014年の別ユニットによる『HK Présente Les Déserteurs』だったのだ。取りあげている曲が全てシャンソン(誰でも知っている有名曲も数曲ある)で、しかもそれをアルジェリア系らしく完全にシャアビ流に料理していて、これがもうとんでもない大傑作。僕は2014年ベストテン新作篇の第一位に選んだくらいだった。

 

 

 

それでHK(カドゥール・アダディ)のことをかなり考え直して、それまでのいくつかのHK&レ・サルタンバンクの過去作もじっくり聴直してみたんだけど、それでもやっぱりどうもそういうものは、僕にはイマイチなのだった。

 

 

でもHKと同じく在仏アルジェリア系のアマジーグ率いるグナワ・ディフュジオンなんかは、最初の頃から大好きで、新作が出るたびに買って愛聴してきたんだから、HK&レ・サルタンバンクも好きになってもよさそうなものではあったけど、なぜだったんだろうなあ?自分でもよく分らない。

 

 

まあでもグナワ・ディフュジオンの場合は、僕が最初に聴いた99年の『バブ・エル・ウェド・キングストン』では、ミクスチャー系が多かったものの、個人的にはグナーワやシャアビの印象が強い。あのアルバムでもラガ風ミクスチャー・サウンドみたいな曲は、最初はそんなに好きじゃなかったもん。

 

 

つまり二曲目の「シャッターを開けろ」とか四曲目のアルバム・タイトル曲とかより、九曲目のグナーワ(からすぐにラガマフィンになるけど)「サブリナ、あるいは天然ガス」や、ラストのシャアビ「夜の奧のガゼル」とかの方に惹かれていた。このバンドの本領は、一曲目とか二曲目とか四曲目などの、ラガ・ベースのマグレブ系ミクスチャーだろうけど。

 

「サブリナ、あるいは天然ガス」→ https://www.youtube.com/watch?v=1n78IiiCehg

 

「夜の奧のガゼル」→ https://www.youtube.com/watch?v=DH7xEPnQ79I

 

 

だから、ミクスチャー・サウンドが一層進んだ2003年の『スーク・システム』とかは、大変な傑作だとは思うものの、実はそんなに好きじゃなかった。もっともあのアルバムがメジャーのワーナーから出たこともあって、あれで一気にこのバンドの認知度が高まって、大きな人気も出たわけだけど。

 

 

ついでに言っておくと、その『スーク・システム』の日本盤が出た時に、ワーナージャパンのバンド名表記が「グナワ・ディフュージョン」だったせいで、それで各種メディアやライターさん達も一斉にそれに倣うようになってしまい、まあそんなこともあって僕にとっては、いろんな意味で複雑な気持になるアルバムだった。

 

 

このバンドでは、2015年の今でも『バブ・エル・ウェド・キングストン』が一番好き。『スーク・システム』とかより、そっちの方が好きだというファンは少数派かも。僕はどの国の音楽でも、現代風のより古典伝統的、あるいはそのバランスが取れているものを好きになる場合が多い。もちろん例外はあるけども。

 

 

グナワ・ディフュジオンに関しては、僕の知る限りでは、1999年の『バブ・エル・ウェド・キングストン』が、このバンドが日本に紹介された最初(日本盤のアルバム名表記は『バベル・ウェド・キングストン』)だったはず。当時の新宿丸井地下のヴァージンメガストアで、偶然発見して買ったのだ。

 

 

なお、繰返しになるけど、この『バブ・エル・ウェド・キングストン』の日本盤がオルター・ポップから出た時は、バンド名表記はちゃんとグナワ・ディフュジオンになっていたんだよなあ。フランスのバンドなんだから、Gnawa Diffusionはグナワ・ディフュジオンだよ。あんまり言うと、お前もマイルスをマイルズにしろよと言われそうだけど。

 

 

関係ない話だけど一応書いておくと、Milesの場合は、語尾の子音である"s"は、実際の発音時には殆ど消えてしまって聞えない。実際、いろんなライヴ・アルバムで彼を紹介しているMCや、あるいはサイドメンだった人達の様々なインタヴューなどを聴いても、Milesの語尾の"s"が聞えるものはただの一つもない。だから、語尾まではっきり音にすればズになるのは分ってはいるけれど、それにこだわるのは、あまり意味のないことだろう。一方、僕がこだわってブルーズと表記するbluesは、英語ネイティヴの発音を聴くと、これはもうはっきりズと言っているのが分るので。

 

 

話を戻そう。グナワ・ディフュジオンを知った前年1998年に出たオルケストル・ナシオナル・ドゥ・バルベス(ONB)のデビュー・アルバムにすっかりハマってしまっていた僕は、その翌年のこのグナワ・ディフュジオンの『バブ・エル・ウェド・キングストン』で、完全にアラブ音楽というかマグレブ音楽嗜好が決定的になってしまって、現在まで続くというわけ。

 

 

そのONBのデビュー・アルバム(ライヴ盤)は、当時のパソコン通信の音楽友達に勧められて、渋谷のHMVで買ったのだったが、翌年のグナワ・ディフュジオンの『バブ・エル・ウェド・キングストン』は、さっき書いたように新宿で偶然見掛けて、ジャケとアルバム名だけで良さそうだと直感して買った。

 

 

まあONBだって、マグレブ系ミクスチャー・バンドじゃないかと言われたら、その通りだけどね。でも僕の場合は、ONBのデビュー作やグナワ・ディフュジオンの『バブ・エル・ウェド・キングストン』で、ミクスチャー系を探求する方には向わず、ルーツ系というか、グナーワやシャアビなどのマグレブ伝統音楽に興味を持ったのだ。

 

 

ゲンブリ(三弦のベース風撥弦楽器)やカルカベ(金属製カスタネット)なども、ONBのデビュー作で聴いてはいたものの、『バブ・エル・ウェド・キングストン』で、そういうグナーワで使われる楽器が大好きになり、ゲンブリは購入先が分らなかったので、ネットで見つけたカルカベを買ったりした。

 

 

昔はそういう実店舗での偶然の出逢いがあったけど、ネット通販中心の今はそういうことがなくなってしまったと言う人も多いけど、ネットを徘徊しまくっていれば、結構情報があってそういう出逢いは今でもある。手に取ることはできないけど、サンプル音源は聴けたりして、あんまり変らないんじゃない?

 

 

そんなことを考えながら、グナワ・ディフュジオンの『バブ・エル・ウェド・キングストン』を、iTunesにインポートしたら、ジャンル名が「Reggae」になる。これはこれで間違いではない。アマジーグも、ボブ・マーリーに一番影響を受けたらしいし、アルバムの音作りが基本レゲエ(ラガ)だ。

 

 

実際、レゲエ等ジャマイカ音楽研究・評論家の藤川毅さんも、以前アマジーグのソロ・アルバムが刺激的だったと言っていたし、グナワ・ディフュジオンについても、そう思っているはず。だから、HK&レ・サルタンバンクの今年の新作も、聴いたら多分気に入ってもらえるはず。

2015/09/12

マイルス ー 「ディレクションズ」 の変遷 1968〜71, Part 2

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昨日から、マイルス・デイヴィス、69〜71年のライヴでの「ディレクションズ」にこだわっているけど、このジョー・ザヴィヌルの曲がマイルスによって初めて取りあげられたのは、昨日も書いたように、1968年11月のスタジオ録音→ https://www.youtube.com/watch?v=GOGX6XF6bpg

 

 

このスタジオ・ヴァージョン、エレピが低音部で弾くリフがカッコいいんだけど、これにはチック・コリア、ハービー・ハンコック、ザヴィヌルの三人が参加していることになっていて、一体誰がそれを弾いているのか、僕の耳では判断できない。だけど、そのリフを作ったのが、作曲者のザヴィヌルであることだけは、間違いない。

 

 

68年11月だから、これを書いたザヴィヌルはキャノンボール・アダレイのバンド在籍の末期。ザヴィヌルは、キャノンボールのバンドでは「マーシー、マーシー、マーシー」とか「カントリー・プリーチャー」とかの真っ黒けな曲を書いていて、これがウィーン生れウィーン育ちの白人によるものとは信じられないほどだ。

 

 

この68年11月のスタジオ録音直後から、マイルス・ロスト・クインテットのライヴでの定番オープニング・ナンバーとなって、昨日も書いたように、69年に多くのライヴ録音が残されている。もう一回11/5のを貼っておこう→ https://www.youtube.com/watch?v=jI02ZaZWfL4

 

 

でも、こういう69年のロスト・クインテット時代のライヴでの「ディレクションズ」は、ファンキーな感じはあまりしない。むしろ前年のスタジオ・ヴァージョンの方がファンキーに感じるほどだ。この曲がマイルスのバンドのライヴでファンキーな感じに変貌するのは、70年に入った頃からのことだ。

 

 

公式に発売されているものだけだと、70年は3月のフィルモア・イーストでの音源が最初になる→ https://www.youtube.com/watch?v=nla8UCWUhPk サックスがショーターのままのロスト・クインテットにアイアート・モレイラが加わっただけなのに、リズムが69年とは全然違ってタイトになっている。

 

 

余談だけど、ブラジル出身のドラマー/パーカッション奏者のアイアート・モレイラは、この70年頃、ウェザー・リポートからも、バンドのレギュラー・メンバーにならないかと誘われていたそうだ。実際、ウェザー・リポートのデビュー・アルバムの録音には参加しているけど、レギュラー・バンドとしては、結局マイルスの方を選んだようだ。

 

 

