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2015年12月

2015/12/31

「レッツ・ステイ・トゥゲザー」とジミー・スミス

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アル・グリーン最大のヒット曲「レッツ・ステイ・トゥゲザー」。もちろん1972年のアル自身のオリジナル・ヴァージョンが至高のもので、出だしの「アァ〜〜イ」だけで完全に持って行かれてしまうよねえ。 ハイ・サウンドも気持いい。ご存知ない方は、是非聴いてみてほしい。
何年も前のことだけど、アメリカのオバマ大統領が、なにかの公式な席で、この「レッツ・ステイ・トゥゲザー」の出だしをちょっと歌っていたことがあった。”I ~~’m so in love with you” だけ。探してたらYouTubeに上がっていた。
その後、英米のブルーズやロック・ミュージシャンをホワイト・ハウスに招いて、ブルーズ・ライヴ・パーティを開催した際も、「スウィート・ホーム・シカゴ」を見聴きしていたオバマ大統領に、バディ・ガイが「歌って下さい、アル・グリーンを歌っていたのを聴きましたよ」と囃していたことがあったなあ。
ご覧になれば分る通り、バディ・ガイの他、B.B. キング、ジェフ・ベック、ミック・ジャガー、デレク・トラックスなど、実に錚々たる面々だよねえ。日本の首相が、演歌歌手や民謡歌手を招いて首相官邸でライヴやることなんてないもんなあ。

よく知られていると思うけど、バラク・オバマ大統領は、アメリカ・ポピュラー音楽の大ファンで、以前も彼のiPodに入っているミュージシャンのリストが公開されているのを、なにかで読んだことあるけど、だいたい全部アメリカのロックやジャズやソウルなどの歌手や音楽家だった。就任当初の頃の話。

オバマ大統領の話はともかくとしても、それくらいアル・グリーンの「レッツ・ステイ・トゥゲザー」は有名ナンバーなわけだけど、僕が最初にこの曲を知ったのは、実はアル・グリーンのオリジナルではなく、オルガニスト、ジミー・スミスのカヴァー・ヴァージョンだった。『ルート・ダウン』というライヴ盤収録。

ジミー・スミスの『ルート・ダウン』は、1972年2月録音のライヴ。アル・グリーンの「レッツ・ステイ・トゥゲザー」は、同名アルバムが1972年のリリースだけど、同曲だけシングル盤で1971年にリリースされているから、ジミー・スミスは、ひょっとしたらシングル盤の方を聴いていたのかも。

ジミー・スミスによるその「レッツ・ステイ・トゥゲザー」を貼っておこう。最高にカッコイイよねえ。僕は昔からジミー・スミスのオルガンが大好き、というか、そもそもハモンドB-3オルガンのサウンド自体が大好きでたまらず、もうこの音が鳴っただけで幸せになる。
ハモンドB-3が好きなもんだから『Organ-ized: All-Star Tribute To The Hammond B-3 Organ』という、タイトル通りハモンドB-3弾きのオルガニストだけ13人を集めたアンソロジーCDだって好きで聴いている。ジミー・スミスも入っている。

ジミー・スミスは、ご存知の通りジャズ・オルガニストで、元々ジャズ・アルバムがたくさんあるわけだけど、1970年代に西海岸ロサンジェルスに拠点を置いていた時期があって、その頃、主に同地を拠点とするR&B〜フュージョン・ミュージシャンと、ヴァーヴに録音したアルバムが何枚かある。

1972年の『ルート・ダウン』もそういうアルバムの一枚で、ウィントン・フェルダーのエレベ、アーサー・アダムズのギター、ポール・ハンフリーのドラムス等が参加している。一般にこのアルバムが有名になったのは、タイトル曲を1994年にビースティー・ボーイズがサンプリングしてかららしい。

僕はその事実を長年知らなかった。それを知ったのは、ジミー・スミスの『ルート・ダウン』をCDで買い直してみると、ジャケット裏にそういうことが書いてあったからだ。ビースティー・ボーイズは、『イル・コミュニケーションズ』の翌年に「ルート・ダウン」の三種類のリミックスを収録したEPも出している。

ビースティー・ボーイズ・ヴァージョンの1994年「ルート・ダウン」はこんな感じ→ https://www.youtube.com/watch?v=Xf1YF_MH1xc これもなかなかカッコイイねえ。同曲のジミー・スミスの72年オリジナルはこれ→ https://www.youtube.com/watch?v=DP4LGEAfUEY

『ルート・ダウン』現行CDには、オリジナルLPには入っていなかった「ルート・ダウン」の別テイクも収録されているけど、そっちはイマイチな感じがして、収録しなくてもよかったんじゃないかという気がする。このライヴ盤ではアル・グリーン・ナンバーの他、「アフター・アワーズ」もやっている。

「アフター・アワーズ」はご存知ブルーズ・クラシックスだから実にカヴァーが多いわけだけど、ハモンドB-3オルガンでやるこの古典曲は、これまた格別の味わい。『ルート・ダウン』では、この曲だけハーモニカ奏者が参加していて、かなりダウン・ホームな雰囲気に仕上っているんだよなあ。

「アフター・アワーズ」では、2015年に亡くなったばかりのウィントン・フェルダーの弾くエレベもかなりいい。というか、まあ他の曲でも全部ウィントン・フェルダーのエレベはカッコいいけどね。この人、クルセイダーズで元々テナー・サックス奏者だったはずだけど、いつ頃からエレベをはじめたんだろうなあ。

僕は今年亡くなるまで知らなかったんだけど、あのジャクスン5でも、ウィントン・フェルダーが一部エレベを弾いている曲があるらしい。「アイ・ウォント・ユー・バック」もそのようだ。昔からやたらとベース・ラインがファンキーでカッコイイとは思っていたけど、どこにも書いてなかったもんなあ。

ジミー・スミスでは、僕は『ルート・ダウン』こそが最高傑作だと信じていて、それ以前の有名なジャズ・アルバムよりはるかにいいと考えているから、以前どこかで「ジミー・スミスを聴いたことがないんだけど、推薦盤を教えてくれ」という質問に、迷わず『ルート・ダウン』をオススメしたことがある。

そうしたら返ってきた感想が「リズムがロックでガッカリした」というものだった。ガッカリしたのは僕の方だったね。ロックのリズムとか言うなら、それは違うだろうファンクだろうとか、まあしかし4ビートのストレート・アヘッドなジャズをやるジミー・スミスを聴きたかったんだろうなあ。21世紀になっても、まだそんなジャズ・ファンっているんだなあ(嘆息)。

アクースティックで4ビートのジャズしか聴かないリスナーにしてみたら(といっても、B-3はじめハモンド・オルガンは電気がないと鳴らないけど)、『ルート・ダウン』みたいなファンク・ミュージック、ソウル・ジャズみたいな作品は、どうにも聴きようのないものだろう。僕は電気楽器を使ったファンク、それもジャズとクロスオーヴァーしたものは、好きでたまらないけどね。

1972年のソウル・ナンバー「レッツ・ステイ・トゥゲザー」があるかと思うと、1940年のジャンプ・ナンバー「アフター・アワーズ」があったりするところに、この1970年代ジャズ・ファンクの本質というか、拠って来たるところがはっきりと表れているようにも思うんだなあ。

そんなわけで、ある時期以後の僕は、主に1970年代のブラック・ミュージックに関しては(関しても?)、ノン・ジャンルというか完全にジャンルを跨いで、いろんなのを並べて聴いている。ジャズもソウルもファンクもブルーズも、ぜ〜んぶ連動しているというか共振しているようにしか思えないんだ。

アル・グリーンについては、マイルス・デイヴィスも最高だと絶賛していて、確かにアルの柔らかくて甘美かつ芯のある歌い方は、マイルスのトランペット・サウンドに通じるものがあるし、「レッツ・ステイ・トゥゲザー」などは、マイルスが吹いたらピッタリ来るような曲だよねえ。聴きたかったなあ。

もっとも1972年だと、マイルスは電気トランペットだから、こういう曲はやや似合わないかもなあ。やるなら1981年復帰後だ。公式にはリリースされていなけど、復帰後はティナ・ターナーの「ワッツ・ラヴ・ガット・トゥ・ドゥー・ウィズ・イット」(愛の魔力)もコロンビアに録音しているんだよねえ。未発売のままだ。

その「愛の魔力」が入っているティナ・ターナーの復帰作『プライヴェイト・ダンサー』には、アン・ピープルズの「アイ・キャント・スタンド・ザ・レイン」や、ビートルズの「ヘルプ!」(これは米盤オリジナルLPにはない)や、ジェフ・ベックのギターがカッコイイ「スティール・クロウ」や、そしてなんといってもアル・グリーンの「レッツ・ステイ・トゥゲザー」があって、当時はかなり聴いていた。

ところでどうでもいいことかもしれないが、オリジナルLPでは短く編集されていて分らなかったんだけど、CD『ルート・ダウン』一曲目の「サッグ・シューティン・ヒズ・アロウ」と四曲目の「ルート・ダウン」と六曲目「スロー・ダウン・サッグ」。どれも終盤でジミー・スミスが中近東風の旋律をちょっとだけ弾くんだけど、なんなんだろうなあれは?

2015/12/30

泥臭いモダン・ジャズ・テナー

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スタンリー・タレンタインのCD二枚組ライヴ・アルバム『アップ・アット・ミントンズ』。タイトル通り、ニューヨークのミントンズ・プレイハウスで、1961年に録音されたものだけど、僕はもうこれが大好きでたまらない。大学生の時にLPレコード二枚(二枚組ではない)で買って以来の、大の愛聴盤だ。

スタンリー・タレンタインというテナー奏者ってかなりマイナーな人で、僕は全く知らない人だったのに、どうしてその『アップ・アット・ミントンズ』を買ったのかというと、これはもう完全にレコード屋店頭で見てのジャケ買いだった。

今でこそワールド・ミュージック・ファンになって、ジャケットの好みもだいぶ変ってきたけど、大学生の頃の熱心なジャズ・ファン時代は、こういうシンプルで洒落たデザインのジャケットが好きだった。だからだいたいブルーノートのジャケット・デザインは好きだけど、アトランティックなどはイマイチ。

もちろん中身の音楽はアトランティックのジャズ・レコードだって大好きで、よく聴いていたんだけど、ことアルバム・ジャケットに関してはあまり好きじゃなかったんだよねえ。今ではどっちかというとアトランティックのジャケットの方が好き。でもブルーノートのを見ると、甘酸っぱい懐かしい気分だ。

それはそうとスタンリー・タレンタイン。ジャズ・テナー奏者としては、洗練されているというよりかなり泥臭くブルージーな吹き方をする人で、レコード・デビューが1960年。その当時はもっぱらブルーノートから作品を出していたようだ。ようだというのは、実は僕は彼の作品をあまり知らない。

リーダー作品で、今でも買って聴いているのが、その『アップ・アット・ミントンズ』だけで、他は全く買ったことがない。聴いていないという意味ではない。大学生の頃、ジャズ喫茶でいろいろと聴きはしたのだ。だけど、『アップ・アット・ミントンズ』ほどの魅力を感じられる作品には出逢わなかった。

だから、極めて個人的な感想だけど、スタンリー・タレンタインのアルバムでは、『アップ・アット・ミントンズ』二枚組が一番いいなあ。あまり熱心なファンとは言えないから、えらそうなことは言わない方がいいけどね。しかし、この二枚組は本当に素晴しい内容なんだ。ライヴ盤だというのもいいね。

ごくたまに「ライヴ盤は聴かない」という人がいて、今でも僕のTwitterフォロワーさんの中にもいるんだけど、実は昔からそういうリスナーはいた。僕に言わせれば、一部のスタジオ制作完璧主義者を除き、殆どの音楽家はライヴ・アルバムの方に素晴しいものが多いと思うんだけどな。もったいない。

ついでにいうと、ライヴ・アルバムは聴くけど、実際のライヴ・コンサートには行かない・行きたくないという人も、昔から結構いたなあ。そういう人に言わせると、レコードで聴いているイメージが壊れてしまうのが嫌だというのが最大の理由らしい。特にレコード聴取が中心のジャズ・ファンに多いよね。

パソコン通信時代の音楽仲間にも、そういう人が一人いて、熱心なユッスー・ンドゥール・ファンだったから、1999年のブルーノート東京でのユッスーのライヴに無理矢理誘ったことがある(僕は91年のにも行ったけど、その頃はまだネットを始めていない)。そしたら凄くいいので、考えを改めたようだった。

また話が逸れた。スタンリー・タレンタインの『アップ・アット・ミントンズ』二枚組は、サイドメンもいい。リズム・セクションがホレス・パーラン・トリオで、それにギターのグラント・グリーンが加わった五人編成。このメンツを見ただけで、中身の音楽の傾向がだいたい想像できてしまうよねえ。

以前書いたようにギターのグラント・グリーンは真っ黒けでブルージーな演奏が身上の人だし、ピアノのホレス・パーランだって、全く同じような傾向の人。ホレス・パーランもブルーズが得意で、彼のトリオ・アルバムは大好きでよく聴いていた。アーシーでファンキーだし、ブロック・コードで弾きまくる。

スタンリー・タレンタインは知らない人だったけど、レコード屋の店頭でジャケットが気に入ったジャケ買いだったことの他に、こういうサイドメン(はほぼ知っていた)の顔ぶれと、やっている曲目に好きそうな曲が並んでいるというのも、大きな購買理由だった。帰って聴いてみたら、想像通りの音が出た。

スタンダード・ナンバーの「バット・ナット・フォー・ミー」「ブロードウェイ」「イエスタデイズ」「晴れても降っても」「ラヴ・フォー・セール」「サマータイム」が中心で、二枚組全八曲のうち六曲だ。残り二曲がタレンタインのオリジナルのブルーズ・ナンバー。いかにも僕が好きになりそう。

二曲のオリジナルのブルーズ・ナンバーで、タレンタインもグリーンもパーランも、これでもかというくらい泥臭く攻めているのは当然なんだけど、それ以外のスタンダード・ナンバーでも、三人はペタトニック・スケールを駆使して、相当にブルージーなソロを展開しているのが、なんとも言えずいいね。

「ブロードウェイ」という曲をスタンダードにしたのはレスター・ヤングで、1940年のカウント・ベイシー楽団での録音が有名。そこでのレスターのソロが絶品で、後に西海岸の白人テナー奏者テッド・ブラウンが56年の『フリー・ホイーリング』でカヴァーしているのもいい。

その『フリー・ホイーリング』での「ブロードウェイ」では、後半サックス三人のアンサンブルで、先に書いた1940年レスター・ヤングのソロを、ハーモニーを付けてそっくりそのまま再現していて、レスターへの敬愛ぶりがよく分る。相当後のスーパー・サックスなんかがやったようなことの先取りだったね。

だから「ブロードウェイ」という曲はレスター・ヤング系の軽くてソフトな印象がつきまとう曲なんだけど、『アップ・アット・ミントンズ』でのスタンリー・タレンタインその他は、そんなことには一切構わず、真っ黒けでブルージーな演奏を繰広げているんだなあ。僕は白人ジャズも大好きではあるけどね。

『アップ・アット・ミントンズ』に限らず、スタンリー・タレンタインは、ジャズマンとしてはアクの強すぎるくらいのテナー奏者だから、一般のファンの間では好みが分れる人だろう。その上、このアルバムではグラント・グリーン+ホレス・パーラン・トリオの伴奏だからなあ。好きじゃない人もいるはず。

僕はと言えば、こういうかなりアクの強い真っ黒けなテナー・サックスが大好きだったくらいだから(もちろん書いたように、ジャズでは、軽くてソフトな西海岸の白人サックスも好きなんだけど)、その後ビッグ・ジェイ・マクニーリー等の、ジャンプ〜R&B系ホンカーへの適性はあったということだなあ。

スタンリー・タレンタインは、1970年代に主にCTIレーベルに、オルガンや電気楽器を使ったファンク系のアルバムを残しているらしいけど、僕はそれらは全く聴いていない。ジャズ喫茶で聴いていたのも、60年代のジャズ作品ばかり。今聴けば、70年代のファンク・アルバムだっていいに違いない。

僕はタレンタインのそういう1970年代以後(90年代まで録音がある)のアルバムをディグする前に、もっと前の40年代のジャンプや50年代のR&Bなど、古いブラック・ミュージックに夢中になって、そういうのばかり追掛けるようになったからなあ。今考えたら、70年代作品も聴いておけばよかった。

というのも、『アップ・アット・ミントンズ』でギターを弾いているグラント・グリーンだって、以前書いたように、1970年代電化ファンク路線のアルバムを聴いたら、そっちの方がはるかにカッコよくて、完全にはまってしまい、今でも時々聴くのはそっちの方だからなあ。タレンタインだってそうかもなあ。

もちろん1970年代のジャズマンは、ほぼ全員が電気楽器を使って他ジャンルとクロスオーヴァーした作品を残したわけで、そういう時代だったんだし、タレンタインもCTIなら、軽い傾向のレーベルだから、そんなに期待するほどファンキーでもないのかもしれないけどね。

2015/12/29

ブルーグラスな「バードランド」

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ウェザー・リポートの代表曲にして最も有名な曲であろう「バードランド」。『ヘヴィ・ウェザー』収録のオリジナル・スタジオ録音は凄くカッコイイのに、ライヴではウェザー・リポート自身は一度も演奏に成功したことがないはず。リズムがひっくり返りそうな例のブレイクの後は、常にシャッフルになっているもん。

公式盤でウェザー・リポートがライヴでやる「バードランド」は、1979年の二枚組ライヴ・アルバム『8:30』に入っているものだけ(2015年リリースの四枚組に入っているけど、買っていない)。ここでもリズムがシャッフルで残念な感じ。でもこれが僕が初めて買ったウェザー・リポートのアルバムだったので、こういう曲なのかと思っていた。

何度も書いているように、僕がジャズを本格的に聴始めたのが1979年だったから、レコード屋の店頭で見て、当時の最新アルバムだった『8:30』に惹かれたし、店頭で他のレコードと曲目を見比べてみると、この二枚組ライヴ盤には、他のアルバムでやっているいろんな曲がたくさん入っていたからだ。

そういうわけだから、「ブラック・マーケット」も「スカーレット・ウーマン」も「ティーン・タウン」も「ア・リマーク・ユー・メイド」も「バディア/ブギ・ウギ・ワルツ」も、全部『8:30』ヴァージョンで知った。最初にそれを聴いたので、まあこれで充分カッコイイと思っていたのだった。

その後、それら収録曲のスタジオ録音のオリジナル・ヴァージョンを聴くと、そっちの方がはるかに素晴しいので、だんだんとこの『8:30』というライヴ盤の評価が僕の中では下がっていった。はっきり言って今ではこの二枚組、二枚目B面のスタジオ・サイドしか聴かなくなっている。

ウェザー・リポートの公式ライヴ盤は、これ以外には(2015年リリースの四枚組を除けば)解散後の2002年にリリースされたCD二枚組の『ライヴ・アンド・アンリリースト』しかない。こっちは1975〜83年のライヴ録音のアンソロジーで、『8:30』よりもはるかに内容がいいように思う。『8:30』とは三曲しかダブっていない。

大のウェザー・リポート・ファンの僕でも、今では殆ど聴かなくなった『8:30』とは違って、『ライヴ・アンド・アンリリースト』の方は、結構聴くんだよなあ。そしてブートレグではいろんなライヴ音源が出回っているらしいし、またYouTubeで探すと様々な曲の様々なライヴ録音が見つかる。

『ライヴ・アンド・アンリリースト』には入っていない「バードランド」も、YouTubeでいろんなライヴ・ヴァージョンを聴けるのだが、ウェザー・リポートがやったものは、やはりどれも全部シャッフル・ビートになってしまっていて、はっきり言ってダメだね。そうじゃないものがあるのだろうか?

だから、スタジオ録音のオリジナルしか聴けないと思う「バードランド」、僕の狭い音楽体験では、この曲を他の音楽家がカヴァーしているものって、少ないように思う。特にジャズ系の人では、クインシー・ジョーンズが『バック・オン・ザ・ブロック』でやっているのしか聴いたことがない。ヴォーカル・ヴァージョンならマンハッタン・トランスファーのがあるけど。

クインシーのアルバムでは、1995年の『Qズ・ジューク・ジョイント』と並んで、僕の大好きなアルバムである1989年『バック・オン・ザ・ブロック』。これの「バードランド」は、導入部の「ジャズ・コーナー・オヴ・ザ・ワールド」(バードランドというクラブの異名)に続くメドレー。

「ジャズ・コーナー・オヴ・ザ・ワールド」では、バードランドでの往年の有名な司会者ピー・ウィー・マーケットが、アート・ブレイキーのライヴ盤『バードランドの夜』で披露しているMCの声をサンプリングして使っていたり、本編の「バードランド」でも有名ジャズマンが入れ替り立ち替りソロを取る。

「バードランド」でソロを取るジャズマンで一番有名なのは、おそらくマイルス・デイヴィスだね。マイルスとクインシーの共演というのは、この一曲以外では、1991年のモントルー・ジャズ・フェスティヴァルでギル・エヴァンスのアレンジをクインシー指揮のオーケストラで再現したコンサートだけだ。

その1991年のモントルー・ジャズ・フェスはライヴ録音されて、単独の一枚物CDでもリリースされたけど、もうはっきり言ってマイルスが痛々しいというか、ギルと共演作を創ったのは1950年代後半〜60年代初頭だったから、当時のアレンジそのままでは、もうマイルスは吹けないのが分ってしまう。

それがあらかじめ分っていたのだろう、難しいパートをマイルスの代りに吹く「影武者」としてウォレス・ルーニーが参加しているくらいだ。このライヴ盤は一回聴いたきりで、その後はもう一度もCDを取出しすらしていない。だから僕にとっては、マイルスとクインシーの共演は「バードランド」だけだ。

さて、ジャズ系の音楽家でなければ、「バードランド」をきちんとライヴで演奏できているのは、僕の知る限りでは、ストリング・チーズ・インシデントだけだ。ジャズとジャズ系の音楽しか聴かないリスナーには、聞いたこともない名前だろうけど、ブルーグラス系のジャム・バンド。

カントリー・ミュージックと近接するブルーグラスのバンドが、なぜライヴでザヴィヌルの「バードランド」を取りあげたのかはよく知らない。しかも、ストリング・チーズ・インシデントは、一時期はほぼ毎回のように演奏していたから、ライヴ録音も実にたくさん残っていて、聴くことができる。

ストリング・チーズ・インシデントは、ライヴでは実にカヴァー曲が多いバンドで、ザヴィヌルだけでなく、ビートルズ、ボブ・ディラン、スティーヴィー・ワンダー、エディ・ハリス、ウェイン・ショーター、ミシシッピ・シークス、ミーターズ、レッド・ツェッペリンなどなど、実にいろいろとやっている。

しかし、「バードランド」は彼らにとってなんかちょっと特別なのか、やりすぎだろうと思うほど頻繁に演奏していて、CDなどの音源で記録されて聴けるものだけでも相当な数がある。なんらかの理由があったんだろうなあ。これほど「バードランド」ばかりライヴでカヴァーしたバンドは他にないだろう。

僕が持っているストリング・チーズ・インシデントの「バードランド」は七種類程度だけど、まあだいたいどれも似たような演奏内容だ。しかもどれも非常に立派。どう聴いても本家ウェザー・リポートのライヴ・ヴァージョンよりも、はるかにこっちの方がいいように思う。リズムもシャッフルではない。

ブルーグラス系のバンドだから、弦楽器が中心の編成で、時々ヴァイオリンというかフィドルだって入る。フィドルやマンドリンの音が聞える「バードランド」は、これまた格別の味わい。僕はライヴCDを何枚も持っているけど、お持ちでない方もYouTubeでいろいろと聴けるようだから、是非どうぞ。

なにもかも完璧な「バードランド」の演奏一つだけで充分分るけど、ストリング・チーズ・インシデントのライヴ・アルバムを聴くと、このバンドの異様とも言える高い演奏能力が、これでもかというほど伝わってくる。ロックやその近接ジャンルに分類されるバンドでは、おそらく史上最高の演奏技術だろう。

少なくとも僕は、ブルーグラスと言わずカントリーと言わずロックと言わず、単に楽器の演奏技術だけなら、ストリング・チーズ・インシデント以上にライヴ演奏が上手いバンドは聴いたことがない。僕は彼らのライヴが凄いという噂を2000年頃に聞いて、2002年からたくさん出ているライヴCDを買った。

2002年から現在に至るまで『オン・ザ・ロード』というタイトルのライヴ・アルバム・シリーズが、むちゃくちゃたくさんリリースされていて、『オン・ザ・ロード』のメイン・タイトル以外は、タイトルには場所と日付しか書いていない。僕はその中から七つほど(全部三枚組)持っているだけ。

ストリング・チーズ・インシデントは、カヴァーばかりのライヴ演奏があまりに素晴しいので、しかも枚数もかなり多いから、それで満足してしまい、実を言うと彼らのオリジナル・スタジオ・アルバムは、一枚も買ったことがない。というか、まああんまりそれには興味もないわけだ。

ストリング・チーズ・インシデントだって、ライヴが凄すぎる、「バードランド」をたくさんやっているという噂を聞かなかったら、おそらく買うこともなかっただろうと思う。聴いてみたら、さきほど書いたように実に様々なカヴァー曲があって、とても楽しいけどね。こんなにファンキーなブルーグラス・バンドって、他にないよね?

2015/12/28

鯰のブルーズ、またの名を転石

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アクースティック・ギター弾き語りのミシシッピ・デルタ・ブルーズマンでは、チャーリー・パットンやロバート・ジョンスンより、1930年のサン・ハウスが一番凄いと思っていて、それは「マイ・ブラック・ママ」でそう思っているわけだけど、好みだけなら、実はロバート・ペットウェイが一番だ。

特に、みなさん大好きな1941年録音「キャットフィッシュ・ブルーズ」が、僕もなんともたまらなく大好きなんだよねえ。「キャットフィッシュ・ブルーズ」は、マディ・ウォーターズで有名になったご存知「ローリン・ストーン」の原曲で、それも別にペットウェイがオリジナルというのでもない。

以前も書いたように、特に戦前のカントリー・ブルーズのレパートリーの多くは、黒人コミュニティの共有財産みたいなもので、いつごろ誰が作った曲なのか分らないまま、いろんなブルーズマンによって歌い継がれてきているというもの。デルタ地帯では、「ウォーキング・ブルーズ」などもそうだね。

「ウォーキング・ブルーズ」は、ロバート・ジョンスンのヴァージョンが有名になって、その後、ポール・バターフィールドやエリック・クラプトンなど、たくさんの英米のブルーズ・ロック系ミュージシャンが取上げたけど、これだってパブリック・ドメインだし、「ローリン・アンド・タンブリン」もそう。

パブリック・ドメインなどの共有財産でなくても、先輩ブルーズマンの曲を下敷に焼直して、さも自分のオリジナルであるかのように仕立て上げて録音するというのは、別にブルーズに限らず、どんな音楽でも、あるいは文学作品など、どんな文化でもそういうものだ。無から何かが産まれるなんてことはない。

そういうものではあるけれど、やはり個人的に一番グッと来る魅力的なヴァージョンというものが誰でもあるはずで、僕にとっての「キャットフィッシュ・ブルーズ(ローリン・ストーン)」は、ロバート・ペットウェイに決っているというわけなのだ。
ギターもヴォーカルもいいよねえ。僕がロバート・ペットウェイと「キャットフィッシュ・ブルーズ」を知ったきっかけは、例の『RCAブルースの古典』だ。このLP三枚組、多分大学生の終り頃に買ったレコードだったと思う。タイトル通り、ブルーバード等RCA系の戦前ブルーズのコンピレイション。

今はCD二枚組で復刻されている『RCAブルースの古典』は、CD時代になってからのPヴァイン盤『戦前ブルースのすべて』四枚組と並んで、僕の手引というかバイブルみたいなものとして愛聴していた。特に前者は、以前書いたPヴァインの『シカゴ・ブルースの25年』とかより、圧倒的に好きだった。

『RCAブルースの古典』に入っているロバート・ペットウェイの「キャットフィッシュ・ブルーズ」。一発で大好きになったので、すぐに彼の他の曲も聴きたいと思ったんだけど、僕の探し方が悪かったのか、当時アナログ盤では全く見つけられなかったし、CD時代になってからもしばらくそうだった。

「キャットフィッシュ・ブルーズ」以外のロバート・ペットウェイの録音を聴いたのは、何年頃買ったのか忘れたけど、Wolf Recordsから出た『ミシシッピ・ブルーズ』という一枚物コンピレイションCDだ。CD付属の解説の文章の日付が1991年になっているから、その頃に出たものだろう。

Wolf盤の『ミシシッピ・ブルーズ』は、ロバート・ペットウェイの録音14曲(1941/42年録音)と、オットー・ヴァージルの三曲(35年録音)、ロバート・ロックウッドの六曲(41/51年録音)を合せたもので、ロバート・ペットウェイの録音をまとめたものは、僕はこれしか知らない。全録音は16曲なんだけど、あと二曲はどれに入っているの?

