モンクのピアノはストライド・ピアノ直系
今そんなことを言う人はいなくなったと思うけど、かつてセロニアス・モンクは「下手くそ」なピアニストの代表のように言われていたことがあったらしい。渡米前の秋吉敏子(穐吉敏子)ですら、ピアノをわざとデタラメに弾いて、ふざけて「モンクごっこ」などと称して友人と笑いあっていたことがあったらしい。
もっとも、モンクに対するそういう下手くそ評価が一般的だったのは、僕がジャズを聴始める前の話で、僕がジャズのレコードを買いジャズ喫茶に通うようになった頃には、既にそういうことを言う人は殆どいなくなっていたのだった。僕は最初からそういう言説に惑わされなかった。
これは僕が最初に買ったモンクのレコードが、リヴァーサイドの『セロニアス・ヒムセルフ』だったことも一因だった。このアルバムは、ボーナス的に入っているコルトレーンとウィルバー・ウェア入りの「モンクス・ムード」一曲を除いて、全てモンクのソロ・ピアノで、しかも上手い。
もちろん上手いと言っても、上手いピアニストの代表みたいに言われるオスカー・ピータースンみたいに華麗に弾きまくるような種類の上手さではないが、『セロニアス・ヒムセルフ』の中の「ファンクショナル」などは、モンクがテクニックのないピアニストだという言説に対する回答のようになっていた。
あのリヴァーサイド盤のライナーノーツを書いていたのも油井正一さんだったんだけど、油井さんがその中で、「ファンクショナル」は、モンクがジェイムズ・P・ジョンスン等のストライド・ピアノの系譜に連なる一人であることを示していると解説していたのも、最初の僕のモンク理解の大きな助けだった。「ファンクショナル」を貼っておく。ストライド風な左手に注目。
そういうのが僕のモンク入門だったから、僕にとってのモンクはいつもソロ・ピアノの人で、同じリヴァーサイドの『アローン・イン・サンフランシスコ』とか、そういうのが断然好きで、トリオ物ですらあまり聴かなかった。
モンクという人は、エリントンと同様に、ビバップを経由せずに和声のモダン化を実現した人で、まあビバップの典型的ピアニストの一人であるバド・パウエルの師匠格ではあるけど、モンク自身のピアノには、全くビバップらしさは感じない。使っている和声はモダンなんだけどね。
だから、モンクのピアノを聴いても、普通のモダン・ジャズらしさを感じなかった僕は、多くの批評には納得できず、油井さんの「ジェイムス・P・ジョンスン等、ストライド・ピアノの系譜」という言葉を読んで、初めて得心がいった。そして、直接の師匠はもちろんデューク・エリントンだね。
なんでもモンクは来日時、同時期に来日していたエリントンの楽屋を訪れ、エリントンに紹介されてステージに出てくると、エリントンの方へ敬礼したままお尻を向けず、そのまま後ずさりして袖に下がったというエピソードが残っているくらいだもんね。
モンクには、トリオ編成で吹込んだエリントン曲集のアルバムもあるんだけど、そういうのは、実はあんまりいいと思わない。悪くはないんだけど、エリントン直系であるモンクのスタイルがよく分るのは、そういうのより、やはりさっき貼った「ファンクショナル」など、ソロ・ピアノ作品だ。
僕が一番好きなエリントンのピアノ演奏に、『グレイト・パリ・コンサート』一曲目の「ロッキン・イン・リズム」へのプレリュードとして演奏された「カインダ・デューキッシュ」があるんだけど、これを聴くと、不協和音なブロック・コードの使い方などが、まさにモンクそっくりだ。
録音がいいこともあって、エリントンのピアノ・スタイルが非常によく分る。ウェザー・リポートもカヴァーした「ロッキン・イン・リズム」で猛烈にドライヴするオーケストラも凄いけど、僕が感銘を受けたのは、導入部のエリントンのピアノの方だった。
