ソロ/非ソロ
アドリブ・ソロこそが命のように言われるジャズ音楽。ソロの存在自体疑う人すらいないわけだけど、20世紀初頭に、ニューオーリンズで誕生したごく初期のジャズには、個人のソロというものはなかった、らしい。「らしい」というのは、当然ながら、その当時の録音というものが残っていないので、文献資料でしか分らない。
ビバップがジャズの最先端だった1940年代に、ニューオーリンズ・リヴァイヴァルがあって、ジャズ初期の古老達がどんどん録音するようになったから、そういうもので、発生当時の初期ジャズの姿を垣間見ることはできるけど、それもその後のジャズに多少影響されていたから、そのままの姿ではない。
もっとも、「ジャズ」の誕生というか第一号を、スコット・ジョップリンのラグタイムに置く考え方もあって、そうなると、ジャズの歴史はもうちょっと古いことになるけど、それでもソロがないことには変りがない。ジョップリンのラグタイム・ピアノは完全記譜音楽で、アドリブは存在しないのだ。
ラグタイム・ピアノをジャズの起点に置く考え方は、2011年の『ジャズ:スミソニアン・アンソロジー』六枚組CDで示されたもので、そのアンソロジーでは、オープニングがスコット・ジョップリンの「メイプル・リーフ・ラグ」だった。ジョップリンがこの曲を作曲・発表したのは1899年のこと。
でもそのラグタイム=ジャズの誕生という視点は、若干特殊だろう。シンコペイトするリズムは、かなりジャズ的であるとは言えるけど。やはり南北戦争後の軍楽隊が残した管楽器を基に、ブラスバンドを基本に置いてジャズ発生を考えるのが常識的。その後のジャズ史を見ても、管楽器中心の音楽なのだから。
もちろん、ジャズ以前の19世紀においては、ラグタイムと吹奏楽は密接な関係があった。フォスターやゴットシャルクといった作曲家は、シンコペイティッド・ミュージックを書いていたし、マーチ王として有名なスーザだって、ラグっぽいマーチをいろいろ作っている。マーチはラグタイムの重要な母体。
ピアノも、ジャズの初期から2015年の現在に至るまで、一貫して人気の衰えたことのない楽器(特に日本では大人気)だけど、発生当時のジャズにはピアノはなかったし、ジャズの歴史全般を見たら、常に時代をリードしてきたのは、トランペットやサックスといった管楽器であることは明白な事実だろう。
ジャズ史上初のレコード録音となっているのは、1917年2月26日、ニューヨークで白人バンド、オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドが録音した二曲。ジャズ誕生から少し経過しているし、白人バンドによるものだから、初期ジャズのオリジナルな形を残したものとは言えないだろう。
ついでに書いておくと、黒人ジャズマンの初録音は、トロンボーン奏者キッド・オーリーのサンシャイン・オーケストラが、ロサンジェルスで録音した1922年6月の六曲(これには異説あり)。キッド・オーリーはニューオーリンズを中心に活動していて、キング・オリヴァーやサッチモとも録音している。
1922年というのは、ジャズ発生史から見たら、相当に遅い。様々な資料から明らかだけど、その頃既にジャズは誕生当時の姿ではなくなっていたはずだ。そして、そのキッド・オーリーとも録音を残したサッチモことルイ・アームストロングこそが、その後のジャズを運命づける「ソロ」の概念を確立した。
サッチモの初録音は、キング・オリヴァーのバンドで1923年4月5日にリッチモンドで吹込んだ五曲。既にバンド・リーダーで師匠のキング・オリヴァーを凌駕せんとする存在感を示し始めている。サッチモは先にシカゴに来ていたキング・オリヴァーの招きで、ニューオーリンズから出てきたのだった。
しかしながら、録音で辿る限りでは、サッチモが自分のトランペット(コルネットだけど)・スタイルを確立するのは、1924年10月にフレッチャー・ヘンダースン楽団に加入した頃のことだろう。その頃には、ヘンダースン楽団のスタイルを、ホットなジャズへ一変させたと言われる強烈な演奏ぶりだ。
そして、その1924年頃が、サッチモがジャズにおける個人のアドリブ・ソロを一般的なものにした時期なんだろう。もっと前からそうかもだけど、録音されたもので辿る限りではそうだ。ヘンダースン楽団にしてからが、スウィートなダンス・バンドだったのが、ホットなソロを聴かせる楽団に変化した。
