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2016/01/28

マイルス・バンドでのマイク・スターン

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昔も、そしておそらく今でも、マイルス・ファンやジャズ・ファンからは悪口しか言われない、1981年マイルス・デイヴィスのカム・バック・バンド(から83年まで)でギターを弾いているマイク・スターン。当時は「ギタリストだけはクビをすげ替えた方がいい」とマイルスに進言する人もいたらしい。

 

 

あのカム・バック・バンドでは、1970年代からマイルスを支え続けているドラムスのアル・フォスター以外は全員当時の新人で、そのなかでは、ベースのマーカス・ミラーの評価が高かった。マーカスは数年後になって、『TUTU』や『シエスタ』や『アマンドラ』で大活躍。晩年のマイルスをも支えたのだった。

 

 

デビュー当時からマルチ楽器奏者のマーカス・ミラー。1981年のカム・バック・バンドでも、ある時のステージで突然電源関係のトラブルで電気が一切使えなくなり、修繕・回復するまで、ビル・エヴァンスのテナー・サックスを借りて、それでベース・ラインを吹いたことがあったらしい。

 

 

当時のマイルスがライヴをやっていたのは大規模な会場が多かったので、電気が一切使えない状況で、生楽器の生音だけで、果して観客に音が聞えたのかという強い疑問はあるから、ひょっとしたら眉唾なエピソードかもしれないけど、マーカスならそれが当然あり得ると納得できる人だったのは確かだ。

 

 

そうやって1981年当時から評価の高かったマーカス・ミラーに比べたら、ギタリストのマイク・スターンは、もう散々な言われようだったんだけど、僕は彼のギターが案外好きだったんだよね。生で体験したのは1981年の福岡と83年の大阪だけで、マイルスとの公式アルバムも三つしかないけどね。

 

 

参加公式アルバム三つのうち、マイク・スターンが全面的に弾いているのは、復帰二作目の二枚組ライヴ盤『ウィ・ウォント・マイルス』だけ。第一作の『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』では一曲目だけ、三作目の『スター・ピープル』でもジョン・スコフィールドとのツイン・ギターで、全面的には弾いていない。

 

 

だけど復帰第一作の『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』の一曲目「ファット・タイム」が、マイク・スターンのギターをフィーチャーしたもので、そもそもこの曲名は、当時は知らなかったが、マイク・スターンのあだ名なのだ。当時からややポッチャリ目の体型だったしね。それが一曲目だから、印象が強かった。

 

 

 

『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』は、それ以外のギターは全部バリー・フィナティで、実は当時マイルスがカム・バック・バンドに誘ったのはバリー・フィナティの方だったらしい。しかしフィナティはそれ以前から活動をともにしていたクルセイダーズとのツアーの方を優先し、マイルスの方は断った。

 

 

そういうわけで「ファット・タイム」でしか弾いていないマイク・スターンにお呼びがかかったというわけなのだ。もっと以前の1955年にも、マイルスがファースト・クインテット結成の際に声を掛けたファースト・コールはソニー・ロリンズで、彼が断ったために、ジョン・コルトレーンになった。

 

 

それでもマイルスのロリンズへのこだわりは残っていて、その後も何度かスタジオ録音に参加させているし、1961〜62年にハンク・モブリーを雇っていた頃も、ライヴでモブリーがソロを吹いている最中に「ここにロリンズが現れたら即雇うのに」と耳元で囁いて、いびっていたらしい。意地悪だよねえ。

 

 

マイルスは、サイドメンへのこの種のいびりは生涯通してやっていたようだ。その本音は単なるイジメというより、当人を発奮させて、次のステージでいいプレイができるようにと思ってのことだったらしいのだが、それならもうちょっと他のやり方でもよかったんじゃないかと思ってしまう。

 

 

しかし1981年カム・バック・バンドのマイク・スターンに関しては、セカンド・チョイスではあったけれど、その後の83年までのライヴではかなり重用していて、今ではどう聴いても彼より魅力的だと思うジョン・スコフィールドが加入当初の83年も、しばらくはマイク・スターンの方を信用していた。

 

 

これは僕が体験した1983年5月の大阪公演でも同じで、ジョン・スコフィールドが一応ステージに立って弾いてはいたものの、彼が活躍する場面はあまりなく、ソロも殆どマイク・スターンの方に任せていたくらいだった。マイク・スターンが抜けてからは、スコフィールドが大活躍するようになるけどね。

 

 

先に書いた復帰一作目の『マン・ウィズ・ザ・ホーン』でも、ギター・ソロは一曲目の「ファット・タイム」でのマイク・スターンだけで、それ以外の曲でのバリー・フィナティは一切ソロを取っていない。それだけに一曲目のマイク・スターンのギターの印象が強くなって、当時も今も印象に残るのだ。

 

 

スタジオ・オリジナルではギター・ソロのない「バック・シート・ベティ」でも「アイーダ」(『ウィ・ウォント・マイルス』では「ファスト・トラック」表記)でも、ライヴではマイク・スターンが弾きまくっているし、その大活躍の様子が公式盤・ブート盤合せ、かなりいろいろと聴けて楽しめる。

 

 