Wolfは版権の切れた古いブルーズの復刻専門レーベルだけど、ロバート・ペットウェイの録音は全部ブルーバード・レーベルへのものだから、本家RCAがまとめて出していてもよさそうなものなのになあ。まあ出ているのかもしれないけど、Wolf盤で満足している僕は探していないというだけ。

ロバート・ペットウェイの特徴は、なんといってもその迫力のある濁声ヴォーカルだろう。ギターだってタイトでヘヴィー、弾けるようなリズムとドライヴ感と、かなり魅力的だよねえ。一般的には抜群のリズム感と繊細なギター・ワークへの評価が高いようだけど、僕は歌声の魅力も大きいと思っている。

それらギターとヴォーカルの特徴が凝縮されて最高のブルーズ表現になっているのが「キャットフィッシュ・ブルーズ」なわけだ。これ以外の曲は、はっきり言ってしまうと、トミー・マクレナンの「ウィスキー・ヘッド・ウーマン」のパクリが多いんだけど、それらも個人的にはマクレナンより好きなんだよね。

1930年のペットウェイはトミー・マクレナンとつるんで活動していたようだから、マクレナンからかなりいろいろとパクったというか吸収したんだろう。マクレナンだって僕は好きなデルタ・ブルーズマンで、ある時期(1990年代?)に本家RCAからブルーバード録音全集が出たのを愛聴している。

ペットウェイの全録音14曲のうち6曲はマクレナンとの共演で、最初Wof盤を見た時に「イン・ジ・イヴニング」があるから、ひょっとしてあのリロイ・カーの有名曲かと思ったんだけど、全然違う曲だ。リロイ・カーといえば、デルタ・ブルーズマンでも、ロバート・ジョンスンはかなり彼から吸収しているけど。

ロバート・ペットウェイの録音は全部1941/42年だから、ロバート・ジョンスンの録音よりも時代は新しい。だからある意味戦前ブルーズ界最大の存在とも言えるリロイ・カーの影響が、ロバート・ジョンスン同様あってもおかしくはないんだけど、やはり生粋のデルタ・スタイルのブルーズマンなんだね。

ロバート・ジョンスンの場合は、個人的には、「イフ・アイ・ハッド・ポゼッション・オーヴァー・ジャッジメント・デイ」みたいな生粋のデルタ・スタイルな曲よりも、「ラヴ・イン・ヴェイン・ブルーズ」みたいなシティ・スタイルの影響が強い曲の方が好きなんだけど、この好みは彼の場合だけなのだ。

ロバート・ジョンスンは1936/37年の録音しかないから、古い人だと思われているかもしれないけど、同じデルタ地帯出身のマディ・ウォーターズよりわずか二年早く産まれただけの、新時代の新感覚デルタ・ブルーズマンで、書いたようにリロイ・カーなどシティ・ブルーズからの影響も色濃く見える。

マディが戦後シカゴに出てモダンなブルーズをやったように、二年だけ先輩のロバート・ジョンスンも、もっと長生きしたら、同じようなことになっていたはず。そしてそれに比べて、ロバート・ペットウェイやサン・ハウスやトミー・マクレナンなどの生粋のデルタ・ブルーズマンが、僕はやっぱり好きなんだよね。

これはシティ・ブルーズよりデルタ・ブルーズの方が好きだという意味では、必ずしもない。僕は都会の音楽であるジャズ好きだけあって、ブルーズでもどっちかというと洗練されたシティ・ブルーズ、特に何度も書いているように1920年代のクラシック・ブルーズの女性歌手が大好きだからね。

なお、ロバート・ペットウェイは時代を超えてジミ・ヘンドリクスなどにも影響を与えていて、ジミヘンが「キャットフィッシュ・ブルーズ」をやっているのはかなり有名だから、みなさんご存知のはず。
https://www.youtube.com/watch?v=Sn4FpnuGFu0

(追記)調べてみたら、Wolf盤『ミシシッピ・ブルーズ』に入っていない「ハード・ワーキング・ウーマン」「アーント・ノーバディーズ・フール」の二曲は、録音はされたものの、発売されなかったことが分りました。

2015/12/27

「イン・ア・サイレント・ウェイ」と「リコレクションズ」は異名同曲

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マイルス・デイヴィスをよく聴き込んでいるファンの方々には説明不要のことだけど、1998年リリースの『コンプリート・ビッチズ・ブルー・セッションズ』で初めて世に出た70年2月録音の「リコレクションズ」。これはちょうどその一年前69年2月録音の「イン・ア・サイレント・ウェイ」と異名同曲だ。

まず音源を貼っておこう。
「イン・ア・サイレント・ウェイ」→ https://www.youtube.com/watch?v=D_VUbu4AKWg
「リコレクションズ」→ https://www.youtube.com/watch?v=xOXVJRehefw
これだけ聴いても、同じ曲ではないかとピンと来る耳のいい人も大勢いるはずだ。

僕はと言えば、「イン・ア・サイレント・ウェイ」の方は耳にタコができるくらい聴き込んでいたのに、最初に「リコレクションズ」を聴いた時には、同じ曲だとピンと来ることができなかった。同じ曲だと気付いたのは、この曲の作者ジョー・ザヴィヌルのウェザー・リポート結成前のソロ作『ザヴィヌル』を聴直した時。

その『ザヴィヌル』(1971年)収録の「イン・ア・サイレント・ウェイ」→ https://www.youtube.com/watch?v=SqyepMYvUac これだって随分前から聴いていたはずなんだけど、どういうわけか、これのことを思い出せなかった。聴直すと、これの前半部分が「リコレクションズ」になっていることが分る。

「イン・ア・サイレント・ウェイ」がザヴィヌルの曲であることはよく知られているけど、「リコレクションズ」の方も作曲はザヴィヌル。どうしてこういう具合に、同じ曲がマイルス・ヴァージョンでは二つに分れてしまっているのか、いろいろと推測は付くけれど、僕の考えた結果を以下に述べておこう。

ザヴィヌルの「イン・ア・サイレント・ウェイ」は元々は1969年2月のマイルスの録音のためにザヴィヌルが書下ろしていった曲。それの原曲がどういう形だったのかは、もはや分りようがない。しかし、「ザヴィヌルの持ってきた曲はコードのたくさんある複雑な曲だった」とマイルスは回想している。

マイルスは常々「他人の曲をそのまま使うな、一つ足したり二つ引いたりして使うんだ」と語っている。実際、「イン・ア・サイレント・ウェイ」録音の時も、最初はザヴィヌルの書いた通りに演奏してみたものの、どうもしっくり来ず、それでかなり変えたらしいことが、いろんな証言から分っている。

推測するに、先ほど貼った『ザヴィヌル』ヴァージョンの「イン・ア・サイレント・ウェイ」が、彼が当初書いた原曲に一番近かったのではないだろうか。確かにこれはちょっと複雑な形の曲だ。マイルス・ヴァージョンとはだいぶ違う。聴き比べると分るけど、ここから前半部をマイルスはばっさり切ってしまった。

マイルスはそうやって原曲から複雑な部分を取除き、しかも後半部分もコードがたくさんあるのを、E一個だけのモーダルな感じにしてしまった。さらに最初に出るジョン・マクラフリンに「ギターの弾き方が分らないといった風に弾け」と指示して、それによってああいった雰囲気の出だしになったわけだ。

このマイルスの目論見が見事に成功していることは、その結果できあがった、現在聴けるマイルス・ヴァージョンの「イン・ア・サイレント・ウェイ」で、誰でも実感することができる。原曲の牧歌的な雰囲気もよく表現できているし、このヴァージョンの「サイレント・ウェイ」のファンが多いのも納得だ。

しかし、自分が書いて持っていった自慢の曲を徹底的に換骨奪胎されたザヴィヌル自身は、あまり面白くない気分だったのかもしれない。1968年末の「ディレクションズ」以来70年初め頃まで、ザヴィヌルはマイルスのレコーディングにしばしばオリジナル曲を持参し、レコーディングにも参加している。

それであまり気分がよくなかったであろうザヴィヌルは、「イン・ア・サイレント・ウェイ」録音で取除かれてしまった原曲の前半部分だけを、もう一度<別の曲>に作り直して、一年後の1970年2月のマイルスとのセッションに持参し、それを「リコレクションズ」として再録音することにまんまと成功してしまった。

「イン・ア・サイレント・ウェイ」という曲は、そもそもザヴィヌルの出身のオーストリアはウィーンでの少年時代への郷愁をイメージして書いたものらしいから、リメイクした曲のタイトルが「リコレクションズ」(想い出)なのも、なんだか意味深だ。元が同じ曲なのは、もはや間違いない。

もちろんすぐにリリースされた「イン・ア・サイレント・ウェイ」とは違って、「リコレクションズ」の方はお蔵入りして、1998年までリリースされなかったから、ザヴィヌルの目論見が完全に成功したとは言い難い。お蔵入りしたくらいだから、マイルスやプロデューサーのテオ・マセロも気付いていたのかも。

実際、お蔵入りしてしまったこともあってか、ザヴィヌルは同じ1970年録音の自身のリーダー・ソロ・アルバム『ザヴィヌル』で、原曲通りに再び録音して、それが71年にリリースされた。そして、こういった一連のザヴィヌルの行動に、僕はコンポーザーとしての彼の非常に強い意思を感じてしまうのだ。

そしてそういうコンポーザーとしてのザヴィヌルの非常に強靱な意志とこだわりこそが、ウェザー・リポート結成後、このバンドを大成功に導いた一番大きな要因だったように思うのだ。以前書いた通り、ごく初期以外のこのバンドは、スタジオ録音ではほぼ完全にザヴィヌルの書いた譜面が存在していた。

なお、「イン・ア・サイレント・ウェイ」は、ウェザー・リポートもライヴの定番レパートリーにしていて、CD化されているものだけでも『8:30』のと『ライヴ&アンリリースト』の二つのヴァージョンが存在する。しかしそのどちらも、マイルス・ヴァージョンに準じた演奏だ。

独裁体制を敷く自分のバンドであるウェザー・リポートで、どうして原曲通りではなく、換骨奪胎されているマイルス・ヴァージョンに準じた演奏だったのか、その辺りザヴィヌルの胸中はよく分らない。ひょっとしてマイルス・ヴァージョンの方が売れてファンに定着しているという商業的理由だったのかもしれない。

また1991年夏のマイルスのパリ同窓会セッション・ライヴでも、(ウェザー・リポート解散後)ザヴィヌルはウェイン・ショーターとともに、「イン・ア・サイレント・ウェイ」を披露していて、そこでもマイルス・ヴァージョンそのままだ。御大がその場で聴いているという理由も大きかったはず。

マイルスもこの曲は非常に気に入っていて、1970年の『ジャック・ジョンスン』に、「イン・ア・サイレント・ウェイ」を挿入してもいいかとザヴィヌルに電話して断られたというエピソードが残っている。しかし、81年の復帰後88年のライヴ・ステージでは、この曲をオープニング・ナンバーとして使っていた。

その1988年マイルスのライヴ・オープニングの「イン・ア・サイレント・ウェイ」は、僕は同年八月の東京公演で聴いた。その後各種ブート盤で聴けるようになっていたけど、1996年に出た『ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド』に、同年ニューヨークでの演奏が収録されているので、誰でも簡単に聴けるようになっている。

2015/12/26

ジョニー・ホッジズのアルトはどうしてこんなにエロいのか?

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以前デューク・エリントン楽団の『グレイト・パリ・コンサート』のことを少し書いたけど、それは主にエリントンのピアノがセロニアス・モンクのピアノ・スタイルの源流になっているという話だった。冒頭の「ロッキン・イン・リズム」のドライヴ感にKOされたことも書いた。でも最初に聴いた時、感銘を受けたのはそれだけじゃない。

「ロッキン・イン・リズム」に続く三曲のジョニー・ホッジズをフィーチャーしたメドレーにも、最初に聴いて一回で完全にやられてしまった。「明るい表通りで(On the Sunny Side of the Street)」〜「スター・クロスト・ラヴァーズ」〜「オール・オヴ・ミー」の三曲。
 
1963年の録音で音質がいいこともあって、ジョニー・ホッジズの艶っぽいアルト・サックスの魅力が非常によく分る。初めて買ったエリントン楽団のレコードだったんだから、当然ながらホッジズのアルトを聴いた最初でもあった。

特に「明るい表通りで」は、ホッジズの十八番(オハコ)。これをエリントン楽団がライヴでやる時は、いつでもホッジズをフィーチャーしていた。もっとも、この曲をホッジズが初めて吹いたのは、エリントン楽団でではない。1937年のライオネル・ハンプトンのヴィクター録音に参加して吹いたのが初。
歌っているのはハンプトン。この1930年発表の曲のジャズマンによる初演は1933年のルイ・アームストロングによるもので、戦後もしばしば演奏して歌っているでの、サッチモのヴァージョンで馴染み深いファンも多いはず。

僕にとっては、この「明るい表通りで」という曲は、やっぱりホッジズのアルト演奏なんだなあ。エリントン楽団では、アイヴィー・アンダースンの歌をフィーチャーして、ハンプトンのヴィクター録音の翌年1938年に、コットンクラブでライヴ録音したのが初。ホッジズのアルトも歌が出る前に出てくる。

余談だけど、ハンプトンの1930年代後半ヴィクター録音で、ホッジズが出てくる曲の中で、昔から一番好きなのが、この「リング・デム・ベルズ」。素晴しい疾走感だよねえ。クーティー・ウィリアムズお得意のワーワー・ミュート・プレイもいい。ドラムスもいいね。
このドラムスを叩いているのは、エリントン楽団のソニー・グリアなんだけど、こんなに軽快にスウィングするドラマーだとは、エリントン楽団を聴いていても分らなかったんだなあ。となると、当時のエリントン楽団の、あの重たいリズム感は、グリアのせいじゃないのかな?バンジョーが入っているせい?

まあそれはちょっと分らないけど、いずれにしても、この「リング・デム・ベルズ」を聴いていると、ジャンプの聖典にして「最初のロックンロール」とも言われる、1942年自楽団での「フライング・ホーム」まであと一歩だという気がする。僕には黒人スウィングとジャンプの境界線はよく分らない。

『グレイト・パリ・コンサート』に話を戻すと、メドレー二曲目の「スター・クロスト・ラヴァーズ」などは、もうホッジズによる官能世界の極地だという感じがする。元はシェイクスピアにモチーフを取った1957年の『サッチ・スウィート・サンダー』に入っている、エリントンとストレイホーンの共作。
お分りの通り、当初からジョニー・ホッジズの官能的で艶っぽいアルトを想定したような曲。ここでも聴かれるけど、『グレイト・パリ・コンサート』でのライヴ・ヴァージョンの方が、よりエロ度が増している。特にグリッサンドの使い方などはもうたまらんね。どうしてこんなにエロいんだ、ホッジズ?

オリジナル・ヴァージョンでも『グレイト・パリ・コンサート』ヴァージョンでも、ホッジズが吹き始めてすぐに入る木管三本によるアンサンブルも、元々「ムード・インディゴ」などで使われるようになった独自のエリントン・ハーモニーで、本当にウットリと聴惚れてしまう。

ホッジズがエリントン楽団に加入したのは1928年。でも、レスター・ヤングの音色の細さが戦前録音ではイマイチ伝わらないように、その頃から40年代半ばまでのSP時代の録音では、ホッジズのアルトのまろやかさも分るような分らないような。僕にも分りやすくなったのは、56年に再加入してからだなあ。

こういうアルト・サックスの音色を、ジャズを聴始めた最初の頃に聴いてしまったせいで、その後はどんなアルト奏者の音を聴いても、艶っぽさが足りないような気がしてしまう。同じアルトなら、ホッジズとほぼ同世代のベニー・カーターが似ているけど、それよりソプラノのシドニー・ベシェに近いよね。

近いというか、シドニー・ベシェは、初期ホッジズの最も大きな影響源だったはず。ホッジズは最初の頃はソプラノも吹いていたし。ホッジズはベシェのソプラノを聴いて、あのアルトの音を作り上げたに違いない。チャーリー・パーカーも、ホッジズを通じて間接的にベシェの影響を受けている。

モダン・ジャズのアルト奏者では、そのパーカーの太くて丸い(そして矛盾するようだけど、鋭い)音色くらいだ、ホッジズの音色に近いのは。音色だけならソニー・クリスもかなり似ているけれど。あとは、エリック・ドルフィーだなあ。ドルフィーは間違いなくパーカーを聴いて、あのサウンドを作り上げたわけだけど、その結果、ホッジズにも近いことになっている。

ジャズの世界の人じゃないけど、同じ楽器なら、ジェイムズ・ブラウンのバンドやPファンクなどで活躍した、メイシオ・パーカーが近いような気がする(彼はテナーも吹くけど)。プリンスの『ワン・ナイト・アローン…ライヴ!』にも参加していて、色っぽいサックスを聴かせてくれている。

ポピュラー音楽のサックスの世界では、(コールマン・ホーキンスではなく)シドニー・ベシェこそがオリジネイターだろうけど、ソプラノでは、彼を継承する人がなかなか出てこなかった。楽器自体一般的になるのはコルトレーンが使い始めた1960年代以後だし。その点、ホッジスは人気のあるアルトで、ベシェを継承し、後世に大きな影響を残したんだろうね。

2015/12/25

年間ベストテン2015〜新作篇・リイシュー篇

1995年以来欠かさず書続けている、私的な音楽年間ベストテン。ブログをはじめた今年も、ここ数年の慣例に従って、今日12/25日クリスマスに発表する。なお、これは今年リリースされたものが対象ではなく(そもそも僕が多く買っているジャンルでは、すぐには買えないものが多いから)、今年「買った」ものが対象。

【新作篇】

(1) Lệ Quyên / Vùng Tóc Nhớ

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三年前からちょっとだけは聴いていたヴェトナム人女性歌手レー・クエンの2014年作。これがもう圧倒的に素晴しくて、ウットリと聴惚れるまま現在に至る。何度聴いても素晴しい以外の言葉が出てこず、いまだに完全に骨抜き状態。
(2) Dorsaf Hamdani / Barbara Fairouz

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現在フランスに住み欧州を中心に活動しているチュニジア出身女性歌手の2014年暮れの作品。アラブ歌謡の人だけど、シャンソンとアラブ歌謡を絶妙なアレンジで違和感なく溶け込ませた傑作。
(3) Gochag Askarov / Sacred World of Azerbaijani Mugham

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アゼルバイジャン人男性歌手の、これはどうやら2012年作らしい。知ったのが今年一月だったというなんとも遅すぎた出逢いだけど、強靱極まりない声はおそらく現役男性歌手では世界最強だろう。ペルシャ古典声楽のタハリール唱法の影響も聴ける。


(4) Faada Freddy / Gospel Journey

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セネガルのヒップホップ・ユニット Daara J の男性ヴォーカルによる、楽器なしで声と体を叩く音だけで創り上げたコーラス・ミュージック。単なるアフリカ音楽の枠を大きく越えた普遍的作品。



(5) Nina Becker / Minha Dolores: Nina Becker Canta Dolores Duran

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ブラジル人女性歌手が、サンバ・カンソーンの大先輩ドローレス・ドゥラーンの歌をカヴァーした作品。ニーナの歌もいいし、ショーロ風なシンプルな伴奏もステキ。
(6) Oliver Mtukudzi / Mukombe We Mvura: Live at Pakare Paye

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サハラ以南のブラック・アフリカものでは、ファーダ・フレディとともによく聴いた。同じジンバブウェの音楽家による今年の作品では、個人的にはトーマス・マプフーモよりこっちが好き。



(7) Manu Théron, Youssef Hbeisch, Grégory Dargent / Sirventés: Chants fougueux des Pays d’Oc

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オック語で歌う南仏の音楽トリオ。ウードとダルブッカ中心のアラブ風味濃厚なサウンドが大の僕好み。3ピース・バンドでのソリッドなグルーヴ感は、クリームやジミ・ヘンドリクスを彷彿とさせる。




(8) Tigran Hamasyan / Mockroot

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同じ音楽家による同じく今年の作品では、ECMから出たアルメニア宗教音楽集も面白くて、どっちを選ぶか大いに迷ってジャズ的なこっちになった。もっとも僕は現代ジャズだと思って聴いているわけではない。



(9) María Simoglou Ensemble / Minóre Manés: Rebétika songs of Smyrna

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タイトルが示す通り、現代ギリシア人音楽家によるスミルナ派レンベーティカ集。僕には完全にトルコ古典歌謡にしか聞えない。現在世界中で最も好きな種類の音楽。同じ趣向のTAKIMもよかったけれど、こっちを。
(10) Luis Barcelos / Depois Das Cinzas

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第五位に選んだニーナ・ベケールの作品でも弾いている十弦バンドリン奏者による、完全トラディショナル・スタイルのショーロ・カリオカ。こういうブラジル音楽が、個人的には一番しっくり来る。



新作篇ではその他にも、HK・エ・レ・サルタンバンク(フランス)とかアリレーザ・ゴルバーニ(イラン)とかヒバ・タワジ(レバノン)とか、選外にしたけれど素晴しい作品があって、どれをベストテンに入れるか大いに迷った。メモしてある手許のテキスト・ファイルでは35位まで記載されている。

【リイシュー・発掘篇】

(1) v.a. / Great Singers of the Republic of Azerbaijan

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リイシュー篇第一位は断然これ。アリム・ガスモフくらいしか聴いていなかった僕の脳天にはムチャクチャ衝撃だった戦前古典ムガーム歌手達の物凄さ。
(2) E.T. Mensah & The Tempos / King of Highlife Anthology

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第一位を聴くまでは、これが今年のリイシュー篇第一位になるに違いないと信じ込んでいた、ガーナのハイライフ音楽家の素晴しいアンソロジー。リイシュー意義では、今年リリースされたものではNo.1だったかも。



(3) Alexis Zoumbas / A Lament For Epirus 1926-1928

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荻原和也さんのブログで知った(新作篇第十位といい、その他といい、ホントそんなのばかりで、感謝します!荻原さん!)、ギリシア人ヴァイオリニストのアメリカ録音。ドッキリするほど生々しい音が驚き。まるで演奏家の息づかいまでも聞えてくるかのよう。


(4) Sly and the Family Stone / Live at the Fillmore East: October 4th & 5th, 1968

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個人的にこの音楽家は1968/69年頃が一番好き。その時期の未発表ライヴ四枚組なんて最高。アッパーなファンク・チューンのメドレーは、一番好きな1969年ウッドストックでのライヴ・パフォーマンスに匹敵する興奮。



(5) Duke Ellington / The Conny Plank Session

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クラウト・ロックで有名なコニー・プランクがエリントンも録音していたとは。それも驚きだったけれど、エリントン楽団の演奏も過激で前衛的。これはもうジャズなんかじゃないね。



(6) Lee Dorsey / Yes We Can

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今年亡くなったアラン・トゥーサン・プロデュースによる(従って当然バックはミーターズ)、1970年のニューオーリンズ・ファンクの名盤。CDでは初めてマトモな形でリイシューされ、大きな喜びだった。



(7) Eddie Condon / Classic Sessions 1927 - 1949

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去年出ていたことに今年気付いた、大好きなシカゴ派ディキシーランド・ジャズの最重要人物エディ・コンドンの古典録音集。彼の1920〜40年代録音コンプリート集を早くどこか出してくれ。
(8) v.a. / A Century of Âvâz: An Anthology of The Contemporary Art of Singing in Persian Classical Music

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ペルシャ古典声楽アーヴァースの名唱集。タハリール唱法をたっぷり聴け、周辺の西アジア地域の音楽に与えた影響も分る。




(9) Lead Belly / The Smithsonian Folkways Collection

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レッドベリーによる古いアメリカーナばかり五枚組。うち未発表録音16曲。ライ・クーダーなどのファンなら必聴のアンソロジーで、再発見多数。




(10) v.a. / Highlife On The Move

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第二位のE.T. メンサーと同じくハイライフのアンソロジーだが、こっちはナイジェリアも含む。好みだけならこっちだったかも。フェラ・クティの最初期録音その他初めて聴くようなものばかり。




なお、ボブ・ディランの『カッティング・エッジ』も、1965〜66年という一番好きな時期だから、聴きたくてたまらないんだけど、安めの輸入盤でも一万円以上もするので、まだ買えていない(買って聴いていたら、間違いなく上位に入っていたはず)。未発表集とはいえ過去音源のたったの六枚組なのに、どうしてそんな高値なんだ?

リイシュー篇は、メモしてある手許のテキスト・ファイルでも23位までしか記載されていない(新作篇の35位までといい、どっちも買って聴いたもの全部ではなく、良かったと思うものだけメモする)ので、あんまりは聴いておらず、新作篇ほどの充実ぶりではなかったけれど、それでもそれなりに面白かった。新作篇・リイシュー篇ともに、2015年も大変楽しい音楽ライフでした。

2015/12/24

バロックなクリスマス・ミュージックはいかが?

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他の方に比べたら、季節や時間に応じて聴く音楽を変えるということをあまりしない僕。炎天下の真夏に「枯葉」を聴き、よく晴れた早朝から「ラウンド・ミッドナイト」を聴く。だけど今夜はクリスマス・イヴだから、たまにはたくさんあるクリスマス・アルバムの中から、好きなものの話でもするとしよう。

今の僕が一番好きなクリスマス・アルバムは、英ロック・バンド、ジェスロ・タルの『クリスマス・アルバム』だ。これはるーべん(佐野ひろし)さんに薦めていただいて買って聴いてみて大正解だった。昨晩は大々的にるーべんさん批判を展開したけれど、別に僕はるーべんさんが嫌いになったわけでもない。

米英のポピュラー・ミュージックについては、僕などが足元にも近寄れないほど広く深く聴いているるーべんさん(僕の方が詳しいなんてのは、マイルス・デイヴィス関係だけのはず)だから、1995年にネットをはじめた直後に知合って以来(オフ会でも三度ほどお会いした)、別離するまで非常にたくさんの音楽を教えていただいて、今でもそれが僕の血肉になっている。

僕はあまり熱心なジェスロ・タル・リスナーではなかった、どころの話ではなく、以前なにか一つ・二つ聴いてみて、これは全然僕好みのバンドじゃないなと思って以来、放棄したまま全く聴いていなかった。『アクアラング』だったか『シック・アズ・ア・ブリック』だったかなんだったか忘れたけれど。

そもそもフルートが入るハード・ロックというのが、僕には全く理解できなかったもんなあ。フルートという楽器自体は大好きで、クラシックでもジャズでもラテン音楽でも、フルートが聞えてくると気持いいもんねえ。好きなものはムチャクチャたくさんあって、特にサルサなんかで鳴るのはたまらないよねえ。

マイルス・デイヴィス+ギル・エヴァンスの『マイルス・アヘッド』B面三曲目の「ザ・ミーニング・オヴ・ザ・ブルーズ」12秒目でフルートのアンサンブルが導入として入るんだけど、あのアルバムで僕が最も好きな瞬間の一つなのだ。あるいはスティーヴィー・ワンダーの「アナザー・スター」(『キー・オヴ・ライフ』)とかもね。

だけどジェスロ・タルの場合、ハード・ロックにフルート一本というのは、これはなんなんだろうと思っちゃった。もちろんいわゆるブラス・ロックでも全然ない(ジャズ・ファンだからブラス・ロックは好きな僕)し、ああいうサウンドをどう楽しんだらいいのか、僕にはサッパリ分らなかったんだよねえ。

だから長年全く聴かないままだったところに、るーべんさんから「ジェスロ・タルのクリスマス・アルバムは凄くいいぞ」と教えてもらって、それでも半信半疑ながらるーべんさんファンだったので信用して買って聴いてみたら、これが物凄くいいんだよねえ。あれは2003年だから、るーべんさんと完全に決裂する直前だなあ。

『クリスマス・アルバム』は、2003年の作品にしてジェスロ・タルの最後のスタジオ・アルバムになる。僕の世代は、ハロウィンには全く馴染がなかったけれど、クリスマスは当然子供の頃から親しんできて、いろんなクリスマス・ソングも知っているし、大学生の頃からはキリスト教会に行くこともある。

しかしジェスロ・タルの『クリスマス・アルバム』には、僕ら日本のキリスト教徒ではない音楽ファンが知っているような有名曲は殆ど入っていない。五曲目の「ガッド・レスト・イェ・メリー、ジェントルメン」と、11曲目の「グリーンスリーヴド」だけじゃないかなあ、聴く前から僕が知っていたのは。

それ以外は、伝承曲かJ・S・バッハやフォーレによるクラシック作品か、それ以外は全部イアン・アンダースンのオリジナル・ナンバーだ。それが最初に聴いた時からもう大変に心地よくて、アルバム全編通して一貫した雰囲気があって、しかもちょっとエレキ・ギターが出てくる他は、アクースティック風。

メインがアクースティック・ギターだし、マンドリンなども聞え、派手なドラムスは入らず控目で、ベースはエレベだけれど地味だし、シンシンと雪が降るようなクリスマス・イヴにピッタリの静謐な雰囲気の音楽だから、2003年に初めて聴いた時も気に入ったけれど、僕の最近の音楽趣味にピッタリだ。

イアン・アンダースンのフルートをフィーチャーするインストルメンタル曲もいくつかあって、なんて上手いフルート奏者なんだ、ひょっとしたらこの人はあらゆる音楽ジャンルを通じて現代最高のフルート奏者なんじゃないかと思うくらいだった。みなさんご存知らしく、僕は気付くのがなんとも遅すぎた。

あの『クリスマス・アルバム』は全編を通して、バロック音楽風だ。これはJ・S・バッハの曲(15曲目)をやっているせいだけじゃなく、プロデュースも務めるイアン・アンダースンの音楽的意向だったはず。それに沿って、従来からのオリジナル曲や伝承曲などのアレンジも創り上げたはず。

だからアルバム・ジャケットみたいに雪が降り積る中世の城みたいな風景によく似合う音楽(つまり、このアルバム・ジャケットは中身の音楽にピッタリだ)で、こちら愛媛県では今日は快晴でポカポカだったので、ちょっと似合わないような気もするけれど、聴直してみたら、やっぱりこれは最高のクリスマス音楽だね。

これをるーべんさんに教えてもらって聴いて最高に気に入って以来、イアン・アンダースンとジェスロ・タルのことを考え直して、CDで買い直して聴くようになった。全く聴いていなかったイアン・アンダースンのソロ・アルバムも、書いたように現代最高のフルート奏者だと思うから、買って聴いて気に入った。

イアン・アンダースンのフルートも、キレイな音ばかりではなく、時々ブワ〜〜ッと震えるというかちょっと音が濁るような瞬間があって、やはりフルートでも濁った音が好きだという、歪み音大好きな性分の僕。声と一緒に出しているように聞える瞬間もあり、大好きなジェレミー・スタイグを思わせることもある。

みなさんよくご存知のスタンダードなクリスマス・ソングをやっているものでは、フィル・スペクターの1963年『ア・クリスマス・ギフト・フォー・ユー・フロム・フィル・スペクター』が一番好き。こっちはポピュラーな曲ばかり。僕はフィル・スペクターのいわゆるウォール・オヴ・サウンドの大ファン。

でもまあフィル・スペクターのクリスマス・アルバムの方は、本当に有名曲ばかりだから、最高に楽しいけれど、新鮮さや目新しさは全くない。それに比べてジェスロ・タルのクリスマス・アルバムの方は、今聴いても新鮮だし、バロックな雰囲気がクリスマス・イヴにはピッタリだし、言うことないね。

ちょっとケルト音楽風なニュアンスも感じるジェスロ・タルの『クリスマス・アルバム』。大変素晴しいから、お聴きでない方も是非聴いてみてほしい。やはり元々はケルト文化であるハロウィンにも、こういう素晴しい音楽アルバムがあれば、僕などももっと楽しめるのになあ。

2015/12/23

辺境音楽??

