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2015/12/22

パット・メセニーは感傷こそが持味

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僕は世代的にはパット・メセニーにドハマりしたど真ん中の世代に間違いないんだけれど、実は大学を卒業するまで一枚も聴いたことがなかった。自分でレコードを買わなかったし、フュージョンやその他いろいろとかけていたジャズ喫茶でもどうしてだか全く聴いたことがなかった。

 

 

でもこれはパット・メセニーのプレイを全く聴いたことがなかったという意味ではない。ジョニ・ミッチェルのライヴ・アルバム『シャドウズ・アンド・ライト』でだけ、彼のギター・プレイを聴いていて、それは大好きだったんだよなあ。あれを買ったのはもちろんジャコ・パストリアスが参加しているから。

 

 

ジョニ・ミッチェルは、『シャドウズ・アンド・ライト』の前作1979年の『ミンガス』で初めて聴いてみたんだけど、あれもジャコをはじめ、ウェイン・ショーターやハービー・ハンコックや、その他大勢のジャズ系ミュージシャンが参加していたし、そもそもミンガスの「遺作」みたいなもんだったし。

 

 

『ミンガス』は、ジャズ雑誌などでも話題になっていたし、このアルバムでは、もちろんそういうジャズ勢の演奏も気に入ったんだけど、それ以上に例えば「ザ・ウルフ・ザット・リヴズ・イン・リンゼイ」みたいな曲でのジョニのギターと歌に大いに感銘を受けた。あの曲はジョニ一人のギター弾き語り。

 

 

それでジョニ・ミッチェルの他のアルバムも買って聴くようになり、するといわゆるジャコ期と呼ばれる『逃避行』以後のアルバムはもちろん僕好みなんだけど、それ以前も結構ジャズ系ミュージシャンを使っているものがあるし、ジャズとは無関係な1971年の『ブルー』みたいなアルバムも素晴しかった。

 

 

それでもやっぱり僕にとってのジョニ・ミッチェルとは、ジャコと一緒にやった『逃避行』〜『シャドウズ・アンド・ライト』までの四つこそ最高なんだよね。当時ジョニとジャコが恋人関係にあったことは、かなり後になって知ったこと。また『ミンガス』で絶品のソプラノを吹くショーターもいいよね。

 

 

『ミンガス』のライヴ版みたいな『シャドウズ・アンド・ライト』になったライヴ・ステージでも、当初はショーターを起用したかったらしい。でも当時ウェザー・リポートから同時に二人は他人のライヴ・ツアーにレギュラー参加させないという契約があったらしく、仕方なくマイケル・ブレッカーになった。

 

 

『シャドウズ・アンド・ライト』は全員素晴しいけれど、あれのサックスがマイケル・ブレッカーではなくウェイン・ショーターだったらどれほどよかったかと、昔から思っていて、それだけが残念。以前も一度だけ触れたように僕はマイケル・ブレッカーを全く評価していない。イモでしかないように聞える。

 

 

まあでも『シャドウズ・アンド・ライト』では、マイケル・ブレッカーもまあまあマシな方じゃないかなあ。ミンガス・ナンバーの「グッドバイ・ポーク・パイ・ハット」は、『ミンガス』ではショーターだから、『シャドウズ・アンド・ライト』のブレッカーはどうにも聴き劣りしてしまうけれどね。

 

 

でも一枚目B面一曲目の「ドライ・クリーナー・フロム・デ・モイン」では、ジャコのおかげもあってテナーのブレッカーもかなり健闘していて、特にソロの終盤はかなり盛上がっているし、同じ一枚目B面の「逃避行」でも、ジョニが彼の名前を歌詞に歌い込むのに導かれて出てくるソプラノもかなりいいよね。

 

 

そしてその一枚目B面にパット・メセニーのソロ・ナンバーがある。ジョニのギター弾き語りによる「アミリア」に続くもので、「アミリア」中盤からパットも少しずつ弾き始め、同曲が終るとそのままパット・メセニーのソロになる。これがいい。ライル・メイズのシンセサイザーだけをバックにしたソロ。

 

 

その「パッツ・ソロ」中盤でセンティメンタルでメロウなフレーズを連発しはじめると、観客席から思わず声が挙っているもん。まあこういう感傷が、パット・メセニーの一番美味しい持味なんだろう。本編一曲目「イン・フランス・ゼイ・キス・オン・メイン・ストリート」でのソロもいい。

 

 

「イン・フランス・ゼイ・キス・オン・メイン・ストリート」のソロでは、途中R&Bテイストになる瞬間があって、その後パット・メセニーをたくさん買って聴くようになると、これはかなり珍しいというか彼にしてはあまり聴けないようなものなのだと分ったのだった。僕は黒いのが大好きだから。

 

 

大学生の頃に聴いていたパット・メセニーはこれだけ。かなりいいと思ったのになぜか彼のアルバムは一枚も買わなかったんだなあ。『スイングジャーナル』では全く話題に上がらない人だったけど、『ジャズ・ライフ』でかなり頻繁に取上げられていたので、使っているギターのことなども知ってはいたけど。

 

 