余談だけど、この『グレイト・パリ・コンサート』は、僕が初めて買ったエリントン楽団のレコード。レコード屋の店頭で見ると、これもまた二枚組で、しかも有名な曲が殆ど全部入っているからという単純な理由だったけど、大正解だった。冒頭の「カインダ・デューキッシュ」〜「ロッキン・イン・リズム」には、誰だってKOされるはず。
エリントンのピアノ自体が、ウィリー・ザ・ライオン・スミスの影響を強く受けたストライド・ピアノ・スタイルから出発しているわけで(一番よく分るのが『ザ・ジャズ・ピアノ』という様々な古いピアニストが共演したライヴ盤)、だからそれに直接影響を受けたモンクがそういうスタイルなのも納得だ。
その『ザ・ジャズ・ピアノ』から、エリントンのピアノ独奏による「セカンド・ポートレイト・オヴ・ザ・ライオン」を貼っておく。 タイトル通り、ウィリー・ザ・ライオン・スミスに捧げた曲。ストライド・スタイルと印象派風を行ったり来たりしている。
この『ザ・ジャズ・ピアノ』は1965年のライヴ盤なんだけど、エリントンの他、ウィリー・ザ・ライオン・スミス、アール・ハインズ、メアリー・ルー・ウィリアムズ等のピアニストが参加していて、入れ替り立ち替り演奏を披露するというもの。僕にとってはまさに夢のようなライヴ・アルバム。
アール・ハインズだって、この同じ時のライヴ録音から「サムウェア」を聴くと、右手は完全に彼が確立した単音弾きのホーン・スタイルだけど、左手の動きには、かすかにストライド・ピアノの名残を感じるもんなあ。彼もそこから出発したわけで。
僕は昔も今も、ジャズ・ピアノの中では、こういうスタイルが一番好きで、特にトリオとかじゃないソロ・ピアノでは、ストライド・ピアノや、ストライドじゃないけどアール・ハインズなどの弾き方が最高に好き。モダン・ジャズのソロ・ピアノでは、今ではモンクだけを聴くのはそのせい。
モダン・ジャズのソロ・ピアノでは、ビル・エヴァンスはいいと思ったけど、今は聴かなくなった(CDで買い直していない)し、1970年代以後のソロ・ブームでは、いいものが殆どない。チック・コリアの71年『ピアノ・インプロヴィゼイションズ』がマシと思うくらいで、キース・ジャレットのソロは、全くよさが分らない。
モンクだって、僕がいいと思うのはソロ・ピアノであって、ソロ作品では、書いたように『セロニアス・ヒムセルフ』が一番いいと思うけど、ヴォーグ盤『ソロ・オン・ヴォーグ』もかなりいい。『ソロ・オン・ヴォーグ』は、モンクが吹込んだ生涯初のソロ・ピアノ作品だった。
当時から思っていて、今でも少しそう思っているんだけど、どうもモンクという人は、こといちピアニストとしては、バンドで他人と協調しながらやっていけるタイプの人じゃなかった気がする。作曲家としてはまた別の話になるんだけど、作曲家としてのモンクの偉大さは、もっと後になってから分ったことだった。
バンド編成で残した作品でも『ブリリアント・コーナーズ』や『モンクス・ミュージック』などは大傑作だと思うんだけど、それはピアニストとして活躍しているというよりも、コンポーザー、アレンジャー、バンド・リーダーとしての実力を発揮したものであって、中で弾くピアノはさほどいいとは思わない。
コンポーザーとしてのモンクの面白さが本当に分ったのは、1984年に出た、ハル・ウィルナー・プロデュースのモンク追悼盤『ザッツ・ザ・ウェイ・アイ・フィール・ナウ』からだった。あれにはジャズマンは殆ど参加していない。あんな風に料理して見事に化ける曲を書いたのは、エリントンとモンクだけだ。
あの二枚組LP(CDリイシューでは一枚)以後、いろいろとホーン入りのコンボ編成によるモンクのアルバムも聴直すようになり、改めて今更のように、コンポーザーとしてのモンクの偉大さが分るようになった気分だった。私見ではモダン・ジャズの世界でスタートした人では、最も偉大なコンポーザーだろうね。
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