同一パターン反復の快感〜ラテン篇
昨晩、マイルス・ミュージックでの同一パターン反復の話をしたけど、僕が知っている範囲内で、アメリカ音楽でそういうものの一番早い例は、反復リフ中心の1930年代カンザス・シティ・ジャズだ。一番有名なのはもちろんカウント・ベイシー楽団だけど、それ以外のカンザスのバンドも、大抵全部同じ。
1930年代ベイシー楽団の録音で一番有名なのは、間違いなく「ワン・オクロック・ジャンプ」だろうけど、この曲、普通にテーマ・メロディから始ったりはしない。まずベイシーのピアノ・ソロから始って、次々にサイドメンがソロを取り、最終盤になって、ようやくテーマ・メロディらしきものが出てくる。
だけど、その最終盤で出てくるテーマも、普通に言うメロディではなく、シンプルなリフ・パターンみたいなものなのだ。これ以外のベイシー・ナンバーもほぼ全部そう。演奏されるテーマは、全然メロディックではなく、リズミックでシンプルな反復リフなのだ。1930年代デッカ録音集はそんなのばっかり。
前にも一度書いたはずだけど、1930年代に一時期ベイシー楽団の専属歌手だったビリー・ホリデイの述懐によれば、当時のベイシー楽団は全く一枚も譜面を使わなかったらしい。ビッグ・バンドでそれはちょっと考えられないことなのだが、当時の録音を注意深く聴直すと、それがありうるかもと思えてしまう。
つまり、1930年代のベイシー楽団は、合奏部分でも、譜面なしで演奏できてしまうくらい、実にシンプルなリフ・パターンしかやっていないのだ。当時のジャズ系ビッグ・バンドで、こんな具合なのはカンザス・シティのバンドだけだ。譜面があったかなかったかは、他のバンドについては知らないが。
みなさん言っているように、こういう1930年代のカンザスのビッグ・バンドは「準ジャンプ」または「プリ・ジャンプ」ともいうべき存在で、そのまま直接40年代のジャンプ・ミュージックそのものになったわけだから、やや遠いとはいえ、60年代末からのファンク・ミュージックの祖先だ。
その後、1980年代末から、アフリカ音楽をいろいろ聴くようになると、ファンク・ミュージックの同一パターン反復が、元来はアフリカ音楽にあるもので、キューバのソン(のモントゥーノ)などラテン音楽も、その強い影響下で成立しているものだから、そうなっているのだということが分ってきたのだ。
1920〜30年代が全盛期のキューバのソンは、基本的に前半部分のギアと後半部分のモントゥーノで構成されている。ギアとは、旧宗主国のスペインからの影響が強い歌曲形式で、メロディアス。いかにも西洋的な部分だ。後半のモントゥーノは、アフリカ由来のもので、一定のパターンを掛合いで反復するもの。
全盛期のソンは、西洋的な歌曲形式の部分とアフリカ的な反復形式の部分の絶妙なバランスの上に成立っているという、実に理想的な混血大衆音楽だった。後半部分の反復的コール&リスポンスを強調したものを「ソン・モントゥーノ」と呼ぶことがある。その後のソンは、これを強調する方向に向った。
アフリカからの強制移民を中心にした音楽文化は、アメリカなどにおいても、昔は白人中心社会に合わせるようにかなり西洋的な要素が強かったのが、時代を経るに連れ、徐々にルーツとも言えるアフリカ的な要素を強めていき、結果的にファンクなどを生んだわけだけど、キューバも事情は似ているんだろう。
もちろんこれは社会的にアフリカ系の人々の発言権や地位が向上したのと深く関係しているわけだ。キューバ音楽では、ソンの後半のアフリカ的な部分モントゥーノだけ独立させて発展させたようなスタイルが広まっていき、1940年代以後のアルセニオ・ロドリゲスなども、そういうスタイルの持主だった。
同じ1950年代に世界中で一世を風靡したマンボは、もちろんキューバ発祥の音楽だけど、これは元々ソンのモントゥーノ部分だけを取りだして強く強調したような音楽。一定の同一パターン反復で成立している。マンボの王者といわれるペレス・プラードがメキシコに移住して活躍し始めるのが1948年。
