ヒル・カントリーのド田舎ブルーズ〜ファット・ポッサム
1990年代後半の僕は、周囲にファット・ポッサム・レーベルのブルーズばかりどんどん薦めまくるので、一部で「ファット・ポッサムの伝道師」などと揶揄されていたことがある。それくらい、当時はファット・ポッサムから出るブルーズに夢中だった。今聴き返すことは殆どないけど。
僕はもともと、あまりレーベルで買うということをしない音楽リスナーだった。ジャズに夢中だった頃も、周囲がみんなブルーノートだ、アトランティックだ、ECMだといろいろ言っているのを尻目に、僕はそういう見方をしたことが殆どなく、レーベル・カラーというものも意識したことがなかった。
そもそもレーベル・カラーってのは、インディペンデント・レーベルのもので、コロンビアやヴィクターみたいなメジャーにレーベル・カラーなんてものはなく、実に様々な音楽家の実に多彩な音楽が出ているわけだから。僕はジャズを聴始めてすぐにマイルス・デイヴィスの大ファンになり、彼はコロンビアの専属だった。
そういうこともあって、昔から「このレーベルのアルバムだからほしい」とか思ったことが全くなく、ただ音楽家個人を追掛けているだけだったのに、1990年代後半からはなぜかファット・ポッサムから出るブルーズにハマってしまい、このレーベルのリリース作品は全部追掛けて買いまくっていた。
いったいなにがきっかけで、あるいはどのブルーズマンのアルバムから、ファット・ポッサムにハマってしまったのか、全く憶えていない。ただ、1991〜2011年まで、僕のメインの職場が渋谷にあって、渋谷駅を降りて歩いて行く道中に、サムズという米黒人音楽専門のレコード・ショップがあった。
ある時期以後宇田川町に移転して、そして今では閉店した渋谷サムズだけど、1990年代後半には大きな歩道橋を渡ったところにある渋谷警察署の裏の雑居ビルの二階に店があって、まさに職場に向う道中にあったので、出勤前や出勤後に、ほぼ毎日のように入浸っていた。かなりたくさんのCDをここで買った。
渋谷サムズでは、ほぼ毎日のように、知らない新しい米黒人音楽のCDもチェックしていたから、おそらくこの店に入荷したファット・ポッサムのブルーズ・アルバムを買うようになったんだろう。渋谷サムズで買っていたのは、もちろんファット・ポッサムだけではなく、いろんな米黒人音楽を買った。
1990年代後半には一部の米黒人音楽ファンの間でかなり人気があったように思うファット・ポッサムのブルーズだけど、2015年の今ではなんのことやら分らないという新しいリスナーの方々もいるかもしれないので、参考までに一つ音源を貼っておく。
このR.L. バーンサイドというギタリスト兼ヴォーカリストが、おそらくファット・ポッサムでは最も成功し、最も人気のあったブルーズマンだろう。この「ジョージア・ウィミン」は、YouTubeでも書いておいたけど、1997年の『ザ・ベスト・オヴ・ファット・ポッサム』にしか入っていない。
ファット・ポッサムのブルーズ・ベスト盤は、リリース年を変えて何種類か出ていて、少しずつ内容が違う。このヴァージョンの「ジョージア・ウィミン」は1997年リリースのベスト盤にしか入っていないし、R.L. バーンサイドのどのアルバムにも収録されていないというものなのだ。
「ジョージア・ウィミン」という曲は、バーンサイド定番の得意曲で、1997年の彼の単独アルバム『ミスター・ウィザード』でもやっているけど、今貼ったベスト盤のとはヴァージョンが違って、演奏の感じもかなり違っている。一番違うのがドラムスで、ベスト盤の方は甥のセドリック・バーンサイドだ。
セドリック・バーンサイドは1997年のR.L. バーンサイドの来日公演にも同行していたので、パークタワー・ブルース・フェスティヴァルで、僕も生演奏を聴いた。その時にも感じたことだけど、先に音源を貼ったベスト盤収録の「ジョージア・ウィミン」でも、実に心地いいビートを叩出しているよね。
