ショーターのソプラノ・サックス
ウェイン・ショーターが、録音史上初めてソプラノ・サックスを吹いたのは、マイルス・バンド時代、1968年11月27日の「ディレクションズ」(2ヴァージョン)だったはず。でもこれは、1981年までリリースされなかったから、リアルタイムでは三ヶ月後の録音『イン・ア・サイレント・ウェイ』が初だった。
シドニー・ベシェがいるから、ショーターをジャズ史上最高のソプラノ・サックス奏者とは言えないけれど、僕の中では、ベシェに次ぐNo.2の存在なんだなあ、ソプラノでは。少なくともジョン・コルトレーンよりはいいと思う。コルトレーンのソプラノはテナー奏者の余技みたいなものだったもんなあ。
1950年代から活躍したスティーヴ・レイシーがいるじゃないかと思うんだけど、レイシーはソプラノに専念した人だ。だからマルチ・リード奏者としては、ソプラノを久々に取りあげたのがコルトレーンなわけで、その後多くの人が吹くようになり、ショーターだってその影響だろう。
だけど、コルトレーンの場合は、テナーとソプラノの使い分けがはっきりしていないし、この曲(この部分)はテナーで、ここはソプラノで、という必然性が感じられない。その証拠に同じ曲を、違うライヴによってテナーで吹いたりソプラノで吹いたりしているものがある。フレイジングもテナーのままだ。
コルトレーンが初めてソプラノを吹いたのは1960年のスタジオ録音「マイ・フェイヴァリット・シングズ」だけど、これもその後のライヴではテナーだったりソプラノだったり。コルトレーンによるこの曲の最高のヴァージョンと確信している63年のライヴ録音『セルフレスネス』のものは、最初テナーで出たと思った次の瞬間にソプラノになっている。演奏は最高だけど、テナーかソプラノかはどっちでもいいような感じだ。
もちろんウェイン・ショーターも、1968年まではテナー一本。68年末にソプラノを手にしたのは、やはりバンドのエレクトリック・サウンドに対応できるサックス・サウンドを求めてのことだったんだろう。この辺りが、バンド・サウンドの変化が殆どないのに、ソプラノを吹いたコルトレーンとは違う。
つまりショーターのソプラノは、ソプラノでしか表現できない音楽性を求めてのことだった。これは、テナーやアルトを中心にやってきたサックス奏者にしては、おそらく初めてのことだったんじゃないかと僕は思う。その後、マイルスのスタジオ録音ではソプラノしか吹かず、ライヴではテナーを吹いている。
当時発表されたマイルスのスタジオ・アルバムでショーターがソプラノを吹いているのは、『イン・ア・サイレント・ウェイ』『ビッチズ・ブルー』の二つだけで、1969/70年のマイルス・バンドでのライヴでは殆どテナーに専念しているので、その辺はまだまだ使い分けがはっきりしていないとも言える。
ほぼ同時期に録音されたショーターのリーダー作『スーパー・ノヴァ』では、ソプラノだけに専念していて、これを聴くと、マイルスの『イン・ア・サイレント・ウェイ』『ビッチズ・ブルー』同様、ソプラノでなければならない必然性が強く感じられる。次作『オデッセイ・オヴ・イスカ』でもほぼソプラノ。
ソプラノによる『スーパー・ノヴァ』での三曲「スウィー・ピー」「ウォーター・ベイビーズ」「カプリコーン」の三曲を、1967年マイルス時代の録音(『ウォーター・ベイビーズ』)ではテナーで吹いているので、聴き比べると面白い。1969年録音の前者では、ソプラノじゃないとイケない理由が分る。
その三曲も、ストレートにメロディを吹いているマイルス・ヴァージョンの方が、テーマの持つ美しさが分りやすくて、ジャズとしてはそっちの方がむしろ好き。だけど、1969年という大きな変換期を迎えていた時代のサウンドに適応できているのは、ソプラノで吹く『スーパー・ノヴァ』のヴァージョンだ。