さてこの頃は、ホランドのエレベのラインはまだそんなにファンキーでもないし、チックのエレピも基本的にはロスト・クインテット時代のパターンをほぼそのまま弾いている。違うのはディジョネットのドラムスだけだ。だけと言っても、それが大きな違いだけど。このライヴ音源は2001に発売されたの。

 

 

実を言うと、70年にはNYのフィルモア・イースト、サンフランシスコのフィルモア・ウェストの両方に、マイルス・バンドは相当な回数出演していて、それらはほぼ全てコロンビアが公式録音したらしい。その中から今までに公式で出ているのは、この3月7日と4月10日と6月の四日間の三種類だけだ。

 

 

3月の録音が2001年に出るとなった時、4月(『ブラック・ビューティー』)や6月(『マイルス・アット・フィルモア』)でのグロスマンがダラしないから、3月はショーターなので期待したんだけど、いざ聴いてみたら、この頃にはもうショーターの音はやや古くて、バンドに合わなくなっているのが分ってしまった。それに、この頃のマイルス・バンドでのスタジオ録音では全部ソプラノなのに、ライヴではなぜか全部テナーだ。

 

 

だから、ダラしないけど音色そのものは新しいグロスマンの方がまだちょっとマシだったんだと分ったというわけ。そのグロスマンが参加してからの初のライヴ録音、4月のフィルモア・ウェストでの「ディレクションズ」。 たった一ヶ月でかなり違う→ https://www.youtube.com/watch?v=0dYqZSuBAog

 

 

ディジョネットのドラムスが相当にタイトでシャープ(スネアがストンストンと気持いい)だし、その上、チックがエレピで弾くイントロが、わずか一ヶ月前にはあったロスト・クインテットの残滓が完全になくなっていて、超カッコいい。最初にこの『ブラック・ビューティー』を聴いた時から、このチックの弾くイントロのエレピが大好きだ。

 

 

マイルスはもちろんだけど、このチックのエレピがむちゃくちゃいいんだよね。フェンダー・ローズにエフェクターをかけて、音を歪めたり飛ばしたりするのが、何度聴いてもカッコイイと思うなあ。なお、マイルスは右チャンネルに出たり左チャンネルに出たりして、一体どうなってるの?

 

 

69年のロスト・クインテットの頃が一番凄いチック・コリアのエレピだけど、この70年4月のフィルモア・ウェストの時点では、まだまだカッコイイね。これが二ヶ月後のフィルモア・イーストでの四日間になると、キーボードでは、もうキース・ジャレットの方に主導権が移ってしまっているんだなあ。

 

 

また、この4月の時点では、その後マイケル・ヘンダースンも踏襲したエレベのパターンを、まだホランドは弾いていないのが分る。『ブラック・ビューティー』で、ホランドのエレベが一番カッコイイのは、この「ウィリー・ネルスン」。ファンキーだ→ https://www.youtube.com/watch?v=cRNIJwt2DtA

 

 

6月のフィルモア・イースト四日間での「ディレクションズ」でのエレベのリフ→ https://www.youtube.com/watch?v=WdbgmxCYS0k これは、だからその4月〜6月の間のいつかの時期に思い付いたことになる。ファンキーでカッコイイけど、さっき貼った「ウィリー・ネルスン」のリフに少し似ている。

 

 

そして、その6月のフィルモア・イーストの頃になると、「ディレクションズ」というナンバーは、かなりファンク・ナンバーに近づいていて、半年くらい前までは、フリー・ジャズな雰囲気だったのに、大きな違いだ。僕はどっちも大好きなんだけど、多くのファンにアピールするのは70年6月の方だね。

 

 

デイヴ・ホランドの弾くベースがウッドベースからエレクトリック・ベースにになったのは大きな違いだけど、それ以外は、バンド・メンバーだって、サックス奏者が交代した程度の違いしかないのに、半年でこれだけ変るんだなあ。まあバンドのサウンドが変化するときというのは、こういうもんなんだろう。

 

 

このホランドの作り出した(と思う)「ディレクションズ」のベース・ラインは、昨晩書いたように、ほぼこのまま、その後ホランドに代って加入するマイケル・ヘンダースンにも踏襲されている。これは70年12月録音。ベース・ラインは同じだよね→ https://www.youtube.com/watch?v=M34WtN7sKhI

 

 

個人的には、昨晩も書いたように、この70年12月のセラー・ドアでの「ディレクションズ」が、マイルスのやったこの曲のヴァージョンの中では一番好きなものだけど、一般的には70年6月のフィルモアの方がウケるかもしれないね。セラー・ドアの方は、かなりヘヴィーだし、マイルスも電気トランペットになっているし。

 

 

なお、マイルスは翌71年のライヴ(主に欧州公演)でも、まだオープニングに「ディレクションズ」をやっているけど、そっちは、マトモなのがYouTubeに上がっていない。だけど、去る7月17日に発売された未発表ライヴ音源集四枚組で、その71年のライヴが初公式リリースされている(はず)。

 

 

ちなみにブートで聴く限りでは(音質明瞭なのがあまりないし、あってもアタマが切れているのが殆ど)、71年の「ディレクションズ」は、テンポがやや変ってグッと重心が低くなり、70年12月のセラー・ドアと比べても、もっとヘヴィーになって、ファンク度は増しているけど、疾走感はあまりない。

 

 

また、71年後半の欧州公演では、ドラムスがレオン・チャンクラーに交代したばかりか、パーカッションも二人になって、リズム隊が増強されている。「ディレクションズ」でもそうだし、他の曲でも、翌72年スタジオ録音の『オン・ザ・コーナー』の兆候と感じられる部分が少しあるのが興味深いところだ。

2015/09/11

マイルス ー 「ディレクションズ」 の変遷 1968〜71, Part 1

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一部では昔から評判の悪いジョー・ザヴィヌル。彼がマイルス・デイヴィスのアルバムに参加しているものでは、『イン・ア・サイレント・ウェイ』や『ビッチズ・ブルー』では、いい曲を提供しているし、演奏もファンキーでいいんだけど、僕が一番好きなのは、曲単位では「ディレクションズ」だったりする。

 

 

「ディレクションズ」は、ザヴィヌルがマイルスとの録音のために書いたオリジナル曲で、一緒に1968年に録音したものの、1981年のマイルス復帰直前に出た未発表曲集二枚組『ディレクションズ』に収録・発表されるまで、長年お蔵入りしたままだった。
https://www.youtube.com/watch?v=GOGX6XF6bpg

 

 

スタジオ録音のオリジナルは81年までリリースされなかったとはいえ、マイルスはレギュラー・バンドで69〜71年の三年間、ライヴのオープニングに必ずこの「ディレクションズ」を使っていたので、公式ライヴ盤もブートも含め、様々な形で録音が残されてはいる。

 

 

例えば、1970年6月録音の『マイルス・アット・フィルモア』でも、同年12月録音の『ライヴ・イーヴル』でも、現場でのオープニングは「ディレクションズ」で、そこから収録されてはいるものの、テーマはバッサリカット、跡形もなく編集されているため、「ディレクションズ」だとは分らない。

 

 

マイルスのアルバムで、この曲が初めて完全な形で姿を現したのは、1970年4月録音のライヴ盤『ブラック・ビューティー』(このブログのタイトルは、ここから取ったのではない)。しかも、これは1973年になって発売されたもの。73年にはもうこの曲はやっていないから、リアルタイムでは69〜71年のライヴを聴けたファンしか知らなかったことになる。

 

 

今では公式盤でも『1969マイルス』やフィルモア四日間完全盤や『セラー・ドア・セッションズ 1970』などがリリースされているため、当時のライヴの冒頭を飾った「ディレクションズ」の様子を丸ごと楽しむことができるけど、長年マイルス・ファンは、ほぼブートでしか聴いていなかったのだ。

 

 

もっとも、このザヴィヌルの曲、ウェザー・リポートでも結成当時から随分長い間ライヴでの定番曲だったし、1972年録音の『ライヴ・イン・トーキョー』(当初日本でのみ発売)にフル・ヴァージョンが収録されていたので、日本のファンはウェザー・リポートの方でこの曲を知っていたという人が多いはず。

 

 

マイルス・バンドのライヴでの「ディレクションズ」は、69年、70年、71年と、様相が全く異なっていて、別の曲のように聞える。70年でも鍵盤がチック一人だった4月の『ブラック・ビューティー』、チック&キースの6月『フィルモア』、キース一人の12月『セラー・ドア』では、かなり違う。

 

 

 

 

 

 

 

 

聴き慣れない方には、そんなに違わないかもしれないけど、僕の耳には、かなり変化していると聞える。なお、マイルスがライヴのオープニング・ナンバーに三年間も同じ曲を使い続けていたのは、このザヴィヌルの「ディレクションズ」だけ。よっぽど気に入っていたのだろう。サイドメンもいろいろ変っているけど、ドラムスのジャック・ディジョネットだけはずっと同じ。

 

 

当時の「ディレクションズ」の変化を聴くだけで、その頃のマイルス・ミュージックの変化が分る。69年のライヴでは、まだフリー・ジャズ風な雰囲気がかなり残っていて、70年6月のフィルモアでもまだベースがデイヴ・ホランドだけど、12月にはベースがR&B〜ソウル畑のマイケル・ヘンダースンになって、完全にファンク調になっている。僕は、このセラー・ドア・ヴァージョンの「ディレクションズ」が一番好き。

 

 