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14年ほど前、ネット上でるーべん(佐野ひろし)さんが、ブラジルやアフリカの音楽を「辺境音楽の面白さ」と表現し、僕はそれにかなりカチンと来て、音楽大国ブラジルを辺境とはおかしいだろうとか、中心か辺境かは視点の置き方次第で自在に変るのであって、見方次第でセネガルだって「中心」になると反論した。

そうしたら、るーべんさんからは「出た!とうよう節!」と言われ、僕の場合、これは大学生の時にレヴィ・ストロースや山口昌男やそれを転用した大江健三郎の小説『同時代ゲーム』などから学んだもので、それを思い出して音楽論に応用しただけで、中村とうようさんはなんの関係なかったのだった。

だから僕は一層頭に来て、るーべんさんと大喧嘩になり、ネット上の他のメンバーからは呆れられ、るーべんさんとも(僕のなかでは)これが遠因になって仲が悪くなり仲違いし、結局1995年のパソコン通信<ロック・クラシックス会議室>以来続いていた音楽仲間集団も、霧散してしまうことになった。

『レコード・コレクターズ』では、その当時も現在も、アメリカ黒人音楽と、それがベースになっている米英ロックの記事オンリーのるーべんさんだけど、それ以外の音楽、なかでもワールド・ミュージックを聴いていないとか、面白さが分っていないとかいうわけでは全然ない。かなり話題にしていたし。

僕などがワールド・ミュージック関連の話題を持出すと、時々絡んでくれていたし、自分からも、アフリカものだと、マヌ・ディバンゴが最高だとか、ショナ族のムビラの話題とか、ブラジルものだと、ピシンギーニャやジャコー・ド・バンドリンなどの古いショーロの話題も、盛んに取上げて面白いと言っていた。

ただ、やはりアメリカ合衆国こそがマーケット的には世界最大の音楽の「中心地」であるという意識がるーべんさんからは抜けなかったようで、マーケット的な意味合いだけならこれは非常に正しいんだろう。しかし中身の音楽の本質を「中心/辺境」という二項対立で考えるのには、僕は大反対だったのだ。

るーべんさんはビョークの大ファンでもあって、当時いろんな人に彼女のアルバムを薦めていたんだけど、彼女の出身地であるアイスランドを「氷と火山の国」と表現していて、そういうステレオタイプに凝り固まった表現はよした方がいいのでは?と僕が言うと、いや、一般の多くのファンにはそうなんだと。

アフリカ音楽なんかでも、「一般の」多くの音楽ファンが抱くイメージは、太鼓がドンドンと鳴って人が叫ぶようなものだろうと発言していた。『ショナ族のムビラ』なども愛聴盤だったらしいから、るーべんさん自身の考えではなく、世論を代弁したということだったんだろうけど、それでもちょっとなあ。「未開」「野蛮」「土人」といった、かつての欧州列強による植民地主義根性そのものじゃないかと思うんだけど。

もちろんアフリカの音楽には、打楽器が派手に鳴り響くものが結構あるけど、僕に言わせたら、米英ロックやジャズ系音楽のドラムセットの出す音の方が、はるかに派手でうるさいような気がするけどなあ。そもそもドラムセットは19世紀末の発明で、これを使っている大衆音楽の方が伝統的に見たら少ない。

ラテン音楽でも、割と最近までドラムセットは使っていなかった。後半のモントゥーノ部分がアフリカ的なキューバのソンでも、ボンゴくらいしか打楽器はないし、その他の中南米音楽でも1970年代くらいまでドラムセットを使っているものはかなり少ない。使うようになったのは米国音楽の影響だ。

米国音楽の影響という意味では、アフリカ音楽でも、あるいはその他世界中の大衆音楽でドラムセットが入り始めるのも、これは全部アメリカ大衆音楽の拡散力によるものだろう。今ではトラディショナルなスタイルでやるような音楽以外は、だいたいみんな使っている。ここ最近は打込みの場合が多いけど。

それほどアメリカ大衆音楽(と西洋近代音楽の和声体系)の影響力は絶大だから、るーべんさんだけじゃなくいろんな方々が、アメリカ合衆国を視点の中心に据えて、他国のものの面白さを「辺境音楽」だから面白いと発言するのには、全く根拠のないことではないし、僕も理解できないわけではないのだが。

例えば、先に触れたるーべんさんも大好きなビョークは、普通のドラムセットを使っているものは、ごく初期を除けば殆どない。ドラムセットのような音を出しているのは、だいたい全部コンピューターによるもので、しかもそのデジタルなドラムス・サウンドすらそんなに多くは使っていない。ギターだってそうだ。

ビョークはエレキ・ギターが大嫌いらしい。その理由を語っているのをなにか読んだような気がするけど、忘れてしまった。とにかくスタジオ・アルバムでもライヴ・アルバムでも、僕の聴いた限りでは、エレキ・ギターは一瞬たりとも出てこないし、ほんのちょっぴり聞えるのも、ナイロン弦のアクースティック・ギターだ(それもギターで出しているのではないかもしれない)。

ビョークはイヌイットの合唱とほんのちょっとの電子音のみの伴奏でやったライヴDVDもある。大の愛聴盤だったんだけど、最近は音楽DVDを見聴きする機会がめっきり減ってしまったからなあ。現在僕の自宅にあるDVD再生可能機器はMacだけだし。ビョークはまあまあな数のライヴDVDを出していて、よく見聴きしていた。

ビョークのCDについては、2004年の『メダラ』までは今でもまあまあ聴く。それ以後も買って聴いてはいるけど、個人的にはまあいいや。今一番好きなのは本格デビュー第一作1993年の『デビュー』で、なぜかというと一曲目が、その後のライヴでの定番曲「ヒューマン・ビヘイヴィアー」だからだ。

「ヒューマン・ビヘイヴィアー」は、『デビュー』で好きになったのではなく、書いたようにたくさん見聴きしていたライヴDVDのほぼどれにも入っていて、しかもだいたいいつも重要な場面で歌っていて、それで大好きになったのだった。ティンパニーみたいな音が出すリズムや、出だしから少し経って転調する瞬間がたまらん。

『デビュー』には、ハープだけの伴奏で歌うジャズ・スタンダードの「ライク・サムワン・イン・ラヴ」もあって、割と好きなアルバムだ。音楽的にはどう聴いても1997年の『ホモジェニック』とか2001年の『ヴェスパタイン』とかの方が素晴しいだろうと僕も確信しているから、これは個人的な好みだけの話。

ビョークには、Björk Guðmundsdóttir(読み方が分らない)名義でアイスランドのレーベルから1990年に出したアルバム『グリング・グロ』があって、これはジャズのピアノ・トリオ伴奏で歌ったジャズ・アルバムで、ちょっと面白い。しかも15曲目にR&Bナンバーの「ルビー・ベイビー」があったりする。

その「ルビー・ベイビー」も、4ビートの完全なジャズ・ナンバーになっている。まあしかし本格デビュー前のこんな『グリング・グロ』なんかは、ジャズ好きのビョーク・ファンしか聴かないだろう。なお先に書いたように、普通のドラムセットが全編通して入っているビョークのアルバムはこれだけ。

そういう『グリング・グロ』は例外的なメインストリーム・ジャズ作品だけど、1993年の『デビュー』で本格デビュー後のビョークを、アイスランド出身だからといって、「辺境音楽」だから面白いとは言えないだろう。アイスランド音楽は殆ど知らない僕だけど、英米音楽の要素だけでもないことは感じる。

アイスランドのビョークだけでなく、どんなワールド・ミュージックでも全部そうだと思うけど、そういう音楽の面白さは、単にエキゾティックだからというものではないんだろう。ちょっと変っているから惹かれるというのではない。少なくとも僕が1986年にラジオでキング・サニー・アデを聴いた時の衝撃は、そういうものではなかった。

もっと心の奥底に訴えかけてくるなにか、それがなんなのか明確な言葉で表現するのは難しいけど、17歳の時にMJQの「ジャンゴ」を聴いて、なんて素晴しい音楽があるんだ!これこそ僕のための音楽だ!と大感激した時と同種の感動だった。英米日の音楽に比べたら、いろんな情報が少なめだけど、対象の本質に接近したくて聴いているんだよね。

2015/12/22

パット・メセニーは感傷こそが持味

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僕は世代的にはパット・メセニーにドハマりしたど真ん中の世代に間違いないんだけれど、実は大学を卒業するまで一枚も聴いたことがなかった。自分でレコードを買わなかったし、フュージョンやその他いろいろとかけていたジャズ喫茶でもどうしてだか全く聴いたことがなかった。

でもこれはパット・メセニーのプレイを全く聴いたことがなかったという意味ではない。ジョニ・ミッチェルのライヴ・アルバム『シャドウズ・アンド・ライト』でだけ、彼のギター・プレイを聴いていて、それは大好きだったんだよなあ。あれを買ったのはもちろんジャコ・パストリアスが参加しているから。

ジョニ・ミッチェルは、『シャドウズ・アンド・ライト』の前作1979年の『ミンガス』で初めて聴いてみたんだけど、あれもジャコをはじめ、ウェイン・ショーターやハービー・ハンコックや、その他大勢のジャズ系ミュージシャンが参加していたし、そもそもミンガスの「遺作」みたいなもんだったし。

『ミンガス』は、ジャズ雑誌などでも話題になっていたし、このアルバムでは、もちろんそういうジャズ勢の演奏も気に入ったんだけど、それ以上に例えば「ザ・ウルフ・ザット・リヴズ・イン・リンゼイ」みたいな曲でのジョニのギターと歌に大いに感銘を受けた。あの曲はジョニ一人のギター弾き語り。

それでジョニ・ミッチェルの他のアルバムも買って聴くようになり、するといわゆるジャコ期と呼ばれる『逃避行』以後のアルバムはもちろん僕好みなんだけど、それ以前も結構ジャズ系ミュージシャンを使っているものがあるし、ジャズとは無関係な1971年の『ブルー』みたいなアルバムも素晴しかった。

それでもやっぱり僕にとってのジョニ・ミッチェルとは、ジャコと一緒にやった『逃避行』〜『シャドウズ・アンド・ライト』までの四つこそ最高なんだよね。当時ジョニとジャコが恋人関係にあったことは、かなり後になって知ったこと。また『ミンガス』で絶品のソプラノを吹くショーターもいいよね。

『ミンガス』のライヴ版みたいな『シャドウズ・アンド・ライト』になったライヴ・ステージでも、当初はショーターを起用したかったらしい。でも当時ウェザー・リポートから同時に二人は他人のライヴ・ツアーにレギュラー参加させないという契約があったらしく、仕方なくマイケル・ブレッカーになった。

『シャドウズ・アンド・ライト』は全員素晴しいけれど、あれのサックスがマイケル・ブレッカーではなくウェイン・ショーターだったらどれほどよかったかと、昔から思っていて、それだけが残念。以前も一度だけ触れたように僕はマイケル・ブレッカーを全く評価していない。イモでしかないように聞える。

まあでも『シャドウズ・アンド・ライト』では、マイケル・ブレッカーもまあまあマシな方じゃないかなあ。ミンガス・ナンバーの「グッドバイ・ポーク・パイ・ハット」は、『ミンガス』ではショーターだから、『シャドウズ・アンド・ライト』のブレッカーはどうにも聴き劣りしてしまうけれどね。

でも一枚目B面一曲目の「ドライ・クリーナー・フロム・デ・モイン」では、ジャコのおかげもあってテナーのブレッカーもかなり健闘していて、特にソロの終盤はかなり盛上がっているし、同じ一枚目B面の「逃避行」でも、ジョニが彼の名前を歌詞に歌い込むのに導かれて出てくるソプラノもかなりいいよね。

そしてその一枚目B面にパット・メセニーのソロ・ナンバーがある。ジョニのギター弾き語りによる「アミリア」に続くもので、「アミリア」中盤からパットも少しずつ弾き始め、同曲が終るとそのままパット・メセニーのソロになる。これがいい。ライル・メイズのシンセサイザーだけをバックにしたソロ。

その「パッツ・ソロ」中盤でセンティメンタルでメロウなフレーズを連発しはじめると、観客席から思わず声が挙っているもん。まあこういう感傷が、パット・メセニーの一番美味しい持味なんだろう。本編一曲目「イン・フランス・ゼイ・キス・オン・メイン・ストリート」でのソロもいい。

「イン・フランス・ゼイ・キス・オン・メイン・ストリート」のソロでは、途中R&Bテイストになる瞬間があって、その後パット・メセニーをたくさん買って聴くようになると、これはかなり珍しいというか彼にしてはあまり聴けないようなものなのだと分ったのだった。僕は黒いのが大好きだから。

大学生の頃に聴いていたパット・メセニーはこれだけ。かなりいいと思ったのになぜか彼のアルバムは一枚も買わなかったんだなあ。『スイングジャーナル』では全く話題に上がらない人だったけど、『ジャズ・ライフ』でかなり頻繁に取上げられていたので、使っているギターのことなども知ってはいたけど。

ちゃんとパット・メセニーを買って聴くようになったのは、大学院に進んでからの一年後輩が「としまさん、パット・メセニーはいいですよ、聴いてください!」と盛んに勧めるので、それでちょっとなにか買ってみたのがきっかけ。多分一作目の『ブライト・サイズ・ライフ』。ジャコが参加しているから。

でもまああれはそんなにピンと来なかったんだなあ。一番最初にいいなあと思ったのが1987年ゲフィン移籍後第一作の『スティル・ライフ(トーキング)』だった。三曲目の「ラスト・トレイン・ホーム」がいいなあと思ったという、まあ昔も今もミーハーな僕。あの曲ではギター・シンセサイザーだけど。

いつ頃からか知らないが、パット・メセニーはギター・シンセサイザーもたくさん弾くようになり、音色は鍵盤シンセサイザーと同じだけど、ピッキングによるアタック音とかフレイジングが普通のギターを弾く時と全く同じなので、瞬時にパットのギタシンだなと判別できる。ギタシンもなかなかいいよね。

好みだけでいうと、今の僕が一番好きなパット・メセニーのアルバムは1995年の『ウィ・リヴ・ヒア』で、ライル・メイズ〜スティーヴ・ロドニー〜ポール・ワーティコら、お馴染みの面々によるものでは一番よく聴くものだ。なぜかというと、パットのアルバムの中では一番黒い感覚がある気がするから。三曲目の「ザ・ガールズ・ネクスト・ドア」なんか、ウェス・モンゴメリーなのかと思っちゃうね。
ブラック・フィーリング云々を抜きにすれば、パット・メセニーの今までのところの最高傑作アルバムは、1992年の『シークレット・ストーリー』なんじゃないかと思っている。大変にスケールの大きな音楽で、ジャズやロックやフュージョンといった枠を飛越えて、ワールド・ミュージックと合体している。

『シークレット・ストーリー』では、ライル・メイズ、スティーヴ・ロドニー、ポール・ワーティコらレギュラー・メンバーを中心に、非常にたくさんのゲスト・ミュージシャンが参加していて、言ってみればパット・メセニー版『ビッチズ・ブルー』みたいなものなのだ。ちょっと比喩がおかしいかな(汗)?

一曲目がカンボジアのスピリチュアル・ナンバーで、カンボジア人コーラスを使っている。トゥーツ・シールマンスのハーモニカが聞える二曲もいい。彼のハーモニカも感傷的なのが持味だから、パットにピッタリ。一曲だけ矢野顕子も歌っている(といっても、ほんのちょっとしたスパイス程度のものだが)。

元々ヴォーカルを多用するパット・メセニーだけど、『シークレット・ストーリー』での使い方はなかなか大胆で面白いし、また全編にわたってロンドン・シンフォニー・オーケストラが参加していて、相当ゴージャスでスケールの大きなサウンドになっているもんねえ。パットのギターも一層気合が入っている。

パット・メセニーは2002年の『スピーキング・オヴ・ナウ』と2005年の『ザ・ウェイ・アップ』で、カメルーンのベーシスト、リシャール・ボナと、ヴェトナムのトランペッター、チョング・ヴーを起用しているけれど、中身は別にどうってことない気がする。

普通のジャズ的な意味合いでは、2008年の『デイ・トリップ』もいい。ウッドベースが大好きなクリスチャン・マクブライドで、ドラムスがアントニオ・サンチェスというトリオ編成。パットがアクースティック・ギターを弾く「イズ・ディス・アメリカ?」での、マクブライドのアルコ弾きは美しい。
この「イズ・ディス・アメリカ?」は「カトリーナ 2005」の副題が示す通り、同年にアメリカを襲ったハリケーンに題材を採った曲。マクブライドのアルコ弾きの美しさは、『デイ・トリップ』の翌年の彼自身のリーダー作『カインド・オヴ・ブラウン』でも証明されている。アルバム・ラストの「ウェア・アー・ユー?」は涙が出るね。
パット・メセニーのジャズ・アルバムというなら、オーネット・コールマンと全面共演した1986年のフリー・ジャズ・アルバム『ソング X』があるじゃないかと言われそうだ。あれも大好きなアルバムではあるんだけど、僕にとってのパットとはああいう音楽の人ではないんだなあ。『ソング X』はパットとは思わずに聴いている。

なお、Pat Methenyは、ライヴでのMCでの自己紹介で名前の発音を聞いたんだけど、どうにもカタカナにしにくい音で、敢て書けば「パット・マスィーニー」くらいだけど、それもちょっと違う。だから慣習に従って、メセニーと書いた。

2015/12/21

スタジオでのマイルスとライヴでのマイルス

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かつて油井正一さんも言っていたことなんだけど、マイルス・デイヴィスという人、いつの時代でも、スタジオ・アルバムでは時代を先取して、前衛的・実験的、レギュラー・バンドでのライヴ・ステージでは従来からの路線を踏襲して、やや保守的な演奏を展開するということが多かったと思う。

マイルスがライヴで実験的だったのは、唯一、例の1948年の九重奏団によるロイヤル・ルースト出演くらいじゃなかったかなあ。あの九重奏団は、当時はまだスタジオ録音がなく、いきなりライヴ・ステージで、あのビバップ全盛期にしてはありえない実験的な演奏を繰広げたのだった。現在は公式盤でも聴ける。

そのマイルス九重奏団は、ロイヤル・ルースト出演に際し、アレンジャー名を看板に明記するという、ちょっと前例のないことをやった。それくらいアレンジ重視・グループとしてのまとまりを優先した音楽だった。このバンドがキャピトルにスタジオ録音を残すのは、その翌年1949年と50年。

その1949/50年のキャピトルへのSP録音集を、同社は54年に10インチLPで出した。その後、全部まとめて12インチLPでリリースしたのが57年。その時に『クールの誕生』というタイトルになった。マイルス自身も言っているが、このアルバム・タイトルは、音楽の内容を正確には表現していない。

今では1998年リリースの『The Complete Birth of the Cool』というCDに、そのスタジオ録音も、前年のライヴ録音も同時に収録されていて、全部聴くことができる。それを聴くと、ライヴでは、アレンジ重視のソフトで軽いサウンド、といった程度の目論見だった。

こういう、スタジオ録音に先だってライヴで実験的だった例があるものの、マイルスは、これだけが例外みたいなもので、それ以後はほぼどんな時代も、ステジオ録音では先進的な試みを録音するものの、それを即座にライヴで披露するということはやっていない。ライヴではいつも従来路線そのままだった。

マイルスが本当に先進的なミュージシャンになるのは、本格的にモード奏法を取入れるようになる1958/59年頃からだと思うけど、その頃だって、『マイルストーンズ』『カインド・オヴ・ブルー』といったスタジオ・アルバムではモード奏法を実験するものの、同時期のライヴでは普通のハードバップだ。

スタジオ録音とライヴ・ステージでの音楽がもっと大きく食違い始めるのが、1965年からの、ウェイン・ショーター+ハービー・ハンコック+ロン・カーター+トニー・ウィリアムズを擁するクインテットから。スタジオ作では、このバンドの第一作『E.S.P.』以後、特に『ソーサラー』『ネフェルティティ』ではかなり実験的・先進的な音楽だ。

さらに同バンドの1968年の『マイルス・イン・ザ・スカイ』からは、電気楽器を導入し8ビートも取入れて、マイルスの音楽が大きく変り始めるのは、ご存知の通り。しかしながら、その65〜68年の同クインテットによるライヴ録音では、スタンダード曲も多く、アクースティックな普通のジャズだ。

この1965〜70年のスタジオでの様々な試みは、実は当時発売されていたアルバムだけでは、よく分らない面もある。75年からのマイルス隠遁中にリリースされた未発表集『サークル・イン・ザ・ラウンド』(79年)『ディレクションズ』(81年)で、様々な実験をやっていたことが分ったのだった。

油井正一さんは(確か『ビッチズ・ブルー』について)、マイルスは実験の域を一気に超えて、完成品を作り上げてしまうところに、彼の本領があるというようなことを言っていたことがあるけど、実は完成品に至るまでに実験的な試行錯誤を繰返していたことが、今では分っているわけだ。

1967〜70年という時期は、マイルスの音楽が、生涯で一番大きく変化した時期で、その時期の試行錯誤品が収録されてる『サークル・イン・ザ・ラウンド』『ディレクションズ』の二つは、一部の例外を除き、ほぼどれも未熟品だから、聴いていて、やや退屈なものだ。完成品に至る過程を楽しむしかないもの。

エレキ・ギターだって、リアルタイムに発表されていたアルバムでは、『マイルス・イン・ザ・スカイ』収録の「パラフェルナリア」(1968年1月録音)でのジョージ・ベンスンが初になっているけど、その前年67年12月に、ジョー・ベックを起用して「サークル・イン・ザ・ラウンド」を録音したのが初。

しかしながら、その「サークル・イン・ザ・ラウンド」というアルバム・タイトル曲は、二枚組LP一枚目のB面全部を占める26分以上もあるもので、聴き通すのにちょっと我慢が必要だと思うくらいの、締りのない演奏ぶりだ。当時これがお蔵入りしたのも当然だと納得できてしまう。

また1969年8月録音の『ビッチズ・ブルー』に収録され、当時のライヴでもよく演奏されたショーター・ナンバーの「サンクチュアリ」も、『サークル・イン・ザ・ラウンド』に、68年5月の初演が収録されている。それを聴くと、完成度はかなり低い。一年以上経って再録音された完成品に遠く及ばない。

1981年リリースの『ディレクションズ』にも、67年12月録音の「ウォーター・オン・ザ・ポンド」という曲で、ギタリストのジョー・ベックを起用しているのがある。これも一種の試行品だ。とはいえ、この『ディレクションズ』の方は『サークル・イン・ザ・ラウンド』に比べたら、出来のいい演奏が多いけれど。

なお、『サークル・イン・ザ・ラウンド』には、クロスビー、スティルス & ナッシュの「グィネヴィア」のカヴァーが入っている(1970年1月録音)。これもまあダラダラと締りのない演奏だけど、ロック・ファンは要注意。この「グィネヴィア」の完全版が『コンプリート・ビッチズ・ブルー・セッションズ』ボックスに入っているけれど、はっきり言ってそれは退屈。

そんな具合で、1967〜70年頃は、スタジオではいろんな未完成な実験を繰返していたマイルスだけど、レギュラー・バンドでのライヴ・ステージでは、68年までアクースティックな普通のジャズを演奏していて、「ステラ・バイ・スターライト」「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」などもやっていた。

マイルスがライヴで電気楽器を使い始めるのは、1968年末に結成したいわゆるロスト・クインテットによる69年のステージから。しかも電気楽器といっても、ただ鍵盤がフェンダー・ローズになっただけで、ホランドのベースはまだウッドベースだったし、「ラウンド・ミッドナイト」や「マイルストーンズ」などもまだやっていた。

「ラウンド・ミッドナイト」「ステラ・バイ・スターライト」「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」等のスタンダード曲を演るというのは、同時期のスタジオ録音では、もはや絶対に有り得ないことだった。油井正一さんが、スタジオでは実験的・ライヴでは保守的と言ったのも、主にこの時期のこと。

もっとも、ライヴでも1967年頃からは、一曲毎に演奏しては終るという形ではなく、全部の曲が繋がってワン・ステージで一続きの演奏という、75年まで続くスタイルになってはいた。そのせいで、67年欧州公演を収録したブートCDでは、一枚でワン・トラックの表示になるものすらあった。

さらに、1969年2月録音の『イン・ア・サイレント・ウェイ』以後は、ほぼどのスタジオ録音でも、ライヴを行うレギュラー・バンドを中心に、参加メンバーを大幅に拡充して録音することが殆どだった。これは75年の一時隠遁までずっとそう。そのせいで、余計にスタジオとライヴが隔離する印象だ。

また1970年頃からのスタジオ録音は、必ずしも新作発表を前提にしないものばかりで、マイルスが録音したい時にどんどん行うといった感じで、新作はそうした膨大なセッション音源から、テオ・マセロがピックアップ・編集してアルバムの体裁に仕立て上げていた。だからどれもこれも全部「編集盤」のようなものだ。

1974年発表の『ゲット・アップ・ウィズ・イット』なんかもそうで、これに収録されている曲の録音時期は70〜74年と、バラバラ。それなのに、アルバム全体を通して一貫した統一的音楽性が感じられるのは、プロデューサーのテオ・マセロの手腕とともに、この時期のマイルスの音楽性のなせる業。

1970年代のマイルスに、当時発表されたスタジオ・アルバムがやや少なめなのは、そうやって散発的なセッションばかり繰返していたせいもある。スタジオ作品は『ジャック・ジョンスン』『オン・ザ・コーナー』『ビッグ・ファン』『ゲット・アップ・ウィズ・イット』の四つだけ。まあ五年で四つだから少なくもないんだけれど、なにしろ録音総量からしたら氷山の一角だったもんなあ。ライヴ・アルバムは、当時から六つも出ている。

そうして1965年頃からずっとスタジオ作品とライヴ作品で印象が異なるのが、75年のライヴ『アガルタ』『パンゲア』で、その両者が完璧に合体するのだ。というわけで、そうやって乖離していたスタジオでの音楽性とライヴでの音楽性が完璧に合体した『アガルタ』『パンゲア』が一番凄いという、結局今まで僕が繰返し述べている、当り前の結論になってしまった。

2015/12/20

ストーンズには「見張塔」をカヴァーしてほしい

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18年くらい前だったか、ボブ・ディランで卒業論文を書きたいという学生の卒論指導をしたことがある。僕が勤務していた大学は、音楽大学でもなければ音楽専攻コースがあったわけでもない。普通の文系学部しかない大学で、ロックなどポピュラー・ミュージックで卒論を書きたいという学生が出ると、僕が一手にその面倒を見ていただけにすぎない。

さて、そのボブ・ディランの最高傑作は『ブロンド・オン・ブロンド』だと信じている僕だけど、個人的な好みだけで言うと、今では『ジョン・ウェズリー・ハーディング』が一番好きだったりする。どうしてなのか、自分でもイマイチよく分らない。アクースティック・ギター中心のサウンドが好みなのかなあ?

