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2015/11/28

同一パターン反復の快感〜マイルス篇

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何度も書いているけど、中村とうようさんの「美は単調にあり」「シンプル・イズ・ビューティフル」という大衆音楽の真実を言当てた言葉、例えばファンク・ミュージックなどでも、同じパターンを延々と反復するような構造の上に成立っている作り方の音楽で、これも同じことなんだろうね。

大学生の頃は、ファンクでもジェイムズ・ブラウンは大好きでよく聴いていたんだけど、Pファンクとかは、特にライヴ盤では、延々と同じことを繰返していて、ちょっと退屈というか、集中して聴き通せないような気分で、あまり好きではなかった。

はっきり言えば、その頃はファンクのことが全く分っていなかった。それでもジェイムズ・ブラウンは、昔からライヴ盤なども大好きだったのは、なぜだったのかよく分らないけども。Pファンクみたいなのが大好きになったのは、1990年代になってCDリイシューで聴直してからのことだなあ。

ジャズ畑出身の音楽家で、1970年代に一番ファンク・ミュージックに接近した一人であるマイルス・デイヴィスは、大学生の頃から好きでたまらなかったわけだけど、マイルスが、ファンクのこの同一パターン反復という手法を取入れたのは、69年2月録音の『イン・ア・サイレント・ウェイ』からだね。

同年8月録音の次作『ビッチズ・ブルー』で、それが一層拡充される。この二作は、かなりアフリカ音楽的なミニマル・ミュージックで、ショナ族のムビラなどを聴くと、同じだということがよく分る。そういうミニマル的な音楽手法がマイルスにおいて最高潮に達するのが、1972年の『オン・ザ・コーナー』。

誰の文章だったのか完全に忘れてしまったけど、『ビッチズ・ブルー』は、アフリカのムビラ演奏と同じなんだというのを読んだことがあって、それで慌ててショナ族のムビラ(これが昔から一番有名盤だった)のレコードを買って聴いたんだけど、最初はどこが「同じ」なのか、サッパリ分らなかったんだ。

それは大学院生の頃の話だ。アフリカ音楽をまだ聴始めていなかったし、ファンクの同一パターン反復手法が、アフリカ音楽にルーツがあるということも、随分後になってから分り始めた。マイルスの『イン・ア・サイレント・ウェイ』などのクールさなどもアフリカ的だと気付いたのは、もっと後。

『イン・ア・サイレント・ウェイ』も『ビッチズ・ブルー』も、その後のマイルス・ミュージックと比べたら、まだまだ相当にアクースティックな質感というか、ギターが入っているけど全然クリーン・トーンだし、鍵盤がエレピなだけで、『サイレント・ウェイ』の方はベースもウッド・ベース一個だけだし。

だから派手にもろファンクな1972年『オン・ザ・コーナー』や74年『ゲット・アップ・ウィズ・イット』などと比べると、『イン・ア・サイレント・ウェイ』や『ビッチズ・ブルー』は、ちょっと聴いた表面的な印象では、そんなにファンクな感じがしないだろう。僕だって1990年代くらいまではそうだった。

ところが例えば『イン・ア・サイレント・ウェイ』B面の最高にカッコイイ「イッツ・アバウト・ザット・タイム」。ここでは、ベースとエレピがユニゾンで短い同一フレーズを反復するパターンの上に成立している。その反復される短い同一フレーズは三つあって、それが誰のソロの背後でも順番に出てくる。

その反復フレーズが、これまたカッコイイというかファンキーで、多分これはオルガンで参加しているジョー・ザヴィヌルが書いたというか、彼の発案に間違いない。ザヴィヌルは(特にウェザー・リポート時代は)アンチな人も多いけど、ファンキーなベース・リフを書かせたら、彼の右に出る白人はいない。

「イッツ・アバウト・ザット・タイム」で、作曲されていたというか、あらかじめ譜面で用意されていたのは、その三つのリフ・パターンだけのようだということが、聴くと分る。いわゆる普通のテーマ・メロディのようなものは全く存在しない。一応マイルスが作曲者となってはいるけど、ザヴィヌルのものに違いない。

翌年1970年6月のフィルモア完全盤などライヴを聴くと、「イッツ・アバウト・ザット・タイム」に入る時、そのベース・リフの最初の奴をマイルスがトランペットで吹いてキューにしているから、やはりこれがこの曲の根幹だろう。テーマがなく、ベース・リフだけで組立てるのは、完全にファンクの手法だ。