こうした69〜71年の、ジャズからファンクへという音楽的変化は、マイルスの全音楽キャリアでも最も重要な変化だった。それは、当時のスタジオ録音アルバムだけでは突然に見えるし、ライヴ盤でも長年公式盤だけでは分りにくかった。ようやく近年になって公式盤でも音源が揃ってきたというわけ。

 

 

この「ディレクションズ」、69年、70年各種と今では公式盤でもいろいろと聴けるようになっているけど、長年なかった71年のヴァージョンも、七月にリリースされた未発表ライヴ集四枚組に収録されているはずだ(まだ買っていないから、確認できていない)。

 

 

ついでにウェザー・リポートのも貼っておこう。解散後の2006年になって、ベスト盤ボックスに収録されて初めてリリースされた、71年録音のスタジオ版→ https://www.youtube.com/watch?v=yTaGdRuMsAE そして72年東京でのライヴ録音→ https://www.youtube.com/watch?v=tMt2zY_aE18 ほぼ同じだなあ(笑)。

2015/09/10

アルバム・ジャケットで買ったもの/買わなかったもの

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チュニジア(フランス)のドルサフ・ハムダーニ、トルコのヤプラック・サヤールと並んで、現役バリバリの女性歌手では、最も好きな一人であるヴェトナムのレー・クエン。いろいろと繰返し聴いてみて、今までのところの最高作は、結局2012年作のコレかもしれないなと感じ始めている→ http://www.youtube.com/watch?t=14&v=SB5-qG32mnU  僕が一番好きな2014年作と似ているよねえ。どちらもヴェトナム民俗色は強くない。

 

 

2012年作の方は、ジャケット(上掲左)がイマイチ好みではないので、なかなか買わなかったんだよなあ。2014年作の方は、もうジャケットが最高に素晴しくて、見た瞬間傑作に間違いないと確信したくらいだったけど。やっぱりそういうことってあるよなあ。

 

 

高校生の頃も、チャールズ・ミンガスの『道化師』(の最初の「ハイチ人の戦闘の歌」)を植草甚一さんが凄く誉めてて、それで買おうと思ってレコード屋に行って、ジャケット(上掲右)見てやめたんだよなあ。あのジャケットはミンガスを全く知らない17歳にとっては、ちょっと遠慮したい雰囲気があった。

 

 

何を隠そう、高校三年の時に初めてジャズを聴いてみようと思ったきっかけが、植草さんのそのエッセイ(タイトルは忘れちゃった)。その中で植草さんは、MJQの『ジャンゴ」とミンガスの『道化師』とマイルスの『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』の三つを、入門者向けとして推薦していたのだった。

 

 

それでその三つをメモしてレコード屋に行ってはみたものの、ミンガスの『道化師』だけでなくマイルスの『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』もジャケットが怖くて買うのをやめた(今でこそカッコイイと思ってるけど)。それで、MJQの『ジャンゴ』だけ、ジャケットが気に入ったので買って帰った。

 

 

どうもその頃は、僕は『ジャンゴ』みたいな文字中心でデザインされたアルバム・ジャケットが好きだったみたい。その時、一枚だけではなんだからと探して、トミー・フラナガンの『オーヴァーシーズ』もジャケットが大いに気に入って、一緒に買ったのだった。あれも文字だけをあしらったデザイン。

 

 

昔はアトランティックなどよりブルーノートのジャケット・デザインが大好きだったのも、そういう文字を効果的にあしらったデザインが多かったせいだったのかもしれないなあ。そういう趣味は、ジャズのLPばかり買ってた時期だけのものだったけど。

 

 

ミンガスの『道化師』もマイルスの『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』も、最初はジャケットでビビって買わなかったものの、ジャス喫茶で聴いたら凄くいいので、それで気に入って結局買ったわけだけど。でも、ジャズに限らず、どんなジャンルでも、ジャケットで敬遠しちゃうものってあるね。

 

 

24歳の時に初めて買ったワールドミュージックのLPであるキング・サニー・アデの『シンクロ・システム』は、ジャケットも凄く魅力的だった。CDでは一度もあのオリジナル・ジャケットでリイシューされていないのが本当に残念。2in1の奴なら小さく映ってはいるけど、あれじゃあちょっとなあ。

 

 

ついでに言うと、あのキング・サニー・アデの『シンクロ・システム』みたいな歴史的傑作が、『オーラ』との2in1以外は廃盤のままっていうのは、いったいどういうわけなんだ?いつでも誰でも買って聴けるようにしておかなくちゃダメでしょ。新規リスナーが入ってきにくいじゃん。イカンよなあ。

 

 

だいぶ前に荻原和也さんもブログで書いてらしたけど、キング・サニー・アデの『シンクロ・システム』を、デラックス版かなんかにして、音もリマスターして、アイランド盤のオリジナル・ジャケットでCDリイシューできないものかなあ。今、僕が持っているCDも、オリジナル・ジャケットじゃないし、音質もイマイチ。

 

 

ご存じない方のために。『シンクロ・システム』のオリジナル・ジャケはコレ↓

 

 

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そして現在僕が持っているマンゴ盤CDがコレ↓

 

 

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バート盤2in1がコレ↓


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ちょっとYouTubeを見てみたら、『シンクロ・システム』の音源をアップしているものの多くが、マンゴ盤CDのジャケットを使っている。その一方で、アイランド盤オリジナル・ジャケを使っているのも一部ある。知らない人が初めてYouTubeで見たら、ちょっと混乱するんじゃないかなあ。

 

 

ジャズやロックの過去名盤の世界では少なくなってきたけど、ワールドミュージックの世界では、ジャケットを変えてリイシューされるなんてことが、当り前にある。『シンクロ・システム』みたいな歴史的名盤ですらそうだから。まあジャズやロックでも、同じジャケで色味が違うなんてことはザラにあるけど。

 

 

もっともジャズの名盤の場合、戦前のSP音源は、「オリジナル」というのは曲単位のSPのことなので、その後のどんなLPもCDも、全て編集盤でしかなく、オリジナルではない。LPやCDではオリジナル・ジャケットは存在しない。そういうわけで、今でも様々に編集されていろんなジャケで出てる。

 

 

もちろんジャズだけではなく、ブルーズでもポップスでもワールドミュージックでもクラシックでも、戦前のSP時代から録音作品がある世界では、全部そうだけど。なかにはそういうSP音源を集めて出したLPやCDリイシューの中にも、リイシュー・ジャケット名盤ってものがあるね。

 

 

まあいろいろ言ってるけど、結局言いたいことは、最初に戻るけど、レー・クエンの2014年作『Vùng Tóc Nhớ』のジャケットが素晴しい(中身も最高!)ということ。というわけで、それをTwitter公式のヘッダー・フォトにしてみたけど、そうすると、これがなんかイマイチだからやめた。

 

 

言うだけじゃあれなんで、そのレー・クエンの『Vùng Tóc Nhớ』のジャケットを貼っておこう↓

 

 

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僕は、エル・スールのサイトで最初にこれを見た瞬間に惚れ込んでしまい、そして貼ってある音源を聴いたら、完全に骨抜きになってしまった→ https://www.youtube.com/watch?v=_ryz6o2HE8k

 

 

あと、今年の作品では(今のレー・クエンのは昨年の作品だけど、日本に入ってきたのは今年)、セネガル人歌手ファーダ・フレディの『ゴスペル・ジャーニー』なんかも、アルバム・ジャケットを見た瞬間に、傑作に違いないと直感できるものだったね↓

 

 

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2015/09/09

ドローレス・ドゥラーンを歌うニーナ・ベケールのライヴ動画がチャーミング

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ドローレス・ドゥラーンを歌うブラジル人女性歌手ニーナ・ベケールのライヴ動画→ https://www.youtube.com/watch?v=h2yl4jvho_o 音源をダウンロードしてCDRに焼いたのを、結構何度も聴いていた。これ、曲単位にファイルを切れたらいいんだけどなあ。Audacityでできるけど、面倒くさくてやっていない。

 

 

このライヴ動画、曲単位に切りたいだけでなく、知らない曲もあるから、それがなんという曲なのかも知りたいんだよね。僕はドローレス・ドゥラーンを全部聴いているわけではない、というかあまり聴いていない。僕が持っているドローレスのアルバムはこれだけ→ http://www.amazon.co.jp/dp/B003ZUADFY/

 

 

 

実は僕、ニーナ・ベケールのドローレス・ドゥラーン集があることを知った今年三月頃、そのCDを買う前に、このYouTube動画を知り、愛聴していた。スタジオ録音のCDアルバムを買ったのは、その一ヶ月後くらいだった。ライヴ動画は2014年8月にアップされているから、その少し前のものなんだろう。

 

 

そもそも『MINHA DOLIORES – Nina Becker Canta Dolores Duran』は、数年前に配信限定でリリースされたのが大きな反響を呼んで、ブラジルで昨年CDリリースになったものらしい。そのブラジル盤CDも、なかなか日本に入ってこず、エル・スールに入荷したのが、今年四月。

 

 

スタジオ・アルバムのブックレットにある(ポルトガル語の)覚書きみたいなものの日付が、2014年5月になっているから、ブラジル本国では、おそらくその直後にリリースされたんだろう。日本でも早い人は、昨年末頃に入手していたようだ。

 

 

その中で、ニーナ・ベケールの歌う「ヴォウ・ショラール」。スタジオ・ヴァージョンではエレピ(ウーリッツァー)が入っていて間奏を弾くけど、ライヴ版では十弦バンドリンと七弦ギターのみの伴奏だから、バンドリンが間奏を弾く。ニーナ自身の歌は、ライヴでは若干音程が不安定だし、スタジオ・ヴァージョンの方が、音響効果のせいもあっていいけどね。

