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2016/01/21

リー・ワイリーとボビー・ハケット

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最初に聴いた時から現在に至るまで大好きなリー・ワイリーの『ナイト・イン・マンハッタン』。大学生の頃は大変な愛聴盤だった。現在では聴く回数がかなり減っているけど、それでもたまに聴くと、やっぱりいいと思うなあ。昔はこういう音楽も好きだった。

 

 

シンガー・ソングライターという言葉もまだなかった時代、その走りみたいな存在だったマット・デニスの『プレイズ・アンド・シングズ・マット・デニス』とかも大好きだったなあ。タイトル通り、自作曲だけをピアノを弾きながら歌っているライヴ盤。マット・デニスの曲はフランク・シナトラなども歌っているし、マイルス・デイヴィスだって録音している。

 

 

リー・ワイリーの『ナイト・イン・マンハッタン』とかマット・デニスの『プレイズ・アンド・シングズ・マット・デニス』とか、今ではこういう甘くて(大甘?)ソフトな感じのジャズ系ポップスからは、ちょっとだけ距離を置くようになってきているんだけど、上質なポップ・ミュージックだから、好きなんだ。

 

 

リー・ワイリーの『ナイト・イン・マンハッタン』は、最初は10インチ盤二枚か三枚かでリリースされたものらしいが、当然ながら僕はそれは写真でしか見たことがない。コロンビアから12インチLPに全曲まとめられてリリースされたのが何年頃のことか、実はよく知らない。録音は1950年頃らしいが。

 

 

とにかく、その12インチのコロンビア盤LPのジャケットがとてもステキで、中身の音楽もよく表現しているように思うんだなあ。実を言うと最初にこれを聴いた時に、リー・ワイリーのヴォーカルもさることながら、気に入ったのはボビー・ハケットのコルネットとジョー・ブシュキンのピアノ伴奏だった。

 

 

ボビー・ハケットもジョー・ブシュキンも、おそらくこの『ナイト・イン・マンハッタン』で初めて名前も演奏も知ったのだったと思う。特にややかすれるようなというかハスキーなというか、そんな音色のボビー・ハケットのコルネットがなんとも言えずチャーミングだ。今聴いても、素晴しい伴奏ぶり。

 

 

特にアルバム二曲目の「アイヴ・ガット・ア・クラッシュ・オン・ユー」と続く三曲目の「ア・ゴースト・オヴ・ア・チャンス」での、ボビー・ハケットのコルネットによる前奏や間奏や歌に絡むオブリガート(助奏)には聴惚れた。白人ジャズ・コルネット奏者では、ビックス・バイダーベックと並び現在でも一番好きな人で、ファンもかなり多いらしい。

 

 

「アイヴ・ガット・ア・クラッシュ・オン・ユー」https://www.youtube.com/watch?v=39xXp4ClVpg

 

「ア・ゴースト・オヴ・ア・チャンス」https://www.youtube.com/watch?v=PG78Yfnzczo

 

 

これらの曲では、バックにストリングスも入っている。誰がアレンジしたのか分らないんだなあ。ちょっと見てみると、「ジョー・ブシュキン&ヒズ・スウィンギング・ストリングス」と書いてあるから、ジョー・ブシュキンのバンドなのか?彼がストリングス・バンドを率いたという話は聞かないんだけど。

 

 

また「ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン」など数曲では、ピアノ伴奏だけで歌っていて、それらのピアノはジョー・ブシュキンではなく、サイ・ウォルターやスタン・フリーマンらしい。僕にはどう聴いてもストリングスが入ってボビー・ハケットが吹く曲の方が素晴しく聞えるけど、ピアノだけの伴奏の曲も悪くない。

 

 

ピアノ伴奏だけで歌うリー・ワイリーといえば、(エラ・フィッツジェラルドの伴奏もやっている)エリス・ラーキンスのピアノでやったアルバムがなにか一枚あったはずで、大学生の頃はそれもまあまあ聴いていたんだけど、今ではそれはもう全く聴かないし、CDで買ってすらもおらず、タイトルも忘れた。

 

 

リー・ワイリーという歌手は、1920年代からポール・ホワイトマン楽団やカサ・ロマ楽団で歌っていた人。だから、戦後『ナイト・イン・マンハッタン』を録音した頃には、結構キャリアのある歌手だった。このアルバムは、リー・ワイリーの戦後初の録音で、LPアルバムしても初らしい。

