『セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン』はLA録音の三曲がいい
マイルス・デイヴィスの1963年作『セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン』は、普通は、ハービー・ハンコック+ロン・カーター+トニー・ウィリアムズという黄金のリズム・セクションが初参加したものとして有名だろう。一般的にはその三曲で評価されているアルバムだ。その後大活躍するわけだから。
『セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン』は、三曲ずつ、二つの異なるセッションから収録されている。サイドメンも録音月日も録音場所も違う。ハービー+ロン+トニーが参加した三曲(「セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン」「ソー・ニア、ソー・ファー」「ジョシュア」)が63/5/14、ニューヨーク録音。
残り三曲(「ベイズン・ストリート・ブルーズ」「アイ・フォール・イン・ラヴ・トゥー・イージリー」「ベイビー、ウォンチュー・プリーズ・カム・ホーム」)が、ピアノのヴィクター・フェルドマン、ドラムスのフランク・バトラー、ベースは同じロンで、63/4/16〜17、ロサンジェルス録音なのだ。
またニューヨーク録音の三曲には、これも新加入のテナー・サックス奏者ジョージ・コールマンが入っているけど、ロサンジェルス録音の三曲にはサックスは入らず、マイルスのトランペットのみのワン・ホーン・セッション。アルバムを聴くと分るけど、この二つのセッションではサウンドが全然違う。
最初に書いたように、その後の60年代に大活躍することになる新しいリズム・セクションを起用した、ニューヨーク録音の三曲こそ、マイルスの新時代到来を告げるもので、高く評価されているものだ。確かに前作までのウィントン・ケリー+ポール・チェンバース+ジミー・コブのサウンドよりも、相当新鮮だ。
63年5月の時点で、この新リズム・セクションの出すビートは斬新でシャープ、かつ、なんというか定常ビートというより、一種の「パルス感覚」とでも言ったらいいのか、瞬発力のあるリズムで、特にトニーのドラミングにそれを感じる。この翌年からの数多くのライヴ録音で、それがもっと凄いことになる。
テナーのジョージ・コールマンだけが、唯一ややモタっているような、あんまり新しくない感じがするし、実際、この翌年からの一連のライヴ録音でも、ボスのマイルスやリズム・セクションの斬新な演奏に比べたら、コールマンのテナーだけが、言葉は悪いが、ややイモっぽく聞えてしまうのは僕だけだろうか。
まあそれでも、前任者のハンク・モブリーよりは新しい時代にフィットできているテナー・サウンドのような気もするし、マイルスの本命は、既にこの頃から、三年後に雇うことになるウェイン・ショーターだったらしいのだが、コールマンだって、彼なりに健闘しているだろう。彼の精一杯のプレイぶりだ。
そういうことを認めつつも、実を言うと大学生の頃から『セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン』で好きなのは、どっちかというとロサンジェルス録音のワン・ホーン・カルテット編成の三曲の方だったりするのだ。さきほど書いたように、その三曲は、いずれもかなり古いスタンダード・ナンバーばかりだ。
一曲目の「ベイズン・ストリート・ブルーズ」はルイ・アームストロングの1928年録音が初演だけど、僕はこのマイルスのヴァージョンで知った曲だった。この曲、後年にグレン・ミラーとジャック・ティガーデンがヴァースを付加して、それが付いているヴァージョンの方が有名になってしまった。
マイルスの演奏も、その有名なヴァース入りヴァージョンだから(というか、それが付いてからは、ほぼ全員それで演奏したり歌ったりしている)、最初こういう曲なんだろうと思っていて、だからしばらく経ってサッチモのオリジナル・ヴァージョンを聴いたら、なんか物足りなく感じてしまったくらい。
「アイ・フォール・イン・ラヴ・トゥー・イージリー」は、1945年のフランク・シナトラ・ヴァージョンがオリジナルだから、そんなに古い曲でもない(さっき、全部かなり古い曲と書いてしまった)。余談だけど、マイルスはシナトラが大好きだったらしく、シナトラが歌った曲をいくつか取りあげている。
例えば、今ではマイルス・ヴァージョンの方がジャズ・ファンには有名になっているであろう「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」だって、マイルスが取りあげたのは、シナトラが1954年の『ソングズ・フォー・ヤング・ラヴァーズ』で歌ってからだった。マイルスによるこの曲の初録音は1956年(『クッキン』)。
ブルーノートにもプレスティッジにも録音があるバラード曲「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」だって、シナトラが1949年の『フランクリー・センティメンタル』で歌っている。マイルスがブルーノートにこれを初録音したのは1954年。プレスティッジへの56年録音の方(『ワーキン』)が有名だけど。
そういうバラード曲でのマイルスのテーマ・メロディの節回しは、シナトラ・ヴァージョンの歌い方からかなり影響を受けているね。マイルスとシナトラの両方を聴き込んでいるファンなら分っていることだけど、そういう人があまり多くはないみたいだからなあ。マイルスはシナトラが好きだったと知っているファンでも、キャピトル移籍(1952)前のコロンビア時代なんて、殆ど聴かないだろう。
話が逸れた。『セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン』ロサンジェルス録音三曲の残り一曲「ベイビー、ウォンチュー・プリーズ・カム・ホーム」。これは1919年発表の正真正銘古い曲で、23年のベシー・スミスの歌唱で有名になったもの。それにしても、こういう古めのバラードを、なぜマイルスは取りあげたのだろう?