 

 

スタジオ・ヴァージョンの「ヴォウ・ショラール」→ https://www.youtube.com/watch?v=YVrfsvcoZ6I  あまりに美しくて、聴きながらウットリしてしまう。大半の曲はライヴ・ヴァージョンの方がいいだろうと思う僕も、この曲だけはスタジオ・ヴァージョンの方が好きだ。

 

 

その他、カエターノ・ヴェローゾとの共演でも有名なペドロ・サーがエレキ・ギターのソロを弾く曲もあったりして、スタジオ・アルバムの方は、ややカラフルな仕上りになっているんだけど、僕の個人的な印象では、シンプルな伴奏のライヴ・ヴァージョンの方が好きだ。

 

 

スタジオ・ヴァージョンでもライヴ・ヴァージョンでも、ニーナ・ベケールのバックで十弦バンドリンを弾いているのは、ルイス・バルセロスという人で、この人の2014年作『Depois Das Cinzas』が、今年になって日本でも買えるようになったので、早速買って聴いたけど、これも最高だった→ http://www.youtube.com/watch?v=-o-yKMxVmRw

 

 

こういう王道のショーロ・カリオカが、僕はもう本当に好きで、おそらくあらゆるブラジル音楽の中でも、一番好きなのかもしれないとすら思ってしまうくらいだ。これは、同アルバムから、ルイス・バルセロス自身の公式チャンネルが上げている音源→ https://www.youtube.com/watch?v=BxSM7axL5VA

 

 

そもそも僕はバンドリンの音が大好きで、その上バンドリンが活躍しているショーロには、もうまったく目がない(というかショーロ以外でバンドリンという弦楽器を聴いたことがない)ので、そんな感じの伴奏になっている、ドローレス・ドゥラーンを歌うニーナ・ベケールのライヴは、僕にとってはもう極上の音楽なんだよね。

 

 

僕はいつ頃ショーロのバンドリンの音を初めて聴いたんだろう?20年前くらいに、ジャコー・ド・バンドリンで夢中になったことは確かだけど、もっと前から聴いていたはずだ。なにかのショーロの企画盤というか、現代のショーロ演奏家達が、過去のショーロの名曲をやったアルバムだったような気がする。

 

 

なんというアルバムだったのか、CDになっているのかどうかもチェックしてないけど、確かそんなアルバムで、ピシンギーニャの「1×0」とか「ラメント」とかの名曲も知ったのだった気がする。それらの曲を作曲者のピシンギーニャ自身のヴァージョンで聴いたのは、もっともっとずっと後のことだった。

 

 

だいたい、ジャズが好きな人はショーロも好きになりそうな気がするよねえ。それくらいジャズ・ファンとショーロは相性がいいんじゃないかなあ。ショーロの方が少し歴史が長いけど、まあ似たような器楽音楽だ。ショーロが「ブラジルのジャズ」と言われることもあるらしい。ジャズの方が世界的に有名だから、そうなっちゃうけど、ショーロの方が古いんだから、その表現もどうかと思うけど。それに、昔からジャズ・ファンがショーロを語るのは、殆ど聞いたことがないよなあ。

 

 

まあとにかく、僕は先に入荷した輸入盤を買ったけど、今年五月には日本盤も出たニーナ・ベケールのドローレス・ドゥラーン集『ドローレス・ドゥラーンを歌う』→ http://www.amazon.co.jp/dp/B00UYJ31SA/ 。このアルバムを聴いて気に入った方々には、是非そのライヴ版とでもいうべきYouTube動画も、是非聴いてほしい。オフィシャルだから削除されないはずだ。

2015/09/08

アゼルバイジャン人歌手のものすごさ

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頼んでエル・スールさんに入荷してもらったアゼルバイジャン古典ムガーム二枚組のコレ→ http://elsurrecords.com/2015/04/21/v-a-great-singers-of-the-republic-of-azerbaijan-1915-1960/  今見たら「再入荷」とあるから、初回入荷分は完売したんだ。よかった。売れずにエル・スールさんが在庫抱えることになったら、少し責任を感じてしまうところだった。

 

 

なかでも、シェイド・シュシンスキー→ http://www.youtube.com/watch?v=_vry9UfFYi8  やや長めの音源だけど、音楽そのものは最高だから、ちょっと聴いてみてほしい。他にも数曲入っているシェイド・シュシンスキーが、この二枚組の中では一番いいように感じている。

 

 

また、このハーン・シュシンスキーもなかなか凄いね→ http://www.youtube.com/watch?v=0JF0AMpdXGY こういうとんでもない歌手ばっかり、この二枚組CDには並んでいるんだよね。

 

 

このアゼルバイジャン古典ムガーム二枚組、日本でCD買えるのは多分エル・スールだけ。MP3ダウンロードでもよければiTunes Storeでも売っていて、簡単にしかも安く買える。僕の今年のリイシュー部門第一位は、これで決りだなあ。

 

 

荻原さんも「文化の交差点を聴くという実感」と仰っていたけど(http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2015-01-16)、こういうのを聴くと、まさにイラン〜トルコ〜アゼルバイジャン辺りの音楽が、一繋がりなのがよく分る。おそらくはイラン(ペルシア)の古典声楽が一帯に影響を及したんだろうけど。

 

 

イラン古典声楽に特徴的な、喉を震わせるようなタハリール唱法の影響を、アゼルバイジャンの古典ムガームも受けていることが、この二枚組を聴くと大変よく分る。かつては、西アジア一帯はペルシア帝国の支配下にあったから、アゼルバイジャンもトルコも、その文化的な影響を強く受けているのだろう。

 

 

もちろん歌唱法だけでなく、そもそも音楽の作り方が西洋音楽系とは全く異なる旋法体系に基づくもので、それをアラブ世界やトルコではマカーム、イランではラディーフ、アゼルバイジャンではムガームと呼ぶ。また使われる楽器も共通していたり、大変似通っていたりする。僕もまだまだ入口にいるだけ。

 

 

このアゼルバイジャン古典ムガーム二枚組は、元々2005年にアゼルバイジャンで非営利目的でリリースされた16枚組CDブックが原型らしく、それをイランのマーフール文化芸術協会が二枚組にまとめてリリースしたもののよう。こうなると、その元の16枚組も聴いたみたい気がするなあ。

 

 

アリム・ガスモフも、今年になって知ったゴチャグ・アスカロフも最高だけど→ http://www.youtube.com/watch?v=JiS5wmLvVPQ 、このアゼルバイジャン古典ムガーム二枚組を聴くと、やはり彼らを産み出すだけの素地はしっかりあったってことだ。当り前みたいなことを言っているけど、それを強く実感する。音楽の伝統とはそういうものだ。

 

 

もちろん、単に現在の素晴しい音楽家達に繋がる過去の伝統を学んで、認識を深めるという意味合いだけではなく、その古い音源自体が聴いていて大変素晴しく、もうそれを聴いているだけで気持良くなってしまうわけだけどね。まあ、この二枚組は、主に古いSP音源なので、ちょっと録音はアレだけど。

 

 

こういうとんでもないのを聴いてしまうと、ポリフォニーではない単独歌手のヴォーカル・ミュージックでは、アゼルバイジャンが一番凄いんじゃないかとすら思えてくる。男性の単独歌手では、パキスタンのヌスラット・ファテ・アリ・ハーンが、ポピュラー音楽史上最高峰の存在だと思っているけど、存命歌手では、さっき音源を貼ったアゼルバイジャンのゴチャグ・アスカロフが一番凄いだろう。

 

 

やっぱりこういう物凄いものに時々出逢えるから、ワールドミュージックや、古い音源の探索・冒険はやめられない。こういうものを聴いていると、最近のロックやジャズやクラシックや、そういうもの「だけ」を聴いて満足している人達にも、ちょっとこういうのを聴いてみてほしいと思ってしまうなあ。

2015/09/07

マイルス ー 不完全なオフィシャル盤と完璧なブート盤

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マイルス・デイヴィスの未発表ライヴ四枚組も、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの未発表ライヴ四枚組も、どっちも発売が7/17で、値段もちょっと高かった。同時に二つも四枚組が出ると、お財布事情がなかなか厳しい。

 

 

そういうわけで、迷わずスライの方だけ先に買って、マニアなのに、マイルスの方はまだ買っていない。だってレガシーから出ているマイルスのブートレグ・シリーズは、今まで出たものが殆どダメなもので、はっきり言って今回だって、約三分の一が公式でも既出だし、未発表音源分にしてもヘンな並び方だしなあ。

 

 

2013年に出た『Miles Davis Quintet: Live in Europe 1969』だって、せっかくあの有名な69/11/5のライヴを公式化したのに、収録したのはチックがアコピを弾いた第一部だけ。どうして凄い第二部も含めなかったのか、さっぱり理解できない。

 

 

その69/11/5のストックホルム公演は、長らくブートの『スウェディッシュ・デヴィル』二枚組で有名だった音源で、せっかくそれを公式化する機会だったのに、一枚分だけしか公式化しないとか、どう考えても理解できない。これでブートも用無しかと思ったけど、やっぱりブートを手放せない。

 

 

その『スウェディッシュ・デヴィル』二枚組は、マイルスの1969年ロスト・クインテットの最高傑作として、ファンの間では長らく愛聴されてきたもの。ブートは高いし、購入先が限定されているし、それがそのまま公式化するなら、なかなかブートなど買えない多くのファンにとっても朗報と思ったのに。

 

 

