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2015/10/24

ポップ・マイルスはサーカス・ミュージック?

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1986年頃からマイルス・デイヴィスがやっていた音楽について、かつて油井正一さんは「サーカス・ミュージック」という表現で、はっきりと貶していたことがある。日本ではマイルスの最大の理解者の一人であった油井さんの言葉だけに、僕などには少しショックがあった。

 

 

だって、復帰後のマイルスについては、特にライヴでは、1988年頃のバンドが僕は一番好きだったから。特に同年八月に、昭和女子大学人見記念講堂で体験したマイルス・バンドの演奏は、僕が観たマイルスのライヴでは最高に素晴しかった。油井さんは同年六月に亡くなっている。

 

 

マイルスは長年在籍したコロンビアを離れ、1986年にワーナーに移籍した頃から、音楽含めライヴ・ステージでの演出なども明らかに変化した。同時期同じワーナーに所属していたプリンスの影響をかなり受けるようになっていた。プリンスとは共演音源もあるし、ライヴでも共演したことがある。

 

 

つまり、良くも悪しくもそれまでの(油井さんなどが称揚し続けた)、いわゆる「ジャズ」のミュージシャンというより、かなりポップ寄りになっていって、自身のファッションも含むライヴでの演出も、スタジオでの音楽も、そういう方向へ変化していった。油井さんなどには我慢できなかったのだろう。

 

 

しかし、元々ジャズはポップ・ミュージックであり、エンターテイメントであることを忘れてはいけない。ルイ・アームストロングがいい例だ。一流のエンターテイナーであり、芸人でもあった。観客を喜ばせることが自分の役目だと信じて、それに徹していた。粟村政昭さんはそういうサッチモを批判したけど。

 

 

だから、1986年ワーナー移籍後のポップ・マイルスは、そういうジャズが元々持っていたエンターテイメント性を取戻しただけに過ぎないとも言えるはず。シンディー・ローパーの「タイム・アフター・タイム」や、マイケル・ジャクスンの「ヒューマン・ネイチャー」なども、ライヴでも好んで演奏した。

 

 

そういうポップ・ナンバーを取りあげることには、賛否両論あった(今でもある?)けど、ちょっと振返ってみよう。1950年代のファースト・クインテットでのプレスティッジにおけるマラソン・セッション四部作など、殆ど同時代のポップ・ナンバーばかりじゃないか。なにが違うんだ?

 

 

それに、そもそも「ピュア・ジャズ」のミュージシャンやリスナーが聖典のように崇めるいわゆるジャズ・スタンダードだって、ジャズマンによるオリジナルがスタンダード化したものを除けば、ほぼ全てがティン・パン・アリーのものであり、流行のソングライターによる当時の流行歌だったに過ぎない。

 

 

マイルスも1959年頃からのスタジオ録音では、当時のジャズの傾向に沿って、作品用にオリジナル・ナンバーを作り録音することが多くなっていったし、それは70年代から、復帰後の80年代初期まで変らなかったけど、どっちかというと、そっちの方が異色な方向性だったとも言える。

 

 

だから1986年頃から「タイム・アフター・タイム」や「ヒューマン・ネイチャー」や、スクリッティ・ポリッティの「パーフェクト・ウェイ」を取りあげ、この三曲を死ぬまでライヴでは演奏し続けたのも、考えてみれば、50年代中頃の自分自身に戻っただけ、またはかつてのジャズマンのやり方に沿っただけだ。

 

 

大勢の普通のジャズ・リスナーが、ジャズの持つそういう芸能的側面をあまりに無視するもんだから、ジャイヴやジャンプなどがジャズとは切離された別個のジャンルの音楽として扱われたりするし、1969年以後のマイルスは「ジャズ」ではないと僕が強調したりすることになってしまうのだ。

 

 

そんなわけで、晩年のポップ・マイルスは、ジャズがかつてその本質として持っていたポップ性を取戻しただけで、油井正一さん他のように、それを批判するのは的を射ていないと思うのだが、実はスタジオ録音だけでは、その様子は本当は良く分らない。81年復帰後の来日公演に全部行った僕はそう言える。

 

 

1960年代も70年代も多くのライヴ作品を残している(特に70年代はほぼ毎年ライヴ・アルバムがある)マイルスだけど、81年復帰後のライヴ・アルバムは、ブート盤を除く正規盤では、そのカムバック・バンドを録音した『ウィ・ウォント・マイルス』しかない状態が、長年続いていた。

 

 

もっとも、一般にスタジオ作品とされるアルバムにも、多くのライヴ音源(を加工したもの)が使われていて、特に1983年の『スター・ピープル』や84年の『デコイ』などがそうなのだが、それは近年分ってきたことで、当時はそんなことには気付いていなかったし、まだそんなにポップでもなかった。

 

 

だから1987年以後の来日公演で、ポップ・マイルスのステージを体験したファンは、それを追体験しようとブート漁りを始めるわけだけど、その喉の渇きがようやく癒されたのが、死後の1996年にリリースされた『ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド』。これは88年〜91年の晩年のライヴ録音集。

 

 

1988〜91年といえば、復帰後ではおそらく最も充実していたであろう、フォーリー〜リッキー・ウェルマン時代のライヴを捉えたものだし、収録曲も晩年の重要なレパートリーがほぼ全て含まれているし、晩年のポップ・マイルスの姿をこれから知りたいという人には、まずこれをオススメする次第。

 

 

あと、サイズと価格が大きすぎるけど、復帰後、亡くなるまでのマイルスのライヴの変遷がよく分るのが、2002年に出た『ザ・コンプリート・マイルス・デイヴィス・アット・モントルー 1973-1991』。一枚目が73年のライヴである以外は、全て84年〜91年のモントルーでのライヴ音源。

 

 

このモントルー箱は20枚組というバカでかいものだけど、84、85、86、88、89、90、91年と、復帰後のほぼ毎年のマイルス・バンドのライヴが聴ける。マイルス・バンドでのロベン・フォードや、客演したジョージ・デュークやデイヴィッド・サンボーンなどは、公式盤ではこれでしか聴けない。

 

 

1988年6月に亡くなった油井正一さんも、こういう『ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド』やモントルー箱のような充実作を聴いたら、ちょっとだけ晩年のマイルスについての感想が変っていたかもしれないなあと、僕は思うのだ。いや、やっぱりサーカス・ミュージックだとおっしゃったかもしれないけど。

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