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2016/01/22

風に吹かれてサム・クック

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今日1/22は、サム・クックの誕生日なんだそうだ。

 

 

特に黒人向けに書いて提供した曲というわけではない、普通の白人シンガー・ソングライターが書き自分で歌った曲で、一番黒人歌手にカヴァーされている曲ってなんだろう?いろいろとあるだろうけど、ビートルズの曲群と並んで、ボブ・ディランの「ブロウイン・イン・ザ・ウィンド」もその一つだろう。

 

 

ビートルズの曲が、黒人、白人、あるいは何人問わず、世界中でカヴァーされまくっているのと、ディランの「ブロウイン・イン・ザ・ウィンド」が黒人歌手にカヴァーされるのとは、もちろん意味合いが全然違う。ビートルズの場合は、世界中に流布しているし、メロディがキレイだとか、そんな理由だろう。

 

 

ビートルズ同様、多くの曲がカヴァーされまくっているバート・バカラック・ナンバーなどは、彼は自分でも歌うけれど、まあほぼ専業のソングライターで、しかも彼の場合は、最初から黒人歌手が歌うことを想定して書いた曲もあるから、ちょっと同列には論じられない。

 

 

ボブ・ディランの「ブロウイン・イン・ザ・ウィンド」が、ピーター、ポール&メアリーやジョーン・バエズはじめ多くの白人歌手にカヴァーされているだけでなく、多くの黒人ソウル歌手にも歌われているというのは、これはもうお分りの通り、反戦・平和・自由・解放を歌う歌詞のメッセージ性ゆえだ。

 

 

なんどか書いているように、歌詞の意味やメッセージ性の強いというかそれが曲のメインであるようなものは、僕は昔からあまり好きではなくちょっと遠慮したい気分で、積極的には聴いていない。1964年『アナザー・サイド・オヴ・ボブ・ディラン』までのディランがあまり好きでないのは、そのせいもある。

 

 

「ブロウイン・イン・ザ・ウィンド」の場合は、まさにそういういわゆる<プロテスト・ソング>の代表曲で、ボブ・ディランのいわゆるフォーク時代最大の有名曲だから、個人的には長年避けて通っていたような感じだった。それがちょっと変ったのは、サム・クックがこれを歌っているのを聴いてからのこと。

 

 

サム・クックは「ブロウイン・イン・ザ・ウィンド」を、1964年のライヴ・アルバム『アット・ザ・コパ』で取上げている。つまりボブ・ディランの二作目のアルバム『ザ・フリーウィーリン』に収録されたり、シングル盤でリリースされた翌年のことだ。この曲をサムがカヴァーした理由は明白だろう。

 

 

サム・クックは黒人の人権意識にも非常に敏感な人で、1964年といえばマーティン・ルーサー・キングがノーベル平和賞を受賞した年で、当時アメリカでは公民権運動が高まりを見せていた。サムのようなソウル歌手だけではなく、黒人ジャズマンでも、あるいは白人でも、多くの人が敏感に反応していた。

 

 

1964年といえば、当のボブ・ディランはエレキ・ギターを手にして、ポール・バターフィールドらをバック・バンドに起用して、ニューポート・フォーク・フェスティヴァルのステージで電化路線「転向」を披露して、従来からのファンを驚かせた年。あの時のドラマーは黒人であるサム・レイだったのだ。

 

 

ということは、それまで社会派的なフォーク系(この認識は少し間違っていると僕は思っている)のシンガー・ソングライターだったアクースティックなボブ・ディランの支持者の多くが、あの1964年ニューポートのステージにブーイングを浴びせたというのは、運動の趣旨とは完全に矛盾していたわけだ。

 

 

だって、1960年代の社会派フォーク・シンガーであるボブ・ディランやピート・シーガーやジョーン・バエズや、その他の白人音楽家達と、彼らが投げかけるメッセージの基本は、「自由・解放」ということであって、つまり黒人意識の高揚・地位向上・社会的解放という意味合いだって含まれていたから。

 

 

それなのに、1964年ニューポートでのディラン達に批難のブーイングを浴びせたとなると、これは同時にステージで叩いていた黒人ドラマーにもブーイングを浴びせたということであって、そういうファン達はいかに自分達のその行為が自己矛盾しているか、全く気付いていなかったということになる。

