スタジオでのマイルスとライヴでのマイルス
かつて油井正一さんも言っていたことなんだけど、マイルス・デイヴィスという人、いつの時代でも、スタジオ・アルバムでは時代を先取して、前衛的・実験的、レギュラー・バンドでのライヴ・ステージでは従来からの路線を踏襲して、やや保守的な演奏を展開するということが多かったと思う。
マイルスがライヴで実験的だったのは、唯一、例の1948年の九重奏団によるロイヤル・ルースト出演くらいじゃなかったかなあ。あの九重奏団は、当時はまだスタジオ録音がなく、いきなりライヴ・ステージで、あのビバップ全盛期にしてはありえない実験的な演奏を繰広げたのだった。現在は公式盤でも聴ける。
そのマイルス九重奏団は、ロイヤル・ルースト出演に際し、アレンジャー名を看板に明記するという、ちょっと前例のないことをやった。それくらいアレンジ重視・グループとしてのまとまりを優先した音楽だった。このバンドがキャピトルにスタジオ録音を残すのは、その翌年1949年と50年。
その1949/50年のキャピトルへのSP録音集を、同社は54年に10インチLPで出した。その後、全部まとめて12インチLPでリリースしたのが57年。その時に『クールの誕生』というタイトルになった。マイルス自身も言っているが、このアルバム・タイトルは、音楽の内容を正確には表現していない。
今では1998年リリースの『The Complete Birth of the Cool』というCDに、そのスタジオ録音も、前年のライヴ録音も同時に収録されていて、全部聴くことができる。それを聴くと、ライヴでは、アレンジ重視のソフトで軽いサウンド、といった程度の目論見だった。
こういう、スタジオ録音に先だってライヴで実験的だった例があるものの、マイルスは、これだけが例外みたいなもので、それ以後はほぼどんな時代も、ステジオ録音では先進的な試みを録音するものの、それを即座にライヴで披露するということはやっていない。ライヴではいつも従来路線そのままだった。
マイルスが本当に先進的なミュージシャンになるのは、本格的にモード奏法を取入れるようになる1958/59年頃からだと思うけど、その頃だって、『マイルストーンズ』『カインド・オヴ・ブルー』といったスタジオ・アルバムではモード奏法を実験するものの、同時期のライヴでは普通のハードバップだ。
スタジオ録音とライヴ・ステージでの音楽がもっと大きく食違い始めるのが、1965年からの、ウェイン・ショーター+ハービー・ハンコック+ロン・カーター+トニー・ウィリアムズを擁するクインテットから。スタジオ作では、このバンドの第一作『E.S.P.』以後、特に『ソーサラー』『ネフェルティティ』ではかなり実験的・先進的な音楽だ。
さらに同バンドの1968年の『マイルス・イン・ザ・スカイ』からは、電気楽器を導入し8ビートも取入れて、マイルスの音楽が大きく変り始めるのは、ご存知の通り。しかしながら、その65〜68年の同クインテットによるライヴ録音では、スタンダード曲も多く、アクースティックな普通のジャズだ。
この1965〜70年のスタジオでの様々な試みは、実は当時発売されていたアルバムだけでは、よく分らない面もある。75年からのマイルス隠遁中にリリースされた未発表集『サークル・イン・ザ・ラウンド』(79年)『ディレクションズ』(81年)で、様々な実験をやっていたことが分ったのだった。
油井正一さんは(確か『ビッチズ・ブルー』について)、マイルスは実験の域を一気に超えて、完成品を作り上げてしまうところに、彼の本領があるというようなことを言っていたことがあるけど、実は完成品に至るまでに実験的な試行錯誤を繰返していたことが、今では分っているわけだ。
1967〜70年という時期は、マイルスの音楽が、生涯で一番大きく変化した時期で、その時期の試行錯誤品が収録されてる『サークル・イン・ザ・ラウンド』『ディレクションズ』の二つは、一部の例外を除き、ほぼどれも未熟品だから、聴いていて、やや退屈なものだ。完成品に至る過程を楽しむしかないもの。
エレキ・ギターだって、リアルタイムに発表されていたアルバムでは、『マイルス・イン・ザ・スカイ』収録の「パラフェルナリア」(1968年1月録音)でのジョージ・ベンスンが初になっているけど、その前年67年12月に、ジョー・ベックを起用して「サークル・イン・ザ・ラウンド」を録音したのが初。
しかしながら、その「サークル・イン・ザ・ラウンド」というアルバム・タイトル曲は、二枚組LP一枚目のB面全部を占める26分以上もあるもので、聴き通すのにちょっと我慢が必要だと思うくらいの、締りのない演奏ぶりだ。当時これがお蔵入りしたのも当然だと納得できてしまう。
