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2016/01/30

レンベーティカとブルーズ

Dalaras2015











古い米黒人ブルーズ、古いトルコ歌謡、そしてそれと不可分一体なギリシアの古いレンベーティカ、これら三つが同じくらい大好きな僕だけど、トルコとギリシアに大いに関連があることはみなさんご存知の通り。でもそれとブルーズ好きとはあまり深い関連はないだろうと思っていたけれど、どうもそうでもないようだ。

もちろんレンベーティカが「ギリシアのブルーズ」だとか呼ばれていることは知っているんだけど、これはアメリカのブルーズがその後のいろんなアメリカ大衆音楽の土台になっているもので、ギリシアのレンベーティカも同じようにその後のギリシア大衆音楽の屋台骨になっているとか、そんな意味だろう。

僕がブルーズ好きと古いレンベーティカ好きだというのに、ひょっとしたらなにか通底するものがあるのかもしれないということを考えはじめたのは、ヨルゴス・ダラーラスとニコス・プラティコス共作名義の2015年作『タ・アステガ』を聴いてからだった。これは今年になって買えるようになったもの。

『タ・アステガ』の上掲アルバム・ジャケットをご覧になればお分りの通り、ピアノを弾いている右の人物はどう見ても米ジャズ界の巨人デューク・エリントンだとしか思えない。左でブズーキを弾いている人物は、自信がないけれど、ピレウス派レンベーティカの大物マルコス・ヴァンヴァカリスなのかなあ?

この二人のうち、マルコス・ヴァンヴァカリスがヨルゴスのアルバム・ジャケットに登場するのは極めて自然だ。ヨルゴスには二枚組のマルコス・ヴァンヴァカリス集だってあるもんね。そうでなくなって微妙に味わいが違うスミルナ派・ピレウス派双方のレンベーティカが、ヨルゴスの音楽には息づいている。

しかしどうしてデューク・エリントンが登場しているのか、これはCDアルバムの中身を聴くまで、僕の頭の中には完全なるハテナ・マークしか浮ばなかった。聴いてみたら、納得とまではいかないんだけど、まあなんとなく理由は分ってきたのだった。ジャジーなピアノ演奏がかなり入っているんだよね。

ジャジーというと少し違うかも。正確にはラグタイム・ピアノが聞える。しかしヨルゴス(とニコス・プラティコス)は、どうしてラグタイム・ピアノを自身のアルバムで使おうと思ったんだろうなあ?しかも『タ・アステガ』のなかには、さらにディキシーランド・ジャズ風な管楽器が聞えるものだってある。

しかもラグタイムとディキシーランド・ジャズが、ヨルゴスの音楽的根幹であるレンベーティカと渾然一体となって溶け込んでいて、こりゃなんなんだ?こんな音楽は聴いたことがないぞ!と、驚きだったんだよね。ラグタイム・ピアノとジャジーなホーンとレンベーティカなブズーキが同時に鳴るなんてね。

アルバム一曲目の「1901」は、完全にラグタイム・ピアノとジャズ・ホーンと打楽器としか演奏していないインストルメンタル・ナンバーで、一切の予備情報を与えず音だけ聴かせたら、ギリシア音楽だと思う人は一人もいないだろう。曲名の「1901」は、スコット・ジョップリン最盛期の年代だということなのか?

その一曲目やその他の曲でのピアノを聴いて、アルバム・ジャケットに載っているエリントンのピアノを連想するかといえば、まあ連想しないんだけど、でもエリントンのピアノだって元々はウィリー・ザ・ライオン・スミス等ストライド・ピアノからスタートしたもので、ストライド・ピアノのルーツはラグタイム・ピアノだ。

そういうピアノに乗り、またはジャジーな管楽器アンサンブルに乗ってヨルゴスが歌う歌は、いつもの調子の哀感に富むギリシア歌謡で、それはレンベーティカなんだよね。しかしいつもの調子のレンベーティカ歌謡だなと思って聴いていると、それにラグタイムなピアノが絡んだりするからなあ。妙な感じだ。

四曲目「トリプラ・タ・サルニト」では女性歌手エレーニ・ツァリゴプーがフィーチャーされていて、やはりトラディショナルなライカ歌謡なんだけど、イントロや間奏で出てくるのがやはりラグタイムなピアノだもんなあ。ギリシアの弦楽器(ブズーキかなあ?)なども聞えはするけれど、ジャジーなんだ。

