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2015/09/18

ジャイヴもジャンプもジャズなのだ

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ジャズ系の音楽では、ジャイヴやジャンプなどの1930〜40年代黒人ジャズが、今では一番好きなんだけど、大学生の頃から、「ジャイヴ」とか「ジャンプ」という言葉を知らないまま、結構そういうレコードを買って聴いていたというのが、事実。昔は松山でもそういうレコードを結構売っていた。

 

 

例えばキャブ・キャロウェイ楽団なんかも、昔から多少はLPが出てて、ジャイヴという言葉は知らなくて、普通の黒人スウィングだと思って聴いていたもんだった。エリントン楽団なんかとそんなに違わないように聞えていたし、キャブのバンドも上手かった。1930年代後半のキャブのバンドにはテナー・サックス奏者のチュー・ベリーがいて、僕はチューのテナーが大好きだった。

 

 

今ではジャイヴに分類されることもある40年代のナット・キング・コール・トリオだって、キャピトルから出てたインスト物と歌物の二枚のLPや、もっと初期のデッカ録音も愛聴していた。特に「スウィート・ロレイン」が大好きで、大学生の頃は完璧にソラで歌えた。ジャイヴという言葉も知らずに、普通に楽しんでいた。

 

 

ジェイ・マクシャン楽団も、今はジャズ的視点からは、チャーリー・パーカーを輩出ことばかり強調されるけど、昔は普通の黒人スウィングとして楽しんでいた。カンザスにはそういうビート感覚の強いバンドが多いというのも、ジャンプという言葉は知らなかったが、なんとなく感じてはいたのだった。

 

 

アースキン・ホーキンス楽団の「アフター・アワーズ」(エイヴリー・パリッシュ作)は、ジャズ・ピアニストによるカヴァーが多いし、ブルーズの上手いレイ・ブライアントがこれを弾くのを生でも聴いたりした。ジャンプの名曲として、黒人国歌とまで言われたりするらしいけど、当時はそういうことは知らなかった。

 

 

ライオネル・ハンプトンに関しては、30年代ヴィクターでのスウィング・セッションや、50年代初頭のクリフォード・ブラウン在籍時や、例の『スターダスト』ばかりで、イリノイ・ジャケーをフィーチャーした「フライング・ホーム」以外は、ビッグ・バンド・ジャンプ録音はほぼ完全に無視されてはいたけど。

 

 

僕は大学生の頃、そうやっていろいろ聴いていたキャブ・キャロウェイや40年代ナット・キング・コール・トリオなどの「ジャイヴもの」や、ベイシーやマクシャンなどの「ジャンプもの」が、他のいわゆるスウィング・ジャズと違うものだとは全く感じておらず、同じように並べて一緒に聴いていたのだった。

 

 

だいたい僕は大学生の頃から、ベッシー・スミスのジャズ・ブルーズ的なヴォーカルが大好きだったりしたから、元々ジャズとブルーズをあまり区別して聴いてはいない。ベッシー・スミスの伴奏を務めたのは、当時のフレッチャー・ヘンダースン楽団の面々。当時この楽団に在籍していたサッチモもやった。

 

 

というか、”ピュア”・ジャズ・ファンが聖典のように崇めるサッチモの1928年録音だって、「セント・ジェームズ病院」とか「タイト・ライク・ディス」その他は、今聴くと、結構猥雑な感じもある。後者なんか、ドン・レッドマンの女性の声色とサッチモとで、かなり卑猥なやり取りをしているしね。

 

 

僕は昔から、「芸術」っぽいモダン・ジャズより、「芸能」的な戦前の黒人ジャズの方が好きだったし、サッチモでもエリントンでも、「ウェスト・エンド・ブルーズ」や「黒と茶の幻想」みたいな生真面目な感じより、「タイト・ライク・ディス」や「クリオール・ラヴ・コール」みたいなのが好みだった。

 

 

油井正一さんの『ジャズの歴史物語』によれば、粟村さんが、戦後のサッチモをクソミソに貶したことがあるらしいけど、サッチモは最初からアーティストではなくエンターテイナーだった(20年代から結構楽しく歌っているし)。というか、その二つが分離していない。分っていないのは粟村さんの方だった。

 

 

僕は以前サッチモのジャイヴ風なナンバーばっかり集めた私家版コンピレイション・カセット(まだiTunesとかはなかった時代)を作って楽しんでいたことがあって、パソコン通信時代の音楽フォーラムで、コロンビアもこういうのを出せば、サッチモのファンももっと増えるのにと発言したことがある。