また2014年に出た『Miles at the Fillmore: Miles Davis 1970』にしても、あの名盤二枚組『マイルス・アット・フィルモア』四日間の完全化を謳っているけど、四日ともブートには入っている演奏前の音出しが入っていなくて、大変残念な出来。

 

 

演奏前の音出しなんかと言われるかもしれないけど、公式盤『マイルス・アット・フィルモア』の「フライデイ・マイルス」の冒頭は、その金曜日公演の演奏前の音出しから一部採用されて編集されているので、「完全盤」四枚組にそれが入ってないのは致命的欠陥。それが完璧に入っているブートがやっぱり必要。

 

 

しかもですね、そのフィルモア公演では、ステージ写真を見ると、エレピのチックが右、オルガンのキースが左なのに、公式盤四枚組では、そのチックとキースの左右のミックスが逆になってしまっている。どうしても演奏風景を頭に思い浮べながら聴いてしまう僕なんか、公式盤はかなりの違和感がある。

 

 

その点、ブートのフィルモア完全盤四枚(バラ売り)では、そのチックとキースの左右のミックスも、ちゃんとステージでの光景通りになっているし、先も書いたように演奏前の音出し〜アナウンス〜本演奏〜演奏終了後のSEまで丸ごとバッチリ全部収録されていて、音質も公式と完全に同じだから、そっちを聴いちゃう。

 

 

そんな具合だから、レガシーからリリースされるマイルスのブートレグ・シリーズにはあまり期待できない。どの音源もブートで聴けるものばかりで、音質的にも同じで、しかもその上書いたようにブートの方がいろいろ「正常・完璧」だから、ブートの方をオススメする次第。七月に出た今回のもどうかなあ?

 

 

どうもレガシーは、スタジオ録音にしろライヴ録音にしろ、マイルスの未発表音源の発掘・編集・発売に関して、マイルス・ファンを舐めているんじゃないかとしか思えない。あまり事情をよく知らない人向けには、いいのかもしれないけど、ちょっと深く聴いているファンには、ダメなものが多いよなあ。

 

 

レガシーがマイルスの死後にたくさん出した未発表音源集で、良かったものって、2005年に出た六枚組の『セラー・ドア・セッションズ 1970』だけじゃないかなあ?あれだって、1970年12月のこのライヴを完全収録したものではないのに、「コンプリート」を冠しようとしてたらしいけど。

 

 

それでどうも発売直前に、レガシー側とマイルスの遺族側との間で一悶着あったらしく、発売が予定よりかなり遅れて、出たものを見てみたら、プロデュース関係のクレジットの肝心のところに、一部シールが貼られていたもんね。これ、全世界に流通したもの全てに、同様のシールを貼ったのかと思うとねえ。

 

 

そのセラー・ドア音源にしても、公式発売の一年くらい前に、全てが二枚組×3でブートで出てたけどね。それを全部買っていた僕にしても、それらが丸ごと公式音源化したのが嬉しくて、ついまた買ってしまったけど。発売当時盛んにやっていたmixiのマイルス・コミュでも大きく盛上がっていたなあ。

 

 

とかいろいろ文句を言いながら、今までの公式のブートレグ・シリーズも全部買ってしまっているし、七月に出た新しい奴も、いずれ近日中に買ってしまうんだろうけど。その辺がマニア道にどっぷり浸かりこんでしまった人間の哀れなところ。ここのところ毎年出ていて、どうせ一回しか聴かないとは思うけどね。

2015/09/06

ラテン音楽とジャズ

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僕が小学生低学年の頃、父親がラテン音楽好きで、ペレス・プラードなどの8トラ・カセットをクルマでガンガンかけていたせいで、僕もその頃からラテン音楽好きだった。小学校低学年で「マンボ No.5」とかの曲名も知っていた。

 

 

だけど、僕が自分から積極的にレコード買ってラテン音楽を聴始めるのは、もっともっとずっと後のことで、17歳の頃にジャズを本格的に聴始めるようになっても、しばらくはラテン音楽には縁がなかった。『ゲッツ/ジルベルト』をきっかけに、ボサノヴァを少し聴いていた程度だった。

 

 

後から振返ると、大学生の頃からチャールズ・ミンガスの『メキシコの思い出』や『クンビア・アンド・ジャズ・フュージョン』とかが大好きだったし、油井正一さんの『ジャズの歴史物語』の中で、「ジャズはラテン音楽の一種」という説を読んでいたりはしたんだけど、ふ〜んと思った程度だった。

 

 

いったい、僕は、ブラジル音楽以外のラテン音楽を、いつ頃から積極的に聴始めたんだろう?結構最近のことじゃないかという気がする。多分、カエターノ・ヴェローゾの『粋な男』(94年)を聴いて、あれはブラジルではなくて、周辺のスペイン語圏の曲を取上げたもので、その辺りからなのか?

 

 

あるいは、ロス・ロボスをその前から好きだったから、その辺からイースト・ロサンジェルスのチカーノ・ミュージックに興味を持って、聴くようになったのか?しかしロス・ロボスにしても、僕が聴始めたのは92年の『キコ』辺りからだったから、まあどっちにしても、90年代に入ってからだなあ。

 

 

それに大人になってからは、昔好きだったペレス・プラードとかのマンボや、1930年代に流行したルンバとかのキューバ音楽は、カッコ悪いとすら感じていたもんなあ。キューバ系音楽でも、70年代のサルサの流行を知ったのは、もっとずっと後のことで、リアルタイムでは全く知らなかったもんなあ。

 

 

キューバ音楽を聴始めたのは、やっぱり中村とうようさんの『大衆音楽の真実』を読んで、ソンを知ってからだった。ソンを聴始めたのも、その後しばらくしての90年代に入ってからだったはずだから、やっぱりその辺だなあ、僕がラテン音楽を聴くようになったのは。

 

 

もちろん「アフロ・キューバン・ジャズ」というのがあって、1931年にはデューク・エリントン楽団が「南京豆売り」をカヴァーしてたり、あるいは1940年代以後は、ディジー・ガレスピーが本格的にそういう音楽をやっていたり、チャーリー・パーカーにもそういうアルバムがあったりしたんだけど。

 

 

エリントンは「南京豆売り」をカヴァーしただけだなく、「キャラヴァン」(初演は36年のコンボ録音)みたいな曲があったりするし、ディジー・ガレスピーには「マンテカ」があるだけでなく、その初演にはコンガ奏者のチャノ・ポゾが参加しているし、パーカーもマチート楽団に客演していたりする。

 

 

その後も、さっき書いたミンガス始め、ジャズとラテン音楽とは密接な繋がりがあって、古くはジェリー・ロール・モートンのソロ・ピアノ録音にも、既に彼が「Spanish tinge」と呼んだ、ハバネラ風の曲があったりする。だけど、それをちゃんと考えるようになったのは、やはり90年代以後。

 

 

そして、90年代以後ラテン音楽を聴始めて、ジャズとの繋がりや、ニューオーリンズ音楽との関係を、例えばプロフェッサー・ロングヘア(大学生の頃、二・三枚、LPを買っていた)の音楽などを含め、いろいろと考え始めると、大学生の頃には見えていなかった面白いことが分るようになった。

 

 

そうすると、例えばキューバ人ジャズ・ピアニスト、ゴンサロ・ルバルカバの演奏に聴かれるキューバ風味を面白く感じたり、マウント・フジでの彼とチック・コリアの共演による「スペイン」を聴いても、違って聞えてきたり、マイルス&ギルの『スケッチズ・オヴ・スペイン』も感じが違ってきたりした。

 

 

あるいは、ホレス・シルヴァー(カーボベルデ系アメリカ人)の「セニョール・ブルーズ」(『シックス・ピーシズ・オヴ・シルヴァー』収録)が、昔はあまり聞えていなかったラテン風味が分ってきたりして面白くなってきた。今では「セニョール・ブルーズ」こそ、ホレスの最高作と思っている。

 

 

そして「ジャズはラテン音楽の一種」という油井正一さんの言葉の意味が、まあ今でもちゃんとは分っていないままジャズからちょっと離れているけど、それでも昔はふ〜んと思っただけなのが、多少は面白く感じてきたりしているのだった。それが分り始めるまで、30年以上。随分かかったもんだなあ。

 

 

ジャズ以外でも、大学生の頃から好きだったカルロス・サンタナも、好きな曲やアルバムが変ってくるようになったし、あるいはグナワ・ディフュジオンの『バブ・エル・ウェド・キングストン』の一曲目「マダンガ」におけるブレイクでのティンバレスの使い方を面白い(完全にサルサ)と思うようになった。

 

 

その「マダンガ」での間奏ブレイクでの、まるでサルサなティンバレスが入ったのとほぼ同時に、グナーワなカルカベが入り始めて、なんだこりゃ?と大変あれは面白いんだよねえ。今聴直しているけど、カッティングのギターが、リズムはレゲエだけど、クチュクチュとまるでインヴィクタスみたいだし。

 

 

その「マダンガ」→ http://www.youtube.com/watch?v=wS8TRtlbQpo 他にも、グナーワで始って、後半ラガマフィンに変貌する「サブリナ、あるいは天然ガス」→ http://www.youtube.com/watch?v=1n78IiiCehg とか、このバンドは、やっぱりこの『バブ・エル・ウェド・キングストン』が好きだ。

 

 

ちょっと書いたパーカーのラテン・ジャズ作品『フィエスタ』を見直すと、「ラ・パローマ」をやっているなあ。この曲、スーザ・バンドので初めて聴いたと思ってたけど、そうじゃなかったんだ。でもパーカーのは、ハードなアフロ・キューバンになっていて、この曲本来のゆったりしたハバネラ風味がない。

 

 

イラディエールの名曲「ラ・パローマ」、スーザ・バンドのがYouTubeになかったので、自分で上げた→ http://www.youtube.com/watch?v=VOunR0Ac0hE  一方、チャーリー・パーカーのヴァージョンはこれ→ http://www.youtube.com/watch?v=MDud5LJb2Wg

 

 

「ラ・パローマ」のフィーリングは、連綿と継承されていて、ロス・ロボスの別働隊ロス・スーパー・セヴンの2001年作『Canto』一曲目の、ラウル・マロが歌う古い曲「シボネイ」http://www.youtube.com/watch?v=SLhNQaaSB9k なんか、完全にそういうゆったりしたハバネラ風味。大好き!

