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2016/01/18

卵の殻の上を歩く男

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マイルス・デイヴィスといえば、その昔、「卵の殻の上を歩くような」と形容された、ハーマン・ミュートでの繊細なプレイがトレードマークで、昔僕が聴始めた時もそういう紹介がされていたし、今でもそうらしい。だけど、実は重要なアルバムではオープン・ホーンで吹いているものも多いよねえ。

 

 

個人的には、マイルスがハーマン・ミュートで吹いたものでは、キャノンボール名義のブルーノート録音「枯葉」が一番の名演だと思っているんだけど、リアルタイムでマイルス=ハーマン・ミュートのイメージを決定づけたのは、コロンビア移籍第一作『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』のタイトル・ナンバーらしい。

 

 

確かにあの「ラウンド・ミッドナイト」のマイルスのハーマン・ミュートでのプレイは素晴しい。その次に出るコルトレーンの武骨なイメージと好対照で、両者相俟ってこの曲を盛上げて名演にしているよねえ。その他、プレスティッジでの「ユア・マイ・エヴリシング」なども名演バラードだ。

 

 

 

まさに絶品としか言いようがない。そもそもこの曲が収録されている『リラクシン』は、全六曲中五曲でハーマン・ミュートを使っていて、マイルスのそのミュートを使ったプレイの特徴が一番よく分るアルバムだ。

 

 

「卵の殻の上を歩くような」という表現で、僕が一番ピッタリくると思うのは、やっぱり『クッキン』一曲目の「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」だなあ。こういうバラード表現でのハーマン・ミュートは、まさに玉の露というか、本当に何度聴いても惚れ惚れするほど素晴しい。

 

 

そういうハーマン・ミュートでの数々の名演があるのは承知の上なのだが、最初に書いた通り、マイルスは重要作では結構オープン・ホーンで吹いているものが多い。例えば、ジャズにおけるモーダルな表現を決定づけた『カインド・オヴ・ブルー』一曲目「ソー・ワット」もオープン・ホーンだよなあ。

 

 

だいたい、『カインド・オヴ・ブルー』では、マイルスは全五曲中二曲でしかハーマン・ミュートを使っていない。あのアルバムはマイルスの時代を超えた代表作にして、ジャズ・アルバムでは史上最も売れているアルバムらしいからねえ。

 

 

その後の1960年代の一連のライヴ・アルバムでも、ほぼ全部オープン・ホーンでしか吹いていない。ジャズ的なスリル満ちた傑作として挙げられることの多い『フォア&モア』も、プレスティッジではハーマン・ミュートで吹いたのをオープン・ホーンで再演したタイトル曲が素晴しい『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』もそうだ。

 

 

またギル・エヴァンスとの一連のコラボ作品でも、カーネギー・ホールでのライヴ盤含め、かなりの部分がオープン・ホーンだ。『マイルス・アヘッド』では、そもそも全部フリューゲル・ホーンだし。フリューゲル・ホーンにミュート器って付けられるのだろうか?

 

 

さらに言えば、電化マイルスの代表的傑作アルバムの『イン・ア・サイレント・ウェイ』も『ビッチズ・ブルー』も『ジャック・ジョンスン』も『マイルス・アット・フィルモア』も『ライヴ・イーヴル』も、ほぼぜ〜んぶオープン・ホーンなのだ。ハーマン・ミュートでのプレイは、殆ど出てこないもん。

 

 

そしてその後は、トランペットにピックアップをつけてアンプで増幅するという電気トランペットを使うようになるから、そうなると、もうオープンもハーマン・ミュートも関係なくなっているもんなあ。当時のステージ写真とかを見ると、ミュート器をつけている写真もあるけど、出てくる音では分らない。

 

 

1981年の復帰後は、また生トランペットに戻して、ハーマン・ミュートも再び使うようになっていたけど、オープンとミュートの使い分けが、以前に比べると恣意的で、独自の意図を感じるということが、少なくなっていた。「タイム・アフター・タイム」などでも、ライヴではオープンでやったりハーマン・ミュートでやったり。

 

 

そういう風に見てくると、1950年代後半に、ハーマン・ミュートを使った名演が結構ありはするものの、それ以外の、エポック・メイキングな代表作ではオープン・ホーンで吹いているものの方が多いから、マイルスを紹介する時に、そのトレードマークをハーマン・ミュートだと言うのが、果して適切なのだろうか?

 

 

そもそもマイルスのハーマン・ミュートでのプレイを "walk on the egg shell" と最初に形容したのは、彼をコロンビアに招聘したプロデューサー、ジョージ・アヴァキャンらしい。つまり、インディ・レーベルから大手レコード会社への移籍に際し、その成功を期するために用いられた商略、コピー文句だったんだよね。

 

 

そしてむしろ、ハーマン・ミュートが特徴的だった時代の方が、マイルスのキャリア全体で見るとやや特殊だったのであって(といっても、その時代に名声を獲得したので、仕方がない面もあるけれど)、彼の本領がハーマン・ミュートにあるとばかりも言えないように僕は思うのだ。

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コメント

「卵の殻の上を歩くような」は、ブルーノートのマイルスデイビス集2の「It Never Entered My Mind」に対しての表現だと思ってました。

名無しさん、あの「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」は、ハーマン・ミュートではなく、カップ・ミュートですから違います。マイルスによる同曲の演奏では、プレスティッジの『ワーキン』収録ヴァージョンは、ハーマン・ミュートで吹いてますけどね。でも僕もブルーノート録音ヴァージョンの方が好きです。

すみません。名前入れ忘れました。TT(ツイッターは@ttakenami)です。
ツイッターからこちらに来ました。ものすごく楽しんでます。
確かにハーマンミュート(金属的な音)ではなく、カップミュートですね。
私的には、こちらの音のほうが、「卵の殻の上を歩くような」感じがします。
音楽だけでなく、文学の話も入れていただけると、私的には嬉しいのですが・・・
(ここは音楽の話だけですね。すみません。)

TTさん、出来がいいのは、どっちかというとプレスティッジ盤『ワーキン』のヴァージョンだろうとは思いますけどね、「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」。なお、別記事で触れておきましたが、この曲をマイルスが取上げたのは、フランク・シナトラが歌っていたからです。「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」もそうです。

私は、ブルーノートの「マイルスデイビス集2」の方が好きですし、思い入れがあります。映画「デニー・ブルース」のエンディング(ホフマンがバスタブのそばですっぽんぽんで倒れている画面)でこちらの音源が使われてましたよね。あのイメージが強烈で頭に残ってますし、カップミュートのあの音が好きなんです。
フランク・シナトラは、新宿の高価な音響売場で聴いて、あまりの色っぽさと歌のうまさに驚いたことがあります。やっぱりこの人すごいんですね。

TTさん、カップ・ミュートなら、マイルスは1940年代のパーカー・コンボ在籍時代からわりと使っています。というか、ジャズ・トランペットでミュート器といえば、カップ・ミュートかワーワー・ミュート(プランジャー・ミュート)でした。そもそもハーマン・ミュートは、マイルス以前にはあまり使用例がなく、これを普及させたのは、他ならぬマイルスその人です。彼が1950年代半ば以後頻用したので、その後のジャズ・トランペッターも使うようになっただけ。この事実からも、マイルス=ハーマン・ミュートのイメージだったことが分ります。

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