その後のサッチモの快進撃と、後世に与えたあまりに大きすぎる影響力については、既にいろんな人によって語り尽くされているし、日本語で手軽に読めるものでは油井正一さんの『ジャズの歴史物語』にも詳しく書いてあるから、僕が今更繰返す必要はない。「ソロ」の呪縛は、あまりに強力すぎるくらい。
ジャズで「ソロ」というものを吹いたのが、果して本当にサッチモが初めてだったのかどうかは、実ははっきりしない。少なくとも、録音でそれを辿って証明することは難しい。実際シドニー・ベシェの方が少しだけ早かったかもしれない。しかし、サッチモが初めてではなかったにせよ、ソロ概念を強く確立・普及させたのが、サッチモであったことは、疑いえない。
そして、サッチモの貢献によって、集団即興演奏だった発生当時のニューオーリンズ・ジャズから脱却して、ソロを演奏の中心に据えるようになって以後は、ジャズとジャズ周辺音楽が、ソロ中心の演奏スタイルでなくなったことは、2015年に至るまで、一度もない。「全て」がソロ廻しメインの音楽だ。
ジャズとその周辺音楽は、そういうアドリブ・ソロ(譜面化されていることも、時々あるけど)を演奏の中心に据えたからこそ、これだけ様々に発展してきたのだと言える。ビバップだって、その後のモダン・ジャズだって、フリー・ジャズだって、ジャズ・ロックだって、フュージョンだって、ヒップホップ・ジャズだって、全部そうだ。
つまり「ソロ」を取らないジャズ(とその周辺音楽)は存在したためしがないわけで、その意味でもこの「ソロ概念」を確立したサッチモの偉大さを、どれだけ強調してもしすぎることはないんだけど、ジャズ史上、たった一つだけ、このソロの呪縛から逃れようとしたバンドがある。ウェザー・リポートだ。
ジョー・ザヴィヌルのではなくウェイン・ショーターの言葉だったと記憶しているけど、”We always solo, we never solo.” という有名な台詞がある。この言葉の意味するところは、初期のウェザー・リポート、特にデビュー・アルバムと『ライヴ・イン・トーキョー』を聴くと、よく分る。
それら二作で聴けるウェザー・リポートの演奏は、テーマ演奏があって、その後に個人のアドリブ・ソロが来るという手法ではない。一曲毎に、演奏全体がバンド・メンバーよって集団で展開されて、たまに個人のソロのように聞える瞬間があるが、実は全員が一斉にソロを演奏している一部分であるというのが正しい。
全員が一斉にソロを演奏しているということは、誰もソロを演奏していないというのと同じだから、さっき紹介した ”We always solo, we never solo” というショーターの言葉通りのことになっているわけだ。特にミロスラフ・ヴィトウスが在籍していた1974年頃までは、そうだった。
そういうのが無秩序な集団即興にならず、完璧な構築物になっていたのは、ザヴィヌルの強力なリーダーシップがあったからだ。特に、ヴィトウスが在籍中最後の『ミステリアス・トラヴェラー』以後は、ザヴィヌルによって譜面化されていた部分もかなりあったと推測している。
実際、ヴィトウスが抜けて、ショーターも個人的な事情で音楽活動だけに集中しにくくなってからは、ザヴィヌルの独裁体制が一層強くなって、当初のソロ=非ソロの理想はそのままに、スタジオ録音ではほぼ譜面化されて、それが実現していたようだ。ジャコ・パストリアスの弾くベース・ラインすら、スタジオ録音では全て譜面があったらしい。
全て譜面化されているのなら、それはアドリブでもソロでもないのではないかという意見もあるだろう。しかし、それはジャズにおける「アドリブ・ソロ」に対する一種の幻想みたいなものではないかと僕は思っている。重要なのは、実際に即興で演奏したかどうかではなく、即興らしく聞えるかどうかだろう。
ザヴィヌルは、そういう発想を1968年頃に持っていたらしい。マイルスの『ネフェルティティ』一曲目のタイトル・チューン、一切個人のソロがない曲を聴いて、これは自分の考えている方向性と同じだと感じたらしい。それでマイルスに共感したわけだけど、マイルスはその方向性はあまり発展させなかった。
だからザヴィヌルは自分でバンドを組んで実現させたわけだ。現役の頃は、一般的な人気もあって玄人筋からの評価も高かったウェザー・リポートなのに、解散後はあまり顧みられなくなって、再評価の気運もない。露骨な手のひら返しみたいで、あんまりだ。みなさん、またちょっと聴直してみて下さい。
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