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2015/11/19

ギルで知ったジミヘン

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以前、ギル・エヴァンスの『ライヴ・アット・ザ・パブリック・シアター』のことを書いたけど、実を言うと、ジミ・ヘンドリクスの名前を知ったのも、このアルバムでだった。1980年に出た一枚目のLPを、出てすぐに買ったけど、それの最後に「アップ・フロム・ザ・スカイズ」が入っていたのだった。

 

 

僕はその『ライヴ・アット・ザ・パブリック・シアター』で、マイルス・デイヴィスとのコラボ作品以外の、ギルのバンドも初めて聴いたので、彼が(マイルスとともに)生前のジミヘンと交流があったとか、共演を目論むもジミの死で果せず、その後ジミヘン曲集を吹込んだとか、そういうことはもっと後になってから知った。

 

 

とにかく『ライヴ・アット・ザ・パブリック・シアター』のラストにあった「アップ・フロム・ザ・スカイズ」がカッコよくて、それでその曲のコンポーザーがジミ・ヘンドリクスになっていたから、まずはコンポーザーとしての彼に興味を持ったのだった。

 

 

 

なかなかいいよねえ。ホーン・アンサンブルが主体のアレンジだけど、なにげに菊地雅章とピート・レヴィンのシンセサイザーが効いている。その後、ギルのLPアルバムをいろいろと買ってみると、たいていのアルバムにジミヘン・ナンバーが入っていて、ギルがジミヘンの曲を気に入っていることが分った。

 

 

例えば以前「オレンジ色のドレス」を貼った1978年ロンドン録音のRCA盤には、デイヴィッド・サンボーンのアルトをフィーチャーした「エンジェル」が入っていて、これもかなり気に入ったのだった。

 

 

 

「オレンジ色のドレス」が、ほぼ常にジョージ・アダムズのテナーがソロを吹くナンバーだったように、ギルのバンドでは「エンジェル」は1974年の初演を含め、常にデイヴィッド・サンボーンのアルトをフィーチャーしていた。サンボーンがいない時はやらなかったようだ。エリントンの姿勢とちょっと似ている。

 

 

ギルの1974年録音の『プレイズ・ザ・ミュージック・オヴ・ジミ・ヘンドリクス』には、その「アップ・フロム・ザ・スカイズ」も「エンジェル」も入っていたけど、それらもその他の曲も含め、あのスタジオ・アルバムは、実はあまり好きにはなれなかった。正直に言うと、今でもそんなに好きではない。なぜなんだろうなあ。

 

 

でもとにかく、そのジミヘン集以後、ギルはライヴでいつもジミヘン・ナンバーをやるようになり、そのうち、録音されたものだけでもかなりある。ジミヘンは1970年に死んでいるけど、ギルも(マイルスも)その頃から、電気楽器を多用したロック〜ファンク路線に転向していく。

 

 

マイルスとジミヘンの相互関係については、いろんな人が語っているし、主にマイルス側からのアプローチとしては、中山康樹さんの本に詳しく書いてあったりするけど、ギルとジミヘンとの関係については、僕の知る限り、まとまった文章はいまだにない。待っていれば、そのうち誰かが書きそうだけどね。

 

 

そのマイルスに比べたら、同じ頃にロック〜ファンク路線に転向したとはいっても、ギルの場合はまだかなり保守的に聞えてしまうけど、それは彼が常にビッグ・バンドのアレンジャーとして活動していたからだろう。エレキ・ギターやエレベ、シンセを多用しても、基本はホーン陣がメインだし。

 

 

それでも、このジミヘン・ナンバー「ヴードゥー・チャイル」のアレンジなんかは、かなりぶっ飛んでるね。https://www.youtube.com/watch?v=Pl4YtyXubn4 ジャズのビッグ・バンドとしては考えられないサウンドだ。この曲、1974年のジミヘン集でもハワード・ジョンスンのチューバがメロを吹いている。

 

 

話を『ライヴ・アット・ザ・パブリック・シアター』に戻すと、1982年リリースの第二集には「ストーン・フリー」が入っていて、これもカッコよかった。これも、この時のギルのヴァージョンで知った曲だった。 ドラムスのビリー・コブハムも効いている。

 

 

 

これらのジミヘン・ナンバー、本当にジミヘン・ナンバーだと分っていたわけでない。ジミ・ヘンドリクスがロック・ミュージシャンだという知識だけはあったものの、音源は全く聴いていなかった。ギルのレコードにそう書いてあるので、そうなんだろうと思っていただけなのだ。

 

 

しばらくして、ようやくジミ・ヘンドリクス本人のレコードを買って聴くようになった。そうしたら、かえってギルのアレンジのかっとび具合がよく分った。もっとも主にライヴ・ヴァージョンで知ったギルのバンドの演奏には、綻びもある。それは以前書いた通り、ギルのバンドにはレギュラーがおらず、常に臨時招集だったから。

 

 

マイルスとやった1958年の『ポーギー・アンド・ベス』でも、もう一回コロンビアにリハーサルの時間を要求していれば、レコードで聴けるようなアンサンブルの乱れはなくすことができたと、ギルは述懐してたけど、その後の自身のライヴでも、いつも当日集ったメンバーと少しリハをやって本番に臨んでいたらしい。

 

 

だからライヴ録音などでは、アンサンブルが少し乱れていたり、リズム隊とホーン陣がやや噛合ってなかったりするところが散見される。しかもギルのアレンジ譜面は、リハーサルの最中にもどんどん変っていったらしいから、参加ミュージシャンにとっては、本番はほぼ一発勝負みたいなものだったようだ。

 

 

しかも、ギルのバンドはいつも薄給、ギャラが出ないことすらあったらしいから、集ってくるミュージシャンも、全員ギルの音楽に惹かれて来る人だったようだ。だからリハーサルなどで、あまり拘束できなかったはず。音楽的には双子関係だったマイルスとは全く違って、ギルは生涯、商業的成功とは無縁の人だった。

 

 

それはともかく、ジミ・ヘンドリクスは、僕の場合、最初はロック・ミュージシャンというよりも、コンポーザーとして知っていたわけだ。いろんな入り方があるとは思うけど、こんなジミヘン入門をしたというのも、ちょっと珍しいかもしれないなあ。今でもジミヘンを聴くと、ギルを連想してしまうんだよね。

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