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2015/11/08

美は単調にあり(by 中村とうよう)

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クリフォード・ブラウンのアルバムでは、1953年の例のパリ・セッション三枚を除いた独立後のものでは、『ウィズ・ストリングス』が一番好き。粟村政昭さんは『ジャズ・レコード・ブック』で「駄盤」と切捨てていたけど、その辺りが粟村さんの限界だったんだろう。昔は大変お世話になったから、そういうことはあまり言いたくはないが。

 

 

評判の高いブラウン・ローチ・クインテットは、ことブラウニーのソロだけ取出せば最高だけど、演奏全体は、アレンジがあまり好きになれないものが多く、実はあまり聴かない。世評の高い『スタディ・イン・ブラウン』だって、「A列車で行こう」も「チェロキー」も、イントロでゲンナリする。ブラウニーのソロだけは文句の付けようがないけど。

 

 

マックス・ローチ以外のサイドメンだって、ハロルド・ランドもリッチー・パウエルもちょっとなあ。もちろんソニー・ロリンズは、このバンドでの演奏はあまりよくなくて、テナー奏者としての一般的な力量では到底ロリンズに及ばないハロルド・ランドの方がいいように聞えるくらいだもんなあ。ブラウニーの存在を前に萎縮しているのだろうか?

 

 

極めて個人的な見解で申し訳ないけど、あのバンドのアルバムで一番いいと思うのは、初めの頃の1954年録音『ブラウン・アンド・ローチ・インコーポレイティッド』だなあ。あのアルバム収録曲は、そんなにアレンジもヘンじゃないし、ブラウニーがかなりストレートに吹いているので。

 

 

一曲目の急速調「スウィート・クリフォード」からエンジン全開で吹きまくるし、二曲目の「ゴースト・オヴ・ア・チャンス」などは、おそらくこのバンドでのブラウニーのバラード吹奏最高傑作じゃないかと思っているほど素晴しい。続くミドル・テンポの「ストンピン・アット・ザ・サヴォイ」も心地よい。ここまでA面で、B面はやっぱりちょっとヘンだから、あまり聴かない。

 

 

そういうわけなので、僕は大学生の頃から、ブラウン・ローチ・クインテットの一連のアルバムでは『インコーポレイティッド』を一番よく聴いていて、それ以外はどうもピンと来ない。あのバンドは、世評は著しく高いわけだから、こんな風に感じているのは、おそらく僕だけなんだろう。

 

 

その点、1955年録音の『ウィズ・ストリングス』は、ヘンなアレンジもイマイチなサイドメンのソロもなく、美しく流れるストリングスの上で、ブラウニーのトランペット演奏だけを集中してたっぷり堪能できるのでイイネ。あのアルバムも、ストリングス以外のサイドメンは、ほぼレギュラー・バンドだけど。

 

 

『ウィズ・ストリングス』は、全曲バラードなのも嬉しい。コンボで急速調で飛ばしまくるブラウニーも、そりゃもうもちろん物凄いんだけど、彼の素晴しさはバラードを吹いた時の方が分りやい気がするんだよなあ。まあそれはブラウニーに限った話じゃなく、ジャズメン全員に言えることなんだろう。

 

 

有名曲ばかりなんだけど、特に有名な「スターダスト」とか「煙が目にしみる」とか「ワッツ・ニュー」(ヘレン・メリルとの共演盤のよりはるかにいい出来)などもいいけど、僕が一番好きなのは「ポートレイト・オヴ・ジェニー」と「ローラ」の二曲。美しすぎて聴惚れるね。

 

 

「ポートレイト・オヴ・ジェニー」https://www.youtube.com/watch?v=U-yrnpQlXyU

 

 

 

『ウィズ・ストリングス』でソロを取っているのはブラウニーだけで、しかもテーマ・メロディ以外のいわゆる普通のアドリブ・ソロは全く吹かず、ただ淡々とメロディを美しく吹上げているだけ。まあその辺も、一般の硬派なジャス・リスナーにはウケが悪い理由の一つなんだろう。

 

 

なんの変化もなく、ただひたすらテーマ・メロディだけをストレートに演唱して、それで聴く人間を感動させられるというのは、ジャズの世界に限らずあらゆる音楽家の真の力量というものじゃないのかな。ブラウニーは、間違いなくそういう真の実力を持つジャズマンだった。

