歪んだ音ほど美しい〜マイルス
マイルス・デイヴィス自身の言葉を信じるならば、彼に電気トランペットを吹くように勧めたのは、1969年のチック・コリアだったそうだ。なにかのインタヴューで読んだ記憶がある。でも69年には、公式・ブート全部含め、スタジオでもライヴでも、電気トランペットを吹いている音源は存在しない。
1970年代マイルスのトレード・マークみたいになっている電気トランペットだけど、ジャズ系のトランペッターで同じことをしている人は、結構いる。日本人でも、一時期日野皓正も吹いてたし、愛媛県出身の近藤等則もよく吹いている。楽器は違うけど、67年に死んだジョン・コルトレーンも、晩年は電気サックスに興味を示していたらしい。
もしコルトレーンが1967年に死なず、そのまま70年代に突入していたら、ひょっとしたら電気サックスを吹いていた可能性がある。またリズムの変革は、間違いなくやっていたはず。そっちは晩年のライヴで、既にそういう兆候が見られる。コルトレーン自身、自分が吹いていない時は、小物打楽器を手にしていたようだ。
まあ「もし」という話をしても仕方がない。マイルスの場合、電気トランペットを吹いている初音源は、僕の知る限りでは、1970年12月のワシントンDC、セラー・ドアでのライヴということになる。この四日間のライヴ録音から、最終日のものが編集されて、『ライヴ・イーヴル』に収録された。
1970年4月のフィルモア・ウェストでのライヴ『ブラック・ビューティー』で、既に一部電気トランペットを吹いているという説が昔あった。かつての日本盤LPのライナーにそうあったのだ。そうかもと思う瞬間があるが、僕の耳には電気トランペットには聞えないし、今ではそういう説は見なくなった。
つまり、リアルタイムでの公式盤発売では、1971年11月にリリースされた『ライヴ・イーヴル』二枚組LPが、マイルスの電気トランペット初お目見えだったことになる。もっとも、この二枚組のライヴ・サイドを聴くと、電気トランペットと併せ、生トランペットもまだ結構吹いている。
例えば一曲目の「シヴァッド」。 一曲の中でも吹分けている。これは前にも書いたように、元々は「ディレクションズ」なんだけど、最初からずっと電気トランペットを吹き続け、終盤に突然、生トランペットになる。その部分だけが編集されて収録された。
また『ライヴ・イーヴル』一枚目B面トップの「ホワット・アイ・セイ」では、一曲全部通して生トランペットのみ。 しかし二枚目になると、ライヴ音源では、全面的に電気トランペットだ。この頃は、まだどっちも吹いていたんだね。
1970年12月のセラー・ドアではまだそんな感じなんだけど、翌71年になると(現在の公式音源は2015年7月に出た四枚組だけ)、もう電気トランペットしか吹かなくなっている。この71年にはマイルスはスタジオ録音を全く行っておらず、ライヴ音源のみだ。その後は75年に一時隠遁するまで電気トランペットのみ。
もちろん、1970年代中期も、ライヴ・ステージでときたま生のままトランペットを吹くことがありはしたようだ。75年日本でのライヴ録音盤『パンゲア』でも、二枚目の後半で、ひょっとしたらこれは生トランペットではないかと思える瞬間があるが、僕も自信はない。しかしこういうのは例外的だろう。
1981年の復帰後は、復帰第一作の『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』(80年録音)B面二曲目のタイトル曲で電気トランペットを吹いているが、それだけで、そのアルバムもその後のスタジオ作もライヴでも、死ぬまで一切電気トランペットを吹かなかった。
1970年代マイルスの電気トランペットについては、当時も今も、賛否両論いろんな意見があって、多くのマイルス・ファンも、どっちかというと若干批判的というか、トランペットで他にやることがなくなったのではないかという言い方をする人もいる。体調のせいあって、生トランペットで満足な音を出せなくなったせいだという人もいるなあ。
確かに1969年の『ビッチズ・ブルー』や、70年の『マイルス・アット・フィルモア』などでの生トランペットの音を聴くと、オープン・ホーンの生音という点では、64年と並びひょっとしたらこの頃が一番美しかったのではないかという気が、僕もする。72年頃から、マイルスの体調が優れなかったのも確かだ。
