美は単調にあり 其の弐〜グラント・グリーン
大学生の頃、最初に好きになったジャズ・ギタリストはグラント・グリーンだった。もっともそれは彼のアルバムを買ったのがきっかけではなく、なにかのブルーノート音源のアンソロジーがあって、それに一曲「ジェリコの戦い」が収録されていて、それを聴いて一発で大好きになった。
すぐにその「ジェリコの戦い」が入った、グラント・グリーンの『フィーリン・ザ・スピリット』を買って聴いて、これが素晴しくて一発でハマってしまった。このアルバムは、タイトル通りいわゆるスピリチュアルズだけを取りあげた、一種の企画物。スピリチュアルズを聴いた最初だったはず。
その頃は、スピリチュアルズ始め、その他ゴスペルなど黒人宗教音楽そのものは全く聴いてはおらず、全部ジャズマンがジャズ風に料理・演奏したものしか聴いていなかった。だから、グラント・グリーンの『フィーリン・ザ・スピリット』を聴いて、スピリチュアルズとはこういうものかと信じ込んでいた。
『フィーリン・ザ・スピリット』収録曲のタイトルを見たら、その「ジェリコの戦い」とか「ジャスト・ア・クローサー・ウォーク・ウィズ・ジー」とか「ゴー・ダウン・モーゼ」とか、どれもちょっとは分るキリスト教に関係したようなものだったことだけは、最初から理解できたのだった。まあその程度。
しかしながら『フィーリン・ザ・スピリット』に感動したといっても、それは宗教音楽的な側面に触れて感じたとかいうことでもなく、ただなんとなく感じたブラック・フィーリングと、シングル・トーンで弾きまくるグラント・グリーンのギター・プレイがいいなと思ったわけだった。
これ以前に知っていたギタリストといえば、ほぼ全員ロック系のギタリストで、例えば以前から聴いていたレッド・ツェッペリンのジミー・ペイジとかが大好きだったから、かなりフィーリングが違うグラント・グリーンが大好きになって、彼の他のレコードも何枚か買って聴いたのだった。
でも『フィーリン・ザ・スピリット』で僕がグラント・グリーンを知った1980年頃には、彼の一連のブルーノート作品で入手できるものが少なくて、当時買えたのは、辛うじてオルガンのラリー・ヤング+ドラムスのエルヴィン・ジョーンズとのトリオでやった『トーキン・アバウト』くらいしかなかった。
全然違う話だけど、ラリー・ヤングはマイルス・デイヴィスの『ビッチズ・ブルー』にエレピで参加しているのを聴いてはいたが、あのアルバムでは多くの曲にチック・コリア、ジョー・ザヴィヌル、ラリー・ヤングと三人もエレピ奏者がいるから、誰がどれなのか全然聴き分けられなかった。実は今でも、特別な役割を担っているチック以外は、イマイチ判然としないのだ。
グラント・グリーンでは、最初はその二枚だけを繰返し聴いていたのだったが、それでも彼は、リーダー作だけではなく、他のジャズマンのアルバムにサイドマンとして参加して弾いているものがブルーノートにたくさんあることがしばらくすると分ってきて、そういうものでいろいろと楽しめたりはした。
いろいろと聴いてみると、どうもグラント・グリーンというギタリストは、全くコードを弾かない、というか弾けないのかどうかよく分らないけど、とにかくシングル・トーン弾き一本槍で押しまくるスタイルの人で、それもどの曲をやっても、ほぼワン・パターンのフレーズを繰返す人なのだった。
そういうわけだから、しばらく熱心に聴きはしたものの、少し経つとそのワン・パターン・フレーズの繰返しにだんだん飽きてきて、面白くなくなってきて、聴かなくなっていった。そうこうしているうちに、CD時代になって、彼が1970年代にやっていた電化ファンク路線のアルバムが再発された。
実を言うとLPでは、1972年の『ライヴ・アット・ザ・ライトハウス』などの電気楽器をいろいろ使ってファンク・ミュージックをやったグラント・グリーンのアルバムは、一枚も聴いたことがない。というか当時から普通に買えたのだろうか?LPを見掛けなかったもんなあ。
1970年代のそういう電化ファンク路線のアルバムを、CDリイシューで買って聴いてみたら、これがもうとんでもなくグルーヴィーでカッコよかったのだ。そういうグリーンのアルバムは、69年の『キャリイン・オン』から72年のラスト『ライヴ・アット・ザ・ライトハウス』まで、八枚。
1970年代のグラント・グリーンのアルバムは、ベースは全部エレベで、どれもオルガンかエレピかクラヴィネット奏者が参加していて、その上だいたいパーカッションが入っている。だから、普通のジャズ・ファンには評判が悪く、一般的にも殆ど人気がなかったようで、だからレコードを見なかったのかも。
