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2015/11/21

マイルスのスペイン風

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昨晩、1983年大阪公演における「ジャン・ピエール」でのマイルスのソロが、スパニッシュ・スケールを駆使して素晴しかったと書いた。この曲、81年の来日公演でも演奏されたけど、その時(東京での演奏が『ウィ・ウォント・マイルス』に収録)は、全くスペイン風ではない。

 

 

その1981年の東京公演では、復帰第一作の『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』収録の「ファット・タイム」もやっていて(1993年に出た『マイルス!マイルス!マイルス!』に収録されている)、そこでは若干スパニッシュなソロを吹いていた。これもスパニッシュ・スケールを使った曲だしね。

 

 

「ジャン・ピエール」は、いつ頃出来た曲なのか、ちょっと分らない。初出が1981年8月のシカゴ公演で、当時のスタジオ録音はない。マイルスのお気に入りで、数年間ライヴでの定番だったし、コロンビアでの最終作、85年の『ユア・アンダー・アレスト』でも再演している(全くスペイン風ではないが)。

 

 

今年亡くなった中山康樹さんが、かつてこの曲の由来を調べたことがあって、何ヶ所かで書いているけど、1960年オランダでの「ウォーキン」や68年録音の「リトル・スタッフ」(『キリマンジャロの娘』)の中で、断片的にそのメロディーが出てくる。また、元はフランスの童謡というマイルスの言葉もある。

 

 

マイルスがスパニッシュなソロを吹く「ジャン・ピエール」は、僕の知る限り、ブートCDでもYouTubeでも音源化されていない。あの時の感動を追体験できなくて、ちょっと残念だよなあ。1983年の大阪でそれを聴いた僕は、松山に帰ってきてからも、その感動を興奮気味に友人に話しまくっていた。

 

 

マイルスがスペイン風の旋律を吹いたのは、1957年録音の『マイルス・アヘッド』収録「カディスの乙女」(ドリーブ作曲)が最初。これは、2009年に出た『スケッチズ・オヴ・スペイン』二枚組レガシー・エディションにも収録されたくらいだった。スペイン風の最初のものという意味だったんだろう。

 

 

しかしその後しばらくスペイン風の曲はなく、彼がスペイン風旋律に強い関心を示し始めるのは、1959年の『カインド・オヴ・ブルー』ラストの「フラメンコ・スケッチズ」からだ。この曲は五つのスケール(モード)で構成された曲で、その四つ目がスパニッシュ・スケール(フリジアン・ドミナント・モード)だ。

 

 

そして、その翌年の『スケッチズ・オヴ・スペイン』で、それが一気に開花するわけで、その後は、アクースティック・ジャズ時代、電化ファンク時代を問わず、殆どのアルバムにスパニッシュ・ナンバーがあるんじゃないかと思うほど、マイルスのスパニッシュ・スケールへのこだわりは強かった。

 

 

例えば『スケッチズ・オヴ・スペイン』の翌年の『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』にも、スパニッシュ・スケールを使った「テオ」があって、マイルスと、ゲスト参加のコルトレーンが見事なソロを吹く。新クインテットによる1965年の第一作『E.S.P.』のラストにも「ムード」があるね。

 

 

電化以後も、1969年録音の『ビッチズ・ブルー』にも、そのまんまのタイトルの「スパニッシュ・キー」があるし、81年復帰後も、最初に書いた「ジャン・ピエール」「ファット・タイム」だけでなく、86年の『TUTU』に「ポーシア」があり、またその次作の『シエスタ』は全面的にスペイン風だった。

 

 

特に「ポーシア」は、その後のライヴ・ステージでも頻繁に演奏されていた曲で、僕が聴いた1988年の人見記念講堂でのライヴでも、二曲やったアンコールの二曲目が「ポーシア」だった(一曲目は「トマース」で、どっちも『TUTU』収録ナンバー)。そこでも、マイルスは完全にスパニッシュなソロを吹いた。

 

