長年苦手だったレゲエ
僕は元々あんまりレゲエ・ファンじゃなかった。大学生の頃から少しレコードを聴いてはいたものの、殆どハマらなかった。そもそも昔から(今もだけど)歌詞におけるメッセージ性の強い音楽は、特にジャマイカン・レゲエは英語だから分ってしまうだけに、かえって嫌だった。
その気持がちょっと変ったのは、24歳の時、深夜のFMで流れてきたボブ・マーリーの「ナチュラル・ミスティック」だった。FM東京の『FM トランスミッション・バリケード』という番組。一切喋りがなく音楽だけ流す番組で、その時は、カリブ〜アフリカン・ルーツ特集みたいだった。
何回も書いている、僕が最初に聴いたアフロ・ポップであるキング・サニー・アデの『シンクロ・システム』も、その時の番組で、ボブ・マーリーと並んで聴いたのだった。正確には、その中の一曲である「シンクロ・フィーリング〜イラコ」。
その時は、今でも憶えているけど、ハリー・ベラフォンテの「バナナ・ボート」から始って、ボブ・マーリーの「ナチュラル・ミスティック」〜サニー・アデ「シンクロ・フィーリング〜イラコ」と続いていた。その後の流れは憶えていないんだけど、その三つだけで、当時の僕を刺激するには十分だった。
サニー・アデの「シンクロ・フィーリング〜イラコ」に大きな衝撃を受けただけでなく、あまり好きでもなかったボブ・マーリーの「ナチュラル・ミスティック」が、その流れの中では、それまでとは全然違って聞えてきて、ジャマイカ音楽を、アメリカとアフリカを繋ぐ流れの中で、考え直したのだった。
あの三曲の流れを考えたのが誰だったのかは全く分らないんだけど、あれがなかったら、レゲエもアフリカ音楽も、今みたいに積極的に聴くようになるには、もっともっと時間が掛っていたはず。もっとも、レゲエの力を本当に実感したのは、もっとはるかに後のグナワ・ディフュジオンを聴いてからだったけど。
グナワ・ディフュジオンの1999年作『バブ・エル・ウェド・キングストン』を聴き、レゲエのリズムを使ったものが多いことに少し驚き、まあレゲエというかラガマフィンも多いけど、そのパワーに驚いたのだった。バンドのリーダー、アマジーグのアイドルがボブ・マーリーなのも知った。
その頃から、アフリカ音楽をいろいろ聴くと、その中にボブ・マーリーの影響がかなり強いものが多いことに、遅ればせながら気付き始めて、改めてボブ・マーリーのアルバムをCDで買い直して、聴直したりもした。レゲエやジャマイカ音楽は、普通「ワールド・ミュージック」には含まれないことが多いけど、その影響力は絶大であることを、むちゃくちゃ遅くになって実感したわけだ。
だから、僕がボブ・マーリーの音楽を本当の意味で無視できなくなったのは、もうこれはとんでもなく遅く、90年代後半になって、マグレブ系現代ミクスチャー音楽をたくさん聴くようになってからであって、それまではレゲエ独特のあの間の空いたスカしたビート感覚に、イマイチ馴染めなかったんだよなあ。スミマセン。
まあ、マイルス・デイヴィスのアルバムにもレゲエ風なナンバーはあったんだけどね。『ユア・アンダー・アレスト」の中の「ミズ・モリシン」とか『TUTU』の中の「ドント・ルーズ・ユア・マインド」とか。
「ドント・ルーズ・ユア・マインド」https://www.youtube.com/watch?v=GKl1oZ5qRLw
『ユア・アンダー・アレスト』が1985年、『TUTU』が翌年86年のアルバムで、当時はマイルスの新作が出るのが、一つ一つ待遠しくて、出たら何度も何度も飽きずに繰返し聴いたから、その二つのレゲエ風ナンバーも何度も聴きはしたんだけど。「ミズ・モリシン」は、85年の来日公演でもやったし。
でも当時はマイルスのアルバムでレゲエ風な曲を聴いても、なんだかイマイチ良さが分ってなかったんだよなあ。ファンク・ナンバーとかの方が圧倒的に好きだった。でも今考えたら、聴いた後で頭の中に残っていたり、夢の中で鳴っていたりするのは、そういうレゲエ風ナンバーだったりしたんだけど。
ロックでも、クラプトンの例の「アイ・ショット・ザ・シェリフ」(『461・オーシャン・ブルヴァード』)や、レッド・ツェッペリンの「ジャメイカ」(『聖なる館』)などのレゲエ・ナンバーを聴きはしてたんだけど、どっちもアルバムの中ではちょっと異色で、好きじゃなかった。なお、ツェッペリンの「D'yer Mak'er」を「デジャ・メイク・ハー」とした邦題は間違い。
初めて聴いたのは、クラプトンのそれは大学生の時、ツェッペリンのは高校生の時だけど、それらを聴いてレゲエにはまるということもなかったんだなあ。特に「アイ・ショット・ザ・シェリフ」はボブ・マーリーの曲だったんだけど、殆どそれを意識していなかったし、マーリーのオリジナルもその時は買わなかった。
クラプトンの『461・オーシャン・ブルヴァード』で当時大好きだったのは、ボブ・マーリーの「アイ・ショット・ザ・シェリフ」ではなく、ジョニー・オーティスの「ウィリー・アンド・ザ・ハンド・ジャイヴ」。ジョニー・オーティスの名前も、いわゆるボー・ディドリー・ビートも、あれで初めて意識した。
そしてツェッペリンの『聖なる館』で一番好きだったのが、A面ラストの「ザ・クランジ」。どういうわけだか、あの変拍子の変態ファンク・ナンバーが、ロバート・プラントの歌う珍妙な英語とともに、凄く気に入って、あればかり何度もリピートしてた。あのアルバムではあれが今でも一番好き。
要するに、昔からそういう黒人音楽的要素(ファンク)や、ラテン・ビート(ボー・ディドリー、またの名を3・2クラーベ)に強く惹かれていたんだよなあ。一般には「ラテン」でも「ブラック」でもないレゲエにはそんなには惹かれていなかった。レゲエが米黒人音楽に強く影響されていることを知ったのは、もっと後のこと。
日本でもレゲエ・ファンって、ムチャクチャ多いのに、僕はこんな感じでなかなかその真価やカッコよさが分らなくて、随分と遅れてしまった感じで、なんかちょっと申し訳ない気分。今世紀に入った頃からは、まあまあ聴いているし、『エクソダス』や『キャッチ・ア・ファイア』のデラックス版(2001)とかも、喜んで買って聴いているので、許して下さい。
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