そういう路線のグラント・グリーンが再評価、というか初めて評価されるようになったのは、どうやら1990年代以後で、それもジャズ・ファンというより、主にクラブ・ミュージック関係の筋からの評価だったらしい。当時僕はそういう事情はあまりよく知らず、ただ再発されたCDを聴いて、カッコイイなと思っていただけ。
僕が今持っている『フィーリン・ザ・スピリット』日本盤CDのライナーノーツを書いているのが、ブルーノート・コンプリート・コレクターの小川隆夫さんで、その中で彼は「ある時期以後の、ややイージーに流れた路線の作品のせいで、グリーンの評価が下がってしまった」と書いている。
はっきりとは書いていないけど、これは明らかに1970年代の電化ファンク路線の作品のことだね。そういうもののせいで、それ以前の「純ジャズ」作品まであまり聴かれなくなったらしいのだ。僕にはその辺のことはよく分らないのだが、書いたように80年代には彼のLPがあまり買えなかったのは事実。
今になってみると、そういう言い方は、ある種ジャズ・ファンの素直な心情ではあるんだろうけど、グラント・グリーンの一番美味しい部分を取り逃してしまう表現だよねえ。個人的には、どう聴いても1970年代電化ファンク路線のアルバムの方が、はるかに面白い。
だいたい日本のジャズ・ファンは、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズなど、1950年代末〜60年代半ばのファンキー・ジャズは大好きなくせに、それをさらに煮詰めたようなソウル・ジャズやジャズ・ファンクを毛嫌いしたりするのはおかしいというか、僕には理解できない。
そういうものは、1970年前後のスライとか70年代前半のスティーヴィーやアース・ウィンド&ファイア等と同一基軸で考えるべき音楽で、もちろん同じ頃の電化マイルスもそうなんだけど、そうやって並べて同一地平で聴いてみると、当時のブラック・ミュージックが全部連動し呼応しあっていたことが分る。
グラント・グリーンの『ライヴ・アット・ザ・ライトハウス』には、スタイリスティックスで有名なフィリー・ソウル・ナンバー「ベチャ・バイ・ゴーリー・ワウ」のカヴァーもある。これなんか、同年のライヴ録音であるジミー・スミスのファンク名盤『ルート・ダウン』に、アル・グリーンの「レッツ・ステイ・トゥゲザー」があったりするのと、同じことじゃないかな。
グラント・グリーンだって、最初に書いた『フィーリン・ザ・スピリット』も、スピリチュアルズ路線で真っ黒けだし、1960年代からそういう作品が多く、70年代のさらにドス黒いファンク・アルバムと完全に繋がっているというか、そもそもそういう資質のミュージシャンなんじゃないの?
『フィーリン・ザ・スピリット』でピアノを弾いているのは、昨晩書いたハービー・ハンコック。1962年の録音だから、マイルス・コンボにレギュラー参加する直前、自身のリーダー作『テイキン・オフ』を録音したのと同じ年。『フィーリン・ザ・スピリット』でも、実に真っ黒けなピアノを弾いている。アクースティック・ジャズでのハービーの演奏では、一番黒いピアノがこのアルバムじゃないかなあ。
ハービー・ハンコックが、キャリアのスタートからかなり真っ黒けでファンキーな資質を持った音楽家で、だから1970年代以後にファンク・ミュージックを展開したのも当然だったと、昨晩書いた。彼がピアノで参加した『フィーリン・ザ・スピリット』のグラント・グリーンも、かなり似ているんだよね。
グラント・グリーンの1970年代電化ファンク路線のアルバムを聴くようになる前から、古いジャンプ等黒人音楽もたくさん聴いていたけど、その後中村とうようさんの案内で、いろんなことを知ったのだ。そうすると「アフター・アワーズ」でも「フライング・ホーム」でも、同じパターンの繰返しで盛上げるのが、一種の神髄と知った。グラント・グリーンでも、同一パターンの反復で成立つファンク・ミュージックの方が、それが一層際立っている。
クリフォード・ブラウンの記事で引用した中村とうようさんの言葉、「美は単調にあり」「シンプル・イズ・ビューティフル」こそ大衆音楽の場合は真実で、それが分ってくると、グラント・グリーンが同じフレーズをリピートして盛上げるのも、大衆音楽の伝統に則ったものだということを悟ったのだ。ワン・パターンではない複雑なインプロヴィゼイションが好きな多くのジャズ・ファンには、これは理解しにくいことかも。
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