フルに聴けるのが公式盤では『ウィ・ウォント・マイルス』だけだから、マイルスのバンドでのマイク・スターンの姿はこのアルバムが一番分りやすい。僕が一番感心するのは、ソロもさることながら、マイルスやビル・エヴァンスの背後で弾いている時の、ハーモナイズ、サウンドのカラーリングの仕方だね。

 

 

マイク・スターンは、マイルスも語っていたことなんだけど、ライヴで他のメンバーの出す音を非常によく聴き分ける耳を持っていて、ピッチを実に正確に把握し、それに合った音をギターで刻み、バンドのサウンドに色を付けることができる。『ウィ・ウォント・マイルス』のどの曲でもそれが分る。

 

 

ことソロのフレイジングの魅力という点では、たとえば1983年のジョン・スコフィールドとのツイン・ギター体制時にも、どっちかというとスコフィールドの方がいいように聞えて、例えば『スター・ピープル』三曲目の「スピーク」では、スターン→スコフィールドの順で二人のソロが続けて出てくるので、その魅力の違いがよく分る。

 

 

 

スタジオ作ということになっている『スター・ピープル』収録曲の約半分はライヴ音源で、「スピーク」も1983/2/3のヒューストンでのライヴ録音。かなり編集されて収録されているけど、そのうちスコフィールドの弾いたソロのフレーズが、後にバンドの演奏するテーマ・リフに転用されているくらいだ。

 

 

だから、ソロ・フレイジングでは1983年以後のスコフィールドに敵わないと思うマイク・スターンだけど、バックに廻った時のカッティングの魅力は、73〜75年当時のレジー・ルーカスに並ぶ存在だったとすら、僕は思っているくらいだ(褒めすぎ?)。ボスのマイルスも当時同様に評価するような言葉が残っている。

 

 

『ウィ・ウォント・マイルス』では一番出来がいいと思う二枚目A面のガーシュウィン・ナンバー「マイ・マンズ・ゴーン・ナウ」。この古い曲を見事に1981年当時の新しいサウンドに仕立て上げている最大の功労者が、他ならぬマイク・スターンのギターによるカラーリングだろう。

あの「マイ・マンズ・ゴーン・ナウ」、冒頭のベース・リフが落着いて、マイルスによるテーマ吹奏が出る直前に、ギター・アルペジオで色を付けるあたりなんか、何度聴いても溜息が出ちゃうもんね。そういう瞬間は他にもいろいろある。

 

 

 

 

伴奏にソロにと大活躍。1973〜75年頃のマイルス・バンドでは、レジー・ルーカスがカッティング、ピート・コージーがソロとほぼ完全に役割分担されていたけど、81〜83年はマイク・スターンが一人で両方こなしているわけだから凄いよなあ。彼をこんなに褒める人は、殆どいないだろうけどね。

 

 

ソロだけに限れば、『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』の「ファット・タイム」と並び、『スター・ピープル』タイトル曲の長尺ブルーズでも素晴しい。当時マイルスは、このマイク・スターンのソロを “that BB thing” と呼んで激賞していた。これは褒めすぎだろうけどね。

 

 

 

ジョン・スコフィールドが辞めた直後の1985年10月から、ロベン・フォードが加入する86年4月までの半年ほどの間、マイク・スターンは、マイルスに呼戻されてライヴで弾いている。その頃のスタジオ録音も公式ライヴ録音もないけれど、ブートでは少し聴ける。それくらい重宝されていたんだよね。

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コメント

この東京公演の時(今の東京都庁になる前の空き地)、たまたま新宿にいました。かなり離れた場所にいても大音響なので音は聞こえてきました。曖昧な記録をたどると、サックス(ビル・エバンス)とギター(マイクスターンと思われる)の音(ソロ)は、かなり長く響いていたように記憶してます。マイルスの音は、テーマでは聞こえてましたがソロ(アドリブ)の部分はあまり元気がありませんでした。近くに行ってみて驚いたのは、回りを学ランの学生が手をつなで人垣をつくっていて、止まって眺める人に、「止まらないでください」と追い立てていたことです。NHKの撮影車も止まってました。後に放映されたNHKの映像を見ると、寒い中、マイルスがよたよた歩きいていて、回りのメンバーが気遣っていたのが分かります。ベースのマーカス・ミラーは、音は聞こえど(すごくいいベース音)映像にはあまり姿がつりません。日本公演のポスターがそのままレコードの表紙に使われた「We Want Miles」を聞いてあまりの違いにビックリ。マイルスは元気に吹きまくってます。あの新宿西口は、ライブ演奏をするにはあまりに季節と場所が悪かったんですね。マイク・スターンはかなり気に入ったのでソロアルバムを2〜3枚買った覚えがあります。

TTさん、新宿西口広場ですよね。僕は当時松山に住んでいたんで、大阪公演か福岡公演かどっちに行こうか迷って、調べてみて往復の交通費が少しだけ安い福岡公演に行きました。憧れのマイルスを生で観たという感動で胸が一杯で、音楽内容は全く憶えていません。翌年『ウィ・ウォント・マイルス』が出て聴いてみたら、なかなかいいので、ちょっとビックリ。なお、1993年にその新宿西口広場でのライヴをフル収録した『マイルス!マイルス!マイルス!』が出ていますよ。これを聴くと、バンドは健闘しているけれど、御大に関してはまあボロボロですね。だから、『ウィ・ウォント・マイルス』でどうしてあんな風に良くなるのか、いまだに不思議です。

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