『ジョン・ウェズリー・ハーディング』は、ベースはエレベだけど、それ以外は一曲でペダル・スティールが入る以外、ディランのアクースティック・ギターとハーモニカと歌、そしてドラムスという、まあ地味な編成。今ではそれが大変に心地いいんだよなあ。最近アクースティック音楽指向になっているし。

でもアクースティック・ギター中心のサウンドといっても、デビュー作から『アナザー・サイド・オヴ・ボブ・ディラン』までのほぼアクースティック・ギター一本だけのディランの音楽は、今では全く聴かなくなったしなあ。ああいうのよりは、断然それ以後のエレクトリック・サウンドのディランを聴きたいもんなあ。

ボブ・ディランは、僕だってほんのちょっと前までは、エレクトリック・ロック路線の方が圧倒的に好きでよく聴いていた。そっちの方がディランの本来の本領発揮なんじゃないかと、それは今でもそう思っている。1964年のニューポートでのいきなりのエレクトリック路線転向は、彼の音楽的発展の必然的帰結だったもん。

ディランに限らず、ロック全般について、エレクトリック・サウンドの方が断然好きだった。昔から大好きなレッド・ツェッペリンなんかでも、ファースト・アルバムから、結構アクースティック・ギターを使っているけど、以前はそういうのがあまり好きではなく、エレキ・ギターがハードに鳴り響くものの方が好きだったもんなあ。

それがなんというか、この数年、もちろん派手なエレクトリック・サウンドの音楽(ロックに限らない)も、相変らずよく聴きはするけれど、どっちかというとアクースティックで、しかもオーケストラとかではなく、比較的少人数編成の音楽の方が、快適に感じるようになってきている。

それはおそらく少し前から、トルコ古典歌謡が大好きになって、それが殆ど生楽器の少人数編成で、しっとりと歌を聴かせるものが多いから、それがきっかけだったんじゃないかと思う。そういうのが大好きになると、今度はジャズやロックなどでも、少人数のアクースティック嗜好が強くなった。

僕もそれなりに歳取ったってことでもあるんだろうなあ。日本人は歳取ると演歌が好きになるとかよく言われるけど、僕は今のところはそうはなっておらず、というか演歌や浪曲は昔から好きなものが結構あるので、それは聴くんだよなあ。それに演歌は結構派手なエレキ・ギターが鳴っていたりするんだよね。

ボブ・ディランの『ジョン・ウェズリー・ハーディング』では、歌の合間に入るソロは、ラスト・ナンバーでペダル・スティール・ギターが絡む以外は、全部ディラン自身のハーモニカで、昔はギター・ソロが間奏で入るものの方が好きだったんだけど、このアルバムでは、そのハーモニカがなかなかいい感じ。

『ジョン・ウェズリー・ハーディング』は、ディランのアクースティック路線「回帰」の作品と言われたりして、確かにその前の『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』『追憶のハイウェイ61』『ブロンド・オン・ブロンド』と、エレクトリック路線が続いていたから、それも分らないでもない。

もっとも、ディランの場合は、1960年代半ばのエレキ・ギター導入後も、アクースティック・ギターだってほぼ同じくらい弾き続けているし、中にはアクースティック・ギター中心というアルバムだってあるんだから、「転向」とか「回帰」とかいうのは、違うんじゃないかという気もする。70年代の最高作『血の轍』だって、アクースティック・ギター中心だしね。

その1974年録音、75年発売の『血の轍』は、70年代ディランの最高作であると同時に、個人的にも70年代ディランでは一番好きでよく聴くアルバム。一曲目の「タングルド・アップ・イン・ブルー」とか九曲目の「シェルター・フロム・ザ・ストーム」とか、たまらない。次作の『欲望』も大好きだけど。

要するにディランは、1965〜66年頃、マイク・ブルームフィールドやザ・バンド(ホークス)などをバック・バンドに起用して、大胆にエレクトリック・サウンドを取入れたわけだけど、結局その後もアクースティック・ギターをよく弾いて、それ中心の作品も多い。フォーク路線への回帰では全然ない。

となると、僕が『ジョン・ウェズリー・ハーディング』が一番好きなのは、アクースティック少人数編成のせいじゃないのか?じゃあなんなんだ?ただ、一つはっきり言えることは、このアルバムの音楽は、それ以前の電化路線三作と、録音が直前だった『地下室』セッションを経過したものであるこということ。

特に、同じ1967年の約一・二ヶ月前の録音だった、ザ・バンドとの『地下室』セッションの成果が、『ジョン・ウェズリー・ハーディング』にはしっかり活かされている。その『地下室』は1975年まで公式発売されなかったから、『ブロンド・オン・ブロンド』の次作ということになり、突然の路線変更に見えるだけ。

実際『ジョン・ウェズリー・ハーディング』収録曲の多くが、直前の『地下室』セッションの中で既に産まれていたものらしい。ディランはそれらを『地下室』セッションのウッドストックから、ナッシュヴィルに持っていき、ほんの一ヶ月後に現地のリズム・セクションを起用して録音したということになる。

さらにそのナッシュヴィルでのレコーディング終了後、ディランはザ・バンドのロビー・ロバートスンとガース・ハドスンに連絡し、その録音テープにオーヴァーダビングして完成させてくれと依頼したらしい。テープを聴いたロビーとガースは、付け加えるものはなにもないと判断し、結局そのまま発売された。

『ジョン・ウェズリー・ハーディング』を聴けば分るけど、全ての曲がカントリー・ロック路線というか、ルーツ・ロック、つまり『地下室』セッションと同様の、古いアメリカーナにインスパイアされてできあがっているようなものばかり。いろんなロックの中でも、僕は特にそういったものが大好きだからなあ。

そういう『ジョン・ウェズリー・ハーディング』収録曲は全部好きだけど、やはり特に四曲目の「オール・アロング・ザ・ウォッチタワー」がたまらなく大好き。翌年1968年にジミ・ヘンドリクスがカヴァーしたおかげで、ロック・リスナーには、おそらく一番有名なディラン・オリジナルだろう。
正直に告白すると、このジミヘン・ヴァージョンの「オール・アロング・ザ・ウォッチタワー」が、僕はイマイチ好きではない。悪くはないと思うものの、『エレクトリック・レディランド』の中では、一番聴かない曲なんだなあ。ジミヘンより、ローリング・ストーンズにカヴァーしてほしかったという気持だ。

なぜストーンズかというと、ストーンズは1995年頃、ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」をライヴでカヴァーしていて、録音もしている(『ストリップト』収録)。数多いディランの曲の中からどうしてあれだったのかよく分らないけれど、「ウォッチタワー」の方が似合っているような気もする。

ディランの『地下室』や『ジョン・ウェズリー・ハーディング』は1967年録音だけど、ストーンズも68〜72年頃、米カントリー・ロックや米ルーツ・ロック路線だったことがあって、ライ・クーダーやLAスワンプ勢を録音に参加させてアルバムを作っていたもんなあ。「ウォッチタワー」は好適だと思うんだ。

ストーンズが「ライク・ア・ローリング・ストーン」をカヴァーしていた頃、当時やっていたパソコン通信の音楽フォーラムで、あるストーンズ・ファンの方が「次にストーンズにカヴァーしてほしいディラン・ナンバーは?」とアンケートをやったことがあった。

その時僕が、それなら断然「オール・アロング・ザ・ウォッチタワー」だと答えると、るーべん(佐野ひろし)さんに、その回答は分りやす過ぎると少し笑われたことがあった(『ベガーズ・バンケット』の便所ジャケットを参照)。でも、熱心なディラン・ファンにして熱心なストーンズ・ファンなら、誰だって「ウォッチタワー」を思い浮べるんじゃないかな。

2015/12/19

モンクの師匠エリントンの打楽器的ピアノ

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今年リリースされた1970年の未発表録音集『コニー・プランク・セッション』に収録されている「アフリーク」でのデューク・エリントンのピアノが、完全に打楽器的奏法だ。
コニー・プランクとは、みなさんご存知の通り、クラフトワークなどを手がけたあの超有名ドイツ人エンジニア/プロデューサーその人。彼がエリントンを録音していたというのは全く知らなかったので、今年出たアルバムは、僕にはかなりの驚きだった。

エリントンを録音した1970年には、まだコニーズ・スタジオ設立前だから、ケルンのレナス・スタジオで録音された。コニー・プランクがどうこうというより、なんたってその未発表集アルバムで聴けるエリントンの音楽が凄いね。やはり前にも書いた通り、エリントンの音楽はジャズじゃない。

さてさて、この人のピアノは昔から元々打楽器的な感じだよね。古い録音を聴いても、そういうピアノの弾き方をした曲がたくさんある。エリントンのパーカッシヴなピアノ演奏といえば、大半のファンがまず一番に思い浮べるのが、チャールズ・ミンガス+マックス・ローチと組んだ『マニー・ジャングル』(1962年)かもしれない。モダン時代のピアノ・トリオだし、サイドメンがモダン・ジャズメンだし、入門盤として推薦されるよね。

確かに『マニー・ジャングル』でのエリントンのパーカッシヴなピアノ演奏は、セロニアス・モンクを一気に飛越えて、セシル・テイラーに迫らんとするほどの過激さだ。僕だって今聴くと、こりゃ凄いと思うんだが、最初はこのアルバムの面白さが全く理解できなかった。なぜだったんだろうなあ。

『マニー・ジャングル』よりも、大学生の頃、エリントンのパーカッシヴなピアノで僕がまず想起したのは、1967年の『ザ・ポピュラー・エリントン』収録「黒と茶の幻想」での演奏だ。 イントロからして、もう尋常じゃない雰囲気だね。録音は66年。
この1966年録音の「黒と茶の幻想」については、『ザ・ポピュラー・エリントン』の日本盤LPライナーで油井正一さんが絶賛し、面白いことを書いていた。1927年初演のこの曲は、虐げられ滅び行くマイノリティであるブラック=黒人、タン=混血の悲哀を描いた、元々は哀感に富んだ曲調のナンバー。

ところが、1966年録音のヴァージョンでは、滅び行く運命どころか、当時の公民権運動の高まりという時代の流れを反映し、<我ら黒人ここにあり!>と高らかに宣言するような力強い曲調に完全に変化していて、エリントンの解釈・アレンジが、いかに時代に即したものなのかということを、油井さんは強調していた。

油井さんは、そういう新解釈の象徴として、イントロの力強く叩きつけるパーカッシヴなエリントンのピアノを挙げていた。当時は僕もその通りだと納得していたのだった。しかし、その後いろいろとエリントンの録音を聴くと、「黒と茶の幻想」でのこういうピアノ・イントロは、もっと以前からあるものだったのだ。

YouTubeで探しても、そういうものがいろいろと見つかる。一番キレイに聞えるのが、1956年のニューポートでのライヴ盤でのヴァージョン→ https://www.youtube.com/watch?v=7ifnuC1q2I4 もっと古くは1943年のカーネギー・ライヴ→ https://www.youtube.com/watch?v=znBhc12sGew

聴いてもらえばすぐ分るけれど、どちらの「黒と茶の幻想」も、1966年ヴァージョンと全く同じパーカッシヴなピアノ・イントロだね。おそらくもっと古くからあったパターンに違いないと僕は踏んでいる。だから、このイントロの力強い打楽器奏法をもって、60年代後半の公民権運動の反映とは言えない。

『ザ・ポピュラー・エリントン』収録の、1966年ヴァージョン「黒と茶の幻想」が、油井さんの言うように<ブラック・イズ・ビューティフル>宣言になっているのは、イントロのピアノではなく、その後のバンドの一連の演奏によるものなのだ。もう一度、先ほど貼ったその音源を聴直していただきたい。

テーマ吹奏終了後のクーティー・ウィリアムズのトランペット・ソロや、ローレンス・ブラウンのトロンボーン・ソロ後半でのストップ・タイムを使ったリズム・アレンジとそこでのピアノ、ラストのクーティーのワーワー・トランペットによる凄みのある力強いソロと、そのバックでのバンド・アレンジのド迫力など、圧倒的。

そして、そういう各人のソロも全てそうだけど、曲全体を通して漂うオーケストラ全体の雰囲気には、1920年代のヴァージョンに漂っていた、一種の諦観のような悲哀感が全くなく、そればかりか、むしろ明るく誇らしい快活なイメージで貫かれていて、それを下支えしているのがエリントンのピアノ伴奏だ。

そういう曲全体の持つ意味においてこそ、この1966年ヴァージョンの「黒と茶の幻想」が、当時の公民権運動(マーティン・ルーサー・キングがノーベル平和賞を受賞したのが64年)と、それに伴うアメリカ社会での黒人意識の変化を反映した、全く斬新で圧倒的な新解釈になっていると言えるのだろう。

さてさて、その「黒の茶の幻想」イントロでのエリントンのピアノ演奏が、かなり前から(いつ頃からか分らないけど、ライヴ演奏ではおそらく1930年代後半くらいから?)パーカッシヴなスタイルだったことを示したわけだけど、エリントンという人は、元来そういうピアノ・スタイルの持主だった。

戦前のSP時代は、約三分という時間制限があるので、なかなかエリントンのピアノ演奏はたくさんは聴けない。エリントンという人は、LPメディア出現後のモダン時代にはいろんな録音をやった人だけれど、基本的には「自分の楽器はオーケストラ」と言うくらい、ビッグ・バンド録音が中心の人なのだ。

だから、戦前のSP時代だと、エリントンのソロ・ピアノ(ピアノ・トリオという概念というかフォーマットは、まだ殆ど存在しない)が聴けるものは少ない。曲のイントロや中間部で少し聴ける程度。この「ロッキン・イン・リズム」では、ちょっと分る。
これは1931年のオーケー録音なんだけど、おそらくジャズ曲で「ロック」という言葉が使われた最も早い例だろう。その言葉通り、シャッフルするリズムでスウィングしている。エリントンのピアノもそんなリズミカルな雰囲気だ。この曲は同時期にヴィクターにもブランズウィックにも録音している。

この「ロッキン・イン・リズム」の最も優れたヴァージョンは、昨晩も貼った1963年パリ・ライヴだね。 前奏として「カインダ・デューキッシュ」というエリントンのピアノ演奏が付いていて、これが彼のピアノ・スタイルを一番よく表している演奏だろう。叩きつけるような打楽器奏法や、不協和なブロック・コードの使い方など、録音がいいからよく分る。
その他枚挙に暇がないが、初期から晩年に至るまで、実にいろんな曲のイントロや中間部で、エリントンはパーカッシヴにピアノを弾いている。それがモンクやセシル・テイラーにも大きな影響を与えた。典型例が最初に書いた戦後の1962年『マニー・ジャングル』。だけど、モンクからの逆影響もあったかもしれない。

西洋クラシック音楽の権化みたいな楽器であるピアノを打楽器的に扱うというのは、アフリカン・アメリカンな奏法だというのが一般的な意見だし、僕もその通りだと思う。南アフリカのピアニストであるアブドゥーラ・イブラヒム(ダラー・ブランド)等を聴いても、それを実感する。彼にはエリントンの影響もあるね。

エリントンは、ピアニストとしてはウィリー・ザ・ライオン・スミスなどのストライド・ピアニスト(ハーレム・スタイル)から大きな影響を受けて出発した人なので、その意味でもピアノを打楽器的に弾くというのは当然の成行きだった。ストライド・ピアノはそういうスタイルだし。

これは初期には珍しいエリントンのソロ・ピアノ録音(1928年オーケー録音)。 これを聴くと、ほぼ完全にストライド・ピアノのスタイルであることが分る。そのタイトルが「ブラック・ビューティー」なのも暗示的だ。この曲はバンドでの録音もある。
そしてエリントンの場合は、アフリカン・アメリカンな打楽器奏法だけでなく、ヨーロッパ的な印象派風奏法も得意だった。そっちも初期から少しだけ聴ける。この1932年コロンビア録音の「ソフィスティケイティッド・レディ」。これだと結構よく分る。
1930年のブランズウィック録音が初演の「ムード・インディゴ」も印象派的曲調。先の「ソフィスティケイティド・レディ」と併せ二曲とも、エリントン初のLP作品『マスターピーシズ』(1950年)で再演し、どちらも15分以上たっぷり聴ける。YouTubeにあるから、お時間のある方はどうぞ。

そしてこれまた昨晩も貼った1965年のライヴ録音でのソロ・ピアノ演奏「ザ・セカンド・ポートレイト・オヴ・ザ・ライオン」。 タイトル通りのウィリー・ザ・ライオン・スミス風なストライド・スタイルと、印象派風な奏法の両方を行ったり来たりしていて面白いね。
僕は昔から、さっき貼った1963年パリ・ライヴの「カインダ・デューキッシュ」と、この65年ライヴの「ザ・セカンド・ポートレイト・オヴ・ザ・ライオン」が、エリントンのピアノ演奏では一番好き。特に後者は、エリントン・ピアノの二大源流であるストライド・スタイルと印象派風が融合してて、大変面白いよね。

2015/12/18

モンクのピアノはストライド・ピアノ直系

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今そんなことを言う人はいなくなったと思うけど、かつてセロニアス・モンクは「下手くそ」なピアニストの代表のように言われていたことがあったらしい。渡米前の秋吉敏子(穐吉敏子)ですら、ピアノをわざとデタラメに弾いて、ふざけて「モンクごっこ」などと称して友人と笑いあっていたことがあったらしい。

もっとも、モンクに対するそういう下手くそ評価が一般的だったのは、僕がジャズを聴始める前の話で、僕がジャズのレコードを買いジャズ喫茶に通うようになった頃には、既にそういうことを言う人は殆どいなくなっていたのだった。僕は最初からそういう言説に惑わされなかった。

これは僕が最初に買ったモンクのレコードが、リヴァーサイドの『セロニアス・ヒムセルフ』だったことも一因だった。このアルバムは、ボーナス的に入っているコルトレーンとウィルバー・ウェア入りの「モンクス・ムード」一曲を除いて、全てモンクのソロ・ピアノで、しかも上手い。

もちろん上手いと言っても、上手いピアニストの代表みたいに言われるオスカー・ピータースンみたいに華麗に弾きまくるような種類の上手さではないが、『セロニアス・ヒムセルフ』の中の「ファンクショナル」などは、モンクがテクニックのないピアニストだという言説に対する回答のようになっていた。

あのリヴァーサイド盤のライナーノーツを書いていたのも油井正一さんだったんだけど、油井さんがその中で、「ファンクショナル」は、モンクがジェイムズ・P・ジョンスン等のストライド・ピアノの系譜に連なる一人であることを示していると解説していたのも、最初の僕のモンク理解の大きな助けだった。「ファンクショナル」を貼っておく。ストライド風な左手に注目。
そういうのが僕のモンク入門だったから、僕にとってのモンクはいつもソロ・ピアノの人で、同じリヴァーサイドの『アローン・イン・サンフランシスコ』とか、そういうのが断然好きで、トリオ物ですらあまり聴かなかった。

モンクという人は、エリントンと同様に、ビバップを経由せずに和声のモダン化を実現した人で、まあビバップの典型的ピアニストの一人であるバド・パウエルの師匠格ではあるけど、モンク自身のピアノには、全くビバップらしさは感じない。使っている和声はモダンなんだけどね。

だから、モンクのピアノを聴いても、普通のモダン・ジャズらしさを感じなかった僕は、多くの批評には納得できず、油井さんの「ジェイムス・P・ジョンスン等、ストライド・ピアノの系譜」という言葉を読んで、初めて得心がいった。そして、直接の師匠はもちろんデューク・エリントンだね。

なんでもモンクは来日時、同時期に来日していたエリントンの楽屋を訪れ、エリントンに紹介されてステージに出てくると、エリントンの方へ敬礼したままお尻を向けず、そのまま後ずさりして袖に下がったというエピソードが残っているくらいだもんね。

モンクには、トリオ編成で吹込んだエリントン曲集のアルバムもあるんだけど、そういうのは、実はあんまりいいと思わない。悪くはないんだけど、エリントン直系であるモンクのスタイルがよく分るのは、そういうのより、やはりさっき貼った「ファンクショナル」など、ソロ・ピアノ作品だ。

僕が一番好きなエリントンのピアノ演奏に、『グレイト・パリ・コンサート』一曲目の「ロッキン・イン・リズム」へのプレリュードとして演奏された「カインダ・デューキッシュ」があるんだけど、これを聴くと、不協和音なブロック・コードの使い方などが、まさにモンクそっくりだ。
録音がいいこともあって、エリントンのピアノ・スタイルが非常によく分る。ウェザー・リポートもカヴァーした「ロッキン・イン・リズム」で猛烈にドライヴするオーケストラも凄いけど、僕が感銘を受けたのは、導入部のエリントンのピアノの方だった。

余談だけど、この『グレイト・パリ・コンサート』は、僕が初めて買ったエリントン楽団のレコード。レコード屋の店頭で見ると、これもまた二枚組で、しかも有名な曲が殆ど全部入っているからという単純な理由だったけど、大正解だった。冒頭の「カインダ・デューキッシュ」〜「ロッキン・イン・リズム」には、誰だってKOされるはず。

エリントンのピアノ自体が、ウィリー・ザ・ライオン・スミスの影響を強く受けたストライド・ピアノ・スタイルから出発しているわけで(一番よく分るのが『ザ・ジャズ・ピアノ』という様々な古いピアニストが共演したライヴ盤)、だからそれに直接影響を受けたモンクがそういうスタイルなのも納得だ。

その『ザ・ジャズ・ピアノ』から、エリントンのピアノ独奏による「セカンド・ポートレイト・オヴ・ザ・ライオン」を貼っておく。 タイトル通り、ウィリー・ザ・ライオン・スミスに捧げた曲。ストライド・スタイルと印象派風を行ったり来たりしている。
この『ザ・ジャズ・ピアノ』は1965年のライヴ盤なんだけど、エリントンの他、ウィリー・ザ・ライオン・スミス、アール・ハインズ、メアリー・ルー・ウィリアムズ等のピアニストが参加していて、入れ替り立ち替り演奏を披露するというもの。僕にとってはまさに夢のようなライヴ・アルバム。

アール・ハインズだって、この同じ時のライヴ録音から「サムウェア」を聴くと、右手は完全に彼が確立した単音弾きのホーン・スタイルだけど、左手の動きには、かすかにストライド・ピアノの名残を感じるもんなあ。彼もそこから出発したわけで。
僕は昔も今も、ジャズ・ピアノの中では、こういうスタイルが一番好きで、特にトリオとかじゃないソロ・ピアノでは、ストライド・ピアノや、ストライドじゃないけどアール・ハインズなどの弾き方が最高に好き。モダン・ジャズのソロ・ピアノでは、今ではモンクだけを聴くのはそのせい。

モダン・ジャズのソロ・ピアノでは、ビル・エヴァンスはいいと思ったけど、今は聴かなくなった(CDで買い直していない)し、1970年代以後のソロ・ブームでは、いいものが殆どない。チック・コリアの71年『ピアノ・インプロヴィゼイションズ』がマシと思うくらいで、キース・ジャレットのソロは、全くよさが分らない。

モンクだって、僕がいいと思うのはソロ・ピアノであって、ソロ作品では、書いたように『セロニアス・ヒムセルフ』が一番いいと思うけど、ヴォーグ盤『ソロ・オン・ヴォーグ』もかなりいい。『ソロ・オン・ヴォーグ』は、モンクが吹込んだ生涯初のソロ・ピアノ作品だった。

当時から思っていて、今でも少しそう思っているんだけど、どうもモンクという人は、こといちピアニストとしては、バンドで他人と協調しながらやっていけるタイプの人じゃなかった気がする。作曲家としてはまた別の話になるんだけど、作曲家としてのモンクの偉大さは、もっと後になってから分ったことだった。

バンド編成で残した作品でも『ブリリアント・コーナーズ』や『モンクス・ミュージック』などは大傑作だと思うんだけど、それはピアニストとして活躍しているというよりも、コンポーザー、アレンジャー、バンド・リーダーとしての実力を発揮したものであって、中で弾くピアノはさほどいいとは思わない。

コンポーザーとしてのモンクの面白さが本当に分ったのは、1984年に出た、ハル・ウィルナー・プロデュースのモンク追悼盤『ザッツ・ザ・ウェイ・アイ・フィール・ナウ』からだった。あれにはジャズマンは殆ど参加していない。あんな風に料理して見事に化ける曲を書いたのは、エリントンとモンクだけだ。

あの二枚組LP(CDリイシューでは一枚)以後、いろいろとホーン入りのコンボ編成によるモンクのアルバムも聴直すようになり、改めて今更のように、コンポーザーとしてのモンクの偉大さが分るようになった気分だった。私見ではモダン・ジャズの世界でスタートした人では、最も偉大なコンポーザーだろうね。

2015/12/17

謎のブルーズマン、ダン・ピケット

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ブルーズ・カヴァー・バンドとして出発したローリング・ストーンズだけど、ストーンズのブルーズ・アルバムとして誰もが思い浮べる第一候補は、やはり1968年の『ベガーズ・バンケット』だろうなあ。あれは、そのまんま米南部ブルーズへのトリビュート・アルバムみたいなもんだから。

一曲目の「シンパシー・フォー・ザ・デヴィル」(邦題はダメ)と「ストリート・ファイティング・マン」(と、先行シングルとして発売された「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」)が有名になったけれど、「シンパシー・フォー・ザ・デヴィル」だって、悪魔の音楽と言われるブルーズ賛歌のようなものだ。

中身の歌詞は確かにミステリアスで、いろんな研究もなされているみたいだけど、ブルーズ・トリビュートみたいなアルバム全体の内容を考えたら、曲名の意味は、今書いたように明々白々だろう。曲調だってサウンドだって明快極まりないし。

ジャン・リュック・ゴダール監督の映画『ワン・プラス・ワン』になり、この映画のせいもあって、この曲のミステリアスなイメージが強調されているだけなんじゃないかなあ。僕はこの映画のVHSを最初に見た時、一番印象に残ったのは、全員がギブスンのハミングバードを弾いていることと、ブライアンがほぼ死んでいることだけ。

ジャケット差替え問題などもあったりして、いろいろといわく付きのアルバムではあるけれど、聞えてくる「音」だけでしか判断しない僕みたいなリスナーには、別に謎めいてもいなければ、難しくもなんともないアルバムだね。真実は音にあり!

なお、『ベガーズ・バンケット』で、僕が一番好きなのは「シンパシー・フォー・ザ・デヴィル」でも「ストリート・ファイティング・マン」でもなく、A面二曲目の「ノー・エクスペクテイションズ」だ。ブライアン・ジョーンズによる絶品スライドがたまらん。マジなブライアンはこれが最後だったんじゃないかなあ。

『ベガーズ・バンケット』にはB面に「放蕩息子」という曲があって、これでロバート・ウィルキンスというブルーズマンを知り、アルバムも買って聴いて、凄く気に入った。CD時代になってからのことだけど。その名も『Prodigal Son』。ストーンズのおかげで有名になった人だったようだ。
今貼ったのが、ロバート・ウィルキンスのアクースティック・ギター弾き語りによる「放蕩息子」の元歌「ザッツ・ノー・ウェイ・トゥ・ゲット・アロング」(1929年)。そして特になんの理由もないんだけれど、この人は僕の中ではダン・ピケットというブルーズマンと結びついている。

ダン・ピケットなんて好きで聴いている人は、少ないだろう。CDアルバムも『ロンサム・スライド・ギター・ブルース』一枚しかない。なんでも戦後に米イースト・コーストを中心に活動した、アクースティックなスライド・ギター弾き語りブルーズマンらしいんだけど、詳しいことは殆どなにも分っていない人のようだ。

CDのライナーを書いている鈴木啓志さんも、『ブルースCDガイド・ブック』で紹介している小出斉さんも、詳しいことはご存知ないらしいから、日本でダン・ピケットについて詳しく知っている人はいないだろうね。でも、そのアルバム一曲目、リロイ・カーのカヴァー「ベイビー・ハウ・ロング」が素晴しい。
いいでしょう。僕はこれでこの人に惚れちゃった。詳しいことはなにも分っていない人なのに、音だけでもうノックアウトされちゃったんだなあ。スライド・ギターも上手いと言えるだろう。

こういうのもいいよ、「シカゴ・ブルーズ」。 やはりスライド・ギターが上手いのと、ザクザク切刻むようなビート、そして塩辛い声で唸るヴォーカルも強力だ。かなりの腕前のブルーズマンだと思うんだよねえ。僕は大好きなんだ。
それにしても、どうしてストーンズがカヴァーしたロバート・ウィルキンスがダン・ピケットと結びついてしまうのか、自分でも全く理解できない。二人ともアクースティック・ギター弾き語りのカントリー・ブルーズマンだけど、それ以外の共通点は全くないはず。前者は戦前、後者は戦後だし。なんとなく聴いた感じだけなんだろうなあ。

ダン・ピケットも、謎の存在であるとはいえ、1949年にゴッサム・レーベルに15曲録音(20曲という説もあるが、僕の持っているCDでは別テイクを含めても全18トラック)して、アルバムにもなっているんだから、かなりメジャーな方だろう。録音が一曲・二曲だけ、あるいは全く録音がないというブルーズマンもゴロゴロいるわけだからね。そのダン・ピケットのCDも日本盤は廃盤だけど。

1990年のロバート・ジョンスン完全集二枚組CDをきっかけに、90年代はブルーズのCDがアメリカでも日本でも本当にたくさんリリースされていたので、僕もたくさん買って聴いたんだよなあ。ダン・ピケットのCDもそういう中の一つだった。どこで買ったのか忘れたけれど、店頭でジャケ買いだったんだよね。

2015/12/16

ハンプのジャイヴ

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スウィング・ジャズと、(主に1940年代のビッグ・バンド録音で)ジャンプ・ミュージックの重要人物と考えられているライオネル・ハンプトンだけど、実はジャイヴな録音も多少あることに、最近『フライング・ホーム (1937 - 1950)』(iTunes Storeにて購入した全65曲)を全部聴いていて、気が付いた。

分りやすいのが、「ジャイヴィン・ウィズ・ジャービス」というそのまんまのタイトルの曲。 どうもこれはナット・キング・コール・トリオと共演したものらしい。道理でジャイヴな感じがするわけだ。聞えるギターも多分オスカー・ムーアなんだろう。オスカー・ムーアについては、パソコン通信時代に吾妻光良さんが「一番好きなギタリスト」だと言っていたなあ。
https://www.youtube.com/watch?v=Rqb6iztzHEI

これ以外にもあって、「ライディン・オン・ザ・L・アンド・N」(https://www.youtube.com/watch?v=0hG9IBCBxGY )とか、「ド・レ・ミ」(https://www.youtube.com/watch?v=BktO54q6vOw )とか
他にもビッグ・バンド録音だけど「ヘイ! バ・バ・リ・バップ」とか。

「ド・レ・ミ」は、調べたら(iTunes Storeで買った音源には一切録音データが付与されていないので)、これもまたナット・キング・コール・トリオとの共演らしい。「ジャイヴィン・ウィズ・ジャーヴィス」が1940年録音らしいから、こっちも同じ頃なんだろう。共演は他にもあるんだろうかなあ?

「ライディン・オン・ザ・L・アンド・N」は、ナット・キング・コール・トリオとの共演ではなく、ハンプトンの自分のバンドでの録音だけど、スモール・コンボだから、1930年代後半か40年代初頭なんだろう。ここでオスカー・ムーアによく似たギターを弾いているのは、一体誰なんだろうなあ?

「ハンプズ・ソルティ・ブルーズ」などでも、似たようなギターが聞えるし、バンドの演奏にも、ヴォーカルの感じにも、ジャイヴィーな雰囲気がある。 歌っているのは、ハンプトンではないね。声が違うもん。
https://www.youtube.com/watch?v=5cvxxq5dxPg

ハンプトンといえば、ジャンプなんだけど、ジャンプとジャイヴって、同じような括りで扱われることが多いよね。一つのアンソロジー・アルバムに、ジャイヴもジャンプも並べて一緒に入っているものも結構あるし。少なくとも日本では、同種の音楽として考えられているんじゃないかという気がする。

実際、ジャンプ・ミュージックの重要人物であるライオネル・ハンプトンの音源に、先に貼ったようなジャイヴなナンバーがまあまああって、イントロのピアノがブギウギのパターンを弾いていて、ジャンプ風かなと思って聴き進むと、ジャイヴ風だったりする。当時のジャズメンは一緒くたにしてやっていたのかも。

ルイ・ジョーダンの音楽なんかは、彼はスモール・コンボでのジャンプ・ミュージックの最重要人物と考えられているわけだけど、歌詞の内容や歌い方なんかを聴いていると、相当にジャイヴな雰囲気があるもんなあ。チャック・ベリーなどが、ルイ・ジョーダンから一番影響を受けたのは、そういう部分じゃないの?

