LPレコードを片面ずつ聴く習慣
CD中心の今でもそうなのかどうか全く知らないのだが、かつてのジャズ喫茶は、LPを片面ずつ一枚かけては取替えるという店ばかりだった。そうじゃない店もあったのかもしれないが、松山時代も、また上京後数年は行っていた東京でも、僕の行った店は全部そうだったので、これが標準だったんだろう。
そういうレコードの聴き方がスタンダードで、そういうもんだとばかり思っていたので、僕は自宅でもそういう聴き方をしていて、しかもそれはジャズだけでなく、他のあらゆるレコードを片面ずつ一枚かけては取替えて聴いていた。その後ジャズ・ファン以外の友人が増えて、これは例外的なのだと初めて知った。
もちろんかつてのジャズ喫茶でも、客のリクエスト次第では必ずしもこの限りではなく、特にライヴ・アルバムで両面一続きになっている演奏や、スタジオ・アルバムでも両面通した組曲風の作りになっているものなどは、客が要求すれば両面続けて流すということはあったけれど、そういうのは例外的。
この「LPを片面ずつ一枚かけては取替えて何枚も聴く」という(おそらくは)ジャズ喫茶発祥であろうレコードの聴き方。最初にいつ頃誰がはじめたものなのか、確かめようもないと思うけど、今考えたら、これは人間の集中力が持続する限界というか生理的構造に、かなり合致したものだったのかもしれない。
CDや配信でしか音楽を聴いたことのないリスナーにはピンと来ないだろうけど、かつてのLPの片面は20分前後か、短いと15分程度、長くても30分なかった。僕の知る範囲では、LP片面で一番収録時間が長かったのは、マイルス・デイヴィスの『ゲット・アップ・ウィズ・イット』一枚目A面の約32分。
だからあの「ヒー・ラヴド・ヒム・マッドリー」、これをジャズ喫茶で聴いた経験はないのだが、自宅で聴く時は、なんて長いのだ!こりゃとんでない長さだな!と、若干しんどい思いをしながら聴き通していたような記憶がある。『ゲット・アップ・ウィズ・イット』は、二枚目A面も30分以上ある。
そういう化物みたいな例外はあったけれど、まあだいたいどのLPも片面20分前後で、この20分という時間は、リスナーが集中して聴き通すのにちょうどいい長さだったと思うのだ。これ以上長いと集中力が持続せず飽きてきたりするところで終って、別のLPになるから、また新鮮な気持で聴始める。
ジャズ喫茶もいろんな客がいたわけだけど、僕みたいな貧乏学生は珈琲一杯だけで、あとは煙草を何本も吸続けて、それで何時間も店内で粘ってたくさんレコードを聴くような(店の回転率という意味からは全く迷惑な)客にとっては、こういうレコードの聴き方が一番ピッタリ来ていたのだ。
商売としては迷惑だったと思うけど、当時のジャズ喫茶の常連客はだいたいみんなそんな具合で、飲物を殆どおかわりせず、何時間も居座るような客ばかり。僕が通い始めた1979年の松山にも、おしゃべり厳禁の店の方が多かった。なかにはカウンター席でマスターや常連客と話ができる店もあったけれど。両方合せても五・六軒程度だったけどね。
ジャズ喫茶側だって、だいたい新規顧客開拓なんてのは望みが薄い類の商売だったんだから、そういう常連客に(経済的な側面以外でも)支えられていたはず。だから僕がよく行くジャズ喫茶は短命な店が殆どだった。東京でも後藤雅洋さんの四ッ谷いーぐるみたいに何十年も続いている店は、珍しいだろう。
すっかりそれに馴染んでいたので、自宅で聴くロックやブルーズやソウルやファンクなどのレコードも、そういう聴き方しかしておらず、後年そういう音楽のファンにこれを打明けると、少しビックリされた。でもロックなどの新興ジャンルの音楽でも、レコード片面ずつまとまっていることもあったけどなあ。
ロックだって最初はシングル盤中心の世界で、それはロックに限らず今でも基本そうなのだと思うけど、主に1960年代半ば以後、LP全体の流れを意識した作品創りをするロック・ミュージシャンが多くなってくると、やはり片面ずつまとめて聴けるような作り方をしてあるものが結構出てきたもんなあ。