このベスト盤音源(バーンサイドは、もう一曲「スネイク・ドライヴ」が収録されている)もそうだし、その来日公演もそうだったのだが、R.L. バーンサイドのバンドにはベーシストがおらず、R.L. バーンサイドのギターと歌+ケニー・ブラウン(白人)のスライド・ギター+ドラムスという編成。
バーンサイドのアルバムは、だいたいどれもそんな感じでベース・レスなのだ。一人でのギター弾き語りではないバンド編成の米国音楽で、ベース・レスというのは少ない。もっともバーンサイドは一人での弾き語りナンバーも多少あるし、元々そういうカントリー・ブルーズの人。
ファット・ポッサムというレーベルは、ミシシッピ州オックスフォードという田舎町に拠点を置く会社で、ヒル・カントリーのど田舎ブルーズを録音することから出発した会社。今調べてみたら、設立は1991年になっている。初期はロバート・パーマーもプロデューサーを務めていたことがある。
1991年設立で、おそらくやはり90年代後半がファット・ポッサムの最盛期だったんだろう。当時はかなりの数のブルーズ・アルバムが出ていた。10枚くらいあるはずのR.L.バーンサイドはじめ、ジュニア・キンブロウとかセデル・デイヴィスとかT-モデル・フォード(98年に来日)とか。
ちなみに1997年のパークタワー・ブルース・フェスティヴァルには、同じファット・ポッサムのブルーズ・バンド、ジェリー・ロール・キングズも出演した。こっちも(名前は忘れたが)ドラマーが実に心地いいビートを叩出す人で、あまりに気持いいから、眠りそうになったくらいだったのを憶えている。
眠りそうになったといえば、R.L. バーンサイドのステージでも、結構寝ていた客がいた。客が寝るというのは、必ずしも僕は悪いこととは思わない。下手な演奏ではリラックスできない。寝るのは音楽が気持いい証拠なのだから、客が寝たら、ステージ上の音楽家はいい演奏ができていると喜ばなくちゃ。
その1997年のパークタワーでは、R.L. バーンサイドの持つエレキ・ギターとアンプが目一杯ヴォリュームを上げていて、彼がギターを持直すだけでブ〜ンと音が鳴るので、思わず笑ってしまう客もいた。しかも彼がやった曲は、全部キーがEのブルーズばかりで、それしか弾けんのかと言う人もいたなあ。
それにしても、僕は1990年代後半当時、どうしてあんなにファット・ポッサムのブルーズにのめり込んでいたのだろう?ファット・ポッサムのブルーズの特徴といえば、会社がミシシッピ州オックスフォードにあることからも分るように、当地のヒル・カントリー・ブルーズのプリミティヴなグルーヴ感だろう。
ファット・ポッサムにハマるだいぶ前から、ミシシッピ・フレッド・マクダウェルの弾き語りブルーズが大好きだった。ファット・ポッサムではないが、マクダウェルもまたヒル・カントリーのど田舎ブルーズマンだ。シティ・スタイルもさることながら、デルタ・ブルーズなどのカントリー・スタイルが好きな僕。
だから、そういったミシシッピ州ヒル・カントリーのプリミティヴなカントリー・ブルーズのグルーヴ感を現代に蘇らせ、しかもただ昔そのまんまではなく、1990年代の現代的な感覚も兼ね備えたファット・ポッサムのブルーズが大好きになったんだろう。当時はヒップホップに通じるものすら感じていた。
1990年代と2000年代初頭には一世を風靡した(というのは大袈裟か)ように思えるファット・ポッサムのブルーズも、ブームは10年かそこらで急速にしぼんでしまい、僕も新作CDはもう全く買わなくなっている。ファット・ポッサムは今では一部のインディ・ロックなどもリリースしているようだけど。
今調べたら、ファット・ポッサムは公式Twitterアカウントがあるなあ(@FatPossum)。でももうこれをフォローする気には全くなれない。あれだけ聴いたファット・ポッサムのブルーズも、今ではごくたまにR.L. バーンサイドを聴く程度。それもたいてい先に書いた1997年のファット・ポッサム・ベスト盤と『トゥ−・バッド・ジム』だけだなあ。
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