2015/09/05

トルコ古典歌謡の若き歌姫ヤプラック・サヤール

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トルコ古典歌謡を歌う、現在29歳の美人歌手ヤプラック・サヤール(Yaprak Sayar)を知ったのは、去年2014年のトルコ古典歌謡集二枚組『Girizgâh』でだった。もちろんこれはヤプラック・サヤールの単独アルバムではない。彼女、まだ一枚も単独アルバムはない歌手なんだ。

 

 

コレ→ http://elsurrecords.com/2014/08/24/v-a-girizgah-alatarka-records/   昨年八月末頃にエル・スールに入荷したのを、九月末頃に買って愛聴してきた。昨年の年間ベストテン新作篇の第二位にも選出した大傑作だったと思う。今では、輸入盤を扱う他の店にもあるみたいだし、iTunes Storeでも売っている。

 

 

 

この二枚組CDの中でヤプラック・サヤールが単独で歌っているのは、三曲だけ。複数歌手の合唱形式のものなら、他にも何曲か参加している。彼女が単独で歌っている曲の中では、この「アマン・ドクトール」が一番魅力的だと思う→ http://www.youtube.com/watch?v=zTBwAACZIZQ 伴奏はウード一本。

 

 

僕はこの「アマン・ドクトール」で、ヤプラック・サヤールに惚れてしまった。CDで聴けるのは、僕の知っている限りでは、『Girizgâh』だけなんだけど、とある情報によれば、もう一つ聴けるCDがあるらしい。でもそれは僕、知らないんだな。でもYouTubeにたくさん音源が上がっている。

 

 

『Girizgâh』二枚組(これ、日本語では「序文」とかいうくらいの意味らしい)では、個人的には合唱形式によるものより、単独の歌手が歌っているものの方が好きだ。しかし、合唱でも独唱でも、伴奏楽器の編成は極めてシンプルに、ウード、ネイ、カヌーン等と簡単な打楽器程度で、それがいい。

 

 

だいたい、大編成のオーケストラや、エレキ・ギターやドラムスなどが入った音楽より、アクースティックな楽器の少人数編成で、しっとりと聴かせる音楽をたくさん好んで聴くようになったのも、この『Girizgâh』がそうだったからだ。それに、あまり音量を上げなくても十分楽しめる音楽だしね。

 

 

その二枚組は、19世紀後半〜20世紀初頭のオスマン帝国時代のトルコ古典歌謡を、残された楽譜もしくはSP音源を基にして、ほぼそのままのスタイル(らしい)で、新録音で現代に再現したものらしい。その時代、トルコ語はアラビア文字表記だったはずだけど、今でもちゃんと読める人がいるんだなあ。

 

 

『Girizgâh』付属のブックレットには、参加歌手や作曲家のプロフィール(らしい)なども載っているのだが、全部トルコ語でしか書いていないので、今のところは全く歯が立たない。トルコ語も今はアルファベット表記だから、歌手名などは判別できるけど、作曲家について知りたいんだけどなあ。

 

 

なにが書いてあるかは分らないものの、作曲家一人一人の生没年が書いてあるから、大体いつ頃の人かということだけは分る。それを見ると、大半が19世紀後半か、新しくても20世紀頭に亡くなっている人ばかり。トルコ古典歌謡は数百年の歴史があるけど、採譜されるようになったのは、その頃らしい。

 

 

採譜といっても、もちろんいわゆる西洋音楽の五線譜を使ったものではない。世界中に、それこそ無数の記譜システムが存在するのは、みなさんご存知の通り。もっとも僕はトルコ古典歌謡の記譜システムがどういうものなのか、よく知らない。ネットでちょっと調べてはみたけど、あまり分らないんだなあ。

 

 

そもそもトルコ古典音楽は、西洋音楽でいう全音の1/9の音程を基準にしているから、半音までしか記譜できない五線譜では当然書くことは不可能。そういういわゆる微分音の使い方は、先に貼ったヤプラック・サヤールの歌う「アマン・ドクトール」などでもよく分る。細かい音程で微妙に揺れているね。

 

 

もちろん半音以下の微分音を使う音楽は、トルコ古典歌謡だけでなく、世界中に無数にある。というか、世界中の民俗音楽や、それに基づく大衆音楽を見渡したら、いわゆる西洋クラシック音楽やその体系に基づいて成立している音楽の、全音・半音で区切るやり方の方が、どっちかというと特殊な方だろう。

 

 

だから、クラシックやジャズやロックなどばかり聴き慣れていると、トルコ古典歌謡など(他の多くの大衆音楽もそうだけど)も、最初に聴いた時には「音程が狂っている」と感じることがあるらしい。こないだ聴いた、ビルマの変態スライド・ギタリストなども、「吐きそう」という感想の人もいるそうだ。

 

 

僕がトルコ古典歌謡にハマり始めたきっかけは、日本盤が2012年に出たミネ・ゲチェリの『ゼキ・ミュレンを歌う』だった。恥ずかしながら、ゼキ・ミュレンだって、それまで全く聴いたことがなかったんだなあ。女装して歌うゼキ・ミュレンが、トルコ古典歌謡中興の祖であることも、その時に知った。

 

 

ミネ・ゲチェリを知ってみると、ゼキ・ミュレンをはじめとする20世紀中頃のトルコ古典歌謡の大衆音楽化完成期の歌曲を歌う現代の女性歌手が、たくさんいることを知って、そういうものをいろいろ聴くようになったのだった(主に、渋谷エル・スールさんを通して買った)。それが本当に魅力的だった。

 

 

それで去年『Girizgâh』がエル・スールに入荷した時に、喜び勇んで買った。しかしながら、それまで聴いていたトルコ古典歌謡は、さっき言ったように20世紀中頃のもので、19世紀後半〜20世紀初頭の古典歌謡を聴くのは初めてだったのだ。トルコ本国でも、そういうのは初めてだったかも。

 

 

それが証拠に、このアルバム、配給はトルコの老舗レーベルKalanだけど、制作はこのアルバムを作るために立ち上げられた新興レーベルのAlaturka Recordsだ。これを立ち上げたのは、アルバムでウードを弾き音楽監督もやっている、1964年生れのウール・イシュクさんなんだよね。

 

 

『Girizgâh』は、昨年晩夏にエル・スールのサイトに掲載されたジャケット写真を見たら、それがあまりにも素晴しく、見た瞬間に傑作だと確信できるものだった(上掲右)。 何度見ても素晴しいというか渋いよねえ。中身の音楽をよく表現しているジャケだ。

 

 

だけど経済的問題ですぐには買えず(八月末は、モーリタニア人女性グリオのノウラ・ミント・セイマリを聴き狂っていた)、しぎょうさんなどがよかったとツイートするのを見ながら、内心凄く悔しかったんだけど、九月末にようやく買って聴いてみたら、案の定中身の音楽も素晴しくよかったという次第。

 

 

先に貼った「アマン・ドクトール」など『Girizgâh』収録曲も、その他のいろんな音源も、Alaturka RecordsのYouTube公式チャンネル(http://www.youtube.com/channel/UC1YNOvd15xRhhKdRrcOWqcg)が上げてくれているので、たくさんトルコ古典歌謡を聴けるのだ。みなさんも是非!

 

 

それで最初に書いたようにヤプラック・サヤールに惚れてしまった僕は、単独アルバムがないので、YouTubeでいろいろと聴きまくり、さらに彼女のTwitterアカウントやFacebookページもフォローしている。それによれば、Alaturka Recordsに新作を録音中だそうだ。

 

 

その新作というのが(ヤプラック・サヤールの単独アルバムではない)、Alaturka Recordsから出る、トルコ古典歌謡集第二弾ということになるらしい。彼女がそれをツイートしていたのが五月中頃だから、そろそろアルバムの録音も終って、今年中には出るのかなあ?凄く楽しみだよね。

2015/09/04

マイルスのオススメは、ちょっと難しい

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Twitterで求めに応じて、マイルス・デイヴィスのオススメ盤を何枚か書いた。僕がネットを始めた1995年以来、この手の相談はもう無数に受けていて、その度にそれなりの回答をするのだが、何度書いてもなんだかスッキリせず、モヤモヤした思いが残ってしまう。これは僕がマイルス・マニアだからだろうか?