例えば「カルドニア」。これもブルーズ曲で、ピアノはブギウギのパターンだからジャンプなんだけど、「キャルド〜ニャ!キャルド〜ニャ!」と叫ぶように歌ったり、後半喋るような感じだったりするのは、キャブ・キャロウェイにちょっと似ているもんなあ。
https://www.youtube.com/watch?v=5LxmxVFoyOc

ルイ・ジョーダンには「G.I. ジャイヴ」というタイトルの曲もあるし、そもそも中村とうようさんが『ブラック・ミュージックの伝統 <ジャズ・ジャイヴ&ジャンプ篇>』に「カルドニア」を入れているのも、単にジャンプ・ミュージックの一例としての意味だけじゃないように思うんだよね。

米本国では、”jive talk” というものが1930年代からあったわけだけど、音楽の種類というかスタイルを指し示す言葉として「ジャイヴ」が使われ始めたのは、日本では、中村とうようさんの『ブラック・ミュージックの伝統』LPセットからだろうと思う。あれは1975年のリリースだった。

僕個人が、音楽関係で「ジャイヴ」という言葉を初めて知ったのは、18歳の時に買ったルイ・アームストロングの1928年録音集LPでだった。あれの中に「ドント・ジャイヴ・ミー」という曲がある。「ふざけないで」くらいの意味で、もちろん、音楽スタイルとしてのジャイヴとはなんの関係もない。

でも「ジャイヴ」という言葉が曲名に入っていたり、歌詞の中に出てきたりするジャズの演奏は、その頃から結構あったのも事実。ジャズを聴始めた大学生の頃は、別にそれをなんとも思わず、意識せずに楽しんでいわけだなあ。意識するようになったのは、さっきも書いた『ブラック・ミュージックの伝統』LPセットから。

僕があのとうようさん編纂のLPセットを買ったのは、リリースからだいぶ遅れて大学生の終り頃(1983年頃)だったけど、75年にあれが出て、その後「ジャイヴ」が音楽ジャンルの名称として認知されるようになってからも、文章でそれをきっちり定義・説明してあるものには、殆ど出会ったことがないのも事実。

「ジャイヴ」なんてのは、なんとなくのフィーリングなんだから、きっちり説明できないものではあるけど、ここに割としっかり書いてある。 おふざけ・ユーモアがあって、少人数編成で、コーラスやスキャットが入ったり、AABA形式とか。
http://www2.ocn.ne.jp/~jive/jive/what.html

この「少人数編成で」という条件の例外ジャイヴなのが、キャブ・キャロウェイだろう。キャブはほぼ常に自分自身のビッグ・バンドで活動していた。キャブの歌は、当時黒人仲間にしか通じない、いわゆるジャイヴ・トークで成立っていて、1944年にそういう隠語をまとめたジャイヴ辞典も出している。

もっとも、ジャズを聴始めた最初の頃からキャブ・キャロウェイ楽団のレコードをいろいろと聴いていた僕には、キャブの歌はともかく、楽団の演奏自体は普通のスウィング・ジャズだと聞えていて、今でもそんなに「シリアス・ジャズと切離した意味での」ジャイヴだと意識したことは、あまりないんだよね。

そもそも、キャブ・キャロウェイなどが入っている、あのとうようさん編纂のアンソロジーが「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ」となっていて(LPでは、なにか違った名前だったような気がするけど)、三つ並べてというかひっくるめて意味を見出すような作りになっているもんなあ。

あの『ブラック・ミュージックの伝統』、CDでは、今、「ジャズ・ジャイヴ・ジャンプ篇」と、三つのジャンルが副題になっているんだけど、LPでは二枚組の両面で、計四面で四つに分けられていた。一面ずつのテーマというか副題みたいなのがあった気がするんだけど、それがなんだったのか、調べないと忘れてしまった。

聴いた感じでは、シリアスなジャズとは少し違うフィーリングがありはするものの、やっているミュージシャンはジャズマンだし、本人達もジャズをやっている気分しかなかったはずだ。以前も書いた通り、ジャイヴも(ジャンプも)ジャズなんだ。区別しすぎない方がいいんじゃないかというのが、ライオネル・ハンプトンを聴いての感想。

まあハンプトンのバンドでは、ジャイヴ風味より、ダイナ・ワシントンが歌うような、例えば「ブロウ・トップ・ブルーズ」などの方が、もっとチャーミングでもっと旨味を感じるのではあるけれどね。

2015/12/15

トルコ古典歌謡の夕べ、12/12、大阪

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オスマン帝国時代、20世紀初頭のトルコ古典歌謡を現代に再興すべく設立されたアラトゥルカ・レコーズ。このレーベル所属の歌手・演奏家達の待望の来日公演が、12/12大阪、12/14東京で開催された。このうち、先週土曜日の大阪公演へ行ってきた。昨夜の東京公演が終るまで書くのを控えていた。

今回のアラトゥルカ・レコーズの歌手・演奏家達によるコンサートは、「日本トルコ友好125周年記念」という主旨でターキッシュ・エアラインズ主催で行われた無料コンサートだった。東京公演もそうだったようだけど、大阪公演も全員が無料招待客。葉書で応募すれば、おそらく全員入場できたはず。

大阪公演は二部構成。一部開幕に先だって女性司会者が「アラトゥルカ・レコーズは世界的に有名な」人達だと紹介していたけれど、僕らにとってはそうでも、世間一般的には無名の存在なんじゃないかなあ。また「アラトゥルカ・レコーズは既に何度も来日し」とも言っていたが、初来日じゃないの?

とにかくそんなMCに続いて開幕した一部の内容は、アラトゥルカ・レコーズの歌手・演奏家達のみによる完全なるトルコ古典歌謡の内容。幕が開くと(幕が上がったり下がったりするコンサートは、随分と久しぶり)、随分と後方に陣取っていて、どうしてなんだろうと思ったけれど、そのわけは後で分った。

そしてはじまった一曲目が、いきなり『Girizgâh』(2014年秋リリースのアラトゥルカ・レコーズの第一作CD)一曲目の、全員の合唱による「ホシュ・ヤラトゥムシュ・バリ・エゼル」で、楽器奏者達によるイントロが鳴り始めた瞬間に、僕は最高潮に感極まり、大泣きし始めてしまった。

隣席の客は、この男の人一曲目の冒頭からどうしてこんなに泣いているんだろうと不審に思っただろうなあ。恥ずかしかった。でもどうにも感情を抑えることができなかったんだよなあ。コンサートの一曲目に『Girizgâh』の一曲目を持ってくるという構成は、間違いなく彼らが狙ったものだろう。

一曲目の「ホシュ・ヤラトゥムシュ・バリ・エゼル」が終った瞬間に、僕は物凄い勢いで拍手しはじめたけれど、僕以外の会場の観客の殆どは、曲が終ったのかどうかイマイチ判断できなかったようで、最初僕だけが拍手していて、それに釣られて他の客も拍手しはじめるという具合だった。他の曲も全部そう。

第一部で披露された曲は全て『Girizgäh』収録曲だったので、トルコ語の曲名を憶えていなくても、僕は聴いた瞬間に全曲分ったけれど、どうやらコンサートに来ていた観客の多くはそんなに熱心にはアラトゥルカ・レコーズの面々によるトルコ古典歌謡を聴いているわけでもなかったようだった。

僕なんか第一部で披露されたどの曲も、はじまった瞬間にウンウンあの曲だと納得し聴入って、終った瞬間に大拍手だったんだけど、会場の反応は極めて希薄で、拍手も小さかったもん。あんなに大きな音で大拍手していたのは、正直言うと僕だけで、そんな僕を怪訝そうな顔で見る客だっていたからねえ。

客の入りだって悪かった。会場の大阪メルパルクホールは、入場時にざっと見渡すとキャパシティは500人程度。ガラガラで、貴賓席以外は自由席だったので、僕は最前列中央の席に座った。そして第一部の開演ブザーが鳴った時にちょっと後ろを振返ると、約三分の一程度しか客が入っていなかった。

まだ日本に入荷していない先月発売の二枚組新作『Meydan』を除けば、まだ『Girizgâh』一つしかないアラトゥルカ・レコーズ。そのCDだって極めて渋いというか地味な音楽だし、この日のコンサート第一部も、全くそのままの地味な内容で、一部のマニア以外にはウケるようなものじゃないからなあ。

第一部で披露された全曲『Girizgâh』からのレパートリーは、アレンジもほぼ完全にCD通りの内容で、生演奏独自のアドリブ・ソロなどの趣向を凝らした内容ではなかった。これは伝統音楽だからこういうものなんだろう。大衆流行音楽でも、ジャズなどを除けば、なんだってだいたいそうだ。

演奏のリーダーシップを執っていたのは、やはりウール・イシュクで、ウードとチェロの持替えで演奏していたけれど、どちらかというとチェロを弾く曲の方が多かったのは、やや意外だった。曲のはじまりや終りのタイミングなども、彼が右手の指のちょっとした仕草で合図を送っているのがよく見えた。

指での合図でなくても、顎をこうクイッと動かして曲をはじめるタイミングを合わせていたのだった。楽器奏者は七人が前列に陣取り、ウード兼チェロのウール・イシュクの他は、カヌーン、ネイ、ヴァイオリン、クラリネット、打楽器など。その後方の一段高くなっているところに歌手達が十人で、女性が六人。

その16人全員が、当然だけどリーダーであるウール・イシュクの方をよく見て演奏していて、アンサンブルは一糸乱れぬ感じの演奏・歌いぶりで、練り込まれた内容だった。というか全曲『Girizgâh』収録曲だから、彼らにとってはこれはもう全て演奏しまくっている慣れた内容だったはずだから。

第一部のなかで、一番素晴しかったのが三曲目の「アダ・サーリルレリンデ・ベキリヨルム」で、これは『Girizgâh』一枚目四曲目通り、男性歌手のベキール・ビュウキュバシュの独唱をフィーチャーしたもの。最高だった。朗々と声を張ってよく通る素晴しい声でコブシを廻しまくり、魅了された。

その時のベキール・ビュウキュバシュは、コブシを廻すごとに右手の手振りでポーズを取っていて、そうして観客にアピールしながら声を張上げて見事に歌い上げていた。アピールといっても、前述の通り全員ステージ後方に位置どっていて、しかも歌手達は一段後方だったので、どれだけ伝わったか分らない。

女性歌手の独唱で一番感銘を受けたのは、九曲目にやった「ジジ・ベユム・ゲル」。『Girizgâh』二枚目六曲目同様、エスマ・バシュブグをフィーチャーし、彼女が「セルベニ、セ〜ルベニ」と同じフレーズを何度も繰返して盛上げるたびに、僕の感情も昂まった。

ただ、どの歌手の独唱でも、一切前に出てくることはなくその場で歌っていて、特にスポットライトも当らなかったので、十人ずらっと並んでいるどの歌手が歌っているのか、一般の客には分りにくかったかも。独唱曲だけは、前に出てきてもよかったような気がする。

魅了されまくりの第一部は、実際の時間も40分程度だったので、(僕にとっては)ほんの一瞬で終ってしまった。15分の休憩を挟んではじまった第二部の冒頭は、日本人奏者による和太鼓合奏だった。後方に陣取るアラトゥルカ・レコーズの面々の前に和太鼓奏者が位置どって、ステージ最前列を埋めた。

それではじめてどうしてアラトゥルカ・レコーズの面々が後方に陣取っていたのか理解できたのだった。和太鼓奏者達のみによる演奏二曲に続き、和太鼓奏者達とアラトゥルカ・レコーズの面々との合同演奏が一曲。知らない曲だった。和太鼓とトルコ古典歌謡の合体は意外だったけれど、フィットしていた。

その後和太鼓奏者が引っ込んで、再びアラトゥルカ・レコーズの面々だけの演唱に戻ると、やはり披露されたのは『Girizgâh』からのレパートリー。そのなかの一曲で、高い帽子をかぶり白い衣裳を着た三人の男性ダンサーが出てきて、ステージ前方でグルグルと回転する踊りを見せる場面もあった。

数曲やると、ウール・イシュクの合図で再び和太鼓奏者達が出てきて、合同演奏になり、それで二曲やった。曲を終える時は、ウール・イシュクが席を立ちステージ最前列に出てきて、大きく右手を振上げて和太鼓奏者達にも終了の指揮を振っていた。最後の曲はそんな感じで、日本の曲「花は咲く」をやった。

「花は咲く」は、日本語でも歌ったから、アラトゥルカ・レコーズの歌手達もかなり練習したのだろう。部分的にトルコ語でも歌ったけれど、それを誰が訳したものかは知らない。それも含め和太鼓奏者達との合奏も、全てピッタリと息が合っていたので、かなりリハーサルを積んだのだということが分る。

本編が全て終ると、女性司会者が再び出てきて、観客にどうですか?と拍手を促して、アンコールでもう一曲だけ、やはり和太鼓奏者達とアラトゥルカ・レコーズの面々の合奏でやったのだが、これは全く聴いたことない曲だった。そんなこんなで、正味の音楽は約一時間半程度、最高に堪能した一夜だった。

一般の多くの観客は、和太鼓奏者が出てくる場面の方が盛上がっていたけれど、昨年来すっかりトルコ古典歌謡にゾッコンの僕は、アラトゥルカ・レコーズの面々のみによる演唱時間がもっと長かったらよかったのにと思ったのだった。ヤプラック・サヤールが来ていなかったのだけが心残りだったけれどね。なんたって僕のMacのデスクトップ・ピクチャ(Winで言う壁紙)は、もう一年近くずっと全部ヤプラック・サヤールの写真ばかりを、いろいろとチェンジしているくらいだもん。

でもヤプラック・サヤール抜きで120%以上大感動してしまったから、二週間ほど前には「行きますよ!」とツイートしていた彼女(来られないと判明したのは、三日前の彼女のツイート)が来て、もし「アマン・ドクトール」でも歌うのを生で聴いたりしたら、これはもう完全に失神してしまうようなことになっていたかもしれないね。彼女抜きでも大満足だった。三日経った今でもまだその感動にひたっているし、一生忘れることはない。

2015/12/14

バーバーショップからファーダ・フレディまで

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以前マンハッタン・トランスファーについて書いた時に、古くからのアメリカン・コーラスが大好きだと書いた。これも以前書いたように大学生の頃はイマイチ歌ものが好きじゃなかった僕だけど、しばらく経って、ミルズ・ブラザーズやインク・スポッツなどの古いヴォーカル・グループが大好きになった。

ミルズ・ブラザーズやインク・スポッツなど、本場米国ではともかく日本では、どういう人がどれくらい聴いているのか、今でもイマイチ分りにくいよねえ。ミルズ・ブラザーズは、ルイ・アームストロングやカウント・ベイシー楽団との共演音源だってあって、一般のジャズ・ファンは、それくらいしか聴いていないかもなあ。

ミルズ・ブラザーズは、アメリカにおける男性ヴォーカル・グループの第一号ということになっている。彼らはいわゆる<バーバーショップ・コーラス>でレコーディングした最初の存在となっているけれど、バーバーショップ・コーラス自体は19世紀からあって、レコーディングも残っているようだ。

バーバーショップ・コーラスという言い方は、1910年に「プレイ・ザット・バーバーショップ・コード」という曲の楽譜が出版されてから使われはじめたものらしいのだが、男性四人(程度)の、文字通り床屋で楽しく歌うグループの存在自体は、主に米南部で1870年代にはあったようだ。

日本だってそうだと思うのだが、床屋というか散髪屋というか美容院でもいいけど、そういう場所は順番待ちの客が集って、噂話をしたりするなかで、集団で楽しく歌い始めたりして、自然発生的にヴォーカル・グループが誕生したのだろう。もちろんそのルーツはキリスト教会での賛美歌合唱にあるはず。

キリスト教会でのコーラス・ワークが、人種問わず幼少時代から身に付いていて、自然にできちゃう人達に比べたら、日本人にとっての「歌」とは基本単旋律だよね。ヴォーカル・ハーモニーを伴う音楽の歴史が染着いているアメリカ音楽は、はっきり言って羨ましい。そういう文化が薄いもんなあ、日本は。

アメリカに行くと、どこでも誰でもごく自然発生的にコーラスが発生する。誰かが歌い始めると、すぐに他の人がハーモニーを付けて、豊かな響きになっていくのを、僕も何度も体験した。そういうのが日常に染着いているから、庶民のなかから出てくるプロの大衆音楽でも、ヴォーカル・コーラスは実に多い。

おそらく世界的にもっとも有名なヴォーカル・コーラスはビートルズのジョン+ポール+ジョージによる三声ハーモニーじゃないかと思う。もちろん彼らはイギリス人だけど、そのコーラス・ワークの起源は、アメリカのエヴァリー・ブラザーズだ。エヴァリー・ブラザーズは兄弟二人によるハーモニーだけど。

エヴァリー・ブラザーズは、同じく二声のサイモン&ガーファンクルや、あるいはビーチ・ボーイズにも影響を与えている。ビートルズの場合、さらに同時代のモータウンのヴォーカル・グループの影響も強く、実際初期は彼らのレパートリーをかなり公式レコーディングして、アルバムにも収録している。

さて、19世紀末から存在するバーバーショップ・コーラスを、商業録音で一般に普及させたのは、1930年代のミルズ・ブラザーズが最初らしい。中村とうようさん編纂の『アメリカン・コーラスの歴史』というアンソロジーCDは「バーバーショップからヒップホップまで」という副題がついていて、ミルズ・ブラザーズが一曲目。

ミルズ・ブラザーズは、その名の通り全員兄弟の四人組。バーバーショップ・カルテットのスタイルは、もっと古くからあったようだけど、商業的な録音作品で普及させたのは彼らが最初だったので、その後のゴスペル・カルテットはじめ、様々なカルテット・スタイルの走りになって、後世に非常に強い影響を与えたのだった。

バーバーショップ・カルテットは、文字通り床屋での順番待ちの客達が始めたものだから、当然アカペラだけど、ミルズ・ブラザーズの録音には、ギター一本の伴奏が入っているのが殆ど。最初は長男のジョン・ミルズがギターも担当していたのだが、デビュー直後に亡くなったため、専属ギタリストを雇った。

その後の様々な商業的なヴォーカル・グループも、大抵ギターとかピアノとかの伴奏が入っている。合唱スタイルのルーツであるキリスト教会では基本的に伴奏楽器はオルガンだけど、ゴスペル以外のポピュラー音楽で、オルガンが伴奏のヴォーカル・グループというのは、僕が聴いた範囲では多くないようだ。

ミルズ・ブラザーズは、今でも子孫が名前を引継いで、続けて歌っているらしい。21世紀の録音は聴いたことがないのだが、1990年代のものをほんのちょっとだけ聴くと、第二次大戦前の録音のような、古き良きバーバーショップ・コーラスの再現は、はっきり言って望むべくもないという印象しかない。

第二次大戦前は、ミルズ・ブラザーズ以後、様々なヴォーカル・グループが出現して、そのなかにはボズウェル・シスターズ、アンドリューズ・シスターズ(とうようさん編纂の『アメリカン・コーラスの歴史』CDに一曲ずつ収録)など、超人気グループも出てきた。後者の「ビア樽ポルカ」は有名だね。

戦前のヴォーカル・グループで、なかでも僕が大好きなのが、最初に名前を出したインク・スポッツで、特に1940年の「ジャヴァ・ジャイヴ」(マンハッタン・トランスファーもカヴァーしている、というかそれで知った)がステキで最高に好きなのだ。コーヒーへの愛を歌う歌詞内容も、まさに僕向き。彼らは39年の「イフ・アイ・ディドゥント・ケア」が一番の代表曲だけどね。

「ジャヴァ・ジャイヴ」
マンハッタン・トランスファー→ https://www.youtube.com/watch?v=0XxsasUHzaQ

こういうのをいろいろ聴くと、インク・スポッツの1930年代末〜40年代録音で、70年代以後のマンハッタン・トランスファーや、その後のヒップホップや、セネガル人、ファーダ・フレディの2015年の傑作『ゴスペル・ジャーニー』まで連綿と続くコーラスの基本は、もう既にできているのが分るよね。
実際、インク・スポッツは、戦後のゴスペル・カルテットやドゥー・ワップの形成にも大きな影響を与えた。そしてそのゴスペル・カルテットとドゥー・ワップこそ、数多いアメリカン・コーラス・ミュージックのなかで、僕が最も愛するものなのだ。この二つはファンも多くてたくさんCDも出ている。

ゴスペル・カルテットとドゥー・ワップは、日本でもみなさん聴いているし、もう僕なんかが付け加えたり改めて繰返す言葉はないだろう。フランク・ザッパやドナルド・フェイゲン(スティーリー・ダン)など、これらの影響を強く受けているロック音楽家も、枚挙に暇がないと思うほど。

枚挙に暇がないというより、はっきり言ってヴォーカル・ハーモニーを伴わないロック系音楽の方が圧倒的に少ないだろうと思うので、特にドゥー・ワップの影響は絶大だね。ビートルズに影響を与えたエヴァリー・ブラザーズはカントリーのクロス・ハーモニーだけど、ビートルズには黒人由来のものも強い。

ビートルズのハーモニーは、初期がいいということになっていて、ある時期以後四人がバラバラになってしまったため、後期はいいハーモニーがあまり聴けない。だけど解散直前にだって『アビー・ロード』に「ビコーズ」があるじゃないか。『アンソロジー』収録ヴァージョンはアカペラで卒倒しそうな美しさだ。
日本ではおそらくそういう分野に一番詳しい一人である山下達郎は、前述のとうようさん編纂『アメリカン・コーラスの歴史』に解説文を寄せ、大衆音楽でいかにヴォーカル・コーラスが重要な要素であるか、刹那的にも見える大衆音楽の世界に、いかに深く伝統文化が活きているかを力説している。

なお、アメリカン・コーラスの三度や五度の並行ハーモニーが大好きな僕だけど、ワールド・ミュージックもいろいろ聴くようになって以後は、例えばブルガリアン・ヴォイスやピグミーの合唱みたいな不協和音を多用する集団ヴォーカル・ミュージックも大好きで、ムチョヤ&ニャティ・ウタマドゥニの一枚も愛聴盤だ。

ムチョヤ&ニャティ・ウタマドゥニ(タンザニア)の『チナ・ニェモ』は、2012年の私的年間ベストテン第一位に選出した傑作アルバム。音量を上げて聴くと、後頭部が痺れてくるような感覚に襲われる、不思議で物凄いヴォーカル・ハーモニー・ミュージックだ。今ではこういうのも大好き。

2015/12/13

ちょっと苦手な『ソーサラー』『ネフェルティティ』

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マイルス・デイヴィスのアルバムでは、『ソーサラー』と『ネフェルティティ』の兄弟作二枚だけがやや苦手な僕だけど、大好きな例えば1969年のロスト・クインテットのライヴ音源などを聴くと、やはりその二枚を経たからこそ存在しうる音楽なのだということは、非常によく理解できる。

例えば、このロスト・クインテットによる「ディレクションズ」。 相当に抽象度の高い演奏だけど、マイルスがこういう音楽をやるようになったのも、『ソーサラー』以後のこと。それ以前のアルバムはこんなに抽象的ではなく、もっと分りやすかった。
ショーター加入後の黄金のクインテットによるスタジオ作でも、最初の『E.S.P.』と『マイルス・スマイルズ』では、まださほど抽象度は高くない。後者にはその兆しがあるけど、前者は、同じリズム・セクションを起用し始めた1963年の『セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン』と、そんなに違わない。

先ほど1969年のヴァージョンを貼った「ディレクションズ」も、70年6月の『フィルモア』辺りからは、ファンキーになってかなり聴きやすく変化しているし、その他の曲もそう。だから、あんなに抽象的なのは、ライヴでもスタジオでも、67〜69年頃の特別なスタイルだったのかもしれない。

『フィルモア』ついでに書いておくと、あの時のベースがデイヴ・ホランドでなくマイケル・ヘンダースンだったらよかったのにという声は、昔から結構あって、実は僕も少しそう思っている。なにしろヘンダースンはファンキーだから。でも『フィルモア』では、ホランドも健闘しているよね。

特に『フィルモア』での四日間ともやっている「ディレクションズ」と「イッツ・アバウト・ザット・タイム」でのエレベは、なかなかファンキーだし、前者でのベース・ラインは、彼の創案で、マイケル・ヘンダースンも踏襲している。元はウッドベースの人だけど、この頃のライヴでは、両方弾いている。

さて、1967〜69年頃の抽象的なマイルス・バンドだけど、同時期にサイドメン達がブルーノートにたくさん録音した、いわゆる新主流派のアルバムは、トニー・ウィリアムズの『スプリング』などを除けば、どれもだいたいとっつきやすいものだから、ボスが入るとどうしてああいう感じになるのか、僕も分っていない。

『ソーサラー』と『ネフェルティティ』の二枚は、マイルスによるアクースティック・ジャズの極地だという高評価が一般的だし、僕も大学生の頃はそんなに苦手でもなく、好きでよく聴いていたのに、いつ頃から苦手になったんだろう?もっとも、僕はこのクインテットでは圧倒的にライヴ演奏の方が好きだけど。

スタジオ録音では、このクインテットによる第一作『E.S.P.』辺りから、ほぼ全部、マイルスかサイドメンのオリジナル・ナンバーを新作のために用意して、それを録音するようになった。ジャズではそういうのはそれまであまり一般的ではなかった。中山康樹さんは、この姿勢を「ロック的」と言っていた。

実際、『ソーサラー』が録音・発売されたのは1967年で、この年にはビートルズの『サージェント・ペパーズ』が出ている。ロック・アルバムが、アルバム単位での聴取に値する価値のある作品であると見做されるようになった頃で、時代の動きに敏感だったマイルスが、これを無視していたはずはない。

もっとも『ソーサラー』と『ネフェルティティ』の二枚では、ボスのマイルスのオリジナルは一曲もなく、一番たくさん書いているのがショーターで、あとはハービー・ハンコックやトニー・ウィリアムズのオリジナル曲ばかりだ。これをもって、この二枚をあまりマイルス的ではないという向きもあるけど、それは当っていないよねえ。

もしどっちかを選べと言われたら、今の僕は『ソーサラー』の方を選ぶ。昔なら『ネフェルティティ』だった。村井康司さんはじめ多くの方が、『ネフェルティティ』の方がいいと言っているけど、『ソーサラー』の方には、リズムが面白い曲が二つある。「プリンス・オヴ・ダークネス」と「マスカレロ」だ。

『ソーサラー』『ネフェルティティ』の収録曲は、殆どライヴで演奏しなかったマイルス・クインテットだけど、「マスカレロ」は例外で、当時からよくライヴで取りあげていた。70年4月のフィルモア・ウェストでのライヴ『ブラック・ビューティー』でやったのが最後。これもショーターの曲だ。

そのことから判断しても、マイルス本人もこの「マスカレロ」という曲を面白いと思っていた証拠だし、僕もそう思っている。『ネフェルティティ』に比して『ソーサラー』の評価がちょっとだけ低いのは、ひとえにラストに、違和感満載の「ナッシング・ライク・ユー」が入っているせいじゃないのかなあ。

中山さんですら、あの「ナッシング・ライク・ユー」を『ソーサラー』から抹殺せよと言っていたくらいだし、今はiTunesなどには取込まないこともできるから、そうしている人も多いらしい。でもこないだ、米国在住のジャズ・ミュージシャン宮嶋みぎわさんと、あの曲はいいねと話したばかりだ。

この頃のマイルス・クインテットは、昔から評価が高かったけど、その評価が一層上がったのは、1980年代からのウィントン・マルサリスを筆頭とする、『スイングジャーナル』誌命名のいわゆる<新伝承派>の連中が、その頃のマイルスや60年代の新主流派の作品を手本にしてやるようになってからだった。

実際、いわゆる新伝承派のレパートリーには、『E.S.P』から『ネフェルティティ』までの収録曲が結構含まれていた。それは当時、ハービー+ロン+トニーのリズム・セクションがまだ健在で、ショーターもウェザー・リポート時代だったけど、たまにジャズをやることもあったから、そのせいもある。

でも、いわゆる新伝承派の作品は、聴けば聴いたでまあまあ悪くないとは思うものの、心から感動できるアルバムは殆どない、というかアルバム単位では全くないね。ウィントンのデビュー・アルバムB面一曲目の「シスター・シェリル」(トニー作曲、1981年のこの時が初演)に感動できるくらいだね。

あの「シスター・シェリル」での、パッと花が開くようなウィントンのソロは、本当に素晴しく感動的。かつて油井正一さんもそれを激賞していたくらいだった。ハービー+ロン+トニーのリズム・セクションだからということもある(アルバムの約半分がこのリズム隊)。でもそれ以外の曲はちょっとなあ。

なんか、いわゆる<新伝承派>の悪口を言いたかっただけみたいになってしまったけど、そういうわけでもなく、まあそれくらい『ソーサラー』『ネフェルティティ』の二枚は、最後まで聴き通すのに、僕の場合は、少しだけ我慢がいる。これは全くの個人的な好みなので、「フェアな」視点では全然ないことだけは断っておく。

2015/12/12

アール・ハインズのトランペット・スタイル

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今日は夜には更新する時間がないはずなので、朝の更新です。

ジャズ・ピアノ史上最も偉大な人物は、カウント・ベイシーも言っているように、アール・ハインズだろう。ベイシーは、ハインズのことをシンプルに "The greatest piano player in the world” と語っている。ジャズマンからのこの手の言葉は、もう無数にある。

油井正一さんも言っているように、ルイ・アームストロングと出会って、彼のトランペット・スタイルが、ハインズの右手のシングル・トーンで弾くピアノ・スタイルの確立に大きな影響を及したというのが定説になっているけど、ハインズ自身はこれを否定している。それ以前から同じスタイルだったと。

まあ音楽家というものは、自分自身ではしばしばその影響源を否定するものだから、本人の言葉は少し割引いて受取らなくちゃいけないだろう。だけど、サッチモがハインズのピアノ・スタイルに影響を与えただけでなく、サッチモもハインズから影響を受けたんじゃないかとも思えるフシがあるんだなあ。

サッチモの例の1928年オーケー録音の「ウェザー・バード」を聴くと、そんな相互影響関係があったように思えてならないんだよねえ。 お聴きになれば分るようにこれはサッチモとハインズのデュオ演奏。丁々発止の、実にスリリングな掛合いだよねえ。
サッチモがピアノとのデュオで吹込んだ曲は、これ以外には、僕の知る限りでは、以前一度触れた1930年オーケー録音の「ディア・オールド・サウスランド」だけだ。そっちでは丁々発止のスリリングな感じではなく、ピアノのバック・ワシントンが、そっと優しくサッチモに寄添うという雰囲気。

サッチモとハインズが初めて出会ったのは、調べてみると、1925年頃らしい。その時に互いの演奏に大いに感銘を受けたという記述もあるから、サッチモと出会う前に自身のピアノ・スタイルを確立していたというハインズの言葉は、あながちウソでもないんだろう。録音での共演は28年までないけど。

何年頃のことかははっきりしない(ハインズの初録音は1923年)けど、ラグタイム〜ストライド・ピアノのスタイルから脱却して、右手でシングル・トーンを奏でるというのを、ハインズが発明というか開発したものであることは間違いないんだろう。その後のジャズ・ピアノはほぼ全員その弾き方になったわけだし。

脱却といっても、ハインズの左手には、特にソロで弾くときは、ストライド・スタイルの影響がかなり残ってはいるけどね。例えば1939年のこれなんか、 左手だけは完全にハーレム・ピアノだ。これはハインズの代表曲で、後年の録音ではもっとモダンになっているが。
1930年代のスウィング期で僕が一番好きなピアニストであるテディ・ウィルスンが、完全にハインズ・スタイルの持主だったし、ジャズ史上最も優れたピアニストと言われるアート・テイタムだって、右手はハインズの影響下にある弾き方。その後のバド・パウエルまでも、ハインズの影響を抜きには語れない。