 

 

一般的に硬派なジャズ・リスナーはストリングス入りの作品を蔑視する傾向があったけど、それ、どうにかならないのかな。今ではさすがに昔の粟村さんみたいなことを言う人さんは減っているみたいで、ブラウニーの『ウィズ・ストリングス』も推薦盤として挙げられることもあるようだ。

 

 

いい傾向だと思う。チャーリー・パーカーのヴァーヴ録音『ウィズ・ストリングス』も、昔は散々な評判だったけど、最近はかなり名誉回復しているみたいで、嬉しい限り。あれなんか、会社から押しつけられた企画じゃなく、パーカー自身が望んだものなんだ。

 

 

これは、僕がストリングスの響きが大好きだというのも大きな理由なんだろう。もっとも、そんな僕でも、リンダ・ロンシュタットやロッド・スチュアートのスタンダード曲集などは、全く感心しない。ある時期以後に彼らのファンになった人は、ああいう音楽の歌手だと思う人もいるらしいから、困るよね。

 

 

もちろんリンダ・ロンシュタットやロッド・スチュアートの場合は、ストリングス・サウンドがダメとかいうのでは全然なく、ロックで一時代を築いた歌手が、挑戦的に新しい方向性を試すのではなく、やや安直に保守的な流れに乗ってしまったということに、違和感を感じるわけだ。

 

 

ロッド・スチュアートに関しては、『リード・ヴォーカリスト』という1993年のベスト盤。あれの後半五曲が当時の最近録音で、全部カヴァー曲。スティーヴィー・ニックスの「スタンド・バック」とかストーンズの「ルビー・チューズデイ」とかトム・ウェイツの「トム・トラバーツ・ブルーズ」とか。

 

 

ロッドの『リード・ヴォーカリスト』は、前半はただのベスト盤で必要ないんだけど、その後半五曲のカヴァー曲最新録音のためだけに買って、正解だった。五曲ともフル・ストリングス入りで、素晴しい出来だ。特にラストのトム・ウェイツ・ナンバーが筆舌に尽しがたい美しさで、オリジナルよりいいくらい。

 

 

 

トム・ウェイツの「トム・トラバーツ・ブルーズ」は、ロッド自身お気に入りらしく、同じ1993年に録音された次作の『アンプラグド』でも、ライヴ再演しているくらい。その『アンプラグド』も一部ストリングス入りだし、ロッドのやった1970年代のロック・ナンバーもたくさんやっていて、僕は好きな一枚。

 

 

そういうロッドの『リード・ヴォーカリスト』や『アンプラグド』を聴いて、ストリングスが入っているから評価しないなどと言いだすロック・ファンはいないだろう。クラシック・ファンならもちろんだ。なぜだかジャズ・リスナーやジャズ・ライターだけが、ストリングス物を毛嫌いするんだよなあ。

 

 

そういうわけで、昔の「ストリングス物はダメ」というおかしな言説のせいで、まだ一部では偏見で見られている気がするクリフォード・ブラウンのやチャーリー・パーカーの『ウィズ・ストリングス』アルバムだけど、真の演奏力とは、複雑なインプロヴィゼイションを吹きこなすことだけじゃないんだ。

 

 

なにかで中村とうようさんが書いていたけど、ポピュラー・ミュージックの場合は、美は単調にあり、シンプル・イズ・ビューティフルだというのが、僕もいろいろ聴いてきての最近の実感。モダン・ジャズや、1970年前後からの一部のロックなど、複雑で高度な演奏が有難がられて、僕も以前はそうだったけど、実は逆だよなあ。

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コメント

とうようさんの言っていた「美は短調にあり」という言葉が、ようやく最近実感を伴って分かってきました。ジャズ=即効演奏という一般的な認識が、弦入りの伴奏でメロディを美しく奏でることを悪としてしまうのかもしれませんね。
ブラウニーは「スタディ・イン・ブラウン」くらいしか聴いたことがありませんでした。「ポートレイト・オヴ・ジェニー」美しいですね。アルバムで聴いてみます。

Astralさん

まあジャズ・ファンはちょっとヘンです。僕は昔からストリングス入りのものが大好きですから、かつては周囲から白い目で見られました。ああいうものがいいと胸を張って公言できるようになったのは、ワールド・ミュージック・リスナーになって、付合う音楽友人も変ってからです。

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