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2015/11/10

ハービー・ハンコックとクロード・ソーンヒル

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こんなこと誰も言ってないんだけど、ちょっと考えてみたら、ハービー・ハンコックの1968年作『スピーク・ライク・ア・チャイルド』って、クロード・ソーンヒル楽団の音楽によく似ている。管楽器アンサンブルの中で、ピアノだけがソロを取るところとか。

 

 

あの『スピーク・ライク・ア・チャイルド』のアレンジに際し、ハービーはマイルス・デイヴィスとのコラボ作品におけるギル・エヴァンスのアレンジを、大変参考にしたらしい。言うまでもなく、ギルは1941〜48年まで、ソーンヒル楽団の主席アレンジャーだった。

 

 

ハービーの『スピーク・ライク・ア・チャイルド』の編成は、通常のピアノ・トリオに加え、フリューゲル・ホーン+アルト・フルート+バス・トロンボーンという三管。この三管の構成も、通常のモダン・ジャズのコンボとしてはかなり変っている。まるでギル・エヴァンスが編成する時のような感じだね。

 

 

そしてその三本のホーン楽器は、テーマ吹奏や、ハービーのピアノ・ソロの伴奏のみに使われていて、全くソロを取っていない。というか、ハービーのピアノ・ソロも、それだけ単独で抜出して存在するというのでもなく、管楽器のアンサンブルと渾然一体となって演奏全体に溶け込んでいるようなアレンジだ。

 

 

こういう管楽器のアンサンブルとピアノとの一体となったアレンジというのは、少し変った管楽器編成とともに、ハービーの1960年代の他のジャズ・アルバムには見られないばかりか、ハービー以外のモダン・ジャズのアルバムでも、ギル・エヴァンスのバンドくらいしか存在しないのではないか。

 

 

マイルス・バンドではもちろん、自分のリーダー作でも、それまでトランペット+サックス+リズム・セクションなどの通常のコンボ編成で、通常の新主流派的なモダン・ジャズを展開していたハービーが、なぜ突然この1968年の『スピーク・ライク・ア・チャイルド』でこんなことを思い付いたのだろう?

 

 

一番考えられるのは、最初に書いたように、このアルバムの制作に際してハービーの念頭にあったのは、マイルスとやったギル・エヴァンスのアレンジ、特にハービーの言葉を借りれば、三作目の『スケッチズ・オヴ・スペイン』だったらしいから、やはりどうもその辺りからヒントを得ていたんだろうね。

 

 

しかしながら、僕が聴いた感じでは、ハービーの『スピーク・ライク・ア・チャイルド』は、ギルの仕事でもそういうビッグ・バンド編成での録音よりも、むしろマイルスの49/50年録音の『クールの誕生』の比較的少人数編成のサウンドに似ていて、ギル自身のバンドでもそういう人数での作品に似ている。

 

 

そして、それらよりももっと似ているのが、最初に書いたギル・エヴァンス・アレンジ時代の1941〜48年のクロード・ソーンヒル楽団のサウンドなんだよね。ハービーは、ギルの仕事に強い興味を持っていたらしいから、聴いていたに違いない。

 

 

ジャズではあまり使われない管楽器の選択、その管楽器群の茫洋としたアンサンブル、そしてその合間を縫うように浮び上がり、ふわふわと漂うピアノのソロ・・・これら全て、1941〜48年クロード・ソーンヒル楽団のサウンドと、68年ハービーの『スピーク・ライク・ア・チャイルド』に共通する。

 

 

こんなことを書いている文章には、僕は今まで一度もお目にかかったことがないので、僕だけが抱いている妄想のようなものかもしれないなあ。でも本当にソックリなんだ。ハービーの『スピーク・ライク・ア・チャイルド』はリスナーも多いと思うけど、クロード・ソーンヒル楽団なんか今聴く人は少ないだろう。

 

 

本当にソックリだから、これはハービー・ハンコックがこのアルバムの音楽的源泉を、故意に隠しているのではないかとすら疑ってしまう。リスペクトするという意味では、全面的に隠すわけにもいかず、ギル・エヴァンスの名前だけを出して、我々リスナーにちょっとしたヒントを与えているのではないかなあ。

 

 

それにしても、1970年代以後の電化ファンク路線を含めても、こういうギル・エヴァンス的なサウンドは、ハービーの他のアルバムでは、現在に至るまで全く聴かれないので、68年の『スピーク・ライク・ア・チャイルド』だけが特異なアルバムとして異彩を放っている。やや現代音楽風でもあるし。

 

 

現代音楽といえば、ハービー・ハンコックという人は、ジャズ・ピアニストとしてデビューする前は、大学で西洋近代クラシック音楽の教育・訓練を受けた経歴の持主だ。ハービーのあのビル・エヴァンス風な和音の使い方は、もちろんエヴァンスの影響だけど、クラシック音楽からも大いに学んだに違いない。