そして、バド・パウエル以後のモダン・ジャズのピアニストは、ビル・エヴァンスもハービー・ハンコックもチック・コリアもキース・ジャレットも、と挙げていくのがバカバカしく思うくらいほぼ全員が、右手でシングル・トーンを弾いているわけだから、全員がハインズ・スタイルの支配下にあるわけだ。

スウィング期のピアニストで、ハインズの影響を一番モロに被っているピアニストといえば、僕はベニー・グッドマンのビッグ・バンドのピアニストだったジェス・ステイシーを思い出す。例の1938年カーネギー・ホール・コンサートのハイライト「シング・シング・シング」でのソロなんか、そのまんま。

このジェス・ステイシーのソロは、当初予定にはなかったものらしい。グッドマンのクラリネット・ソロ後半から徐々に盛上がり、とうとう我慢できなくなって弾き出す。それでグッドマンが思わず言葉を発する様子も聴ける。9:36辺りから。
このジェス・ステイシーのピアノ・ソロを、サッチモ1928年録音の「セント・ジェームズ病院」におけるハインズのピアノと聴き比べるとよく分る。 全然違う曲だけど、スタイルとしては、ステイシーのピアノはハインズそのまんまなんだよね。フレイジングもソックリだし。
手っ取り早く言ってしまえば、サッチモの出現以後、ジャズ・トランペットの世界で彼の影響下にない人は、おそらくエメット・ハーディーとビックス・バイダーベックだけであるように、ジャズ・ピアノの世界では、アール・ハインズの出現以後、彼の影響下にないピアニストは、おそらく存在しないだろう。

そう言切ってしまっていいくらい、右手でシングル・トーンを弾くピアノ・スタイルが、ジャズの世界では普及してしまった。アール・ハインズの影響下にないジャズ・ピアニストは、彼以前のストライド・ピアニストと、そこから直接出発した、ファッツ・ウォーラー、エリントン、ベイシーなどだけだろう。

そのベイシーやエリントンなどのピアノにしてからが、ハインズが出現して評価を確立して以後は、彼の影響をこうむったスタイルに変化しているように聞えるもんなあ。それもかなり早い時期に。まあそれくらい、右手でシングル・トーンを弾くというやり方は、魅力的で、表現力の豊かなものなんだろう。

なお、モダン・ジャズのピアニストの多くが、右手でメロディを弾くことに忙しく、時々左手が疎かになってしまう場合があるのは、ほぼ完全にバド・パウエルの影響だろう。ペダルについても、パウエル以後は、ダンパー・ペダルを踏まない人が多い。そういうダンパー・ペダルの使い方を変えたのは、ビル・エヴァンス。

バド・パウエル以前のピアニストは、テディ・ウィルスンにも聴けるように、右手と左手のバランスが取れていた。ってことは、ラグタイム〜ストライド・ピアノの影響が、その辺までは残っていたということか。テディ・ウィルスンを含む1930年代ベニー・グッドマン・コンボがベーシストなしなのも、一つにはそのおかげ(もう一つはジーン・クルーパのバスドラ)。

ジャズ・ピアニストじゃないけど、ポール・マッカートニーの弾くピアノで、左手の低音が強力なのは、やはり彼がベーシストでありかつ左利きでもあるのと関係あるんだろう。ビートルズでの「レディ・マドンナ」では、ちょっとヘンな感じもする。
「レディ・マドンナ」は、解散後のポールのライヴでもよくやっているけど、よくこのピアノ・パターンに歌がつられないもんだと感心してしまう。最高のプロに対してそんなこと言うのもおかしいけど。基本的にはブギウギのパターンがベースになっている。ジャジーな感じもあるよね。

2015/12/11

スティーリー・ダンでのピーター・アースキン

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スティーリー・ダンのライヴ盤『アライヴ・イン・アメリカ』で半分くらいドラムスを叩いているピーター・アースキン(もう半分はデニス・チェンバース)を聴いていると、ウェザー・リポートに加入した当初、ライヴの「バードランド」でリズムが裏返ってしまい、戻せなくなった人とは思えない進歩ぶりだ。

僕はその拍が裏返ったという「バードランド」を実際に聴いたわけではないし、また例のブリッジ部分でリズムが裏返りやすい曲ではある。だけどプロのドラマーなんだからと思っちゃった。そういう頃から考えると、スティーリー・ダン『アライヴ・イン・アメリカ』でのプレイぶりは、長足の進歩というか、まるで別人だとしか思えない。

ピーター・アースキンを全部聴いているわけではないどころか、あまり追いかけていないんだけど、僕が聴いた少ない範囲内では、その1993年のスティーリー・ダンのライヴでのプレイが、彼のベスト・プレイの一つなんじゃないかと思っている。

『アライヴ・イン・アメリカ』の二曲目の「グリーン・イアリングズ」とかの、ピーター・アースキン独特のハタハタ・ドラムスは、何度聴いても素晴しい。「グリーン・イアリングズ」は、編集によって化物デニス・チェンバースが叩く「菩薩」と繋がっているんだけど、全くなんの違和感もないもん。

そして、ライナーでドナルド・フェイゲンが書いているように、「サード・ワールド・マン」でのアースキンのドラミングなどは、もう非の打ちどころのない完璧さだ。そもそもあんなにうるさいフェイゲンが、スタジオ・ミュージシャンを使った『ガウチョ』の曲のドラムスを任せようと思うくらいだから。

『ガウチョ』のレコーディングでは、フェイゲンとベッカーが完璧主義で、特にドラムス・トラックについて、あまりもこだわった挙句、タイトル曲ではなんと48個の異なるテイクから音を集めたという話が残っている。このアルバムについてのWikipediaには、”Drum recording" の項があるくらい。

そういう『ガウチョ』から「サード・ワールド・マン」とかの難曲のドラムスをピーター・アースキンに任せているくらいだから、フェイゲン(とベッカー)が、1993年当時どれだけアースキンに信頼を置いていたかよく分る。そして実際のドラムス演奏ぶりも立派で、これだけ聴けば素晴しいドラマーだね。

アースキンがウェザー・リポートに加入したのは1978年録音の『ミスター・ゴーン』からだけど、この人のドラミングをいいなと思ったのは82年の『ウェザー・リポート 82』から。A面ラストの三部構成「N.Y.C.」は、彼のドラムスを聴く曲だ。曲を通していいけど、特に二部の「ザ・ダンス」がいい。

アルバム自体はB面を聴くべきもので、A面はほぼダメだと思っているし、「N.Y.C.」もつまらないけれど、ことアースキンのドラミングに関しては、大きな進歩を実感できる。「N.Y.C.」の二部「ザ・ダンス」は4ビートのジャズ・ナンバーで、アースキンはブラシを使っているんだが、いいね。

このアルバムの前作『ナイト・パッセージ』(1980年)から、ピーター・アースキンのドラムスはだいぶよくなってはいた。一曲目のタイトル・ナンバーが4ビートのジャジーな曲で、エリントンの「ロッキン・イン・リズム」のカヴァーもあるし、ウェザー・リポートの<ジャズ回帰>路線のように言われた作品だ。

『ナイト・パッセージ』の一曲目タイトル・ナンバーもいいんだけど、二曲目「ドリーム・クロック」がスローなバラードで、ここでのアースキンも成長ぶりを見せつけていたし、またB面のショーター・ナンバー「ファスト・シティ」が急速調の4ビートで、ここでも堅実なドラミングを聴かせているね。

さらに『ナイト・パッセージ』の前の二枚組ライヴ盤『8:30』(1979年)の一曲目「ブラック・マーケット」には、中盤、ショーターのテナーとアースキンのドラムスのデュオで演奏するパートが数分あって、そこでアースキンが一人でショーターと渡り合うのを聴くと、これは!と思ったりはしていた。

まあこの辺の1980年以後の『ナイト・パッセージ』や『ウェザー・リポート 82』などは、中村とうようさんはじめ『ミュージック・マガジン』方面では、非常に評判が悪く、本屋で立読みしてもケチョンケチョンに酷評されていた。まあそういうのが、僕がしばらくあの雑誌を買うようにならなかった理由。

『ウェザー・リポート 82』は、原題はシンプルに ”Weather Report” であって、デビュー作と同タイトルなので区別するために、通例(82)と付記される。衝撃のデビュー・アルバムと同じタイトルにしてしまう辺り、ザヴィヌルの自信のほどが伺えるけど、中身はそれほどでもない。

その『ウェザー・リポート 82』を最後に、ジャコ・パストリアスとピーター・アースキンはウェザー・リポートを脱退し、ウェザーの黄金時代が終ってしまう。ジャコは自分のバンドを結成してリーダー・アルバムを録音、ライヴ・ツアーもやったけど、アースキンの方は特にレギュラー・バンドは持たなかったみたいだ。

ウェザー・リポート脱退後のピーター・アースキンは、自分のリーダー・バンドを持って作品を作るよりも、様々なジャズやロックやフュージョン系の有名どころに、セッション・ドラマーとして数多く参加してプレイするようになったようだ。だから、僕もあまり積極的には追いかけていないんだなあ。

時々ピーター・アースキンの名前は見るものの、特にこれといった印象も受けなかったんだけど、それだけに最初に書いた1995年リリースのスティーリー・ダン『アライヴ・イン・アメリカ』で彼の名前を見つけ、さらにその演奏ぶりのあまりの見事さに目を見張る思いだったのだ。

『アライヴ・イン・アメリカ』でのアースキンがどれだけ凄いかは、先に書いた。1980年の(当時の)ラスト・アルバム『ガウチョ』以来久々のバンド再結成、しかも初のライヴ盤で、またこのバンドがライヴをやめてスタジオ作業に専念するようになった時期の作品もライヴ演奏しているので、大きな期待があった。

『アライヴ・イン・アメリカ』付属のブックレットにフェイゲン自身が書いている文章によれば、なぜまたライヴを再開する気になったのかという質問に、ライヴで「バビロン・シスターズ」がどう響くのか聴いてみたかったというのがあった。「エイジャ」とか「サード・ワールド・マン」もそうだよねえ。

『エイジャ』や『ガウチョ」は、フェイゲンとベッカー以外は、全員腕利きのセッション・ミュージシャンを起用して、こだわりの録音を繰返し、たくさん録音した複数テイクからベスト・パートを選んで編集するという、密室作業で造り上げたアルバムだった。当時はライヴでは再現できないと思われていた。

だからその二作からも数多くやっているライヴ盤の『アライヴ・イン・アメリカ』は、スティーリー・ダン・ファンなら、誰でもどんな風になっているんだろうと期待半分・不安半分で買ったはずだ。果して中身は、かつてよりもかなり技術の向上した一流ミュージシャンによって、素晴しい演奏になっている。

そして、そういうライヴで演奏する一流腕利きミュージシャンの一人として、デビュー当時は「バードランド」で拍が裏返って戻せなくなったというエピソードもあるピーター・アースキンが呼ばれているというのは、ウェザー・リポート時代に彼のファンになった僕なんかには、凄く感慨深いものだったのだ。

2015/12/10

ビートルズのバラード・アルバム

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今日は、ビートルズの『バラード』というアルバムを聴いていた。といっても、そういうCDは売っていない。昔、LPで聴いていた編集盤(もちろん公式盤)だ。カセットでも発売されていたらしい。 この編集盤のプロデューサーはジョージ・マーティンで、1980年に出たもののようだ。

今日聴いていたのは、LPではなく、そのLPの曲順通りにiTunesでプレイリストを作って、CDRに焼いたもの。曲順はココで分る→ https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles'_Ballads このアルバム、僕が自分で買ったものではなく、ビートルズ好きの弟が買ってきたのを、僕も好きで聴いていた。

僕が自分のお金で買ったビートルズのアルバムは、1988年に出た『パスト・マスターズ Vol.2』が初。つまりCD。LPは、一枚も自分で買ったことがない。中高生の時にクラスメイトからレコード借りたり、その後弟が買ってくるLPレコードを借りて聴いたりしていたので、あらかた聴いてはいた。

1988年に『パスト・マスターズ Vol.2』が出る頃には、ビートルズのオリジナル・アルバムは全部CDリイシューされていたわけだけど、どうしてあれを最初に買ったのかというと、それまではなかなかまとめて聴くことができなかったシングル盤曲が、全部収録されているという理由だった。

1988年に初めてビートルズを自分で買ったというのも、僕の世代としては、ムチャクチャ遅い部類に入るだろうなあ。でも僕の世代では、学校へギター持ってきてビートルズ・ナンバーを歌う人もいたし、世代的にビートルズの曲は、自然にというか、意識しなくてもだいたいなんとなく知っている人が多かったはず。

1987/88年にCDでビートルズのカタログが整理されて以後、それまでアナログでいろいろと出ていた編集盤は、一切出なくなっているけど、『バラード』もそうだし、その他アルバム未収録のシングル曲を中心にした編集盤(『ヘイ・ジュード』など)などが、アナログでは結構出ていたんだよなあ。

その頃は、オリジナル・アルバムとそれ以外のコンピレイション盤の区別をあまりしてなくて、全部公式盤でもあったから、同じように並べて聴いていたのだった。そういう中に『バラード』もあって、タイトル通りバラード・ナンバーを集めたものだった。さすがはジョージ・マーティン制作だけあるという出来。

バラードといっても、厳密にはバラードではない曲も多く入っている。一曲目の「イエスタデイ」や「フォー・ノー・ワン」などはトーチ・ソング(失恋歌)だし、「アクロス・ザ・ユニヴァース」とか「ノーウェア・マン」みたいに、そもそも恋愛とは無関係な内容の曲も入っている。

「バラード」という言葉の解釈を広げてもいいんだと知ったのも、このアルバムのおかげだった。それまで僕はこの言葉をかなり厳密にというか、狭く捉えていて、ゆったりしたテンポのラヴ・ソング(特に求愛歌)だと考えていたけど、このアルバムにはそうでない曲もたくさん入っていたわけだったから。

まあやはりよくできたコンピレイションだったのだ。正直言うと、僕がアナログ盤(とそこからダビングしたカセット)で、一番回数多く聴いたビートルズのアルバムが『バラード』だったのだ。「アクロス・ザ・ユニヴァース」も、当時はややレアだった(と思う)バード・ヴァージョンが入っていた。

このアルバムでは初期の曲も全部ステレオ・ヴァージョンだった。その後自分で全部買ったビートルズのCDでは、初期四作はモノラル・ヴァージョンが収録されていたもん。それにこういうのでビートルズに親しんでいたせいで、このバンドに関しては、あまり「オリジナル・アルバム」で聴くという習慣が、僕は身に付かなかった。

1987/88年に出たCDでビートルズのアルバムを全部買ってからも、結構自分でいろいろ編集したマイ・ベスト・カセット(パソコンはまだ普及していない)を作って、そういうので普段は聴いていることが多かったしね。パソコンの音楽ソフトが普及して、そういうことがやりやすくなった現在の方が、あまりやらないのはなぜなんだろう?

まあ別にビートルズだけではなく、昔はよくオーヴァー・ジャンルのコンピレイション・カセットを作って、楽しんで聴いていた。そういう編集盤カセット、100本くらいあったはず(今はもう全部処分してしまったし、そもそもカセットを聴ける機器を持っていない)。作ること自体が楽しみだった面もある。

あまりにこの『バラード』に親しみすぎたせいで、「イエスタデイ」が終ると、自動的に脳内で「ノルウェイの森」のイントロのギターが流れてきてしまうようになった。それは今でもそう。『ヘルプ!』で聴いてもピンと来ないというのが現実なのだ。幸いなのか不幸なのか分らないけど。

『バラード』B面一曲目が「サムシング」で、これでポールのベースの面白さも憶えた。パソコン通信時代に仲良く話をしていたソウル・ファンの友人は、ビートルズがあまり好きではなく、ポールのベースについても、「まるで学級委員長みたいなベース」と言っていた。言いたいことは理解できる。

その友人はアマチュア・ベーシストでもあって、今でも時々趣味で弾いているみたいだけど、モータウンのジェイムズ・ジェマースンとか、タワー・オヴ・パワーのフランシス・ロッコ・プレスティアとかが好きらしい。初期のポール・マッカートニーのベース・スタイルは、ジェイムズ・ジェマースンの影響をモロに被っているんだけどなあ。

ビートルズの場合は、オリジナル・アルバム中心に聴くようになったのは、僕の場合は、2009年にリマスター・ボックス(ステレオ盤とモノ盤と両方)が出て、それを買ってからの話なのだ。ジャズの世界ではオリジナル・アルバム中心主義で、僕も昔からそういう聴き方だったのになあ。

編集盤マイ・ベストを作るのが、その頃から面倒くさくなってしまったというのも一因。ジャズだって、さっき書いたように、オーヴァー・ジャンルのコンピレイション・カセットにいろいろ入れて楽しんで聴いてはいたわけだし。

ビートルズの公式音源は、2009年リマスター・ボックスが全部iTunesに入っているけど、そこから編集したコンピレイションを作っているのは、その『バラード』だけ。もちろんこれはマイ・ベストではなく、公式盤LPだったわけで。

『ヘイ・ジュード』みたいなシングル盤音源中心のLPは、アルバム未収録のシングル盤音源が『パスト・マスターズ』二枚にまとめられたから、CDではもう出ないのは当然だろうと思うけど、『バラード』みたいな面白い編集盤は、CDでも出てもいいんじゃないかという気がするんだよなあ。

もうそういうコンピレイションは、自分で勝手に作って楽しんでくれということかもなあ。今はiTunesなどのソフトを使えば、そんなプレイリストは簡単にできちゃうし。でもパッケージ商品としての魅力ってものもあると思うんだけどなあ。こういうのは、フィジカルにこだわる古い考えなのかなあ。

2015/12/09

古い音楽を現代にやるという意味

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タワーレコード新宿店さんのツイートで知った、「1910~30年代のオールド・ジャズ(・ファン)から絶大なる支持を受けるジャネット・クライン」という人を、YouTubeで少し聴いてみた。確かに古いジャズ・ソングを古いスタイルでやっている。
YouTubeに公式チャンネルがあって(https://www.youtube.com/user/janetkleinful)それがいろいろとヴィデオをアップしてくれているので、いくつか聴いてみた。確かにこりゃ楽しいね。2015年に出た新譜のジャケットがこんなだし。


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その新譜では、エリントン・ナンバーの「イースト・セント・ルイス・トゥードゥル・オー」もやっている。それは当然ながらバンドによるインストルメンタル演奏で、ジャネット・クラインもウクレレを弾いているようだ。バッバー・マイリーそっくりのワーワー・ミュートのトランペットは誰なんだろう?

ジャネット・クライン、日本で収録したライヴCD-R三枚を除けば、公式アルバムは、今年の新譜も含めると、今までに既に七枚も出ているなあ。一枚目が1998年のリリースになっているから、昨日・今日出てきたような人じゃない。僕はタワー新宿店さんの2015年のツイートがあるまで全く知らなかった。

しかしながら、そのジャネット・クラインのアルバムを買いたいかというと、そうでもなかったりする。もちろん僕はサッチモやエリントンやベイシーやテディ・ウィルスンやライオネル・ハンプトンなどの、古い戦前のSP録音が大好きで、モダン・ジャズより断然そういうのの方が好みではあるんだけど。

そういう古いスタイルの音楽は、やはり「時代」というものがあってですね、決してそれと切離せないと思うんだ。21世紀の現代(ジャネット・クラインは20世紀末から活動しているみたいだけど)に、ああいう古い曲を古いスタイルのままやったのを、現代の新録音で聴きたいという気持は薄い。

現代の新録音なら、やはり「今の時代に必然性のある」音楽を聴きたいわけだ。もちろん、今後、ジャネット・クラインがやっているような音楽が、再び流行するという可能性は否定しないけれども、今のところはそういう兆しはない。保利さんや毛利さんなどによるぐらもくらぶとか、あったりはするけど。

普段僕が、戦前の古いSP音源ばかり聴いている(ジャズだけじゃなくワールド・ミュージックなどでも)のは、そういうものの方が魅力的で好きだというのが最大の理由ではあるけど、それ以外にもそういう古い音楽が2015年の今にどういう意味を持っているのかということだって、いつも考えているわけだ。

ぐらもくらぶに代表される保利さんや毛利さんの活動、古い戦前の日本のジャズやその周辺音楽ばかりをどんどん復刻しているのも、そういう意味合いが間違いなくあるはずだ。そうじゃないとあれだけ情熱を持って活動できないはずだし、一般の多くのリスナーから支持されないから、復刻も続けられない。

まあジャネット・クラインも、そういう意味で活動しているのかもしれないけどさ。ちょっと聴いた感じだけでは、ノスタルジー以外の感情は湧いてこないんだなあ。調べてみたら日本にもたくさんファンがいるみたいだから、ああいうのを今の時代に聴きたいと思うリスナーも多いんだろうけどね。

もっとも、こんなことを言っている僕も、トルコ古典歌謡については、2012年のミネ・ゲチェリ『ゼキ・ミュレンを歌う』に始り、去年の『Girizgâh』で完全に虜になってしまった。『Girizgâh』は、20世紀初頭オスマン帝国時代の古い曲を、古いスタイルのまま新録音で再現したものだし。

そして、その去年の『Girizgâh』をきっかけに、21世紀にトルコ古典歌謡を歌う、29歳のヤプラック・サヤールの大ファンになり、彼女の音源をたくさん聴くばかりか、古いトルコ歌謡の録音も、聴ける範囲で聴くようになったから、古い音楽の新録音も、そういうきっかけにはなるんだけどね。

もちろん、流行音楽と伝統音楽は違うんだ、大衆流行音楽は、その時代時代に即応していないとダメだけど、伝統音楽はいつまでも伝統的スタイルでやり続けることに意味があるんだ、ブリティッシュ・トラッドだってそうじゃないか、と言われそうだ。そりゃまあその通りなんだけど。

伝統音楽は伝統スタイルでやり続けても、そのままで決して古びないのかもしれないね。でも僕の考えは少しだけ違う。トルコ古典歌謡やブリティッシュ・トラッドや米カントリー・ブルーズみたいな伝統音楽も、時代が新しくなるに合わせて、少しずつ解釈や意味合いを変えて、生延びてきているんじゃない?

ブリティッシュ・トラッドだって、元々は無伴奏で歌うのが伝統なので、1960年代以後のトラッド・フォーク新世代がギター伴奏で歌うのを、「伝統の破壊」だと言う人達がいたんだもんな。今でもそういうことを言う人がいるのかどうか、よく知らないけど、コアな人はやはり無伴奏で歌うようだ。

そういうことはブリティッシュ・トラッドに限った話ではなく、世界中の伝統音楽を演る新世代について言われ続けてきたことだろう。伝統音楽だって、時代に即して新しいフォーマットで演るのが当り前なんだ。そのことと伝統を生かすということは同居しうる。古い音楽はやはり古い録音でしか分らない。

だから、ジャネット・クラインのCDアルバムを買って聴いたり、来日公演に行ったりするファンのみなさんにも、それをきっかけに、是非彼女のやっている古いジャズ系音楽の古い戦前SP録音のオリジナル音源も聴いてほしい。ジャネット・クラインもそういう意図があってやっているのかもしれないし。

などと言ってみたりはするものの、戦前の古いジャズ録音、サッチモとかエリントンなどの全盛期の音楽を、当時に生で聴いていた人達がかなり羨ましかったりするのも事実なんだよね。そういう人達は、彼らのいい時期の音楽を、いい生音で聴いていたわけだからなあ。古いものが好きなオヤジの戯言だけど。

だから、もしもタイムマシーンがあったなら、僕は1920年代の米シカゴやニューヨークに行ってみたいんだ。そして、その頃のサッチモやエリントン楽団の生演奏を聴いてみたい。あるいは、今なら、20世紀初頭のエジプトやトルコのスミュルナなどにも行ってみたいね。

2015/12/08

ポップなザヴィヌルと抽象的なショーター

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ウェイン・ショーターは「プラザ・リアル」という自作の曲が好きらしい。初演はウェザー・リポートの1983年『プロセッション』で、その後このバンドが解散してからも、自分のコンサートで頻繁に取上げている。アルバムに収録されているのは、2013年の『ウィズアウト・ア・ネット』だけだけど。

僕の知る限り、CDなどのアルバム収録されている「プラザ・リアル」は、そのウェザー・リポートの『プロセッション』とショーターのソロ『ウィズアウト・ア・ネット』以外には、ウェザー・リポート解散後の2002年にリリースされたCD二枚組ライヴ盤『ライヴ・アンド・アンリリースト』だけだ。

このうち『プロセッション』収録のヴァージョンは、というかこのアルバム全体が、リリースされた時になんどか聴いたけど、どう聴いてもちっとも面白いものとは思えず、これはジャコ・パストリアスとピーター・アースキンが脱退し、ヴィクター・ベイリーとオマー・ハキムになっての初アルバムだった。

新リズム・セクションになってのこの初アルバム(1983)が、一部マンハッタン・トランスファーなども参加しているけど、どうにも退屈でたまらなかったので、僕などはやっぱりウェザー・リポートにはジャコがいないとダメだよなと思ってしまったのだった。今聴いてもどこがいいのやら・・・。

もっともこの新リズム・セクションになっての第二作『ドミノ・セオリー』(1984)とその次の『スポーティン・ライフ』(1985)はかなり良くてなんども繰返し愛聴したから、分らないもんだなあ。特に前者一曲目R&B歌手のカール・アンダースンが歌う「キャン・イット・ビー・ダン」は最高だ。

「キャン・イット・ビー・ダン」は、ザヴィヌルの友人だというウィルスン・ティーが書いた曲で、今ではウェザー・リポートの最高傑作だっただろうと僕が確信する最高のR&Bバラードだ。ザヴィヌルとウェザーなんて、という向きには悪いこと言わないから是非一度聴いてほしい。
この曲では、カール・アンダースンのヴォーカル以外は、オマー・ハキムがスネアを叩くだけで、あとは全部ザヴィヌル一人のシンセサイザー演奏によるもの。ハイハットのような音が聞えるが、それもシンセで出している。ザヴィヌルの書いた曲ではないものの、ブラック・フィーリング横溢の演奏だよね。

考えてみれば、こういうザヴィヌルのヴォーカル指向は、先に触れた『プロセッション』でマンハッタン・トランスファーを起用した「ウェア・ザ・ムーン・ゴーズ」から出てくるようになって、その後はウェザー・リポートの残り全部と解散後のソロ・プロジェクトでも、死ぬまで続いていたものだった。

ザヴィヌルはアリサ・フランクリンの『ソウル ’69』で三曲伴奏を務めている。キャノンボール・アダレイのバンド在籍時代だ。だから歌伴の経験が全くないわけではないのだが、その後はマイルスのバンドでもウェザー・リポートでも、たまにジャコがハミングする程度で、殆どヴォーカルを使っていない。

僕はその時代にザヴィヌルを知ったので、『プロセッション』でマンハッタン・トランスファーを起用しているのを聴いた時は、かなり驚いたのだったけど、彼にとっては突然でも不思議でもなかったのだろう。ポップな方向性を強く打出すようになり、その最高傑作が「キャン・イット・ビー・ダン」だ。

みなさんご存知の通り、ザヴィヌルはサリフ・ケイタのアルバムをプロデュースしたのが1991年に一枚あるし、その後の自分のソロ・アルバム96年『マイ・ピープル』でもサリフを使い、その「ビモヤ」は、後の自身のライヴ・アルバムではヴォコーダーを使って自分で歌っている(ベースはカメルーンのリシャール・ボナ)。そういう人だったんだろうね。

ザヴィヌルの書いたウェザー・リポート最大のヒット曲「バードランド」を、「らしからぬポップなメロディー」と言う人もいるけど、その指摘は当っていないように思う。ベースがアルフォンソ・ジョンスンになった『幻想夜話』と『ブラック・マーケット』に既にかなりポップな曲があるし、そもそもデビュー・アルバムから「オレンジ・レディ」みたいな曲(録音はマイルスの方が先で、発売はマイルスの方が後)もあった。このバンドがある時期までポップじゃなく聞えるのは、ザヴィヌルじゃなくてショーターとヴィトウスのせいだろう。

そういうポップな方向性を持っていたザヴィヌルに比べたら、ショーターにそういう要素は全くといっていいほどない。ザヴィヌルがマンハッタン・トランスファーを起用した『プロセッション』のためにショーターは「プラザ・リアル」を書き、その後のウェザー・リポートのライヴでもよく演奏している。

『ライヴ・アンド・アンリリースト』収録ヴァージョンなどを聴くと、「プラザ・リアル」は、スタジオ録音とほぼ同じだ。このバンドはどの曲もだいたいそうなのだ。それは独裁者ザヴィヌルのアレンジの強さと支配力のゆえだろう。ライヴ・ヴァージョンの方が若干活き活きとしているようには聞えるけど。

解散後のショーターは、自分のソロ・ツアーでも「プラザ・リアル」を実に頻繁に演奏しているらしいので、やはりお気に入りの自作曲なんだろうね。過去の自作曲では「ジュジュ」(『ジュジュ』)や「フットプリンツ」「オービッツ」(『マイルス・スマイルズ』)や、その他いろいろと取上げている。

「マスカレロ」(『ソーサラー』)や「サンクチュアリ」(『ビッチズ・ブルー』)などもやっているけれど、ウェザー・リポート時代の自作曲では、他にもたくさん書いているのに、自分のソロ・ツアーでやりアルバムにも収録しているのは「プラザ・リアル」だけだから、相当に気に入っているんだろう。

「プラザ・リアル」をやっている『ウィズアウト・ア・ネット』は、ピアノのダニエル・ペレス、ベースのジョン・パティトゥッチ、ドラムスのブライアン・ブレイドとのカルテット編成。2002年の『フットプリンツ・ライヴ!』からこうなっているけれど、かなりいいバンドだよね。特にドラマーは最高。

このレギュラー・カルテットでは、今までに四枚アルバムを出している。どれもなかなか面白い。ショーターは例によって曲によってテナーとソプラノを吹分けている。四枚とも完全にアクースティックなジャズ作品で、一切電気楽器は使っていないけれど、サウンド・テクスチャーは明らかに電化後のものだ。

