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2016/01/09

アート・ペッパーはディスカヴァリー録音が最高

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僕が生まれて初めてライヴを聴いた音楽家は、ジャズ・アルト・サックス奏者のアート・ペッパーだった。確か1980年のことじゃなかったかと思う。当時は松山で大学生をやっていた僕だけど、ペッパーが松山にも来たんだよなあ。他に憶えているのは、ピアノがジョージ・ケイブルズだったことだけ。

 

 

当時通っていたジャズ喫茶のマスターには「アート・ペッパーに行くのなら、ピアノのジョージ・ケイブルズがいいから、彼を聴け」と言われた。店では戦前ジャズしかかけないのに、ケイブルズみたいな当時新進の若手を、どうしてそんなに知っているのかも不思議だったけど、ペッパーには期待するなというのが、裏の意味だったのかも。

 

 

当時大学生で、新しいジャズメンの動向にも注目していたはずの僕でも、ジョージ・ケイブルズは特になんとも思ってなかったし、そんな裏の意味も読取れなかったから、普通にアート・ペッパーが聴きたくて行っただけだった。その頃はペッパーが大好きだったし、昔のアルバムはもちろん、当時の新作もよく聴いていた。

 

 

当時の新しいアルバムで一番好きだったのが、ヴィレッジ・ヴァンガードでのライヴ盤LP三枚組。ドラムスがエルヴィン・ジョーンズで、ベースがジョージ・ムラーツ(ピアノが誰だったか憶えていない)。エルヴィンはもう大ファンだったし、ジョージ・ムラーツはこれで知った人だけど、ファンになった。

 

 

そういうわけで、最初のアート・ペッパーの松山公演には、終演後サインをもらおうと、そのヴィレッジ・ヴァンガードでのライヴ盤を持っていった。いざ生を聴いてみると、まあペッパーに関しては特に強い印象はなく、とはいえ大ファンだったから、そんなに悪いとも思えず、平均的な出来だっただろう。

 

 

そして、ジャズ喫茶のマスターの言った通り、ピアノのジョージ・ケイブルズがすこぶる良かった。ケイブルズはこの頃数年間、晩年のペッパーと行動をともにしていたみたい。1975年復帰後のペッパーは、モーダルな演奏法などにも取組むようになっていて、ケイブルズはそれにピッタリの人材だった。

 

 

当時の様々なペッパーのアルバムにも、ケイブルズはよく参加していた。ライヴでケイブルズが凄く良かったのを体験して以後は、ペッパーのアルバムを聴いても、それまではあまり意識していなかったケイブルズのピアノに耳が行くようになった。しかし件のジャズ喫茶マスターはどうしてケイブルズを評価していたのだろう?

 

 

あっ、今調べてみたら、アート・ペッパーのヴィレッジ・ヴァンガードでのライヴ盤のピアニストも、ジョージ・ケイブルズだなあ。う〜ん、これを全く憶えていなかったのは、どうしてなんだ?このライヴの録音は1977年だから、ケイブルズはデビューして間もなくじゃないのかなあ。よく知らんけど。

 

 

当時のジャズ・ジャーナリズムやファンの間では、ペッパーは復帰前がいいか復帰後がいいかという、結構激しい論争が繰広げられていた。復帰前がいいという人は主にレコードでペッパーを評価する人で、復帰後がいいという人は、やはり復帰後頻繁に来日するようになったライヴに足を運んでいる人だった。

 

 

「復帰」といっても、確かアート・ペッパーは二回復帰している。1956年の『リターン・オヴ・アート・ペッパー』で三年間のブランクから復帰したのが一回目。75年の『リヴィング・レジェンド』で七年間のブランクから復帰したのが二回目だけど、普通はその二回目の方を言うことが多いようだ。

 

 

僕なんかは1979年になってジャズを聴始めたという相当に遅れて来たファンだったから、ライヴはもちろんレコードでだって復帰後のアルバムしかリアルタイムでは体験できていない。だから、復帰前・復帰後に関係なく並べて一緒に聴いていた。粟村政昭さんなどは復帰後は全く評価していなかったけれど。

 

 

今聴くと、粟村さんが『ジャズ・レコード・ブック』の中で言っていたように、復帰後のアルバムには、1950年代のような輝きは全くないし、はっきり言って聴けたものではない、というとちょっと言過ぎだけど、まあ評価できないね。その50年代の録音も初期のものほど良くて、徐々に閃きがなくなっていく。