また1969年8月録音の『ビッチズ・ブルー』に収録され、当時のライヴでもよく演奏されたショーター・ナンバーの「サンクチュアリ」も、『サークル・イン・ザ・ラウンド』に、68年5月の初演が収録されている。それを聴くと、完成度はかなり低い。一年以上経って再録音された完成品に遠く及ばない。
1981年リリースの『ディレクションズ』にも、67年12月録音の「ウォーター・オン・ザ・ポンド」という曲で、ギタリストのジョー・ベックを起用しているのがある。これも一種の試行品だ。とはいえ、この『ディレクションズ』の方は『サークル・イン・ザ・ラウンド』に比べたら、出来のいい演奏が多いけれど。
なお、『サークル・イン・ザ・ラウンド』には、クロスビー、スティルス & ナッシュの「グィネヴィア」のカヴァーが入っている(1970年1月録音)。これもまあダラダラと締りのない演奏だけど、ロック・ファンは要注意。この「グィネヴィア」の完全版が『コンプリート・ビッチズ・ブルー・セッションズ』ボックスに入っているけれど、はっきり言ってそれは退屈。
そんな具合で、1967〜70年頃は、スタジオではいろんな未完成な実験を繰返していたマイルスだけど、レギュラー・バンドでのライヴ・ステージでは、68年までアクースティックな普通のジャズを演奏していて、「ステラ・バイ・スターライト」「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」などもやっていた。
マイルスがライヴで電気楽器を使い始めるのは、1968年末に結成したいわゆるロスト・クインテットによる69年のステージから。しかも電気楽器といっても、ただ鍵盤がフェンダー・ローズになっただけで、ホランドのベースはまだウッドベースだったし、「ラウンド・ミッドナイト」や「マイルストーンズ」などもまだやっていた。
「ラウンド・ミッドナイト」「ステラ・バイ・スターライト」「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」等のスタンダード曲を演るというのは、同時期のスタジオ録音では、もはや絶対に有り得ないことだった。油井正一さんが、スタジオでは実験的・ライヴでは保守的と言ったのも、主にこの時期のこと。
もっとも、ライヴでも1967年頃からは、一曲毎に演奏しては終るという形ではなく、全部の曲が繋がってワン・ステージで一続きの演奏という、75年まで続くスタイルになってはいた。そのせいで、67年欧州公演を収録したブートCDでは、一枚でワン・トラックの表示になるものすらあった。
さらに、1969年2月録音の『イン・ア・サイレント・ウェイ』以後は、ほぼどのスタジオ録音でも、ライヴを行うレギュラー・バンドを中心に、参加メンバーを大幅に拡充して録音することが殆どだった。これは75年の一時隠遁までずっとそう。そのせいで、余計にスタジオとライヴが隔離する印象だ。
また1970年頃からのスタジオ録音は、必ずしも新作発表を前提にしないものばかりで、マイルスが録音したい時にどんどん行うといった感じで、新作はそうした膨大なセッション音源から、テオ・マセロがピックアップ・編集してアルバムの体裁に仕立て上げていた。だからどれもこれも全部「編集盤」のようなものだ。
1974年発表の『ゲット・アップ・ウィズ・イット』なんかもそうで、これに収録されている曲の録音時期は70〜74年と、バラバラ。それなのに、アルバム全体を通して一貫した統一的音楽性が感じられるのは、プロデューサーのテオ・マセロの手腕とともに、この時期のマイルスの音楽性のなせる業。
1970年代のマイルスに、当時発表されたスタジオ・アルバムがやや少なめなのは、そうやって散発的なセッションばかり繰返していたせいもある。スタジオ作品は『ジャック・ジョンスン』『オン・ザ・コーナー』『ビッグ・ファン』『ゲット・アップ・ウィズ・イット』の四つだけ。まあ五年で四つだから少なくもないんだけれど、なにしろ録音総量からしたら氷山の一角だったもんなあ。ライヴ・アルバムは、当時から六つも出ている。
そうして1965年頃からずっとスタジオ作品とライヴ作品で印象が異なるのが、75年のライヴ『アガルタ』『パンゲア』で、その両者が完璧に合体するのだ。というわけで、そうやって乖離していたスタジオでの音楽性とライヴでの音楽性が完璧に合体した『アガルタ』『パンゲア』が一番凄いという、結局今まで僕が繰返し述べている、当り前の結論になってしまった。
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