マイルスは本当にジャズマンか?
マイルス・デイヴィスという人は、本当に「ジャズ」・ミュージシャンなのかという疑問を、以前から僕は持っている。こんなことを言うと、また69年代以後の電化マイルスはジャズじゃないと言いたいんだろうと思われそうだけど、僕は彼がチャーリー・パーカーのコンボに居た時代から、どうもそんな感じがしている。
もちろん、1969年以後の電化マイルス(68年の『マイルス・イン・ザ・スカイ』と『キリマンジャロの娘』は、明確なテーマ・メロディがあって、それに基づくアドリブ廻しを展開しているから、エレピやエレベを導入しているけど、若干保守的に聞える)の音楽は、いわゆるジャズじゃないと思っているんだけど、そもそもそれ以前から、マイルスはいわゆるモダン・ジャズのミュージシャンなのだろうか?
チャーリー・パーカーのコンボに参加してデビューしたので、ビバップのミュージシャンと見做されているけど、当時からマイルスは普通のビバップのソロを吹いていない。「垂直的」な、コード分解によるインプロヴィゼーションをあまりやったことがない。例外的なものもありはするけど。
それは典型的ビバップ・トランペッターのディジー・ガレスピーの手法と比較すればよく分る。マイルスの場合は、パーカー・コンボでの録音から、機能和声に拠らない、メロディー重視の「水平的」なアドリブ・ラインを吹いている。自叙伝などに拠れば、マイルスは随分とディジーに憧れてはいたようだけど。
そのマイルスのメロディアスな水平指向は、そのままコーダルなアドリブ方法を脱却してモーダルな手法導入へと繋がる。しかし、マイルスのモーダルなアドリブ・ライン指向は、本格的にモード手法を採るようになる58年以前からはっきりと存在していたのだ。それは、50年代半ばの録音を聴けば分る。
さらに、アドリブ一発勝負のビバップ時代に、マイルスはそれへのアンチ・テーゼであるかのような、アレンジ重視のグループ・サウンドを指向した『クールの誕生』みたいな作品を残し、その後も一貫してグループ表現重視で、逸脱するような過剰なアドリブ・ソロは、自身にもサイドメンにも殆ど許さなかった。
ビッグ・バンドでもないのに、アレンジ中心のグループ表現重視というのは、マイルスの時代のミュージシャンのコンボには、あまり見られない。そういうマイルスの指向は『クールの誕生』から『カインド・オヴ・ブルー』、そして『イン・ア・サイレント・ウェイ』以後の電化サウンドまで一貫している。
マイルスもライヴでは、アドリブ一発勝負みたいなものもある(特に1960年代は)し、むしろそちらをマイルスの本領発揮だと捉える向きもある。『フォア&モア』や『プラグド・ニッケル』などはそうだ。僕に言わせれば、それは従来からのジャズ観でマイルスを見ているだけに他ならない。
ライヴだって、マイルスは『クールの誕生』を産むきっかけになった、九重奏団による48年のロイヤル・ルースト出演では、アレンジャー名を看板に出すという前代未聞のことをやったし、そのライヴ録音を聴くと、長めのアドリブ・ソロを許しているけど、あくまでグループ表現の枠内に留まっている。
また、75年の『アガルタ』『パンゲア』でも、いわばステージ上での「インスタント・コンポジション」(マイルスの言葉)とでも言うべき、よく計算され構築された演奏を繰広げており、完全即興のライヴ録音なのに、まるであらかじめアレンジされた作品のように聞える。マイルスはそういう指向の持主だった。
70年代半ばには、マイルスはレジー・ルーカス等のサイドメンに、ハチャトゥリアンやラフマニノフなどのクラシック作品を聴かせ、オーケストレーションの勉強をさせていたらしい。そうやって、『アガルタ』『パンゲア』みたいな、ライヴ録音ながら、よく構築された音楽美が即興演奏でも産まれたのだった。
だから、『フォア&モア』や『プラグド・ニッケル』などの、「アドリブ勝負のジャズのスリル」といった観点からマイルスの音楽を判断しては、本質を見誤るような気がしている。そもそもそういう観点でしかジャズ音楽を把握しないから、ビバップ以前の古典ジャズだって、良さが分らないんじゃないかね?
少し脱線するけど、ジャズはアドリブ勝負の音楽だということを、どうもみんな強調しすぎのような気がする。譜面重視のビッグ・バンドだけじゃなく、そうじゃないジャズも結構あるんだ。マイルスなんかはアレンジ部分はもちろん、ソロ・パートですら、あらかじめ譜面化されていたものが結構あるようだ。
肝心なのは、アドリブそのものであるかどうかというより、「アドリブ的」に聞えるかどうかということなのではないのかという気がする。ジャズだけでなく、すべて完全に譜面があるはずの伝統的なクラシック音楽のソロにだって、優れた演奏には、そういう一種のアドリブ性のようなものを、僕は感じてしまうのだ。
マイルスが最初からモダン・ジャズの本流に乗れず、独自の路線を歩んでいたことが、その後かえって典型的なモダン・ジャズの枠に囚われない様々な音楽にチャレンジできる素地を育んだんじゃないかと、僕は考えている。1960年代末からの、大胆な電化ファンク路線への転身も、おそらくはそのおかげ。
そういうものもああいうものもすべて含め、様々なスタイルを許容するのがジャズなのだ、それがジャズという音楽の懐の深さなのだよと言われたら、まあそうなのかもしれないなとは思ってしまうけど、どんなジャンルでも、本当に傑出した人物は、しばしばそのジャンルの典型的様式から逸脱している人だよね。
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