「ベイズン・ストリート・ブルーズ」は、もちろんマイルスも敬愛するサッチモの曲だし(といっても、さっき言ったようにサッチモのオリジナル・ヴァージョンには即していないが)、「アイ・フォール・イン・ラヴ・トゥー・イージリー」は、これもさっき書いたようにシナトラが歌っていたからだけど。
ワン・ホーン・カルテットでこういう古いバラードを1963年にやったマイルスの真意は、まあ分らないんだけど、どうしてだか、僕はこの三曲のバラード演奏が大好きで、大学生の頃から『セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン』を聴くのは、いつもそれらを聴くため。ニューヨーク録音の三曲は、はっきり言って熱心に聴いていなかった。
ある時期以後、戦前ジャズの虜になって、主にジャズ系の歌手や演奏家が取りあげる古いポップ・チューンが大好きな僕だけど、このアルバムを聴いたのはもっと前のことで、古い有名曲だということすら知らなかったのに、それでも大好きになってしまっていた。なにか琴線に触れるものがあったんだろう。
今でも『セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン』を聴くのは、その三曲の古いバラードを吹くマイルス(全てハーマン・ミュートを付けている)を聴くためで、それらを聴くと、なんか懐かしいような切ないような、なんともいえない気分になって、シンミリしてしまう。そのシンミリ感が嫌いではないのだ。
もちろん、ハービー+ロン+トニーの新しいリズム・セクションによるニューヨーク録音三曲の瑞々しい感覚も好きだけど、このリズム・セクションは、この後もっともっと物凄いことになっていくのであって、それが分っているから、この63年時点では、まだちょっと物足りなく感じてしまう。
それにロサンジェルス録音の三曲でも、リズム・セクションの三人の演奏は、かなりいいように僕の耳には聞える。ベースはこっちも既にロンだからいいんだけど、ヴィクター・フェルドマンのピアノもいいし、ドラムスのフランク・バトラーも好きだ。特にスネアのリム・ショットを多用しているのが僕好み。
なお、ヴィクター・フェルドマンは、ロック・ファンには、フランク・ザッパの一部の作品に(パーカッショニストとして)参加していたり、あるいはスティーリー・ダンの全作品に参加していたりするのが、有名だろう。スティーリー・ダンで、全アルバムに参加しているというのは、フェイゲンとベッカーの二人以外では、フェルドマンだけ。
また、ニューヨーク録音の方が採用されているタイトル曲の「セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン」は、ヴィクター・フェルドマンの作曲で、ロサンジェルスで先に録音されていたのが、後年リリースされている。リズムは前述のロス組三人で、テナー・サックスのジョージ・コールマンも入っている。
2004年にレガシーから『セヴン・ステップス:ザ・コンプリート・コロンビア・レコーディングズ 1963-1964』という七枚組が出て、それにそのロサンジェルス・セッションが全て収録されている。それを見ると、ニューヨーク録音の三曲は、「セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン」も含め三曲とも全部、その前にロス録音がある。
しかし聴くと、ロサンジェルス録音のそれら三曲は、曲自体は新感覚なのに、リズム・セクションのサウンドがやや古くて、これはもう断然新しいリズム・セクションでのニューヨーク録音の方が正解だ。やはりこのリズム隊だと古いバラード三曲の方が圧倒的に素晴しい。そして、書いたように、僕はそれら三曲がたまらなく好きなのだ。
どんな文章を読んでも、このロサンジェルス録音三曲は、ダラダラと締りがないという評ばかりで、評価する人に出会ったことがない。僕も評価しているというよりも、ただ単に個人的になんとなく好きで聴いているというだけのことなんだ。
なお、そのバラード三曲のうち、「アイ・フォール・イン・ラヴ・トゥー・イージリー」だけは、その後のライヴでの定番レパートリーとなって、60年代半ばはもちろん、電化後の70年まで取りあげている。70年6月のフィルモア・ヴァージョンも、短いけど美しい。
https://www.youtube.com/watch?v=T7-fH1LgdoU
https://www.youtube.com/watch?v=T7-fH1LgdoU
お聴きになれば分るように、これは「サンクチュアリ」への導入部として演奏されている。スタジオ録音の『ビッチズ・ブルー』収録の同曲でも、中間部でちょっとだけ「アイ・フォール・イン・ラヴ・トゥー・イージーリー」のメロディを吹いている。気付いている人は少ないみたいだけど。
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