編成が全然違うしね。その三曲、1967年のマイルス録音では、普通のジャズ・クインテットだけど、69年の『スーパー・ノヴァ』では、ギター二本+ヴァイブ(またはエレピ)+ベース+ドラムス+パーカッションで、ジャズ系の音楽では、完全に当時の最先端なサウンドになっているもん。テナーでは合わない。
ソプラノしか吹いていない『スーパー・ノヴァ』に続く1970年録音の『オデッセイ・オヴ・イスカ』や『モト・グロッソ・フェイオ』では、ソプラノだけではなく、一部テナーも吹いているけど、それらの曲は、やはりテナーの方が似合うという判断がある。
これら三作は、1969〜70年という、マイルス・バンド在籍末期〜脱退と、その後のウェザー・リポート結成までと言う、非常に短い時期、しかもマイルスやショーターの音楽が一番大きく変化しつつあった時期の録音で、しかもマイルスよりもショーターの方が抽象的で前衛的だ。今聴くと、相当面白い音楽だ。
もっとも当時リアルタイムで発表されたのは『スーパー・ノヴァ』と『オデッセイ・オヴ・イスカ』だけで、『モト・グロッソ・フェイオ』のリリースは、ウェザー・リポート結成後で、このバンドのアルバムも数枚出ていた1974年、しかもショーターのソロによる次作『ネイティヴ・ダンサー』のリリースの後だった。理解できにくい。
さらに、CDリリースは『オデッセイ・オヴ・イスカ』『モト・グロッソ・フェイオ』の二つはかなり遅れ、<幻の名盤>扱いみたいになっていた。僕に言わせれば、この三枚こそ、ショーターのソロ・アルバムの最高傑作三部作にして、1969/70年という時代の激変を記録した貴重な証言であるにも関わらずだ。
しかしながら、この三作、非常に難解ではある。僕も最初は『ネイティヴ・ダンサー』や、ウェザー・リポートの諸作でのプレイの方が断然好きで、この三枚は何回か聴いて全く理解できず、長年放置したままだった。本当にいいと思うようになったのは、CDリイシューされてからのことだ。
なお、アルバム全部を通してショーターがソプラノだけに専念しているものは、僕の聴いた範囲では、『イン・ア・サイレント・ウェイ』『ビッチズ・ブルー』のマイルス二作と、ショーターのソロの『スーパー・ノヴァ』の三つだけ。その後は、ソロでもウェザー・リポートでも、ソプラノとテナーの両方を吹分けている。
さらにウェザー・リポートでは、例えば『ナイト・パッセージ』の「ドリーム・クロック」のように、テナーとソプラノの両方を吹いている曲もある。そういうのを聴くと、一曲の中でも、音域はもちろん曲調の変化に伴って柔軟に持替えていることがよく分る。ひょっとしたらザヴィヌルの指示もあったかも。
その最初テナーで出て、中盤からソプラノにチェンジする「ドリーム・クロック」は、ウェザー・リポート時代のショーターでは、名演の一つだろう。テナーだけなら『ヘヴィー・ウェザー』の「ア・リマーク・ユー・メイド」が一番いい。ソプラノだけなら『スポーティン・ライフ』の「フェイス・オン・ザ・バールーム・フロア」が最高だ。
ウェザー・リポート時代は、もちろん言うまでもなく<支配者>ザヴィヌルの指示があっただろうとは思うけど、先に書いたその前のソロ三部作でも、ソプラノとテナーを曲調やサウンドの変化によって吹分けているのを聴くと、ウェザー・リポート時代もショーター自身の意思もかなりあったと思っている。
こういう、曲調やサウンドの変化で、テナーとソプラノを使い分けるというのは、僕の知る限りではウェイン・ショーターが初めてのはず。多くのサックス奏者がソプラノも吹くようになったのは、コルトレーンの影響だけど、マルチ・リード奏者で、ソプラノにしかできない表現を確立したのはショーターだ。
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