それはウェザー・リポートよりも、もっと前のかつての自作ソロ・アルバム『スーパー・ノヴァ』『オデッセイ・オヴ・イスカ』『モト・グロッソ・フェイオ』の頃の音楽に非常に近い抽象的なもので、アクースティック・サウンドではあるけれど、これ以前にブルーノートに残した作品にはあまり似ていない。

アクースティック・アルバムで敢て探せば、マイルスの『ソーサラー』『ネフェルティティ』に近い感じだけど、それよりやはり『スーパー・ノヴァ』などでの、曲のテーマ・メロディをバラバラに解体し、断片的に再構築し直すようなやり方の方に近いように聞えるんだなあ。あの頃のは長年難解だったけど。

しか近年のショーターの『フットプリンツ・ライヴ!』(これが今のところは、ペレス+パティトゥッチ+ブレイド編成では一番いい作品だと思う)や『ウィズアウト・ア・ネット』などを聴くと、創り方は『スーパー・ノヴァ』などでのやり方にソックリだと思うのに、さほど難解にも聞えないのは不思議。

一つには普通のアクースティック・ジャズ・カルテットだというのもあるだろうし、もう一つには僕の耳もだいぶ慣れてきているんだろうというのもあるはず。ベースだけがやや古めのサウンドかもしれないと思うけれど、ピアノとドラムスは完全に21世紀の新しい音だ。特にブライアン・ブレイドはいいね。

ブライアン・ブレイドは、例のJTNC系の先生方も称賛するだけあって、やはり新時代のビートを叩出しているように僕の古い耳にも聞える。それでもとっつきやすく聴きやすいのは、僕なんかは1960年代から70年代にショーターと頻繁に共演したトニー・ウィリアムズの方が革新的に聞えるからだ。

まあそういうオヤジの懐古主義はともかく、現在80歳を超えて現役のウェイン・ショーターが、21世紀になってからのジャズ新時代のサウンドに取組んで、音楽的には歳を取らないばかりか、むしろ若返っているようにすら思えてくるのは、マイルス・バンド時代で彼を知った僕らには嬉しい限りだね。

2015/12/07

ザラついた声で激しくシャウトするゴスペル歌手サム・クック

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Twitterで(知らない人と)少しだけサム・クック関係のやり取りをした関係の流れで、今日はサムのソウル・スターラーズ時代の完全集三枚組を、少し聴いていた。ソウル・スターラーズ時代と言わず、僕がサム・クックを初めて聴いたのは、『ザ・マン・アンド・ヒズ・ミュージック』というベスト盤だった。

『ザ・マン・アンド・ヒズ・ミュージック』は、調べてみたら1986年に出たコンピレイションCDだ。僕が買って聴いたのは、多分90年過ぎじゃなかったかと思う。そして、このコンピレイション盤の一曲目が、ソウル・スターラーズ時代の「タッチ・ザ・ヘム・オヴ・ヒズ・ガーメント」だった。
その頃は、サム・クックという人がどういう経歴を持った歌手だったのか、まだ全く知らなかったし、ゴスペル時代を経てソウルに転向したということも、全く分ってなかったんだけど、その一曲目「タッチ・ザ・ヘム・オヴ・ヒズ・ガーメント」と二曲目「ザッツ・ヘヴン・トゥ・ミー」もゴスペルだった。

どうもこの時が、二曲だけだけど、ゴスペル音楽をちゃんと聴いていいと思った最初だったのかもしれないなあ。マヘリア・ジャクスンなどは、ジャズの文脈でもよく名前の出てくる歌手だから、一応聴いていたし、アリサ・フランクリンのゴスペル・アルバムも聴いてはいたけど、イマイチに感じていた。

マヘリア・ジャクスンとか、アリサのゴスペル・アルバムとかの面白さは、少し後にならないと分らなかった。当時はゴスペルはソロ歌手より、コーラスでやるカルテット・スタイルや大人数のクワイアなどの方が聴きやすく親しみやすく、特にゴスペル・カルテットのアルバムばかり買っていた。

それで、もっと聴きたくて、サムの歌うソウル・スターラーズ時代のCDを買おうと思ってCDショップに行ったけど、僕の探し方が悪かったのか見つからず、ようやく買えたのが1991年にスペシャルティの権利を買ったファンタジーから出たこのアルバム。

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聴いてみたら、『ザ・マン・アンド・ヒズ・ミュージック』の一曲目だった、ゴスペル時代のサムの最高傑作であろう「タッチ・ザ・ヘム・オヴ・ヒズ・ガーメント」などはもちろん入っているけど、一曲目の「ピース・イン・ザ・ヴァリー」がまた素晴しくて、こりゃたまらんとなったわけだ。
しばらくは、このスペシャルティ録音のCDばかり聴いていて、サム・クックは凄い凄いと思っていた。そういうわけだから、ソウル歌手としてのサム・クックを聴くのは、ちょっと遅くなってしまったのだった。そういうサム・クック入門をした人間は少ないかもしれない。

今考えたら、その一枚物CDに、ゴスペル歌手としての、ソウル・スターラーズ時代のサムの代表的歌唱がかなり入っているし、編集盤は他にもいくつも出ている。その後、2002年に出た三枚組CD全集を買って、これを聴きまくった。特にラストに三曲入っているライヴ音源が凄い。

『ザ・マン・アンド・ヒズ・ミュージック』では、四曲目がソウル転向後の「ユー・センド・ミー」だったんだけど、続けて聴いて、全くなんの違和感もなく、スムーズに繋がっていた。だからゴスペルとソウルの違い(歌詞内容以外の本質的違いは、実はいまだによく分らない)を意識することはなかった。メイン歌手のバックで「オー、イエス・マイ・ロード」とか「オー、ジーザス」とか繰返しているのを、そのままホーン・セクションなどのリフに置換えただけじゃないのかと思ってしまう。

少なくとも、サムの歌い方については、ソウル・スターラーズ時代も、ソウル・ミュージック転向後も、なにも変っていない。バックのサウンドは当然ながら違うんだけど、そもそも「ソウル・ミュージック」というものが、サムの創ったジャンルなんだから、サムの歌に違いがないということの意味は大きい。

実は本音を言うと、ソウル・ミュージック転向後のサムの歌声は、特にスタジオ録音では少しスムースで滑らか過ぎる気がして、引っかかりがなく、いろんなブラック・ミュージックを聴いていると、最初は少し物足りなく感じていた頃があった。ナット・キング・コールがアイドルだったらしいから、当然だけどさ。

それに比べたら、ソウル・スターラーズ時代の歌唱は、やはり滑らかであるとはいえ、少し荒々しさがあるし、やや濁った声で強くシャウトするような瞬間もある。ゴスペル時代のサムで、僕が一番好きな「タッチ・ザ・ヘム・オヴ・ヒズ・ガーメント」などでもそうだ。どっちかといと、そういう方が好きな僕。

ゴスペル時代もソウル・ミュージック時代も、サムの歌い方はほぼ同じと言ったそばから、少し違うと言ったり、なんか僕も矛盾しているみたいだけど、どっちも僕の正直な気持なんだよね。多くのサム・クック・ファンの方々には、おそらく納得していただけるはず。今もゴスペル時代が好きではあるけど。

ソウル・スターラーズ時代のスペシャルティ録音全集三枚組のラストには、ライヴ録音が三曲収録されていて、これら三曲は、僕はこの三枚組ボックスで初めて聴いたものだった。そのうち、特に後半の二曲「ビー・ウィズ・ミー・ジーザス」と「ニアラー・トゥ・ジー」が、背筋が凍りそうなほど凄まじい。

サム・クックはソウル転向後も、ライヴ録音の方が圧倒的に凄いけど、ゴスペル時代もそうだったことがよく分る三曲だった。もっともっと聴きたいんだけど、ソウル・スターラーズ時代のライヴ音源は、他に存在しないんだろう。オーティス・レディングも真っ青のザラついた声で、激しくシャウトしている。

ちょっとそれ貼っておこうかな。
「ビー・ウィズ・ミー・ジーザス」→ https://www.youtube.com/watch?v=3tbL_4VaoPU
「ニアラー・トゥ・ジー」→ https://www.youtube.com/watch?v=yODRHN9IKjI
どこで歌っているのかなあ?女性の歓声が凄くて、サムの歌がよく聞えない瞬間があるほどだね。

こんなに凄いんだから、世俗歌手に転向せず、ゴスペルを歌い続けていたらよかったんじゃないかとすら思ってしまうけど、そんな風に思うのは、まあ多分僕だけなんだろう。一般的にはサム・クックはゴスペル歌手というより、ソウル・ミュージックの創始者としての評価が著しく高いわけだからなあ。

ところで『ザ・マン・アンド・ヒズ・ミュージック』というCD、今日も聴いたけど、今聴くとかなり音がショボイよね。これはCD時代初期のものだからなあ。今では、これに収録されている殆どの曲が、もっとちゃんとした音質のCDで聴ける。唯一の問題は、ラストの「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」だ。

「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」、サムの書いた曲では最高傑作だろうし、曲調と歌詞の内容も相俟って、公民権運動の時代を代表する大名曲。無数のカヴァーも存在するんだけど、長年CDでは『ザ・マン・アンド・ヒズ・ミュージック』でしか聴けず、ストリングスもシンセサイザーで出しているみたいな音だったもんなあ。

どうやらアブコとRCAの間で権利関係の問題があって、なかなかCD収録されなかったらしい。「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」が実に効果的に使われていた1992年の映画『マルコム X』でも、そのサントラ盤にこの曲は収録されていなかった。そのシーンこそが、映画で一番印象深い場面だったのに。

「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」が収録されているオリジナル・アルバム『エイント・ザット・グッド・ニュース』が、初めてちゃんとCDリイシューされたのは、かなり遅く2003年になってのこと。それまではストリングスが少しシンセサイザーによるものみたいに聞えていたのも、きちんと聞えるようになった。

でも『エイント・ザット・グッド・ニュース』というアルバム、全体的にはポップ時代のナット・キング・コールによく似ていて、「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」以外は、個人的にはちょっとだけ食足りない感じがする。SACDや紙ジャケ(日本盤)でも出ているらしいけど、それらは僕は知らない。

2015/12/06

ソロ/非ソロ

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アドリブ・ソロこそが命のように言われるジャズ音楽。ソロの存在自体疑う人すらいないわけだけど、20世紀初頭に、ニューオーリンズで誕生したごく初期のジャズには、個人のソロというものはなかった、らしい。「らしい」というのは、当然ながら、その当時の録音というものが残っていないので、文献資料でしか分らない。

ビバップがジャズの最先端だった1940年代に、ニューオーリンズ・リヴァイヴァルがあって、ジャズ初期の古老達がどんどん録音するようになったから、そういうもので、発生当時の初期ジャズの姿を垣間見ることはできるけど、それもその後のジャズに多少影響されていたから、そのままの姿ではない。

もっとも、「ジャズ」の誕生というか第一号を、スコット・ジョップリンのラグタイムに置く考え方もあって、そうなると、ジャズの歴史はもうちょっと古いことになるけど、それでもソロがないことには変りがない。ジョップリンのラグタイム・ピアノは完全記譜音楽で、アドリブは存在しないのだ。

ラグタイム・ピアノをジャズの起点に置く考え方は、2011年の『ジャズ:スミソニアン・アンソロジー』六枚組CDで示されたもので、そのアンソロジーでは、オープニングがスコット・ジョップリンの「メイプル・リーフ・ラグ」だった。ジョップリンがこの曲を作曲・発表したのは1899年のこと。

でもそのラグタイム=ジャズの誕生という視点は、若干特殊だろう。シンコペイトするリズムは、かなりジャズ的であるとは言えるけど。やはり南北戦争後の軍楽隊が残した管楽器を基に、ブラスバンドを基本に置いてジャズ発生を考えるのが常識的。その後のジャズ史を見ても、管楽器中心の音楽なのだから。

もちろん、ジャズ以前の19世紀においては、ラグタイムと吹奏楽は密接な関係があった。フォスターやゴットシャルクといった作曲家は、シンコペイティッド・ミュージックを書いていたし、マーチ王として有名なスーザだって、ラグっぽいマーチをいろいろ作っている。マーチはラグタイムの重要な母体。

ピアノも、ジャズの初期から2015年の現在に至るまで、一貫して人気の衰えたことのない楽器(特に日本では大人気)だけど、発生当時のジャズにはピアノはなかったし、ジャズの歴史全般を見たら、常に時代をリードしてきたのは、トランペットやサックスといった管楽器であることは明白な事実だろう。

ジャズ史上初のレコード録音となっているのは、1917年2月26日、ニューヨークで白人バンド、オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドが録音した二曲。ジャズ誕生から少し経過しているし、白人バンドによるものだから、初期ジャズのオリジナルな形を残したものとは言えないだろう。

ついでに書いておくと、黒人ジャズマンの初録音は、トロンボーン奏者キッド・オーリーのサンシャイン・オーケストラが、ロサンジェルスで録音した1922年6月の六曲(これには異説あり)。キッド・オーリーはニューオーリンズを中心に活動していて、キング・オリヴァーやサッチモとも録音している。

1922年というのは、ジャズ発生史から見たら、相当に遅い。様々な資料から明らかだけど、その頃既にジャズは誕生当時の姿ではなくなっていたはずだ。そして、そのキッド・オーリーとも録音を残したサッチモことルイ・アームストロングこそが、その後のジャズを運命づける「ソロ」の概念を確立した。

サッチモの初録音は、キング・オリヴァーのバンドで1923年4月5日にリッチモンドで吹込んだ五曲。既にバンド・リーダーで師匠のキング・オリヴァーを凌駕せんとする存在感を示し始めている。サッチモは先にシカゴに来ていたキング・オリヴァーの招きで、ニューオーリンズから出てきたのだった。

しかしながら、録音で辿る限りでは、サッチモが自分のトランペット(コルネットだけど)・スタイルを確立するのは、1924年10月にフレッチャー・ヘンダースン楽団に加入した頃のことだろう。その頃には、ヘンダースン楽団のスタイルを、ホットなジャズへ一変させたと言われる強烈な演奏ぶりだ。

そして、その1924年頃が、サッチモがジャズにおける個人のアドリブ・ソロを一般的なものにした時期なんだろう。もっと前からそうかもだけど、録音されたもので辿る限りではそうだ。ヘンダースン楽団にしてからが、スウィートなダンス・バンドだったのが、ホットなソロを聴かせる楽団に変化した。

その後のサッチモの快進撃と、後世に与えたあまりに大きすぎる影響力については、既にいろんな人によって語り尽くされているし、日本語で手軽に読めるものでは油井正一さんの『ジャズの歴史物語』にも詳しく書いてあるから、僕が今更繰返す必要はない。「ソロ」の呪縛は、あまりに強力すぎるくらい。

ジャズで「ソロ」というものを吹いたのが、果して本当にサッチモが初めてだったのかどうかは、実ははっきりしない。少なくとも、録音でそれを辿って証明することは難しい。実際シドニー・ベシェの方が少しだけ早かったかもしれない。しかし、サッチモが初めてではなかったにせよ、ソロ概念を強く確立・普及させたのが、サッチモであったことは、疑いえない。

そして、サッチモの貢献によって、集団即興演奏だった発生当時のニューオーリンズ・ジャズから脱却して、ソロを演奏の中心に据えるようになって以後は、ジャズとジャズ周辺音楽が、ソロ中心の演奏スタイルでなくなったことは、2015年に至るまで、一度もない。「全て」がソロ廻しメインの音楽だ。

ジャズとその周辺音楽は、そういうアドリブ・ソロ(譜面化されていることも、時々あるけど)を演奏の中心に据えたからこそ、これだけ様々に発展してきたのだと言える。ビバップだって、その後のモダン・ジャズだって、フリー・ジャズだって、ジャズ・ロックだって、フュージョンだって、ヒップホップ・ジャズだって、全部そうだ。

つまり「ソロ」を取らないジャズ(とその周辺音楽)は存在したためしがないわけで、その意味でもこの「ソロ概念」を確立したサッチモの偉大さを、どれだけ強調してもしすぎることはないんだけど、ジャズ史上、たった一つだけ、このソロの呪縛から逃れようとしたバンドがある。ウェザー・リポートだ。

ジョー・ザヴィヌルのではなくウェイン・ショーターの言葉だったと記憶しているけど、”We always solo, we never solo.” という有名な台詞がある。この言葉の意味するところは、初期のウェザー・リポート、特にデビュー・アルバムと『ライヴ・イン・トーキョー』を聴くと、よく分る。

それら二作で聴けるウェザー・リポートの演奏は、テーマ演奏があって、その後に個人のアドリブ・ソロが来るという手法ではない。一曲毎に、演奏全体がバンド・メンバーよって集団で展開されて、たまに個人のソロのように聞える瞬間があるが、実は全員が一斉にソロを演奏している一部分であるというのが正しい。

全員が一斉にソロを演奏しているということは、誰もソロを演奏していないというのと同じだから、さっき紹介した ”We always solo, we never solo” というショーターの言葉通りのことになっているわけだ。特にミロスラフ・ヴィトウスが在籍していた1974年頃までは、そうだった。

そういうのが無秩序な集団即興にならず、完璧な構築物になっていたのは、ザヴィヌルの強力なリーダーシップがあったからだ。特に、ヴィトウスが在籍中最後の『ミステリアス・トラヴェラー』以後は、ザヴィヌルによって譜面化されていた部分もかなりあったと推測している。

実際、ヴィトウスが抜けて、ショーターも個人的な事情で音楽活動だけに集中しにくくなってからは、ザヴィヌルの独裁体制が一層強くなって、当初のソロ=非ソロの理想はそのままに、スタジオ録音ではほぼ譜面化されて、それが実現していたようだ。ジャコ・パストリアスの弾くベース・ラインすら、スタジオ録音では全て譜面があったらしい。

全て譜面化されているのなら、それはアドリブでもソロでもないのではないかという意見もあるだろう。しかし、それはジャズにおける「アドリブ・ソロ」に対する一種の幻想みたいなものではないかと僕は思っている。重要なのは、実際に即興で演奏したかどうかではなく、即興らしく聞えるかどうかだろう。

ザヴィヌルは、そういう発想を1968年頃に持っていたらしい。マイルスの『ネフェルティティ』一曲目のタイトル・チューン、一切個人のソロがない曲を聴いて、これは自分の考えている方向性と同じだと感じたらしい。それでマイルスに共感したわけだけど、マイルスはその方向性はあまり発展させなかった。

だからザヴィヌルは自分でバンドを組んで実現させたわけだ。現役の頃は、一般的な人気もあって玄人筋からの評価も高かったウェザー・リポートなのに、解散後はあまり顧みられなくなって、再評価の気運もない。露骨な手のひら返しみたいで、あんまりだ。みなさん、またちょっと聴直してみて下さい。

2015/12/05

ソニー・クラークとブルーノートのピアノ録音

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生れて初めて買ったジャズ・ピアノ作品は、以前も書いた通り、トミー・フラナガンの『オーヴァーシーズ』だったんだけど、彼は当時この一枚しかリーダー作がなく、1970年代録音なら何枚かあったけど、どれもイマイチだったから、ジャズ・ピアニストでいろんな作品を聴いてファンになったというのは、ソニー・クラークが初めてだったと言えるだろう。

とはいうものの、ソニー・クラークの場合は、ピアノ・トリオ作品(少ないけど)はあまり聴かない、というかイマイチ好きではない。僕が好きなソニー・クラークは、断然ホーン入りのコンボ編成のアルバムだ。そうなんだけど、最初に買ったソニー・クラークのアルバムは、やはりトリオ物だった。

有名なブルーノート盤の『ソニー・クラーク・トリオ』でも、玄人筋から評価の高いタイム盤『ソニー・クラーク・トリオ』でもない(録音当時からリアルタイムで発表されていたトリオ物は、この二つだけ)。僕が最初に買ったのは、死後の1979年にリリースされた『ブルーズ・イン・ザ・ナイト』。

『ブルーズ・イン・ザ・ナイト』は、ポール・チェンバーズとウェス・ランダーズとのトリオ編成で、1958年にブルーノートに録音されたもの。そのままなぜかお蔵入りして、79年の初リリースLPは、実は日本でだけ。79年は僕がちょうどジャズを聴始めた年で、当時の最新盤として買ったのだった。

その『ブルーズ・イン・ザ・ナイト』、特にオープニングの「キャント・ウィー・ビー・フレンズ」が最高にチャーミングで、ミドル・テンポで軽快にスウィングするし、ウェス・ランダーズのブラシもいいし、一発でソニー・クラークを好きになった。このアルバム、普段はバラードでやることが多いような曲も、アルバム・タイトル曲以外は、全部軽快なミドル・テンポ。
ちなみにこのアルバムでは、ドラムスのウェス・ランダーズは全曲ブラシしか使っていない。僕はブラシの音が大好き。最初に書いたフラナガンの『オーヴァーシーズ』、この生まれて初めて買ったジャズ・レコードでのドラマー、エルヴィンが全編ブラシしか使っていなかったもんなあ。

それでソニー・クラークはこういう軽快にスウィングするポップなジャズ・ピアニストなのかと思って、その後人気のあるブルーノート盤『ソニー・クラーク・トリオ』を買ってみたら、これが全然そんなフィーリングではないので、戸惑ったというか、ややガッカリしたんだなあ。実は今でもあまり好きじゃない。

特に、あのトリオ物の中で有名な「朝日のように爽やかに」などは、モッサリしているというか、なんだか野暮ったい感じがして、どこがいいのか昔も今もよく分らないんだなあ。ドラマーがフィリー・ジョー・ジョーンズなのと、録音のせいもあるんだろう。ブルーノートのピアノの音は、あまり好きじゃない。

オーナーにしてプロデューサーだったアルフレッド・ライオンの嗜好だったんだろうけど、そもそもブルーノートの録音は、トランペットやサックスなど管楽器の音は野太くて迫力があって大好きなんだけど、ピアノに関しては、ゴロゴロした音で、あまり好みじゃないんだよなあ。ピアニストを録音しようと思って設立されたレーベルなのに。まあ1967年頃から変るけどね。

音楽的にはあまり好きなレーベルじゃないECMだけど、ことピアノの録音に関してだけは、ブルーノートやアトランティックの音よりいいと思うし、好きだね。はっきり言っていいと思うのはそれくらいで、それ以外は、楽器の音も音楽性も、どう聴いてもブルーノートやアトランティックなどのガッツのある音がいい。

その後ソニー・クラークのアルバムを聴くと(彼はタイム盤が一枚あるだけで、他は全部ブルーノート)、どれを聴いてもやっぱりゴロゴロ・モッサリなピアノの音。だから『ブルーズ・イン・ザ・ナイト』だけどうして軽快な音なのか、ひょっとしてエンジニアが違っていたりするのだろうか(見ていない)?

あるいは、演奏内容は素晴しいのに、ああいう軽快なピアノ・タッチに録れてしまったせいでアルフレッド・ライオンのお気に召さず、それで20年間お蔵入りしてしまったのだろうか?まあ、よく聴けば『ブルーズ・イン・ザ・ナイト』も、ドラムスのウェス・ランダーズのおかげで軽快に聞えるだけかもしれないが。

ソニー・クラークも、ブルーノートじゃない唯一のアルバムであるタイム盤の『ソニー・クラーク・トリオ』(ベースがジョージ・デュヴィヴィエ、ドラムスがマックス・ローチの1960年録音)を聴くと、やはりピアノの音が少し違うもんなあ。軽快とまではいかないけど、そんなにモッサリもしてないんだ。

それにスタンダード曲ばかりのブルーノート物と違って、タイム盤のトリオは、全曲ソニー・クラークのオリジナル・ナンバーなのがいい。そういうコンポーザーとして優れているというのが、彼のジャズマンとしての最大の特長じゃないかなあ。コンボ物の方がいいと最初に言ったのも、そのせいだ。

ソニー・クラークのオリジナル・ナンバーで一番有名なのは、間違いなく「クール・ストラッティン」で、あれは12小節3コードのブルーズ形式なんだけど、ちょっと聴くと一瞬それに気付きにくいような形のメロディになっている。その辺もソニー・クラークのオリジナル曲の面白いところだよねえ。

「クール・ストラッティン」、例のマウント・フジ・ジャズ・フェスティヴァル・ウィズ・ブルーノートが始った1986年、アルフレッド・ライオンも呼んだんだけど、その時に出演したジャッキー・マクリーンのコンボに、日本で一番有名なブルーノート・ナンバーだと言って演奏させたらしい。

そうしたら「クール・ストラッティン」のテーマが鳴り響いた瞬間に、会場から大歓声が沸き起ったので、ステージ袖に控えていたアルフレッド・ライオンも、その場にいた関係者と笑顔を交したというエピソードが残っている。アルバム『クール・ストラッティン』には、ジャッキー・マクリーンも参加しているね。

それくらい日本のジャズ・ファンには大人気のソニー・クラークなんだけど、肝心の米本国では全く人気がないらしいという話を昔からよく聞く。そのわりには、米本国でも全てのアルバムがCDリイシューもされているけど。僕も持っているのは大半が米盤だもんなあ。紙ジャケの日本盤も少し持っているけど。

そのアルバム『クール・ストラッティン』は、あまりに有名すぎるから、今更あれがいいと言うのもなんだかちょっと恥ずかしい気分。ソニー・クラークは他にもっといい曲がいっぱいあるんだ。「ソニーズ・クリブ」とか「マイナー・ミーティング」とか「ブルーズ・ブルー」とか「ジュンカ」とかたくさん。

他にも珠玉のバラード「マイ・コンセプション」とか「ニカ」とか「ロイヤル・フラッシュ」とか、たくさんソニー・クラークは素晴しいオリジナル・ナンバーを書いていて、しかも彼のリーダー・アルバムは殆どがそういった自分の曲をいろいろやっているから、僕もそれでコンポーザーとして好きになった。

どうもソニー・クラークという人は、他人が書いた有名曲より、自分のオリジナル曲をやる時の方が面白いようなタイプのジャズマンじゃないかと思う。そういう点では、同じモダン・ジャズの世界ではセロニアス・モンクと少し似ているね。もっともモンクの場合はスタンダード曲をやる時も面白いけどさ。

ややB級気味(と言ったら語弊があるか)のホーン奏者を、主にオリジナル曲の絶妙な作編曲で上手く使って、素晴しく一流に聴かせることのできる最高のバンド・リーダーという点では、ホレス・シルヴァーとも少し似ているかもしれない。ソニー・クラークは活動期間が短い(録音歴はわずか九年)から、数は少ないけれど。

先に書いた僕が最初に買ってソニー・クラークを好きになった『ブルーズ・イン・ザ・ナイト』は、全部スタンダード・ナンバーをやっているアルバムなんだけど、その後は同じピアノ・トリオ物でも、全部オリジナル・ナンバーで固めているタイム盤の方が、圧倒的に面白いと感じるようになったもんなあ。

ホーン入りのコンボ録音ではいいアルバムがたくさんあるけど、音楽的評価とは別に僕が一番好きなのは、トランペットのトミー・タレンタインとテナーのチャーリー・ラウズ(二曲目だけアイク・ケベック)を迎えた1961年録音の『リーピン・アンド・ローピン』。ソニー・クラークのラスト・アルバム。

『リーピン・アンド・ローピン』でも、全六曲中四曲がソニー・クラークのオリジナル・ナンバーだ。一般的な評価は高くないアルバムだけど、とても楽しくて、僕はなぜだか昔から大好きなんだよなあ。優れたアルバム・ジャケットばかりの彼の作品の例に漏れず、これもジャケットがかなりいいね。

2015/12/04

ジャンゴはジャズ・ギタリスト?

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ジャンゴ・ラインハルトというフランス人ギタリストを、ジャズマンに分類してもいいのかどうか、個人的にはよく分らないというか、まあジャズマンではないんだろう。でも、1930年代に渡仏した米国人ジャズマン達と録音した一連のセッションは、スウィング期の最高の演奏の一つであることは確か。

ビッグ・バンドを除く、1930年代のスウィング・ジャズ全盛期のスモール・コンボ・セッションでは、テディ・ウィルスンのブランズウィック・セッションとライオネル・ハンプトンのヴィクター・セッションが、最高のもので、どっちも30年代後半。白人・黒人ともにキラ星のごときスターが大勢参加。

そして、フランス人ギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトが、1930年代後半に渡仏した米国黒人ジャズマンと共演した一連のセッションは、その二つに次ぐ、というか並ぶ至高の存在。昔から『ジャンゴ・ウィズ・ヒズ・アメリカン・フレンズ』というLP二枚で、日本のジャズ・ファンにも親しまれてきたもの。

この『ジャンゴ・ウィズ・ヒズ・アメリカン・フレンズ』は、今はCD三枚組で完全盤としてリイシューされている。フランスに渡ってセッションに参加しているのは、コールマン・ホーキンス、レックス・スチュアート、ベニー・カーター、エディ・サウス、ディッキー・ウェルズ等、錚々たるメンツ。

参加している米国人ジャズメンで、一番有名なのはおそらくコールマン・ホーキンスとレックス・スチュアートだろうけど、彼ら二人もそれ以外のジャズマンも、米本国での録音で聴けるものより、むしろこっちの渡仏録音の方がリラックスしていていいんじゃないかと思ってしまうくらいだ。気のせいかなあ?