 

 

いや、多分フランク・ザッパなどのマニアも、オススメ盤を聴かれたら、同じような思いをするんじゃないかという気がする。20世紀以後の大衆音楽の世界では、デューク・エリントン、マイルス・デイヴィス、フランク・ザッパ、ジェイムズ・ブラウンが、アルバム枚数の多い四天王じゃないかなあ。

 

 

 

この四人のうち、デューク・エリントンとジェイムズ・ブラウンは、オススメ盤を聴かれても、おそらくそんなに困らないはず。生涯を通じて、音楽性があまり変化していないし(まあそれでも変化してはいるけど、比較したらの話)、一番良かった時期というのも、まあまあはっきりしているからなあ。

 

 

その二人に比べて、マイルスとザッパは、その音楽性が非常に多岐に亘り、ファンとしては本質はそんなに変っていないとは思うものの、ちょっと聴いた感じがアルバムによって全く異なっていて、それぞれに固有のファンがいて、しかも生涯を通じて長らくピークが続いているから、オススメ盤は難しい。

 

 

まあザッパについては僕はシロウトなんで、語らないことにして、マイルスだけに限って話をするけど、マイルスの全時代のあらゆるアルバムを通じてファンであるという人は、僕の今までの経験から言うと、かなり少ない。まあそれはアルバム枚数が多すぎてついていけないというのも一因ではあるだろう。

 

 

マイルスの場合は、アクースティックなジャズ・ファンだけに限定しても、好きな時代が人によってかなり分れている。昔、僕は1950年代中頃のファースト・クインテット(コルトレーン、レッド・ガーランド時代)より、60年代半ば以後のハービー、ロン、トニー時代の方が圧倒的に凄いと思っていた。

 

 

それはスタジオ・アルバムでそう思っていたのではなく、一連のライヴ・アルバムを聴いた印象で、特に大学生の頃に二枚LPが出てたプラグド・ニッケルのライヴを聴いて、こんな凄いバンドはないだろう、これはアクースティック・ジャズの極地なんじゃないかと思っていたわけだ。

 

 

正直言うと、今でもそうなのだが、昔からウェイン・ショーター加入後の、いわゆる黄金のクインテットのスタジオ・アルバムは、どうもイマイチ良さが分っていない。『E.S.P』がまあ良いと思うくらいで、世評の高い『ソーサラー』『ネフェルティティ』の二枚は、どこがいいのかよく分っていない。

 

 

一応言っておくと、『マイルス・スマイルズ』『ソーサラー』『ネフェルティティ』の三枚を嫌いだとか評価しないというのではない。聴けばそれなりに楽しめるし、傑作だとも思う。がしかし、似たような面子による似たような音楽なら、同時代のブルーノートの諸作品、いわゆる新主流派が断然好きなのだ。

 

 

そして新主流派の作品よりも、60年代半ばのマイルス・クインテットによる一連のライヴ・アルバム(時期が違うけど、『プラグド・ニッケル』も)が、やっぱり魅力的に聞えてしまう。しかしながら、世評というか定説というか、このバンドの評価が高いのは、『ソーサラー』『ネフェルティティ』の二枚。

 

 

しかも、この十年くらいは、そういうハービー+ロン+トニー時代より、50年代半ばのファースト・クインテットによる、マラソン・セッション四部作(プレスティッジ)の方が凄いような気がしているのだ。まあどう聴いても普通は60年代半ば以後のアルバムの方が評価が高いけど、最近の僕は違う。

 

 

油井正一さんが、昔は50年代のファースト・クインテットの方が良いと思っていたけど、最近は60年代のクインテットの方が凄いと実感するようになったと書いたことがあった。僕は、全く逆のパターンを踏んでいる。マラソン・セッションなんか、あれが全部ファースト・テイクだったとは、信じがたいほど。

 

 

50年代と60年代で分れるだけでなく、50年代末のビル・エヴァンス在籍時が一番いいというファンは多いし、またウィントン・ケリー在籍時のリズム・セクションが一番スウィングしているというファンも結構いる。生楽器によるジャズ時代だけでもこんな具合だから、電化時代も含めたらもうねえ。

 

 

ジャズ時代だけでもこんな感じだから、68年以後のマイルスの電化時代については、それ以前のアクースティック時代とは、ファン層がかなり違っている。中山康樹さんや僕みたいに、総体としてのマイルス・デイヴィスを愛するというファンは、案外少ない気がするなあ。まあまあいることはいるけど。

 

 

マイルスが初めて電化したのは、1968年の『マイルス・イン・ザ・スカイ』なんだけど、かつて小川真一さんは、マイルスではこれが一番好きだと言っていたことがある。僕も次作の『キリマンジャロの娘』よりは好きだけど、あれが一番好きだというは、いろんなファンがいるなあと思ったものだった。

 

 

僕が大学生の頃お世話になったジャズ喫茶のマスターは、『アガルタ』『パンゲア』になった75年大阪公演を生で体験した人だけど、それでもやっぱりアクースティック時代の方が圧倒的に好きで、例えば『ライヴ・イーヴル』や『オン・ザ・コーナー』などは、あまりちゃんと聴いていないと言っていたし。

 

 

同じ69年でも『イン・ア・サイレント・ウェイ』と『ビッチズ・ブルー』とでは、ファンが違っているようだということは、95年にネットを始めてから実感していること。ましてやそれらのファンと『オン・ザ・コーナー』のファンはかなり層が異なるし、80年復帰後は、また好きな人が違っているのだ。

 

 

電化マイルスで一番ファンが多いのは、70年代だろうと思うけど、80年復帰後のマイルスの方が好きだというファンもいることを僕は知っている。リアルタイムでは僕も復帰後しか知らないし、当時は夢中になって聴いたけど、今聴くと、どう聴いても70年代の方が凄いよなあ。まあホントいろいろだよねえ。

 

 

ついでに言っておくと、アルバム単位で一番好きなマイルスは『アガルタ』だけど、曲単位で一番好きなのは、73年のシングル盤「ビッグ・ファン/ホーリー・ウード」。これは長年公式盤CDでは聴けなかった。2007年の『コンプリート・オン・ザ・コーナー・セッションズ』で初公式CD化された。

 

 

それ以前は、73年頃のレア音源を集めたブートCDで聴いていて、こんなに軽やかで爽快なファンク・ミュージックは、他にはスライ&ザ・ファミリー・ストーンの「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」くらいしかないんじゃないかと思ったものだった。マイルスだけ考えても、この時期だけの特徴なのだ。

 

 

この「ビッグ・ファン/ホーリー・ウード」への愛は、中山康樹さんもことあるごとに口にしてたけど、僕もマイルスの1945年デビューから91年死去までの全ての録音の中で、このシングル盤両面(二曲)が一番好き。でもこれを今、CDで聴けるのは、公式盤では、オン・ザ・コーナー・ボックスだけ。

 

 

マイルスに関心を持った人には、そのシングル盤音源を聴いてほしいんだけど、そのためだけに六枚組ボックスを買ってくれとも言えず、悩んだ僕は自分で三年前にYouTubeにアップした。是非ちょっと聴いてみてほしい。A面「ビッグ・ファン」→ http://www.youtube.com/watch?v=li_wtDFRRP0

 

 

そしてB面「ホーリー・ウード」→ http://www.youtube.com/watch?v=ZtEbT6i9qiw さらにそれら二曲の元音源になった「ビッグ・ファン/ホーリー・ウード[テイク3]」→ http://www.youtube.com/watch?v=9WjuDH7A_K4 シングル盤両面とも、この同一ソースからテオ・マセロが編集したもの。

菊地雅章『ススト』の思い出

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ニカ月ほど前に菊地雅章さんの訃報に接して、その頃、81年の最高傑作『ススト』を聴いていた。いやもうこれ、最初に買って聴いた時に受けた衝撃は途轍もなく大きなものだったけど、2015年の今聴いても相当に先鋭的だよねえ。録音は80年11月のNY。翌年1月に東京でミックス作業をやっている。

 

 

最初に聴いた時は、特に一曲目の「サークル/ライン」が、まるでマイルス・デイヴィスの『オン・ザ・コーナー』そっくりだと思ったものだった。今聴いても、やっぱりそういう感じがする。『ススト』が81年に出た時、記憶では、マイルスの復帰作『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』が既に出ていた。

 

 

でも『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』に、70年代マイルスの面影は殆どなく、弱々しい感じでもあったから、マイルス・ファンは随分ガッカリしたんだけど(それでも嫌になるほど繰返し聴いた)、70年代マイルスの音楽を継承しているのは、本人より『ススト』のプーさんなんだと思ったファンは多い。

 

 

その頃、プーさんが70年代後半隠遁期のマイルスのセッションに参加して録音もしたりしたらしいという情報は、ほぼ全員知っていたから、その意味でも『ススト』が70年代マイルス音楽の延長線上にあるものだという認識は、一層強かった。今聴くと、『アガルタ』『パンゲア』に似ている部分もある。

 

 

一聴、『ススト』はとんでもない大傑作だと思った僕は、このレコードをすぐに行きつけのジャズ喫茶に持っていって、マスターに見せたら、「いいジャケットだ、中身もよさそう」と言われたので、すぐにかけて聴いてもらったんだけど、反応は「ワシは昔からプーさんがよく分らんのだ」というものだった。

 

 

当時のなにかのインタヴューで、プーさんは『ススト』で一瞬演奏が止ってすぐに再開したり、パッとリズムが変ったりするのは、これはインドネシアのガムランなんだ、マイルスなんかもそうなんだと語っていたことがある。それで僕は速攻レコード屋に走り、すぐにガムランのレコードを買って聴いてみた。

 

 

だけど、当時ガムランについて全くなにも知らなかった僕が買ったのは、ジャワのガムランで、ゆったりとした優雅な感じのだったので、『ススト』やマイルスとの共通性は、殆どなにも感じられなかった。ジャワのガムランとバリのガムランの違い。プーさんはインドネシアとしか言ってなかったもんなあ。

 

 

