ちょっと苦手な『ソーサラー』『ネフェルティティ』
マイルス・デイヴィスのアルバムでは、『ソーサラー』と『ネフェルティティ』の兄弟作二枚だけがやや苦手な僕だけど、大好きな例えば1969年のロスト・クインテットのライヴ音源などを聴くと、やはりその二枚を経たからこそ存在しうる音楽なのだということは、非常によく理解できる。
例えば、このロスト・クインテットによる「ディレクションズ」。 相当に抽象度の高い演奏だけど、マイルスがこういう音楽をやるようになったのも、『ソーサラー』以後のこと。それ以前のアルバムはこんなに抽象的ではなく、もっと分りやすかった。
ショーター加入後の黄金のクインテットによるスタジオ作でも、最初の『E.S.P.』と『マイルス・スマイルズ』では、まださほど抽象度は高くない。後者にはその兆しがあるけど、前者は、同じリズム・セクションを起用し始めた1963年の『セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン』と、そんなに違わない。
先ほど1969年のヴァージョンを貼った「ディレクションズ」も、70年6月の『フィルモア』辺りからは、ファンキーになってかなり聴きやすく変化しているし、その他の曲もそう。だから、あんなに抽象的なのは、ライヴでもスタジオでも、67〜69年頃の特別なスタイルだったのかもしれない。
『フィルモア』ついでに書いておくと、あの時のベースがデイヴ・ホランドでなくマイケル・ヘンダースンだったらよかったのにという声は、昔から結構あって、実は僕も少しそう思っている。なにしろヘンダースンはファンキーだから。でも『フィルモア』では、ホランドも健闘しているよね。
特に『フィルモア』での四日間ともやっている「ディレクションズ」と「イッツ・アバウト・ザット・タイム」でのエレベは、なかなかファンキーだし、前者でのベース・ラインは、彼の創案で、マイケル・ヘンダースンも踏襲している。元はウッドベースの人だけど、この頃のライヴでは、両方弾いている。
さて、1967〜69年頃の抽象的なマイルス・バンドだけど、同時期にサイドメン達がブルーノートにたくさん録音した、いわゆる新主流派のアルバムは、トニー・ウィリアムズの『スプリング』などを除けば、どれもだいたいとっつきやすいものだから、ボスが入るとどうしてああいう感じになるのか、僕も分っていない。
『ソーサラー』と『ネフェルティティ』の二枚は、マイルスによるアクースティック・ジャズの極地だという高評価が一般的だし、僕も大学生の頃はそんなに苦手でもなく、好きでよく聴いていたのに、いつ頃から苦手になったんだろう?もっとも、僕はこのクインテットでは圧倒的にライヴ演奏の方が好きだけど。
スタジオ録音では、このクインテットによる第一作『E.S.P.』辺りから、ほぼ全部、マイルスかサイドメンのオリジナル・ナンバーを新作のために用意して、それを録音するようになった。ジャズではそういうのはそれまであまり一般的ではなかった。中山康樹さんは、この姿勢を「ロック的」と言っていた。
実際、『ソーサラー』が録音・発売されたのは1967年で、この年にはビートルズの『サージェント・ペパーズ』が出ている。ロック・アルバムが、アルバム単位での聴取に値する価値のある作品であると見做されるようになった頃で、時代の動きに敏感だったマイルスが、これを無視していたはずはない。
もっとも『ソーサラー』と『ネフェルティティ』の二枚では、ボスのマイルスのオリジナルは一曲もなく、一番たくさん書いているのがショーターで、あとはハービー・ハンコックやトニー・ウィリアムズのオリジナル曲ばかりだ。これをもって、この二枚をあまりマイルス的ではないという向きもあるけど、それは当っていないよねえ。
もしどっちかを選べと言われたら、今の僕は『ソーサラー』の方を選ぶ。昔なら『ネフェルティティ』だった。村井康司さんはじめ多くの方が、『ネフェルティティ』の方がいいと言っているけど、『ソーサラー』の方には、リズムが面白い曲が二つある。「プリンス・オヴ・ダークネス」と「マスカレロ」だ。
『ソーサラー』『ネフェルティティ』の収録曲は、殆どライヴで演奏しなかったマイルス・クインテットだけど、「マスカレロ」は例外で、当時からよくライヴで取りあげていた。70年4月のフィルモア・ウェストでのライヴ『ブラック・ビューティー』でやったのが最後。これもショーターの曲だ。
そのことから判断しても、マイルス本人もこの「マスカレロ」という曲を面白いと思っていた証拠だし、僕もそう思っている。『ネフェルティティ』に比して『ソーサラー』の評価がちょっとだけ低いのは、ひとえにラストに、違和感満載の「ナッシング・ライク・ユー」が入っているせいじゃないのかなあ。
中山さんですら、あの「ナッシング・ライク・ユー」を『ソーサラー』から抹殺せよと言っていたくらいだし、今はiTunesなどには取込まないこともできるから、そうしている人も多いらしい。でもこないだ、米国在住のジャズ・ミュージシャン宮嶋みぎわさんと、あの曲はいいねと話したばかりだ。
この頃のマイルス・クインテットは、昔から評価が高かったけど、その評価が一層上がったのは、1980年代からのウィントン・マルサリスを筆頭とする、『スイングジャーナル』誌命名のいわゆる<新伝承派>の連中が、その頃のマイルスや60年代の新主流派の作品を手本にしてやるようになってからだった。
実際、いわゆる新伝承派のレパートリーには、『E.S.P』から『ネフェルティティ』までの収録曲が結構含まれていた。それは当時、ハービー+ロン+トニーのリズム・セクションがまだ健在で、ショーターもウェザー・リポート時代だったけど、たまにジャズをやることもあったから、そのせいもある。
でも、いわゆる新伝承派の作品は、聴けば聴いたでまあまあ悪くないとは思うものの、心から感動できるアルバムは殆どない、というかアルバム単位では全くないね。ウィントンのデビュー・アルバムB面一曲目の「シスター・シェリル」(トニー作曲、1981年のこの時が初演)に感動できるくらいだね。
あの「シスター・シェリル」での、パッと花が開くようなウィントンのソロは、本当に素晴しく感動的。かつて油井正一さんもそれを激賞していたくらいだった。ハービー+ロン+トニーのリズム・セクションだからということもある(アルバムの約半分がこのリズム隊)。でもそれ以外の曲はちょっとなあ。
なんか、いわゆる<新伝承派>の悪口を言いたかっただけみたいになってしまったけど、そういうわけでもなく、まあそれくらい『ソーサラー』『ネフェルティティ』の二枚は、最後まで聴き通すのに、僕の場合は、少しだけ我慢がいる。これは全くの個人的な好みなので、「フェアな」視点では全然ないことだけは断っておく。
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