ライ・クーダーのオルターナティヴ・ジャズ
ライ・クーダーの『ジャズ』がどっか行って見つからないと思っていたら、こないだ、サム・クックのCDを探しているときに(同じC列だから)一緒に見つかったので、今日はこれを(昨晩書いたエディ・コンドンの戦前録音集に続けて)聴直した。これをエディ・コンドンと並べて聴くのは、無意味なことじゃない。
分っている人には説明不要だけど、ライの『ジャズ』には、ビックス・バイダーベックの曲が三曲ある。生前のビックスはエディ・コンドンと親交があったばかりでなく、長生きしたエディ・コンドンはビックスへの敬愛を隠さず、しばしばビックスに言及していたし、戦後はビックス集アルバムも録音した。
そもそもライの『ジャズ』というアルバム、モダン・ジャズや最近の新しめのジャズばかり聴いているファンには、理解不能の作品だろう。戦前のジャズもたくさん聴いていた大学生時代の僕だって、前も書いたけど、全く面白さが分らなかった。ただタイトルに惹かれて唯一持っていたライのLPだったけど。
ライの『ジャズ』は、ジャズという音楽の成立ちから見直し、再構築して、ジャズがとりえたかもしれないもう一つの姿(可能性)、いってみれば「オルターナティヴ・ジャズ」とでも言うべきものを、実際の音で具現化した作品だった。だからこのアルバムは、本流ジャズだけ聴いていてもなかなか分らない。
大学生の頃、ライの『ジャズ』が理解できなかったもう一つの理由として、ライのアクースティック・ギターが中心になっているアルバムだったということがある。戦前ジャズもたくさん聴いていた僕だけど、戦前のジャズでは(というかそれ以後現在に至るまでも)、ギターがメイン楽器になったことはない。
ギターでソロを取る人がいなかったわけじゃないけど、相当に珍しい例外のように言われたりするぐらいで、殆どいなかった。ギターはあくまでリズム楽器の一つとして、黙々とコード弾きでリズムを刻むというのが、もっぱらの役目だった。戦前のビッグ・バンドは、大抵そういうギタリスト(かその前はバンジョー奏者)を雇っていた。
そういうリズム・ギタリストの代表格にして最高の名手が、カウント・ベイシー楽団のフレディ・グリーン。もっとも戦前の録音では、彼のギターの音は殆ど聞えない。これは仕方がない。彼の名手ぶりが一番よく分るのは、戦後の、しかもコンボ録音の『カウント・ベイシー&カンザス・シティ・セヴン』だ。
そういうわけだから、誕生前〜誕生期〜1920年代のジャズを中心に据えたライの『ジャズ』で、アクースティック・ギターが主に活躍するというのは、大学生の頃の僕にとっては、相当に違和感の強いものだった。ギターがメインの音楽なら、ブルーズやロックの方が好きだったもんなあ。
ライの『ジャズ』が面白く感じるようになったのは、ブルーズやロック以外のアクースティック・ギター音楽をたくさん聴くようになったことと、ジャズ発生期のルーツ音楽やジャズ周辺の様々な音楽をいろいろと聴くようになって以後のことだ。そうなってみると、あのアルバムでの彼のやりたかったことが分ってきた。
油井正一さんが、「ジャズはラテン音楽の一種」と言ったのは有名だ。ライの『ジャズ』を聴いても、この言葉の意味がよく分る。二曲目「フェイス・トゥ・フェイス・ザット・アイ・シャル・ミート・ヒム」は、ライの敬愛するバハマのギタリスト、ホセ・スペンセのアレンジに基づくもの。
『ジャズ』の中ではホセ・スペンセを三つ取上げているけど、どれも、ジャズのルーツになったそれ以前のカリブ海音楽、19世紀後半のシンコペイティッド・ミュージックを想起させるものだ。ライは間違いなくそういう19世紀後半のシンコペイションを伴うギター音楽に、ジャズの匂いを嗅ぎ取っている。
また三曲目の「ザ・パール / ティア・フアナ」は、ご存知初期ジャズの巨人、ニューオーリンズのジェリー・ロール・モートンのナンバー。モートンはこれをピアノ・ソロでも録音していて、それはある時期からの僕の愛聴曲だけど、モートンが”Spanish tinge”と呼んだ曲調だ。
