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2015/11/05

日本のロック第一号はザ・スパイダースだ

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日本語ロックの草分ははっぴいえんどだということになっているらしい。昔も今もそういう意見をよく見掛けるし、これはもう一種の「定説」みたいなものになっているみたいだ。しかし、これはどう考えても間違っているとかしか思えない。はっぴいえんど以前に日本語ロックがなかったとでも言うのか?

 

 

誰が言いだしたのか、かなり遅れてきたファンの僕には分らない、この「はっぴいえんど=日本語ロック第一号」説、完全なる誤謬だよね。僕の、そして熱心なファンの考えでは、日本語ロックをはじめたのは、1960年代のグループ・サウンズだ。特に65年のザ・スパイダースこそ、日本語ロック第一号。

 

 

僕は1962年生れなので、60年代後半のグループ・サウンズに同時代的な記憶や思い入れはあまりない。かすかに小学生の頃、親戚の家に遊びに行くと、年上の従兄弟や従姉妹がグループ・サウンズのドーナッツ盤をかけてそれに合わせて歌っていた程度。「ブルー・シャトウ」の替歌はよく憶えている。

 

 

「ブルー・シャトウ」でネットで調べてみると、そのウィキペディア記事に「替え歌」の項まであるくらいだから、相当流行っていたんだろうなあ。これは小学生の頃、親戚の子と一緒に僕もよく歌っていた。でもそれくらいだなあ、同時代的に憶えているのは。ザ・スパイダース等は、なんにも憶えていない。

 

 

でも堺正章とか井上順とかは、その後テレビで大活躍するようになって、そういう姿をよく見ていて、特に井上順はフジテレビの『夜のヒットスタジオ』の司会をやっていて、それに沢田研二がよく出演していて、そうすると井上順は妙に馴れ馴れしいような仲良さげな雰囲気だから、なんだろうなあと思っていた。

 

 

しばらくして井上順や堺正章はザ・スパイダース、沢田研二はザ・タイガース出身で、同時代にグループ・サウンズで活躍した、いわば「同志」のようなものだったということを知った。また、沢田研二のバック・バンドを一時期井上堯之バンドが務めていて、テレビでもそのテロップが出ていたので知っていた。

 

 

井上堯之がザ・スパイダース出身で、PYGで沢田研二と一緒に活動していたことも、後になって知った。そんな具合で僕がテレビの歌謡番組でいろいろ見聴きするようになる1970年代になっても、グループ・サウンズの残滓みたいなものがあったけど、肝心のその音源は全く聴いたがなかったんだなあ。

 

 

グループ・サウンズについてちゃんとした興味を持ち始めるのは、これまた1995年にパソコン通信を始めてから。僕が棲息していたのはNiftyのFROCKL内「ロック・クラシックス会議室」なので、古いロックの話題中心だったけど、アクティヴだったメンバーのなかに、グループ・サウンズや古い日本のロックに詳しい女性がいた。

 

 

その女性がよくグループ・サウンズのことを話題ににするので、それでかなり興味を持ち始め、聴きたいと思うようになったのだった。彼女は日本の古いロックばかりでなく、英米の古いロックにも詳しくて、「前身バンド専門家」などと言っていたけど、シャドウズ・オヴ・ザ・ナイトなども、彼女のおかげで知った。

 

 

その女性のおかげでグループ・サウンズやシャドウズ・オヴ・ザ・ナイトばかりでなく、様々な古い日英米のロックCDを聴くようになって、彼女が常々「日本のロックはグループ・サウンズからはじまったのだ」と口にしていて、いわば僕はその洗脳を受けた(笑)。でもそれが正しいと分ってきたんだなあ。

 

 

もっとも僕は、1995年に新しいマンションに引越した時にアナログ・レコード・プレイヤーを処分してしまっていたので、聴けるのはCDかMDかカセットテープ、というかまあ殆どCDだった。グループ・サウンズの音源はまだまだCD化が進んでいなかったような記憶があるけれど。

 

 