 

 

実はその頃、真剣にコロンビア(ソニー)に働きかけようかと思ったことすらある。そしたらるーべん(佐野ひろし)さんには、それならライナーを任せるのは仙台の佐々木さんしかいないぞと言われたり、版権が切れているんだからPヴァインなどから出せないかと言うと、小川真一さんから、コロンビアは他社に音源を貸さないはずと言われたり。

 

 

サッチモもエリントンも、真面目な「ピュア・ジャズ」の方に分類されていて(中村とうようさんのサッチモへの見方は少し違うようだけど)、現在彼らを聴くファンも、ほぼそんな人ばっかりだろう。僕みたいに彼らを芸能方面から聴いて、私家版コンピ・カセットを作ったりするファンは少ないはず。ちょっと残念だ。

 

 

そもそも芸術と芸能がほぼ完全に分離してしまったビバップ以後のモダン・ジャズと違って、戦前の黒人ジャズは、その二つが分離していないものが多い。今でも僕が惹かれるのはそのせいなんだけど、ベイシー楽団なんかでもジミー・ラッシングが歌うブルーズ・ナンバーとかは、かなり猥雑だよね。

 

 

昔はジャズ・リスナーも、そういう下世話な芸能っぽいジャズを、真面目なジャズと区別せずに楽しんでいたと思う。油井さんなどには、そういう感じがあった。ジャンプを毛嫌いした粟村さんとは、その辺が完全に違う。僕の世代でも、昔は、かなり芸能色の強い戦前ジャズのLPを普通に買えたんだから。

 

 

いつ頃からか、ジャイヴやジャンプなどの芸能ジャズを聴くファン層と、戦前物でも生真面目なジャズを聴くファン層が分離してしまった。でもそれは、当時のジャズ音楽の実態に即していない。どうも中村とうようさんの『ブラック・ミュージックの伝統』LPセット以来、そうなってしまったのではないだろうか?

 

 

ジャンプは、リズム&ブルーズを産み、それがロック誕生にも繋がったから、そういう大衆音楽の歴史的意義からも、見直す必要はあった。ジャイヴも、それ自体は一時期だけでほぼ消えたけど、感覚としては脈々と残っていて、ルイ・ジョーダンを経て、チャック・ベリーの歌詞などにはそれを感じたりする。

 

 

もちろんとうようさんの書いたものを読むと、芸能色の強い黒人ジャズにシンパシーを示してはいるものの、他のジャズとそんなに区別しては聴いていないのが分る。従来のジャズファンが注目しない、そういう「本流」じゃないものを再評価し、ファンの目を向けさせるための、故意の戦略だったんだろう。

 

 

あまり戦前ジャズを聴いたことのないリスナーには、当時はそういうとうようさんの意図までは理解できなかったと思うから、彼がジャイヴだジャンプだと言って再紹介した黒人スウィングを、他のそうじゃない真面目な「ジャズ」とは全然違う音楽だと思い込んでしまったんじゃないかという気がする。

 

 

日本では、そうやってリスナー層が分離したまま、今まで続いているような気がして、少しとうようさんの功罪両面を感じてしまったりもするんだよなあ。もちろん彼がやらなかったら、ジャイヴやジャンプなど、芸能色の強い下世話な黒人ジャズを聴く人は、そのままいなくなってしまったのかもしれないけど。

 

 

ルイ・ジョーダンの「チュー・チュー・チ・ブギ」(1946年)を聴くと、これはスウィングしている・ジャンプしている・ロックしている、の三つの表現、どれも当てはまる気がする。ルイ・ジョーダン本人は、当然そんな区別はしていなかったわけだ。
https://www.youtube.com/watch?v=c8uxrypkqv4

 

 

「シリアス」なモダン・ジャズ界の巨人で、僕が聴いて戦前ジャズのユーモラスな芸能色を一番よく残していると感じるのは、テナー・サックスのソニー・ロリンズだ。ロリンズは、子供の頃のアイドルがルイ・ジョーダンだった。僕は最近まで知らなかったことだけど。

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コメント

ぼくがジャズを聴き始めた70年代初め頃のジャズ・ファンは、
コルトレーン一辺倒でしたけれどねえ。
ジャズ喫茶が私語禁止だった時代ですからね。
キャブ・キャロウェイなんて、とんでもないって感じでしたよ。