“Spanish tinge”とは「スペイン風味」くらいの意味だけど、実際にはスペイン語圏のカリブ海音楽、特にキューバ由来のハバネラの跳ねるリズムを、主にピアノの左手で表現した演奏だった。これをライはギターとマンドリン等の多重録音でやっていて、それもまた強烈にカリブ風音楽の趣だ。
モートンがニューオーリンズのジャズマンだと書いたけど、ジャズ以前〜ジャズ発生期の当地には、土地柄、たくさんのカリブ海文化が流入していた。音楽だってそうだ。そういうカリブ音楽が、ジャズの重要な形成要因になっている。ホセ・スペンセも、モートンのスペイン風味も。
ジャズ・ピアノ界最高の巨人アール・ハインズが参加している四曲目「ザ・ドリーム」でも、マリンバがやや南国的な雰囲気を醸し出しているし、この曲は元々1880年頃のニューオーリンズの売春宿で演奏されていたという曲だ。ちょっといかがわしい雰囲気だけど、その上をライのスライドが滑る。
アナログ盤時代のB面に入ると、最初に書いたようにビックス・バイダーベックの曲が三曲続く。このアルバムの中核を形成しているものだ。ビックスの「イン・ア・ミスト」「フラッシズ」と、もう一曲「ダヴェンポート・ブルーズ」。
ビックスの曲がヴァイブ中心のこういうアレンジになっているのも面白いけど、一番面白いのは二曲目の「フラッシズ」。ここでは、ライのアクースティック・ギター一本での演奏になっていて、ライのヴァーチュオーゾぶりがよく分る。他の二曲含め、ビックスの原曲からは想像できない変貌ぶりだ。
そういうアレンジの面白さが、大学生の頃、ビックスだけ聴いていた時には全く分らなかった。ジャズだけでなく、その源になったラグタイムや19世紀アメリカ音楽などが渾然一体となっていて、今では凄く面白い。ビックスの原曲にそれがあることを、ライのヴァージョンを通して、初めて理解できた。
「イン・ア・ミスト」などはビックスの原曲はピアノ・ソロ演奏(ビックスはピアノも上手い)だから、彼のコルネットこそが大好きだった僕は、昔はビックスのLPの中でもそんなに好きではなく、あまり進んで聴かなかった。ビックスの元演奏を今聴くと、クラシック音楽の素養もあることがよく分る。
余談だけど、ビックスの「イン・ア・ミスト」は、油井正一さんが編纂・解説したコロンビア音源のLPに収録されていて(ヴィクター音源はビッグ・バンドもので、ビックスのソロはほんの数小節)、昔から普通に聴けたけど、同じビックスのピアノ・ソロ曲「フラッシズ」は、ビックス自身の演奏は残っていないはず。おそらくジェス・ステイシーの1935年録音が初だろう。
ジャズというと、インプロヴィゼイションが中心のシリアスな音楽と思われているけど、ルーツを辿ればライの『ジャズ』一曲目・九曲目・十曲目で聴かれるように、ヴォードヴィル・ショウなどの道化芝居と密接に結びついていたり、今まで述べてきたようにカリブ海音楽の下世話な楽しさが反映されていた。
ライの『ジャズ』は、そういう「定型化」する以前の、発生以前〜初期〜1920年代までのジャズの姿を集めて、それをライ独自のアクースティック・ギター中心の演奏で表現して、現代にジャズが持っていたかもしれない「もう一つの可能性」をはっきりと示している。こんなに面白い「ジャズ」はない。
ライ・クーダーが『ジャズ』を発表したのは1978年。50年代のモダン・ジャズ以後、長くて複雑なソロ・インプロヴィゼイションがメインになっている時代に、そういうスタイルだけじゃなく、もっと楽しくて面白いジャズの可能性もあるんだよと教えてくれたのが、ライだ。こういう音楽こそ最高だ。
なお、僕がこうして知ったかぶりにいろいろと書いた内容は、全部『ジャズ』のライナーノーツとしてライ自身が詳しく解説してくれているから、英語が読める方は是非ご一読いただきたい。僕には、ギター音楽の可能性を探究したという意味でも、『チキン・スキン・ミュージック』の続編のようにも思える。
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