 

 

黒人ジャズ・ピアニストで、そういう近代的な西洋和声を使ったのは、デューク・エリントンを除けば、1960年代初頭からのハービー・ハンコックが初めてじゃないかなあ。まあ他を僕が知らないだけかもしれないけど。そして、ハービーの場合は、それに加え、黒人独特の粘っこいファンキーな感覚がある。

 

 

だから、1960年代のマイルスが重用したのも納得。マイルスは58年頃モード奏法で新しい和声の可能性を探っていた時期に、同じ方向性を持っていたビル・エヴァンスを雇ったわけだけど、アップ・テンポなハードな曲やブルーズ曲ではスウィング感が足りず、マイルスも物足りなく感じることがあったらしい。

 

 

エヴァンスが弾く1958年録音の「ラヴ・フォー・セール」(『1958マイルス』)を聴くと、それは理解できる。59年録音の『カインド・オヴ・ブルー』では、既に脱退していたエヴァンスを参加させたけど、一曲だけスウィンギーなブルーズの「フレディ・フリーローダー」では、ウィントン・ケリーを使っている。

 

 

しかしながら当時レギュラー・メンバーだったウィントン・ケリーはブルーズの上手いファンキーなピアニストで、和声感覚もレッド・ガーランドよりはモダンだけど、ビル・エヴァンスに比べたらモダンじゃない。そんな具合だったから、1963年に雇ったハービーは、まさに両者を兼ね備えた好適な人材だった。

 

 

ハービーは和声感覚も完全にモダンで、リリカルでもあるし、その上ブルーズも得意でファンキーにドライヴしまくるプレイもできるという、マイルスにとってはこれ以上ない理想的なピアニストだったはずだ。マイルスのバンドで録音したアルバムでも、それら全てをフルに発揮しているのがよく分る。

 

 

ハービー自身のリーダー作では、デビュー作1962年の『テイキン・オフ』一曲目が「ウォーターメロン・マン」で、62年という時代を考えたら、ジャズではこれ以上ないというくらいのファンキーで真っ黒けなナンバーだ。最初からこんな曲を書く人だったから、70年代のファンク路線は必然だった。

 

 

「ウォーターメロン・マン」は、1973年のファンク・アルバム『ヘッド・ハンターズ』で再演し、完全なファンク・チューンに変貌しているけど、元からそんなフィーリングを持った曲だっのだ。62年の初演の方が僕は好きだけど、『テイキン・オフ』現行CD収録の別テイクも、ノリが深くて結構好き。

 

 

ハービーのファンキーなブルーズ・プレイで、僕がいつも思い出すのが、1964年9月録音の『マイルス・イン・ベルリン』収録の「ウォーキン」。1960年代のマイルスのライヴでは、この曲は相当な急速調になって、曲の持つブルーズ本来のファンキーな感覚が薄い。

 

 

ところが『マイルス・イン・ベルリン』での「ウォーキン」でだけ、ハービーのピアノ・ソロの中盤で、いきなりどんどんテンポが落ちてスローになり、突然「アフター・アワーズ」みたいな、グルーヴィーでファンキーなブルーズ演奏に変貌している。しばらくそれで弾いたら、またすぐに戻るけれども。

 

 

でも1960年代マイルス・コンボでのハービーのプレイでは、そういうものは殆ど聴けない。一連のライヴはもちろん、世評の高い『ソーサラー』『ネフェルティティ』等でも、ほぼ完全に抽象的で調性感の薄い演奏に徹していて(この二枚では、左手でコードを弾く瞬間が全くない)、そんなにファンキーではない。

 

 

そうかと思うと、1970年代以後は相当に真っ黒けなファンク路線の作品が多くて、マイルスのアルバムでも70年4月録音の『ジャック・ジョンスン』A面で、ドス黒いオルガン演奏を披露している。そんなファンキーな作風と現代音楽風で抽象的な作風と、相当に振幅の大きな音楽家ではあるなあ。

 

 

しかも1975年の来日公演を収録した『洪水』では、ハービーの新主流派ジャズの代表曲「処女航海」から、切れ目なくそのまま74年『スラスト』収録のファンク・チューン「アクチュアル・プルーフ」に繋がっていたりして、これはもうなんというか、ハービーの多様な音楽性をそのまま詰込んだような感じだ。

 

 

なお、1968年『スピーク・ライク・ア・チャイルド』のハービーのアレンジは、復帰後のマイルス86年『TUTU』と、87年『シエスタ』での、マーカス・ミラーのアレンジに大きな影響を与えている(マーカス自身がそう認めている)から、ギル・エヴァンス以来の伝統が連綿と受継がれているわけだねえ。

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