これはいくらなんでも違うと思って、またレコード屋に行って、今度は慎重に選んで(といっても殆ど知識がなかったんだけど)、バリのガムラン音楽のレコードを買ったのだった。そうしたら、それは舞踊音楽で、激しいリズムが鳴ったり止ったりするので、プーさんの言っている意味がようやく少し分った。

 

 

プーさんは、リズムがパッと止ったりすることしか言ってなかったはずだけど、今考えると、それだけじゃなく、ガムランの、一定のパターンを繰返し反復するミニマル的な要素が、マイルスの『オン・ザ・コーナー』や『ススト』一曲目の「サークル/ライン」などに繋がっているのかも。その後のテクノも。

 

 

もっとも、これを以て、僕が最初に買ったワールドミュージックのレコードはインドネシアのガムランだったとは言えないだろう。僕はガムランそれ自体に興味があったわけではなく、ただ単にプーさんの言葉に導かれて、『ススト』や70年代マイルスを理解する助けとして、若干聴いてみただけだったから。

 

 

でもまあその時(81年)にガムランのレコードを買って聴いてみた体験は、後々まで残っていて、後にジャワのガムランもバリのガムランも積極的に聴いてみるきっかけくらいになったことは確かなことではあった。最初は、言ったようにジャワのガムランはやや退屈で、バリのガムランばかりだったけど。

 

 

余談だけど、ジャワの典雅なガムランをいいと思うようになったのは、アフリカのムビラ演奏などのレコードをいろいろと聴いて、そういうのが面白くなってきてからだった。81年に最初に(全く分らないまま、いわば間違って)ジャワのガムランを聴いてから、十年以上後になってからの話だ。

 

 

プーさんがいつ頃どういうものでガムランを聴いたのか知らないけど、マイルスの場合は、当時専属だった米コロンビアから、同社が出している世界民族音楽全集みたいなLPセットをもらって、それでいろいろと聴いていたようだ。コロンビアのレコードに関しては、一度も自分で買ったことはないらしい。

 

 

話を『ススト』に戻すと、一曲目の「サークル/ライン」では、デイヴ・リーヴマンとスティーヴ・グロスマンという、ともにマイルス・バンド在籍経験のある実力のあるサックス奏者が揃って吹いているというのも、僕にとっては魅力だった。その曲では二人ともソプラノで、互いに絡んでいるよね。

 

 

これも当時のプーさんのインタヴューからだけど、スティーヴ・グロスマンの前に出たら、マイケル・ブレッカーなんかはおそらく一音も吹けないだろうと言っていて、全く同じような印象を前から持っていた僕なんかは、大いに頷いた。グロスマンは、デイヴ・リーブマンの弟子筋に当るのだった。

 

 

マイケル・ブレッカーついでに言うと、彼が悪くないと僕が思うのは、フランク・ザッパの『ザッパ・イン・ニュー・ヨーク』でのプレイだけ。彼の長所とは、ボスの指示通りに音が出せる、複雑・難解な譜面も正確に読みこなし演奏する能力じゃないか?この個人的印象を他人に押しつけるつもりは毛頭ない。

 

 

とにかく『ススト』で、プーさんがリーブマンとグロスマンの二人を同時起用している辺りからも、プーさんがマイルスを相当に意識していたことが分る。プーさんはマイルスの前に、渡米前からギル・エヴァンスと懇意だったから、渡米後マイルスに紹介したのも、おそらくギルだったんじゃないかなあ?

 

 

『ススト』ラストの「ニュー・ネイティヴ」では、地を這うようなベース・ラインに乗って、日野皓正がコルネットで壮絶なソロを吹く。これを聴くと僕はいつも思うんだけど、プーさんはおそらくマイルスに吹いてほしかったんじゃないかなあ。この80年11月当時、マイルスも復帰作を録音中だったけど。

 

 

でもまあ80年当時のマイルスには、このソロは無理だったかもなあ。日野皓正のコルネット・ソロは、そう思ってしまうくらい、凄いものだ。この『ススト』セッションに参加した日野も、同じ頃『ダブル・レインボー』という同趣向のアルバムを作っていて、そこにはプーさんやハービーも参加している。

 

 

プーさんの『ススト』と日野皓正の『ダブル・レインボー』は、いわば兄弟作みたいなもので、当時リアルタイムで買って聴いていたリスナーは、多くの人が同じような印象を持っているはず。プーさんの方は、『ススト』に数年遅れて『ワンウェイ・トラヴェラー』が出て、これは同じ時の残り音源だった。

 

 

『ススト』では、当時もその後も、音楽家やファンに大きな衝撃を与えたのは、一曲目の「サークル/ライン」に間違いないんだけど、昔から僕(やその頃、ジャズをメインに聴いていたリスナー)は、その日野皓正がソロを吹く「ニュー・ネイティヴ」が一番いいと思っていた。今日聴いても同様の印象だ。

 

 

「サークル/ライン」より「ニュー・ネイティヴ」の方がいいと思うのは、やっぱり僕もジャズ耳なんだろうなあ。『ススト』でほぼ唯一ジャズを感じるのが、あの日野皓正のソロだもん。ちなみに『ススト』は全曲スタジオ・ライヴ、すなわち一発録りだったらしい。その点、プーさんはやっぱりジャズマン。

 

 

その時のスタジオでの鍵盤楽器が並んだ写真を見たことがあるんだけど、とんでもない要塞みたいになっていた。全部一発録りだから、全てのキーボードがプーさんの届くように配置されていたらしい。しかも、両手だけでは足りず、両足、さらには顎まで使って、同時演奏していたと語っていたなあ。

2015/09/03

中東の湾岸ポップス、ハリージ

Dianahaddad2014_26

 

 









ハリージ(パーカッシヴな変拍子アラブ湾岸ポップス)がたまらなく好きだから、ディアナ・ハダッドの『Ya Bashar』も凄くほしいよなあ。http://elsurrecords.com/2015/03/24/diana-haddad-ya-bashar/

 

しかし、ハリージって、個人的には2012年から急に聞始めた言葉だけど、一体いつ頃からある音楽なんだろう?

 

 

まあ僕はマイルスとかでも、大学生の頃から『オン・ザ・コーナー』が一番好きで愛聴してたから、アラブ圏の音楽を積極的に聴くようになってから(1998年頃から)も、ハリージとかにハマっちゃう素地はあったってことなのかなあ?ちょっと違うか^^; 。でも三年前までハリージ知らなかったけどね。

 

 

ハリージ・スタイルで、歌い方はアラブ風のコブシをグリグリと思い切り廻しているというのが、今の僕にとっては、アラブ音楽の中では、最高の音楽だ。今までのところは、そういうハリージは聴いたことないけど、僕が知らないだけで、多分あるんじゃないかなあ。

 

 

僕がアラブ音楽に本格的にハマるきっかけだったのは、忘れもしない1998年のオルケストル・ナシオナル・ドゥ・バルベス(ONB)のデビュー・アルバム(ライヴ盤)。それ以前にもマルタン・メソニエ・プロデュースのシェブ・ハレドとかは聴いてはいたものの、あまりハマるということもなかった。

 

 

しかし、どこを見ても「ハリージ」のまともな定義って書いてないよねえ。まだそんなものはないんだろうけど。僕も音を聴いて、なんとなくこんな感じと思ってるだけで、言葉で説明せよと言われたら、パーカッシヴな変拍子のアラブ湾岸ポップスだとしか言えない。いつ頃からある音楽なのかも知らない。

 

 

エル・スールのサイトで「ハリージ」で検索すると、たくさん出てきて、どれもこれもほしくなって非常に困るけど、その中で一番古いのは、2005年のアルバム(http://elsurrecords.com/2014/06/03/hind-al-ghroub/)だ。でもそれ以外は、殆どが2011〜2012年以後のアルバムだからなあ。

 

 

ハリージ(Khaleeji、その他)とは、「湾岸」のこと。元々はペルシャ湾沿岸地方にある踊りの名称らしい。別にアラブ音楽に限らず、踊りの名称が音楽スタイルの名称になる例は、昔から多いもんなあ。でもハリージが音楽スタイルの名称に使われ始めたのは、かなり最近なんじゃないかなあ?

 

 

こんな感じ→ https://www.youtube.com/watch?v=S-_LsMTUVAg#t=68 このダンス動画では、タイトルも「ハリージ」になってる。そしてこういうのが本場のハリージらしい→ https://www.youtube.com/watch?v=9fHIOXn626c こっちになると、音楽的にも僕らが知っているハリージに近い。

 

 

もちろん僕がそれを知ったのは、音楽のハリージについて知りたいと思って、「ハリージ」でググってみたら、踊りの方ばっかり出てきたから。音楽のハリージについては、殆ど出てこない。踊りの方は、日本人でも結構ワークショップをやっている人とかがいるみたい。

 

 

もっとも、モナ・アマルシャやドゥニア・バトマやディアナ・ハダッドとかのハリージを聴いて、我々日本人が踊ろうと思っても、変拍子で突っかかる感じで、ノレそうでなかなかノレず、踊ることはできないけどね。こういう音楽でペルシャ湾岸地方の人々は軽々と踊っているのだろうか?

 

 

音楽のハリージについて、一番歌手名がたくさん載っているのはココ→ https://itunes.apple.com/jp/genre/myujikku-arabu-yin-le-hariji/id1284?letter=A たくさんありすぎて、しらみつぶしに当ってみようという気にはなれない。こんなにたくさんの歌手がハリージに分類されているのか。モナ・アマルシャ以外は知らない名前ばかり。

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