 

 

1950年代初期のアート・ペッパーというと、僕が一番好きなのはディスカヴァリー・レーベル録音だ。これは昔アナログ盤二枚でリリースされていて、今ネットで調べると、昔は<幻の名盤>だったとか、法外な値段で取引されていたとかいう情報が出てくるけど、そんなことはなく、普通に買えたのだった。

 

 

このLPがそれはもう大好きになり、ペッパーを知ってしばらく経ってからは、これこそが愛聴盤だった。だから、二回目のペッパー松山公演には、このレコードにサインをもらおうと終演後楽屋にこれを持っていった。ペッパーはそのジャケットを見ると、オオ!と言って少し驚いた様子。

 

 

ディスカヴァリー盤は、1952〜54年録音。この次に好きなのが、56年録音のタンパ盤『アート・ペッパー・カルテット』。今でもCDでたまに聴くことがあるのは、このディスカヴァリー盤とタンパ盤の二枚だけだなあ。どっちもCDで完全盤がリリースされているし、iTunes Storeにもある。

 

 

復帰後のペッパーもよく取りあげて演奏した生涯通じての愛奏曲「ベサメ・ムーチョ」も、そのタンパ盤『アート・ペッパー・カルテット』のが一番いいんだなあ。「アイ・サレンダー・ディア」もいいし、「ブルーズ・アット・トゥワイライト」もいい。ペッパーはこの時代の白人にしてはブルーズの上手い人だったな。

 

 

復帰前も復帰後もブルーズ・ナンバーをたくさんやっているし、そのこともそうなんだけど、ペッパーを西海岸を拠点にしていたジャズマンだからといって、いわゆる<ウェスト・コースト・ジャズ>に分類すると、それはちょっと違うだろう。資質的にはイースト・コーストの黒人サックスに近い感覚の人だ。

 

 

確かにいわゆるウェスト・コースト・ジャズの人達との共演が多いペッパーだけど、聴けば分るように、ペッパーの音色は白人特有のカスカスの軽いものではなく、しっとりと湿っていて、チャーリー・パーカーの系列。テッド・ブラウンの『フリー・ホイーリング』でも、ペッパーだけ異質に浮いている。

 

 

その『フリー・ホイーリング』には、アート・ペッパーの他、テッド・ブラウンとウォーン・マーシュという二人のサックス奏者(テナーだけど)が参加しての三管編成。ペッパー以外の二人は、いわゆるウェスト・コースト系白人サックス特有のスカスカの軽い音色で、僕はそういうのも案外嫌いじゃないけどね。

 

 

しかしやはりペッパーの湿った強い音色が目立ってしまう。ところで、『フリー・ホイーリング』はテッド・ブラウンのアルバムなのに、現行CDでは<アート・ペッパー&テッド・ブラウン>の表記になっている。テッド・ブラウンみたいな超無名サックス奏者の名前では売れないという判断なんだろう。

 

 

もちろんビバップ系白人アルト・サックス奏者でも、アート・ペッパーは、例えばフィル・ウッズほどにはチャーリー・パーカー的ではない。というかまあフィル・ウッズが異常にパーカー的なのだと言った方が正確かもしれない。とはいえ、ペッパーも1952年頃にはパーカーの継承者の一人と評価されてはいたようだ。

 

 

そんなわけで、先に書いたように、今でもたまに聴くアート・ペッパーのリーダー作は、1952〜54年のディスカヴァリー録音と56年のタンパ録音の二枚だけだ。特にディスカヴァリー録音は瑞々しくて弾けている。アップ・テンポでは軽快に、バラードではしっとりと、本当にチャーミングなんだよねえ。

 

 

ペッパーのディスカヴァリー録音から、ちょっと聴いてみてほしい。

 

「ブラウン・ゴールド」https://www.youtube.com/watch?v=qr8PG44bnwc

 

「ジーズ・フーリッシュ・シングス」https://www.youtube.com/watch?v=n6lKw_7D9FQ

 

 

なお、1956年のペッパーのタンパ録音は、『アート・ペッパー・カルテット』の三ヶ月前の録音で、もう一枚、ピアノのマーティー・ペイチ名義のアルバムがある。こっちも同じ時期の録音だから同じようにペッパーも魅力的で、「虹の彼方に」なんかもいいんだけど、どうしてだかあまり聴かないんだなあ

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