« ファンキー感覚 | トップページ | アクースティック・マイルスで一番好きなアルバム »

2015/10/17

アラブ色濃厚なオスマン帝国時代のギリシア歌謡

Anitarogersrozaeskenaziblognewyork1

 

Markos_vamvakaris

 

 











だいぶ前にエル・スールさんがツイートしていたこの音源→ https://www.youtube.com/watch?v=zBCn-CUugtE ギリシア人によるものなんだけど、トルコ古典歌謡に非常によく似ている。というかソックリだ。しかしそれもまた当然だろう。

 

 

上で貼ったのは、TAKIMというギリシア人バンドの音楽だけど、このバンドは全員ギリシア人ながら、アルバム丸ごと全部トルコ古典歌謡をやっているので、似ているとかソックリとかいうより、そのまんまなわけだけどね。これがアルバム『TAKIM』の一曲目。

 

 

 

ギリシアとトルコは、隣国同士であるというだけでなく、現在ギリシアになっている地域もトルコになっている地域も、オスマン帝国の支配下にあった。もっと前には、トルコもギリシアもローマ帝国の領土だった。トルコの最大都市イスタンブル(コンスタンティノープル)は、ローマ帝国(分割統治時代)、ビザンツ帝国、オスマン帝国と、三つの時代にわたって長年首都で、ギリシアも支配下に置いていた。

 

 

つまり、ギリシア文化もトルコ文化も、長年にわたって、同一領土内で育まれていたもの。もちろん、ローマ帝国もビザンツ帝国もオスマン帝国も多文化国家で、同一領土内に多様な異文化の共存を認めていたわけで、それだから、人間や文化の移動・交流が活発であっただろうことは容易に想像できる。

 

 

例えば、ギリシアのよく知られている伝統音楽レンベーティカにしても、そのオスマン帝国時代の文化的モザイクの下に育まれてきた音楽。異文化・異教徒に寛容だったオスマン帝国下にあったからこそ、それが可能だった。レンベーティカ、特にスミルナ派のそれを聴くと、そのことを強く感じる。

 

 

ギリシア大衆歌謡のルーツでもあるレンベーティカ、そもそも20世紀初頭のオスマン帝国時代、イスタンブルやイズミールなどのギリシア人移民と、アテネやピレウスなどのギリシア人が産み出した音楽だが、ギリシア人コミュニティの音楽だったとだけ考えると、それはちょっと違うだろう。

 

 

レンベーティカは、同じアナトリア半島(現在のトルコのアジア部分)の住民だったイスラム教徒のトルコ人やユダヤ教徒のセファルディ、他にもアラブ人やアルメニア人など、様々な民族が共生していたからこそ花開いた音楽だった。多文化共存の下で産まれた音楽だったのは、他のいろんな大衆音楽と似ている。

 

 

そういうオスマン帝国下時代のアナトリアのイズミールで開花した時代の流れを汲むレンベーティカは、イズミールのギリシア名でスミルナ派と呼ばれている。いわゆるスミルナ派のレンベーティカを聴くと、結構アラブ臭を感じるのも、上記のような事情のせいなんだろう。実に魅力的だと思う。

 

 

そしてその後の希土戦争(1919〜1922)の結果、ギリシアに住んでいたトルコ人とアナトリアに住んでいたギリシア人を、それぞれ強制送還する住民交換が行われ、トルコ人とギリシア人が分断されたせいで、レンベーティカは変質する。アテネなどギリシアの都市の居酒屋の音楽となっていく。

 

 

そうした希土戦争後の住民交換を経て、ギリシアの港町で成立したレンベーティカをピレウス派と呼ぶが、スミルナ派との決定的な違いは、トルコ音楽やユダヤ音楽といったアラブ系音楽の後ろ盾を失ってしまったこと。僕がピレウス派のマルコス・ヴァンヴァカーリスなどにあまり惹かれないのも、そのせい。

 

 

トルコはともかくユダヤ音楽がアラブ系と言うと、え〜っ?と思う人もいるかもしれないが、いわゆるアラブ・アンダルース音楽も、かつてイベリア半島でアラブ人とユダヤ人が共生していた時代に産まれた音楽。たくさんのユダヤ人歌手が、その後マグリブ地域(モロッコ、アルジェリア、チュニジア等)で活躍した。

 

 

その後も、マグリブ地域のアラブ・アンダルース音楽だけでなく、エジプトやアラビア半島など、広くアラブ圏一帯でユダヤ人音楽家が活躍していたようだ。そして、そういう状況は、まさにアナトリアで花開いたレンベーティカ全盛期の多民族が共生した社会文化状況と見事にオーヴァーラップするのだ。

 

 

スミルナ派レンベーティカ代表する一人、ローザ・エスケナージ(上掲写真左)→  https://www.youtube.com/watch?v=QxDfgms6UC8 一方、ピレウス派の代表マルコス・ヴァンヴァーカリス(上掲写真右)はこういう感じ→ https://www.youtube.com/watch?v=vHHQdE56PS0 後者も魅力的だけれどね。

 

 

以前、イギリスの復刻レーベルJSPからたくさん出ていた初期レンベーティカのボックス・シリーズを聴きまくっていたことがあって、その時に感じたのも、そういうスミルナ派とピレウス派の違い。書いたように僕は圧倒的にスミルナ派にシンパシーを感じるんだけど、アラブ好きの僕としては当然だった。

 

 

ピレウス派レンベーティカだってファンが多いし、その後のギリシア大衆音楽に多大な影響を与えたので、軽視できないけど、個人的にはどっちかというと、アナトリアの多文化モザイクを聴くような、イスタンブルやイズミール由来のスミルナ派レンベーティカの方に、より大きな魅力を感じちゃうなあ。

 

 

つまり、ギリシア音楽であるレンベーティカも、スミルナ派のアラブ、トルコ、ユダヤなど多民族共存時代の混血音楽だったものの方が断然面白いし、そもそも大衆音楽とはそういうものの方が魅力的ではないかということ。最初に書いたように、ギリシア歌謡にトルコ古典歌謡の趣を感じるのも当然なのだ。

 

 

ピレウス派のレンベーティカも1950年代には衰退してしまうけど、ギリシア移民の多いアメリカで生延びたり、またギリシア本国でも70年代にリバイバルしただけでなく、その後のギリシア大衆音楽に連綿と受継がれていて、今でもギリシア音楽にトルコ色を感じたりするのもそのせいだ。

 

 

例えば、2012年の作品だけど、現代ギリシアのライカ歌手ヤニス・コツィーラスが、スミルナ派レンベーティカをカヴァーした企画物アルバムの一曲→ https://www.youtube.com/watch?t=12&v=Unorh1_FrS0 トルコ古典歌謡色濃厚で、哀感に満ちている。現代ギリシアにこれ以上魅力的な音楽はないと思うのは、トルコやアラブ盲信ゆえなのだろうか?

 

 

また、こちらも2012年の録音だけど、イスタンブルを舞台にトルコ人とギリシア人が共同で、古いアナトリア歌謡〜スミルナ派レンベーティカを復興させたもの→ https://www.youtube.com/watch?v=Y-CqlJtRVlE こういうのを聴くと、日韓以上に仲の悪い両国だけど、音楽的には不可分一体だと分るね。

« ファンキー感覚 | トップページ | アクースティック・マイルスで一番好きなアルバム »

音楽(その他)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: アラブ色濃厚なオスマン帝国時代のギリシア歌謡:

« ファンキー感覚 | トップページ | アクースティック・マイルスで一番好きなアルバム »

フォト
2023年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