 

 

この時代のジャズやジャズ系ポップ歌手は、ほぼ例外なくビッグ・バンドの専属歌手としてキャリアをスタートさせている。それは歌手に限らず、ジャズのどんな楽器奏者だって、ある時期まではほぼ全員ビッグ・バンド在籍経験がある。以前も書いたね。

 

 

フランク・シナトラだって、独立前はトミー・ドーシー楽団の専属歌手として活躍した(1939〜42年)。もっともシナトラの場合は、トミー・ドーシー楽団加入前のキャリアが数年あって、スリー・フラッシズ(後に改名してホボケン・フォー)として35年にプロ歌手としてスタートしてはいるけれど。

 

 

シナトラはともかくリー・ワイリーの『ナイト・イン・マンハッタン』。前述の通り、ストリングスとジョー・ブシュキンとボビー・ハケットのが伴奏しているのと、サイ・ウォルターやスタン・フリーマンのピアノ伴奏だけのがあるけど、聴いた感じかなり違うから、別の機会の録音だったんじゃないかなあ。

 

 

元々一枚物でリリースされたものではないし、やはりどうもオーケストラ伴奏のとピアノだけの伴奏のとは、伴奏メンバーだけでなく、録音年含めセッションそのものが異なるんじゃないかと、今では推測しているけど、調べてもデータが見つからない。それを同じ頃の録音ということで、まとめて12インチ盤LPにしてリリースしたんだろう。

 

 

ちょっと調べてみたら、2004年に『Lee Wiley: Complete Fifties Studio Masters』という二枚組CDが出ている。見てみたら『ナイト・イン・マンハッタン』の収録曲は全部入っているし、その他にたくさん入っている。でももう廃盤で高値だ。

 

 

ちょっとほしいような気もするけど、過去音源の二枚組が一万円以上もするのでは手が出ないし、それに今ではもうリー・ワイリーにはそこまでは入れ込んでいないから、『ナイト・イン・マンハッタン』一枚で個人的には充分。それにこれをたまに聴く時も、主に聴いているのはボビー・ハケットだ。

 

 

ボビー・ハケットのコルネットに関しては、マイルス・デイヴィスも激賞しているし、書いたようにジャズの白人コルネット奏者では一番好きな一人だからね。彼は完全にビックス・バイダーベック直系の人で、ベニー・グッドマンがあの1938年カーネギー・ホールでのコンサートで、ビックス役に起用したほど。

 

 

あのコンサートには、<ジャズの20年>というコーナーがあって、古い曲を古いスタイルで再演している。1938年当時の白人スウィング・ミュージックは、それまでの黒人中心のいわゆるジャズとは、全然別種の音楽として誕生したと思われて人気だった。もちろんベニー・グッドマン本人は全然そんな風には思っていない。

 

 

だから、この<ジャズの20年>コーナーは、1938年に大人気の白人スウィング・ミュージシャンにとっては危険な賭けだったはずだ。以前書いたように、グッドマンは自分のバンドに何人も黒人を雇った、あの時代では稀な白人バンドリーダーだったし、そのカーネギー・コンサートにも大勢の黒人ジャズマンを出演させている。

その<ジャズの20年>コーナーでは五曲やっていて、なかにはルイ・アームストロングがやった「シャイン」だってあるし、以前もちょっと触れたエリントン楽団からのピック・アップ・メンバーらとやった「ブルー・レヴァリー」などなど。

 

 

そのベニー・グッドマン1938年カーネギー・ホール・コンサートで、ビックス役のボビー・ハケットが吹いているのは、有名なビックス・ナンバーの「アイム・カミング・ヴァージニア」。そのライヴ・アルバムに入っているので誰でも簡単に聴ける。完全にビックス・スタイルで吹いているんだよね。

 

 

ボビー・ハケットは、そのスウィートな特色を活かして、その後は映画音楽やイージー・リスニング方面で活躍したらしいが、僕はジャズ録音しか聴いたことがない。だけどあの音色とスタイルなら、そういう方面に向いていてピッタリ来るから、活躍できるのは誰でも容易に想像できるはずだよね。

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