あんまり好きじゃない人もいることを承知の上だけど、僕はそのマイルスの電気トランペットの歪んだサウンドが、もうなんといったらいいのか、この上もなく大好きでたまらないんだよなあ。『オン・ザ・コーナー』『ゲット・アップ・ウィズ・イット』とか、『アガルタ』『パンゲア』とか。
以前もちょっと触れたけど、電気を使っても使わない生楽器でも、僕は歪んで濁った音というのが大好きでたまらず、歪んでいれば歪んでいるほど「美しい」と感じる感性の持主。三味線のサワリなども好きだし、アフリカにはそういう楽器がいろいろあるし、ファズをかけたエレキ・ギターとか、リング・モジュレイターをかませたフェンダー・ローズとか。
だから、マイルスがワーワー・ペダルを使った電気トランペットで歪んだ音を出し、ピート・コージーが思い切り目一杯ファズを効かせた歪みまくった音でエレキ・ギターを弾きまくる『アガルタ』や『パンゲア』などは、僕なんかにとっては、これはもうまさに大衆音楽の理想型なんだよね。
そういうのって、ロック好きの人なんかでもあんまり好きじゃない人が時々いるよね。クリーン・トーンこそエレキ・ギター本来のサウンドだとかいう人が、特にブルーズ系リスナーには多い気がする。フェンダー・ローズだって、あんまりエフェクターかけないサウンドの方が、一般ウケしやすいのかもなあ。
エレキ・ギターの歪んだ音などは、楽器というものの本質への「先祖帰り」だと言っている人がいて、僕も全く同感。クラシック音楽などで使われる西洋楽器が、その成立過程で濁った「雑音」を極力排していき、「キレイな」音だけを出すように工夫されてきた方が、音楽の歴史全体から見たら、むしろ特殊だ。
ヴォーカルなんかでも、西洋音楽ではキレイな澄んだ声が素晴しいという価値基準だけど、ポピュラー・ミュージックでは、結構ダミ声の大歌手がいるよね。僕はそっちの方が好き。ルイ・アームストロングとかハウリン・ウルフとかドクター・ジョンとかマハラティーニとか広沢虎造(二代目)とか、僕の好きな歌手は多くがそうだ。
そういう意見に共感し、共感しなくても、ハウリン・ウルフやマハラティーニなどが大好きな音楽リスナーでも、マイルスの歪んだ電気トランペットの音はイマイチ好きじゃないという人がいたりするのは、僕なんかにはちょっと理解できない。同じことじゃないか音楽の本質は。どうしてマイルスだけダメなんだ?
その上これも以前書いたけど、1970年代マイルスの電気トランペットのサウンドを聴いていると、デューク・エリントン楽団のジャングル・サウンド、なかでもバッバー・マイリーや、彼を継承したクーティー・ウィリアムズのワーワー・ミュートのトランペットを連想するんだよね。
『ゲット・アップ・ウィズ・イット』の日本盤LPライナーを読んだ人は知っているはずだけど、エリントン追悼曲の「ヒー・ラヴド・ヒム・マッドリー」をテオ・マセロがミックス・ダウンしている時、マイルスの吹く電気トランペットの音が、エリントン楽団のトランペット・セクションの音そっくりになってしまったそうだ。
テオが慌ててマイルスを呼んで立会って聴いてもらったら、マイルスは「これはデュークだ!デュークが降りてきたんだ!」と言ったらしい。どこまで本当の話なのか分らないし、本当だったとしても、その時だけの現象だったようで、できあがったアルバムを聴いても、似てはいるけど「ソックリ」とまでは聞えないけど。
そうは聞えなくても、このエピソードは、マイルスの電気トランペットの本質をよく表しているものじゃないかと思うんだよね。1970年代マイルスのファンク・ミュージックは、まさにエリントン楽団によるジャングル・サウンドの現代版なのだ。
要するにクラシック音楽とは違ってポピュラー音楽では、クリーンで澄んだ音・声よりも、むしろ濁って歪んだ音・声の方が魅力的だとする価値観があるはず。そして、ハウリン・ウルフやマハラティーニの声と同じく、1970年代マイルスの電気トランペットの音も、完璧にその価値観に合致しているはずなのだ。
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