 

『TUTU』も、『シエスタ』も、ほぼ全て作編曲はマーカス・ミラーで、彼は『スケッチズ・オヴ・スペイン』のギル・エヴァンスのアレンジを強く意識したと語っている。実際『シエスタ』の方には「マスター:ギル・エヴァンスに捧ぐ」というクレジットが入っていたくらいだった。

 

 

マーカスは、マイルスがスパニッシュを好きなのを知っていたから、そういうのを書いたんだと語っていたけど、それにしても、マイルスはなぜここまでスペイン風味にこだわったんだろう?一説によると、彼がそれに深い関心を持ったのは、1958年頃からのフランシスとの交際がきっかけだったとか。

 

 

マイルスのアルバム・ジャケットにもしばしば登場する、1960年にマイルスと結婚するフランシス・テイラーはフラメンコ・ダンサー。マイルスは彼女のステージを見て、彼女に惹かれたばかりでなく、スペイン風の旋律にも興味を持ったのだという説がある。確か、マイルスの自叙伝にもそんなことが書いてあったはず。

 

 

その辺は真偽のほどが分らないというか、検証のしようもないと思うけど、とにかくフランシスと付き合い始めたのと、スパニッシュ・スケールを追求するようになった時期が同じ頃なのは確かなことだ。しかしネットで調べても、そういうフランシスとの交際とスペイン風旋律追求の関連については、一切情報がない。

 

 

一般にマイルスとスペイン風味というと、1960年のギルとのコラボ『スケッチズ・オヴ・スペイン』を思い浮べる人が多いはずだけど、今では個人的にはあのアルバムは全く聴かなくなった。大学生の頃は大好きだったんだけど。有名になった「アランフェス協奏曲」は、はっきり言ってダサいと感じてしまう。以前も書いた。

 

 

あのアルバムの中では「アランフェス協奏曲」より、ラストの「ソレア」(これもフリジアン・ドミナント・モード)が一番素晴しい。 イアン・カーも、マイルス本の中でこれを一番誉めていた。独り荒野を行くような哀愁のソロがグッと胸に迫ってくる。

 

 

 

でも、アクースティック・ジャズ時代のスペイン風で一番好きなのは、実は『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム」の「テオ」だ。https://www.youtube.com/watch?v=fz_3N1V9ujU ここではソロを取らせてもらえなかったハンク・モブリーも、同年のブラックホークでのライヴ盤では健闘している。

 

 

そしてエレクトリック時代では、さっきも書いた1986年の『TUTU』収録の「ポーシア」が一番好き。https://www.youtube.com/watch?v=eiIdeHm5Xnc 曲を書いたのもアレンジしたのも、マイルスの吹くトランペット以外、ほぼ全ての楽器を多重録音したのも、全部マーカス・ミラーなのはご存知の通り。

 

 

「ソレア」と「ポーシア」を聴き比べると、マーカス・ミラーのギルのアレンジ勉強具合が非常によく分る。マーカス自身もインタヴューなどで、そのことを素直に認めていた。マイルスが吹くソロの背後でのリフ・アンサンブル(「ソレア」ではホーン、「ポーシア」ではシンセ)の入れ方などは、もうソックリだ。

 

 

『TUTU』の次作『シエスタ』は、スペイン映画のサントラ盤だったこともあってか、全面的にスペイン風なアルバムだった。でもあれは今聴くとどうにもつまらない。映画本編も壮絶に退屈だった。かつて寺島靖国があのサントラ盤を誉めたことがあって、メロディが美しいというのがその理由だったらしいけど。

 

 

最初に書いたように、生で体験した1983年大阪公演での「ジャン・ピエール」が、マイルスの吹いたスペイン風ソロでは一番感動したもので、それをきっかけに、それ以前のマイルスのスペイン趣味を本気で聴くようになった。その時のライヴは音源化されていない(ブートCDになっているかも)けど、僕の頭の中では、いつもそれが鳴っている。

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