マイルスのアルバムでも、『イン・ア・サイレント・ウェイ』の前作1968年の『キリマンジャロの娘』までは、聴いてはっきり分るテーマ・メロディがあった。『サイレント・ウェイ』以後は、そういうテーマがあるものがどんどん少なくなっていき、ほぼ完全にリフだけで組立てている。

またこれの六ヶ月後の録音である『ビッチズ・ブルー』(これにも多くの曲でザヴィヌルが参加している)も、例えば一枚目B面のタイトル・ナンバーでは、これも短い同一フレーズを延々と反復している。オリジナル・セッション・テープを聴くと、最初の演奏時からそうなっているけど、録音後の編集でかなり手が加えられて、それが強調されている。

『ビッチズ・ブルー』では、前作には参加していないエレクトリック・ベース奏者(ハーヴィー・ブルックス)と、バス・クラリネット奏者(ベニー・モウピン)が入っていて、特にこの二人がそういう同一フレーズの反復という役目を担っている。そのせいで、音のテクスチャーが前作とは随分と異なっている。

『ビッチズ・ブルー』では、鍵盤奏者が三人なのは『イン・ア・サイレント・ウェイ』と同じだけど、ベースがウッド・ベースとエレベの二人、ドラムスが二人にパーカッションも参加で、大幅にリズム隊が強化されている。そのせいで、この音楽の本質がリズムの革新にあるということは、昔から言われてきた。

それに比べたら前作の『イン・ア・サイレント・ウェイ』は、まだまだスパイスが足らず、発展途上の過渡期的作品、『ビッチズ・ブルー』へのステップアップ的作品とされてきた。油井正一さんがそういう意見だった。しかし、今まで書いてきたように、音楽の創り方の根本システムは全く同じなのだ。

同じであるどころか、反復されるベース・パターンのファンキーさという意味では、『イン・ア・サイレント・ウェイ』の「イッツ・アバウト・ザット・タイム」の方がカッコイイ。僕は昔からそう思ってきたので、1990年代以後の再評価気運は嬉しかった。もっともアンビエント音楽的な評価ではあったけど。

アンビエント・ミュージックだというのはまあそうなんだけど、僕はファンク・ミュージックとして評価しているんだよね。書いてきたように『イン・ア・サイレント・ウェイ』も『ビッチズ・ブルー』も、三年後の『オン・ザ・コーナー』で派手に展開されるファンク手法が、既に大胆に取入れられている。

マイルスは、主に当時の恋人(後に妻)だったベティ・メイブリーの薦めで、ジェイムズ・ブラウンやスライ&ザ・ファミリー・ストーンなど、同時代のファンク・ミュージックを、1968年頃から盛んに聴きまくっていたらしい。その成果は『オン・ザ・コーナー』で開花したことになっているけれども。

しかし、アクースティック楽器が多くて音のテクスチャーが全く異なるから、一聴音楽の感じが全然違うけど、1969年の『イン・ア・サイレント・ウェイ』と『ビッチズ・ブルー』で、かなり抽象化された形でではあるけど、そういうJBやスライなどを聴きまくった成果が、既に具現化されている。

というわけで、かつてのジャズ・ファンからは過渡期的作品として軽視され、1990年代以後再評価するジャズ・ファン以外のリスナーからは、主にアンビエントとして聴かれる『イン・ア・サイレント・ウェイ』だけど、僕はマイルス・ファンク第一作として面白いと思うので、そういう評価もほしいところ。

『イン・ア・サイレント・ウェイ』は、アフリカ音楽ファンには、ショナ族のムビラ演奏にも通じるクールさが大いにウケると思うし、そういうアフリカ的なクールネスとファンクな側面が分ってくると、次作『ビッチズ・ブルー』の聞え方もだいぶ違ってくるんだよね。少なくとも僕はそうだった。

『ビッチズ・ブルー』は、アルバムのジャケット・デザインが、これはもうもろ「アフリカ性」の表現だし、ミニマル手法的な同一パターンの反復といい、クールネスといい、完全にアフリカ音楽にルーツを持つファンク・ミュージックだね。先も書いたようにリズム隊が強化されているので、分りやすい。

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