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2015/11/04

分りやすかったアルバート・アイラー

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大学生の頃大変お世話になったジャズ喫茶のマスター。店をやめてからも、よく自宅に遊びに行っては、レコードをかけながら話をしていたんだけど、ある時彼が、アルバート・アイラーの『スピリチュアル・ユニティ』が理解できなくて、しかしこれが分らないとダメなんだと思って何度も必死で聴いたと告白してくれたことがある。

 

 

店では戦前のSP音源(のLPリイシュー)しか絶対にかけなかった人だから、アルバート・アイラーでそんなに苦労した経験があるというのは、イマイチ想像できていなかった。その人は、僕よりちょうど一廻り上の世代で、だからおそらく1960年代半ば頃にジャズを聴始めたんだろう。

 

 

その頃は、フリー・ジャズもさることながらロックだって流行していたはずだし、実際彼と同世代の方々からは、その頃聴いたいろんなロックの話を聞いたりしたんだけど、その元ジャズ喫茶のマスターからは、ロックの話は聞いたことが一度もない。まあそういう人もいたんだろう。

 

 

ジャズ・ファンだったわけだから、その世代は1960年代のフリー・ジャズがドンピシャなわけで、いろいろと夢中で聴いたんだろう。僕がジャズ喫茶に通い始めた1979年にも、まだその時代の伝説がいろいろと残っていて、特にアイラーやオーネット・コールマンのリスナーに関しては、様々な武勇伝を耳にした。

 

 

そのマスターがやっていたケリーという名前のジャズ喫茶、僕が通い始める少し前に常連だった若い女性のジャズ・ファンで「オーネットとドルフィーこそがジャズなんだ」と常日頃から口にする人もいたらしい。若い女性のドルフィーやオーネット・ファンって少ないね。

 

 

僕はといえば、1979年になってようやくジャズに夢中になったから、60年代のフリー・ジャズ全盛期は当然リアルタイムではなんにも肌で感じているわけがない。時代や社会などとの連動ということも殆ど分ってなくて、ただ単純にレコードから出てくる「音」だけを楽しんでいた。

 

 

そういうわけだから、1960年代のフリー・ジャズに格別な思い入れもなく(僕が同時代的に思い入れのあるのは、70年代半ば〜末のフュージョン)、50年代のハード・バップやその少し後のモード・ジャズなどと、普通に並べて違和感なく聴いていた。もちろん戦前の古いSP音源も大好きだった。

 

 

要するに、1979年にジャズを聴始めた僕にとっては、1920年代のルイ・アームストロングやデューク・エリントンやジェリー・ロール・モートンも、40年代のビバップも、50年代のハード・バップも、60年代のフリー・ジャズも、ぜ〜んぶ同じような種類の音楽としてしか聞えていなかった。

 

 

だから、そのジャズ喫茶マスター(や彼の世代のジャズ・ファンの多く)のように、アルバート・アイラーを、特別な気持で必死になって聴くということもなかったのだ。はっきり言って『スピリチュアル・ユニティ』だって、僕にとっては全然難しくもなんともなかった。むしろかなり分りやすかった。

 

 

書いたように、そのジャズ喫茶マスターが、『スピリチュアル・ユニティ』が難解に聞えて仕方がなかったと告白してくれたもんだから、このアルバムはかなり分りやすかったという僕個人の印象を、彼の前では遠慮して直接言ったことは、今まで一度もない。

 

 

『スピリチュアル・ユニティ』に限らず、他のアイラーの作品も、またそれら以外の1960年代の多くのフリー・ジャズ・アルバムも、1979年にジャズをいろいろと聴始めた僕にとっては、難解に聞えたものはあまりない。ジョン・コルトレーンの『アセンション』だけが、昔はよく分らず、聴き通すのが苦痛だった。

 

 

1965年録音の『アセンション』、似たような趣向のオーネット・コールマン60年録音の『フリー・ジャズ』にインスパイアされたものらしいのだが、後者が最初から心地よく聞えたのに、どうして前者はダメだったんだろうなあ。今ではかなり楽しめるようになって、ジョン・マクラフリンの言うことも少し分る。