なかにはLP片面ずつテーマのようなものを設定してある作品もあって、一例を挙げればスティーヴン・スティルスのマナサス一作目『マナサス』。これは二枚組LPだった(今ではCD一枚)のだが、二枚組の片面ずつテーマが書いてあって、それに沿って曲が収録されていた。こういうのは他にもあった。
だから、LPを片面ずつ、というか片面しか聴かないというのは、そんなに的外れな聴き方でもなかったように思うのだが、こういう聴き方はジャズ喫茶に入浸っていたジャズ・リスナーだけのものだったらしい。そういう僕も、マイルスの『アガルタ』と『パンゲア』だけは、両面通して聴いていたけれど。
だって『アガルタ』と『パンゲア』は、ノーカットで1975年大阪でのライヴを収録したもので、演奏は両面一続きのものだったから、この二つだけは通して聴きたかったのだ。LPレコードでは、一続きの演奏がA面終了時にフェイド・アウトして、B面頭で同じ箇所から再開するという具合になっていた。
だからA面が終る時にフェイド・アウトするのを聴きながら、「ああ〜、これがちゃんとライヴ現場そのまんま繋がっていたら、どれほど嬉しいことか!」と思いながら、針を上げレコードをひっくり返していた。だからあの二つは、両面繋がるようにして片面60分のカセットテープにダビングしたのを聴いていたくらいだった。
アナログ時代の作品はアナログ盤で聴くのが一番いいんだろうと確信しながら、それでも諸事情からアナログ・レコード・プレイヤーを処分してしまったので、その後はCDでしか聴かないのだが、アナログ時代の作品でも、『アガルタ』『パンゲア』だけは、CDになって本当によかったと心の底から思う。
書いたようにアナログでは、一続きの演奏がLP両面に分断されていた『アガルタ』『パンゲア』。CDリイシューで初めてそれが現場での演奏通りに復元されて、遅れてきた僕らみたいなマイルス・ファンでも、当時の雰囲気を味わえるようになったんだもん。あの二つだけはLPではもう聴きたくない。
マイルスの『アガルタ』『パンゲア』だけなく、一昨年だったかCDでフル・リイシューされたオーティス・クレイ初来日公演を収録した二枚組『ライヴ!』などもそうだし、その他ジャズでもソウルでもロックでもファンクでも、ライヴ・アルバムではそういうのが実に多いよね。これこそCD最大の利点。
そういう、いわば例外的なアナログ時代の音楽作品もあるけれど、一般的にはアナログ盤の片面20分前後という長さが、やはりしっくり来るよなあ。両面通して聴いたって40分程度だから、充分集中力が続く。最近の新作CDで70分以上もあったりするのは、よほどの良作じゃないと、もうかなりしんどい。
もちろんそれは新作の場合であって、SP時代の音源などを復刻したCDの場合は、収録時間ギリギリいっぱいまで詰込んでくれてOKだ。そういうのはいわばカタログ的な意味合いもあるし、全部通して聴くというより、傑作選としてピックアップしながら聴けるわけだし、SP時代は一曲単位だったんだし。
むろん78分もずっと続けて集中して聴くのは、年齢的にも厳しいものがあるし、若くても人間の生理としては不可能に近いので、SP音源やその他過去音源の集大成みたいな長時間収録のものは、正直言うと自室で流しっぱなしにして、別のことをしているという場合が多いのだ。耳は一応向いてはいるけど。
以前ベイルートという若いミュージシャンのデビュー・アルバム『グラーグ・オーケスター』が出た時、かなり最近のCD時代の新作なのに38分しか入ってなくて、なんて短いんだと最初聴く前は思っていたんだけど、もう今はこれくらいがちょうどいい。ベイルートはだいたいどの作品もそんな感じだよね。
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