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2015/09/04

菊地雅章『ススト』の思い出

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ニカ月ほど前に菊地雅章さんの訃報に接して、その頃、81年の最高傑作『ススト』を聴いていた。いやもうこれ、最初に買って聴いた時に受けた衝撃は途轍もなく大きなものだったけど、2015年の今聴いても相当に先鋭的だよねえ。録音は80年11月のNY。翌年1月に東京でミックス作業をやっている。

 

 

最初に聴いた時は、特に一曲目の「サークル/ライン」が、まるでマイルス・デイヴィスの『オン・ザ・コーナー』そっくりだと思ったものだった。今聴いても、やっぱりそういう感じがする。『ススト』が81年に出た時、記憶では、マイルスの復帰作『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』が既に出ていた。

 

 

でも『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』に、70年代マイルスの面影は殆どなく、弱々しい感じでもあったから、マイルス・ファンは随分ガッカリしたんだけど(それでも嫌になるほど繰返し聴いた)、70年代マイルスの音楽を継承しているのは、本人より『ススト』のプーさんなんだと思ったファンは多い。

 

 

その頃、プーさんが70年代後半隠遁期のマイルスのセッションに参加して録音もしたりしたらしいという情報は、ほぼ全員知っていたから、その意味でも『ススト』が70年代マイルス音楽の延長線上にあるものだという認識は、一層強かった。今聴くと、『アガルタ』『パンゲア』に似ている部分もある。

 

 

一聴、『ススト』はとんでもない大傑作だと思った僕は、このレコードをすぐに行きつけのジャズ喫茶に持っていって、マスターに見せたら、「いいジャケットだ、中身もよさそう」と言われたので、すぐにかけて聴いてもらったんだけど、反応は「ワシは昔からプーさんがよく分らんのだ」というものだった。

 

 

当時のなにかのインタヴューで、プーさんは『ススト』で一瞬演奏が止ってすぐに再開したり、パッとリズムが変ったりするのは、これはインドネシアのガムランなんだ、マイルスなんかもそうなんだと語っていたことがある。それで僕は速攻レコード屋に走り、すぐにガムランのレコードを買って聴いてみた。

 

 

だけど、当時ガムランについて全くなにも知らなかった僕が買ったのは、ジャワのガムランで、ゆったりとした優雅な感じのだったので、『ススト』やマイルスとの共通性は、殆どなにも感じられなかった。ジャワのガムランとバリのガムランの違い。プーさんはインドネシアとしか言ってなかったもんなあ。

 

 

これはいくらなんでも違うと思って、またレコード屋に行って、今度は慎重に選んで(といっても殆ど知識がなかったんだけど)、バリのガムラン音楽のレコードを買ったのだった。そうしたら、それは舞踊音楽で、激しいリズムが鳴ったり止ったりするので、プーさんの言っている意味がようやく少し分った。

 

 

プーさんは、リズムがパッと止ったりすることしか言ってなかったはずだけど、今考えると、それだけじゃなく、ガムランの、一定のパターンを繰返し反復するミニマル的な要素が、マイルスの『オン・ザ・コーナー』や『ススト』一曲目の「サークル/ライン」などに繋がっているのかも。その後のテクノも。

 

 

もっとも、これを以て、僕が最初に買ったワールドミュージックのレコードはインドネシアのガムランだったとは言えないだろう。僕はガムランそれ自体に興味があったわけではなく、ただ単にプーさんの言葉に導かれて、『ススト』や70年代マイルスを理解する助けとして、若干聴いてみただけだったから。

 

 

でもまあその時(81年)にガムランのレコードを買って聴いてみた体験は、後々まで残っていて、後にジャワのガムランもバリのガムランも積極的に聴いてみるきっかけくらいになったことは確かなことではあった。最初は、言ったようにジャワのガムランはやや退屈で、バリのガムランばかりだったけど。

 

 

余談だけど、ジャワの典雅なガムランをいいと思うようになったのは、アフリカのムビラ演奏などのレコードをいろいろと聴いて、そういうのが面白くなってきてからだった。81年に最初に(全く分らないまま、いわば間違って)ジャワのガムランを聴いてから、十年以上後になってからの話だ。