ちゃんとパット・メセニーを買って聴くようになったのは、大学院に進んでからの一年後輩が「としまさん、パット・メセニーはいいですよ、聴いてください!」と盛んに勧めるので、それでちょっとなにか買ってみたのがきっかけ。多分一作目の『ブライト・サイズ・ライフ』。ジャコが参加しているから。

 

 

でもまああれはそんなにピンと来なかったんだなあ。一番最初にいいなあと思ったのが1987年ゲフィン移籍後第一作の『スティル・ライフ(トーキング)』だった。三曲目の「ラスト・トレイン・ホーム」がいいなあと思ったという、まあ昔も今もミーハーな僕。あの曲ではギター・シンセサイザーだけど。

 

 

いつ頃からか知らないが、パット・メセニーはギター・シンセサイザーもたくさん弾くようになり、音色は鍵盤シンセサイザーと同じだけど、ピッキングによるアタック音とかフレイジングが普通のギターを弾く時と全く同じなので、瞬時にパットのギタシンだなと判別できる。ギタシンもなかなかいいよね。

 

 

好みだけでいうと、今の僕が一番好きなパット・メセニーのアルバムは1995年の『ウィ・リヴ・ヒア』で、ライル・メイズ〜スティーヴ・ロドニー〜ポール・ワーティコら、お馴染みの面々によるものでは一番よく聴くものだ。なぜかというと、パットのアルバムの中では一番黒い感覚がある気がするから。三曲目の「ザ・ガールズ・ネクスト・ドア」なんか、ウェス・モンゴメリーなのかと思っちゃうね。

 

 

 

ブラック・フィーリング云々を抜きにすれば、パット・メセニーの今までのところの最高傑作アルバムは、1992年の『シークレット・ストーリー』なんじゃないかと思っている。大変にスケールの大きな音楽で、ジャズやロックやフュージョンといった枠を飛越えて、ワールド・ミュージックと合体している。

 

 

『シークレット・ストーリー』では、ライル・メイズ、スティーヴ・ロドニー、ポール・ワーティコらレギュラー・メンバーを中心に、非常にたくさんのゲスト・ミュージシャンが参加していて、言ってみればパット・メセニー版『ビッチズ・ブルー』みたいなものなのだ。ちょっと比喩がおかしいかな(汗)?

 

 

一曲目がカンボジアのスピリチュアル・ナンバーで、カンボジア人コーラスを使っている。トゥーツ・シールマンスのハーモニカが聞える二曲もいい。彼のハーモニカも感傷的なのが持味だから、パットにピッタリ。一曲だけ矢野顕子も歌っている(といっても、ほんのちょっとしたスパイス程度のものだが)。

 

 

元々ヴォーカルを多用するパット・メセニーだけど、『シークレット・ストーリー』での使い方はなかなか大胆で面白いし、また全編にわたってロンドン・シンフォニー・オーケストラが参加していて、相当ゴージャスでスケールの大きなサウンドになっているもんねえ。パットのギターも一層気合が入っている。

 

 

パット・メセニーは2002年の『スピーキング・オヴ・ナウ』と2005年の『ザ・ウェイ・アップ』で、カメルーンのベーシスト、リシャール・ボナと、ヴェトナムのトランペッター、チョング・ヴーを起用しているけれど、中身は別にどうってことない気がする。

 

 

普通のジャズ的な意味合いでは、2008年の『デイ・トリップ』もいい。ウッドベースが大好きなクリスチャン・マクブライドで、ドラムスがアントニオ・サンチェスというトリオ編成。パットがアクースティック・ギターを弾く「イズ・ディス・アメリカ?」での、マクブライドのアルコ弾きは美しい。

 

 

 

この「イズ・ディス・アメリカ?」は「カトリーナ 2005」の副題が示す通り、同年にアメリカを襲ったハリケーンに題材を採った曲。マクブライドのアルコ弾きの美しさは、『デイ・トリップ』の翌年の彼自身のリーダー作『カインド・オヴ・ブラウン』でも証明されている。アルバム・ラストの「ウェア・アー・ユー?」は涙が出るね。

 

 

 

パット・メセニーのジャズ・アルバムというなら、オーネット・コールマンと全面共演した1986年のフリー・ジャズ・アルバム『ソング X』があるじゃないかと言われそうだ。あれも大好きなアルバムではあるんだけど、僕にとってのパットとはああいう音楽の人ではないんだなあ。『ソング X』はパットとは思わずに聴いている。

なお、Pat Methenyは、ライヴでのMCでの自己紹介で名前の発音を聞いたんだけど、どうにもカタカナにしにくい音で、敢て書けば「パット・マスィーニー」くらいだけど、それもちょっと違う。だから慣習に従って、メセニーと書いた。

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コメント

こんにちは。メセニー愛がよくわかるエントリーですね。私も長らくライト目ないちファンですのでよくわかります。

ちなみに、ラスト・トレイン・ホームのギターはシンセではなく、コーラル製のエレクトリック・シタールだったと思うのですが、違う部分でしたでしょうか?

いちメセニーファン、ありゃ、エレキ・シタール?マジっすか・・・^^;;;。聴直します!

本当だ、こりゃどう聴いても間違いなくエレキ・シタールの音ですね。どうしてギター・シンセサイザーって書いちゃったんでしょう・・・。いちメセニーファン、ご指摘に感謝します。

よかったです!(^_^)

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