その後いつ頃か忘れたけど、ある時期にザ・スパイダースの全音源が公式にちゃんとした形でCDリイシューされたので、それで一気に全部揃えて、これを聴きまくったんだなあ。それで、ザ・スパイダースこそ日本語ロック第一号だということを強く実感した。

 

 

田邊昭知がザ・スパイダースの前身バンドを結成したのは1961年のことらしいが、堺正章やかまやつひろしが参加したのが63年、井上孝之(堯之)が参加したのが64年だから、その頃にGS期のメンバーが揃って、リヴァプール・サウンドの洗礼も受けて、現在聴けるロック・サウンドになったようだ。

 

 

デビュー・シングルが1965年5月の「フリフリ」。まだ田辺昭知とザ・スパイダース名義だけどね。こんな感じ→ https://www.youtube.com/watch?v=IwuE7VS5x68  これが日本語ロックでなくてなんだと言うのだ?はっぴいえんどがデビューする四年前だぞ。素晴しくカッコイイと思うけどなあ。

 

 

この「フリフリ」は、二枚組CD『ザ・スパイダース・コンプリート・シングルズ』の一曲目だ。同じ1965年発売の三曲目「越楽天ゴー・ゴー」など、雅楽と合体したサイケデリック・サウンドのインストルメンタル・ナンバー→ https://www.youtube.com/watch?v=GJ3KarJn4jQ 65年だからねこれ。

 

 

僕が一番好きなザ・スパイダース・ナンバーが、『コンプリート・シングルズ』26曲目の「バン・バン・バン」で、1967年10月発売(「バン!バン!」表記で『風が泣いている/ザ・スパイダース・アルバムNo.4』に収録されたものが、発売は一ヶ月早いけど)。https://www.youtube.com/watch?v=9l5sPPkUWh8  この曲なんか、僕はもう好きでたまらず、今でも日本語ロックの最高峰の一つだろうと思っているくらいだもん。

 

 

「バン・バン・バン」や、その他多くのロック・ナンバーを書いたのがかまやつひろしで、1965〜70年頃のかまやつの音楽的感性は、日本では図抜けてたようだ。ザ・スパイダースが世間的に大ヒットしたのは、66年発売の浜口庫之助が書いた「夕陽が泣いている」だけど、僕は嫌いではないがあまり好きでもない。

 

 

最近のテレビ番組で、堺正章が、僕は元ザ・スパイダースですよ!代表曲は「夕陽が泣いている」ですよ!と発言していて、まああの曲は(というか浜口庫之助ナンバーは)堺の担当だったし、最大のヒット曲だからそうなるだろうけど、僕はちょっとガッカリした。「バン・バン・バン」こそ代表曲だと僕は思っている。

 

 

「バン・バン・バン」といえば、1990年代のことだと思うけど、『タモリの音楽は世界だ』というテレビ東京の番組にかまやつひろしが出演して、番組のハウス・バンドと一緒にこれを歌ったのが最高にカッコよかったのをよく憶えている。やはりかまやつにとっては、この曲なんだろうなあ。

 

 

大野克夫や井上堯之は、ザ・スパイダース解散後も音楽活動を続けたけど、田邊昭知は芸能事務所の社長になったし、堺正章や井上順は芸能活動を続けているけど、歌手オンリーではない。特に堺正章はなにをやらせても一流にこなす多才な人だから、実に多方面で活躍しているけど、もっと歌ってほしいなあ。

 

 

だって僕の認識では、かまやつひろしが日本初のロック・ライターであるのと同時に、堺正章こそ日本初のロック・シンガーに他ならないと思っているんだけどね。でも御本人にその認識は薄いみたいで、解散後は歌手活動に専念するということにはなっていないので、個人的はちょっぴり残念なんだよね。

 

 

「俺たちのやったことがなかったことにされている」と常々口にしている人もいるけど、ホント、はっぴいえんど=日本初のロック・バンドという都市伝説のような誤謬がはびこって、それ以前に明確に存在していたグループ・サウンズという日本語ロックのパイオニアが評価されないのは、残念極まりない。

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