同じ1940年代末頃、プエルトリコ系でニューヨーク育ちのティンバレス奏者ティト・プエンテも、自身の楽団で活動を始める。ティトの音楽も、出自はプエルトリコ系だけど、完全に同時代のマンボと軌を一にするキューバ音楽の強い影響下に成立している。ティトは、ニューヨーク・ラテンの代表格だ。
1950年代から90年代まで活躍したティト・プエンテの音楽は、実質的にその後大流行するサルサの直接の祖先だ。サルサの大流行は1970年代だけど、サルサの象徴的存在であるファニア・レコードが誕生したのが1964年だから、その頃には大まかな形ができていたはず。
当然ながら、キューバ音楽の強い影響下で成立したサルサも、同じリズム・パターンの反復手法を多用するから、アフリカ要素の強い音楽。日本にもファンの多いサルサだけど、僕は長年サルサの良さがよく分らなかった。ティト・プエンテなどの大ファンであったにも関わらずだ。
この辺は、どうも昨晩書いたPファンクの音楽の面白さがなかなか分らず、1990年代以後のCDリイシューで聴いて初めて分ったというのと、似たようなことかもしれないなあ。ジャズ系のビッグ・バンド音楽を除けば、大人数でゴチャゴチャと賑やかにやっているものの楽しさが、若い頃は分らなかった。
しかしファニア・オール・スターズの『ライヴ・アット・ザ・チーター』二枚をCDで聴直して、なんてカッコイイんだと惚れちゃったんだなあ。評判の高いサルサの記念碑的なこのライヴ盤も、昔はなかなか親しめなかったのに、今ではこれが最高に楽しい。
1970年代のサルサは、本当に大爆発したから、様々な方面に影響を与えていて、ロックやソウルなどにもその跡を見ることができる。スティーヴン・スティルスのマナサスにもそういう曲があるし、以前書いたようにスティーヴィー・ワンダーの『キー・オヴ・ライフ』にも、サルサそのものみたいな曲がある。
1970年代に、米ブラック・ミュージックであるファンクが大きく開花したのと、サルサが大流行したのが、これが全くの偶然だったとは、僕には到底思えない。強い相互影響関係があったというより、この二つは昨日・今日と書いているように、同じようなアフリカ的同一パターン反復形式の音楽なんだから。
そして1960年代半ばから70年代にかけて、アメリカでは公民権運動をはじめとするアフリカ系などマイノリティの社会的地位や意識の向上といった事情が、アメリカにおけるマイノリティであるアフリカ系やラテン系民族の音楽であるファンクやサルサの勃興と完全に連動していたことは間違いない。
昨晩書いたマイルス・デイヴィスのアルバムにだって、1945年から活動している人だけど、70年代には70年の『ジャック・ジョンスン』(黒人初のヘヴィー級ボクシング王者へのトリビュート)とか、74年の『ゲット・アップ・ウィズ・イット』とかいった、黒人意識高揚のタイトルのものがあるくらいだもんなあ。
1970年代にあれほど大流行したサルサも、80年代に入ると急速に流行がしぼんでしまい、メロディアスでスウィートなサルサ・ロマンティカなどへと形を変えてしまうけど、その後もハウスやテクノなど様々な音楽とクロスオーヴァーしているようだ。でもサルサ自体には、もう一時期のような勢いはない。
ファンクでも、JBは死ぬまで第一線だったけど、スライは生きてはいても死んでいるような状態だし、Pファンクなどは1980年代には急速に収束した。けれどその後プリンスはじめ多くのブラック・ミュージシャンに大きな影響を与え続け、現在でも脈々とそのDNAは継承され続けている。ヒップホップの人達にも、数多くサンプリングされているしね。
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