続く五曲目「ディオ・ドロモイ」では、やはり女性歌手アスパシア・ストラティグーの歌をフィーチャーしていて、彼女はヨルゴスのツアーでコーラスを担当していたこともあるらしいから、いつもの調子なんだけど、またしてもラグタイムなピアノと、ここではさらにディキシーランド・ジャズ風な管楽器が絡む。

アスパシア・ストラティグーはアルバム11曲目でも歌っている。そこではブズーキやその他ギリシアの弦楽器の音の方がよく聞える普通のギリシア歌謡で、ラグタイムだったりジャジーだったりする感触は殆どない。しかしスタマティス・クラウナキスが歌う続く12曲目「ルキア」は、やはりジャジーだ。

男性歌手スタマティス・クラウナキスのヴォーカルにはブルージーな雰囲気もあるから、ラグタイム・ピアノやディキシーランド・ジャズな管楽器のサウンドには似合っているように聞えて、なかなか面白い。それにしても、このアルバムで聞えるピアノの音は、ハンマーに鋲でも打っているような音だね。

ハンマーに鋲を打ったピアノの音というと、ラグタイムじゃなくて、同じアメリカでもホンキー・トンクなピアノ・スタイルを連想させるよね。それでも『タ・アステガ』でのピアノは、演奏スタイルはホンキー・トンクとは深い関係がないはずのラグタイムだから、それがああいう音で鳴ると、ヘンな気分だ。

それらの曲以外は全部ヨルゴスの単独歌唱だけど、それらもほぼ全部ホンキー・トンクな音で鳴るラグタイム・ピアノとジャジーな管楽器が入っていて、肝心のヨルゴスはというと、別にジャジーでもブルージーでもなく、アルバム・ジャケットに載っているマルコス・ヴァンヴァカリス流レンベーティカだ。

それにしてもヨルゴスとニコス・プラティコスは、どうしてこういうレンベーティカとラグタイムとジャズを結合させることを考えたんだろうなあ。一種のコンセプト・アルバムだよね。まあ御本人達に聞いてみないと分らないけれど、それら三つが自然に溶け合っていて、違和感なく聴けるのが不思議だ。

このアルバムを買ったエル・スールの原田さんの紹介文を引用すれば、「まるでそういう音楽ジャンルが昔から存在していたかのような」「なぜ、今までこういうギリシャ音楽が無かったのか、そっちの方が不思議なくらいに自然な」という、このヨルゴス&ニコスの『タ・アステガ』、鄙びた感じが実にいい。

そしてこの『タ・アステガ』を聴いていると、最初に書いたように、古いレンベーティカと古い米ブルーズや古い米ジャズ(やそのルーツの一つであるラグタイム・ピアノ)は、やはりどうやら関係があるんじゃないかと思えてくる。むろん直接の影響関係などはないはずだけど、音楽の本質が似ているというか。

レンベーティカは20世紀初頭のギリシアの港町などの酒場や阿片窟などで育まれた音楽だし、その点では19世紀末〜20世紀初頭のアメリカ南部の田舎町の酒場(ジューク・ジョイント)で演奏され人を踊らせてきたブルーズと同じだ。まあ米ブルーズは必ずしも街中だけの音楽でもないんだけどね。

そしてレンベーティカは、酒場・阿片窟などで歌われた哀歌であって、元々はオスマン帝国時代のアナトリア半島で産まれたものだから、トルコ歌謡・アラブ歌謡の哀感をたっぷりと引継いでいる、無頼の音楽なのだ。その点では<憂歌>とでも意訳できる米ブルーズと同じ種類の音楽なんだろうね。

ってことは、長年米ブルーズ、特に戦前の古いものの大ファンだった僕が、古いレンベーティカを知り、それにハマってしまったのも、明白な根拠のある必然だったんだろうね。奇しくも僕がハマった古いレンベーティカのボックスをたくさん出したのは、米戦前ブルーズのリイシュー・レーベル、英JSPだった。

てなことを、今年一月初旬に買ったばかりのヨルゴスの新作『タ・アステガ』を聴きながら考えたわけだけど、でもしかしこの哀歌・憂歌としてのレンベーティカとブルーズの共通性は、みなさんとうの昔にご存知なんだろう。好きになって何年も経つのに、ようやくいまごろ気付いた僕が遅すぎたというだけの話だ(恥)。

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