 

 

それはともかく、アルバート・アイラーの『スピリチュアル・ユニティ』には、はっきりと聴いて分るカリブ音楽の香りがある。その辺が僕が最初から親しみやすかった原因の一つなのかも。中南米音楽を聴く方なら、納得していただけるはずだけど、なぜか僕は大学生の頃から、それを感じていた。

 

 

『スピリチュアル・ユニティ』の代表曲「ゴースト」(2ヴァージョン)を聴くと、特にアイラーが吹くテーマ・メロディは、これはもうほぼ完全にカリブ音楽だとしか思えないくらいだ。これを(聴く人によっては)難解にしている最大の原因は、おそらくゲイリー・ピーコックのベースなんじゃないかなあ。

 

 

アイラー自身のサックスには、テーマ部分もアドリブ部分も、先祖帰り的なプリミティヴな魅力があって、しかもそれはカリブ風なニュアンスすら帯びていて、大変とっつきやすいものだと僕には聞えるのだが、ゲイリー・ピーコックのベースにはそういう部分が全くなく、抽象的だもん。

 

 

カリブ音楽的なニュアンスといえば、僕はオーネット・コールマンの『フリー・ジャズ』の合奏部分にも、それをかすかに感じる。これは『スピリチュアル・ユニティ』とは違って、最初大学生の時には全く感じなかったもので、ワールド・ミュージック・リスナーになって以後のことだ。

 

 

オーネットのアルトにもアイラーのテナーにも、ニューオーリンズ音楽的というか、もっと遡ってその先祖たるカリブ音楽的な風味を感じる。実はこれ、大昔から油井正一さんが指摘していて、1960年代のフリー・ジャズのムーヴメント全体が、ニューオーリンズ・ジャズへの先祖帰りだと書いていた。

 

 

このことを、1970年代から理解して指摘していた油井正一さんの耳の鋭さというか慧眼ぶりには、改めて溜息しか出ない。さすがは「ジャズはラテン音楽の一種」と書いた人だ。僕がこのことをはっきりそうだと自覚できるようになったのは、80年代末にワールド・ミュージック・ファンになって、カリブ音楽も少し聴くようになってからだった。

 

 

というわけだから、僕個人の感覚では、1960年代のフリー・ジャズのなかには、ジャズだけを聴いていてもイマイチ理解しきれない部分があるような気がする。オーネットやドン・チェリーなどが、その後、ワールド・ミュージックとの融合的作品で大きな成果を残しているのも、至極当然の成行きなんだよね。

 

 

2015年の今の耳で聴くと、1960年代のオーネットの『ジャズ来たるべきもの』(59年だけど)も『フリー・ジャズ』も『ゴールデン・サークル』も、全然前衛的でもなんでもなく、むしろかなり保守的にすら聞えてくる。発表当時は大きな衝撃だったらしいけどね。

 

 

オーネットの場合は、さっきも書いたように1970年代にワールド・ミュージックに接近した76年の『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』と同年の『ボディ・メタ』、この二つが今の僕にとっては全てだなあ。グレイトフル・デッドのジェリー・ガルシアと共演した88年の『ヴァージン・ビューティ』も少し好き。もっとも、一番好きなのは、ジェリー・ガルシアとの共演曲ではなく、アルバム・ラスト曲の無伴奏アルト・ソロだけど。

 

 

チャールズ・ミンガスが、いわゆるフリー・ジャズは新しくもなんともない、チャーリー・パーカーの方が今でもはるかに革新的だと言ったことがあって、これはミンガスがパーカー信者だったせいだろうけど、ある意味、1960年代フリー・ジャズの真実を言当ててはいるよねえ。ミンガスはドルフィーも重用したし。

 

 

そのエリック・ドルフィー。彼は時代も主に1960年代の人だし、コルトレーンやオーネットなどとの共演もいろいろあって、彼らと一緒に並べて、前衛的なジャズマンとされることが多いような気がするけど、ミンガスが重用したことでも分るように、ドルフィーはパーカーをデフォルメしたようなビバップ系の守旧派だ。

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