 

 

「ブロウイン・イン・ザ・ウィンド」だって、反戦・平和を歌う歌詞内容だけど、ちょっと視点を変えて解釈し直せば、それは黒人解放のメッセージにもなり得る。というか、あらゆる人種・あらゆる時代に通用する普遍的な自由・人間解放への願いを込めた歌だろう。サム・クックが取上げたのは当然だ。

 

 

『アット・ザ・コパ』でのサム・クック・ヴァージョンは、当然バンドの伴奏が入っているけれど、ブラックなソウル・ナンバーというより、もっと普遍的というか音楽的な人種はあまり関係ないようなフィーリングだ。まあ『コパ』というライヴ・アルバムは、『ハーレム・スクエア』に比べれば、全体的にそうだ。

 

 

 

でも「ブロウイン・イン・ザ・ウィンド」を、黒人ソウル歌手の創始者サム・クックがカヴァーしたという意味は非常に大きい。やはりサムはこの歌のなかに、間違いなく人種意識の啓発という意味合いを読取って解釈し歌っている。そして、サムはこの曲へのアンサー・ソングを同年に創っている。

 

 

それがみなさんご存知のサム・クックの代表曲「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」だ。この1964年に書かれ録音されたサムの自作曲のなかでの最高傑作は、もちろん当時の公民権運動の高まりを受けてのもので、同年の発表直後から当時の黒人人権運動のアンセムのようなものになって、その後も歌い継がれた。

 

 

そんなサム・クックの自作曲「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」が、白人シンガー・ソングライター、ボブ・ディランのフォーク時代の曲「ブロウイン・イン・ザ・ウィンド」に刺激され、それへのアンサー・ソングのようなものとして創られたというのは、なんとも興味深いものではないだろうか。

 

 

フォーク時代のと書いたけれど、ボブ・ディランは、電化ロック路線「転向」後も、ライヴで頻繁に取上げて歌っている。ザ・バンドとの1974年『ビフォー・ザ・フロッド』や、翌75年『ブートレグ・シリーズ Vol. 5:ザ・ローリング・サンダー・レヴュー』にも収録されている。

 

 

その二つのうちでは、後者1975年ローリング・サンダー・レヴューのヴァージョンは、アクースティック・ギター弾き語りでジョーン・バエズとデュエットしているもので、十年以上前に戻ったようなフィーリングだけど、ザ・バンドとやった74年ヴァージョンは、バンドを従えた電化路線のサウンドだ。

 

 

ザ・バンドと一緒にやった電化サウンドでの「ブロウイン・イン・ザ・ウィンド」といえば、一昨年リリースされた『ザ・ベースメント・テープス・コンプリート』に、それが入っている。当然1967年の録音で、完全にロック・ナンバーになっているんだよね。スタジオ録音ではこれが一番好き。

 

 

また1985年の例のライヴ・エイド・イヴェントで、ボブ・ディランは、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズとロニー・ウッドの二人を従えて、「ブロウイン・イン・ザ・ウインド」をやっている。もっともそこでも三人ともアクースティック・ギターを弾いていて、それに乗せてディランが歌う。

 

 

ロック・ミュージシャンによる「ブロウイン・イン・ザ・ウィンド」カヴァーで、個人的に一番好きなのは、ニール・ヤング & クレイジー・ホースによる1991年のライヴ・アルバム『ウェルド』収録のヴァージョン。ファズの効いたエレキ・ギターのサウンドに乗せて、ニールとバンドの連中がハーモニーを付けて歌っている。

 

 

 

黒人ソウル歌手で「ブロウイン・イン・ザ・ウィンド」を歌っているのは、サム・クックだけではない。O.V. ライトも1969年の『ニュークリアズ・オヴ・ソウル』一曲目でこれをやっている。サムのよりもっとブラックなフィーリングに満ちたディープ・ソウル・ナンバーになっていて、面白い。

 

 

 

スティーヴィー・ワンダーもカヴァーしているよね。1966年の『アップ・タイト』収録のスタジオ録音もいいけれど、もっと面白いと思うのが92年のボブ・ディラン30周年記念コンサートでのライヴ・ヴァージョン。ピアノ弾き語り中心で進むなと思って聴いていると、お得意のハーモニカも出てくる。

 

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