中上健次あたりが言う「オレのコルトレーン」的な言辞が幅を利かせていて、
大っキライだったなあ、あの閉鎖的な雰囲気。
サッチモだって、口では評価するようなことを言ってたって、
戦前ジャズをちゃんと聴いてるジャズ・ファンなんて、お目にかかったことありませんでしたね。

ジョニー・ドッズあたりまで、きちんと聴いていたのは、ブルース・ファンだけでしたよ。
じっさい、ぼくもジョニー・ドッズを教えてもらったのは、
ジャズ喫茶じゃなくて、ブルース喫茶でしたから。
偏狭なジャズ観に風穴をあけた『ブラック・ミュージックの伝統』の意義は大きく、
「中村とうようさんの『ブラック・ミュージックの伝統』LPセット以来、そうなって」しまったのではなく、
むしろあのLPセットがなかったら、
ジャズを精神論で語る時代がただ続いただけだったと思うなあ。

bunboniさん

それが僕の感触ではそうでもないんですよね。サッチモやジョニー・ドッズや、その他たくさんの戦前ジャズをたくさん聴いているジャズ・リスナーが、僕が大学生だった70年代後半から80年代初頭には、まあまあいたんです。

僕が松山で大学生だった頃、毎日のように通っていたジャズ喫茶に「ケリー」という店があって、そこは完全に戦前ジャズのSP音源(のLPリイシュー盤)しかかけない店でした。そこでたくさんの戦前ジャズを聴いて、ベシー・スミスなんかもそこで教えてもらいましたし、その店のマスターとは、閉店後も懇意にさせてもらって、自宅に遊びに行って、いろいろとLP聴きながらお話させてもらって、たくさん教えてもらいました。

そういうジャズ喫茶が、地方都市にもあったんです。僕がモダン・ジャズよりトラッド・ジャズの方が断然好きになったのは、そのせいです。

とうようさんの『ブラック・ミュージックの伝統』LP二枚組2セットを知ったのは、もっと後のことでしたよ。

あのLPセットがなかったら、ジャズを精神論で語る時代が続いただけとは、僕はあまり思ってないんです。

追記。

精神性なるものばかり取沙汰される、60年代のコルトレーンの音楽だって、僕は最初からそんな聴き方をしたことがなく、「最初はかなり重いと思うが、聴き込むと彼の精神性の奥深さが分ってくる」などと、今でもそんな文章をよく見掛ける『至上の愛』だって、僕はかなり軽いポップな作品であるとすら感じていて、今までそういう聴き方しかしたことがありませんのです。

まあ、そういうジャズ・ファンもいるということを、理解していただきたいのです。

確かに10年違うと、もっとニュートラルにジャズと接せられたでしょうね。70年代後半から80年代初頭なら、ジャンプやジャイヴについての雑誌記事もいっぱい書かれていたし、第3世界の音楽も聴かれるようになっていた時代ですからね。その頃の『スウィング・ジャーナル』は、すでにクロスオーバー礼賛だったもんな。
71・72年頃の東京のジャズ喫茶には、まだ全共闘世代の学生運動の残り香いっぱいで、その10年差はすごく大きいと思います。
ぼくもその頃からジャズ喫茶に行くようになっていれば、お出入り禁止を食らわなかったかも(笑)。

bunboniさん

それが、僕がジャズ(やその関連音楽)を聴始めた頃は、ジャイヴやジャンプに関する文章は、ただの一度も見たことがありませんでした。そもそもこの言葉すら知りませんでした。知ったのは、やっぱりとうようさんの『ブラック・ミュージックの伝統』を買って(あれは1975年ですけど、僕が買ったのは83年頃)、それで知ったのでした。

だから、記事本文にも書いてあるように、僕(やコメントで先に書いたジャズ喫茶ケリーのマスターや常連客)は、そんなことは全く知らずに、ただの普通のジャズだと思って、区別せずに全部聴いていたわけなんです。だから、ジャイヴだジャンプだとか言われても、それがなんなの?という気持が少しありましたし、実は今でも少しそうなんです。

油井正一さんなどの世代は、区別せずに聴いていた世代ですし、僕はむしろ油井さんなどから直接影響を受けました。油井さんの著作に『ジャズの歴史』(東京創元社)があって、今では絶版のままですけど、あの本は戦前ジャズばかり扱っていて、サッチモの1925〜28年のトランペット・スタイルの変遷を詳しく分析していたり、ベシー・スミスについても一章を割いて解説してあったりしましたよ。

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