ジャズにおけるヴォーカル物とインスト物
今思い返すとアホみたいな話だけど、夢中でジャズを聴始めてからしばらくは、ほぼインストルメンタルものばっかり聴いていて、ジャズのヴォーカルものがあまり好きではないというか、なんだか一段下のもののように考えていた。素晴しいジャズ・ヴォーカリストだってたくさんいるのに、おかしな話だ。
ジャズに夢中になる前は、ビリー・ジョエルやレッド・ツェッペリンの大ファンだったわけだし、その前は日本の歌謡曲をたくさん聴いていたし、さらにもっと前の小学生低学年の頃は、祖父の買ってくる三波春男の歌謡浪曲などを、レコードに合わせて歌ったりしていたのに。音楽は歌物の方が多いのに。
もっとも僕は、ビリー・ジョエルなんかでもサックスやトランペットのソロ部分とか、レッド・ツェッペリンでも、ギター・ソロの部分とか、そういうインストルメンタル部分が、ヴォーカル部分に負けないくらい大好きではあった。特にツェッペリンのライヴでは長いギター・ソロがあるのが好きだった。
あと、ほんの一時期だけど、ジャズにハマる直前に映画のサウンドトラック盤が大好きでよく買っていた時期があって、それは当然ながらインストルメンタル部分の方が多いから、基本的にはインストルメンタル音楽であるジャズにハマる予兆はあったわけだなあ。その当時はそういうことは殆ど意識していなかったけれど。
何度も書いているけど、僕が生れて初めて買ったジャズのレコードが、MJQの『ジャンゴ』で、当然歌は入っていない。その後もしばらくはモダン・ジャズのレコードを中心に買っていた。ヴォーカル入りのものも実に多いビバップ以前の戦前ジャズに比べたら、モダン・ジャズではヴォーカルものが少ない。
これはまあ多い/少ないといった量の問題ではなく、質の問題というか、ビバップ以前と以後とで、ジャズ音楽の本質が変化してしまったということがあるはずだ。例えば、その後のジャズ概念を確立したという意味ではジャズ界最初の偉人であるルイ・アームストロングは、トランペッターでありかつ歌手だ。
サッチモの、特に1920年代録音を聴くと非常によく分るのだが、彼の場合トランペットとヴォーカルが完全に同一化しているというか、ヴォーカルのフレーズはトランペットのスタイルをそのまま写したもの。特にスキャットを聴くと、トランペットで吹くそのまんまをスキャットで歌っているんだよねえ。
サッチモの場合、トランペットとヴォーカルが、あまりに同じというかソックリそのまんまなので、トランペットが先でヴォーカルはそれを写したのか、あるいはその逆でヴォーカルの方が先なのか、判断できないほどだ。そしてジャズ・トランペット、ジャズ・ヴォーカルの両方でオリジネイターだ。
楽器とヴォーカルの両方をやるというジャズマンは、戦前にはサッチモだけではなく、他にも実にたくさんいる。ホット・リップス・ペイジもトランペッター兼歌手、ライオネル・ハンプトンだって、ヴァイブ、ピアノ、ドラムスをやりながら歌も歌っているし、ナット・キング・コールだってそうだよねえ。
ナット・キング・コールの場合は、偉大なポピュラー歌手として大成功して以後は、少数の例外を除き、殆どピアノを弾かずヴォーカルに専念するようになった。サッチモやホット・リップス・ペイジやライオネル・ハンプトンは、そんなこともなく、戦後も普通にたくさん歌っているね。歳を取ってからのサッチモは、体力的な問題もあって、歌の方が多い。
それがビバップ以後のモダン・ジャズの世界では、そういう人が殆どいなくなってしまったのは、やはりジャズ音楽の本質が変化したということなんだろうなあ。歌というポピュラーでちょっと猥雑で親しみやすい分野を切捨てて、楽器のアドリブ・ソロ中心で勝負する音楽に変容し、芸能要素がなくなった。
あと、インプロヴィゼイションの手法が、ビバップ以後は機能和声に基づくコード分解によるものが多くなっているし、その後はモード(スケール)に基づく手法になったり、あるいは和声に基づかないフリー・ジャズになったりしているから、キレイで楽しいヴォーカルなどが入り込む余地がない音楽だよね。
モダン・ジャズの楽器ソロと普通のジャズ・ヴォーカルは水と油というか、馴染まないし、「モダン・ジャズ・ヴォーカリスト」と言える人は、アビー・リンカーンみたいな人であって、まあ普通の歌物とも言いにくいよねえ。まあそんな感じだから、モダン・ジャズでヴォーカリストが少ないのは必然的だ。
こういうのは、例えばビリー・ホリデイの歌とレスター・ヤングのテナー・サックスが、どっちもノン・ビブラートでストレートなフレイジング、音楽的に似通っていて、ビリー・ホリデイが最初にレスターのサックスを聴いた時、自分と同じやりかたをする人がいるんだと思ったというのとは対照的。
こういう歌手と楽器奏者との共振みたいなことや、歌手兼楽器奏者でどちらも同じフレーズをやるとか、そういうことは、ビバップ以後のモダン・ジャズでは全く存在しないということもないけど、まあ本当に非常に少なくなってしまった。もちろんどっちがいいという問題ではない。どっちも立派なジャズだ。
