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2015/12/27

「イン・ア・サイレント・ウェイ」と「リコレクションズ」は異名同曲

 

 

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マイルス・デイヴィスをよく聴き込んでいるファンの方々には説明不要のことだけど、1998年リリースの『コンプリート・ビッチズ・ブルー・セッションズ』で初めて世に出た70年2月録音の「リコレクションズ」。これはちょうどその一年前69年2月録音の「イン・ア・サイレント・ウェイ」と異名同曲だ。

 

 

まず音源を貼っておこう。

 

「イン・ア・サイレント・ウェイ」→ https://www.youtube.com/watch?v=D_VUbu4AKWg

 

「リコレクションズ」→ https://www.youtube.com/watch?v=xOXVJRehefw

 

これだけ聴いても、同じ曲ではないかとピンと来る耳のいい人も大勢いるはずだ。

 

 

僕はと言えば、「イン・ア・サイレント・ウェイ」の方は耳にタコができるくらい聴き込んでいたのに、最初に「リコレクションズ」を聴いた時には、同じ曲だとピンと来ることができなかった。同じ曲だと気付いたのは、この曲の作者ジョー・ザヴィヌルのウェザー・リポート結成前のソロ作『ザヴィヌル』を聴直した時。

 

 

その『ザヴィヌル』(1971年)収録の「イン・ア・サイレント・ウェイ」→ https://www.youtube.com/watch?v=SqyepMYvUac これだって随分前から聴いていたはずなんだけど、どういうわけか、これのことを思い出せなかった。聴直すと、これの前半部分が「リコレクションズ」になっていることが分る。

 

 

「イン・ア・サイレント・ウェイ」がザヴィヌルの曲であることはよく知られているけど、「リコレクションズ」の方も作曲はザヴィヌル。どうしてこういう具合に、同じ曲がマイルス・ヴァージョンでは二つに分れてしまっているのか、いろいろと推測は付くけれど、僕の考えた結果を以下に述べておこう。

 

 

ザヴィヌルの「イン・ア・サイレント・ウェイ」は元々は1969年2月のマイルスの録音のためにザヴィヌルが書下ろしていった曲。それの原曲がどういう形だったのかは、もはや分りようがない。しかし、「ザヴィヌルの持ってきた曲はコードのたくさんある複雑な曲だった」とマイルスは回想している。

 

 

マイルスは常々「他人の曲をそのまま使うな、一つ足したり二つ引いたりして使うんだ」と語っている。実際、「イン・ア・サイレント・ウェイ」録音の時も、最初はザヴィヌルの書いた通りに演奏してみたものの、どうもしっくり来ず、それでかなり変えたらしいことが、いろんな証言から分っている。

 

 

推測するに、先ほど貼った『ザヴィヌル』ヴァージョンの「イン・ア・サイレント・ウェイ」が、彼が当初書いた原曲に一番近かったのではないだろうか。確かにこれはちょっと複雑な形の曲だ。マイルス・ヴァージョンとはだいぶ違う。聴き比べると分るけど、ここから前半部をマイルスはばっさり切ってしまった。

 

 

マイルスはそうやって原曲から複雑な部分を取除き、しかも後半部分もコードがたくさんあるのを、E一個だけのモーダルな感じにしてしまった。さらに最初に出るジョン・マクラフリンに「ギターの弾き方が分らないといった風に弾け」と指示して、それによってああいった雰囲気の出だしになったわけだ。

 

 

このマイルスの目論見が見事に成功していることは、その結果できあがった、現在聴けるマイルス・ヴァージョンの「イン・ア・サイレント・ウェイ」で、誰でも実感することができる。原曲の牧歌的な雰囲気もよく表現できているし、このヴァージョンの「サイレント・ウェイ」のファンが多いのも納得だ。

 

 

しかし、自分が書いて持っていった自慢の曲を徹底的に換骨奪胎されたザヴィヌル自身は、あまり面白くない気分だったのかもしれない。1968年末の「ディレクションズ」以来70年初め頃まで、ザヴィヌルはマイルスのレコーディングにしばしばオリジナル曲を持参し、レコーディングにも参加している。

 

 

それであまり気分がよくなかったであろうザヴィヌルは、「イン・ア・サイレント・ウェイ」録音で取除かれてしまった原曲の前半部分だけを、もう一度<別の曲>に作り直して、一年後の1970年2月のマイルスとのセッションに持参し、それを「リコレクションズ」として再録音することにまんまと成功してしまった。

 

 

「イン・ア・サイレント・ウェイ」という曲は、そもそもザヴィヌルの出身のオーストリアはウィーンでの少年時代への郷愁をイメージして書いたものらしいから、リメイクした曲のタイトルが「リコレクションズ」(想い出)なのも、なんだか意味深だ。元が同じ曲なのは、もはや間違いない。

 

 

もちろんすぐにリリースされた「イン・ア・サイレント・ウェイ」とは違って、「リコレクションズ」の方はお蔵入りして、1998年までリリースされなかったから、ザヴィヌルの目論見が完全に成功したとは言い難い。お蔵入りしたくらいだから、マイルスやプロデューサーのテオ・マセロも気付いていたのかも。

 

 

実際、お蔵入りしてしまったこともあってか、ザヴィヌルは同じ1970年録音の自身のリーダー・ソロ・アルバム『ザヴィヌル』で、原曲通りに再び録音して、それが71年にリリースされた。そして、こういった一連のザヴィヌルの行動に、僕はコンポーザーとしての彼の非常に強い意思を感じてしまうのだ。

 

 

そしてそういうコンポーザーとしてのザヴィヌルの非常に強靱な意志とこだわりこそが、ウェザー・リポート結成後、このバンドを大成功に導いた一番大きな要因だったように思うのだ。以前書いた通り、ごく初期以外のこのバンドは、スタジオ録音ではほぼ完全にザヴィヌルの書いた譜面が存在していた。

 

 

なお、「イン・ア・サイレント・ウェイ」は、ウェザー・リポートもライヴの定番レパートリーにしていて、CD化されているものだけでも『8:30』のと『ライヴ&アンリリースト』の二つのヴァージョンが存在する。しかしそのどちらも、マイルス・ヴァージョンに準じた演奏だ。

 

 

独裁体制を敷く自分のバンドであるウェザー・リポートで、どうして原曲通りではなく、換骨奪胎されているマイルス・ヴァージョンに準じた演奏だったのか、その辺りザヴィヌルの胸中はよく分らない。ひょっとしてマイルス・ヴァージョンの方が売れてファンに定着しているという商業的理由だったのかもしれない。

 

 

また1991年夏のマイルスのパリ同窓会セッション・ライヴでも、(ウェザー・リポート解散後)ザヴィヌルはウェイン・ショーターとともに、「イン・ア・サイレント・ウェイ」を披露していて、そこでもマイルス・ヴァージョンそのままだ。御大がその場で聴いているという理由も大きかったはず。

 

 

マイルスもこの曲は非常に気に入っていて、1970年の『ジャック・ジョンスン』に、「イン・ア・サイレント・ウェイ」を挿入してもいいかとザヴィヌルに電話して断られたというエピソードが残っている。しかし、81年の復帰後88年のライヴ・ステージでは、この曲をオープニング・ナンバーとして使っていた。

 

 

その1988年マイルスのライヴ・オープニングの「イン・ア・サイレント・ウェイ」は、僕は同年八月の東京公演で聴いた。その後各種ブート盤で聴けるようになっていたけど、1996年に出た『ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド』に、同年ニューヨークでの演奏が収録されているので、誰でも簡単に聴けるようになっている。

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