「クレイジー・リズム」でのコールマン・ホーキンスなんか、もうホント最高なんだよね。演奏している曲も、少数のオリジナル・ナンバーを除き、ほぼ全てが当時のスタンダード・ナンバーばっかりで、聴いていてこっちもリラックスできるし、ジャンゴのギターも凄いし、言うことない最高のセッションだ。

1930年代後半に、大勢の米黒人ジャズメンがフランス(その他欧州各国)に渡って、現地でライヴやスタジオ録音をやったりしていたのは、おそらく米本国が不況で苦しんでいたのも一因だったんだろう。当時一世を風靡したあのベニー・グッドマン楽団ですら、38年以後は苦しかったようだ。

僕が大学生の頃、始めてジャンゴのギター演奏を聴いたのも、『ウィズ・ヒズ・アメリカン・フレンズ』によってだった。その頃既に戦前のSP音源のジャズに夢中になっていた僕は、いきつけのジャズ喫茶のマスターに凄くいいから聴いてみろとレコードを貸してもらったのだった。聴いたら最高だったね。

「ジャンゴ」という名前だけは、最初から知っていた。なんといっても僕が生れて初めて買ったジャズのレコードは、高三の時に買ったMJQの『ジャンゴ』だったわけで、その一曲目のアルバム・タイトル曲に完全にやられてしまったから。曲名がフランス人ギタリストの名前だと、解説に書いてあったし。

でもその時は、MJQの演奏が素晴しい、ジャズという音楽はなんてステキなんだと感動しただけで、MJQの他のアルバムはいろいろと買って聴いてみるようにはなったものの、曲名の由来になったフランス人ギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトその人には、殆ど何の関心も抱かなかったんだよなあ。

しばらく経って、いろんなジャズ関係の文章で、このフランス人ギタリストの名前を見掛けるようになり、だんだんと興味が湧いてきて、それでさっきも書いたようにジャズ喫茶のマスターに貸してもらった『ウィズ・ヒズ・アメリカン・フレンズ』を聴いたら、いきなりぶっ飛んでしまったのだった。

そもそもジャズ、特に戦前ジャズでは、ソロ楽器としてギターが活躍する場面は滅多にないし、モダン・ジャズ以後2015年の現在に至るまでも、ギターがジャズの主役ソロ楽器に躍出たことは一度もない。ブルーズやロックと違って、ジャズの花形楽器はなんたって管楽器、そしてある時期以後はピアノも。

だから、戦前の1930年代からこんな風にギター(ジャンゴは、殆どの場合アンプリファイしないアクースティック・ギター)でソロを弾きまくるジャンゴという人は、相当に特別な存在だと思えたのだった。今考えても、30年代にあれだけソロを弾きまくったギタリストって、ジャズ関連ではいないのでは?

しかも、後になって知ったことだけど、ジャンゴは幼少時のヤケドが原因で、弦を押える左手の指が不自由で、満足に動いたのは、親指を除けば二本だけだったらしい。そのことを知ってから聴くと、ちょっとそれが信じられない自由闊達さだ。そのせいでジャンゴはコードの押え方も独特になったらしい。

しばらくは『ウィズ・ヒズ・アメリカン・フレンズ』LP二枚(からカセットテープにダビングしたもの)ばかり聴きまくっていたんだけど、少し経って、ヴァイオリンのステファン・グラッペリと組んだフランス・ホット・クラブ五重奏団のレコードを入手して、聴いてみたらこれも大変素晴しかった。

ステファン・グラッペリは、ジャンゴのキャリアのかなり初期からチームを組んでいる。そういう録音をたくさん聴いていると、もちろん米国産のジャズ・ナンバーもたくさんやってはいるものの、この人達の音楽の本質は、いわゆる普通のジャズとは、ちょっと違うんじゃないかと感じ始めるようになった。

<ジプシー・スウィング>とか(ジャンゴはロマ系)、いろんな呼び方をされているんだけど、どれもちょっとピンとこないものばかりだなあ。ジャンゴとグラッペリその他のフランス・ホット・クラブ五重奏団の音楽を、これだというピッタリ来る言葉で言表わした文章に、出会ったことがない。

ジャンゴとグラッペリを中心にしたフランス・ホット・クラブ五重奏団は、もちろん戦前の録音が全盛期で最高に素晴しいんだけど、個人的に一枚物でよくまとまっているものだと思って愛聴してきているのは、1949年録音の『ジャンゴロジー』。この録音はジャンゴとグラッペリの最後のコンビ録音だ。

『ジャンゴロジー』は、元々39分程度のLPレコードなのだが、今は同じ時のセッション録音から未発表曲もたくさん追加されて、60分以上収録した完全盤CDが出ている。だけど、まあやっぱり頻繁に聴くのは、元のLP通りのままのリイシューCDだ。
このアルバムでは、「アフター・ユーヴ・ゴーン」とか「ハニーサックル・ローズ」とか「ラヴァーマン」などジャズ・ナンバーもやってはいるけど、もっと素晴しいと思うのは、「マイナー・スウィング」とか「ジャンゴロジー」といったジャンゴのオリジナル・ナンバーで、ちょっとジャズとも違うような感じだ。

そして、このアルバムの中で昔聴いた時に一番感動して、今でも一番好きなのが「ウ・エ・チュ、モン・アムール? 」というスロー・バラード(正確にはトーチ・ソング)。 タイトル通り、恋人よいずこ?と嘆くような切々と胸に沁みる曲調で、最初に出るジャンゴの演奏が哀感たっぷり。
こういうのが、ジャンゴ・ラインハルトというギタリストの真骨頂だろうと、僕はそう思っている。だからいわゆるジャズとはちょっと違うんだなあ。じゃあなんだ?と聞かれると困ってしまうけど、ジャズ・ナンバーもやり、ジャズメンとも共演した、ジャズと近接するジャズとはちょっと違う何かだとしか言えない。

先に書いたように、米国人ジャズマンとの共演である『ジャンゴ・ウィズ・ヒズ・アメリカン・フレンズ』CD三枚組も普通に買えるし、それ以外の彼自身のフランス・ホット・クラブ五重奏団の録音も、今では10枚組のCD完全集が出ていて、10枚組の割には安い値段で買えるので、興味のある方は是非。

一説によると、あのロック・ギタリストのヴァチュオーゾ、ジェフ・ベックも、ジャンゴ・ラインハルトを絶賛し、大きな影響を受けていると語っているらしいよ。確か、ジミー・ペイジもそんなことを言っていたなあ。

2015/12/03

『刺青の男』と『女たち』

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1995年にパソコン通信を始めた時の最初のハンドルネームが「J.J.Flash」だったくらい、当時はローリング・ストーンズをよく聴いていた。『ヴードゥー・ラウンジ』が出た頃。あのアルバムは、今でも、僕が熱心に聴いたストーンズのスタジオ・アルバムでは、最後のものだ。今聴いても、フラーコ・ヒメネスが入っている曲なんか、なかなか面白い。次の『ストリップト』も、古い曲ばかりやっているからよく聴いたけど、あれにはかなりライヴ音源がある。

ストーンズを最初に聴いたのは、大学生の頃の1981年リリース『刺青の男』(Tattoo You)だった。当時ジャズのレコードばかり買っていた僕が、なぜこれを買ったのかというと、理由は単純でソニー・ロリンズが参加していると聞いたからからだった。ジャズ雑誌でも話題になっていた。

いざ『刺青の男』を買って聴いてみると、ロリンズと思しきサックスが聴けるのは三曲(「スレイヴ」「ネイバーズ」「友を待つ」)しかなく、しかもどれもことロリンズのプレイに関しては、どうってことはないと感じた。それよりオープニングの「スタート・ミー・アップ」のギター・リフ(と冒頭の歌がはじまる直前に一瞬跳ねるベース)にやられてしまった。

それで、次のライヴ・アルバムの『スティル・ライフ』も買って聴いて気に入って(イントロがエリントンの「A列車」だった)、それ以前のアルバムもいろいろと買って聴くようになったのだったが、ギタリストの弾くリフには、大好きなレッド・ツェッペリンのギター・リフにも負けない魅力があると知った。

だから、ツェッペリンと同じく、僕にとってのストーンズは、最初の頃はキースの弾くギター・リフのカッコよさが最大の魅力で、だから1960年代のものは、最初はイマイチ良さが分らなかった。「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」「ブラウン・シュガー」「ロックス・オフ」などが最高だった。

そういうアップ・テンポな曲が大好きで(「スタート・ミー・アップ」はアップ・テンポでもないけど)、だから同じくギター・リフが魅力的で、今ではストーンズの全ての曲の中で一番好きな「ダイスをころがせ」などは、ゆったりまったりとした曲調だったから、最初に聴いた時は、あまりピンと来なかったなあ。

1960年代のストーンズ・ナンバーでも「サティスファクション」だけは、ギター・リフがカッコイイので大好きだったけど。それにあの曲は映画『地獄の黙示録』で使われていて、サントラ盤も買っていたので、高三の頃から知っていた。ついでに言うと、ドアーズもあれで初めて知った(「ジ・エンド」)。

ストーンズに最初からあった(というかバンド結成のきっかけだった)黒人音楽への傾倒とその方面の音楽性や、1968年頃からしばらく顕著だった(そして今ではその頃が最高と思う)米南部風味などが分るようになるのは、もうちょっと先のことで、最初の頃はやたらとカッコイイギターを中心に聴いていた。

ストーンズの黒人音楽への傾倒といえば、ここ五年間ぐらいは、1978年の『女たち』の評価が、僕の中ではグングン上昇している。今頃なのか?と言われたら、まあ恥ずかしいんだけど、長年1968〜73年頃のストーンズが最高と思っていたんだよなあ。まあ今でもそう思ってはいるんだけど。

そもそもブルーズやR&Bばかりやっていたバンドではあったけど、ロニー・ウッドが初参加した1976年の『ブラック・アンド・ブルー』の一曲目「ホット・スタッフ」(これにはロニーは参加していないけど)などから、1970年代後半はかなりはっきりと米黒人音楽趣味が濃厚に出ていた。

とはいうものの、その「ホット・スタッフ」は何度聴いてもどこがいいのかよく分らず、ストーンズ風ファンクなんだなとは分るけど、今でも聴き所が分らない。『ブラック・アンド・ブルー』というアルバム自体、「メモリー・モーテル」と「フール・トゥ・クライ」以外は、今でもイマイチ。1970年代後半では、圧倒的に『女たち』の方が好きだなあ。

さっき書いた『刺青の男』の次に買った『スティル・ライフ』には「ジャスト・マイ・イマジネイション」が入っていて、テンプテイションズの名前もまだ知らなかったけど、曲も良いし、歌に絡みソロも取るアーニー・ワッツのサックスも好きだった。それのストーンズによる初演が『女たち』に入っていた。

僕が『女たち』を聴いたのはだいぶ遅くて、1990年代以後だったと思う(ので、最初からCDで聴いた)。その頃にはテンプテイションズも知っていたし、カントリーなどもまあまあ聴いていたので、「ファー・アウェイ・アイズ」も好きになった。でもあのアルバムの真価が分ってきたのは、最近なんだよなあ。

最初の頃は一曲目の「ミスー・ユー」が嫌いだったもん。ディスコ・ミュージックが好きじゃなかったし。僕は世代的にはドンピシャディスコ世代で、高校生の頃に大流行したんだけど、嫌いだった。ボンボンと鳴る低音も好きじゃなかった。でも最近は「ミス・ユー」もいいと思えるようになってきた。

「ミス・ユー」「イマジネイション」「ファー・アウェイ・アイズ」などだけでなく、「ビースト・オヴ・バーデン」のカーティス・メイフィールド風も好きだし、ラストの「シャタード」もたまらなく好き。というわけで、最近の僕の中では『メイン・ストリートのならず者』の次に評価が高いのが『女たち』となっている。

2015/12/02

音楽は曲単位の文化だ

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僕も熱心に音楽を聴くようになったのは、基本的にLPレコードによってだったので、音楽というものはアルバム単位の存在で、アルバムで聴くべきものだと確信していた。音楽メディアの主流がCDになっても依然そのままで、音楽アルバム作品といわば対峙するような気持で、舐めるように聴き込んでいた。

LPという製品が実用化されたのは、おおよそ1950年頃のこと(コロンビアから最初のLPレコードが発売されたのが1948年)で、それ以前の録音はほぼ全てが(一部例外を除き)SP盤で発売されていた。その時代は当然ながら一曲単位で音楽を売買していたわけで、リスナー側だって録音作品については、一曲単位で聴いていた。それが19世紀末から50年以上続いた。

録音技術が発明されたのが19世紀末で、だから録音音楽の歴史はまだ100年と少し程度。そのうち約50年というSP時代はかなり長いと言えるはず。LPは1980年代末のCD普及までしか(主流メディアとしては)続かなかったので、40年間もない。CD時代だってもはや終りつつあるしね。

現在主流になりつつあるインターネット配信によるデジタル・データで音楽を聴く方法が、一体いつ頃まで続くのか分らないし、それが終るかもしれない頃には、もう僕は生きていないだろうから、あまり関心もない。そう考えると、音楽録音史で一番長くトップの座にあったのは、結局SP盤だったんだろう。

しつこく何度も書くけど、ジャズに夢中になってしばらくして、モダン・ジャズよりそれ以前の戦前ジャズの方が好きになり、ブルーズ等でもそうだし、その後ワールド・ミュージックをいろいろ聴くようになっても、やはり古いSP時代の音楽の方が好きな僕だけど、SP盤自体は一度しか聴いたことがない。

いつ頃のことだったか、東京在住時代に「SP盤でロバート・ジョンスンを聴く会」というのが、確か鈴木啓志さんだったか主催で開催されて、それに出掛けていって一枚か二枚聴いただけだった。この時以外は、いくら戦前のSP音源が好きといっても、全部LPリイシューかCDリイシューでしか聴いていない。

だからSP盤をたくさん聴いて、そこから自分の鑑識眼を頼りにいいものをピックアップし、LPリイシュー用に選曲・編集した、油井正一さんはじめ大勢の大先輩方には、足を向けて寝られないわけだし、現在でもそうやって日本の戦前音楽を発掘・CDリイシューしている保利透さんなどには、感謝するしかない。

もちろんLPやCDでリイシューされるSP音源は、後世に残すべきと判断されたものだけだから、当時発売されていた(膨大なクズ作品も含めた)SP盤総数からしたら、氷山の一角に過ぎない。当時のことを本当に知りたいと思ったら、やはり現在保利透さんがやっているようにSP盤蒐集するしかない。

今でも世界中でいろいろと発掘・リイシューされている、ジャズだけでなくワールド・ミュージックなど、古いSP音源を収録したCDは、例えばアフリカものの『オピカ・ペンデ』や、東南アジアものの『ロンギング・フォー・ザ・パスト』など、どっちも素晴しかったけど、SP盤コレクターの仕事だった。

本当の音楽ファンの仕事というのは、そういうものだろう。僕みたいにSP盤蒐集なんて経済的にも気力的にも体力的にも、全くやる気がなく、かつてはLPリイシュー、現在はCDリイシューでしか聴いていないのに、古い戦前録音音楽こそ最高だとかあれこれえらそうに言っている人間は、まあおかしいね。

でも本当に大好きなんだということだけは分ってほしい。そして僕が一番言いたいことは、音楽というものは、古いものも新しいものも、これ全て「曲単位」で存在し聴かれるものであって、決して「アルバム単位」の文化じゃないだろうということだ。SP音源を中心に聴いているファンならみんな知っている。

この「音楽は一曲単位の文化」という考えは、LPアルバムを聴くことで音楽に深く接してきたリスナーの方々には、なかなか心の底からは納得していただけないみたい。僕だってそうだったんだけどね。モダン・ジャズのアルバムや、1960年代以後のロック・アルバムなど、それら以外も大抵全部そうだ。

古いSP時代の録音集だって、LPリイシュー名盤のようなものがたくさんあって、ある一定のテーマというかポリシーの下に選曲・編集され、LP用に並べられて発売されていて、アルバム・ジャケットも含め、素晴しいものがいろいろとあって、僕もそういうもので長年親しんできてはいるんだけどね。

だけど、当の音楽家本人は、SP録音時代は言うに及ばず、LPアルバムが一般的になった時代以後も、録音時は殆どの場合、当然ながら一曲単位で演奏・録音しているわけで、コンセプト・アルバム、トータル・アルバムと言われるものだって、そういう一曲単位の録音集からチョイスしているだけなのだ。

実際、LPメディアが主流になって以後のどんな音楽家でも、たくさんの曲をアルバム用に録音し、最初からこういう曲をこういう曲順で、と考えて録音しているような人は、例外的だろう。なかには一時期のスティーヴィー・ワンダーみたいに、一つのアルバム用にとんでもなく多い曲を録音した人もいる。

だからスティーヴィーの『キー・オヴ・ライフ』なんか、LP二枚組にさらに四曲入りのEP盤が付いていたし、しかもそれは元々とんでもない曲数を録音して選びまくった結果なんだから、言ってみればあのアルバムは「ベスト盤」みたいなもんだろう。そしてどんなアルバムも、本質的には同じだと思う。

たまに発売予定の新作アルバムに収録する曲数きっちりそれだけしか演奏・録音しないような音楽家もいるらしいんだけど、まあ例外だよね。大抵全員、それ以上の曲数を録音し、そこからチョイスするわけだ。これは「新作アルバム用」にと準備して、それ用にレコーディングするような音楽家の場合だ。

というのは、そうでない音楽家も結構いるからだ。例えば1967〜75年までのマイルス・デイヴィス。なかでも特に70年頃からのマイルスは、新作アルバム制作予定のあるなしに全く関係なく、というかそんなことはおそらく全く頭の片隅にもなく、ただ気の趣くままに頻繁にスタジオ入りし録音を繰返していた。

1970〜75年のマイルスのアルバムで、当時リアルタイムで発表されていた作品は、ぜ〜〜んぶアルバム用にとレコーディングされたものではなく、そうやって録りだめた膨大な録音群から、プロデューサーのテオ・マセロ(とマイルス本人も立会っていたらしいのだが)が選曲して並べただけのものだ。

ということは、『ジャック・ジョンスン』も『オン・ザ・コーナー』も『ゲット・アップ・ウィズ・イット』も、スタジオ作品は全部一種のベスト盤みたいなもんで、これらを生真面目にアルバム・コンセプトとか、アルバム通して集中して対峙するように聴かなくちゃとか思うのは、実はちょっとおかしい。

元々のコンセプトなどということを言出したら、そういう1970年代マイルスのアルバム群は、その後CDボックス・セットでリリースされた未発表曲集、例えば『コンプリート・ジャック・ジョンスン・セッションズ』や『コンプリート・オン・ザ・コーナー・セッションズ』といったものと、全く同じだ。

そういうボックス・セットは未発表曲集じゃないかと言われそうだが、『ジャック・ジョンスン』『オン・ザ・コーナー』『ビッグ・ファン』『ゲット・アップ・ウィズ・イット』(1970年代にリアルタイムで発売されたスタジオ作品はこれだけ)だって、全部リリース当時の未発表曲集だったんだぞ。

それらは四つとも、曲によって録音時期やパーソネルがバラバラに異なっているし、テオ・マセロによる巧妙な編集作業によって、一応アルバムとしての統一感というかまとまりのようなものが感じられるかもしれないが、長年聴き込んできた僕なんかの耳には、やはり一種の未発表曲集だよなとしか聞えない。

だってさあ、『コンプリート・オン・ザ・コーナー・セッションズ』を聴くと、こっちの方がいいだろう、どうしてこっちを最初に出さなかったんだ?と思う曲が結構あって、そうして振返ると、『オン・ザ・コーナー』や『ゲット・アップ・ウィズ・イット』の方が、残り物・未発表集のように思えてくるもんなあ。

マイルス当人だって、プロデューサーのテオ・マセロだって、一曲単位で考え録音し編集していたはずだ。結果LPアルバムになったというだけのことであって、1967〜75年までの言ってみれば全盛期マイルスのスタジオ作品は、全部そんな具合のベスト盤みたいなもんなんだから、あまり気張らずに聴こうよ。

『コンプリート・オン・ザ・コーナー・セッションズ』ボックス六枚組なんか、1972〜75年という、僕の意見ではマイルスが一番カッコよく尖っていた時代の録音集で、しかもさらに当時シングル盤でしか出なかった「ビッグ・ファン」「ホーリー・ウード」の二曲が聴ける公式CDはこれだけなのだ。

以前書いた通り、1973年のシングル盤A面「ビッグ・ファン」とB面の「ホーリー・ウード」の二曲こそ、1945〜91年のマイルス全録音人生で残した全曲のなかで、僕が最も素晴しいと信じ最も愛する録音なのだ。公式に聴けるのがこのボックスだけという理由で買ってもいいとすら思っている。

アルバム中心の音楽家だった1970年代のマイルスにおいてすら、一番素晴しかったのがシングル盤だったという事実は、なにかやはり音楽というものの本質を物語っているような気がしてならないんだよね。マイルスがシングル盤用に録音したのではなく、テオ・マセロが編集で短くしただけだけどさ。

こういう1970年代マイルスとか、『キー・オヴ・ライフ』録音時のスティーヴィーとかは、例外だとして考慮に入れないのは、僕は違うと思うんだ。音楽というものは、どんなものもアルバムでというより曲単位で存在し、演奏され聴かれるものなんだろう。それこそが音楽という文化の本質じゃないかな。

僕の大好きなレッド・ツェッペリン。アルバム単位でこそ聴かれるべき音楽家だと思われているけど、当のジミー・ペイジ自身が、1990年に全オリジナル・アルバムをバラバラに解体して再構築したリマスター・ボックスを出したもんね。しかもあれはCDでは初めてマトモな音質で出たものだったしね。

音楽の聴き方なんてのは人それぞれなんだから、それ自体は放っておけばいいんだけけど、聴き方がというのではなく、全く聴こうとすらしないというのは、ちょっとどうなんだろうと思うんだよなあ。

2015/12/01

ジャズにおけるヴォーカル物とインスト物

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Marainey

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今思い返すとアホみたいな話だけど、夢中でジャズを聴始めてからしばらくは、ほぼインストルメンタルものばっかり聴いていて、ジャズのヴォーカルものがあまり好きではないというか、なんだか一段下のもののように考えていた。素晴しいジャズ・ヴォーカリストだってたくさんいるのに、おかしな話だ。

ジャズに夢中になる前は、ビリー・ジョエルやレッド・ツェッペリンの大ファンだったわけだし、その前は日本の歌謡曲をたくさん聴いていたし、さらにもっと前の小学生低学年の頃は、祖父の買ってくる三波春男の歌謡浪曲などを、レコードに合わせて歌ったりしていたのに。音楽は歌物の方が多いのに。

もっとも僕は、ビリー・ジョエルなんかでもサックスやトランペットのソロ部分とか、レッド・ツェッペリンでも、ギター・ソロの部分とか、そういうインストルメンタル部分が、ヴォーカル部分に負けないくらい大好きではあった。特にツェッペリンのライヴでは長いギター・ソロがあるのが好きだった。

あと、ほんの一時期だけど、ジャズにハマる直前に映画のサウンドトラック盤が大好きでよく買っていた時期があって、それは当然ながらインストルメンタル部分の方が多いから、基本的にはインストルメンタル音楽であるジャズにハマる予兆はあったわけだなあ。その当時はそういうことは殆ど意識していなかったけれど。

何度も書いているけど、僕が生れて初めて買ったジャズのレコードが、MJQの『ジャンゴ』で、当然歌は入っていない。その後もしばらくはモダン・ジャズのレコードを中心に買っていた。ヴォーカル入りのものも実に多いビバップ以前の戦前ジャズに比べたら、モダン・ジャズではヴォーカルものが少ない。

これはまあ多い/少ないといった量の問題ではなく、質の問題というか、ビバップ以前と以後とで、ジャズ音楽の本質が変化してしまったということがあるはずだ。例えば、その後のジャズ概念を確立したという意味ではジャズ界最初の偉人であるルイ・アームストロングは、トランペッターでありかつ歌手だ。

サッチモの、特に1920年代録音を聴くと非常によく分るのだが、彼の場合トランペットとヴォーカルが完全に同一化しているというか、ヴォーカルのフレーズはトランペットのスタイルをそのまま写したもの。特にスキャットを聴くと、トランペットで吹くそのまんまをスキャットで歌っているんだよねえ。

サッチモの場合、トランペットとヴォーカルが、あまりに同じというかソックリそのまんまなので、トランペットが先でヴォーカルはそれを写したのか、あるいはその逆でヴォーカルの方が先なのか、判断できないほどだ。そしてジャズ・トランペット、ジャズ・ヴォーカルの両方でオリジネイターだ。

楽器とヴォーカルの両方をやるというジャズマンは、戦前にはサッチモだけではなく、他にも実にたくさんいる。ホット・リップス・ペイジもトランペッター兼歌手、ライオネル・ハンプトンだって、ヴァイブ、ピアノ、ドラムスをやりながら歌も歌っているし、ナット・キング・コールだってそうだよねえ。

ナット・キング・コールの場合は、偉大なポピュラー歌手として大成功して以後は、少数の例外を除き、殆どピアノを弾かずヴォーカルに専念するようになった。サッチモやホット・リップス・ペイジやライオネル・ハンプトンは、そんなこともなく、戦後も普通にたくさん歌っているね。歳を取ってからのサッチモは、体力的な問題もあって、歌の方が多い。

それがビバップ以後のモダン・ジャズの世界では、そういう人が殆どいなくなってしまったのは、やはりジャズ音楽の本質が変化したということなんだろうなあ。歌というポピュラーでちょっと猥雑で親しみやすい分野を切捨てて、楽器のアドリブ・ソロ中心で勝負する音楽に変容し、芸能要素がなくなった。

あと、インプロヴィゼイションの手法が、ビバップ以後は機能和声に基づくコード分解によるものが多くなっているし、その後はモード(スケール)に基づく手法になったり、あるいは和声に基づかないフリー・ジャズになったりしているから、キレイで楽しいヴォーカルなどが入り込む余地がない音楽だよね。

モダン・ジャズの楽器ソロと普通のジャズ・ヴォーカルは水と油というか、馴染まないし、「モダン・ジャズ・ヴォーカリスト」と言える人は、アビー・リンカーンみたいな人であって、まあ普通の歌物とも言いにくいよねえ。まあそんな感じだから、モダン・ジャズでヴォーカリストが少ないのは必然的だ。

こういうのは、例えばビリー・ホリデイの歌とレスター・ヤングのテナー・サックスが、どっちもノン・ビブラートでストレートなフレイジング、音楽的に似通っていて、ビリー・ホリデイが最初にレスターのサックスを聴いた時、自分と同じやりかたをする人がいるんだと思ったというのとは対照的。

こういう歌手と楽器奏者との共振みたいなことや、歌手兼楽器奏者でどちらも同じフレーズをやるとか、そういうことは、ビバップ以後のモダン・ジャズでは全く存在しないということもないけど、まあ本当に非常に少なくなってしまった。もちろんどっちがいいという問題ではない。どっちも立派なジャズだ。

僕だってジャズ・ファンになりたての頃は、モダン・ジャズばかり聴いていたから、ジャズという音楽は歌物の少ないジャンルなんだろうと思っていた。ジョン・コルトレーンとジョニー・ハートマンの共演盤などもありはするけど、ああいうのを聴くなら、コルトレーン単独のアルバムの方がいいもんなあ。

そういうわけだから、モダン・ジャズの楽器の複雑で高度なインプロヴィゼイションに比べたら、ヴォーカルというものは単純なもののような気がしていて、だから最初に書いたようにヴォーカル物があまり好きではないような、一段下のもののような、そんな捉え方しかしていなかったんだよなあ、最初は。

最近の若いジャズ・リスナーはこんなことはないんだろうけど、僕の世代や僕よりある程度年上の世代のジャズ・リスナーには、結構そういう人がいるみたいだ。そういう世代は、ひょっとしたら今でもそうなんじゃないかという気がする。ビバップやハードバップやフリーを中心に聴けば、自然とそうなる。

もっとも、これ、世代といっても、もっと上の油井正一さんや野口久光さん辺りの世代になると、そういう方々は当然戦前のSP盤から聴始めた世代なので、こんなに楽器奏者と歌手が分離してしまっているような聴き方はしていない。書いたように戦前のジャズでは、元々その二つは完全に合体しているから。

僕はそういう時期が約一年くらい続いて、まあその間もビリー・ホリデイやエラ・フィッツジェラルドや、(ちょっとジャズ歌手とも言いにくいけど)フランク・シナトラなどはまあまあ聴いてはいたものの、本格的にジャズ系の歌手を聴くようになったのは、やはり戦前の古いジャズにハマり込んでからだ。

今まで何度か書いているけど、大学生の頃にほぼ毎日のように通い詰めていた松山のジャズ喫茶、ケリー。ここは完全に戦前のSP音源(のLPリイシュー盤)しかかけない店で、ここに通い始めるようになってから、楽器とヴォーカルが分離していない古いスタイルのジャズに夢中になってしまったのだった。

そうなってみると、これはもう断然そういう古いスタイルのジャズの方が面白くなってきて、楽器奏者もさることながら、ヴォーカリストも実にたくさん聴くようになって、その魅力にハマっていった。ビリー・ホリデイだって、それまでに聴いてはいたけど、良さが本当に分るようになったのは、それ以後だ。

ビリー・ホリデイが子供の頃に好きだったというベシー・スミスを聴き、大好きになったのもその直後。ベシー・スミスの伴奏は、常に当時のフレッチャー・ヘンダースン楽団の面々だったから、古いものが好きなジャズ・リスナーには聴きやすい。サッチモの闊達なトランペット・ソロを聴けるのものもあるし。

ベシー・スミスが好きになると、同じ1920年代に似たような傾向の女性ヴォーカリストがたくさんいることを知り、マ・レイニーとかシピー・ウォレスとかアイダ・コックスなどなど、彼女達が「クラシック・ブルーズ」という分野の人だと知ったのは相当後のことで、当時はただのジャズ歌手だと思っていた。

ただビリー・ホリデイとかエラ・フィッツジェラルドなどの「普通の」ジャズ歌手と比べて、マ・レイニーやベシー・スミスなど彼女達は、もっとこうなんというか猥雑で下世話な感じがしていたのも確かなことで、その辺がジャズ歌手とブルーズ歌手との違いだったんだろう。

ジャズの発生時の構成要素にはブルーズは入っていない。だけど、誕生直後にブルーズを吸収して重要なファクターになり、商業録音が始る1910年代には、もう完全に切離せない不可分一体のものになっていた。1920年代のいわゆるクラシック・ブルーズがジャズに聞えても、ある意味仕方がないだろう。

そんなこんなで早い時期から戦前の古いスタイルのジャズにハマり、ジャズとブルーズの境界線辺りの音楽も大好きだったから、今ではジャイヴやジャンプが(ジャズ系音楽では)一番好きになっているのも当然だろう。猥雑に楽しく歌うものが大好きで、だから僕は芸術と芸能を分けて考えてはいない。

そんな僕は、『フロム・スピリチュアル・トゥ・スウィング』LP二枚組や『ブラック・ミュージックの伝統』LP二枚組2セットで、ジャズと関係する周辺の音楽に強い関心を抱くようになり、当然その後は周辺領域とルーツを掘下げるだけでなく、R&Bやロックなどのポピュラー音楽が大好きになった。

しかしながらどんどん「純化」していった米国産大衆音楽からは、当初持ち合せていた芸能的な猥雑さが徐々に失われ、黒人音楽でもソウルやファンク、白人音楽でもアート・ロックやプログレなど、ジャズでもないのに上昇指向・芸術信仰が強くなって、1980年代末以後はワールド・ミュージックの方が楽しくなっているのは、それも一因。

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