サリフとユッスーの時代は終っている?
1980年代末頃から2005年頃までは、あんなに夢中で聴いていたマリのサリフ・ケイタとセネガルのユッスー・ンドゥールだけど、その後はあまり聴かなくなって、最近は昔のCDを繰返し聴くだけで、新作については一応買ってはいるものの、あまりいいとも思わない。
サリフは1987年の『ソロ』が衝撃で、こんな鋼の声の持主がいるんだなと感心してしまった。もっとも、僕がこのアルバムを聴いたのは、89年頃だったように思う。ユッスーは90年の『セット』から。それがサリフにしろユッスーにしろ、聴いた初めてだった。
だから二人ともだいたい同じ頃に知って聴いてハマったので、僕の中では印象が重なっているというか、国は違うけれど、同じブラック・アフリカのポップ・スターとして、同時に聴き進めていたのだった。1990年代には、発売されるアルバムを一つ一つ期待しながら買っていたし、ライヴにも足を運んで、大いに感銘を受けた。
僕は基本的にはレコードやCDで音楽を聴くタイプで(まあ日本のジャズ・リスナーの多くはそうだけど思うけど)、ライヴにはそう頻繁には行かない方だ。それでも、サリフは2000年の東京ブルーノート公演、ユッスーは1991年の横浜WOMADと99年の東京ブルーノートで、ライヴを聴いた。
全部素晴しかった。ユッスーは1991年の方が彼の全盛時代で、内容的にもそちらの方がよかったように思うけど、99年の東京ブルーノートは、眼前1メートルくらいのユッスーの生唾が飛んできそうな至近距離で観たので、そっちの方が視覚的な印象は強く残っている。その時は2セットとも聴いた。
1999年というと、僕はネット活動ではパソコン通信を中心にやっていた頃で、そのパソコン通信Nifty-Serveの音楽会議室で、ユッスーの話もしていた。東京ブルーノートでは、一部の公演が終って、引続き二部の公演のため会場の隅で待機していたのだが、同様の女性が二人いて、仲良くなった。
そしてその女性ファン二人とユッスーの話で盛上がったのだったが、メール・アドレスは交換したものの、それ以外では僕は主にNifty-Serve内に棲息していたものだから、当時のパソコン通信は会員にならないと参加できない仕組で、会員ではないその女性二人に会員になってくれとも言いにくかった。
そういうことが、一種「閉じられた」世界であるパソコン通信の世界を出ることを考えはじめたきっかけになったのだった。そして、そのパソコン通信の音楽会議室参加メンバーをほぼそっくり引継いで、メーリング・リストをはじめることになる。それなら、メール・アドレスさえ持っていれば、誰でも気軽に参加できる。
サリフの方は一回だけ生で聴いた2000年東京ブルーノート公演に、当時サッカー日本代表監督だったフランス人のフィリップ・トルシエが来ていて、その年はサッカー・アジア杯レバノン大会とシドニー五輪があった(トルシエは五輪監督も兼任していた)ので、その件で少し挨拶させていただいた。
トルシエと同じ日に東京ブルーノートのサリフの公演に来たのはもちろん偶然だけど、トルシエはアフリカ諸国のクラブや代表監督を歴任し、その時代に手腕を発揮して評価を上げ<白い呪術師>という異名もあったほどの人だったから、マリのサリフを聴きに来るのは、まったくおかしくもない人だ。
1991年と99年のユッスーはどちらも同じ音楽内容だったけど、2000年のサリフは僕が一番好きな87年の『ソロ』のような音楽ではなく、既にアクースティック路線に転向していたので、ライヴでもそういう音楽だった。サリフ自身がアクースティック・ギターを弾く曲もあった。
アルバムでいうと、2002年の『モフー』あたりが近い感触だった。サリフのそういうアクースティック路線も、当時から一般に高く評価されていたように思う。僕は1987年の『ソロ』の衝撃が忘れられないので、ああいう強靱な声を聴きたい気もして、柔らかい感じは物足りない感じがちょっぴりしていた。
サリフは一作だけ、ウェザー・リポートで有名なジョー・ザヴィヌルと組んだアルバムがある。1991年の『アーメン』だ。僕はあれも好きだった。どういう経緯でザヴィヌルと組むことになったのかよく知らないけど、ザヴィヌルは第三世界の音楽に非常に強い関心を抱いていた人だった。
あれはまだアクースティック路線転向前で、まだ特有の強靱な声が残っていた頃だ。ザヴィヌルのプロデュース・ワークをどう捉えるかは評価が分れるところだろう。既にお分りの通り、僕はザヴィヌルを高く評価する人間なので、『アーメン』もわりと好き。
ザヴィヌルは1996年の自身のアルバム『マイ・ピープル』でも、サリフをゲスト・ヴォーカリストに迎えて、「ビモヤ」一曲だけだけど、共演している。ザヴィヌルなんて聴かない、ましてやウェザー・リポート解散後のソロ・アルバムなんて、というファンも多いみたいだけどね。
『マイ・ピープル』の「ビモヤ」を聴くと、やはりサリフのヴォーカルの存在感が際立っているので、ザヴィヌルがどうこうというより、サリフの音楽として聴ける。このアルバムには、カメルーンのベーシスト、リシャール・ボナや、その他アンゴラやトルコなどの音楽家も参加している。
僕がその後大活躍することになるリシャール・ボナを初めて知ったのが、この1996年の『マイ・ピープル』だったのだ。ボナはその後ザヴィヌル・シンディケートで活動したし、パット・メセニーのアルバムやツアーに参加した時期もあって、ジャズ関係のリスナーにも名前がよく知られているはずだ。
ザヴィヌルは1998年のライヴ盤『ワールド・ツアー』(これもベースが一部リシャール・ボナ)で、「ビモヤ」を実演している。それにはもちろんサリフは参加しておらず、ザヴィヌル自身がヴォコーダーを使って歌っているのだ。ヴォコーダーはウェザー・リポート時代から少し使っている。
なんかザヴィヌルの話みたいになってしまったが、あくまでサリフ関連のつもり。さて、ユッスーの方はといえば、2002年の『ナッシングズ・イン・ヴェイン』が、やはりアクースティック路線のアルバムだった。個人的にはこれがユッスー最新の傑作だったように思っている。
なにかの賞をもらったらしい2004年の『エジプト』も、個人的にはあまり好きになれなかった。アラブ音楽大好き人間の僕でもそうなんだから、そうじゃないアフリカ音楽愛好者の耳には、どう聞えているのだろう?イマイチ声が出なくなっているように思うんだけどなあ。
結局今でも聴くユッスーは、1994年の『ザ・ガイド』まで。特にその前の92年『アイズ・オープン』がかなり好きで(苦手で最後まで聴き通せないという人もいるみたいだけど)、最高傑作と意見が一致している90年の『セット』よりも、個人的にはよく聴くくらいなんだなあ。
サリフにしたって、2002年の『モフー』までか、甘く見ても2005年の『ムベンバ』までだろう。これ以後は、2009年の『ラ・ディフェランス』も2012年の『タレ』も、良さが分らなかった。アフロ・ポップの世界で、サリフとユッスーの時代は終っているのだろうか?
もちろんサリフもユッスーも現役で活躍している音楽家だし、今でも熱心に追掛けているファンも多いわけだから、軽々しく「終っているのだろうか?」なんて口走るべきではないだろう。それでもこの二人は、なんだか「現役感」みたいなものが少し薄れてきているように、個人的には感じているのも確かだ。今後もアルバムが出れば、買い続けるだろうけどれね。
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