僕だってジャズ・ファンになりたての頃は、モダン・ジャズばかり聴いていたから、ジャズという音楽は歌物の少ないジャンルなんだろうと思っていた。ジョン・コルトレーンとジョニー・ハートマンの共演盤などもありはするけど、ああいうのを聴くなら、コルトレーン単独のアルバムの方がいいもんなあ。
そういうわけだから、モダン・ジャズの楽器の複雑で高度なインプロヴィゼイションに比べたら、ヴォーカルというものは単純なもののような気がしていて、だから最初に書いたようにヴォーカル物があまり好きではないような、一段下のもののような、そんな捉え方しかしていなかったんだよなあ、最初は。
最近の若いジャズ・リスナーはこんなことはないんだろうけど、僕の世代や僕よりある程度年上の世代のジャズ・リスナーには、結構そういう人がいるみたいだ。そういう世代は、ひょっとしたら今でもそうなんじゃないかという気がする。ビバップやハードバップやフリーを中心に聴けば、自然とそうなる。
もっとも、これ、世代といっても、もっと上の油井正一さんや野口久光さん辺りの世代になると、そういう方々は当然戦前のSP盤から聴始めた世代なので、こんなに楽器奏者と歌手が分離してしまっているような聴き方はしていない。書いたように戦前のジャズでは、元々その二つは完全に合体しているから。
僕はそういう時期が約一年くらい続いて、まあその間もビリー・ホリデイやエラ・フィッツジェラルドや、(ちょっとジャズ歌手とも言いにくいけど)フランク・シナトラなどはまあまあ聴いてはいたものの、本格的にジャズ系の歌手を聴くようになったのは、やはり戦前の古いジャズにハマり込んでからだ。
今まで何度か書いているけど、大学生の頃にほぼ毎日のように通い詰めていた松山のジャズ喫茶、ケリー。ここは完全に戦前のSP音源(のLPリイシュー盤)しかかけない店で、ここに通い始めるようになってから、楽器とヴォーカルが分離していない古いスタイルのジャズに夢中になってしまったのだった。
そうなってみると、これはもう断然そういう古いスタイルのジャズの方が面白くなってきて、楽器奏者もさることながら、ヴォーカリストも実にたくさん聴くようになって、その魅力にハマっていった。ビリー・ホリデイだって、それまでに聴いてはいたけど、良さが本当に分るようになったのは、それ以後だ。
ビリー・ホリデイが子供の頃に好きだったというベシー・スミスを聴き、大好きになったのもその直後。ベシー・スミスの伴奏は、常に当時のフレッチャー・ヘンダースン楽団の面々だったから、古いものが好きなジャズ・リスナーには聴きやすい。サッチモの闊達なトランペット・ソロを聴けるのものもあるし。
ベシー・スミスが好きになると、同じ1920年代に似たような傾向の女性ヴォーカリストがたくさんいることを知り、マ・レイニーとかシピー・ウォレスとかアイダ・コックスなどなど、彼女達が「クラシック・ブルーズ」という分野の人だと知ったのは相当後のことで、当時はただのジャズ歌手だと思っていた。
ただビリー・ホリデイとかエラ・フィッツジェラルドなどの「普通の」ジャズ歌手と比べて、マ・レイニーやベシー・スミスなど彼女達は、もっとこうなんというか猥雑で下世話な感じがしていたのも確かなことで、その辺がジャズ歌手とブルーズ歌手との違いだったんだろう。
ジャズの発生時の構成要素にはブルーズは入っていない。だけど、誕生直後にブルーズを吸収して重要なファクターになり、商業録音が始る1910年代には、もう完全に切離せない不可分一体のものになっていた。1920年代のいわゆるクラシック・ブルーズがジャズに聞えても、ある意味仕方がないだろう。
そんなこんなで早い時期から戦前の古いスタイルのジャズにハマり、ジャズとブルーズの境界線辺りの音楽も大好きだったから、今ではジャイヴやジャンプが(ジャズ系音楽では)一番好きになっているのも当然だろう。猥雑に楽しく歌うものが大好きで、だから僕は芸術と芸能を分けて考えてはいない。
そんな僕は、『フロム・スピリチュアル・トゥ・スウィング』LP二枚組や『ブラック・ミュージックの伝統』LP二枚組2セットで、ジャズと関係する周辺の音楽に強い関心を抱くようになり、当然その後は周辺領域とルーツを掘下げるだけでなく、R&Bやロックなどのポピュラー音楽が大好きになった。
しかしながらどんどん「純化」していった米国産大衆音楽からは、当初持ち合せていた芸能的な猥雑さが徐々に失われ、黒人音楽でもソウルやファンク、白人音楽でもアート・ロックやプログレなど、ジャズでもないのに上昇指向・芸術信仰が強くなって、1980年代末以後はワールド・ミュージックの方が楽しくなっているのは、それも一因。
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