 

 

プーさんがいつ頃どういうものでガムランを聴いたのか知らないけど、マイルスの場合は、当時専属だった米コロンビアから、同社が出している世界民族音楽全集みたいなLPセットをもらって、それでいろいろと聴いていたようだ。コロンビアのレコードに関しては、一度も自分で買ったことはないらしい。

 

 

話を『ススト』に戻すと、一曲目の「サークル/ライン」では、デイヴ・リーヴマンとスティーヴ・グロスマンという、ともにマイルス・バンド在籍経験のある実力のあるサックス奏者が揃って吹いているというのも、僕にとっては魅力だった。その曲では二人ともソプラノで、互いに絡んでいるよね。

 

 

これも当時のプーさんのインタヴューからだけど、スティーヴ・グロスマンの前に出たら、マイケル・ブレッカーなんかはおそらく一音も吹けないだろうと言っていて、全く同じような印象を前から持っていた僕なんかは、大いに頷いた。グロスマンは、デイヴ・リーブマンの弟子筋に当るのだった。

 

 

マイケル・ブレッカーついでに言うと、彼が悪くないと僕が思うのは、フランク・ザッパの『ザッパ・イン・ニュー・ヨーク』でのプレイだけ。彼の長所とは、ボスの指示通りに音が出せる、複雑・難解な譜面も正確に読みこなし演奏する能力じゃないか?この個人的印象を他人に押しつけるつもりは毛頭ない。

 

 

とにかく『ススト』で、プーさんがリーブマンとグロスマンの二人を同時起用している辺りからも、プーさんがマイルスを相当に意識していたことが分る。プーさんはマイルスの前に、渡米前からギル・エヴァンスと懇意だったから、渡米後マイルスに紹介したのも、おそらくギルだったんじゃないかなあ?

 

 

『ススト』ラストの「ニュー・ネイティヴ」では、地を這うようなベース・ラインに乗って、日野皓正がコルネットで壮絶なソロを吹く。これを聴くと僕はいつも思うんだけど、プーさんはおそらくマイルスに吹いてほしかったんじゃないかなあ。この80年11月当時、マイルスも復帰作を録音中だったけど。

 

 

でもまあ80年当時のマイルスには、このソロは無理だったかもなあ。日野皓正のコルネット・ソロは、そう思ってしまうくらい、凄いものだ。この『ススト』セッションに参加した日野も、同じ頃『ダブル・レインボー』という同趣向のアルバムを作っていて、そこにはプーさんやハービーも参加している。

 

 

プーさんの『ススト』と日野皓正の『ダブル・レインボー』は、いわば兄弟作みたいなもので、当時リアルタイムで買って聴いていたリスナーは、多くの人が同じような印象を持っているはず。プーさんの方は、『ススト』に数年遅れて『ワンウェイ・トラヴェラー』が出て、これは同じ時の残り音源だった。

 

 

『ススト』では、当時もその後も、音楽家やファンに大きな衝撃を与えたのは、一曲目の「サークル/ライン」に間違いないんだけど、昔から僕(やその頃、ジャズをメインに聴いていたリスナー)は、その日野皓正がソロを吹く「ニュー・ネイティヴ」が一番いいと思っていた。今日聴いても同様の印象だ。

 

 

「サークル/ライン」より「ニュー・ネイティヴ」の方がいいと思うのは、やっぱり僕もジャズ耳なんだろうなあ。『ススト』でほぼ唯一ジャズを感じるのが、あの日野皓正のソロだもん。ちなみに『ススト』は全曲スタジオ・ライヴ、すなわち一発録りだったらしい。その点、プーさんはやっぱりジャズマン。

 

 

その時のスタジオでの鍵盤楽器が並んだ写真を見たことがあるんだけど、とんでもない要塞みたいになっていた。全部一発録りだから、全てのキーボードがプーさんの届くように配置されていたらしい。しかも、両手だけでは足りず、両足、さらには顎まで使って、同時演奏していたと語っていたなあ。

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